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2017-02-24

イジメ認知件数爆増を正義とみなすポリコレ暴走

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/85479?_utm_source=1-2-2

バカだねえ…。

こうなったら今度はチクリ合戦

化学物質過敏症よろしく繊細チンピラ無双になるのは目に見えているのに。



特に親なんかは昔と違い、

ウチのコがイジメてるんじゃないかと思うヤツは皆無で、

ウチのコがイジメられてるんじゃないかという被害者意識全開の連中がほとんどの現状。

イジメてるヤツが当事者意識持ってやってるなんてことはほぼゼロになるだろう。

そうなると、

「そんなつもりなどない」VS「被害を受けたと本人が言っているのだからそれはイジメ

の構図になり、

最終的には無敵論法で押し通せることができた人間が「勝者」となり、

みながその勝者を目指す超ディストピア社会の到来となるであろう。



これは、もはや小学生の段階から凄まじいポリコレ棒での殴り合いが日常風景に溶け込む地獄意味する。

要は、小学生の総風紀委員化だ。

思いやりなど育つ訳がない。

ただひたすら、ポリコレ違反人間を血眼で探しては徹底的にポリコレ棒で打擲に及ぶという愛国無罪的な活動だ。

恐ろしいことに、これはイジメではなく、それどころか「正義行為」になるわけだ。

正義執行する人間が、イジメをする人間とおなじくらい陰湿残酷という地獄だ。




yas-mal 趣旨はわかるがまた極端な…。那覇市公立小学校は36校なので、1校1学年あたり20件か。…やっぱりちょっと多いような…。(意識改革だけでここまでの急激な変化は想定しにくいし、なんか、別の力学が働いてない?)



こういうブコメがごく少数で、スターほとんどついていない。

こういう状況自体危険なんだよ。

結局、極から極へわーっと流れている。

イジメなんて絶対にあってはならない!!!!!

という一方の極と、

イジメがないなんて嘘に決まってる、徹底的に探せ!!!!!

という他方の極。

極端な奴らが大声で叫び続けるから

穏当でまともな意見がどんどん圧殺される世の中になっていっている。

私の好きな東京

20年ほど前、編集者淀川美代子さんのコラムを読んだ。叔父である映画評論家淀川長治さんにとって、日本随一の女性であるanan』の編集長をしていた美代子さんは自慢の姪だったそう。しかし、美代子さんは手腕を買われ新雑誌編集長担当することになる。それを床に伏す叔父に話すと、残念がったという。しかし、新雑誌GINZA』の名前を聞いた長治さんは「宝石を散りばめたような綺麗な名前やなぁ」と言ったという。

私にとっての東京はまさにそれだった。大きな建物ビルジングとビルヂング共存する。昼間働く街は夜には静かになり、繁華街は絶えずキラキラとしている。大手町駅で下車し、地上に上がり、ビルの連なる東京らしい風景の中に立ち、ふいに淀川美代子さんのこのコラムを思い出した。

ビルは闇の中で光輝き、お堀の水面に美しく浮かびがあがる。高い高いビルの中からすーっと現れる東京駅は美しい。背の低い建物クレーンを載せ、少し遠くには東京タワーが頭をひょっこりと出す。

あぁそうだったこれが私の好きな東京だった。

2017-02-22

日本昔ばなしのような、芸術的紙芝居を今でこそやったほうがいい。

一枚絵に少しだけ動くキャラ貼り紙切り絵みたいな風景、ナレータ兼声優の語り部。

現代萌えとは縁遠いキャラクターたち。ひっそりと深い森。丑三つ時の静かな墓場

理不尽な変身奇譚やオチのない村人の話。

日本昔話は途中からセルアニメ化してしまったが、今一度動く絵本としての芸術品を作って欲しい。

2017-02-20

憎い坊主

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、なんて具合に特定個人言動に噛み付く風景をよく見る。

しかし本当に憎んでいるのだろうか。お前のフォロー先が憎んでいるから憎んでないか

2017-02-18

SAO劇場版を見た。

初めに言っておくと、劇場版アニメ2期より後の話らしい。SAOアニメ1期しか見ていなかったが、最初の数分のダイジェストは1期の内容だけだったし、前提知識は概ね問題なかった。しっかり楽しみたい人は2期まで予習しておくのが良いだろう。

さて、パット見の客層は、ほぼ(95%ぐらい)男で、年齢層は10台後半〜20台前半ぐらいだった。まぁ大体は時間のある学生時代原作アニメを見た人たちだろうし、SAO自体、言ってしまえば男子中学生妄想みたいな作品から女子率低いのも納得感ある。

以降は軽くネタバレあるので引き返すならここで。




まず、今回はARの話で、現実のここ数年でAR→VRに流行が一気に持っていかれたのに反して、VR→ARの流れで描かれている。

SAOラノベ俺TUEEEEの先駆けでありながら、近未来的設定が特徴的な作品である理解しているが、その点については頑張っていたとは思う。ARアイドルとか、どこでも仮想ステージとか、日常からバトルへの遷移演出とか、出だしはなるほどという感じであった。

……が、次第に雲行きは怪しくなり。

例えばAR時の身体能力おかしくね?とか。最初の方で、ARから殴って痛いみたいなシーンなんて無かったんや。

とまぁ設定は総じてお察し。やっぱリアル成分増えるとガバガバ感が強まっちゃうんだなというのが正直な所。こまけえこはいいんだよ。

それからとにかく東京ネタが多かったなと。大岡山東工大キャンパスとか、結構な人が分からないんでね?君の名は......は監督趣味にしても、地名レベルまでガッツリ作品に取り込むのは、まぁどうなのだろうね。よく知らなくてもウケるのかな。あまり気にならないのか。あと新国立競技場ワロタ

時事はかなり反映しててここまでやっちゃうのかと1周回って感心。ただディープラーニング(笑)とか、あのコンテキストでこの言葉を使う意味は全く無いので、どう考えても言ってみたかっただけ。まともに突っ込む気も失せるレベルなので、多分我々の知っているDeep Learningではない別の何かなのだろう。

作画は平均的な劇場版アニメクオリティ現実世界リアル風景写真ベースにした(?)静止画+動く何か(なぜか蝶々が多い)でごまかすシーンも多いが、まぁ許容範囲だろう。ただクライマックス演出については、ポケモンショックを想起させる短間隔の激しいイフェクトと連続カットインで、直視できなかった。ちょっとやり過ぎだったのでは。

音楽は悪くなかったが一発で印象に残るほどのインパクトは無かったかな。

シナリオSAOらしく可もなく不可もなく、まっこんなもんだろね感。

改めて考えてみると、総じて深海的要素を取り入れてたなと。よく研究したんじゃないかな、て思ってたら、監督伊藤氏は何度か深海作品助監督やってたみたい。知らなんでスマンな。

てことでまとめると、勢いで乗り切った部分は否めないが、SAO臭さを許容出来る人であれば、十分楽しめる作品にはなっているかと思う。

以上。

2017-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20170217115122

関係あるでしょ。日本風景着物着て写真とってるのになんで日本関係無いの?

カーリークロス問題

多くの日本人がそうだと思うのだが、私もそうである

アメリカカーリーなんたらいうモデル和服を来たら「人種差別!」と怒られたとのこと。えっ???

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1779780.html

なにを謝罪

いや、まあ、アメリカリベラル文脈があるのだと思うけど、日刊スポーツ記者だってあきらかに僕らと一緒でそういう文脈の中に生きてないでしょ?「はぁ?」って思ったでしょ?説明無しでこういう記事書くのってアホなの?

・・・

まあ、私も、その文脈はよくわからん

アメリカではこれ一般的意見なのか?一般人の反応は?

redditスラドには記事なくて、アメリカYahooにあって、読者コメントがついていたので読んでみたぞ。

https://www.yahoo.com/style/vogue-dressed-karlie-kloss-as-a-geisha-050850853.html

いわく

芸者日本人じゃなきゃいけないとかあるの?」

日本人モデルがカウボーイの服着たら、人種差別主義者だと考えないといけないの?」

「これがトランプ勝利した理由についての完璧な例の一つだな」

リベラル精神的に病んでるな」

「私に見えるのは、誰かさん東洋伝統衣装をまとった可愛い写真で、アジアに対するなんの攻撃的なところもないと思うけど。これでアジア人が悪く見える何かがあるの?」

「てことは次は黒人モデルは裸で胸をさらけ出してライオンと一緒にアフリカ風景の前で写真撮らないといけないな、じゃないとヨーロッパ人に「人種差別だ」と言われちゃうからな」

「私は、何も謝ることがないことについて謝罪したい...私はまた前に誤ったことについて謝罪します...あと、次に私が何か謝るべきことが起きることについて謝罪したいです...」

「もしあなた白人なら、その日やることについて謝罪投稿してから家を出たほうがいいな。はいはい。」

ポリコレ野郎どもめ」

1ページ目、長大な一人を除いて訳しましたが、ぜんいん我々と同じように「はぁ?」って思ってるように感じました。

とりあえず私自身は、いまだにこの「cultural appropriation」という非難意味不明なので、わからないうちは否定するよりは学習するつもりでいますが、しかそれにしてもこのヤフコメニュース記事との乖離。いまのアメリカ言論界を動かしているのはいったい誰なんだろうか。。。。。トランプ当選についていろいろな憶測があったが、インテリ層と一般人層との深刻な溝というものを、われわれにも身近な「和服を着たアメリカ人」という題材によって、私にも実感を持って経験できたような気がする。

2017-02-16

ドラマの中の朝食風景

お父さんはスーツ姿、子供たちは学校に行く格好で朝食をとって、そのまま出かけていくというシーンが多いと思うんだけど、

朝ってご飯食べてから着替えるんじゃないのかな。

出かける格好で朝食とるほうが普通なの?

取り調べのカツ丼みたいな、ドラマとしての常套句みたいなもの

2017-02-15

授業の見所1 中学授業参観


先ごろ、知人の子もの中学校学校公開に行ってきた。

公立小学校中学校では、年に数回、授業風景を公開するのである

昔で言う父親参観日や日曜参観日と同じことである

目的中学校まで少し距離があるので、朝早く家を出て、9時前に着いた。

まりお客(参観の保護者地域の人)は来ていない。

受付をすませて、さて、どこのクラスで何の授業をしているのかの案内がない。参観者にとって不親切だ。時間表のプリントぐらい、準備するのが常識だ。

ふとみると、下駄箱の横に、B4大で、授業の一覧が貼り付けてある。仕方がないので、それをメモして、まず、全クラス雰囲気を知るために、足早に各教室を覗く。この時点で、学校の落ち着きというか、学習への意欲・雰囲気が、ある程度まで分かる。

時間から、20分程度ずつ各教室に居座って、じっくりと観察する。

我が子の顔さえ見れば満足という人は別格として、授業参観には、やはり見所のようなものがある。

授業では、まず教員(授業者)の技量を見る。力のある教員がいれば、その学校は一流に近づく。そのような教員は、多ければ多いほどよい。中学は学級担任制ではなく、教科担任制なので、各教科とも(国語数学英語に関しては特に)、実力のある教員をそろえる必要がある。

教員の実力は、一言で言うと、その授業が、子ども学力現実的に高めるものになっているのかどうか、という点で判断できる。

これを無視して、子どもに優しいだの、話が分かるだの、生徒指導がどうのこうのだのは、まったくもって、教員仕事を誤解しているとしか言いようがない。

授業あっての教員である。それができなくて、他のことが満足にできるわけがない。

教員技量を見分けるには、参観者自身が、20年以上の教員経験があり、その教科においても授業者以上の学力識見教授技術を持っていることが望ましい。だから、誰にでもできることではない。

しかし、そうも言っておれないので、見所のヒントをいくつか挙げる。


まず、子どもノートを横からちらりと見て、どの子ものノートもある一定の水準を超えていればよしとする(そのレベルについては、具体的なことは言えない。当該授業内容による。とりあえずは普通の字できちんと書いていればよろしい、とでも言っておこうか。ただし、良いノートというのは、知性が感じられるものである)。

ノートを見るには、 教室の後ろの壁に張り付いていてはダメだ。どんどん生徒の机の横にまで行って、覗かなくてならない。そんなあなたの姿を見て、授業者は嫌な顔は、しないはずだ(これは机間巡視と言って、教員の「いろはである)。

次に授業者の声の大きさ、間合い、リズムを聞く。怒鳴り上げたり、いらいらしていたり、不必要な大声や、早口はいただけない。

うろうろと動き回ったり、逆に石のように一つ所にいたりするのも、よくない。

いわば独特の知的リズムによる、動きや声の間合いが必要だ。

業者の字が上手で、板書が多いと、参観者はすぐに感心してしまうようだが、これは大きな間違い。板書は少なければ少ないほどよい。板書なしでもよいくらいだ。

というのも、教員はすぐに板書に頼ってしまう。少なくとも板書していれば、間を持たせることができるし、黒板に書かれたものを、子どもノートに写していれば、なんとなく時間がたつ。一見、授業をしているような気になってしまう。

板書がなくて、しかも生徒のノートがきちんととれているのが一番である

それに、板書している間は、授業者子どもの方を向けない。板書中に、子ども発言を聞くなど、もっての他である発言している子どもの顔を見て、聞いてやって、子ども発言対応するのが原則である

板書は、ここぞと言うときにのみ、無言でするものだ。説明したければ、書いた後、子どもが確実にノートに書いたか確認した上で、真正面を見て(黒板を背にして)するものだ。

続きはまた書く。

2017-02-12

三十三無職が思うこと

書道教室の思い出を思い出そうと思う

小学校低学年だかもっと幼い頃だか覚えていないと思うのだが

書道教室に通っていたと思う

まりに昔のことだと思うので

書道教室先生についてなにも覚えていないと思う

おそらく女性だっただろうと思う

記憶の中の書道教室建物は少し田舎風景なかにあると思うのだが

帰りに親が車で迎えに来るまでの間

田んぼのなかの蛙やアメンボを眺めながら

待っていたことだけが今強く思い出せると思う

要するによく覚えてないのだと思う

2017-02-08

ちょっと試してほしいのだが、

冬の空気の澄んだ晴れた朝、渋谷新宿などの繁華街

80年代以前の中島みゆきを聴きながら歩くと

街並みが一気にドラマティックになる。

まるで昔の映像を見てる気分になる。

液キャベのラッピングバス歴史ある古い風景のように見える。

2017-02-07

柳宗理デザインしたような車が欲しい

ギラギラしたゴージャス感や未来っぽさのない

落ち着いたデザインで、枯れたおじいさんにも田舎風景にも

馴染むマットシルバーの車

伊藤計劃・著『獣愛器官』(創元SF文庫)より

「ぼくらはジャパリパークに堕ちるでしょうかね」

 カバンちゃんは言った。カバンを持っていて、見たことのないけものであるカバンちゃん。だから、目の前の地獄放置することに関して、カバンちゃんがこれまでどのように折り合いをつけているのかわたしには想像もつかない。サンドスターから発生したその日に、信頼できるけものにじゃパリマンももらったのだろうか。

わたしはけものだようー。ジャパリパークでんでんについて気の利いたことは言えそうにないなあ」

フレンズでなくたって、ジャパリパークはありますよ」

 カバンちゃんはそう言って、悲しそうに微笑んだ。

「そうだな、ここはすでにジャパリパークだ」

 ジャガーが笑う。ここがジャパリパークだとしたら、わたしたちのバス地獄めぐりしていることになる。ペンギンたちもびっくりだ。

 しかカバンちゃんはそうじゃないと言って自分の頭を指差した。

「ジャパリパークはここにあります。頭のなか、脳みそなかに。全十二話+一話のパターンに。目の前の風景はジャパリパークなんかじゃない。逃れられますからね。目を閉じればそれだけで消えるし、ぼくらはテレビを切って普通生活に戻る。だけど、ジャパリパークからは逃れられない。だって、それはこの頭のなかにある地獄ですから

図書館もそこにあるのかな、すごーいたのしー」

 コツメカワウソが笑って訊く。聞いた話だとコツメカワウソ毎日すべり台であそんでいるらしいが、それは昔からそうだったんだね、すごーい。きみは習慣以上のことはやらないけものなんだね。すべり台ですべっているけもののどれだけがコツメカワウソみたいにねっしんな信仰? を持っているのかな? ほんとうのところって誰にもわからいからな〜〜?

「わからないよ」カバンちゃんはコツメカワウソにそう答え、「ジャパリパークがぼくのなかにあるのは知っている。だって、見たことがあるからね。けれど、図書館はまだ見たことがない。図書館人間世界からフレンズの退化した脳におさまるようなものじゃないかもしれないね。あるいは、しんざきおにいさんに訊かないとわからないのかも」

「さて、諸君」スナネコが会話を割り、「考察はそこまでにしようや。そろそろ放映が始まる時刻だ」

 どこから音楽が流れてくる。どうぶつビスケッツの「ようこそジャパリパークへ」。視聴者脳みそが溶けてアマゾンランキングを紅く照らし出す地獄のようなアニメには、皮肉しか言いようのない美しいオープニング・ソングだ。わたしたちは音源の方向へと這い進む。わたしの後ろには十四匹のフレンズたちが付き従っている。三十分後にはどれだけのけものがのけものにされずにすんでいるだろうか。

2017-02-06

オタクだけじゃなく芸人の笑いも十年前からクラウド化していると言われているし、野球中継家族揃って観戦したり、映画館で誰もが同じ映画を見る時代でもなくなってきているのは自明のこと。もちろんヒット作なんかで動員が多い映画はあるだろうけど、国民的な人気を持った寅さんなんて発生しようがない。オールウェイズではないけど、TV居間に来たら近所の子供がこぞって見に来るなんてことはない。うらぶれた居酒屋一角ゴキブリ入りのラーメンビール片手に、水着美女がいるポスターの横でTV凝視する時代でもない。そんな風景は他のアジアに売り渡してしまった。情緒的な書き方はともかく、マスなんてもの一丸になれないのは大体ネット以降のこと。コンテンツ流通が一箇所に集中せずに誰でも発信できるようになったから。では一丸になっていた時代が良かったかといえば、それが団塊の世代ってやつで迷惑まりないですよ。一義的流行りや価値観煙草の煙のように押し付けてくるわけだから。まあ増田は元スモーカーだったけどね。そんなわけでマスが一丸になれないのは増田のせい。おあとがよろしいようなよろしくないような。

2017-02-04

心の底から本当におすすめしない3DS微妙ゲーム

ホットエントリを見てると「本当にオススメする3DSゲーム10選」みたいなタイトル記事をよく見る。見始めの方は楽しく読んでたけど、オススメできる良作なんて有名どころしかないし、そもそも絶対数も少ないから、どうしてもマンネリ感がある。そして、ちょっと前に増田記事であったけど、あの手のランキング記事ゲームを紹介して、アフィでそのゲームを買ってもらうことを目的としている場合が多いから、どうしても買ってもらうために面白いゲームしか紹介しない。

でもね、ゲームって、良作ばかりじゃないし、かと言ってクソゲーばかりでもない。

どうにもこうにも、多少は面白いけど、う~ん……と思ってしまうような微妙ゲームのほうが圧倒的に多いハズ。そして、微妙さ故に話題にもならないし、クソゲーみたいに突き抜けてもいないかネタにもされない。紹介したって、買って貰えるはずもないから、前述のアフィ目的記事で紹介されるわけない。

前置きが長くなったが、ないなら書いてしまえ、というわけで、この増田が今まで遊んだ3DSゲームの中で、微妙ゲームを紹介する。

あくまでも、良作でもないし、クソゲーでもない、そんな語るに困る微妙ポジションゲームについて、さあ語ろう。






超速変形ジャイロゼッター アルバロスの翼

2012~13年にスクエニメディアミックスを仕掛けていたコンテンツ超速変形ジャイロゼッター』の3DS版。同名のアーケードゲームもあるけど、そちらとはロボットに変形した車で戦うという内容は同じだけど、こっちはRPGアニメの40年後の世界舞台になっている。

車が題材のゲームなので移動は全て車になっているという変わり種で、ポケモンのノリでジャイロゼッターを集めながら、世界を滅ぼそうとする敵を倒すというまあそんな感じ。アニメの40年後が舞台なので、アニメを知っていると色々感慨深いシーンも多い。とくにエンディングアニメと同じ内容かつ、アニメ第一話につながる内容になっているので、アニメを知ってれば、「おっ!」となる。

でもアニメを知らなきゃ、移動が全て車の変なRPGだし、中盤以降のゲームバランスも何かおかしいし、そのくせガイドが妙に丁寧だったり……。ジャイロゼッターに関心のある人なら、とっくに購入済みだろうし、そうでない人なら何とも微妙に反応に困るRPGパッケージの時点でアニメイラストなので、知らない人ならまず買わないだろうけどね。




大逆転裁判 成歩堂龍之介冒険

逆転裁判シリーズの番外編。明治時代日本イギリス舞台で、時代故に指紋判定などの科学捜査ができない状態での裁判となっていて、メインシリーズとは趣がぜんぜん違う。とはいえ、基本的犯人扱いされてピンチ状態の依頼人を逆転につぐ逆転で、勝利をもぎ取るという基本スタンスは全く同じ。

で、ここで紹介しているということは、このゲーム、つまらんとは言わんけど、面白くない。

捜査パート裁判パートにおいてメリハリがなく、終始グダグダした進行が進み、とにかく長い。そのくせ話の核心にはあまり触れられずに、話が終わるエピソードが2本もある。続編が発表されたとは言え、ラストのぶん投げた感じの締め方は本当に酷い。続編が出たら、評価は多少は変わるかもしれないけど、それでも終始グダグダした空気が流れてる裁判ちょっとね。もうちょっと何とかならんのか。

逆転裁判の番外編では、レイトン教授とのコラボもあるけど、そっちは本編ほどではないけど、結構面白いよ。




【Farming Simulator 3D ポケット農園

Farming Simulatorシリーズ3DS版。VITA版やPS4版もある。

農場運営するゲームだけど、うん、地味。淡々トラクターで畑を耕し、淡々と種を巻き、淡々と刈り取って収穫し……を淡々と続けるゲームシリーズが何本も出てるし、ハマる人にはハマるゲームなんだろう。

でもあまりにも淡々とした内容には結構面食らった。一昔前の洋ゲーみたいに、説明が乏しくやたらと不親切だったり、挙動が妙にリアル(だそうだけど、実際のトラクターに乗ったことはないかわからん)だったり。そのおかげで慣れるまで操作しづらい。

こんな淡々としたゲームからか、公式サイトはやたらハッチャケた内容になっているから、そっちはオススメサイトを見て、どんなものかこのゲームを買ったんだけど、本当に地味で淡々としたゲームでねえ。どうせならグラのいい、PS4版の方が良かったかも。




鉄道にっぽん!路線たび 叡山電鉄編】

細々とリリースされているトレインシュミレーターの1本。

いたこともないような地方ローカル鉄道ばっかりで、どこに需要があるのかサッパリからなく、そういう意味でも微妙ソフト自分の中ではまだ知名度のある「叡山電鉄」がテーマになっているソフトがあったので、とりあえず購入。

基本的には『電車でGO!』とほぼ同じ。ただ、予算がそれほどないのか、それとも時代の流れからなのか、運転から見える風景実写映像が流れる。そして、車内放送が妙のリアルというか、たぶんこれ実際の音声をそのまま流しているような気がする。

まあ興味のある鉄道舞台なら、買ってもいいんじゃないの。現在出てるのは、叡山電鉄の他に長良川鉄道鹿島臨海鉄道近江鉄道ゆいレール上方電気鉄道会津鉄道大井川鐵道の7本。




アイカツ! 2人のMy Princess!】

アイカツ人気絶頂時に発売された3DSアイカツ

アイカツっぽい何かだった前作とは違い、アーケード版を一応再現したようになっているけど、キャラが無表情、リズムゲームの判定がやたら厳しい、キーの割り当てがおかしい、という中々頭を抱える出来。遊べる曲を増やすには特定のコーデは必要だけど、そのコーデを作るためにはミニゲームを延々とやって材料を集める必要があるってのも、けっこう面倒な感じだった。

はいえ、アーケード版っぽいアイカツが家で遊べるのは良かった。人気絶頂時に頑張って出してきたのは良かったと思う。

最終作の『My No.1 Stage!』はアーケード版をほぼ完全に再現した内容になっているから、今『2人のMy Princess!』をわざわざ遊ぶ理由はとくにないかな。でも人気絶頂時に発売されたこれと、最終作では売上が1/5くらいにまで激減しているのは物凄く悲しい。

キャラパスワード解禁だったから、新主人公「大空あかり」が早々にネタバレされていたりする。

2017-01-31

茅ヶ崎駅にあった大船軒

20年前ぐらいの大船軒のそばというかつゆが最高だった

熱々のつゆに七味いれて一口飲む

なんともいえない甘さと出汁が口の中に広がっていく

なによりおっさんどもが丼を片手に持って一心不乱にそばを流し込んでいく姿

帰り際に給水器でタンブラー一杯の水をゴクゴクと飲み干し無言で立ち去っていくさま

今風の立ち食いそばじゃ見ることが出来ない風景だった

2017-01-30

死にたいとつぶやいていなかった耳をすませば時代

每日を死にたい死にたいとつぶやいている。死ぬまでずっとそうなんだろうか。。。

先日「耳をすませば」がテレビで放映していた。「耳をすませば」は中学三年生のお話で、自分が見たのはテレビ初放映のときで、たしか中三の秋か冬くらい。進路を意識する真っ只中だったのでえらく感銘を受けた。

感銘を受けたのは自分だけでなく放映翌日の教室は「耳をすませば」の話題でもちきりだった。片田舎映画館に気軽に行けるようなところではなかったので、クラスほとんどの人がテレビで初めて見たんだと思う。

映像に映る風景空気感が、その当時の「死にたい」とはつぶやいてない世界で生きていた自分を思い出させた。

2017-01-29

このゲームタイトルが思い出せない

急に思い出して何回かググったけど知識不足からか見つからなかった



およそ20年前、1997年ごろに親戚の家でプレイしたPCwindowsたぶん95とか)ゲーム

ジャンルアドベンチャーミステリーとかそんな感じだと思う

実写っぽい風景主人公視点で映っていて(最初の方は昼間の林の中を進んだ気がする)、

グーグルストリートビューみたいに行きたい方向をクリックして移動できて、

気になるところをカチカチして謎解きしながら進んでいく感じだった

BGMがなくてシリアス雰囲気だった

あと覚えてるのは外国ゲームっぽかったことと、ディスクが何枚か分かれていたということくらい



知ってる人いたら教えてください







※お返事

id:furutanikaedeさん

ブコメありがとうございます

MYST画像検索してみましたが、残念ながら見おぼえのある感じではありませんでした

、、、、と書きましたがyoutubeプレイ動画見たら当たりの気がしてきました!

効果音雰囲気がまさにこんな感じでした!

自分記憶ではこんなにバキバキCGではなかったはずなんですが、

20年前のことなので都合よく美化していたのかもしれませんね、おそろしいおそろしい

ともあれ、ありがとうございます

2017-01-26

最後を見るのが怖い

何か変わるんじゃないかって淡い期待のもとに断捨離を始めたけれど、最後に残るのが「本当に大切なもの」じゃなくてただの殺風景な部屋だけだったらと思うと怖くて先に進めないけどそういうのはやり切ってから言えっていうね。

http://anond.hatelabo.jp/20170126154745 (改行有り版)

化粧が嫌いだった.

より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.

理由はいろいろある.

第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.

そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.

思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.

大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.

美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.

人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識ときはたとえば風景無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.

顔というのは社会活動必須アイコンからだ.

から人間の顔は美しくはないが面白い.



話がずれた.

雑誌モデルなどについてはどうだろう.

確かに彼らは美しいような顔をしている.

彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランス問題だと思われる.

彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.



彼らは芸術品だ.

相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.

人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.

そういうひとが一般的美人だと認識され,掘り出されて芸能人モデルなどになっているわけだ.

おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたし芸能人名前を覚えられない).

化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.

それは相貌認識理屈に合わないので納得できない.

芸術品になりたいわけでもあるまいし.

猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.

第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身価値観や美意識大衆側に捻じ曲げなければならない.

それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるからなのだ.

それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.

マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.

そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.

その上で,どうすればそういう要素の自分顔面再現できるかを学習し,実践しなければならない.

それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.



生意気は死だ.

思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.

そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.

それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.

それが大人になるということだとしても.

第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.

蔓延似非科学.

薬事法を逸脱してはならないがために生まれあやふや表現の数々.

コラーゲンヒアルロン酸プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.

当たり前だ.

人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.

乾燥していることは肌には負担だ.

なので保湿はメリットがある.

ただそれだけの話.

睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.

たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境破綻が起こっている場合自助努力効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).

そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.

「化粧をしていないものには死を.

肌が荒れている? 生ぬるい.

それはあなた努力不足だ」.

このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.

とんだ生存バイアスだ.



「この商品が効きました」というレビューがある.

わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.

思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.

しかたのない話だ.

肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色形態をとるようになってから歴史は存外短いのだから.

分かっていないことの方が多い.

結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.

なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.

「救われぬ」状態が少なから存在する以上,社会が求めるボーダーもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.

なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.

それが基礎化粧品だ.



カルト宗教じみている.

社会悪だ.

吐き気がする.

使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか

そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体意識してしま自分自身矮小さへの憤りだった.

そうと気付いてから世間体ではなく自分自身価値あるもの,好きだと思うもの意識して大切にするようにした.

重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人否定しなくても,自己同一性を維持することができる.

それは心の平穏に繋がった.

他人を称賛することもできる.

そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.

化粧をした自分の顔は好きだ.

スポンジのように様々な知識収集した.

こうして自分コンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.



けれど問題は,技術稚拙であるということだ.

周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.

熱意はたかが知れている.

そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.

無理をしたって仕方がないのだ.

だいたいなにか目的があるわけでもない.

わたしわたし自身幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.

ファッションなどもそうだ.

女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.

一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.

化粧が嫌いだった

化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識ときはたとえば風景無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動必須アイコンからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランス問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的美人だと認識され,掘り出されて芸能人モデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたし芸能人名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身価値観や美意識大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるからなのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分顔面再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延似非科学薬事法を逸脱してはならないがために生まれあやふや表現の数々.コラーゲンヒアルロン酸プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境破綻が起こっている場合自助努力効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなた努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色形態をとるようになってから歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なから存在する以上,社会が求めるボーダーもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか

そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体意識してしま自分自身矮小さへの憤りだった.そうと気付いてから世間体ではなく自分自身価値あるもの,好きだと思うもの意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人否定しなくても,自己同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識収集した.こうして自分コンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.

けれど問題は,技術稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしわたし自身幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.

2017-01-25

絵に対する勘違い

絵について勘違いがあるので指摘したい。

この町の風景単体で作品としての価値があるかというと、私はそうは思わない。

ブレードランナー」みたいな町を、「千と千尋の神隠し」みたいな色彩で味付けしただけと私は思った。

イラレの絵はゲームならテキストを引き立て、ラノベならキャラを引きたてなければならない。

ところが六七質氏の場合以前クラウドファンディングが有名になる前からパトロン募集して描いていたJohnHathway(※日本人

と同じ方式で絵を描いていた時期があり、そんな意味ではイラレではなく画家だ。画家は絵がメインでほかはサブになる。

一枚絵で納得させる美味しんぼでいうところのぜんざいテイストがあったと言ってもいい。

しかし、それでも他の絵本を覗いてみると、絵本の絵で完全に連続している絵が描けている人のほうが少ない。

しろ同じような絵柄で同じように描いている人のほうが圧倒多数だ。当たり前だ。漫画ではないのだから

まして六七質さんの場合あい形式の絵が元々多く、人選を誤ったという言い方もある。

JohnHathwayが何を描いてもJohnHathwayであるように、六七質さんもそういう人だ。

絵本としてはうるさい」ということなら話は納得できる。

またブレードランナーと言うよりシド・ミードフォロワーというべきだ。

しかシド・ミードフォローしているのはむしろ海外エンキ・ビラルや台頭してきた韓国中国イラレ

(例えばファン・ジウ、ジョンフェングアなど)

であり、薄暗さが強調されずに光がきらびやかな六七質さんの絵の評としては全然正しくない。

あの人の文脈は2009~2011年ころに流行った巨大建築物系のイラスト黎明期のもの

それをかなり前のシド・ミードと直接関連付けるのは乱暴過ぎる。

何より氏の作品は元々香港台湾から着想を得たという点でジブリに近いものだ。

http://anond.hatelabo.jp/20170123040505

2017-01-23

絵本えんとつ町のプペル』のどこが駄目なのか

にしのあきひろ著、『えんとつ町のプペル』を読んだ感想を書く。


先に書いておくが、私は紙の本を購入していない。

Spotlightサイトにて無料で読んだ。


作品批評特に批判的な批評する際、本来であればお金を払うべきだと思う。

でも、本人の意向無料公開したのだから、私も好きなように書きたいことを書く。

作品批評自由であるべきだからだ。


この絵本は"絵"が駄目である ー その1


最初にただしておきたいが、六七質さんの背景画が駄目だと言いたいのではない。

しろものすごい技量をお持ちのイラストレーターさんだと思う。


ピクシブや他のサイトでも、六七質さんの作品を拝見した。

緻密な建物の描き込みはもちろんのこと、空間の奥行き感じさせるぼやかした遠くの景色

夢の世界へいざなってくれるようなファンタジックさがありながらも、懐かしい記憶を刺激するようなノスタルジックさを併せ持つ独自世界観、等々。

私が言うまでもなく、素晴らしい作品をたくさん創作されている方だと思う。



では、この絵本の絵の何が駄目なのか。


それは「構図」である

一言で言えば、キャラクターが小さすぎ、背景が主張しすぎである


文字だけ抽出して読むと分かりやすいが、この物語はプペルとルビッチの2人のやりとりをメインに話が進んでいく。

2人の間で育まれ友情や、ルビッチ父親形見を2人で探しに行く冒険描写ほとんどで、町の風景の美しさを語る叙景詩ではけっしてない。


もちろん、後述するようにこのえんとつ町自体が、物語全体のテーマに通ずる要素にはなっている。

しかし、町の風景描写あくまでもサブ的な要素として、もう少し控えめに描くべきであった。

具体的には、キャラクターを大きく、背景のコントラストを落として、キャラクターを浮き立たせるように全体の色彩設計すべきであった。


では、なぜこのようになったのか。

それは推測でしかないが、要するに作者はこの町の風景世界観表現たかったのだろう。

最初から中盤まで、とにかく町の風景風景風景風景・・・と同じようなページがずっと続く。

描かれている看板などはそれぞれ違うようにしてあるが、ひたすら同じようなトーンの町の風景ばかりだ。

これは絵本としては致命的であるし、読むほうも飽きてくる。


それならば、風景イラスト集だったらよかったのか。

この町の風景単体で作品としての価値があるかというと、私はそうは思わない。

ブレードランナー」みたいな町を、「千と千尋の神隠し」みたいな色彩で味付けしただけと私は思った。

ブレラン自体が真似されまくっているので、これも世界中に数多あるブレランの50番煎じ、60番煎じの一つだと思う。


この絵本は"絵"が駄目である ー その2


絵については、他にもある。


この絵本は次の一文から始まる。

「4000メートルの崖にかこまれ、そとの世界を知らない町がありました。」

でも途中で、町は海に面していることが分かる。

ここで驚いたというか、ずっこけた読者も多いのではないだろうか。


「えんとつの町に住むひとは、くろい煙にとじこめられて、あおい空を知りません。かがやく星を知りません。」

とあるが、別にえんとつ町は外界から隔絶された町なのではないのだ。


それと、えんとつ町だけが高いところにあって、断崖絶壁の低地に囲まれているのか、

それとも、えんとつ町だけが低いところにあって、高い崖に囲まれているのか、海が出てくる場面まではっきりしない。


これだけ多くのページで町の風景を描いているのだから町の置かれた地形が分かるように、町の風景を描くべきだった。



絵について、最後にもう一つ。


プペルは、醜い姿をしながらも、清くて純真な心を持った、他のさまざまな物語にも登場する典型的怪物キャラクターである

しかし、絵本の序盤ではプペルの姿ははっきり見えず、終盤に近づくにつれてプペルの姿が明るく映し出されて全容が分かるようになる。


あとがきで作者が 懇 切 丁 寧 に 説明してくれていたように、プペルが「ゴミから構成されているのは物語重要な部分である

それであるなら、プペルの姿の醜さは、序盤からはっきり分かるように描くべきであった。


この絵本は"物語"が駄目である


この記事の本番はここから


あとがきには、この物語について次のように説明している。(※太字は筆者)

えんとつ町は煙突だらけで、そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。朝から晩までモックモク。えんとつ町に住む人は、青い空を知りやしない。輝く空を知りやしない。『空』という概念がないものですから、見上げることもしません。


そんな町に突如現れたゴミ人間と、その友達煙突掃除屋が、それでも空を見上げるもんだから、町から袋叩きに遭ってしまますえんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会風刺そして、「夢を見る」「夢を語る」「行動する」といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノをまだ持ち続けているという意味で、主人公を《ゴミ人間》にしてみました。


えんとつ町のプペル』は、そんな物語です。

あとがき現代社会風刺」と説明する野暮さには目も当てられないが、ここではひとまず流しておく。


プペルは「『夢を見る』『夢を語る』『行動する』といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」、いわば「夢の残骸」である

子供の頃は誰もが持っていた「夢を見る」「夢を語る」「行動する」は、プペルの心のように清くて純真もので、

それはえんとつ町(大人社会大人常識)の住民からすればゴミ、汚い、臭いものとして扱われる世界観なのである


では、ルビッチはどのような人物なのか。

それは作者・西野亮廣自身である

西野氏が、ルビッチのようなサスペンダーとハットを好むのを見れば、一目瞭然である

http://news.mynavi.jp/news/2015/01/04/138/images/001.jpg

http://up.gc-img.net/post_img_web/2013/02/55cb8b02247b92662b9e0a71412ec0f3_0.jpeg

http://s.eximg.jp/exnews/feed/Taishu/Taishu_21980_1.jpg

http://jgweb.jp/wp-content/uploads/2013/06/new_IMG_0039.jpg

http://img.u-note.me/note/uploadimage/1407827558970.jpg

https://wordleaf.c.yimg.jp/wordleaf/thepage/images/20130913-00000001-wordleaf/20130913-00000001-wordleaf-0.jpg

http://s.eximg.jp/exnews/feed/Yoshimoto/Yoshimoto_201306_post-0995_1_s.jpg


駄目押しで書くと、煙突掃除夫にはこのような制服があるので、作者がルビッチ自分投影していなかったのならば、ルビッチはこのような容姿になったはずである

google:image:Chimney sweep uniform


まり、この物語は、現実世界で「夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる」作者・西野自身が、清くて純真な「夢の残骸(プペル)」の尊さを自分けが理解し、そして夢を叶えるという概念(空にはホシがあるということ)は自分だけしか知らず、自分けが夢を叶えることができたという話なのである


それでは、西野亮廣氏は「夢を語るから、行動するから」笑われたり、叩かれたりするのか。

もちろん、そうではない。

自分の実力以上に、上から目線物言いをするからである

https://www.youtube.com/watch?v=asx0938br3E


現代現実世界では「夢を見る」「夢を語る」「行動する」は、「大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」なのだろうか。

ゴミ、汚い、臭いものとして扱われているものなのだろうか。


社会生活している人々は皆「『空』という概念がないものですから、見上げることもしません」、つまり夢を見たり叶えたりする概念すら知らないのだろうか。


一部ではその通りかもしれないが、しかし、すべてがそうではないはずだ。

夢を見て、語って、行動し、実際に夢を叶える大人は、この社会にはたくさんいるかである


しかし、作者・西野氏は「自分けが『夢』という概念を知っている。自分けが大人になっても夢を見て、語って、行動している。だから自分は笑われ、叩かれるのだ」という考えを、この物語のなかで自己正当化しているのだ。


からこの絵本物語は、幼稚なナルシズムに満ちていて、どうしようもなく醜悪でなのである

2017-01-17

日常系アニメ飽きたの?

クール1,2本は可愛い女の子けが出てくるアニメやってるけど、きんモザごちうさに続くようなヒット作はなかなか産まれない。

徹底して日常風景に特化したり、逆にギャグに特化する、細かい仕草作画にこだわると個性を出そうとしてるが大ヒットには繋がらない。

一体何がダメなんでしょうかねぇ~?

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