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2021-07-21

Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 5

anond:20210720235857

石川さゆり VS ジザメリ

学校で透明な下敷きに好きなの入れるのって流行るじゃないですか。

僕とかも入れてたんだけど、それ見て真似したのか何なのか、

ある日透明な下敷きを沢田が買ってきたんですよ。

それで、『あの下敷きに何が入るのか?』って僕はかなり注目してたの。

で、シャレでも何でもなくて、ホント石川さゆり写真が入ってたんですよ。

それで『何、お前、石川さゆり好きなの?』って聞いたら『ウン』って言ってるの。

ちょっとお母さんの『週刊女性』とかそういうのから切り取ったような。

石川さゆりが出てる本なんて持ってないよね、高校生(笑)

かなりタイプだったみたいで」

―――ちなみに、同時期に小山田さんは下敷きに何を入れてたんですか?

「何だ……ジーザスメリーチェーンとか」

―――(笑)

「こいつ、高校ぐらいになると、ちょっと性に目覚めちゃうんですよ、それがまた凄くてね、

朝の電車とかで、他の学校女子高生とかと一緒になったりするじゃん、

そうすると、もう反応が直だからさ、いきなり足に抱きついちゃったりとかさ。

あと、沢田じゃないんだけど、一個上の先輩で……そいつはもう超狂ってた奴だったんだけど…長谷川君(仮名)という人がいて、

そいつとかもう、電車の中でオナニーとか平気でするのね、ズボンとか脱いで、もうビンビンに立ってて(笑)

いつも指を三本くわえてて、目がここ(右の黒目)とここ(左の黒目)が凄く離れてて、

かなりキてる人で、中学だけで高校は行けなかったんだけど。

沢田は、そこまではいかなかったけど、反応は直だから

沢田はね、あと、何だろう……"沢田ちょっといい話"は結構あるんですけど……超鼻詰まってんですよ。

小学校の時は垂れ放題で、中学の時も垂れ放題で、

高校の時からポケットティッシュを持ち歩くようになって。

進化して、鼻ふいたりするようになって(笑)

『おっ、こいつ、何かちょっとチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、

ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。

で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。

で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュ沢田プレゼントしたという(笑)

ちょっといい話でしょ?しかも、ちゃんビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、

首に掛けとけ』って言って、箱に沢田って書いておきましたよ(笑)

それ以来沢田ティッシュ首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。

それで五・六時間目まで持つようになった。

かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって」

「でも別に、仲いいって言ってもさ、休みの日とか一緒に遊んだりとか、

そういうことは絶対なかったし、休み時間とかも、一緒に遊んだりっていうのは、絶対なかったんだけど」

next: anond:20210721000454

2021-07-20

クイックジャパン記事全文を読んで

自分は、かなり小山田に対する印象が変わった

ひどい部分だけが出回ってるけどいい話もあるし

根元敬の人生解毒波止場にかなり近い印象

石川さゆりジザメリの下敷きのエピソードなんてすごくいいよね

 

もし一連の出来事映画化したら、

小山田立ち位置はかなりいいやつに見えると思うんだよ

私立学校の中に放り込まれ障害者との接し方としては

ポリコレ的に正しい接し方ではなかったけど、

根元敬的な世界観はいい話になり得る

そのあたりの両義性を見せたかったんだろうけど、

今の時代コードには適合しなかった、普遍性をもたせられなかったんだな

 

根元敬は特殊漫画家という立ち位置から許されているだけであって、

お金持ちに生まれ私立学校に行ってオシャレなミュージシャンとして成功した人間

障害者を笑ってるって構図がグロテスクなんだよな

そこの自覚がなかったのが問題

 

でもやっぱり俺はとても小山田を責める気にはなれないな

小山田存在しなかったらSとMの人生が良くなっていたとは思えないし

健常者のクソガキの群れに放り込まれ知的ボーダーの変わり者と

将来ミュージシャンとして成功する友達の少ないお坊ちゃん

交流の美しい物語というふうにも、見ようによっては見えるし、

そういう世界の捉え方は、弱者を救うこともあるはずだし

 

いじめ現場を笑いながら傍観し、いじめアイデア提供したエピソードが 

いじめ肯定に見えてしまうという意味では、

ロッキング・オンクイックジャパンの語り口は間違ってしまった。

でもよくよく読んでみるとそうした過激いじめエピソードというのは、

加減を知らない先輩がやらかしてるのを傍観してて俺は引いてたっていう話なんだよね

そこに反省視点がなく笑い話にしてしまってるのは事実なんだけど、

小学生から高校生にかけて関係性が変わっていく

高校生になって友達が少なかった小山田がSと隣の席になってSのファンになり、面白がりながら

観察し問いかけを続け、結果的に誰よりもSとコミュニケーションを取るようになっていった

Sと小山田関係って、悪くないんだよね

年賀状を笑いながら晒したのも最悪なんだけど、Sからしてみれば小山田積極的に話しかけてくれる

一番の友だちだったのだろう

Sが卒業後に症状が悪化してしまったのも、小山田との関係がなくなり、小山田のように

興味持って問いかけをしてくれる存在がなくなってしまたことが原因なんじゃないかと思える

直接謝罪の道を探したいと言っていたけど、我々の知らないところで、Sと再会し関係を再構築できるといいなと思う

2017-07-15

https://anond.hatelabo.jp/20170714192319

ジザメリということは2008年かな?

http://www.summersonic.com/history/2008.html

こんなラインナップを据えていたサマソニは今は昔、ただひたすらに懐かしい。

2017-07-14

妹と私

■妹にまつわることを思い付くまま箇条書きしてみる。

■妹は15才年下。

■妹ができたことはうれしかったけど、40代子供をつくった両親の「頑張り」が、当時は何とも気恥ずかしかった。

■私は大学進学と同時に一人暮らしを始めたので、妹と一緒に暮らしてたのは4年足らず。

■私が実家を出た時、妹はまだ3才。

■妹の赤ちゃん時代可愛さは異常。なんだあれは。毎日学校から帰ってくると、とてつもなく可愛い存在が家で待ってた。あの日々!奇跡

■おかげで私は反抗期というものを経てない。妹をかわいがっているうちにその時期をみすみす逃してしまった。くやしい。父親悪態をついたりしてみたかった。

上京してからは、妹と会うのはお盆年末年始だけになった。会う度に彼女の成長ぶりに驚かされた。

■妹が小6の時、母から電話で苦笑まじりに言われた。

■「あの子あんたのせいで大変よ。変なものにかぶれちゃって。大丈夫かしら、今からあんなにマニアックになって....」

実家では妹が私の部屋を受け継いでた。部屋には私の本やCDDVDが大量にあった。妹はそれらにひたすら耽溺していたようだ。

■実際は少しもマニアックではないんだけど、母にはそう見えたんだろう。まあ、なんと言っても私と妹は年齢差が15もあるのだ。母の心配もわからなくはない。

■中1になると、すでに妹はかなり仕上がってた。好きなバンドジザメリグレイプバイン。好きな作家倉橋由美子多和田葉子。好きな映画監督クロード・シャブロルウディ・アレン

大丈夫か、妹よ。クラスのみんなと話は合うのか? 友達はいるのか?

■当時、実家に帰ると、妹はとりつかれたように本や映画音楽の話をしてきた。もはや私より詳しくなってた。子供の吸収力、おそるべし。

■中3に進級してすぐ、妹に危機が訪れた。不登校になってしまったのだ。またしても電話で母から伝えられた。理由は母にもわからなかった。

■結局、妹は1学期、最初の数日しか登校しなかった。そのまま夏休み突入

■ついでにいうと、当時は私もピンチだった。ろくに先のことも考えず、勢いで会社を辞めてしまったのだ。

■私は30才になろうとしてた。ちょうど妹の倍だ。倍なのに、やってることはそう変わらない。反省

無職不登校。最低な姉妹誕生。とりあえず何か記念が欲しいと思った。

不登校真っ盛りの妹をサマソニに誘ってみた。出演者ラインナップがかなり私好みだった。そして私好みということは、妹にとってもストライクなはず。

案の定、妹は私の誘いに飛びつき、前日に上京。私のアパート宿泊

■夜、私は妹と布団を並べて寝た。ついこないだまで赤ちゃんだったのに、もうあまり背丈が変わらない!

■お互いに心細い身の上だった。姉は無職で、半年先の家賃も危うい。妹は中3という大事な時期に不登校。泣ける....。

■にもかかわらず、2人でサマソニ!そのボンクラ加減がなんか笑えた。 何とかなるんじゃね?という謎の開き直り

■妹はフェスどころかライブ自体が初めてだった。しかも、いちばん好きなジザメリが出るのだ!

■当日、お昼前に会場入り。妹は、はしゃぐのを通り越して、なんだかずっと茫然としてた。「大丈夫疲れた?」と聞くと、「全然平気、なんか楽しすぎて....」と夢遊病者のようにつぶやく妹。最高!連れてきた甲斐ありまくり

■妹はジザメリが出てきた瞬間に泣き出し、ライブ中もずっと泣いて、帰りは放心状態だった。「人生いちばんしかった」というので「大げさ!」とつっこんだ。

■とりあえず、15才の妹に何か特別経験が刻まれたのを、姉はしっかりと見届けた!

■妹はそれから2日間、私の家に滞在した。一緒にとしまえんプールに行ったりした。

■妹は大いに楽しんで帰郷。そういえば、不登校の話とか、姉としてのアドバイスとか、一切しなかった。そもそも学校の話をしなかった。でも楽しんでたし、まあいいかとむりやり納得。

■2学期、妹が学校に通い出した!母が電話で泣きながら喜んでた。

■私もどうにか転職成功。そこで今の夫と出会う。ちなみに妹は私の夫をふざけてカスガさんと呼ぶ。オードリー春日に似てるからとのこと。夫は本気で嫌がってる。

■妹が大学に受かって上京。同じ年の夏に私が娘を出産

■娘かわいい

■でも、今度は自分母親可愛いだけじゃ済まなかった。めちゃくちゃ大変な日々だった。

■妹が赤ちゃんだった時、もっと色々と家の事を手伝うべきだったと本気で反省

■娘が4才になる頃まで、妹がまめにうちに来て育児の手伝いをしてくれてた。本当に助かった。感謝してもしきれない。

■そんな妹が、来月、結婚するんです!

 
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