はてなキーワード: 不可能とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/10anj10/status/1378252302696390659
あてがえと言ってる人はいない
確かに直接的に言ってる人はほとんどみないが、「あてがう仕組み」自体は現実に存在しており、それが失われることを危惧する言説は散見される。
単婚(一夫一婦)制は配偶者候補の独占を抑制するという意味で既にマイルドな「あてがう仕組み」になっている。また、廃れたとはいえ見合い制度は直接的な「あてがい」だ。
「あてがう仕組み」には、孤立した個人・「無敵の人」を減らすという社会的な効用があった、という視点は妥当なものだろう。
それらの言説を含めれば(表現がかなり悪意的ではあるが)あてがえ論は存在すると言ってもいいと思う。
分配されても承認欲求満たされないだろ
これは見合い結婚で幸せな共同体生活を送っている方々が反例になるかな。
「分配」とか「あてがい」とかのワードが悪意的でよくない。その点「見合い」は両者の尊厳を損ねずに、実態としては「あてがい」であるという点で上手い仕組みだわな。歴史は偉大だ。
「人間は一緒にいればだいたい仲良くなるものである」という自然な前提が抜けてるかなと思う。
人間の自由意志はそこまで強固なものじゃないし環境に左右されるよ。
でもブスはいやなんでしょ?
「三日で慣れる」「あばたもえくぼ」という先人のありがたいお言葉がありまして。
なんとなく仲良くなる環境、みたいなものをもうちょっと多様に考えてみてもええんちゃう。
「分配」という言葉を選ぶから話がずれていく気がするんですが、あえて分配の話をすると、実際男性は分配されてる。
生涯未婚率は男性の方があきらかに高く、配偶関係においては単一の男性が複数の女性に分配されている構造。
これは、男女の生殖コストの非対称性によるもので、「種を貸す男性はいるが、腹を貸す女性はいない」。
この点は特にフェミニズムで男性の特権として解釈されることが多いけど、遺伝子の継承という文脈においては、男性と比して「望んだ相手との子供を作りやすい」という意味で、女性の特権である。
このへんの逆方向の権力勾配はもうちょっと意識されてもいいんじゃないかなと思う。
まあ明示的に分配されたわけじゃなく、自由選択の結果として時間差一夫多妻になっているだけではあるんだけど。
ただ無敵の人が増えちゃう構造ではあるんで、人権を毀損しない範囲で是正されるべきだとは思うのよね。
初婚重視傾向の男女バランスを整える方向に流行を動かすとかね。あるいはラジカルには「腹を貸す」のを制度化するとかもあるかもね。精子バンクは既にあるし。
草食男子ブームはその点マイルドで丁度いい潮流だったと思うんだけど、定着しなかったのはやはり本能に勝てなかったということなのだろうか。
上述のとおり、男女の生殖コストの非対称性から、男性と比べて女性は相対的に「あてがわれている」んだと思います。
構造的には弱者男性(孤立男性)の反対側にいるのはシンママなんだけど、シンママは子供いるからあてがえとか言ってる余裕ないんよね。
養育権のアファーマティブアクションも一つの是正の道かもしれんね。
男の集団というのはまず道を譲らない
この時点で冷静な話し合いは不可能だと思ったわ。
女性の方がスペースが開いているのでそちらに座るということは理解できる。
実際に、女性を狙って体を当てる男は多からずいるのも事実だし、
でも、集団でめんどくさいのが一定数いるのは男も女も関係ない。
女をあてがってほしいというのはそうなんだけど、でもそれをすると人権侵害がーとかになっちゃうんだよな。
そもそも仕事上で女性とたま~に話すことがあっても、事務的な話しかできないし、
そこから恋愛とかセックスまでできる関係性に昇華させる振る舞いができる気がしない。
あとは同年代の女性は人づきあい、恋愛、セックスとかを含めて成熟してるんだよね。
異性との人づきあいに自信がない俺としては、同年代の女性から見ると俺たち恋愛弱者は「ガキかコイツ」みたいな評価なんだよ。
世代が違うから話題が合わず、流行りのリサーチ不足で言ってることが何もわからず
究極的に独り身じゃないとストレスで生きていけない奴じゃない限り、
どこかのタイミングで寂しいって思うことがみんなあるはずだ。
昔のようにお見合いとか組まされるとか当時はストレスだったろうけど、今のように恋愛弱者として生きていくよりはマシだったろう。
もう恋愛弱者男性はパートナーを得ることは、コンプラや男女平等やジェンダーの気が強い現代では寂しさを埋めるのは不可能だよ。
ないない。
日本より進んだ価値観持ってるとされる他の先進国も根本的な解決には至ってないからそんなもん不可能。
むしろ何が何でも増やしたきゃ価値観アップデートするよりロールバックしてイスラムがそうであるように宗教的価値観で産めよ増えよと植え付けるしかない。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
リベラルな人からは絶賛されているが、ネトウヨの自分から見ると
最初から問題提起ありきの行動というか、プロ市民っぽい行動でどうも好きになれない
(チェリーピッキングした)法律に基づく指摘が出来たり、新聞社数件に自分から連絡したりはプロじゃない市民はできんのよ
「来宮駅は階段のみ。バリアフリー(笑)」みたいな愚痴記事で終わるか、せいぜい携帯での撮影くらいまでなんよ
この話題は「車いす利用者全体の意見」として広げるのではなく、「1人のプロ市民の意見」として扱うべきである
実際、車いす利用者でも「事前に確認を取る」「そもそも車で移動する」みたいな意見は出ているっぽいし
ブログ記事からは以下の目的があってこのような活動・情報発信をしたと読み取れる
これは周知できたので成功だとは思うが、どの程度バリアフリー化が進んでいるかくらいも併せて周知してほしい。
以下はブログ記事投稿後のニュースだが、バリアフリー推進活動をしてきたなら大まかな整備状況は把握していたはず
何も知らずに感覚だけで「バリアフリーって全然進んでいない」とツイートはしないだろうし…
https://twitter.com/izenanatsuko/status/1378535246841274371
改正バリアフリー法施行 地方の駅やバスターミナル 整備に課題
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210404/k10012955911000.html
国はこの10年間、1日平均3000人以上が利用する鉄道や、バス、船などの施設でエレベーターやスロープの整備を重点的に進め、鉄道の駅では、去年3月時点で全国3580か所のうち92%で移動の妨げとなる段差が解消されたということです。
実際に行った行動が攻撃的すぎて批判が集まっている現状を見ると「広く浅い」仲間を募集することに関しては失敗だと思う
ただ、本人のTwitterを見ると「リプ欄が地獄」みたいなツイートをどんどんRTしているので
自分の思想に100%賛同してくれる「狭く深い」仲間を募集する方針っぽい
これに関してはネットであの記事を炎上させたのは危険だと思う。数多くの人がコメントしているが
「各公共交通機関に多数抗議」→「改修が不可能なため、駅を廃止」→「問題そのものが無くなったので解決」
という危険性がありうる。改修にはコストがかかるし、今回問題になった来宮駅は無人駅なのでそこまで利益も上げていないだろう。
なので、改修を要求するのはJR等の公共交通機関ではなく、その駅がある各市区町村や都道府県の議会に訴えて予算をもぎ取る方向性がベターなのではないだろうか。
「健常者も障碍者も自由に行動できる」という理想論は理想でしかないので、プロ市民なら現実的な落としどころまで提示まで頑張ってほしい
「JRに乗車拒否された」車イス利用者のブログに賛否 駅員の対応は問題だったのか、国交省に聞いた
https://news.yahoo.co.jp/articles/735e41744a2eb47c169a5e03b290b474a8dd23aa
社民党としては今後取り組む予定の課題だそうなので今後に期待。
複数の駅にバリアフリー設備を設置した実績を重ね、国会議員に1-2人程度、現在の各地方のバリアフリー状況を詳しくいる議員が出たら
「特定の話題に強い議員 / その議員がいる党」としてええ感じになるんでないでしょうか
(社民党にそんな体力も議員数も無い、と言われたらそこでおしまいだが…)
2020年11月に既に似たような案件で訴訟を起こしているケースがあるのを今日知った
コスト面に関しては全く触れていないので本当に解決する気はある? というお気持ち
https://www.asahi.com/articles/ASNCP7DBYNCJPTFC001.html
ブログ内で来宮神社はバリアフリーが進んでいます! みたいな一言があってもよかったのでは?
ブクマカー諸氏のやり取りを見るに「女をあてがうことだ」という意見は、それなりにメジャーなのかもしれない。しかし、仮にそれが弱者男性への救いであるのなら、それを実現できるのは現代の、少なくとも先進国では不可能であり、なれば現実的にそう主張する人は少ないのではないだろうか、と考えられる。過激な意見の方が目立つのは珍しいことではない。ネット言論で露悪的になることも。
しかし、より現実的な、具体的な'弱者男性への救い'が何であるのかは、諸々のやり取りや記事を読んでみてもあまりピンとこない。
なので、私は'弱者男性への救い'が何であるのか、具体的にどのような社会的状況が実現されれば、弱者男性は救われるのか、という点について意見を募りたい。
バリアフリー対応のためにJR駅員に求められる能力は一人あたり25-30kgの電動車椅子を階段で運ぶ筋力が必要になりました。
それを満たしてない人は駅員になることは不可能です。
なんだか推し疲れです。
まあそんなことより、
甥っ子や姪っ子たちといずれ戦うことになると思い、
マリオカートに挑戦!って思ったの。
子どものためのと思ったけど、
大人の私も大満足というか、
あのボリュームなに?って感じよ。
走れるキャラクターや走れるコースがめちゃくちゃたくさんあって、
現実では不可能なぐねぐねメビウスの輪のようなコースもあったりするの。
私走るの上手いわ!って思ってたけど、
私の走りっぷりのヘボさ具合が如実に出まくる感じで、
これ、
甥っ子や姪っ子を倒す前に自分ももっと鍛錬しなくては!って思ったのね。
とりあえず、
1位を爆走しててアイテムを持っていても、
どうやって使っていいのか分からないというか、
敵の人後目がけて投げてない?って
あと赤い甲羅って避けれないの?
あれって1位をかっ飛ばして走っていたら漏れなく喰らうお邪魔アイテムなの?
よく仕組みが分からないまま、
ただただ走り続けているだけよ。
しかし子どもはこんなハイクオリティーなゲームで遊んでいるの?って思うとゾッとするわ。
ベジータがまるでスーパーサイヤ人のバーゲンセールだな!って皮肉を言う理由が分かるぐらいの、
スゴいゲームじゃない?
マリオカート初だったので、
冒頭でも言ったけど、
子どもが遊ぶやつでしょ?って思ってたら
痛い目にあったわ。
とにかく
私の好きなビッグブルーのコースもあって思わずエキサイトバイクよ!
あのキャラクターのほのぼのとした感じと
ハイライトもよくできていてリザルトも見ていて楽しいじゃない、これ!
あとインターネッツ対決も出来るみたいで、
どこかの知らない外国の人と早速バトルしたわよ!
その時は5人集まって、
私は初めて対戦したにしては堂々の3位!
なかなかの好成績じゃない?初めてとしては。
走りを極めれば上手くなれる感もあって、
本当に上手く出来てるなぁって感心するばかりよ。
あれだけ白熱するあの引き算の美学は本当に考え抜かれたモノなのかも知れないし、
これはもう楽しくてスタンドアローンでも遊べまくれるんじゃない?って
とりあえずスタート前2秒でアクセル全開のなんか速いスタートができる技とかも
そんでもってさ、
コース名も
イキりまくった訳の分からない横文字を並べてイミフな名前じゃなくて、
老若男女を問わず楽しめそうで、
これ普通にお爺ちゃんとお婆ちゃんととかも混ぜて遊べるんじゃない?って
みんなこれでニッコリなのかしら?
最大何人まで同時に走れるのかと、
うふふ。
週末食べ過ぎたセール開催していたので
この時期はまだ寒かったり暑かったりしそうなので、
そう思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
邪推を避けるためにあらかじめ説明しておくが俺はもうとっくに大学四年を卒業した人間であり、ホットエントリに上がってきた「早慶にカンニングして受かって今も通っている」記事を見てふと生じた疑問を解消したいだけだ。
ずばり、「入学試験は本当に大学の求める人材を選抜出来ているのか?」だ。
カンニングした増田のエントリはめんどくさいので貼らないが、記事によると増田は上智にはカンニング無しで受かっていることから自分は上智レベルらしい。と語っていた。
ここで疑問が生じた。
上智大学に相当する学力の学生が、早慶を卒業することは果たして可能なのか。
この疑問をもうちょっと極端にすると、いわゆるFランクとされる低い偏差値の大学に籍を置く学生が東大、京大を卒業することは可能なのか?ということだ。
なっちゃうのなら、入学試験って本当に「試験」として役割を果たせているのか?
自分はよその大学のカリキュラムなんぞ知らないのでとんと想像もつかないが、実際のところどうなのだろうか。無理して転学したり、あるいは同じくカンニングで自分の身の丈を越えた大学に入った増田がいれば話を聞きたい
結局DXをやらないといけないのって事務方なんだけど
DXを進めるっていうことは
って言ってしまうことになる
これに「はいそうですね」って言えるような人はそもそも事務方の仕事なんてしてないわけで
彼らには彼らなりの哲学なり信念があって
ハンコ一つにしても法令とか偽造可能性とかとにかく(貧弱な)理論武装がすごい
彼らも馬鹿ではないので常日頃からハンコ不要のニュースにさらされていて
それでも自分たちの仕事に意味を持たせるために彼らなりのロジックを組み立て
貧弱ながらも理論武装して自分たちに言い聞かせて仕事をしている
なので「ハンコなくしましょう」「はいわかりました」にはならず
一つ一つ丁寧に彼らの理論武装を解除してあげないといけない
こんな感じで書類一つ一つに対して武装解除していく必要があって
とてもじゃないけれどやってる側が疲弊する
おまけにある種彼ら事務方の自尊心を傷つけている作業になるわけで大変に骨が折れる
DX化なんて夢のまた夢で
「じゃあ全部デジタル化してDX化したら何が起きるの?」
って言われるとまさか「お前らの人件費を削れる」と言うわけにもいかず
的な感じになって全然納得してくれない
事務方とか技術系とかで役員がバラバラとかだと政治的な話にもなるし
もうアホらしくてやってられない
研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へのオープンレター:女性差別的な文化を脱するために
https://sites.google.com/view/againstm/home
要旨としては、
「公正で冷静な学術的議論・論争を実現するために、中傷や差別的発言をアカデミズムから撲滅しよう」
で、その通りだと思う。
ただし、だとすればなぜ、このような曖昧な書き方をするのか。
また私たちは、中傷や差別的発言とそうでない発言との境界が時に明瞭ではないことも理解しています。
しかし、事実として両者のあいだに明確な線が引けない場合があることは、その概念的区別を求めることが無意味であることを意味しません。
明瞭な線引きが難しいにせよ、「何が中傷や差別的発言に当たるか」が最大の論点であることは、論を待たない。
「何が中傷や差別的発言に当たるか」についての基準を明確にせぬまま「私たちの思う中傷や差別的発言」を列挙するフェミニズムの不誠実なやり方を、今まで何度となく見てきた。
「お気持ちと揶揄するな」と言うが、そのように揶揄される原因は、毎度毎度、フェミニズム側の論理に内在している。
今回の件については、呉座氏の発言の中に、はっきりと中傷や差別的発言が含まれていたから、多くの人が声を上げたのだという以外にはない。
何が中傷や差別的発言に当たるかについて、定義することは不可能ではない。
例えば中傷については、
のように、不完全であっても、文言に起こすことの意味は少なくない。
フェミニズムの側は、今までそうした振る舞いと無縁だっただろうか?
差別的表現でないもの、例えばただ性的な表現について、根拠なく「差別的表現だ」と呼んで糾弾する行為は、誹謗中傷に相当する。
ほなしゃーないなぁさがしたったでよっくよめ
anond.hatelabo.jp/20210221191039
anond.hatelabo.jp/20201114155004
anond.hatelabo.jp/20191105161113 (消し逃げ)
anond.hatelabo.jp/20190819212507
anond.hatelabo.jp/20190801022114
https://anond.hatelabo.jp/20190707131508
まだたくさんあるけど飽きた
なおurlからhttp://を消しているのは消さないと多重トラバがよみづらくなるのとスパム防止策にひっかかって投稿自体不可能になるから
先日成人の発達障害を取り扱う心療内科を予約した。自分はやはりASD又はアスペルガー傾向があるのではないかと感じたからだ。
自分は共感力が低い人間だと思う。人の言葉を額面通りに受け取ってしまい、人から指摘されて「そういう意味だったのか」と気付くなんてことはザラだ。
女性に多い共感ベースのコミニュケーションなんて本当に苦手だ。
なぜこれ程までに建設的ではない話を延々とするんだろう、本気で離婚したければ離婚後の生活基盤を作ることを考えるべきだし、痩せたいのなら今飲んでいるフラペチーノをブラックコーヒーにでも変えたらいいのにとか考えてしまう。
流石に口には出さないけれど気付かぬ間に言葉の端々にそのニュアンスが出ているかもしれない。これは間違ったコミュニケーションだということは頭では重々理解している。
ちなみに「ご飯に行こう」という誘いは「飯を食べたい」のではなく、往々にしてその相手にに会いたい、もしくは会話をしたいという意味であると言うことを最近知った。
マジか嘘だろなんて周りくどいんだよと泣きたくなった。と同時に「人と会って喜びを感じる」いう感情があまり理解できない自分にとって大変な驚きだったし、人間ってなんて健気なんだろうと謎の感動を覚えた。そしてこれまでの自分の振る舞いを大変申し訳なく思った。
そんな具合でとことん人として欠落した人間なのだけれど、自分は人の行動パターンや本質的な欲求は案外分かるのではないかと最近思う。
自分はそこそこ副業で儲けている。これはいざやってみて感じたのだけれど他者目線、つまり『人の気持ち』が分からなければ売上を出すことは難しい。
とんでもないアートの才能を待った天才ならともかく、自分の営む小売りは人の考えが予想・理解できなければ利益を出すことも客に良いサービスを届けることもできない。自分で言うのも何だけどこの点に関してはめちゃくちゃ才能があると思う。
人の気持ちを察することが壊滅的に不得意な自分が他者目線の商売を行いそこそこ成功している。矛盾でしかない、不思議なのだ
これは人の気持ちを理解できるという事なんじゃないのか?とも思うけれど、恐らく『自然に理解できない』からこそ頭で理解しようと努力した副産物なのかなとも思う。実際人間心理に関する本はよく読む。
ただやはり頭で理解できても、人の合理的ではない面や感情の機微、情緒を汲み取る力が自分には圧倒的に欠落している。いくら理屈を学んでも流動的なコミュニケーションは難しい。
英語の文法は完璧でも実際の会話はまるで出来ないみたいなもんなのかなと。
「人の気持ちを頭で理解する人」と「自然に人の気持ちがわかる人」は違う。後者が前者を後天的に学ぶことは多分出来るが、恐らく自分のようなタイプの人間が後者をインストールすることは難しい、もしくは不可能なのかも知れない。
「人の気持ちが分かる」って何だろうなと思った話。
『「今の」学校生活を描く事』が不可能っていうのは「作り手が経験しているのは所詮10年前20年前の“昔の学校生活”しかないので作りようがない」みたいな、まるで不可知論的な話になるんだけど。
ガラケーでやり取りしてたり、家電やパソコン・備品のたぐいがちょっと古くさかったり、みたいな感じの違和感が気になって話に集中できないレベルの事が普通に見過ごされてるのを何とかしないといけない。
呉座勇一「炎上」事件で考える、歴史家が歴史修正主義者になってしまうということ | ハーバー・ビジネス・オンライン
https://hbol.jp/241894 @hboljpより
ブコメ→
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/241894
そもそもの発端が網野善彦先生であったというのに、網野氏が最も嫌悪した「党派性」でしか発想できない貧相なコメントが多いのは、憂うべき事態だわ。
網野氏がまず嫌悪したのはスターリンの「民族」観の転向により始まった1950年代の「国民的歴史学運動」で、運動内では、民族を近代の発明としていた歴史家たちは「近代主義者」として「査問」され「自己批判」を迫られた。
(まあ、査問された中には、元々のスターリンの公式に沿っていただけの人もいたかも知れないが)
国民的歴史学運動は、信じられないことに、1955年の権力闘争による日本共産党の方針転換、俗に言う六全協で終わりを告げる。
内部に葛藤を抱えない人間は、今でもこうした運動に乗せられてしまう。
北守氏の記事が深まらないのは、「歴史は誰のためのものか」という、網野氏もまた生涯をかけて葛藤し向き合った歴史学の問いに、「歴史修正主義者」というレッテルや、「つくる会と親和的かどうか」という軸だけで答えてしまう点だ。
「国民の物語」は別に、悪しきナショナリズムのためだけに求められるわけではない。
最低限のナショナリズムがなければ、「日本の歴史」を我が事として捉えることも不可能になってしまう。
なぜ戦後間もない時期に、それが盛り上がったのか考えてみたことはあるのだろうか。
その意味で求められる「国民の物語」に接近するだけで、「歴史修正主義者」のレッテルを貼るのは、およそアカデミシャンのする事ではない。
網野氏だけでない、呉座氏も亀田氏も、そして今回は被害者である北村氏も、その「国民の物語」に対する葛藤を理解して発言していた。
北村氏は網野氏について「ロマンティックがとまらない」としていたが、このロマンこそ国民の物語に対する距離感だ。
網野氏はそれこそ「実証的でない」という評価を受けることの多い歴史家ではあるが、北村氏をしてなお「その愛と情熱、ロマンティックが分からないのも問題だ」としている。
全くその通りだ。
北守氏の限界は、つくる会やラムザイヤーを「悪」の運動とし、その運動を無力化するためだけに論を張ってしまう所にある。
【追記】
分かっていての揚げ足取りだろうし、こんな説明をするだけ野暮だけど、
いわゆる「歴史修正主義者」は大問題ですよ。実証性に欠けることが多いからね。
北守氏は、
⑴
・いわゆる典型的な歴史修正主義者と「国民の物語」という問題意識を共有した、あるいは関わりを持った
だけの歴史家について、「歴史修正主義者だ!」と一段跳びに断定してる。
日本語でも、医者・医師という、建築士・建築家といい、者・士・家の区別はいいかげんです。それと同じように、英語の -er、-ist、-an の区別もそれほど厳密な区別があるわけではありません。
ちょうど6年前のことだ。そろそろここに書いても大丈夫だろう。
俺がいる部署の隣の隣の、さらに隣のブロックに新人女子が配属されてきた。清楚な印象の子だった。25くらいかなと思った。
新年度になって新人女子が来るだけなら大したことじゃないが、その女子(アユミさんとしよう)の隣には、俺が昔世話になった先輩がいた。年齢は40近い人で、頭髪の一部が白くなっている。
アユミさんも、その先輩も未婚だった。
その2人が、仕事でタッグになった。県営住宅の管理運営の仕事で、先輩が主で、アユミさんが副として業務にあたるとのことだった。
実際、2人はまさにタッグだった。週に2、3度は軽トラックに乗って現場に出かけ、窓口では県営住宅に住んでいる人の相談に乗り、職場の小さい買い物や改善活動も2人でやるように上から命じられる。
これは、あれだ。俺の会社ではたまにあることだ。
人事が、俺の先輩(アキオさんとしよう。アユミさんとともに原型を留めないレベルで仮名にしている)に“嫁候補”をあてがったのだ。
言っておくが、アキオさんは、はてな語でいうところのKKO(※精神的な意味で)とは真逆の人間だ。比べることすらおこがましい。
組織人として結果を出しているし、上司の指示に忠実だし、でも納得できなければとことん議論するし、同僚や取引相手には分け隔てなく接するし、後輩には男女問わずモテる。
得意分野の広さがなによりも凄い。財務会計、設備管理、現場仕事、クレーム対応、測量図面の作成など、まさに何でもござれのヤバい人だ。ヤバい人、というのはもちろんいい意味で使っている。
お金がなくて月々の家賃が払えない人が窓口に来ても、何時間でも話を聞いているし、怖い人に怒鳴られても毅然とした態度を崩さない。
そういうところを俺もみんなも尊敬している。
ある時だった。仕事で嫌な事があってふてくされ、失礼な態度でだるそうに接客をしていたのを注意されたことがある。
お客さんが帰った後で、アキオ先輩は俺の肩に触れながら、「K君。そんなことしたらいけないよ。お客さんを差別したらだめだ」と諭してくれた。
それでも不貞腐れる俺だったけど、笑顔でずっと傍にいてくれたんだ。
それから段々と、アキオ先輩に敬意を払うようになっていった。
ところで。アキオ先輩は恋愛ができない。
これまで恋人がいたことはないらしい。恋愛ができないというよりは、興味がないのだろうと思う。
アキオさんは、見た目はボヤっとしているかもしれないが、体型は細いし、ファッションも清潔感がある。モテる要素はあるのだが、本人が恋愛に乗り気じゃない。
ほかの同僚が、飲み屋で先輩に女の子を紹介しているのを見たことがある。アキオさんは仕事ができるので、今のうちに恩を売っておこうという人は実際に多い。
すぐ後ろで、俺も立って話を聞いていた。
……アキオ先輩は、せっかく可愛い子を紹介されても知らん顔をしていた。ああ、そうですねみたいなやりとりばかりだった。
女の子の目が悲しそうだった。その時が初対面じゃなく、遠く離れた部署の女の子だった。ずっとアキオ先輩と話をしたかったらしい。
話し始めて1分くらいかな? アキオ先輩が後ろを向いて、俺の二の腕あたりを掴んで合図をして、そのままスッと居酒屋の廊下を歩き出した。
「女の子と話しててくださいよ。あっちの席、男しかいないですよ」
「K君と話している方がいいんだ」
アキオ先輩に連れられて、男ばかりが5,6人いる座敷に戻った。
先輩は、飲み会が終わるまでその席から動くことはなかった。別の席にも呼ばれてたのに。ずっとそこにいた。
丸2年経っても、まったく何もなかった。あれだけ一緒にいて、同じ仕事をやってきて、それでも何も進展がなかった。
2年もの間、先輩はアユミさんに興味がなかったし(本人談)、アユミさんに彼氏はいなかった(本人談)。
でも、俺が見た感じだと、二人は仕事中に、お互いを信頼しあっているように見えたのだ。
その間に、アキオさんは40になって、アユミさんは26になって、俺は30を過ぎた……
時は経ち、3年目の始まりである4月1日をもって、アキオさんはかなり遠くにある組織へと出向していった。もちろん栄転だ。
アユミさんはこれからどうなるのだろうかと、不安になったのを覚えている。
俺が勤めている組織では、できるだけ社員同士で結婚してほしいと人事部局が考えていて、いい年の男女を狙って同じ部署、同じ仕事に割り当てることがある。アキオさんみたいに評定がトップレベルの人だと、『特にいい子』(差別的な表現で申し訳ない。ほかにいい言葉が浮かばなかった)が当てられる。
アユミさんは可愛らしい人だと思ったし、実際に仲間想いで、お客さん想いのいい子だった。しかし、アユミさんがいた部署というのは、いわゆるキツイところだった。入社1年目の新人が配属されることはまずないと言っていい。
肉体労働があるし、借主や不動産業者からのクレームがドギツイ。40メートルは離れているであろう俺の席まで罵声が轟くこともある。
でも、彼女は頑張ったのだ。身バレがこわいので具体性のある表現はしないが、ほかの女子社員よりも頑張っていた。見ていて辛くなるほどに。
そんな、尊敬できる人間なのに、男性社員の嫁候補としてキツイ部署に配属され、アキオさんとも結ばれなかった。3年目が終わる時には異動になって、また別の部署で嫁候補として過ごす可能性が俺の経験上高い。
今回、この記事を書こうと思ったきっかけは、先日こんな増田を読んだからだ。2つある。
①ジェンダーギャップ指数って要は「男が責任負わされてる国」指数じゃね?
https://anond.hatelabo.jp/20210401175432
ここに書いてあることは間違っている。キンタマが付いていない男とは、こういう醜悪な言論を公共の場で行う人間を指すのだろう。もしくは、社会的地位があまりに低いために、世間や社会に対して恨みを持つようになった人間だ。
実際の日本では、女性は男性に比べて劣った地位にある。社会は女性に「女の子っぽさ」を求め、会社では「上の役職にいくにはふさわしくない」と思われ、容姿が醜ければ「存在を軽んじ」られ、誠実でない男には「セックスの道具」として扱われる。
②1年間、片思いをしていたあの人を許せない
https://anond.hatelabo.jp/20210331211345
増田文学という小説のジャンルがあるくらいなので、この内容をそのまま信じることはしないが、仮にすべて事実だったとしよう。
アユミさんは、上の日記でいうところの投稿者に当たる。アユミさんはアキオさんに気があった。どうして俺が知っているのかは言わないけど、とにかくそれを知っている。でも、アキオさんは恋愛的な意味でアユミさんを相手にしなかった。
恋愛において、女性が不憫だと思うところがある。それは、「結果がわからないこと」だ。
基本、恋愛というのは男性から行くものであり、女性は待つものだ。女性からアタックできる人は少ない。よって、一般的な女性は、意中の男性に誘われるのを待つことになる。
三か月待てばいいのか、半年待てばいいのか、1年待てばいいのか?運の悪い女性だと、3年待っても何もアタックがない(脈ナシ)かもしれない。
2021年現在、アユミさんには彼氏がいるし、1年以内に結婚する可能性もあるし、仕事も友達関係も順調だ。
でも、それはアユミさんが容姿がよくて中味もよかったからであって――基本的に、女性は可哀そうな存在だと俺は思う。
「恋愛価値のある女性」が、「組織にとって利益のある男性」のための福利厚生の一環として用いられている。
今度人間に生まれるとしたら、また男がいい。女はできれば嫌だ。生き残っていける気がしない。生まれた時の容姿のレベルで幸せになれるか大体決まるなんて、どんな冗談だ?
努力して強くなれるのがいい。勉強でも、スポーツでも、仕事でも、恋愛でも、最初はヘタクソだったけど、目標に向かって努める力を重ねることで俺は上手くなってきた。
だから、生まれつきの要素で著しく劣ることで、人生において逆転不可能な状態に陥る女性というものが哀れでならない。
俺には社会を変える力はない。
けれど、少なくとも同じ部署で働く人や、将来俺の部下になる人には、男だろうと女だろうと関係なく幸せになってほしい。そういう職場や組織を作っていきたい。
今の、これからの俺にできるのはそれだけだ。