はてなキーワード: プライベートとは
ありがとうございます。プライベートでは左耳で取る訓練もしてるんですけど、練習しててもやっぱり聞き取りにくいので、左手右耳でいこうと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20130518144029
私はブス喪女だけど、単体のイケメンを見ようが、カップルのイケメンを見ようが、全然辛くないよ。
告白したこともされたこともなく、交際経験もない、当然ながら処女の30代女。
でもイケメンの人生に立ち入りたいとか、想われたいとかって、全然執着がないんだよね。
女から一切憧れられないのには、辛いなと思う瞬間がある。
憧れられるのは「仕事が出来るうえに良い結婚をしたおしゃれな美人」ばかりで、
ガリ勉みたいな仕事の仕方しかできない、泥臭いダサ喪女の私はどうしても軽んじられる。
才能無いし、頭が切れるわけでもないし、プライベート充実してないし、仕方が無い。
誰からも憧れられることはないし、慕われることもない。
避けられてはいないけど、「よく働くから居ると便利」程度に思われてそうだ。
そこはやっぱり素敵な服がよく似合う美人だったらなぁと思うよ。
おしゃれな服が似合う美人だったら、働き方が泥臭くてもそれもまた魅力の一つになるじゃない?
ブスが泥臭く働いてても、「あーあ」ってだけだよ。
私は恋愛がしたいというより、良い容姿を持つことや、良い結婚をすることによって、
社会に認められ、憧れられたり慕われたりすることに執着している気がするよ。
「ブスでかわいそー」「なんか働き方が必死ー」「あんなんじゃなくてよかったー」
こういう風に軽んじられること、下に見られることが何よりも辛いと感じてる。
最近よく思い出す人がいる。
思い出すと言っても顔も知らないし、声を聞いたこともない。
とあるオンラインゲームで知り合いになって1,2年メールのやりとりをしていた人のこと。
みんな同じのイケメン顔。
声じゃなくて文章だ。
始めた当初は当たり障りのない知り合いができて、そこそこ楽しんでという感じ。
よくある寝食惜しんでのめりこむということはなかった。
そろそろこのゲーム飽きてきたな、っていう時期にその人と出会った。
思うに向こうも同じような時期だったのかもしれない。
お互い一人で居ても仕方ない所に一人同士だった。
それからログイン時間が合うこともあって、ゲームの中でよく落ち合うようになって
色々なところへ一緒にレベル上げに行ったり、金策に出かけたりするようになった。
その人とのつながりは細く続いた。
向こうはどうか分らないけど、私はいつも小さな嘘を混ぜて
だけど向こうは結構なプライベートをばんばんあけすけに送ってくる。
自分の部屋の写真や自分の顔(もっとも一部ではっきりわかるわけじゃない)
だんだん私は面倒になってきたのと人の生活を覗いているような好奇心とで
クラクラしてきた。でも関係はその後も続く。
向こうがいくらそういうものを送ってくれても私は一切の自分の情報を提示しなかったけど
不思議と要求されることがなかったのが長く細く関係が続いた理由だと思う。
だけど私が新しい仕事を始めて、ゲームはおろか自宅のパソコンさえ触る時間がなくなって
そのたび小さなイライラが募ってきて
元々返信率は悪かったし最初は私からの返信がなくとも、一定のメールが届き続けていたけど
一か月程返信を一切しなかった。
かといって面倒で受信拒否にもしていなかった。
返信をしなくなってから3か月ほどはずっとメールが届いていた。
メールが来なくなって、薄情だけど私はすぐにその人のことを忘れてしまった。
熱のあるコミュニケーションをしたわけじゃない。
顔もしらない、声も知らない、知っているのは全部数字と記号に変換できる情報だけ。
なのに最近とてもよく思い出す。
あの時期私は時間を持て余すと同時に一生懸命気を紛らわせて生きていた。
都合のいいことだけ話して都合のいいことだけ聞けばいい相手。
だけど確かに救われてたんだなと思ったら
最後の別れがなんて失礼だったんだろうと恥じている。
せめて謝罪しようかとメールを作ったけれど送れなかった。
時間も経過しすぎた。
ここを見るかはわからないけど
この場を借りてその人に御礼を。
これからもどうかお元気で。
今日テレビを見ていたらおじさんたちが若者の悪口を言っていた。
最近の若者は挨拶もできない、敬語も使えない、仕事をすぐやめる、等々、あれやこれやと言いたい放題だった。
だが、仕事をすぐにやめるのは、若者側のせいだけではなく、おじさんたちにもその責任の一端がありはしないだろうか。
若者が仕事をやめたくなるような環境を作り出したのはどこの誰だろう。
だいたい、あんたたちの世代も、若いころにはやめる人が多かったんじゃないの?
いつものように「近頃の若者は・・・」とうるさい大人たちが喋っているなぐらいに思いながら見ていたら、あげくの果てには「最近の若者は飲みに誘っても来ない」だとか「昼休み中に会話に参加せず、スマホばかりいじっている」とか訳の分からんことまで言い出す。
さすがにイライラしてきた。
なぜ昼休みや勤務後の貴重な時間を割いてまで、若者がおじさんにサービスをしなければならないのか。
お金をもらえるのならまだ分かるが、仕事上で関わるのも嫌なのにプライベートでも付き合えだなんて、そんな理不尽なことまで要求される筋合いは無い。
「近頃の若者は・・・」とか「昔は良かったのに今は・・・」とか言う人たちは、結局自分の人生を肯定するために我々若者たちを利用しているだけなのではないか。
こんな面倒くさい人たちと仕事をしなきゃならないなんて、就職するのがますます嫌になってくる。怖い。
会社って、こんなに恐ろしいところなんですか?
言うまでもなく、できることならば死にたくはないのだが、現状打開して幸せになる自信がないので死ぬしかないかなあと思う。
■どうしてクズかというと、まず僕は自分勝手。こだわりが強く、自信家で、ナルシストで、自身のこだわりについては絶対に譲りたくない。だからこそ、進んで他人と関わりたくない。どうせ一般人には僕のこの有り余る知性や感性は理解できないので、無駄に関わってプライドが傷つくのは馬鹿らしい。
■目先の面倒事が何より嫌い。未来の苦労より今楽かどうかが最重要。だから、面倒なことはできる限り先延ばし。でも先延ばしてせっつかれるのはもっと面倒だから、断れそうになければできないことでも安請け合い。いずれにしても自爆して後悔。
■自己主張ができない。一見すると1つ目と矛盾するようだが、繊細な僕はプライドが傷ついたら即死。仕事や友人関係で関わらざるを得ない相手から否定されるようなリスクは、できる限り軽減したいところ。だから人に頼みごとをするのが苦痛。人の頼みを断るのも苦痛。長いものには巻かれるし、なんでも引き受けて抱え込んで自滅。
まず人と関わる仕事は本当に苦痛。一人で延々黙々と作業していたいが、そうもいかない。安請け合いで引き受けた仕事の山を誰にも振れずパンク。ストレスを貯め込んで帰宅する結果、内弁慶に。
内弁慶といっても、別に亭主関白とか家庭内暴力とかそういうのではない。ただ、プライベートの時間くらい自由気ままに好きなことをしていたいのであり、抑圧された自由をここぞとばかり解放するだけである。自分の思い通りの時間を満喫すべく、若干の依存の気もある妻を放置して、休日はひとり余暇活動の充実を図っている。
ところで自分勝手で他人に興味のない僕がなぜ結婚したかというと、それはもちろん「結婚しないでいること」が面倒になったからに他ならない。妻に、両親に、友人に、会社に流された結果とも言える。
とはいえ、妻を愛していないわけではない。僕は妻のことを愛している。基本的に他人と関わるのには大きなリスクを伴うが、妻といると楽しいことも多いし、僕が傷ついていると優しくしてくれる。そしてなにより彼女は、一応、基本的には僕のことを愛しているらしい。この僕に惚れるとは、なかなか男を見る目のある女だ。奇特で希少な特別な存在である。
そんな妻を差し置いて趣味に呆ける僕の自由行動に、彼女は不満タラタラ。ときに爆発。「自分勝手」「私のことなんてどうでもいい」
僕は妻のことを愛しているので、恨まれるのは辛い。「可哀想」などと他人の情動に同一化したような気色の悪い感覚は持たない(私はなんらかのパーソナリティ障害でしょうか。閾値ギリギリでアスペではないはず。)が、愛している人に否定されたら僕はそれはもう傷ついてしまう。
だが、だからといって僕の大切な余暇の時間を切り捨てることはできない。平日に貯めたストレスは発散しないといけない。怒られたときには本当に傷ついているのだが、翌週は目一杯の反省と罪悪感を抱えて元気に遊びに出掛ける。彼女からは傷ついたフリをしているようにしか見えないだろうな、と思いながら。
で、そんな状況がもう何年も続いていて、最近つくづく自分が嫌になったので、死にたいなあと思う。
自分のわがままのせいでどうも傷ついているらしい妻を見ていると自分が嫌になるし、罵倒されると本当に自分が嫌いになる。
自分の態度や行動を改める意志は一切ないので、環境を変えるしかないのか。
でも離婚なんていう精神的・肉体的に高負荷な選択肢は絶対に考えらえない。
海外とか誰もいないところへ逃げるというのもアリだが、逃げたところで「恨まれてるだろうなあ」とか考えてしまいそうで怖い。
イザとなったら、というか・・・
まず、子育てに適した土地に引っ越したいというのも含め専業主婦希望で、年収もあるが・・・
新しくできた、(プライベートの)男性・女性の知り合い ほぼ0人という 孤立無縁化してしまった人間にはなぁ。
ちゃんと、仕事してるのに。
「ぼくはチャーリイ。」http://anond.hatelabo.jp/20130513182806
の蛇足的な話をしてみる。
って俺も思ったんだよ。
でももしかしてそれってヒントなんじゃねえのって思いついたのが運の尽きよ。
これ、元ネタちゃんと入れてあるんだな。チャーリイ細かすぎ。
「アルジャーノンに花束を」の丸パクリ。〆の台詞までまんまパクリ。
あっちと同じく、報告書って言うか日記の体裁になってて、そこは芸が細かい。
2011-12-06 「誰が言ったか」ではなく、「何を言ったか」が問われる時代へ
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20111206
以後、時系列もほぼあってる。2011年12月に、チャーリイって日記を書き始めてる。
ニートでも海外就職する人も居るし、これからは会社にしがみつくだけじゃ、いけないのかもしれない。
上司に誘われて飲みに行っていたけど、確かにこれは仕事とプライベートの混同かも。
自分の頭で、よく考えてみよう。
この頃はまだネットをあまり見てないって暗示か?ニートの海外就職日記って2011年8月には閉鎖してんだよな。
「自分のアタマで考えよう」は、amazonによれば、発売日: 2011/10/28だから、こっちはあってる。
自分の頭で考えようって台詞が、何も考えないで他人の台詞丸パクリってのが、強烈な皮肉感。
ギブ。ネタが多すぎる。ただ、イケダハヤトネタが多い気配。BIはdankogaiか?
理不尽な上司、選べない顧客、嫌な仕事、ハゲる。電源付きカフェでマックってのは微妙か。
ここもちょいギブ。ただ、意識高い系での飲みにケーションネタは鉄板。
「無意味な手続きが多い」と書類仕事をDisっておいて「離職票がすぐにでない」と書類仕事をやれと言うダブルスタンダード。
小ネタとして「ハローワークに雇用保険の資格喪失連絡→離職票発行」の流れを理解してないでとりあえず仕事が遅いとDisってるってのかな。
引き継ぎだの何だのと五月蝿く言って来ていた前の職場からもやっと連絡が途絶えてくれた。
お前がいないと仕事の進め方がわからなくて困るなど、こちらの人間性を見てタダ働きさせようとする人間が多いのは、逆にびっくりした。
理解のあった同僚も、結局社畜ってことだ。
辞めたって言ってる3月25日が日曜で良く判らんが、期末には違いないから、引き継ぎしないでいきなりやめておいて、投げっぱなし当然の構え。
イケハヤっぽいけど、日記のハズだから、単に考えが足りないだけか。
カフェでぺちゃくちゃとずっと五月蝿くしていたオバサン二人に注意したという話をしたら、そういうのは止めた方が良いと、オマエも同じだ、などと言っていた。
はてブで盛り上がってたのは違うネタだったような気がするが、ググって見つかったのはこれ
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20120501/Postseven_106076.html
これはそのものずばり2012年9月7日にはてブで盛り上がってたやつ。
ベビーカーが載せているのは「マナー」ではない:日経ビジネスオンライン
http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120906/236486/
でも、備蓄した防災用品は、計画的に使わないと意味が無い。パニック買いなどもっての外だ。
家にあるものだけで暮らしてみて、正しく数字で理解&確信出来れば、問題など何もない。
備蓄のスタートラインは、「自分は何が必要なのか」を理解することだ。
ってことは、確かに面倒だし難しいから、理解されにくいのかもね~
うぜー。ちょううぜー。
「うちには2ヶ月分の備蓄がある」と数字で理解&確信できれば、もう買い占めに走らない人もでてきます。
(中略)
日記のハズでこの丸パクリ。頭使ってないって受け売り癖の暗示。
なかなか景気が上向かない。
自民党の憲法改正草案もヤバイし、選挙したって結局何も変わらないんだろう。
そもそも、いつ投票かもイマイチわかりにくいし、ネット選挙を解禁しないなんて、ちょっと陰謀説チックだけど、どう考えてもおかしい。
++ ヤバすぎだ、と話題に・・・自民党 日本国憲法改正草案対照表 2012版 ++
正月ネタわからん。この時期盛り上がってたのは、遠隔操作ネタだが。
7月にフレンチ、9月に合コンって言ってたヤツが、正月に自炊でパスタだから貧乏の暗示か。
家賃滞納も結構溜まってるし、次も入金が遅れたら本気でマズイ。
でも、いまのところあそこしか仕事無いから、きるにきれないし。
なんだよ。どういうことだよ。
結局、マトモにカネも払わないような相手にも頭下げてて、なにしてんだろ。
アベノミクスネタ。3月3日の前後は、eneloopがダセーとか死んだとか村民は盛り上がってた頃。
ここで伏線回収。
phaさん「も」って所がポイントだろ。これチャーリイもハゲてるんじゃね?
住所もなくなったし、マックもさっき追い出された。
「惨めな社畜のままでいる限り、心の平穏は訪れない。」の対か。惨めの比較。
どんなことがあったのか載せることは、どこかのだれかには役にたつだろうから。
これ、ソンジャーネの呪縛から解き放たれたチャーリイの言葉ってことなんだろうが、どっかで聞いたようなペライ言葉だよな。
ロバは馬にはならんって強烈な皮肉か。
オチはかなり無理矢理。
「ソンジャーネに花束を」の題名にするために「ソンジャーネ(に煽られて逝ったノマドワーカー)に花束を」か。
原作は最後に心優しい知的障害者のチャーリイに戻ったことを端的に示す「アルジャーノンに花束をあげてくれ」で終わるから、原作リスペクトという意味では、 http://anond.hatelabo.jp/20130512160633 のオチよりも良いとは思うが、やっぱ無理矢理だな。
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ぼくはチャーリイ。みんなからは"社畜らしい社畜"って呼ばれている。
でも、良いんだ。ちゃんと働いてお金をもらってるし、みんな喜んでくれてる。
ちょっとノルマはキツイけど、飲みにも連れてってもらえるしね。
久しぶりに日記をつけてみた。
今日はついにMacBook Proを買った!やっぱりMacは質感が良い。
ニートでも海外就職する人も居るし、これからは会社にしがみつくだけじゃ、いけないのかもしれない。
上司に誘われて飲みに行っていたけど、確かにこれは仕事とプライベートの混同かも。
自分の頭で、よく考えてみよう。
年末年始も短かったけど、多くの記事を読んだ。
(こういった日々のメモもブログにポストすべきなんだろうけれども、やはり推敲してからにしないといけない)
みんなも言っているけれども、やはり脱原発すべきだろう。太陽光や風力で十分に電力はまかなえるし、危険な核燃料リサイクルにも問題が多い。(最終的な廃棄処理が問題とのこと。要調査)
それに、社畜という生き方も問題だ。ノマドに比較して、リスクが高すぎる。
ポータブルな技能を持たない会社員は、サラリーをもらうだけしか能がなくなってしまう。
結局、既得権益にしがみついている以上、理不尽な上司の横暴にも、顧客を選ぶこともできずに耐えるしかなくなる。
年収150万だって生きていける。ニートだって楽しく暮らせる国なんだから。
今なら持っている技術を活かして、どこでも、海外だって働ける。
電源付きカフェのマップもググれば簡単にわかるし、いずれは講演会や著作活動で稼げるようになるだろう。(レンタルオフィス、私設秘書箱等、要調査)
政府も、はやくBIに舵を切るべきだろう。人間の創造性や、少子化問題も一気に解決できるのに、結局政党が変わっても口ばっかりなのは変わらない。政府には何も期待できない。
いずれにせよ、今の状況に安穏としているのはマズイ。
今年は変革の年にしないと。惨めな社畜のままでいる限り、心の平穏は訪れない。
一刻も早く、自らの頭で考え、自らリスクを引き受けて大きなリターンを得る真の人生を歩み出さないと!
ついに会社を辞める事にした。
この数ヶ月考えてきた会社での問題点(業務上、経営上、今後の戦略を含め)を上司に直接ぶつけてみた。
当初半笑いで対応していた上司も、こちらが何度も食い下がると真剣さが伝わった(残業を前提として間延びした薄らぼんやりとした意識も覚めたのかもしれない)のか、対応を検討してみるという。
しかし、期日も切らないし、具体的なステークホルダー名も出さず、何らコミットメントを行わない誠実さ真摯さを欠いた対応だった。
あげく、忘年会では部長や課長も来るから話そう等と、悪しきノミニケーション()で誤魔化そうとしたので激高して、改善提案書を叩きつけて帰ってきた。
今、退職に向けて準備をしているが、この退職願というのも噴飯モノだ。なんだ願いって。
その割に、離職票や雇用保険被保険者証はすぐには出てこないらしい。
ハローワークがどうのと言っていたが、人事が仕事をしたくないのは明白だ。
杓子定規で規則でがんじがらめで、減点法だから何もしようとしない。
辞めて正解だ。時期もちょうどいい。
どこも人は少ないし、イベントが終わった後だから少し寂しいけど、その閑散さが逆に良い。
最近は、iPhoneで何処でもヒアリングの勉強ができるし、旅先でも問題なく継続できる。
引き継ぎだの何だのと五月蝿く言って来ていた前の職場からもやっと連絡が途絶えてくれた。
お前がいないと仕事の進め方がわからなくて困るなど、こちらの人間性を見てタダ働きさせようとする人間が多いのは、逆にびっくりした。
理解のあった同僚も、結局社畜ってことだ。
ブログのPVも順調に伸びているし、最近は狙って炎上させるのも成功率が上がってきた。
セルクマとFacebookの友人からのブクマで新着にも載るし、なんでみんなやらないんだろう?
黒字化するまで後少し、旅先から分析できるなんて、良い時代だ。
久しぶりに友人と飲んだが、なかなかノマドという生き方は理解されない。
カフェでぺちゃくちゃとずっと五月蝿くしていたオバサン二人に注意したという話をしたら、そういうのは止めた方が良いと、オマエも同じだ、などと言っていた。
確認すると、どのへんが同じなのかきちんと説明できないし、最終的には人格攻撃だ。
少ないながらもきちんと稼いでいるし、経費精算できるように領収書も集めている。
社会に寄生しているわけでも、言われたことだけやっていれば良いアルバイトでもない。
当初はノマドだ個人事業主だ、企業との直接契約だと食いつきが良かったのに、実際の業務の話で失敗したのかもしれない。
確かに地味かもしれないが。
その後のベビーカーのマナーの話も、防災の日の話も、ちょっと引き気味だったかも。
難しい話はなしにして、馬鹿になって盛り上げるべきだったかな。
でも、備蓄した防災用品は、計画的に使わないと意味が無い。パニック買いなどもっての外だ。
家にあるものだけで暮らしてみて、正しく数字で理解&確信出来れば、問題など何もない。
備蓄のスタートラインは、「自分は何が必要なのか」を理解することだ。
ってことは、確かに面倒だし難しいから、理解されにくいのかもね~
なかなか景気が上向かない。
今回もひとつ得意先がなくなった。元々自転車操業気味の中小だったから、痛手は少ないけどね。
、、、とも言えない。結構マズイ。
自民党の憲法改正草案もヤバイし、選挙したって結局何も変わらないんだろう。
そもそも、いつ投票かもイマイチわかりにくいし、ネット選挙を解禁しないなんて、ちょっと陰謀説チックだけど、どう考えてもおかしい。
新規開拓にブログは向かないのか?Twitterからの流入も減ってるし、思うようにPVも伸びない。
イオンの初売りに行ったら、既に無印の福袋はなくなっていた。ガッデム。
アベノミクスとかなんの実感もない言葉を使うマスゴミだけが楽しそうだ。
物価ばっかり上がって、結局企業から落ちてくるカネは変わらねえんだろ。
、、、正直な所、かなりマズイ。
ATMでエラーが出るから記帳したら、下ろす分だけ入ってなかった。
家賃滞納も結構溜まってるし、次も入金が遅れたら本気でマズイ。
でも、いまのところあそこしか仕事無いから、きるにきれないし。
なんだよ。どういうことだよ。
結局、マトモにカネも払わないような相手にも頭下げてて、なにしてんだろ。
もう何も残っていない。
これも電池がきれたら終わりだ。
住所もなくなったし、マックもさっき追い出された。
家に帰れば奥さんも子供もいるサラリーマンと、どっちが惨めだろう。
涙が止まらない。どこで間違えたんだろう。
伯父さんのところで働かせてもらって、一ヶ月すこしたった。
"ノマド坊や"って言われることが多いけど、冗談だってわかるし、いやな感じはしない。
社畜ってほど大きなところじゃないけど、来月は資格試験もあるし、手に職って悪くない。
ちょっとノルマはキツイけど、飲みにも連れてってもらえるしね。
久しぶりに日記をつけてみた。
どんなことがあったのか載せることは、どこかのだれかには役にたつだろうから。
これを読む人へ
―――坂本龍一がサントリーホールでオーケストラと共演する華々しい日に愛をこめて。
かつて、坂本龍一は反体制が売りだった。新宿高校でバリケードを組み、全共闘のデモで警官と取っ組み合い、騒乱の景色をthatness and therenessと歌った。
それが今や、反原発という旗印のもと、坂本は権威となってしまった。かつて彼自身が唾棄すべきとした権力の側に成り下がったのである。
極めつけは「たかが電気」発言である。「電気」と「いのち」などという原理的に比較不可能な概念を対置する、その思考回路は正常か? 「経済」とは本来、経世済民。富を循環させて民の苦しみを救うことに本義がある。その「経済」を蔑ろにする社会が「いのち」を守れるのか? これを妄言と呼ばずなんと言おう。そもそも言葉の人ではない坂本にスピーチをさせた時点で間違っていた。「いのち」なんていうダサい言葉、村上龍なら選ばなかっただろう。
まあ別に、反原発を標榜するのは結構なことだ。なにか嫌なことに反対するのは人間の権利だし、声を上げるのも正当な行いだ。原発は資本主義の経済合理性にあわないから自然淘汰されるべきだし、STOP ROKKASHOが叫んだ再処理問題の孕む欺瞞は甚だしい。だから坂本のやってることに一定の合理性はある。
しかし張り上げた声の内容は、社会からの厳しい審判を受けるべきだ。池田信夫にフリーライダーと謗られようと、山形浩生に鋭く罵倒されようと、冷静な坂本ファンを失おうと、それらは当然の報いである。これまで世間からの批判をだいたいスルーして頬かむりしてきた坂本だが、「たかが電気」発言への反感には恐怖を覚えたのだろう。せめて撤回すればいいものを、悔しいからなんとか拙い言葉で反論してしまい、それがさっぱり見当はずれで老醜を晒してしまった。
「あの」サンケイ新聞に連載を持ちながら、「あの」日産リーフの広告塔になりながら、それでも「たかが電気」と口走らずにはいられなかった坂本の空気の読まなさ加減は、逆に褒められていいレベルかもしれない。世界のサカモト、たとえ日本で食えなくなってもイタリアやドイツで歓待されるから生涯安心である。還暦を過ぎて死期も見えてきたからもう怖いものなし。子供たちもみな成人して親父の責任も果たした。あとは死ぬまで思うがまま好き勝手やるぞ、俺のことを批判するヤツらはトンチンカンだ、という坂本の内なる声が聴こえないか。
東浩紀は「モンゴル平原で衛星電話かけてたころから坂本は頭がオカシクなっていた」とつぶやいて炎上した。坂本のまわりを厚くとりまくファンたちは従順である。エコロで脳天気な取り巻きたちが坂本の勘違いを悪化させたのかもしれない。断っておくがエコロが悪いわけじゃない。それを擬似科学やオカルト、イデオロギーと結びつけるのが間違っているのだ。坂本の提言するエコロジーは一見インテリジェンスをまとっているが、その実、反科学主義やニューエイジ・カルチャーの影響を強く受けている。坂本は活動家として、論理よりも感情を優先させるひとなのだ。論理と感情。ミュージシャンとしてはその両方を使い分けることができる点で一流だが、アクティビストとしては自分の感情=エゴイズムを判断基準にしているから二流以下である。
NO NUKESにクラフトワークを呼んで「ホーシャノー。イマスグヤメロー。」とマヌケに歌わせた罪は軽くない。テクノゴッド・クラフトワークの神聖さが汚されたといっていい。あれを翻訳したのが坂本と聞いて、ああやっぱり言語的センスに欠けるひとだったんだ…と、往年のファンは落胆した。
生前に自伝をいくつも出すのもなかなか恥知らずな所業だが、そのタイトルに「音楽は自由にする」とつけるところにも坂本らしさを光らせている。アウシュビッツの門に書かれた「Arbeit macht frei(労働は自由にする)」という標語のもつ詭弁性を、自分の生業に置き換えてみたのだ。さすがサカモト教授、知的で高踏的な表現には恐れ入る。昔からワーグナーの政治性をひどく意識していたことが知られている。ボノがバンド・エイドでチャリティーライブに先鞭をつけたときも難癖をつけていたし、地雷ゼロで前面に出るまでは音楽と政治との関わりにひどく否定的だった。そんな坂本も、イラク戦争で非戦を謳ってからは一気に活動家として自信を得てしまい、なまじ世間からの評判も良くなっていくもんだから、2010年代に入ってますます増長してしまった。
「KIZUNA World」という言葉のもつ気持ち悪さは形容しがたい。さんざん手垢のついた「きずな」なんていうダサい言葉を選ぶ言語感覚は老いらくの戯言レベルと言っていい。斎藤環は「絆」のもつ束縛性を鋭く指摘したが、その斎藤が昔好きだった坂本は深く考えずに「KIZUNA」と横文字にしてしまった。慈善活動をやるのは「イイコト」だし素晴らしいことだけど、そのクールさを装ったダサいセンス、なんとかなりませんか?
かつて坂本は、武満徹を非難した。November Stepsが発表された時、邦楽器を使ったというだけで「武満が体制側についた!」と無邪気にも騒いだ。そのとき「きみ耳がいいね」と褒められたことを今では自慢げに語っている。結局あれだけ叩いたタケミツのファンであることを自認し、生前にはシルビアンと3人でオペラを作ろうと約束、いまも映画『怪談』の音響を傑作と褒め称えている。
嫌よ嫌よも好きのうち。 君子豹変す、ともいう。
武満は高橋悠治にも非難されていた。武満が音楽に政治を持ち込むことに否定的だったからである。高橋は極左といっていいほどの音楽活動家として独立独歩を貫いた。あっぱれである。高橋は坂本と親しかったが、いまは距離を置いているように見える。きっと坂本の軽薄さを高橋の感性が許さないのだろう。これは菊地成孔が坂本と一定の距離を置いているのに似ている。その点、大友良英は楽しいお友達になってしまった。
Opera LIFEのころはまだ鋭さがあった。Oppenheimer's Ariaの批評性、LightからLibera Meに至る空前のスケール感。しかし中島英樹らとcodeを結成したころを境に、世間の感覚から遊離していった。意識的に鋭さを隠していったのか、単に五十を過ぎて老いぼれてきたのか。
オウムの父でありオカルト宗教学者である中沢新一との親友関係もつづいている。このふたりに縄文の話をさせたら長い。かつてヒッピーカルチャーやオカルト趣味を嫌悪し、ニューエイジに走る細野晴臣を軽蔑していた坂本だが、unfinishedでネイティブアメリカンやマクロビオティックに共感を示して転向した。その急転回の様子は、細野を驚かせたほどである。「坂本くんも変わったねえ(苦笑)」と。
Radio Sakamotoに竹田恒泰を呼んだのも象徴的だ。皇室と反原発を無理やり関連づけて、天皇制へのシンパシーまで示したのだ。元新左翼が聞いて呆れる。そのあと鈴木邦男と対談して君が代を批評したのは罪滅ぼしか。あれほどニッポン天皇制と君が代に敵意を剥き出しにしていた坂本青年の姿はもはや影も形もない。
坂本龍一はピカソのようにたくさん結婚し、たくさん子供を儲けた。美雨のころは子供に興味がなく外で女遊びをする毎日だったが、音央が生まれたころから豹変する。男は遅く産んだ子供を溺愛したのだ。いまや愛息のKickstarterをツイッターで宣伝してあげる「良いパパ」を演じている。「教授の歩いたあとはペンペン草も生えない」と、その絶倫ぶりを畏怖された80年代は遠いはるか昔。
ここでエホバの証人を持ち出すのは卑怯だろうか。前妻の矢野顕子はエホバの信者として有名である。80年代後半にはエホバの会報に坂本と矢野が夫婦そろって出演し、聖書の大切さを唱えていたと風のうわさで聞く。ニューヨークに移住してから空里香との事実婚に至るまでに何があったが知らないが、たぶんエホバがらみで一悶着あったんじゃないかと憶測される。別に有名人が新興宗教を信じていたってなんの問題もない。けれどもしエホバを一時的にせよ信じていたとしたら、このあたりから坂本の感受性は変化していたのではないだろうか。信仰をもつということは、ロジックからエモーションへと舵を切ることだ。それまで鋭かった坂本の感性が、このころから鈍っていったのではないか。
活動家としての質は落ちる一方だが、音楽家としては新しい挑戦を怠らずに、衰えを知らない。という見立てだったが、それも間違いだった。最近は音楽活動に手抜きが目立つようになってしまった。特にYMOのサンフランシスコ公演が酷かった。なんだあのシンセパッドは。ヤマハとの契約があるからって、わざわざ最新のMOTIFを使ってまでして、あんなダサい音色を選ぶとは・・・耳を疑った。自分の、というより坂本の耳を疑った。このひと、シンセの音色づくりに関してはメチャクチャこだわるひとだったよね…?それがなぜこんなダサい音色を…? しかもアタックが遅いからユキヒロのドラムと半拍ズレてる。それが良い効果をもたらすんじゃなくて、ズッコケそうなリズム感を生み出している。あれは本当に酷かった。その後はプロフェットへの愛着を取り戻して、アナログ回帰を強めているそうですが。
ほかにもいくつか挙げられるが、有名なのは不毛地帯のテーマ曲。「いくらもらったんだよ…」という大仕事のくせに、10年前の傑作・御法度と「おんなじメロディー」を使いまわしてしまった。これは一聴してすぐわかるレベルだったので批判が巻き起こり、それが坂本の耳にも入った。そこでも彼は苦し紛れに「御法度と不毛地帯は、楽理的に全然ちがう曲。論破してやるから俺んとこ来いや」と宣った。さすが芸大楽理の修士さま。あなたにそこまで言われたら誰も反論できません。
2012年の夏、坂本はもっとも醜悪な音楽をつくってしまった。guno nayuta名義でSoundCloudに発表した「ODAKIAS」である。プライベートなハンドルネームをあっさり公開したことにも驚いたが、そんなことよりも、大飯原発の再稼働に反対する群衆のシュプレヒコールをサンプリングするという、きわめてダサい手法を採ったことに驚いた。ひたすら「サイカドーハンタイ!」と馬鹿のひとつ覚えを繰り返すループの上に意味ありげなコードを乗せたそのトラックに、私は慄然とした。長年にわたる坂本の熱心なファンであった私は、その音楽の放つえも言われぬ醜悪さにひどく落胆した。ここまで坂本の感性が劣化していたとは。Shing02や大友良英には坂本をたしなめてやってほしかったが、それは叶わぬ願いだった。
以前から2ちゃんとかで騒がれていたパクリ問題。菊地成孔がその周知に貢献したが、実際大した問題ではない。ラストエンペラーが新日本紀行に似てるのは本人も認めてるし、それを言ったら戦メリの拍子木は新日本紀行そのまんまだ。でもジョー・サンプルのMelodies of Loveのメロディーがシェルタリングスカイと酷似してる、っていうか全く同じなのは言い逃れできないかもね。でも教授の本領は独特のハーモニーにあるから、ぜんぜんオッケーだよ。パクリだなんて騒ぐやつはケツの穴が小さい。あんまり責めるとまた楽理的に違うって反論してくるから、そういうことにしておこうよ。
100年インタビュー、スコラ、大河ドラマと、公共放送NHKという体制の権化にすっかり召し抱えられた坂本。次は紅白に出て八重の桜を弾くにちがいない。嗚呼、嘆かわしい。頼むから中島みゆきみたいに特別扱いはされないでね。カッコ悪さに拍車がかかるから。
坂本龍一を殺すな
生き恥を晒させろ
※この怪文書は、坂本龍一が学生時代に撒いたとされる「武満徹を殺せ」ビラの悪質なパロディーです。この長ったらしい駄文を深夜に書きなぐった筆者は、実際にサントリーホールの前でバラ撒く勇気がないため、増田に載せることで一抹の達成感を得ることにしました。12年以上にわたって重度の坂本信者、というか坂本病の難治患者をつづけています。ビョーキなので探さないでやってください。可愛さ余って憎さ百倍、筆者の複雑な胸中をお察しいただけると幸いです。結局私は、サントリーホールのS席1万円を喜び勇んで買うようなバカですから…。
某風俗店に勤めていた子。
当時、僕は26歳。
店先のプロフィールには確か21歳って書いてあった気がしたけど 笑
あとで聞いたら『あ、あれ?ほんとは24歳なの〜♡』だって。かわいかった。
のんちゃんはとても華奢な子だった。
んで顔はとても清楚で大人しそうな感じ。
その当時、僕は週に1回は必ず、多いときは週に2回はのんちゃんに会いに行っていた。
行き過ぎだろ〜w お前いくら貢いだんだよw
多分1回で3万近く使ってた気がするから、多いときで月に20万以上使ってたのかなぁwww
俺、バカ?www
数ヶ月そんな感じで通ってたと思う。
まぁでもプライベートのことは根掘り葉掘り聞くわけにもいかなかったので、おおまかにやんわりと聞く程度だったが。
そのうち『のんちゃんは将来どんな仕事したいの?』という話になった。
のんちゃんは『今、実は福祉関係の勉強してて、資格取ろうと思ってるの。』ということだった。
介護士か.....
でものんちゃん、体、華奢だし大変そうだな、なんて思いながら『体力的に大変じゃない?』と聞いた。
可愛らしい笑顔だった。
当時の僕は特に目指しているものもなく、ただ惰性で働いているだけだったから、何だか恥ずかしかったのを覚えている。
のんちゃんはけなげだった。
何かとってもけなげな印象だったのを覚えている。
そしていつも切なげな表情をしていた。
おそらく僕は、その表情に哀愁を覚えて毎週のように通っていた。
切なくなるから毎週会いに行っていたんだと思う。
それからほどなくして僕はその店に行かなくなった。
これと言って理由があったわけではない。
ただ何となく足が遠のいただけ。
............................
何かあの子のことは心に残っている。
のんちゃんも僕のことなんて当に忘れているだろう。
もう二度とのんちゃんに会うことはないだろう。
会えないからこそ募る想いがある。
絶対に会えない。
唐突だけど以前読んだ本で、「宇宙の果てまで―すばる大望遠鏡プロジェクト20年の軌跡」というのがあったので紹介する。
http://anond.hatelabo.jp/20130506111132
書いたのは、ハワイのすばる望遠鏡設立に向けて尽力した小平 桂一という方で、
話はほぼご自身の経験に基づいた軌跡なんだが、
研究者としての彼の姿よりも研究者のために働くマネージャーとしての姿がとても印象的だった。
例えば、すばる望遠鏡の設立が三十年越しにようやく決まった中で、
ハワイへ数ヶ月から数年単位で海外赴任することになるであろう職員の海外赴任手当が大きな問題になった。
なぜなら、今まで海外にある国立の設備といえば、第二次世界大戦の慰霊碑ぐらいしか前例がなかったのだから。
国立機関の研究者が常勤で海外に暮らすということに限って言えば、前代未聞だった。
既存の枠組みでは"出張"程度しかなかった海外赴任の手当をもっと増やせないかと関係省庁を巡るなかで
彼は、少なからず「研究者は研究をしたいからそこへ行くんでしょう。手当等増やさなくてもいいんじゃないですか?」という声を聞いたらしい。
このままでは「すばる望遠鏡」という箱はできても中に人がやってこなくなってしまう。
職員に職務命令で従わせることもできるが、志気が上がらない研究でなんの成果があがるんだ(この辺うろ覚えでごめんなさい)。
そういう危機感をもって活動した結果、待遇は改善されたという話だった。
研究者は世捨て人じゃない。市井の働く人たちは皆仕事とプライベートの二者択一を選ばなくて、研究者がそれを当然だと思うのはおかしいよ。
足りない部分をかける時間で補うような研究もあるとは思いますが、なんていうか大半が、環境が許せばそうはならないんじゃないかと私は思います。
ピペドの体験談など特に...すごく無責任に聞こえると思いますが、元増田は常勤職ということでそれなりのポストを得ていると思います。
ご自身が今に納得しなかったなら、せめて次のひとたちのために、活動できるようになれる立場を目指されてはどうでしょうか。
長文にて失礼致しました。
社会人生活も浅からぬ年数が経つのに、彼は未だに馬鹿をやっていた学生時代の思考が抜け切れていないようで話が合わなくなってきている。
酒を記憶を無くすまで呑んで周囲に迷惑をかけたり、往来や店の中でヤれるヤレないなどの下品な話ばかりでうんざりしている。
思春期の頃はこういった話題になっても全然おかしくなかったけど、社会人として責任ある立場にあったり、同年代で結婚、子供を授かっている友達もいるのに未だに下品な話ばかりで、一緒にいるだけで恥ずかしく感じるようになってしまった。
別に酒を飲むことも下品な話をするなというわけではない。独身男同士なんだから猥談に花が咲くことがあってもいいと思っている。
でも散々言っても全く改善が見られず、小さな子供を連れた家族が隣にいる席で酒の勢いで大声で下ネタを自慢気に喋り始めた時に、心の中でもうダメだなと見切りをつけた。
他の友だちは彼をどう思っているかは分からないけど、なんとなくそんな雰囲気を感じている。
もちろん確信があるはずもなく、デリケートな話題なので他の友達にも相談出来ず、ここに乱筆乱文を書いてモヤモヤしている。
何故こういうふうに考えるようになったのかを考えてみた。
就職したばかりの頃は僕は少し特殊な事情で、同期の皆よりはるかに仕事が出来ない状態だった。
最初はその特殊な事情のせいにして愚痴ばかりだったが、自分が変わらなければやっていけないと思うようになった。
ある程度は独学でなんとかなったが、それでも平均的な仕事を平均的にこなすレベルまで至らず、出来る人に教えを請うことにした。
出来る人達は、常に現状に満足せず、課題を発見、解決し続けることに喜びを感じており、会社の中でトップを走り続ける集団だった。
最初は「僕みたいな仕事が出来ない人が、この人達に混ざっても実力が伴っておらず異分子でしかない」と感じていたけど、出来る人達は教えることにも喜びを感じる人達だったので、人見知りながらも勇気を出して教えを請うと歓迎された。
最初はいわゆる教師と生徒のような関係だったが、だんだんこの人達のようになりたい、もっとこの人達と同じレベルで話したい、と思うようになった。
結果、今では仕事も好きになれたし、実力と自信もついて、責任ある立場にも抜擢された。出来る人達の仲間になれたと確信出来た。
その過程で強く思ったのは、自分を変えるには環境を変えること。とりわけ、付き合う人達を変えることが大きく影響する、ということだった。
どこかでまさしく同じ事を言っている記事を何個も見たが、まさにその通りである。
なりたい自分になるには、そのなりたい要素を持っている人と付き合い、刺激を受け続けるべきだと感じた。
ただ、今回言いたいのは、こういったよくある体験談からの自己啓発ではない。
めでたく僕は変わった。
変わった結果、プライベートの友達に嫌気を感じるようになってしまったのが問題なのだ。
僕の中での友達の基準が「気が合う」から、「尊敬できる点を持つ」にシフトし、ハードルが上がってしまった。
無意識にそういう基準で友達付き合いをしていたのか、改めて友達の尊敬できる点を考えてみると、皆心から尊敬できる点を持っていた。彼以外は。
一度否定的な感情を持ってしまうと、どうしても彼の尊敬できる点が見つからず、嫌悪感も拭えないままだった。
では、少しづつ疎遠になっていけばいい、となれば解決だが、僕の友達の少なさから中々そう上手くいかなかった。
彼は僕の交友関係のハブ的な存在のため、誰かと遊ぼうにも必ず彼がセットで付いてくるのである。
正直彼だけと交友を断ちたいと考えているが、それは極端な話、他の皆との交友も断つことに直結するかもしれない。
また、彼との交友を断ったところで、皆と今まで通りの関係でいられるはずもなく、手詰まりなのである。
なら、彼と距離を置きつつ新しい交友関係を開拓しよう、と考えているものの、社会人になってからは中々そういうチャンスも時間もなく、モヤモヤした日々を過ごしている。
でも変わったことに後悔は一切ない。
まともな学生ならインターネットが公の場という意識はあるだろ。
一部のアホ学生が、誰しもが閲覧できるということに気付かずバカ話を書き込んでいるだけ。
ではないかと疑っている。
私のごく限られた観測範囲においては、2人だけ、危ないんじゃないかというのがいる。
それでも、犯罪自慢とかやらかしているのは知らないな。知らないだけかもしれないけれど。
ただ、駅の伝言板とネットの掲示板のような、公私の対応関係を持っているのかどうか。
http://anond.hatelabo.jp/20130503141442
特徴的なタイポがあると、すぐにネタ元が見つかるのは皮肉だなw
大学生にとってネットが公の場って意識がなくなったっていうのはtwitterとかで「裏垢」で検索してて、そうかもなと思う。
俺はそこらの大学生と違って、生まれたときはCERNにはWWWがなかったので、ネットが普及する前と後の違いを知っている。
だから、ネットが普及して既存のマスメディア以外の情報をテキストサイトで簡単に読むことができて、顔も名前も知らない人の書き込みに
おお、駅の伝言板よりよっぽど便利じゃねーかと思う一方でここが公共の場であることを強く印象づけられた。
今まで駅の伝言板しか知らなかったから、いやでも"外" だって思うじゃねーか。
でも、駅の伝言板を知らない今の大学生はそれを体験してこなかった。
生まれたときからネットの掲示板に対応するプライベートなものがなかったら、
その辺の区別もなくなって、今時の学生にとって、ネットが公の場って意識がなくなったんじゃないか。
公共ゆえの恥ずかしさとかそういったものも置き去りになって、結果として
twitpicで悪事所行を合法的に楽しむすべを覚えたのはおっさん的に嬉しいが。
たまたま「ヒャッコ」を読んでて思ったのだが、友達の部屋でフォトアルバムを眺めるって行為もその描写も、
プロポーズ、告白、それしか見つからない。後はオフ会のクランメンバーの確認ぐらい?
恋愛脳のつもりはないんだけどね...ともかく、子供の頃に比べたら関係を確認する機会なんてずいぶん減った。
「わたしのことどう思ってる?」と迫る流れを現実でやったら、排水の陣でしょう。
後で下水に流したいくらいの黒歴史に間違いなくなると思う。答え次第だと手首切っても収まらないかも。
「私たち友達だよね」って川べりでお弁当を食べながら肘を軽くぶつけて
確認し合う儀式(をいつかやってみたいなと妄想すること)はとっくの昔に終わりを迎えたんだと思う。
あの頃はあの頃で、はぶられないための予防線として関係を確認する毎日だったのでしんどかったけど。
大人になって関係を確かめる機会なんてめったになくなったけど、逆に曖昧にする機会は増えた。
時々一緒に飲みに行く同僚から写メで惚気られて話は合わせるけど、プライベートで見せてよとは言ったことはない。
友達かどうかはっきりしない関係を無理やり突つく前に、事務である同僚との関係を拗らせたら
上司からの覚えがさらに悪くなることを知ってるから今のままでいいやと思ってる。
学生の時に出てきた「ワーカーズ•ダイジェスト」で消去法的に同僚とランチを一緒に食べながら、
器用に話題を合わせる主人公の半ば白けた心情が今更だけどよくわかる。
こいつら、友達か?という疑問を被せれば、一人デスクでご飯を食べるのは防げるから。
それしか選択肢がないのも事実だけど。学生の時の方が時間も場所も人も選べたし、遥かに自由だった。
いつのまにか、名字から名前に、さんがちゃんになったことに気づいて
知人から友人になったのかな?と時折振り返りもするけど、
けれども、一緒にいて楽しいことには変わりないし、現状は安定している。
一方通行の関係だとしてもそれで十分だよ。だって片思いって楽しいじゃんか。
http://anond.hatelabo.jp/20130430180845
元増田の年齢は分かりませんが、基準で友達かどうかを線引きしようって
馬鹿みたいな発想。そんなこだわりは捨てて、今側にいる
ふと小6の頃のことを思い出して考えた。友達の基準とはなんなのか
自分は小6のころいじめられてた。まぁいろいろおちょくられてたわけだ
なんとなく孤立してたし、友達についてそこまで深く考えてなかった。
ある日「お前友達何人いるの?」と聞かれた
自分は「3人くらい」と答えた
すると聞いてきたやつらは名前を言えと言ってきた
名前を言ったら即座にその名前の本人に「お前こいつが友達とか言ってるけど、どうなの」見たいなこと聞き出した。
3人中1だけ「うん」と答えた
何人答えようが関係ない。でも聞いたやつは「お前友達の一人じゃん」とか言うし。面倒なんで無視した
このやり取りで友達か否かが決まるのか ...と感じたね
じゃあ「こいつと友達か?」と聞かれてうんと言う基準とはなんなんだ。以下の事と自分は思ってる
・普段から話すし仲もいい
・幼馴染
クラスには上記の基準のやつらはいなかった。でもいないと答えるのも無理だろ
案の定今でも友達は少ない