はてなキーワード: アルバムとは
可愛い女の子が目的でゲームをプレイする1人のオタクの答えとしては「否」である。
が、プロデューサー(アイドルマスターを嗜む人の呼称)(言ってしまえば内輪ネタ)の答えとしては「悪になりかねない」である。
(この文章内では「容姿、ないしは言動が好み」の意図で「可愛い」という単語を使用している。これは決して女の子はフリフリ可愛いものを着なくては、といった女の子らしさの強要ではない。
また、「絵アド」も担当イラストレーター等は関係なく、いかに描きこまれてるかのクオリティーに関するものとする)
アイドルマスターシンデレラガールズ(以下デレマスと略)、そして派生アプリであるスターライトステージ(以下デレステと略)をご存知だろうか。
モバマスはその名の通りモバゲーで展開されており(運営より更新縮小が告知されているが、新カードやイベントの更新は続いている。ガチャに関してはデレステからのカードが流用されていることも少なくない)、そこから「音ゲー」として開拓されたアプリゲームである。
アイドル総勢190人の3Dモデルが用意され、楽曲に合わせて踊らせたり個人のカードを育ててアイドルの一面を知ることができる。
元の「アイドルマスター(以下アイマスと略)」シリーズが有名なのもあって、いわゆる美少女動物園コンテンツの中でもかなり大きい部類だといっていい。
キャラクターを売りにした基本無料アプリゲームの宿命、ガチャシステムも勿論搭載している。
250個の石で1回、2500個の石で10回連続で回せる。10回連続で回せばSRというレアリティのカードが1枚確定。
しかし有償で購入した石ならば60個で1回回せる。(1日1回限定ではあるが)
そういったゲームでは最上級のレアリティSSRがだいたい必須になり、インストールしたユーザーのだいたいがリセマラ(目当てのカードが序盤で出るまでインストール⇔アンインストールを繰り返すこと)をする。
一般的に想像される「キャラクターがたくさん出てくるゲームのガチャ」だろう。
皆が求めるSSRにも実は分類がある。
そのうちの片割れ、恒常SSRは「いつでも出てくる」SSRだ。追加から数日間だいたいピックアップされ、その期間が終わると確率は他のSSRと同じになる。
上記の恒常と異なるのが限定SSRだ。追加から数日間ピックアップされるのは一緒だが、その後はガチャから出なくなる。とはいっても、一定期間経てば期間限定ガチャが再度設置&ピックアップされることが多い。
限定SSRが追加されるガチャは定期的に開催され、その度に対象となったキャラクターを好きなユーザーは喜んだり爆死(ガチャ用の石を使い切っても目当てのカードを引けない現象。基準は人それぞれだが一般的に有償石を購入→購入分をすべて投入するも出ない状態をさす)して涙で枕を濡らしたりするのだ。
たかがカードに、とアプリゲームや課金行為に思う人もいるかもしれないが、デレステのSSRは特定のアイドルの3Dモデルに特別なドレスを着せられるようになるのだ。デレステの醍醐味といってもいい。可愛い子のカードに、その子だけの可愛い服を着せて踊らせる。可愛い子が好きなオタクとしては垂涎ものだ。
とあるタイミングでスターライトステージのガチャ回数に上限が設置されてからは決定的な爆死もかなり緩和された。
さて、本題。
2020年のブライダルテーマガチャで、とあるキャラクター3人の新たな限定SSRが追加された。
メンバーは黒埼ちとせ、川島瑞樹、イヴ・サンタクロースの3人である。
限定ガチャは話題性が強く(人は期間限定という単語に弱い)、イラストに気合が入っていることも多い。季節モノであれば花びらが舞ったり、海が抜けるような青空を反射している。1枚の絵として見たときに「特定のシーン(季節と場所が組み合わさって特別感を演出している)」であることを連想させるものがほとんどだ。
ブライダルテーマである。「俺の嫁(古い表現にはなるが)」という観点でアイドルを愛するユーザーも少なくはない。むしろアイドルの中でPラブ勢(ユーザーの分身である作中のプロデューサーに想いを馳せているアイドル達のこと。もちろんあくまでビジネスパートナーとしての関係を望むアイドルも多くいる)が今か今かとチャンスを狙っているといってもいい。
そんなユーザーにとってもアイドルにとっても関心が集まりやすいブライダル限定ガチャのラインナップが物議を醸した。
メンバーのうちの1人、黒埼ちとせの絵アド(同じレアリティ、性能である場合かなりの確率で絵が上手いほうが好まれる。これはデレステに限らない話)が異常に高いのだ。
よくあるアプリゲームらしくカードにはイラストが2種類用意されており、デレステでは強化前を「特訓前」・強化後を「特訓後」と呼ぶ。
現在音ゲープレイ時の編成表示は特訓状態に依存している為、結果的に特訓後のイラストを見ることの方が多くなる。尚、アルバム機能以外ではアプリ内ホーム画面に固定して表示することもできる。
イラストは大事だ。自分が元々好きな子なら大体可愛く見えるというのも勿論あるが、せっかく新しいカードが発表されるのであれば純粋に可愛く描いてほしい。その子だけの表情で、その子だけの特徴を活かした綺麗な1枚がほしい。
そう、絵アドは大事なのである。絵アドが高いに越したことはない。まず好きな子の綺麗な絵が見られることが嬉しいし、好きな子が周りから「可愛い!」と褒められたらそうでしょうそうでしょう、この子とっても可愛いんですよと誇らしい気分になる人も多いだろう。
では今回一部で話題に"なってしまった"黒埼ちとせの絵アドも同じように捉えていいのか。
問題になってくるのがまさかの「デレマスというコンテンツのスタンス」そのものなのだ。
現在190人のアイドルを擁するこのコンテンツの売りであり異常でもある(自分はそう思っている)のが「誰もがシンデレラになれる」というテーマである。
どんなジャンルでも大抵「最推し」という文化があるものだが、デレマスはそれを越えた「シンデレラ」にすることをユーザーに委ねている。
ステージもアイドルもこちらで準備できています。あとはあなたがどの子に声をかけるか。そういうストーリーがまずプレイヤーに課せられるのだ。顔はもちろん体型も趣味も違うアイドルのうち、誰をシンデレラにしたいのか。ガラスの靴を履かせて、舞踏会で周りの人が皆見惚れてしまうぐらい輝かせたいのは誰なのか。
プレイヤー(プロデューサー)はそのうちから1人(場合によってはそれ以上も)の手を取り、ともに歩みだす。
同時期に同じ目的で作られたイラストを複数を並べたときに1人だけ異様に絵アドが高いというのは、定食屋のメニューみたいに「おすすめ」とか「人気」とかを公式自らつけているようなものだ。結果、「誰もがシンデレラになれるんですよ」というコンテンツの売りが死ぬ。
勿論大人の事情もあるだろう。たまたま特定のアイドルをおすすめしてしまうことになる可能性だってある。偶然が重なった結果なら仕方ない?
仕方ないとユーザーが擁護してしまった瞬間、皮肉にも守りたかったはずのコンテンツの売りが死ぬのだ。お金が関わるから、今が時期だから、太客がいるから…そういった擁護は「誰もがシンデレラになれる」と売るコンテンツに対してのある種の冒涜とも言える。
「誰もがシンデレラになれる」を売りにしている以上、そもそもユーザーに「キャラクターAに与えられたチャンスが他のキャラクターより優れている」と気付かせて(言わせて)はいけないのだ。「誰もがシンデレラ」ならユーザー(から選ばれたアイドル)に与えるチャンスそのものが等しくないと成り立たない。
もしコンテンツ側から「公式側の推しとお前の推しで殴り合うゲーム」と明言されていれば公式が特定のアイドルを優遇しても理論上は問題ない。道徳とかそういうものは問題ありそうだが。
だがデレマスならびにデレステはそんなことは言ってくれない。あくまで「誰もがシンデレラになれる」、希望に満ちた世界観なのである。これは一周回って残酷と捉えていいだろう。
さて、ここまで読んでくれた人は「同じ限定ガチャで1人だけ絵アドが高い」という現象について改めて考えてほしい。
公式やこの文章そのものに文句がある人もいるだろうし、渦中となった限定SSRの黒埼ちとせを擁護したい人もいるだろう。その行動が完全一致することよりも、言葉の行き先に意味はあるか(何の歪みが原因で騒ぎになったか自分なりに理解しているか)を重視する方が自分は大切だと思う。
Q.敵NPCが人質の首にナイフをつきつけて脅迫したものの、プレーヤーは大人しくしなかったのでゲームマスターはNPCが首筋を刺して人質が死亡したと処理した。しかしルール上はナイフのデータでは即死しないとプレーヤーが抗議する。どうしたらよいだろうか。
http://hiki.trpg.net/wiki/?%BC%F3%A5%CA%A5%A4%A5%D5%CC%E4%C2%EA
テーブルトークRPG(TRPG)において、イベント的な意図とゲーム的な処理が噛み合わない問題。あるいは、ゲームマスターとプレイヤーの解釈が噛み合わない問題。
TRPGではイベント内も含めた全ての行動を共通のルールで処理する。そうすることでイベント中であってもプレイヤーのステータス、機転、判断が絡み、思いもよらぬシナリオが生み出されるのが醍醐味だからだ。
ゲームマスター(GM)のこのイベントでの意図は人質の命とNPCの要求の二者択一をプレーヤーに選ばせるものだが、プレーヤーは何としても自らの機転で最良の結末を選びたいものだ。(そして得てしてGMもそれを受け入れる傾向にある。)
そこで考える。「よく考えたらナイフの攻撃値と人質のHPを比べると一撃では即死しないじゃないか。なら一回刺してる間に奪還すればいい」。しかしGMは言う。「首に刺したら死ぬに決まってるだろ常識的に考えて」。
TRPGにおいてイベントとはどうあるべきか、ゲーム的な処理はどこまで適用されうるか、そしてGMとプレイヤーの理想的な関係はどうあるべきかといった様々な論争を巻き起こした奥深い問題。
「あゆルートにおいて奇跡の力が発動してない栞はどうなるの?」
https://lonestarsaloon.hatenadiary.org/entry/20090410/1239302357
エロゲあるいはギャルゲにおいて、選ばれていないヒロインの問題。あるいは、誰かを選ぶと他の誰かが不幸になる問題。
泣きゲと呼ばれる類では特に顕著だが、エロゲもしくはギャルゲのヒロインたちというのは、物語上何かしらの不幸や屈折を抱えていることが多い。
主人公がそのルートに入ることによって問題は顕在化し、主人公の手によって解決するのだが、では選ばれていない他のヒロインの不幸はどうなるのか。
Kanonに限らずこういった論は意識されてはいたのだが、その構造が特に露骨に見えやすかったのがKanonだった。Kanonの世界においては、1度きりしか使えない「奇跡」によってしか救えないヒロインが複数人いる。
しかも、その選択権は主人公にある。一周目は誰のことも知らないからよかった。二周目以降、あの子の不幸がちらついて他の子が選べない。
エロゲや周回ゲーム全般、ひいては物語そのものに対する様々な解釈を生み、遡及的過去生成なんていう超絶アクロバティックまで提唱された根深い問題。
勝ち目が無くなったプレイヤーが、勝ち目が残っているプレイヤーの最終的な勝敗に、ゲームの最終目標とは無関係に、恣意的に関わってしまう
多人数対戦のボドゲや卓ゲ、TCGなどで、絶対に勝てないプレイヤーの問題。あるいは、最適解のない手番の問題。
既に絶対に勝つことができなくなったにも関わらずゲーム進行上手番が来てしまうことがある。Aを選ぶかBを選ぶか。どちらかを選ぶと、それに直結してこのゲームの勝者が決まってしまう。
どちらも自分の勝利に近づかない=理論上の最適解がありえない。それなら気分で選ぶか、ランダムに選ぶか、いっそ勝たせたい方を勝たせようかな。
それが、そのゲームをしゃぶりつくしたい理論派プレイヤーには我慢できない。お前の理論値はこうだ、たとえ勝てないとしても最大得点を取れる手はAなのだ。俺は全プレイヤーが理論値を目指すことを前提に戦略を組んできたんだぞ。
という感じで、さて誰が悪いんでしょうねと議論が始まった。
そもそも誰かが詰んでしまう仕組みになってるゲームが悪い、いや詰んでもいいけど第二の行動目標が必要なのだ、いやそもそもこれは問題でもなんでもない、究極理論値を目指さないプレイヤーがいたっていい。
やがてゲームそのものの理論や意義までもを考える人まで出てきてしまった闇深い問題。
推理小説における作中探偵の限界についての問題。あるいは、探偵が物語にとっての何であるかという問題。
推理小説がパズルであるなら、読者は問題から答えを導くことができる。しかし、探偵にとってはそうではない。作中にいる探偵には作者の出した「問題」が見えない。
つまり、前提条件がどこからどこまでで、今この瞬間には推理ができるのか?できないのか?それがわからない。
特に犯人が探偵の存在を知っていて、偽の手がかりなんかをばら撒き始めた日には、より顕著になる。何せ偽の手がかりが偽だと気付くための手がかりが必要だ。でもそれが偽でない保証は?
ちなみに、読者にとっては「これが推理小説であるという事実そのもの」&「ここから解決編が始まるよ!という作者の親切なほのめかし」によって、そこまでのヒントで必ず論理的に謎が解けることが保証されている。
ここから突き詰めて、じゃあそれでも解けてしまう探偵って何なんだ、超人なのか神なのか、単なる物語上要請されている機械仕掛けの役割にすぎないのか、いやいや探偵も人間だろう、推理小説も小説だろう、というような論争がなぜか日本でだけ始まった。
なんだかんだでその後の小説のテーマになったり斬新なトリックの基礎となったり、魅力的な探偵を生み出したりと後世に確実に影響を及ぼした、興味深い問題。
(第二問題である「作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非」も面白い)
(本当はトロッコ問題とか心身問題とか異世界シャワー問題とかも語りたかったけど、アルバムとしてのコンセプトに合わない気がするからこの辺にしておく)
それはあまり正確ではない
レコードの内周は外周よりも物理的に一周が短いので、低音が入らない、ボリュームが落ちるのは事実
なので、それを踏まえてバラードなど静かで落ち着いた曲を入れるというのはあった
正直、
「風を撃て」でのデビューに狂喜して「冬のオルカ」でアコースティックかと安心してたら突然のファンキーな「双子座グラフィティ」と謎のLBネイション寄りに困惑、でもストレートだがキャッチーなアレンジにまあええかと待ってたら「牡牛座ラプソディ」の攻撃的な歌詞に感情移入しゴキゲン・・・
兄弟デュオ時代(デビューからアルバム『Ten』まで)の3大傑作を紹介する。
まだ聴いてなかったら、自粛しているうちに聴いてほしい。
「家路 (Album Ver.)」
ごく普通の遠距離通勤するサラリーマンの〝帰宅〟を、詩情豊かに歌い上げた究極の名曲。
イントロの不吉なホーンで始まる無骨な曲と歌詞が、企業戦士の強さと哀愁を表現している。
作詞・作曲:堀込高樹 。6thアルバム『DODECAGON』に収録。初のセルフプロデュースアルバム。
オンラインチャットで出会った男女の恋愛をメロディアスな曲にのせて歌い上げた最高傑作。
「エイリアンズ」
作詞・作曲:堀込泰行。キリンジを一気にメジャーに持ち上げたキリンジバラードの最高傑作。3rdアルバム『3』に収録。
小田和正や田島貴男、星野源、JUJU、安藤裕子、そして「のん」などがカバーしたことでも有名。
80~90年代の日本の郊外を背景に、淡い恋心を抱く若い男の切ない心情を見事に描いた。
選外:「乳房の勾配」
作詞:堀込高樹 作曲:冨田恵一。正確には「冨田恵一 feat. キリンジ」のクレジットのため選外。
「YOU AND ME」「冨田恵一 WORKS BEST」に収録されている。
キリンジファンの間では言わずとしれた名曲中の名曲。奇妙な言葉の紡ぎ方、遊び心が楽しい。大人向けエロソングとしても名高い。
ジョージベンソンが20/20てアルバム出したとき、あれはトゥェニィ・トゥェニィって読むんですって、ってエエ声のDJのお姉さんにラジオで教わったなあ。。。
あの曲ってつくった人的には歌いたくないしアルバムにも入れたくないほど嫌な曲だったみたいだね
まず何といっても、上皇陛下。あなたのおかげで、20余年間僕の誕生日は毎年休日でした。
再度祝日になるのは陛下がお隠れになってからというのが、なんとも複雑だ。どうか長生きしていただきたい。
次に、山崎まさよし兄貴。子どもの音楽的嗜好は、親が車内で流す曲によって決まる。
母はさして音楽に興味がなかったのに、なぜか兄貴のアルバム『ドミノ』が置いてあって、惰性のようにかけていた。
「僕はここにいる」なんかを聴くと、今でも胸がキュッと締まる。好きな子にCD貸したりしたなあ。
残念ながらまだライブに行けていない。いつまでもその甘く鋭い声を聴かせてください。
さらに、倉科カナさん。可愛い女優の尻を追っかけている僕にとって、最初のミューズになった人だ。
深夜に何となくテレビを点けたら、あるドラマが流れていた。甲斐性なしの片桐仁が営む喫茶店で、チャキチャキ働く女の子。
まぶしい笑顔と、はち切れんばかりにたわわなお胸。極太の眉毛もチャーミングだ。メロメロになった。ほぼ毎日ブログをチェックしていたっけ。
(「根津サンセットカフェ」という超短編ドラマ。熊本から上京したての頃の初々しい姿が収められている。蒲田のTSUTAYAでレンタル落ちのDVDが投げ売りされていたので確保した)
その後の演技派女優としての活躍ぶりはご存じの通り。特に「名前をなくした女神」での性悪ヤンママ役には目を瞠った。
最近は舞台に重心を置いているのか、映像作品が少なくなっているのでさみしい。お元気でしょうか。
本人はちょっと嫌かもしれないけど、深キョンみたいにグラビア復活してくれないかなあ。
そして、小島瑠璃子ちゃん。これは最近知った。ウィキペディアの「12月23日」のページで見つけた。
通常なら、ほーんと悦に浸る対象が増えて満足するところだが、今回は事情が異なる。
小島瑠璃子、1993年12月23日生まれ、26歳。僕と同じ生年月日だ。
この事実を知った僕は、ひどく落胆した。
片や、抜群のトーク力でバラエティ番組に引っ張りだこで、小麦色のムチムチボディで日本中の男子を虜にする26歳。
片や、東京で夢破れ都落ちし、地方都市の湿気た会社でのブルシットなジョブに消耗する浅黒い26歳。
僕たちは同じ日に生を受け、よーいドン‼でスタートした。それなのに、どうしてこうも差がついてしまったのだろうか。
それ以来、テレビや雑誌で彼女を見かけると、脊髄反射で溜息をつくようになってしまった。
こんな似ても似つかぬ二人だが、一つだけ共通点がある。中国語を勉強していることだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsFApxMqYWM&vl=ja
彼女は努力の人なのだと思う。多忙だろうに、1年間の勉強でこんな綺麗に発音できるのはすごいよ。(特に"湯"がちゃんと"-ang"になっているのが很好)
しかも始めた動機が「西安の料理がめちゃ旨かったから」で、将来の夢は「湖南省のテレビに出ること」っていうガチぶりがまたいいよね。
(営業目的で雨後のタケノコのように微信を開設するAV女優とは大違いだ。蛇足失礼)
もう勝手に落ち込むのはやめた!
[説明]
赤い公園:2010年結成の4人組ロックバンド。3年前に結成からのボーカルが脱退、その半年後に新しいボーカルが加入(自分調べ / リーダーの津野米咲は天才(自分感じ
石野理子:2018年に解散したアイドルグループ『アイドルネッサンス』のメンバー。解散した2ヶ月後に赤い公園にボーカルとして加入(自分調べ / うたがうまい(自分感じ
自分:おっさん邦楽聴き。赤い公園歴はメジャーデビュー以降。アイドルには疎い。
[前置き]
その顔が変わってしまってアワアワしていたいちファンが新体制での最初のフルアルバムを聴いたのですよ。
まだ10回ずつくらいしか聴けてないけど、なるべく初期のインパクトを文章化したかったのでカキコ()するですよ。
夜だしスピーカーで音量出せないのでオーバーヘッドで我慢ですよ・・・
[01.Mutant]
新体制になって最初のフルアルバムの記念すべきオープニング曲。
今までの赤い公園にはない曲調のナンバーをここに据えたのはやはり確信犯的なものなのだろうか。
1曲の中で代わる代わる別のメロディが現れてボーカルが大変そうと思ってしまった。
1番の後の溜息と2番の後のボソボソとした語りがよい。
[02.紺に花]
1曲目とは打って変わってこれぞ正統派の赤い公園!な疾走感のあるポップナンバー。
なので前のボーカルがこれを歌ったら・・・という余計な想像をしてしまいそうになるのだけど、ところがどっこい、
既に天才津野米咲は新ボーカル石野理子の元気ではっきりとした高域の使い方を完璧に心得ているんだなこれが。
[03.ジャンキー]
ベースというかリズム隊がフロントに出ずっぱりな縦ノリ曲。イコライザのバスブーストを確認してしまった。
途中のバンドの楽器の音が無くなってバックがコーラスのみになったところでボーカルに浮遊感が生まれるところがよい。
[04.絶対零度]
既にシングルで発売されているタイアップ曲で、可変拍子が癖になる変態曲。それがよい。
ボーカルのリバーブが強めな気がするが曲の世界観に合っているとも言えるかも。
なお、これのMVとアイドルネッサンスの『17才』あたりのMVを交互に見てると50回目くらいから娘を持った親の気持ちになれるぞ(誤爆
[05.Unite]
ピアノやギターやら出たり入ったりするところがよい。音色を変えまくってるのか何が鳴ってるのかよくわからなくなるのがずるい。津野米咲ずるい。
[06.ソナチネ]
ボーカル石野理子の現在の歌声がストレートに味わえるバラード。
アイドルネッサンス時代の石野はリアルタイムではベボベ繋がりで軽く聴いた程度だったが赤い公園加入発表後にDVD付きベスト盤やらシングルやらを買いYouTubeチャンネルに登録されてる(石野関係ないものを含む)1700超の動画を全部観たので完全に理解した(してない
アイドル時代から落ち着いたトーンで歌うのが得意な歌い手さんだと思っていたがどんどん成長していっているのが判っておじさん嬉しい(まるで駄目
[07.chiffon girl feat. Pecori]
iTunesでこのアルバムを取り込んだときに、曲情報のアーティスト欄が違うせいでこの感想を書き始めるまで聴けなかった曲(^^;;
この曲やシングルに入っていた「Yo-Ho」のようなGroovyな曲調のものだけ詰めたものも聴いてみたいと思ったけどそれはもう赤い公園では無いかなぁ(>_<
[08.夜の公園]
アイドルの時に提供されてソロで歌っていても違和感のない甘酸っぱいミディアムナンバー。
ひとり若い石野に歌わせて他のメンバーがニマニマしている絵が浮かんでしまうがそれは只のおじさんの妄想です。
[09.曙]
こちらはこちらでまたアイドルのグループ曲かな? と思ってしまうくらい静かだけど明るくて熱い曲。
ちょっとドキッとする歌詞なのだけど楽しげな曲調と全員のコーラスがそれを感じさせず、逆に元気を貰える唄になっている。
コーラスが多かったせいか一番ボーカルが溶け込んでいた様に感じた。
[11.yumeutsutsu]
本アルバムのエンディングでリード曲となるハイテンポなナンバー。MV出てた。
アルバムで一番ドスをきかせてるボーカルは迫力があって何か覚悟のようなものが伝わってくるし、
ギターとベースの見せ場がそこいら中にあるし、ドラムまで殺気立っているように激しく感じる豪華な3分間。
[総評]
優勝!!!
[補足]
本当にいいですね 原点回帰っぽさと4〜5枚目あたりの路線の複合って感じがあってサイコー
わりと静か目に始まる一曲目。静かとはいえシットリ系ではなく、むしろテンポはかなり早め。抑えた歌い方をしてる。
サビのリズム感は2ndの”I can’t win”を彷彿とさせる(わざと?)。あの曲すげえ好きなんだよなあ〜〜
正直まだあんまり良さがわかってないけど、ストロークスは聴いてるうちに分かることが多いので期待!
まず曲名がカッコいいよね
ネットリ系の暗い曲。全体に音は高めで4th以降の路線っぽい。
中盤以降の歌い上げ→yeah-eahの流れが気持ちいい!
その後にくる低音パートもいいっすね〜ジュリアンさんの声の良さがすごい
“No lessons learned“みたいな英語好きなんだよなあ カッコいい構文…
最後にイェーって二回言って終わるのもイイ!
明るいし音圧もあるしで結構華やかな感じの曲
“One shot is never enough”って歌い出しが印象的でいいですねえ
“Break”って言って本当にブレイク(音が消えるやつ)が入るのもケレン味あっていいゾ〜
サビのギターもいい ギターとボーカルの絡みはストロークス最大の魅力だからな
途中で入る”on and on and…"もいい フックがある
先行配信もされていた名曲(PVが意味不明ですごい https://m.youtube.com/watch?v=5fbZTnZDvPA)
それこそ往時のストロークスを思わせる原点回帰型の曲で本当にいい
ドラムとギターのイントロを聴いただけでワクワク感がすごい これは凄いですよ
2フレーズめの"Moscow, 1972”からしてシビれるね 英語は年号を歌うだけでカッコいいからずるいんだよな 「せんきゅうひゃくななじゅうにねん」と"Nineteen seventy-two"の差よ…
サビのわかりやすさもいい メイキンバッディシジョーンを繰り返すもんだから数回聞けば耳に残る しかも繰り返すだけじゃなくてyeahとかah-ohみたいなのを細かく混ぜて飽きさせない工夫もある この70〜80年代みたいな茶目っ気がいいんだよなあマジ ジュリアンさん………
Cメロはギターの絡みがいいっすねえ 左と右で違うギターにボーカルも加わってもう最高や
最後の方、わりとボソボソ歌った後突然でかい声でイェーイって繰り返す部分もいい
ラストのラストでギターのアルペジオ(?)だけになって終わるのもいいですね
夏、日本人にとってはクソ暑い最悪の季節ってイメージの方がでかい(偏見)けど、欧米人は最高のサマーシーズンみたいに感じてそう(偏見)でムカつく
この曲もそういう欧米の夏って感じのチル感みたいなのがある ムカつく!お前も40度・湿度70%↑のサマーを体験してみろ 二度とエターナルサマーなんて言えなくなるぞ
曲としては箸休め的な感じなのかな ゆったりしていますね 高音のギターが印象的 でもこういう曲こそ後から一番好きになったりするので怖い
これも先行配信されてた!相変わらず全く意味不明のPVですごい
これはわりとスローテンポで5thとか、あるいはソロプロジェクトとかのノリっぽい 壮大な感じですね
パイプオルガン的な音とか加工バリバリのコーラスとかが入ってて面白い
この曲が暫定1位!
なんと言っても中盤以降のギターとボーカルの絡みが本当にいい メロウな感じの歌とピロピロしたギターの相性が最高
ナナナナ…みたいな部分もあってナナナが好きな俺歓喜 ラララよりナナナのほうがテンション上がるよね
ラストにかけてのI stay hungry連呼がカッコ良すぎる そこからのギターもまた良く、繰り返しのようでちょいちょい変化を入れてくるそのバランスが最高
あと締め方もいい!曲の良さの5割は締め方で決まるからな フェードアウトで晩節を汚しウンコ曲となることも多い中この締め方は本当にいい 不自然さ・唐突さがないのにサッパリ感もある最高の終わり方 100点
また暗い感じだ
ゆっくり歌いながらだんだんテンションを上げていく感じの曲で、各番のラストあたりはジュリアンさんのデカい声が堪能できる ええ声してんなあ!
渋い曲です
イントロが変!
またゆっくりした感じの曲 ストロークスも歳とって落ち着いたということか
メロウで心地よい感じでラストにいいですね とは言いつつもけっこう力の入ったボーカルでもあり素敵
わたしには付き合ってもうすぐ4年の彼氏がいる。それまで付き合った人も1人(半年くらい)だけなので、初めてと言ってもいい。長くお付き合いをした経験がないので分からないが、たぶんマンネリ化していると思う。付き合った当初は、LINEで逐一あったことを報告して夜は電話して、週に1回は会って、みたいな感じだった。今もLINEしない日はないんだけど、挨拶だけで終わる日もあるし、何をやってるか知らない日が増えた。仲が悪くなったわけではないけど、いちいち心配したり気にかけたりはしなくなったし(信頼している部分もある)、個人的には前より優しくなれなくなった感じがある。
そんなこんなを過ごしていて、新しく仲良くなった一人の男の人がいる。彼氏と同い年で、趣味も似てる。ちょうど話題になっていたバンドのアルバムがあって、その話をしませんかと向こうから遊びに誘ってくれた。今まで男友達もそんなにいなかったので、男性から誘われることが新鮮で嬉しかった。初めて飲みにいった日、わたしはかなり酔って半分以上記憶を飛ばしてしまい、帰りに一人で転んで流血して歯が欠けたりしていた(何やってんだ)。その人とはTwitterで知り合ってDMをしていたんだけど、心配してくれてLINEを送ってくれた。そこからちょこちょこLINEをするようになって、遊んで、を繰り返すようになった。
先に言ってしまうと、その人のことがかなり好きになっている。以降、Aさんと呼ぶことにする。
Aさんは、わたしの考えや仕事に対する姿勢をなぜかとても尊敬してくれて肯定してくれる。(同じ職場の人じゃないのに)
彼氏とは話せないことがないくらいなんでも話せるけど、仕事やその他諸々干渉しすぎないところがあって、お互いに愚痴を話してもまあ人それぞれだよね、みたいに終わることが多い。
一方、Aさんと話していると、いろんな話をしても全部受け止めてくれてめっちゃ褒めて励ましてくれる。で、結局人生とか家族とか、価値観とかそういう大きな話になって、そのままでいいんだよとかここは大切にしたほうがいいよねとか、とにかく求めている言葉を言ってくれる。自分も大変なはずなのにそういう話は一切せずただただ受け止める。もはやお母さんである。そのくらい包容力があって認めてくれて優しくしてくれたら、好きになっちゃうじゃん...。ましてや彼氏とマンネリ化していたらなおさらだ。
いろんな背景がありすぎて、ここまで書いてダルくなってしてしまった。(わたしと彼は若干セックスレスになっている、Aさんは今まで恋愛感情を持ったことがない、なのにやたら"かわいい"って言ってくる、とかいろんな問題がある。)
何が言いたいかと言うと、マカロニえんぴつの「たしかなことは」という曲を聴いて欲しい。たぶん浮気の曲。
わたしは、今の関係が心地良すぎてやめられない。彼氏はそのことを知らない。Aさんと体の関係は全くない。彼氏がいなかったらわたしに好きって言ってる?って聞いてみたいけど、聞いてどうするんだろう。うんって言われたらAさんのところに行くわけじゃないし、そんな訳ないじゃんって言われるのもフラれたようで嫌だしこの関係が終わってほしくない。どっちといたら幸せになるのか分かんないし、どっちも大好きで、どっちも幸せになってほしい。今は良いとこどりをしている。
関係を言葉にしちゃったら終わってしまう気がして明言なんてできないし、きっとただの"仲良し"なんだろう。わたしの考えすぎで本当に良くしてくれる人ってだけなのかもしれないしね。(でも普通はやたら女の子扱いしてくれたり、他の人には言わないんだよとか貴方だから優しくするんだよとか言わないよね)(好き)
コロナで会えないから、早く会いたいな。酔った勢いでちょっと手くらい繋いでみたい。AさんとのLINEを遡ってはときめいたりして、外出自粛期間を乗り越えている。
私の親は写真好きだったので普通の家庭の5倍くらいの量のアルバムがある。
親から見ればとても価値があるものなのだが、子供の立場の私にとっては重荷で両親が亡くなればほとんど捨ててしまうんだろうと思う
私が将来広い豪邸に住むのならともかくあんな大量のもの所有しておけない。
そして、私が子供を育てる親になり、せっせと写真を印刷してアルバムに収めているのだが、私の子供は将来この写真をどう処理するのかなと思う
私は写真は場所を取らないデータもいいけどやっぱり印刷された紙の写真が最強だと考えてる
私が楽しむためにアルバムを作ってる。全部私のため。子供が大きくなったら見せたい気持ちもあるし結婚式のムービーで使ってほしいけどね
基本的に私が楽しむためのものだから、私が死んで役割が終わったら処分してくれてもかまわない。
先祖代々のアルバムを自宅に所有しておくのって一般人にはハードル高いよね?
広い豪邸だったら何代もの家族写真を保管できるけど私には無理だよ
でも、せっかく家族ってものを作ったんだからたくさん写真撮ってアルバムに収めたい
私の親のように押し入れが埋まってしまうレベルで所有しないつもりだけど
家族写真って親にとってはとても価値があるものだけど、その子供は親が撮った写真よりも自分自身の子供やパートナーとの思い出写真の方を重視する
アラン・メリル(Alan Merrill)は、日本や英国でも活躍したアメリカ合衆国のロック・ミュージシャン、作詞作曲家、
シンガー・ソングライターである。世界的に有名な大ヒット曲「アイ・ラヴ・ロックンロール」(I Love Rock 'n' Roll)は
1975年ジ・アローズ(The Arrows)時代の彼の代表曲(作詞作曲、パフォーマンス)であり、それ以前は日本在住時に
ファッション・モデルを経て、自作・作詞作曲アルバムを制作し、全国ツアーも行った。
2020年3月29日、アランが2019新型コロナウイルスに感染し、死去したことを娘がSNSで公表した。 69歳没。
母親はジャズ・シンガーのヘレン・メリル(Helen Merrill)。
The Arrows - I Love Rock 'n' Roll
Helen Merrill - You'd Be So Nice To Come Home To - live 1960
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%AB
ファン歴はそんなに長くはないが、水樹奈々さんのことが大好きである。楽曲は昔から好きでCD等も他のアーティストと併せて買っていた。
私は、とある出来事がきっかけで引きこもり状態になっていたことがある。その時に出会ったのが、水樹奈々のライブであった。
最初はファンクラブにも入っていなかったし、近所だしまあ行ってみようかなという軽い気持ちで行ったライブだった。
それが始まりである。ステージに立つ彼女はとてもキラキラしていて。そして新たなことに取り組む姿勢。
引きこもりから脱したと同時に、彼女のおかげで新しいことにチャレンジするようにもなり、引きこもり状態とは真反対の生活を過ごしている。
そんな私だが、最近の楽曲には少し疑問というか、複雑な気持ちを抱くことがある。
水樹奈々さんのやることは応援したいという気持ちがあるが、とてもこの楽曲、いや、この作曲者・作詞者が苦手なのである。
もうコテンパンに叩く気しかないので、あえて名前は挙げないが、楽曲と共に嫌いな理由を挙げていこうと思う。
耳にも全く残らないし、まあシンドロームシンドローム言ってるんだなということは分かるのだが、曲調が微妙だし、これは後から出てくる他の曲を聴いて思ったことだが、歌詞が全く刺さらない。
NANA MIZUKI LIVE ADVENTURE 2015に参加された人にはわかると思うのだが、この歌を歌うときの水樹奈々さんはノリノリだったりする。正直、とても複雑な気持ちであった。
この曲に関して、私と同じ意見の人はいるのではないだろうか。というより、水樹奈々楽曲の中で一番嫌いな曲は何?と聞かれたら、真っ先に答えるのがこの曲である。
よく皮肉で、「この歌好きな人って、結局相手がいない人でしょ~w」みたいなことを言われることが多いが、彼氏がとうにいる私でもこんな歌を彼氏に歌われたら確実に別れる。
ここまで文章並べて、自分のことしか考えてないって相当ナルシストですよね。なりたいなりたいばっかりで、「かっこよくなるとは言ってない」みたいな風にも捉えてしまう。これに関しては私が偏屈すぎるのだろうか。
なりたいなら目指してほしい。
えっと、無理です。人と人が一緒に暮らして、共に生活をする以上、必ず仲違いは発生する。ましてや家庭環境だって違う、そして男と女という人間が毎日過ごすのである。
そして、大したものは買わねえって予防線張っているところがもうダメ。別にそんなこといちいち口にしなくていいし、いつか子供が産まれて子供を優先せざるを得ない状況が発生する以上、大したものを奥さんに買えなくなることなんていくらでもあるだろう。
毎日笑わせなくてもいいから、とりあえず夜中に食べたご飯の皿は最悪疲れていたら洗わなくてもいいから水につけておいてほしい。そっちのほうが私は笑顔になる。
いやもう、なれよ。(言う気も失せてくる)なりたいけど、君のそばにいたいらしい。
正直もう、こっちの心が痛い。ネガティブな意味で。総括すると、「かっこよくなりた~い^^wwずっとそばにいるし、離さないよぉ~www愛してる愛してる愛してる!wやさしくなりた~~~いwww幸せにするおーwww」みたいな歌詞に聞こえる。すっごい無責任というか、頭が悪そう。
水樹奈々さん本人がこんなことを言われてプロポーズをされたいと言っていた時はがっかりしてしまった。ただ、彼女のラブソング自体はあまり好きな曲は多くないのだが。
そして結構いろんなアーティストとこの歌を歌っていたりする。それだけ、彼女にとって思い入れのある曲なのであろう。それがまた厄介なのだ。
歌詞ばかり叩いているが、曲調も嫌い。売れてないバンドが頑張って結婚式ソング書きました、みたいなメロディーにしか聞こえないのは、私が結婚に対してネガティブな印象を抱きすぎだからだろうか。それは分からない。
この曲に関しては、作詞者と作曲者は異なる。この記事を読んで理解した方にはわかると思うが、この曲では作詞者に言及する。
この曲は、自分はダメダメ。あいつは得をしている。あいつみたいになりたいけど自分は努力していない。みたいな歌である。(多分。)
私はがっかりしてしまった。記事の最初で言及しているが、水樹奈々さんの何事にも前を向いて取り組む、そんなアーティストとしての姿勢が大好きで、憧れていたからである。そして引きこもり状態からも脱している。
それから、「自分は自分で、他人は他人。自分にできることから、一歩ずつ少しずつ、頑張ろう」という気持ちが芽生えてきていた。それが、引きこもりで勉強とゲームぐらいしか取り柄がなかった私に、化粧や洋服、そして(遠征による)旅行の楽しさ、様々な新しい楽しいことを覚えていった。中学生からなりたかった将来の夢も叶えている。
それなのに、"他人と比べる"ことを彷彿とさせる歌詞や、「楽してばかりの人生」という単語が出てきたときは、あれ、これ水樹奈々さんのアルバムだっけ・・・となってしまったぐらい。完全に私のエゴだが、そんな言葉を聞きたくなかった。
チラシの裏だが、愛媛公演が中止になってさらに悲しくなってしまったので書いた。飽きてしまったので書いてないが、この前FNSで放送された、STAND UP!も嫌いで、SIT DOWN!してしまった。そして曲調がもう本当に嫌い。嫌いすぎる。水樹奈々さん本人が、彼の楽曲を推しているのが本当に気に食わない。でも、水樹奈々さんは大好きなのである。恋愛などにおけるアンビバレンスな状態ってイメージがし辛かったが、きっとこういうことなのだろう。