はてなキーワード: 合意とは
さんざん叩かれてるんで「見積もり金額がバラバラなんていう非常識な事態」が起きる最大の原因は「発注者が素人すぎて、発注内容が何を買いたいのかも良く分からない中身、なんていう非常識な事態」だから、ということは理解出来たと思う。
とはいえ素人が一朝一夕に発注仕様をまとめるなんて無理。どうしてもその業務が投げ出せないなら
1.その手の予約システムはweb上にくさるほどある。片っ端からアクセスして予約して使ってみる。
2.そのシステムで予約やらキャンセルやら、その他色々な機能を使ってみる。
3.最後はキャンセルしてばっくれろw キャンセル料くらいは勉強代とあきらめて自腹でw
4.自社のやりたい業務内容に近く、備えてる機能に不足がないシステムが見つかるまで1-3を繰り返す。
5.「実はこんな感じのシステムが欲しいんです」でURLつけて各業者に再見積もり依頼。最低限それに会場数やら頻度やら分かってる全ての数字はつける。
6.こんな依頼の仕方をしたら逃げる所や、リスクを積んで一気に数倍値上げしてくる所が出るだろうが、それが正当なので諦めれ。
7.実システムを例にした所で、しょせんユーザーサイドからいじって判る部分だけだと業者が見積もりにあたって想定したシステム機能は主にバックエンド関連で漏れ落ちだらけのはず。
そのままの金額で作ろうとすると、仕様変更で金が膨らんで後で上に怒られる(もしくは使い物にならないシステムできあがり)のは目に見えてるので、まずは出てきた見積もりの倍くらいの予算感と考えるといい。
8.見積もりで真ん中高めくらいの所を数社呼んで話を聞く。一番仕様の相談に親身になってくれそうなところを選定。
9.選んだ所にぶっちゃけて、リスク積んだ高めの見積もりを出して貰って、それで契約。
10.上には選定経緯や価格の妥当性を追求されるだろうがなんとかしろ。気の利いた業者だと他社の相見積もりくらい用意してくれることもある。
11.実際に仕様を決めるのは価格交渉しながら、とか契約が済んだ後から本格的に・・・という話になるが、わりとそういう業界なので気にしなくて良い。
9.でぶっちゃけてついてくる業者なら、最低赤字にならん数字は出してるはずなんで少々の仕様不備や決定遅れに対する無理は利くはず。
12.拡張性とメンテ頻度は案外費用に大きく利くし、業者側も想像がつきにくい所だから、その辺は自社の担当部門と良く話し合っておけ。
13.業者に仕様書を突きつけられても良く分からないのが関の山。仕様書は仕様書として実際の機能についてはユーザー画面と運用サイドの画面遷移ベースで話し合って合意しておくのがたぶん一番両者間の誤解が少ない。
随分業者に有利な選定方法に見えるかもしれんが、素人が発注して失敗しないようにするなら「これは儲けられそう」と思わせて業者を味方にするしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20120218021709
http://anond.hatelabo.jp/20120218004010
なにこれ素敵!ありがとうございます!
そもそもたまたまどこかの局がやっているニュースで休眠口座どうこうという話があり、街頭インタビューの様子とかが流れていたんですがその反応が「いくら長年引き出してないからって人の口座のお金勝手に使うなんて!」だったんですよ。
「勝手に徴収して、返してやんないよって何ソレひどい!」という反応ばっかり。
それで「え、それは違わなくない?休眠口座状態のお金をまとめて一括管理しようぜって話で別に引き出しに応じないなんて言ってなくない?」と思ったのがきっかけで、でもTVニュースもニュースサイトも「人の口座のお金を勝手に使う」としか言ってくれず。
そのくらい分かれよ常識だろ、と言われてしまうとすみません知識不足で、としか言えない大ボケではありますが、でも「ニュースならもっと具体的に説明してくれよ」と思ったりしたけどそれは別の話か。
解説を読む限りではやっぱり「休眠口座のお金の引き出しに応じないとは言ってない」でよいのかな。
確かに「この先永遠に引き出されないお金」は一定量存在し、それは最終的に事実上の徴収ではあるのかもしれないけど、それを言うなら今までは銀行が事実上の徴収をしていたんじゃないのっていうでっていう。
休眠口座を国が管理する、っていうのはそういったものの事実上の徴収先が変わる&運用の矛先が変化する、であって、その事に対してのメリットデメリットはまだよく理解していないけど少なくとも「お金の引き出しに応じないわけじゃないから自分のお金が『無くなる』っていう認識で文句を言うのはおかしい」ってこと、でいい…んですよね?
とりあえず現段階ではそう理解しました。
「一個人として」考えるなら(それが心配することのほどかはともかくとして)資金の運用先が自身が委託した銀行ではなく国が運用することになることが気になります、とは言っていいのかな。実害とかそういうものはおいといて、そのへんはどうなるのかなーという意味で。
「それは気にするほどのことじゃないよ」ならそれでいい。
あと休眠口座の運用の国やら銀行やらといった団体というかそういった視点でのメリット・デメリットに関しては割合意図的に除外して考えています。
単純に「別にお金が奪い取られるわけじゃないからお金奪い取られるって怒るのはおかしいよね?あと銀行に預けたお金は元々資金運用に回されること前提だからお金を勝手に運用されるって怒るのも変だよね?違うの?」でした。
「勝手にお金を運用する機関が変わった。わたしはこの銀行にお金を運用してほしかったのに」だったら、「いやいやそこはこうれこれこうなんですよー」とか反論があったりするのかなあ、なんですけど。(そしてそれについては反応を見ると実際のところは気にするほどのことじゃないのかなという印象)
向いている方向がブレていないなら
ベクトルの量にノルマを貸して、ノルマを厳しく言う のは 非甘やかし
ノルマが本人が超えられそうな量に設定したり、挫折していたらアドバイスするのが 気を使う。
ただ、あえていうと、2倍こなせる人に2倍のノルマを課していいのか?というのは微妙な問題。へたするとどうして私だけ?と言われかねないし、
リーダーとして引っ張っていて欲しい!とか、みんなのお手本に・・・といっても、それは合意がなければ使う側のエゴだからなぁ。
たとえば、給料2倍出す!といっても、他の人と同じでいい。という人もまた多いからな。
2倍働けというオーダーに対する対価をどこで出してあげるか?という事だと思う。
あとは、ベクトルの量というのは、積み上げ積み重ねだから、なるべく円で増やすよりかは 線で1芸を秀でさせてあげた上で、フォローで他も出来るようにする。というベクトルと
汎用で一芸はないけど、そこそこなんでもできる(円タイプの人)。という 人の 見分けかなぁ。
全員後者では辛いと思う。どうしても各分野のリーダー的な人は前者だとおもう。その上でフォローが後者かなぁ。
器用貧乏という言葉もあるし。なんでもかんでも挑戦すればいいという時期と、その中で何をするか決める時期というのはあるとおもう。その辺を見てあげることかな。
たいていの人は異性に興味持つ年ごろというのがあり、大体は身近な人に恋をする。
誰かにときめき、ドキドキしたりワクワクしたり、もう少し相手に近づきたいと自然に思い、うまく仲良くなれれば手を繋ぎたいからキスしたいと夢見るようになり、次第に一人の異性が自分にとってとても大事な人になっていくだろう。
でも、好きになった人とすべての人が結婚できるわけはない。
恋愛が結婚に変わっていくのには、その時々の様々な条件がうまく双方合致して合意に達さないとできない。
独身の頃はあっさりと結婚していく友人たちを眺めては、どうやったら結婚にこぎつけるのだろうと、あれやこれや妄想してた。
そして結婚して一時は幸せそうでも笑顔を忘れていく友人や、壊れていく夫婦関係をこれまた眺めては、どうやったら幸せな結婚ができるのだろうかといろいろ考えてみたりもした。
どれだけ妄想しても、幸せな結婚を手に入れられるべくどれだけ条件を整えても(容姿・教養・センス・仕事等々)、そんなのは現実の生活の中ではたいして役に立たないのだと最終的に知った。
世間体という概念により自分の為の結婚から軸がずれ、親の為の結婚に微妙にすり替わっていく感もある。
そして何より女には結婚適齢期というより妊娠適齢期というのがある。
だいたい卵巣にそれぞれ200個づつくらいの卵子の種があり、女性が生涯に妊娠できる可能性は400回くらいとして約33年と3か月、中学生くらいまでに初潮を迎えれば40代半ばには卵が終わってしまう。
35歳を過ぎれば卵は劣化していくし、子宮内膜もやわらかく心地よく胎児を育めるだけのやわらかさや強さは衰えていく。
子どもが欲しいと思わなければ結婚は考えなかったかもだが、この事実に気付いてからはすごく結婚をしたいと強く望むようになった。
当時月収100万以上のキャリアを捨て、子どもを産むために家庭に入った。
子どもを産み育てるにはまず安全な巣が必要で、そして生活していくにはお金もかかる。
仕事辞める必要なんてないじゃないかと思う人もいるかも知れないが、妊娠出産育児の期間中は母親としてこの腕に抱いて育てたかったのと、何より流早産の危険性から妊娠期間中のほとんどを病院で過ごしてた。
飲み代や服代、そして結婚前に主人が作った借金の精算に主人の収入が消えていく現実に気付いたときは、マジで身動きが取れなくなってた。
子どもが生まれるまでは、自分が我慢できるところは我慢しよう、生まれれば子どもには父親も必要だと思う気持ちもあり、それがずるずると7年という歳月になった。
イケメンで憧れのカタカナ職業で年収1000万弱の社長で…と条件だけ書けば何をそんなもったいないと誰からも言われたけれど、ステイタスではおなか一杯にもなれず、心が満たされることもなかった。
おしゃれな会話や趣味の会話でコミニュケーションはそれなりに楽しかったが、ハートで触れあえることはなかった。
何のために結婚するの?
誰のために結婚するの?
主人を愛しているのかどうか、私のとっても一番大切と思うその部分が、いつも泣いてた。
息子には無条件の愛がハートからいつでも溢れてくるのに、主人に向き合うとひび割れてざらりとしている感じがつきまとい、次第に同じ空間で暮らすことが苦痛になっていた。
愛って何?
愛してるって感じたい。
それがお金よりなにより大切だと思う年齢になっていった。
まずタイトルについて。
まずこれは議論じゃなくて政治の進め方として何だけれど
「1つしかルートを持ってない人が政治をやる」というのは危険過ぎる。
最善ではなくてもプランB,C,Dを考えるまではして欲しい。
橋下さんはまずそれを考える手間をちゃんとかけたのか、と問いただすと「文句があるなら代替案を出せ」という人がいる。
「より良い改善案」が提示できるって事は、とうぜん現場をきちんと把握してる必要があるだろう。
机上の空論などではなくね。
改善案が理想論なのは全然許せるが、「問題も対案も空論」では話にならない、「問題も対案もきちんと判っています」と言えなければダメだろう。
「現場を知らない」程度で封殺されるなんて、お粗末も良い所だ。
絶大な自信で「私は把握している」と返答できなきゃダメ
代替案は別に最善でなくても良い。今の案の問題点を検討するきっかけになるだけでも価値がある。
「ダイタイアンガー」という人の難点は、ろくに考えてない奴に限って行動が大事とか言い出すこと。
こういう人は、最初は威勢はいいのだが、一度行き詰まると急速に失速する。いろんなルートを考慮していないから。
そして、この時に自らの正当性を維持しようとして強権政治になる危険が高い。これは歴史的に何度も繰り返されてきた。
こういうのは非常に困るんですよ。
「もっと良い案を出せないのに何が教授だ」「代替案出せなかったんだから教授の負けだろ」と言いたい人の気持はわかる。
でもそうじゃないんだよね。少なくとも、そういう返答を真剣に求めているなら、
橋下さんはあのテレビ番組じゃなく別の場を要求すべきだった。いや、どうせわかっててやってるんだろうけど。
最初からその返答をまともに出せないような場を作っておいて、ちゃんとした返答ができないからオレの勝ちってのはインチキなんだよ。
だから結論部分だけパッというと「じゃあもっといい改善案出せよ」「ダイタイアンガー」になっちゃう。
ただ、教授側にも言い分はある。
まず相手がどこまで論理的な土台があるかを把握・合意した上でないと、どう意見を出していいのかわからない。
まどろっこしいと思うかもしれないけれど、アカデミズムってのはそういうやり方で成り立ってるんだ。
橋下徹さんみたいに、自分の意見を主張して受け取り方は相手に任せるってやり方じゃないんだよ。
それを橋下徹さんみたいに、話すそばから自分と関係ない土台で話をする。話をきくという態度が全くない、では
意見をだそうにも出しようがないんだよね。
池上彰さんみたいにわかりやすく話せる人もいるじゃないかと思うかもしれないけれど、
あの人は、自分の意見を言わないよね。彼は自分の主張を持たず、誰かがいった過去の話をわかりやすく整理するだけだからああやってスマートに話せる。
でも学者から意見を求めるなら、もっと時間をかけて聞かないと駄目だ。
ワイドショーの20分程度の枠で、しかも橋下徹さんが10分以上も喋って、と企画の時点で失敗している。
政治の世界、テレビの世界ってのはそういうやり方は通用しないぞっていう言い分はわからないでもないんだけれど、
じゃあ、彼は「アカデミズムのやり方には対応する能力も時間も無いので無視します。私以外のものに勉強させます」という態度を取るのが誠実だと思う。
今みたいに、相手が意見を述べる前提すら受け入れずに、言いたいことだけ言って、論破しましたってパフォーマンスはプロレスより悪質。
仮にも学者を呼びつけておいて、あの態度というのは、反知性主義の極みというしかないかな、と。(あーでもそれがますます指示に結びつくのかなー)
橋下徹さんが本当の意味で相手を論破したいなら、フジテレビBSのプライムニュースやUSTREAMの時間無制限方式でやるしかない。
とりあず爆笑問題の各教授に話を聞きに行く、みたいな番組のようにひと通り相手の思考プロセスを追った上で、そのプロセスに反論スべきだ。
自分の土俵で勝っても論破したとは言わない・・・のだけれどね。まぁ言ってもしょうがない。
とりあえず今回の放送でよくわかったのは、橋下徹さんは人の話を全く聞くつもりは全くなく、
反対派は力づくで、あるいは今回のようにイカサマをやってでも潰すという姿勢の持ち主だということ。非常に恐ろしい。
いや、まぁそれもささいなことだ。政治家ってのはもともと教養がない人種だからね。実学しか認めない人たちだからそこは期待しない。
それより私が心配しているのは、別に巷の学者の声なんかいちいち相手しなくてもいいけど、
とにかく最低でも一人は、ちゃんと理論を踏まえて、じっくり考えて意見を彼にアドバイス出来る人がいるのか、ということ。
「いかに相手の教授がヘボであるか」をいくら主張しても、橋下さん自身のアイデアが良くなるわけじゃない。
「学者の意見」や「代替案」を封じ込めて、代替案がないことをもって自分を正当化しても、橋下さんの考えが間違ってたら結局上手くいかないんだ。
上手くいかないものを、独裁という形で無理やりうまく行かせようとすると、最悪の結果しか生まない。
橋下さん自身が考えなくてもいい、むしろ彼は強く偏ったイデオロギーの持ち主だから自分の頭で全部考えようとしないほうがいい。
方向性を決めて、いいアイデアを求めて、それを判断すればいい。
ただ、今のところ、彼の実績を見ていると、
コスト削減に躍起になってるだけ、実学以外を軽視し、目立ちやすいところにはどんどん手をつけるが全体を見通す目がない、という印象を持つ。
これは橋下さんが自分で考えちゃってるってことなんじゃないかな、と。
別に彼がクソ教授だと思う人の相手はしなくていい。でも、嫌いな相手をあきらかにするのと同じくらい、彼が正しいと思っているものを
いろいろ列挙してみましょう。
・まず事実として貴方はイケメンではありません。容姿改善をしてもイケメンのレベルには到達出来ません。小奇麗レベルです。前回の顔面偏差値40の評価は確かに妥当だと思います。
・容姿で優れていないのであればトークやキャラにて相手がセックスするのに合意するまで相手の好意をあげなければいけません。
少なくとも短期間のやり取りにおいて、それが実現出来るレベルには非常に程遠いと見られました。
ただ現実問題として
2.トーク、キャラにて相手の好意を上げる
3.体と心の距離を縮めて、セックスに持ち込む流れをきっちりと理解し、その流れを作る。
極々短文にしましたが、今やっている事は1,のみです。
容姿改善は無駄ではありません。やらないよりはやった方がいい。これは事実です。
が、1.をクリアしたとしても2.と3.は現在では(というかネットでは)向上させる事は不可能です。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1877537.html
これは、思うように動いてくれない若者たちに対して「このままだとこんなひどいことになるぞ」と脅かしたり、
「やーいざまーみろ」と逆ギレの悪態をついて溜飲を下げたりする趣旨のものではない。
すでに現実として目の前にあらわれつつある動きを、少々露悪的に(もちろん「本書」のスタイルに倣ったものだ)
書き記しただけのことだ。
まず、エリート的な高機能ビジネスパーソンが国境越えて活動するのは当たり前で、
これを「(露)悪の未来」として論ずる筆者はなにかがおかしい。
防ごうとする意識の方が間違い。
彼らは国に頼らないし、活躍できる場があれば国を選ばない。
彼らに将来を任せれば、わたしたち40代の老後、少なくとも生きているあいだくらいは、
きっと安心していられる状況を保ってくれるにちがいない。
なにを根拠に「ちがいない」のか。
読んでいてなんだか切ない気持ちに襲われる。
国に頼らず「自分の能力を発揮する場」「高い報酬を獲得する場」のみを求めて国境をまたぐエリートが
どういう動機で狩場の原住民の老人の住み心地ケアなんてことに気を掛けるのか。
どうも中高年移民推進論者というのは
を何故か無視する。
(これは移民を「気に入らない日本の若者」のカウンターとして夢想するからで、
いきおい移民若者像は全てが理想的で自分に尽くしてくれる感心な若者として描かれる。)
実際は、せいぜい来日者が比較的貧しいうちは
年金を始めとした日本の高齢者向け社会福祉なんぞ来日者が維持推進する動機があろうか。
彼らにとって年金制度なんぞは「意味不明な控除で自分の手取りを減らすインチキみかじめ料」であり
それではさすがにイヤだという人もいるかもしれない。若者たちはいいとしても、
40代のなかには、あと40年以上生きる方もいるかもしれない。
もし長生きしてしまったらと考えると、現状を「幸福」と感じ、満足してしまっている若者たち、
スティーブ・ジョブズがいうところの「hungry」でも「foolish」でもない若者たちに、
どこの国の「hungry」で「foolish」な若者だったら
あなた達の老後の支えなんかを任されたいのですか
と問いたい。
具体的な答を返せたらたいしたもんだ。
老後の支えというのは
若者個人の才能や情熱やハングリー精神から産まれるものなんかではない。
社会の老後の支えは、よく練られた社会制度と、なにより社会全体の余裕から出てくる。
もう一つの足は構成員一人一人がその社会にコミットする気持ちだ。
日本はどっちも既に破壊したのだから、あとは一人一人が覚悟しましょうということ。
「頼り甲斐のあるニューカマー」なんぞを呼んだところで、
彼等傭兵は絶対に日本社会なんかにコミットをしない(当然で、薄情でもなんでもない)。
安易に助かる都合のいいボートはないのだ。
近々死ぬ人間を除き。
なにより
「見限ろう」もクソも、若者世代はとっくに見捨てられて長い。
「生意気なことを言ってるなら見限ってやるぞ!」なんて、意趣返しにも脅しにもなってねーのだ。
もらったことない仕送りの打ち切り通告で怯える人間が居ようか。
実際に筆者自身、もしくは筆者の世代が、
若者世代に具体的にどんな支援をどれだけしてきたか聞いてみたいもの。
恩着せがましく口にする「実りのないおせっかい」とは具体的になにをしたことだ?
せいぜいが、
「状況も見えてない無責任な若者論で説教していい気になる」ことを
なんとなく凄いことしてあげたみたいに記憶してるだけだろう。
この”暴論”すら結局はそういう匂いが濃厚に漂っている。
「若者を挑発してケンセツ的な議論を導いてあげた」とかなんとか。
「食えもしない”おせっかい”でお為ごかしの恩恵面されてもなあオジサン」
という「本書」の序文をきちんと読みながら
新春のお笑いのつもりだとしても若者から失笑しか買わないだろう。
「暴論」は状況が見えてないことの言い訳にはならない。
若者はこの筆者みたいにあてこすりで人を動かそうとか、なんかを乞うてるとか、そういうことをしてるわけではない。
何よりもう、仮に今から全速力でどのような若者向け政策を打ったって、今の20~30代世代には手遅れだ。
ライフステージにせよキャリアにせよ、取り返しが付かないことだらけだ。
もっと究極的な話をすると、
バブル世代以上中高年が下の世代に何かしてくださるつもりがあるなら、
団塊ジュニアのピークが繁殖期過ぎるまでには彼らの雇用をどうにかしとくべきだった。
あそこを無策に過ぎた時点で日本の人口ピラミッドが回復するチャンスは無くなった。
別にこの山口浩という人がそういう状況わかってたら当時何か出来てたとも思わないが、
ただ何もしてこなかったし何も出来ない人間が吠えんなよということ。
もし「いや違う、俺はやろうとすれば何かが出来る」ということなら、
今の若者世代よりざっと20年長く世に出ていながら何も出来ず今日の状況を招いて
あげく下の世代に恨み節をいうとは烏滸の沙汰だろうバブル世代。
無力を認めたほうが立場はマシ。
要するに、今後はもう全員覚悟するべき。
十年以内に死ぬ予定の人間以外は。
40代は敵に回る?
あんた達にはたいした嫌がらせなんか出来ないし、
なによりあんた達も確実に、絶対に、助からない。子供が居るなら子供もだ。
沈む船の中でまーだ「誰を脅せばいい目見られるかな」「誰を殴れば助かるのかな」
なんてことを考えてる暢気さはさすがのバブル世代の貫禄がある。
繰り返しになるが
「暴論」という体はこの山口浩さんがまるで状況をわかってないことについての言い訳にはならない。
この世代のオッサン達がするべきことは下の世代に喚き散らすことではなく
普天間基地問題正念場~固定化の危険性も~
12年は、日米間の懸案である沖縄・宜野湾市の普天間基地の移設問題が正念場を迎える。沖縄・名護市辺野古への移設が頓挫した場合、普天間基地が使われ続ける「固定化」となる可能性が高まっている。
普天間基地移設問題について、政府は日米合意に基づき、辺野古沖への移設を目指す方針を貫いている。11年12月には、辺野古埋め立ての前提となる環境影響評価書を沖縄県に提出した。沖縄県側は受理はしたものの、対米公約となっていた「年内提出」の強行に反発しており、沖縄・仲井真県知事も県外・国外移設を求める姿勢を崩していない。政府は一括交付金など沖縄振興策で理解を得たい考えだが、説得への「切り札」は見当たらない。
一方、アメリカでは、議会が沖縄駐留海兵隊のグアムへの移転経費を予算から全額削除した。在日米軍再編計画でグアム移転は普天間基地移設とパッケージになっており、辺野古への移設に進展が見られないことが削除の理由とされている。
今後、アメリカ議会を説得するには、次の予算が審議される7月頃までに、辺野古移設に向けた「具体的進展」が不可欠な情勢。そこで日本政府が「具体的進展」として想定しているのが、仲井真知事に対する辺野古沖の埋め立て申請だ。しかし、仲井真知事は6月に沖縄県議会議員選挙を控え、埋め立て申請に対して許可を出す見込みはない。
沖縄の反対を押し切って埋め立て申請をするのか、政治的判断が求められる形で普天間問題は大きな山場を迎えることになる。
政府は、仲井真知事が埋め立て許可を出さなかった場合でも、「特別措置法などを作り、工事を強行する考えはない」としている。この場合、辺野古移設は「断念」ということになるが、普天間基地も返還されず、今のまま使われ続ける「固定化」となる可能性が高まる。
さらに、辺野古移設の断念は在日米軍再編全体に影響を及ぼし、辺野古移設とワンセットになっている米海兵隊のグアム移転や嘉手納基地以南の米軍施設返還も見送られる見通し。
普天間基地には12年秋に、事故が相次ぐ新型機「オスプレイ」が配備される予定で、「危険性」が増大するおそれすら出ている。そもそも、市街地にある基地の危険性除去を目的として始まった普天間基地の移設。沖縄にとっても政府にとっても最悪のシナリオとなる「固定化」を避けるためにも、政治のリーダーシップが求められている。
wikipediaからの引用お疲れ様。しかしそれは、「ある国が民主主義を僭称する独裁体制であるか否か」を調べる基準と書いてあるとおりで、「民主主義のルール」と決めつけるのはいかがかと思う。従って、それを、ある人物の言動を「民主的であるか否か」をチェックする基準に用いるのは適切とは思えない。そもそも日本の「官吏」は選挙によって選ばれないしねえ。
どうせwikipediaを引用するなら、シンプルに一番上の定義
を引用してくるべき。その上で、「構成員の合意」を必要ないと考えている人間が「民主主義のルールを守っている」と言えるのか?とお伺いしたい。
別に「独裁」を連呼はしてないけど、橋下も、その支持者も嫌いなので一言。前出の動画を見て簡単に要点をまとめるけど、
まあ、おおむねそういうことを言ってる。ここまではOK?
でも、この上段と下段は矛盾してる。そこが理解できているのだろうか。これをなぜ矛盾というか、順に説明したい。(これが矛盾だと理解できる方は、一気に下の「矛盾について」までジャンプしていただいて構わない。)
まず、橋下や多くの橋下支持者の言う「民主主義」とは何か。本当に理解しているのか? たとえばそういう人に、民主主義って何?って聞いてみると、それは多数決のことだとか言う。馬鹿!としかいいようがない。少しはググれ。多数決というのは、民主主義の本体ではなく、言ってみれば糞のようなものだ。生きていれば必ず出る。それが糞。だが、それはものの本質ではない。やむを得ず出す余剰や排泄物を本質だと言ってみるのは、スカトロプレイに人間の真実がある、というSM愛好家の口吻と同じ程度の説得力しかない。要するに一種の自己弁護と詐欺である。
政治とは意思決定だ。その意思決定の主体を、どこにおくか。大昔は神に預託された巫女が、あるいは神権をもった王がもった。しかし、徐々に一人の意見の過誤を防ぐ意味から、多くの頭脳による方法が用いられるようになり、君主制(一定の中からトップを選ぶ)、寡頭制(複数で決める)、貴族制(階級全体で決める)、あるいはそれらを組み合わせることで意思決定がなされるようになった。古代に一度行われていた民主主義は、近代に入り、社会や経済の成熟と歩を並べ、自由主義・資本主義社会の進展とともに、「みんなの意見を合わせると、おおむね正しい結果になる」という知見の下、選挙による間接民主制という形で、多くの国で採用されることとなった。(余談だが、間接民主制をとる場合、大前提として、投票する大衆は、現下に起きている事態について、必要かつ十分な知識をもつ必要がある。そこで、間接民主制をとる集団では情報を適切に配分する方法が必要となる。多くの近代国家では、そのために民主制とセットで、権力から自由なメディアを発達させてきた。自由なメディアの無い国に、民主制は成立しない。)
で、「みんなの意見」をまとめるために、民主主義はどのような方法を取るか。それは「話し合い」である(というより、それ『しか』方法はない)。集団での意思決定であるから、理でもって他者と交渉し、協調の精神で話し合いをすすめながら、最終的に合意を得て決定する。その際、たとえ少数であっても、その少数意見を尊重すること無しには、集団で合意の形成などできない。特に、間接民主制の下では、たとえ一人の意見であっても、その一人の背後には膨大な人間が存在しているため、軽視することは許されない。少数意見を採らない場合、反対を主張する多数派には「採らない理由を合理的に説明する」義務があるのは当然だ。
ただ、もちろん政治は現実のものであり、現実の人間は不完全なので思想・信条や見解の相違がある。時代の要求する文化によっても、物の価値は変動する。その変化の前後で人の価値観は異なるだろうし、そうなると、どれだけ理を尽くしても最終的に対立が解消しない、という事態は起こり得る。だがそれでも、もちろん政治は決断をくださなければならない。だから、理を尽くして越えられない壁がはっきりしたときには、それを越えるため万やむを得ない解決手段として、『多数決』が用いられることになっているのである。
本来、とにかくひたすら話し合うのが民主主義である。だから、決定を多数決に持ち込むような事態は、民主主義が敗北するときと言ってもよい。だが、民主主義が敗北しても我々は民主制を放棄するわけにはいかない(それよりマシな方法が存在すると知られていない)から、その場合に意思決定を行う最終手段として『多数決』は許容されているに過ぎない。多数決とは民主主義の糞だというのは、つまりそういう意味だ。現代日本の民主制は、理と協調の精神による話し合いを通して多くの素晴らしい意思決定を行っているが(与野党がケンカばかりしていると思っているお子様は、日本の色々な法律がどのように成立しているかちゃんと確認すべき)、不完全な決定のいくらかを多数決という糞としてひり出してもいる。それだけを見て、多数決は素晴らしいなあ、とか思ってる人間は、スカトロジスト(糞尿愛好家)と呼ばれても仕方ない。そう呼ばれることに誇りを覚えていて、一緒にするなと怒る人もいるかもしれないな。すまん。
さて、以上を踏まえ、比喩として、もう一度言う。多数決は糞だ。少数意見を最終的に「採らない・採れない」ことはもちろんある。それでも、一定の合意を得るための様々な譲歩や協調のための配慮は必要なのであって、それは民主主義のコストなのではなく、民主主義による意思決定を可能な限り正しいものにするために絶対必要な手続きだ。だから、多数決をタテにして少数意見を圧殺する人間は、そもそも民主主義者ではない。数の暴力を振りかざして権力を握る人間は、端的に言って独裁者である。
最初に【矛盾】と言ったのは、「少数意見を尊重する」ことこそが民主主義のルールそのものであり、少数意見を尊重しないのは単なる独裁(あるいは数の暴力)であるにも関わらず、「民主主義のルールを守る」と言ったその口で彼が「少数意見を尊重しない」と述べているからだ。少数意見を尊重しないなら、それは民主主義ではない。彼は法律家であり政治家であるのだから、そんな初歩の初歩をしらないわけがない。
あるいは、彼は「ここで民主主義のルールとは選挙のことを言ってるのだ」と言い逃れるかもしれない。だが、「選挙」とはあくまで「間接民主制」を成立させる手続きの一つに過ぎず、民主主義における意思決定システムの本質とは無関係であることもまた、言うまでもないくらい当たり前のことだ(首長が選挙で通ったからといって、その主張が議会の全体合意もなく自動的に「承認」されるような詐術が成り立つなら、最初から議会は必要ない)…これもまた、政治の初歩の初歩であり、法律家であり政治家である彼が絶対に知らないはずはない前提だ。ではなぜ、彼は平気でこういうことを言うのか?
それは、選挙民のほとんどが「民主主義とは多数決のこと」であり「多数決=選挙のこと」である、と二重に勘違いしていることを知っていてそれを都合良く利用するためだ、としか解釈できない。その二つの勘違いを利用することで、「選挙に通ってしまえば独裁してもよい」という思い込みを形成し、支持者がそれを支持する「空気」を作りだして、反対する良識派(というか当然起こる反対)を封じ込め、本来通るはずのない法案を作成し議会を通過させようとしている…それが、目下彼がせっせとやっていることではないか。そして、そういうところがヒトラーの手口と酷似していると指摘されているところであり、彼に警察権や軍事力、立法権があるかないか、ということが問題なのではない。まあ、個人的には彼は、ヒトラーの尻尾というより劣化矮小版のコイズミジュンイチローだと思っているけれど。
以上を踏まえて、彼の言っていることはシンプルに嘘だと私は考えている。嘘から発生する利益を享受する人間をなんというか。その呼称は各自に判断に任せるが、いずれにせよ、民主主義の破壊者が、口先だけ民主主義を唱えながら権力の位置にあるという現状を、どのように見るか、これは呼称なんかよりも重大な問題だと考えている。
これは、彼個人が善意の人であるか悪意の人であるかという問題ではない。民主主義のシステムそれ自体にそもそも脆弱性があって、その脆弱性がまさに攻撃されており、ウィルスチェッカー(メディア)も、そのウィルスがまさに自己の中から(メディアが創りあげたスターとして)誕生したために有効に機能していない、という状況をどう見るかという問題である。
以上、簡明に反論してみたつもりだが、随分長くなった。反論があれば伺う。
この話、まだ続くのかー。
参考書も読んで、指導要領も読んで、現役の教師に話を聞いたりもしたけど、
・かけ算には順序がある
・1あたりの数」×いくつ分
・かけられる数とかける数
もちろん、初めてかけ算を覚える生徒に対して、
・1あたりの数」×いくつ分
・かけられる数とかける数
という教え方が想定している「モデル」を使って説明することが有益である場合も多いよ。
でも、モデルは一つじゃないよね。
「沢山あるモデル」が結局は「かけ算で表記でき、順序は関係無い式まで抽象化できる」ところに気づく。
これがこの段階では一番重要な事柄でしょう。(その他はそれこそ「厳密にいうと・・・」の数学の世界に任せると良いよね)
そのはずが、何故かある特定のモデルのみが「算数という学問の唯一の真理」と勘違いする人が出てくる。
これは端的に言って間違いだよ。
「想定された順序でないと×にする」
「1あたりの数×いくつ分、かけられる数とかける数のような特定のモデル以外で思考するのを禁ずる」
ことが有益であることなんてほとんど無いと思うんだけど、どうだろう。
気が利かないと責めるけど安心がないと他人に気を遣う余裕が無いので難しい。
自分が相手に対して余計なプレッシャーをかけてないか、安心を保証できてないのではないか、と確認するようにしたい。
というか、ある意味ではとても気を遣っている。
基本的に、過干渉が最初にあって、それに対する過剰防衛という問題であって
「だれそれが気が利くきかない」の問題ではなく、「気を通わすことが難しい関係性である」として問題を捉えるべき。
自分が上の立場だとこのことをすぐに忘れて、目下の者だけを責めるようになってしまうので注意するに越したことはない。
あと相手の志向のようなものが怒ることメイン(減点方式というかなんというか)だと、
喜ばせるための行動も自ずと自重される。
自然と気を遣って貰える人は、その気遣いによく気づき感謝する人だったりするので、見習いたい。
というか、気遣いというのを「こちらの要求が、言わなくても叶えられて然るべし」というような発想は
単なるコミュニケーションの怠惰であり、傲慢である。礼儀知らずであり、相手の意思を無視している。
目上になると、すぐにこうやって目下に対して礼儀知らずになってしまって、相手を不安に陥れ、
本当は気遣いのよく出来る良い人であっても、できなくしてしまうキケンが大きい。気を付けたい。
基本的に、人が人を嫌うのは、相手が自分というものを侵害したり、抑圧したりするからであって、防衛意識によると思う。
生理的に嫌いってのも、相手が自分の許可したラインを越えて侵入してくるということだろう。
嫌悪を乗り越えるために、自分はどれだけ頭を使って工夫できるかが大事。
こういう、完全な他人の間では誰もが理解していることなのに、
「親子」とか「恋人」とか「上司部下」といった関係になるととたんに甘えてしまうことが多い。
私はこういう関係が全く理解出来ない。
私にとってはどれも他人であり、他人である以上一定の線以上はどうしても相手を立ち入らせることが出来なかった。
で、相手はそこのラインを平気で侵害するので、しょっちゅう喧嘩になってうまく行った試しがない。
相手からしたら、私が自分のラインを押し付けたように見えただろうな。私のほうが加害者だったんだろうと思う。
親子関係にも恋人関係にも恵まれなかったと言い訳したいけれど多分、自分がそれらのメリットを全く受け取れないほど、人格的にどこか欠陥があるのかもしれない。
鬼灯さんちのアネキというマンガに出てくるワカメ髪の女の子を読んでそんなことを思った。
私はこの子にやたらと共感してしまう。私の友達はこの子のような人が多い。
お互いが合意のもとで許可したライン以上は絶対に越えないという関係。そういうのがとても落ち着く。
友達というか、関係のある他人。 必要なときだけ、壁越しにお互いの持ち物を投げ合う関係。
でも、ああいう子がどうやって、どういう時にラインを越えていくのか、そういうのを描いて欲しい。
文学少女シリーズの竹田さんしかりであるが、トラウマとかなんだとかわかりやすい傷を抱えている人よりも、
生まれて最初から、絶対的に変わらないラインがある人って、そもそも他人と深い関係を結ぶべきじゃないと思う。
そういう人が、落ち着いて存在できる。物語にはならないけれど、隅っこでただそこにある。そういう存在として生きたい。
ごちゃごちゃ理屈をこねたけど、結局、自分はこういう人間だから、こうしたいって言ってるだけだな。格好悪いな
他の人は自衛のために仲間づくりとか頑張ってるのに、それをサボってぼおっとしていたいって言ってるようなもんだ。
これだと相手に踏みにじらても文句は言えないと思う。
だから、自分なりに自衛の努力はしつつ、いざ踏まれても文句は言わないようにするしかない。
でもこれって、なんか政治とか軍事面から見た日本って感じだな。
誰かに頼って運良く生きているけど自覚しないで俺は一人でいたいんだーほうっておいてくれー、てな。
格好悪いうえにわがままカー救いようがないなー。
レイプとセックスの違いについて、調査協力者は一様に線引きに苦しんでいた。
しかし実は話は極めて単純で、答えはスタート地点にあったのだ。はじめにレイプを「女性の望まない性的行為」と定義した以上、「男性にはセックスとレイプを区別することはできない」という結論しか導き出されない。
「そんなことになったら、訴えられたら全部レイプになるのか?」という反論があるだろうが、その通りである。
ある性的行為がレイプかそうでないかを決めるのは、その行為に参加していた女性の意志だからである。
我々男性は「こういうやり方をすれば、相手がこう言えば、こういう反応をすればセックスだ」という基準をどうにかして見つけようとしてきたが、それらはすべて類推にすぎず本心とは限らない。
だとするならレイプを減らす方策は、男性は全て潜在的にレイピストになる可能性を持っていると考える他にない。 序章でセックスとレイプの違いは女性が望むか望まないかであると定義したが、そう定義しなければならない理由はここにある。
性交に際して女性の合意があったかどうかが問題になるのは、自分の行った性行為がレイプでないことを確認したい男性の側の事情にすぎない。
それはレイプ被害者のための判断基準ではなく、100%レイプ加害者のための判断基準である。
そして合意さえあればセックスであるという基準があるからこそ、「セックスさせなければ山中に置き去りにするぞ」などと言って無理やり合意を取り付けるという卑劣なレイプが生まれたり、最終的な合意さえ得られればいいのだから「レイプでも満足させてやればいい」という新たな神話が作られることになるのだ。 もうひとつ補足するならば、「訴えられたら全部レイプになるのか?」という発言は「女性が気分次第で男性をレイピストとして告発することができる」という不安から生じている。
しかしレイプの虚偽告発率は2%にすぎず、「その他の暴力犯罪における虚偽告発率とぴったり一致する」(Brownmiller1975=2000:314)というデータもある。
そもそもそれ以前に、そんな風に訴えられた人が我々の周囲にいただろうか?ここで考えたいのは、我々の周囲にレイプ被害者が見当たらないことが強姦神話の保持されている理由のひとつになっているだろうということだ(Lさんが強姦神話を持っていないことは、レイプされた知人の話を聞く機会があったことと無関係とは思えない)。
そこには、自身の周囲にレイプ被害者が見当たらないことをもって「レイプはない」と判断する人が、同時にレイプ虚偽告発者が見当たらないのにもかかわらず「訴えられたらレイプだな」と怯えるという矛盾した心理構造が見える。そのような反論が生じる理由は、訴えられる事そのものを警戒しているというよりもっと深い部分で、性行為に関する意志決定権・主導権を女性に明け渡したくない、明け渡したら何をされるかわからないという男性の不安がそのように発言させていると考えることができる。
ましてここで問題にしているのは「レイプの定義」であって、「レイプが実際にあったかどうか」や「それをどう処罰するか」ではないのだから、そのような反論は論点を見誤っていると言わざるを得ない。
「(犯罪を)犯す」というつもりで言ったのではないかという人もいたけど、そうではないらしいので(沖縄に対する罪悪感があったとも思えないし) (※あとで触れる内容にもかぶるけど誤解のないように補記:つまり、この感性は、男女関係における「犯す」を「本当に悪いこと」と認識していない感覚がある。デートレイプとか夫婦間の合意なき性交渉とか、そんなの)。
オフレコの懇親での発言とかいう話だが、記者は全員男性だったのだろうかというのが気になる。男性集団というものが男性に与える安心感がうっかり言わせたのかなあとか(こういう放言は、男性集団のウチの世界では、何気ない軽口として出てくるような印象がなくもない)。
あと、もうひとつ引っかかるのは、(もちろん当然といえば当然なのだが)誰もかれもこの人を批判しているということ。
つまり、この人とそう大差ない世界観を持ち、そういう発言が閉じられた「ウチ」の世界でなされたときには一緒に手を叩いて笑いそうな人が、「今回の発言を叩くことが自らの利益になる」と見て怒ったポーズを取っているんじゃないかとか、そんなことを邪推する。
話しもとに戻すと
「ドボン」がいつくるかは分からないわけで、それが30年後だったら、30年後までに定年になりそうな世代はぶら下がっといた方が明らかに得。
ということだから
それはその通りでみんなそれは分かってて各所で累計1億回くらいは指摘されてるんだけど、誰もまともな解決策を打ち出せてないというのが現状。
話の始まりに戻って
誰もまともな解決策を打ち出そうとなんてしていない。
ということでFAでよい?
解決策を打ち出そうとしているけど、出せない。って話からは始まって え?そうなの、そうだったの?という所に発起してるけど
誰もまともな解決策を打ち出そうとなんてしていない。 このままゆるゆると、平凡に凋落していく覚悟がある。ってことなら、
わりと そう思うって事で 合意を得られると思う。
で、まぁ没落のスピードもひかくてきやわらかだし、リスク取るよりソッチの方が特そうだし、まぁ、いんじゃないかとはおもうと。
残念かといわれれば、残念ではあるが、まぁ、仕方ないという範囲。
トラバの反応がつまらん。もう少しわかりやすく書くべきだったか。反省。
肝心の問題についての議論はどうしたよ。「子供がうるさい問題」だよ。
このまとめだけだと「大人が子供に暴言はいて許されるか」問題じゃないか。そんな結論分かってる部分はどうでもいいんだよ。
未だにこの問題で万人に共有されている常識があるなら、問題なんてそもそもおこってないだろ?
うるさいと感じた時、どう対応すべきか、それについて受け手側はどう受けるか。
どうやれば一番衝突時のショックを減らせるかというクッションの構築とか
どうすればスムーズに話がススメられるかっていうプロトコルの設定が礼儀であり常識の役割だろ?
全然できてねーじゃん。この状態で「常識」を語るのって、そりゃお前の意見の押し付けに過ぎねーだろうが。
というかさ、何これ。
gnt カスが。お前の心の平安と、子供が歌う自由を天秤にかけるつもりかよ。
誰であろうとも「子供が歌う自由」を制限していいはずがない。公共? 迷惑? クソ食らえ
子供に寛容を通り越して子供様憐れみの例状態になってる奴とか見ると何考えてんのか分からん。
子供は犬か。なん歳児を想定してるんだよ。そして、そもそも抗議の自由しか無いとか何考えてんの?
禁煙ファシストに飽きて、今度は子供様ファシズムに傾倒中なの?ナチなの?死ぬの?
どうせこういう子供の味方みたいなコメ書く奴に限って、しつけやら教育の行き届いてない厨房にはマジギレするんだろうがよ。
まず子供でも何でもバスで歌うのはありなのか? 無しだと思わないか?
で、基本的にはだめだけれど、子供だから許してやれよって話になるなら、線引きが必要だろ?
「子供」なんて曖昧な言葉でいうなら、そりゃ成人するまでこどもだぜ?親にとっては、そいつは一生子供なんだぜ?
「子供だからゆるしてやれ」っていう曖昧な理屈付けは百害あって一利なしなんだよ。
基本的に教育はその親がやらないといけない。
その親は教育の指針として、ある程度社会で合意がとれた条件を参照する必要がある。
んだから、そこで他人ごとだからといって「子供だから許してやれ」みたいな曖昧な話をしてるのは馬鹿げているにも程がある。
そういう無責任な発言を大人がしていると、参照するべきものがない親はそれぞれにマイルールを適用してしまう。
よそに対しては大人だろうが子供だろうが容赦なく厳しいくせに、自分の子には甘甘みたいな間違った親が今の時点でも沸きまくってるだろう?
いい大人が自分に責任がないと思って、「子供」というものを曖昧に捉えて、無責任になんでもありの状態を作っちゃダメだろ?
それはまず親にとっては途方に暮れる様なことだし、最終的には子供にとっても良くないよ。
基本的に好きに読めばいいと思う。誤読誤解はご自由にしていただいたらいいんですけどさ。
でも内容が理解出来ないなら黙ってろ。分かったフリすんなボケ。
特に、私が「友達そのものを否定している」と誤読して憐れむフリをする失礼な人は死ねばいいと思った。
具体的に言うと@ei1963と@batachinね。
私があえて批判しているものがあれば、きみらみたいにそうやってナチュラルに上の立場にたってモノを言おうとする態度のことだよ。
「ともだち関係」を維持・強化するために、その外側にいる人間にはどこまでも残酷になれてしまう想像力の欠如というかオバタリアンみたいな思考停止が気に入らないんだよ。
よそさまのことにはどこまでも無関心、無責任。そういう言葉が相手に伝わったらどういう気持ちになるかも考えない。ああイヤダイヤだ嫌すぎる。
すぐに仲間内で同意とか合意することを目的にしてしまって、そのために、外側を理解することの手間を省いてしまう。
「同意」が前提のコミュニケーション以外は効率の問題から切り捨ててんだよな。
どれだけ自分の快感を効率よく増やすかって考えたときに、言いたいことだけ言って、言われたくないことは聞かない。そりゃあ理想の世界なんだろうよ。
でもさ、その自分のちっぽけで幸せな世界を守りたいなら、せめて他人に対してもうちょっと気を使えよ。
自分がやられていやなことを他人に対してやったら、回りまわって自分に返ってくるってことくらい小学生じゃないんだから分かれよ。
もしその事を考えてないんなら、そりゃ意識してるかどうかはともかく、階層によるだんぜつがあることを前提にしてんだよ。
上の人間がどれだけ下の人間に対して好き勝手しても、下の人間は決してやり返してこないってな。
差別意識ってのはそういうところから出てくるって話をしてんだよ。
お前は俺を気軽に哀れんでみせたわけだけれど、どうせ俺は関係ない、こいつとの縁は自分が一方的に哀れんで終わりって安心してたわけだろ?
そうはいかないよ。私はあなたのことを許さないよ。復讐なんてしません。ストーカーもしません。ただ、一生許さない。一生恨みつづけてやるよ。
もし君がなにか落ち度をしたら、全力で喜んで、全力で貶めてやる。ただそれだけ。そうならないように、せいぜい清いままで生き続けてくださいな。
私がキミラに目をつけたのはたまたまで、イッチャなんだけどキミラは運が悪かったわけだけれど、
どうせお前ら、今まで運が悪かったりなんだかんだで報われない人を、上から哀れんで済ましてきたんだろ?
自分は清く正しく生きているから、不運は襲ってこないって思って生きてるわけだろ。そういうリスクを考えもしなかっただろ?
でも、私はキミタチみたいな無神経さが何よりも嫌いで、許しがたい邪悪だと思ってるんだ。