はてなキーワード: 理髪店とは
製造業ならば「同じ物をより大量に作れるようになる」「同じ生産量でより品質の高い物を作って高く売れるようになる」が生産性を高めるということだ。そこに異論はない。
一方で、サービス業ならどうなるだろう。
美容師・理容師は明らかにサービス業だ。そして、個人経営の美容師・理容師にとっては粗利益が生産である。チェーン店でもこの点はさほど変わらない。
仮に『ある日突然、日本中の美容師&理容師の作業速度が2倍になった(出来栄えは変わらない)』と仮定しよう。
その場合、何が起きるかというと。
・「今までの半分の作業時間&待ち時間で済むなら」ということで美容室に行く頻度が増やせるようになる(元々忙しい仕事の)人はいるだろうから、業界全体の売上は若干増える。
ただし、収入が同じであるなら結局は人が美容室/理髪店に行く頻度はさほど変わらないから前述の分しか増えない。
・作業時間が半分になっても、お客さんが実際にいつ来てくれるかは今までと変わらないわけで、『地域唯一の美容室/理髪店』のような存在は結局のところ現在と同じ営業時間&売り上げで残る。
『昼間来られない人を狙って夜に営業しているような店』も残るだろう。つまり、『作業速度2倍』は『生産性2倍』を意味しない。
・同じ作業を半分の人数でできるわけだから、美容師・理容師全体の雇用が減る方向で調整される。
おそらく、このようなバランスになると思われる。
一方で、『景気が良くなって日本人全員の収入が増え、特に貧しい層の収入が3割増えた』と仮定する。その場合に起こることは
・今まで節約のために自分の髪・子供の髪を自分で切っていた人も美容院・理髪店に行くようになる。
『節約のため、美容院で染めてもらうのではなく自分で洗髪料を買って染めてました』『節約のために美容院へ行く頻度を減らしていました』のような人も同様だ。
結果として業界全体の売上は上がる。
・元々混雑している店の売上は変わらない(需要が増えて値上げするのでなければ)。一方で、『地域唯一の美容室/理髪店』や、そこまで行かずとも『地域の人のための美容室/理髪店。空いている時間も混んでいる時間もある』ような店の売上がいちばん増える。
・増えた需要の分はある程度美容師・理容師全体の雇用を増やすことになる。
おそらく、このようになってバランスが保たれることとなる。
後者の『景気が良くなった~』では業界として特に何も変わっていなくとも勝手に生産性が上がるわけである。
美容師・理容師というのは『AIを利用した自動調髪ロボット』でも開発されない限り他業種からの参入が難しく、ライバルはせいぜい上述したような『自分でやる』層くらいだろうから仮定するのに都合がいいわけだが、
そのような新規参入が難しい業界でなくともある程度は似たような構図になるだろう。
だから、『日本のサービス業の生産性が悪い』などとよく言われるが、『それは本当に非効率なことをしているからなのか、それとも単に日本の景気が悪いのが原因なのか』ということを一度考えてみてほしい。
ことになっている。
いつも行く理髪店(A店)の店員が話し好きの人で、やたら話しかけてくる。
やっぱり配偶者の話もしてくる。
だけどいい歳しながら結婚はしていない。
”一度離婚したあと再婚して、その相手との子供がいる”設定で適当に話しをした。
とはいえ、そもそも店員に話しかけられること自体が嫌なタチなので店を変えた(B店)。
が、その理髪店店員もまた話し好きでやはり配偶者に及んだ話をしかけてくる。
今度も適当に”子供がいたけど離婚して、今は独身”という設定作ってやり過ごした。
もうどっちの店にもいきたくないけど、田舎なので他に理髪店はない。
しょうがないから今度はA店(”一度離婚したあと再婚して、その相手との子供がいる”設定の店)に行った。
かなり久しぶりだから自分のことを忘れてくれてはいないかとか期待したけど、しっかり覚えてくれてやがった。
うっかり”子供がいたけど離婚して、今は独身”のほうで話してしまい、
「あら?!また別れちゃったの?!!」とかグイグイ食いつかれてもう本当に面倒だった。
A店のほうはもう二度と行けないなと思い、次回はB店のほうへ行った。
「おお~ 再婚したんだぁ~ よかったねぇ~」とかそれはもうベラベラと話しかけ倒された。
また髪が伸びてきた。
自分は
「一度離婚したあと再婚して、その相手との子供がいたが、また離婚した」ことになっているA店か、
「子供がいたけど離婚して、今は独身だったがまた再婚した」ことになっているB店かを選ばなければならない。
結婚もしてないのに。
憂鬱。
俺も事前に理髪店で顔周り整えていったぞ
やがて東京の制限給水は45%に引き上げられた[10]。プールや水洗トイレは使用禁止になり[10]、理髪店、クリーニング店、製氷会社、蕎麦屋、寿司屋、肉屋などは休業を余儀なくされ[10]、医療機関は手術もできなくなり急患以外の診察を取りやめた[10]。都民は入浴はもとより炊事や洗濯もままならなくなり[10][1]、ポリバケツ、たらい、鍋などを総動員して水の確保に奔走した[9]。会社を休んで給水車を待ったり、水運びから過労で倒れたり、流産、水疎開、水泥棒、水を奪いあう喧嘩など、都民生活は多大な混乱を被った[1]。乾ききって砂埃が舞う都内の情景から[6]、新聞は連日のように「東京砂漠」と見出しで書き立てた[9]。
話題になっていたので書こうと思う。
短髪なので散髪サイクルが短めですが、2か月弱くらいまでは粘っています。
出歩かないので、リアルな日常という観点で、世の中がどうなっているのかわかりませんが、誰かの役に立つかもしれないので書いておきます。
切るタイミング
お店の休み明けの朝一番に予約を入れておく:火曜日とか水曜日の朝かな
施術内容:カットとシャンプーのみ(理髪店の場合は顔そりなし)、短髪の人のブローは一瞬だけど、長めの人のブローはしかたないと思う
施術中のほとんどでマスクを着けたままできます。不織布で、汚れてもぬれてもかまわないと伝えておきます。
外す必要があったらいつでも言ってください、と伝えます。神経質すぎる人に見られないようにしておいた方がよいです。
理美容師さんは(特に理容師は)自分がマスクを着けるのには慣れていますが、ウイルスへの暴露はもう仕方ないものと思っている節があると思います。コロナの前から、インフルの流行期だって客はマスクを着けずにべらべら話していましたし。
オッス!オラ、チー牛!
どうやらオラがとてもキモいらしいじゃねぇか!いっちょ(改善)やってみっかぁ!!
ネットで陰キャラをキモいと叩く風潮がある、主にTwitterや5ch(特になんJとかいうやきうより人へマウント取って差別することが好きな連中)とかね
傷つきました!ハラスメントです!!(彼らの煽りがフルヒットする人種)
髪型、顔の作りはどうしょうもないので髪型でなんとかしたかった、理髪店でおすすめにしてもらった、僕陰キャだから似合う髪型わかんないもんね
体臭、臭いか臭くないかは客観視してもわからない、毎日ちゃんと風呂入って全身洗ってても足りないのなら仕方がない、体臭に聞くタイプのボディソープにシャンプーで外出前もシャワーだ
顔、鼻毛や無精髭は汚いらしいからしっかり剃るぞ!不潔さ無くすために洗顔でしっかり洗ってパックもする!導入液と化粧品追加投入だ!
服装、詳しいファッション知識がないので「オタクっぽくない服装 -2ch -5ch」「これ身に着けたら間違いない ブランド -2ch -5ch」とか片っ端からググりそれらを集める!
体型、……細いから少し服で誤魔化そう、飯食う量ももう少し増やすか
そんな感じで努力してたらなんだが自己肯定感が高まってきた、俺は輝いて来てるというよくわからんナルシズムも芽生えてきた
そんな矢先にこんなものが目に入った
「脱オタクとか脱陰キャしようとしてるチー牛や陰キャって必死でキモいよな」
一般に「リーゼント」とは、ポマードなどを使って前髪を盛り上げ、側面の髪を後ろに流して固めた髪型のことを指す。
英語圏では、前髪を盛り上げる髪型をポンパドール、側面の髪を後ろに流す髪型をダックテイルと言う。
特に近年では「3」が正当で「1」や「2」は誤用だとされることが多い。
事実は奈辺にあるのだろうか。
以下のブログで引用されている1964年の新聞記事には、理容師の増田英吉によるリーゼントの誕生秘話が書かれている。
http://mudamuda.hatenablog.com/entry/regent
むかし、リーゼント・スタイルというのがあった。戦後も一世を風びした、流線型のあれ。これを二十代で考案したのが増田さん。
(中略)
ヨーロッパ人にくらべ、日本人は髪がかたいこと。もう一つは「ひたいから頭のうしろまでの距離が短いこと。まあ顔面角のせいなんでしょうかねえ」。あとの方のハンデを克服しようと考案したのが、リーゼント・スタイル。前面をいったんふくらまして、うしろになでれば、髪が落ち着く距離が長くなる――これがそのヒントだった。
リーゼントについて詳しく調査された以下の英語記事でもほぼ同じ説が採用されている。
https://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/
1920年代後半、東京のモダンな街・銀座には、スタイリッシュな若者たちが集まっていた。モボ(モダンボーイ)はワイドパンツにかっちりとしたスーツを着こなし、モガ(モダンガール)は洋装と和装をミックスしたスタイルだった。彼らの髪型として、モボはポマードで髪を後ろに流しており、その見た目から「オールバック」と呼ばれていた。
1933年、東京のモダンな理髪店は、現代の紳士のための次のスタイルを求めていた。銀座のとある気鋭の美容師が、サイドを後頭部に流し、高島田の花嫁のように前髪を押し上げるスタイルを考案した。エキサイティングな外国語の名前を探していた理髪師は、それを「リーゼント」と名付けた。
これらの説明によれば、この時点ですでに「リーゼント」は単なる「ダックテイル」ではなく、「膨らませた前髪」と一体になった髪型を指している。
ただし、ここでの「膨らませた前髪」はポンパドールと言えるほど大きなものではなかっただろう。
ちなみに「オールバック」も和製英語で、英語ではスリックバックなどと言う。
一方、Google Booksで検索すると「ポール・グラウス」という人物が浮かび上がってくる。
1934 (昭和7 )年ごろ、日本にリーゼントが紹介された。正しくはその前年1933年6月のこと。当時発行されていた専門誌『美髪』の口絵写真に掲載された。これをもってリーゼントの流行は'33年に遡る、とするむきもあるが、それは正しくない。リーゼント型、という名前とその写真がのっただけで、はやったわけではない。いや、はやらそうにも誰もその仕上げ方を知らなかったのだ。再びリーゼントが紹介されるのは1936年3月。同じく『美髪』誌上で、イギリスの理髪師ポール・グラウスなる人物が技術解説を試みた。
グラウスは1932年ごろにイギリスの理容雑誌で「リーゼント・スタイル」を発表しているらしい。
つまり、このグラウスが「リーゼント」の生みの親であるという。
命名者がイギリス人なら「撫で付けた横髪がリーゼント・ストリートのようにカーブしているから」という日本人離れした命名センスにつじつまが合う気もする。
このグラウスのリーゼントは「前髪を横分けにして、横髪は長く伸ばして後頭部へ撫で付ける」というものだったようだ。
「ダックテイル」に近いが、やはり「前髪」の形とワンセットで説明されている。
いずれの人物が考案したにせよ、二十世紀初頭に世界的に流行したオールバックのバリエーションとして、日本では1930年代に「リーゼント」が登場したということになる。
さらに言えば「ダックテイル」が発明されたのは1940年のアメリカだというので、むしろ誕生はリーゼントのほうが先である。
まあ、元となったオールバック自体がシンプルな髪型だから、当時似たようなアレンジは多かったのだろう。
当時の日本で、リーゼントで有名だった人物としては榎本健一や灰田勝彦、岡晴夫あたりが挙げられるが、いま見れば「前髪を横分けにしたオールバック」といった感じである。
ただ、前髪をぺったりと撫で付けたオールバックと比べると、この「リーゼント」の前髪はボリュームがあると言えるのかもしれない。
https://www.amazon.co.jp/dp/B001BBXG4Y
https://www.amazon.co.jp/dp/B01M5DHEU9
さて、リーゼントはポマードを大量に使うので戦時中の日本では禁止されて退潮したが、戦後すぐにアメリカ兵のファッションを真似るかたちで復活した。
https://danshi-senka.com/archives/191
リーゼントヘアで頭を固め、サングラスにアロハシャツ姿で第2次大戦後の街中を闊歩するアンチャンたち。無軌道な行動をとるこのような若者たちを、当時のマスコミはフランス語のアプレゲール(戦後という意味)からこのように呼んだ。(中略)彼らのファッションのお手本となったのは、日本に進駐してきたアメリカの兵隊たちのカジュアルな服装で、つまりは戦後まもなくのアメリカンスタイルの真似をしたに過ぎない。
リーゼントとアロハシャツは岡晴夫の影響だともいうが、要するにアメリカかぶれの不良少年といったところである。
どちらかと言えば紳士向けの髪型だった「リーゼント」が、この時期から不良文化と結びつけられるようになったのだと思われる。
ちなみに欧米でも「戦争でポマードが統制され短髪が奨励される」→「髪を伸ばしてポマードを大量に使う俺ってワルだろ?」という流れで、ポンパドールやダックテイルが不良の象徴となったという面はあるらしい。
イギリスではテディ・ボーイ、アメリカではエルヴィス・プレスリーやジェームズ・ディーンと言ったように、欧米で流行していた「ポンパドール+ダックテイル」というスタイルが日本に輸入されてきたのである。
特にエルヴィスの影響力は凄まじく、日本でも1958年にデビューした「ロカビリー三人男」などがエルヴィスを真似たスタイルで人気を得た。
このときに「ポマードで固めた前髪と後ろに撫で付けた横髪」という共通点で括られて、エルヴィス的な「ポンパドール+ダックテイル」のことを、日本では「リーゼント」と呼ぶようになったのだろう。
まとめてみよう。
20の頃からハゲてそれがコンプで8年まともに鏡見れなくて鏡に色ついた袋貼り付けたり、外で反射してるの見かけると視線逸らしていた
鏡を見るときは袋の一部をめくって、頭にタオルを巻くか、ニット帽をかぶった状態で見ていたため自分がこれまでどういう髪型をしていたのかは手触り以外では全くわからない
今年に入って毎週坊主にするようになってからは鏡見れるどころかわりと太り気味なのに裸でポージングして結構いけてんじゃんと思うほどになった
ハゲを受け入れたのは21の時、受け入れたというよりは禿頭を見ないことで毛という時からストレスを感じなくなった
はじめて坊主にしたのは23の時、美容院に行くのに抵抗があってネット見て坊主にすることを決めて坊主にした
見た目に気を使うようになったのは26の時、近くの男性用理髪店(カット4000円強でハゲに強いことを売りにしている。ハゲだからか終わりぎわに頭皮マッサージがされて、顔剃後にパックをされて終わる)に3か月に一回通うようになった
半年以上伸ばしていたのに前切ってから3か月ぐらい?と聞かれる程度にはハゲで、カットしてもらった後に強制的に見せられるカットチェックでは前髪だけ遊ばせている小汚いハゲが映っていた
そこに3回ぐらい通って引っ越しし、引っ越し先では1月に一度坊主にしていたのだが(自分では見ないから特に関係ないのだが、手で触ると明らかにハゲてるなぁと感じるため)、ネットで坊主は毎週やれ、みたいな記述を見て毎週することにした
それからしばらくしてキングヌーを聞いてるうちに髭を伸ばそうと思い立ち、髭をはやし始めたが、それが意外といけていた
ずっと6ミリにしていたが、おしゃれに目覚めて髪の長さも変えようと9ミリや12ミリなどで検索して写真の長さで想像して長さを変えたりしていたが、ある日総合点が気になり、おそるおそる鏡を見てみると前髪だけ明らかに薄いハゲがいた
これはまずいと思って毎週6ミリにカットするようになって完全にハゲを克服できた
ブサイクで顔にコンプレックスがあるならばなるべくマメに手入れしよう
人間そういう些細な部分でいくぶんと見た目が良くなるし、まともな顔の人間はそういうことをコツコツとやっているんだなと思った
車で10分程の国道でもない、交通量のある道沿いに、色あせた、あのクルクルマークがあるあの店に行く。
小学校の時から変わったことと言えば、当時オジサンだったオーナーは、里帰り後から姿を見なくなり、息子さんがあとを継いでいた事だろうか。
流行りの髪をすることもない、流行りの髪を見せる場所もない、この場所で。
職場では常に帽子をかぶる。工場の決まりだ。化粧は最低限。規則にあるのと、オーナーが嫌そうな顔をするので、最低限。
若きオーナーは子供が三人、安めの外車に乗り、工場の横のオフィスに来る。奥さんはまたまに顔を出すが、あまり美しくない。
オーナーは祖父の代に会社が傾き、父親が立て直し、その息子が現社長。
とにかく社員から人気もなく、人望もない。大学は安倍前首相と同じという噂だが、それが何を意味するかは私には分からない。
営業の子によると、出張に行くたびに風俗に通ってるらしくどうしょうもないらしい。
会社の話は理髪店ではしない。地元では少しに知られた名家らしいので、誰が聞いているか分からない。
そもそもこの理髪店に農家以外の客がいるとは思えないが、今日も店に行く。明日は仕事に行く。
このまま人に見せることもなく、つまらない髪型で、つまらないオーナーの元で死ぬのだろうか。
なんの為に上京したのか、なんのために帰ったのか。
今では考えることも難しい。
(続く