はてなキーワード: バイト代とは
「誰かのため」に生きてきて、あまりにも自分で決断する能力が乏しいことに気づいたのはここ最近の話。
「母が姉のことですごく大変(超オブラート)だから、母に負担をかけないようにしよう」と考え始めた幼い自分は、ドラムを始めたいと思ったが母に伝えるのをやめた。そもそもそれまでの習い事がほぼ続かなかったのもあったが。
中学時代は不登校だったのでそもそも進学先が絞られていたが、学校の先生が勧めてくれた公立の定時制を選んだ。学費が安かったから。
高校時代の学費は出してもらっていたものの、定期代はバイトを始めてからはほぼ全部自分で出した。
お小遣いは欲しかったけど貰わなかった。母の負担を減らそうと、バイト代を毎月渡したりもした。結局姉が母にお金を出させるので、渡したお金が姉のために使われるのは嫌だと思い、渡すのはやめてしまった。
よくわからないまま「大学に行き人生を考える!」だとか大義名分のようなものを掲げて進学したものの、結局何も分からない、見つからないまま卒業してしまい、奨学金という名の借金を抱えてしまった。
なんやかんやあり当時付き合っていた恋人を振り、そのまま新しい恋人を作り地元を出て同棲を始め、就職して、1年半でやめた。次に就職した会社もついこの間4ヶ月でやめた。
どちらも途中で心が折れてしまった。
自分で決断できないということは、責任を負う能力も乏しいということを痛感した。
自分でも支離滅裂な文章を書いていて何もわからないが、「姉のため」「母のため」だとか他人を軸にして行動していたら、自分が何をやりたいか全くわからなくなってしまった。
とりあえずバイトを決めてフリーターになる予定だが、誰かに依存し続けてきたせいで、あまりにも自分がやりたいこと、進みたい方向が何もわからない。
お先真っ暗!だとか、過去の選択をもう一度やり直したいとか、昔の恋人を振った時に相手を傷つけてしまったことの罪悪感が消えないだとか、自分は上手く立ち回れているかだとか、やめた職場で分からないことを聞いた時の声色だけで「怒らせてしまったかな…」と被害妄想してしまったことだとか、人生の失敗や後悔ばかりを考える毎日を送っている。
今日生きることを考えるのもしんどくて、外に出かけるかすらも恋人に依存してしまい、一人だと日中もまともに動けなくて、一日の大半を布団や部屋の中で過ごして終わる日々が続いてる。
まあわかる。(流石に300はアオイソメ
隙只要有机会,他就会谈论自己。
本来は実家に住めるから家賃光熱費固定資産ゼロ(親)。(わけあって近所の15万に住んでる)
車は社用兼の軽。服はほぼユニクロ、ワークマン、たまにホムセンのデザインかわいいやつ。時計とか興味ない。
財布だけはいいの(ゆっても10前後)を2年おきぐらいに買い替えるように
家賃:前述のとおり
光熱費:24万。でかいPCあるのと自宅作業多いのでエアコン。あとお風呂よく入る
保険:前払いや10年払い除いたら12万で一緒。独り身で貯金あるとちょっとでいいよね
ファッション:毎月0~5万ぐらい。たまに2万ぐらいのカバンとか買ったりの程度。
雑費:ホムセンかニトリかスーパーで適当に買っててわからん。使いすぎてることはないはず。100均品質が怪しく思えていかなくなった。
そんなに大差ない。
スイッチは転売落ち着いた頃に買った初代が現役。コントローラ(ひも付きのホリコン)こないだ買い換えた。無線は充電めんどくて。
他の用途でも性能居るから、PCはよいのを買うようにしてる。といっても5年に1回30~50万
ソフトは年に5~10万ぐらい?
安い時にとりあえず買って積む。二か月に1回、1~3万ぐらいな感じ
自炊が多く、週3~5ぐらいスーパー行ってる。毎回の会計が3000~4000ぐらいなる。
半分ぐらい酒の気がする。あとはよい食材とか値段見ずに買ったり、すべての料理を胡麻風味油かエクストラバージンオリーブ油でやってるからみたいなの
安くて3万。たまにその10倍。
性欲のために生きてるなぁ(ガルバじゃなくてそっち系でちゃんと)。
広い意味での見栄みたいなものが無いと、独り身でお金減らないのは共感する。
性欲強すぎるから、そっちであっちゅうまに浪費できてしまうけど。けど上限はなんとなく見えてる。
当時なら「激細」というほどじゃないと思うよ
高校行くにも奨学金がいる、高校時代のバイト代は家族の生活を支えるため、さっさと就職して金稼がないと弟妹の高校学費が出せない、なんてのが「激細」だろう
下の上くらいじゃないかな
実家は太くも細くもなかった。統計年収の中央値、300万くらいは年収がある家だった。
田舎の有名企業の工場でブルーカラーとして働く父と専業主婦の母、そして私と弟ふたり。家族5人で父親が建てたマイホームに住んでいた。
勉強は田舎の公立小中学校の中ではできる方だった。テストの前に願掛けとして触らせて欲しいなんて言う同級生が何人かやってくる程度には勉強ができる人として有名だった。
高校進学の時、親は地元の偏差値30代の高校に進んで欲しいようだったが、流石にそこは嫌だったので大学進学しないということを約束にして片道1時間半かかる都会(当社比)の偏差値58くらいの高校に推薦で進学した。
まず、この高校に進学するときに約束した「大学進学はしない」という約束だったが、だんだんそれが許せなくなってきた。
周りの人がほとんど大学に進学する環境の中で、今まで頭がいいと周りからチヤホヤされてきた自分が大学に行かないのは「ない」だろうと思った。ああ、我ながら性格が悪い。
そうしたら、「女のお前が大学に行ってどうする、お前の学費は貯めてない」と一蹴された。
ならばというわけで大学進学にかかるお金を調べてみたが、国立大でも入学金20万に年間の学費で60万ほどかかるという話だった。
親の年収ははっきり聞いたわけではないが、親の愚痴などから手取りで20万ほど、ボーナス込みの年収にして300万ちょっと程度だろうとアタリをつけていた。
その状況でこの入学金と学費を出せとはとても言えないことに気がついた。
でも、この世帯年収で特別に生活に困らされたことはない。ゲーム機も買ってもらえたし、ソフトだって誕生日には1本買ってもらえた。高校生の頃にはiMacを自分のバイト代と親の援助で買うことができたのに。
だから、大学進学っていうのはお金持ちがすることなんだと気づいた。
けれどもそれで進学を諦めるほど素直な性格じゃなかった。だから、進学を反対する親とは何度もケンカをしつつ、浪人しながらバイトをして学費を稼ぎ、夜間主コースのある国立大になんとか合格して進学を決めた。
親もそこまで鬼ではなく、入学金と一人暮らしの最初の資金だけは援助してくれた。
それ以降は、昼間バイトして夕方から大学で勉強して、昼間コースの1/2で済む学費を着実に積み立て、月3万4千円の共同風呂アパートの家賃も払うという生活をしていた。
でも、大学はお金持ちが通うところという気づきは外れておらず、夜間主コースであっても学費も生活費も仕送りをもらってますって人が7割くらいだった。残り2割が苦学生で、1割が社会人学生や訳あり学生といった感じだった。
そして今、大学で出会った人と結婚して、子どももいて東京に暮らしている。
区の平均世帯年収は800万くらいらしいし、うちも平均世帯年収に引けをとっているわけじゃないので、子どもの学費はよっぽどのことがない限り問題なく出せるだろう。
こういう世界に住んでいると、大学進学くらい当たり前という感覚にもなってくる。
しかし、本当はそれはとても贅沢なものなのだ。私はそれを知っている。
知っているはずだが、卒業から何年も経った今、その感覚を忘れようとしている。
実家は決して太かったわけではないが、細くもなかった。
それなのに、私の実家が貧しかったと思わされてしまう世界が存在する。
これを読んでくれている人がどの階層の人かは分からないが、多分私のように階層を移動したことがない人だと思う。
だからもしかしたらこの結論が分からないかもしれない。私もうまく表現できている気がしない。
だけれども、この日本にある「大学に通うのに困らない」人々と「普通にしてたら大学に通えない」人々の格差のこと、少しでも気にしてもらえると嬉しい。
親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)
就活は氷河期とリーマンショックの間の世代で大学を出て就職は普通にできたから運は良かった方だ
学生の頃にバイト代を貯めて韓国とタイに行き、日本と違う空気や文化やメシに触れるのが楽しかった
地方の安月給の会社に就職してからも通勤途中でよく読んでたのは海外旅行のweb記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった
なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!
行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ
最初の目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機でカトマンズに入る
漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした
4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった
そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的地タイのバンコクへ陸路で移動する
その後ビザが必要なミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空のドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た
飛行機で紅海対岸の禁酒国家イランへ、イランは旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランのバスで男にケツを撫でられる
後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人をターゲットにするそうだ
イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった
当時まだグルジアだったジョージアはワインもうまいが料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい
シュクメルリが話題になったがヒンカリ、ハチャプリ、ほか名前もわからん料理などどれもうまかった
黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコでカッパドキアとイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアでヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方の生地ヴェリコタルノボを歩いた
ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない
バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデンに渡り、ノルウェーでサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンとオスロで買っておいたスシライス(カリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった
ノルウェーは物価が高すぎたためオスロ空港で出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される
インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーでオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる
さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年が普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない
そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルでセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつにバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズとハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした
アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態も治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間の生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった
あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンやキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった
ナミビア、ボツワナ、南アフリカはサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンのエンストはしょっちゅうで、止まったバンを乗客みんなで押しがけした
乗客同士で一体感が生まれて面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした
ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食のハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた
アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日安ワインを1本ずつ開けた
チリのワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった
このワインは日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする
アルゼンチンやチリはバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事やワインのサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである
南部パタゴニアの名峰フィッツロイやチリのパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた
この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた
チリを北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的地ウユニ塩湖へ向かう
昔ポカリスエットのCMでビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本の大学の春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本人学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった
そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった
ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全のコカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた
バスを乗り継ぎエクアドルのグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ
グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる
スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった
別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう
グアヤキルは新婚旅行で訪れた日本人夫婦が強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である
ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い
アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメも写真に撮れたのでとても満足した
南米本土に戻って北上を続け、コロンビアのボゴタでオーパーツの黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う
このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した
成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーとコンビニのざるそばがうますぎて泣いた
使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった
今はちゃんと再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す
自分は中学生のころまでは他の女子たちよりも何倍も遅れてる子だった。
ブラジャーを何故つけなければいけないのかも分かってなかったし、母も買ってくれなかったから体育の授業もずっとノーブラで同級生から「ブラしたほうがいいよ」と言われ続け、脇毛は剃るものだと知らなかったから水泳の授業でも脇毛ボーボーで参加して「脇毛は剃ったほうがいいよ」と同級生から言われ……。
スカートから出てる生足にすね毛がボーボーに生えてる? 知らんがな。勝手に生えてきてるだけ。そういう認識。
私服も親が買ってくれないから持ってない。制服以外だと、林間学校用に親が西友で買ってくれた1枚1000円のTシャツ2枚とダボダボのジーンズとノーブランドのへんなスニーカーしか持ってないレベル。
16歳のときにバイト先の美人な先輩から「化粧してみたら?」と言われて、貯めたバイト代を持って勇気を振り絞ってデパコスカウンターへ行ってビューティーアドバイザーさんからイチからメイクを教わった。
習ったメイク用品を全て買って2〜3万円くらい。
雑誌に載っていた、青山にある美容室に死ぬほど勇気を振り絞って行ってカット&カラーで15000円くらい。
服は何を買っていいかどこに行けばいいのか分からなかったから、とりあえずユニクロでひたすら試着を繰り返して分からないなりに適当に2〜3万円分くらい購入。
そしたらいきなり周りの人の見る目が変わって、「こいつは女だ」と認識されるようになった。
バイト先の警備員からいきなり映画に誘われたり、早朝ウォーキングしてたらいきなり車が寄ってきてナンパされて恐怖したり。
こいつらマジで外見で「女」か「それ以外の生き物」かを判断してやがるんだ……と衝撃を受けた。
「女」は大人になったら自動的になるものじゃなくて、努力してなるものなんだと知った。
周りの人は、彼氏が出来たからメイクやオシャレをするようになったと思ったらしい。
いや違うよ。ダサい生き物に男なんて寄ってこないから彼氏なんてできないよ?
自分語り。人によっては自慢話かよ。って思うかもしれんからそこはすまん。ただ、どこかで言いたかったんだ。この場を利用させてほしい。
大学時代、ヤリサー飲みサーと呼ばれるサークルに3つ入り、バイト代は全て飲み(ヤリ)に使ってたんだ。1年(18歳)からサークルで酒飲んで、年確されないバーの情報を先輩から教えてもらってそこに入り浸って、そこに来るような女の子の軽いのなんの。
大学2年までで経験人数は40〜50くらいまで増えた。バーは年確しないから中学生もたまにいてさ、そのくらい治安が終わってるバーで順調に経験人数を増やしていった。サークルでもやれる時はあった。メインはバーだけど。
ちなみに全くイケメンじゃないし、なんならちょいデブのチビ。リアルな数字で言うと63kgの164cm。これは今でも変わってない。ずっとキープしてる。
もちろんそんな俺としてくれる女の子だから、こんなこと言うと怒られそうだが8割くらいは可愛くない娘。まあ、殆ど0円でヤレるから文句はないよなって感じ。
そんな中、大学2年の11月くらいかな。新しくセフレが出来たんだ。
同じ大学だったんだけど、出会いはその年確されないバー。初対面時からお互いベロベロに酔ってて、出会って30分でその女の子の家に行った。そのままヤッてそのままセフレ。
以下この女の子をAとするな。
Aとは2週に1回ペースでやってた気がする。で、俺は別に好意とかなく、告白されたら困るなあって感じ。ポイする気満々だった。
ただ、Aは最初の頃はセフレといった自覚があったんだが、次第に自分は彼女だと思い込むようになっていった。
てか、メンヘラだったんだよ。俺がメンヘラにしちゃったのかもしれないけどさ。
で、結果から言うとAから背中を刺された。包丁で。軽傷だったんだけどね。ちょっと縫うだけで済んだ。
その後Aは結果的に傷害(殺人未遂にはならなかった)の前科が付いて大学は退学。
で、人との繋がりがそこしかない俺は端的に言うと孤立したんだ。しかも派手に遊んでたから悪い噂も流れてて学科の人間もアイツは関わらない方がいいみたいな感じで。
こんな俺と関わってくれるやつも最初はいたんだが、なぜかそいつらはみんな留年or退学したんだよね。類友って凄いよね。
元々受験失敗してランクを下げて入学した俺は進級だけは出来てた。まあ成績で「秀」とか見たことないけど。
ただそのせいで「友達」がいなくなった。
違ったんだな。とそこで気づいて、孤独に耐えれなくなってさ、大学を辞めようと思ったんだ。
そんなとき、転機が訪れた。
しかも轢き逃げ。まあ、犯人は捕まったんだが、包丁刺された事件から2週間後だったから警察はAの親族が怨恨でやったんじゃないかって疑ったらしい(伝聞)。違ったんだけどさ。
で、轢かれた時「大丈夫ですか?!」と駆け寄ってくれた人がいた。これがまあ、今度結婚する女性です。イニシャルがMだからMとさせてもらうな。ちなみにAもイニシャル。
で、Mが通報から色々やってくれて、骨が折れていながら俺は「いつかお礼させてください」とその場で連絡先交換したんよ。俺グッジョブ。
で、色々終わった後「あの時のものです、お礼させてください!」と連絡を取り大学内のカフェで会い、粗品を渡す。そこの雑談で共通の趣味があることが分かり、なんやかんや仲良くなっていった。
で、しかも女性怖かったのにMは怖くなかったんだよ。そこら辺で俺はMに好意を持ってしまった。
「好意」を感じたのは高校生ぶりだと思う。本当になんか嬉しかったし、ここら辺で経験人数を稼いで自尊心を高めていたあの頃の俺アホじゃねえの?って思うようになった。
今思うと、カッコよくないことを自覚してたから経験人数で誤魔化したかったんだろうな。自分に自信がなかったんだろうなと思う。バカみたいだね。バカなんだけどさ。
ホテル行こ?や、家行っていい?よりも2000倍緊張した。答えはokだった。
嬉しい反面、この段階ではヤリチン時代のこと隠していたわけだよ。罪悪感が凄かった。いつか言おう、いつか言おうと先延ばしにてた。
で、告白成功のタイミングくらいで性病検査した。性病なかった。奇跡だよね。まあ、ヤリチン時代でもゴムは毎回付けてたけど。(潔癖症の一面がある)
で、クリスマスの時、まあ、そういう流れになるわな。俺から見ると半年ぶりくらいのセックス。そしてMとの初セックス。
興奮が凄かった。で、勃たなかった。
トラウマや罪悪感、色々な理由。多分その全てのせいで勃たなかったんだよ。
ただセックスは出来なかったんだよ。
そしたらMから謝られた。なんでだよ。全部悪いのは俺だよ。って。泣きながら過去のヤリチンの話、刺された話、そこから女の子が怖くなった話、多分学科の人間から避けられてる話、俺には友達がいないんだよ。って。全部話した。
クリスマスの日に泣きながら話したんだよ。パンツは履いたけど上は裸で話したんだよ。下もパンイチだよ。
そしたらMは少し考えた後にさ「浮気したい?」って。目を見て「絶対しない」と答えた。そしたら「信じるからね」って。目を見て返事してくれた。
もう、過去の俺を殴りたくなった。でも過去の俺は殴れないから今の俺を叩いた。泣いた。ハグした。ハグしたまま寝た。
その日はそれで終わった。
この文章書いてて気づいたけど、Mは過去の俺を全く肯定はしてないんだな。「分かった」や「許す」とは聞いたことないしあの時も言ってない気がする。
めっちゃいい娘じゃん。また好きになった。この文章書いて良かった。また好きになった。
最後に、なんでこんなことを言いたくなったのか。ですが、3日前、7年ぶりに経験人数が1増えました。Mの経験人数も1増えました。
つまるところ、EDが治りました。初めてセックスが出来ました。(返信見て伝わってなかったので追記しました)
親の金にたかるのはダサいみたいな価値観って、一応社会性の一環として心の外れにインストールはしてるけどほぼ実感は伴ってない。これはおれがかなり親のスネを齧ってきたがためのポジショントークだと思うけど。
齧れるスネがあればそんな価値観に与する道理もないし、齧るスネもないならそう思っとけば自分を素晴らしいという事に出来るしな。わざわざ選択するまでもなくそうせざるを得なかっただけであったとしても。
一生働かずそこそこ裕福に生きていけるだけの蓄えがあって、かつ両親から嫌味も言われないのならまず労働なんかしないと思う。
バイト代で買う中古のアルトよりも親に買ってもらったフェアレディZの方が普通にかっこいいと思う。もちろん逆も然り。
環境が生んだものだけではなくて、心の内から発せられる自立心ってあるんかなって思う。この場合の自立心は世間一般で扱われるような、親とは世帯を分け、労働に励み、場合により結婚すべきという所までを含んだ程度の意味合いで。
発言小町、増田、知恵袋、YouTubeのコメ欄、Yahoo!ニュースコメ欄での活動をライフワークにし、生活のために地元の市役所で働く実家暮らしアラサー男だ。
充実したキャンパスライフを夢見て受験を頑張り田舎から上京したものの打ち解けられる友達はできず、大学生バイトが中心の居酒屋バイトでも浮いて辞めた。
夢のキャンパスライフの幻想は夏休みまでに打ち砕かれ、以降は単位を取得するためだけに講義に行き、暇つぶしで図書館に行き、年配の夫婦がやっている定食屋の唯一のアルバイトとしてバイト代を稼ぐ毎日を過ごした。
そんな中で俺の心を癒してくれたのがはてな匿名ダイアリーと知恵袋だった。
都会での暮らしは孤独感を増幅させるためだけなので市役所に採用され、大学卒業とともに実家に帰った。
以降は職場と家を往復し、空いた時間ではせっせとインターネットの職人として活動した。
この子は二つ下で小中高と後輩だった。たまに鉢合わせると挨拶してくれる優しい子。
男は殆どが地元に残る一方、地元の女は高校や大学を卒業すると県庁所在地の市や東京に行ったきり帰ってこない薄情なアバズレばかり。
しかしこの子は家から地元国立に通い、俺とは違う自治体であるものの地方公務員になって実家で暮らしていた。
別にどうにかなりたいわけではなく、ただたまに鉢合わせるだけで幸せだった。
彼氏の影もなかったし、基本的に知らないことなどない親同士の会話にも出ていなかったのに突然結婚して家を出て行った。
もう本当に最近は良いことがない。
親がしてくれなかったこととか理不尽だったり守られなかった約束とかを23なのに思い出しては泣いてる。
親には今の歳まで不自由なく育てて来てもらって高校の頃までは本当に感謝の気持ちしかなかった。それなのに大学に行った頃ぐらいから他の子はしてもらってたのに私の親にして貰えなかったこととか理不尽だったこと思い出して泣いてる。
例えば弟に道具の使い方間違ってるよって教えたら母親にブチ切れられたこと。(母親曰く姉から教えると弟の自尊心が抉られるかららしい)
父親がエビフライ作ってくれるって言ったから楽しみにしてたのに結局作ってくれなかったこと。
毛深くて虐められてたから親に毛を剃りたいと言ったらシェイバー貸して貰えたけど古すぎてきちんと剃れなくて結局剃ったあともチクチクしてるwと友達に言われ続けてたこと。その後自分のバイト代で脱毛したいと言ったが大反対されたこと。
私の言ったことを信じて貰えなかったこと、信用されてなかったこと。
お箸の件は父親も母親も末っ子だから弟が可哀想なめに合わないかはきちんと心配するけど長子である私の気持ちには疎いのかなと思った。正論が正しくないのも分かるけどその後私へのフォローもあっていいんじゃないのかと思うのは私のわがままなのかもしれない。
母親に子供の頃の不満を伝えると「そんな昔のこと言ったって意味ないじゃん、はいはい、すいませんでした」もキレ気味言われて私の気持ちは蔑ろにされるんだと思って涙が出てくる。
昔はこんなこと思ったことなかったのになんで今更って思う。最近では母親は弟の方が好きなんだって思うようにもなった。(このことも母親に伝えるとそんな事ない‼️とか言ってるけどどう考えても弟の方が優遇してる。)
昔のことでうじうじし続ける自分も大っ嫌いだし23にして反抗期みたいなムーブかまして本当に気持ち悪いと思う。
親に学費まで払って貰ってて養われてる身なのにこんなふうに思ってしまうなんて情けない。
こんなことつらつら書くのもきしょすぎるし、何年前の話引きづってるんだよwって思う。
小さい頃から母親に「悲劇のヒロインぶらないでくれる?」って言われてたから私は23にもなってまだ幼少期のくせが抜けてないのかもしれない。いつも悲しい気持ちになっても心のどこかで悲劇のヒロインぶってるだけで本当は悲しく無いのかもしれないと思ってしまう。自分の気持ちが分からない。無意識に悲しい気持ちになって私可哀想って思うことによって気持ち良くなってるのかな?もしそうなら早く辞めたいし、もっとちゃんとしたい。
養ってもらってる、学費まで払ってもらってる身なのになんでこんなんなんだろ、早く楽になりたい。
その現実を親と膝突き合わせて話し合ったの?
増田の親は
「給料払ってるのに無駄金使ってばかりで、家に居るくせに金も出さない」
「これだけの稼働時間でこれっぽっちの給料でこういった生活をしている」
(親は給料払う側だから金額は知ってるだろうが、6万なんて学生のバイト代より安いということを認識させる必要がある)
「副業に就くためにはこれだけの移動距離が必要で、家業の就業時間と折り合いがつかない」
「家を出て自活する為の貯蓄は出来ない(なぜなら給料が安いから)」
「無駄遣いなどしていない。必要経費だ(必要な理由を述べる)」
そういったことをしっかりと話し合うべき
親が金持ってるのなら増田が転地して自活するための費用をガッツリ負担して貰え(余裕が出てきたら少しずつ返済すると伝えて。返済するか・出来るかは増田次第だが)
増田の年齢が分からないが、なんとか奮起して日々の必要経費をへつって地道に貯蓄して自活する道を模索しよう。数年単位の計画にはなるが
(辛いだろうが車は処分。必要な時は親の車を貸して貰ってガス代払え)
年齢かなりいってるとかだったらきついが…まあそれでも転地して非正規でもそれなりに食っていける仕事が見つかれば…実家に居るよりマシな生活になるのでは
年収は500万と少しくらい。
お互い昇給はするだろうけど3年くらいはこんなもんだと思う。
世帯年収1100万ってそれなりの暮らしができるものだと思ってた。私の父親今の私より年収低かったけど私もきょうだいも普通に育てられてたし。
でも私が買った車のローン払ったり奨学金払ったり、2人で決めた額の生活費とか貯金を別に回したりしたら、お小遣いが毎月6万しか残らない。
大学生のバイト代みたいな額でびっくりしたんだけど、独身一人暮らしのお金全部自分のものって感覚に慣れてたから少なく感じるだけで、世の中のお父さんお母さんって皆これくらいでやりくりしてる?
子供できたり家買ったりしたら普通にもっと苦しくない?、、、いやそのころには昇級してるからそうでもないのか?
子供できるまではまだボーナスはそのまま自分のものとして使えるから、やってけるとは思うけど、子供できたら全然自分のお小遣いなんてなくなるんだろうなー
私の親は私たちの世帯年収の半分くらいしかなかったから、もう自分のお小遣いなんて全然取れなかったんだろうな。
そう思うと親ってすごいな。ありがとうお父さんお母さん。