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はてなキーワード: 小学校とは

2017-01-22

日記を書こう

イルミネーションを見に行ったら、園内の一画で音楽が流れていた。今思えばちょっと神秘的な感じの曲だった気もする。

でもまあその時は特に気にも止めずに、寒かったのでさっさとそのエリアを抜けたんだが、直後に後ろから女の子の声が聞こえた。

「お母さんお母さん、この音楽素敵だね。何かこの音楽聞くと胸がぎゅーっとする」

わず振り向いた。小学校低学年くらいの女の子だった。

良い感性だなー、と一種の感激すら覚えたんだが、残念なことに『お母さん』を含めた女の子家族は総スルー

そういう繊細な感受性は貴重なものだがら、日記にでも書いて残しておくといいよ、と他人自分は残念ながら言えなかったので、代わりに自分日記として残しておく。

あの女の子感性大人になっても持ち続けられるものかはわからないけど、できれば持ち続けてほしい。そうでなくても、自分が昔そういうものを感じられる人だったということを知っておくことは無意味ではないと思うので。

まり、みんな日記を書こうよって話でした。

2017-01-20

年末実家に帰ったら、父(56歳)が恐らく無職になっていた。

「恐らく無職」と書いたが、本人から聞いたわけではないので本当に無職かどうかはわからない。
ではどうして父が無職になっていたなどと言い出したのかというと、母がこっそり教えてくれたからだ。
しかし、母自身も父から報告を受けたわけではないという。
父の普段生活を見ていて、仕事に行っているような素振りが一切ないため、無職になったと判断したとのことだった。
はいえ私は特に驚かなかった。母もきっと驚いてはいない。なぜなら父が無職になることは、私たち家族の中ではほぼ普通のことだから(父もそう思っているかは知らないけれど)。

父はとにかくよく無職になる。世間的にそこそこ需要のある職に就くための資格を持っているにもかかわらず、恐らくそ人間性が問題になってすぐに職を失う。
要は偉い人の気に入らないことばかりして辞めさせられてしまうのだ。多分。

ちなみに、私は父とここ15年くらい話をしておらず、今まで書いた父に関することは全て推測にすぎない。
父のことに関して「きっと」「恐らく」「多分」ばかり乱用しているのはそのためで、本人からはとにかく何も聞いていないのである

その昔、父は自分以外のものに厳しい人だった。
私が物心いたこからすでにパワーによる躾けを実践しており、食事中にテレビをちらっと見ると殴られ、
何かをこぼすと殴られ、口答えすると殴られ、父の気に入らないことをすると殴られ、
とにかくたくさん殴られた。たまに蹴られたりもしたが、基本はグーパンチ! 気に入らなければ母にもグーパンチ! それでいて家に金を入れない(大人になってから母に聞いて初めて知った)!
私は小学校卒業するころまで、大人が手を挙げるしぐさをするだけで縮こまるような子供だった。

そんな父には、いくつか決め台詞があった。その中の一つが忘れもしない、「一番金を稼いでいる俺が一番偉いのだから、俺に意見するならバイトでもして俺より金を稼げるようになれ」である
この台詞正当性は置いておいて、まず間違いなく小学生に言う台詞ではない。
これを言われてしまったら最後、私は父に自分の考えを何も言えなくなり、ただ殴られる肉人形となってしま魔法言葉だった。

そんな父も、今や無職。私は父に言われてきた魔法言葉鵜呑みにして、たくさんお金を稼げる人間になった。
でも、父に対して意見するなら私より金を稼いで来いなんて思わない。そんなことを家族に言える人間気持ちが、父と立場が逆転した今でも全然理解できない

年末実家に帰ったら、父(56歳)が恐らく無職になっていて、別にかわいそうとも、ざまあみろとも思わなかった。
ただあの魔法言葉は、私だけではなく間違いなく父にも影響を及ぼしていているんだなということをなんとなく思った。そんな年末だった。

卵の殻

幼稚園のころか小学校低学年のころか定かではないんですが、

パセリとかエビ尻尾とかそういう残す人が結構多い食べ物を食べるのがカッコイイと思っていた時期があって

そのノリで卵の殻を食べたことがあります

当時親に心配されて、

「なんで卵の殻食べてるの?」

と聞かれたので

だって食べれるじゃん!」

と元気に答えたところ、親が

「まぁ食べれなくはないけど…」

と言ったのですが、冷静に考えると卵の殻って菌とかいなかったんですかね…。

殻は綺麗に割れていた記憶があるのでゆでたまごではなくすき焼き用の生卵、つまり熱が通ってないんですよね。

まぁ今生きているからなんでもいいのですが、試験勉強中にふと思い出した昔話でした。

2017-01-19

小学校とき、俺の周りで伝承されていた「森のくまさん」の替え歌

ある貧血 森のな浣腸

くまさんにんにく 出会短足

はなくそ森のみちんぽこ くまさん出会短足

http://anond.hatelabo.jp/20170119121433

端的に言うと、「家族の思い出作イベント」と「公式行事」の区別がついてないモンペ

その演奏会存在も知らなかったのに、「名誉ある演奏会」⇒「いつもの演奏会とは違うと言っても、優劣を競うコンクールでもない」

⇒「記念なのだから小学校ブラスバンド活動の延長線上にあるものなのだから、当然、家族で鑑賞の権利がある」

と、変化しながら手前勝手解釈をしている。ちょっと前まで演奏会存在も知らなかったのに決めつけた。

この変化は、我が子が名誉ある演奏会に出られるという喜びから家族全員で鑑賞できないという悲しみに、感情が変化したことによるのだろう。

要するに、前段ですでにモンペマインドが全開。



関係ない人間から見れば、県で1校しか出られない演奏会ならしょうがいねと思うところだ。演奏者の年齢制限もあるのだし。

我が子の成長を家族確認するための「家族行事=発表会」ではなく、各県に1校が選ばれて年齢に応じたランクでの最高峰演奏披露する「演奏会なのだろうと推察できる。

野球でいえば春のセンバツみたいなもんなんじゃないか

家族イベント」として、素晴らしい演奏をちびっ子一緒に鑑賞したい、というのなら、

別にコンサート企画したらいいんじゃない卒業記念コンサートとか。モンスターペアレントやるよりずっと楽しいと思うよ。

2017-01-18

プログラミングって「得体がしれない」よな

プログラミングって、これから始めてみようっていうとき、なんだか「得体のしれない行為」っていう感覚がありませんか?


ぼく自身は、プログラムを書いてる側の人間で、いまでこそ少しはプログラミング本質的な難しさをわかってる気になってます。でもつい数年前までは、プログラミングは難しくはないけど得体がわからない、という感じでした。

そのへんのコードを組み合わせて動くものはできるけど、何がどうなっているのかは知らんし、ググって分からないものはできない、という方向で、「プログラミングは難しい」と思ってました。


最近になって、プログラミング義務教育必修化の話題とか、コピペプログラマー話題とかを目にするたびに、かつて自分プログラミングに対して抱いていた「得体のしれない行為」という感覚が思い出されてしまい、少しざわざわした気持ちになったので、ちょっとここに書きなぐらせてください。


だいたいが個人的な話なので、そういうのがうっとうしい人は無視してください。


ぼくが世の中にパソコンという道具があることを知ったのは、たぶん中学生ときです。30年くらい前。当時、電気屋の売り場ではけっこうな床面積を使ってワープロ文章入力する専用マシン)が陳列されてました。文章を書くのは好きだったけど、字を書くのが死ぬほどめんどくさかった自分は、ワープロさえあれば自分小説とか書くのになあと思いながら指をくわえて電気屋の店内をうろうろしてました。しかし、ファミコンすら買ってもらえなかった家計ではワープロなんぞ買ってもらえるわけもありません。そのうち巡回してた電気からワープロが消え、それに代わってパソコンのコーナーが広がっていきました。このパソコンというのは、よくわからないけどワープロとして使えるっぽいし、どうやらファミコンを持っていない僕にもゲームができるらしい、おれに必要なのはこれだ、というわけで、中学生だった自分パソコンという存在に興味を抱くようになったのでした。


はいえ、だからといってパソコンを買ってもらえるような家計ではなかったわけなので、カタログを熱心に眺めるだけの毎日が続きました。その当時の自分にとって、パソコンが欲しいといったら、それはNECを買うかエプソンを買うかという選択でした。冨士通からパソコンが出ていることは知りませんでした。マッキントッシュっていうやつもあって、このPerformaっていうやつはなぜか安いとか、よくわからないけどシャープとかソニー独自パソコンを作っているぞとか、そういう情報パソコンに対する認識のすべてでした。当時の自分にとってのパソコンは、電気メーカーから発売されている商品一種であり、ラジカセとかテレビと同列の存在でした。


なんでこんな話がプログラミングにつながるかというと、ひょっとして自分プログラミングにずっと感じていた「得体のしれなさ」の源泉の一つは、こんなふうにパソコン電化製品として見ていた当時の感覚の延長だったのかもなあと思ってるからです。


ラジカセなら、CDだのテープだのを入れて再生タンを押せば、そのハードウェア機能物理的に体感できます。それに対してパソコンは、プログラミングちょっとやってみても、その行為と、そのハードウェアとが、感覚的に結びつきません。もちろん、プログラミングというのは、物理的なデバイスに結びつけて考えなければできない行為ではありません。しかし、パソコンを「カタログ商品」として見るところから入ってるばかりに、そこでやるプログラミングという行為ハードウェアとの結びつきが見えにくい状態に、なんとなく居心地の悪さを感じていたように思うのです。


もし自分スタート地点が、パソコンを使って文筆やゲームをするところだったら、パソコンは文筆やゲームのための箱だったでしょう。その後でプログラミングを始めていたなら、プログラミングという行為を、文筆やゲームに関連した創造的な活動として学べたかもしれません。


ところが実際には、自分はつい数年前まで、パソコンという電化製品に対する漠然とした行為としてプログラミングを捉えてた気がします。


プログラミングを始めたのは、高校生になって誰も使わないFM77が部室に置いてあったので立ち上げてみたらF-BASICインタプリタが起動したからでした。とくに何をプログラミングすればいいかもわからなかったので、教科書雑誌コードを転記したり、ループで線画を書いたりして遊んでいました。大学に入ってからも、授業でFORTRANとかLispをやらされたけど、基本的自分目的をもってプログラミングするのは数値計算くらいのものでした。そのころになると、本で情報を探して(まだインターネット検索は使い物にならなかった)適当コードをつなぎ合わせるのがプログラミングだと思ってました。そんなん面白くないなあ、とも思ってました。


この感覚、完全に、いま揶揄されているコピペプログラマーのそれだったと思いますちょっと話はそれますが、ブロック遊びとか砂場遊びって、ほとんどの人はわりとコピペプログラミングと似たような感覚でやってるんじゃないでしょうか。パーツを勘で組み合わせたり、とにかく砂を盛っていったりすれば、家みたいなのができるよね、という感覚プログラミングは、自分にとってそれに近い作業でした。学生のころは、内心、自分にもパソコンサンプルコードさえあれば何かすごいものを作れるかもなあ、くらいに思っていたふしもあります


自分バカでした。パソコンがあるとかないとか、関係ないのです。パソコンさえあれば、なんて思う者に、本当のプログラミングがわかるはずがありません。


そんなこんなで、自分はまともにプログラミング経験しないまま社会人になったわけですが、幸いにもプログラミングに対するこの感覚は、仕事パソコンを日々使うようになってから徐々に変わっていきました。

具体的には、パソコンが、自分の中で「カタログ商品から武器」へと変わりました。それと同時に、プログラミングという行為が、武器開発という位置づけになりました。

武器というのは言い過ぎだとしても、ちょっとしたプログラミングは確かに業務上課題を打開しました。それなりに計算機科学教科書を読んで勉強をしたこともあって、いつのまにかプログラミングに対する「得体のしれなさ」も解消してました。


結局のところ、自分にとっては、プログラミングという行為の「得体のしれなさ」から解放されるまでにずいぶん長い時間必要だったことになります自分がそうだったからといって他人もそうだとは限らないですが、たとえば小学校で形だけプログラミングを教わっても、分かるとかわからないとか、好きとか嫌いとか以前に、なんかモヤモヤした気持ちになるだけの子もも少なくないんだろうなあ。それは不憫だなあ。


かといって、自分がいまプログラミングで少しは戦えてるのは、そのむかしパソコンに憧れがあって、得体がしれないなりにプログラミングをする機会が若いときたまたまあったからでもあるので、そういう機会になるなら小学校で形だけでも教えるほうがいいのかなあとも思います


オチがないので、このへんで。

http://anond.hatelabo.jp/20170118084309

おまえさんだって小学校高学年の頃や

中学高校の頃に起きたイベントのことは覚えてるだろ。

リーガーだった。(自己保存用)

リーガーだった。

つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約サッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。

山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま選抜に選ばれて、地元広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟応援してくれた。でも僕は落ちた。普通に落ちた。

田舎中学校に進学した。小さな中学校にはサッカー部はなかった。陸上部に入った。1年生の時に、走り高跳びで県大会入賞した。それでもサッカーをしたくて、1年で陸上部を退部した。放課後は親に車で迎えに来てもらい、片道1時間かけて市外のサッカークラブ練習をしていた。中学校卒業すると、県内一のサッカー強豪校に一般入試で入った。

サッカー部部員100人を超え、県外から入ってきたエリートが沢山いた。僕がかつて落ちたジュニアユース出身で、ユースに昇格できずに入部してきたやつもいた。サッカー部寮生活上下関係が厳しかった。4人部屋の寮は、自分以外先輩だった。朝は先輩よりも早く起きた。目覚ましの音で先輩を起こしてはいけないので、目覚まし時計を抱えながら寝て、アラームが鳴って1秒で起きた。6時にはグラウンドに行った。掃除雑用もこなした。なぜか女子マネ雑用ほとんどやらなくて、1年生が雑用係だった。授業が終わるとダッシュでグラウンドに行き、全体練習の後も居残りをして20時過ぎまで練習をした。100人を超える部員の中で埋もれていた。1年生の秋、部内の身体能力体力テストとある項目でダントツ1位を取った。テスト全体でもかなりの好成績だった。これがきっかけで、監督が少し目をかけてくれるようになった。

3年生が引退したあと、2軍チームに入るようになった。そのあとすぐに1軍チームのメンバーに入った。高校サッカー選手権予選にはプロクラブスカウトも来ていた。チームのメンバーで声がかかった人もいる。僕は声がかからなかった。3年生になってすぐ、自転車で転んで手首を骨折した。休んでる間に、期待の1年生にポジションを奪われてメンバー落ちした。最後全国高校サッカー選手権スタンド応援した。目立った活躍もできないまま卒業した。

大学生になって一人暮らしを始めた。プロになることは諦めていた。一応サッカー部に入った。サッカーが好きだったし、就職のことも考えて部活はやっておいた方が良いと思ったからだ。自主練はしなくなり、休みの日は日雇いアルバイトをした。楽しかった。意識が変わったのは、高校時代の1学年上の先輩の近状を知ってからだ。その先輩は高校3年生当時、就職も進学も決まってなかった。卒業後は地域リーグクラブアマチュア契約をしていた。その先輩が地域リーグ活躍し、J2のチームとプロ契約をしたと知った。自分にもチャンスがあるかもしれないと思った。サッカー真剣に取り組むようになった。3年生の時に、部活顧問コネであるJ2チームに練習参加をした。全く練習についていけず邪魔から帰れと言われた。なぜか翌年、そこからまた練習参加の打診が来た。手ごたえはあった。これでダメならもうあきらめがついた。そして僕にプロ契約オファーが届いた。

C契約とよばれるランクの低い契約で、1年契約だった。そのクラブは、J2リーグの中でも資金力がなく、歴史も浅く、リーグ下位のチームだった。当時そのチームは、大学から新加入選手を大量に獲得していて、僕もその1人だった。年俸は詳しく書けないけど200万台だった。そこから税金年金を払うことになる。そんな待遇だけど、一応Jリーガーとなった僕に周りはチヤホヤしてくれた。両親や恩師はすごく喜んでくれたし、ずっと連絡のなかった地元の知り合いや親戚からいきなり連絡が来たし、サインを頼まれたし、1度も話したことのない大学女の子から告白されたりした。

ガラガラ会議室入団会見をして、住み慣れない土地寮生活を始めた。Jリーガーはチャラいイメージがあるかもしれないけど、田舎だし車もないしで、サッカー以外やることがなかった。チームメイトの車に載せてもらい練習場まで通った。ここから華やかなプロ生活の話でもしたいけど、僕はほとんど試合に出れなかった。僕がプロとして公式戦に立った時間は、2年間で合計100分に満たなかった。100試合じゃなくて100分。遠くから親が試合を観に来てくれたことがあるけど、結局1回しか試合を見せることができなかった。その時の出場時間も6分くらいだった。僕は2年で退団をした。トライアウトも受けたけどプロ契約オファーはなかった。そしてサッカー選手引退した。引退した時は冷静だった。自分よりも、両親の方が落ち込んでくれた。

プロをしていてうれしかったことは、社会活動の一環で小学校訪問したことだ。子どもと一緒にサッカーをした。その時に一緒のグループサッカーをした男の子が、僕の所属するクラブチームファンだった。その子は僕の名前も顔も知らなかったけど、それ以来僕の背番号ユニフォームを着て応援に来てくれるようになった。全く試合に出ない僕の背番号ユニフォーム応援イベントに来てくれた。

引退したサッカー選手はただの一般人だ。僕は所属していたサッカークラブから斡旋で、某民間企業インターンシップ半年間受け、その後正社員になった。入社した時期は本当にきつくて、こんな仕事すぐにやめてやろうとか、他にやりたいことを探そうとか思ってたけど、なんだかんだで続いている。サッカーは全くやらなくなった。飲み会で、新しく入ってきた会社の後輩に「ここの会社に入る前はJリーガーをやっていたよ」と言ったら冗談だと思われた。サッカーのことは忘れようとしていた。

年末に母が亡くなった。4年ぶりに実家に帰った。実家の片付けをしていたら、母が保存していたスクラップブックが出てきた。小学生の時に県選抜に選ばれた時の広報高校時代のチームの結果が載った新聞記事サッカー部員として大学パンフレットに載った時の写真入団が決まった時の記事Web配信されたニュース記事印刷したもの、僕の試合を観に来てくれた時のチケットの半券、試合のチラシ、とにかく何でもスクラップしていた。今までのサッカー人生と、母の思いに涙が止まらなくなった。たった2年間でも、プロとしてユニフォームを着れたことを誇りに思っている。

偉大なる元増田様 ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052

キャッシュttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052)

魚拓 archive.is/3Xff2

2017-01-17

0.77%、0.72%、0.67%、0.45%

これは、阪神淡路大震災で、特に被害の大きかった神戸市東灘区神戸市灘区神戸市長田区・神戸市長田区における、当時の人口あたりの死亡率です。ザックリ言うと、これらの地域では、「あの日、200人につき1人死んでいる」ってことですね。

私のフェイスブック友達の数は190人。ザックリ言うと、この中で1人死んでいたでしょう。

LINEの友だちの数は185人。ザックリ言うと、この中で1人死んでいたでしょう。

高校同級生が300人。ザックリ言うと、この中で1〜2人死んでいたでしょう。

小学校同級生は50人。これなら、誰も死んでいないかも知れない。でも、親兄弟を含んだら?親戚を含んだら?兄弟友達恋人は?あのとき担任先生は、何人の教え子の訃報を聞いた?

校庭に仮設住宅が建ち、体育館だけでなく教室の中にも避難者がいる中で、残った数少ない教室や図工室、音楽室で授業を受けていました。部活レギュラーだった同級生が転校してポジションが変わりました。身近なところに死者がいなかった私は、いつもどおり朝起きて「あれから何年経ったか」を確認する。

2017-01-16

娘がブスすぎて愛せない

11歳の娘がすっごいブスで愛せない。顔を見るたびにイライラする。

あたしはかなり美意識が高い方だと思う。服も化粧もスタイル小学生の頃から自分なりに研究して磨いてきた。だからお腹の子供が女の子だとわかったときは嬉しくて、可愛い洋服を選んであげたいとか一緒に買い物に行きたいとかお化粧教えてあげたいとかいろいろ想像した。

でもいざ産んでみたら娘は顔が本当にダメだった。一学年に一人いるかいないかってレベルでブス。太い眉と一重の細い目に豚鼻。成長すれば多少は整うかと期待したけどそんなことはなくて、恐れていた通り、旦那そっくりの顔に仕上がった。

女の子らしい可愛い服はもちろん似合わない。本人もそれはわかっているみたいで、小学校に上がったあたりからスカートを履きたがらなくなった。ピンクのものディズニーキャラクターも嫌い。高学年になると男の子向けのかっこいい、というかごつい柄をわざわざ選ぶようにすらなって(スポーツブランドロゴ入りの彫刻刀ケース?を買おうとしたときはさすがに叱りつけた)、今ではもう母親のあたしにも我が子の感性がわからなくなった。せめて心だけは女の子らしく愛嬌のあるように育ってほしかったのに。性格もなんだか卑屈で暗い感じで、最近ではあたしともあまり話したがらない。顔の影響が内面にまで及んでしまったらもう手のつけようがないですよね。こんなことになったのは妥協して不細工旦那結婚したせいだ、旦那の前に付き合ってた元彼(低収入だけどイケメン!)と結ばれていればよかったのになんて考えまで浮かんでしまう。娘も旦那も嫌い。毎日毎日嫌で涙が出てくる。

娘も近頃胸が膨らんできたのでそろそろブラを買ってやらなきゃいけないな。もう少ししたら初潮も来るのかな。気が重い。

婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

今年87歳になった婆ちゃんに、

正月田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。

当時「この世界の片隅に」のすずと、

同じような年齢で戦争経験した婆ちゃんに本当のところは、

どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。



婆ちゃんは7人兄弟の三女。

婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて

物心いたころには、後妻としてきたお母さんに育てられたそうだ。



婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業成功していたらしく

家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、

戦争前に事業に失敗。

家は途端に貧しくなったらしい。



たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、

小学校先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て

婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。

当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、

授業料免除手続きなどをするなど、

本当に熱心に動いてくれたらしい。



結局は婆ちゃんのお父さんも先生の熱意に打たれて

全寮制の女学校に行けることになった。

戦争は、そんな女学校時代に起こった。



戦争が始まる前、日本満州での事業で盛り上がっていたそうだ。

大陸未分化な国を日本配下に置いて発展させることは、

とても素晴らしいことで全く悪いことだと思っていなかったそうだ。

学校では、天皇陛下神様と教えられて、

天皇陛下の元、男子兵隊さんになるのが当然だと思っていた。



近所の家が、共産党員の容疑をかけられて警察に連れて行かれた。

婆ちゃんのお母さんは、近所のオジさんは悪い事をしていたと伝えたらしく、

子供心にショックを受けたそうだ。



戦争が始まっても、ばあちゃんの日常は変わらなかった。

普通に勉強していた。ただ、農作業時間が入ったそうだ。

女学校同級生みんなでさつま芋を育ててたらしい。

そのうち、普通の授業の時間はなくなり、

富山工場女学校の全員で働きに行く事になった。



毎日10時間ミシン兵隊さんの洋服を塗っていたそうだ。

女学校勉強できなくなるのは残念だったが、

天皇陛下のためだし、戦ってる兵隊さんのためだかしょうがないと言っていた。



徐々に女学校日常が、戦争への協力の日常に変わっていくのは感じていたそうだが、

戦争はずっと勝っていると思っていた。

新聞ラジオ毎日のように、日本の大勝利の話ばかり流れていたそうだ。



そのうち、配給が減ってくるといつもお腹が空くようになった。

芋だけじゃなくて、芋がらといってツタとかも食べたらしい。

お腹が空いて寝れない日が普通になった。

友達とは、毎日食べることばかりを話していた。

炊きたての白ご飯に納豆をかけてお腹いっぱい食べたるのが夢だった。



そんな日常の中、空襲が婆ちゃんの工場を襲った。

焼夷弾が次から次へと降ってきて、

花火のように火を吹き上げるんだそうだ。

婆ちゃんは怖くて怖くて、山の上に逃げた。

町中が灼熱地獄のように暑かった

ただ、ただ、山の上に逃げた。



当時、なんで山に逃げたのかは自分でも解らなかったらしいが、

一緒にいた友達が山に逃げるので一緒に着いていったそうだ。

結果、それが婆ちゃんの命を救った。

ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。

そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。

川に逃げた人はみんな死んだ。



空襲が止んで、友達は半分も残らなかった。

婆ちゃんの働いていた工場も完全に破壊された。



その後、近くで何度か空襲があったらしいが

運良く婆ちゃんの所には直撃せず、

次の工場への移動が決まり、準備を進めていた。



そんな矢先、唐突戦争は終了した。

天皇陛下の敗北宣言を聞いた時、

戦争に負けた悲しみよりもなによりも、

もう爆弾が降ってこないことが嬉しかった。



もう、爆弾が降ってこないんだ。



と言った時、婆ちゃんはうっすら目を潤ませていて

本当に本当に辛かったんだなあと、

聞いてる俺も泣きそうになった。



その後戦後の本当の食糧不足や、

食糧不足になって、都会の親戚が着物いっぱい持ってきた話なども聞いたが、

だいぶ長くなったので、ここで話を止めたい。



今の日本海外若い人たちが

戦争を始めることもいとわないと言うのを聞くと

から恐ろしくなるし、

あん経験を俺や俺の娘にはさせたくないと

強く言っていた。

2017-01-12

この際だから和暦を捨て去ろうという

日本ポツダム宣言を受け入れた、と小学校の授業で習ったとき、幼かったわたし戦争の閉会宣言のようなものだと認識し「ああ、これでこわかったアメリカさんとも仲良くなれるのだなあ。平和になったのだなあ」と思った。無条件降伏という言葉意味や重さを意識したことがなかった。

ところが戦後どうだ。「日本アメリカ植民地」というのは自虐でも揶揄でもなく、まことにそのまま言葉通りのものだ。

日本の仕組みは徹底的にアメリカ利益を吸い上げられるように組み替えられ、誰もそのことに気がつかないレベルで綺麗に植民地化された。

隅々まで道路が発展し、どんなに歩行者運転者危険だろうと、アメリカ利益になっているうちは車社会は止まらない。

一流企業社員でさえ、死ぬまで働かされるし死ななかった場合自殺に追い込まれる。

誰も自分幸せにしようと思わないし、他人幸せにしようなんてなおさら考えたこともない。

日本が豊かになろうと貧しくなろうと、何人死のうと平均寿命が伸びようと、アメリカにとってはアメリカ利益になればいいし不利益になればバッシングが起きる。

ある晴れた昼下がり、芝の上にごろんと横になって半日を潰そうかとか、向こう40年間で一度でもできる時が来ると思うだろうか。思わないだろう。なぜなら、わたし奴隷の子孫だからだ。

中国では旧正月を祝うのです」あるとき中国のそんな文化を聞いてふーんと思った。ふーんと思ったのち、しばらくして気がついた。中国人は「旧」正月を祝っているつもりなんてない。中国戦勝国から自分たちの暦で好きなときに祝えるのだ。日本アメリカ植民地からアメリカ経済に都合のいいように暦も書き換えられているのだ、と。

そんな何もかも失った日本で、唯一といっていいくら独立国家らしい真似事が残されているのが「和暦の制定」

ひとは面倒くさいからこの際和暦も捨て去ってしまった方がいいという。

なるほど、文化というのは、人が使わなくなったら廃れていくことこそが自然なのだから、その考えもいいだろう。

どうせ和暦といってもアメリカ太陽暦に合わせて元号だけつけさせてくれる、「独立国家の真似事」の名残みたいなものだし。

昭和から平成へと、敗戦後一回だけ和暦の平定を宗主国アメリカからゆるされたが、次の元号国民自ら捨て去ってもいいと言うようになった。植民地支配これに極まれり。先人たちは、平定の先に何が見えると考えていただろう。合理の名のもと、独立国家のおままごとが終わろうとしている。わたしは少し寂しさを覚えた。

2017-01-11

今田舎で働いてる人が通った保育園は半数が廃園している

小学校廃校廃校寸前。

中学校高校統合済み。

今週のケータイ大喜利やらかしそうで怖い

お題1が凄く失礼なことになりそうなんだけどどうなの?生放送出来るの?これ。

ゆとり世代5人が変身!ヒーロー戦隊「ユトレンジャー」今週のタイトルとは?

 

これをお題として出すということは、

番組的にはゆとり世代はイジってもいい、笑いものにしてもいいと考えてるんだよね?

確かに投稿者の中には名前ゆとり世代自称している人もいるけどさ、

仮にもお題を出す側がこの姿勢ってどうなん。

 

つうかそもそもお題としても成立してないし。

だって今の戦隊モノ役者はみんなゆとり世代だもん。

まともに考えたら普通に普通戦隊モノなっちゃう。

例えるなら「6歳の子小学校入学!何が起こった?」というお題を出すようなもんだよ。

 

年末放送は明らかにゲストのリハ不足だったし(本番で駄目出しってどういうことだよ)

こないだの収録放送もあまり盛り上がってなかったし、

挙げ句の果てに変なお題。どうした?ケータイ大喜利

http://anond.hatelabo.jp/20170111015017

日本語でおk



貴様

日本語の通じない奴だな

「間違ったという結果が出ている」

この文章のどこがわからないのやら

小学校から国語やりなおせよ



貴様

勘違いは結果だと言ったろうが 間違ったもの勘違いと呼ぶんだよ 辞書引けよまったく



Goo辞書によれば「かんちがい勘違い】とは。意味解説、類語。[名](スル)間違って思い込むこと。思い違い。」 と書いてあり、明らかに課程に発生している概念だな。



貴様

話そらすなよアホ



辞書を引けというから辞書を引いて提示したはずなのだがな。

勘違い】の類語やシソーラス。[共通する意味] ☆事実意味などを取り違えて認識すること。

勘違い】とは。意味解説、類語。[名](スル)間違って思い込むこと。思い違い。

デジタル大辞泉 - 勘違い用語解説 - [名](スル)間違って思い込むこと。思い違い。

もう引用はいいだろう。どこに結果が含まれているのだろうか。

あくまでも思い込むという過程比重が置かれている。

一番該当しそうな取り違えに関しても、あくま認識であり内在している。

まったくひどいものだな。スラングでいえば「日本語でおk」というあたりか。



さてもう一つ

愚者の原文

人の言葉深読みするというか、勝手に補完するというか、勝手に代弁するというか、関係ない事柄と無理やりにでも結び付けるというか…。

そういう、行き過ぎた妄想自己解釈にとどめず、「つまりあなたはこういいたいんですね!」と言い切ってしまタイプの人がすごく苦手。

『そこまで考えてない文章』を深読みし、そうやって作り出した超自己解釈

「作者はここまで考えてこんなメッセージ性込めたんだ…深い」と一人で感心してみたり。

閲覧者にそういったタイプの人が一人いるけど、どう対応すればいいかからない。

何度も「深い意味はない」「ただのフィーリング」と書いてるのに深読みされる。

過大評価されてるっぽいし、知らぬ間に思想に巻き込まれたり敵作ってそうで怖い。

こういう人って何と言うんだろう。早とちり?違うなぁ…。

これが貴様の原文だな。

日本語の通じない奴だな

「間違ったという結果が出ている」

この文章のどこがわからないのやら

小学校から国語やりなおせよ

中段以降の『そこまで考えてない文章』~は一人称が抜けており、作者以外の一般化された事象に用いられているようにも見える。

元々原文には一般化した「読み間違い」に関する事項が記されているため、一人称による体験談は例示にすぎない、という受け取り方にも繋がる。

「そういったタイプ」の部分が一般化の最たる部位だ。

しかし「何度も~」以降は再び作者の体験談に戻っており、視点にばらつきがある。

はっきりいえば原文を書いた人間の神経が全く行き届いていないと言えるし、著しく雑だ。

こんな文章を書いておきながら誤読されていると思わしき内容を記すのだから、愚かというほかはない。

私が貴様にふさわしい単語を用意してやる。「浅慮」だな。そして教えてやりたい単語は「推敲」だ。

さらにもう一つ言っておいてあげよう。私の指摘はやはり間違っていない。

単語使用ミスを延々と訂正しない愚かさも全く度し難いが、私の指摘通り間違った読み取りを導いているのは貴様自身だ。

途中で質問しているがそれに答えていないな?

3.お前自身の読み取り能力が疑わしい可能性を含む、という疑念が文中にない。

ちなみに一番と二番は基本的に「勘違い」という単語に対するお前の勘違いを指摘しているだけで、これも別段間違ってはいない。

2017-01-10

体罰教師来賓

助けて欲しいです!

息子が当時の担任から首を絞められ、叩かれる等の体罰を受けました。杉並区体罰認定してくれましたが、校長は未だに体罰事実を認めず、謝罪もありません。体罰教師は、通常の人事異動で今も他校で教えています

そればかりか、校長が息子の卒業式に、体罰教師来賓として招くと言うのです。息子は怯えて、卒業式に出られないかもと言っています

東京都教育委員会にも何度も話をしましたが、「都教委は東京都職員処罰指導を行う部署であって、イジメ体罰を無くす部署ではありません。」だそうです!

文科省からは「優れた職員の働きを認める学校」として、学校表彰もされると言われました。体罰をした学校表彰されるのは疑問と伝えましたが、評価の仕組みが違うので、と言われました!

頑張って学校に通った息子が卒業式に出られなくて、体罰教師来賓として出席できるっておかしくないですか!?

日本死ね」再びです!

日本教育現場はまだこんなに腐ってるんですか!?

教育に携わる者が、イジメ体罰を無くすつもりが無くて口だけ。

区の体罰認定も、1人で頑張って勝ち取りましたが、まだ戦わなくてはいけないなんて…。

1人の力では弱いです。

苦情だけでもいいので、助けて下さい。

掲示板書き込みが慣れず、名前を出していいのかわかりません。

杉並区公立小学校です。

36歳男性による初めての女装サロン

キモい話をします。



http://anond.hatelabo.jp/20161229161258元増田氏とおそらく同じところに行って初めての女装経験をしてきた時のことを書きたい。といってもサロン内での話じゃなくて家に帰ってからの話。



サロン内で撮影してもらった大量の画像データは帰りに一式もらえるんだけど、家に帰ってPCDVD入れてファイルを表示してみると出てくるのは顔を白く塗って女性物の服を着て微妙姿勢の悪い立ち姿で奇怪なポーズをしている36歳男性の姿。



お化粧されて女性物の服を着て「かわいいかわいい!」言われながらの写真撮影はひたすら楽しかったけど、こうやって客観的にその容体を突きつけられると「まあ、そうですよねー」という感想しかなく、苦笑いしながら写真画像を順に眺めてた。



そうして見て行くうちにあるポーズ写真だけ、あれ、これ意外と女性っぽくないか、っていう写真が出てきた。



これは、ひょっとして…!、と思ってPhotoshop立ち上げて深く入りすぎてる豊麗線やら眉間のしわやらちょこちょこと除去してあげたら、目を細めてにっこり笑う女の子が目の前の液晶画面に現れて思わず泣きそうになった。



僕は体が小さくて、背の順は常に1番前で、走ったりボール蹴ったりがすごく苦手で休み時間教室図書館で大体過ごしてた。で、当時やってる男子向けの戦隊ヒーローとかスポーツものみたいなアニメ漫画より女子向けのそれの方が楽しくて、でもそれは全く間違っているような気がして、おもちゃをねだったりとか女の子遊んだりとかできなくて、そういう気持ちを内に秘めたまま過ごしてた。



小学校でも学年が上がってくると早い男子声変わりとかし始めて、でも僕は小さいので全然変わらなくて、あれ?ひょっとしてこのまま声変わりとか来なければ、女の子になれるんじゃないか、みたいなおかしなことを考え始めてたりした。まあ、中三くらいにきっちり僕にも声変わりが来て絶望するわけだけど。



成長して一人暮らしを始めたりしていろいろ自由度が上がって、隙あらばかわいいものを、女の子みたいなものをという日々をおくるも、ファッション難易度高い。かわいい服が着たいけどどうにも難しい。いや、何着か自分でも女性物の服を通販で買ってとりあえず着てみたりしたけど、髪もそのままメイクもなしじゃどうにもならなかった。



そんなわけで、思い切ってこういうところを予約して女装して撮影してもらった写真から、これは女の子に見える、人がどう思うかわからないけどともかく自分かわいいって思えるものが目の前に現れた時、なんだか自分の中にずっと居た女の子自分出会えたような気がしてすごく嬉しかった。ちゃんと女の子の僕が自分の中に存在して今までずっと一緒に居てくれてたんだなーって。自分で書いててどういう論理なんだって突っ込みたくなるけど、画像見たとき、反射的にそう思っちゃったんだからしょうがない。



行く前は良さそうなら自分でもメイク練習してコミケコスプレとかしてみようかな、なんて思ったりもしたけど撮影してもらった写真を眺めてそれはちょっと無いなーと思った。



でも、表情とポーズを作る練習してもう一回くらい行ってみようかななんて気はしてたりする。なんだかんだで体験としてかなり楽しかったので。



ちなみにダメ写真はいくらいじっても僕のスキルではどうにもできませんでした。あとその画像スマホに入れて事あるごとに眺めてますキモいです。

2017-01-09

DeNA従業員全員再教育からでは?

DeNAは盗んでも犯罪犯しても儲かれば何してもよいな会社で、

そういったことを粛々とやってくれる人を評価し、

そういう人たちがお偉いさんになる評価システムで長年やってきているとなると

教育必須だよね。

利己主義者ほど出世するってことでしょ。

教育と言ってもホントレベル小学校道徳の授業の素読あたりからする必要ありそうだが。

今のまま組織を変えないと、またやるよね?

間違いなく。100%同じあやまちを起こすと思う。

もう何回やっているんだよ?

自浄作用ない企業球団もたせている時点で

日本野球機構とかって仕事しているのかな。

強権発動しても良いレベルだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20161225234917

そういえば小学校同級生が某週刊誌セミヌードになってたのだが意外と抜けなかった。

15歳でホームレスになってから早5年。ようやく普通生活を手に入れた

まれは、4人家族。姉と僕と親二人。

もともと父が会社をやってたけど、自分が生まれたぐらいか会社が傾いて、僕が小さい時に会社が潰れた。それから父が荒れて家族暴力を振るうようになった。僕が小学校2年生の時、母親と姉と僕で3人で遊びに行った。USJに行ってホテルにも泊まった。家の外に泊まることや、いわゆるアミューズメントのような場所にいくのは人生で初めてだった。珍しいなと思ってた。翌日また人生で初めてのカラオケにいった。そこで母と姉から、もう限界今日死ぬつもりだと聞いた。タクシーで崖に行った。もともと覚悟を決めていた2人と違って、僕だけ死にきれなかった。そのままタクシーで帰って、それからは父と二人で暮らしていた。

あんまり殴られることはなかったけど、父は仕事もしなくて、お金もないし、生活は貧しくて惨めだった。中学校に入ったぐらいから僕は夜遊びと友達の家を転々とするようになって家にはあんまり帰らなくなった。そのまま高校に行ってないのも恥ずかしくて、友達の家にもあんまり行かなくなって、ネットカフェ公園に泊まるようになった。日雇い労働バイト転々としながらそんな生活を数年繰り返した。

転機は職業訓練に通ったことだった。友達はみんな高三になって進学だなんだと言ってた。僕も探してみると、通うだけで月10万円くれる専門学校みたいなトコがあると知った。高認をとってそこに1年通った。そこでいろんな資格をとって、そのまま就職した。

もともと貧乏ぐらしが普通だったから、毎月20万円以上溜まった。ただ労働はとてもきつくて毎晩遅くまで、高プレッシャーの中働いてたから僕は心が折れて死んでしまいたくなった。帰りの電車では毎日泣いてた。辞めたら詰む。またフリーターだ、ネットカフェ難民だ。と思って、辞めてももっとお先まっくらになるぐらいなら死のうと思った。ほんとにふと線路に引き寄せられたりしてギリギリだった。当時1年半ほど付き合ってた彼女がいたんだけど、ある日のデートの帰り際に、死なないでね、心配だよって言われた。一回も死にたいなんて言ってないのに。それで泣いちゃって、なぜだかその時から気持ちがすっと楽になって。死ぬぐらいなら何かやろうって思って、もともと憧れもあった大学を志した。働きながら勉強して大学に受かった。入学金とか授業料も払えるお金もあった。

今はフリーエンジニアしながら大学生してる。そこそこの国立大学の1年生。収入も350万ぐらいあるし住む家(賃貸)もある。大学院用の貯金を考えたら贅沢はできないけど、食費も月3万円とか使えるし、これからもなんとなく、大学院卒業して、就職して、生活は徐々に上を向いていくんだろうな、ってぼんやりとした希望がある。10歳ぐらいからずーっと死にたいって思ってたけど、今日最近死にたいって思ってないって気づいて、なんだか涙が止まらなくなった。

文章にするとなんか薄っぺらいけど、ふと昔を思い出して、ここまでよく頑張ってきたなって思って。

最近楽しいよ、生きててよかったなと思う。

2017-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20170108124634

保育じゃなくて教育保育園じゃなくて幼稚園の話だっつーの。

保育園はそもそも教育機関ではない。保育園児は幼稚園に通えないが、かと言って全く教育しないのは問題だ、と言う事で

今は幼稚園並みの教育を行う保育園が増えているだけ。



んで小学校入学前の教育必要とされるから幼稚園があるわけだし、幼児教育重要視されてるのが最近世界的な傾向。

幼児教育を受けた子と受けてない子では将来の成績も得る収入もそれに伴って納める税額も違うんだとさ。

更に大きくなってから教育するより幼いうちから教育した方が全体でかかる教育費用が少ない、ってのも統計的に出ていて

幼児教育は最もコスパが良い」と言われてるくらい。

それに日本だと(海外でもあるだろうが)、ろくに幼児教育を受けてない子が

勉強以前に「授業中に大人しく座って静かに先生の話を聞く」事すら出来なくて授業中に遊び歩いて授業妨害したり

「同世代の多数の友人と無難人間関係を築く」事が出来なくて孤立して不登校になったりするというケースが起きて社会問題になってる。

小1からつまずけばその後立ち直らせるのは大変だし、学級崩壊が起きれば他の子にとっても迷惑となる。教師疲弊して潰れる原因にもなる。

んでこういうのを自宅保育だけで身に着けるのは困難だから幼稚園(もしくは幼稚園並みに教育する保育園)の必要性があるわけ。



その辺を考慮したうえでの「5歳児教育無償化」だよ。

義務教育として国民全員に幼児教育を施す、と言うのが本来理想だけれど

義務教育となるとハードル高すぎるからとりあえず無償化から始めてるだけ。

限られた貧困層への支援ではなく無償化ってのも、義務教育化する為の第一歩だから

http://anond.hatelabo.jp/20170108122820

うーん。

家庭で保育できないか保育園必要とされるのであって、

家庭で保育できるのであれば、いきなり小学校でも問題ないよね。


家庭で本来保育できないのに、保育園入園が不可のため家庭での保育を強いられているのであれば、

やはり保育園支援に立ち戻ると思うんだけど。

入園基準変更とか真の底辺層への保育費支援とか、そっちの方で。

一律で5歳児を支援する必要性は疑問だな。

http://anond.hatelabo.jp/20170108121333

こども手当以外でも、保育園以外の育児支援に対して「そんな事より保育園」と言う横槍は常に出るよ

今進んでいる5歳児の教育無償化(将来的には義務教育化したいらしい)なんかも

そんな事より保育園を優先しろと言われまくってる

あれは保育園幼稚園も行けない(金がないから行かせられない)ままいきなり小学校入学せざるを得ないような子を減らす為の政策なのに



そもそも幼稚園自体が減らされてるけどね、保育園優先だという事で補助金減らされて小さな所が潰されたり、こども園化して共働き家庭優先になったり

失業者母親とは限らず父親場合も)がいるか保育園に入れる対象にならない底辺家庭はおいてけぼり

http://anond.hatelabo.jp/20170108101220

田舎公立小学校あたりなら、子供のころから平等はたくさん目にするはずなんだけどな。

都会の私立なんかはクラスタが偏りまくってるから多様性というものを目にする機会がない。

結果、人はみな公平とか平等かい言葉鵜呑みにした子供が育つ。

小学校くらいから「人は皆公平、平等」と教育するのに

現実にはそうでないこともたくさんある。

はじめから「世の中こんなものだ」ということを教えておけば挫折とか自殺とかする人減りそうじゃない?

いわゆるこども「らしさ」が失われたこどもばかりになるかもだけどな。

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