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はてなキーワード: 公共交通機関とは

2016-05-16

この日本治安世界一ひどいことがわかった

公共交通機関の中では、座りたければ座ってる人を背負い投げしてまで座ればいい

そういう事態に遭遇しました。

そういう事実がある以上、日本は何ともいえません。

安倍晋三さん何とかしてください。

東京オリンピックやる資格ありませんね。

2016-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20160329193624

都心部では

・大規模ビルが増えた→人多い

安全管理上、敷地内に通勤者のクルマはおろかバイク自転車も停められない。

駐車禁止の徹底→クルマ無理、バイク無理。

環境負荷低減のため、建設業界もなるべく公共交通機関でという行政指導

車両定員オーバートラックで詰め込み輸送→昔はわりとあったが、今は無理。

2016-05-10

うーん…平行線だね。もうやめよう。堂々巡りで二人ともがアホになる。

お前の主張する【予想外のイレギュラーに対しては運転手に同情すべき論】俺は全然納得しないけど、まあ住宅地辺りの子供の飛び出しは含まれないなら一理あるとします。でも対人間である以上納得はしないからな。

http://anond.hatelabo.jp/20160509224725

制限速度20kmだと渋滞まみれの非生産的国家ね。これは俺最初に30km以上出せない車作れみたいなこと言ってんだけど、現状では不可能だよ。そんなの分かってる。根本的に車の量を減らす。これが大前提

から趣味や娯楽の不必要な運転はやめる。公共交通機関を使う(もちろん今より充実させなきゃ意味ない)。さらには30kmしか出ない車。んなもん乗る楽しみもなく、車離れも相まって一気に非車社会へ進む。30kmしか出なくても、たいして車いないか渋滞しない。これが理想

何十年かかるか分かんないけど、非生産的国家に成り下がることなく、脱車社会が実現すれば日本は素敵な国になるんじゃないかしら。

ごめん途中からたんなる理想

でもそう願うくらい交通事故で亡くなってしまう人が可哀想で仕方がない。

それだけは理解してほしいわ。

2016-05-07

悪でしかねえ。は訂正します。

送迎は最高時速30kmで送迎する。

絶対必要自動車だけでいい。

公共交通機関で補えるならそっちで。

無意味自動車運転はやめる。

それだけで事故は相当減るはず。

渋滞もなくなる。

年寄りを守りたいだけじゃない。車社会のせいで未来ある子供が車に殺されるのは絶対に駄目。

国も自動車メーカーも、弱者を守ることに全力で取り組んでほしい。

自動車大国に甘んじるのはやめてほしい。

以上です。

http://anond.hatelabo.jp/20160507221145

2016-05-06

ベッドタウン主婦には軽自動車必須なのよ

23区政令指定都市の近郊に長く暮らしてると

シングル女子自転車公共交通機関でなんとかなるから

その必要性に気がつかず出産までいっちゃう

免許持っていてもペーパードライバーで乗車を避けたりする。

(クレしんのみさえがこのパターン)

そんなおっとりママさんがチャリ前後子供乗っけてひいひいいってたり

しかめっつらしながら子ども連れてバス電車に乗っていたりする。



でももしかしたら車が欲しくても買えない人たちも増えてきているのかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20160506225032

2016-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20160502093754

うるせえカス。だから増田は嫌いなんだ。

オマエは連休コンビニにも病院にも公衆トイレにも行くなよ?

インフラサービスも一切使うな。電気もガスも水道ネットもだ。オンラインゲームもやるな。

もちろん公共交通機関も一切使うんじゃねーぞ。バカの有り難さを思い知れ!

2016-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20160424131357

男性が「女性専用車両」に乗っていいの?という質問への回答は「乗ってもいい」になります

しか勘違いに多いのは「法律禁止されていないから乗ってもいい」という答えです。

法律禁止されていないから」ではなく「憲法で『すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない』と保障されているからこそ乗ってもいい」のです。

公共交通機関は、同じ運賃を払った人なら誰でも、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別することなく乗車を認めなければなりません。

それが分かってるからこそ、「反対する会」の質問に対し、国交省鉄道会社も「乗ってもいい」と回答しているし、鉄道会社職員女性専用車両に乗り込んだことをもって男性に降車を命令することはできません。

現状、女性専用車両は、弱者である女性を守るために男性に協力をお願いをすることで維持されてる仕組みです。

2016-04-02

DIY葬儀は無理、と言うあなたに、お寺に相談や、行政の規格葬儀の勧め

http://anond.hatelabo.jp/20160331150720

お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話

人によっては非常に役立つ、と言う話の一方で、批判もあるこの記事

人の生き死にについては宗教観が付いてくるのでそれをどうこう言うつもりはないけれど、ブコメには「すごいけど、できそうにない」という声が多いみたい。

そこで、おじさんを2人看取ることになった田舎貧乏農家長男の俺がどうやって費用を抑えたか書こうと思う。

こちらの方が、比較的やりやすいのではないかなと思う。

具体的に書かないと意味が無いので具体的に書く。表ブログの読者の方は誰だかわかるかもしれないけど、できたら黙っていてくれるとうれしい。

前提条件

親父は8人兄弟で、そのうち3人は田舎にいるが、残りは都会に出て行った。

そのうち1人は早々になくなり、もう一人は癌で死亡、その時点で存命は6人、1人のおじさんは生涯独身を貫き、もう1人のおじさんは子どももいないままに早いうちに奥さんを亡くして、独り身だった。

俺の親父は次男だったが長男が都会に出てしまったので跡継ぎである。ただ長男が継ぐつもりだったので結婚が遅く、自分の歳の割には高齢だ。さらに俺はその長男なので、跡継ぎである。と言うことで、小さい頃から「親戚が困ったら、本家のうちが助けてやるんだぞ」と言われて育った。

育ったが、本家と言っても、昔なら山を守ってそこから得られる富で支える事ができたのだろうが、今となってはただのワーキングプア貧乏農家であって、お金がない。

それでも、宗教観にあった葬儀をしたかった。

それで、あまり会葬者がいない葬儀を出費としては38万円ちょっとで上げた話をする。これには振る舞いや精進落としを含み、真夏エアコンのない我が家特に必要になったドライアイス代等も含まれるので、そこを省くとたぶん20万円ぐらいでできる。香典を入れると、収支はプラマイゼロでできた。

ポイントはは、お寺との関係だと思う。

上の叔父の時の話。

死亡するまで

上の叔父の時は、叔父から突然「病院からどうしても親類の人に一緒に来てくれと言われた。申し訳ないが、来てくれないか」というのが始まりだった。が、すでに70を超えた親だけをいかせるわけにはいかず、同行、距離にして400キロほど運転して駆けつけると、記憶にあるよりずいぶんとやせた叔父がおり、医師の話を聞くと、やはり癌だった。ステージIII。

叔父はだいたい想像が付いていたようで気丈に振る舞っていたが、こちらは正直、当時22歳だった俺は何のことだかわからない状態だった。

叔父の「今まで1人で暮らしてきたんだから大丈夫」という言葉があったが、ほっとけるわけもなく、とりあえず手術をすることに。手術は後、病理検査が出たのだが、家族だけ医師に呼ばれ話を聞きに行くと、医師曰く、非常に悪性が高く、見えるところは取り切ったはずだが、砂のような癌ですぐに戻ってくる可能性が高いという。本人は癌と闘う気があるので、抗がん剤をやるが聞きづらい可能性もあると言うこと。

みてやりたいという意思はあったが、抗がん剤は周りの支えがカギ、と言うことは一番上の叔母が癌になったことがあったので知っていた。

支える事は、400キロも離れていると難しい。叔父現在の在所に住み込むような金ははっきり言ってない。畜産はやってないにしても仕事はあまりほっとけるわけではない。

持病を持っていた叔父保険にも加入できてなかった。蓄えはあったが、まとまった金と言うほとではなかった。

幸いにして発覚したのが農閑期ではあったのだが…そこで親父と医師相談し、ありのままを告知して、その上で、最後田舎に帰ってこないか、と言う話をした。

それで、最後叔父地元病院で息を引き取った。

葬儀 お寺に相談

このような形で、叔父人生ほとんどを過ごしてきた街ではなく、子ども時代を過ごしたとはいえ、あまり縁のある人のいない田舎でなくなった。そのため、会葬者などはおそらく家関係義理しかかないだろうと想定された。

人生最後引っ越しをしてもらうなど蓄えもほとんど使ってしまっており、実は叔父からは通帳一式預かったのだが、ほとんどお金はなかった。

そこで、親と相談して、お世話になっている菩提寺相談をした。

菩提寺僧侶曰く

  • ここ(お寺)を使って葬儀をすればいい。祭壇は本堂の祭壇をそのまま使いなさい。高い葬儀のものを使う必要は無い。
  • そのようなご事情では、ここへの御布施は最小限で、書き物(卒塔婆や位牌など)等の実費程度でかまいません。他のお寺に頼む伴奏僧侶には出していただきたい。ですが、ここは近隣の若い修行中の僧に依頼しましょう。
  • 地元に済んでいたわけではないので、組合迷惑をかけるのは心苦しいというのはわかるが、彼が幼い頃を知っている年齢の人たちには個別にお願いしても良いのではないか。お手伝いを頼めば葬儀からは最小限で済む

葬儀社は地元農協系を、和尚から依頼をしていただいた。

結果

お寺の場所代
5000円(これは御布施ではなく、総代会の規定で支払う。お寺は和尚さんの持ち物ではなくて、檀家の持ち物)これで祭壇も含まれた。
布施
お寺には10万円。伴奏には3万円2人。若い僧侶で。地元相場だと、本来は寺に30万、伴奏に5万×4人で50万だそう。
お棺など
9万円。本来はかかるが、事情を話して最小限にとどめてもらった。結構かかったのは、真夏ドライアイス代金が3万円近くかかったことが大きい。
遺体搬送
2万円。病院から自宅、自宅から霊柩車も含む。
精進落とし料理その他
10万円
火葬
5万円だが、補助がでて実質無償。(本来は補助がでても1.5万だが、所得が少ないと補助率が上がる)

合計37.5万円。

実際には告知することもなく小さくやったので、あまり人が来ないと思っていたら、叔父と幼い頃一緒だった同窓生などが、どこから知ったのか来てくれたりもした。また、葬儀場が当たり前になっていて、お寺で葬儀を行うことがなくなっていた(お寺はそもそもそんなに大きくないので)のだが、やはり雰囲気が非常に良く、お金がないなりにそれなりにできたと思う。

組合の方々は香典を持ってきてくれたし、また叔父叔母もお金を出してくれたので、当家の出費はほとんど無かった…と言うか、実は少しだがプラスになってしまった。

それはこの後の法事に回す事にした

ポイント 最初にお寺に相談して金がないと率直に言う

実は病院で死亡宣告を受けた後、最初相談したのは葬儀社ではなくお寺だった。地元では葬儀社を手配しても、葬儀からまずお寺のスケジュールを抑えてくれと依頼されるので、先に葬儀社ではなくお寺に連絡をすることが常識だと言われていた。

今まで全部親がやっていたので、自分がかけるのは初めてだった。このとき借金をする覚悟を決めていて値切るつもりはなかったのだが、そのときに率直に「今からお金を借りに行ってくるが、今日日曜日なんで」と言う話をしたら、お寺の方からアドバイスをいただいて、こういう形になった。

これは特別対応なのかと思いきや

最近はお困りの方が非常に多い。実は珍しい話ではない。家族葬という形で小規模にやると後で悔いが残ることや大変なことも多い。なにより、現世との区切りが上手くできない。

これは、仏様にとっても大変だが、後になって自宅にお線香を上げに来る方が絶えず来て困るという事になってしまうので、現世に残された者のためにもこういう形を勧めている」

という事だった。

これは、ほぼ同じやり方を下の叔父の時にもやったし、そう言うつもりで注意をしていると、あちこちのお寺でこういう小規模な葬儀をやっている事に気づいた。

余所土地でもできるかどうかはわからないが、宗教家というのは基本的には(あるいは、建前的には、と言ってもいいかもしれないが)困っている人をほっといたりしないので、相談するべきだと思う。

下の叔父の時の話。

死んでから、迎えに行くまで

下の叔父は突然死だった。突然病院のコーディネータという人から電話があって、外出先で倒れて運ばれたが死んだと言う。

叔父も300キロぐらい離れた別の所にいる。が、なさけないこと最初に頭をよぎったのは、300キロ搬送したらどれだけ金がかかるのか、と言うことだった。調べたら下手をすると数十万単位お金がかかるという。当然だがそんな金はない。

とりあえず親を公共交通機関で送り出しつつ、考えた。

実は元増田と同じようにレンタカーを考えたのだが、レンタカー屋になんとなく効いたところ「そのような用途は断っている」とのこと。他にもあるかと聞いたら「まず遺体搬送を許しているレンタカーは無いでしょう」と言うことだった。曰く、遺体を直接禁止しているものではなくても、輸送特別規制があり許可必要ものは断るという規定になっている場合ほとんどではないかと。

きっと元増田のように選択肢が多い都会ならばもう少しなんとかなったかもしれないけれど、やむを得ない。ただ、レンタカー屋の担当の方は「ただし、知らない場合にはお断りしません」と暗に黙認してくれるようなフォローをしてくれてはいたのだが。

そこで、どうしたかというと、自前のトラックで迎えに行った。普段作業に使っているものだ。まず、お寺に連絡をした後、先にお棺を出してもらって、それを荷台に載せ、動かないように詰め物で色々と詰め込んで、緑色カバーを掛けて、トラックで迎えに行った。おじさん、すいません。

から相談したところ、最後の手段として、赤帽的な小規模運送業者を手配するという方法もあると言うことだった。組織としてはリスクがあるので断ることがあるが、個人事業主が多いので、受けてくれる業者もあるらしい。ただその場合でも、荷主が診断書をもって同乗するというイレギュラー対応になる。

故に頼み込むと専門業者場合は数十万円かかるのが常識距離でも、数万円で受けてくれることもあるらしい。ただこの場合は必ず心付けを渡すことを忘れないほうがいいと思う。人間として。

葬儀について

このときも、お寺で上の叔父と同じように葬儀を行った。

ただ、御布施については、前回余ったという事、それからこちらの叔父病気療養でお金を使っていたわけでもなく多少はあると思われたので(確かめ時間はなかったが)、多めに出すことにした。

ただし、このとき叔父が長年暮らしていた家の周辺の人々に何も通知していなかったことが失敗だった。

最終的に叔父の家に片付けに行ったとき、近所の方に声をかけていただき、話をしたら、叔父はきちんと近所づきあいなどもしていたようだった。また、引退して気楽な一人暮らしだ、と言っていたのだが、実は在籍していた会社からちょくちょくアルバイト仕事を受けていたらしく、そちらの方もあった。

その後、暮らしていた街で親しくしていた方や、近所の方、元の会社の部下の方などが遠い距離墓参りに来てくれたりもした。葬式というのは、故人や親戚のためだけにやるものではなく、むしろ周りの人間と現世と区切りをつけるためにやるものだ、と言うことを実感した。

それ以外の方法について「規格葬」という考え方

今回は利用しなかったが、自治体には大抵簡易な葬式のやり方を規格化して、「規格葬儀」あるいは「自治体葬儀」という形で定型化し、安価パッケージにしてあることがある。それを利用すると言う手がある。

この場合自治体相談すれば基本的に利用できる。それが利用できる葬儀社の一覧があるので、そこで申し込みをする。どういった場合でも広く利用でき、規格化されているので交渉も必要が無い。檀家になっている寺院が無い場合ネットでいきなり検索して怪しげな所を選ぶよりは、これの方がいいのではないかと思う。地域性も加味されているし。

ただし多くの場合

地元では遺体搬送が別で28万円。実際には10万円ぐらいでできるさらに簡易なプランもある場合があるらしかった。地元だと、28万のプランは表に出ていたが、10万円のプランについては一般には示していなくて、基本的生活困窮者のためで葬儀社はほとんどボランティアになる、と言うことだった。

エンゼルケア、について

元増田にはエンゼルケア、と言うのが出てくるが、最後病院で亡くなったため、病院側のターミナルケアに含まれていたので、追加でお金がかかることはなかった。

増田自分でやったという事なんだけど、介護保険にはターミナルケア加算制度というのがある。これはいわゆる緩和ケアのことではなくて、患者が亡くなった後の遺体ケア家族フォロー一式の作業のこと。

おそらく施設の人に任せても施設ターミナルケア加算を受けられることもあって、追加で高額なお金を払うことなくやってくれたのではないだろうか。

これが死亡後に施す特別な化粧のことだったら話は違うけれど。

以上、何かの参考になれば幸いです。

【追記】2016年4月3日

反響いただいてどうもありがとう

地域性家族宗教観を大切に そのまま適用しようとしないで!

葬式はすごく地域性が強いはずなので、そのまま適用しようとしないでください。普遍的に言えることは、何事もそうだけど立場的に中立的発言が可能な人に相談すること。

例えば葬儀社に依頼したら、葬儀社の方は立場上、よほどのことが無い限り「うちは高所得者向けの商売から辞めた方がいい」とか言えないので…。

僧侶宗教家の人、自治体担当者や、病院にはコーディネータとか、コミュニケータという患者患者家族フォローを専門にしている人がいるので、そう言う人にお願いするという方法があります

お寺様とのかんけいについて

お寺との関係が肝かな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/aoi-sora

ポイントは、お寺との関係だと思う。」ここで討ち死にのはてなー多そうだな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/atoh

想像の通り、うちではお金がないのはお金がないなりに、お寺様との関係はつないでいるというのはあるとおもいます。総代会には入っていて、負担金は払っているし、施餓鬼など季節によってある行事には必ず参加しているし、何回忌といったものも、和尚様の言われるようにやっています

これは大変じゃないかと思われるかもしれないけど、まずそれが一つの宗教観からというのもあります

ただそれを置いといて言えることは、実はあんまり費用はかかっていません。これは地域ごとの相場があるけれど、施餓鬼料は5000円で、総代会は年間5000円程度。一年で1万点程度。実は毎年必要になるお金はこの程度です。ただし、これは我が家が腐っても本家なので、実際には施餓鬼、総代会の年間負担金は3000円が普通だそうです。これ以外に法事を行う年や、寺院の大規模改装なんかが必要になると色々とありますが…。

ではそれがずいぶん疎遠になっている場合はどうなのか、と言う場合ですが、お寺には過去帳という者があって全部記録があるので疎遠になっていても相談する価値はあるのではないか、と思います。あるいは、うちには菩提寺がない、わからない、と言うケースですが、こういうときはそもそも葬儀などから遠くなっていると思うので、まずは自分だけでやろうとせず誰かに相談した方がいいのではないかな…。ネットでは情報が出てきにくいけど、人は必ず死にますし、逆縁になっていなければ多くの子どもは親を2人見送るから絶対経験談を話してくれる人がいるはずです。

結局寺に負担かけるのな
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/kvx

もうめんどくさいから適当に書くけど、ちゃんと金払わない屑増やすようなことを次々に書くな。寺に負担かけるのは結局他の檀家負担かけてることに他ならない。http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/dadabreton

これには言い訳のしようがありません。お寺様には大変感謝しています。でも、無い袖は振れないと言うのが正直な所で…。親とかの分はきちんと積み立ててはいるのですが、突発的な事態には借金するぐらいしか手がありませんでした。

そこで手をさしのべてくれたおっさまには本当に感謝しています。ただ、2回目の時は御布施は始めよりはたくさん払っています相場よりは安いですが…。

葬儀社の方について

葬儀屋諸悪の根源なんだろうかな。そっちの言い分も聞きた
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hiruhikoando

葬儀社の方がどう動いてくれたかが書いてなかったので追記をします。

葬儀社の方はこんな最小限の動きでも、きちんと葬祭ディレクターの方が付いてくれました。また葬儀当日は、お手伝いとしてお一人女性の方が付いてくれました。また、料理なども葬儀から依頼しています

からない仕事申し訳ない、と葬祭屋さんには言いましたが、少なくとも問題は無いと言ってくださいました。まぁ和尚様に紹介してもらったので、断れないというのも、あるとは思うのですが。でも、費用は全部葬儀社に払っているので、赤字ではないのではないかと…。

個人的感覚では、非常に公共性が高い仕事ですし、最短2日で葬祭道具から返礼品、料理まで全部そろえる態勢にはお金がかかると思うので、それほど暴利とも思ってはいません。

もっと安くするには、宗教無し、散骨なしバージョン

http://anond.hatelabo.jp/20160403011302

まず、宗教を軽視して「ステマ」とか言うのはやめましょうよ。

主語自分にだけおいてください。「私はいらない」だけにして「他人も捨てろ」とか言うのはやめましょう。自分がそうだからといって他人自分と同じだと決めつけるのはやめていただきたいです。多様な価値観があります

その上で、

死亡→診断書死体処理→搬送→保管→火葬散骨

最短距離として、今回私が取れば一番シンプルに済んだのは、病院から連絡があったとき「引き取れません」と断るという方法があります。すると後は行政無縁仏の処理のラインにそって公金で処理がされるはず。

正直、自分もそう言う選択肢が頭をよぎらなかった、といえば嘘になります

宗教を壊そうとしているのでは?

最初記事では行動しない奴らが多くて、日本の寺、仏教日本人精神的な拠り所の1つ)を潰せないな。しょうがねー、もっと簡単なのも紹介しておくか」 「日本人精神を潰すのは楽しいな、生きがいだぜ!」
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hayato1999a

煽りマジレスするのもなんなのですが、和尚様がこういう安いやり方で葬儀提案してくださったのは、宗教を壊すとかではなく、全く逆ではないかなと思いますよ…。

私も、葬儀きっかけに、その後のお寺の集まりのなかで、掃除とかPermalink | トラックバック(2) | 18:54

2016-03-08

子育て自己責任について

とある雨の夜、保育園からの帰り道。

1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。

住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。

朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。

結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車タクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバス横断歩道の手前に停車してくれた。

3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔バス運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。

自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。

つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。

まず、十分な金銭的体力が必要だ。

出産費用にはじまり医療費教育費はもちろん重くのしかかる。

家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。

年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。

子どもを育てるコスト負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。

私たち夫婦は貯蓄も保険も、ずいぶんと積立額を増やした。

問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。

成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。

となれば、椅子取りゲーム競争に勝ち、立場給与を力づくで手に入れるしかない。

勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。

それも競争社会における自己責任なのだから仕方がない。

そしてその競争に参加するには、子ども存在は重たい足かせになる。

家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子ども時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事効率化する。

だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。

子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。

この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟実践要求する。

この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。

では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。

私たちの親世代一般的だったように、企業戦士専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。

答えはノーだ。

なぜなら、私たちの親世代私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。

かつて、日本企業滅私奉公要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。

のしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。

今は違う。

主たる生計者が期間限定雇用に甘んじている状況は珍しくない。

正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。

から私たち共働きを選んだ。

どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。

競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金必要とする子どもたちに応えるためだ。

そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。

数が足りない認可園に入れないリスク対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。

秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考ポイントを加算するためだ。

11月まれ1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所入園できれば、私たち夫婦収入でも対処できる。

本当は4月5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年仕事を離れることになり、復職ハードルが高すぎる。夏から4月までをシッターで乗り切るのはあまり経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。

結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。

そこまでして復職しても、いわゆるマミトラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。

保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。

同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。

それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。

誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。

保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。

ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。

行政提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービス活用している。

そこまでしてでも、母親正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。

少なくとも私はそう考えている。

母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。

そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。

誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。

自己責任」という言葉のなんと暴力的なことか。

ひとり、あるいは複数人間新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。

それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから自己責任範疇である

費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。

それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。

もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。

ここまでは、物質的な話だ。

子どもを育てるには、物理金銭的に大変な努力必要なのはもはや否定できない。

次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。

公共交通機関子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。

冒頭、娘が呟いたように、横断歩道ゆっくりしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。

私は別に子どもいるか配慮してほしいとは思わない。

必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。

それでも、子ども連れでいることで向けられる世間まなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。

一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから安全確認するまで辛抱強く待つ。

走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。

帰省の時期、私たち家族はよく新幹線を利用する。

もちろん、指定席子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。

大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。

飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。

万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。

少しでもぐずれば即座に席を立ち、デッキであやす

だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両デッキ自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。

一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。

子が公共の場所で泣かず、疲れたわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。

この国で、親子で公共の場にでかけることはあまりにも苦しい。

容赦なく投げつけられる批判まなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。

人の親なのだから、当然のことだ。

だが、そう理解していても、親だって傷つく。

育児仕事を両立し、世間には頭を下げて生きていく。

自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。

仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。

今のところ、私たち家族はそれを実現できている。

本当に幸せなことだ。

川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。

だが同時に、ひどく不安にもなる。

私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?

家族健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?

身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。

本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。

仕事に集中し、結婚出産もしなければ、私がとるべき自己責任対象は私1人分でよかったはずだ。

(もちろん、親の介護は忘れるわけにはいかないが)

幸せを求めて、家族を築いたのは私のエゴなのかもしれない。

そのエゴの対価を、私ごときに支払い切れるのだろうか。

長くなってしまったし、いささか愚痴っぽくもなってしまった。

ただ、保育園子どもをいれられなかった親が怒り、子ども障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。

そして私はこれから子どもを持つかもしれないひとに伝えたい。

今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲子ども全員にまで広げるということだ。

そこに伴う困難は、おそらく想像を絶するものがある。

それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。

…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。

この国は総論としては少子化を憂い、子どもを求めている。

だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティしかない。

私たちは誰もが自分幸せ自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。

子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判さらされることが増えると覚悟してほしい。

それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクペナルティ度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。

どうか、人生の大きな決断は慎重にしてほしい。

私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。

まだまだだな、と思うばかりである

2016-02-22

公共施設のおふざけの限界

毎日JR大崎駅を利用しているんだけど、数カ月前から変な鳴き声が構内に響くようになった。初日は犬を連れた人でもいるのかな?と思っていたんだけど、その次の日も鳴き声が聞こえてきてなんなんだよとちょっと不安に思っていたら、実は「山手線ウルトラマンスタンプラリー」の告知放送だったということが分かった。大崎駅ベムスターという怪獣のスタンプが設置してあり、構内放送でその鳴き声を流しているということらしい。3分に1回位の勢いで、犬みたいな鳴き声を流している。



いや、ベムスターとか知らんし。



ざわざわした構内に急に大音量で鳴き声が流れるもんだからビクッとするんだよね。去年はバルタン星人放送をやっていて、その時は多くの人が知っているであろう「フォッフォッフォ」っていう鳴き声だった&低い鳴き声だったからあまり気にならなかったんだけど、ベムスターの鳴き声は高いのですごく耳に障る。



あんまり堅いことは言いたくないんだけど、公共交通機関の構内放送で高頻度におふざけの放送を流すのってのはどうなんだろう。JR東日本になってから積極的スタンプラリー芸能人コラボ企画をやっているけど、不特定多数が利用する公共交通機関にはやっぱりある程度の節度が求められるんじゃないかと思う。これってモンスタークレーマーなっちゃうのだろうか。

2016-02-17

保育園とか怒りましょうとか

保育園落ちた日本死ね!!!

http://anond.hatelabo.jp/20160215171759

保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由

http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20160217-00054487/

この人らの中では、バブル絶頂期も結局のところ子供増えなかったのは、どういう理由づけになっているんだろうか。

金がない、待機児童で働けない、子供産めない。

そういう理屈らしいが、多分この人らは、事態改善しても救われないだろう。

いや、むしろ追い詰められるのではなかろうか。


世の中に不備があるのは、ある層の人らにとって良い事だ。

だって、「世の中が悪い」のだもの

保育園に入れられないから」「ベビーカー電車に乗れないから」そういうのは、自分たちが上手くやれない事の言い訳になる。

上手くやってる人はもちろんいる、そういう人と自分を比べてしまう事もあるだろう。

でも安心してほしい、世の中はあなた方に理解が無いよ。

病院で、飲食店で、公共交通機関で、時にパートナーですら判ってくれない。

子育て孤立している。

日本は終わってる。


そう、悪いのはあなたじゃない。




色々よんでいると、愚痴ってる人は愚痴が言えなくなったら、さら病みそうな気がする。

2016-02-04

子供が嫌い

例えば、子供電車の中に泣いているのが嫌い。

これが、酔っぱらいサラリーマンが騒いでいるのだったり、粋がった若者下品な会話で盛り上がってるならいいんだよ。腹は立つけれど、100%そいつらが悪いからそいつらに対して思う存分怒りをぶつけられる。

でも、子供だとそうはならない。子供は泣くのが仕事だって言葉がある通り、どうしても仕方ない部分がある。子供は悪くない。

親が悪いって考え方もできる。けれど、公共交通機関に乗せざるを得ないシチュエーションなんていくらでもあるだろう。皆が皆運転免許を持っているわけじゃないし、タクシーを使えというのも酷な話だ。勿論、泣いているのを全く宥めようとしない親はどうかと思うが、そんな親を見かけることはほとんどない。つまり、多くの場合親が悪いともいえない。

そうは言っても、子供の泣き声でこちらがイライラしているのは事実だし、かといって誰が悪いわけでもないから、怒りのやり場も見つからない。

一種天災のようなものだ。誰が悪いわけでもないが故に起こる悲劇

2016-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20160130160029

同じような理由で、女性専用車両で男を差別するのをやめてほしい。

性犯罪が、男から女に対して多いというデータはけっこう存在するかもしれない。

しかし、性犯罪は「狂人」による犯行であることは明らかだ。要は、頭がおかしから性犯罪を犯したのであって、属性によってすべての人の公共交通機関の利用を区別するのはどうみても見当違いである。

2016-01-18

スキーバス事故被害者の遺族叩いてる奴らってLCC使って事故遭っても

安くても最低限の安全性担保されるべき。自己責任とか言ってる奴らはLCCに乗って事故っても文句言わないんだよな。

学生が安い公共交通機関使って、事故に遭ったら、被害者の遺族叩くって日本は本当に歪んでるわ。

女性専用車両について考える。「男性専用車両」はなぜ無意味

女性専用車両ネタ男女平等のあり方について考えてみた。

ちなみに当方男性

から見ると女性専用車両公共交通機関でありながら自分男性だという理由で入れない車両を見せつけられるので正直わりと不愉快存在だ。

ただ女性から直接聞いたわけではないけど、ネットで頑張ってるツイッターフェミニストの人によれば女性痴漢や男の視線に緊張しながら電車に乗っているらしい。

そのことは多少なりとも分かっているつもりだし、女性平穏電車に乗れないというのは不平等なことだと思う。

ならそういう女性安心して電車に乗れるようにするために女性専用車両必要かな・・・と思うけど、最初言ったように僕としては何か電車から排除されているみたいで良い気はしない。



とりあいネットでよく見る女性専用車両についての意見とか反論を覚えてる範囲でまとめてみる。

1「入れない車両があるのは男性差別だ」という意見

  2、①に対して「男が痴漢なんかしなかったらそもそも女性専用車両はできなかった。自分が撒いた種じゃないか。」という反論

    3、それに対して「俺は痴漢しねーよ」という声

  4、①に対して「でも女性が現に痴漢に苦しんでいる。それに対処するのは必要」という意見

    5,それに対して「我慢しろ」という声→これは炎上します。

  6、①に対して「女性マイノリティだ。マイノリティ権利積極的保証されるべきだ。」という意見

7「女性専用車両を許せない人は性差別主義者だ」という意見根拠としては4や6を挙げる)

 8、⑦に追従して「まともな男性だったらそんなことは言わないよね」という意見

8「男性専用車両も作れ」という意見

 9、⑧に対して「それは誰も得しないだろ」という反論

10「女性専用車両法的根拠はない。ドンドン乗れ」という意見

11冤罪ガーと騒ぎ始める人。

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だいたいこんな感じだろうか。

今回僕が書きたいのは

1「入れない車両があるのは男性差別だ」についての僕の考えと、

1〜10についての気になるものへの言及




まずは気になるものへの言及を始めることにする。

特に気になるのは6,8あたりだ。

6「女性マイノリティだ。マイノリティ権利積極的保証されるべきだ。」

8「まともな男性だったらそんなこと(女性専用車両反対)は言わないよね」

僕は、電車の中という空間女性マイノリティであるとは思わない。

なぜなら、電車の中には男女がほぼ等しく乗ってるからだ。(重要

マイノリティとは少数者という意味であり、少数者は多数者向けに作られた社会制度による不利益や多数者から差別を受けやすいのでマイノリティ権利保護される必要がある。

そこから転じて他より勢力や権力が弱い集団マイノリティと呼ぶこともあるが、元々はそういう意味ではない。

例えば男性が圧倒的に多い会社や、男性が圧倒的に多いクラス女性が少数いる場合、それは名実ともに「マイノリティ」だ。

だが電車乗客性別の比は圧倒的に違うということはない。

電車の中にいる女性は「マイノリティから」という理由保護されるわけではない。

僕はこう考える。電車男性女性が接近して女性一方的不快な思いをするとか、痴漢あい泣き寝入りするなどの現象は、前近代的性役割に男女双方が縛られているから起こることだ。例えば「男は追いかける側の性」だとか、例えば「女は性的対象となる側であって、不快でも我慢する」だとか。

現在多様化する社会では、電車という箱のなかに限って言えば、伝統性別役割によって損をするのは女性だ。なので、現時点では女性積極的権利保証されるべきである

最も根本的な問題平等主義的・グローバル主義的な今の社会伝統性別役割が合っていないのに、未だに人々が心の奥深くにそれを抱えていることであって、女性意味もなくマイノリティ扱いして権利個別優遇することは全然本質的解決に近づかない。

それどころか、家庭を含む人間社会の中で同数だけいる両性の片方をマイノリティと扱うことは不当である。たとえ長い時間必要だとしても男女両方の性役割を見直すことで初めて様々な問題の解決が可能なのだ

マイノリティ問題と男女の問題は同じ文脈で語られることが多いが、根本的な違いがあると思う。


次に気になるのが「まともな男性だったらそんなこと(女性専用車両に反対だ)は言わないよね」という意見

いきなり女性に向かって、あるいは男性の優位を主張するような文脈で「女性専用車両反対!」と言ってしまうとそれはヘイトクライムだ。

だが、逆に言うとそれ以外の場、特に議論の場で語られる「女性専用車両反対」の声に対して「まともな男性はそんなことは言わない」と言うなら、それは言論封殺しかない。

言論を封じられた「まとも」な男性は、トピックのものから退散するしかない。

「まともな男性はそんなことは言わない」という言葉は、男性女性専用車両について、ひいては男女の問題についてふかく考える機会を奪っていると言える。これでは根本的な解決がさらに遠くなってしまうだけだ。





次に、女性専用車両についての僕の考えを言います。実はここからが本題。

きっかけは女性専用と対になる「男性専用車両」を作ることはなんで無意味なのか考えてたところから始まる。

男性専用車両」を作れば、数字の上での男女の「不平等さ」は女性専用車両を作る前に戻る。しかし、それでは誰も喜ばないだろう。

今まで僕は女性専用車両積極的差別是正措置アファーマティブ・アクション)の一つだと思っていた。

アファーマティブ・アクションは不利な集団の現状を平等観点から是正するために不利な集団優遇することだ。

だが、女性専用車両女性の現状を是正できているだろうか?

乗りたい女性安心して乗ることが出来る空間が生まれたとは言え、それはシェルター的な措置であって女性電車不利益を受ける社会自体をを是正するきっかけになっているとは思えない。

実際に女性専用車両以外の車両では男女の関係は全く変わらないままだ。

女性専用車両は「今まで安心して乗れなかった女性安心して乗れる場所づくり」という社会的有益ものではあるが、男女間不平等是正という観点から見るとむしろ男女の不平等を増やしているようなきがするのだ。

こんなことを考えていると、言いたいことを表してくれる図を思いついた。

まず、「男女間の不平等」を、電車の中にいる男性が「女性に比べて不平等だ、抑圧されていると感じている度(正数)」と女性が「男性に比べて不平等だ、抑圧されていると感じている度(正数)」の和として定義する。

この定義は「女性男性に対してある方法差別し、また男性女性に対して違う方法差別してもそれは平等社会とは言えないだろう」という発想に基づく。

また、「社会的利益」を実際問題、どの程度人々がそれを便利だ、使いやすい、生活有益であると感じるか(-∞,+∞)で定義する。

以上の定義から以下の様な図がかけるだろう。なお、「社会的利益」は(-∞,+∞)を(-∞,0)に向きは変えずに写したものだと思ってくれ。

全体的に無理矢理感があるのはお察し。


図1は女性専用車両を導入する前の電車の状況を表している。

男性特に電車の中に限って言えば女性に対して「不平等だ」と感じていることは少ないと思う。(批判回避のために、”痴漢冤罪”とかもこの中に入れる。)

逆に女性電車の中に限って言えば男性に対して「不平等だ」と感じることは多いらしい。(フェミニストの人が言ってました。男は痴漢視線を気にせず乗れるのに、とか。)

なので両者の和をとって「男女間不平等」の値はこれくらい。

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/i/iwalion/20160118/20160118003358.jpg" alt="[f:id:iwalion:20160118003358j:image]" title="[f:id:iwalion:20160118003358j:image]">

図1

そこで女性専用車両を導入してみる。

男性女性けが乗れる車両が生まれたことで、常日頃からピンクの「女性専用ステッカーを見せつけられ女性に対しての「不平等だ」という気持ちが高まっただろう。少なくとも僕はそうだ。

一方、女性専用車両が出来たとしても運行は限定的であって痴漢が減っているというデータもなく、女性男性に対する「不平等だ」という気持ちほとんど変わらないであろう。

なので「男女間不平等」の値は増加する。

ただ、男性にとって不便になったとはいっても女性安心して乗れる空間ができた、ということで総合的な「社会的利益」は+になっただろう。

以上のような理由から図2のようになる。


<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/i/iwalion/20160118/20160118003359.jpg" alt="[f:id:iwalion:20160118003359j:image]" title="[f:id:iwalion:20160118003359j:image]">

図2

目指すべき社会は当然、社会的利益が0(すごく大きい)に近く、男女間不平等が0(全く無い)に近い社会だ。つまり点が右下に近づくほどいい。

女性専用車両」は不利益を受ける女性にとってはシェルターとして機能生活有益である。だが、男性にとってそれは公共スペースに入れない場所ができる不利益しかない。

点を右下に近づけるには、究極的には男女双方が性役割を見直すことで、男性側は「追う性」であることをやめ、女性側は「追われる性」であることをやめることで、結果的女性電車に乗りやすいようにし、

さらに男女関係とは関係ないが柔軟な労働時間、適切な列車ダイヤを設定することで快適な車内環境を作るしかないのである

ただそれには長い、非常に長い時間がかかるだろう。ということで、制度を変更するだけで「社会的利益」を得られる女性専用車両には一定の意義は有る。

よってぼくの立場は「女性専用車両の設定には賛成。ただし、男女の関係見直してより快適で不平等のない社会を作る途上ならば。」ということになる。

またその過程でいつか女性専用車両必要でなくなったとき女性専用車両廃止されなくてはならない。

理想的社会の変化を下の図3に示した。

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/i/iwalion/20160118/20160118003400.jpg" alt="[f:id:iwalion:20160118003400j:image]" title="[f:id:iwalion:20160118003400j:image]">

図3

最後に、なぜ「男性専用車両も作る」という方法には意味が無いのかを説明する。

男性専用車両」を作ると、男性女性専用と対になる車両が生まれたことで「女性に対する不平等」という意識はなくなる。

一方、女性の「男性に対する不平等」という意識は何も変わらない。

よって、「男女間不平等」の値は女性専用車両を作る前に戻る。

しかし、女性しか乗れない車両男性しか乗れない車両ができることで列車利便性は大きく損なわれ、「社会的利益」は低下する。

よって下の図4のようになる。

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/i/iwalion/20160118/20160118003401.jpg" alt="[f:id:iwalion:20160118003401j:image]" title="[f:id:iwalion:20160118003401j:image]">

図4

これでは理想とする右下からよけい遠くなるだけで、何もいいことが起こっていないのが分かる。


今回考えたのは以上のような内容です。

女性専用車両を作ることは社会的利益という点から見ると有用だが、積極的差別是正措置にはなっていない。男女両方が性役割を見直す必要がある。

男性専用車両を作ることは全く無益である

というのが主な主張でした。

ではさようなら

2016-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20160113133448

公共交通機関子供ディスカウントしてやっとるよ。その分大人の料金に上乗せしとるで。バランス取れとるでな」

2016-01-11

赤ちゃんが乗っていますステッカー意味が分からない

マタニティマークは分かるんだよ。公共交通機関配慮をする場面もあるだろう。

でも、車に「赤ちゃんが乗っています」「BABY IN CAR(←なんで英語なんだ)」スッテカーを貼る意味がわからない。

普通の運転マナー以上のことを求められましても一体何をすればいいんですかね。

割り込みするな?いや、普通しないし違法から。道を譲れ?教習でやった程度には譲っております

そもそもそのステッカー後部車両からしか見えないよね?

で、何でしたっけ?事故を起こした際、救急隊員が赤ちゃんがいることに気づかないの防ぐために貼っているんでしたっけ?

きみら、赤ちゃん乗せてないときも貼りっぱなしでしょ?エンジンかかってない車に貼ってあったら通報していいんですか。違いますよね。

この有名なデマが広がる背景は興味深いが、まあ、貼ってる人は何も考えずに「みんな貼ってるから」貼ってるだけなんだろうな。

そんなのなら剥がししまえ。

2015-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20151225234332

同意するなー。

通勤片道20キロ、50分前後

運転中は他のこと何もできないのが本当に無駄時間

これが電車バスなら乗っている間他のこともできるのに。

公共交通機関が少ない田舎宿命

2015-11-12

anond:20151103175510

一級の大先輩ですね。僕はまだまだ下っ端です。

自転車事故ですが、知り合いはバイクで車につっこまれ車いすになりました。

公共交通機関にのってても事故障害者になる可能性はありますし、それは誰にでも存在することだと思います

最近はいろんなところで終末ケアとか安楽死とか聞こえてくるようになってましたが

例えば家族も本人も同意して国も幸福追求権として認めてくれればいいと思います

僕もおそらく年間7,800万円は公のお金を食いつぶしている身なので、これだけ納税するには2000万とか稼がないと恩返しはできません。

ほんと、援助を受けてる側からたらこの国のシステムはすばらしい。

日本が嫌いな野党の方々は「無駄の削減」ばかりを訴えてくれますが、無駄ってまさしく我々のことですよね。

子どもを作るわけでもなく国に貢献するわけでもなく、ただただ糞を垂れ流す人生。まさしく糞袋だと思います

2015-11-04

盲導犬介助犬の同伴はOKの店や公共交通機関があっても、

他人に気を使って店の外に犬を待たせたり、タクシーを使ったりして配慮してくれてる障害者がいるのに、

子連れママたちは自分の思い通りにならないとすぐ駄々こねる。

大変なのはお前らだけじゃないのに、子供をだしにして、

他人善意を利用するのはやめてほしい

2015-10-28

夢のクルマに見放され

水素カーだの燃料電池車だのが最近やかましい。トヨタの車は数年先まで予約待ちだそうだ。

ガキの頃の社会見学勉強した限りでは、どうも市販車が出るのは当分先という感じだったから、

思った以上に早かったな、というのが正直な感想だ。



しかし、都会でいくらステーションができてニュースになっても、だからどうしたと言いたくなる。

お前らは、公共交通機関普通に使えるだろうが。

本当に車がないと暮らしにも困るような地域まで、果たして普及してくれるのだろうか?

というかそんなとこだと、今あるGSすら老朽化法規制がどうとか言ってるうちに、

気がついたら潰れていたりする。



ランプや電気がそうだったように、このインフラは全国の山々まで届くのだろうか。

それとも、地域ごと土に返るのが先か。

2015-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20151019063108

 

元増田へのコメント見ても、当人気質問題帰結させようとする人が見受けられるけど、ぶっちゃけノンキなもんだなあと思いますわ。貧富の格差が広がってきてるのに富の再分配が適切に実施されていない社会では、元増田のようなメンタリティの人が増えていく―自分他人にも社会にも優しくされたことなんてないから自分他人社会に優しくする義理はない!って風潮が蔓延していくんだぜ?

電車つながりで思い出したけど、隣に座った見知らぬ乗客に突然殴られたって話が少し前あったじゃん。あれは極端にしても、そういう殺伐とした社会の実現へと着実に向かってるのが今の状況でしょ。妊婦だのベビーカーだのが公共交通機関を利用するのはどんどんハイリスクになっていくかもしれない。少なくとも、車内でウトウトする乗客なんつー牧歌的な情景は、今後10年で見られなくなるかもしれないわな。

 

けっきょく”あいつらの性根が腐ってるから”って切断処理したんじゃ済まないんだよ。”あいつら”と同じ社会に生きていく以上”俺ら”の問題なわけ。

貧困層犯罪者予備軍扱いすると左巻きのはてなー激怒するかもしれんけど、置かれた状況や立場が人の衝動や行動を左右することは社会心理学なんかでもうわかりきってて、そりゃ個々人で見れば己の良心で踏みとどまる奴もいるだろうけど、総体としては貧すれば鈍ず人々なのですよ。そしてもはや、社会互助やら道徳やら説くだけでは、そんな人々の行動を変えることはできないわけでしょ。”あいつらの性根が腐ってるから”って糺すポーズ自分品位の高さアピールして悦に入ってる場合じゃないだろっていう。事態は既に、社会福祉orモヒカンって状況よ?社会互助を尊ぶ人々こそ”あいつら”をどう救済するのか考えないと、社会互助が成り立たなくなる時代がすぐそこまできてるんだって危機感を持てよ。

 

いや、俺が知らないだけで、もしかたらみんな既にゲーテッドコミュニティに移り住んでるのか、それともトゲ付き肩パッドの準備が万端なのかもしれないけど、そのいずれでもない連中が元増田に石投げてるんだとするとホントにノンキだなとしか思えなかったからさ。

2015-10-09

寝不足やると神経一気に持っていかれるな

公共交通機関がいつもの数倍のつらさだ

2015-09-27

国土交通省が「公共交通機関等におけるベビーカー利用に関する協議会」なんてキャンペーンやってるから

Twitterベビーカー検索してみたら酷いね

足踏まれたは当たり前で、電車いっぱいひろがって乗り降りできないとか

車椅子の方の場所まで占拠とか、挙げ句の果てに注意したら逆切れされたとか

日本ってこの先どうなっちゃうだろうね

こんな親に育てられた子供達が社会の主軸になっていく国ってどうなんだろう