・個人の自由は絶対なのだから、恋愛対象や結婚対象の選択に関して、政府はもちろん、それ以外の何ものも、社会的圧力をかけるようなことは許されないという立場。
・「リベラル」という原理原則を、個別の問題に適用するだけなので、異なる利害集団の共闘が可能。また、「リベラル」の立場から特定の政治的主張をする人は、他のリベラルな政治的立場を取る場合が多い。たとえば、「リベラル・フェミニスト」であり、LGBTの結婚に賛成であり、中絶に賛成であり・・・・といった具合。
・結果として、悪しき伝統を維持し、社会的不正義を許容することになるという批判を受ける。
・個人のパーソナルな領域を絶対だと言ってしまうと、さまざまな差別は是正されない。個人のパーソナルな領域に立ち入ってでも、人間の平等という価値を守らないといけないという立場。
・有名なところだと、「若くて従順な女性を好む男性」を批判したり、「特定の属性を持つ者との結婚を嫌がる人間」を批判したりする立場。
・ラディカル・フェミニズムのスローガンである「個人的なことは政治的なこと」という言葉が良く知られている。
・欠点は、あくまで「政治運動」にしかなりえず、一般化された思想運動にはなりえないということ。あくまで、特定の利害集団の利益のための政治運動であることを自覚した主張であり、異なる利害集団の間での共闘は原理的には不可能。「私は○○の利害を代表して主張する。お前たちは、お前たちの権利を主張するべきだ。そして敵として戦うことで社会をより良くしよう」という立場。「ラディカル」の主張に普遍性を求めてはいけない。
・リベラルはラディカルを「政治的自由」の範囲で擁護する。ただし、本来のリベラルの原理では、それぞれの政治的主張の是非には立ち入れない。
・個人のパーソナルな領域は、絶対ではないが、個人のパーソナルな選択が、純粋にパーソナルな問題であるうちは、やはり尊重するべき。ただ、それをパブリックな場で発言するなら、それはパブリックな問題として扱われるべき。「特定の属性を持つ者と結婚をしないのは個人の自由だが、それをパブリックな場所で公言するのはアウト」というような立場。
・「ラディカル」な政治的主張に、「強きものは弱きを助けなければいけない」というような伝統的・保守的価値観が融合して、本来「ラディカル」な政治的主張に過ぎなかったものが、普遍的な「リベラル」の問題であるかのように扱われているケースがある。これは、本来のリベラルの原則と反する。(例:アファーマティブ・アクション)
・本来の「ラディカル」が「政治的主張に過ぎない」ことを明確にするのに対し、バランスに取り込まれた「ラディカル」では、「政治的主張に過ぎない」ことが覆い隠されてしまい、対立する利害集団からの反発を受ける。
・保守やリベラルから見ると、ぶっちゃけ、原則なき本音と建前の使い分けに見える。ラディカルに取っては、「政治的運動の成功」とも言えるが、一方で穏健的過ぎるという批判もある。
最近のネットでの言論を見ていると、ラディカルな政治的主張とリベラルの混同が見られる。特にラディカル独自の考え方(たとえば、個人の性的指向も政治的批判の対象になるという考え方)をリベラルとして批判するのは完全に誤解であり、間違いである。
ただ、今日、広く受け入れられている、「バランス」の立場は、リベラルとラディカルの両方に、保守の考え方も取り入れることで成り立っている、そもそも、内部に矛盾を抱える考え方である。これは「保守」「リベラル」「ラディカル」の全てから、批判を受けているし、その批判はいずれも議論として正しい。「保守」は「バランス」や「ラディカル」を「リベラル」だと思って批判するし、「ラディカル」は「バランス」を「保守」だと思って批判する。「リベラル」は「ラディカル」や「保守」だとして批判する。
ラディカルの尻馬に乗って他人は叩くけど叩かれたらリベラルに逃げる奴が多すぎですね
なんか定義が滅茶苦茶じゃね? リバタリアンとかソーシャルとかいろいろごちゃ混ぜにしてるだろ