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2017-03-21

私と天空橋朋花と従者とプロデューサーと子豚ちゃんについて

アイドルマスターミリオンライブプロデューサーの皆様、まずは4thLIVEお疲れ様でした。3日間どの公演も本当に素晴らしいものでしたね。3日目の最後には嬉しい発表や一歩一歩進んだ先にあるものを期待させるようなPVの公開もあり、ミリオンライブのこの先への希望を与えてくれるライブだったと思います

私は運良く3日間全て現地でライブに参加することができました。そして演者である小岩井ことりさんの体現する天空橋朋花を観て、ライブ後に様々な朋花Pの方々のツイート等を拝見して、また自分の中の「天空橋朋花観」の大きな変化を感じたので、それをこの時の考えの記録として、はてな匿名ダイアリーという人の目に触れる形で文字に起こしたいと思いますチラシの裏にしない理由はこれを読んで皆様がどう思ったかURL付きツイートブクマコメなどを通して知りたいから、ツイッターにしない理由は直接繋がりのある方々に知られるとちょっと恥ずかしいからです。

まずプロデューサーと子豚ちゃんの話をします。以前の私は朋花の担当プロデューサーであることにこだわり、子豚ちゃんであることをよしとしていませんでした。ゲーム内でも朋花はプロデューサーに対して高い意識を求め、それに応えられなければ罰やお仕置きが仄めかされたり、応えられれば聖母に相応しい者として認めてくれたりする訳です。私はそんな朋花とプロデューサー信頼関係がとても好きで、そんな関係を築けるプロデューサーでありたいと思っています。それは今も変わりません。

ですが朋花の担当プロデューサーでなければ見られない朋花の姿があるのと同じくらい、子豚ちゃんでなければ見られないものもある、と思うようになりました。このような考えをもったのは、武道館天空橋朋花として聖母の愛を振りまく小岩井ことりさんを見てからです。正直一撃で子豚ちゃんになりました。以前小岩井ことりさんが最初挨拶で「子豚ちゃんたち」と呼びかけたことに少し思うところがあり、担当プロデューサーとして武道館に行こう、と決めていたのですが、サプライズとあまり天空橋朋花っぷりにやられてしまいました。ですがこの経験が、より様々な側面から天空橋朋花について考えてみるきっかけとなりました。

ここらへん本当にまとまりなくて何が言いたいのかよく分からないですね。要はこだわりを持つのもいいけど色んな視点から見てみると発見があって楽しいなぁってことに気づいたってだけです。当たり前のことですがこの時やっとこんなことに気づきました。

余談ですがそんなことがあっての二日目の最初挨拶プロデューサーでも子豚ちゃんでもいいからとにかくめいっぱい楽しもうと思って望んだら小岩井ことりさんと朋花に「プロデューサーさんと子豚ちゃんたち」と呼びかけられて死にそうになりました。小岩井ことりさんと天空橋朋花自分の考えを全て肯定されたような気分になりました。本当に余談ですね。

ここからプロデューサーと従者の話をします。先に断っておきますがこれらは全て私独自解釈で、ゲーム中ではプロデューサーという立場聖母という世界観の上で従者という言葉があてがわれている、という感じだと思います。(パっと見つかった「プロデューサーさん、従者以上の存在に〜」から考えていますが、他も大体そんな感じだったはずです)

以前私は、「より多くの人を子豚ちゃんにし、救済するという朋花の願いを叶えるために朋花を聖母として完成させる」というプロデュース方針を打ち出しました。これは彼女の中に聖母たろうとする朋花と、15歳ありのままの朋花が共存している、と仮定した上で、前者を推進していく、というものです。聖母になるという使命を完遂させることで、そこから解放してあげたい、という意図も多少は含まれていたと思います過去の私が決めたこの方針は「従者」としてのものであって「プロデューサー」的ではないなぁと最近思うようになりました。

では「プロデューサー」的なプロデュース方針とどのようなものでしょうか。私は「聖母としての朋花も、15歳の朋花も、丸ごとひっくるめて『アイドル天空橋朋花としてプロデュースする」ことだと考えます。先日ツイッターで「#天空橋朋花こんなところもあるんだ選手権」というタグを見かけました。もし私が天空橋朋花聖母としてプロデュースしていくとしたら、こんなにも沢山の天空橋朋花の魅力を取りこぼしてしまうのかと思い、それは天空橋朋花担当プロデューサーとして見過ごせないと思いました。

ですが、どちらの方針が正しいか、私は未だ結論が出せずにいます。朋花は聖母として子豚ちゃんの上に君臨するためにアイドルになっています。その一助となりたいという思いも私の中に確かにあります。子豚ちゃんの求める姿が理想聖母、というのは本人談ですが、15歳のありのままではしゃぎ、笑う彼女の姿を子豚ちゃんたちが求めているかは子豚ちゃんの視点を獲得したての私ではまだ判断ができません。朋花自身聖母として振る舞おうとする上でそういった姿を子豚ちゃんたちの前に出したがるかという疑問もあります。皆様はどうお考えでしょうか。皆様のプロデュース方針はどちらに近いものでしょうか。

以上で本文は終わりです。ここまで読んでいただきありがとうございました。この文章はまた朋花に関する文章を書きたいという衝動に駆られて勢いで書き殴ったものなので、誤字脱字や読みづらい部分などあったかと思いますが、これが今の私の考えです。

多くの方にこの文章を読んでもらい、意見感想を聞いてみたいので、よければURL付きツイートブクマコメ等していただけると嬉しいです。

散々以前とかまたとか言っているように過去にもはてな匿名ダイアリーで朋花について書いたことがあるのですが、恥ずかしくて自分では読み直せないような文章なのでリンクは乗せません。興味がおありでしたら適当検索すればヒットするかと思います

何かあったら追記します。ありがとうございました。

ファン」とはどういうものか。あるいは、そうなれない人の思考

とあるファンブログを見ててまさにこれだな、と思ったので。

思うに、ファンと「ファン」は重なり合いながら共存している。

 

例えば、デレステルームアイテムとして太鼓の達人の筐体が実装される。

 

ここで、「ファン」なる性質もつ人は、これをおっとりした智絵里に叩かせて、

大空直美(智絵里中の人で、太鼓の達人が上手い)が降臨してるwwwフフフ…」とニヤける。

ただ、そうやってニヤける人も、実は分かっている。

ルームアイテムアクションが1パターンで、どのぷちデレラがプレイしても機敏に弾きこなすということを。

そう分かってもなお、やはり「趣深いな…」と感じられている。

 

その一方で、「ファン」の性質に欠ける人は、何パターンかあると思うが、

  • そもそも、興味を深く広く拡大していくような習慣がない等で、中の人ネタを知らなかった。
  • 知っていたとしても、脳内中の人など、別の事象(時に時事なども)と連結して楽しさを見いだす回路が鈍い。

複合的な楽しみ方を、「こじつけだ」のように冷笑的に捉えがち。

脳がシリアル処理なのか、それ単体としての評価をするのが美徳のように捉えている所がある。

上の例でいうと、「なんで1パターンなんだ、クソだな」「もっと作り込めよ」「好きだからこそ批判してるんだ」などと思いがち。

期待度はやけに高いし貪欲なのだが、楽しんでいる人たちの受け止め方を見せられても、

信者乙」という感情が先にきてしまい、「それはそれ、これはこれ」と忠告目線を変えない。

彼らも、別に批評家ごっこがしたい訳ではなく、楽しもうという気はあるのだと思う。

ただ自分の思ったとおりに楽しませてもらえないことに対して許容範囲シビアだ。

 

それで、2ちゃんだとかtwitterだとかのネット上のファンコミュニケーションの場において支配的になるのは、

どうしても後者のような捉え方になる。コミュニケーションが広く活発になるほどそうなる。

それはもうどうしようもないことなのかもしれないが、

前者のような「fun」の姿勢

日本語でいうならば「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなしものは 心なりけり」

という発想の人の肩身が狭くなって、ブログで一人つぶやくだけの世界になるのはつらいなあと思う。

 

ファンの中にも「ファン」と、そうでない人がいる。

それを肝に銘じながら、これからどんな娯楽に触れるときにも、「ファン」側の壊れやす感覚に寄り添っていきたいと個人的に思う。

まあでも、そんなに難しく考えることもないんだろう。

娯楽は楽しむためのもので、楽しさは相対的感覚

絶対的な正解の表現はないし、どんな受け止め方をする人がいてもいい。

それだけ忘れなければ傲慢にはならないで済むし、楽しめない自分に幻滅してしまうこともないだろう。

fun」に至るほどにチューニングが一致する、というのは幸運なことだ。

 

 

余談だけども、某橙色はてな村民の、李徴と袁傪の新作漫画もさっき拝読した。

李徴は、映画前のCMを「これはこれ」として評価したのではなくて、

映画体験」の一部として複合的に、次回への期待も込めて(時系列も含めた複合性)受け取ったかポジティブに楽しめたのだろう。

袁傪は映画通のように思える。通になると一つひとつのパーツにこだわって見るようになりやすい。

それゆえに楽しめなくなってしまう。ありがちだけれど、

それを克服できるほどメタ感覚をもって邁進していける人というのはあまり見ない。

というか、それが出来た時点で人から見えなくなるのかもしれない。

袁傪のような通の認識を持ちつつも、総合的な心情としては李徴のように振る舞えるというのが、私の理想だ。

2017-03-15

沖縄を抑圧されたマイノリティにするのは誰だ。


香山リカ我那覇さんを「マイノリティに過剰に同化してしまった哀れな存在

として扱うけど、いち沖縄県民の私に言わせりゃハァ?だ。

基地反対派こそ本当はマイノリティで、今の沖縄は賛成とまではいかないけど「容認派」がほとんどだと思う。

日本の今の状態を考えたらしかたない」

自分たち基地によっていやな思いをしてないor恩恵を受けている」

「でも基地によっていやな思いをした(主に老人の)反対派を思いやって口には出さない」「というか沖縄ももめたくない」

みたいな考え方で、賛成とは言わないけど容認する人たち。

その中でニュース女子の件が報道されて、正直納得したよね。

ああ、あの野蛮な人たちは同じ日本人県民ではなかったのか。

なんらかの目的作為があってああいうことをしてたんだ。

思想の違う外国人がやってたことならそれの方がいい、ってね

普通に働くアメリカ軍人ヘイトつけまくったり

そのへんにゴミを捨てたり、下品に喚き散らしたり

近隣住民の「騒音を立てないで」の張り紙を不気味なカカシ?で隠したり

在日がどうとか、どうでもいいけどあれをやる人間たち全てがどうかしてると思う。

こういうこというとヘイトだとか差別だとか抑圧するマジョリティだとか言われそうだけど、もう笑ってしまう。

あれが同じ県民で、すべての沖縄県民がそれにくくられると思ったら、ものすごく嫌だった。

沖縄を離れて、報道されるのを見るたび、「みんながみんなこんなんじゃないのになぁ」と悲しくなった。

もしそれがなんらかの作為的な行動であれば、それを画策した人間に私は腹が立つ。

というか、沖縄県民でも直接いやな思いをしたこともない人間が何をしているのだ、あそこで。

我那覇さんは勇気があると思った。

沖縄県民の前に日本人であるというような言葉に、ああ、そうなんだよなぁと思った。

彼女応援している!という人も多いし、それを表明しなくても「よく言った」と思ってる県民は多いと思う。

沖縄メディアは、我那覇さんを取り上げないしなぜかそちらを少数派にしたがるけど、我那覇さんの主張、またはその一部に納得・同感する人は多いのだと思う。

マイノリティ集団には必ず抑圧するマジョリティに過剰に同化する人がいる。抑圧者にとってそういう人はたいへん都合がよく、一時はチヤホヤされる。「ほら、当事者だってこう言ってる」と使えるから。「アイヌ利権を主張するアイヌ」「在日叩きの在日」、そして沖縄にも。利用されてるだけの悲しい人。」

この香山リカ氏の主張に猛烈に腹が立ったのはなぜだろう。

お前が何を知っているのか。

というかマイノリティの過剰に同化チヤホヤされ利用されているのは自分ではないのか。反差別アイドル著名人として、利用されているのはないだろうか?

「私は違うわ。いけないことはいけないもの自分意思で主張し戦うわ。私は正しいの」か?

我那覇さんと何が違うのか?相手側の意見を聞く姿勢があるだけ我那覇さんのほうがよっぽど人としてできている。だからレッテル貼りをして逃げるくらいしかできないのか。

我々をストックホルム症候群被害者のようなものだと思っているのか?

沖縄は、マイノリティなのか。私たちはいつまで抑圧されたマイノリティであるべきなのか?

特に基地を憎んでいないのにそれに反対することが正しいことなのか?

自らの意思をもって基地容認・賛成し、主張することは哀れな被害者の成れの果てだともいうのだろうか。

沖縄を「抑圧されたマイノリティ」にしているのは、誰なのか?

私には、実際に目に見える障害がある。

たとえば、片脚がないと想像してほしい。それにほとんど近い障害だ。

自分人生をその状態で生きてきた私は、今やそれも自分個性ひとつだと思い、もはやチャームポイントだと思っている。コンプレックスはいまやなく、それを活かした仕事をしている。そんな自分を愛している。

片脚がない私たちは辛いんです!バリアフリーを!理解を!寄付を!と叫ぶ同じ障害をもった人もいる。それが悪いことだとは思わないが、自分と違う考えを持っているんだと思う。

そんな私に言う人がいるのだ

「片脚がないと不便だよね。かわいそうに」

「片脚がないことを嘆くことが普通なのに、大丈夫だなんて強がっちゃって。本当は大変でしょう?嫌でしょう?」

私がその時、どんな気持ちになるのかわかるだろうか。

こういうふうに言われたら、どう思うだろうか。

障害があることも受け入れる?そんな自分を愛する?まぁ、頭がどうかしてるんじゃないのかしら」

「私の知っている人は障害者人権向上のためにデモをしているわ。あなたはなぜしないの?」

「彼らの切断した脚を出して同情を買うパフォーマンスが嫌い?このレイシスト!彼らは闘っている弱者なのに!」

あなたみたいな人のせいで本当に困ってる障害者が言われるのよ。「あんな風に生きてる人もいるのに」って。その引き合いに出されてチヤホヤされて利用されて、かわいそうな人ね。あなたはかわいそうなマイノリティであるべきなのに」

あなた障害者の恥よ。もはや国賊よ。」

障害とともに生きた私は、どうしようもない気持ちになるのだ。

彼らは、自分たちがしていることがそういうことであるとは気づかないのか。

真っ当に自分なりの価値観で、自分を愛して生きていきたいだけなのに、言われるのだ。障害のない人に。何故か高いところから

差別はよくないわ。弱者へのヘイトはよくないわ。それをわからせるためなら(自分が決めた)レイシスト排外するわ。あなた弱者から喜んでくれるわよね」

バカじゃないだろうか。

今の沖縄を愛し、基地共存しようとしている人間を、迎合しようとしている人間を、

誰にそのように言う権利があるのか。

私は、沖縄が好きだ。基地があり、ステーキハンバーガーアメリカンファッション名物になり、休日にうろうろしている米軍人と笑顔挨拶を交わす。私が生きてきた沖縄は、そういう場所なのだ。そういうが沖縄は好きだ。そういう人間がたくさんいる。

一部の人からは「アメリカに染められ反対派を愚弄する国賊」だろうが、この多様化時代に私や、同じ考えの人の愛するもの・主張をなぜ鼻で笑われなければならないのか。

狭い良識と偏った考えで、己に正義があると思い込み弱者の味方ですというような顔をして良識人面している、本質を何も理解していない、理解しようともしない、自己愛にまみれた反差別の皮をかぶった差別主義者は、誰なのか。

どうせ彼らから見れば、この投稿も「ネトウヨ沖縄のふりをして書いたヘイト記事」「過剰にマジョリティ同化した哀れなマイノリティなのだろう。

そういう考えでいてもいいと思うが、真っ当に暮らす人間邪魔をしたり傷つけたりしないでほしいのだ。多分話通じないけどさぁ。

ぐちゃぐちゃになった。書捨て。

2017-03-14

勧善懲悪ヒーローはもう流行らないなんて話があった

10年以上前特撮しろアニメしろ、単純な勧善懲悪善悪二元論で語る話は減っていたような気がする。共存可能性を探ってみたり、あるいは最初から己の正義を信じる者同士が殺し合ったりする話が持て囃された記憶がある。



そんで今。単純な勧善懲悪、というか善悪二元論めっちゃ流行っている。

ニュースを見れば政治家学校法人ボスが「こいつが悪の総大将だ!吊るせ!」と言わんばかりに攻撃されてる。

マスコミによって分かりやす対立軸が設定されて、善側に配置された人の欠点は見て見ぬフリをされる。

一方で悪側に配置された人は何をやっても叩かれる。もっともなことを言おうが、無駄。その内歩いただけであいつ歩いた!って叩かれるんじゃなかろうか。

誰だよ二元論限界だとか言ったやつ。ますます進んでんじゃねーか。

2017-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20170310144346

芸術家きどりってのはずれてると思いますが、

ゲーム映画とかと同じように一種評価されるべき芸術なはずなのに

気軽に遊べる価値がすべてで芸術かのように語るのは許容されず異常だ宗教だってのはやはりおかしいし、

いまだそういう空気しかないのはとても悲しいことです。



映画とかと同じように熱く語るのと気軽に接すのとは共存できるはずですし

熱く語るのが異常だと排除される現状はなんとかならないもの

2017-03-05

意見ブックマーク導入しろ早く

従来のブックマークに加えて、意見ブックマークってのを一刻も早く導入しろ

意見ブックマークってのは、記事に対する反論ツッコミ、訂正要求など、要は「アンタをブックマークするのは一言言いたいためであって、バズらせて皆にこの記事を広める意図は無いんだからね」的な用途使用するブックマークである

使い方は簡単、(そこははてなが考えろ タグに「#意見」って入れたらいいだけとか、あるだろ色々)。

そしてここから重要、従来の人気ブクマ一覧ページに加えて、この意見ブックマークがついたサイトカウントしない人気ブコメページ(「支持ブクマ一覧ページ」とも言えるか)を用意する。例えば、全ブクマ数が100、うち意見ブクマ10あったとすると、従来の人気ブクマページでは「100Users」、支持ブクマページでは「90Users」って表示されるわけだな。

B!KUMAかいうのがいけるんだからいけるだろう。何、B!KUMAってアプリになったの?とりあえず、アプリになる前の、「誰が使うの…?」っていうあれだ。あれの跡地でもなんでもいい。良識あるブクマカーはそっちを見るようになるだろう。

くだらねー互助会ブログ炎上商法まとめブログを喜々としてブクマするような奴らは当然従来通りのブクマしかしない。こいつらに対する忸怩たる思いは俺も同じだが、こいつらを排除ないし隔離するのは現実的ではない。切除範囲が広すぎてサービス自体寿命を縮める恐れが大きい。にわか排除していったら誰も残らなくなるのと同じだ。

そうではなく、こいつらと同じ水の中を共存するも、浄水機能を付けて浄水器周辺を棲まうのだ。

これで皆ニッコリ。早くしろ早く。

2017-03-04

2ちゃんねるでは○○の意見が大半とかいうけど

2ちゃんねる意見が細分化してて「一意の2ちゃん」の意見を取り上げるのは難しくなってると思う。例えばネトウヨ安倍アンチが同じスレ共存することは確かに少ないんだが別のスレ共存してるわけで、どっちが主流なのか見極めるのはそれなりに大変な作業

2017-02-24

私の好きな東京

20年ほど前、編集者淀川美代子さんのコラムを読んだ。叔父である映画評論家淀川長治さんにとって、日本随一の女性であるanan』の編集長をしていた美代子さんは自慢の姪だったそう。しかし、美代子さんは手腕を買われ新雑誌編集長担当することになる。それを床に伏す叔父に話すと、残念がったという。しかし、新雑誌GINZA』の名前を聞いた長治さんは「宝石を散りばめたような綺麗な名前やなぁ」と言ったという。

私にとっての東京はまさにそれだった。大きな建物ビルジングとビルヂング共存する。昼間働く街は夜には静かになり、繁華街は絶えずキラキラとしている。大手町駅で下車し、地上に上がり、ビルの連なる東京らしい風景の中に立ち、ふいに淀川美代子さんのこのコラムを思い出した。

ビルは闇の中で光輝き、お堀の水面に美しく浮かびがあがる。高い高いビルの中からすーっと現れる東京駅は美しい。背の低い建物クレーンを載せ、少し遠くには東京タワーが頭をひょっこりと出す。

あぁそうだったこれが私の好きな東京だった。

2017-02-18

漫画を探してます

まず俺の性癖について説明させていただくと、主に漫画とかで女の子が目を飛び出させてアゴが外れておおげさに驚いているのに興奮する。なんでかは自分でもよくわからない。顔芸フェチ結構いると思うんだが、現実には出来ない、ありえないところに心揺さぶられるのかな。

だが残念なことに俺の知る限り供給が非常に少ない。世間ってあまり女の子にそういうことさせないから。

具体的な例を示そう。

http://i.imgur.com/VayvqMb.png

女の子だよ。ウソついてないよ。俺は昔からこのディクシーにお世話になっている。

何がいいって、ディクシーだけ目が飛び出してることだ。ディディーの目も飛び出してたらダメだ。ディクシーだけの独自性ということが重要なのだ

http://i.imgur.com/0u8ZZYe.jpg

これも良いのだが、あとでコラだと知って少々残念だった。なんで残念になったか俺もよくわからないのだが公式の燃料でないと興奮できないらしい。

http://i.imgur.com/pi4h5BQ.jpg

これもなかなか良い。このあとブルマがおもらししてるのもポイント高い。シチュエーションが情けないほど興奮するらしい。ただ、ブルマだとこういう顔しても自然すぎる。欲を言うと普段おしとやかな子がこういう顔するほうがいいのだが。

俺の力不足でこれくらいしかコレクションがなく大変申し訳ない。いや厳密に言うと、大げさな表現をする漫画はけっこうあるけど、個人的な話で本当にすまないのだが、なかなか俺のツボにはまるものがない。ワンピースとかボーボボなんかが思い出されるが、なんかああいうのは違う。説明が難しいが。

漫画じゃないけど、ジム・キャリーマスクって映画があるが、ジムカートゥーンそのままの表現で驚いたりしてる、あれに理想が詰まってる。あの主人公女の子だったら俺は一生食オカズに困らなかったろうなと思う。でもあんジムみたいな芸当ができる女の子っていない。でもゴーストバスターズとかも女性版でリメイクされたし、希望はあるんじゃないかと思ってワクワクしながら生きてる。

そろそろ本題に移るんだが、今から15年くらい前に、ある人が読んでいたのだが、女の子がそういう感じで驚いたりしてるエロ漫画があって俺の下のアンテナガッツリ反応したんだが、それがなんて漫画だったのかまったくわからない。その人に読ませてもらおうとしたが拒否されてしまいわからずじまいだ。そんなにキモかったのか。しかしまさか今の今まで引きずることになるとは思わなかった。

どういう漫画かさっぱりわからないが、とりあえずなんでエロ漫画なのかというと、俺が見たページでは女の子が裸になって(セックスもしてたような気がする)目が飛び出て驚いてたようだったので、少年誌漫画ではないように見えた。青年誌だと思う。

なんでそんなツボにはまったのか自分でもよくわからないんだが、そういう表現エロ漫画には珍しかたからだと思う。俺の知るかぎりでは、そういう表現と裸が共存してる漫画を見かけたことがない。

そんな気になるんだったらその人に聞けと言われると思うけど、友達の友達くらいの人だったんで連絡先もわからないし、探そうにもどっからどう手をつけたらいいかわからん。どなたかご存じないだろうか、と言ってもそういう目でその漫画を読んだ人は俺以外いないんじゃないかと思うし、てめえの好みなんか知るかよと一蹴されてもしかたないと思うし、こんな手がかりで見つかるとも思えないので絶望的だと思う。

答えが出るとは思ってないが、ひとまずこの大海原で漂流しようと思う。

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170212134418

非喫煙者だけどiQOSにしてくれるなら室内喫煙全然OK。初めてあれ見たとき直感動したわ。

俺はその辺が共存ラインだと思ってる。煙で顔を燻されるのが嫌なだけ派って相当数いると思う。

けものフレンズってすっごーい!!!

けものフレンズが、思いやり/助け合い/許容/共存その他諸々の道徳的メッセージ性に溢れている事は、もうわざわざ言わんでもいいだろう。私も初見時、Eテレ幼児向けアニメを思い出した。確かに、現代大人に欠けている「思いやり精神」を思い出させよう的な作品だ。内容が幼児向けアニメ酷似しているのだからIQが下がる」という反応もわかる。しかし、ただ「脳が溶ける」という方向で捌くには惜しい程、挑戦的で強固で強烈なアニメだと私は思う。

けものフレンズは、幼児向け情操教育アニメとは決定的に違う点がある。(萌え美少女描写についてはここでは扱わない)

はてなを読むタイプの諸氏になら、つくってあそぼゴロリを例にするのが適切だろうか。わくわくさん提案に対して、否定/疑問→評価(改心)の流れがテンプレだ。幼児向け番組では、「否定/疑問」のフェーズがほぼ必ず存在する。頭や言葉を意地悪く操り始める年頃の、5歳以下の幼児向けである為だろう。言葉の覚束ない乳幼児大人気なアンパンマンにさえ、バイキンマンがいる。そして、「”意地悪な”否定や疑問」には、必ず「”罰”や”改心”」といった結末が用意されている。正しく情操教育だ。

既に言われまくっている様に、けものフレンズには「意地悪な否定や疑問」と「罰や改心」のフェーズ存在しない。だから、優しく平和物語と言われる。だが私は、その「意地悪な否定や疑問」は、省略されているだけで存在すると考えている。

そのフェーズは、視聴者の側にある。

けものフレンズが無理な人々がいるのもよくわかる。けものフレンズ世界には、セルリアンという危険生物がいるとはいえ、争いや困窮は存在しない。幼児向けアニメと同じく、鬱陶しい程の理想の塊と上っ面の美しさに満ちた世界だ。「こんなに上手くいく訳がない」という言葉にまとめられるようなツッコミをせずにはいられない。そういった「バカかよ」「そんな都合よくいくか」的否定/疑問をわざわざ描写せずとも、観ているのは現実をよく知った大人たちなのだ現実社会には「意地悪な否定や疑問」は当たり前に存在する。人前で叱責するのが大好きな上司、けなす事で自分の優位性を保ちたがる人、重箱の隅をつつく様なクソコメクソリプ。具体例をあげればキリがない。大人になっても「意地悪な否定や疑問」に晒されたことのない人はいないだろう。だからこそ、けものフレンズはその段階を飛ばす。いちいち描写しなくても、視聴者自分で補完できる。「意地悪な否定や疑問」のフェーズがなければ「罰や改心」という回収も必要ない。だから最初から全て受容しちゃっていい。

個性尊重しよう。互いに違いを認め合い、助け合おう」

美しく理想的だが、現実にするにはあまりにも難しい。自分人生を振り返るだけで分かる。大体の人は、そんな現実離れした理想は建前で子供だましだと割り切り、諦める。けものフレンズは、そんな疲れた大人たちへ向けられた優しくも暴力的物語だ。

余計な描写を省き、極端にシンプル言葉で、「互いを認め合うこと」「共に助け合うこと」を強烈に表現している。ただシンプルに、愚直に、ド直球ストレート視聴者の心へぶち込んでくる。余りにも単純で暴力的なまでの行為に、視聴者は同じく単純に「すごーい!」としか反応できない。偶然にも、太平洋の向こう側で人々が分裂し憎み合っているこのいま。幼児向けアニメ手法という仮面を被り、美しき理想で何度もしつこく殴りつけながら、その精神を、敢えて大人である視聴者へ向けて真剣に再提示している。

そう考えると、すごい。本当にすごい。逆にすごい。強い。美少女要素なんか飾りだ。ただただ、単純に強い。レベルを上げて物理で殴っている。おそろしい。幼すぎるほど平易に研ぎ澄まされたその言葉が。自己他者のできる/できないをすぐに受け入れるその合理性が。これで行こうと決めた制作陣の胆力が!

「すごーい!」「君は◯◯が得意/苦手なフレンズなんだね!」の定型文が流行るのもわかる。シンプル真摯一言は、理性的だが長過ぎる文章よりも伝達力が強い!

そりゃ流行る!!シンプルでわかりやすく強い言葉は、流行!!!

そして、理念提示だけじゃなく、何かを達成するまでの過程や、フレンズ達の個性をクッソ冗長的かつ丁寧に描写する所だ!視聴者厳選な一話冒頭の狩りごっこも、橋作り地上絵作り等の困難を乗り越える過程も、フレンズ習性説明も、とにかくやたら尺が長い!だが、そのしつこくしつこく丁寧な描写が、フィクション過ぎる美しさを持つけものフレンズ世界と、私達の現実世界を繋げるリアルさを醸し出す!動物園のおにいさんおねえさんの生声による解説のおまけ付きだぞ!リアルと繋がってしまうだろやめろ!!ああなもう嫌になる!作品の純度が高すぎる!シンプルものは、真摯に作られる程強烈な強さを持つ!!私がどんなに言葉を費やしてけものフレンズを褒めても、「すっごーい!」の力に遠く及ばない!!

けものフレンズはすごい!!!すっごーーい!!!!!やったーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2017-02-05

ぼくらはみんな生きている

「ぼくらはみんな生きている」という大前提が頭からすっぽ抜けてる人が多い。

自分が生きるために必要なこと

相手が生きるために必要なこと

その辺の合意をとっていかなきゃ上手くいかない。

国際社会でも国内でも地域でもそれは同じだと思う。



弱者権利を主張するノイジーマイノリティはひどいことをした。

マジョリティマイノリティも生きているのだけど「マジョリティが生きている」ことへの配慮・譲歩がなさすぎた。あるいは事を急ぎすぎた。急にわけわからんことを言われてもわからない。

例えば、いままで分類を2しか持たなかった「性別」という事柄について、「じつは50以上あるんで25倍にしてください」とか、急に仕様変更強要されても難しい。その結果がいまなわけ。けっきょく誰も幸せにしていない。マジョリティマイノリティも不幸にしてしまった。

誰も得をしなかった。


ノイジーマイノリティによる権利要求が目に余り、耐え切れずにサイレントマジョリティがキレたのがトランプ当選という結果を招き、対立と分断を生んだという側面で見るなら、ノイジーマイノリティとは違って、マジョリティとの共存を図ろうと今までやってきた、いわば「サイレントマイノリティ」にとっては、これは大迷惑な話。ノイジーマイノリティという存在は、サイレントマジョリティにとってもサイレントマイノリティにとっても、迷惑存在なのか。例えば「小人プロレス」の問題からも、それが伺えるし、裏付けと言える。もちろん、ノイジーマイノリティサイレントマイノリティ恩恵をもたらしている側面もゼロではないとは思うが、合計したらどうか。マイナスなのではないだろうか。答え合わせにはまだ早いだろうか。


賢明かつ冷静なマジョリティ諸兄らは、どうか、ノイジーマイノリティと、サイレントマイノリティを同一視しないでほしい。区別して頂けると幸いである。マジョリティは「気持ちはわかるがお前の態度が気に食わない」という感じなのではないだろうか。「人権屋」などと揶揄されるメンタリティから推測するに。



「ぼくらはみんな生きている」を歌えない人は、政治に口を出してはいけないのではないだろうか?

さもなくば、また同じ事を繰り返す。

ノイジーマイノリティは、性懲りもなく未だオレオレ合唱している。



マジョリティ側の人間だって、本当は俺だって弱かったり辛いのをのガマンしてる、救われて然るべきなのに救われない、社会福祉の手が差し伸べられるかどうかギリギリラインで除外された人間がたくさんいて、辛い思いをしている。「障害者なんて焼け太りだろ?」と思われても仕方がない。そういったギリギリアウトの人も、なんらかの形で救われて然るべきだろう。



立場を問わず、死んでいった人たちを無駄にしないためにどうしたらいいのだろうか。

なるべく死なないように、みんなそれなりに満足に生きていくには。

最大公約数はどこにあるのだろうか。



http://anond.hatelabo.jp/20160626213749

http://anond.hatelabo.jp/20161030202020

http://anond.hatelabo.jp/20160515144451

2017-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20170131190350

これねえ

ほんと仕方ないよねえ

知識は知恵には劣るとか言う人もいるし、そんな人の言うことを間に受けて時々立ち止まりたくなるけど

結局知識共存していくしかないよね

細菌達による多様性物語

1.

細菌A、BとCがお皿の上にいます

細菌Aはコロニーの8割を占め、細菌B、Cを囲むように外側に広がっています

そのため、1割づつの細菌B、Cには十分な栄養が行き届いておらず、我慢の日々です

細菌A:栄養素を取り込む力が非常に優れている

細菌コロニー危機が訪れます。なんと、お皿に抗生物質が投与されました

細菌達はなすすべもなく、絶滅してしまいました

細菌達は、抗生物質など知る由もありませんでした。

BAD END



2.

コロニーの内側の方の細菌Aのある個体が、少数派の細菌B、Cの性質自分と違うことに気づきました

実は、細菌BとCはこんな特徴があります

細菌B:抗生物質に晒された際、一定確率で生き残り、耐性を得る

細菌C:細菌Bが持つ薬剤耐性を素早く獲得し、更に細菌Aにも素早く渡すことができる

しかし、抗生物質など知る由もない細菌Aは、違いの意味がわから自身の増殖に集中しました

細菌コロニー危機が訪れます

抗生物質が投与され、細菌達は絶滅してしまいました。

BAD END


3.

細菌Aのある個体が、別の個体に話をしま

細菌A1細菌BとCってなにか俺らと違うよな。よく分からんけどRNDとかい思想持ってるし」

細菌A2「そうだな」

細菌A1「なんか今あいつら栄養素が少ない中心に追いやられてるじゃん。あれっていいのかな」

細菌A2「仕方ないんじゃない?栄養素の取り込み効率悪いんだし」

細菌A1「うーん...」

しばらくして、抗生物質が投与されました

やはり、細菌達は絶滅してしまます

BAD END


4.

細菌Aのある個体が、細菌B、Cの個体と話をします。

細菌A1細菌BとCって、俺らとなにか違うのか教えてほしい」

細菌B「僕らはRNDという思想を親から教えられているんだ。なぜかは分からないけど」

細菌C「私達は教えるのが得意なの」

細菌A1はその話を持ち帰り、別の個体と話をしま

細菌A1「なぁA2、細菌BとCってこんな違いがあるらしいよ」

細菌A2「でもそれ栄養素取り込むのに役に立たないじゃん」

細菌A1「そうなんだよな・・・。なんで違うんだろうね?」

抗生物質が投与されました。

BAD END


5.

細菌A1「A2さ、よく考えてくれ。今の彼らが置かれている場所(中心)はどう考えても不平等だ」

細菌A2「別にいいじゃないか栄養素の取り込み速度が遅いのは細菌B、Cの性質で、当然の結果だろう」

細菌A1「いや、違う。いくら栄養素が取れるからといってもっと栄養が多い外側を独占している俺達にも問題はある」

細菌A2「だったらA3からA100,000,000,000まで説得してみな」

細菌A1・・・

BAD END


6.

細菌A1細菌A2、ちょっと助けてくれ。細菌B・Cにも栄養素の多い外周を分けたい」

細菌A2「しかし、どうする。外周は大量の栄養素を得たエリート細菌ばかりで、説得するのは容易ではないぞ」

細菌A1「全員(外周)は難しいかも知れないが、外周の一部の理解ある層にだけでも説得できれば」

細菌A2「最終的に外周を平等細菌A、BとCで分け合おうというわけか」

細菌A1既存のAコロニーからの強い反発が予想される」

細菌A2「他の細菌達にも声をかけよう」

...

..

.

細菌A1ダメだ、既存のAコロニーの反発があまりにも強すぎる」

細菌A2「外周を平等に三分割しようといった時のAコロニーの反発といったら」

細菌A1平等ルールは、既に栄えているコロニーにとっては不平等となってしまう...」

BAD END



7.

細菌A1「みんな、聞いてくれ。外周の一部を、細菌B、Cにも分けたいと思う」

細菌A3~100,000,000,000「ふざけるな!なぜ栄養素を活用もできない細菌BやCなんかに、外周を分ける必要があるんだ!」

細菌A2「確かに細菌B、Cは栄養素を俺らほど活用できていないかも知れない。だが彼らには特有性質があり、それも尊重されるべきなんだ!」

細菌A3~100,000,000,000「俺らに生活レベルを落とせというのか!我慢しろというのか!」

細菌A1「それは、細菌B、Cがずっと通ってきた道だ!」

細菌A3~100,000,000,000「・・・

細菌A5「確かにそうだ」

細菌A495「知らず知らずのうちにB、Cに我慢させていたのは俺らの方だったのかもしれない」

細菌A90,000「細菌1の言う通りかも知れないな」

細菌A300,010,321細菌B、Cに外周をわけよう。いきなり3分割とはいかないが、少しづつ外周を開くんだ」

外周が一部開かれたことにより、細菌B、Cは2割づつ、従来に比べて2倍も増殖することができるようになりました

その結果、細菌Aは6割まで下がってしまいましたが、8割から6割のスペース減はなんとか我慢できる程度のものでした

ルール

細菌Bが2割以上存在すると、細菌Bは薬剤耐性を獲得する


細菌コロニー危機が訪れます。なんと、お皿に抗生物質が投与されました

細菌達はなすすべもなく、絶滅するかと思われたその時

耐性菌Bが現れました。多剤排出ポンプを獲得し、抗生物質細胞外に排出できるようになりました

その耐性プラスミドを受け取った耐性菌Cが、まだ抗生物質にやられていない細菌Aに耐性プラスミドを受け渡しま

人間「なん・・・だと・・・


そうして、耐性菌A、BそしてCは抗生物質の投与という危機を乗り越え、仲良く共存していくのでした。

おわり

2017-01-29

トランプ支持者は

人種差別主義者性差別主義者同性愛嫌悪者、外国人嫌悪者だ。

  

このような嘆かわしい人々は我々の様な人種や性への偏見を持たず、多様な愛の形態に寛容で、外国と共に共存できる友愛に満ちた知性に優れた人々に黙って従ってるべきだった。

  

いずれその報いを身をもって知ることだろう。

2017-01-24

ブコメというのは悲しい装置だ。

なぜなら、それは構造的に、裸の王様がひしめく場にしかなりえないからだ。

まりにも周回遅れな、粗野な、至らない短絡的なヤジのようなブコメと、

自称問題を熟知した口達者なブコメが、決して交わることなく言いっぱなし状態共存している虚しさ。

しかも、同じ人が、話題によっては前者になったり後者になったりして、人間というものの無様さを感じずにいられない。

もちろん、静かに他人の振り見て学んで自分を高めていける人もいるだろう。でもその時点で、ブコメ世界からは消えているのだ。

ブコメに居続ける人は、スター肯定され続けてしまうせいで、自らを省みることができず、成長することができない。

逆の意見に学ぶどころか、元記事の内容すら消化できているか疑わしいレベルで、ひたすらに持論を強固に塗り固めていける。

から、誰もが、ブコメに降り立つたびに、裸の王様へと変貌していく。魔の装置だ。

それを嫌気して、当たり障りのない一言感想しか書かなくなるのなら、もはや意義がないし、敗北主義だ。

やはり関わった瞬間に、魔に絡め取られる宿命なのだ

なぜそうなってしまうのか。

それはやはり、他人記事に乗っかって物申そうという精神堕落

100字程度で意見が言えると思っている精神堕落

この2点がサービス根底にあるからだろう。

ブコメが卑しさとエゴに満ち溢れた地獄と化すのは必定なのだ

2017-01-07

正しいことはつまらいから?

僕の考える正しさをネットで主張しても、何の反応もない。

この書き込みにも何の反応も無いだろう。

その理由は判っているので、後で書くかもしれない。

僕の正論をくと。

ドラクエ1で竜王世界の半分をやろうと言ったのは。魔物人間共存の和平の話だ。」

「薬物が規制されているのは使用者を乱用から守るためだ。違法だが犯罪ではない。叩きすぎ。」

科学論文が世論によってねじ伏せられるとはダビンチもびっくりだ。利権学者を守れよ。」

「親を扶養するかどうかは個人的問題だ。それより多大な税金収めてるからいいだろうが。」

蓮舫おかしい」

何だけど、世間一般ではそれぞれ、

竜王に懐柔されない勇者正しい!」「(野球人生終わったな」「STAP細胞はあります!」「河本悪くない」「オヤジギャクを習ったアボリジニかよ」

なんだけど、ひねくれてるのは僕の方だろうか。

あいいや、正しいこと言っても「あーそうだねー」で終わるんだよね。世論に反することでも。

あー、ちきりんみたいに「うまいことゆうなあ」「そういう見方があったか」とか、

チヤホヤされたい。ブックマークいっぱいされたい。

間違ってないって言ってほしい。んで世の中正しい考え方になって欲しい。

正しい考え方とは「言葉通り、ルール原則をま守る」世の中。

バカの振りかざす正義にはうんざりだよもう、ネロ

2017-01-02

立ち位置微妙過ぎて生きにくい 追記あり

大前提として、私はオタクだ。そして女だ。

商業BLで好きな作品があるから腐女子じゃないとは言い切れない。絵を描くのも好きだ。

しかし、二次創作BLをありがたがって読むことは無い。

こういう性質なので、ネットでの交友関係が少し難しいと感じることがある。

 

オタクで絵を描く女性」と聞くと腐女子に直結してしまうことが多い。

実際ネットで知り合った絵を描く女性の友人はBL好きな人が大半だし、彼女達は作品感想BL二次創作へ発展することが当たり前なTLの中でつぶやいている。

リアルの友人だってそうだ。オタク女友達はほぼBLが好きで、私が原作の話をしたくて紹介した作品BL二次創作で消費している。

 

このズレは些細なものに見えるが、意外とつらい。

例えば私の好きなキャラAと、友人の好きなキャラAは同じに見えて違うのだ。

かといって、同じ作品の話ができる友人は少ないので話してしまうのだが……。

 

自身二次創作をすることがあり、腐女子共存しなければいけないのはわかっているのだが

原作に対する姿勢、という根本的なところで価値観がぶつかり合うことが多い。

原作準拠の男同士の友情まではいけるけど、妄想による恋愛への発展はちょっと避けたい。

 

こういう人間って少なくはないと思うんですけど、どうですかね。

 

 

追記

ブコメの中で齟齬が見えたので言葉足らずな箇所を追記します……

 

友人とのキャラに対する感覚のズレですが

私の言うキャラA(原作)と友人の言うキャラA(友人好みの二次創作による)ということです。

私は原作キャラのここがいい、という話をしたいけど友人はキャラを受けにしたときここがいい、という話をしている状態です。

 

そもそも私のする二次創作イメージイラストが大半なので、オリジナルストーリーキャラでなぞるということはほぼなく

この点もオタク腐女子な友人達とのズレを感じる一因となっています

 

腐女子じゃない、と言ってしまえれば楽なのに商業BLで好きな作品があるためにそうも言い切れず………

 

腐女子寄りじゃないオタク女ってむずかしい。

 

2017-01-01

コミュニティの大きさ、またはコミケ参加者社会に適合しているとい

http://yet-still-here-we-are.hatenablog.com/entry/syakai-hutekigousya-to-c91

ついこの間友人との会話で

マナーというのは限られたコミュニティを保つために設定されるローカルルールなので『公共マナー』というのはおかしい。

公共は多様なコミュニティ共存して良い場所のはずで、法などで文律された最低限のもの以外は他者自由尊重するべきではないのか」

みたいな話をして、年末帰省について職場の人と

普段自分生活においてどんなに充実して評価も得ていても帰省して家族価値観に入った瞬間未婚子無アラサークズになってしまう」

みたいな話をしたことを思い出してちょっと他人事とは思えなかったので年明け早々書く。

何のボカシもないので「おまえか」って思ったリアル知り合いは見なかったことにしてくれ。



言いたいことはおおむね最初のやつなんだけど、欧米(私が見たことあるのはトランプEU離脱絶対選ばなかった範囲であると付け加えておく)で電車とか乗ると

本当に色んな人がいるのに、どうして日本では「大きい声でしゃべるな」とか「社内で化粧するな」とか赤の他人に平気で要求する人がいるんだろうって思うの、わかる。

自分がやりたくないからやらない、とか、自分の家の中でやらないでほしい、とかなら分かるけど、何で赤の他人にそのルール通用すると思うの?



社内の化粧なんて全然好きではないけど、自分ローカルルール他人押し付ける方がよっぽどみっともない。その感覚がどれくらい「普通」なのかわからないけど

記事で言いたかった日本社会気持ち悪さってそれじゃない?



そこでコミケに同じようなローカルルールの厳しさを感じながらコミケは好きだというのも、わかる。

コミケはあれで巨大な一コミュニティであって、一コミュニティだということを参加者全員で一生懸命守っているんだよね。

コミュニティだと思っていない「日本社会」での閉塞性は嫌いだけど、なんやかんやで帰属してきたコミュニティであるコミケはそのルール込みで好きなんだ。

日本に生まれたらよほどの特殊階級でない限り絶対所属しなきゃいけない「社会」と、自分が選んだ参加した場所であるコミケは違う。



記事の人が「社会不適合」という言葉を使ったせいでコミケ参加者に対するアオリみたいに扱われているけど、推察するに(というか、自分がそうなだけなんだけど)

多様であるべきだと感じている社会がなんかよくわからん閉鎖的コミュニティを作っていて、そこに入れないことを社会不適合だと思ってるのではないだろうか。



でもコミケローカルルールコミケに来たくて来た人が守るもので、コミケはそれによってひとつ自由選択の結果の社会であって、

それを守っている人はちゃんとその社会に適合しているでしょう。

私はコミケに行くと一人のコミケコミュニティ内のオタクで、帰省中実家ではゴミクズだけど、仕事をしているとき会社ルールで成果を出すし友達といるとき友達不快にならないように気を配る。



から大丈夫でしょうって自分のためだけに言うよ(時間から察して)

2016-12-22

半世紀で魚の数が半減って絶望的な感じする

日本人が乱獲しすぎた

ウナギなんか特に少ないし

象牙違法伐採木材も輸入してるし

この国は動物実験規制も異常に緩い

犬猫殺処分も多い

捕鯨おかし

日本人自然動物を敬わないしまともに共存する気もない

狩り尽くすだけ

人との距離感がわからない

どこまで自分要求を通していいのか

どこまで優しくしないといけないのか

どこまで相手の話を聞かないといけないのか

そもそも俺のことを理解しない愚かな人間どもと共存しなければならないというのが苦痛だ。

2016-12-14

ホームレス排除コメントしている奴らはみんな偽善者

http://togetter.com/li/1058947

これ。ここでコメントしている奴らは、みんな偽善者。何も知らない。

自分は、既に数年、週に一度路上生活者(ホームレスって言葉が好きじゃない)の支援活動をしている。といっても、二三時間のお手伝いといったところ。

まず、最初に言っておくと、役所特に都内区役所排除傾向があるのは確か。都庁そばの新宿中央公園は、少し前まで夜中に眠れたけど、今はダメになっている。ベンチに寝ていると、警備員が注意しに来るのも日常茶飯事。それも、普通の身なりの人が寝ていると何も言わないのに、ホームレス風の人は狙い撃ち。椅子を減らし、そこで挙げられたような寝にくい仕切りの椅子を増やしているのも確か。オリンピックに向けて路上生活者排除傾向は確実にある。

公平を期して言うと、一方で役所路上生活者向けの生活支援をしているのもある。実際に役所委託先になっている施設に行くと、都庁職員なる人が「家とかを世話するので、介護仕事しませんか」と声をかけてくる(怪しいのも多いので、声をかけるてくるのは注意する必要があるけど、これはちゃんとした話)。でも、成果が上がっているとはいいがたい。生活保護も、入れららた先の施設の利用費が高額で、月に3万程度しか余裕がないらしい。これじゃ、社会復帰も無理。

で、実際の路上生活者はどんなのかというと、鈍くて、不器用で、それでいてプライドの高い、使いにくいやつばかり。中には、とても実直でまっとうな人もいるけど、全体では少数。身なりは汚いし、頭のイカレたやつも多い。人の話なんてまるで聞いてないだろといううやつがたくさん。支援で食料とか衣服を渡しても、「あんがと」の一言があればいいほう。公園に住んでいる奴の中には、公園職員とけんか腰にやっている奴もいる。てめえは勝手公園に住んでいるだけのくせに。

役所や近隣住民が彼らを排除したいと考えるのも、よく理解できる。

でも、一番忘れられているのは、「彼らは目の前で生きている」という現実。彼らに選挙権他、ほとんどの権利行使できない。だって家がないから、彼らはそこに存在しないことになっている。身分証明書だってなくしている奴もいる。こうなると、彼らは政治的には「存在していない」。だけど、彼らは目の前で「生きている」。地にはいつくばって生きている。

支援なんて、週に数時間。だけど、彼らは24時間365日ホームレス。このギャップは大きい。ましてや、「こんなことは人権侵害ザマス」なんて、高い飯食いながらコメントしているなんて、ちゃんちゃらおかしい。ほとんどギャグ。本当に意見言いたかったら、現場来いよ。そこで彼らの持つ「どうしようもなさ」をもっと身に染みて感じろ。いやでも生きている彼らをちゃんと受け止めろ。

自分は、「ホームレスのいない社会」も結構だけど、「ホームレスでも生きていける社会」のほうがもっとまっとうだと思っている。落ちこぼれる奴なんて、いつだって出てくるんだから。それらとうまく付き合って、やっていける社会のほうが、よっぽど健全だよ。


いろいろコメントありがとう

あえて書かなかったけど、実は元「当事者」です。つっても、春から夏にかけての数か月。冬の厳しい時期を知りません。いろいろあって、今はネット環境を維持できるくらいの生活はしています

から、「お前ら現実わかってない」とちゃんと言える。ただ、みんなに「ホームレスになれ」と言うつもりはないし、だから現場に来い」というくらいにとどまっている。でも、公園の冷たい土の上で椅子をどこかから持ってきて会話していると、とてもつらくなる。「雨降ったらどうするんだろう」という思いでいっぱいになる。逃げ場を探すだけでも大変だった。

から、「もしホームレスが家の前に来たらどうするか」といえば、「シャワーくらい貸してやる。余裕があれば下着くらい買ってやる」といえる。でも、それをしないのは、どこかの時点で「出て行ってくれ」と言わざるを得ないから。そう言われるのがつらいのはわかっている。支援をするなら、十分動ける集団でやるのが正しい。個人で頑張っちゃダメ

「彼らがなぜホームレスになるのか」といえば、ひとえに「性格」。人と仲良くなれないし、意地張りすぎ。きれいな妥協点を知らないし、不器用路上不快な目にも合っているから、ますます人間不信も強くなる。普段そばにいる奴だって、いつ何するかわからいから、気も抜けない。

まあ、だから、変にホームレス迫害せずに、どうやって共存できるかを考えてよ。高みの見物もいいけどさ。

2016-12-11

[]うんこ騎士団との密約

暗黒記を

しかし、貴殿らは下等の力なしで

 勝てるとお思いなのか?」



騎士オナール

「無理でございましょうな。もとより

 下等とは思っておりませぬ。

 我等の願いはあくま共存できる社会

 作り上げること。しか普通の日本人

 誇り高き民にございます

 我等が他国の手を借りたとあれば、

 平和的な解決を志す穏健派の者たちを

 むきゅーに追い込みかねません。」



暗黒騎士増田

「なるほど、貴公ブクマム人のように

 我がマスダーリアンにツケをまわし

 過剰な反感を買うようなことを

 したくないと申すのだな。

 これはおもしろい。ハッハッハッ。」



騎士オナール

「い、いいえ、そのようなことは…。」



暗黒騎士増田

「まあ、よい。我々も罵倒を重んずる

 law DISの民だ…。

 汚い仕事他人に委ね、綺麗事をのたまう

 ブクマム人のようになりたくないという

 気持ちもわかろうものだ。」



騎士オナール

「………。」



暗黒騎士増田

「なに、貴公が連れている従者が

 あまりにお赤いのでな…。

 そのような妙齢男女を用いなければ

 ならぬほどヴォルスタは追いつめられて

 いるのかと、つい心配したのだ。」

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161209145503

そっか、最近は「ちん○騎士団」なんて言い方があったなぁ。

個人的に男が憎いのと女とヤりたいのは区別してもらいたかったが。

でもフェミニズムがどんだけ広まってもそれは「男」の概念拡張するだけで、現実の男がラクになれることは意味していないし、

そういう意味ではフェミニズムマッチョイズム・弱いものは虐げて良い主義普通に共存しうるし、現に共存していると思う。

そういえば大学インテリ気取りの友人は「弱い者いじめはすべきではないが、弱い者いじめをするような人間はいくらでも殴っていい」ってスタンス人間が多かった気がするし、そもそも男女問わず異性に対しいい顔しやがる人間が多いから、所詮こういう話題きれいごとばかりというのは納得できる。

2016-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20161205214125

利己主義者たちが利他主義者を製造コントロールする社会で、

利己主義者を滅ぼしたところで、第二第三の利己主義者が現れ再び現世に災いをもたらすだろう。

からこそ私は増田盲目利他主義者たちに自律共存の教えを説き、真なる目覚めへと導かなければならない。

目覚めた彼らは利己主義者の意図理解し、適切に拒絶することができるようになるだろう。

そして各個人は自ら生きる術を磨き、略奪ではなく共存によって繁栄を目指すユートピアが作られるはずである

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