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2017-05-24

本当に才能があるなら、世界が放っておかないという話

タイトルのような話をどこかで読んだ。

元ネタ場所が思い出せないので、申し訳ないのだが完全にインスパイアされた話を書く。

アラサーにもなると、こいつクソだなっていう奴らと、マジですげえなっていう奴らに二極化してくる。

小・中学生の時にはほとんど感じなかったちょっとした差がどんどん広がって、いつしか超えられもしないような壁になっている。

とまあ、これは一般人の話だ。

なんというか、本当に才能がある奴は、そんな世界の外にいるんだなとまじまじと見せつけられることが増えてしまった。

多くの人間が埋もれてしまうような大企業の中でも圧倒的な存在感を発していたり、はたまた写真世界成功を収めていたり、大企業時代無名だったにも関わらず、ベンチャー転職した直後からメディアに引っ張りだこになってたり、お務めから戻ってきたらギャングスターになってたりと、一般人とは違う何らかの才能を持った彼らは、どんな場所にいたとしても結果として頭角を現してくる。もうこれは、世界が彼らを放っておかないとしか言いようがない。

小さい差の積み重ねとかそんな話じゃなく、もうこれは単純に持って生まれた何かなのだと思う。

そしてそれを持っている限り、世界が彼らを見つけ、そして彼らを世に送り出していく。

多分、そうやって世の中に出てこれなかった人は、才能がないんだと思う。

でもこれは逆の見方もあって、その才能を世界がまだ見つけられていないだけなんだとも思う。

自分の才能に、世界が早く嫉妬してほしい。

2017-05-23

毎日新聞皇室報道を見て、歴史が繰り返される理由が分かった

1923 関東大震災

1925 治安維持法制定

1940 東京オリンピック日中戦争などで開催権を返上

1941 太平洋戦争

2011 東日本大震災

2013 秘密保護法制定

2020 東京オリンピック

一時期こんな書き込みネット流行った。

俺は、この書き込みのことは、正直馬鹿にして見てた。

ほぼ国家公務員しか対象にならない秘密保護法を、世紀の悪法治安維持法」に見立てるのは無理がある。

ただ、最近皇室関係報道を見ながら、考えが変わった。

見方を変えると、確かに歴史は繰り返されている。

この先の出来事も、このままいくと繰り返される可能性が高いかもしれない。

一番重要ポイントは「戦前軍部」の役割を、誰が担うかだ。

俺は、ここに素直に「自衛隊」を代入していていて、だからこそ、歴史は繰り返さないと思っていた。

戦前軍部があれだけ暴走できたのは、大新聞と、その後ろにいる国民からの熱烈な応援があったからだ。

今の自衛隊は、国民から支持率は高いが、メディアからは厳しい視線に晒され続けてる。

文民統制規定もあり、自衛隊暴走不可能に近いし、その動機もない。

三島由紀夫切腹した頃から自衛隊はすでにサラリーマンだし、国家に対して反乱を企てるような集団じゃない。

じゃあ誰が「軍部」になるのか?

戦前軍部」の特徴には、以下の三つのような特徴があった。

1.他者に対して攻撃

2.メディア一般人批判できない、しづらい存在

3.政府予算の中で「聖域化」され、誰もその関連予算を削れない

この3つの要素を、今持ってるのは誰か?

俺は、現代においては「高齢者」が、戦前軍部役割を担うんじゃないかと思った。

そう考えていくと、辻褄が合い始める。

歴史が繰り返される道筋が見えてくる。

まず、マスメディアにボロクソに叩かれてるアベノミクスだが、あの政策には元ネタがある。

高橋是清が、4度目の大蔵大臣就任した際に行った金融政策だ。

高橋是清は、井上内閣が起こしたデフレによる不況を止め、緩やかなインフレを起こすために、積極的財政出動と「金輸出禁止」による円安政策を行なった。

1931年の話だ。

この政策で国の景気ははっきりと回復へ向かったが、高橋是清関東大震災以降の支出超過でこれ以上の財政出動危険だと理解していて、財政健全化へと舵を切った。

要は、震災対応財政出動で金を使いすぎたから、軍事費含めた国の予算を軒並み削減して、なんとか国の赤字を減らそうとしていた。

これに反抗したのが、当時の軍部だ。

軍部のうち皇道派と呼ばれる人間たちは、富裕層だけに味方している(ように見えた)高橋是清のことを、「君側の奸」と吐き捨てた。

こんな政治家のことは天皇陛下もお嫌いのはずと「忖度」して、クーデターを起こし、殺害した。

世に言う、二・二六事件だ。

高橋是清殺害されたことで、財政健全化政策も、金融政策も完全に止まった。

あと一歩で回復するかもしれなかった日本の景気は腰折れし、高橋是清が削ろうとして叶わなかった軍事費は、どんどん膨張した。

結果として、財政がどうにもならなくなった日本は、景気回復を「軍部による戦争」にしか求められなくなり、支那事変を引き起こす。

これが契機になり、東京オリンピック返上される。


話を現代に戻そう。

つい最近毎日新聞天皇陛下のお言葉を一面でリークした。

陛下 退位議論に『ショック』 宮内庁幹部生き方否定』」

こんな見出しが、全国紙の紙面に踊った。

後日、宮内庁がその存在否定したところから、実際、天皇陛下がどんなお気持ちかは誰にも分からない。

重要なのはマスメディアが、天皇陛下を利用して、政府批判をはじめた」ということだ。

陛下の心を傷つける専門家会議とそれを主導する安倍晋三は、君側の奸だ」ってわけだ。

こんな、戦前軍部の「皇王派」みたいなことを言う人間が、この現代日本に現れた。

俺は、このニュースを見て、本当にまずいんじゃないかと思った。

安保法制の騒ぎの中で分かったことは、「安倍政治を許さない」とデモをしている人たちには、高齢者が多いということだ。

Twitterなんかで確認する限り、毎日新聞の例の記事も、高齢者らしき人々の中では評判が良く、拡散されているようだ。

安倍政権支持率は、これまた高齢者に支えられるテレビメディアからの「森友学園」「加計学園」の連続スキャンダル攻勢で、確実に落ちてきている。

俺には、現代安倍晋三が、戦前高橋是清と同じ役割を担っているように見えた。

安倍晋三高橋是清ほど良い政治家かと言われたら正直疑問だが、少なくとも、同じ役どころが回ってきてるようには見える。

これからマスメディアとそれを後押しする高齢者の力で安倍政権が倒れた場合日本は、戦前二・二六事件後と似たような空気になるんじゃないかと思う。

選挙で圧倒的な力を発揮する高齢者に関わる社会保障費を、政治家は、誰も削れなくなる。

膨張した社会保障費が五輪準備費を圧迫し「オリンピックなんて中止すればいい」という声も出始める。

国内だけでは財政課題解決できないと判断した国は、「海外」に目を向け始める。

みんな、安倍晋三が「ヒトラー独裁者)」で、自衛隊が「軍部」の役割を担うと思って警戒してるけど、その形なら、ちゃんと止められるんだよ。

そのパターンは、一回やってるから。だから、どんな馬鹿にもその危険がなんとなく想像できて、歯止めをかけられる。

じゃあ、なんで歴史が繰り返されるのか?

要は、「役者が変わってるから、同じ演目をやってるって気づかない」んだ。

みんな、軍(自衛隊)と独裁者首相)に注目しておけばいいと思ってる。

でも、そうじゃないんだよ。軍はもう、警戒されてるし、批判もできる。

俺たちが見なきゃいけないのは、今この日本で「政治家批判できない、聖域化しつつある人たちは誰なのか」ってことなんだ。

俺は、東京オリンピック2020年に開催できる可能性は、50%くらいだと思ってる。

この1年の政治の動きによっては、「何らかの理由」で、オリンピックが中止される未来が、本気であると思ってる。

たぶん、真正から高齢者悪者にしてるこの説は、マスメディアには絶対に載らない。

実名で書いても、すぐに社会生活ができなくなる。

からこうやって増田に書いた。

今、この国が瀬戸際に立ってるってことを、なるべく多くの人に知ってほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20170522101129

ブコメトラバじゃ色々言われてて何だが、私は元増田共感するよ。

まあ本当に本気出したら有能なのかは(自分元増田も)置いといてw そういう気持ち理解できる。

元増田と違うのは、私は女だってところだな。

女の私でもやっぱり上に行けば(上に行けるような職種環境であれば)傲慢になるし、マウント思考にもなる。そこは同じ。

違うのは、そういう葛藤に対して取れる選択肢範囲かな。社会的な要因というか。

元々そこまで期待されてない感じはあるし、楽な生き方をすることで「降りた」と見なされて舐められることも、男性よりはたぶん少ない。

最初から舐められてるのでノラクラしてても変わらない、という見方もある)

望まないのに戦わなきゃならないのは嫌だよね。将来的に、元増田平和生き方をまた選べる日が来るよう、ささやかながら祈っておくよ。

2017-05-21

適応障害?】転職引越し環境が急に変化して、おかしくなった。

今年の1月転職引越しをして

急に環境が変化した。

5人位の小さなメーカーから

100人規模の広告系の会社に。

しか環境のあまりの変化に、

身体と頭がおかしくなった。

今まではゆっくり仕事をしていても良かったのが、

急激なスピードとやりとりが求められる環境になった為だと思う。

車で一般道から高速道路に入ったと言えば

分かりやすいかもしれない。

  

それで、スピードに付いていけないと感じた瞬間、

こんな症状は信じられないと思うかもしれないが起きた。

  

冗談が分からなくなる。(会話が成り立っているのかすら分からない。)

バラエティーで笑う所・タイミングが分からなくなる。

・とにかく誰にでも従順になる。

・誰もが平等だと感じるので、上下関係が訳分からなくなる。

・何を守るべきか、守らないで良いか判断力がなくなる。

頭痛便秘身体が鉛のように重い。

一貫性を保てない。

・周囲にどう見られているか全く分からない。

・嘘がめっちゃ分かる。

  

  

新型うつ病適応障害と似たような症状かと思ったが、

世の中への見方も変わってしまっているから、ちょっと違うんじゃないか・・・?とも思う。

  

人は危険出来事出会った時、闘争・逃走・凍結の3つの反応で

対処をするそうだ。熊と出会った時も同じだ。

  

その凍結の状態になってしまっているのではないかと思った。

いや、本当に、自分がまともではない状態になっている事だけは分かる。

しかし周囲の人にそれとなく聞くと、

まぁ普通に見えるしゆっくりと喋るよね、くらい?

くらいにしか言われない。

徐々に慣れるんだろうか…。

全然+肯定形」の含意

http://anond.hatelabo.jp/20170520030848

例1:良い

否定形にする→良くない

強調する→全然良くない ・・・(1)

肯定形で言い換える→全然ダメである ・・・(2)

例2:ダメである

否定形にする→ダメじゃない

強調する→全然ダメじゃない ・・・(3)

肯定形で言い換える→全然良い ・・・(4)

この中で自然に受け入れられているのは(1)〜(3)で、(4)は誤用とされることが多いだろう。

しかし、文法的にわければ(1)と(3)が「全然+否定形」であり、(2)と(4)が「全然+肯定形」となる。

全然+肯定形は文法的誤用」というのが誤った認識であることは(2)がもともと通用していることからわかる。語が否定的意味を持っていれば肯定形で用いることはこれまでもあった。

誤用とされうる(4)は、肯定的意味を持つ語を肯定形で用いた場合である

これは否定的意味を持つ語を否定して強調したいときに現れてくる表現で、想定しうる対立意見否定することで自身肯定的意見を強調するというニュアンスが生じる。

まり、「全然良い」は、

あなたダメじゃないか心配になるかもしれないけどそんなこと考える必要は全くない」

とか、

「誰かがそれはダメだというかも知れないけれど私の意見としては全く問題ないとおもう」

という含意がある。

「この歌手私は全然好きだよ」

これもまた、

世間的にはあんまり流行りそうにないタイプかもしれないけれど私は好きだと感じる」

であったり、

あなたはこの歌手が私のタイプではないと考えていたのかもしれないが実際のところそんなことは全くない」

という含意がある。

(3)よりも(4)の方が実は強調度合いが大きく感じられるという見方もある。

全然嫌いじゃない」よりも「全然好き」と言った方がより好きであることを表現できているように感じられる場合が多いのではないか。これは肯定的意味を持つ語を肯定形で使うときの強さや、(4)が用いられる頻度の少ない表現であることから用いたときにより強さを持つといった理由があるかもしれない。

似たような表現として「普通に良い」「普通に好き」という表現もまた、否定すべき対立意見が想定されているようなニュアンスがあるように思われる。

なお明治期にも用いられていたという「全然+肯定形」が上記のような含意があるのか、それとももっとシンプルな強調でしかなかったのかはわからない。

2017-05-20

から映画見方が変って言われた

レンタルDVDをよく借りて映画を見るのだけれども、自分場合一本の映画を一週間に何回か分けて視聴する見方が好きだ。(例えば90分の映画だったら月・水・金曜日にだいたい30分ごとに分けて視聴したりする。キリが悪い場面ならキリのいいカットまで見たりもする。)

しかしこの事を知り合いに話したら、「映画なんて一気に見ないと面白さが伝わってこないでしょ!?」「一回見るのを止めてしまうと映画世界に入り込むのが難しくなるじゃん!?

とか言われた。

確かに一理はあると思うが、自分は毎週放送ドラマアニメのように間隔をあけて一本の映画を見るのも楽しみ方の一つだと思う。

年に数百本も見る映画ファンからしたら邪道なのかもしれないが、分けて見ることでその間の時間映画の内容を考察しながら続きを楽しめるし、まとまった時間が取れない身としては1日30分程度に分けて見ることで一気見よりも手軽に映画を楽しめるのもすごく良い。

個人的にはこの分割映画視聴方法は、一気見よりも手軽にじっくり考えながら楽しめる見方だと思うのだが、やっぱり映画は見始めたらエンディングまで見続けなきゃいけないコンテンツという決まりがあるのかな。

佐藤秀峰 vs Amazon

Amazonが他社追い出しのために大安売りで囲い込んであとで値を吊り上げる、という手法に出たことは既知だし、ありがちなことで止めようがないとは思ってた。

ともあれ契約内容までジャイアンかどうかは当事者の開示がないとわからないので、非常に有益

ただ非常に悪い見方をすれば、うちのマイルールに従わなきゃ載せられないだけ、という文言をそのまま機械的に実行したとも言える。

Amazonからすると一律のルール変更に個別対応するのは能率が悪すぎるし、コンテンツ提供からすると全体主義暴力しか見えないというところか。

法的には契約不履行と裁量権の戦いになるのだろうか、これは。弁護士的にはそうやって攻めたいみたいだね。

2017-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20170519182155

俺もダメだったクチだが、こういうのは変に理由求めるより「俺向きじゃなかった」ぐらいで済ませとこうぜ。

良かったとこのプレゼン見方変わることもあるにはあるが稀だし互いに不毛

2017-05-18

anond:20170518005453

宮崎駿場合は家庭の事情母親に対して複雑な感情があるらしいことを何かで読んで少しだけ見方が変わった

任期付きポスドクから結婚式ボス呼びたくない

任期付きポスドク男。結婚することになった。彼女婚約者)は正社員

彼女結婚式上司を呼ぶらしい。

新婦結婚式上司を呼んでるのに、新郎結婚式上司を呼ばないと、変に思われるから呼んで欲しい、と言われた。

正直、呼びたくない。というか、来れないのではないか

上司にあたる人は、教授になるのだろうが、超多忙。俺は、素晴らしく業績挙げてる訳ではない。それでも雇っていただいて、深く感謝している。教授は、お金を取ってきて本質的問題アタックし続けていて、研究者として尊敬できる人。

それなのに、大して業績挙げてないポスドクの俺が、超多忙プロ研究者時間を1日奪って、その上、金まで払うように頼むの?何それ。裏切りみたいじゃない。ボスの一日は、俺の結婚式の参加に使わせるより、研究に使った方が自分にも社会にも得になるってわかってるのに、なぜ、結婚式に呼ばなければならないのか。

今のポスト任期付きなので、プロジェクトが終わったらなくなる。それは仕方ない。どこもそうだ。お互いそれをわかった上で、雇う雇われるの関係になっている。それなのに、結婚式なんてプライベートな場にボスなんか呼んだら、向こうもこっちも後腐れ残るじゃん。

みんな、こういうときどうしているのだろう?

追記:

思ったより反響が大きくてびっくりしている。皆、結構自己中心的な考え方するのね…

世の中に優秀な人は少なくて、優秀な教授社会の宝ですよ。

その宝を、一瞬とはいえ、自分私事のために私物化してしまおうという考えそのものが、とても浅ましいように感じる。

皆、公務員横領みたいな公共物の私物化には怒り心頭批判するくせに、公金で育て上げた優秀な教授結婚式という私的な場に呼んで拘束することは、公共物の私物化とは思わないのね。

そもそも彼女のことは好きだが、自分結婚自体も、見方によっては反社会的と言われても仕方がないように思う。

自分のお給料教授が取ってきた研究プロジェクトから出ているが、そのプロジェクトは、そもそも公金でまかなわれているものだ。

まり自分のお給料は公金だ。公金で働いていながら、これだけの業績しか出していない自分が、自分欲求で、仕事時間の減少に繋がりかねない結婚という行動に打って出ることは、正当化されうるのだろうか?

もっと業績が出ている人が、社会からのご褒美として結婚を許されるのは、すごいよく分かるし、問題ないと思う。

しかし、私は業績が出ている方ではない。そんな奴が、公金から出ているお給料で、結婚を所望するのは、そもそも反社会的行為なのではないだろうか?

私は頭は悪かったけど、裕福な家庭に生まれたから、親の援助で経済的心配はなく、博士号を一応取ることができた。

私よりずっと優秀だったのに、経済的問題博士号取得に至らなかった人をたくさん見てきた。

公金は、私などより、私より優秀だったのに博士号を取れなかった人に使われるべきだ。

申し訳ない、申し訳ない、と思いながら働いてきたが、私は、とにかく、もう社会迷惑かけたくないんだ。


追記2:

なんだか、私を卑屈で歪んだ人間だと思っている人が多いみたいだけど、それは違う。

私は正義感にあふれている。

私よりずっとずっと優秀な人間経済的理由博士号を取れずに無念のうちに大学院から去り、私のような、ただ親に小金があるだけの人間博士号を取れる社会の方が、誰がどう考えてもおかしい。歪んでいるのは社会だ。

親が持っている金に関わらず、優秀な人間教育を受け、博士号を取って社会を導いていくべきだ。

私は社会が歪んでいる事を知りながら、その歪んだ点を逆手に取って親の金というチート博士号を取得したのだから社会を歪ませる動きに加担したのだ。

社会を歪ませる動きは是正されなければならない。

私が幸福になることは、社会の歪みをほんの少し加担させる行為だ。

博士号を取れずに大学院を去った彼らが幸福になる事こそ、社会の歪みを是正する行為だ。

社会は、金のある者ではなく、才能ある者を優遇しなければならない。

金があっただけで才能がない私が不幸になればなるほど、社会の歪みがほんの少し是正され、正しい社会にほんの少し近づくのだ。

から、私は不幸にならなければならないのだ。

臆病者だから頂けるものは拒まないが、私が現実的範囲で適切に不幸になるのが、正しい社会を実現する道だ。

私が不幸になることは、正しい社会の実現なのだ。それなのに、私の幸福を祝ってくれる社会の方が歪んでいるのだ。

社会は、私の不幸こそ祝わねばならない。

2017-05-17

自分が頻繁にやってしまう嫌がられる行為

久しぶりに、親しい人を不快にさせてしまったので反省のタメに書く。

世の中的に評価されている作品を鑑賞した結果「自分は好きじゃないな〜」と、思った事があるだろう。

だが、主観的感情を抜きにして、その作品アピールポイントについて考えてみて欲しい。

恐らく、どういった魅力を持っていて、どういう人達が、どんな箇所に魅力を感じているのかは、なんとなく想像がつく筈だ。

それでも、本当に全く反応できない場合がある。「そんなにも何が評価されているのだろうか…」と。

仕事柄なるべく多くの価値規準を持っておく必要があるため、魅力の仮説も立てられない作品があると困惑する。

そんな時、一緒に観ていた人(もしくは観た事のある人)が魅力を見いだせていた場合

その作品にどういった魅力があったのか、しつこく質問してしまう。

自分と近しい関係の人であればある程、執拗になる。

単純に知りたくてしょうがないのだ。

自分の見つけられなかった魅力について、見つけられた人の視座の持ち方を。

ネット感想や評判を見れば、なんとなく仮説は立てられる。

だが、現実に付き合いのある人達の方が人となりを知っている分、もっと想像やすい。

そういった身勝手理由で、ついつい分かるまで質問してしまう。

説明する側だって自分が魅力を感じている何かについて話す事」自体はそんなに辛くないだろうと、高を括って。

ここまで書いた時点で、相当に自分勝手な振る舞いだな…とウンザリするのだが、まだまだ不快指数高まる。。。すみません

昨夜やってしまったのが、ここからである

30年ほど前の映像作品をみて、部分的には魅力を見いだせたのだが、社会的にどう受けているのか、大きな要素が想像できなかった。

既に鑑賞済みの人と一緒に観ていて、その相手は「完璧映像」と賞賛しており、作り手側の人間だったのも相まって、しつこく聞いてしまった。

ところが、具体的にどういう魅力があるのか質問しても「自分作品の良さを一々誰かと共有する文化がない」と言われ、

作品の良さを分かっていながら言葉説明しようとしないのは、表現者として怠慢なのではないか?」と詰め寄ってしまった。

その後も「優れた映像作品言語不可能だし、する必要性を感じない」と返され、

「全ての魅力をキチンと言葉表現しきるのは不可能かもしれないが、自分が感じた魅力について断片的にでも言葉提示する事は可能だろう。」

「魅力を知りたがっている人がいて、自分が魅力をみつけているのに説明しようとも思わないその態度は疑問だし、言語化の必要性が無いと思う事はおかしい。」と言ってしまった。

その後、「なんで、増田からそんな風に質問攻めにあわなければならないのか?私には理解できない。」と不快感をあらわにされ、会話は途絶えた。

こうして増田に書いて冷静に読んでいると、「こりゃ嫌われるよ。当たり前じゃねぇか。」って気持ちもあるのだが、

「いいじゃん教えてくれたっていいじゃん!ケチ!!!知りたい知りたい!教えて教えて!!!」って感情もまだまだ全然あり過ぎて、ついに寝れなかった。

でも、どう考えても絶対自分が悪いので反省します。

自分のモノの見方や考え方を他者強要している時点で論外

そもそも映像作品に対するリテラシーが低過ぎる

・人に教えを請う態度では全く無い

・親しき中にも礼儀あり

・我が儘過ぎ

もう二度とこのような事が無いようにします。

迷惑をかけた皆様、すみませんでした。

2017-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20170516131059

多くの鉄道会社女性専用車両を導入していますが、導入した結果痴漢被害件数は増えたのですか?減ったのですか?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14112283354

以前は鉄道会社痴漢発生件数公表していました。

しかし、女性専用車両が現れた2000年以降、非公表にした鉄道会社が増えました。

まり2013年現在における路線ごとの痴漢発生件数不明です。

しかし、都道府県警察によって痴漢を含めた性犯罪を取締まる迷惑防止条例違反件数公表されています

東京都を例にしてみましょう。

下記URLでは、迷惑防止条例違反件数の推移と合わせて、近似値という統計見方が紹介されています

http://tmaita77.blogspot.jp/2012/07/blog-post_21.html

このグラフによると、女性専用車両が導入された2000年以降の迷惑防止条例違反件数は増えています

尚、2000年以降に痴漢以外の性犯罪が激増する理由特にありません。

行政迷惑防止条例運用に慣れたことによる増加分を考えても、ちょっとこの増え方は異常です。

まり迷惑防止条例違反件数に比例して、痴漢発生件数も増えていると考えるのが妥当でしょう(これが近似値による見方だそうです)。

私も以前に鉄道会社痴漢発生件数を非公表にしたことに強い疑念を抱きました。

鉄道会社自らが取り組んだ痴漢対策痴漢が減ったのであれば、堂々と数字公表して自社のイメージアップにでも何でも利用するでしょう。

痴漢発生件数を非公表にしたのは、女性専用車両導入後から数年経ってからだったと記憶しています

まあ迷惑防止条例施行後立件件数が増えるのはまあそういうもんだとして

鉄道会社痴漢件数を非公表にする必要はないよな

公表しなさいよ

2017-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20170513205529

確かにそういう見方はあるよな

秋葉原トイレに変な装置設置された時も

そういう話はあった

親族戦犯がいる女は罪の見方が甘くなるんか

文章とか、お金とか。人とか。

この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。

偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。

商品」としての文章

まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。

自分新参だけれど、新しいタイプブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である

新規ブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。

露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場愚痴とか趣味の紹介とかではない。

あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。

CGMは、そのコンテンツの持つ価値判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である

ただ分かりやす基準として、例えば、寄稿出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。

なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手客観的価値提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)

ここで、いやらしくも。商業文章出版物の話をする。

はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータ印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。

個人がもっている「有益情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。

比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。

媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事しろエッセイしろ企業がやっている媒体掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。

コード料理商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コード個人お金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人ネットに上げるだけでも「儲かる」。

他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。

個人メディア」ができること

ここまでを踏まえて。「商業クオリティ情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Win取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます

商業ではなく、市井個人が書くことに意味がある文章とは何か。

それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。

別に個人情報を晒せということではない。出身地職業家族構成は確かに、その人を知る大事情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。

他者から客観的に見た自分」と、「自分演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。

それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。

その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観文章テンポ言い回し自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラスト作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。

「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログ存在意義なんじゃないだろうか、と。

商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。

日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理写真ブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。

「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。

さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。

スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)

当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。

交流勢について

互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます

A)古参はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。

B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。

C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。

ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。

・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。

・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。

よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。

でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語コメント」は、「相手好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。

その証拠に、「スターブクマフォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)

ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分リアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。

嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手言葉をなげかけるのが楽しいから相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。

そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。

そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。

Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないかコメント欄もっと気軽に使っても良いように思う。

もうひとつ別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)

マネー勢について

で、じゃあ「スターブクマフォロー利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。

C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。

相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束しか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告クリックなんてしない。

これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。

ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。

アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉面白い話。そういう文章が読んでみたい。

「読む側」としてのスタンス

はいえど。面白かったり為になる文章無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。

医学辞典なんて手元にないかネットでいいや、とか。先述のように、企業宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト個人がアフィ目的で作ったサイト質問投稿サイト個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。

それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。

「分かりやす出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。

商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログ暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたものプロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。

…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。

逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。

ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。

同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。

色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論一助になればと思う。

2017-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20170507195207

今の空気のまま国公立文系シバキが続いたら

しろ文系私立が伸長するみたいな見方もあるんだが。

特に教員養成とか、役に立たないからなくせって言われている反面私立は少ないし

職業養成系だから数字上の就職率上げれるし真面目に増えてもおかしくなさそう

しろ理系は学際以外は早慶すらやばそうだけど。

アマゾンの「バックオーダー発注廃止は、正味戦争宣戦布告である

結論:

 アマゾンの「バックオーダー発注」廃止は、流通改善に名目を借りた正味戦争の宣戦布告である。この戦争に敗北し、多くの出版社個別直接取引(e託)に応じてアマゾンのみに特恵条件を与えることは、破壊的な状況をもたらす。

 また、直接取引をしたところで流通が改善するという保証はない。アマゾン依存度が上がるほどに、苛烈な「ご提案」に逆らえない状態となる。

 在庫ステータス管理の問題は、業界が抱えつづける課題ではあるが、このアマゾンの施策とはほぼ関係ない。

 長くなってしまったので、結論を先に書いた。これに納得できた人は、この先は読まなくてもいい。そうでない人、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁く声に揺れている人に向けてこれを書く。

 その提案書には、いくつもの重要な点が省かれているからだ。

取引正味の現状

 現在、出版業界の正味標準は以下のようになっている。

 出版社から取次への引渡 69%(-2~+10数%)

 取次から書店への引渡  77%(-5~+数%)

 一般に、老舗ほどよい条件を持っている。(大手がすごくいいというわけでもなく、特に正味が高いのは法学・医学などの高額専門書出版社である

 正味以外にも新興出版社は上記条件のほかに歩戻し(新刊委託手数料)を支払い、新刊の代金支払いは納入の7か月後、さらに3か月から1年の支払い保留を課されるケースもある。

 一方で、老舗出版社新刊でも搬入翌月に代金の半額の内払いを受けるなど有利な取引条件を有している。

 かつては出版社ごとの正味の違いは書店への卸正味に反映されていたが、取次間の書店獲得競争の結果「一本正味」が増えている。その結果、老舗出版社の高額商品を卸すと取次が赤字になるという「逆ザヤ」も生じている。

 大手出版社が取次の株式を保有しているという背景もあり、こうした取引条件が改定されることはめったにない。

 アマゾン直接取引(e託)は、これを年会費9000円、正味60%の直接取引に一本化しようという提案である

https://www.amazon.co.jp/gp/seller-account/mm-product-page.html?topic=201463220

 ある意味平等に見えるが、背面では個別に違った取引条件が出版社に持ちかけられている。漏れ聞いたところでは66%の提示までは確認したし、中堅以上からはそれ以上の条件で取引しているという示唆も受けた。

 しかし公式以外の取引条件はあくまで特約であり、アマゾンの提示する「条件」が守られなかったと判断された場合は一方的に破棄される。また、契約書をよく読んだ人は、その条件が数年間の時限であることに気づいたはずだ。

 アマゾンはこれまで(おそらく)73%くらいで仕入れていた本を、60%で仕入れるようにしたい。まずのところ、「取次に在庫を置いてもらえていない本」から。いきなり60%と言っても受け入れてもらえないから短期的には優遇条件や集荷などのエサを出す。

 これが今回の提案の一番の眼目である

なぜこのタイミングで言ってきたのか

 アマゾンアフィリエイトにしてもマーケットプレイスにしても、市場占有率が上がるにつれ、取引条件を何度も改定してきた。取次からの卸を「73%」と推察したのも、天秤をかけられている取次がギリギリ呑めるラインを推察しての話だ。日本上陸時の大阪屋との取引正味が75%で、そこからコンマ5%刻みで4回、計2%下げただろうというのが筆者の読みである。取次のアマゾンに対する態度が「あんな条件では積極的には欲しくない」に年々変わってきたというのが傍証となっている。

 それにしても今回の「バックオーダー発注廃止」は急で乱暴な施策に見える。通告メールの文面にも焦りが垣間見え、「3月期の利益が取次対応の遅れによる売り逃しで毀損された」からだと主張している。

 3月は新刊が多く、セット搬入等も含めラインは輻輳する。アマゾンと日販の蜜月が終わり、日販が「こんな粗利のところに便宜を図っていられない」と気づいたのもあるかもしれないが、今日に始まったことではない。

 より説得的な答えは、「配送料の値上げにより利益が圧迫されるので、別途利益を上げる見込みを立てて早急に本社に報告しないと、日本法人の評価が下がるから」だろう。

 アマゾンは、租税回避配送・資材・仕分の業者を徹底して継続的に買い叩くことに不断の努力を払い、設備投資の源泉を得てきた。そうした抜け道は徐々に塞がれてきたが、その間に無視できないシェアを得た。その買い叩きの対象が、いよいよ本格的に出版社にまわってきたということだ。

アマゾンで品切が頻発する理由

 さて、「話題になった本がアマゾンに行ったら品切になっていた」が、なぜ頻発するかの考察に移る。

 アマゾン発注の仕組みは以下の記事に詳しい。

アマゾンのバックオーダー発注の件について小零細出版社が考えるべきこと

 このバックオーダーの発生してからのこれまでの流れについては、以下の5年前の記事が(ちょっと出版社が鈍すぎだが)おおむね正しい。そして、この流れは一般書店も変わらない。

amazonの本の補充はなぜ遅いのか

 精力的な書店は、発注出版社に直接行ない入庫処理も迅速なので、出版社在庫があるもののバックオーダー後の入荷はアマゾンより4営業日以上早い。

 このバックオーダー発注を7月1日から「取次を介してやらない。e託しない出版社の取次に在庫のない商品は扱いを中止する」というのが今回の通告である

 そして、高島氏の言うように在庫状態を開示して搬入を早くしても、問題は解決されない。

 ベンダーセントラル(VC)でチェックするとわかるのだが、アマゾン発注は間歇的になされる。たとえば、週に10冊需要のある本は、2か月に1度、100冊の注文が来る。

 その冊数の在庫を日販が準備していなければ、大阪屋栗田在庫を見に行って、それでなければ翌日繰り返す。そんなことをされたところで、それに対応して発注される可能性のある品目を網羅的に取次が在庫することは不可能である。日販にしてみれば、その照会は大阪屋栗田で充足されたかもしれず、明日発注されるかもわからないのに、その数を即仕入れろというのも無理な話だ。

 なぜコンスタントに補充をやらないのかという疑問が起こるだろう。在庫が少ないタイミングで受注の波が来たら、アマゾンにしても機会損失になるからだ。

 しかし、実際にこの十数年、定番書であっても同じアイテムの「バックオーダー発注」の短冊が数週間に一度、同じ日に何枚も「市川13,6,4、小田原9,5,2、堺20,7、鳥栖6,5,2」というようにまわってきて、その前後アマゾンで品切になり、回復まで10日間というような事態が繰り返されてきた。

 ベンダーセントラルを見ると、受注は多少の波はあれどコンスタントであり、アマゾン自身の「需要予測」もおおむね頷ける値になっている。しかし、発注だけがすさまじく間歇的なのだ

 最初は倉庫の入荷オペレーションのためかと考えていた。しかし、倉庫が各地に増えた現在では、各倉庫の発注時期をずらせば、品切を回避できるはず。アマゾンの優秀な人たちがそれに気づかないはずはないが、折に触れてその点は提案してきた。

発注時期を倉庫毎にずらせませんか」「バックオーダーの発注を版元に直接送りませんか」

 しかし、そのたびに返ってくる返事は「当社独自の計算にもとづき、在庫量・発注時期は最適なかたちでおこなわれています」「流通にご不満がある場合は、e託契約をご検討ください」だった。

 いま筆者が持っている仮説は2つ。

「倉庫ごとに時期をずらすと、北海道発注が佐賀に飛ぶような高コスト事例が頻発しかねないので、各倉庫の在庫平準化したい」

在庫についてつねに不安定にすることで、出版社と取次に対して取引カードにしている」

 それが穿ちすぎであるにしても、アマゾン在庫が過小であり、それを解消する意思がないのはあきらかだ。

過少な在庫量と倉庫の人手、発注遅延、そして入荷時期への過大な要求

アマゾン在庫が過小だ」と指摘すると、返ってくるのは「市川小田原川崎に、あんなに巨大な倉庫を持っているのに、あれ以上投資しろというのは無理」という反応だ。

 しかし、あの倉庫は流通のためのスペースが大きく、書籍以外のものも大量に扱っている。書籍の在庫量が売上に対してひどく少ないのは、厳然たる事実である

 業界紙新文化』 の2017年1月12日号に成毛眞氏がアマゾンキャッシュフローについて述べている(以下リンク小田光雄氏の要約)。

http://d.hatena.ne.jp/OdaMitsuo/20170201/1485874803]

 それによれば、顧客から代金を回収し、納入業者たちに支払う期間のキャッシュコンバージョンサイクルはマイナス18・86日だという。仕入は月締め翌月払いの平均45日サイクルとみて、顧客回収サイクルはどんなに短くみても10日あるだろうから、平均在庫期間は17日、年間在庫回転数21強ということになる。この値は、筆者が複数出版社から確認しているVC上の在庫/売上比とも整合する。

 これは、書店としては驚異的な値で、駅売り雑誌スタンドかと見紛うばかり。ちょっと話題になるだけで「品切御免」となるのも、致し方ないことだ。

 話題の週刊文春が売り切れだからスタンドを責める人は、まあどうかしている。アマゾンは、そういう在庫量でやっていくことを選択しているということだ。

 そして、取次から入荷後に出荷可能になるまでの期日も遅い。通常の書店でも、入荷後に配架担当者がいなくて1~2日寝る場合はあるが、アマゾンは入荷から出荷まで3日寝るのがデフォルトである。これは、現場の人員と設備慢性的に不足させて、100%以上の稼働率を維持しているからだろう。そのため、繁忙期や天候不良時には業務がさらに停滞する。

 アマゾン発注判断は遅い。判断に人間を介さないため、需要が急激に伸びた場合にもその要因がパブリシティなのか、ネットのバズりなのか、その需要はいつまで続くのかという読みを外部情報に求めることをしていない。したがって、自サイトでの顧客の行動を見て、「売り逃し」が続いてから発注を増やすという行動になる。

 この入荷遅れと発注遅延という行動様式は、e託を導入しても基本的に解決しない。

「いま寄越せすぐ寄越せ、寄越さないならペナルティだ」とクレームする先が、取次から出版社になるだけである

 在庫ステータス22(重版中)のものも、アマゾンは同様の行動様式発注する。即出荷できないものは発注せず、11になったら最前列に割り込ませろと言う。割り込ませなかったら、特恵条件は破棄される。

新刊については改善しつつある

 問題がここ1年で飛躍的に改善したのが新刊である新刊については、情報が出てから発売までに時間があるので、アマゾンの遅い発注判断でも、じゅうぶんな量の入手が可能になる。そのうえ、アマゾンも「新刊の追っかけ発注は入手しにくい」ということを学習したのか、発注量も多くなった。

 新刊委託配本をしない出版社でも、取次とコミュニケーションを密にとれば発売即品切れを回避しやすくなった。

 とはいえ、発注タイミングはやはり遅い。「発売前重版」になるような本がアマゾンで入手できず、一般書店には平積みになるようなことは多い。それは、書店としてのアマゾン能力が低いということの証左だ。発売4週間前に発注しても入手できない個人書店事情とは問題のレベルが違う。

現在のアマゾン情報弱者相手の草刈場

 一方で、アマゾンの利用はどんどん広がっているし、検索順位は高い。話題書をスマホ検索して即注文しようとすると、アマゾントップに出てきて「2~3週間後出荷」となっている。そういうときに出てくるのが転売業者だ。

 マーケットプレイスで3倍程度の価格をつけ、「希少品につきプレミアム価格です」と説明している。そして、その業者のページを見ると、数十万点の出品物がある。もちろん商品仕入れているわけではない。受注があってからhonto紀伊國屋ヨドバシ発注し、届いたものを転送するのだ。

 商品登録から値付けまですべてbotを活用した、「他の書店を探すのが面倒な人」から無知税を搾り取るためのビジネスモデルである

 転売業者栄枯盛衰が激しいが、いまは「ブックマーケティング」や「メディアフロント」が勢いがあるようだ。関心ある人は探してみてほしい。

 彼らの最大利益を追求する商魂や、ネガティブコメントを即流しにかかる熱意など、学ぶところは多い。

 トップ企業であるということは、いちばん情報に疎い人がやってくる場だということでもある。だからアマゾンを偏愛する利用者は他の書店利用者より平均的に無知で、流行に流されやすく、堪え性がない。したがって配送関係でトラブルを起こすことも多い。発送に時間がかかれば、カジュアルキャンセルしてくる。この層を相手にするのはコストがかかる。だからアマゾンはそのコストの負担を要求しているのである

 そういう人へ売り伸ばすのは商売の勘所でもある。

 だからアマゾンの提案に乗るという判断もありうるだろう。

どこまでやればいいのか

 アマゾンの要求は単純だ。「扱ってほしければ情報を出せ。情報を出したらカネを出せ。カネを出したらもっと出せ」ということだ。

 出版社ディスカバー21の干場社長証言がある。2014年10月のものだ。

>https://newspicks.com/news/654047>

「これまでは大型パブや広告がある場合、前持って出版社の方で手動で在庫を増やすように指示できたのですが、10月1日より、今後、全てそれまでの平均売り上げによる自動補充にするという通知が10月を過ぎてからただ1通ポーンと送られてきました。

それが嫌なら、去年からアマゾン出版社に持ちかけているパートナー契約を結べと。つまり年間600万円以上の契約料を払えと。

それはアマゾンによる一方的評価基準により価格が決まるもので、売り上げに準じたものではない。今回の処置は、パートナー契約を結ばない出版社への締め付けとも受け取れます。」

<<

 この書きぶりからすると、ディスカバー21はおそらくe託を利用しているのだろう。というか、取次を利用せず書店直接取引するのが、柳原書店破綻以降の同社のスタンスである。「在庫を増やすように指示」などが出来たところからすると、導入当初はあるていど優遇されていたようだ。

 しかし、依存度が高くなったとみると掌を返す。大変合理的な行動だ。e託の正味60%もいつまでも固定されるとも限らない。

 こうした「パートナー契約」によってサイト内の表示順序も左右されているのが現在の状況だ。

都合が悪くなったら出口があるのか?

「e託で条件が切り下げられたら、取次取引に戻せばいい」。そういう意見もあるだろう。

「みんながそうやったあと、取次は数年後も残っているのか」という問題はまず措く。

 それにしても、アマゾン裏切り者を許さない。海外での事例は、反目した出版社商品に対して注文ボタン撤去検索結果への非表示など、アマゾンが自社サイトの優位性を最大限に活用した実力行使を辞さず、読者の利益を損ねることをものともしないことを我々に教えてくれる。

「e託やってたんだけどさ、不利になってきたからやめたよ。e託しなくてもそんなに不都合ないよ」などと公言する出版社の存在が、アマゾンの戦略にとってどれだけ目障りかを考えてみよう。個別取引合理性などかなぐり捨てて「アマゾンから離れた出版社倒産した」という事例をつくりにくることは覚悟しなければならない。

 複数出版社でこの問題を訴えようにも「e託契約」も「パートナー契約」も、すべて明細は秘密保持契約(NDA)の向こう側にあり、その訴訟リスクが情報共有と連帯を阻む。今回、筆者が匿名で書かざるを得ないのもそのためだ。

 現在でもアマゾンは不定期にポイント付与率の上げ下げを実施している。対抗馬のhontoもっと派手にポイントバラまいているので、日本出版界はそれを非難することもできない。

 現在のe託では販売価格の主導権は出版社にあるが、市場を更に占有したところで契約更改は再販廃止が条件となり、「プロモーション」「正味下げ」「値下げ」の3点セットの「ご提案」がつぎつぎに舞い込むことになるだろう。

 アマゾンで買えばほかより安いとなれば、消費者はなお雪崩を打ち、発言力はさらに高まる

 電子書籍では、入金額分配契約の出版社の場合、「アマゾンで本を買うと、他の手段より著者への支払いが少ない」という事態は、すでに起きている。これから紙の本にも普及してくる可能性が高い。

 アマゾン1社を優遇するなら、出版社縮小均衡の果てに「アマゾン制作部門の下請け」となる道を選ぶしかなくなるだろう。

 もうひとつの解は、アマゾンの条件を呑むのなら、その条件をオープンにし、他の書店にも同様の扱いをするということではないだろうか。60%条件ならば書店を起こせる人は多くなる。1社独占になりさえしなければ、安すぎる正味だとは思わない。本の価格は上がるだろうが、この正味戦争に建設的な出口を探すとすれば、そういう方向しかない気もする。

アマゾンは破壊的イノベーター

 アマゾンがやっていることは、「すべてのお客様のために」ある。アマゾンが考えるお客様希望は「手軽で安価な入手」だ。だから、「手軽で安価」な入手に協力する者は優先するし、それに協力しない者を悪く見せるために努力をいとわない。

「ほかの書店はともかくアマゾンで品切れするなんて」「売っていないなんて」という読者と著者の態度が、それを後押しする。

業界が絶望へ相転移するときのエネルギーを利益に変えている」と言ってもいい。

 だから、折りに触れ現れ、「僕と契約してe託出版社になってよ」と囁くあの提案書を追いかけまわして、「そいつの言うことに耳を貸さないで!」と叫ぶ。

 あなたが、すべての絶望を希望に変える奇跡の道を見つけるまでは、契約してはいけない。

  • 2017.5.20--追記

思いのほかたくさんの反響いただきました。

ありがとうございます

匿名の身ですので、本記事は「CC BY 4.0」転載・再配布・翻案自由とします。

とだけ宣言しに舞い戻ってきたのですが、せっかくなのでもう少し蛇足を。

取次の擁護ウザい。

→擁護していない。取次が硬直的な差別取引出版社が新しく出てくる芽を潰していることは既述の通り。

資本主義消費者利益なので残当

→まっぱだかの資本主義が野蛮で不合理な結果をもたらしてきたということくらいは、10代のうちに学んでおこう。消費者利益もエシカルでなければ持続可能にならない。いいからパンツくらい穿け。見ているこっちが恥ずかしい。

独禁法と公取は仕事するべき。

アマゾンは公取と密接に連絡を取って、アウトにならないギリギリの線を見極めて活動している。そして、紙の本はもちろん、電子書籍においてさえアマゾンは圧倒的な独占を未だ手にしてはいないので、公取は様子見。まあ、ケータイ相手コミック商売をしている国内勢がまだ大きいからなのだが。

パトレイバー後藤隊長みたいな言いかたになるけど、役所が動くのは常に手遅れで犠牲が多数出てからだし、そうでなくてはならない。文化的な公害のおそれには予防原則を持ち込むべきではない。

国内勢力を糾合して対抗するべき。

→それこそ公取の出番になる。出版界は笛吹けど踊らない者が多様にいるからこそ、自由でいられる場。そのメリットを手放すのは下策。テーマは変わるが、軽減税率ほしさに政府に嘆願する業界団体は恥を知れ。おまえら出版界全体を代表してなんかいない。業界が一丸になどなったらあっという間に規制され、規制団体に天下りを送り込まれる。

流通を改善しないで吠えるな。正面から戦え。

流通は改善している。アマゾンで入手できるような本なら、たいがいの書店でさほど待たずに注文できる。アマゾンが1週間以上になっているならば、多くのケースで書店コンビニのほうが早い。というか、ド田舎以外で入手を急ぐならまずはhonto withでチェックするべき。

書店で取り寄せできないと書店のせい、アマゾンで取り寄せできないと出版社のせいにする読者をネット上で散見するが、実際は逆。アマゾン出版社に連絡をする労すら惜しむ。

はいえ、取り寄せを渋ったり、TONETSやNOCSの在庫情報の見方を教育されていなくて「この本は取り寄せできません」とウソをついたりする書店員も、たしかにいる

なぜBLは隠れなければならないのか?

昨今は同性愛を受け入れる風潮やLGBTに対する社会理解が深まっていると思う。

まりこのご時世において、目の前の人が異性愛であると決めつけることは相手に対して失礼なことにもなりかねない。(なぜなら異性愛者と決め付けることは暗に同性愛否定してることに繋がる)

二次創作においては、長年の間BLネタは隠れて行うべきというルール存在している。

その理由としてよく挙げられるのが「〇〇はホモじゃない」「〇〇をホモ扱いするのは失礼だ」というもの

もちろん公式設定としてキャラ(もしくは3次元アイドルなど)が異性愛であるなら、これらの意見は正当なものである

しかキャラ異性愛者なのか同性愛者なのか明言されていない場合、先ほどの意見同性愛者を貶す発言になりうる。

スケートアニメでは同性愛公式と設定されているらしく、その場合には先ほどの意見はむしろ間違っていて糾弾されるものとなるだろう。

ではBLも隠れずにおおっぴらにやるべきかと言うと、そうでもない。

ここで言いたいのは、なぜBLけが隠れ、NLは対して問題とされないのかということだ。

統計的異性愛者が多い世の中でNL迎合されるのはわかる。しかマイノリティであるという理由だけでなぜBLけが弾劾されるのか。

どちらも公式設定外の創作であることに変わりはない。

キャラ異性愛者か同性愛者か、誰のことを好いているのかが明言されていない状況において、好き勝手相手妄想しているという点ではBLNLも同じではないか

こと3次元存在(アイドルタレントなど)においてはBLが強く忌み嫌われる。

「〇〇くんと××くんがお泊まりしてる!付き合ってる!」は叩かれて「〇〇さんと△△さんがお泊まりデート!熱愛発覚!」は大々的に取り上げられて長長と報道される。

性に関する見方が変わりつつあるこの現代において、二次創作ルールも変わるべき時にあるのではないだろうか

2017-05-02

にわかアニメうんちく

にわかアニメ演出用語に詳しくなってしまったせいで、アニメ見方が変になってしまった。

アニメのシーンで透過光とかでてくると

おおおおおおおおお!透ける!透けてる光!透過光!出崎演出

入射光とかでてくると

うおおおおおおおお!入射光!フィルムに光を射すやつ!しか色違い!白じゃねえ!出崎演出

ハーモニー処理

うおおおおおおおお!(以下同

などと無駄テンションが上がるようになってしまった

2017-05-01

トランプ大統領金正恩を褒めてる?

トランプ大統領が刈り上げ三男坊のことを

北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長について、トランプ氏は「父親が死去し、26、27歳の若さ権力継承した。彼から権力を取り上げようとする将軍らタフな人たちと渡り合った。明らかに、かなり頭の切れる人物だ」との見方を示した。

http://www.sankei.com/world/news/170501/wor1705010008-n1.html

って言っているらしいけど、ホンキで思ってない。

狂った指導者の弱い国家ではなくて、優れた指導者が指揮する強い国家に勝ったアメリカ大統領になりたいからそう言っているだけ。

トランプドラゴンに立ち向かうナイトになったつもりなんだ。

2017-04-29

文語体が無くなった。

最近気づいた事だが、頭の中から文語体を生成する機能が無くなった。

硬い表現を分かりやすく伝えようとすると、必ず同じような文体(口語体)で生成してしまう。

かつては表現した内容と表現形式が一致しているということに敏感だった。

表現形式、つまり文体、が持つ機能理解を立ち止まらせることで、読書という受動行為思索に転じさせる抵抗の役割であった。

近年出ている本やネット文章でこの抵抗を感じるのは、主張が自分と相容れないかエキセントリックな内容か、である。いずれにしても、分かりにくいから頭を使うのではなく、分かりたくないから、頭の中で粗を探してしまう。

そういう事を繰り返したからなのか、自分の中で、内容を構造に落とし込む、という思考形態が取れなくなった。

現在生活の中で、湯水のように文章が溢れているが、それを読む行為は以前より知的行為でなくなった。ある文を読む事は知識を積むことであり、内容以上にはモノの見方を変えない行為になっていないか。以前には、ある文を読むとモノの見方が変わったものであったはずなのだ

だが、今の自分はどうだ。内容を伝えようとした途端に説得させ相手理解させようとしてしまう。相手思考を待てないのである

古くから残っている本の内容をわかりやすくしてしまえば、誰でも簡単理解できるのであるしかし、古くから残っている本の著者の思考形態原著によってしか手に入れることが出来ない。

大事なのは、分かりやすくしても同じ内容にあるのではなく、思考過程とかモノの見方かいわれる知性そのものの方だ。

2017-04-28

私は「一般人

こうした発言をする人は、自分が正常な「一般人」だという確信を持っていて、うたがうことがない。

個人的怨恨はいささかもなく、そのことをぜひとも念頭においてほしいのだが、こうした発言は、残念ながら「私は無教養バカです」と大声で叫んでいることに等しい。

なにかを知ること、ほんとうに正しいことを知って、尋常な「一般人」にもしなれるのだとしたら、それは、自分知識限定的であることを認めること、自分判断がほんとうは正しくはないのではないか、とうたがいをもつことからしかはじまらいからだ。


戦時中戦争疑義を呈したり、思想犯として検挙された人を「非国民!」とののしった「一般人」は、自分がまっとうな「国民であることを疑わなかっただろう。

だが、1945年8月15日になって、そのような「国民」にはなんの正当性もない、あるいはそんな「国民」はそもそも存在していなかったことを知って、ポカーンと虚脱状態になってしまった。

発作的に泣き出したり、自殺した人もいた。


当時の人々を見て、なんてバカ国民だろうと思うかもしれない。

だが、『自称一般人」』を「非一般人」あつかいする「一般人」は、戦時中「バカ」な「国民」と何も変わらない。

気づけば自分が信じ込まされていた社会認識を疑う、自分のもの見方を疑うという能力をまったく欠いている点で、何も変わらないのだ。


頭がおかしい人の特徴のひとつは、自分の頭がおかしいことがわからないことだ。

統合失調症にかかっている人が「集団ストーキング」の被害を訴えているのを見ると、哀れに思う。

だが当の本人にとっては、それは普段見ている世界への疑いの末に、見出された「世界真実であることに変わりない。

ネットで見た真実」を信じて、陰謀論者になってしまった人を見ると、哀れに思う。

だが当の本人にとっては、それはやはり「世界真実であることに変わりない。

一般人である自分の見ている世界が、こうした哀れな人々の世界と違うことを、論理的説明できるだろうか。


ふとした瞬間、特定人間意図によって、自分が「非一般人」を憎み、攻撃するように仕向けられていたことに気づくとする。

その時の自分は、まだ「一般人なのだろうか。

一般人」と「非一般人」を区別し、自分が「一般人であることを疑わない人は、人を迫害し、殺す。

そして、自分が人を殺したことをけっして認めることがない。

危険なのはいったい誰だろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20170428225941

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170425233820

祝儀仕事の質に差がつきますってちゃんと白状するの、増田っぽくてとても良いな

まあ見方によっては「祝儀くれないんなら手を抜くぜ」と紙一重なんだが

そこは当然「最低限でもプロ仕事しますよ」って言いたいんだろうけれど、そりゃ「最低限の仕事しかしません」と見る人間も当然出て来る

最低限未満の対価しか貰ってないんだから当然っちゃ当然だろうがな

ただそれって増田に書くくらいだから大っぴらには絶対に言えないだろ

そうすると、チップ仕事の質が変わるということを知っているかいなかで新郎新婦側に不利益が生じるんだが、

そこの点はどう思ってんのかね

知らなかったんならごめんね、で済ませられるかね

一生に一度の記念なんだから、知ってたらちゃんとお金払ったのに、最低限の仕事しかしないなんて酷い!とか言われても、仕方ないっすよ、で済ませられうかね

そして、技術に全く見合わない不当な低報酬を貰って仕事をすると「労働ダンピングだ」という非難さえ巻き起こる

また他方では一流のカメラマンなら相当の報酬がもらえるはずなのでお前の腕や営業力が低いだけの無能だろという批判もある

本気云々のくだり、本気出しても無能人間は淘汰されるのみという残酷市場競争の反映でもある

そして仕方ないだろ脱落する人間が出てくるのは

そこからセーフティネットという話も出てくるのだろうし

それからカメラサービスの被提供である新郎新婦からすれば、上述したような背景なんか一切知ったことではない

あいろいろ詰んでるよな

いやねえ、真面目な話真理もそうだけど、命の価値とか割とふんわりとした話題を持ち出して、

体制下の社会において命の価値平等ではない、という話をしていたと普通仮定されるよね。

だってもともと政治発言からなんだから。違うなら俺の早合点なんだろう。

そこで命の価値細胞まで還元してゆく以上、もう社会的価値から離れて生物的な価値へと移行してるわけ。

これに気付いてない時点で相当頭が悪くて価値がない人だと思うしまり自分の言ってることに気づいてないと言える。

それと命の価値のものの均一性を人類史から見たら全く等価に無価値、って見方もできるわけでさ。

そうなると命の価値には差があるって発言は、現体制下の限定された条件でしたと考えるのが筋なわけ。

まりこのへんは別に俺の早合点とか無関係等価だよね。命の価値は均一じゃありませんですはい

2017-04-25

anond:20160522084213:何だろう…この批評は…批判の為の批判

http://anond.hatelabo.jp/20160522084213

何だろう…この批評は…批判の為の批判?色々理屈をつけているが要は作品にちりばめられている価値観や展開が自分好みでない、でもそれをそのまま言うと「好き嫌いだ」と呆れられるので専門的な評価を装っているようにしか見えない

>全くそうとしか取れない、それ以外の情報も全くない絵とセリフ提示してくれるのよ。

小学生女の子が初めて描く漫画みたいなネームだよな

要するにすっごい単純な情報しかないのね。常に。

まらないお話情報量の少ない最も単純な見せ方で常に提示してくれる。

悪い意味脚本家と直接おしゃべりしてるみたいな視聴体験

脚本家の思い付きをそのまま聞いてる感じでさ。

その思い付きはいろいろと技巧と工夫凝らして商品にしてからはじめて視聴者に食わせるものじゃないのかい

やりとりもリアクションもまた極度に情報量がない。別々の示唆が絡み合うような効果全然ない。

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これって一部分だけ切り取っているよな?全体的に示唆が全く無いことは問題だろうが直接的な台詞が入っては一切だめだという道理は無い、全てのシーンで直接的な台詞は言わせずに示唆だけで構成するって無理だろうしそ無理やりにそうすれば直接的なやり取りもほしいのでそれはそれで物足りなくなるだろう、直接的な台詞のやり取りばかりに偏る(その逆も然り、何事も偏りは良くない)なら問題だろうがとあるシーンにそれがあるからといって批判するのはおかし

そもそもこの人は直接的なやり取りは下位で示唆を上位の表現だと決め付けているが使い分けやバランス重要なのではないのか?勿論、千鳥気持ち視聴者は分っているがそれをあえてアップで口にすることで千鳥の思いがぐっと鮮明になる、現実恋愛でも思っているだけでは駄目で言葉にしてほしいという感情があるのだから「分っていることをわざわざ言わせるなよ」という主張はそういった感性を感受できていないだけではないだろうか

逆にこの人の評価する作品を聞いてみたい、直接的な台詞の一切登場しない作品ってあるのだろうか?どうもこの人は色々理屈をつけてはいるが本音は「女の子男の子を気遣うことが気に入らない」とかミサンドリー的な別の理由があるのではないだろうか?というのはキズナイーバー批判

「なんで男ばかり得をして女の子片思いが誰1人報われないんだ」とか

「俺は女の子幸せになってほしいのに、キズナイーバーは男キャラばかり勝ちすぎで女の子はのりちゃん以外想い人と結ばれないとかふざけんなって思ったよ女の子片思いは報われないのが現実恋愛だ? そんなこといつ決まった?マリーの過去作品では男キャラでも報われないキャラいたのに、キズナイーバーは3人全勝とか異常だわ」とか

「男女の恋愛物語は完全に終わったよ恋愛結婚出産もこの国ではノルマからね」といったフェミニズム系の主張がある(俺といっていても男とは限らない、別に男のフェミニストが居てもおかしくは無いが)http://yusaani.com/topics/2016/10/03/364783/

フェミニズム男嫌いなのは周知の事実だがそれが故にフェミニズムは男を敵視(ライバル視)しており「男だけが得をして…」とか「男キャラばかり勝ちすぎ」とか「過去作品では男キャラでも報われないキャラいたのに、キズナイーバーは3人全勝とか異常だわ」という発想が生まれる、別に女の子が報われなくても男の子が報われたのならそれはそれで祝福すべき(一緒に不幸になるべき道理は無い、報われたキャラがいたならその分だけ良い事のはず)なのに男に対抗心があるので「男女関係無くこのキャラとこのキャラが報われた」という見方ではなく「女より男の方が幸せになった、これは負けだ、悔しい」という発想になる、これは男性に敵対心を持つフェミニズム独特の感性だ、ここの返信にも「あんなの楽しんでるのなんてネトウヨみたいな低知能なやつ位だろ。」という左翼系(フェミニズム左翼)の書き込みがある、この手の人達は少数派なのだ思想を(間接的にでも)流布する能力に長けており放っておくと我々が気が付かないままに身勝手な好みを押し付けられることになる、キズナイーバーへの批判もそうだがマドマギまどかが死んだ(神になった)展開を呪って脚本家に「死ねばいいのに」とか言っている輩もいた、この人も専門的な評価を装っていたが結局展開が好みでないというだけで評価している、私はこの様な評価邪道邪魔だと思っている、後味は悪いが優れた文学作品というのはいくらでもあるがどれだけ秀逸に作っても「自分の好きなキャラ幸せにならないから」とか「女より男の方が幸せになったか駄作」というのはまともな評価といえるだろうか?

勘違いしないでほしいがこういう歪んだ評価をする人は一部だがその手の思想を持った人達は明確に男性に対抗心を持ち常にそういった目線(男の方が得をしないか?男に負けたくはない)があるのでアンテナが高く目ざとく見つけ出して批判するのでそういった意見が集中しても別に多数派ではない、他の人は何のことか分らずに静観しているというだけだ

そしてはっきり言うがこれって明らかに差別的だし病んでいる

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