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2017-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20170119005950

ごちうさゆるゆり、にゃんぱす、這い寄る混沌、ガブリールドロップアウト」に無くて

あずまんがけいおんハルヒ」に有るものは、強い物語性というか、起承転結がはっきりしている点でしょうかね。

冬なら1日中こたつグダグダと30分しゃべるだけでも作品が成立するのが前者で、

後者スキーに出かけて遭難して、死の危険覚悟するも最後に無事助かるくらいの話が必要になる。


次に何が起こるか期待して前者を観ているのに、特に何も起きないのでイライラするんじゃないかと。

[]

闇の公子を読んだ。愛と憎しみが織りなす、絢爛たる勧善懲悪物語だった。出てくる人物美男美女オンパレードだったかちょっとお腹いっぱい。

大別して三章からなる今作。それぞれの章なり部で主要な登場人物は移り変わっていくんだけど、物語全体を通しての主人公はやっぱり闇の公子たるアズュラーンなんだと思う。

地底の都を統べる妖魔の王たる人物なんだけど、少々いたずらが過ぎる。たびたび地上に出てきては国を傾けたり、呪物を差し向けて混乱を引き起こしたりして、大勢の人の生を翻弄結果的殺戮して回ってる。

神にも等しい力を有しているのに、夢から地底に迷い込んできた魂を相手に狩りを行ったり、とある人間女性を誘惑しようとして三回失敗した挙句彼女と夫と子供たちをしつこく呪ったりする。

やんごとなき御方なんだけど、しょうもないところが多い人物でもあると思った。

でも天上の神々と比べたり、とある吟遊詩人予言じみた唄を聞いて不安垣間見せたり、なんか格好つけた自己犠牲世界を救っちゃったりするのを見せつけられると、憎めなくなる。

小説最後なんか、アズュラーンの復活により束の間の平穏享受していた世界に再び嵐が生じる兆しが描かれてるんだけど、行間からにおい立つ何とも言えない爽やかさのせいで読んでてニヤニヤしてしまった。

カジールとフェラジンの恋路を邪魔したり、ビネス一家に辛苦を味合わせたりした場面では眉間にしわが寄ってしまったけど、自らが蒔いた悪事の種が芽吹いたせいで愛する世界が壊れそうになった時に見せた姿とか、滑稽すぎて愛着が湧いてきてしまった。

本当にしょうもない人だと思う。とんでもない御仁なんだけど。

公子以外にも素敵な登場人物はたくさんいて、先にも挙げたカジールとフェラジンのその後とかほのぼのしていそうでほっこりする。シザエルとドリザエルの二人も、魂の平穏を得たことで幸せに暮せたんだろうなあと思いたい。

つの章の構成について。どれも悪が負ける物語になっているんだけど、アズュラーンの視点から見ると、第一章では自分自身主体になった悪が負けていた。

第二章では自らが蒔いた悪がどのように人々の間を渡り歩くかを描いていて、第三章では自分面白おかしくまき散らしてまわった悪によって手を噛まれるっていう展開が描かれていたように思う。

それぞれ悪の捉え方や切り取り方が違っていて面白かった。アズュラーンの狡猾さや執念深さ、冷酷さを際立たせるとともに、彼に立ち向かう人々の輝きをうまく描いていた。

人々の生き様に関してだと特に二章が印象的だった。魔性女王ゾラヤスは、最後に結局悪として敗れてしまうのだけれど、彼女の憎しみや悲しみ自体には理解できるところがあるのがほろ苦かった。

彼女が死に負けるまで、ありとあらゆるものに勝ち続けなければならない人生を歩く羽目になってしまったのは、はたして運命だったのかどうか。

優しさがうまく機能しなかったり、色んなことのタイミングが悪かったりした十代のころ、彼女のもとにアズュラーンは現れなかったことを考えるとなんかいろいろ胸に迫る。

文章としては重厚かつ絢爛で耽美文章がずしんと腹にくる小説でした。性愛に関する大らかな受容性と、こってりした文章に慣れることができればがんがん読み進められる物語だと思う。

ただ、たて続けに二冊はつらいかなあ。死の王はまた今度にしようと思う。

2017-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20170117223308

上でも言われてるけど、プロレスレスラーと技に物語付与出来るんだよ。

思い出と言ってもいい、「この技は〜の時の技」だとか「あのレスラーがこの技を使うなんて」とか。



WWEやら新日やらメジャー団体だって、今も物語付与しようと必死じゃん。

試合前に派手な煽りVながしたり、遺恨をアピールするダイジェスト作ったり。

レスラーにまつわる物語を知ることで試合の良さにブーストかかるの。

内臓ズラすやらノア身売り(笑)とか言ってるやつらは多分プロレス好きこじらせた宝島人達

2016 から 2017 へ

2016年

5年付き合った彼女に振られ

ブラック会社で唯一頼りにできる先輩が辞め

母の癌が転移

昼夜のない働き方に体は音をあげ

目が覚めれば謎の腹痛と頭痛に悩まされる毎日を過ごした。

文章に起こすとちっぽけでドラマにもならない物語はとことん自分を苦しめて、

とうとう自分のなかでの2016年の一文字が「悩」に選ばれてしまった。

一人で悩んで、一人で考えて、一人で動いて。

もちろん家に帰っても一人だ。

こんなに一人の時間が多かったのは人生のなかでもはじめてだ。

一通りの答えが出て、頭がすっきりした。

体は一つだ、できないものはできない。

無駄ものは捨てよう、思考客観視しよう。

たくさんの何故を紐解いていこう。

たくさんの人と色んなことをしよう。

できることをつなげよう。

できることをつたえよう。

もっと自然体でいよう。

後厄も終えた2017年、「交」の一文字だったと言えるように。

2017-01-17

私がダンオタになった理由

私はダンオタである

一年前の今日、某テーマパークに行きパレードに出演している男性ダンサーを好きになった。

ダンオタというのはテーマパークダンサー好きな人たちのことで、だいたいどこのテーマパークにもいる。夢の国にも、関西映画の国にも、忍者村にだっている。

流行りの服装で一眼を持ってショーやパレードを待っている女の子がいたら、ほぼダンオタだと思って間違いないだろう。

では、何故どこのテーマパークにもダンサーオタクはいるのか。それは私がのめり込んでしまった起因でもある。

ダンサーは、パレードの主役じゃないからだ。

一般的テーマパークには多くのキャラクターがいて、ショーやパレードの主役はそのキャラクターたちだ。

ミッキーキティちゃんエルモアンパンマンなどなど、テーマパークで行われるショーの主役は彼らであり、彼らを中心に物語が描かれる。

キャラクターだけいればショーは成立するのでは、そう言われればそれまでで、最もその通りなのだが、テーマパークの広大な敷地のすべてにキャラクターを配置することはまず不可能だろう。そして、それが可能だとしても、絵面は寂しくなりそうだ。

そこで、テーマパークダンサーが現れる。主役のキャラクターを引き立て、ショーを盛り上げる。あくまでも、引き立て役であり脇役なのだ

なら、どうしてそんな脇役にオタクがつくのか。

私は元々ゴリゴリジャニオタだった。月に一回は何かしらのコンサート舞台に行き、自担くんの出演舞台は全通もした。チケットいくらかかったかはもう想像できない。大学生の時ですら、年間3桁の額を使っていた。

自分の服や化粧、食費は最低限で、バイトをいくつも掛け持ちしていたし、友達ゼミ飲み会には一切参加しなかった。今思うと、悲しすぎるキャンパスライフである

しかし、それでもよかった。365日のうち300日はどこかで踊っている自担くんが大好きで、彼を見に行けるなら他のことな必要なかった。

どうして自分自担に対し盲目的でいて、そこまで必死に頑張れていたのか理由は分かっていた。

私の自担は、Jrだったからだ。

ジャニーズJrというのは、デビューしている先輩もしくは後輩のバックで踊っているダンサーのことで。Mステなんかで嵐が歌っているとき、やけに背景がうるさいなと思ったことはないだろうか。そういうときバックで踊っているのがJrだ。

Jrでいる間は事務所をいつ辞めるのかは自由で、昨日までいたのに今日はいなくなっているということはザラな世界だ。しかも、いつ辞めるという知らせは一切ないどころか、辞めたかどうかすらはっきりと分からない。

そんな儚い存在ジャニーズJrが目指すものはみな一様にデビューだ。CDデビューをして初めてJr卒業する。それまでは、バックダンサーという立ち位置しかなれない。

そう、コンサートの主役を引き立てる脇役なのだ

長くJrをやってデビューすると、こう言われがちである、「Jrの方がよかった」。せっかくデビューして事務所を辞める心配がなくなって、なおかつCDを買ったりコンサートツアーをやったり、活動する場所はどんどん増えていくのにだ。そして、何より夢にまで見た主役になる。

しかし、広いステージの真ん中でマイクを握る姿より、ステージの片隅で踊っている姿の方が良かったと思えるのだ。

世の中、なんでもそうだと思う。漫画人気投票で主役よりも脇役の方が人気なことは多いし、コンテストで優勝した人よりも審査員特別賞の人の方が売れたりする。真ん中に立ち、スポットライトを浴びることだけが魅力ではないのだ。

ライトが一切当たらない暗がりを見ている人はいて、その暗がりにいる脇役を見つけたときは何とも言えない優越感がある。主役は誰にだって見える、というか見せるためにいる。主役が見えることは当たり前で、見えたときの感動はそう大きくない。

大勢の人が主役を見ている中で、私は脇役を見ている、私だけが脇役の演技を知っている。その感覚が常に私を頑張らせていた。

Jrは夢を持つ、目標を持つ。その誰にも見えない夢を私は応援たかったのだ。

Jr好きな人がみなこんな理由応援しているとは限らない。たまたま私の自担舞台仕事バックダンサーが多かっただけで、バックにつかずテレビに出て活躍しているJrの子もたくさんいるし、そういう子のファンは違う感覚を持ち合わせているはず。

ただ、少なからずこういう感覚もあるということだ。

そして、件のテーマパークダンサーだが、彼らもまるでジャニーズJrのようだなと私は感じた。

テーマパークという枠に囚われ仕事を与えられ、主役になることを夢見ながら脇役として仕事に徹し、いつの日か音もなく目の前から消えていく。

誰かに気づいてもらいたいと思いながら懸命に踊る姿は、見た人の胸にそれは刺さるだろう。

私の場合も、「笑顔かわいい人だなぁ」と思って見ていたら目が合って、手を振ってもらったのが始まりだ。「見つけた」「見つけてくれた」の瞬間である

そんなこんなで、テーマパークダンサーJr担の性癖に見事にジャストミートした。

皆が皆、同じような気持ちダンオタをやっているとは思わない。ダンスが素敵だったから、顔がかっこよかったから、理由は人それぞれだが、ショーの脇役を見て好きになった境遇は同じなはず。

まり脇役脇役いっていると怒られそうなのだが、ダンサーもショーの重要な一部だということは分かっているので悪しからず。

そんな私も盲目的にテーマパークのしきたりを守りながら追い続け、今現在は顔と名前を覚えられているところまでいった。パレード最中に目が合うと「あっ」という顔をされ、今も「見つけた」「見つけてくれた」の関係は続いている。しかし完全にその立場は逆転し、今は私が見つけてもらう側になっている。なんでもそうだが、オタクが優位でいられるのは一番最初、好きになった瞬間だけであるから、これはもう致し方ない宿命だ。

これは私事だが、ダンオタというのはジャニオタに比べれば懐に優しい趣味だが、ダンサーというJrよりも一般人に近い存在オタクをしている性質上、メンタルが抉られる事案が多いなと感じる。距離が近いため、手紙に書いた内容が次の日のパレードに全てダイレクトに反映されるのだ。そのレスポンスの速さたるや、自動返信サービスかと思う。

ファンサされたり、干されたり、機嫌の良い悪いですぐ態度をころっころ変える一般人に振り回される毎日だが、それでも楽しくてやめられずに1年経った。

ちなみに私の自担くんは今もJrだ。デビューはもうできないだろうと言われている。

脇役だろうとなんだろうと、私は好きな子はいだって主役だった。

スポットライトを浴びることを夢見て踊る姿は、誰よりも輝いていたし、この子を好きでいることは自慢だ。

Jrテーマパークダンサーも、儚い存在だけど何よりも強い存在感を放つ。それが人を惹き付ける魅力なんだと思う。

自担くんは今日劇場で踊っている。テーマパークダンサー今日パレードに出演している。

きっと、今日も誰かの主役になりながら。

http://anond.hatelabo.jp/20170117115317

上でも言われてるけど、アイドルアニメアイドルと曲に物語付与出来るんだよ。

思い出と言ってもいい、「この曲は〜の時の曲」だとか「あのキャラがこの曲を歌うなんて」とか。



AKBやらももクロやらリアルアイドルだって、今は物語付与しようと必死じゃん。

ライブ前に派手なムービーながしたり、ドキュメント映画作ったり。


アイドルにまつわる物語を知ることで曲の良さにブーストかかるの。

スキャンダルやら老けないとか言ってるやつらは多分アイドルきじゃない外側の人達

「(空襲から)逃げちゃダメだ!」

http://anond.hatelabo.jp/20170116162327

リンク先『婆ちゃんに戦争の話聞いてきた』で語られている「婆ちゃんの工場を襲った」空襲はおそらく、1945年8月1日深夜から2日未明にかけて行われた富山空襲のことだろう。

それ以前、7月にも市街地に対する比較的小規模な空襲は度々行われている(模擬原子爆弾、いわゆるパンプキン爆弾の投下も行われた)が、8月空襲市街地の実に99.5%を焼き尽くす大規模なもので、ブコメでも言われているように「空襲で全部なくなった」。燃え盛る炎が明々と夜空を照らしていたという証言ネットでも複数読める。

で、だ。問題

ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。川に逃げた人はみんな死んだ。

というくだりである。この「川」というのはおそらく、富山市街地を貫流する神通川を指す。皮肉にも、上空から夜目にも目立つ神通川と広大な河川敷のもの攻撃目標となって多くの犠牲者が出たといわれているが(富山空襲 浅田 高明|戦争記憶~寄せられた手記から~|NHK 戦争証言アーカイブス http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/kioku/31/ )、そのいっぽうでこんなことも行われていた。

神通川に掛かる連隊橋(今は富山大橋)を軍が封鎖し、逃げて来る市民に対し「戻って消火せよ!」などと馬鹿げた命令を出した

(あの戦争富山空襲」 : 勝手に言ってます http://yosirin.exblog.jp/21519632/

火たたき・バケツリレーなどによる「防火演習」がしばしば行われ、空襲の際には、避難する道路に、警防団警察憲兵などが立ち、「戻って火を消せ」、「非国民!」などと、避難を押し止めた

イントロダクション | 「富山空襲」のことを知って下さい! http://www.geocities.jp/toyamakushunokaii/introduction.html

逃げたらアカンかったわけである。何故か? これは日中戦争が始まる前に公布された「防空法」という法律に拠っている。直接的には、真珠湾攻撃の直前に行われた防空法第一改正、およびそれに基づく内務大臣通牒で、空襲時の退去の禁止罰則を伴う)と応急消火義務国民に課せられたことに由来する。この規定が、10万人の死者を出した東京大空襲のあともなお有効だったことは、まさに富山空襲でのエピソード物語っている。

富山空襲ではまず市街地の周縁部に焼夷弾を投下し、市民の逃げ道を断ったうえで存分に焼き払うという手法が用いられたが、地上でも軍や官憲によって逃げ道が断たれていたわけである。その結果が婆ちゃんの語った戦争の話、ということになろうか。

最後に、いち地方都市にこれほど大規模な空襲が行われた理由がふるっている。

「これ(=第13回の大挙出撃)は、陸軍航空部隊の第28回記念日にふさわしい祝賀であった。またカーチス・E・ルメイ少将に対するすばらしい餞別となった。同少将米国戦空軍参謀長となるため、第20航空軍司令官を辞任する前に、この攻撃を自ら計画し、かつ指揮したのであった。」 (1945年8月2日付ニューヨークタイムズ

陸軍空軍記念日である8月1日の攻撃は、持てる空力を駆使し、あらゆる努力を払うよう指示する。(米本陸軍戦略空軍司令部から、第20航空軍「現地」司令官への指示文書

富山空襲と母のこと: 壺中山紫庵 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2010/08/post-78e5.html


参考:防空法について

空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制 / 大前治 / 弁護士 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/politics/13238

ニューダンガンロンパV3ネタバレ無しで評価する

自分ブログを持っているわけでもないので雑記程度に。

ゲームとしてのダンガンロンパ最新作だったV3ですね。えー、やりました。もう結構某所とかで言われてるみたいなんですけど最初に私も同じこと言います

オチが酷い。

プロローグ、1章〜6章、エピローグといういつもの構成だったんですが正直申し上げますと5章終了ないし6章クロ当てまで進めたらそこでプレー辞めることを推奨します。それ以上進めると「それ以前のダンガンロンパシリーズ記憶」を破壊されますマジで。書き換える、のがわかりやすいかな〜ゲーム内容的にはな〜...

V3は新章で別だって言ってたじゃん!」との声、普通にあると思います。私もその情報が事前にあったのでアニメ3でぐちゃぐちゃになった世界とは別!と思い購入しました。"嘘"がテーマであることで物語がどのような発展をみせるのか気になりましたし。単純に偽証システムが見てみたかったのもありますが...

率直に言うと「世界観一新」は"嘘"ですね。ダンガンロンパチームの。だからといってシリーズ経験者にお薦めできるかというとNOですし、しか新規が入りやすいわけではなく踏みいれれば過去作のネタバレ価値不法投棄を目の前で行われることになります。端的に言ってお薦めできません。とある人物周りの伏線回収も現状ではずさんだったとしかいえないでしょう。

受け止めかたの問題だ!冷静になれば面白い!とかい意見に対しては、6章クロ当てからの一連の流れは製作からの悪意がふんだんに織り交ぜられているために絶望よりも不快感がこみあげてくるものになっていて、肝心の伝えたかったであろうテーマにまで泥を塗る結果になっていた、とだけ言っておきます。私個人としては様々な不可解な状況証拠から"黒幕台詞は多くが嘘"という結論に達したので全否定するつもりはありませんが、確実な真実への道程を作中で示さず全てをあやふやなままで終わらせた時点で世に出す作品として中の下だったということは変わらないと思います

では問題オチ以外、つまりプロローグ〜5章まではどうだったかといいますと、過去作に比類する出来だったのではないかと私は考えますトリックに一部引っかかりを覚える部分もないとは言い切れないのですが基本的破綻せず進行しているように感じました。キャラ描写は...その......勿体ないな〜と思わなくもないのですが通信簿があることを踏まえれば5章までは良作の部類だったかと。5章まではね...イヤほんと5章で終わっておまけ要素解放されてたら雑な神ゲー認定してたな......気に入ったキャラ結構いたし.........



いつまでもシナリオの話しててもしょうがないので学級裁判システム周りについての感想にいきたいと思います

まずは今までのコトダマ論破に「V論破/賛同」が追加されました。R長押しで精神集中すると色つき主張に「ウィークポイント」となる赤い点が浮かび、そこを上手く撃ち抜くとV論破達成となり、得点があがるという本作のアクション成分をアップさせる要素となっていますさらに直後の台詞等も少し変わる...らしいのですが2周めをまだしていないので詳しくはよくわかりません。

次に「コトダマの偽証」。△長押しで選択されていたコトダマを"反対の意味"のコトダマ(=ウソダマ)に変えることができる要素が追加されました。このウソダマを正解となる相手発言に撃ち込むことで「偽証」が成立し、停滞した議論開拓の道を示すことが可能となります。もちろんこれも「V偽証」することができます

ウソダマを使用するにはデメリットがあるものの正解に撃てば帳消しになるので、タイミングがわかれば気軽にでき適度に学級裁判を盛り上げてくれました。まぁだからといってそれでシナリオの大きなルート分岐もなければ事態の核心に迫れるわけでもないので勿体ない使い方してるなとは思いましたが......

議論スクラム」について。参加者内で意見が2つに割れ裁判の円滑な進行が阻害されたときに発生します。その時点での各キャラクター立ち位置意見が全てわかるうえ、相手意見パズルのように合致させまとめて論破できるので爽快感が強く、また台詞間の幅が主人公の味方側キャラへの名前呼びかけで無くなるためテンポが非常に良くなっており臨場感も味わえるというとても面白いものになっていました。過去作でも是非やってみたかったとまで思える要素だったので、ここは評価されていいと思います。ここだけでしか見れない横顔が綺麗に見れるのもポイント

パニック議論」に関してはノンストップ議論が3つ並行して行い時折大声で主張する人が現れ他を阻害してくるという、スタンダードながらも場の騒々しさが伝わってくるもの面白さがあったように思いますアクション難易度があがる場面なので、このときに上手くV論破が決まると達成感も得られました。

「発掘イマジネーション」は単なるモノリスなので割愛。あとは「ブレインドライブ」と「理論武装」ですが...どっちも微妙だったな、としか

ブレインドライブ」はレースゲームの時点でゲーム性は限られていましたが、スキルを取らないととにかく冗長なだけで単調でした。カジノ版みたいにアイテムが道端に落ちていればアリだったかもしれません。道路デザインネオン街は本編と何の繋がりもないけどお洒落で好きです。繋がりないけど。

理論武装」はリズムゲーにしては音に併せるとmissするという目押しゲーなのにもかかわらずその目押しゲージをお邪魔の隠しで潰してくるという割と意味不明ものでした。これもスキルをとればマシにはなるのですが、この要素の都合上裁判クライマックス付近で発生するものなので真相への疾走感の障害しかなっていなかったなぁと感じます

反論ショーダウン・真打」は正直なところ前作のほうがやりやすかったです。これもV斬りを狙えるのですが操作性の都合でとても難しくなっていました。


思いつく限りではこんなところでしょうか。あくまネタバレしなので詳細はありませんが感想としては以上になります。無論これは個人差があるのでこの意見が全て他の人にとって真実とは言えないはずですが、私のなかでは嘘ではないので、この日記に目をとめてくださったかたのひとつの目安になれればと思います

シン・この世界の名は。

2016年は、邦画の当たり年だったといわれている(多分)。ミーハーな私も、話題になった『シン・ゴジラ』、『君の名は』、『この世界の片隅に』の3作は劇場に足を運び、どれも非常に楽しませて貰った。

この中で、どれがお気に入りかは、その人の年齢や興味、価値観などによって分かれるだろうが、私のお気に入りは、『この世界の片隅にである

物語の出来の良さは、どれも素晴らしいと思うが、『この世界の片隅に』のユニークな所は、タイトル通り『この世界の片隅』を描いた事である。従来映画では、世界の中心を描いてきた。

例えば、『君の名は』では、彗星落下という一大イベントに対して、主人公が町とヒロインを守る。主人公は、その世界において中心的な役割を演じ、大イベントに対して、積極的に行動し、大きな成果を生む。

かたや、『この世界の片隅に』では、戦争という一大イベントに対して、主人公は、日常を奪われ、大事な人やものを奪われ、終いには自分のあずかり知らぬ所で勝手に終わる。それに憤りはせよ、結局のところ戦争に対して、ほとんど無力なのである

私たちは、そういった一大イベントに出くわした時、一体どちらになるだろうか。

しかし、多くのものを失ってもなお、残ったものと、そしてまた新たに芽生えたもので、この世界の片隅で生きていくのである

あなたお気に入りはどれですか?

2017-01-16

漫画版ナウシカラスト

なんどめだという叫びが上がるたびに繰り返しネット議論が交わされている漫画版ナウシカラストの行動の是非だが、いつも疑問に思うのはワイド版7巻の内容だけに注目して結論にたどり着こうしている人間が多いことだ。

確かに、7巻の内容はそれまでの内容をひっくり返すという鮮烈な印象をもっているし、宮﨑駿の悪く言えば行き当たりばったりな作劇方法や連載当時の時間的な開きなどを考えてみると、終盤はそれまでと切り離されていて個別に考えうるような印象があることは否めない。

しかしそれでも、物語として最後の行動を読み解くにはやはり5巻、6巻のあたりのナウシカ言動重要になってくるだろうと思う。

すなわち、ナウシカ人類絶望して王蟲とともに腐海の一部になろうとしたということを考えなければならない。

なぜか?

7巻前半の概要をまとめるとこうだ。

思いがけず巨神兵という旧時代兵器を手にいれたナウシカは、巨神兵を用いて墓所破壊することを画策する。庭園の主は墓所をめざすナウシカに対して人類腐海秘密、すなわち墓所浄化した世界到来の暁に人類という種を生きながらえさせるための希望であるということを漏らし、墓所破壊をやめさせようとする。しかし、一方でこれらの秘密を聞いたナウシカにとってはむしろ墓所破壊しなければならない対象として強化される。

それはなぜなのか? というのが多く論争になる部分だ。

ここで注意したいのは、ナウシカ人類腐海秘密を知らされる前から墓所破壊を画策しているということである

庭園の主により墓所人類という種の延命装置ときかされたために破壊を思いついたわけではなく、なおさら破壊しなければならないと考えたにすぎない。

5巻、6巻でナウシカ王蟲のはからいによって生き延び、セルムに導かれて虚無から抜け出し、現実に戻ってきたときに、すでにナウシカ墓所破壊に向かう思想を備えているのである

したがって、この時点でのナウシカの考えを読み取り、それが巨神兵庭園の主によってどのように変わったのか・変わらなかったのかが重要になってくるのだ。

このあたりを是非議論してほしい。

この世界の片隅に」を観て何故戦争になったのかと思った。

日本アジア侵略しまくってて、

真珠湾攻撃して、

アメリカからいい加減にしろと攻め込まれ原爆落とされたでOK?

戦争の悲しい話の物語はあるけど、

なんで、そう戦争になったのかは実はよく知らない。

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドについて

先週発表された動画で解った事と思った事、まとめ。

(リンク日本語英語)

https://www.youtube.com/watch?v=1yIHLQJNvDw

https://www.youtube.com/watch?v=zw47_q9wbBE

■2分11秒のところ

日本語版「だのに、主の方は、やはり覚えておらぬようじゃな。今こそ話そう100年前何が有ったのか。」

英語版「That look on your face tells me that you have no recollection of me however I think you are now ready...ready to hear what happened 100 years ago」

話し手はデクの木。

場所マスターソードの台座の前。

100年前の歴史を明かされる。

時の神殿ではなくデクの木の前にマスターソードが安置されている。

日本語版には無いが、英語版では

「however I think you are now ready...」と言っているので、

この話を聞く時点(orここに辿り着いた時点orデクの木と話せる様になった時点)でリンクは何かしらの成長を遂げており100年前の歴史を聞くに値する人になっている。

また、「you have no recollection of me」と言っているので、

「"本来なら私(デクの木)の事を覚えているはず"だが、その顔を見るにやはり覚えておらぬようじゃな。」

というニュアンスになる。

この事から、今回のリンクは「本当はデクの木と面識があるはずだが、記憶を失ってしまっているリンク」という事になる。




以前に行われたツリーハウス青沼さんは、今作リンクが青い服を着ている事には相応の意味がある旨を匂わせていたので、

今作=風のタクトと繋がる何かが有るということは既に分かっている。




・今作リンク=デクの木を知っているはずだが記憶喪失

・今作=風のタクトと繋がる何かが有る

ということなら、

今作は25周年の際に発表された年表で言う所の

「風の勇者と新しい世界ルート内、「勇者なき時代」であり、

ガノンドロフ復活が復活しハイラル封印、水没する前」の話なのでは?と思った。

■その他分かったこと

1.マスターソードを持っている/持っていないカットが混在している。

2.ゼルダと一緒に映っているカットでは全てマスターソードを持っている。

3.ゼルダは青服着てるカットと白服着てるカットの2種類がある。

4.ゼルダガーディアンの前で何かしらの魔法を使いながらダメー!と言ってるカットでは、ガーディアンレーザーサイトリンクの頭に当っている。

  また、その時リンクマスターソードを引き抜こうとしている(or疲弊していて杖代わりにしている?)

  動画内全体で火の粉が舞っている。

5.タイトルロゴが表示される直前、リンクが立ち上がるカットでも、4.と同様に火の粉が舞っていてる&リンクゼルダ共に出てくる。

  ここでリンクの服や肌は焼け焦げたようなテクスチャが利用されている。

  リンクは右目をつむりながら力強くマスターソードを引き抜こうとしていて、ゼルダがそれを後ろから止めようとしている図に見える。

6.ゼルダが泣きながらリンクにしなだれかかるカットでも、リンクの服&肌は焼け焦げたようなテクスチャゼルダの肌も汚れ。服は白。

7.雨の中リンクが画面奥へダッシュ、からの振り返り、というカットでもリンク服焦げテクスチャ

8.雨の中ダッシュしてる間にゼルダの手が離れてしまう、というカットでもゼルダの肌汚れ。

9.雨の中、リンクは棒立ち、ゼルダは木陰で座り込んでいるカットでは、ゼルダは青服を着ている。

10.白服を着て水浴び(みそぎ的な事?)をしているゼルダの後ろ姿は良い

11.タイトルロゴが表示された直後、ゼルダが祈っているような所ではカメラが回った先に巨木があり、

  見えている範囲が少ないのでわかりづらいがデクの木に見える=マスターソードの前で祈っている?

■その他想像

・1~2.より中盤でマスターソードを入手した後(or入手と同時に)ゼルダ出会う(orゼルダと深く関わるイベントが増える)

・4~5.は同一のシーンと思われる。

・6~9は時系列不明だが雨の中2人が何か大きな出来事に関わっているということで同一のシーンと思われる。

 7にゼルダは登場しないが、多分リンクが振り返った先にゼルダが居るのでは。

 ただ、ゼルダの服が6,8では白、9では青になっている矛盾。途中で着替える?

さら想像

・序盤は色々と意味不明なままに世界を探索していき、そのうちマスターソードにたどり着く。

 そこで、デクの木に100年前の話を聞かされたりゼルダが出てきたりして、「ゼルダの伝説」としての物語が一気に本格化する。

妄想

今作のリンク時のオカリナで戦った大人リンクorその子孫であり、勿論デクの木(orデクの木の子供^n)とも面識がある。

今作の時代100年前に、時オカで倒したガノン封印が弱まるような何かしらの事件が起きった(or経年劣化封印が弱まった)

で、その事件の時に今作のリンクゼルダ勇者賢者として戦うも、力及ばずに敗れる。

それで魔法かなにかの力でリンクゼルダ共にコールドスリープ

(ゼルダ=眠りにつく事でガノン封印出来る/リンク=未来世界への希望)みたいな。

100年経って今作の時代で二人共目覚める。

ゼルダが白い服を着ているのは最初回想シーンだけで、リンクと同じように途中で青服に着替える。

荒廃したハイラルや朽ちたマスターソードを見て想定と違った世界ゼルダ絶望

真実知ったリンクは真の勇者として再び戦う、ラストバトルの末ガノンを倒し、

封印するため世界を水没。

そんな感じで風タクへ繋がる話。

『THE OA』って海外ドラマが神だった。

ネットフリックスっていう課金制の映画視聴サイトがあるんだけど。

そこで視れるんだけど。

かなり面白かった。

  

俺は子供のころは文学にかぶれてたんだけど。

医者さんになってみると、「精神病」ってのを疾患として理解できてしまって、

私小説とか、メンヘラ的な小説への感慨みたいなのが一気にそがれてしまっていた。

  

文豪神経症を見ても、「この時代は薬がなかったからねー」とか、「あ~これは典型的貧困妄想ですねー」とか。

パターンとしてしか見れなくなっていた。

そりゃ、書かれた時代は治らない病気から問題だけど。

現代では、治るっていうか、超絶重い状態精神病ってのが滅茶苦茶レアになってしまった。

  

で、そういうのをもう一度手に入れさせてくれたわ。

主人公精神病設定なんだけど。

「本当に精神病なのか?」という疑いを持てるぐらい説得力があるんだよね話に。

ストーリー展開も神がかっていて。『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』的に2つの話が行ったり来たりして、最終的につながるっていう。

更に素晴らしいのが、登場人物たちの人間性やどうしようもなさが伝わってくる。

  

まあドラマ自体のできがすごいってのはあるんだけど。

文学的意味合いとして、「臨死体験精神病を繋いだ」というのがうまいと思った。

現代では宗教的オカルト的なものは一笑にふされちゃうんだけど。

臨死体験は確かにオカルトとしても異質。

実際に臨死体験を経て超絶能力得てるとかあるから、謎な部分とかは確かにあるんだよね。

ここを結び付けてきたのがうまい

精神病奇跡だの神秘だのでごまかさずに書いてたり、周りの人の空気感ごまかさずに書いているのに。

それなのに、奇跡を書けるってのがすごい。

  

物語のしめかたも上手すぎてびっくりした。

完成度が異常に高い作品だった。

2017-01-15

ネットで男女論カルト洗脳された人見ると思わず笑っちゃうよね

マッドマックスフェミ要素がある…素敵」みたいのとか

おおかみこどもの雨と雪ミソジニー」みたいのとかさ

社会学にかぶれた意識高い系が畑違いの映画的外れ評論してるのたまに見る

溢れ者やマイノリティの疎外感を描いた映画には 育ち良い意識高い系人達感情移入共感できないんですね

そこで「せや!誰もが男か女なんだから男女論に持ち込んだらワイらマジョリティでも感情移入共感できるやろ!」って脳内物語を作り変えちゃうわけ

マジョリティ強者にかかれば マイノリティ障碍者貧困戦争や疎外感を描いたどんな映画も万人に共通ヌル〜い男女論の話題に変えられてしま

ほんとウンザリ

機能不全家族だったり発達障害だったり貧困だったり共同体の疎外感などの生きづらさに悩んだことのない楽に育った人間達が楽に受け売り理論で語れる…それが男女論なんです

社会派の多い映画文化は男女論カルトにとって畑違いなんだから口出しすんな

一生サブカルテレビアニメでも評論してろ

2017-01-14

あーーーーーーーー有能共が全員死ね

コミュニケーションができる野郎イケメン野郎スポーツができる野郎手先が器用な野郎地頭が良い野郎知識がある野郎絵が描ける野郎エッセイが書ける野郎小説が書ける野郎物語が作れる野郎曲が作れる野郎面白いことが言える野郎プログラミングができる野郎あとその他特技がある野郎ーーーーーーーー

あーーーーーーーーーーーくそくそくそこsくsskすspsくそくそくそkすおsくそ

俺に持ってない物を持って楽しそうにしやがってkldfhvgkvffcpkrlぎじぇhtglhぎてgkh、きgh

くそーーーーくそがしね

スマホ婚活物語

呼んでもいないのに、また誕生日がやってきた。32歳になった。その時を大宮あたりにある自宅のワンルームアパートで俺は迎えた。

仕事公務員。俺は一浪で、とある無名大学入学し、一留卒業し、さら卒業後に一年公務員試験勉強をして入庁した。運良くストレートで入庁までたどり着いた奴らと比べると、3年余分に時間を食ったことになる。くそ、と思うことはいつもであるが、それでも、出身大学レベルからすれば随分立派な就職先に入れたのでその点は誇りに思っている。なんと言っても公務員は安定している。

まあ、どこかの国も破綻しかけたし、うちの国でもメロンの有名な某自治体破綻したりして、果たして将来も安定か?というツッコミどころもあるが、なんだかんだ自分の定年ぐらいまでは大丈夫だろう。

だべってばかりで働かない職員モンスターなんちゃらに囲まれての仕事は決して楽しくないが、生きていくためだ仕方がない。

ちなみに、一浪した時は、実家があまり裕福ではなかったので新聞奨学生をやりながら、予備校に通った。しかし、この新聞奨学生というのがひどいもので、配達作業時間のせいで十分に勉強時間がとれないという代物だった。今思えば、少し無理をして自宅浪人でもしてれば、早稲田筑波ぐらいならいけたかもしれない。本当に後悔している。

容姿は良い方だと思う。中学時代はそれなりにモテ記憶があるし、男友達からも、良い方だろうという客観的評価をもらっている。

だが、恋愛は不調だ。これまでの人生で一度だけ付き合った彼女美人で、スタイルもよかったし、若かったし(当時23歳だったか)、あっちの方も抜群だったが、いろいろいい加減な子だったので半年ほどで別れた。結婚も考えねばという年齢だったのでそれでは厳しい。その女との出会いは、数年前から流行りの街コン。当時は友達街コン婚活パーティーに出かけて出会いを求めていたが、そこで一度だけうまくいったのがその女だった。

と、それが二年ほど前の話。そう。今、俺の心を占めているのは結婚への焦りであり、結果として婚活自分プライベート時間の多くを占めるに至っている。婚活もいろいろやり方があると思うが、今の主戦場スマホ婚活アプリだ。

婚活アプリでは、それぞれ自分PRするプロフィール写真文章登録し、男女共々、異性のそれを見ることができる。気に入った相手がいれば「いいね」する。「いいね」されると、された相手には通知がいき、運良く相手も気にいって、「いいね」を返してくれたら、晴れてチャットができるようになる。あとはいかにうまく口説いて、「面接」に持ち込めるかだ。

面接」というのは婚活用語である婚活アプリでは、チャットいくらか続けたあとに、アポをとりつけて相手食事に誘い、そこではじめて相手と対面する。そして相手容姿や、学歴職業コミュニケーション能力などを見る。これがさながら企業における採用などの面接に似ているから「面接」などと呼ばれるのだろう。採用活動における面接ではおおむね企業側が一方的に見るものだろうが、婚活における「面接」では、お互いがお互いの値踏みをする。従って、当然ながら、「面接」に望む時の洋服には十分気をつけなければいけないし、会話を弾ませるよう自分の話術を最大限駆使する必要がある。そうでなければ、二次面接」、三次面接」には進むことが出来ない。お祈りメールを待つのである

俺が将来の伴侶に求める点は大きく、1)友達が羨ましがる容姿、2)自分よりも高学歴、3)結婚してもちゃんと働いてくれる人、4)性格がまとも、5)年齢は31歳まで。若いなら若いだけ良い、の5点である特に1)2)5)は重要だ。なぜかって?それは他人に羨ましがられる嫁が欲しいからだ。俺は正直に言って、自分に誇れるものがない。大学へは小学生時代から続けていたスポーツを極めたくて入学したが、結局自分には才能がないことを痛感した。プロなんて夢のまた夢だ。誇れることは、せいぜい、公務員になれたことぐらいである。これがなかったら、ぶっちゃけ、ただのクズなんじゃないかとすら思う。だからこそ、婚活では一発逆転したい。

実際、俺はかなり婚活に入れ込んでいる。中毒といってもいいかもしれない。平均で週に2回程度は「面接」をしているし。婚活アプリも4つ程度を同時並行で利用している。

金もかかる。課金額は月にそれぞれ5000円程度だ。「面接」にだって金はかかる。飲み屋でディナーとなれば、安くても一回4000円は飛ぶ。もちろん支払いは男持ちだ。男女平等が叫ばれる昨今であるが、婚活では関係ないらしい。交通費だって地味に痛い。

トータルで「面接」した人数は50人はくだらないと思う。しかし、未だに婚活は終わっていない。

俺が求めるレベルの女には、一次「面接」で切られてしまう。そのレベルに達していない場合だと、付き合うところまでいけそうということも何度かあったが、どうしても本気になれず、最後まで続かない。

もう本格的に婚活をはじめて3年になる。最近は、周りの友人なども結婚しているやつが多くを占めてきたし、子供ができたというのもFBなどでよく見かける。そういうのを見ると、自分は何をやっているんだろうと思う。俺はちゃんとした家庭を持つことが幸せ重要な要素だと考えているので、何のために生きているのだろうという思いにかられることもある。「面接」がうまくいかないのはコミュニケーション能力が低いせいもあるのだろう。そういえば、うちの親はどちらもコミュニケーション能力に乏しい。遺伝なのか育った環境問題なのか。くそ

しかし、あきらめない。絶対にいい女を捕まえてみせる。

仲の良い友人の1人はそこそこの女で妥協した。しかし、俺はそんな情けないことはしない。

そう思いながら、今日スマホで女の写真を眺めては、取り憑かれたように「いいね」をしている。

[]

今回はモアイから、第33イブニング新人賞感想


—棘— ジィー(第33イブニング新人賞 奨励賞

構成がやや難儀だな。

要人物の語られるバックボーンや、ロマンスもろもろが中途半端、或いは余計に感じるというか。

なぜこーなったかってことは理解できるのに、それに感情移入できない。

「どーいうテーマ物語か」っていう観点評価しにくいし、仮に評価できるとしてもそのテーマによって紡がれるもの希薄なのだ



復讐少女(第33イブニング新人賞 奨励賞

良くも悪くも、非常に圧迫感を覚えた。

隠し事をしている男と、復讐心に駆られて危うさを漂わせる少女との奇妙な交流は、どういう展開になるか最後まで読めない緊張感があり、実際ラストまでそれは変わらない。

けど絵が拙いのは一目瞭然で、ドアップな構図やフキダシ、文字もでかくて圧迫感を覚えた。

ある意味プロットと噛み合っているとも言えるが、それでもクドさを覚える。



粘液少女(第33イブニング新人賞 準大賞)

ワンアイデアの設定と、それに合わせた主役のキャラクターによって可笑しさはあるものの、ほぼ静的なプロットは盛り上がりに欠けるのは否めない。

結局のところテーマ主体先生性的嗜好で、それで何か大きなドラマが紡がれているわけでもないからね。

絵は似たり寄ったりな構図が気になるが、粘液の質感はこの作品テーマ関係していることもあって気合入れてるね。



1%モンスター(第33イブニング新人賞 優秀賞)

とある女の子問題と、とある教師問題が平行しつつ、二人の交流によって展開していく構成かな。

気になるのは、女の子側の問題教師の励ましによって大きく解決に向かうのに対し、教師側の問題女の子が大したカンフル剤になっていないところだ。

あと、所々「ん? どういうこと?」というセリフと場面がいくつかあって、描き方の問題もあるのかもしれないが、自分コンテクスト理解できていないことに不安になった。

プロット理解できているのに、恐らく私はこの作品を肝心なところで掴みきれていない。



首(第33イブニング新人賞 優秀賞)

テーマと、構成がきっちりしてるのは好みだなあ。

奇抜なワンアイデアを基盤に物語を展開させるってのは、モアイで読める受賞作品では定番なんだよね。

ただ、それをちゃんと活かしてテーマもしっかりしつつ、物語ドラマティックに紡いでいるのって案外少ないから、その枠組みではかなりレベル高いんじゃなかろうか。

物言わぬ人間となった妻と、それに相対する主人公の心労が丁寧に書かれている。

ラスト近くで描写される首がない赤ん坊看護師は、主人公の順応を表現しているのか(赤ん坊も泣き声が描かれているし、看護師普通に喋っているので、実際には首があるはず)。

38ページ目に丸い線があって、これが主人公に重なっていくつか描かれている。

最初よく分からなかったけれども、多分あれは空白で透明のフキダシで、妻が何か喋っているってことなんだろう。

『1%モンスター』は測りかねているのにこーいうのは分かるあたり、私みたいなのと相性いい作風なんだろうね。

人工知能モノリス物語

子供砂場でお城作った!」

おじさん「邪魔するで~」

子供「なに」

おじさん「くっだらね~もん作ってんじゃねぇ~」

どっかーん

子供「わああお城が」

おじさん「おっ中にビー玉入ってたぜ」

子供「とっちゃやだ」

おじさん「ウルセェ!ついでに頭こちょこちょしてやる」

子供「いやあああ!!!

 

これは介護に疲れ、フォースの暗黒面に落ちた人間愚痴です

増田でくらい、好きに書かせてください

お願いしま




小林麻耶が羨ましい

闘病をあれほど美しく、麗しく、感動の嵐にしまくれるその境遇が、心底うらやましい

周囲からも最大限の応援、賛辞、共感

とにかく、キラキラした美しいもので満ち溢れている



それにつけて、私の周りはどうか

。。。もう語るのも疲れた

ただ、僻みっぽい羨みで気を紛らわせることくらいしか思いつかない



。。。。小林麻耶は、ずるい

元が美しいし、明らかな死に直面していて、それを受け入れる覚悟と、周囲の支えがある

若い上に相当進行が早い

長くはないだろう

それも、羨ましさに拍車をかける

終わりが決まっているのだ

わかっているんだ

からいくらでも飾り立てられるんだ

彼女が散ったあとも、美しい物語が次々と打ち立てられるのだろう



。。。それに対して、私の方はどうか

終わりなんて見えやしない

いや、できることなら今すぐ終わらせたい

終わらせてしまった人々がニュースで出ることもあるが

僅かな羨ましさと恐怖でぐちゃぐちゃになる

ああ



同じ闘病で、

どうしてこんなにも美しさと惨めさで世の中は断絶しているのだろう

怒りや憎しみも生まれてくるのだが、

彼女はもう間もなく死ぬ

から、怒っても憎んでも、それも意味が無いのだ

ずるい

ズルすぎるんだよ


ズルすぎる

[]

今回は最近読んだ漫画からいくつかセレクト



まず最初。たーたんを読んだ。帯に"童貞×JC≒父娘?"っていうなぞの式が書かれてた。心ヒリヒリコメディと銘打っていある通り、笑えて面白いんだけど、どうしようもなく切ない気持ちにさせられる漫画に仕上がっていた。

ネタバレになるけれど、今作は血縁関係のない男女が父子家庭を演じている。そんでもって、その偽りの親子関係を続けようにも、とある理由によりあと一年関係を解消せざるを得ないことが提示されている。

切ないのが、その事実を知っているのが偽りの父親だけってところ。

赤ん坊のころからたーたんに育ててもらった娘は何も知らないし、関係性を疑ってもいない。母親のことも、自分を産んでからすぐ死んでしまったと聞かされているもんだから、ずっとそれを信じていた。

たーたんは何度も何度も真実を伝えようと思い至るんだけど、優柔不断で気弱なもんだから思春期を迎えた気難しい娘を前についつい口をつぐんでしまう。

加えて思春期になった娘は娘で、いろいろと想像して、母親は実は生きているんじゃないかとか、たーたんが情けないから逃げられてしまったんじゃないかとか思い始めてしまう。

全体を通して一方だけが破滅へと向かっていることを認識している、ある種のモラトリアムのような状況が描かれているわけなんだけど、何も知らない無垢普通少女と、お人好しで気が弱いけれど一人前にお父さんやってきた男性との交流が微笑ましいものから、余計と切なくなってしまう。

親権問題やら、都合のいい父親像やら、創作じみたところは結構ある気がするけれど、それらをあまり感じさせないのもすごい。

ちょいと前にはうさぎドロップが評判になり、その次には甘々と稲妻アニメになったけれど、今度はこのたーたんがくるかもしれない。

わきを固める登場人物についてのエピソードもいろいろありそうなので、今後とも目が離せない。

願わくば、表紙の二人が笑顔を浮かべる結末が読みたいです。



次。女房、きつね仕立てをよんだ。最近はやっている異種交流譚を扱った作品表題作短編三作からなる単行本だけど、人外との恋愛要素がほとんどないのが特徴的だった。

ところどころに挟まれギャグ最近表現っぽいなって思う。なんて表現すればいいのか。とにかくそれっぽい。

加えてなんだか絵が少女漫画っぽくなかった。いや少女漫画なんだけどレーベルが違う。アスカなんかみたいに、男性陣がアクション冒険なんかをするレーベルの絵柄っぽく感じられた。

総じてケモノたちが可愛らしかった。キュッキュて短編結構ブラックジョークが効いてると思ったし、ぬしさまの不気味な存在感も素敵だった。



次。第七女子会彷徨の十巻を読んだ。まずもって今までもいろんなことをやってきた漫画だったけど、最後最後までメタやらクトゥルフっぽいのやらハチャメチャにやり切った漫画だった。

一つ一つのエピソードに描かれているギミックなり表現手法なりがころころ変わるので、連作集なんだけど短編集のようにも読める作品だったと思う。

一応一巻から読み直してみるとあれがこうなってそれがどうなるのか新しい発見ができそう。ただ結構読者を突き放して突き進む漫画なので、いまは気が乗らないかなあ。

とにもかくにも完結おめでとうございます



次、うちのクラス女子ヤバいの一巻と二巻を読んだ。確かにヤバかった。でも、ものすごく微妙なヤバさだった。中には強烈にヤバいのもあるけど、そこまで重大な事件にならないのがゆるい。

そこらへんの塩梅が作者の特色なんだと思う。食べた人の記憶を一日分だけ消すおにぎりとか、イライラすると手のひらが軟体生物化してしまうのとか、ヤバいけど影響はそれなりだった。

むろん過去にはそれらの能力を強化しようとしていたらしき描写もあって、今後どう展開するのかがきになるところではあるのだけれど、

個人的に、二巻のかわいいものを見るとぬいぐるみになってしま女の子の話と、困ると体の周りに花が咲いてしま女の子の話がよかった。

一巻にある心身の同一性問題を抱えているような人物の描き方や、二巻の終わり方なんかも緩さの中に確かな芯がある感じがして素敵。続きが楽しみです。



それはそれとして、タニス・リーの死の王を読み始めたんだけど、闇の公子を読んでいないことに途中で気がついて結構後悔した。

明確なつながりがあるのか定かじゃないけれど、やっぱり刊行された順番に読みたい。よって死の王は少し読書を中断し、闇の公子を先に読破することにする。

平らかなりし地球物語は、ほかに第三集と第四集と外伝があるみたいだけど、入手が困難なのだそう。面白いのかなあ。全部集めて読みたいなあ。

2017-01-13

[]筒井

筒井筒(つついづつ、つついつつと読む場合も。旧かなでは「つつゐづつ」)とは、丸く掘った井戸井戸側(いどがわ)、わくのこと[1]。『伊勢物語』、『大和物語』中の物語の題材のひとつとして有名であり、互いに惹かれていた幼馴染の男女が結婚することを内容としている

筒井筒 - Wikipedia



幼馴染と結婚することをこの言葉で呼ぶことがあるらしい?

今更ながら、この世界の片隅に、がめちゃめちゃよかった件

CMを見て能年玲奈の演技がお世辞にも上手いとは思えないし、本人の顔が思い浮かんでしまってちょっとなぁと思ってた。でもキネマ旬報ってやつで1位になってるし、まぁ面白くなかったら寝てもいいかってぐらいで1人で見に行った。めちゃめちゃよかった。

自分と同じように思ってる人は騙されたと思って見に行って欲しい。

以下ネタバレ含む。

素晴らしい所は山程あるし、色んな所で語られてるから、今更自分があれこれ言ってもとは思うけど、語りたいという欲求には逆らえない。振り返ってみると、この作品の設定のユニークさに改めて感心したので、その事を書いていく。

1.日常の中に、非日常を描く

一般に、映画小説、ひいては音楽というのは非日常を描くものだと思っていた。例えば、君の名は。は体が入れ替わる。この作品も、戦争と言う非日常を描いている事に変わりはないが、日常と非日常バランスが異なるように思う。初めこそ童話的なエピソードから始まるが、すずが北条家にお嫁にいってからは、炊事などの日常が主に描かれる。そこから戦争という非日常が始まる。場合によっては、日常を描く事は、非日常を際立たせる演出上のテクニックのようにも感じられてしまうこともある。しかし、この作品では、日常を描く事自体が1つのテーマとなっていると思う。つまり日常を際立たせるために非日常を描いている、とも言えるのだ。それほど力強く生き生きと日常が描かれている。

能年玲奈クローズアップ現代+のインタビューで「ご飯を作るのって楽しいんだとか、洗濯をすることがとても誇らしいと思えるようになった。」と言っていたことがこの事を上手く表していると思う。

2.どこにでもいるような人の視点から歴史的出来事を描く

映画小説では非日常が語られる故に、主人公は、人並み以上の能力持っていたり、特別立場であることが多い。例えば、風立ちぬでは、零戦設計者だった。一方で、この作品では、絵が上手くて、すこしとぼけている、どこにでもいると思わせるような女性である第二次世界大戦という歴史的出来事を、どこにでもある視点から、描くという点が非常に新鮮だった。戦争は、主人公が全くあずかり知らぬ所で起こり、理不尽にやってきて、そして唐突に去っていく。状況も殆ど理解できないし、ただただその状況に身を任せ、やれるだけの努力をするのみである。そのどこにでもある視点は、すなわち自分が、もしその時代に生きたらという視点であった。

3.物語への没入感

物語演出の素晴らしさに加えて、上記の2点の設定上の妙により、物語へ没入してしまった。物語への没入感は、本当に面白いと思える作品の条件だと思うが、日常をどこにでもある視点で描く、ということはこの条件を成立しやすくしている。戦争といった非日常的なものは、非日常的に語られる事が多い故に、他人事だと思ってしまいがちである。例えば、歴史の授業で心を傷める人は稀だ。この作品では、日常をどこにでもある視点で描き物語へ没入した状態で、非日常が起こる。その当事者意識や衝撃度は凄まじい。

日常をどこにでもある視点で描き、そこに起こる非日常追体験させる。こういう手法って今まであったのかな?自分では思いつかなかったので、映画でも小説でもあれば見てみたいので、教えて頂けると嬉しい。シンゴジラが、現実の中に虚構(ゴジラ)を描いたっていう点は非常に面白かったし、ちょっと似ていると思う。でもそれは虚構を際立たせるための現実であったし、視点特別ものである

最後に、映画を見終わってからテレビで、能年玲奈セリフを聞いたけど、やっぱり違和感があった笑

でも映画を見てる時は、全く気にならなかったし、寧ろハマっていたのは間違いない。それ程物語に没入していたということであると思う。

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