2021-04-03

人の気持ちが分かるということ

先日成人の発達障害を取り扱う心療内科を予約した。自分はやはりASD又はアスペルガー傾向があるのではないかと感じたからだ。

自分共感力が低い人間だと思う。人の言葉額面通りに受け取ってしまい、人から指摘されて「そういう意味だったのか」と気付くなんてことはザラだ。

女性に多い共感ベースコミニュケーションなんて本当に苦手だ。

なぜこれ程までに建設的ではない話を延々とするんだろう、本気で離婚したければ離婚後の生活基盤を作ることを考えるべきだし、痩せたいのなら今飲んでいるフラペチーノブラックコーヒーにでも変えたらいいのにとか考えてしまう。

流石に口には出さないけれど気付かぬ間に言葉の端々にそのニュアンスが出ているかもしれない。これは間違ったコミュニケーションだということは頭では重々理解している。

ちなみに「ご飯に行こう」という誘いは「飯を食べたい」のではなく、往々にしてその相手にに会いたい、もしくは会話をしたいという意味であると言うことを最近知った。

マジか嘘だろなんて周りくどいんだよと泣きたくなった。と同時に「人と会って喜びを感じる」いう感情があまり理解できない自分にとって大変な驚きだったし、人間ってなんて健気なんだろうと謎の感動を覚えた。そしてこれまでの自分の振る舞いを大変申し訳なく思った。

そんな具合でとことん人として欠落した人間なのだけれど、自分は人の行動パターン本質的欲求は案外分かるのではないか最近思う。

自分はそこそこ副業で儲けている。これはいざやってみて感じたのだけれど他者目線、つまり『人の気持ち』が分からなければ売上を出すことは難しい。

とんでもないアートの才能を待った天才ならともかく、自分の営む小売りは人の考えが予想・理解できなければ利益を出すことも客に良いサービスを届けることもできない。自分で言うのも何だけどこの点に関してはめちゃくちゃ才能があると思う。

人の気持ちを察することが壊滅的に不得意な自分他者目線商売を行いそこそこ成功している。矛盾しかない、不思議なのだ

これは人の気持ち理解できるという事なんじゃないのか?とも思うけれど、恐らく『自然理解できない』からこそ頭で理解しようと努力した副産物なのかなとも思う。実際人間心理に関する本はよく読む。

ただやはり頭で理解できても、人の合理的ではない面や感情機微情緒を汲み取る力が自分には圧倒的に欠落している。いくら理屈を学んでも流動的なコミュニケーションは難しい。

英語文法完璧でも実際の会話はまるで出来ないみたいなもんなのかなと。

「人の気持ちを頭で理解する人」と「自然に人の気持ちがわかる人」は違う。後者が前者を後天的に学ぶことは多分出来るが、恐らく自分のようなタイプ人間後者インストールすることは難しい、もしくは不可能なのかも知れない。


「人の気持ちが分かる」って何だろうなと思った話。

  • 基本的にみんな自分と同じような人の気持ちがわかるだけなんじゃなかろうか。

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