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はてなキーワード: ナードとは

2017-05-24

Gits SACはタチコマ重要役割を果たしたけど、ハリウッド攻殻機動隊にはタチコマが出てこない。

サウスパークは同じメンバー現代脚本熱狂ナード

アニメドラえもんは同じメンバー現代演出児童向け。

日本キャラもの海外脚本ものというのは無理がある。

キャラものの方が間口広く深くなる。脚本ものは売れない。

2017-04-23

A「日本フェミ日本萌えマスコットは叩くのにスイス人が同じことやったら迎合するのか(失望)」

        ↓

B「スイス萌え絵があるのが許せないフレンズなんだね!」

        ↓

A「? 日本フェミへの批判であって、私はフェミではないし萌え絵批判でもない」

        ↓  

B「お前はスイスナードのためを装ってるがほんとは違う!日本フェミを叩くためにやってるだけだろ!はい看破!」

        ↓

A「??? 最初から日本フェミへの批判だと言うてるやろ なんやこいつこわいなー ガイジかな?」

        ↓

B「亜ババババ!(トラバミス)」「言葉が汚い!俺の勝ち!」「論破してる!俺の勝ち!」

        ↓

C「焦りすぎやろw」

        ↓

B「うぎょおおおお!! 勝利宣言とはポイント高い!」

  


こんなんガイジいわれてもしゃあないやん…

http://anond.hatelabo.jp/20170423082738

お前は地球の裏側でナードが苛められてたら苛めてるやつに抗議しに行くのか。「日本フェミ」とやらを叩きたいからそれと同じレベルイチャモンつけてるんだろ?

最初から日本フェミ一貫性」の話しかしてねえのに

なんで見抜いたぞみたいにそんなこと言ってんの

「同じレベルイチャモン」て、フェミのエミュレートだと言ってんだろ

お前は俺の話をまず日本語の文として全く理解してないだろ

会話以前過ぎてあきれるわ


ねえ、お前はマジで日本語読解力に欠けたガイジなので自覚をもって。

健常者の会話に入ってくるとじゃまなだけなのでガイ施設にもどって。

リアルでもよく言われてんだろ?「お前話理解できてないんだから入ってくるなガイジ」、って。

そんな奴はネットにも来るなよ。

2017-04-08

退職エントリを見かけると想像してしま物語

学校では、さまざまな教科が教えられる。しかし実際に社会で営まれるような協力作業実践するカリキュラムは、実はあんまりない。

あんまりないが、ない訳ではない。そしてその教科で活躍するものは、スターとなる。その希少な教科が、体育の団体戦である。だから運動能力に秀でたもの自動的に、学校社会の上位へ繰り上がる。いわゆるジョックである。こどもたちは、体育の団体戦時間社会というものを知る。

一方、運動能力の劣る人種カーストの下位へ追いやられて劣等感を覚える。さらに体育の授業において足を引っ張ったことは「協調性がない」というレッテルに変換され、それが貼られる。かれらは劣等感によってすでにナイーブになっているため、やがて自身でも「協調性がない」という評価を受け入れ自覚するに至る。(つまりその自覚錯覚であることも多々あるが、ともあれ)こうしてナードに、ナード自我が芽生える。そしていずれ理想郷ファンタジー見出して、オタクとなる。

冒頭に書いたとおり社会特に会社という組織は協力作業の塊である。それも上述の、学生時代相克した元ジョックスと元ナードの協力作業である

ジョックスやサイドキックは、学生時代自分の居場所を維持するために秩序を重んじていた経験から会社においても、協調性を最重要視する。一方で元ナード協調性がないと自覚しているし理想ファンタジー見出しているので、秩序とか協調性とかは、技術知識を用いて破壊してしまうべきだと考えている。

ここまで書いてきた元ジョックスのコンサバティズムや元ナードのラジカリズムが、うまく噛み合い作動している組織もあるがそれは極めて稀なケースであって、これをお手本として追体験しようという試みは、おおよそ失敗に終わる。なぜなら、おのおののおのおのに対する偏見学生時代に刷り込まれていて、それを大人になってから覆させることは極めて困難だからだ。たとえば昔アメリカという国では偏見に基づく秩序を覆そうとした結果、国土南北に二分する戦争に発展した。

ともかくかようにしてスクールカースト間の相克大人社会へも継承され、いつまでもジョックスはナード協調性のない世間知らずとレッテルを貼って会社から追い出そうとするし、ナードジョックスに理想郷の話をしたがる。結果、ナード転職を繰り返す。オチのない悲劇である

さて、悲劇が始まったのはいつだっただろうか。そう、体育の時間である

2017-02-09

Re:JASRAC調査員が身分を隠して入店しても違法ではない」(大阪

http://anond.hatelabo.jp/20170207184036

身分を隠して入店して調査をしても違法じゃないよ、とお墨付きを与えた判例

仮に、の前の部分を隠して引用すればそう読んでもおかしくないけどな。

なお,控訴人の主張は,

  • 控訴協会の依頼を受けた調査員と知っていれば承諾しなかったのであり,
  • このような真意に反する承諾は承諾に当たらない

という趣旨にも解し得る。

しかし,上記認定のとおり,

にもかかわらず,

から(現に囲む会では被控訴協会管理著作物18曲が演奏された(前記(1)カ)。),

控訴協会

ことは明らかであって,これを不都合と考える控訴人が調査員の入場を拒否する自由を有することと同様,当然には違法はいえないところ,上記のとおり,控訴人とゼロクリエイトは,

  • 席を予約した客だけが入場できる完全予約制
  • 及び料金一人2000円の点を満たすものには入場を許諾する趣旨

であり,上記以外に,特別の入場資格資格制限を定めたりしていなかったのであって,被控訴協会側は,これを前提に本件調査に至り,Fは,前記態様で本件店舗入店して調査したのであるから

と来ての

「仮に,控訴人が調査員と知っていれば承諾しなかったとすれば,錯誤があったものとして意思表示の効力に影響があるが,事実行為としての入店調査違法をもたらすものではない。」

なので、これは乱暴に言うと

「そりゃーお前らにも客を選ぶ自由はあるけど、お前ら実際には客選んでなかったじゃん」

と読むのが普通だし、流石に曲解だわ。

ちなみにこの裁判もあれな、さっきのデサフィナード対象な。

Re:「今後も無断演奏に使われるかもしれないから、ピアノ撤去せよ」

http://anond.hatelabo.jp/20170207184036

過去侵害をした者は永遠に更生しないという偏った人間観を感じる。

そりゃあなあ。

被告は,

が,前記認定のとおり,プロ歌手によるライブは引き続き開催し,その際には管理著作物演奏もなされている。

(例によって箇条書きにフォーマット変更している)

「もう使わない」と言っておいて実際にはそれを言った直後に管理著作物を使ってるんだから

この短期間でそれやったらタダの言い逃れだと思われてもしょうがないでしょ。

デサフィナード事件原告脱法行為をしようとして

的な、ネットでよくありがちな言い訳理論をさんざ使って侵害判定されてるので、ネット著作権談義したい人は裁判所から認定部分だけでも読んだほうがいいよ。

2017-01-22

絶対コイツ本国ではナードだわって外人日本人女が一緒にいる光景を見て思う

体格もそこらの日本人と変わらない、なんなら連れてる女と同程度の体格

こいつ絶対本国じゃ最下層だったんだろうなっていう白人が、日本人女と一緒にいる

そういうのを見ると、白人は得だよなと思う

アジア圏は自分たちの平均よりチビだし、日本白人崇拝もある

日本人の男でチビだったら、もっと小さい人種を探すことは困難だ

2017-01-02

匿名サイトは年齢層が高いのに言葉遣いが汚い人が多い

現在ネットにおいて実名サイト若い人が若い人同士で集まっている場合が多い。

対して匿名サイトでは年齢層が高いように見受けられる発言が多いがその言葉の使い方は極めて幼稚だ。

これはネットというものがまだサブカルチャーであった時代における社会不適合者の溜まり場というイメージを未だに盲信している人間が多いことが原因だろう。

ハッキリというがその考え方は古い。

今やインターネット世間一般に開かれたものでありナードギークオタクと言われる精神的に未成熟な者たちの駆け込み寺としての機能はほぼ失われている。

その時代においてそれまでの風潮を維持しまいとあえて粗雑な言葉遣いを続けることは文化の変化を許容しない老害行為に他ならないだろう。

2016-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20161221020158

キモオタ」が赦された歴史などない。

過去未来現在も、決して赦されない。

オタ芸うつようなドルオタは赦されない。

部屋に対魔忍やLOがあれば赦されない。

桜を伐るような鉄オタは赦されない。

太っていてファッションに気を使わず臭い奴は赦されない。

リガリで野暮ったい眼鏡をしてきょどるナードは赦されない。


一般化したオタクは、ファッションに気を使い、適度な運動するため臭わず他人とも気さくに話し、部屋にLOなど置かず、アイドル恋愛しようが許し、声優処女性など気にしない奴だ。

つまるところ、「一般人」だ。

2016-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20161212104317

結局どんな国にいってもウザい文化は多少なりともついてまわってるから一緒じゃない?

アメリカアメリカで参加したくもないホームパーティやらスクールカーストやらが存在するんだし

職種や嫌な思い出をキャンセルできるのは単に自分がそれに至るまでのコストを支払ってきた結果だから

外国文化の方が良いと思えて引っ越しするだけのコストを支払ってるんだから都合の良い文化に入れて当然といえば当然

もしアメリカに産まれナードターゲットとして暗い少年時代を送って嫌な上司ホームパーティに出席させられてたら

日本にやってきて立川で叫んでるかもしれない「日本サイコー!」って、ね

勝ち取った青芝

2016-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20161007194930

前頭悪すぎだろ

「全ての総合評価で採点します」という定規が欧米

日本は「得意科目と不得意科目で採点します」が日本

 

なので総合点で多少の優劣はあっても得意科目があるやつは

全部同じグルーピングされる、化学得意なやつは化学得意な奴同士で総合点でグルーピングが発生しない

 

しか欧米では常に総合点の定規でグルーピングされるため

最下層のグループは何をやられても本当に駄目なやつしかまらない

からどんなグループから馬鹿にされる見下されるナードなわけ

日本にそんなえたひにんみたいなグループ分け発生しないだろ、

それは総合評価の定規で評価していないのと、特化型信仰があるから

http://anond.hatelabo.jp/20161007192830

欧米になんで体育会系存在しないのかというと

運動できれば勉強必要なし!」

勉強できれば運動必要なし!」

こういった和製常識通用しないから。

 

欧米価値観

「お前ができること全部やれ」

から

自分スペックを上げる能力を上げることにいちいち専門分野作ってそれに固執するという

和製一極集中教育をしていない。

しかもこれは「教育方針」ではなく「精神論」なので専門性を持ちたくてもドイツほどの専門教育を受ける機会が圧倒的に少ない)

口では「長所を伸ばせ」といいながら結局数学が得意で国語が苦手な奴に漢文勉強をさせるのがジャパン教育

言ってることとやってることがズレッズレ。

大人からしてこのように幼稚だから子どもも強く育たない。

 

欧米ではスポーツできるなら勉強もできて当然でしょ?

というオンリーワンではなくオールナンバーワンを目指す主義

運動いくらできても勉強できないなら、運動勉強もできるやつに馬鹿にされる社会。逆もしかり。

なので運動できるから勉強しなくていいという免罪符が成り立たない。

全ての頂点を目指すから自分固定観念で型にはめることをしない。

自分の才能に気付くチャンスが島国より圧倒的に多いし、能力者のためにそれ相応の予算場所提供してくれる、

完全にエリート向けの社会

から本当に何もできないナード層が出来上がる。

日本だと何もできないのではなく「運動ができない」とか「勉強ができない」というように1つの欠点を極大させて個性にして

グループ分けの判断材料にされるので「マジで何をしてもダメなやつ」という選定が発生しない。

なのでナード層が存在しない。

2016-10-05

次世代を担う漫画が「ぼくのヒーローアカデミア」ならおじさんは死なず、ただ去るのみだと思った

ワンピースのように大海原にでてテッペンを目指す漫画でもない。

NARUTOのように最高責任者を目指す漫画でもない。

 

ただひたすら自己承認欲求の強いナード属性主人公面白味も無い自己犠牲活躍して、

人間的魅力がないのに友達が増え、女の子から好かれるご都合のハーレム展開漫画

何の魅力もない主人公なのに今の若者はこれに自己投影して自分を慰める。

 

スラムダンク北斗の拳クレヨンしんちゃんジャングルの王者ターちゃん

シティハンター幽遊白書ろくでなしブルース今日から俺はドラゴンボール

封神演義蒼天航路キン肉マンうしとらやぬ~べ~やガッシュ寄生獣ジョジョ

 

を消化してきたおじさんは、自分と違う面白さを持った主人公人生を見たい読みたいんであって

自分と似たような暗いジメジメしてるだけ、ジメジメ回避のための打開策のアプローチすらできない主人公

なのに周りのおかげで勝手に上手くいくような主人公をお出しされても、全く面白いと思わないんだよね。

 

ハッキリいってヒーローアカデミアの作者って人間として面白くないでしょ?

自分が描きたいものを描いているというより売れるものを描いてる感がすごい鼻に付く。

誰かに否定されてでも書きたいとか着地に失敗してもおかまいなしに書こうとする気配が全く感じられない。

小奇麗にやろうとしてる感がキツイ

子どもたちがナードな俺でも・・・みたいな自己変革を排除して

チート能力や周りのヨイショを期待してしまうかもしれないのが辛い。

緑谷が主人公としての義務の周りを「ハッ!?」とさせるような魅力が全くない。

ナードならナードサイドによるリア充一般人の「俺たちはひょっとして大きな勘違いをしていたのでないか」という読者の知見を広げたり啓蒙する役目を全く果たしてない。

ナードがニヤニヤしながらリア充メンバーに囲まれチヤホヤされてるのをみて、現実で居場所がないナードが読んで緑谷と自分を置き換えて心を慰める、

代償行為にすぎない。

 

こんなの人生の糧になるか?

おじさんは死なず、ただ去ろうと思った。

 

あ、進撃の巨人は読んでます

エレンいいよね!

復讐燃える主人公とか大好きだ!

2016-09-20

アホそうな日本人女を連れ歩いてる外国人

大体イケメンじゃない

ヒョロガリだったりぽっちゃりしてたり動きが微妙にきもかったり

あと大体外人にしては背が低い

顔もまあ白人要素はあるだけでお世辞にもイケメンではない

多分本国じゃナードギークとか呼ばれてモテナイんだろうな、と

それにほいほいついてく日本人バカだなーと

外国人でもインテリイケてる人たちは、同じく賢くて綺麗な日本人女性とくっついてるし

世間知らずが外国人というステータスだけでそういうブサメン外国人に引っかかってると思うとなんか気の毒だわ

2016-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20160727005554

ナードはもともと蔑称だしキモオタって意味だろ

かっこいい呼び方だと思っちゃったお前が英語コンプ持ちなだけだ

ギークとかナードって

要はオタクだろ?キモオタ

なんかCOOl(笑)な呼び名にしちゃってるけど

チェックシャツ着た理系キモオタクがギーク名乗ってると、無性に腹立つんだけど

なんなんだろうな、この気持ち

2016-07-19

今の少年漫画に足りないのは良い話

ヒーローアカデミアのアニメ1~2話は良い話だったような気がしましたけど、

そういう「ナードな僕も努力したら報われました!!」みたいな話ではなくてね、

喧嘩してた太郎君と花子ちゃんが僕が仲直りのパーティ開いたら仲直りしました!!とか

腰を痛めていたおじいちゃんのための椅子を造ったら大喜びされました!!みたいな

日本人特有の和を尊ぶ精神から発生した思いやりや慈しみの心に溢れた話ってこと。

誰か悪をぶっとばしてハイ良い話、それ違う。

というか守りたい平和調和のはずなのに何でいつの間にか己の勝利になってんのか

最近少年漫画事情がオッサン本当によく分からないよ。

まあ、分析しなくても分かるんだけどね。

 

戦う以外にも平和を守らないといけない問題方法は山積みなんだよ。

それは戦う以上に難しいことだったり尊いことだったり本当に必要なことだったりする。

なぜかヨイショはされてもその本質に触れる人間がいない「和」の話。

どうしてブラックジャックが未だに読んでも面白いのかというと

手術と悪人と戦う以外にも個人個人の心の問題も解消していってるからだ。

それぞれの人生まで治療していってるから未だにブラックジャックは多くの人に愛されていて

ドラマ化もアニメ化も何度もされるのにアトムは不人気で火の鳥も良く分からない作品扱いされてる。

三つ目が通るだって立派に面白い手塚作品なのにリメイクが少ないのも

結局悪人ボコるだけの子供向け作品からだ。

もちろん長い目で見ればそれだけじゃないのだが。

 

ただそういうのは大人になって余裕ができて初めて他人を労わって別視点に立つことができる。

力を持った大人に許された特権でもある。

しかし今や大人も余裕がなくなりつつあり、子供にも勝ち組になれと他人を踏みつけろという教育が主流になった。

今の少年漫画は悪をぶっ飛ばして俺(俺ら)自己成長!の完全実利主義帰結してるって話。

視点ミクロすぎるって話。FPS

そんな漫画を正として捉えて大人になったら他人は全て悪で俺と俺らが勝てばそれでいいという目標しか立てなくなる。

全体を幸福にすることが最終的に自分の最大幸福に繋がることすら教えられずに人生を進むことになる。

 

ヒーローアカデミアも人助人助けとか言いながら今のところ自分たちしか助けてないし、

能力授かる前のデクは人助けもろくにせず自分のためにノートとってばっかの精神性もナード

今も相変わらず自分とすぐそばの人間のことしか考えられないナード精神

能力なくても道案内とかゴミひろいみたいなボランティアで人を助けることはいくらでもできる。

今までジャンプで連載されてきた主人公の中で一番自己中でどこまでも利己的な精神と行動。

から味方がいなかったナードなんだよな。

能力的な魅力がなくても、精神的な魅力・カリスマがあれば自然と味方ができる。

実際に人助けをしているオールマイトがどこをみてこいつに魅力を感じたのか理解できないご都合主義展開。

こいつの行動原理のふしぶしが弱者を救いたいという気持ちではなくて

単にオールマイトがカッコいいから真似したいっていうファン根性由来。自分がカッコつけたいだけ。

最初オールマイトがいなければ何の価値もない正真正銘のナードってこと。

こんなのに魅力を感じるわけがない、まだサイコパス気味のルッピさんの方がカリスマ性あるだけマシ。

第一話でイルカ先生を助けたナルトの足元にも及ばない精神性。

 

ヒーローアカデミアは「ナードな僕がカッコよくなれる自己犠牲マジきもちい」漫画

共感できる人ってナードな部分に共感してるだけで自己犠牲もマジきもちいいの部分もフィクション

嫌悪感を抱くやつはナードでかつ自己犠牲的な役回り押し付けられているリアル

単純に理解できないのはナチラルボーン勝ち犬。

俺はつまらないと評論している漫画ボーイ。

2016-06-24

隙あらばスクールカースト語り始める洋楽親父は悲惨

オルタナインディロックピッチフォーク系を聴いてる奴は暗いナード!」

普通の人なら社会に出てから勝ち取ったステータスを誇りそうなものですが、

ポップやハードロックダンスフロア系が好きなカースト上位気取りの洋楽親父の一部は隙あらばスクールカースト語りでこんなマウンティングを始めます

一昔前ツイッターで「成人式ヤンキーが暴れるのはヤンキー優等生と一緒に過ごす最後の機会だからだ」という論で盛り上がりました。

マウンティング洋楽親父は成人式以降も洋楽という共通話題で暴れているヤンキーみたいなもんですね。

研究で高い知能の人はレディオヘッドスフィアスティーブンスなどを聴き、低い人はビヨンセという結果があります

http://sp.ro69.jp/news/detail/112223

もう社会に出た段階でポップやハードロックダンスフロア系が好きなマウンティング洋楽親父と彼らの言う“オルタナインディロックピッチフォーク系を聴いてる暗いナード!”の地位は逆転しているのでは?

2016-06-05

クロコダイル』って映画ブサメン心に響いた。

この映画普通モンスター映画って感じで。しかも、B級っぽい感じがたまらない感じなんだけど。

キャラクター構成面白かった。

なんと、ブサメン金持ちブロンド美人最初から恋人であるイケメン2名は女日照り。ブロンド美女に言い寄るも、「サーフィンしか脳のないバカしね、ブサメンは魅力的だ!」という

見ながら俺は、『ほ~、金でブサメン勝利ってパターンかーあんまり見ないなあ映画では』と思っていた。

  

また、そのブサメン君がことあるごとに金で買収だの、仕事のために危険をおかす(自分はノーリスク)、別の美女エロダンスブロンド女の前でなびく。人が死んでも、自分が助かったことに大喜び。

という感じで。それでもブロンド美女は、ブサメンLOVE

  

非常にいいじゃん。って思ってたんだけど。

そのブサメン、岩で足を切ったくらいで大騒ぎ。で、あっけなく死ぬんだけど。

ブロンド美女が、「自業自得ね」って感じ。

最後イケメンが頑張りまくってトウトウ助かると、イケメンキス

  

まりイケメン金持ちブサメンに勝つために頑張りまくるっていう構図。

へぇ~って感じ。

  

サメ映画とか、ワニ映画ってこういうのがパターンってか様式美なんだけどさ。

ジョックイケメン)とブロンド美女がくっついてて、ブサメン根暗ナード)が頑張って最後ナード美女が惚れるってパターン普通なんだけどさあ。

これ逆なわけだ。

でも、逆のほうが確かにリアルだよね。

大人の女ってやっぱ金じゃん。そこになびいた女を、肉体的にすぐれたイケメンがいいところ見せるほうが自然だしね。

こりゃなかなかいいじゃんって思った。

2016-04-22

前略、はてな様。(前編)

まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。

私は一、はてな無名ファンです。

先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。

元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。

大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。

ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービス利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います

しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギークナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています

勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています

私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます

回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。

私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。


ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。

私は長年使っているとは言いながらも、所謂はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。

コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。

これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。

最近はてなブログブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。

かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。

前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません

私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。

その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。

はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザー比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社インターネット事業担当になったというキャリアです。

はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。

その頃、ちょうどあるECサイトコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービス炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログ商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかい現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。

今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。


自分語り方面脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログはてダから始まって、livedoor、goo、ExciteSeesaaJugem、FC2、楽天、MSN、ドリコムウェブリブログドブログYahooヤプログ、アメなんたら……

でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。

なんだこりゃ、殺風景サイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。

ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。

純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギーク技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。

人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。

そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。

今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービス外来大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。

そんな中、日本ドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。

はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端ネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代ヒーローだと思ってたんですよ。

はてなブックマークソーシャルブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。

だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通り中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……

何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。

私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思いますちょっと極端なことを書いたら「フロム先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。

はてなブログ目次記法は便利だと思うんですけど、他所ニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。

ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。

まり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。

もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。

最近はてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。

一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。

こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。

だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。

むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネット醍醐味であり爽快ですらありました。


……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザーコミュニティによるチェックと自浄作用が働きますはてブうまいことそういう機能果たしてきたと思うんですよね。

でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーモラルもありますが、サービス構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。


海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。

この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドライン専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。

これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。

別にネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブ牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思いますTwitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……

ただそういう人達ごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。

というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。

最近、ある有名人ブロガーブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。

この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。

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すみません、長すぎて登録すると切れてしまうので、途中で切ってトラバで繋げます

2016-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20160119045213

クラスタ?っていうのの中でのんべんだらりと前習え右に左何も考えず同じ方向向いてればいい

から見られてることすら気がつかない、そんな白痴レベルメンタリティでさ

それだけがナードの掟なんだから

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