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はてなキーワード: 小学校とは

2016-09-27

いまだにルールがわからないローカルっぽいボール遊び

ドッキュー



転校した先の山奥の小学校で、4人で陣地の境界線がわかるように十字線を地面に引いて、

ボールを自陣でワンバウンドさせてから他人の陣地に送り込む「ドッキュー」という初めて見る遊びをみんなでやっていた。

何らかのルールに沿ってボールを投げあって、負けた人は周りの順番待ちの子供と交代していくシステム

他に遊びがなかったのか、子供は一緒に遊ぶものだと教育されていたのかわからないけど、

基本的に常に教室に残る一部の女子以外は、学年全員(20人ぐらい)が毎日毎日この遊びをしていた。



他人ボールを送る時は一旦自陣でバウンドさせないといけないという他に、

ボールを送り込まれた側がキャッチしたらだめとか、自分が触る前に自陣で何バウンドしたらだめだとか、なんかそんな感じだった気がする。

最初ルールを聞いたけど、周りでは「みんないつの間にか知ってる」「知らないヤツに会ったことない」系の遊びだったようで、

明確に説明はできないけどプレイを見れば「今のはアウト」ってなんとなくわかるから成立していたようだ。

そんな感じだったので、改めてルールを聞いても誰もちゃんとルール説明ができなくて、結局今もルールがよくわかってない。

でも上級生も上級生同士でよくやってたので、その地域ではメジャーな遊びだったっぽい。



ただ、クラスの中心にいた運動の得意な男子とかはボールを割と保持してから

相手に直接ぶつけるフリをして勢いよく地面にボールを叩きつけてビビらせたりするのが許されてたけど、

今でいう陰キャ系の子ボールちょっと手に納めると即周囲から「「「はいアウトー!」」」と声がかかるような感じだった。

実は明確なルールに沿った遊びというより、ボールをお互いに投げ合うだけのキャッチボールの亜種で、

勝ち負けとかあんまり関係なかったけど、順番を回すために適当に中心人物に都合のいいルールを付け足していった遊びだったのかもしれない。



ルールイマイチよくわからないし、順番待ち長いし、ほぼ一方的ボールを投げつけられるのも楽しくなかったので、

私はすぐに外には出るけどドッキューに呼ばれても「えードッキュー?イヤやわー」と言ってドッキューには参加しなくなった。

代わりに一人で全然使われてない遊具を存分に使って、SASUKEごっこしたり、登り棒を足を上にして登ってみたり、

ブランコねじったり、砂場に水堀を作ったり、ジャングルジムで人喰いクモごっこしたり、フェンスに張り付いてヤモリごっこをしたり、

草花クッキングしてみたり、カマキリ決闘を挑んだり、小石を集めて塔を作っては壊す賽の河原ごっこをしたり、

ヘビになりきったり、校庭の端から端まで前転で移動して後転で戻ったりして一人で好き勝手に楽しく過ごしていた。

それを見ていた影響かはわからないけど、なんとなく「いやならドッキューやらなくてもいいんだ……」という感じでドッキューに参加しなくなる子が増えて、

それぞれに仲のいい子と数人で鬼ごっこかくれんぼケイドロサッカーで遊ぶようになっていき、

私が転校してから数ヶ月で同学年でドッキューが遊ばれる機会が激減して、ドッキューはみるみる廃れてしまった。



というわけでいまだに私の中で割と謎なドッキュー、もしくは類似するボール遊びを知ってる人がいたら、どんなルールだったのか教えて欲しい。

知恵遅れでやれクソ雑魚オミクジ

小学校道徳番組ブタ動物人形劇だった)が「梅干しの種を割って中身を食うとおいしい」って言ってた記憶があるんだけど本当なの?

ドッヂボール個人戦みたいな子供の遊び

何て名前だった? 当てられたらゴーストみたいになって、当てたやつが、また他の誰かに当てられたら自分は復活できる遊び。

小学生の時の休み時間にやっていたあれだ。



俺の地域は「てんか」だった。近くの小学校は「かたき」だった。北海道ね。

多分、じゃんけんでチーム決めするときの掛け声並みに、遊びの呼び名と細かいルールが違うような気がする。

2016-09-25

小学校低学年の頃のあのエネルギーってなんだったんだろう

身体の中から無尽蔵にわいてくる、疲れをしらないあの謎の力。

思春期よりもっと前の、生物としての瑞々しさにあふれたあの頃の力。

割と子供の頃のことを覚えてるから、今でも鮮明に思い出せるんだが、あれこそ生命エネルギーだったと思う。

あの頃のことを思うと、人間はやはり長生きしすぎなのではないだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20160925142920

そこはいいよ。しゃべってもいい。他者の喋りを止めるような発言はするなとだけ言ってるだけだもん。その代表格がトラバトップ議論停止語だ

話がコロコロ変わりすぎてキチガイを疑うレベル

その対象は裁く権利があると思い込んでるおまえが決めるわけだな。そして

議論を深めるには状況を限定したり話題を区切ったりして論点を整理しなきゃいけないのに「私は弱者だ」って言ったらそこで話が止まるんだよ

と述べているので結局は開陳禁止しているという事実には変わりない。

から黙れとは言ってない。喋っていいぞ。中身のあることをいっぱい喋れ

議論の中身を忘れたのか、鳥頭か。なにについて黙るべきか否かという話をしているのかすら覚えていないらしい。

差別関係する話題で指摘やら検証が入って不快だと思った場合、やるべきことは議論停止語で話題を阻害するんじゃなくてその場から立ち去ることなんだ

うんそうだね人工透析患者ハセガワにキレて怒りを表明する権利はなく黙って傷ついた心を一人で抱え込んでその場から立ち去れ、その後自殺しようが俺の知ったことではないというのがおまえのスタンスだもんね

多分お前に問題あるとすると議論は何かの勝ち負けだと思ってる点だわ。「マジョリティ様が勝つよね」これ。目的勝負じゃないんだよ。そこから何かの知見を得ることだ。

あー言葉に影響力というものを加味しない小学校4年生くらいの脳ミソをお持ちなんですね~

マジョリティ意見が正しい知見であるかのように広まって沈黙を強いた被差別者をみんなでぶっ殺すことを被差別者のいない場所で決めるというのがお前さんのスタンスだもんね~

http://anond.hatelabo.jp/20160925143152

からさ、小学校制服支給すべきなんだよ

もしくは、中学高校も、幅広い制服から好きなものをチョイスできるようにする。

ユニクロが噛めば値段も半額以下に下がり、ブラック企業批判もついにはなくなるだろう。

経済格差可視化されるから制服反対する人に聞きたいこと

ほとんどが私服になってる小学校制服にしようとか思わないのか?(小中の校区は同じ場合いか小学校貧乏ってばれてたら中学から制服にしても無意味

休日私服で出かけるのは放置してもいいのか?(たいてい生活圏同じなんだから学校以外であったらばれるだろ)

授業参観等の親の服装でも可視化されるけどそれはいいの?(子供だけ同じにしても無意味

住んでる家も経済格差あるけど家は共通化しないのか?(服装以外で経済格差可視化されてるだろ)

黒い肌の人は差別されるから白塗りしようという発想は問題だと思わないの?(安い服を着てるからといっていじめるなと教えるのが本来あるべき姿)

社会格差があるのにそこを放置して見えなくするのって妥当解決策なのか?(社会問題報道規制すれば社会が良くなるといってるようなもの

住所公開?小学生YouTuber「瞬殺のコルバルト」の特定劇は釣り可能性大→本当に特定された模様

9/26修正:本当に特定された経緯を追加。

9/27修正学校特定経緯を一部加筆。本名および番地単位の住所に関してはまだ疑わしい要素が残るため保留。

そもそも動画中で住所は公開していない

彼が一躍有名となった動画今日特別に住所を公開するよ!」だが、

動画内で語られた学校名「あさら(?)学校」、住所「千葉県さら町23118」は日本中どこにも存在しない。

これは「あさら町」で検索すれば一目瞭然なはず。

出回っているもう一つの住所も信憑性疑問符

もう一つ出回っている彼の本来の住所とされる「千葉県船橋市○○○○△-△△-△」だが、

これは船橋市立のとある小学校所在地に過ぎない。

この住所らしきものが書き込まれた経緯を大雑把に言えば「バレバレな偽住所を公開してキレた一視聴者が本当の住所を特定した」となるのだが、

どうもこの特定に至った根拠曖昧憶測に基づくもので、非常に疑わしい。

以下、動画コメント欄より特定経緯引用(URLから見れば容易に分かることだが、念のため個人情報は伏せる)(*1)

ユーザーA 2 週間前

何でガキが釣り動画あげてんの?

終いには本当に特定されるからな

ユーザーB 2 週間前

あさだ学校って調べてみたけど出てきませんでしたよ

あさ「ひ」学校なら千葉県柏市旭町6丁目にありましたけど

ユーザーC 2 週間前

ナイス そこから小学校の登校範囲が絞り出せるな

ユーザーC 2 週間前

速報

□□□-□□□千葉県船橋市○○○○△-△△-△

電話:×××-×××-××××

本当かすら知れない「あさら町」の情報を基に登校範囲推定しているロジックは分からなくもないが、

柏市旭町6丁目から件の船橋市所在地への道のりはなんと"25km"であり、到底登校範囲とは言えない。何故ここに至ったかは謎である

別の公開情報から特定した線も考えられるものの、

ユーザーCは「住所特定されました助けてください」のコメント欄にて「説明欄に書かれた住所を調べただけ」と明言している。(*2)

ユーザーC 2 週間前

コイツ場合自分から住所言い出したからいつもの10倍速く特定出来たwww

住所教える回の説明欄に普通にコイツが書いた住所を調べただけだぜ★

それにしてもコルバルト頭悪すぎィィィwwwww

「瞬殺のコルバルト本人が『そのコメント消してくださいお願いします』」と発言しているため、この住所は本物」という見解もある。

実際に彼はそのようなコメントを残しているので、その説の可能性は否定できない。(*3)

ユーザーC 2 週間前

みんな!船橋市立○○○○小学校だぞコイツw

瞬殺のコルバルト kolubaluto 2 週間前

そのコメント消してくださいお願いします

一方で、「住所特定されたのでいま実家にきています、軽く雑談します」動画内では、他動画とは違って妙に大人びた様子が見える。

さらに、ある程度ニコニコ動画YouTube文化を把握しており、インターネット精通しているような様子も見られる。

(「意図的キチガイキャラを演じていた」「(有名YouTuber)はオワコン発言など)

動画リンクhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm29700855ニコニコ動画転載されたもの

ある程度の理性を備えている辺りから「偽住所にわざと反応して特定された風を装う」という発想は十分に考えられ、依然として疑わしい要素は残る。

そもそも何故偽住所アピール視聴者がキレたのか

これは「瞬殺のコルバルト」がバズるから一定アンチ層が存在した事に依る。

彼は以前「TVチャンネル」の名で活動していたのだが、その際に無差別他人動画へ「僕の動画見てください」コメントを書き残す宣伝行為を行っていた。

それが一部ユーザー逆鱗に触れ、被ウォッチ対象となったようである

(ちなみに一部ユーザーは単なる小中学生YouTube利用者集団であり、炎上に定評がある某弁護士界隈等とは一切関係がない。)

以下TVチャンネル時代の他動画へのコメント引用

TV チャンネル 3 週間前

僕の動画見てところてん

TV チャンネル 3 週間前

@ユーザーD 僕の動画見てください

ユーザーE 3 週間前

@TV チャンネル 売名厨乙

瞬殺のコルバルト kolubaluto3 週間前

@ユーザーE アカウントBAN されました助けてください

ユーザーF 2 週間前

@TV チャンネル アカバンざまぁー皆が思ってる。tvチャンネルがバンされてラッキーなど思ったひと挙手

まとめ(9/25時点)

  1. 今日特別に住所を公開するよ!」は確実にフェイ
  2. 出回っている住所も信憑性が極めて低く、わざと反応して釣った可能性大
  3. 「瞬殺のコルバルト」は多分そこまでバカじゃない

地獄みたいなYouTubeコメント欄を「もっと見る」を押しまくって投稿直後まで遡るの、本当にしんどいのでもう少し改善してください……。

本当に特定される(9/26追記)

「瞬殺のコルバルト」は釣りであると以前結論付けた。しかしながら僅か1日で事態は急変した模様。

彼の住所について、少なくとも通っている小学校信憑性の高い特定が行われてしまった。特定に至った経緯を以下に示す。

  1. チャンネルにて投稿していた動画(削除済)に映りこんだスーパーマーケット内装
  2. 雑談動画に映りこんだゴミの日カレンダーの一部

以上の情報から居住市町村が確定した。

その付近小学校Facebookを精査した所、似た小学生が「TVチャンネル時代動画と同じ服で写った写真掲載されていた。

これにより通う小学校が確定した。

さらに、この住所を書き込んだコメント投稿者によって削除されたという報告も上がった。

釣りの段階ではコメント削除を実行しなかったことを鑑みると、この行動は却って信憑性を高めるように思える。

そしてトドメに「瞬殺のコルバルトチャンネル動画が全て投稿者によって削除されてしまった。この特定を半ば裏付けしまたか

「『瞬殺のコルバルト』は多分そこまでバカじゃない」などと過信してしまったが、彼の目論見はどうやら片手落ちだったようである


脚注(動画が削除されてしまったため全てリンク切れ魚拓を残すべきだった……)

(*1)引用元https://www.youtube.com/watch?v=IF-LMNMq1FQ&lc=z12cgzdakynfudl5p04cf5ohbo2pdrkpzhs

(*2)引用元https://www.youtube.com/watch?v=OhCixgMjDm0&lc=z12cu5z50u3fshasa22zjbaxfzeqzddkw.1473551794119763

(*3)引用元https://www.youtube.com/watch?v=IF-LMNMq1FQ&lc=z12je5mi1ki0dd0ww04cfxwwvpjxevx5a3k.1473412385305039

(*4)引用元https://www.youtube.com/watch?v=Znw1O6FiAu4&lc=z12pdra4pkfiebdut23ifx1ymrrxfpaj004.1472629041975604

映画聲の形』は商業的なマイナス要素を極力排除して再構成することで売ることに逃げ切った作品

観終わった最初感想は、漫画聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。

 

まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画馬鹿にするといった内容ではない。

映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、

またその再構成の結果として商業的な成功を収めたことや、

そのせいで映画聲の形』(以下、映画しか漫画聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、

そしてこの世で漫画聲の形』が漫画聲の形』という作品しか伝えられなかった、他のラブストーリー青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。

この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、

本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。

これはステマではない。

なお漫画ネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。

これはステマではない(繰り返し)。

 

そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。

 

制作スタッフが行った再構成とは

単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット再構成されている。

その点だけでも漫画映画は全くの別物と言っても差し支えない。

しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。

要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。

まり、私が問題にしているということはその再構成漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。

 

制作スタッフ映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。

分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、

生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、

この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。

漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。

主人公石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズ描写がされており、

小学生時代石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラス手のひら返しにも憤慨するだろう。

映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、

石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ち映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。

漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快いじめや生々しい描写で刺激しつつ、

当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、

というのが最初石田西宮出会いで、だからこそいじめた本人である自分友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。

まり最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田心理描写を読者に刷り込ませるためには、

石田所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ

それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。

作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、

判断され軽減・外した、というのが制作スタッフ再構成で行ったことだ。

ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。

そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニ作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、

商業的に成功を収めることができ、映画映画として勝利した。

映画聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。

でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、

その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。

 

映画だけを視聴して誤解してしまった人々

帰ってレビューに目を通すと、やはり石田心理描写が把握しきれていなかったり、

よく分からなかったという感想もちらほらと目立った。

障碍者としての西宮葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、

そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。

西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、

石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、

やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である

 

聾唖の人たちから意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為副作用となっている。

から必要なのだ

聲の形』という作品を完成させるためには必要な要素だった。

ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。

これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術創作の完全敗北と言い換えてもいい。

とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。

それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。

家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。

一体、映画を見た人の何割が石田自分を重ねることができたのだろうか。

嫌な汗はかくことができただろうか。

 

漫画聲の形

漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、

前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮友達になるというスタート物語が始まる。

石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。

この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。

今風にいうと黒歴史人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。

過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。

それをやらなかった映画石田に対する感情移入がバラバなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまたからだ。

普通、そこまで思い返すほどのトラウマ黒歴史を持つ人間は少ないので、

その場合石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。

 

そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまり黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、

どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去石田あなたはどう向き合っていけばいいのか。

それが『聲の形』の作品としての本質だ。

決して障碍者と涙ホロホロ最後ハッピーなだけの作品ではない。

石田黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、

最初不快感を感じていたはずの石田自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田応援しだす。

過去は取り返しがつかないかもしれない、

けれどこれから西宮未来は泣かせないように行動することができる。

それを問いかけてくる作品なのだ

それが『聲の形なのだ

 

過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。

ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。

漫画では西宮の家庭環境小学校教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、

この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。

その最後の結末が、読者のこれから背中を押す形で終わっている。

生き続ける石田現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。

それが『聲の形なのだ

 

そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。

他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、

それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。

「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品面白さでもある。

 

聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。

本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。

消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、

一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ

そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。

読んでいる人間石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ

その作品映像化はできていない。

できていないのに、商業的に成功している。

 

変わることの重要性を訴えた作品が、

そのメッセージの大部分を消失しながら、

大ヒットをしている。

 

まず私はその現実に立ち向かわなければいけない。

そう、思った。

 

…私はこの映画を予約するのに3時間かかった。

ネット予約操作方法が分からないのではない。

映画館聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。

ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…

聲の形」見たのでおすすめする

はじめに

公式の書き方や、巷で燃えてる情報だとどんなところが魅力なのか分かりづらいなと思ったので

見るかどうか迷ってる人に向けて

どういうところが面白かったかなど書きます

 

ある程度あらすじを書かないと正直何も言えないので

導入部分だけネタバレします(いじめあたり)

 

もちろん大事な部分はネタバレしませんが

情報ゼロで見たい人は読まないようにしてください

 

ちなみに原作は読んでいません、あと私はおっさんです

  

全体的な感想ネタバレ無し)

正直予想を遥かに超える良い作品でした

Key作品を手掛けていたときのような京アニ彷彿とさせます

キャラの繊細な心理描写が、鼻に付かない程度に上手く表現されていて

一冊の小説を読んだかのような読了感を覚えました

 

テーマも非常に面白いです

一般的物語というのは人と人の関係によって生じるものが多いですが

この作品は「いじめっ子いじめられっ子障害者)」です

このような加害者被害者という関係性の作品は無いこともないですが、ここまで真正から

アプローチして面白くできていることに驚きました

まるで新しい味のラーメンを食べたときのような、「なんだこれ、旨いな」感がありました

 

原作シナリオ大分改良を重ねられているらしく、映画もできすぎているくらいによくできています

特に登場人物の心の変遷が面白いです

 

おすすめできる視聴者層ネタバレ無し)

この話は、もし小説だったなら学校図書室に置いてありそうな話です

なので、老若男女問わずおすすめできると思います

 

もちろん、もっとハチャメチャな展開を希望する人にはおすすめできませんし

小学生には難しいかもしれません

 

導入部分のあらすじ(ネタバレ

物語主人公石田将也が自殺を図る意味深なシーンからまり

そもそもなぜそうなったか小学校時代に遡ります

 

石田は小6の頃、元々粗暴なガキ大将タイプ少年でした。

どのクラスにも一人はいるような悪ガキですが、割りとクラスに溶け込んでいました。

 

そのクラス聴覚障害者西宮硝子が転校してきます

障害を持った児童普通学級に入ることはままありますが、様々な要因により、このクラスではうまく行きませんでした。

やる気のない教師。陰口を叩く女子。やがてそれはエスカレートしていき、明確にいじめに発展していきます

 

石田も、何を考えているかからないような彼女に対して「気持ち悪い」と思うようになり

途中からはいじめ筆頭として直接手を下すような存在となっていきました。

 

しかし、補聴器を何個も紛失させるなど度が過ぎたため、ほどなくしていじめがバレます

そしてクラスメイトはその罪を全て石田に負わせました。

それどころか、今度は仲の良かったクラスメイト石田いじめターゲットとするようになります

 

母親にもバレ、大金を弁償するという苦い思いをする石田

その石田に、いじめられていた西宮けが優しくしようとします。

しかしその行為理解できず、石田さら西宮に辛くあたるのでした。

 

そのまま何も解決せず、西宮は転校してしまます

 

石田は小6から高3まで「いじめっ子から近づかない方がいい」という理由いじめられます

それによってか、西宮硝子に対して行った罪の重さを自覚し、結果すっかり自己否定人間不信のような鬱屈した人間と変貌します。

人の顔すらまともに見れなくなった石田は耐えられなくなり、母親が払った弁償金をバイトで稼ぎ、そのまま死ぬつもりでいました。

 

そんな中、石田は通っていた手話教室で5年ぶりに西宮硝子と再開します。

果たして2人はどうなってしまうのか!

 

※ここまでが導入部分で、こっからスタートだと思います

おさえておきたいポイント

要点

 

疑問

これらが分かったとき、私は「いい作品だ」と思いました

その後の展開は?

 

石田西宮クラスメイトを中心に展開しま

 

個人的面白いと思った点

 

石田とともに罪悪感を覚える

最初石田○ねとしか思いませんが、いつの間にか感情移入していきます

すると西宮とどうなろうが、必ず罪悪感がつきまとい、優しい行動にすら違和感を覚えていきます

「俺なんかが話していいのか」「嫌がっていないか」「喜んでもらうにはどうすればいいのか」

そんな感情ラブストーリーで感じるものに少し似ていますが、罪の意識が強い分、別の何かです

喩えるならヤマアラシジレンマでしょうか(エヴァネタ

このモヤモヤ感は是非味わってほしいです

 

登場人物の変遷が面白い

西宮という存在によって、登場人物が思い悩みます

そして西宮自身も思い悩みます

 

そのどうしようもない中で、状況だけが変わっていきます

その登場人物の心情や状況がどんどん変遷していく過程面白いです

  

小学校時代西宮登場前と後、高校時代西宮登場前と後と、フェーズが多く

その上家族まで関わってくるため、なかなかに層の厚い話に仕上がっています

 

登場人物の配置

周りの登場人物が、いじめ筆頭から部外者まで連綿と配置されているところも面白いです

現実でも問題の中心に近い人だけが存在するわけではありません

西宮と他の者、石田と他の者の距離感一定ではないのですが、そのことで良いテイストが出ていると思います

  

加害者被害者

加害者被害者というテーマは実際のところ非常に難しいです

バランスを欠くとどちらかにご都合的になったり、ダレたり、気持ち悪さが残ります

でもこの作品はそういう灰汁が出てないんですよね

 

永束くん

永束くん

 

おわりに

聲の形はいいぞ

 

2016-09-23

学校一言も発することのできなかった暗黒時代

いま思い返してもただただ悲しくなるが、

小3から小学校卒業まで学校の連中と

文字通り一言も交わしていなかったという暗黒時代がある。




きっかけは、親が強制的少年野球チームへ入団させたことだった。

野球のものは好きだったが、ああいう「集団で何かをやる感じ」とか、

「ノリを求められる雰囲気」とか、とにかくああいうのが大嫌いだったんだ。





少年野球への入団は当時の自分にとって相当な精神ダメージとなり、

周囲に大きな壁を作り始めた。

チームのやつらとは当然口を聞かなかったし、

次第に学校友達とも話さなくなった。

少年野球の奴らに、学校で話していることがばれると

なんかやばい気がしたんだ。





喋らなくなるとそれはそれで厄介な状況になる。

「無口」「無口」「無口」

周囲に罵られる日々。

表情もなかったし、あれは軽度の鬱だったろう。

小3まで遊んでいた友達とも疎遠になっていった。





ある日、ひとりだけいた友達と話しているところをクラスメイトに見られてしまった。

増田くんが喋った!!!!」なんて大騒ぎされるもんだから

それでまた心を閉じてしまう。

そのうち学校ではその親友とも話せなくなった。

まさに八方塞がりである






それでも小学校卒業を迎えるころになんとか立ち向かおうと奮いたち、

中学のころには少し話せるようになった。友達も少しできた。

中学校卒業を迎えるころには、高校ではもっと話せるように頑張ろうと奮起し、

相変わらず友達は少ないながらもまともに会話できるようになっていった。

大学に上がるころにはもう調子に乗っていて、

今でも飲み屋馬鹿騒ぎしたり旅行にでかけたりできるくらいの大切な親友ができた。

彼女もできた。







社交性を取り戻したといったけど、正直なところ今でも

人に壁を作る癖は治っていなくて、心を開くのに最低2年はかかる。

グループ」に属するのも慣れなくて、

社会人にあがってから孤立した状態で、

数人の心許せる同期と飲みにいくような具合である





そろそろオチをつけたいわけだけど、

あの無理やり入らされた野球、結局高校まで続けていたんだ。

鬼監督には罵られるし、先輩にはボロカスに言われるし、

後輩には馬鹿にされるし、同期ともノリについてけなくて孤立して、

あの雰囲気はどうしても好きになれなかったけど、

野球は好きで、ずっと続けた。






そのおかげで半端ない体力がついたし、

高校野球をそれなりに厳しい環境で耐え抜いたみたいなところは、

なんの取り柄もない自分評価してもらえる唯一のポイントになったりもしてる。






親も、息子にまともな社交性を身につけさせたいと思って入らせたらしい。

というわけで、今は親にも野球にも誰にも恨みもなにもなくて、

結局は自分生来ネガティブ性格根本的な問題なんだと思う。





ひん曲がった性格だけど、こんなんでも付き合ってくれる友人にはとても感謝している。





いま同じように学校で周囲に馴染めない子やもしかしたら話すこともできない子も

いるかもしれないけど、こんな自分でもまともに社会でやってけてるわけだからいまは耐えよう。

殻にこもったままでいい。自分がその気になったときまで待てばいい。

その時に思いっきり殻を破ってやればいい。心臓バクバクするけど財産になるよきっと。

2016-09-22

アトピーゾンビ二号が虐めで不登校になった

中学の時、アトピーゾンビと同じく、アトピーゾンビウイルス感染してる奴とクラスが一緒になった。

アトピーゾンビよりも症状がひどかった。

彼は顔と首の肌が赤く、カサカサと乾燥していた。首や体を掻く様は見てるだけで不快指数が高くなった。

おまけに重度のコミュ障で、声が小さく、挙動がキョドッテいて気持ち悪かった。

「こりゃ虐められるな」と思った。

クラスメイトの話によると、もともと明るい奴だったが、小学生の時にアトピーゾンビウイルス感染して容姿が醜くなって虐められるようになり精神おかしくなったようだ。

彼と話したことはないし、どんな人間なのかもよくわからないが、観察した限りでは悪い奴じゃなさそうだった。

から僕は、彼を心の中でアトピーゾンビ二号と呼ぶことにした。




彼はアトピーゾンビと共にスクールカーストの最底辺にいた。

いつも無気力でだるそうな目をしていた。自分のしょうもない人生に嫌気がさしていたのだろう。

悲しいことに顔面偏差値は高かった。だから余計辛かったのではないだろうか。

アトピーゾンビ不細工なので諦観できているが、顔面偏差値の高いゾンビは辛いだろうな。

これさえなければ人生楽しいのにといつも絶望していたのだろう。




クラスほとんどが虐めに加担していた。無関心だったのはアトピーゾンビを入れて三人だけだった。

小学校が同じだった奴が中心となって虐めていた。手慣れていたので、おそらく小学生の時にも虐めていたのだろう。

虐めは精神的なものだった。肌がキモイ風呂入ってんの?、ゾンビw、治るようにちゃんと努力しろよw、お前のまねw(肌を掻く真似をしながら)、無視などだ。

もちろんゾンビ二号を蹴ったり、ボールを投げつけたり、腕パンっていう遊びに強制参加させたりという肉体的ないじめもあった。

容姿に優れていて運動勉強もできて教師の評判もいい奴が「お!こいつ虐めてんの!?俺も混ぜて!」と言って楽しそうに一緒に虐めてた。

人生は生まれで決まるんだなと思った。




そんなこんなで数か月たっぷりクラスメイトに虐められたゾンビ二号。

彼が初めて学校を休んだ時、クラスがざわざわしていた。

教師教室にいないときクラスメイトの一人が「やったーwww」と両手を挙げて喜んだ。

それを見たクラスメイトがつられるように、

「ざまあみろw」

「もう学校こないでほしいww」

あいつがいない教室最高w」

キモイから虐められて当然だよね!」

ちょっとからかっただけで不登校とかww」

自殺すれば社会がきれいになるねw」

自殺してくんないかなーw」

「また学校来たら虐めようぜw」

いいねーw」

「虐められたくないなら努力しろって思う」

「ねー!不潔な自分が悪いのにね」

こんな感じのことをクラスメイトのほぼ全員が言いまくっていた。

教室が悪意に満ちた笑い声に満ちていた。

クラスメイト達の満足げで醜悪な表情をみて人間は醜いな。と思った。

同時に、次は自分が虐められる番なんじゃないかと恐怖と不安でドキドキビクビクして死にそうだった。

幸いにも虐められることはなかった。虐められなかった理由は今でも不明だ。






本当のことを言うと虐められなかった理由はなんとなくわかる。

アトピーゾンビいじめに加担していたからだ。

家柄がよくて容姿に優れた恋愛勝ち組クラスメイトに、「お前もやれよw」とボールゾンビ二号に当てるゲームに参加させられた。

日々のアトピーゾンビウイルスストレスを晴らすかのように思いっきりぶつけた。

「おぉー!いいねーw」とクラスメイトは喜んでいた。

ゾンビ二号は少し泣いていた気がする。

同じスクールカースト底辺人間に虐められるのがつらかったのか、同じウイルス感染している人間なのに自分は虐められてあいつはされない理不尽だ、とでも思ったのだろうか。



その後、アトピーゾンビアトピーゾンビウイルスの痒みと痛み、受験期の激しい虐めが原因の鬱と対人恐怖と学習性無力感で見事受験に失敗。

関東ごみ高校という五流高校入学することになった。

アトピーゾンビ二号が今何をしてるかは分からない。人生絶望して、もしかしたら自殺たかもしれない。まぁ生きているより、そっちのほうが幸せだよな。




どんなに善良な人間でもアトピーゾンビウイルス感染しているというだけで周囲から理不尽仕打ちを受ける。

まぁ、惑星地球は健常者専用の娯楽施設だから、非健常者が排除されるのは当然だよね。終わり。

聲の形 クズ度格付けができたぞ

AAA 植野高校生になっても反省してないド屑 エロいのでエロマンガでひどい目にあってほしい)

AA+石田高校生になっても感情的になって友達に酷いことを言うゴミクズ 小学校時代いじめ凶悪さは言うまでもない 金を返したり今かわいいかどうかもわからない女のために手話を覚えるなど評価できる行動もある)

AA 川井八方美人なので糞ムカつくけどいじめに関しては直接手を下したわけではない)

A 島田(元友達高校生になってもいじめ続ける陰湿さ 人命救助はして当然なので加点にはならない)

Aー 教師(いい歳した大人なのに子供たちの凶悪いじめを黙認)

ーーサイコパスの壁ーー

BB+ 島田じゃないほうのデブ友達を裏切るのは論外だが島田ほど積極的いじめていたわけではないように思える)

BB 西宮(全体を通して概ね被害者立場であるが、自殺の件は擁護できない)西宮母(結果論だが娘の為を思うなら西宮を適切な学校に入れるべきだったのでは?石田母のピアスを引きちぎったり再会した主人公を突然殴るバイオレンスさはなかなか) 石田チャリを盗んだやつ(借りパクは立派な窃盗である高校生にもなって校内で恐喝。チクられる可能性は頭になかったのだろうか)

B 真柴(よく知りもしない小学生ときのいざこざに感情的になる屑 もっと友達を信じよう)結弦(姉を思っての行動とはい主人公を1週間の自宅謹慎に追い込む屑 その後謝罪も無し かわいいので許す)

ーークズの壁ーー

CC 佐原(概ね聖人のような振る舞いだがすぐ逃げるのは玉に瑕)

C 石田母(全体を通して完全な被害者である このような母親からなぜ石田のようなクズが生まれたのか 悪いことといえば金を燃やしたくらいだが事故なのでノーカウント

D うんこ頭(なぜこんないいやつに石田のような友達しかいないのか理解に苦しむ 空気読めないところはあるかもしれないがマジで良い奴)

原作も読んであったけど映画基準評価しています

君の名はを見た直後に現実を味わった話

さて、君の名はという映画を見に行った。内容はCMで思っていたよりもハードな展開かつ壮大で、それでも男女の青春部分も大事に書かれていて面白かった。最後も読後感爽やかな終わりで、なんというか良い夢を見た気分になった。


しかしその見た直後に、夢は夢で現実はそう簡単に壮大にもドラマにもならないと言ったことを実感する出来事があった。

実は地元映画館で見たのだが、自分はその後一緒に行った兄弟と、映画館と同じ建物ゲーセンにふらっと行った。

そして家族ゲーセン店員さんにクレーンの景品移動させに頼んだのだが、その店員小学校以来の同級生だった。

最初見た時ビックリした。うわあ。流石地元。昔の知り合いに思わぬところで会う。

しか自分中学地元の方に行っておらず地元同級生とは疎遠状態で、なんとなく小学校同級生には特別な思いがあったので見かけた時は妙に懐かしい気分になった。

そして、その刹那「おっこの知ってるけど疎遠になってけれども数年後再会って状況ちょっと君の名はっぽい!」とか思ってしまった。

だがしかし現実はそんなにドラマチックではない。相手はこちらに全く気付かず、自分もそもそもその同級生とは小学校時代から仲が良くなかったため、そのままあえなく何も起こらず、(と言うか恐らく話しかけられても困った)ゲーセンを後にした。

もしこれが虚構だったら自分は超美少女で、相手cv神木隆之介で、何かしらの運命やら因縁があってここから始まる壮大な青春ストーリー…!となったことだろう。

しか現実はそうそうそんなドラマチックストーリーは起こらないんだなあと、君の名はで良い夢を見た後だったので少し現実がしょっぱく思えたのでした。

しかしそれでも現実現実で悪くはないのだが。

2016-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20160921214349

小学校同級生と話したら

ああ

懐かしいつながってる感覚がしたね。


大人になって、そういう感覚ある人がたぶん伴侶になるんだろうと思うけど。

あとは、如水的にだろうと思うよ。

物理的余裕がない。

関係性も変わっていくし。

親との縁は切れてくし、

同窓もたまに会うのはいいけど

昔みたいな感覚はないだろうと思う。

遠くにありて思うもの


期待せず観察しよう。

成人の発達障害者でも、発達障害児向けの情報が役に立った話

俺は成人して就職してしばらく頑張ってたんだけど、

ある時二次障害発症して家を出られませんみたいな状況に陥ってから治療過程で色々検査をしてADHDアスペを併発していますねと診断された。



それ自体は、ああ、やっぱり俺はおかしかったのか。と割と素直に受け止めて、それならそれで親からもらった顔や体の特徴みたいなものだし、

そこでゴネても何も変わらないからあるもので何とかやっていかないと仕方ないよねと考えて、自分でも症状について調べたり、自分用の対策を考えて試したりするようにしている。

まあ、うまくハマる方法を見つけるまでは劇的に変化があったりはなかなかしないし、いい変化があってもそれを継続するのは難しいので、

なんだかんだと仕事をクビになりそうだったりならなさそうだったりしながらどうにか日々を凌いでいる感じだ。



ともあれ、自分でも色々と情報を探していたわけだけれど、診断された当初は、とりあえず最近話題の成人の発達障害だとか、発達障害のもの記述ばかり読んでいた。

本も数冊読んだけれど、ネットの方がやっぱり手軽なので手の空いたときにふらふらと検索している。

そして最近になって、発達障害児関連の情報に割と有用ものが多いことに気付いた。



最初は内心「そうは言っても、もう俺成人してるしな……」と思いつつ読んでいたのだけれど、

「こういう部分が理解しづらくてつまづくことがあるので、その場合はこうやって教えていくと理解やすいかも」といった記述を読んで、

そういうことだったの!?それでいいの!?と驚いたり腑に落ちたりすることが、とても多かったのだ。

そこには、幼少期にいくら言い聞かせられても、なぜそうしなければならないのかピンとこなかったようなことについて、

「それならそうと初めから言ってくれればよかったのにー」と言いたくなるような、すんなりと頭に入ってきて自然に受け止められる言葉の数々が並んでいた。



このことから考えると、どうやら自分の発達レベル幼児レベルで早々につまづいていて、

なんとなく腑に落ちないまま表面上だけ誤魔化してきたけど、実際の理解はそのままそこで止まっていたということらしい。

30歳近くなって、自分の発達レベルがところどころ幼児レベルだと思い知らされるのは正直なかなかクるものがあるが、現実なんだから仕方ない。

というか、いくつかの情報を得たときの目の前のモヤが晴れていくような感覚がショックすぎたので、60や70になる前に気付いただけいいじゃないかと開き直って考えている。



この調子で目から鱗がボロボロ落ちていくようだと、俺は自分でも気付いてないだけでまだまだたくさん取りこぼしてきているのだろう。

現在直面している不都合の直接的な解決策ではないけれど、そういった問題が起こる根本の原因として、

どうやら自分はここでつまづいていたようだ、ということが段々わかってくるので随分と助かっている。

夜な夜な一人で幼稚園小学校をやり直しているような気分だ。



というわけで、似た様な状況で、なんとかしたいなーと「発達障害 成人」とかでググってみても「あー、あるある」以上のものがあまりみつからない人は、

発達障害児向けの療育の事例について具体的に書いている記事に触れてみると、俺のように思いがけない発見があるかもしれない。



それにしても、何度かあった療育を受けるチャンスを、親が「ウチの子はまだマシでそこまでする必要はない」と判断せずにいれば、

人生もっと早い段階でこういったことに気付けて習得できていたかもしれないなというのは、少しだけ口惜しい。




(追記)


これだけ書いて一つも例を出さなものアレだなあと思いつつ、

でも誘導とかしたいわけじゃないし、既に長いし、というか正直ちょっと恥ずかしいし……と思っていたのだけれど、

ブコメでも例がないとイメージしづらいという指摘をもらったので、やっぱり一番強烈だったやつを一つだけ追記しておく。



衝動性が強くルールが守れない子にルールを守る大切さを理解させるには、

 衝動を抑えてルールを守ることが、結果的自分利益になる。と利益を強調して伝えてみます。」



こんな一文を読んで、誇張ではなく涙があふれてきた。

うわー!なるほど!なるほど!!確かに考えてみれば利益になる!なってる!うわぁ!そう言われるとめっちゃルール守りたい!!もうルール守る!俺がんばる!!

と泣きながら机をバンバン叩きそうになったけど、夜中だったからハッとなって机を叩くのをギリギリ我慢した。

先生、俺衝動を抑えられたよ……!こうすることで階下の住人からヘイトを集めることが回避できるんだね……!不利益を受けないという利益を!!



いい年したおっさんが何言ってんだとか、そう考えないとルールも守れないのかよ……と引かれるかもしれないが、

俺のようなタイプは本当に「こんなレベルのこと」が「わかってない」まま大人になってしまっている可能性があるのだ、恐ろしいことに



それまで自分にとって法律も含めた他者との間のルールというものは、

「なぜか押し付けられて守らないとやたら怒られるからしょうがないのでよくわかんないけどなるべく守っとくもの

しかなくて、言ってしまえばなにかと我慢を強いられる障害であり敵だった。

ああしろこうしろ。あれはするなこれはするな。本当に窮屈で仕方ない。世紀末はよこい。でも、ルール別に敵じゃなかった。

(中には完全に制約をかける側だけに有利で、制約を受ける側にとって純粋に"敵"なルールも世の中にあるとは思うけど、そういう力関係の不平等さえなければキレてよさそうな案件は一旦おいておく。)



「とにかくルールを守れ!」「ルールとはそういうものだ!」「みんな守っている!」「なぜルールを守れないんだ!」

(怒鳴られる度に、思い出せませんでした!とか、守る意味がわからいからです!と正直に返事をしていたのはいつだったか……)

というようなことだけを何度も何度も言われたから、まあ世の中的にはそんなものなんかな?よくわかんねーな。みんな我慢して守ってるのすげーな、謎だわー。とだけ思って、

なんだったらルール違反を咎められない範囲ギリギリを突いたり、想定外のことをするのに血道を上げる感じで生きてきた。

そうやって、ルールや制約によって我慢を強いられるストレスと、ルールを守れなかった時の不利益ばかりに注目していたけれど、

ルールを守ることで自分にどんないい影響があるかとか、ルールを守ることで何らかのメリット享受できるとか、そんな視点では一度も考えたことがなかったことにこの一文で気付かされた。

そうか、ルールルールから守るとかじゃなくて、内心自分のためってモチベーションでも、ルールを守っていいんだ!!



翌日から俺は、自分意志に反することをルール強制されたときに、そのルールを守ることのメリットについて考えられるようになった。

そうして、昨日まではなかった視点自分生活点検することで、いくつかの問題行動に繋がる心理障壁消滅した。

http://anond.hatelabo.jp/20160920164244

小学校時代自分を虐めてた奴/自分が虐めた奴なんかどうでもよくね?」

ということ

お互い顔もみたくないだろうしヒロインはともかくなんで周囲の人間がことごとく昔の人間関係蒸し返し喧嘩すんだ

西宮自身石田とかどうでもよくてそれなりに生きてた

石田自分いじめてた奴らとは顔も見たくなかった

西宮に執着してた石田石田に執着してた植野自分の思い遂げる自己満足蒸し返して周囲巻き込んだ

子供の頃の関係引きずりすぎ問題とでも言おうか

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない

orange

この辺もお前ら小学生高校の時のことにこだわり過ぎやろ

早く忘れろよって言いたくなる

美人なのとかわいいのと好きなのとセックスしたいのは違う

全部揃ってれば最高だけどほぼ不可能

から妄想する

中学生ときに、小学校アルバムの好きな子写真の顔の下に二次元エロイラストくっつけて抜いてたおれの妄想力よ

よみがえれ

2016-09-20

ネタバレあり】蟹の形 あらすじ

小学校時代に耳の聞こえない障害者である硝子という少女を苛めていた石田少年

石田少年は決まって硝子少女補聴器を奪い去って何処かに放り投げてしまうのであった。

しかしその悪行も何度も重なれば懲罰の議に掛けられる。補聴器とは、小学生の考えうる金銭感覚では到底支払うことのできない程度に高価な品物だったのである

かくして高額な賠償金支払いを求められた石田少年は、義務教育の直後からアラスカ沖のたらば蟹漁船クルーとして働くことになる。

15年契約である。一度日本を離れれば、半年はずっと船の上での生活を迫られることになる。

冬のアラスカ沖でのたらば蟹漁は過酷を極める。地引網を引き上げる機械に腕や足を持って行かれ、クルーがそのまま海の藻屑となりたらば蟹の栄養となってしまうような事故が相次いだ。あるいは、極寒の吹雪が吹き荒れる海上で、寒さに負けて天使意識を持って行かれる者もいた。

そうでなくても船内の生活慢性的食糧不足に加え、娯楽の不足から発生するストレスが、船内の生き残った船員たちに有りもしないヒエラルキーを<形>作っていったのである

http://anond.hatelabo.jp/20160919221323

昨日、これを書いた元増田です

とりとめなく思ったことを書いただけなのですが、ここまで反響が多くてびっくりしました

やはり、みなさん、国語の授業には色々思うところがあったのですね

自分も色々参考になりました。ありがとうございます

元増田トラバには、もう個別に返信したので、

はてブコメントで気になったものピックアップして、この話題は終わりにしま

ボトムアップでは細部に拘泥して大意を読み取れない

端的に言ってすみません、これは、パーツを「繋ぐ」工程問題があるパターンです

そして、上手く「繋げ」られないのは我々国語教員の教え方の問題でしょう

ただ、思うに、大意が読み取れないのは、細部に拘泥しきれていないのではないでしょうかね?

要するに、ある「細部」を読み取ったは良いが、また別の「細部」を正しく読み切れていないから生じるのだと思います

どっちも使え

はい。その通りです。現にセンター試験は4つの大問を80分で解かなければなりません

評論古文20分では無理なので、漢文小説は15分で解けと生徒に言っています

この場合トップダウンの読み方をするしかありませんが、元増田で書いた通り、

トップダウンの読み方と言うのは、ボトムアップの読み方が出来て初めて習得できるものだと思います

例えを出すなら、

知識のある人が頭が良いわけじゃなくて、頭の良い人は総じて知識を持っている、という必要十分の問題と似た感覚です

それを無視して、トップダウンの読み方だけを授業に持ち込むことには疑義を示したい、というのが元増田趣旨でした

世の中まともな文章だけじゃない

はい。その通りです。自分が書いているようなクソみたいな文章もあります

ただ、「読みやすさ」のクソさと「内容」のクソさの峻別が出来るようになってほしいと、国語に関わる者として強く願っています

ですから、「読みにくい」文章でもなんとか読めるように、内容を吟味したうえで「クソ」と言えるようになってほしいと思っています

時々、「読みにくい」を「内容がクソ」とイコールで繋げたがる人がいますが、自分はそうは思いません

しろ、読みやすくて内容にも優れている文章が見つかる方がレアではないでしょうか?

「読みやすさ」を守るために、「内容を理解すること」を拒絶してほしくないというのが自分の考えです

もう一度言います、「読みやすさ」を守るために、「内容を理解すること」を拒絶してしまうのは悪です

小学校中学高校じゃ授業のやり方が噛み合うわけない

おっしゃる通りです

小学校先生方というのは、非常にまじめな人が多く、丹念に、一生懸命にやっていると思います

ですが、小学校高校にもなると、言葉遣いから表情、距離の取り方まで、もういろんなことが違うのです

それ以前に、この業界は「他人仕事には口を出さない」という空気が強いですけどね

これはトラバですが消されていたのでここで

読解偏重をやめろ。話す聞く書くの練習をさせろ

はいすみません。「書く」訓練に関しては、本当に足りないと思っています、返す言葉がありません

他方で、「話す」「聞く」は、音声言語の発信と受信に対応していますが、

現実問題として「話す」「聞く」を言語だけで行うことは稀で、非言語コミュニケーションが伴う場合ほとんどです

一般的コミュニケーションにおいて、非言語的なものはその7割を占めると言われています

国語教育がそこまで立ち入れるかはなはだ疑問ですし、立ち入る必要もないと思います

しろ、純然たる「言葉(言語)」のみでどこまでコミュニケートできるかの限界線を知ることの方が大切だと思います

---

この業界は、どこまで行っても、場数を踏んで、手探りでやってくしかないのです

正直、わからないことばかりです

しかし、国語に限らず、教育現場は今、変わろうとしています

良い結果になるか悪い結果になるかは、蓋を開けてしばらくしないとわからないでしょう

また、純然たる「教育」が、どの程度社会に対して影響を持つかを正確に測定するのは無理です

それでも、「少しでもマシな」社会を作るために、自分にできることをやらなければなりません

日頃「つまらない」授業をしているバチが当たったせいかお茶が気管に入って噎せ込んで噴き出してしまいました

終わりにしま

(ネタバレ)茸の形

高校三年生石田将也少年はある日小学校時代に苛めていた少女と再会する。

そこは市民会館であり、手話ワークショップが開かれていたーーようにみえた。

しかし、そこは手話教室などではなく実際は手コキ教室だったのだ。

手コキ教室に通う少女練習に使うモノはーー茸。

その<形>は、将也少年下腹部に生える茸のそれと、どことなく似ていた。

そんなにご飯を残してはいけないのなら

小学校給食もそうしよう。

食べきれなかった奴は掃除時間になっても授業が始まっても許しません。家にも帰しません。


って言ったらはてなーって絶対怒るだろ?

http://anond.hatelabo.jp/20160920104021

子どもって、遊具も何もない状態だとしりとりとか、指遊びとか、替え歌歌ったりするじゃないですか。

そういう替え歌って、学校ごとに歌詞が違ってるみたいな話を小学校先生から聞きました。

2016-09-19

いじめられるとホラ吹きになる。強姦しか異性とかかわれなくなる。モラルがなくなる。

”僕がこういう人間になったのは、日本学校教育を偶然にも受けなかったから、という気がする。小学校ではイジメられる→中学入試が終わったあとは漫画ゲームばかりで深海魚→高3で一念発起して独学で受験勉強大学指導教官アメリカ教育受けた人→留学外資系企業英語仕事作家投資家

藤沢数希大先生はいじめられいたんですかw

性格悪くて、空気の読めない厳密な精神医学的な意味アスペルガーほぼ確定ですものねw

更に性格捻じ曲がってしまってかわいそうとは言えご愁傷様ですw

国語教育

現職の高校国語教員

国語の授業というのは現在変わりつつあるらしい

今の20代以上の人なら、きっと、現代文の授業は、

形式段落意味の上で大段落に分けて、第一段落…のように形式段落ごとにちまちまと読解した覚えがあるだろう

自分も未だにそのやり方を続けている

これは、小学校先生に言われれば、古式ゆかしい方法論らしい

アクティブラーニングなんかが好きな人はたぶん生理的に受け付けないんだろう

しかし、自分はこのやり方を変えるつもりは今のところない

現代文(特に評論)の読解には、大きく分けて2つの読み方がある

1つは、トップダウン式の読み方で、全体をざっと理解してから細部に及ぶという、いわば演繹的な読み方である

もう1つは、ボトムアップ式の読み方で、細部を精読してそれを有機的に繋ぎ合わせるという、いわば帰納的な読み方である

多くの国語教員後者のやり方を取ってきた、特に中学高校教員

今、それが古式ゆかしいと批判されて、トレンディではないらしい

トレンディであるかないかじゃなくて、もっと別の方法から自分トップダウン式の読み方を授業に持ち込むのは反対だ

まずもって、トップダウン式の読み方というのは、まともに書かれた文章をまともに読もうとするとき、まともに使うことは稀であるように思う

それこそ、難関国立大の2次試験程度だ

そして、トップダウン式の読み方というのは、何より、それを履き違えた形で身に付いてしまうと、

自分の都合のいい/自分が読める箇所だけを繋ぎ合わせて何となく理解した気になって、こんなもんだろう、と都合のいい物語勝手に作り上げてしまう」

危険性が、ボトムアップ式の読み方より強い

それに、ボトムアップの読み方すらできない人は、トップダウンの読み方なんて絶対無理

しろもっともっと、細かい部分をきちんと読み込めるようにしないとダメだと思うぐらい

時代の流れだとか言うけど、

過去より現在が常に正しくて、未来もっと正しくなる」って考え、進歩主義以外の何物でもないと思うんだよね

「新しいものから」とか、「時代の流れなんだ」とか、それは主張の正当性を裏打ちするものではないと思う

「進んでる」とか「遅れてる」とかそういうフレーズ価値判断と絡めて使う人は大抵、論理的正当性を主張できないから、進歩で殴るしかない

から自分はこのままつまらない授業を続ける予定