2021-07-14

誇りのない生き物という概念

これを娯楽作品商業作品表現するのは難しい

趣味創作なら表現できるけど

大金バンバン稼ぐ大作家でもそういうことじゃないでしょ・・・って表現になりがちなので

一般人表現力・技術力だとさらに難しい

 

坂口安吾の『白痴』や『風と光と二十の私』は若干近いかなって思う

石津は貧しい家の娘で、その身体はいっぱい虱しらみがたかっていた。外の子供がそう云って冷やかす。キリリと怒るような顔になるが、やがて又たわいもない笑い顔になってしまう。善良というよりも愚かという魂が感じられる。読み書きはともかく出来て、中くらいの成績なのだが、人生の行路では、仮名も知らない女よりも処世に疎うとくて、要するに本当の生長がないような愚な魂がのぞけて見えるのだ。そのくせ、ひどく色っぽい。ただ、それだけだ。

 

坂口安吾 風と光と二十の私と

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42615_21291.html

 

精神薄弱とは本当に的確な表現だね

もちろん困難を抱えている人たちのために言葉が改められてよかったと思うけど 

 

 

あと見目が良いというのはほぼすべての問題解決するので安吾が考えてるようなことにはなんねーからとは思いつつも

(同年代には相手にされなくても子どもは持って子ども依存する。もしくは養い主の惰性(別れるの面倒)に居直る・縋る)

他者への攻撃性・信頼性のなさはこれだと思う

 この娘の母親がある一夜私を訪ねてきたことがある。この娘の特別事情、つまり、何人かの妹弟の中でこの娘だけが実子でないために性格がひねくれていることを説明して、父母の方では別に差別はしていないのだからもっと父に打ちとけるように娘にさとしてくれというのだ。この母親は淫奔な女だという評判で、まったく見るからに淫奔らしい三十そこそこの女であった。いや、ひねくれてはおりません、と私は答えた。ひねくれたように見えるだけです。素直な心と、正しいものをあやまたずに認めてそれを受け入れる立派な素質を持っています。私の説教などは不要です。問題あなた方の本当の愛情です。私がいちばん心配なのは、あの娘は、人に愛される素質がすくない。女として愛される素質がすくない。ひねくれのせいではないのです。あの娘は人に愛されたことがないのではありませんか。先ず親に、あなた方に愛されたことがないのではありませんか。私に説教してくれなんて、とんでもないお門違いですよ。あなたが、あなたの胸にきいてごらんなさい。

 この母親はちっとも表情を表わさずに、私の言葉をとりとめのない漠然たる顔付できいていた。これも仮名名前しか書けない一人だろうと私は思った。ただ、子供とはあべこべに、徹頭徹尾色っぽく、肉慾的だ。最も女であった。その淫奔な動物性が、娘の野性と共通しているだけだった。娘は大柄であるのに、母親はひどく小柄であった。顔はどちらも美人の部類である。二三分だまっていたが、やがてひどく馴れ馴れしく世間話をして帰って行った。

 

毒親を許してはいけない

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