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2017-01-17

22年で1996億円返した話

どこでもない神戸市の話。

平成28年度中に災害復旧債1996億円の返済を終える。



この数字が示すことは何だろうか。

東北では22年以上かかるということだろうか。

22年もかかってしまったということだろうか。



多分いろんな見方が出来る。

でもまず、こう思ってほしい。「よく頑張ったね」と。褒めてほしい。



しかしこれで阪神淡路大震災のためにかかった返済が終わったわけではない。

区切りというにはあまりにも遠い現実がある。

災害復旧費として1996億円を要したが、復興対策には2兆近いお金が使われており、まだ2187億円の返済が残っている。

また神戸市だけ被害があったわけではない。市ごとに100億円以上まだ返済が終わっていない。

兵庫県で見ると、まだ4800億円返還しないといけない。



22年。この中に詰まるもの、この数字意味するもの

まだまだ頑張らないといけない。闘わないといけない。決してまだ阪神淡路大震災は終わっていないのだ。

2017-01-16

さらながら録画してた四畳半神話体系を観て消した

正直オチ微妙だった。

 

途中まではオチのための話だということで我慢してみていたが、

まらないとしか言いようがない。

どこがどうつまらいか熱く語りたいところだが、

あいくそんなアンチというなの熱狂ファンにすらなれないくらい、

特にこれといって語ることのない内容(「無い内容」ではない、たぶん)だった。

 

最初作者のことを良く知らずに、化物語書いたやつと同じか?

くらいに中身のない上に新しくもない自分語りをツラツラと聞かされたが、

まだあちらよりはこちらの方が行動していたので調べてみると違うらしい。

でもこのクドクドしたのが好きなやつは手放しで絶賛して、しかし金は落とさないのだろうな、

いつものように、と思いながら見ていた。

最近はこういう見方をする。

 

最近?いや、最近どころではない。

5年以上前から俺は作品を観るとき作品のものではなく製作者やどれぐらい儲けたかとか、

これは続編を作れる構成なのかとか、原作者スポンサー製作陣とでどういった摩擦があったのかとか、

そういう作品を取り巻く周りばかりを気にしてまともに楽しめなくなってしまっている。

俺は

舞台裏を含めて愛せる人間ではない。

サンタがいないと知ったら、普通に落ち込むような面白味の欠けた人間だ。

サンタ父親母親だろうが、その年収を知っても特に面白いことはない。

嘘を真実だと信じていたからこそサンタというもの価値がそこにあったのだと思い返すだけだ。

俺の人間的強度が嘘を嘘として愛せるほど頑丈ではなかった。

俺は家族で鍋を突いて日曜に観るサザエさんが好きだったのであって、

その裏で姑や小姑からいじめられる母親存在を愛していたわけではなかった。

 

この話はどうでもいい。

丸2日寝てないせいで脳が制御できていない。

とにかく四畳半体型、面白くなかったよ。

だっれかがNHKにようこその続きだと言ったがふざけるな。

NHKにようこそのテーマは外の拒絶から自分ベクトルを生み出す創造の尊さがテーマだ。

四畳半はただの人恋しさからコミュニケーション欠乏症に陥った末のリア充デビューだ。

まるで似て非なるものだ。

NHK引きこもりが外と交流したけど結果として自分意志を持たないと駄目だと気づいた話で、

四畳半は外と積極的交流しようとしたけど上手くいかなくて引きこもったけど上手くいかなくていいと開き直った話だ。

四畳半は躁鬱が躁状態突入しただけで、自分なりの哲学を作ってないからあれは簡単に鬱に戻る。

子ども子どものままウェーイw状態突入しただけで好機がなくなれば加齢でただのオッサンになるのは目に見えてる。

四畳半はあれは蔵の中に閉じ込められて泣いて親に反省たから出してくれって言わざるを得ない状況に追い込まれただけ。

ただそれだけ。

自分なりの壊されないものを作り出さなければ人は真の孤独から脱出できない。

あれには形が無いし時もない。

から自分ルールを作るしかない。

NHKにはそれがあったように思える。

失礼。

今までNHKにようこその名前を出していたがアニメではなく漫画のほうの話。

漫画アニメは内容が違う。

アニメは金を出さずに消費できるやつが多いのでNHKアニメはよく語られるが

漫画ほとんど語られない。

とにかくここまでだった。

2017-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20170115003047

そういった一面的見方をしない、人格的に優れた同士がカップルになって

お互いに満足している幸せな家庭を持ち、子供健全に育っているよな

しかもこういう奴らに限って高収入

君の名は。」って、オープニングで台無しになってる気がするのだけど

ちょっと前だけど、「君の名は。」を見てきた。

なんで3年の差があると気づかなかったんだよとか、いくつかツッコミどころはあるものの、設定は面白いと思うし、ストーリーもまあまあ面白かったと思うのだけど、オープニングで台無しになってるんじゃないかと思った。

自分記憶違いでなければ、オープニングで三葉の大人の姿を描いていたと思うのだけど、本当、何でオープニングで三葉の大人の姿を描いたのか意図が分からない。オープニングが最大のネタバレになってるじゃないかと。

そのせいで、途中に三葉はすでに死んでると分かっても、「あれ? オープニングで大人の姿描いてたよな?」と混乱したし、その後に町を救おうとしたところも、展開的には救えるのか失敗するのか分からない流れだったのに、ふとオープニングの三葉の大人の姿を思い出して、気持ち萎えしまった。

ただ、映画を見終わった後にいろいろネタバレ考察を見てみたけど、自分と同じように思っている人は見つからなかった(二回目見てオープニングでネタバレされてることに気づいて驚いた。というレビューならあったけど)。

逆に、そういうサイトを見ていくと、「そう言われてみればいい話だったのかもしれない」とは思ったけど、少なくとも映画を見終わった後はいまいちだと思った。

そもそも、大人の場面から始まる必要あったんだろうか。大人の姿で始まるから、てっきり本編は回想なんだろうなと思っていたら、むしろ丸ごと忘れているという設定だったのでちょっと混乱した(これは自分の頭の回転が遅いということもあるだろうけど)。

最近見たアニメだと、『響け!ユーフォニアム2』の1話最終回最後のシーンから始まってたけど、あれも必要なかったんじゃないかと。『響け!ユーフォニアム2自体2016年アニメの中でも名作といっていい作品だとは思うのだけど、あの始まり方のせいで、「多分最終回のシーンだろうけど、雪が降ってるってことは全国大会で終わるわけじゃないのか」と予想がついた。まあ、それ自体はそれほど問題ないのだけど、最初に持ってくる意味はやっぱりなかったんじゃないかと思う。

いろいろ書いてきたけど、そういう意味では、すでに話の展開を知ってる二回目のほうが楽しめるのかもしれないと思った。テレビ放送されたら見るかもしれない。

ブコメ見て追記:

>> "テレビアニメでもよくありますけど、オープニングって見方によってはネタバレの塊ですよね。本編のその後の展開を凝縮してるようなものですし。見終えてからもう一度見てあれはこういう意味だったのか、でいいのでは"

確かに、そう言われてみれば、ラブライブのオープニングで絵里が踊っててもネタバレだとか気にせずに展開を楽しんでような。

なんだかもう一回見たくなってきた。

2017-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20170114085907

ところが実際はいいとこ取りしたつもりが悪いとこ取りになるんだな

正直そんな都合のいい見方はよっぽどの信者以外は取れないですよ

2017-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20170113171034

感情的な振る舞いを理性で抑え込む能力が衰えてくるんよ。



歳を取ると丸くなるというのは、

いろんな経験を積むことで多面的見方が出来るようになるからなので、それはそれで合っているんだけどね。

2017-01-12

つるの剛士一般人TWITTER罵倒 バックには安倍総理自民党だけではなく、観光親善大使を務める神奈川県藤沢市も?

つるの剛士一般人TWITTER罵倒 バックには安倍総理自民党だけではなく、観光親善大使を務める神奈川県藤沢市も?


保育園探しで悩む人が書いたといわれている「保育園落ちた日本死ね」のブログ。つるのさんは、この一般人と思われる匿名の著者や取り上げた山尾志桜里議員罵倒した問題

■つるのさんは差別主義者。そんな人が神奈川県藤沢市観光親善大使おかしいと思いますダンマリを決め込む藤沢市差別主義是認してるのではないでしょうか。この点を藤沢市観光課に問い合わせると「うがった見方だ」と突き放されたようです。

課長補佐(2人のうちの1人)だそうです。

つるのさんは安倍総理自民党に加え、

藤沢市という地方公共団体がバックにあるから何を言っても大丈夫だと思ってるのではないでしょうか。

つるの剛士一般人罵倒か。

保育園探しで悩む人が書いたといわれている「保育園落ちた日本死ね」のブログや取り上げた山尾志桜里議員罵倒

2017-01-11

「出る杭は打たれる」の別の見方

自体はみんな出ていて、その杭の出方が問題だという見方をしてみよう。

 | ←一般人 
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ┃ ←体育会系
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 { ←ひねくれ者
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 1 ←負けず嫌い
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 📍 ←イケメン
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 ♀ ←女子力高い
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 杭 ←漢字博士
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 † ←厨二病
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

http://anond.hatelabo.jp/20170111123555

いやその発想は相当おかしいでしょ。

成人式というのは儀礼的なものであって、20歳から飲酒喫煙ができるみたいな制度上の都合は、オマケというか全然別の低次元な話だ。その制度だって年齢制限が変わるかもしれないし。

成人といえば飲酒可になる時、みたいに捉えるのはあまりにも矮小見方だし、パーティーで全員飲酒できるように合理化した方が経済効果があるなんてふうにお酒主体で考えるのは、儀式的側面をあまりにも蔑ろにしてると感じるね。

エロいし綺麗だからニーア・オートマタを買おうと思う

そうするとダークソウル3の次に買うPS4久々のソフトになる

ダークソウル3は正直ビジュアル的に微妙だった

ブラッドボーンの方が怖い映画を見てるようでドキドキする

やはり絵が綺麗というだけで動かすとまるで本当に異世界があるかのような錯覚をキメることができるので

ゲームに美麗なビジュアルというのは面白さに直結してくると思う

前作は未プレイ

予定もない

 

言いたいことはそうではない

ニーア オートマタアンドロイド機械がメインキャラということで

そういえばオートマタという映画があったなとネタバレ記事検索して読んだ

端的にいうとつまらないらしい

この手のシンギュラリティ人工知能テーマとしたSF鬼門だと思う

鬼門というかどうやっても登頂不可能コースだと思う

登ろうとすれば死ぬ

なぜなら作者である人間頭脳ではどうやっても人間を超越した知能を描写することが不可能から

漫画登場人物天才がいてもその天才頭脳の上限は作者と同じっていうアレだ

からSFAIのものテーマにした作品に当たりが無いのは当然ともいえる

AIテーマにしてるようで、実はロボット人間ハートフルがメインになっていてそこが評価される作品は多々あるが

AIの「人類を超越した知能が引き起こすシンギュラリティ」を本当にメインに扱って評価されている映画は1つもない

古くのAI映画で有名なものといえばターミネーターだろうか

あれにしてもスカイネット人類に反乱を起こした理由説得力がないし、

何を基軸にして人間対立しなければいけないのかというのがあやふやにされやす

狂っているとしたら自己修復できないでAIとしては未完成ではないかという本末転倒な設定もある

だいたいこの手の作品で描かれている人工知能は、現実にある人工無能ちょっと賢くしたバージョンしかない

ここに作者が人間であることの限界を感じて、のめり込みにくくなるのがAIをメインにした作品の残念なところだと思う

逆に、AIはどれだけ科学力が進んでも作れなかった、という設定のSFだとまだ人類の知恵に有用性が残されているため

冒険が残る世界を描きやすくなると思うので安易AIを出すのではなくそっち方面開拓していってもらいたい

 

そうではない

また話がそれた

とにかくニーア オートマタ機械同士の争いになるということで

プレイヤーである自分がどこに視点をおけば一番楽しめるのかという話だ

警戒している

というのも先に述べたようにAIが間違いを犯さない超越した知能を持っているという見方をすると

ミスをするAIたちをみて途端に熱が冷めかねないからだ

もちろんAIには性能差があるだろうからキャラクターが設定できる余地はある

オートマタがどういう物なのかも分かってない

でも機械というのは本来作られた段階からできることが決まっている存在なのだ

厳密にいえば人間にも当てはまるが人間には運命を決める選択権が備わっているので平行世界渡り歩く権限があるため冒険性が必ず内在する

しか機械には投げた石の落下地点が計算できるようにたどる結末には変化がない

いや、変化に自主性は存在しないと言える

そういったことを前提に見てしまうニーア オートマタをどういった角度から見れば楽しめるのかを考える

神の視点からか、ニーアの視点からか、ポットからか、はたまた…

登場人物自分感覚を重ねることで異世界にいき、異世界出来事として受け止めることが没入しやすいと思う

こういうとき感情移入やすキャラというのはいてくれた方がいいと感じる

出なければ神の視点では人形劇を見る私、で異世界にいけなくなるから

住人Aというのも難しい話だろう

とにかく人工知能ネタロマンもあるけどそれだけに冷めさせるトラップが潜んでいるので気構えというか、気苦労もある

 

えー、とにかく楽しみにしています

体験版はやる必要いか

君の名は。」と「片隅に」の対立を避けろ

ちょっと明らかにやばい傾向になってる感じがしてる。

個人的にはキネマ旬報で取り上げられなかったのは別に過去作品を見ればおかしくはないと思ってるし。

良く言えば売上をきにしない、悪く言えばスノビズム的な逆張りランキングなのは結構知られてるし。


ただ、キネマ旬報を取り上げたcinematodayなどが「君の名は。は圏外」とわざわざ表題につけたりしてちょっと対立を煽ってる。

また、それを利用してアフィブログ対立を煽ってる感じがある。※これは片隅を挙げて君の名は。を落とすブログと逆のブログ両方がある


特に国内批評家の間で「君の名は。」が嫌われてるのも閉鎖的で互助的な見方をされてちょっと反感持ってる人が増え始めてる。

そしてこの世界の片隅に国内、「君の名は。」が海外評価されるというあまりにもできすぎな状況が揃ってたりしててこのまま行くとゲハ的なこじれた状況が映画界に生まれ可能性すら考えてる。

そしてそういうヘイト増幅状況に入り始めてるのを評論家一般大衆もあまり気づいていない。

ちょっとやばいンゴ。

2017-01-10

たいへん残念ながら少女像無視するしかない

日本外交官最初に求めた合意内容は当然「撤去する」だったはずで、それが最終的に「適切に解決されるよう努力する」という表現妥協した時点で日本の負けである

現実にはその努力カケラさえ見えていないわけだが、韓国としては仮に何かの要因に圧されたとしても、「精いっぱい努力したけど、やはり撤去はできませんでした」というシナリオ政治的パフォーマンス披露することで「約束を果たす」こともできたのだ。

…そう考えていたわたしとしては、「努力する」で妥協した日本外交こそけしからん、という立場でこの問題を見てきた。



しかし、少女像を設置しているのは民間団体であるある意味、たとえ韓国政府努力とともに日本政府が望んだとおりに少女像撤去されたとしても、彼らは何だってできるのである

確かに日本に向けたメッセージとしていちばんインパクトが強いのは大使館前に少女像を設置することかもしれないが、それが無理でも、彼らは十分に効果のある手段いくらでも選ぶことができるのだ。

ということは、仮に日本政府が望んだとおりに少女像撤去されたところで、日本人が思い描くような意味での「最終的かつ不可逆的に解決」という状態には、日本にとっては残念な話だが、どのみち至り得ないのである

だとすれば、いま日本政府日本世論がことさら少女像問題について怒りをあらわにするのは、火に油を注ぎ、対日感情悪化させ、それはすなわち直接的には少女像を設置するような団体への寄付金の増大となり、ひいては日韓の長期的な利益も損ねていくのではないだろうか。



もちろん、「公館の安寧・威厳の維持を損ねる」として、少女像の設置に対して日本政府毅然撤去を求めるのは大切なことだ。しかし、それは韓国世論をむやみに刺激しないように、下品表現をすれば韓国世論へのおいしいエサとならないように、最大限慎重になされるべきである

くやしいかもしれないが、少女像について日本要人一言発するたびに、彼ら反日的団体寄付金が集まると言えるなら、逆に、黙殺することで彼らの資金力を削ぐことができるとも考えられるだろう。



日本にとっての日韓合意の真の意義は、少女像撤去ではなく「今後,国連国際社会において,本問題について互いに非難批判することは控える」として、韓国政府の態度を制限できたことではないだろうか。もっとも、これとて、「しない」ではなく「控える」という表現妥協してしまったとの見方もできるわけだが…果たして

参考

日韓両外相共同記者発表 | 外務省

http://anond.hatelabo.jp/20170110120232

しろ新聞投稿そそういう場だったろ

見方によっては「採用されやすくするために話を盛る必要がないぶんネットの方が創作圧力が低い、とも言える

(もちろん実際には「レスを得るために話を盛る」という動機が働くのでトントンだが)

2017-01-09

君の名は。」へのネガティブコメントに対して、

老害」だの「時代に追いついていない」だのいうコメントを返してるやつらが不憫でならない。

俺がみる限り、そこそこ歳をとってる人であの映画ポジティブ意見を言う人はほとんどおらず、いたとしてもそれは若者の目を気にしたポジショントークかもしくは馬鹿のどちらかだ。

そりゃそうだ、あの映画を誉めてしまうとろくに文化教養が無いことがばれてしまうからだ。それすら分かっていない馬鹿しか誉めないだろう。

どうして年配者があの映画を腐すかというと、あの映画ストーリーテラーとして最も重要脚本演出が驚くほど低レベルでめちゃくちゃでデタラメでヘタクソで、“稚拙”だからだ。

現代ストーリーテリングは当たり前だが人類史と同じくらいの長い時間をかけて、数々の天才の気の遠くなるような切磋琢磨を経て磨き上げ熟成された“技術”の上に成り立っている。

もちろん下を見ればきりがないが、商業映画においても美しい完璧ストーリーテリング作品などざらにある。

あの映画はそこら変の技術的な巧みさが全くないし、どうにかしようとした痕跡も見当たらない。だから映画界の中で草野球試合のように見えてしまい、ベテランほど納得のいかない未熟な作品になっているため、賢明な識者はあの映画にできる限りコメントしない。それでも売れてしまったものに手を出すと火傷するのを知っているからだ。(そういう意味ではあの宇多丸評は、その勇気もさることながら物凄い“技術”が詰まっていた。本当に頭が良い人でないとああい批評はまずできない)

念のため言うが、“辻褄があっている”ということと、“男女の身体が入れ替わる” ということは同時に成り立つ。“男女の身体が入れ替わるわけがない”などという話ではない。“男女の身体が入れ替わる”という土台の上に可能な限り辻褄のあっているストーリーテリングを構築することは可能だ。

その部分の技術が、あの映画は圧倒的に稚拙だ。大人が恥ずかしくなるくらいに稚拙。だから多くの歴史的作品を見た経験の多い年長者はあの映画を腐す。

技術が足りてないということは、むしろあの映画こそが歴史の潮流に乗れず時代遅れの未熟な脚本演出のカタマリになっているということであり、あの映画を腐す老人が時代に追いつけないのではなく、あの映画のあの程度の技術で喜んでいるで若者こそ、時代に追いついていないのだ。今はもう2017年だ。その時代に見合ったストーリーテリング技術をあの映画は持ち合わせていない。言うなればhtmlだけで構築し、そこに綺麗な画像を貼っているだけのWEBサイトのようなものだ。

上手い演出というのは例えば、画面に携帯電話を出すなら、なぜ今そこで電話をかけてみないのかの説明をほんの僅かでもワンカットでも挟む。相手携帯(この映画場合自分携帯)がベットの下に転がって鳴っているのに誰も気づかなそうなワンカットとか、電話帳に無い番号の着信拒否を設定しているとか、理由はなんでもいい。それができないなら、いっそ携帯電話をは一切登場しない作品にしたっていい。「なんで今かけてみないの?」という疑問を放置したりしない。その理由がまったくアホらしくても、説明が全くないのと少しでもある事との間には雲泥の差がある。説明が全くないと制作者側がそこまで意識できていない可能性が否定できず、つまり稚拙な印象を観客に与えてしまう。そこまで気にして作るのがプロ仕事であるのは世の数々の商業作品海外映画などを観てもそれが制作者に共通認識である事は明らかである

または、数年前の彗星落下を忘れているもしくは知らないのは海外留学していたとか(それでも無茶すぎる脚本だが)、もっと被害が小さいけど大事な人が被害者になるようなものだったり、語り口などいくらでもある。

そこら変がグダグダからミュージックビデオ的でイメージビデオ的だと言われる。

気の毒なのは、世の中にはもっと感動的でかつ美しいストーリーテリング成功している作品など星の数ほどあるのに、あの映画の主な観客たちはそれを知らないことが明白であることだ。素晴らしい作品を知っていたら「は?」となって当然なのにそうなっていないのは、単に知らないかなのだろう。逆に若い人でも映画などが大好きで多く消化してる人はあの映画を見て「あ?」となっていた。当たり前だ。

いや、そんな事を求めていない、ただ映像が綺麗です薄っぺら恋愛のようなものを観て感動したいから素晴らしい作品だと言うのならば、まあそれも良いだろうがストーリーテラーとしてレベルが低すぎる事に変わりはないし、その評価が変わることはないのだから、低評価を下している人の感性が劣っているというのは間違いだ。セカチューと同じでなんだかよくわからない状況で恋人が死んで悲しいので満足するのは勝手だが、それでも作品評価は1ミリも上がらない。

ただ一方で、見方を変えると、あの映画に圧倒的な技術を持った脚本家が1人加わっただけで大化けする可能性があることも事実である

例えば分かりやすいところで虚淵玄辺りとタッグを組んだら、おれもヒャッハー言う可能性は否定できない。

脚本演出がどうにかなった時に、本当の大きな評価を手にするんだと思う。

一応、期待はしてる。 mn3

2017-01-07

正しいことはつまらいから?

僕の考える正しさをネットで主張しても、何の反応もない。

この書き込みにも何の反応も無いだろう。

その理由は判っているので、後で書くかもしれない。

僕の正論をくと。

ドラクエ1で竜王世界の半分をやろうと言ったのは。魔物人間共存の和平の話だ。」

「薬物が規制されているのは使用者を乱用から守るためだ。違法だが犯罪ではない。叩きすぎ。」

科学論文が世論によってねじ伏せられるとはダビンチもびっくりだ。利権学者を守れよ。」

「親を扶養するかどうかは個人的問題だ。それより多大な税金収めてるからいいだろうが。」

蓮舫おかしい」

何だけど、世間一般ではそれぞれ、

竜王に懐柔されない勇者正しい!」「(野球人生終わったな」「STAP細胞はあります!」「河本悪くない」「オヤジギャクを習ったアボリジニかよ」

なんだけど、ひねくれてるのは僕の方だろうか。

あいいや、正しいこと言っても「あーそうだねー」で終わるんだよね。世論に反することでも。

あー、ちきりんみたいに「うまいことゆうなあ」「そういう見方があったか」とか、

チヤホヤされたい。ブックマークいっぱいされたい。

間違ってないって言ってほしい。んで世の中正しい考え方になって欲しい。

正しい考え方とは「言葉通り、ルール原則をま守る」世の中。

バカの振りかざす正義にはうんざりだよもう、ネロ

石田衣良は「新海誠高校時代恋愛経験がない」とは言ってない

石田衣良氏の年頭所感 「新海誠氏と宮崎駿氏の違いは」

http://www.news-postseven.com/archives/20170104_480184.html?PAGE=2

たぶん新海さんは楽しい恋愛高校時代にしたことがないんじゃないですか。

楽しい恋愛」についてしか言っていない。新海誠が悲しく辛い恋愛をしたことがある可能性は否定していない。どんな恋愛にも、辛い要素を見出すことは可能なので、「恋愛経験がある」と主張されても、「それって見方によっては辛い恋愛ですよね?」と反論可能(「たぶん」という限定は「100%楽しい恋愛だった」と言い張られた時の保険)。

恋愛しない人の恋愛小説パターンなんです。

恋愛しない人」が書く恋愛小説パターンがあり、「新海誠作品」はそのパターンという話。新海誠が「恋愛しない人」という話ではない。

付き合ったこともセックス経験もないままカッコイ男の子を書いていく、少女漫画世界通底しています

セックス経験がない」は少女漫画家の話で、これは一般的な話(中学生デビューする少女漫画家はざら)。新海誠作品はそういう少女漫画世界通底する、といっているだけ

宮崎駿さんだったら何かしら、自然人間とか、がっちりした実体験をつかめているんですが、新海さんはそういう実体験はないでしょうね。

実体験」は「自然人間」など、より一般化された事柄についてのこと。恋愛の話ではない(「がっちりした」という修飾も、「それって見方によってはあやふや経験ですよね」と反論するための保険 )。



最初に読んだ時から「非常に注意深く書かれているなー」と思ったんだけど、みんなこんな過剰反応するとは思わなかったわ。「そう読ませようと思って書いたとしか思えない!」ならば、それをあぶり出す職業文筆家の技術とは・・・

テキストサイトの頃からネット見てるけどさ、もうネット民て、文筆家のおもちゃになっていくしかないのかねえ?

2017-01-05

フリップフラッパーズ個人的分析

自分用なので他のブログなどは参考にしてません。他サイトと重複部分はお咎めなく。

アモルファス

ピュアイリュージョンの垣根を壊す主体だが、ピュアイリュージョン内部での創造の側面もある。11話で各世界接合の側面が明かされ、同時に未見の世界である未来などの世界観ピュアイリュージョン内部に見られた。このことからピュアイリュージョン過去現在未来記憶内包する神智学で語られるアカシャ年代記を模していることが理解できる。

ミミ

ピュアイリュージョンの人工的な総体最終話10:40付近の会話、10:58の台詞から彼女がそれぞれの「部分」であることが理解できる。また、彼女の別の「部分」が現実同化したピュアイリュージョン内でソルトと一緒にいる。総体である理由は明確に作中の団体がミミをアモルファスと名指ししていることから明白である

ミミのかけら

ピュアイリュージョンをそれぞれ形成しているかけら。すべて集めるとミミの総体になる。ただしミミはあくま実験材料にされた人物であり、最終話18:12から始まるヒダカの発言によりピュアイリュージョン自体は存続していることが分かる。かなりの度合いでピュアイリュージョンに溶け込むか同質の力を得た、と考えるのが自然。その為ミミの分身はいたるところでその世界に対して支配的に振る舞っている。この考察に対する裏付けとして11話では「幾つもの顔を持つ私=ピュアイリュージョンはすべて私」という答えが明確に提示されている。

憶測だが03話で戦った褐色悪女はヤヤカの「部分」であるとすればシナリオ矛盾がなくなる。ヤヤカは12話でこの褐色女と集中的に戦っており、自分の中に内在する友情と打算の葛藤とも取れる。ただしこの女をミミの「部分」として考えてもさほど矛盾は発生しない。

地獄

06・07話に語られるミミの魔物の側面。ピュアイリュージョン内の特殊な扉から入る。06話の扉に入った二名は後に偽物と判明するおばあさんの記憶を思い出し、かついろは先輩が親から見捨てられた子であることを理解する。名前立場が度々入れ替わることで理解できるが、これはココナとパピカの記憶ではなく単なる記憶の追走である10話にておばあさんが偽物であることが判明するが、ここでおばあさんは「イロ」ではなく「ココナ」と呼んでいるため、06話のいろは記憶をミミが利用したと考えるのが一番妥当結論だろう。

世界征服

アモルファスを手にすることですべてのピュアイリュージョン配下にし、結論として現実と接合された世界をも手中にできるという、同期に放送された『Occultic;Nine』に酷似した内容。並行宇宙ではなく「並行した霊界」と「並行した記憶含む心の分断化された世界」、という解釈の違いはある。この理屈最終話16:16の台詞からだが、心の概念だけでなく心に留めた過去記憶もそこに含まれている(神智学オカルト概念については上記に)。団体シンボルであるカドゥケウスの杖にはメルクリウスから転じて水銀意味があり、水銀アモルファス金属である

インピーダンス

電圧電流比のことだが、表向きには二人が同調していないとバランスが崩れる程度の意味で使われている。一方話の裏からアモルファス水銀を拾うと、水銀電流の導体となりうる物質であることは明白で、この場合プラス電極とマイナス電極がパピカとココナになる。ここまで理解できるとヒダカの意図がミミに電流を流す目的があったことが自動的に導かれる。そしてミミはピュアイリュージョン世界支配的・中心的存在であり、そこへ電流を加えるヒダカの意図ピュアイリュージョンを変容させる目的しかない。この裏はミミ自体が多くのパーツで形成される変容の主体として描かれるためでもある。そしてこの物語の変容とは成長のメタファーとしても流用されている。

ピュアイリュージョン

上記それぞれの解釈から過去現在未来を含む記憶の側面と創造の側面がある。そして各ワールドの分断あるいは個々人が内包されているという面から推測するに、それぞれの心を具現化したイデアワールドであることが推測される。このためにイデア支配に躍起になる団体描写されることになる。ピュアイリュージョンとは個々人の夢であると同時に記憶トラウマであり未来でもあるし、それらを想起させるイデアであるとも言える。

童話神話体系

眠れる森の美女』の原本である太陽と月とターリア』などの影響やギリシャ神話が用いられている。特にエルピスはパンドーラと関連する話で、最後に残された希望かつ災厄がアモルファス=ミミであることが理解できる。ミミは最終話ヒドラ変態した姿で表されるが、これはヘラクレス12功業をこなしたことを意味し、また13話で完結することを意味している。13という数字は一時期占星術世界からバッシングされたへびつかい座でもある。

太陽と月とターリア』は眠っている時点で性行為に及んだ、というあたりや双子出産などに共通点を見いだせる(ピュアイリュージョンに入る際実験体は眠っている)。ソーレ(太陽)がパピカでココナがルーナ(月)という対応で、物語子供とターリアは引き裂かれることに対応している。しか対応は瞬時にすげ代わり、ミミから見た王妃がパピカで奪われた子供ルーナ=ココナだけとなる見方へと変じる。

イナンナイシュタル女神神話と照らし合わせると、地下世界研究施設から冥府=ピュアイリュージョンに潜ってやがて終盤地上へと放り出される表現比較的はっきりしている。その頃になると二人は黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)的な現象としてこの世にありながらあの世存在と化している。ヨモツヘグイとは伊弉冉尊黄泉に下った際に伊弉諾が食べなかった黄泉食事であり、パピカやココナはピュアイリュージョン内部で食事をとっている。各国の神話にある冥府系の内容は盛り込まれているものの明言はされていない。しかしミミがピュアイリュージョン女王=冥府の女王であることを考えると彼女伊弉冉でありイナンナの姉エレキシュガルである。この理由故にここを強く解釈するとバッドエンドになるが、もしかすると二人は死んでいるかもしれない。そのため最終話でサユリは暗い顔をしている。この解釈場合エンド付近でヒダカがピュアイリュージョンを捉えられなくなったのも当然といえる。今ヒダカがいる場所こそがピュアイリュージョン化しているためである


他作パロディ

北斗の拳SIRENプリキュア、ズヴィズダー、空中ブランコまどマギエウレカセブンなど。変身ロボの回にはエヴァ的なエフェクトも見られた。また敵に奇襲される基地などはネルフ彷彿とさせる。

メッセージ

親子関係の束縛と友情が強調されているがアカシャ年代記などの背景を踏まえると、過去未来現在自分探しよりも自分自身が好きなものを信じなさい、という思いが中心に走っていることが分かる。この裏付けは03話の褐色悪女発言にも求められる。友情は大切なもの記号化であり、親からの束縛は「好き」の選択に闘いがつきまとうことを暗示している。世界の変容は自分自身履歴でありながらも成長概念として提示される。この点はエヴァ世界の融合と歪な葛藤の解消を描いたことに対して、フリップフラッパーズではバラバラの自己意味を探し打ち勝つことが主眼となっており、作品メッセージとしての融合目的も違う。当作品では歴史が地続きであるという示唆にとどまる。実際彼女たちはラストシーン自分たち歴史を作るために手を取り合って旅立っている。その世界は夢と記憶履歴現実が混ざり合って「過去から繋がった」ピュアイリュージョンの姿であり、過去と切断せず自分と向き合った三人が映し出されてエンディングを迎える。

手相見方が分からない

テレビ雑誌で見かける度に自分手相を見ようと頑張るんだけど、見方が分からない。

感情線と頭脳線と思われる線の上に、横に一直線の謎の線があるんだけど、これ何だろう。

悩みと絡めてとかそういうのはいいから、淡々とこれは○○の線で…って診断してほしい。

写真送って診断してくれるサイトとかないか

2017-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20170104172101

非モテ脳になるとこういうわけ分からん拗らせた人の見方しかできなくなるからすぐに対立構造に持っていくしかないんだな

SMAP解散問題について、思うこと。

SMAP解散については死ぬほど記事を読んだつもりだ。いろんな説があって、どれが正しいかだなんて私達一般庶民永久に知ることができない。それでもこのことについて書きたいと思ったのは、一年前のあの謝罪会見に憤りを感じていたからだと思う。

SMAPほど安定したグループはないと思っていた。わたしの年より長い間グループを続けていて、彼らにとっては人生SMAPでなかった期間よりSMAPであった時間のほうが長いのだから森且行の脱退や稲垣・草彅の逮捕などがあっても、メンバー同士支え合って前向きに活動を続けていく姿勢には何度も心を打たれた。

SMAP×SMAP最終回を見たあと、

家族SMAP解散問題モヤモヤを感じることを始めて話した。しかし父は「創業一家反旗を挙げた元マネージャーが社内で我を出しすぎた」と言った。社会人になると、大人になると、こういうお固い考えになってしまうのか、と少し悲しくなった。

Yahoo!知恵袋のある質問への回答にも、似たようなことが書かれている。

「成績が良いからって、いち社員が他の社員を何人も引き抜いて辞めようとしたら、そりゃ追い出されますよね。会社という箱があってこその成績でしょ、と。

会社を裏切って辞めようとした社員しかり。結局行き場がなくなって、まだ会社に置いてもらえるのを感謝すべきと思いますね。」

(引用:http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q11162951186)

SMAPファンにも社会人は多い(寧ろ社会人の方が多いのではないのだろうか)のであれば、この会社制裁が仕方ないと思ってしまう人もわりと多いのだと思うーーこれが人々に夢を与えるアイドル」についての話題でなければ。もしこれが一般企業のゴタゴタであれば、この結末をしょうがないと思ってしまう人も多いのではないのだろうか。

怖いことに、ある事態が同じ構造だとしても、そこに当てはまる具体的な人物が違うと、物の見え方はガラリと変わる。

上述の知恵袋の回答を見ればよくわかるだろう。父の言うことが受け入れがたかった私にも知恵袋のアンサーが言っていることは受け入れられた。

問題は先程挙げたように、これが人々に夢を与える職業である芸能界の、しかジャニーズ事務所で起こったことであるという点だ。





"芸能人だって我々と同じ人である"

そんなことは頭で理解していても、ファンは心で理解することができない。

ついこの間松潤AV女優葵つかさ熱愛報道がされた時に、葵つかさツイッターに、あたかも「葵つかさ松潤を騙して交際している」といったようなリプライをつけているアカウントが多数見受けられた。

それを傍観していたアカウントでは「彼らには松潤が好きで(葵つかさと)付き合っていることを想定しないのか」とツイートをしていた。

SMAPの多くのファンも同じようなモノの見方をしている。ツイッターで''SMAP''と調べると、「事務所解散させた」「不仲説は嘘だ」という主張をするツイートがあとをたたない。

冒頭で私は「何が正しいのかはわからない」と言った。けれど様々な報道ネット記事を見る限り、それらは客観性に欠ける意見なような気もする。それでもファンはそれらを信じなければ、彼らが信じてきた「SMAP」が壊れてしまうから、5人は仲良しだと、信じ続けるのだろう。それは一種信仰のようなもの

ジャニーズ事務所はその信仰者たちに夢を売っているのだ。それを全く理解していないのだろうか。メリー喜多川副社長が元マネージャーに言ったことは一般企業としては間違いではない。一対一で言うのであれば構わなかった。けれど、それを文春という、パプリック雑誌で行い、元マネージャー屈辱を味合わせた。そしてそれを信仰者=ファン達に見せてしまった。

創業一家が社内で最たる権力者でいることを否定するつもりはない。しかし、それを外に出してはいけない。しかも人々から崇められる存在であるジャニーズ所属している事務所なら尚更だ。人はそこに一般企業では「しょうがない」と言ってしまうような感性は持ち合わせず、どうしても清く美しい正義感を持ち出してしまうのだ。「それはおかしい」と。







ここまで、SMAP解散とそれを取り巻く人たちを斜に構えて見るといういやらしいことをしてきたわけだが、最後に私のごくごく個人的な想いを述べて、この文を終わりたいと思う。

私はSMAP解散して良かったと感じている。SMAP熱狂的なファンというわけではなく、物心ついた時からSMAPが有名で、SMAPテレビ活躍しているのが当たり前な世の中で生きてきた。色んな芸能人が出てきては消えることが繰り返される中、SMAPはずっと安定して私達に元気を与えてくれた。

でも、一年前のあの会見を見て

事実上の存続宣言と各紙が伝える中、わたし違和感を拭えなかった。あんなに安定した存在だったSMAPが、メンバーの中で逮捕者が出ても自分たち言葉で発信を続けていたSMAP

続けるだなんて一言も言ってなくて

曖昧言葉

しかも会見を仕切ってるのはリーダー中居くんではなく木村くんで



何よりメンバーがこんな顔をするくらいなら、解散しちゃった方が良かったんじゃないかって思った。それくらい、見ていて辛かった。

から夏に解散決定の報道が出た時、残念に思いながらホッとしてしまった自分もいた。




メンバーはこれからSMAPではない新しい人生を送っていく。

私は少数派かもしれないけどSMAPではなくなった5人がそれぞれのびのびと、好きなように生きていけることを願うばかりである

どうか彼らが、これからは何かに縛られず自分の生きたいように生きられますように。とりのように、羽ばたけますように。

例の記事経済成長否定している?

新年早々、朝日新聞燃えている。

http://digital.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

朝、これを読んだとき「あ、これバズりそう」とは思ったが、昼になってみると自分が予想した以上に叩かれている。

別に叩くこと自体否定しないし、自分自身ちょっと疑問になった点はいくつかある。「200年が例外」の件とかね。

結論ありきで材料を組み立てたような気持ち悪さがある記事だなとは思った。



しかし、ネット大勢の反応には違和感がある。みんなどうしてこんな感情的になっているのか?

一番気になるのは、「朝日新聞経済成長否定した記事を載せた!」と騒いでいる人たち。

本当に例の記事経済成長否定しているのだろうか?

私自身は経済学はまったくわからないが、書いてある文章を読むくらいはできるはずである

そこでもう一度読み直してみたところ、ツッコみどころがあるにしても、この記事経済成長否定しているようには思えなかった。

せいぜい「低成長」でもよいのではないか(無理に高度成長を求めなくてもよいのではないか) とか GDPという物差しだけで見ずに、ほかの見方もあるのではないかというぐらいではないだろうか。

ただ、「経済成長」の定義がよくわからない。この記事だとGDPの成長と受け止めて読んだ。

GDPの)成長には限界があるのではないか?(GDPの)成長を前提に社会を考える従来の在り方のままでよいのだろうか?それを問い直した記事なのかなと思った。間違っているだろうか?

経済成長否定している」と読み取った人に、その根拠を聞きたい。



この記事擁護したいわけではない。たぶん経済精通している人にとってはいろいろ突っ込みたい点はあるだろう。

けれど、この記事に対する反応は、重箱の隅をつついているようなものが多くないか

もう少し本質的な問いに目を向ける人がいたっていいのになぁと思ってしまった。

2017-01-03

この世界の片隅に」を見た小4の感想

アメリカ許さん‼今度こそ絶対勝つ‼」(本人のセリフそのまま)

本人は原爆が投下されたことと、晴美ちゃんがなくなったことが特にショックだったようで、アメリカ悪い悪いと帰ってきてからも怒ってた。

そういう見方も当然あるだろうと思うので、

からは余計な教育誘導?みたいなのは敢えて一切してません。






補足 最後の一文のお陰で釣りじゃないかと言われてたので。

私は原作既読。息子と夫は真っ白な状態で観ました。当然この戦争について学んだことのない大人知識の少ない子供とでは感想も異なるだろうとは思ってたけど、こうも明確に「敵認定」したものを憎む、やられたらやり返すっていうのを強く願うものなんだなあと思ったので書いた。



最後の一文は、実は息子は夏に原爆ドームをみてきて心に思うことがあったらしく、Youtubeで見たこの映画予告編にちらっと写った原爆ドームに心惹かれてこの映画をみたがっていて、念願かなって観に行った映画なので自由感想に水を差すようなことはしたくなかったので特に敢えて何も言わなかった。

きっと今後学校なり社会で学び見聞きすることで一言で言い表せない感想へと変わってくるだろうと思うから

いとこ達を見ていて思った

年末年始実家に帰ってきて、中学生高校生のいとこ達と久しぶりに会った。

これは皆そうなのかもしれないけど、彼らを見るたびに「あの頃の自分に比べてこの子たちは幼すぎないか?」という思いを禁じ得ない。

そこで、冷静に自分中学生だったころを思い出してみた。

航空機自動車が好きでネットでいろいろ調べたり本を読んだりするのが好きな中学生だったけど、無邪気な少年だった自分青年に近づいたというか、自分のことを客観的に見つめることができるようになったきっかけがあったのを思い出した。

NHKBS放送していた「2001年宇宙の旅」を観たことだ。

中学2年生のことだったと思うけど、その頃は「シスの復讐」をきっかけにスター・ウォーズシリーズにハマっていた時期だった。もっとさいこからテレビ放送される映画を観るのが好きだった。娯楽SF映画特に観るのを楽しみにしていた。

そんな中で、「2001年宇宙の旅」に出会った。今でもあの衝撃をよく覚えている。最後まで見ていれば話が分かる、普通に地上波放送しているような映画と違って、最後まで観ていても何がどうなったのか、全く分からない。ポカーンとしながら「美しき青きドナウ」が流れるエンドロールを見つめていた。

それからネットでいろんな人の解釈を漁ったり、小説版を読んだりして、やっと意味がつかめてきた。

映画版があまりにも意味不明なのは意図的にそう作られていたからだと知ったのは、町山智浩氏の「映画見方がわかる本」を数年前に読んだときだった。

そして当時の自分は悟った。今まで自分が見ていた映画が、いかに型にはまった物語を描いたものであって、そういう映画だけを見て「自分映画が好きだ」と思っていた自分視野いかに狭小なものであったかを。

それをきっかけにして、「自分が今まで考えもしなかったような視点存在する」ということに当時中学2年生だった自分は気が付いた。いわゆる「メタ思考」的な考え方をできるようになったということかもしれない。自分の考えていることや言動が、周りの人からみてどのようなものであるか、ということを俯瞰して見つめる、自分の中のもう一人の自分が生まれたような感覚だ。

母親実家に行って祖父母に会ったときに、「祖父母は孫である自分たちをどのように見ているのか」「親はどのような気持ち自分たち祖父母のもとに連れてきているのか」といったことを考えるようになった。

自分クラスの中で典型的な「勉強はできるけど友達のいないかわいそうな奴」というポジション存在であることにも気が付いて、最低限抑えたほうがいい振る舞いに気をつけるようになった。過去自分が「誰かがやらなきゃいけないからやろう、などという動機クラス委員などを引き受けてしまう、都合のいい人間」であったということを認識し、諦観にも似た境地に達するようになっていた。

そういうことに気が付くようになる年頃だっただけなのかもしれないが、それでも「2001年宇宙の旅」を観たときのあの衝撃がきっかけになっていることは間違いない。


自分が見ている中学生高校生のいとこ達は、そのような経験を既にしているのだろうか?

親戚何人かで紅白歌合戦テレビで見ているときに、「太鼓の達人がしたい!」と言い出すような彼らを外から見ている限りでは、とてもそのような視点を獲得しているようには見えないのだが・・・

2016-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20161231124531

マッチを買えばいいの下り的外れじゃないかな。

つの価値観のみしか見えていない様を危惧する内容なのに、その例えでは価値観に優劣真贋があるかのようだ。

資本主義価値観で優劣を計っているわけではないと思うけど、この増田もまた自分肯定するために作り出した価値観のなかでプカプカ浮かんでるんじゃないかな。

 

元増田科学者から複眼的物事を考えるがゆえに価値観についての多様性について言及しているけど、

そうした多様な見方科学者に含まれ医者たる人間が見失っているのは、第三者の私から見てもいささか悲しいな。

2016-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20161220091725

この見方に対しては何も疑問持たないくせに、自分たちのお仲間の一人が変な発言たか自分たち集団みんな頭おかしいとか言うと、シュゴガーシュゴガー言い出すんだよなあ。

結局都合の良い正しさの中で生きてる人達なんだろうね。。。

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