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はてなキーワード: 近代化とは

2017-05-19

花房 義質(はなぶさ よしもと、1842年2月10日天保13年1月1日) - 1917年大正6年)7月9日)は、明治大正期の外交官岡山藩士で実業家政治家(初代岡山市長)花房端連の長男爵位子爵歴任した主な官公職枢密顧問官日本赤十字社社長など。

目次 [非表示]

1 来歴・人物

2 栄典

3 家族

4 脚注

5 関係記録

6 関連事項

7 外部リンク

来歴・人物[編集]

緒方洪庵適塾で学び、1867年ヨーロッパ諸国アメリカ遊学し翌年帰国1870年から外国官御用掛として外務省出仕。同年日清修好条規の土慣らしの為に渡清。

1872年ペルー国船に乗船の清国人奴隷虐待問題マリア・ルース号事件)で外務卿副島種臣の補佐として書記官担当し、仲介裁判のための代理公使としてサンクトペテルブルク派遣され、訴訟の後は日露国画定交渉のため派遣された榎本武揚全権公使を補佐。

1877年、駐李氏朝鮮代理公使に任命されるが翌年1878年8月10日から1876年5月に締結された日朝修好条規に反して 朝鮮政府釜山の豆毛鎮に税関を設置し、朝鮮国内の輸入行者に対して関税徴収を開始したことから報復措置として代理公使の花房は軍艦と共に釜山派遣され豆毛鎮に設置された税関撤去要求する。最終的に、朝鮮政府が折れる形で事態は沈静化し、1878年12月4日に豆毛鎮の税関正式撤去された。1880年4月日本政府漢城への日本公使の常駐化を決定、初代公使として花房が任命される。だが、この時点ではまだ漢城公使館は開いていなかった。この公使館開設の件と仁川開港問題について金弘集と折衝し、その後、漢城日本公使館正式設置と仁川開港朝鮮政府に認めさせ、それに併せ日朝間で国書の交換がなされ、花房は代理公使から公使へと昇格した。

その後朝鮮駐在朝鮮近代化の為別技軍を提案するが、それが原因となった壬午事変では暴徒に包囲された公使館脱出して命からがら帰国、直後に寺内正毅率いる日本軍と共に朝鮮渡り済物浦条約を締結させ、事件の損害補償とともに、漢城への日本軍駐留などを認めさせる。

1883年より1886年までの3年間にわたり、在露特命全権公使としてサンクトペテルブルク駐在した。

その後は農商務次官、帝室会計審査局長宮内次官枢密顧問官日本赤十字社社長などを歴任した。1896年華族に列せられ男爵

目黒にある城南五山の一つである花房山は、1911年に花房が子爵に陞爵した際に別邸を構えたことが地名の由来。(現在品川区上大崎三丁目付近

1917年慢性胃炎のため死去[1]。

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

2017-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20170507171049

今の近代化船はワンオペから、航海中に船員が一人でも欠けると大変だと思う。

代わりがいない分、そこまで酷使されないんじゃないかなって。

2017-03-31

暗君東西対抗

単純な失政や暴政よりはエピソード重視。

だいたい次代の奴が自己正当化のために悪く書いただけで、実際はそこまで馬鹿じゃないという話もあるので、話半分に読みましょう。

?-前771姫宮西周の第12代の王・幽王。無口無表情系の美女・褒姒の機嫌をとるために、用もないのに何度も緊急の烽火をあげ、集まってくる諸侯の軍を見ては、褒姒と一緒に笑っていた。ついに反乱が起きた時、幽王はあわてて烽火をあげたが、もはや集まる軍はなかった。これにより西周は滅んで東周が興り、そして春秋時代へと突入していく。
259-307司馬衷西晋の第2代皇帝・恵帝。先帝の御前で家臣が「あいつには玉座がもったいない」と言い放ったほどの暗愚だった。飢饉ときに「米が無いなら肉粥を食べればよいではないか」と言い放ち、かの有名な台詞を1500年くらい先取りした。その無能さ故に、代わって政治の主導権を握ろうとする皇族たちが争い「八王の乱」が起きたが、その無能さ故に殺されることはなく、48歳のときに食あたりで死んだ。
335-357苻生前秦の第2代皇帝・厲王。生まれつき隻眼だったために祖父から忌み嫌われ、たびたび鞭打たれるなど、虐待まがいに育てられた。武勇に優れていたが、残虐で酒を好んだ。宴のときには酒を飲まない者を殺したため、諸官は懸命に泥酔せねばならなかった。また隻眼のコンプレックスから「少」「無」「残」「偏」などの文字を使うだけで誅殺した。従弟たちが起こしたクーデターにより23歳で殺害された。死ぬ間際にも泥酔していたという。
463-477劉昱劉宋の第7代皇帝後廃帝。「天性好殺」と評されたシリアルキラー。従者に凶器を持たせて街を練り歩き、気に入らない者を自ら殺して回った。贈り物が好みでなかったというだけで皇太后を毒殺しようとしたが「喪に服しているあいだは街へ出られませんよ」と諌められて諦めた。一日に誰も殺さないと不機嫌になったという。有力な将軍クーデターにより14歳若さ殺害された。
502-549蕭衍南梁の初代皇帝武帝。当初は名君の誉れ高かったが、次第に仏教に傾倒していき、莫大な寄付金国庫を傾けた。なまじ優秀だったために諫言を聞かず、勝手出家してはそのたびに寺院から連れ戻された。周囲の反対を押し切って、隣国を追われた武将を受け入れたところ、即座に反逆され、凄惨な籠城戦の末に捕縛幽閉された。息子たちの誰も救援に来ない中で、惨めなうちに病死した。
1122-1161完顔亮金の皇帝。「天下の美女を妻に得たい」と嘯き、親族、家臣の妻、母娘、幼女、あらゆる美人後宮に入れ、宮殿のいたるところで乱交した。幼い姪を強姦して殺し、従弟の妻を奪おうとして死に追いやった。南宋に対して大規模な遠征を行ったところ本国で別の皇帝擁立され、それでも遠征を続けようとして部下に殺された。死後、皇帝どころか王とすら見做されず、「海陵庶人」と記録された。
1563-1620朱翊鈞明の第14代皇帝万暦帝。幼い頃から聡明で知られ「朕は5歳で字が読めた」とよく自慢していた。宰相張居正の手腕により、統治の初期は成功を収めたが、その後は外征・内乱が相次ぎ、自身酒色に溺れて堕落した。明で最も在位期間の長い皇帝だが、30年にわたって後宮引きこもり上奏があっても何の返答もしなかったため、国政は機能不全に陥った。ただし徴税だけは熱心だったという。

西

161-192コンモドゥス17ローマ皇帝暗殺未遂や側近の裏切りなどから政治への興味を失い、剣闘にのめりこんでいった。「ヘラクレス化身」を自称して狼の毛皮をまとい、実際に剣闘士としてコロッセウムで戦った。その武勇は素晴らしいものだったが、「皇帝奴隷の真似事を」とローマ市民を嘆かせた。あるとき重臣たちの粛清を図ったが、逆に毒薬を飲まされ、朦朧としたところを襲われて殺された。31歳だった。
203-222ヘリオガバルス23ローマ皇帝ローマ最高神故郷シリアの土着神に挿げ替えてその神官となり、処女を守るべきローマ巫女結婚して神の子を産もうとした。その後は離婚結婚を繰り返し、最後には女装をして男性奴隷の「妻」として振る舞った。さら宮殿の中に売春宿を作り、自ら男妾となって通りがかる男性を誘い込んだ。マゾヒストの気もあったという。近衛兵の反乱により18歳の若さで殺され、死体は切り刻まれて川に捨てられた。
937-964ヨハネ12ローマ教皇カール大帝の子孫という家柄であり、わずか18歳で教皇となった。無謀にも教皇領の拡大に乗り出して大敗を喫し、それを助けた東フランク王国オットー1世ローマ皇帝の冠を与えた。これにより神聖ローマ帝国誕生したが、教皇権威は低下することとなった。不道徳人間で、ラテラノ宮殿売春宿のようにしており、最期人妻と寝ていたところをその夫に見つかって殺されたという。27歳だった。
1012-1056ベネディクトゥス9世ローマ教皇父親の後押しにより20歳にもならないうちに教皇となる。賄賂などはもちろん、殺人もいとわず姦淫にふけり、同性愛も行っていた。従妹と結婚するために教皇位を金で売りとばしたが、すぐに後悔して復位を主張し、混乱を招いた。結果として三度も教皇に就位することになり、最後には新たな教皇により破門されてしまった。四度目の復位を画策していたときに43歳で亡くなったと言われる。
1199–1216ジョンイングランド王。幼い頃から父・ヘンリー2世に可愛がられていたが、父と争っていた兄・リチャードが優勢になると寝返りヘンリー2世失望のあまりに亡くなった。さらにリチャードが亡くなって王に即位すると、フランスフィリップ2世敵対して惨敗フランスにあった広大なイングランド領を全て喪失し、その体たらくイングランド諸侯の不満が爆発したため、やむなくマグナカルタを認めて王権制限を受け入れた。
1835-1909レオポルド2世ベルギー国王アフリカコンゴ私領とし、私財のほとんどを投じて近代化を推進したが、やがて「天然ゴム採取ノルマに達しなければ手首を切り落とす」といった残虐な労働を強いるようになった。さすがの欧州諸国もドン引きして強烈なバッシングを浴びせ、最終的にコンゴ統治ベルギー政府移管された。国民からの信頼は地に堕ち、晩年王妃や娘にまで白い目で見られたという。
1845-1886ルートヴィヒ2世バイエルン王。「狂王」とも「白鳥王」とも呼ばれる。政治への興味は薄く、戦争に負けたばかりで多額の賠償金を抱えていたにもかかわらず、借金までして自身メルヘン趣味に耽溺し、中世風の美麗な城を各地に残した。夜中にソリ遊びを始めるなど、奇行に走る王を家臣たちは危ぶみ、精神病だという理由で退位させた。その翌日、40歳で謎めいた死を遂げた。

2017-03-27

アニメで色々気になってること

いま気になってること。


批評興行収入の分離

中華関連(人魚西遊記とか)

日本アニメ3DCG方向性(F15/Gantz:O/ポリゴンピクチュアズ

声優俳優の垣根の曖昧化+声優勢力拡大について

NetFlix・くらんちろーる(欧米系の配信会社について)

・プリヴィズを代表とする製作フェーズ近代化について(ジブリ・新海・神山カラーあたり?)

2017-03-19

近代化忘れ物

日本近代化する際、統治機構法体系にいたるまであらゆるもの西洋を手本に作り変えた。

その際食文化から建物に至るまで文化も輸入してきた。

見た目もしかり。

和服から洋服を着用するようになり、明治初期には西洋風の散切り頭が流行した。

しかしそんな中で、現代まで西洋化しそびれたというのか、西洋化に抗ったとういうのか、大切な文化存在する。

それは陰毛を剃らないという文化だ。(ついでに男性のワキ毛も。)

西洋化の流れの中でなぜ陰毛は取り残されることになったのか。

当時外国人の裸を見る機会がなかったのか。

イギリス人オランダ人に「陰毛を剃れ」と言われても

陰毛は剃らん」と頑なに陰毛を守り抜いた日本人がいたのか。

恥ずかしくて陰毛を剃るか剃らないか議論にすらならなかったのか。

そんなことをお風呂場で陰毛を処理しながら考えてしまった。

近代化に於ける陰毛の話をしっていたら誰か教えてください。書籍でも良いです。

2017-03-14

なんか車社会感じ悪いよね

振返れば、2000年代前半くらいまでは、高校生バイク禁止時代なので若者鉄道趣味サブカルなどで無軌道さを競い合った。高校大学卒業して社会人になればみんなにわかから本物の「オタク」になり、もっとあか抜けた。当時はいまのようなバイク乗りの高校生みたいなものもなかったと思う。

それがだんだん車社会適応するように強いられ、気づけば高校生バイクのりが許される環境ができあがり、それをすべて適応してしまう人が増えた。合理的理由も、自己選択余地もなく、2010年代になれば、持つ層になれば、年長者になればと環境変化に基づいて装備を切り替えていく。

もっと不気味なのは全体としての車社会人口が減少しているということ。車嫌いは以外にも地方の中高年のほうが多いし、事実30代以上の中には車嫌いの影響で鉄道好きになる者もある。で、若者免許車両取得者が増加しているのだ。今では大都会道路でも無軌道者でないのに若者バイクに乗る。

普通に考えて、車社会や車やバイク洪水ってあんまり楽しい社会ではないよね。外国人車社会限界を感じて鉄道社会にあこがれている。で、日本1980年代公害車社会化の失敗で車社会を一回捨てたはずだった。

それか戦争中の国家連想するんだよな。非常にうざったいイメージ鉄道ファンと言うだけで後ろから指差されて侮辱される。たまに鉄道ファンと言うだけで悪者扱いされるパターンもある。昔の韓国台湾ロシアがそうだったんだけど、正直言って不気味さがあるよね。

日本の「今更な」車社会化やっぱこれ、世界右傾化あるいは日本左傾化が原因じゃないかと思う。今の二代目大日本帝国としての日本の起点にあるGHQは、例えば差別や変わり者嫌いの激しかった連合国のお堅い人達が、植民地政策劣化コピー猿真似日本社会全否定して近代化を進めた歴史がある。なので本来なら非合理や不公正なこともまかり通った。

なので韓国的な非寛容社会社会構造の中で仕組化され、それが問題であることにさえ気づきづらくされてしまう。欧米において時代遅れだった前時代的な交通スタイルである車社会」が何十年も遅れて猛威を振るっている。つまり、つきつめると若造が皆免許取得に走り、日本人が車嫌いを差別する原因はGHQ統治での失敗にあるということではないか

GHQ統治の失敗に対する怒りの感情に基づく行動パターンと照らし合わせれば、暴走族と不良の直結(日本以外では有り得なかった事)やギャルキモヲタヤンキー化は腑に落ちる。そしてGHQ残滓が源流の社会戦後一貫して最右翼で今もその地位にあり、欧米化ぶれする日本人や、右翼になびく日本人批判さらされていることの象徴の一つが、文教利権をめぐる一連の問題だ。

その思想集団に推奨される「人民教育」とは、「常識に反発する」ことを徹底的に去勢するようなものだ。差別偏見奨励で車嫌いの居場所大都会ですら奪い、自己決定権を奪い続け、若いうちに使う使わない問わず免許を取り、欧米目線思想を呑み込ませたり、疑うことの醜さを洗脳されるもの

2017-02-10

親に伝達

背景1

誕生
猪突猛進
高校二年生
現代文の授業の何かがきっかけ。物事をいろんな観点で見てみよう。何故そこにタンポポ? 種がとんできて成長したから。あらゆる物事には原因があるんだなぁ。まてよ、何故宇宙存在するんだ? 分からない。きっと人類の誰も分からない。ロマンだなーすごいなー。地球上にはロマンが残ってないかもだけど、他にも目を向ければロマンあるよジャイアン。あれ、自分は何で生きているんだ? 勉強とか大変なのに。楽しみよりも苦しみの方が多いのに。親に聞く。そんなことも分からないのか? 俺たちはこんな人間をつくっちまったのか。図書館行って調べてこい。分かるまで帰ってくるな。俺はダメ人間だったのか。図書館行って調べる。他の人が喜ぶことをすることで自分も嬉しい。他の人のために生きる、それが理由。報告。
数日後
取って付けた理由霧散していた
憂鬱
FF9を久々にプレイ
生きる理由を見つけることが、今の生きる理由でいいのか、なるほど
生きていればそのうち見つかるだろう
大学
友人なかなかできず。でも少ないながら良き友人できた
研究室配属
大学院
一人暮らし開始。素晴らしい解放感。研究室のみんな楽しい
でもいまだに生きる理由見つからない
楽しいこともあれど、ダメ人間にはなりたくないという斥力と惰性で生きてきている
就職
何か問題が起きた時は、その原因を特定し、それを排除すれば問題解決する、ということをようやく会得。
他の人のキーボードタイプ音が異常に気になりはじめる。超しんどい
タイプ問題なかなか解決できない
生きる理由最後希望、振られる
下降
音しんどい発狂しそう
強迫性障害 判明。しんどい事や違和感を感じた時に、自分は人と違うんじゃないか そのせいではないか、と思いはするが気のせいだろうと無視してきた。しかし今、自分はいくらか人と違うことが判明してしまった。かなり損をしてきたのだ。そして治らなければ今後もまた同様に辛いことが。
下降
強迫性障害 軽減の試み 奏功せず
下降
難しい仕事、そして割に合わないほどのクオリティを求めてしまう
下降
睡眠障害 アトピー 鬱病 休職
下降
鬱病を治すために、薬飲んだり適宜運動、が、不適切なほど運動。超悪化
下降
生きることは苦痛のもの幸せになっていく友人のことを素直に喜べなくなる日がいつか来る。生きても苦しみが増えるのみ。絶望自殺以外に救いは無い。ただ自殺すると、親が発狂してしまうのではなかろうか。自殺するのも容易でない。
下降
さら悪化自殺するにもいくばくかの気力、体力が必要だが、それすら無くなった。地獄とは死後にあるのではなく、現世にあり、そして今まさに地獄にいる
地獄
時間経過
少し良くなる。自分未来なんてもはやどうでもいい。地獄だけは勘弁。無理せずに歩き続ける。楽しいこと見つけよう。FGOおもしろす。
山あり谷あり
復職訓練
山あり谷あり
ゴーストのささやき、自分の心の声が存在することを明瞭に知覚できるようになる
声に従って行動すると、心のエンジンがかかる。シティハンターのあれはこういうことだったのか。
生きる理由は無いけど、自分本能が後押ししてくれる
声の導くままに。

世界無慈悲に進行する
なるようになる 悟り
全てを受け入れられる
未来は定まっており、それを知ることはできず、辿るのみ
客観的には無意味
主観 意味あり
全 単一 同じ
  ある量子に対して,他の量子が影響を与えている
  自分の脳を構成する量子も他から影響を受けている
  世界のある人間と,別のある人間とは,独立ではなく従属関係にある.完全な独立など存在しない
  世界や量子はすべて一通りしかない
因果律

地獄
  睡眠障害にしんどい 頭痛
  希望を抱くことは不可能 絶望しか見えない
  時間が経過すれば良くなるかも、といった希望すら見えない
  自殺以外に救いがないことを確信しているが、自殺することもできない
  永遠に続き、逃れること能わずな苦しみ
  地獄入りする直前には、自殺する計画を立てる決意までいった
  
超悪化の原因候補
  無理して運動
  甘いものを暴食
  栄養不足


背景2

以下の人タスクを達成できれば、良い人生になる気がする。
    人生タスク
        以下を継続的遂行できる状態にする
            適度に抑圧された、無意識衝動による活動
            タスク"生きる理由~する"の遂行活動
        生きる理由を見い出す、創り出す、あるいは気付いたら創られているという状態にする
同タスクを達成できるよう、計画必要だ。すなわち人生設計目的

自分人生設計する
    人生タスクを達成するための方法・手順を、筋道立てて企てる


方法

人生タスクの達成条件を定義する
人生タスク達成に必要方法・手順を考案する
得られた人生設計結果をまとめる


実行

人生タスクの達成条件を定義する
  人生タスク
    1. 以下を継続的遂行できる状態にする
      適度に抑圧された、無意識衝動による活動
      タスク"生きる理由~する"の遂行活動
    2. 生きる理由を見い出す、創り出す、あるいは気付いたら創られているという状態にする

  2の達成条件 定義
    生きる理由が見いだされた、創り出された状態になれば達成

  1の達成条件 定義
    タスク"生きる理由~する"の遂行活動継続遂行可能状態になれば達成
      どういう状態であれば継続遂行可能遂行活動の内容にもよるが…
        健康であればとりあえずおk
          肉体的
          精神曖昧だがひとまずなんとなくのままで

      まとめると?
        健康を維持できれば達成

    適度に抑圧された、無意識衝動による活動継続遂行可能状態になれば達成
      適度に抑圧とは?
        衝動だけでは逮捕される
        現実に折り合える形
          理想は実現できるとは限らない
        社会の中で活動できる程度に折り合う
          相互扶助ネットワークである社会の利用はきっとマストだろう

      無意識衝動による活動とは?
        無意識衝動
          人類普遍のもの
            ../読書メモ/
              史上最強図解よくわかる社会心理学
              生きづらさはどこから来るか 進化心理学で考える
              脳のしくみ
          自分固有のもの
            ./俺マインドマップ/*
          https://ja.wikipedia.org/wiki/生活
            生活とは基本的に、命をつなぎ活動することであり、また生きながらえるために行う様々な活動である。 人は生き続けるためには、少なくとも、何らかの栄養を取らなければならず、(一般に)身体に何かをまとうことで体温を保つ必要があり、また野の雨や風をしのげる場所で眠りをとることを必要とする。つまり食べること、着ること、住まうことである日本では、そうした生活の基本を漢字で簡潔に表現しようとする時は「衣食住」(いしょくじゅう)などと表現する[注 1]。「衣食住」の基本は、人が生活していく上で必要な、食(食事)、衣(衣服)、住(居住、雨風をしのげる寝場所)の確保である生活構成するもの
              基本、普遍
                食べる - 栄養をとること。食事。そのために食材を入手し調理をすること(あるいは食品を入手すること)。
                着る   - 身体が冷えないように衣類をまとう。
                住まう - 睡眠をとり身体に休養を与えるための場所を確保すること。居住。住居の確保。
                世界解釈し、その世界像のもと、上記のさまざまな活動を営み(食べ、住まい子供を産み育て)表象行為を行う。(もともと生きることと、世界解釈と一体化して生きることは不可分であった)現代風に言えば、「信仰生活」「宗教行為」「年中行事」など。
                子供をつくり、産み、育てる - (婚姻)、性生活出産子育て
                老人が孫の子育てを手伝い若い世代に知恵を授け、若い世代が老人の世話をする - 子育て扶養介護[注 4]
              近代化資本主義化以降
                (食糧を直接自分で狩る、採る、漁する代わりに)貨幣を得る - 貨幣を得られる仕事労働)をする。家計を成り立たせること。
              近年
                「生活」の原義にとどまらず、生活以上の何か、QOLに関わる様々なこと。例えば健康の維持・増進など[4]。 
          すなわち
            衣  体温維持
            食  栄養摂取
            住  休息、睡眠
            パートナー獲得  ただし子孫は現時点では欲していない
            自分とその周辺を,適度に,秩序だててかつコントロール下に置く
            好奇心を満たす、真理の探究
            世界に対して影響を与えつつ名誉を獲得する

      どういう状態であれば継続遂行可能?
        ./適度に抑圧された無意識衝動による活動継続遂行可能状態についてのマインドマップ/*
          概要
            衣  体温維持
              知識
              服
            食  栄養摂取
              栄養摂取知識
              食べ物
            住  休息、睡眠
              知識アトピー性皮膚炎 対策
            パートナー獲得  ただし子孫は現時点では欲していない
              肉体的、精神的に健康
            自分とその周辺を,適度に,秩序だててかつコントロール下に置く
              知識
              健康
            好奇心を満たす、真理の探究
              健康
              未知にアクセス可能環境
            世界に対して影響を与えつつ名誉を獲得する
              健康
              影響を受ける世界、すなわち人々の魂が、直接的間接的に手が届くところに存在する
              世界についての知識
              影響の与え方
            その他=適度に抑圧
              社会ルールについての知識
              常識
        深堀りする
          服や食べ物などを得るには、自分で作る/育てるか、お金を払って社会から得るか、のどちらか
          後者のほうが明らかに効率的社会依存することにはなるが。
          安定収入必要

      #まとめると?

    まとめると?
      人生タスク 1
        以下を継続的遂行できる状態にする
          適度に抑圧された、無意識衝動による活動
          タスク"生きる理由~する"の遂行活動
      適度に抑圧
        現実に折り合える形
      無意識衝動による活動
        衣  体温維持
        食  栄養摂取
        住  休息、睡眠
        パートナー獲得  ただし子孫は現時点では欲していない
        自分とその周辺を,適度に,秩序だててかつコントロール下に置く
        好奇心を満たす、真理の探究
        世界に対して影響を与えつつ名誉を獲得する
      継続遂行可能状態
        以下を有する状態
          健康
          知識(体温維持、栄養摂取、休息、睡眠整理整頓管理世界世界への影響の与え方、社会ルール常識)
          服
          食べ物アトピー対策
          未知にアクセス可能環境
          影響を受ける世界、すなわち人々の魂が、直接的間接的に手が届くところに存在する
          安定収入
      上記の状態が得られれば達成


人生タスク達成に必要方法・手順を考案する  を実行中

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170207223033

面接とかで取る入試制度を取ってる大学もあるよ。全部が完全にペーパーテスト大学はかなり少ない。勿論難関大学でも私立はそうだ。

まあ、ほぼ合否に関係ない名目上の書類提出とかは勿論そういう入試形式でも有りうるけど。

しろ今の入試制度は、ペーパーテストだんだん軽視されつつある。

一般入試こそペーパーテストだけど、他の形式の占める割合が大きくなってきている。

僕も昨日今出川大学を受けてきたけど、私立入試は何回設けれるから「一発勝負」じゃないし。

地元で受けれるから負担も昔より減ってるし。まあ僕もちょっとあとにはW大受けるため新幹線を使わないといけないわけだけど……。

ただ、学問を学ぶ意義もないのに最難関大学就職のために行くってのが問題だってのはとても良く解る。

例えば論文高校生のうちに、仮に稚拙ものであっても「意欲」が図れるようなもを書く風習があったほうが良い気はしたし僕もそれを活用して大学を目指しただろう。

あとまあ国公立だとチャンスが限られてくるってのもアレかもしれん。


しかし、面接などで「意欲」を図るのは、ペーパーテストなどよりもよっぽど真の力が図りにくい。

時間に渡る試験でも図れないようなパワーを、数十分の面接でどうこうできるとは思えない。所謂コミュニケーション」出来るだけで、学ぶことの適性なき人間が有利になりかねない。

就職予備校は十分かもしれんが、学問を学ぶ場所としてのにそれはまずい。現状はペーパーテストが一番「マシ」なのだと思う。それを、推薦、AO特殊科目入試などで補っているのが現状だと思う。

なお、科挙廃止されたのは、アヘン戦争敗北から洋務運動・戊戌の政変などで「西洋近代化」が推し進められる中で、

科挙の出題科目は「儒学」であったことが、守旧的とみなされてなくなっただけのようにも思える。「古典を暗記して、解釈をする」だけが入試範囲だった。

今の入試は違う。どの科目も、なんだかんだ行って大学学問をやるには役に立つ。あと、科挙あくまでも「官僚採用試験」であり、官僚の適性を見るのが役目だった。それに古典しかないというのも問題だった。大学入試とは訳が違う。

まとめると、ペーパーテストはそれなりに合理的。回数を増やすことで、一発勝負不安定感も一応軽減している。

形式で、ペーパーテストで図れない力をみる入試もやっている。

それでもやはり、大学就職予備校とみなして、学問を学ぶためでないのに入ろうとする人達は困りものだしそういうのと学びたい人を分けることのできる仕組みはやっぱり存在したほうが理想ではあると思う。ただ、現実にはそれはとても難しい。

自分もまだ19歳、よくわかってないところもあるだろうけど、取り敢えず書き立ててみた感想ってことで。

2017-02-03

越えないべき一線を越えればサブカル死ぬ

アメリカ伝来の文化は30年続いたのに日本では終わってしまった。なぜかと言うと不良文化だったからだ。1990年代意向社会PC化し、道徳化し、マフィア組織が淘汰され警察組織が台頭する中、その文化の住人はそれを貫くことができなかった。結果、サブカルの台頭があった。外を見習って文明開化近代化することで文化社会は洗練されていった。

そのサブカルが下火になったのはなぜか。越えてはいけない一線を越えたかである底辺層が飲み込まれ、(マイルド)ヤンキー文化になり、おりこうさんが嫌気が差して離れてしまった。健気なオタクが離れし、鉄道をみればわかるがヤンキーナイズが横行した。

そんなくそみたいな失敗だからサブカルが何度も大衆から白い目でみられ、地下社会に付きまとわれ、無残な滅亡をするのである。(昔ながらの)鉄道好きがファッショの影響か最近大人しくなっているのも、車好きに社会が寛容になったのも、決して彼らが貧しくなったのではなくまさに自身の行いのまずさに危機感を覚えているからではないかと思う。

昭和平成初期時代には鉄道趣味若者に影響力があったが、今はそうではない。むしろの車とかの方が都市部だけ見ても各地で花を咲かせている。なぜか?当時と違い今の鉄道趣味進化余地がなくなったからだ。そして車とかは逆に進化を再開したのだ。

鉄道文化若者文化として開花していった昭和末期は、珍走団問題で、車・バイクブームが下火になった。1990年代アニメオタクみたいなものであるしかし、珍走団を倒し、自らが勝ち取った安心自由を成長させた。あの暗黒時代に、どうにか努力して外のコミュニティから助けを得た人たちが成し遂げたことだ。

また車・バイクブームアニメオタク文化同様にマスコミバッシングなどで、文化が一度破綻した。これ自体はかなり不幸だが、結果的構造の再編が進み、改革に繋がり、オタク旋風の延命などにつながった。鉄道趣味はまさにこの時期がリセットする機会ではないだろうか?

宮崎勤事件の時にアニメオタクキモヲタはそれで生きていくこともできなくなり、他のオタクに転身した。ゲームオタクアニオタがいるのも、キモヲタ出身作家漫画家が増えているのもそのためだが、彼らが外の優れたものホームグラウンドに持ち帰ったりしたことも大きい。

これは模型好きも似ていて、アニメオタクと同時期に復興を遂げた模型好きでは、プラモデルオタクはみんな転身を経験している。つまり模型オタクは良くも悪くも一般人的な感覚がある。だから、他のみたいにくだらない慣習がなく、自立性があるんだろう。

東日本大震災前には鉄道オタクや車・バイク好きはオタク文化構成員だったが、いまは鉄道オタクと車オタクマイルドヤンキー文化になっている。だが日本アニメオタク文化はいくらオタクとしてどうしようもなくなっても、それを切って伸びしろのある分野に力を注ぐことはしない。結果ボロボロになってやっとマイルドヤンキーとかに身売りされるんだろう。

2017-01-22

今こそ都会人が立ち上がるとき

gudachanことbonchacchangaです。2013年から2016年まではてなブログをやっていた者です。

私は本当の意味での田舎者なんですけど、今回声を大にして訴えたいことがあります

それは「都会の鉄道公有化」と「都会の道路交通整備」です。

私は神奈川県湘南地方に住んでいるいわゆる田舎者です。買い物で川崎横浜東京に行きます

鉄道日本人からすれば大きな商売かつ貴重な交通インフラです。でも良く考えてください。

今は昔と違って本当の意味での貧しい人は多くいません。増えたのは富裕層でないという意味での貧しい人です(中間層存在を思いつかない頭の貧しさにもうんざりします)。本当の意味での貧困者は減っているんですよ。車は駄目でもオートバイとか自転車持てる人がいくらでもいます20年~30年前より減っているはずです。人口減少ほど豊かになると言うことを考えれば、人口増加説が当たらない限り日本さらに豊かになるはずです。

たかも都会の人々を社会ぐるみ障がい者みたいに特別扱いしているのと同じです。都会人だって障がい者よりかは健常者のほうが多いですし、貧しくない人のほうが貧しい人より圧倒的に多いです。まさに「日本くたばれ!!!」ですよ。都会人が田舎者以上に見下されているんですよ。

しかも、都会の財政地方に比べて豊かです。地方私鉄が多いのは、法人税を回収するためなんです。地方はとにかく貧しいんです。そうでなければ今時公営鉄道か本物の車社会になっている筈です。もちろん私は公共交通が駄目になりますます車社会に苦しむ地方にも同情します。

また、欧米では少なくとも都会の旅客鉄道は「原則公営」です。あくまでも公共インフラに過ぎないからです。

最近鉄道会社商売に煩くなってますが、公共インフラとして利用している人にはい迷惑しかありません。

さらにいえば、外国のどの都市道路日本で言う地方道路並に広くなっていて使いやすくなっているのですが、日本都市どうでしょうか?

財政の豊かなはずの都会が道路整備公共交通整備を怠り、民間鉄道インフラを使わせているという状況に外国人日本田舎者すらあきれています。都会人はどう思っていますか?

田園都市線問題を期に今こそ、都会人が立ち上がるときなんですよ。都市部でのインフラ欧米水準少なくとも韓国台湾中国水準に引き上げるべきです。

大都市私鉄レガシーになり、都会の鉄道公共のためのものにすべきなんですよ。道路を便利にしよう、「狭い道路時代遅れ」に田舎も都会もないんですよ。

札幌仙台名古屋大阪福岡みたいなところや地方都市には私鉄必要ですが、首都圏からみればダサいもいいところですよ。

皆さんが鉄道通勤ラッシュ鉄道副業第一のことを外国人田舎者に叩かれても都会人は何も疑問に思わない。東京私鉄社会は終わりです。JR都営鉄道しましょう。そして道路拡張などの整備を促しましょう。

車は公害の元は昔のものです。ハイブリッド車エコカー電気自動車オートバイなら電動バイクがかなり普及していますバスをみて下さいよ。排ガスの黒い車はほとんど走っていません。

皆さん声を上げましょう。都会のインフラ近代化です。私も闘います。都会のために。

私は東京道路の使いづらさに苦しむ人達悲鳴を何度も聞きました。時代遅れ偏見のせいで道路整備が進まない。だからこそ訴えているんですよ。

暴走族が怖いだ?暴走族はとっくの昔に絶滅してます。(※完全には絶滅していないという声もありますが、個人の悪ふざけ以外殆ど見かけません。集団でのそれなんて私の知る限りここ5年間見ていません。そもそも私の住む街には2014年最後にそれら含めて1度も見ていません。)

途上国公害の多かった昔なら別に鉄道一極集中でもいいですが、今は2017年です。車の騒音も静かでしょ?

皆さん、都会人が立ち上がれるように日本の片隅から頑張りましょうよ。

2017-01-14

都会を愛する日本人がひどく無分別自動車バイク蔓延を嫌うなら

日本人都市部において車社会からの脱却が進んでいると言う。

だが無料格安駐車場駐輪場が整備されることは良いのだが、道路までもが都市鉄道並みに整備され、むしろマイカーの利用を推奨するかのようにノーマイカー運動も衰退している。

挙句の果ての自転車オートバイ縛りの校則の衰退と自転車オートバイ日用品化。

車社会を憎むという言葉は、行動から見れば嘘と判断できる。

もし本当に車社会を憎むなら、公共交通を徹底的に再生すべきだ。

また自転車も、真に車社会を捨てた都市なら要らない筈だ。

何故なら、香港韓国台湾都市は徹底したバス交通の整備で自転車不要都市を実現できたからだ。

日本人は今すぐに、公共交通近代化再生を実現させねばならない。

私が彼らにこう言うと「自動車バイク災害時にこそ役に立つ」と言う。

なるほど一理ある。だが、そこでいい方法がある。

自動車バイクの量を制限する代わりに、現実の許す限り職住を分散化させれば、致命的災害などで鉄道が使えなくても移動手段に困る心配は要らない。

当然、災害時の一時宿泊所も十分に整備する前提があっての話だ。

都会の道路でのマイカー自家用オートバイ流入量を制限すれば、商用車渋滞も減り、バスの遅延や事故もいくつかは減る。

高校生大学生オートバイ事故で亡くなる心配も無くなる。

公共交通の整備を徹底させれば、交通リスク邪魔されない快適な生活を手に入れられる。

その為には公共交通システムを変える必要がある。

真の意味での都会を愛するなら、かつての陸上交通調整法並みの統合を行い、旧態的なシステムを破棄するしか方法は無い。

なぜ今、革新を訴えるべきか

日本人公共サービス問題について議論になると、いつも同じ質問を聞かれます

「どこまで鉄道趣味批判すれば、鉄道界隈の暴走が止まるのか」という質問です。

はいつも素直に答えています

日本人私鉄社会時代錯誤性に気づき公共交通として進歩するまで続けなくてはならない。彼ら鉄道趣味公共交通革新妨害した原因の一つだ。」

そう答えています

この私の答えには、鉄道利用者一般市民殆ど全員が納得し、同意すると思います

鉄道オタクのみなさんが公共交通本来目的理解し、革新要求を聞かなかったと言う過ちを認めるまでそれを続けるべきです。

鉄道企業お客様と「大きなお友達」と資本家だけのものですか?

違いますよね。そもそもインフラ公共すなわち市民国民全体の財産です。

非難と訴求は永遠に続けるべきですが、だからといって車社会のほうがましとかいうつもりはありません。車社会車社会で大問題です。

いずれにしても私鉄社会いつまでも認めるつもりもないし、革新要求は強くなることはあっても、弱くなることはありません。

東京インフラ近代化は不十分だし、まだまだ足りません。

その証拠日本鉄道は、運賃の一本化を実現できていない地域が多い。

鉄道バス運賃一本化が実現になって、革新成功段階です。

正直言えば、2020年東京オリンピックを機に、外国から見ても時代錯誤鉄道インフラ料金システム改善すべきです。

1位全国区公営鉄道、2位道路交通、3位都市地方密着私鉄、これが陸上交通の正しい順位であるべきで、その為にも私鉄社会車社会同様に全時代的な交通システムとして認識すべきです。

ずさんな都市計画改善すべきで、居住地域を所得職業柄によって分離して、治安におけるトラブルを解消すべきです。

日本人は、公共交通都市近代化を達成するまで革新要求する権利責任があるのです!

2017-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20170102062439

早く中国近代化させないと、被害を被るのは日本なんだから

中国と仲良くするのは必要不可欠だと思いますけどね。

2016-12-15

朝日新聞は信頼できない

朝日新聞によると今日2016年12月15日だがまずこれは嘘。

与党自民党安倍晋三内閣総理大臣なのも嘘。

広島カープが優勝したのも嘘。

元号平成なのも嘘。昭和天皇勝手に殺すな。

日本戦争に負けてないし広島長崎原爆は投下されてない。

というか大政奉還されてないので近代化されてないし民主主義もない。

江戸時代はまだ終わってないから。いいね

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161208205452

増田博士課程進学を薦めているが、おすすめしない。理由日本では大学という仕組み自体疲弊しており、社会での役割が年々縮小しているかである。防疫、防災国防医療、農林漁業畜産化学機械材料などで核となる組織は維持する必要があるが、各50人態勢の最先端組織を作ったとしてもそこで働けるのは数百人でしかない。欧米アジアの一流大学研究機関を合算で考えれば行き先は増える。だから博士課程を目指す人は、シンガポールで、ソウルで、ドバイで、上海で、サンフランシスコで、ワシントンで、ロンドン就職するつもりでいる必要がある。

明治に国を急速に欧米ロシア中国に対抗するため近代化する必要があった際、飲み込みの早い子供たちを留学させ、英才教育を施して、日本全体と地域の発展の核として育てた。それが旧帝大だったと思う。

21世紀の今、大学社会から求められる知の蓄積と創造活動情報発信というものはあまりないように思う。それは個々の大学教員資質とかそういうことではなくて、一人親方個人経営大学研究室では教授スタッフ資質いくら優れていても達成できることに限界があり、大資本を投下して遂行される民間活動には逆立ちしても追い付けない。(ポスドク待遇が悪いのはまさに資金のなさを精神論で克服しようとするための歪によっておこることだ。)

民間でできないことがあるじゃないか、ということはあるのだが、防疫、防災国防といった基幹的なこと以外で民間でできないことというのはそもそも民需がない。社会的要請がないのだ。

2016-11-08

僕らは近代化を捨てつつある

近代化ってほぼすべてのオスが子孫を残せるようにする代わりに、

社会が安定して秩序が保たれるようになり、結果として近代以前と比べて社会が急激に発展した。

近代化はオスの去勢化の歴史なんだよね。

それなのに、ポスト近代になったら再びオス同士の争い合いが激しくなって

また社会不安定無秩序になったあげくに、少子化で中長期的な見通しまで暗くなってる。

グローバル化を経たポスト近代中世の復権だっていう話、今まで胡散臭いと思ってたけど、

これから世界リアル中世みたいになっていきそうで恐ろしい恐ろしい

2016-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20161107181144

近代化以降ここ200年が人類史的に異常

なるほど、やっぱり俺が頭悪かったわ。200年くらいの史観しか範疇になかった。

凄い腑に落ちた。

無知なのを罵倒無しで指摘してくれてありがとね。

http://anond.hatelabo.jp/20161107180804

うん、だから近代化以降ここ200年が人類史的に異常なの。

どのみち第二次以降のベビーブームは、どの国でも第一次よりも出生率は下がるし。

2016-08-03

日本近代化できなかったのかな?

金持ち老人リベラル保守しかいないて、

近代社会を作り損ねたのかな?

2016-07-20

日本フリーセックス伝統!とかドヤってる人はどうかしてる

だったら、昔の日本人男性はそんなに他人の子どもを育てたのか?

と疑問に思ったが、よく考えたら大半の人は農家なんだから

子ども=働き手が増えるわけで、奥さんが他人の子をはらんだらむしろラッキーだったんだろうな

どのみち遺産は長子が継承するわけで、最初の子自分の子である確証はほしかっただろうが、

それ以降の子どもはソルジャー扱いで誰の子でも良かったんだろう

ただ、世界的な小氷河期飢饉が連発した江戸時代の後半は、

随分と嬰児殺し&育児放棄問題になっていたらしい。水子供養って実はそれ関係なんでしょ。

フリーセックスの結果、子どもが次々と生まれた瞬間に殺され/捨てられていたとすると、

近代化以降の禁欲化は、西洋キリスト教)の影響だけじゃなくて、

明治政府富国強兵策=人口増加制作の影響もある気がする。

まれたからには殺すな → 殺すくらいなら産むな、的な流れね。

ただ、大正時代ですら産婦人科付きの子殺し業者が捕まっているので

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B0%E3%81%84%E5%AD%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA

実のところ明治大正になってもフリーセックスの慣習は残っていたのかも

そう考えると、とてもじゃないが前近代の性倫理を諸手を挙げて賞賛する気も起きないし、

日本フリーセックス伝統!とかドヤってる人もどうかしてる。

2016-05-22

日本とかなり似てると思うけど、いろいろと

http://honz.jp/32415

近代化されていない社会は、面倒だな。

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

2016-05-18

はてブ植民地デマを飛ばすな

朝鮮植民地ではなかった説について」というページ

  http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html

ホッテントリに入った。

  http://b.hatena.ne.jp/entry/www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html

 

そのあと、はてブでは、これについて批判する意見が多い。「朝鮮植民地だったぞ」というふうに。

しかしこれらの意見は、デマだ。(デマというのは言いすぎかもしれないが、間違った偏った意見であるとは言える。以下で説明する。)

 

記事では

私たちが話を聞いた総督府の元官僚の多くは、自らが悪いことをしたとは考えておらず、むしろ朝鮮のためを思って一生懸命に尽くしたと考えていた。

という話があった。はてブの多くの意見は、この話を批判しているが、これはおかしい。実際、彼ら元官僚は「朝鮮のためを思って一生懸命に尽くした」というつもりだったはずだ。

 

そのことは、朝鮮の歴史を見ればわかる。それまでの封建的社会弾圧されていた一般市民が、日本の支配下に入ることによって、近代化された。そのことで、朝鮮人は非常に幸福になったからだ。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

もちろん、日本朝鮮からいくら収奪した。しかしそれは、収奪だけという方針ではなく、共存共栄の要素を含む収奪だった。その意味で、欧米諸国アフリカにおいてなしたこととはまったく異なる。

特に重要なのは欧米植民地化されなかったのはアジアアフリカ日本だけだったということだ。それゆえ日本戦前において先進国となれた。他の国は植民地化されたまま先進国になれなかった。

  http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/45942286.html

 

日本朝鮮になした植民地化に最もよく似ているのは、米国の対日占領政策だ。ここでは、従来の封建的社会を打破して、民主的社会建設し、日本を真の意味近代化した。その恩恵を今の日本も受けている。もし日本米国占領されなかったら、日本はいまだに軍事政権が続いていたかもしれないのだ。スペインフランコ政権や、韓国朴政権みたいな、軍事政権が続いていたかもしれないのだ。

日本米国占領されて(主権を失って植民地化されて)、それまでの旧弊制度を打破してもらったことで、かえって幸福になった。これと同じようなことが朝鮮においても生じた、と考えていい。

そのことは、植民地化されずに独立している北朝鮮が、どれほど不幸であるかを知れば、わかるだろう。日本占領下の朝鮮の方が、はるか幸福社会だったのだ。もう一度、次のページの写真を見てほしい。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

 

1936年ごろのソウルいかに発展していたことか。これは日本占領の前の土人状態朝鮮とは、大きく異なっていた。

  

参考文書

  http://ameblo.jp/sankeiouen/entry-11331270061.html

  

 

ついでに一言

アフリカの人々は、欧米収奪されて、社会部族を滅茶苦茶に分断されたことに、今でも恨みをもっている。アフリカが今でもひどい混迷にあるのは、欧米植民地政策のせいだ。一方、日本占領下にあったアジア諸国は、欧米植民地状態だったことから脱して、独立して、発展した。

仮に、日本アフリカ植民地化していたら、アフリカ諸国は、今ごろは今のアジアのように発展していただろう。しかし、現実には、そうはならなかった。アフリカ諸国独立したのは、1960年代になってからだった。

  http://bit.ly/1OhZmF5

しかもその独立は、民主化よりも、独裁者誕生をもたらしたことが多かった。それが今日アフリカの混迷につながる。

 

歴史を見れば、以上のように複雑な事情がわかる。「日本植民地化しなければ幸福だった」というのは、ただの歴史音痴無知であるにすぎない。歴史現実というものは、はるかに複雑な事情にあるのだ。単純に割り切ることはできないのだ。

 

2016-05-08

朝鮮植民地だったか? 

朝鮮植民地ではなかった説について」というページ

  http://www.wayto1945.sakura.ne.jp/KOR10-colony.html

ホッテントリに入った。

ここでは

私たちが話を聞いた総督府の元官僚の多くは、自らが悪いことをしたとは考えておらず、むしろ朝鮮のためを思って一生懸命に尽くしたと考えていた。

という話が批判されているが、これはおかしい。実際、彼らは「朝鮮のためを思って一生懸命に尽くした」というつもりだったはずだ。

 

そのことは、朝鮮の歴史を見ればわかる。それまでの封建的社会弾圧されていた一般市民が、日本の支配下に入ることによって、近代化された。そのことで、朝鮮人は非常に幸福になったからだ。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

もちろん、日本朝鮮からいくら収奪した。しかしそれは、収奪だけという方針ではなく、共存共栄の要素を含む収奪だった。その意味で、欧米諸国アフリカにおいてなしたこととはまったく異なる。

特に重要なのは欧米植民地化されなかったのはアジアアフリカ日本だけだったということだ。それゆえ日本戦前において先進国となれた。他の国は植民地化されたまま先進国になれなかった。

  http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/45942286.html

 

日本朝鮮になした植民地化に最もよく似ているのは、米国の対日占領政策だ。ここでは、従来の封建的社会を打破して、民主的社会建設し、日本を真の意味近代化した。その恩恵を今の日本も受けている。もし日本米国占領されなかったら、日本はいまだに軍事政権が続いていたかもしれないのだ。スペインフランコ政権や、韓国朴政権みたいな、軍事政権が続いていたかもしれないのだ。

日本米国占領されて(主権を失って植民地化されて)、それまでの旧弊制度を打破してもらったことで、かえって幸福になった。これと同じようなことが朝鮮においても生じた、と考えていい。

そのことは、植民地化されずに独立している北朝鮮が、どれほど不幸であるかを知れば、わかるだろう。日本占領下の朝鮮の方が、はるか幸福社会だったのだ。もう一度、次のページの写真を見てほしい。

  http://ccce.web.fc2.com/si/beforeafter.html

 

1936年ごろのソウルいかに発展していたことか。これは日本占領の前の土人状態朝鮮とは、大きく異なっていた。

  

参考文書

  http://ameblo.jp/sankeiouen/entry-11331270061.html

  

 

ついでに一言

アフリカの人々は、欧米収奪されて、社会部族を滅茶苦茶に分断されたことに、今でも恨みをもっている。アフリカが今でもひどい混迷にあるのは、欧米植民地政策のせいだ。一方、日本占領下にあったアジア諸国は、欧米植民地状態だったことから脱して、独立して、発展した。

仮に、日本アフリカ植民地化していたら、アフリカ諸国は、今ごろは今のアジアのように発展していただろう。しかし、現実には、そうはならなかった。アフリカ諸国独立したのは、1960年代になってからだった。

  http://bit.ly/1OhZmF5

しかもその独立は、民主化よりも、独裁者誕生をもたらしたことが多かった。それが今日アフリカの混迷につながる。

 

歴史を見れば、以上のように複雑な事情がわかる。「日本植民地化しなければ幸福だった」というのは、ただの歴史音痴無知であるにすぎない。歴史現実というものは、はるかに複雑な事情にあるのだ。単純に割り切ることはできないのだ。

 

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