はてなキーワード: スタンスとは
「ただ思ったことを書いただけ」「脈絡もなく思ったことを書きたいこともある」で、なんなの?
それって、それを見た人が「雑な反論だと思ってそういう指摘を書く」ってことも許容される思考だよね
でも君は明らかにそういう指摘をしてくれるなってスタンスだよね
おかしいと思わないの?
トレパクをトレンド入りさせた伝説のパクラー、りせさんに優しい言葉をかけこれ以上叩くな!みたいに言っていたアカウントのいくつかを見ている
そのうちの一つが相当やばい
ノマカプ厨なんだけど、そいつが推してる男の親友キャラdisが激しい
どうやらそこのBL カプが人気で嫉妬込みでずっと悪口言ってるみたいなんだけど特定個人への粘着までやらかしてる上「粘着されるようなことするやつが悪い」とかまで言っててやばい
公式凸にも熱心で公式が提示してる以上にいちゃつかせろ!ってやってて草も生えない
率直にいって気持ち悪い
原則として動物は利己的で、人間は動物で、だから人間も利己的な存在だ。
人間は利己的な存在である、この前提で制度は設計されるのが理想だと考える。
利己的な動物である人間に対して、ルールを守らせるには、守った方が得をする設計を用意することだ。
欲望をコントロールしようと思うなら、動物を鞭で打つのではなくて仕組みの方を見直さないとならない。
正直結構ムカついてまして、ここから垂れ流す駄文には言葉が乱れてる部分もあろうかと思いますんで、以上のことに少しでも思いを馳せていただけましたらば、ここで読むのを辞めていただいても結構です。
※
現像すると、10年以上前も、私がまだ高校生だった頃、友達とキャンプした時の写真だった。
思いがけず掘り起こされた若かりし自分たちの写真から、仲間内では大層盛り上がり、思い出話に花が咲いた。
そのうちの一つは、道中での出来事だ。
キャンプの最寄り駅は、今現存してたら秘境スポットとして話題になりそうなほどにオンボロの無人駅だった。
今みたいな簡易改札機もなく、木造りの台が設置されているだけ。そこにめいめいが、切符や、差額がある場合は不足分を置いていくというシステムだ。
細部は覚えてないけど、とりあえず適当に切符を買って、着いた先で精算するつもりだったんだと思う。
地元から目的地まで、乗り越し精算で2000円ほどの差額だろう。今なら乗り換え案内アプリで瞬時に計算できるけどそんな時代でもなく、駅員もいない。たしか両替機も置かれてなかった。
最初からそんなつもりだったわけじゃない。誰も目的地が無人駅だなんて知らなかった。でも、ほとんどタダ同然で遠くまで来れちゃった。ラッキー。
ということで、私たちは無賃で駅を降りた。ただ一人、律儀にお金を置いていった人間がいる。そいつは、今では警察官として働いている。
曲がったことが本当に嫌いで、空気を読まずに正しい行いができるそいつ以上に、警察になるのに相応しい人物を私は知らないし、仲間や知り合いで、警察になったのは後にも先にもそいつだけだ。
逆を言えば、警察になるくらい正義感の強い人物でもない限り、分別のつかないガキが自ら進んで真っ当な行いをするなんてのは珍しい。
私たちは、とりたてて優等生でもなければ、かといって犯罪上等!喧嘩上等!卍!みたいなヤンキーというわけでもなかった。
日本の高校生としての分布図で言えば、年相応に頭が悪く分別がつかないという点も含めて、ごくごく平均的なクソガキだったに過ぎない。
自分の行いを正当化する気は一切ない。遠方まで運んでもらった見返りとして払われるべき対価を払わない。クソだなと思う。今なら私も、絶対に支払う。
けど、一方でこうも思う。果たして、誰にも咎められずに自分が得する機会が舞い込んできた時、わざわざ身銭を切れる人間はどれだけいるだろう、と。
誰しも自分が一番大事で、余裕があれば善行もするけど、自分の目先の欲望よりも他人を思い遣るのは難しい。
私は、漫画の海賊版サイトが流行した時にも同じことを主張した。何かを抑止しようとする時、利用者側に良識ある行動を呼びかけたところで効力がない、と。
本気で人の行動を抑制するには、良識に頼むのではなく仕組みで解決するしかない。
感染対策意識がザルで、開催地だった愛知県知事や常滑市長、および国民の皆様を激怒させた「NAMIMONOGATARI」がいまだに話題ですね。
大変申し訳ありませんでした。本当なら私も参加してました。
たまたまその時の私には“良識”が働いて参加を見送っただけで、出演していたラッパーのほとんどを好きなので、気分次第では実際に参加してたでしょう。ですので、重ねてお詫びいたします。
続きを話す前に、私が“良識ある大人”に成長したことをアピールするため、「あいち医療応援基金」に、ささやかではありますが反省の意を込めてチケ代に相当する額を募金したことをあらかじめここにご報告しておきます。
以下からふるさと納税の返礼品を希望しない形で募金し、額と支払い情報を確定させると、使い道を指定する画面が出てきます。ご興味のある方は是非。
そしてこの基金の存在を知るきっかけをくれた、Awich、CIMBA、CREAMに感謝👍
https://www.satofull.jp/static/oenkifu/corona_virus_pref-aichi.php
さて、「NAMIMONOGATARI」ね。書きづらいからもう波物語でいいよね。西尾維新の作品みたいに見えちゃうけどね。これこそ風評被害だね。
このご時世に、イベントに参加して、お酒を飲んで、大騒ぎして。全くケシカランですよね。
再三の呼びかけを無視して開催を強行。現場をコントロールできず、判明しているだけで数十人に上るクラスターを出してしまったのは波物語主催者の責任でしょう。
聞きましたか? 蓋を開けてみれば、当日の参加者は緊急事態宣言下の人数制限5,000人を大きく上回って8,000人ですってよ。あり得ないっすねー。
何より、行政に補助金を申請してたのにガイドラインを守ってなかったのがヤバすぎ。
ガイドラインを守る見返りに補助金がもらえるわけで、それは取引として成り立ってない不正行為でしょ。まるで高校生の私みたいですね(笑)。
その愚行は、慎重に開催してる他のイベント事業者の足を引っ張ることになるでしょう。大きな禍根を残したと言えます。
そして、ノーマスクで浮かれて、ゴミの始末もしない参加者。ヒートアップして観客を煽ってシンガロングさせる演者。
杜撰な体制の責を負うべきは主催だけど、それぞれも、心当たりがあれば自分の行いを省みる必要があるのではないでしょうか(ルールを守った参加者、ルールを守るよう呼びかけた演者もいます)。
ただ、それは各々がやればいいし、波物語単体が問題だったわけなのであとはもう発生したクラスターの対応などを粛々とするしかない。
しかし、波物語は今もなお、なぜか“日本のヒップホップを代表”して延々と叩かれてる。
いわく、ヒップホップフェスだから。いわく、ヒップホップファンは民度が低いから云々。
この件については、とにかく主語がデカい。みんな、普段はこういうレッテル貼りは良くないと呼びかけるくせに、なんでヒップホップだけはこんなに雑に叩いて良いと思ってんだ?
これについては、擁護派のせいもある。「これがヒップホップだ」みたいな頭の悪い反論がむしろきみたちが守りたいお仲間を後ろから刺してるのに気付いてねーのかYO。後ろ見とけ後ろ。
それでさ、みんな、どういう理屈で、他人に我慢を呼びかけてんの?
医療が崩壊してる。それはそうだ。未曾有のパンデミックに対応できるように設計されてないし、日本の医療にかける予算は世界的にも決して少ないわけではないけど、それでもこの異常事態に耐えられるだけの人出も病床数もなかった。
新たに深刻な感染症が生まれた以上、そのしわ寄せはいろんな形で発生する。それはとても悲しく不幸なことだと私は心から思うけど、これからも人は死に続ける。それは私かもしれないし私の大切な人かもしれない。けどもうそん時はそん時、天命と諦めてコロナと付き合うしかない。
定期的に交通事故で人は死ぬけど、誰も「車に乗るのをやめよう」とはならない。多くは良識的な振る舞いを守ってるけど、交通違反をする人間が定期的に現れるから、人類から車社会をぶっ潰そう、とはならない。それを望ましくないと思う人間が、黙って車に乗らないだけだ。
車は生きるために必要不可欠だから?じゃあ、イベントがその人にとって必要不可欠じゃないって誰が言える?何が不要不急か、他人のてめえが決めんなよ。
ワクチン派は、ワクチンを打たない人間を自分本位で身勝手な人間だと蔑む。
反ワクチン派は、陰謀論と結託してワクチン接種しないように呼びかける。陰謀論者は頭おかしいと思うけど、他人の行動を縛ろうとする点ではどっちも変わらなくないか?
法律の問題で、日本では欧米のようなロックダウンはできないと。だから、政府は国民に“お願い”をする。
この2年で、何度「正念場」という言葉を聞いてきたか。何度「国民の皆様へのお願い」を耳にしてきたか。
しかし、政治家は会合も会食も辞められない。政府の広報である報道機関、新聞社もテレビ局も、全国津々浦々を飛び回り、取材に出向き、毎日集まり続ける。
リモートワークができない職種もあるが、IT企業でさえも当たり前のように出勤させ続けてるところがある。理由は簡単で、その方が会社の利益になると考えてるからだ。
守っても“利益”がなければ、お願いは守られない。飯を食っていくために、リスクと天秤にかけて仕事をする。みんな一緒だね。
我慢するメリットを提供できない以上、要請を無視して営業を続ける飲食店もある。開催を強行するイベントもある。それで飯を食ってるから。
波物語は補助金を申請してたけど、補助金なんて要らないから開催するよ、というスタンスのイベントはこれまでもあったしこれからもあるだろう。これはどの業界でも起こってることだ。我慢するよりしない方が利益になるなら、そっちに傾くのは容易に想定できることだった。
五輪はやる。無観客とは言え、世界205カ国から選手だけで1万人以上が参加し、関係者は海外から数万人が来日した(https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58133532)。
五輪を開催した7月の訪日外国人数は51,100人。五輪開催前の6月の訪日外国人数9,300人から、6倍に膨れ上がった(https://www.jnto.go.jp/jpn/news/press_releases/210818_monthly.pdf)。
緊急事態宣言下、無観客開催なのに五輪閉会式に集まったのは9,350人(https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000224902.html)。あれ? 波物語よりも多くね?
政府および委員会いわく「安心・安全な開催ができた」五輪だけど、みんなオリパラ関連の陽性者の数、知ってる? 最新の発表、878人だよ(https://mainichi.jp/articles/20210909/ddm/035/040/036000c)。でも「五輪はコロナを抑え込んで成功した」ってさ。
そしたらさ、あんたらはどのツラ下げて波物語を糾弾すんのよ。大村知事、あんたは立派だけど、五輪開催については反対してなかったくね?
パラ観戦にも、結局多くのガキが駆り出された。にも関わらず、遠足も運動会も修学旅行も禁止って。わけがわからないYO。
人は原則、損得勘定で動く。そこから外れる領域は、社会からの要請にどれだけ自分を擦り合わせられるかっていう善意や良識の話だ。
人によってこの良識の振れ幅がデカすぎるもんだから、いろんなところで分断が起きる。
国家がビジョンを示せず、政治家が範を垂れない。制度の見直しは経済崩壊のスピードに追いつかない。こんな国にしてしまったのは、私たちの選択の積み重ねでもあるのだけど、国民への“お願い”は、誰もが望んでなかった監視社会をついに令和のこの時代に爆誕させてしまった。
みんなそれでもお願いを受け取って、自分のできる範囲で、自分なりに我慢をしてる。
ジジイはジジイなりに、ババアはババアなりに、ガキはガキなりに、ラッパーはラッパーなりに、政治家は政治家なりに、みんな我慢してるんだろ。人によって我慢の閾値が違いすぎるってだけの話で。
いつまでヒップホップがどうとか言ってんだ。
波物語のあの場では、演者も観客も、あの振る舞いが精一杯の我慢だったんだろ。
だから、あの場所をつくり出した主催者が悪いし、ルール度外視で支援金を掠めとろうとしたツケは払わないといけない。
そんで、繰り返しになるけど、そもそもそんなザルな申請を通した制度の方を批判するべきだ。どう考えても、強行できるようになってるシステムに問題があるだろ。
みんながこぞって口にする「自分は我慢してるのになんで?」っていう発想がそもそもおかしくて、我慢の対価を用意できない制度の方に問題がある。
特別措置法なんてものをこしらえても、罰金科されてでも要請を突っぱねた方が得するならそりゃもう制度として破綻してる。それは制度の脆弱性であって、その脆弱性に目を瞑って人の善意に頼むのは無茶だ。
善意や良識がこれほど強く求められる空気が蔓延した時代を、私は知らない。
何度でも繰り返すぞ。人間の行動を善意(や理性や良識)で制限することはできない。それを守ることで得をする、というインセンティブでしか欲望は制御できない。
良識ある人間が馬鹿を見る状況を是正したいと本気で思うなら、(真面目な人間から見れば)良識のない人間に矛先を向けるのではなく、煮え切らない対策と方針で国民同士を監視・牽制させる状況にさせてる制度を批判するべきだ。
こんなことまじで言いたかないんだけど、この2年、政府や自治体は、何をしてくれた? 提供されたのは、ごく限定的な補償と、わずかばかりの給付金とみすぼらしいマスク。それと引き換えに政府から“お願い”されてるのは、自分たちの生活すべてを犠牲にすることだ。
人と会うのを控えてほしい、外食を控えてほしい、旅行を控えてほしい、対面授業を控えてほしい、修学旅行を控えてほしい、映画鑑賞を控えてほしい、ライブを控えてほしい云々。
それももう当たり前ながらとっくに我慢の限界だ。このままじゃ死ぬってなったら好き勝手にやるしかない。
食えなきゃ死ぬんだが? 品行方正な店や会社は今もガンガン潰れてるんだが?
自分と同じように苦しんでる人間に石投げて、足引っ張りあって何のつもりなん?
他人様に迷惑かけるくらいなら指くわえて死んどけなんてさ、俺も俺のことが一番大切だから、とてもじゃないけど口が裂けても言えねーわ。あんたら悪魔かよ。
いがみ合ってる国民ほど、国家にとって管理が用意な大衆もいないですね。このままじゃまじでディストピア一直線だぞ。
奴隷は自分の鎖の大きさを自慢するっての、ありゃガチだったんすね。
いや、奴隷たちのチキンレースって言った方がいいか。主催は自分たち自身でもある。
世間が言うように、ラッパーはもしかしたら、コロナへの警戒心が薄い(ように見える)人が多いのかもしれない。
ふと、ラブライブの話題を見かけたのでオタク的お気持ち表明的な何かを書いてみたいと思った。
私はサンシャインをきっかけに1度ラブライブを引退し、そしてなんだかんだでまたラブライブに戻ってきた。今ではμ'sやAqoursのみならず、虹ヶ咲や今やってるスーパースターも楽しんでいる。
紆余曲折あったが昔好きだったものをもう一度好きになれることは素敵だと感じたといった話だ。そして、それは1度は嫌いさえしたサンシャインのおかげなところが多いと思った。
ちょっとした昔話になる。
私は10年以上オタクみたいなことをやっていて、当然ラブライブ(μ's)の全盛期頃はラブライブが好きだった。ラブライバーの悪行(これすら懐かしい)みたいなものを見てドン引いたりもしつつ、緩くラブライバーめいた立ち位置にいたと思う。
そんな中、ラブライブ サンシャインが始まった。μ'sが好きだった以上、新しく始まるグループにそれほど興味はなく、アニメ1期は見たがそれを最後にラブライブ自体から離れてしまった。
私はμ's原理主義でもなんでもなかったが、当時の感覚ではラブライブとはイコールμ'sであって、ラブライブというシリーズという認識もなかった。
そのため単に好きだったものが終わって、別の作品が始まったという感じでラブライバーを次第に辞めていった。(実際サンシャインのなかなかアレな最終話のせいではあると思うが)
その後は、オタク自体を辞めるわけでもなく、アイマスの方に移っていった。しばらくはサンシャインに対してはずっと否定的で、わざわざネットに書き込んでdisることはなかったが、良い印象はなかった。
アイマスに乗り換えて、むしろ声優をより意識してコンテンツに触れることになった(ラブライバーをしていた当時は、声優自体よりμ'sというグループとして見ていたところが大きかった)
そんなこんなでアイマス由来の声優オタクになった私は、声優オタク故に逆にAqoursのことを見知ることが増える。実際アニメきっかけに引退したとはいえ、Aqoursのアニメで聞いた曲は良かったし、声優オタクをしていればAqours声優を目にする機会も多かった。
アイマスに移って日が経つと、μ'sも完全な思い出になり、Aqoursに対して否定的になる理由も薄れて、その頃には嫌ってもいなかった。
それでも今更ラブライブに戻ることも、サンシャインに触れることも遅く感じて、否定はしないが今更関わらない、といったスタンスでいた。その頃にはサンシャインも映画公開前後で、今更追いかけるのもなぁという気持ちが強かった。今更という単語を使いすぎているが、本当に当時は「今更なぁ」という感情がほとんどだった。
そんな中、2020年にラブライブの3作目(外伝的な扱いなのでナンバリングに入れるのかわからない)の虹ヶ咲のアニメが始まった。アニメ化の発表時にキャラデザがいつもと違うというツイートが流れてきて、何となく見てみるかと思っていた。
これまでのラブライブとは違った感じで、また別の作品として楽しめた。
それと同時に虹ヶ咲は私がサンシャインの2期以降を見るきっかけにもなった。虹ヶ咲の盛り上がりで、ラブライブに対しての熱が数年越しに湧いてきた。実際、虹ヶ咲の放送クール中にサンシャインのアニメを全部見たし、μ'sのアニメも見返した。
虹ヶ咲をきっかけにラブライブに復帰したμ'sの頃のオタクが、周りにも数人いたりもした。ラブライブそのものへの自分と周囲の熱が高まっていって楽しかった。
そんなこんなで、サンシャインを見るきっかけを得たあとはまあかなり好きになった。
実際サンシャインに対する負の感情は、なんとなくの意識から来ていたので5年近い冷却期間を経た上で見れば、ラブライブらしい作品で好きになれるのは当然だった。(その上でもアニメはなかなかアレだったが)
アニメとして点をつけるなら高得点にはならないが、それでも個人的に好きなアニメ、といった感じだろうか。今ではAqoursの曲もよく聞くし、機会があればライブにも行きたいと思う。
ここまで書いてみて、何が言いたかったかといえば、熱が冷めるがゆえに好きになれることもあるのだなと数年間をかけて感じた。それと同時に、当時割り切って見ていればもっと早く楽しめた可能性もあったので、オタクはこだわりを時には曲げることもいいかもしれない。
初代のファンが、2代目に否定的になって離れて、離れたが故に3代目以降をむしろフラットな視点で見ることができた。様々なコンテンツや界隈においても通じそうな概念である。
紆余曲折あって、本当に回り道をした上でハマった時から8年くらい経った今もラブライバーをしている(休止期間が長いが)
μ'sが一旦止まって、Aqoursで離れて、虹で帰ってくるという回り道があったために今ラブライブを楽しめていると思うと、本当に分からない。1度Aqoursを否定的に見たからこそ今好きになれている側面もあると思うと、結果的に良かったのかなとも感じた。
アイマスに切りかえてからはこれからアイマス以上にハマるコンテンツは無いと思った。そして今はむしろラブライブの方に偏重してしまっているきらいがある。
それもまた、どちらかに重心が移ったり、全く違うコンテンツに移ったり、あるいはオタク自体から離れたりとしつつ、どこかしらに行き着くのだろう。
結果良ければ〜ではないが、何となく落ち着くところに落ち着くものだなとここ数年間のオタク生活の中で感じた次第です。
とりあえず、一時期嫌っていたのが嘘のようにラブライブサンシャインが今は好きだ。キャラも曲もキャストもどれも素敵なコンテンツだと思う。
財務省北陸財務局からの講演依頼があり得ないくらい失礼だった件|沢渡あまね|note
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/amane_sawatari/n/n09315277b39e
面倒な諸手続きは百歩譲って仕方がないとしても、
なんで最初から複数拠点にオンライン配信する前提なのに、本人を来させるの?
はてブでは財務局側がめちゃくちゃ叩かれてるだろうなーと思って、はてブコメント見たら拍子抜け。
note記事著者擁護もいるがそれ以上に著者を批判する人がいて、総合的には財務局側擁護となっている。
おいおい、どうしちゃったの?
普段、安倍菅自民党をメタクソに批判しているはてなーが、法律的に完全に保護されている財務局側を擁護するなんて!
過去にはテレビ局の無礼なインタビュー申し込みや切り抜き放送にも憤ってたじゃないか!
なのに今回はどうしてこんなに矛先が鈍いの?
はてなーに嫌われるような要素がnote記事著者にあるのかと思って調べてみたけど、
過去に炎上もなさそうだし、政治的なスタンスやポリコレ的なスタンスが偏って敵を増やしているようでもなかった。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
高市氏“サナエノミクス”で立候補・・・総裁選動き加速(2021年9月8日)
https://www.youtube.com/watch?v=8uB3fzmS1YI
日本人として当然ではありません。憲法20条に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」とあります。
参拝する方が問題です。
中国・韓国はもちろん、ネトウヨが大好きな台湾、シンガポールやロシアからも過去に強い非難があり、
また、アメリカやEU、フランスからも「余計なことすんな」と批判がありました。
このようにたくさんの国々を巻き込んだ国際問題となり、他国からの日本への風当たりが強くなります。
靖国神社にはA級戦犯が祀られており、参拝は戦争責任がある者を肯定することと捉えられてもおかしくありません。
それを日本の内閣を代表する総理大臣が行うことは、宗教行事の範疇とは言えないと考えるのが普通でしょう。
また、過去に国際問題となっている事実からも、挙げられた行事と同等のものであると考えるのはおかしいでしょう。
あくまで総理大臣としての参拝ではないというスタンスを(参拝後ではありますが)取りました。
批判はあれど憲法20条によって保証されているため、一定の線引きをしたと言えます。
これを公人として正式に参拝すればどうなるか、ぜひ想像してもらいたいです。
ドイツと違って戦争の反省がないと国際社会から嘆かれることがあることも一緒に考えていただきたい。
未だに靖国参拝で騒いでるのが残念
私も非常に残念です。恐らく違う意味でしょうけど。
A級戦犯が祀られたのは1978年からであり、合祀されていることを理由に諸外国は遺憾を表明しているわけです。
戦没者と戦犯を区別して供養できる仕組みが必要であると強く思っています。
人間であり、政治家です。そして総理大臣になったら、参拝すると表明しているわけです。
事実上、日本国民を代表する(本来は内閣の代表)人間である以上は、
他国を意識した立ち回りをしなければ日本国民の利益になりません。
総理大臣を直接投票できない法制度である以上、こういった事には声を上げていきたいです。
靖国神社の参拝反対者って何なんだろうね?
少なくとも日本の将来を考えている人でしょう。
大日本帝国バンザイ!という思想や、中韓にマイナスイメージを持つのも勝手です。
ただ、今の日本の地位を貶め、ひいては今この国に住んでいるたくさんの人々に
不利益が生じる可能性が高い本問題に対してはしっかりとした認識を持ってほしい。
恐らく(ネトウヨによると反日メディアの朝日系列である)テレビ朝日アナウンサーが質問したことによるコメントですね。
参拝して悪い理由の例を挙げると、他国の国民感情を害するからです。
例えば、日本が進めているインバウンド政策はどうなるでしょうか?
2019年の訪日外国人のほとんどは中国・韓国・台湾で、東アジアからが70%以上を占めます。
軍や国の暴走、つまりは戦犯により多くの方が望まずして戦地に赴きました。
これらを同列に扱うからよくないんじゃないですかね。
「台湾サイドに立つ」という言葉の意味が判り兼ねているみたいだけど、それは簡単に言えば、米国と台湾の軍事同盟に日本も積極的に関わっていくということだよ。
その姿勢やスタンス自体が憲法違反だと言うなら、これ以上の議論は無駄だね。
米台の集団安全保障に、日本が自分から頭を突っ込んで行くこと。
これによって日本は米国から「より信用出来る同盟国だ」という信任を得ることが出来る。
あさましい属国根性だ、と批判されるかもしれないけど、日本周辺の軍事情勢やバランスを考えてみると、今の日本にはこれしか選択肢が無い。
そもそも佐世保や横須賀に核ミサイルを配備した米軍艦隊基地がある時点で、既に日本は米国と台湾の集団安全保障に痛いほど関わっているんだけどね。
米国と台湾の集団安全保障に自ら首を突っ込むか、台湾有事が起こっても何もせずに眺めてみるか。どちらが日本の国益になるかと言えば、前者だと思う。
22:41までの追記を受けて。
結局スタンスとしては「「台湾が中国から武力攻撃を受ける事態」が発生しても、日本にとっては存立危機事態には該当せず日本は防衛協力を行うべきではない」、という認識でいいのかこれ。
台湾有事に関する集団的自衛権については上記に肯定するか否定するかがすべてで、上記を肯定するなら解釈改憲か改憲を行って集団的自衛権を認めるべきだし、否定するなら集団的自衛権を認めるべきではない、となるんだけど。
集団的自衛権については「違憲だから認めるべきではない」としか言ってなくて、要否についてはどう考えているの?(これは今回の野党共通政策についても同様で、「違憲であっても必要」であれば「改憲して取り込む」になるはずなんだけど)
集団的自衛権や外交・防衛問題のことについて、立憲民主には答えてほしい問題がある。
それは立憲民主は自衛隊や憲法9条、日米安保についてどのようなスタンスなのかこちらは不安なんだよ。
現状維持だったら、はっきりと「現状維持です。自衛隊は合憲であり、日米安保条約も政権獲得後も堅持します」と言ってほしい。
なぜこのようなことを言いたいかというと、2009年9月に政権交代があった時を思い出してほしい。
鳩山首相は、はっきりとは言わなかったけど日米安保体制から東アジア共同体構想への移行について言及した前歴があるから。
当時の日本人もアメリカ人も、あのルーピーがバカなこと言ってるよwと相手にしなかったが、米中対立が激しくなっている今現在だと笑い話では済まなくなってきている。