はてなキーワード: 中絶とは
浮気が発覚したのは別れてから一月くらい経ってのことで、元カノとの共通の友人と飲んでいたら、酒の勢いで急にそのことを言われてびっくりした。今もまだこのことについて元カノには問いただしていない。
一番残念だったのは、別れ方自体は円満な感じで終わって、喧嘩別れではなかったにもかかわらず、心の奥底では他の男とヤっていた事実を隠していたというのが辛かった。仲良く友達でいましょうねみたいな感じで別れたのだが、嘘をつかれていたようだった。
ただ、自分はこの結末になってしまったことにはなんの違和感も持っていない。ここだけだと元カノが一方的に悪いという感じになってしまうが、そもそも浮気されたのは自分のセックスが下手だったのが最大の原因だと思っている。最初の頃はうまくいっていたのに、ある事件を機に、挿入の際に勃たなくなってしまうようになった。
その事件とは、中絶である。ある日の行為でゴムが外れてしまっていたことにお互い気づくことができず、中でゴムに出したつもりが避妊できていなかった。元カノは自分のせいでもあるといってくれて、産婦人科に通ってくれてノルレボなどを試したものの、結局ダメで、中絶手術(早い段階で行うことができたので母体への負担が少ない方法を選択できた)に応じてくれた。今現在も元カノの体に後遺症はほとんど何も残っておらず、ずっと打ち込んでいたスポーツを今も頑張っている。
自分が謝るたびにお互いのせいだと言ってくれた元カノには感謝しかない。だが、それ以来挿入のタイミングで必ず萎えてしまうようになってしまった。自分自身も元カノに許されて過去を払拭できていたつもりだったが、全くできていなかった。そうしたこともあり、元カノに対して申し訳なく思いながら二人で過ごす日々が続いた。日々の些細な行動で自分の後ろめたさが出てしまっていた。元カノはそうした自分を見てイライラするようになり、喧嘩することが増えた。彼女が打ち込んでいたスポーツの方でも調子が上がっていなかったようで、自分と一緒にそのスポーツをすることが以前から度々あったが、それをしているときにも何度か怒られてしまった。そんなに申し訳なさそうにするなと。その度になんとかしなくてはと思っていたものの、改善することが最後までできなかった。段々と、最初の頃彼女に対してむけていた純粋な好意はいつしか自分をなんとか許してもらおうという気持ちに変わり、ますます噛み合わなくなっていった。そして現在、冒頭に書いた状況に至っている。
なので、彼女が他の男のもとで幸せになろうとする努力をしていることは何も不思議ではないのだ。自分が彼女をすぐに解放してやれなかったことが、一番の原因である。思えば彼女がついていたその嘘さえも、自分への最後の配慮だったのかもしれない。
このまま彼女には幸せになっていってほしい。結婚して、今度こそ子供をもうけて、家族を築き、ゆっくりと老いていって、最後は幸せな顔で逝ってほしい。
その人生の傍らで、自分は一人で死んでいくのだ。永遠に許されることのない罪悪感を抱えながら、誰かに許されようとしながらも、何も成し得ずに死んでいくのだ。当然だ。
「子宮委員長はる」という女性を知ったのは、確か2年くらい前にFacebookで友達が上げていた記事を見たのがキッカケだっただろうか。
「パーソナリティ障害」を持つの方によくある魅力とパワーを持った女性だなっていう印象。
そしてパーソナリティ障害の王道の弊害といいますが、ありがちなパターン通り数々の異性同性を振り回し生きている。
ただし、彼女の場合特殊なのが(一見するとだけれど)感情と欲望と本能に振り回される彼女自身も周りも、傷付いていないし不幸になるどころか
彼女の行く先々はまるで日照りの土地に突如現れたハリケーンの如く
「いや、そこまでの暴風雨は必要じゃなかったっていうか、家々もめちゃくちゃになっちゃったけど、、結果うん、、干ばつ問題解決されたしよかった、、かな。」みたいな。
「子宮の声に従って生きる」
その言葉や生き方に感銘を受ける女性を「子宮系女子」と呼ぶらしい。
知っている事といえば
元?風俗嬢
詳しくは知らないが波乱万丈だったらしい人生
中絶?
子宮の声に従った結果がこれらしい。
一般の方だととんでもない事なんだろう。
「期待した俺が(私が)バカなんだな」
そう思わせてしまうくらいの変えようのない個性があるという事なんだと思う。
「子宮」という言葉を連呼する彼女だが、私には彼女がとても男性的に見える。
近年トランスジェンダーなど性別のボーダーラインが曖昧になり、平等という名のもと平均化が進んでいる。
「子宮」という女性を象徴する臓器に 女性性に しがみつきながら
「子宮」という女性を象徴する臓器に 女性性に しがみつきながら
彼女は性別の垣根を超える進化のパスポートを人々に見せつける。
・女性は種を守り育む。
だろうか。
古来
男性は生き抜く為に戦い、効率よく獲物を仕留める計算力と肉体を持ち
女性は生き抜く為に 群れというコミュニティの結束を深める共感力と言語力を持つ。
種(子ども)を守り育むコミュ二ティである家族や仲間との結束を深める事で
より良く種を守り育む環境を望んでいるはずだ。
そう考えると
健やかに子どもを育てようと奮闘する世の母親達の方がよっぽど、子宮の声に従っている。
だが、子宮委員長はるの場合は障害のせいか気質のせいか、それが上手にできないのだろう。
できない というか、子宮が熱暴走しているような印象かもしれない。
みんな当たり前にできることができないと知った時、できない自分を強く意識しコンプレックスを持つように
できない自分を受け入れてくれる誰かを探し求めるように
彼女が持つ強い男性性を自身がシンプルに受け入れるわけではなく
子宮の声として受け取ることが、なんとも健気で
なんとも痛々しく、なんとも可愛らしい。
子宮の欲求に拗れる事なく素直に従い、本来の目的を達成して種を守り育む幸せを知っている私は
ただ言及したように近年は、性別の垣根を超える流れに人類は向かっている。
子宮云々は置いておいて、新しい流れとして
新しい流れに乗る事の最後の抵抗と乗るまいとする足掻きなのか知らないが
男性は知る由もない神秘的になぞらえた「子宮」を祀る事によって
自身の強い男性性を悟られず 女性のまま女性として男に受け入れられるその一石二鳥感と利便性。
そこに惹かれる「子宮系女子」が多いのは、近年の人類の流れを象徴しているように感じる。
と勝手に思うのでした。
結納も済み、式場も決め、式まで3ヶ月切った時に妊娠判明。安定期に入ってたので日程を変えず挙式。
「今だから言うけど、結婚して3年しても子どもができなかったら離婚するつもりだった」…はぁ?なぜ、結婚前じゃなくてこのタイミング?
学生時代に当時の彼女を中絶させた(ラブラブの手紙とか仲間にカンパ頼んだ日記が残ってた…要らなそうなものを片付けといてって言われた妊娠6ヶ月のときに見つけた)くせに、初めてのとき避妊具はあったのに「避妊具使うと遅くなりすぎるしイケないかもだし、そもそもオレは今まで妊娠させたことがない」とかどの口が言うかね。
そんなのわかってたら、こっちだって
結婚しなかったよ。
結婚前にブライダルチェック一緒に受けよう、って、妊娠前に言ってみればよかった。「オレ、大丈夫だから」「どうして調べたことないのにわかるの?」って話になっただろうし。
一瞬の苦痛・恐怖で、この苦痛に満ち満ちた世界からオサラバできるのだ。
その反面、遺族には多額の賠償金が請求されると聞く。よく聞く話だが、実際にどの程度の額を請求されるのか、私は知らない。
ただ、家族に対してなんらかの恨みを持つ人であれば、ある意味では、これもメリットだ。
カネという形ではあるが、なんらかの損害を与えることができるからだ。
「また遅延か、ふざけるな」
「モロに見ちゃった人、かわいそうだ」
「なんで飛び込むかな、遺族のこととか考えないわけ?」
これらの意見は、これから自殺しようとする人には、届くことはない。
自殺する者としては、「いかに安易に・確実に死ねるか」という点を重視していると思う。
その他のことなんて、もはや自身が死んだあとのことなんて、死んだ当人には関係がない。
周りからは勝手だと思われるかもしれないが、自殺なんてものは、そんなもんだと思う。
自身にとって、他人なんてものは、ゲームでいうところのNPCのようなものにすぎない。
だから、自身が死んだところで、それらも同じように消えていく。
「いや、そうではない。」
周りからは見れば、確かにそうだ。
遺される人たちは少なからずいるし、巻き込まれて心に深い傷を負う者もいる。一般的には、"そういうことになっている"。
「死んだ後に復活して、それを書物に書いた」なんて話は聞いたことがない。だから、自身が死んだ後のことなんて、想像の世界でしかない。
ただいえることは、自身としては「なんにもなくなる」ということか。
自殺者にとって、自殺時に受ける苦しみなんて、それまでに受けた苦しみなんてものとは比較にならないほど軽い。
少しの間の苦しみをペイするだけで、その苦しみからは永遠に解放される。
こんなに幸せなことはない。
代償はそれなりだが、自殺することは、すなわち、幸せへの近道だ。
老人人口が多く、若者の意見が反映されない現代日本に、将来性なんて見いだせない。
そんなものを、生きる喜びとは思えない。
やれ「こんなものは子供に悪影響だ」だの、「不純異性交遊だ」だの、そんな理由で、性規制は年々厳しくなる。
その一方で、医療技術の進歩により、妊娠中絶という道が開かれている。
そんな中で思ったことを、書きなぐった。
あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな
こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど
そちらの
あんたが具体的にあげた項目は性行為の作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意のプロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。
このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育は教育の範疇を超える」という増田の理屈は自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分の意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?
- 2「性感染症も妊娠もリスクを0にはできません」 間違った知識から卒業しよう(BuzzFeed Japan): https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/sex-ed-week-hori?utm_term=.jsjvqJPaz#.dhGglvrwx
- 3性教育の欠落で失われる、子ども達の人生(ハフポスト日本版)http://www.huffingtonpost.jp/hiroki-komazaki/the-facts-of-life-children_b_14278952.html
自分が意見形成の過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育=セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。
1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本の性教育」という項目があり、次のように書いている。
実は、日本の学校教育の現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代のエイズ・パニックをきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育が必要」と言われるようになり、学習指導要領も改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。
きっかけは、厚生労働省所管の財団法人・母子衛生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法やピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。
この当時、国会や地方議会、マスコミを主舞台として「過激な性教育が学校でまん延している」「教室で性交渉の方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。
ここを読めば、現在の性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去の教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。
「性教育の不十分さ」の可能性については増田も自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。
次に5について。これは日本とオランダ、アメリカ、タイといった実践的教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダとアメリカの部分を引用する。
オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から、性は食事や睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます。小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。
~(略)~
このように、オランダの若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています。
○「総合的性教育(セクシュアリティ教育)」…性を生物学・心理学・社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊・妊娠中絶・同性愛は否定しません。
○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいかに重要かを教える教育です。
これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能や避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係、人権の視点と言った多角的な目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。
それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本の性教育が世界はもちろんのこと“過去の日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態で性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。
また、コンドームの仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダの出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分の
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」
が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。
そして最後に増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカの性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイトの文章も)を読んで欲しい。
アメリカの場合は特殊で、「同性愛・避妊・中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中絶主義・禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育のカリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは「性教育の過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育の限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。
ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育の限界がどこにあるのか」なんていう主観でいくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育を実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。
はじめの増田の記事に自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように
っていう、主観でしかない「実践的な性教育はセックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込むと教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。
で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
の部分に突っ込んで、「オーラルセックスの知識は必要」「オーラルセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。
それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバに言及するけど
元増田でも言ってるんだけど
実践的な性教育って教育の範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ
ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?
まず自分に質問をする前に、増田は自分でさんざん挙げている「教育の範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義付けがなされなければ増田の意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育の範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバで増田が「どう読んでもお前の意見はセックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。
しかしながらそこで「教育の範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカ、オランダといった他国の性教育の例を見れば明白なように、教育者・行政者側の視点でいくらでも変わり得る「教育の範疇」に絶対的な基準などないし、もし絶対的な基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育のカリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。
ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分が質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田の
コンドームを使いましょう
避妊薬を使いましょう
自分の主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスクを回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分はオーラルセックスの存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。
ただ、オーラルセックスでも性病の感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。
どうだろう、増田の意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見の提示として読んでもらえたなら幸いだけど。
2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミスや意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。
はてななんでこれ消したんや!!! 誰直也さんとも言ってないやんけ
1番(右) | 五反田のデリヘル嬢に本番強要した挙句不倫関係に突入する。 |
2番(二) | 自分が技術顧問を務める会社の悪口を言う。 |
3番(一) | 年収2500万円、はてなの株で少なくとも1億円以上の資産があるにも関わらず、ブラックリスト入りしている嫁が浪費家のせいで金がない。そのせいで慰謝料が払えず離婚ができない。 |
4番(指) | 不倫相手に無修正ハメ撮り動画をネットに公開される。 |
5番(左) | あんなブログを公開されたにも関わらず、その5日後には不倫相手に会ってセックスする。 |
6番(中) | 不倫相手のLINEだけ通知オフ(仲がこじれる前)。 |
7番(三) | 手作りチョコをもらっておきながら「既製品の方が美味しい」。 |
8番(捕) | 不倫相手を雨の中40分間も放置した挙句に逆ギレ。メニューを放り投げて「腹減ってんだろ、好きに頼めよ。俺は食欲ない」。 |
9番(遊) | エレベーターでキスしたり不倫相手のパンツに手を入れたりする。雑居ビルの階段の途中で手マンする。ビルの階段の陰になったところでフェラさせる。 |
投手 | 無免許運転で箱根の温泉までドライブしてセックスする。 |
投手2 | 不倫相手に「妊娠したら責任取る」と言って中出しておきながら妊娠したら中絶させる。しかも中絶費用を払わないどころか謝罪もしない。さらに「4月になったらもう一度子供を作ろう」と言って、後に反故にする。 |
中継ぎ | 秒速アウトプット(早漏)過ぎて外出しできてない。不倫相手曰く「みこすり半という表現がまさに正しい」。それを棚に上げて「俺外に出したと思う」と無茶な言い逃れをする。 |
抑え | 助けを求めて叫ぶ不倫相手をアスファルトの上を引きずって交番に放り込む。 |
代打 | 不倫相手を雨の中40分間も放置した挙句に逆ギレ。メニューを放り投げて「腹減ってんだろ、好きに頼めよ。俺は食欲ない」。 |
代走 | 「別れる時は1,000万払う」と言っておきながら当然のごとく反故にする。 |
監督 | 「おまんこに、じゅぽじゅぽちんちん、こすりたい」(俳句) |
なおやさんから最終回答が来ました。
私としては納得のいかない返事なので後でまとめて晒します。
要は、不倫、妊娠、中絶のことは謝るけど、警察に引きずって怪我をさせた事や私の家族に何度も東京まで越させたこと、等に対しては謝る気はないということのようです。— なおやさんへ (@neenya00) 2017年8月7日
・個人の自由は絶対なのだから、恋愛対象や結婚対象の選択に関して、政府はもちろん、それ以外の何ものも、社会的圧力をかけるようなことは許されないという立場。
・「リベラル」という原理原則を、個別の問題に適用するだけなので、異なる利害集団の共闘が可能。また、「リベラル」の立場から特定の政治的主張をする人は、他のリベラルな政治的立場を取る場合が多い。たとえば、「リベラル・フェミニスト」であり、LGBTの結婚に賛成であり、中絶に賛成であり・・・・といった具合。
・結果として、悪しき伝統を維持し、社会的不正義を許容することになるという批判を受ける。
・個人のパーソナルな領域を絶対だと言ってしまうと、さまざまな差別は是正されない。個人のパーソナルな領域に立ち入ってでも、人間の平等という価値を守らないといけないという立場。
・有名なところだと、「若くて従順な女性を好む男性」を批判したり、「特定の属性を持つ者との結婚を嫌がる人間」を批判したりする立場。
・ラディカル・フェミニズムのスローガンである「個人的なことは政治的なこと」という言葉が良く知られている。
・欠点は、あくまで「政治運動」にしかなりえず、一般化された思想運動にはなりえないということ。あくまで、特定の利害集団の利益のための政治運動であることを自覚した主張であり、異なる利害集団の間での共闘は原理的には不可能。「私は○○の利害を代表して主張する。お前たちは、お前たちの権利を主張するべきだ。そして敵として戦うことで社会をより良くしよう」という立場。「ラディカル」の主張に普遍性を求めてはいけない。
・リベラルはラディカルを「政治的自由」の範囲で擁護する。ただし、本来のリベラルの原理では、それぞれの政治的主張の是非には立ち入れない。
・個人のパーソナルな領域は、絶対ではないが、個人のパーソナルな選択が、純粋にパーソナルな問題であるうちは、やはり尊重するべき。ただ、それをパブリックな場で発言するなら、それはパブリックな問題として扱われるべき。「特定の属性を持つ者と結婚をしないのは個人の自由だが、それをパブリックな場所で公言するのはアウト」というような立場。
・「ラディカル」な政治的主張に、「強きものは弱きを助けなければいけない」というような伝統的・保守的価値観が融合して、本来「ラディカル」な政治的主張に過ぎなかったものが、普遍的な「リベラル」の問題であるかのように扱われているケースがある。これは、本来のリベラルの原則と反する。(例:アファーマティブ・アクション)
・本来の「ラディカル」が「政治的主張に過ぎない」ことを明確にするのに対し、バランスに取り込まれた「ラディカル」では、「政治的主張に過ぎない」ことが覆い隠されてしまい、対立する利害集団からの反発を受ける。
・保守やリベラルから見ると、ぶっちゃけ、原則なき本音と建前の使い分けに見える。ラディカルに取っては、「政治的運動の成功」とも言えるが、一方で穏健的過ぎるという批判もある。
最近のネットでの言論を見ていると、ラディカルな政治的主張とリベラルの混同が見られる。特にラディカル独自の考え方(たとえば、個人の性的指向も政治的批判の対象になるという考え方)をリベラルとして批判するのは完全に誤解であり、間違いである。
ただ、今日、広く受け入れられている、「バランス」の立場は、リベラルとラディカルの両方に、保守の考え方も取り入れることで成り立っている、そもそも、内部に矛盾を抱える考え方である。これは「保守」「リベラル」「ラディカル」の全てから、批判を受けているし、その批判はいずれも議論として正しい。「保守」は「バランス」や「ラディカル」を「リベラル」だと思って批判するし、「ラディカル」は「バランス」を「保守」だと思って批判する。「リベラル」は「ラディカル」や「保守」だとして批判する。
https://anond.hatelabo.jp/20170805221741
ホットエントリーに入っていた上記を読んだ。
自分の体験と違った部分と、その数年後に結婚し出産して分かったことを書く。
自分は全身麻酔で20万円。全麻じゃないクリニックはもっと安かった。手続きではパートナーの同意が必要だったが私の場合はパートナーが海外にいたので代筆で通した。
・麻酔
手術前日の夜からシールのようなパッチのようなものを腕に貼った。麻酔の効きを良くするためだった気がする。
・手術
当日、1つめの麻酔で夢うつつの状態になり、その状態で手術台まで連れて行かれる。そこで本格的な麻酔。その時には無意識に恐怖心が沸いて抵抗した記憶があるが、身体を抑えられて麻酔が入ると瞬時に意識を失った。あとは目が覚めたら処置が終わっていた。
術後に意識が戻ってから猛烈な吐き気とめまいがあった。全身麻酔だと吐き気が出る人がいるらしかった。目が覚めてからおそらく1時間くらいは病院で休ませてもらったが吐き気がおさまらず、病院近くのカフェで休んで(たぶんこれも1時間ほど)、ようやく帰れる感じになった。(記憶が曖昧で、どれくらいの時間で落ち着いたかは定かでない)
術後の吐き気以外だと、排尿時に陰部がものすごく染みた。その痛みで、「ああ自分は手術したんだ」ということを改めて実感した。
・その後の心境
各々の状況によってかなり異なると思うが、自分にとっては処女喪失の時の感覚と似ていた。体験する前はものすごく重大で怖いことと思っていた、最中はあっという間に終わった、終わった後は痛みがあったがそのうち痛みも引いた、そしてそのことは誰も気付かずにいつもと同じ日常に戻る、でも自分の中の何かは確実に変わった、と。
ちなみに、なぜ手術をしたかというと、愚かにも避妊に失敗してしまったからだ。当時の彼氏はちょうど仕事で海外に行ったばかりで1年は戻って来ない、自分はまだ社会人2年目で結婚も出産も早すぎると思っていた、かつ当時の彼氏と結婚する決意も持てなかった。それなのに彼氏が出立する直前の行為で避妊に失敗した。結局、彼は予定より早く帰国し、その後一緒に水子供養に行った。その数ヶ月後、別れた。
中絶から数年後に別の男性と結婚し、妊娠した。産院では妊娠回数と分娩回数を聞かれる。妊娠経験があり分娩経験がない=流産や中絶ということになる。私は夫や自分の家族には中絶のことを絶対に知られたくなかったため、過去の妊娠回数は誤魔化した。もちろんネットでも色々調べた。中絶経験は診察で医師にバレるのか、申告内容は秘密にされるのか、等々。ネットでは様々な意見があった。多かった意見は、経産婦かどうかは絶対に誤魔化せないが妊娠初期での中絶は分からない、申告内容は秘密にしてもらえる、という意見だった。しかし私は申告しなかった。それでも妊婦検診などでは全く問題なかった。実際に分娩間近となった際、私の産院では、再度妊娠回数と出産回数を確認された。最後の最後に申告すべきかどうか一瞬迷ったが、やはり、隠し通した。結果、それは正しい判断だったと思う。
何故なら、産院から出された出生証明書に妊娠回数と出産回数の記載があったからだ。(追記:すみません訂正します。出生証明書に記載されるのは妊娠回数ではなく22週以降の死産を何胎か書くようでした。トラバのご指摘ありがとうございました)
産院の出生証明書は自治体への出生届の提出に必要だった。我が家は私の入院中に夫が出生届を提出しに行ったため、正直に申告していたらそこでバレる可能性があった。危なかった。(追記:出生証明書には死産を記載のようなので、堕胎はバレないということですね。産後数日でのヘロヘロの状態だったため早とちりした模様…。勇んで勘違いの内容を書いてお恥ずかしい)
中絶経験があって、それを隠して出産するか迷っている人の参考になれば、と思う。
終わり
抜き差しならぬ事情があり、経済的、体力的に負担が大きいため、中絶をするケースと
元増田ような、避妊をしないで中絶して、自分の事しか考えていないようなケースを
一緒くたに話すべきではありません。
そういうこともあって、
妊娠したのー今は無理だよーと適当に何度か中絶させた彼氏と結婚して子供にも恵まれている
姉は子供達が可愛くて中絶を後悔して子供を見て辛い思いもしてるらしいが相手にその様子はない
どんな糞野郎かと思えば凄く優しくて動物に好かれて子供好きな男で姉にべたぼれで尻に敷かれている
何なんだろう
中絶手術のイメージってそれだったんだけど、コウノドリっていう産婦人科医が主人公の漫画で、ある程度胎児が育った状態での中絶だと、陣痛促進剤を使って通常のお産と同じように下から産むって描かれてて衝撃だったわ
>では、避妊、即ち、卵子と精子を意図的に合体させないことは、生まれてくるであろう命を事前に葬る、という意味にならないのは何故か?
ならないだろ。現実的に受精したから生物として成り立つんだろ。
生物学上の生物の定義であり、自ら代謝を行え、成長、生長できる物体のことだろ。もちろんこれは人間が便宜的に決めたことなのは当然です。
>或いは、卵子と精子に分離していて、受精していなければ、命はどこにも存在しない、というのは誰が決めたことなのだろうか?
>子宮内にいるか、無事出てきたかで線引きしているのも、人間の意図的な区分であるに他ならない。
>我々は生命であるかないかを意図的に区分する以外にないのである。科学的な区分などどこにも存在せず、我々はそれを客観性という基準に委ねているだけである。
現在の科学的には区分されているだろ。生物の定義、でぐぐれよ。もちろん定義自体が変わることもありえるけどな。アンドロイドができるとか。
>そもそも論をすれば、そもそも殺人が罪であるか否かについてさえも、どこかに境界線を引いて社会的なルールにしないと社会に秩序が保てないという、倫理的なものでしかない。
これは別の話になるのでごっちゃにしないようにしましょう。
>無論、であるからこそ議論の余地はある。中絶を法的に禁止する余地は残されている。
結局あなたの主張はなに?
>だが法的に禁止もされていないのに、中絶者を非難することは許されないと思う。
中絶自体は非難ではなく、子供を殺しておいて、自分のことしか考えていない増田のサイコパスっぷりが非難されてるんだろ。
>もし、客観的に中絶が不正義とみなされるのであるならば、法が不正義の状態であることを非難すべきである。
みなされてないよ。よく勉強してね。
昔、拝金主義・消費主義の申し子みたいな女の子(ギャル)が、貧乏な彼氏との間に子供が出来てしまい、出産・結婚したら確実に貧困生活に陥るって状況になったのを思い出した。
それまでカネとバッグのことしか頭になかった子が、それでも産みたいんだ、みたいなことを言ってたのを聞いて、もしかしたら愛ってのはホントにあるのかもしれんと思った。
初期なので麻酔をかけて数分でおわり。特に痛くはなかった(前日の処置で子宮口にラミナリアという線香状の海藻を突っ込むのだがそれはちょっと痛かった)。
数ヶ月たってやっと体験を思い出にできそうなのでまとめてみたい。
かかりつけの産婦人科で妊娠の確定診断を受けて、中絶希望する旨を伝えるとその場で最短の日程(翌週末)の予約をとってくれた。週二回で一日四名だかなんだか枠の決まっている手術日は、半月先までほとんど埋まっていて、妊娠週数が増すと人工妊娠中絶は費用も身体的な負担も増える形式の手術になってしまうので、自分は最短の日程で予約を入れた。
かかりつけの病院はHPで中絶費用を明示していて、初期の場合の手術費用は22万円だった。妊娠の確定診断の際に中絶手術の希望を伝えたので、手術前の血液検査もしてこの日の支払いは1万円だった。
産婦人科医は(どこもそうなのかもしれないけど)「中絶を選ぶのも女性の権利」という態度を一貫していて、中絶を選ぶことに葛藤があるのかないのかはカウンセラー(その病院では中絶手術を受けるのにカウンセリングの受診が必須だった)が確認するらしかった。
妊娠確定の診断とカウンセリングと手術前日の処置と手術と、二週間で合計4回通院した。
幸い職場は遅刻・早退・休みがとりやすかったのだが、つわりの症状がひどくて直属の上司にばれてしまうのが嫌だったのと、中絶というネガティブな選択について個人的な見解を持ち込まなさそうな上司だったので正直に話した。しかしそれでもそんなに休むのかという印象を与えた感は否めない。
そもそもなんで妊娠してしまったか。コンドームを使った避妊が嫌で(擦れて痛かったりする)排卵日と予想される前後以外は使っていなかったからだ。排卵日付近はコンドームを使ってはいたが、その他受精や着床を防ぐ物理的な手段は講じていなかった。
周期を読んで避けるというのは試したことがあって、効果のある避妊方法に思えた。そんなやり方を続けているうちに、周期的にアウトかも知れない日に膣内で射精してしまった。アフターピルの処方もうけなかった(たぶん仕事が忙しくて忘れていた)。
それとパートナーの性器が大きくて普通のサイズのコンドームがキツそうだった。大きいサイズのものを私が探せばよかったのだが、さぼってしまった(ちなみに後日聞いたところによると、本人は自分が大きいサイズを使うべきと気づいていなかったらしい)。使用は最低限にして負担を減らしたいと私が思っていた。
私の考えは、特定のパートナーとしかセックスしないのであれば性感染症の予防(コンドームの使用)には注意を払わなくていいというものだ。昔は低用量ピルを使っていたが、体質的にNGになってしまいこの数年は選択肢に入れられなかった。殺精子剤を使っていたこともあったが、かゆいのと発がん性があるらしいという情報が怖くてあまり積極的に手を出せなかった。IUD(リング)は形態が気持ちわるいのと、一度相談した産婦人科医が「避妊の成功率は8割」と言っていたのでそんなに低いのなら避妊の効果がないようなもんだと入れていなかった(今回婦人科でもらった資料によれば実際はもっと高かった。この時冊子とか公式な数字の載った資料をもらわなかったことが悔やまれる。)
■なぜ中絶を選んだか
積極的に避妊の手段を取り入れていなかったのは、身近に中絶手術をしたことのある人がいたことも影響していると思う。失敗したら中絶してもいいのだ、と考えていた。中絶したことのある友人はひとつの体験として消化しているように見えた。今回中絶するかどうか悩んでいた時に意見を聞いてみたが、罪悪感は不要だから子供のためとか言わないで自分の好きにしなと教えてくれた。
そもそも、妊娠したくてもできないという場合も少なくないだろうし、昔そういう経験があったので(といっても半年ほどだが)、危機感もうすかったかもしれない。万が一避妊に失敗したら産むか産まないか考えよう、と思っていた。セックスした相手のことを大事にしたいと思っていたので、彼が出産を望むかどうかの意見も考慮しようと思っていた。
妊娠が確定したので、彼と話し合い、彼が望まないとわかったので、それならばおろそうと決めた。自分一人でやっていくには経済的に苦しかった(といっても私は中小企業の会社員なので、生活の水準を下げて子育てすることだけを自分の時間の全てとすればやっていけるのかもしれない)。彼は、もし彼の意見を聞いてそれでも私が産むというのであれば、経済的にも物理的にもサポートするといった。しかしそれは自分の望むものではないと話すので、私は彼にそんな思いで支えてもらうのも、彼と絶縁して子供を産むのも嫌だと思った。
そうして「今回の妊娠は」なかったことにしようと、中絶をすることに決めた。
■手術当日の流れ
朝9時に病院に行った。手術は13時頃らしかったが後ろにずれる場合もあると言っていた。出産や管理入院の方と同じフロアの個室を用意されていた。
彼は手術の日は一緒にいるといって病院には来ていたが、特に何を話すでもなくぼーっと座っていた。私は下着をはずし病院着に着替えてベッドに座ったり寝転がったりしていたが、一度彼が横に来て、何をしたらいいかわからない、点滴の管にぶつかりそうで怖いというので、むかついて蹴飛ばしてその後は同じ空間にいたが接触していなかった。
途中看護師がやってきて、彼に席を外してもらい話をするといい(中絶を強いられているのではないかという確認だと思う)、今回なぜ中絶を選ぶのか質問された。産んで欲しくないという彼の意見を尊重したいので、と答えた。今後交際を続けるのか、避妊方法は考えているのか、決して責めるような口調ではなく質問され、子宮内に装着する避妊器具のミレーナを勧められた(今はそれを利用している)。
手術は冒頭にも書いたが身体的に大きな負担は感じなかった(前日夜からの絶食で麻酔から覚め落ち着いた午後3時ころまで水分も口にできなかったのはつらかったが)。
でも手術台に上るのはつらかった。これでお腹の中の人と別れると思うと悲しかった。悲しくて、麻酔をかけられながら大泣きしてしまった。看護師は、つらいよねといって手を握ってくれて、自分で決めたことなのにつらいとか思っていいのかと思うとすごく心が救われた。
麻酔科医は私が泣いていることに特にコメントはなく、私の目を見て麻酔のかかっていくときの感覚、麻酔にかかっている時間、目が覚めるときの感覚について説明をした。麻酔が入っていくときには針の先に痺れる感覚があるらしく、先ほどとは別の看護師が皮膚をもんでくれていた。手術は婦人科医師と麻酔科医師と看護師2名の体制だった。
麻酔から覚めるとやっぱり嗚咽が止まらず、ベッドに乗せられて個室に戻った時にはすっかり過換気になっていた。看護師にビニル袋をもらい、彼には会いたくない旨看護師から伝えてもらい、夕方に退院した。
産褥シート(夜用ナプキンのもっと大きいやつ)をあてがわれていたのでどれだけ出血するか不安だったが、普段の生理の出血が多いのもあり、大した量には感じなかった。
その後いろいろ思い出しては悲しくなる期間を経て、4ヶ月たった今は、思い出しても泣かないようになった。過換気になったのは手術の日だけだった。最初は毎日通勤電車で思い出して泣いていた。数日に一回、彼を責めるようなLINEを送っていた。一人でお酒を飲んでたバーでさめざめ泣いてしまったこともある。
今は彼と結婚することにして(いつとはまだ決まっていないのだけど)また子供を作りましょうという話をしてあるので、心が落ち着いているのだなと感じる。あの日私の内側から取り去られてしまった人の魂が、もう一回来てくれるといいなと思っている。