はてなキーワード: ジザメリとは
「学校で透明な下敷きに好きなの入れるのって流行るじゃないですか。
僕とかも入れてたんだけど、それ見て真似したのか何なのか、
ある日透明な下敷きを沢田が買ってきたんですよ。
それで、『あの下敷きに何が入るのか?』って僕はかなり注目してたの。
で、シャレでも何でもなくて、ホントに石川さゆりの写真が入ってたんですよ。
それで『何、お前、石川さゆり好きなの?』って聞いたら『ウン』って言ってるの。
ちょっとお母さんの『週刊女性』とかそういうのから切り取ったような。
かなりタイプだったみたいで」
―――ちなみに、同時期に小山田さんは下敷きに何を入れてたんですか?
―――(笑)。
「こいつ、高校ぐらいになると、ちょっと性に目覚めちゃうんですよ、それがまた凄くてね、
朝の電車とかで、他の学校の女子高生とかと一緒になったりするじゃん、
そうすると、もう反応が直だからさ、いきなり足に抱きついちゃったりとかさ。
あと、沢田じゃないんだけど、一個上の先輩で……そいつはもう超狂ってた奴だったんだけど……長谷川君(仮名)という人がいて、
そいつとかもう、電車の中でオナニーとか平気でするのね、ズボンとか脱いで、もうビンビンに立ってて(笑)。
いつも指を三本くわえてて、目がここ(右の黒目)とここ(左の黒目)が凄く離れてて、
「沢田はね、あと、何だろう……"沢田、ちょっといい話"は結構あるんですけど……超鼻詰まってんですよ。
『おっ、こいつ、何かちょっとエチケットも気にし出したな』って僕はちょっと喜んでたんだけど、
ポケットティッシュってすぐなくなっちゃうから、五・六時間目とかになると垂れ放題だけどね。
で、それを何か僕は、隣の席でいつも気になってて。
で、購買部で箱のティッシュが売っていて、僕は箱のティッシュを沢田にプレゼントしたという(笑)。
ちょっといい話でしょ?しかも、ちゃんとビニールひもを箱に付けて、首に掛けられるようにして、
『首に掛けとけ』って言って、箱に沢田って書いておきましたよ(笑)。
それ以来沢田はティッシュを首に掛けて、いつも鼻かむようになったという。
それで五・六時間目まで持つようになった。
かなり強力になったんだけど、そしたら沢田、僕がプレゼントした後、自分で箱のティッシュを買うようになって」
「でも別に、仲いいって言ってもさ、休みの日とか一緒に遊んだりとか、
ひどい部分だけが出回ってるけどいい話もあるし
石川さゆりとジザメリの下敷きのエピソードなんてすごくいいよね
ポリコレ的に正しい接し方ではなかったけど、
そのあたりの両義性を見せたかったんだろうけど、
今の時代のコードには適合しなかった、普遍性をもたせられなかったんだな
根元敬は特殊漫画家という立ち位置だから許されているだけであって、
お金持ちに生まれて私立の学校に行ってオシャレなミュージシャンとして成功した人間が
でもやっぱり俺はとても小山田を責める気にはなれないな
小山田が存在しなかったらSとMの人生が良くなっていたとは思えないし
健常者のクソガキの群れに放り込まれた知的ボーダーの変わり者と
いじめの現場を笑いながら傍観し、いじめのアイデアを提供したエピソードが
ロッキング・オンとクイックジャパンの語り口は間違ってしまった。
でもよくよく読んでみるとそうした過激ないじめのエピソードというのは、
加減を知らない先輩がやらかしてるのを傍観してて俺は引いてたっていう話なんだよね
そこに反省の視点がなく笑い話にしてしまってるのは事実なんだけど、
高校生になって友達が少なかった小山田がSと隣の席になってSのファンになり、面白がりながら
観察し問いかけを続け、結果的に誰よりもSとコミュニケーションを取るようになっていった
年賀状を笑いながら晒したのも最悪なんだけど、Sからしてみれば小山田は積極的に話しかけてくれる
一番の友だちだったのだろう
Sが卒業後に症状が悪化してしまったのも、小山田との関係がなくなり、小山田のように
■妹にまつわることを思い付くまま箇条書きしてみる。
■妹は15才年下。
■妹ができたことはうれしかったけど、40代で子供をつくった両親の「頑張り」が、当時は何とも気恥ずかしかった。
■私は大学進学と同時に一人暮らしを始めたので、妹と一緒に暮らしてたのは4年足らず。
■私が実家を出た時、妹はまだ3才。
■妹の赤ちゃん時代の可愛さは異常。なんだあれは。毎日、学校から帰ってくると、とてつもなく可愛い存在が家で待ってた。あの日々!奇跡!
■おかげで私は反抗期というものを経てない。妹をかわいがっているうちにその時期をみすみす逃してしまった。くやしい。父親に悪態をついたりしてみたかった。
■上京してからは、妹と会うのはお盆と年末年始だけになった。会う度に彼女の成長ぶりに驚かされた。
■「あの子、あんたのせいで大変よ。変なものにかぶれちゃって。大丈夫かしら、今からあんなにマニアックになって....」
■実家では妹が私の部屋を受け継いでた。部屋には私の本やCDやDVDが大量にあった。妹はそれらにひたすら耽溺していたようだ。
■実際は少しもマニアックではないんだけど、母にはそう見えたんだろう。まあ、なんと言っても私と妹は年齢差が15もあるのだ。母の心配もわからなくはない。
■中1になると、すでに妹はかなり仕上がってた。好きなバンドはジザメリ、グレイプバイン。好きな作家は倉橋由美子、多和田葉子。好きな映画監督はクロード・シャブロル、ウディ・アレン。
■大丈夫か、妹よ。クラスのみんなと話は合うのか? 友達はいるのか?
■当時、実家に帰ると、妹はとりつかれたように本や映画や音楽の話をしてきた。もはや私より詳しくなってた。子供の吸収力、おそるべし。
■中3に進級してすぐ、妹に危機が訪れた。不登校になってしまったのだ。またしても電話で母から伝えられた。理由は母にもわからなかった。
■結局、妹は1学期、最初の数日しか登校しなかった。そのまま夏休みに突入。
■ついでにいうと、当時は私もピンチだった。ろくに先のことも考えず、勢いで会社を辞めてしまったのだ。
■私は30才になろうとしてた。ちょうど妹の倍だ。倍なのに、やってることはそう変わらない。反省。
■無職&不登校。最低な姉妹の誕生。とりあえず何か記念が欲しいと思った。
■不登校真っ盛りの妹をサマソニに誘ってみた。出演者のラインナップがかなり私好みだった。そして私好みということは、妹にとってもストライクなはず。
■案の定、妹は私の誘いに飛びつき、前日に上京。私のアパートに宿泊。
■夜、私は妹と布団を並べて寝た。ついこないだまで赤ちゃんだったのに、もうあまり背丈が変わらない!
■お互いに心細い身の上だった。姉は無職で、半年先の家賃も危うい。妹は中3という大事な時期に不登校。泣ける....。
■にもかかわらず、2人でサマソニ!そのボンクラ加減がなんか笑えた。 何とかなるんじゃね?という謎の開き直り。
■妹はフェスどころかライブ自体が初めてだった。しかも、いちばん好きなジザメリが出るのだ!
■当日、お昼前に会場入り。妹は、はしゃぐのを通り越して、なんだかずっと茫然としてた。「大丈夫、疲れた?」と聞くと、「全然平気、なんか楽しすぎて....」と夢遊病者のようにつぶやく妹。最高!連れてきた甲斐ありまくり!
■妹はジザメリが出てきた瞬間に泣き出し、ライブ中もずっと泣いて、帰りは放心状態だった。「人生でいちばん楽しかった」というので「大げさ!」とつっこんだ。
■とりあえず、15才の妹に何か特別な経験が刻まれたのを、姉はしっかりと見届けた!
■妹はそれから2日間、私の家に滞在した。一緒にとしまえんプールに行ったりした。
■妹は大いに楽しんで帰郷。そういえば、不登校の話とか、姉としてのアドバイスとか、一切しなかった。そもそも学校の話をしなかった。でも楽しんでたし、まあいいかとむりやり納得。
■2学期、妹が学校に通い出した!母が電話で泣きながら喜んでた。
■私もどうにか転職に成功。そこで今の夫と出会う。ちなみに妹は私の夫をふざけてカスガさんと呼ぶ。オードリーの春日に似てるからとのこと。夫は本気で嫌がってる。
■娘かわいい!
■でも、今度は自分が母親。可愛いだけじゃ済まなかった。めちゃくちゃ大変な日々だった。
■妹が赤ちゃんだった時、もっと色々と家の事を手伝うべきだったと本気で反省。
■娘が4才になる頃まで、妹がまめにうちに来て育児の手伝いをしてくれてた。本当に助かった。感謝してもしきれない。
■そんな妹が、来月、結婚するんです!