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はてなキーワード: テレビドラマとは

2017-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20170425103442

日本人テレビドラマとかでよく教育されててわかってないと思うけど、「逃亡罪」ってないからな。

逃げられるなら逃げたほうが正解。

自首たか減刑、とかもないから。あれはまだ事件として認知される前の話なんだから

裁判でそういうこと言うことあるけど、あんなのフォーマットから

検察官の言うことなんて全部もうフォーマットができてる。

「悪質だが反省してる」だって馬鹿じゃね?

AIなんかなくってもも人材節約できるところなんだよな。

みんなテレビ見過ぎなんだよ。

2017-04-22

娘に「本当のこと」を話した。

娘が今年の春から小学生になった。月並みなことを言うが、本当に早い。早過ぎる。

もともと娘は妻の連れ子だった。結婚当初はまだ生後9ヶ月。それからずっと一緒に暮らしている。

妻はシングルマザーとして娘を産んだ。娘の生物学的な父親については俺は何も知らない。今後も特に必要がなければ聞くつもりもない。

娘は俺を実の父親だと思って暮らしてきたし、俺もこのまま何も言わずにいようと思っていた。少なくとも俺が死ぬまでは。

しかし、妻をはじめ周囲の意見は違った。それはやはり責任放棄だという。きちんと真実を伝えるのも親としての義務だと。それをさぼってはならないと。

しかも伝えるならなるべく早い方がいいという。育児研究などによると、こういう話は先送りするほど後で問題化するらしい。そんなものは個々のケースによると俺は思うが。

それでしばらくうじうじ迷っていたのだが、先週、娘に話した。夕飯のあと。居間で。テレビを消して。

なるべく暗くならないように話したつもりだ。妻が傍らでずっと娘の手を握っていた。

娘は最初のうちは神妙に聞いていたが、途中から「興味がないからもういい」と言って、ぷいと立ち上がり、その場から離れてしまった。そしてテレビを付け、しばらく放心したようにモニターを眺めたあと、布団にもぐって寝てしまった。

俺は何かとんでもない間違いを犯したような気持ちになった。

こんなチビにいきなり話すことではなかったんじゃないか

その晩、俺は滅多に飲まない酒を飲み、酔いつぶれてしまった。妻に介抱された。

翌朝から普段通りの生活に戻った。日常生活は強固だ。テレビドラマみたいに関係が一変するなんてことはない。

ひょっとしたら娘は俺が話したことを忘れてしまったんじゃないか? あるいは冗談だと考えて、軽く受け流したのか?

それぐらい娘の様子は変わらなかった。

ところが。

昨日、妻に話を聞いて驚いた。

どうやら妻とは色々と話しているようなのだ

娘の関心は主にふたつあるそうだ。

ひとつチリ毛について。俺は東野幸治ばりのチリ毛なんだが、娘はいつか自分チリ毛になるのではないかとひどく怯えていたらしい。でも、血の繋がりが無いなら遺伝もしない。よかった!

ほっとしているようなのだ

もうひとつはホクロについて。俺はアゴに小さなホクロがあり、娘はそれをなぜか羨ましがっていた。そして自分もいつか絶対に同じ位置にホクロができると信じていたんだそうだ。でも、血の繋がりが無いということは....。こちらはガッカリ案件のようだ。

チリ毛の悩みが消えた代わりに、ホクロの希望が潰えた。それが今の娘の偽らざる心境らしい。なんて即物的なんだ。

もちろん、娘の本当の心のうちまではわからないのだが。

とりあえず、妻の話を聞いて俺は楽しい気分になった。

この家族を守っていきたい。

2017-04-14

家族と同じ名前女性キャラエロ妄想できる?

増田なら、家族と同じ名前男性キャラエロ妄想できる?

LGBT増田は、適宣読み替えて。

アニメでもゲームでもマンガでもラノベでもラノベじゃない小説でもテレビドラマでも実写映画でもなんでもいいけど。

俺は無理。

できる人、妄想中に家族の顔がダブったりしないの?

2017-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20170326083804

30代女が10代の頃なにしてたかというとテレビドラマ全盛期で家なき子とかロンバケとか見てキャンキャン泣いてただけだし

もうちょっと下の20後半なんて学校ケータイ小説流行りまくっていたという体たらくなんだからそりゃそうなるよなっていう

日本教育なんとかしないとやばいだろマジで

教員ブラック事情とかわかるけどさあブラックなうえに結果はバカを量産するだけってお話にならない

2017-03-15

マウンティング』はなぜ流行してるの?

あらゆる事象を『マウンティング』を使って説明しようとする傾向を不思議に感じる。マウンティングと言われても機械の取付金具のたぐいしかイメージできない。いつからマウンティング』が人口膾炙し始めたのだろうか?

純正検索機能で見つかる増田での初出は2014年11月25日18時25分。でもこれははてな検索が『マウンティング』を形態素解析可能になったのが2014年秋頃というだけの話で、それ以前のエントリでもマウンティングが見られないことはない。2014年7月13日には既に見つけることができた。

Googleトレンドで見てみると2014年の春頃に急増している。その頃のニュース記事検索してみると、渡辺千穂脚本沢尻エリカ様主演のテレビドラマファーストクラス』が女性同僚間での『マウンティング』をテーマとして描いていてそれで一気に流行語になったのだという。

Googleトレンドでは2014年2月時点で既にグラフが上昇しつつある。これは2月8日に発行された瀧波ユカリ犬山紙子著『女は笑顔で殴りあう:マウンティング女子実態https://www.amazon.co.jp/dp/4480815198の影響が大きいのではないかと思われる。

2014年1月以前も細々とながら使われていた。その中には2013年4月20日発行の『嫌われ女子50』https://www.amazon.co.jp/dp/4584134928という本についての言及も見られる。これも犬山紙子氏の著作である犬山 紙子氏がこの人間の行動を『マウンティング』で解説するブームを作ったと見ていいのではないだろうか。

はてな村では2011年内田樹氏がブログ内で使ってプチブームが発生した。「暴言と知性について」http://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php

更に前になると2008年ごろからid:Nagise氏がはてなダイアリーで多用されてきた。はてな村での流行id:Nagise氏にルーツがある可能性もある。

それ以前の言及普通に動物の生態を書くために使われた用例が多い気がする。

2017-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20170314100518

アニメオタクの中でも、そんな評価に値するアニメなんざ殆どないだろという認識一般的かと

僅かにある「評価に値するアニメ」のうち映画映画批評の枠の中で取り上げられるわけだし

テレビアニメテレビドラマがそういう扱いされてないのと同じだわな

2017-02-20

NHKの集金業務応援したい

我が家にはアンテナがない。

その理由は、まだ独身マンション生活していた頃の話にある。

終電帰りが何十日と続いたデスマーチを終えてやっと手に入れた休日に、朝から玄関の呼び鈴が響いた。

インターフォン越しに画面を見ると、スーツ羽織った一応は身なりのいい人間が立っていた。

管理人か?先日警察官が問い合わせに来たことも合った。セールスならここで追い返せば良い。

そう思って呼び出しに応える。

すると先方はNHKの集金係だった。

前に住んでいた人が転居してから、この部屋の契約がまだ行われていないとのことらしい。

「ああ、テレビ見てませんから」その一言で終わらせようと思った。

しかしこれは事実でもある。

まず第一仕事で忙しくて見る暇などない。

そして第二に、テレビを付けたところで大して面白くもない内容を編集煽り文句だけでいたずらに引き伸ばし、それを知りたいと言う興味が煽られては裏切られるテレビの作りに、とうの昔に辟易していたからだ。

ところが相手は食い下がってきた。

「頻度の問題ではない。」「見られる状況にあれば払う必要性がある。」「とにかく一度玄関先まで出てきて欲しい。」

一体どんな権限を持っていたらそれほど偉そうなことが言えるのだろうか。

契約を取り付ける営業マンの中で、これほどまでに高圧的な人間がいてよいのだろうか。

人前に出るにははばかられる格好をしていたが、それほどまでに言う根拠を聞いてやろうとボサボサの頭で玄関先まで出向くことにした。

目の前に立っていたのはインターフォン越しよりはしっかりとした印象の細身の中年男性で、しかし、お役所のようなでもそれとは少し違うような気難しさを漂わせていた。

そこで改めてそもそも仕事が忙しくてほとんど家にいないこと、テレビ番組なんてものはつまらなくて全く見たいとも思わないことを告げる。

しかし細身の中年男性は更に質問で切り返す。

「見ないということはテレビは設置されているのですね?」

映画お笑いDVDを見る趣味が有るので言われる通りにテレビは設置されていた。

まらぬ嘘をつくつもりもなく、そうだと素直に答える。

「ならばいつでも見られる状況にあるのだから契約必要です。」とさらに食い下がってくる男性

食い下がるどころかむしろ勝利確信たかのように顎は少し上を向いていた。

せっかくの休日を見事に朝から台無しにする態度である

更に畳み掛けるように男性は口を開いた。

「それに受信料の支払いは国民義務ですから。」

その一言で完全に頭にきた。

この男の高圧的な態度は、全てがその一言に集約されていることがわかったからだ。

彼は自分職務義務を果たさぬ人間を罰するためにわざわざ出向いているつもりくらいに考えているのだ。

から玄関先まで出てくることを強要することに躊躇がないし、こちらのことを嘘をついて支払いを免れようとする悪人か何かだと思っているのだ。

頭にきた自分は無言で玄関先を離れると、テレビと壁を繋ぐアンテナ線を引き抜いて男の前に差し出した。

テレビを見ていないのでこれは必要ありません。契約書と一緒に持ち帰って下さい。」

そういうと、まだ何かいいたげな男性を尻目に玄関の扉を閉めて鍵をかけた。

扉の向こうから「こんなことされても困ります。これは置いていきますがまた来ますからね。」という声がかろうじて聞こえてきた。

その日以来、我が家にあるテレビにはアンテナ線と言われるものが一切繋げられることはなくなった。

それから10年ほどして、現在結婚もして幼稚園に入る年頃の子供も2人いる。

その頃のマンションでは手狭になり、郊外に小さな一戸建てを建てて数年になる。

どうやら僕が留守の間に何度か集金に来たらしいのだが、妻がいくら対応しても家主と話をする必要があると何度も訪ねてくるらしい。

それでとうとうこの土曜日に、午前中を見計らってか彼らがやってきた。

インターフォン越しに対応しようとすると、お決まりの「玄関先まで直接のご対応をお願いします」の一言

相変わらずのその偉そうな要求はどんな根拠のもとに行われるのだろうか。

見ると今回の担当者普段着若い男性で、耳にはbluetooth通話マイクが刺さったままだった。

「新居を建てられてからNHK登録がまだのようですが」

多少は言葉遣いを心得ているらしい。

しかしこの日、この瞬間を待ち焦がれていたのは僕だ。

満を持してこの言葉を言ってやろう。

「うちはテレビを見ていません。そもそもアンテナがありませんから。」

「えっ?」と驚きを隠せない職員

そこに畳みかねるように続ける僕。

「以前職員さんに、見てもないテレビに対する支払いを「義務」と言われたことがあり、あまりにも腹立たしかったのでそれ以来アンテナもつないでいないし、新居にはそもそもアンテナを付けませんでしたので。」

返す言葉を失いすごすごと引き返す職員

事実我が家にはアンテナがないし、当然テレビもつながれていない。

妻にはその時の話をしたら痛く同意してくれて、子供にもテレビ無駄時間を過ごさせたくないと同調してくれたからだ。

しかし、NHKに支払う受信料があれば映像オンデマンドサービスを2つ以上契約ができる。

こどもたちにはその中からアニメバラエティ番組を見せるようにしているが、内容も選べて時間差で同じものを見ることができて全くもって不満はないし、最近ではテレビよりYoutubeのほうが面白いテレビ離れは加速する一方だ。

他にも娯楽はいくらでもあるし、映像コンテンツ面白さだけで言えばオンデマンドサービスのほうが奥が深く種類が豊富だ。

職場テレビドラマ話題になることなんてここ最近であっただろうか。

テレビを見ていないことで世間ニュースから取り残されたことがあっただろうか。

しろテレビ情報源としている人間のほうが、視野見解限定されていることのほうがほとんどではないだろうか。

テレビがなくなって困るのは、テレビを見続けている人間だけだ。

そんな状況の中で、わざわざ人間が何度も出向いてまで集金した挙句に、ユーザー離れを加速させているコンテンツ未来がある訳がない。

テレビ未来を急激に破滅へを追い込んでくれるNHKの集金業務をこれから応援しています

2017-02-16

親の車を捨てる話

条件がぐちゃぐちゃしているのでユースケースを一つ作る。

「Aは親であるBと遠くはなれて住んでいる。様子を見に行くのも飛行機を使うため、気軽に帰省する訳には行かない。Bは高齢のためここ数年、急激に運転がおぼつかなくなってきた。軽い認知症が始まっている。車を降りることを薦めても『心配しなくていい』を繰り返すだけで、話を聞かない。後期高齢者保険の話をしても嫌な顔をするだけ。ヘルパーを入れることも拒む。説得を続けると『疲れた』といって引っ込む。高齢者運転事故の話が話題になっており、心配だ」

多分日本中に掃いて捨てるほどあるユースケース。本当に掃いて捨てたら大阪の海が悲しい色に染まるどころか広大な埋立地ができるだろう。

さて、BはAの言うことをまったく聞かない。一方でBの運転能力は日増しに低下している。ここで何ができるか。現実的選択肢は以下のとおり。

  • 殴り飛ばして無理やり言うことを聞かせる
  • Aが今の仕事を放り出してBの近所に引っ越す
  • Bが衰弱してAに抵抗できなくなるまで待つ

最初選択肢はAが逮捕される。2番目の選択肢を取る人は一定数いる。その後再就職できずに低所得層に転落する悲劇が量産されているが、報道はめったにされない。最後選択肢現実解として選択する人は多いだろう。

最後選択肢を選んだ場合で、かつBが誰もひき殺さなかった場合現実に起きるのは次のような事態になる。

「Bは認知症が進行し、徘徊を始めるようになった」

Bは脳機能の衰えにより、自分の車がどうなったかを正常に判断できなくなる。車を捨てるのはこのときしかない。しかしながら、同時にBは徘徊等をはじめており、この時点で付きっきりの監視必要になる。

Bはヘルパーを拒んでいたため、遠隔地からAがBの世話を頼める人はいない。「徘徊しているお父さんを保護しました」という警察から電話に、予定をすべてキャンセルし、会社に頭を下げて(割安航空券を使わずに)あわてて帰省することになる。

長期休暇は取れない。ここでどうやって車を捨てればよいか

実は車を捨てるという言葉には、二つの意味がある。

普段意識していないが、会話で「廃車」というときには上の二つの意味を両方含んでいる。

この二つを短時間にできるだろうか。

スクラップ処分はできる。近所に業者がいるならば、自走していって車検証と自分身分証を見せるだけで廃棄してくれる。所有者の同意書、委任状などは不要業者確認することを推奨)。

問題は法的な廃車のほうだ。

法的な廃車はAの居住地でもできる。必要ものは:

この二つがあればいい。さてここで問題。Aの言うことをまったく聞かなかったBは、Aに登録印の保管場所を教えてくれるだろうか。

教えてくれているなら幸い。とにもかくにもすぐに廃車処理すべきだ。(来年納税までに捨てればいい)などというのは間違いだ。なにしろ

登録印は自治体の外に引っ越すと無効になる』

Bが自活能力を失ったからAの元に引き取る。あるいはAの居住地の近所の施設に入れる場合、当然住民票を移動することになる。

教えてくれなかった場合印鑑を再登録する必要がある。

ところが、印鑑登録の再登録には本人自筆委任状必要となる。委任状を書けるくらいなら運転心配などあるわけないっつーの。そもそも、委任状を書ける状態ではBはAに同意しない。

この点に関して、役所は一切助けてくれない。結局、この状態になると選択肢は二つ。

偽造が発覚した場合、たぶん書類送検される。裁判で争うのも一興だろう。ツイッター炎上させてメディアを巻き込む。うまくするとゴーストライター適当感動ポルノ本を書いてくれる。印税で買ったワインを飲みながら、すでに知的な話をできなくなったBの耳元に「あんたのおかげで大もうけできたよ」とささやくと、テレビドラマ的で素敵だと思う。

重量税を払わない方法もある。払わないと警察が来るので「この人が脱税しました」と、Bを突き出すのだ。嘘ではない。安全運転納税は所有者であるBの義務だ。うまくするとBはお上が面倒を見てくれる(ないない)。

成年後見人は一番まともな方法だ。成年後見人になれば、Bの代わりに印鑑登録し、廃車することができる。が、認定されるまで数ヶ月かかるという、お役所仕事なので年明けにスクラップにしたなどという場合はあきらめるしかない。

かくのごとく、親の車を捨てるとは面倒な事である

当然だが、ここに延々と書いた面倒な話とは別に「老いの準備を一切しなかった親を引き取る」という大変な事態が同時に発生する。

子供が憎い、子供を少しでも苦しめたい。そう思っている方には『心配しなくていい。俺は大丈夫だ』と言い続けることをお勧めする。効果は絶大である

2017-02-02

梅毒激増の本当の理由ホストクラブ枕営業蔓延

梅毒が激増してるというニュースが流れると、日本人悪者にしたくない層の連中が決まって「中国人爆買いのせいだ」と騒ぎ出す。

しかし、ちょっとデータを調べればそうとは言えないことが分かる。急増が始まったのは2011年からから中国人爆買いの時期とは3年ずれているし、また爆買いの影響であれば、それに陰りが出た去年は減ってなければおかしいのだ。

また、増えてるのは梅毒だけであるHIV新規感染者数は横這いだし、淋病クラミジアも横這い以下。嘘だと思うなら厚労省サイトデータ公表されているので確認されたい。

その原因をいろいろ仮説立てて検証した結果、「2010年を境にホストクラブ枕営業蔓延するようになったため」という結論けが行き残った。

以下、根拠

2010年ホスト業界環境変化

ヤングジャンプに7年連載され、テレビドラマ化もされた、ホストを題材にした人気漫画夜王」が連載終了したのがこの年だ。この作品ホスト業界一般化に多大な貢献をし、業界の拡大に寄与した。

その作品の中で、枕営業をするのは邪道という流れが最後まであったため、2000年代ホスト業界枕営業をするホストは少なかった。居なかったわけではないが、そういうホストは「枕ホスト」と呼ばれ、下の下とされた。安易に枕に走らず、太客に対してごくたまに枕を共にするくらい、の営業一般的だった。これは当時から存在している水商売掲示板サイトホストラブ」において、2000年代のうちはホスト枕営業のたれ込みが殆どないことからもわかる。(キャバ嬢の枕に関する話は沢山あった)

ちなみにホストラブは月間ユニークユーザーが240万人いる超巨大掲示板サイトである。この数は、Yahooニュースの実利用者数とされる200万人よりも多い。

しかし、夜王が終わると、枕営業ブレーキ役が居なくなり、枕に走るホストが急増。次第に「枕ホスト」という隠語業界から出てこなくなり、今では、「担当」「本営」「趣味彼」などのフレーズに現れるが、一人の女性客に複数ホスト枕営業し、ホスト複数女性客に枕するのがデフォルトとなっている。今やホストラブの掲示板はこの手の話題が大半だ。

またホストクラブの客層の世界では「枕されない客は最下層」という考え方がここ数年で一般化した。余程醜く無い限り枕されるはずという考え方から来ている。女性カーストの下には居たくない生き物であるので、脱出条件である枕の実践にかなりの力を注ぎ込むようになった。

ホストの客の大半は風俗嬢なので、風俗から梅毒を移された風俗嬢ホストと枕して移し、その翌日に同じホストが別人の風俗嬢に枕して移し、その風俗嬢が別のホスト風俗客に…という媒介ルートが出来上がってしまったのだ。

梅毒だけ増えた理由

これは梅毒の症状の性質と、今時のホスト毎日のように枕営業することと、その内容に起因する。

まず、ホスト枕営業では、ほぼ確実にゴムをつける。育てようとしている客を妊娠させてしまったら元も子もないからだ。これでHIVが増えない理由説明がつく。オーラセックスは生だが、オーラルでHIV感染するのは極めて稀だ。

次に、潜伏期間の違いと、治療難易度

クラミジア淋病オーラルでも感染するが、潜伏期間が数日と短いので、数人と枕した段階ですぐ気づける。一方、梅毒第一期と呼ばれる初期症状が出るまで3週間もある。人によっては第一期は無症状なので、その場合は第二期の症状が出始める3か月後まで待たないとならない。つまり症状が出るまで2桁人数の女と枕出来てしまう。

それでも淋病クラミジア梅毒ほどではなくても増えてるはずだが、これは病院に行かずに抗生物質をオオサカ堂あたりで個人輸入して病院に行かずに治してしまう人が増えたからだ。この二つは、抗生物質を1週間飲み続ければ確実に治る。病院に行かないと感染者としてカウントされない。

また、クラミジアは男の半分、女の8割が感染しても無症状なので、感染に気づかないまま何年も経過することが多いのもある。この場合感染者数にカウントされない。

そして、近年は咽頭クラミジアも増えていると言われているが、これは厚労省性病として集計していない。つまりカウント対象外

一方、梅毒第一期でもペニシリンを二週間以上飲まないといけないし、完治しない間に勝手に症状だけ収まって再潜伏して3カ月後に第二期移行、という事態が珍しくない。第二期になると病院に行かないと治せない。そこで梅毒感染者とカウントされる。梅毒感染者を見つけたら厚労省に報告が義務づけられているので、カウントしないわけにはいかないのだ。

まり梅毒けが増える環境が、ホスト枕営業蔓延によって整ってしまった。これが、2010年代梅毒パンデミックになっている本当の理由である梅毒の根源は中国ではなく歌舞伎町なのである

追記

もちろんホストクラブけが急増の原因だとは思っていない。学生風俗嬢の増加や外国人旅行者の増加も影響としてはあるだろう。ただ、この二つが主要因ならば、梅毒だけ増えるという事象につながらない。

ホストクラブ主要因説も弱いところがあるのは否めない。「ホストの誰々に梅毒移された」という告発が今でも少ないのだ。風俗嬢の誰々に~、ならよくあるが。

ただ、決定的な否定要素にまではならない。ホストが1日に枕できる人数と風俗嬢が1日に相手できる人数が大幅に違うので、ホスト梅毒を移されたと告発すること自体、かなりの特定リスクを伴うし、風俗嬢ホストと枕する前に相手した風俗から移された場合と見分けがつかないので、ホストから移されたことに気付き難いためだ。

ホスト業界も今さら禁止というわけにはいかないだろうが、試しに「三回指名されるまでは枕しない」というレベル自主規制をやってみてはどうか。歌舞伎町ホストクラブ協力会が音頭を取って。きっと、有意抑制効果が出るはずだ。

2017-01-18

洋画の“大麻喫煙”シーンを大半の日本人は気づいてないんじゃないか

親指と人差し指で摘まむようにしてよれよれのタバコを吸うシーンはほぼマリファナを吸っているシーンだ。

その後、隣の人にそのタバコを渡したりしたらそれは確実に大麻。そうやって1本のバッツをみんなで楽しむのがマリファナの嗜みかただ。

それを知りながら観てると洋画ではかなりの頻度でそういうシーンが登場する。ほとんどの映画でそういうシーンが一度は出てくると言っても過言ではないくらい。

若者が集うシーンでは必ずといっていいほどそのシーンが出てくるし、下手したら中高生くらいのティーンが親の愚痴とかこぼしながら普通にみんなでマリファナを吸って、それが大人にバレて「こらー!」なんて言いながら「まったくもう」なんつって怒られるシーンもよくある。

洋画でもテレビドラマでもしょっちゅうそんなシーンが出てきて、その怒られ方がちょっとしたイタズラを注意される程度のものから、見る人によっては「タバコでも吸ってたのかな?」くらいに思ってる人が多そう。

でもあれ、マリファナなんだよね。大人も大抵、若い頃に同じ様にやってたかあんな程度の叱り方になる。

それを知ってるとお話空気感がよりわかるし、まあそんな程度のもんなんだよねマリファナって。

良いとか悪いとか言うつもりはないけど、大麻ってだけでもう地獄の極悪非人犯罪者扱いしたがるのもちょっと怖いなって思うかな。

同じ犯罪でも違法電波飛ばしたくらいだとみんな寛容なのに、なんか価値観不思議だなとは思うよね。

覚せい剤絶対ダメだけど。

つってもウルフ・オブ・ウォールストリートは最高だったけどな。

2017-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20170115073928

どうなんやろね

テレビドラマの延長としての「映画化」は終わったのかもしれないが、

2016年になって

テレビアニメの延長としての「映画化」が激増したように思う

http://anond.hatelabo.jp/20170115073928

少なくとも、映画館に人を呼べる「顔」がなくなったんじゃないかな、と思う。

あくま個人的意見なんで、反論があれば、訊きたい。

面白いのは、なにか契約があるのか、視聴率が低かったテレビドラマ映画化作品

只でも観るやつがいないのに、金を払って観る奴なんているの?って思うよ。

テレビ屋さんの映画でも、「信長協奏曲」って、年間映画興行収入ランキングで9位だって。いい線いってるじゃない。

でも粗筋読んで、だれが見るんだろう、って思ったよ。

2017-01-15

「超潔癖主義」の非現実性

くさや問題が表した潔癖主義

ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。

何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。

私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代1990年代鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。

本来文化・社会性とはそういうものではないか2000年代新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口インフレ問題もあった。2010年代1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。

オタク文化マイルドヤンキー問題共通点

オタク今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。

冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代学歴社会実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである

仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか

私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方リア充話題が出ると、なぜか不良とこじつけ話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会空気である

当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキー本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。

マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。

そもそもマイルドヤンキー言葉根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部人間殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンター依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域シンガポールのような都市国家以外にない。

「超潔癖主義」の究極である子供ファシズム

私はこの潔癖の究極が「子供至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通なしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。

子供日本人美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。

そもそも日本私鉄社会の根源は鉄道公有化の失敗だとか戦争連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブもの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である

欧米圏を見ればわかるように、鉄道弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本おかしいのである

一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供大人らしい事由成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。

あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。

不都合現実」を受け入れた理想の発展が必要

特定環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である

昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。

その点、例えば私が韓国学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったかである

バス停留所で会話したローカル若い女性は、なんかお茶目で、自分生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人オタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。

これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通リア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ

日本に出てくるテレビタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。

これは、日本人一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。

しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実理想を一度捨てることになると思う。代表大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。

私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実実在不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか

そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義理想を振りかざして現実を拒絶したり自由創造表現ユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本現実がほんとつらいです。

(韓国などの例外を除く)外国コンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合現実事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。

だがその独創性第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームものすごく親しんだ人ほど危ない。

ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神コリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習コラボさせると、アニメ漫画特撮ドラマビデオゲームまがいな、子供ヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである

私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流華流コンテンツ敬遠したのは、アメリカコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパーク映画などに「不都合現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽もの批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ

私の記憶する限り韓国中国テレビドラマアニメには、日本人ネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代2000年代(2010年代)に日本型暴走族話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人中国人オタク風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)

そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画小説(ライトノベルを含む)やゲームいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである日本作品で言えば喧嘩番長龍が如くに出てくる「不都合現実を誇張した」不健全卑猥日本風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。

そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国中国にもそういうクリエティティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神解体を加速させることが必要なのだ

2016年テレビ屋さんの映画」の時代、やっと終わる。

 いまさら指摘するのもなんだけどね。

 テレビ屋さんのつくった映画、なかでもテレビドラマ映画化作品は、結局、「ホームビデオ」だったんだよね。

 「ホームビデオ」ってのは、映画としては悪口

 だけど、映画化されるテレビドラマ場合、もとになるドラマ自体ホームビデオ」としての消費を前提とした造りになっていること、多いよね。

 特徴は、こんな感じ。

 配役は演技の向き不向きによるものではなく、視聴者よく知っている「顔」で選ぶ。

 筋立ても、あまり重要ではない。

    と言ってもしょせん「ホームビデオ」。内容がどうのこうのというのは、おカド違い。

    あまり難しいはなしはだめ。オチャラけたものでもいいだろう。マンガ原作ものも多いね

 画面を見なくてもわかるよう、筋や登場人物心理は、極力台詞説明する。
  •  つける演技もおのずと決まってくる。

    「ホームビデオ」だから普通、家でみる。みんなで晩飯を食べたあと、ビデオを放映する。

    大した筋でもないが、せっかくなら洗い物をしていて、画面を見られないお母さん(お父さんかも)にも、よく分ったほうがいいだろう。


 最近みたテレビドラマ映画化作品が、異様につまらなかった。

 だけど、これ、他人の家で「ホームビデオ」を見せられていると思うと合点がいった。それがこれを書いた理由

 なるほど、そこの家のお兄ちゃんはかっこいいし、お姉ちゃん美人だ。

 でも、だからといって「ホームビデオ」が面白いわけではないんだよね。

 某脚本家ネットやそこに書き込む若者を嫌う理由もよくわかる。

 ひとんちの「ホームビデオ」に難癖つけてくるような連中に怒ってるんだろうね。

 10年くらい前、「踊る大捜査線シリーズってテレビドラマ映画化で大当たりした。「ヒーロー」ってのもあったよね。

 あの頃からホームビデオ」だったよ。

 でも、あの頃は自分ちの「ホームビデオ」だったんだよね。

 自分ちのお兄ちゃん、お姉ちゃん、そして自分の彼、彼女が出ていたんだ。だから、みんな見に行ったんだよ。

2016-12-12

ユーリスポ根臭かったらただのスポ根として切っていた

私はスケオタとではなく、アニメも各季節ごとに2~3本見れたらいい名乗り難いアニオタである

声優や絵などで選り好みするのも悪いのだが、地雷が多いのだ。

たとえ声優監督、動きが綺麗であろうと、二次創作流行ろうとも、

バレーアニメ主人公の暑苦しさで悔し泣きしながら切るほどにスポ根が嫌いだ。

最近アニメにあるドキュメンタリーものも見た後には1日くらい鬱々としているのだ。

アイドル物のアニメがどれだけ流行ろうと壁を乗り越えうようという描写が嫌いすぎて見れない。

テレビドラマのようなキャラストーリーが苦手だと言えば伝わるのだろうか(怒鳴り声が嫌なのが大きいが)


私はただ声優と絵柄、Twitterでの盛り上がりぶりだけで1話の視聴をしたのである

スポ根ものにびくびく怯えながらつけた先で、あの滑らかで美しいスケート映像を見せられたのだ。


その後に衣装音楽、採点の話を聞いていた。

数話続いても崩れない各キャラスケートシーンを見ながら、丁寧につくってるように感じた。

キャラ自然だ。強要もしない、脅しもしない、ご都合主義も使わない。

本当にスケートって綺麗で素敵なんだ。好きって思わせてくれようとしているんだと思った。

ただただ説教がましいスポーツアニメでないことに感動と感謝を私はここで語りたいのだ。


本格スケートアニメを見たかったと嘆くスケートファンを知った。

事前にアンケートをとった話、そもそも本格スケートアニメであることを今知った。

しかに1クールではあれだけのキャラ大会シーンをまとめるので手一杯だったのだろう。

競技中以外もドキュメンタリーであったなら、もっと堅苦しいアニメになっていたと思うし、

ただのスポーツアニメだとげんなりして切っていたかもしれない。(本当に趣向なので申し訳ないが)

クールならゆとりは持てたのだろうが新作のアニメオリジナルで突然そこまで作る猶予がないのかもしれない。



愛について性についてで物議を醸している人もいた。

このアニメは悩まなくてはならないとされる性別の壁が、そもそも存在しているように見えない。

あの世界観にはLGBTという単語さえないように思う。盾にしようもないほどにない。

そういうところだけは本当にファンタジー世界になっていると思う。

から私はこのアニメ賛同否定も語れないのは確かだと思う。

その点も含めて重くなくすっきりした作りになっていると思う。もちろん腐女子であることを自負した上でのすっきりだ。

深夜に放送時間を選んだのは正解だったと思うし、PV男性人数で予知する人もいたらしい。

ただスケオタだったり、事前に感づかなかった人には衝撃的なのである腐女子もかなり衝撃を受けているのでなおさらである

そう思うと本格スケートという宣伝文句は危ういかもしれない。

追記

なんか複数コメントあるけどありがとうな!

せっかくだから通りすがりスポ根臭くないアニメおすすめでも書き込んでくれ!

2016-12-01

君の名は。」に潜む仕掛け―「無常」と「自我」の「対決」の物語

すでにこの映画を見て2週間は経つ。鑑賞直後の雑感は箇条書きで記してはいたのだが、一応もう少しまとめようと思い立ったのでここに記す。

おそらくほとんど人の目には留まるまいが、ネタバレを含むので、ここから以下はぜひ本作をご視聴の上でお読みいただきたい。

また、私自身はこの作品を1度しか視聴しておらず、またこの映画に関する情報パンフレット以外ほとんど(ネット上の評論も含めて)目にしていない状態であるので、思い違いや抜け、または同様の結論に至った他の方の評論がある可能性があることを了承されたい。

また、本文の後半でいくつかの仏教用語使用している。が、恥ずかしながら私の仏教知識は全くの独学であり、また理解もかなり浅いものである。もし仏教用語または知識に間違いがあれば、ぜひとも私のツイッターアカウント(https://twitter.com/gachikibou)またはメールアドレス(gachikibou@gmail.com)あてにご叱正をいただきたくお願いする次第である

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君の名は。」は、大変すばらしい映画だった。

これまで、私は新海誠監督映像作品をいくつか観た(すべてテレビDVD)が、どれも見ていていたたまれない気分にさせられるのがいやだった。今回も「新海監作品」というだけで拒否感が強かったのだが、それを良い形で裏切ってくれる作品であった。

この映画の良い点については、映像作品素人の私でもいくつか挙げることができるが、この文章では、私が「この映画が多くの人の心に深く響いた理由である確信した、ある「仕掛け」について取り上げたい。

私がこの映画で見事な「仕掛け」であると考えるのは、「入れ替わっていた時の記憶は夢のように消えていく」という設定である

ご視聴いただいた方にはわかる通り、この設定は脚本構成必要不可欠であり、それ自体が新海氏の作品テーマの一つである「すれ違い」を生むポイントでもある。

しかし私は、この設定そのものが、多くの観客に非常に深い共感を覚えさせるための、きわめて重要な「仕掛け」であったと確信している。

さて、その「仕掛け」について考える前に、まずは一般的な、夢の「記憶」について少し考えたい。

 

夢の記憶は、実体験のそれよりはるかにもろい。

そもそも、人間が見るほとんどの夢は、目覚めた時には忘れられてしまっているし、たとえたまたま夢を覚えていたとしても、目覚めた後しばらくすると、その記憶が朝のルーチンな行事などによって急速に塗り重ねられていく経験を、多くの人はしているはずだ。

そしてそれは、非常にインパクトのある強烈な夢であっても、実は例外ではない。

 

例えば、前日見た怖い夢について友人に話す時、どうしてもその「怖さ」を伝えることができないというもどかしさを感じたことがある人は多いはずだ。

それにはいろいろな理由が考えられるだろうが、そもそもそうした場合に思い出している夢の「記憶」というのは、実際にはその時の夢に対するおぼろげな「あらすじ」と「『感動』を体験したという『記憶』」を元に、目覚めてしばらく経ってから再構築された、いわば「レプリカである

それは本来の「記憶」ではなく、自分自身によって作られた本来の「記憶」の「代替品」である。そのゆえに、自分自身でもその「記憶」を、生の体験として感じられないのだ。

 

では、なぜ人は、わざわざそのようにもろい夢の「記憶」を、再構築してまで取っておこうとするのだろうか。

それは、その人が、その夢の中で何らかの「感動」(それは「喜び」であっても、人によっては「恐れ」であってもよい)を体験たかである

 

ある夢について、人が「いつまでも覚えている(実際には再構築したレプリカを取っておいている)」のは、その人がその夢の中で、時には現実以上に「感動」させられたからだ。

(つまりは、面白かったテレビドラマアニメDVDなどで保管しておこうという行為と同じである

しかし、そのとっておきたい夢の「記憶」そのものは、前述のように実に「もろい」のだ。

「感動」は個人の心にとって極めて重要体験であり、その存在保証する「記憶」は、ある意味自分のもの」でもあるのに、夢の「記憶」は、いくら手放すまいと抱え込もうとしても、どうしようもなく風化し、変質し、最後には消えてしまう。

すると最後には「『感動』を経験したという『記憶』」という、ある意味抜け殻のようなものけが手元に残るのだ。

この感覚を、自覚している人は多いはずである

 

しかし、人間はそれでも夢の本来の「記憶」をあきらめきれない。

なぜなら、強く「感動」したという事実は、人にとって極めて重要からだ。

からこそ人は、無意識にでも夢の「記憶」を、抜け殻である「『感動』を経験したという『記憶』」を元に再構築して「レプリカ」を作り、それを代替品として残すのだ。

たとえ残しても、その「レプリカ」が、本来の生の「記憶」には及ばないにもかかわらず。

 

**************

さて、ここまで、夢の「記憶」が本来記憶からレプリカ」に置き換わっていく過程を見てきた。

ここまで考えれば、人はもう一つの事実に思い至る。

 

多くの人は無意識のうちに気が付いているのだ。

実は、夢の「記憶」に限らず、人間実体から得られたものを含むすべての「記憶」も、年月が経つと消えてしまう「もろい」ものである、ということに。

「よかったことの記憶は美化される」というが、実際には美化という「脚色」ではなく、後に再構築された「レプリカ」かもしれず、場合によっては「レプリカ」の「レプリカである可能性すらあるのだ。

 

記憶」は、同じ時代の別の「記憶」や、新しい「記憶」、またはその人自身の心境の変化などによって絶えず影響を受け、さらに年月とともに風化する。

そうして形の崩れた「記憶」を、人は心の棚から引き出して眺めるたびに、足りないところや影響を受けたところを成型しなおし、「ああ、あのころはそうだった」と納得して、引き出しに仕舞う。

仕舞った途端に、その「記憶」はまた変質を続け、風化していく。

そのようなものに、果たしてその「記憶」が生み出されたころの、生の部分が残っているだろうか。

 

そしてその「記憶」がもろく変質し、最初のものと変わってしまっているという事実は、最終的には自分のものの「はかなさ」にたどり着く。

自分があの時得た喜怒哀楽の「感動」を保証する大切な「記憶」が、年月を追うごとに変質し、「レプリカ」に置き換わっていく。

さらにその「レプリカ」すら、風化に耐えられずに「レプリカ」の「レプリカ」に置き換わってしまう。

それは人間記憶システム限界であり、そのような「はかない」もの立脚している人間存在限界であり、どうにも抗えない無情な運命である

この残酷な「はかなさ」を前に、人は多かれ少なかれ、悲しみと恐れを抱くのだ。

 

しかし、いくら「はかない」ものであっても、人はやはり「『感動した』という事実」を保証する「記憶」を手放せない。

それを手放すことは、過去の「感動」を手放すことであり、つまりは「自分自身」の一部を手放すことに等しいからだ。

自分自身」を手放したくないという強い思い。これは、人間という存在の持つ、根源的な欲求の一つといってよい。

 

**************

 

さて、ひるがえって「君の名は。である

この作品で、主人公たちは人格の入れ替わりという「夢の体験」に近いもの体験する。

入れ替わっている時の「記憶」は、(夢の「記憶」と同じく)極めてもろく、曖昧ものであることが劇中の様々な演出や、女性主人公祖母経験から示唆される。

また、主人公二人が入れ替わっている最中のことを把握しようと相互に残した記録すら、「世界修正力」とも呼ぶべき現象によって、問答無用に消されていくのだ。

この演出は、夢の中で強烈な「感動」をしながら、夢の「記憶」が消えていくのを経験した人々(たぶん非常に多いはずだ)に、夢の「記憶」の「はかなさ」、どうあがいても失われてしま焦燥感と苦しさを思い出させる。

 

しかさらにその後、この設定の巧妙さが控えている。

この映画において、入れ替わりの「記憶」は、夢の「記憶」と同列にできるものではない。

なぜなら、その「記憶」は(時間軸のずれはあるにせよ)現実世界での体験によるものからだ。

ここで視聴者は(特に視聴者層として想定される若い世代にとっては無意識のうちに)、自分の持つすべての「記憶」そのものも「はかない」ということに気づかされる。

そしてその「はかなさ」は、前述のようにこれまで確かだと思っていた「自分自身」、つまり自我」の「はかなさ」へと続いているのだ。

 

 

この作品が、単なる「恋愛のすれ違い」を描いた作品でない点は、ここにある。

この作品の入れ替わりの記憶に関する「設定」そのものが、人が「自我存在のはかなさ」に知らずのうちに触れる、という高度な「仕掛け」となっているのだ。

 

そしてさらさらに、この仕掛けにかかった視聴者は、「自我のはかなさ」を抱えながら、大災害から人を救いたいという強い想いの結実と、主人公二人の恋の結末を追っていくのである

自我のはかなさ」という「無常」を自覚しながら、それでも捨てきれない「感動」を最終的には得るのであり、これをあえてたとえるなら、大乗仏教における「色即是空」の一端を突き付けられながら、それと相反する「自我」を、恋の思いを主軸にした「感動」として体感させられているようなものである普通人間にとって、これが強烈な体験とならないはずがない。

 

この作品を、「何か『高尚な深み』がない」とか、「ヒットする要素が盛りだくさんで鼻につく」といって評価しない人がいるようだが、前述の「仕掛け」が意識されるならば、その評価は間違っている、と言えるだろう。

確かに、ストーリー上はこの作品恋愛物であり、その結末そのものに何らかの「高尚な思想」は存在しない。

最終的に二人は再会し、そして新しい「記憶」が生まれるだけである

しかし、上記の「仕掛け」による、実は仏教的ともいえる「無常」と、それと対立する「自我」を強烈に意識した構成は実に見事であるし、十分に評価に値すると、私は考える。

 

何より、「無常」と「自我」の対立、というよりは映画エピローグの流れてとしてはむしろ「対決」を、恋愛ドラマをもとにしながらも、とりわけ若い世代視聴者体感(おそらく初経験だ)させるなど、尋常映画ではない。

この点で、私はこの映画日本アニメ映画の中でも特筆すべき存在であると考える次第である

 

**************

 

この映画に関して、もちろん上記以外優れた点は数多くある。

今回記した部分はあくまでも私が特に注目した点であり、冒頭に述べた鑑賞直後の箇条書きの全体量で言えばせいぜい1-2割といったところである

海監督の特徴である映像意図的な美しさや、おそらく何度も検討を重ねて練り上げられた脚本など、評価するところはまだまだあると思う。

しかし、私自身まだ一度しか視聴していないこともあり、また映像脚本に関してはより以上に素人であるので、それ以外の評価は他の方にゆだねたいと思う。

 

そして、私はやはりこの映画は、10から20代の「無常」に関して初心(うぶ)な若い世代に鑑賞していただきたい。

この映画で抉り出されるものは、少なくとも2500年ほど前から人類が立ち向かっている、非常に大きく根源的な問題の欠片である

それに触れた経験というのは、おそらくそ若者にとってかけがえのないものになるだろう。

2016-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20161108195738

テレビドラマの『渡る世間は鬼ばかり』は台詞が多くて

ながら見に適しているとどこがで読んだのを思い出した

ドラマは見たことないんだけど

アニメ版舟を編むはやっぱりダメだった

始まる前は「映画やって、それの評判もいいし、国内映画賞総なめだったし、いまさらアニメなんてやって何するの?やることある?」って感じだった。

映画は馬締の役を松田龍平にしている時点で勝ちだからアニメなんて負け戦決定だと思ってた。

まぁ、この頃まだ原作映画も見てなかったけど。

 

それで1話見て、これがすごくよかった。

終盤の馬締をスカウトするシーンとか最高。背景がぼやけて、文字が浮き出て、馬締がファイルを収めると同時に浮いてた文字も収まる。

これなら馬締の特別感に説得力がでる。実写でこれやったら下手なCGが目について白けるはず。そういう意味アニメしかできない表現だと思った。

これができるならアニメ版映画版と張り合えるんじゃないのか。画面に映るだけで違和感のある俳優松田龍平を使った映画に対して、アニメの馬締も戦えるんじゃないのか。

その期待もまま2話を見た。

これまたよかった。

セリフ用例採集カード対応させる演出とか最高。作画だってすごくいいし。

今期トップレベル面白いアニメの一つだと思ってた。 

 

それが3話でダメになった。

21~22時くらいやってるつまらないテレビドラマみたいだ。

思ってることを全部口にしないといられない登場人物たちが下手なコメディ芝居でギャアギャアやるアレ。

気持ちを全部セリフにするから解釈余地なんてない。

から十までセリフ説明すれば、理解やす作品になるとでも思っているのか。

それをやれば逆に底の浅い作品しかならないのに。

全て説明するってことは、見ているこちらの解釈を挟ませない、こちらを入り込ませない作り。

見ている側が作品に入り込むとき、見ている人の心に登場人物たちの心も形づくられる。

けど全部セリフで語られるとそれを作る必要はなくなる。全部喋っちゃうから

馬締の気持ち西岡気持ち想像しなくていい。全部喋ってくれるから

見ているこちらの心の中に彼らは存在しない。

存在しないか作品自体遠くにあるどうでもいいものになってしまった。

 

4話に至っては作画まで死んでる。

特にラーメン食べるところ。

麺をすする音はするけど、食べている絵がない。

人の背中で隠したり、画面に写さなかったり。

現場のヤバさが伝わってくる。

で、やっとワンカット食べている絵がでるけど、そのあとの馬締の後姿がでか過ぎ。

もう別の期待にわくわくしてきた。ろんぐらいだぁす、ブレイブウィッチーズに続くのは舟を編むなんじゃないのか?って放送落とすことに期待。

 

 

1、2話でよかったものが、この3、4話で失われ、もう見るところがなくなった。

がっくりしながら、それでも映画は評判いいから見てみようって見てみたら、これが最高。

始まってまず出てくる「一九九五年」の文字

映画の中がもう95年になってる。95年に作られた映画を見ているみたい。人によって95年の映画代表は違うだろうけど、平成ガメラ一作目って感じ。 

 

しか仕事場が汚い。

追いやられた感がある。

 

用例採集カードなんて黄ばみまくってる。

古ければ古いほど黄ばみがひどい。

けどそれがいい。

アニメだとみんな新品みたくきれいなものばかりだけど、一日二日で90万語も集められるわけないから、きれいだったカードもどんどん古くなって黄ばむはず。

どれだけの期間かけて集めたか具体的に語られることはないけれど、カードの汚さを見ればそれがわかる。

きっとすごい時間かかったんだなって感じられる。

アニメにはそれができていない。

 

用例採集カードで語らせるやり方とか映画でもやってるけど、断然映画のがうまい

アニメ版にある押しつけがましさとは逆に、映画版はこっちから意図や心情を読み解いていこうって気持ちにさせられる。そうやって作品に入り込んでしまう。

 

映画を見たら、アニメ1、2話の印象まで変わってしまった。

ダメだ。敵わない。

もはやアニメ版にいいところなんて何一つ残っていない。

 

アニメ映画観覧車解釈の仕方に違いがあるという点だけ面白い

どちらの解釈が良いとかそういう話じゃないけど。

観覧車の中での二人の会話は断然映画のほうがいい。当たり前。アニメ登場人物はできるだけ喋らないでいてほしい。

映画版が良すぎた。

アニメ版はもう見ない。

原作は気が向いたら。

2016-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20161029134323

ユーフォみたいなテレビドラマなんてあるか?

今のテレビドラマって働く女性モノと、若いイケメンがキャピキャピしてるようなのしかないじゃん

2016-10-14

性犯罪話題で「ブスの被害妄想」や「被害者の落ち度」などという男

セクハラ痴漢問題を話している際、横から「ブスの被害妄想」や「被害者の落ち度」などと見当違いのことを言い出す男がいるが、

どちらだろうか。変態自白なのだろうか。

 

それとも「テレビドラマ登場人物が失敗するシーンが見られない」という 共感性羞恥派生で、自分犯人同一性(男)であることを暗に恥じて女に反抗しているのだろうか。

 

いずれにしろ幼稚だ。

2016-10-12

地銀に入ったよ

今年の四月にUターンして西の方の地銀に入行した元MARCH文学部生だけどすでに辞めたい。

なにより辛いのがほとんど誰とも話が合わないこと。

趣味ゲーム漫画インターネット量産型オタク大学生を文学部環境でやってたので感覚が狂っているのかもしれないけど、それにしてもひどい。

雑談で週末の過ごし方の話になり、最近話題からいいだろうと「君の名は。見に行ったんですよ」と言ってみても

「誰と見に行ったの?」以外の質問が出ない。もちろん一人でなんて答えようものなら大ブーイング食らうので友達といったことにするしかない。

お前らは映画を何だと思ってるんだと。シナリオとか美術とか音楽とかの話をさせろと。

一事が万事こんな調子で、スポーツ観戦とかテレビドラマとか子育てとかパチンコとか競馬に興味を持てない人間の居場所は皆無。

せめてプライベートでそういう話をしたり気軽に出かけられる友達がいればいいのだけれど、中学以前は疎遠、高校以降はみんな県外で一人取り残された形。

親と親戚からは早く結婚しろ子どもを作れ介護にも備えろ貯蓄をしろ突き上げをくらい。

外に逃避しようにも本屋まで車で10分、映画館までは30分。それ以外はなし。

休日出勤(ボランティアは除く!)なし、早出なし、残業ほぼなしの3なしホワイト環境だけど堪えられない。

仕事自体は嫌いじゃなし、職場人達とウェイソイヤできるような人格になるかどこか違う土地に行くしかないと思い始めた。



実家の犬が死んだら出ていこうと思う。

やつが足を引きずってでも生きてる間は資格勉強でもして少しは再就職に役立てるか……

2016-10-07

なんか多分自分無知なだけで申し訳ないのだけど

そもそもトレンディドラマでやる恋愛というのがどういうものなのかわからない

テレビドラマといっても色々あると思うんだけどワンパターン説明できるようなものなの?

2016-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20160924004631

マジレスしていい?

30過ぎたら「恋を始める」のは難しい。

鯉は身近なところに落ちているモノだから

学生のうちなら学校とか通学路とか他校との交流とかで知り合うチャンスがあるかもしれないし、

まだ「恋に恋している」年齢だから、どんどんチャレンジしても大丈夫だって

本人も周囲も相手も思ってくれるけど

30過ぎた状態だと

職場通勤中か定食屋のおばちゃんかぐらしか知り合うチャンスが無いし

年齢で言うと「恋っていうか、結婚前提だろ!」ってなってハードルが上がる

テレビドラマでよくある、バーで知り合って。。。。なんてのは、アメリカじゃああるかもだけど

日本ではよっぽどじゃないとw

最近の子お見合い全否定が多いけど、

お見合いして気があって結婚して、そこから鯉が生まれるなんてことは、

ほんの40年前まではざらにあった話(今の子が知らないだけ)

あ、今までの話は「異性愛」を前提としていないよ。同性愛だっておんなじこと。

2016-09-24

アニオタ非オタ彼女新海誠アニメ世界を軽く紹介するための10

元ネタアニオタ非オタ彼女アニメ世界を軽く紹介するための10

http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しか自分のオタ趣味肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない新海アニメ世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、新海アニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に新海のアニメ布教するのではなく 相互コミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールアニメは避けたい(というか、ない)。できれば劇場版アニメにとどめたい。

あと、いくら新海的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

新海好きが「遠い世界 OTHER WORLDS」は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場アニメ程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

ほしのこえ(2002)

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以降」を濃縮しきっていて、「セカイ系ブーム」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さも25分だし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいタスクだろうと思う。

信濃毎日新聞(2007)、クロスロード(2014)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメCM(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」

のものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

アニオタとしてはこの二つは“CM”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

雲のむこう、約束の場所(2004)

ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、オタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味はいいなと思うのと、それに加えていかにも新海誠

童貞的なださカッコよさ」を体現する藤沢浩紀

童貞的に好みな女」を体現する沢渡佐由理

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラ世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由

星を追う子ども(2011)

たぶんこれを見た彼女は「ジブリだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜作品新海誠フィルモグラフィーではその後続いていないこと、酷評されて2週間寝込んだこと、

アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でこういうのがさんざんつくられて(は失敗して)いること、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

猫の集会(2007)

「やっぱりアニメ子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「笑顔」(2003)

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける新海の思いが好きだから

断腸の思いで削りに削ってそれで1分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから

「猫の集会」の長さを俺自身冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、

一方でこれが宮崎富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて1分を作ってしまう、というあたり、どうしても

自分物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ新海がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

はるのあしおと(2002)

今の若年層でminoriのオープニングムービーを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

君の名は。」よりも前の段階で、新海の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティ作品エロゲOPでこの時代に流れていたんだよ、というのは、

別に自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、

劇場アニメしか新海を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

彼女と彼女の猫 (2000)

新海の「光」あるいは「背景」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「心にスキマを抱えて毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

からこそテレビアニメ版『彼女と彼女の猫最終話はチョビが登場する以外ではあり得なかったとも思う。

「祝祭化するでもないささやか日常を生きる」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源は「彼女と彼女の猫」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

秒速5センチメートル(2007)

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

言の葉の庭(2013)

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に「言の葉の庭」を選んだ。

ほしのこえから始まって「言の葉の庭」で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、東宝―新海時代の先駆けと

なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

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