一瞬の苦痛・恐怖で、この苦痛に満ち満ちた世界からオサラバできるのだ。
その反面、遺族には多額の賠償金が請求されると聞く。よく聞く話だが、実際にどの程度の額を請求されるのか、私は知らない。
ただ、家族に対してなんらかの恨みを持つ人であれば、ある意味では、これもメリットだ。
カネという形ではあるが、なんらかの損害を与えることができるからだ。
「また遅延か、ふざけるな」
「モロに見ちゃった人、かわいそうだ」
「なんで飛び込むかな、遺族のこととか考えないわけ?」
これらの意見は、これから自殺しようとする人には、届くことはない。
自殺する者としては、「いかに安易に・確実に死ねるか」という点を重視していると思う。
その他のことなんて、もはや自身が死んだあとのことなんて、死んだ当人には関係がない。
周りからは勝手だと思われるかもしれないが、自殺なんてものは、そんなもんだと思う。
自身にとって、他人なんてものは、ゲームでいうところのNPCのようなものにすぎない。
だから、自身が死んだところで、それらも同じように消えていく。
「いや、そうではない。」
周りからは見れば、確かにそうだ。
遺される人たちは少なからずいるし、巻き込まれて心に深い傷を負う者もいる。一般的には、"そういうことになっている"。
「死んだ後に復活して、それを書物に書いた」なんて話は聞いたことがない。だから、自身が死んだ後のことなんて、想像の世界でしかない。
ただいえることは、自身としては「なんにもなくなる」ということか。
自殺者にとって、自殺時に受ける苦しみなんて、それまでに受けた苦しみなんてものとは比較にならないほど軽い。
少しの間の苦しみをペイするだけで、その苦しみからは永遠に解放される。
こんなに幸せなことはない。
代償はそれなりだが、自殺することは、すなわち、幸せへの近道だ。
老人人口が多く、若者の意見が反映されない現代日本に、将来性なんて見いだせない。
そんなものを、生きる喜びとは思えない。
やれ「こんなものは子供に悪影響だ」だの、「不純異性交遊だ」だの、そんな理由で、性規制は年々厳しくなる。
その一方で、医療技術の進歩により、妊娠中絶という道が開かれている。
そんな中で思ったことを、書きなぐった。