はてなキーワード: スッパとは
働かなければ、せめてアルバイトはしなければ…と思った事もあったけれど、結局長続きはしなかった。
派遣社員として派遣された場所があまりに自分に合わず1日でその派遣会社を辞めてしまった事も何度かある。
一家の大黒柱であった父親は数年前に亡くなり、今は母親と二人で暮らしている。
母親は「今はコロナが流行っているから」と無理に就職やアルバイトを始める事を勧めようとはしない。
今は貯金と父親の遺族年金を食い潰す形で何とか生きている。自分が家にお金を入れた事はこの30年の人生で一度も無い。
働いていないので自由に使えるお金が無いのは辛い、と思う事もあるけれど、録画したTV番組とインターネットだけでも毎日時間は潰せている。
自分に根気もやる気もなく、もしアルバイトを始めた所で長続きしないだろう事は自分が一番よく分かっている。
何かしなくてはという気持ちも僅かにあるけれど、これ以上失敗を重ねて傷ついたり自分に失望する事が心底怖い。
今はコロナという言い訳があるので、これが終息するまできっと働く事は無いと思う。恐らくは終息したとしても働かない。
お金が無限にある訳ではなく、収入も無いので使えば使うほど減っていくという事は知識としては知っている。
けれど、自分は今我が家が毎月どれ程の出費があるか、今どれ程貯金が残っているかという事を理解していない。
一緒に居る母が教えてくれないし、自分も知るのが怖いので母に聞かないようにしている。知らないままこのまま安穏な気持ちで居たい。
自分は今三十路だけど、母も還暦を迎えた。母が三十を超えて生まれた子供なので、丁度8050問題が当てはまる年齢差である。
単純に考えても母親は自分より30年は早く逝くだろうし、体調を崩せば自分が面倒を見なくてはいけないのだろう…という事はやはり知識としては知っている。
ただ、その事に対してどうしても実感が持てない。母はいつまでも元気なような気がしているし、もし死ぬとしてもスッパリ死んで自分が面倒を見る事は無いのではないだろうか?という願望が頭を占めている。
母親が死んだ後、自分はどうなるのだろう。理想を言えば、母親が居ないこの世を生きていける気がしないので、すぐに後を追えたら良いなと思っている。
実際に自分の母親を愛するあまり母親が死んで数年ですぐ死んでしまった子供もこの世に居ない訳では無い。もし自分が死ぬとしたら、そういう一例に加わりたい。
ただ、母親が生きている間はやっぱり死にたくない。やっぱり生きている限りこの世には楽しい事が沢山あると思うから、生きている限りは生きていたい。
働きたくはない。それでも生きていたい。何か、外に出て働かずに収入を得て生きていく方法は無いのだろうか。
TVをながら見しながら一月の生活費くらいは稼げる仕事があれば、それを天職にしてみたい。本当の事を言うとどんな楽な仕事でもしたくはないけど。
どうしたら良いかなあ。能力が低い上に怠け者でも出来る仕事、何かあるんだろうか。そういう仕事が自分に回ってくる事と、日本の景気が良くなる事を今は願いたい、
37歳 男、都内在住。
年収は700万円位。この前のボーナスは額面で約90万円出た。
所属している会社は、部署ごとに激しく赤字と黒字を出しているので
会社全体はトントンorチョット黒で今年度は着地しそうと部長。
「会社はまだ大丈夫。うち(の部署)はド赤で(今年度の売上)締めたいから、できれば来期に納品できるように調整して」
と、部長からありがたいお言葉を頂いたので、テレワークをしながらのんびり来期に向けた仕事をしている。
皆少し寂しいのか「ゲンキ~?」と学生時代かのような挨拶をし、会議が始まる5分前に入ってきて雑談する。
そこで近況や最近お取り寄せで美味しかっただの、子供に対する愚痴などを話しながら、全員揃ったタイミングで会議スタート。
終わりは「じゃあ他に何かある人いる?いないみたいだから終わりにします。お疲れさまでした。」 「「「お疲れ様です」」」
スッパリ終わる。
会議終了即資料送付&議事録作成・報告&チームmtgができて無駄がない。
残業が激減した。
同じくテレワークをしている妻と18時頃に「今日は何たべよっか~」と話し、スーパーに買い物に行く。
近くにスーパーが3件、酒屋さんもあるので、ワイン選びで困ることがない。
夫婦でお酒が好きなので、今まで買わなかった3000円オーバーのワインを選ぶことも多くなった。
お刺身に合うかと白ワインを買って、「この前買ったやつの方がお刺身には合ったね」
「これだったら牛のタタキの方があうかもね」と感想を言い合う。
生活が変わった。
仕事終わりでまっすぐ家に帰ってきたことはほぼ無かった。24時は超えていた。
僕と同じくらい稼いでいるので、平日外食が週2回はあった。
外食すると二人で1万円。
二人そろって休日が取れればお出かけ。
それぞれ2千、2千、1万。。。
エンゲル係数が高かった。
だが家でゆったり食べるのも悪くない。
仕事がなくなったり、大変な方を拝見するに、その心慮りたい。
ただただ環境が変わった。
自分にできることは、外食せず、サウナに行かず、休日も家にいよう。
両親・義両親にも合わず、連絡を取り合う。
それくらいだ。
最初は退屈していたが、そのうち慣れた。
わかってはいたが、外食・夏休み旅行がいかに大きな支出だったか。
東京のど真ん中で力一杯働いて、力一杯に楽しむことが最上だった。
消費をステイタスと思っていた部分もあるだろう。
だが意外と日常をゆったりと過ごせるということが分かった。
誰かに話すのも、SNSで吐き出すのもなんだか気恥ずかしいので増田に放流することにする。
本当に青天の霹靂だった。
母に見つかった病気は珍しいタイプのもので、まあ簡単に言えば腫瘍らしい。
私の家族は父を筆頭に医者が多い(というか兄と姉は医学系の大学生だし、母自身もそっち関係の仕事の資格は持ってるので、何も知らないのは大学で芸術なんかやってる私だけだ)ので、あまり誤魔化す事なくスッパリと病名は告げられた。
ここまでだと突然の余命を宣告された母...みたいな流れっぽいけど、別にそうではない。大半の例では良性で、命に別状はない...
普段大学の授業で使い慣れたciniiとかでその病名を入れると、出るわ出るわ、急速に増大して1年足らずで死んだ悪性のタイプの例だの、良性だったが半年で再発し、後に全身転移しまもなく死んだだの、目を覆いたくなるような話が...
頭では分かってる。わざわざ学会報告になるようなレアなものだから論文検索に引っかかるってことは。この病気に罹った大半の人は報告のネタになることもなく、組織の欠片を切り取って、それで終いなのだろう。
だけど、うちの母が報告のネタにならない保証なんて一つもない。私はいつも最悪のパターンを考えてしまう。あの報告のように、すぐ悪性再発したら?報告通りなら、私が母と居られる時間はもう1年もない。
知り合いがみんな親と上手く行ってなかったりする中で、私は本当に両親との仲だけは良好だった。父親とはうまく行かないこともあったし、正直今でも合わないと思うことはあるけど、母親だけは私を理解してくれたと今更ながらに思う。そんな母を失うとは正直考えたくないが、頭の片隅にちらついて離れない。
父に良く言われる通り、私はマザコンなんだろう。20にもなって母にはしょうもないことで甘えまくって、母の方も私が末っ子だからって甘やかしまくってきたんだと思う。兄姉にも呆れられた事もよくあった。そりゃ小さいころに兄姉に虐められても仕方ないよ、彼らは「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」なんだからといつも言われていたから。
私含め医療の知識がある3人は能天気にしてる(さすがに本人は落ち着いてるみたいだ)。私を産んでから殆ど休みなく家にいて家事をやり続けた母が手術で1週間ほど居なくなるから「俺らも家のことやらないとな〜」とか、その程度だ。
勿論彼らがさっき言ったようなド素人の私がいっちょ噛みで知った話を知らない筈がない。知った上で、そんなこと考えても仕方ないだろと思っているんだろうし、それを薄情だとかは全然思わない。
私だけが、親離れできていない。
当たり前のように存在していた母、その絶対性にほんの少し罅が入るだけでこんなに精神が揺れて、失う事まで考えて勝手にふさぎ込んで。
そんな母に対する今できる精一杯の親孝行は、来年の頭に迫った卒業論文をちゃんと書いて、とりあえず卒業することなんだろうけど、この心のざわめきは暫く消えてくれそうにない。来週には細胞診の結果が出るらしい。それで「良性」と言ってくれれば、少しは落ち着けるのだろうが。
ワンピース一枚、スカート一枚、欲を言えばカットソーかブラウス一枚とカーディガン二枚か、カーディガンとニットを各一。
後半飛ばしてワンピースとスカートとカーディガン一枚でもいいかな。
ワンピースをセットアップっての?ああいうのにしたらいいと思う。そんでカーディガン着ておく。
お見合いとか最初のデートは写真と同じ服か、カーディガンだけでも同じにする。
写真と服変えるにしても、最初のデートはとにかく毎回同じ服で行ったらいい。考える時間を省くんだ。どうせ相手にとっては初めて見る服だ。
頑張って着ていく服考えて行ったのにうまくいかないのめちゃくちゃメンタル削れる。
特に私別にフェミニンな服普段着ないから。だからシステマチックにする。
欲を言えば二回目のデートまで服固定にしたい。固定は同じ服を着ていくという意味ではなく「AさんとBさん、それぞれ最初のデートの服は同じ」って意味ね。
あと服の感じ変えたら「イメージ違った」って振られる話を複数見聞きしたので、二回目のデートくらいまでは写真の印象と揃えた方がいい。
写真と同じワンピースに違うカーディガンとか、カーディガンを残すとか。
写真と同じ格好で行くの抵抗有るなら約束取り付けるときに「分かりやすいように写真と同じ服で行きます☆」とか先に言ったらいい。親切でやってやってる感を先に押し付けるんだ。
あと最初の一二回くらいはプロにメイクしてもらおう。3000円くらいでフルメイクやってくれる。こういうとこね。
でもこれは良く見せるためじゃなくて、己を鼓舞して更に良く見せる投資です。
だいたいプロのお姉さん「これから婚活なんです」とか言ったらめっちゃノリノリでやってくれるし、メイクのコツとか教えてくれる。透明感とか乗せてくれる。
ゆりやんレトリィバァ似の私のことも石原さとみ村の一番のゆりやん似にしてくれた。
普段あんまりメイクしない人はそれも伝えたら「盛り過ぎないけど透明感があって可愛らしい顔」にしてくれる。これはほんとにやってもらった。
普段そんなの着ない人も一度その局地を目指そう。そんで自分と女子アナ、CanCam系を繋ぐ線上にある「自分に似合う可愛い綺麗系」を見付けよう。
遠いとこから近い方に手繰り寄せた方が楽です。地引き網だよ。
一歩一歩最果てを目指すのは辛いから、まず最果てまで行こう。
ただいつも服買う店でそれっぽい服探したらダメだ。
「そういう店」で「自分でも着れる服」を探そう。
「服なんてどうでもいいじゃない」って言う人多いけど、どうでもいいなら一度「大多数から好印象を持たれる服」を着たらいいじゃないか。
「服しか見てない人が来たら嫌」って言うけど、そんなの手早く切ればいい。あといい人はちゃんと「良く見せようとする努力」を汲み取ってくれる。
何においてもパッケージが綺麗なことに悪いことはない。
あと服の可愛さの難易度下げたいならデザインの難易度下げた分、襟ぐりにビジューがあるやつにしとけ。顔の回りキラキラさせておけ。
それだけで男は「女子アナみたいな服」って思うよ。たぶん。
あとどうせなら自分に似合うピンク探して着たらいい。出来れば上半身!
「スカートならまだ…」とか言う人いるけど、どうせ向かい合ってご飯とか食べてたら下半身見えないから。
ピンクが無理なら若草色とか柔らかい黄色とか。なんかとにかく上半身に自分に似合う優しい色とキラキラするやつ。
あと顔色よく見えるやつ。
服はレフ板だよ。
ワードローブを全部変えなくていい。写真とデート二回分だけ持ちこたえろ。
着回したら三回いけんだろ。
あとさっさと「普段もっと違う服着てる」とか告白しておけばいいよ。
とにかく最初期の間だけチャラチャラして世の中に迎合しよう。制服でシステマチックにな。
逆にここまで来て服が女子アナ系じゃなくなったら嫌だって男なら要らないから切ろう。スッパリと。
写真とか初対面の服は本で言うなら表紙です。
表紙が今風で手に取りやすかったら案外中身が難解でも手に取る。手に取って中を見てもらったら表紙と印象違ったけど中の方が好みに合うとかあるから。
中身ドグラマグラでも表紙が人気萌絵師だったら手に取る人いる。
読んでみたらクセになって新しい扉開いちゃう人いる!
僕だけのドグラマグラを手に取らせよう!
みんな婚活服で悩むのはやめよう。
まずは世の中に迎合して、お手本通りだけど自分に似合う服を探そう。
入り口だけキラキラして中見てもらえたらうまくいく確率上がる。まずは手に取らせるのが大事。
でもいつもと違うのストレスだからシステマチックに行こう。服よりもリソースを割いて拘るべき所がある。
服にアイデンティティを置いてる人は拘っていいよ。
※追記
反応してくれた人いた、ありがとー。
お察しの通りアラフォーの殴り書きです。
デブスのアラフォーだけど数年前に一年の婚活ののち結婚してるよ。
アドバイスのつもりはなかった。
増田より若くて可愛いい子が苦戦してるの見ると歯痒いとは思う。
上から目線に見えたらごめんね。
普段しない格好で気に入られても…って意見あったけど、見た目を良くするのはただのきっかけだよ。
あと具体的なブランドがないってのはデブスだから普通サイズの増田のブランド知らないんだ、ごめんね。
デブスの増田は組曲とか着たよ。新宿伊勢丹と池袋東武はデブの聖地だよ。
※再追記
何度も出てきてすまない。
重ねて言うけどこれは「選ばれるため」でも「好きでい続けてもらうため」の話でもないよ。
もっと手前の選択肢にするかしないかの足切りをされる確率を下げる話。相手の視界に入りやすい格好しようってだけ。
女の人も婚活アプリでトゲトゲのついた服の世紀末覇者みたいな人と、ちゃんとしたスーツ着た飯尾くんなら、飯尾くんとペッコリ45度する人の方が多いでしょうっていうだけ。
「男性受けのいい服」って考え方がキツかったら「お母さん受けのいい服」って考えたらいいよ。
世の中の中産階級お母さんが「今日の服可愛いじゃない」って言ってくれそうなヤツ。
多分男性受けとお母さん受けは近似値だと思う。
あとアプリとかの複数枚写真が登録できるところなら、普段のスナップも登録したらいい。
男性もちゃんとした写真の他にスナップ入れるのアリじゃないかな。友達と楽しく撮った写真は確かにおすまし写真より素の良さが出るよね。
メイクに関しては女性は分かってくれると思うけど「ナチュラルメイクが一番難しい」と思うの。
だからプロに頼むのは「ナチュラルで盛り盛りじゃないやつ」だよ。
仕事を終えたあと、Twitterのトレンドやニュースを斜め読みしてなんとなーく世間の情報を受信した気になりつつ、気になった情報があればちょっと深堀したりして、気が済んだらTwitterを離脱する。
ルーティンと呼べるほど毎日はやってないけど、私は寝る前とかによくやります。
今日見かけた話が、自分とは全く異なる属性がターゲットのはずなのに、全然他人事とは思えなかったので、思うところなどを書き留めようという次第です。
30代独身の僕らに圧倒的に「欠けているもの」 週末のラーメン屋で気がついた充足感と欠乏 | 恋愛・結婚 - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/382866
もし既読の方がいれば、タイトルとこちらの記事の内容で言いたいことはなんとなく分かるでしょう。
記事の内容としては「30代独身男性は、女性と違って感情を共有しなくても淡々と生きて淡々と死んでしまえるけど、それでいいと思ってる人ってきっと多くはなくて、むしろそういう人たちのほとんどは誰かと過ごす余生、誰かと一緒に迎える最期が理想だったりするのだから、体裁なんか気にせずにもっと積極的に恋愛していこうぜ!」というような感じ。
これを読んだ私は(いや、これまんま私にも言えることじゃん……)と思ってしまいました。
社会人7年目、2回転職して、新卒の頃よりは自由に使えるお金も増えて、人並みに愚痴をこぼしながらも現職にはそこそこ満足しています。
5年前くらいから結婚する友人もちらほら出てきたけれど、それで焦ってマッチングアプリを試したり自分磨きに精を出したり、そういう時期は2年くらい前に通り過ぎました。
もともと結婚=幸せだと思っていなかったせいもあって、ここ最近はわりとあっさり「私にはそういう縁が無かったんだろうな」という考え方に移行しました。
その価値観の移行の背景としては、やっぱり友人の存在が大きい。
私は自他ともに認めるオタクで、好きな作品のキャラクターたちのフィギュアやぬいぐるみが、部屋の中にぎっしり……とまではいかなくとも、普通にそこかしこに置いてあるし、同人2次創作も嗜むし「趣味の合間に生きている」「趣味の合間に仕事している」と豪語するようなダメ人間でもある。
正直、オタク的に夢中になれる趣味を持たない人たちは、一体何のために生きてるんだ? と不思議に思っています。
好きなコンテンツの有料配信を視聴する時や、推し関連グッズの予約をする時には「このために働いてるわ……」としみじみ思うなどします。オタクなので。
そしてありがたいことに、私はそういったオタク的な話題で盛り上がれる友人に恵まれており、コロナ禍の現在でも複数人の友人とLINEやSkypeでそういったオタク話を共有することができています。
孤独に強い、というよりは、孤独を感じた時に助けてくれる友人に恵まれていて、それが「まだ」通用している、という感じです。
でも、そういったオタク友だちがこれから先、もし結婚して、さらに育児に追われるようになったとしたらどうでしょうか。
少なくとも、今と同じ頻度で連絡を取ることは望めません。
きっとそうして一人、またひとりと疎遠になっていくのかもしれません。
あるいは、私と同じような考えで結婚という選択肢にある種の諦めを感じている友人もいるのかもしれませんが、結果的に将来誰が結婚して誰が独身でいるか、なんて誰にも分からないので「今頻繁に連絡を取っている友人みんなと疎遠になってしまい、パートナーも見つけられずに一人で孤独と戦っていく状態」になる可能性は絶対になくならないんですよね。
つまり、冒頭で紹介した記事の「誰かと過ごす余生、誰かと一緒に迎える最期を迎えたいのなら、体裁なんか気にせずにもっと積極的に恋愛した方がいい」というのは、私のようなアラサー女オタクにも十分言えることだな、と思ったわけです。
友人に恵まれているアラサー女オタク、大人パワーもそれなりに持っていてオタクライフ楽しすぎるんですよね。
でもそれが一生続く保証はどこにもない。
もちろん、結婚することができたとしても、離婚せずに幸せにパートナーと添い遂げられる未来は絶対ではありません。
とはいえ、結婚していない人間がそのような未来を迎えるよりは、確率が高いと言えるでしょう。
そして、歳を重ねれば重ねるほど恋愛や結婚の可能性が低くなるのは男性より女性の方──というのは偏見かもしれませんが、そう思っている女性は多いのではないでしょうか。
何が言いたいかというと、【友人がみんな結婚するなどして疎遠になっても、新しい友人と、もしくは自分一人で将来の孤独と戦っていく覚悟】を決めるか、【将来の孤独と戦う可能性を低減するために、他人と人生を共有するリスクを取る覚悟】を決めるか、そのどちらかを【まだ結婚に漕ぎ着けられる可能性が残っている年齢のうちに決めなければならないのではないか】という不安があるんですよね。
おじいちゃん×おばあちゃんの初婚という可能性があるなら今焦って決めなくてもいい覚悟なんですけど、そういう話って全く無いか、あったとしても芸能人でもない限り話題に上がらないので、どのくらいあるのか分からない。
「若い頃、結婚を目指して努力していれば、こんなに孤独を感じなかったんじゃないか」と後悔したくない。
せめて、「若い頃にある程度色々試したけど縁がなかったんだから仕方ないよね」と諦められるくらいには、努力しておきたいなって思うんですよ。
耐えられない孤独の中にいるかもしれない未来の自分に、後悔までさせたくない。
正直マッチングアプリも街コンも、結婚とか恋愛とか二の次で、「若い頃にある程度色々試した」という言い訳を作るためだったと言っても、過言ではないな、と思います。
まだ答えは出ていないのですが、ひょんなことから結婚相談所の初回面談を予約しました。
予約に踏み切ったのは、ここに書いているようなことを話して「あなたには、結婚は必要不可欠なものじゃないですよ」とか、そういうことを言ってもらえるのなら、もう結婚や恋愛の機会を見つけに行くのをスッパリ辞められるんじゃないか、と思ってのことでした。
でももしかしたら、その面談の後も、このままもう少し悩み続けるかもしれないですね。
ひとり遊びは楽しいし得意なので、いくらでも飽きずにいられるけれど、例えば定年退職後のような、誰の役にも立たない自分を、前向きに受け入れて生きていく自信が無いから。
ちゃんとした漫画の楽しみ方を学ぶ機会が人生になかったんだろうな。
50円で買える駄菓子を世界一美味い食べ物と信じる子供を見るのは微笑ましいが、いい大人がそう言っていたら憐れみしかない。
ちゃんとしたレストランの料理を「なんか味がやかましいっすねー。つーか自分ちょっとでも酸っぱいものって駄目なんすよねー。あっでも梅ジャムとスッパイマンは食えますわ。あれはマジ美味いんでー食ったことない人が可愛そうっつーかー」と抜かすような舌バカなのだ。
親はどういう育て方をしたんだろう。
幼少期に絵本の一つも読んでやれば、年令とともに勝手に本やアニメに触れるうちにそれなりの感受性が身についていくだろうに。
思うに、小学校に入るまでは文字というものがない世界で生きてきて、それ故に幼少期にしか形成できない必須の回路が脳から抜け落ちているのだ。
吉本のような薄っぺらい笑いしか分からず、バラエティ番組のようなダラダラした愛想笑いの連続しか娯楽として認識できないんだろう。
悲しい生き物たち。
スパファミという作品が彼らの口にあうのならそれは良いことだ。
感受性に乏しいものどもよ飢えて死ね、ではあまりに世界は冷たいではないか。
昔、チキンナゲット以外は食べても吐いてしまうアメリカの少女の話を聞いたことがある。
それでいいではないか。
ブラック企業に5年くらい勤めていたんだけど、その際に精神を病んでしまった。
心療内科なんて行きたくなかったけど、周りから進められて行くとパキシルとワイパックスを処方してもらったことは今でも鮮明に覚えている。
薬を飲むと少し楽にったと感じたし、眠れなかった症状も改善して、薬ってすごいという気持ちに浸った。
それからは、精神を安定的に保つために心療内科に通院を続けた。まだこの頃は良かった。
次第に薬が効かなくなり、それを担当医に伝えるとSSRIを処方された。最初はよく効いていたような気がする。
そして薬自体に興味を持ち始めて、向精神薬をひたすら調べに調べた。一方で薬が効かなくなってきた錯覚を覚え始めて、調べた向精神薬を担当医に試してみたいと伝え、
処方してもらうといったことをしていった。これを繰り返していった。
ある時期から眠れなくなる日々が続いてきた。今思うともうこの時点で薬物依存症になっていたんじゃないかと思う。
担当医に眠れなくなったと伝えると、薬の量を減らしましょうと言われ私はショックを受けた。もっと試したい薬があるのに…と思った。今思うと自分自身で自分がヤバいなと思う。
そこから私はほしい薬が処方されるまでドクターショッピングをしていった。いろんな薬を試しては効かないと感じて、薬をとっかえひっかえしていった。次第に薬の強さも
強いものになっていき、最終的にはワイパックス1mgを最大処方量、サイレース最大処方量、ハルシオン最大処方量となっていった。睡眠薬を飲むと気持ちよく寝ることができたし、
担当医からアルコールとは厳禁とは言われていたがアルコールと一緒に薬飲んで、たまに記憶を飛ばしていたりしていた。
それでも効いているはずなのに効かないという不安に駆られた。いろんな薬を試したのに自分に合う薬がない。当時はそんな悩みを持っていた。
薬の処方量や異なる病院間での診察回数はだいぶ多くなり、月の出費も病院代、調剤費とかさんでいった。
ここまで合う薬がないならもう生きるの辛いし死ぬかと考え始め、医師をとっかえひっかえして、貯めてきた薬を全てアルコールと一緒に飲んだ。いわゆるオーバードーズ。もちろん失敗したけど。
話を聞くと丸5日は眠っていたらしい。目が覚めたら大病院のICUにいた。数日の入院なのに請求額が10万を超えて目玉が飛び出た。
事の顛末を担当医に伝えると憤慨された。薬の処方は1ヶ月単位だったものが1週間ごとしかできない、ということになった。今思うと薬を貯めさせないためなんだろうけど、当時はなんて意地悪をする担当医なんだと怒りがこみ上げてきた。もはや普通の人間の思考回路ではないと今振り返るとそう思う。
担当医に会いたくないという気持ちからまたドクターショッピングを初めて、こういうの処方されていたから処方してくれ、といって貰いに行くようになった。
とはいえ、憤慨されたショックから病院に行くのも面倒くさくなり、そもそも通院自体を辞めたところ、薬もスッパリ辞められた。
薬をやめた結果、辛かった症状、身体が謎に重たく感じたり、眠れなかった症状、全てが改善した。普通に寝られるし仕事もできる。
今はもう薬を飲みたいとは思わない。薬にお金を払うくらいだったら、少し豪華なランチを食べたほうが断然有意義だと感じるから。
子供の頃から何ひとつ秀でたところがなく、自分に自信が持てなかった。容姿は平凡で、人前で話すのも苦手だし、勉強が得意なわけでもなくて、もちろん芸術的な才能もなかった。だから、将来の夢を聞かれると困った。何もできる気がしなかった。ぼんやりと浮かんでいたのはお母さんだ。自分自身の母親のように、おやつを手作りするお母さん。そういう大人になれたらいいなとなんとなく思っていた。
地元の中学から普通科の高校に進み、普通に普通の大学に入った。普通に就職して、得た職は普通の事務。電話応対、伝票管理、簡単な書類作成が主な仕事で、昇給もないが残業もない。ちなみに制服はあった。そこで3年務めた後、同期の営業マンと結婚した。妊娠を機に退職し、以降は専業主婦をしている。
30歳を過ぎ、独身を謳歌していた友人たちの結婚・妊娠ラッシュが来た。大企業勤務や公務員はまず出産退職なんて考えたこともないみたいで、産休育休後の復帰が前提。資格持ちの子はスッパリ辞めたが、次の職場は見つかるだろう。子供を産んでも正社員の座から降りない、降りないことを許されたママたち。小さな会社で激務をこなしていた子だけが唯一退職したものの、ベンチャー企業でフル在宅での仕事が決まったのだと言う。無能なママには決してないルート。今もっとも求められる『有能なママ』枠だ。
子供といるのは幸せだ。でも、旦那は決して高収入ではない。材料にこだわった無添加おやつをつくっている場合じゃなかった。教育や習い事の費用を考えると、お金はあるにこしたことはない。私は今後、パートという形でしか家計に貢献できないだろう。正社員の道はほぼ閉ざされている。
有能なママが活躍の手を差し伸べられるのは正しいと思う。だけど、【女性活躍】と声高に叫ぶ社会に手を差し伸べられたと思ったら「あ〜……あなたは活躍厳しいっすねwww大丈夫です、近所のスーパーでレジでも打ったら?」と言われてるような気分になる。その隣で有能なママには、「出産前までは編集者!?営業!?エンジニア!?デザイナー!?はい、みなさーん!このように子持ちの女性もバリバリ働けるんです!!」ってスポットライトばーんってやってるから、影から見てると虚しくなるよ。まあでもわかる。自分が経営者なら無能な子持ちは絶対雇わない。でも有能なママなら雇いたい。無能のフルタイムよりよっぽどいい。柔軟な姿勢もアピールできるしね。
あとやっぱり、仕事のできるママたちは賢い。ネットの情報を取捨選択できる。でも無能なママはまともな職につけないからリテラシーの高い人間関係をつくれない。だから、一度間違ってトンデモ科学とかに興味を持つと、正してもらえずに突き進むことになってしまう。そしてまた、バカにされる。バカにされるから意地になり、そうなるとさらにバカにされる。一時期義理の姉に自然派育児を進められ、ハマるところだった。
今の日本は(別に日本しか知らないんだけど)で正社員を降りて休む(育児、介護、病気、その他)ができるのは、有能な人たちだけだと思う。無能な人に残されたのは、我慢して休まず働き続ける道だけだったと、最近になって実感した。無能が貧乏になるのは自己責任なんだろうけど、なんだかとても、今はしんどい。
「〇〇さんは良い人だけど、付き合うとかは考えられない」
めっちゃ言われる。あと既婚者からやたら褒められる。うーん、社交辞令ありがとう。つらい。
私は私の凄いところめっちゃいっぱい知ってて、駄目な所もいっぱい知ってる。仕事できるし、上司同期後輩からの信頼もあって、年収も悪くない。料理めっちゃ得意で栄養計算もできて、毎日弁当作って仕事行ってる。家計もちゃんとつけて、貯金もできてる。ジムでのトレーニングも4年続いてる。学歴も上位1%に入ってるが、さすがに30近くなって学歴自慢はアカンよなって思うくらいの理性はある。駄目な所は、顔がザキヤマかフジモンか十影か崇勲くらいデカいところと、脚が奇形レベルで短いこと、一人で出来る趣味以外持ってないこと。
私も「『オス』としての魅力がない問題」に悩まされてたけど、すっごい簡単な解決法があった。恋愛事からスッパリ手を切れ。
一言で言えば、私は有能なのよ。それもかなりの。勉強できたし研究もできたし仕事もできてる。一人暮らしでしっかり家事やって、ジムでトレーニングしたり増田でわーわー言うくらいの時間もある。ほとんどのことを普通以上のレベルでやれる、有能じゃなきゃなんなんだろう。それでも「『オス』としての魅力がない問題」にめちゃくちゃ悩んだ時期があって、そのとき「私はこんなに有能なのになんで恋愛だけはこんなにうまく行かないのか」を本気で考えた。
私が恋愛以外で出来ないことってなんだろう、って考えても、サッカーがめちゃくちゃ苦手でホントにやりたくないくらい。そうだよ向いてないならやらなきゃええやん。ってんで、シンプルに恋愛事に向いてねえってことに気づくのに26年かかった。私レベルの有能が26年かけて出した答えが間違ってるはずがないから、安心して恋愛事からスッパリ手を切れ。
恋愛事から手を切るとマジで人生が好転した。ずっと「何でも出来るのに女にはモテない」で悶々としてたのが、「何でも出来る」に様変わり。タバコなんて絶対吸わん、余計モテなくなる、とか思ってたけど、葉巻とパイプっていう新しい趣味ができたし、ファッションもどうにか短足を隠せる、顔デカを隠せるちょっとでも良いものを、っていうのが無くなってユニクロでスッキリシンプルな誰が見ても「普通、短足顔デカだけど」っていうカッコになった。空いた時間で趣味と仕事のスキルつけたりもして、良いことしかなかった。やっぱ恋愛は向いてなかった。安心して恋愛事からスッパリ手を切れ。手を切っても駄目だったらまた戻ればいいから。
https://anond.hatelabo.jp/20200605021641
わたしはこの記事の一行目に挙げられている作品のひとつ、アプリゲーム「ダンキラ!!!-Boys,be DANCING!-」のプレイヤーをしている。タイムリーな記事だと感じたので、ダンキラサ終が決定して自分が経験したことを記録として残しておく。
ダンキラはいま現在サービス終了へのロードマップの真っただ中にある。オフライン版が実装予定なので、比較的円満な部類に入るのだろうが、「ならよかった」とは簡単には思えないのが本音だ。後述するが、新規ガチャは実装されるものの、なぜか有償ダイヤ(ガチャをするときに使用するアイテム)は購入窓口は閉まっている、という奇妙な状況も未だ続いている。結局のところ、プレイヤーが納得するしないに関わらず終わるときは終わる。なんとなく事情は透けて見えるものの、はっきりとしたことはきっと永遠にわからない。親とアプリゲーは生きているうちに大事にするに限る。という言葉に尽きるのだろうけれど。
2019年5月21日にKONAMIよりリリースされた3Dモデルリズムゲームで、いわゆるデレステみたいな感じ。キャラクターがダンスバトルをする中高生で、楽曲がヒップホップやバレエ、ジャズやインド歌謡曲など多岐にわたる点が特色だ。白泉社とコラボしており、泉ジュン子らベテラン作家による短期集中コミカライズが行なわれた(単行本全3巻発売中)。現在は月刊LaLaにて番外編を連載中、だった。
5月20日18時、定例メンテナンス明けのアナウンスにおいて、ダンキラはサービス終了が告知された。8月5日をもってオフライン版へと移行するとのことだった。
売上的にも遅かれ早かれ……という印象だったが、いくつか違和感が残る告知だった。それは以下のような点である。
② 課金……有償ダイヤの即日販売終了、にも関わらずガチャは続行
③ コンテンツ……新規楽曲、新規ガチャ、新規ウェアの予定が八月まで緻密に組まれている
④ そのほか……アニバーサリー関連グッズのアニメイト特設予約販売が何の気もなしに始まる、LaLa連載版番外編が6月号時点での次号予告では続きそうだった(が内容を急きょ変更し7月号で打ち切り)
何はさておき、課金窓口を閉めるのはおかしい。サ終するならするで、八月までパァーーーッとプレイヤーにガチャを回させて儲ければいいのに(そしてプレイヤーもそれを望んでいる)それをしないのだ。にもかかわらず新規コンテンツの追加は八月までこれまで通り行うのだという。お陰でプレイヤー一同はみみっちい無課金プレイを強いられている。一周年を祝うおめでたいアニバーサリーガチャなのに、ある重課金者は泣く泣くミッション石をかき集め、ある廃課金者はカドスト見たさに副垢でリセマラを繰り返す。なんなんだ?これは。
というか、コンテンツ、まだまだいっぱいあるじゃんと思う。ウェアの3Dモデルはもう作ってるんだろうし、キラートリック(必殺技モーション)も結構作ってあるっぽいし、10~12章のフルボイス本編もおそらく収録済。向こう一年のキャラクターのバースデーボイスもたぶん収録済で、でもそれをなぜかゲーム内で売るんじゃなくてツイッターで動画公開するんだなあ、これが。その辺のコンテンツを全部売りつくして、半年くらい地味~に復刻イベントでジワ稼ぎして、それからサ終でいいじゃない。なんでそんなに急に死ぬのか。
印象としては、「サ終自体はいずれするつもりではあったが、なんらかの外部的要因でその時期を早めざるを得なかった」「なんらかの事情で課金窓口継続が困難になった」といったところか。ダンキラの母体はKONAMIであり、KONAMIと言えば今回の新型コロナウイルスによってコナミスポーツジムが大打撃を受けている。そのしわ寄せがゲーム部門にもやってきたのではないかとなんとなく推測する。全ては推測だ。そして真実は永遠に明らかになることはない。ただこれだけは確かだ。ダンキラの世界は今閉じようとしてる。
オフライン版で個人的に悲しいのは、コンテンツの新規追加が見込めないことだけではない。
たとえば、ログインボイスがないこと。当番(艦これで言う遠征みたいな、放置クエスト)もないこと。オフライン版は時が止まっており、そこには時間は流れない。
たとえば、課金ができないこと。現実でいくら稼いでも、それが推しの新しい声や顔や衣装に生まれ変わることは決してない。
現実の世界で嫌なことがあっても、ダンキラにログインすればそれを忘れられた。ダンキラのホーム画面を開けばキャラクターが話しかけてくれた。ほとんど毎日顔を見て声を聴いて、推しというか家族に近いものだったような気さえする。オフライン版であろうとオンライン版であろうとそれが画面の向こうの存在であることに変わりはない、けれど、コンテンツが終了してしまえば、きっといずれ、わたしは彼らに魂を感じられなくなるだろう。
あーあ、と思う。バレンタインランキングイベントに推しの生誕ガチャ。楽しかったなあ。合わせてそれなりの額を課金したけど、こんなことならもっとじゃぶじゃぶ課金すればよかった。恒常☆5はいま3凸で、4凸にならないとカドストの後編が読めない。ずっと課金し続けていればいつか読めると思っていたけれど、こんなことならもっとじゃぶじゃぶ課金すればよかった(二度目)。いまやっているイベント、スコアアタックのランキングなんだけど、現在の課金の封鎖された状態で過去の課金額を競う悲しいイベントと化している。ガチャなんて所詮ギャンブルだけど、課金要素有キャラクターゲームにおける課金とは現実の通貨によってキャラクターの世界に介入することであり、少なくともそれは、わたしにとっては愛に近いなにかだった。でもそれができないんだっていうね。
ホーム画面を開くたびに余命数か月の家族に面会している気分になってしまって(自分にとっては紛れもない事実だ)、最近は会うのもつらい。そんな自分を薄情に感じる。
こんなにハマるつもりなんてなかったし、ダンキラ以外にも面白いゲームなんて山ほどある。ブルゾンちえみじゃないけれど男は三十五億いるしスッパリ辞めりゃいいのだ。でもわたしと推しのおもしろユカイな華の紅鶴学園生活は、この世でただひとつわたしのiPadの中にしかないんだよなあ……