はてなキーワード: 仮名とは
顔出汁はもちろん名前出しNGのインタビュー記事とかに需要も意義もあるのは疑問の余地はないだろう。
みたいなの。Aさん、Bさんじゃだめなのだろうか。
苗字だけのパターンもある。外国人に匿名取材してる記事だと、その国っぽい名前が付いてたりする。
・本名と全く遠い、なんら関連性のない漢字や文字数になっているのだろうか?
かと言って、逆の山→海とか、青→赤とかにするわけにもいかず、脈絡がない感じのチョイスって案外難しいのでは?
・その時のノリでつけてるのか、ある程度ストックがあるのか
・佐藤とか田中とかあんまり上位の苗字は見ない気がする。ひょっとして、苗字ランキングn位付近を使うみたいな隠しルールがあったりする?
最悪の場合、被取材者の近しい友人知人の名前と被ってくることになる
・有名人と被らないようには注意はしてるだろうが、その調査方法は? 記者個人に任されてるのか?
・苗字だけパターン、下の名前だけパターン、姓名パターン、どれを選ぶかは読み手のことも考えてというか記事の内容毎に変えてるんだろうけど、なんとなくなのか?
最近は、海外の方、日本在住の外国人さんの(仮名)も見ることがあり、その名前ってその国ではどんな位置づけなんだろうか?
とか考えることが増えた。
90年代前半、自分が18歳の時に区役所に住民票と戸籍謄本を取りに行った際に父親の名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」
父の名前は音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母も音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺の振り仮名も音読みだった。
更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母の名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書(学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前は通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名が別にあったのである。
更に自分の苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校の学生証も卒業証書も銀行口座も当用漢字で、それで通っていた。
何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。
その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字の伝統から外された風俗も伝授されない。
日本は中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍(中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。
昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人が本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である。
この風習が日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達は本名を絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである。
武士の場合は朝廷の官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代の越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門は変則的で黄門は中国での中納言の事である。漢籍=知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。
外国の報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である。
明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である。
…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。
有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である。特に名前での使用が顕著であった。
例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名は訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。
一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である。不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかないからだ。
だから歴史で伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343
「イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名を音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。
戦前の新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家の名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイ」である。
戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後生まれの団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派も有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。
しかし保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人で戦後も神社や右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。
こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。
銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。
だが当時日本はストックの急拡大により急激に国際的な地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類も必要になった。口座の文字は本名の字と一致させる必要がある。
更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。
こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。
だから私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである。
そして私を叱った区役所の役人は自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍や住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである。常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的な風習が認識できないというのは寓話的だ。
こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前が戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前と本名が違うのだろう。
現代っ子の自分は時代の常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれてから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。
親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。
そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかしな名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカ親である。
でも通名を別につける方法が残されているから問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。
更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。
なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習でしかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というものは伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統が問題を解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。
最後に、あの区役所のおっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本の伝統について知ることが出来たぜ。
ネットで拡散している「ぐるぐる巻きにしてうんこ食わせた」という部分は
クイックジャパン記事で書かれている村田くん(仮名)との修学旅行についてのことなんだろうな(増田では7と8のページ)
『Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 8
https://anond.hatelabo.jp/20210721001207
クイックジャパンでどう書かれているかというと、修学旅行でなぜか小山田、村田くん(障害児)、留年した怖い先輩の3人で班を組まされ、宿舎で村田くん相手にプロレスごっこをして(小山田の立場で)じゃれていると、先輩が入ってきて村田くんをぐるぐる巻きにして好きな女子の名前を言わせながらオナニーさせたからドン引きしてしまった(笑)とある。小山田本人の行為ではない。ウンコ食わせたという事実があるのなら、それをやったのも先輩なんだろう。
障害児童との修学旅行といえば↓の話が思い出されるが、はてな民はこれと自分の感想比較してくれ。教室から障害児童を排除すべきか、排除するなら子供はどこで障害者と接して多様性を持つことができるようになるのか。生活の場で接しなければ障害者はテレビの画面越しで見る架空の生き物と同じだしね。
[B! 教育] 泡盛とらこ(心ない介護職員) on Twitter: "中学生の子ども(女子)が、 修学旅行をキャンセルしました。 実行委員長兼班長でしたので、 田舎の中学では前代未聞の事態。 私も何度も担任と話し合いました。 キャンセルの理由は、 「まったく交流のない障害学級の男子(保護者意向で診断… https://t.co/QegfQmAhbh"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/torakoawamori/status/1411113159046270980
(村田くんをロッカーに閉じ込めてガンガン蹴ったり、日常のイジメ行為もクイックジャパンで告白されている)
小山田はもう1人の障害児の沢田くん(仮名)については良い思い出のように語っており会いたいとも答えているが、村田くんとはそうではないと言っている。
もう1人、朝鮮人の生徒をからかっていたとネットで拡散あるが、クイックジャパン記事では「家出したならうちに泊まりに来い」と小山田が誘って実際に泊めてあげており、いい思い出としか書かれていない。
あのグループの一員だ。
ヤバい目つきの人だなあとは思っていたが。
それも結構笑いながら。
他人事とは思えなかった。
盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。
小山田さんは、「今考えるとほんとヒドかった。
だったら、ホントに再会したらどうなるだろう。
いじめっ子は本当に謝るのか?
ドキドキしてきた。
対談してもらおう!
最終的にはいじめられてた人の家の中まで入った。
しかし結局この対談は実現せず、小山田さんへの個人インタビューとなった。
以下、この対談の準備から失敗までを報告する。
いじめ対談のことを話す。
――まず、いじめられっ子を探すことにする。
「昔、いじめっ子だったんですよね」
という訳にもいくまい。
とりあえず『月刊ブラシ』を手渡す。
「ミニコミ作ってるんで読んでください」
「あ、ありがとう」
この間、約二秒。
ちなみに僕は普段いつも自分のミニコミを持ち歩いている訳ではなく、
この日持ってたのは本当に偶然だった。
「学年を超えて有名」だったとか。
対談依頼の手紙を書く。
住所を頼りに昔いじめられてた人の家に行く、
この時の気分はうまく説明できない。
よくよく西河原さんと話してみると、
(前出のように)ハードにいじめられてたのは別の人ではないか」
とのこと。
じゃあ、本当にいじめられてたのは誰なんだ?
とのこと。
事前に手紙は送っているが、反応はよくない。
当たり前か。
この養護学校も、今は無いらしい。
小山田さんが話しているのは、一〇年近く前の話だから、そういうこともあっておかしくない。
では、いじめられっ子たちはその後どうしているのだろう。
僕の学校の場合、同学年の奴のその後って全然付き合いの無かった奴のも含めて、
「学校やめた」とか「宗教入った」とか結構情報が伝わってくるのだが、
不思議なことにいじめられっ子のその後についてはまったく情報がない。
小山田さんは知ってるだろうか。
久々だから、みんなで『インタビューしよう』ってなって(笑)。
『おまえ、今何やってんの?』とか聞いたら、
「あのね、沢田にはね、『あれは実は演技なんだ』っていう噂が流れてて(笑)。
なんか一時期『沢田をどっかで見た』っていうウワサが流れてて。
「もともと噂の発端がいて。一コ下にやっぱ凄い奴で、
―――いるんだ、そういう人も。
「ウン。で、ちっちゃい頃に感電したとか言って、
手のところからブワ~っとなってて。
で、いつも学校にすげー早く来てて、校門の前にいるんですよ。
それでみんなが通学してくると、いきなり寄って来て『問題を出す』とか言って(笑)。
答えられないような、すっごい難しい問題を出してくるんですよ。
『赤と緑、どっちが黄色?』とか、そんな問題を出してくるのね。
『えー』とか言って、『何言ってんだよ』とか言ってね。
なんか適当に答えたりすると『ブ―』とか言ってね、ツバかけてくんの(笑)。
そうそう、スフィンクスみたいなの。で、ツバをペッ! ってかけてくんの。
俺とか先輩だから『ふざけんなよ!』とか言って、バ~ンとか蹴っ飛ばしたりするんだけど。
全然、バ~ンとかブッ倒れてもへこたれないの。
またフラフラ~ッと次の獲物に行って、『問題を出す』とか言って(笑)」
「いじめっていうのとは全然違って、むしろ一緒に遊んでた奴なんだけど、朴(仮名)ってのがいて。
こいつは名前の通り朝鮮人なんだけど、朝鮮学校から転校して来たのね。
で、なんでからかわれたんだっけ……、とにかく、本当にピュアでいい奴なのね。
だからんだろうけど。
あ、思い出した! これ実は根深いんだけど。
初日の授業で、発表の時にはりきって『はい』って手挙げたんだけど、
挙げ方がこんな(ウルトラマンのスペシウム光線に似たポーズ)だったのね。
でもそれは朝鮮学校の手の挙げ方だったのね」
「あと、こいつの家は親が厳しくて、門限が五時とか。
で、無理やりひきとめてサ店とか入って、食うだけ食って五時過ぎたら『じゃあ!』とか言って(笑)」
で、朴がラジカセを買うって一万円ためてたんだけど、
ある時、ベランダに閉じ込められて、窓とか鍵閉められちゃったの。
そしたら窓ガラス蹴り破って出て来て。
先生に叱られて結局ラジカセの一万円でガラス代弁償することになったの(笑)。
「で、ある日『おまえ、そんな家出ちゃえよ。ウチ泊めてやるからさ』とか半分冗談でアドバイスしたら、
こいつのバッグが着替えじゃなくて教科書で一杯でさ。夏休みなのに(笑)。
しかも弟に『小山田の家に行く』って思いっきり告げてきちゃったらしくて、
結局すぐ親が迎えに来て。僕は怒られた(笑)」
しかしどんなタイプの奴でも行かなきゃいけないのが修学旅行だ。
「中三の時、一コ上の先輩でダブっちゃった人が下りてきたんですよ、ウチのクラスに。
で、その人が渋カジの元祖みたいな人で。
バカな先輩なんだけど。でも僕はわりと仲が良かったのね。
で、同じ班になっちゃって、そのまま修学旅行に行くことになっちゃったんですよ。
好きなもんどうしが集まったとかじゃ全然なくて(笑)、たまたまそういう班だったんですけど。
そいで修学旅行とか行ったら同じ班じゃないですか。
密室だしさ……他の班の奴とかも色々来てたりしてさ。
で、ウチの班で布団バ~ッとひいちゃったりするじゃない。
するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。
だけどそいつ軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。
それがなんか盛り上がっちゃってて。
それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。
いちおう、そいつにお願いする形にして、『バックドロップやらして』なんて言って(笑)、
"ガ~ン!"とかやってたんだけど。
で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、
限度知らないタイプって言うかさ。
なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。素っ裸にしてさ。
『オマエ、誰が好きなんだ』とかさ(笑)。
だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。
『ここはヤバイよな』っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、
『オマエ、誰が好きなんだ』とか言って。『別に…』なんか言ってると、
パーン! とかひっぱたいたりとかして。
『おお、怖え~』とか思ったりして(笑)。
『松岡さん(仮名)が好きです』とか言って(笑)。『じゃ、オナニーしろ』とか言って。
『松岡さ~ん』とか言っちゃって。かなりキツかったんだけど、それは」
以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、
いじめ談義は、どんな青春映画よりも僕にとってリアルだった。恋愛とクラブ活動だけが学校じゃない。
僕の学校でも危うく死を免れている奴は結構いたはずだし、今でも全国にいるだろう。
小山田さんには、いじめられっ子の二人目、村田さん(仮名)の話もしてもらった。
「村田は、小学生の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。
だけど違うクラスだったから接触する機会がなかったんだけど、中学に入ると、同じクラスになったから。
で、様々なな奇行をするわけですよ。
村田っていうのは、わりと境界線上にいる男で、やっぱ頭が病気でおかしいんだか、ただバカなんだか、
というのが凄い分りにくい奴で、体なんかもちっちゃくて、それでこいつは沢田とは逆に癇癪が内に向かうタイプで。
いじめられたりすると、立ち向かってくるんじゃなくて、自分で頭とかを壁とかにガンガンぶつけて、
『畜生、畜生!』とか言って(笑)、ホントにマンガみたいなの。
それやられるとみんなビビッて、引いちゃうの。『あの人、やばいよ』って。」
まず、臭いし、髪の毛がかゆいみたいで、コリコリコリコリ頭掻いてるんですよ。
何か髪の毛を一本一本抜いていくの。
それで、10円ハゲみたくなっちゃって、そこだけポコっとハゲててルックス的に凄くて。
「段ボールの中に閉じ込めることの進化形で、掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。
そいつなんかはすぐ泣くからさ、『アア~!』とか言ってガンガンガンガンとかいってやるの(笑)。
そうするとうるさいからさ、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばすんですよ。
それはでも、小学校の時の実験精神が生かされてて。密室ものとして。
あと黒板消しはやっぱ必需品として。"毒ガスもの"として(笑)」
いきなりガムをたくさん持ってきて、何かみんなに配りだして。
『何で、あいつ、あんなにガム持ってるんだ? 調べよう』ってことになって、
呼び出してさ、『お前、何でそんなにガム持ってるの?』って聞いたら、『買ったんだ』とか言っててさ。
三日間ぐらい、そういう凄い羽振りのいい時期があって。
そんで付いて行って、いろんなもん買わせたりして。
『おまえ、どうしたの?』とかきいたら、『親にブン殴られた』とか言ってて(笑)。
でも何に使っていいか分かんないから、ガム買ったりとかそういうことやって(笑)。
だから、そいつにしてみればその三日間っていうのはね、人気があった時代なんですよ。
一五万円で人が集まって来て。
かなりバカにされて、『買えよ』って言われてるだけなのに。
「学校で透明な下敷きに好きなの入れるのって流行るじゃないですか。
僕とかも入れてたんだけど、それ見て真似したのか何なのか、
ある日透明な下敷きを沢田が買ってきたんですよ。
それで、『あの下敷きに何が入るのか?』って僕はかなり注目してたの。
で、シャレでも何でもなくて、ホントに石川さゆりの写真が入ってたんですよ。
それで『何、お前、石川さゆり好きなの?』って聞いたら『ウン』って言ってるの。
ちょっとお母さんの『週刊女性』とかそういうのから切り取ったような。
かなりタイプだったみたいで」
―――ちなみに、同時期に小山田さんは下敷きに何を入れてたんですか?
―――(笑)。
「こいつ、高校ぐらいになると、ちょっと性に目覚めちゃうんですよ、それがまた凄くてね、
朝の電車とかで、他の学校の女子高生とかと一緒になったりするじゃん、
そうすると、もう反応が直だからさ、いきなり足に抱きついちゃったりとかさ。
あと、沢田じゃないんだけど、一個上の先輩で……そいつはもう超狂ってた奴だったんだけど……長谷川君(仮名)という人がいて、
そいつとかもう、電車の中でオナニーとか平気でするのね、ズボンとか脱いで、もうビンビンに立ってて(笑)。
いつも指を三本くわえてて、目がここ(右の黒目)とここ(左の黒目)が凄く離れてて、
「沢田はね、あと、何だろう……"沢田、ちょっといい話"は結構あるんですけど……超鼻詰まってんですよ。
『おっ、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、
ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。
で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。
で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。
ちょっといい話でしょ?しかも、ちゃんとビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、
『首に掛けとけ』って言って、箱に沢田って書いておきましたよ(笑)。
それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。
それで五・六時間目まで持つようになった。
かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって」
「でも別に、仲いいって言ってもさ、休みの日とか一緒に遊んだりとか、
●4月2日
とにかく事務所に乗り込む。
『QJ』赤田氏と僕とで、
まずマネージャー岡氏を説得しなければならない。
と思っていたら、「本人来ますよ」
20分後、『夕刊フジ』の地下鉄サリン事件増刊号を小脇にかかえながら、
「この対談、読み物としては
自分がやるとなると……(苦笑)」
やはり引き気味のコーネリアス。
しかし話をしていくうち、
小山田さんは、いじめグループの中でも"アイデア担当"だったらしい。
僕の確信は間違ってなかった。
紹介していたぞ。
独り占めするのはもったいないので、僕がシビレた話を掲載しよう。
小山田さんによれば、当時いじめられてた人は二人いた。最初に登場するのが沢田君(仮名)だ。
「沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、
転校してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。
もういきなり(言語障害っぽい口調で)『サワダです』とか言ってさ、
『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか。
なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?
で、いきなり初日にウンコするんだけどさ、便所に行く途中にズボンが落ちてるんですよ、何か一個(笑)。
そんでそれを辿って行くと、その先にパンツが落ちてるんですよ。
で、最終的に辿って行くと、トイレのドアが開けっ放しで、下半身素っ裸の沢田がウンコしてたんだ(笑)」
「だから、何かほら、『ロボコン』でいう『ロボパー』が転校してきたようなもんですよ。(笑)。
で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。
で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。
別に最初はいじめじゃないんだけども、とりあえず興味あるから、
まあ色々トライして、話してみたりするんだけども、やっぱ会話とか通じなかったりとかするんですよ。
おまけにこいつは、体がでかいんですよ。
それで癇癪持ちっていうか、凶暴性があって……牛乳瓶とか持ち出してさ、追っかけてきたりとかするんですよ。
で、みんな『怖いな』って。ノロいから逃げるのは楽勝なんだけど、
怒らせるとかなりのパワーを持ってるし、しかもほら、ちょっとおかしいから容赦ないから、
で、普通の奴とか牛乳瓶でまさか殴れないけど、こいつとか平気でやるのね。
それでまた、それやられると、みんなボコボコにやられるんだけど」
「僕とこいつはクラスは違ったんですけど、小学校五年ぐらいの時に、
僕、"太鼓クラブ"とかに入って(笑)、かなり人気のないクラブだったんですよ。
『サンサ踊り』とか、何かそういう凄い難しい踊りを取り入れてて。
僕、踊り踊るのヤだったの、すごく。
それで踊らなくていいようにするには、太鼓叩くしかなかったの。
クラスで三人とか四人ぐらいしか太鼓叩く奴はいなくて、後は全員、踊らなきゃいけないってやつで。
僕は『踊るのはキツイなー』って思って、『じゃ、太鼓の方がいいや』って。
それで太鼓クラブに入ったんですけど、するとなぜか沢田が太鼓クラブにいたんですよ(笑)。
本格的な付き合いはそれからなんですけど、
太鼓クラブって、もう人数が五人ぐらいしかいないんですよ、学年で。
野球部とかサッカー部とかがやっぱ人気で、そういうのは先生がついて指導とかするんだけど、
太鼓クラブって五人しかいないから、先生とか手が回らないからさ、
それで音楽室の横にある狭い教室に追いやられて、そこで二時間、五人で過ごさなきゃならなかった。
五人でいても、太鼓なんか叩きゃしなくって、ただずっと遊んでるだけなんだけど。
そういう時に五人の中に一人沢田っていうのがいると、やっぱりかなり実験の対象になっちゃうんですよね」
全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、
『おい、沢田、大丈夫か?』とか言うと、『ダイジョブ…』とか言ってんの(笑)。
そこに黒板消しとかで、『毒ガス攻撃だ!』ってパタパタやって、
しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、
『ヤバいね』『どうしようか』とか言って、『じゃ、ここでガムテープだけ外して、
部屋の側から見ていよう』って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな……?
何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、
『おかあさ〜ん』とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして」
「本人は楽しんではいないと思うんだけど、でも、そんなに嫌がってなかったんだけど。
ゴロゴロ転がしたりしたら、『ヤメロヨー』とか言ったけど」
http://oymdkig.blog.fc2.com/blog-entry-1.html?sp
「よく僕は学年総会とかで小沢に怒られたりしたんだよ」
●何で同級生に怒られんだよ。
「いや、怒られるっていうか、小沢は議長席に全校生の前でこうやって座っててさ、
それで○○事件というのが起きて、その当事者として僕はみんなの前にこうやって座っててさ。
それで「○○君どうですか?」って言われて「もうこれからはしません」とかってマイクで言ってさ(笑)」
●(爆笑)情けねぇー
「ははははは。でもそういうのなかった?」
●いや、あったあった(笑)
「なんか万引きが発覚してさ、先生が『何月何日にどこどこで万引きして』とか言ってさ。
調布のヘンなショッピングセンターみたいな超万引き場所みたいなのがあってさ。
最初はくだらないもん盗んでたんだけどだんだんエスカレートして一人デッカいカーステ盗んだやつが居てさ(笑)」
●見つかるに決まってんじゃん(笑)
「盗んだときは見つかんなかったの。
それで便所に行ってもう箱がじゃまだからトイレの外にボーンって捨てたら、
トイレの外に落ちてきたのが見つかって(笑)。僕はそん時には居なかったんだけど、
捕まってそいつが全部白状しちゃって。で、そこまでやってたのがもう半端じゃない金額になってて、
「そうそうそう!1コうまく行くともうガンガン行くじゃん(笑)。それで小沢に怒られて」
「いやいや、小沢に怒られたわけじゃないんだけど、あそこでいちばん偉いのは小沢だから、
●ははははは。
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「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」
「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」
■やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」
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沢田って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転向してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)「サワダです」とか言ってさ、「うわ、すごい!」ってなるじゃないですか。で、転校してきた初日に、ウンコしたんだ。なんか学校でウンコするとかいうのは小学生にとっては重罪だってのはあるじゃないですか?
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だから、何かほら、「ロボコン」でいう「ロボパー」が転校してきたようなもんですよ。(笑)。で、みんなとかやっぱ、そういうの慣れてないから、かなりびっくりするじゃないですか。で、名前はもう一瞬にして知れ渡って、凄い奴が来たって(笑)、ある意味、スターですよ。
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段ボール箱とかがあって、そん中に沢田を入れて、全部グルグルにガムテープで縛って、空気穴みたいなの開けて(笑)、「おい、沢田、大丈夫か?」とか言うと、「ダイジョブ…」とか言ってんの(笑)そこに黒板消しとかで、「毒ガス攻撃だ!」ってパタパタやって、しばらく放っといたりして、時間経ってくると、何にも反応しなくなったりとかして、「ヤバいね」「どうしようか」とか言って、「じゃ、ここでガムテープだけ外して、部屋の側から見ていよう」って外して見てたら、いきなりバリバリ出てきて、何て言ったのかな…?何かすごく面白いこと言ったんですよ。……超ワケ分かんない、「おかあさ~ん」とかなんか、そんなこと言ったんですよ(笑)それでみんな大爆笑とかしたりして。
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ジャージになると、みんな脱がしてさ、でも、チンポ出すことなんて、別にこいつにとって何でもないことだからさ、チンポ出したままウロウロしているんだけど。だけど、こいつチンポがデッカくてさ、小学校の時からそうなんだけど、高校ぐらいになるともう、さらにデカさが増しててさ(笑)女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして。
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こういう障害がある人とかって言うのは、なぜか図書室にたまるんですよ。図書室っていうのが、もう一大テーマパークって感じで(笑)しかもウチの学年だけじゃなくて、全学年のそういう奴のなぜか、拠り所になってて、きっと逃げ場所なんだけど、そん中での社会っていうのがまたあって、さっき言った長谷川君っていう超ハードコアなおかしい人が、一コ上で一番凄いから、イニシアチブを取ってね、みんなそいつのことをちょっと恐れてる。そいつには相棒がいて。耳が聞こえない奴で、すっごい背がちっちゃいのね。何か南米人とハーフみたいな顔をしてて、色が真っ黒で、そいつら二人でコンビなのね。ウチの学年のそういう奴にも威張ってたりとかするの。
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何かたまに、そういうのを「みんなで見に行こう」「休み時間は何やってるのか?」とか言ってさ。そういうのを好きなのは、僕とかを含めて三、四人ぐらいだったけど、見に行ったりすると、そいつらの間で相撲が流行っててさ(笑)。図書館の前に、土俵みたいなのがあって、相撲してるのね。
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太鼓クラブとかは、もうそうだったのね。体育倉庫みたいなことろでやってたの、クラブ自体が。だから、いろんなものが置いてあるんですよ、使えるものが。だから、マットレス巻きにして殺しちゃった事件とかあったじゃないですか、そんなことやってたし、跳び箱の中に入れたりとか。小道具には事欠かなくて、マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバイよね、きっとね(笑)
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村田は、小学生の頃からいたんですよ。こいつはちょっとおかしいってのも分かってたし。だけど違うクラスだったから接触する機会がなかったんだけど、中学に入ると、同じクラスになったから。で、さまざまな奇行をするわけですよ。村田っていうのは、わりと境界線上にいる男で、やっぱ頭が病気でおかしいんだか、ただバカなんだか、というのが凄い分りにくい奴で、体なんかもちっちゃくて、それでこいつは沢田とは逆に癇癪が内にむかうタイプで、いじめられたりすると、立ち向かってくるんじゃなくて、自分で頭とかを壁とかにガンガンぶつけて、「畜生、畜生!」とか言って(笑)、ホントにマンガみたいなの。それやられるとみんなビビッて、引いちゃうの。「あの人、やばいよ」って。
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お風呂に入らないんですよ、こいつは(笑)まず、臭いし、髪の毛がかゆいみたいで、コリコリ頭掻いてるんですよ。何か髪の毛を一本一本抜いていくの。それで、10円ハゲみたくなっちゃって、そこだけボコッとハゲてルックス的に凄くて。勉強とか全然できないし、運動とかもやっぱ、全然できないし。
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村田は、別に誰にも相手にされてなかったんだけど、いきなりガムをたくさん持ってきて、何かみんなに配りだして。「何で、あいつ、あんなにガム持ってるんだ? 調べよう」ってことになって、呼び出してさ、「お前、何でそんなにガム持ってるの?」って聞いたら、「買ったんだ」とか言っててさ。三日間ぐらい、そういう凄い羽振りのいい時期があって。そんで付いて行って、いろんなもん買わせたりして。
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そんで、三日間くらいしたら、ここに青タン作って学校に来て。「おまえ、どうしたの?」とかきいたら、「親にブン殴られた」とか言ってて(笑)。親の財布から十五万円盗んだんだって。でも何に使っていいか分かんないから、ガム買ったりとかそういうことやって(笑)。だから、そいつにしてみればその三日間っていうのはね、人気があった時代なんですよ。十五万円で人が集まってきて。かなりバカにされて、「買えよ」って言われてるだけなのに。
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ウチの班で布団バ~ッとひいちゃったりするじゃない。するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。たとえばバックドロップだとかって普通できないじゃないですか? だけどそいつ(注・村田君)軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。それがなんか盛り上がっちゃってて。みんなでそいつにプロレス技なんかかけちゃってて。おもしろいように決まるから「もう一回やらして」とか言って。
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それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。いちおう、そいつにお願いする形にして、「バックドロップやらして」なんて言って(笑)、”ガ~ン!”とかやってたんだけど。
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で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、限度知らないタイプっていうかさ。なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。「オナニーしろ」とか言っちゃって。「オマエ、誰が好きなんだ」とかさ(笑)。そいつとか正座でさ。なんかその先輩が先頭に立っちゃって。なんかそこまで行っちゃうと僕とか引いちゃうっていうか。だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。そうすると、僕なんか奇妙な立場になっちゃうというか。おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど。「ここはヤバイよな」っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、その人の場合だとかなりハードコアまで行ってて。「オマエ、誰が好きなんだ」とか言って。「別に…」なんか言ってると、バーン!とかひっぱたいたりとかして、「おお、怖え~」とか思ったりして (笑)。「松岡さん(仮名)が好きです」とか言って(笑)。「じゃ、オナニーしろ」とか言って。「松岡さ~ん」とか言っちゃって。
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他だったら特殊学校にいるような子が普通クラスにいたし。私立だから変わってて。僕、小学校の時からダウン症って言葉、知ってたもん。学校の裏に養護学校みたいなのがあるんですよ。町田の方の田舎だから、まだ畑とか残ってて。それで、高校の時とか、休み時間にみんなで外にタバコ吸いにいったりするじゃないですか。で、だいたいみんな行く裏山があって。
タバコ吸ってたり、ボーッとしてたりなんかするとさ、マラソンしてるんですよ、その養護学校の人が。で、ジャージ着てさ、男は紺のジャージで、女はエンジのジャージで、なんか走ってるんですよ。で、ダウン症なんですよ。
「あ、ダウン症の人が走ってんなあ」なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?
「あれ? さっきあの人通ったっけ?」なんて言ってさ(笑)。ちょっとデカかったりするんですよ、さっきの奴より。次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走っていって、「あれ? これ女?」とか言ったりして(笑)。最後10人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ~って走って来て。「すっげー」なんて言っちゃって(笑)
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村田さんの家に電話する。お母さんが出た。聞けば、村田さんは現在はパチンコ屋の住み込み店員をやっているという。高校は和光を離れて定時制に。
お母さん「中学時代は正直いって自殺も考えましたよ。でも、親子で話し合って解決していって。ウチの子にもいじめられる個性みたいなものはありましたから。小山田君も元気でやっているみたいだし」
住み込みの村田さんは家族とも連絡が取れないらしい。パチンコ屋の電話番号は、何度尋ねても教えて貰えず、最後は途中で電話を切られた。
沢田さんに電話してもお母さんが出た。電話だけだとラチが開かないので、アポなしでの最寄り駅から電話。「今近くまで来てるんですが……」田園調布でも有数の邸宅で、沢田さんと直接会うことができた。
お母さんによれば、”学習障害”だという。家族とも「うん」「そう」程度の会話しかしない。現在は、週に二回近くの保健所で書道や陶器の教室に通う。社会復帰はしていない。
お母さん「卒業してから、ひどくなったんですよ。家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」
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■もし対談できてたら、何話してますか?
「別に、話す事ないッスけどねえ(笑)。でも分かんないけど、今とか会っても、ぜったい昔みたいに話しちゃうような気がするなあ。なんか分かんないけど。別にいじめるとかはないと思うけど。『今何やってんの?』みたいな(笑)。『パチンコ屋でバイトやってんの?』なんて(笑)、『玉拾ってんの?』とか(笑)。きっと、そうなっちゃうと思うんだけど」
■やっぱ、できることなら会わないで済ましたい?
「僕が? 村田とは別に会いたいとは思わないけど。会ったら会ったでおもしろいかなとは思う。沢田に会いたいな、僕」
■特に顔も会わせたくないっていう人は、いない訳ですね?
「どうなんだろうなあ? これって、僕って、いじめてるほうなのかなあ?」
「だから自分じゃ分かんないっていうか。『これは果たしていじめなのか?』っていう。確かにヒドイことはしたし」
「うーん……。でも、みんなこんな感じなのかもしれないな、なんて思うしね。いじめてる人って。僕なんか、全然、こう悪びれずに話しちゃたりするもんねえ」
■ええ。僕も聞きながら笑ってるし。
大金をバンバン稼ぐ大作家でもそういうことじゃないでしょ・・・って表現になりがちなので
坂口安吾の『白痴』や『風と光と二十の私』は若干近いかなって思う
石津は貧しい家の娘で、その身体にはいっぱい虱しらみがたかっていた。外の子供がそう云って冷やかす。キリリと怒るような顔になるが、やがて又たわいもない笑い顔になってしまう。善良というよりも愚かという魂が感じられる。読み書きはともかく出来て、中くらいの成績なのだが、人生の行路では、仮名も知らない女よりも処世に疎うとくて、要するに本当の生長がないような愚な魂がのぞけて見えるのだ。そのくせ、ひどく色っぽい。ただ、それだけだ。
坂口安吾 風と光と二十の私と
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42615_21291.html
もちろん困難を抱えている人たちのために言葉が改められてよかったと思うけど
あと見目が良いというのはほぼすべての問題を解決するので安吾が考えてるようなことにはなんねーからとは思いつつも
(同年代には相手にされなくても子どもは持って子どもに依存する。もしくは養い主の惰性(別れるの面倒)に居直る・縋る)
この娘の母親がある一夜私を訪ねてきたことがある。この娘の特別の事情、つまり、何人かの妹弟の中でこの娘だけが実子でないために性格がひねくれていることを説明して、父母の方では別に差別はしていないのだから、もっと父に打ちとけるように娘にさとしてくれというのだ。この母親は淫奔な女だという評判で、まったく見るからに淫奔らしい三十そこそこの女であった。いや、ひねくれてはおりません、と私は答えた。ひねくれたように見えるだけです。素直な心と、正しいものをあやまたずに認めてそれを受け入れる立派な素質を持っています。私の説教などは不要です。問題はあなた方の本当の愛情です。私がいちばん心配なのは、あの娘は、人に愛される素質がすくない。女として愛される素質がすくない。ひねくれのせいではないのです。あの娘は人に愛されたことがないのではありませんか。先ず親に、あなた方に愛されたことがないのではありませんか。私に説教してくれなんて、とんでもないお門違いですよ。あなたが、あなたの胸にきいてごらんなさい。
この母親はちっとも表情を表わさずに、私の言葉をとりとめのない漠然たる顔付できいていた。これも仮名で名前しか書けない一人だろうと私は思った。ただ、子供とはあべこべに、徹頭徹尾色っぽく、肉慾的だ。最も女であった。その淫奔な動物性が、娘の野性と共通しているだけだった。娘は大柄であるのに、母親はひどく小柄であった。顔はどちらも美人の部類である。二三分だまっていたが、やがてひどく馴れ馴れしく世間話をして帰って行った。
スパムとかそういうのではない。
この10年くらい「高校の同級生」だと思っていたやつが、まったくの他人だったという話。
身バレすると嫌なので仮名で書くと、私の高校の同級生の名前が「山田太郎」だとすると、その知らんやつの名前が「山田太朗」だった。
出身地が私と同じで、学年も同じ。最初のきっかけはなんだったか忘れたのだが、おそらくFacebookのもしかして友達?で出てきたのではないかと思う。
何故気づいたか。
その「山田太朗」の投稿を見ていて、羽振りの良さそうなイケイケの生活をしているし、見た目も相当垢抜けているので、高校のときはどんな感じだったけと卒業アルバムを開いてみたところ、名前が「太朗」ではなく「太郎」だったことに気がついたのだった。見た目もよく見たら全然違う。高校のときは、黒縁の大きな眼鏡をかけていて、その印象が強く、大人になって眼鏡じゃなくなったんだなーと思っていたのが良くなかった。
慌てて、「山田太朗」と私の共通の友人を見に行ったら、高校の同級生が数名見つかった。おそらくこれもまったくの他人と知らずに友達になっている可能性が高い。出身地も学年も同じなので、もしかすると別ルートで本当に友達なのかもしれない。
Facebookの機能で、自分と「山田太朗」とのこれまでのやりとりを見ると、誕生日に「おめでとー」とタイムラインに投稿して、コメントで「ありがとー」と返事をもらっている。毎年ではなく、過去10年で2回ほど。向こうからしても「こいつ誰だっけ?」と思いながら返事をしている可能性が高い。
知らんやつではあるのだが、なんだかんだで長いこと自分のタイムラインに登場しているので、無下に友達関係を解除するのもしのびなく、今後どうしたものかなと考えている。
姓も名も変な名前なので、ずっと悪目立ちして、いじめられてきました。
この春から採用関係の部署へ異動しました。(マイナビとかのページ更新やってます)
やはり、キラキラネームをはじめ、変わった苗字は落とされるのですね。
本人に罪はないのに……
こういう経験、変な名前で生まれてきた方は、身に覚えがあるのでは?
同じ点数の2人が並んだら、そりゃあ、変な名前の方を落としますよね……
24歳。この前彼氏にプロポーズされた。法律婚するには、私が苗字を変えねばならない。
ここには書けないが姓名の組み合わせも良く、個人的にはセットとしてこの名前に思い入れがある。「珍しい苗字である」ということに誇りのようなものもある。
彼自身に落ち度がある訳ではないのだが、今更この名前を捨て、掃いて捨てるほどいる「佐藤さん」に名を連ねることになるのが、吐き気がするほど辛いのだ。
そもそも何故夫側の姓にする必要があるかというと、彼の両親が農家の出自で、長男である彼が妻の姓に入ることを許さないからだ。もし苗字を私のものにするのなら彼は親と縁を切ることになる。それが簡単に出来るほど、彼は親と不仲ではない。彼は「結婚は家と家のもの」という。じゃあ何か?結婚したら京極家は佐藤家に吸収されるのか?
「俺は自分の姓に執着はない。だから君がなんで執着するのかもわからない」という彼に、心の中で「そりゃあ貴方は、自分の名前でfacebook検索したら同姓同名のアカウントが大量に出てくるものね」と悪態をついてしまう。
事実婚も考えはした。私と彼の稼ぎは同じくらいか私の方がちょっと多いくらいで、扶養控除は関係ない。しかし離婚のハードルや相続税、「親権が無いと責任を果たす気にならない」という彼の発言から、その選択肢は選べそうにない。
別に今日の最高裁の決定に文句を言うつもりはない。違憲合憲の判断は難しいだろう。それにしても、法律自体は変えて欲しい。なるべく早く、私が籍を入れる前に、私の気持ちが決壊する前に、どうか選択的夫婦別姓を実現してくれ。