2017-08-07

リベラルであることとラディカルであること

1. リベラル自由平等

個人自由絶対なのだから恋愛対象結婚対象選択に関して、政府はもちろん、それ以外の何ものも、社会的圧力をかけるようなことは許されないという立場

・「リベラル」という原理原則を、個別問題適用するだけなので、異なる利害集団共闘可能。また、「リベラル」の立場から特定政治的主張をする人は、他のリベラル政治的立場を取る場合が多い。たとえば、「リベラルフェミニスト」であり、LGBT結婚に賛成であり、中絶に賛成であり・・・・といった具合。

常識的。ただ、常識的なので運動としては弱くなりがち。

・結果として、悪しき伝統を維持し、社会的不正義を許容することになるという批判を受ける。

2. ラディカル(平等自由

個人のパーソナルな領域絶対だと言ってしまうと、さまざまな差別是正されない。個人のパーソナルな領域に立ち入ってでも、人間平等という価値を守らないといけないという立場

・有名なところだと、「若くて従順女性を好む男性」を批判したり、「特定属性を持つ者との結婚を嫌がる人間」を批判したりする立場

・ラディカル・フェミニズムスローガンである個人的なことは政治的なこと」という言葉が良く知られている。

欠点は、あくまで「政治運動」にしかなりえず、一般化された思想運動にはなりえないということ。あくまで、特定の利害集団利益のための政治運動であることを自覚した主張であり、異なる利害集団の間での共闘原理的には不可能。「私は○○の利害を代表して主張する。お前たちは、お前たちの権利を主張するべきだ。そして敵として戦うことで社会をより良くしよう」という立場。「ラディカル」の主張に普遍性を求めてはいけない。

リベラルはラディカルを「政治的自由」の範囲擁護する。ただし、本来リベラル原理では、それぞれの政治的主張の是非には立ち入れない。

3. バランス自由平等

個人のパーソナルな領域は、絶対ではないが、個人のパーソナルな選択が、純粋にパーソナルな問題であるうちは、やはり尊重するべき。ただ、それをパブリックな場で発言するなら、それはパブリック問題として扱われるべき。「特定属性を持つ者と結婚をしないのは個人自由だが、それをパブリック場所公言するのはアウト」というような立場

・「ラディカル」な政治的主張に、「強きものは弱きを助けなければいけない」というような伝統的・保守的価値観が融合して、本来「ラディカル」な政治的主張に過ぎなかったものが、普遍的な「リベラル」の問題であるかのように扱われているケースがある。これは、本来リベラル原則と反する。(例:アファーマティブ・アクション

本来の「ラディカル」が「政治的主張に過ぎない」ことを明確にするのに対し、バランスに取り込まれた「ラディカル」では、「政治的主張に過ぎない」ことが覆い隠されてしまい、対立する利害集団からの反発を受ける。

保守リベラルから見ると、ぶっちゃけ原則なき本音と建前の使い分けに見える。ラディカルに取っては、「政治的運動成功」とも言えるが、一方で穏健的過ぎるという批判もある。

まとめ

最近ネットでの言論を見ていると、ラディカルな政治的主張リベラル混同が見られる。特にラディカル独自の考え方(たとえば、個人性的指向政治的批判対象になるという考え方)をリベラルとして批判するのは完全に誤解であり、間違いである。

ただ、今日、広く受け入れられている、「バランス」の立場は、リベラルとラディカルの両方に、保守の考え方も取り入れることで成り立っている、そもそも、内部に矛盾を抱える考え方である。これは「保守」「リベラル」「ラディカル」の全てから批判を受けているし、その批判はいずれも議論として正しい。「保守」は「バランス」や「ラディカル」を「リベラル」だと思って批判するし、「ラディカル」は「バランス」を「保守」だと思って批判する。「リベラル」は「ラディカル」や「保守」だとして批判する。

今日の「保守」「リベラル」「ラディカル」をめぐる問題は、こうした混乱を解きほぐすことから始めないといけない。

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