「2013年」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 2013年とは

2024-04-26

これを最後に、はてなアカウントを削除する事とした。

2013年から増田活動を終了する。

アカウントを削除したら、この増田も表示されなくなるのかな。

良く分からんわ。


あばよー!

2024-04-22

「この度、挿入致しましたことをご報告させていただきます。」だろ

ファンの皆さんには内緒学生時代からパコパコしてました♪」

だろ

水谷は「この度、入籍いたしましたことをご報告させていただきます。お相手学生時代の友人です。

水谷1997年11月3日まれ静岡県出身2013年学校法人大原学園CMデビューし、同年には『リアル脱出ゲーム 密室美少女』でドラマ初出演を果たす。以降は、NHK朝の連続テレビ小説とと姉ちゃん』『なつぞら』や、『ブラックペアン』(TBS)、『義母と娘のブルース』(TBS)、『凪のお暇』(TBS)などといった話題作に出演している。

2024-04-21

いい加減女性声優への疑似恋愛をやめたい

もう30歳になるのだが、女性声優に対してのガチ恋 (疑似恋愛) がやめられない。

最後自分の周りにいる人を好きになったのが中学ときで、声優へのガチ恋が始まったのが高校時代なので、人生の半分近くまともな恋愛ができていないことになる。

なんとなくそ恋愛遍歴 (?) を書きたくなったので書く。キモいな~と思いながら読んでもらえれば。

Aさん

中学時代ニコニコ動画の影響で少しずつオタク向けアニメを見るようになったのだが、高校に入ってからより一層のめり込むようになった。

高校ではあまり周りの女子と話す機会がなく、恋愛感情を抱くこともなかった。

かわりに、高校2年の頃に、自分の好きなアニメに出演していた声優Aさんのことを好きになった。初めてのガチ恋である

Aさんは自分より7歳年上で、正直なところそんなに美人ではないのだが、声・歌声が異常なくらい可愛かった。正直今でもそう思う。

ただ、当時はアニメイベントに参加できるような環境にはなく、ラジオを聞くような習慣もなかったため、そこまでドハマリするわけではなく、1年も経たないうちにこのガチ恋は終わった。

Bさん

高2の終わり頃から高3の初め頃に自分の好きなアニメに出演しまくっていたBさんのことを好きになった。

Bさんは自分より2つ年上で、当時現役大学生だった。

若いのだが超演技派で、顔もそれなりに可愛かった。

また、当時もまだ声優ラジオを聞く習慣などはなかったのだが、Twitterなどでその本人の情報は入ってきており、どうやらオタク気質らしいということで性格面でも推せる、となった。

大学に入ってもBさんへのガチ恋は続いた。

大学進学で上京し、イベントに参加できるようになったというのも大きいだろう。

金銭的な問題もあり、全てのイベントに参加できるというわけではなかったが、興味のあるイベントときどき参加するようになった。

親元を離れて自由生活できるようになり、よりのめり込んでいくことになる……と思ったのだが、あるとき、Cさんが現れた。

Cさん

Bさんへの恋心が若干薄れてきていた大学2年生の頃、Bさんが出演するイベントにCさんがいた。

Cさんは同い年の声優で、そのイベントで美貌と圧倒的なトーク力を発揮していた。その姿に一目惚れしてしまったのだ。

Cさんはラジオ声優として人気があったこともあり、イベントで興味を持って声優ラジオを聴き始め、Cさんにどっぷりのめり込んで行くことになった。

また、当時自分の好きな作品に何本も出演していたというのもガチ恋を後押しすることになった。

これまでガチ恋相手コロコロ変わっていたのでCさんへの想いも数年で終わるのだろうと考えていたのだが、気がつくとコロナがやってくる2020年頃までガチ恋し続けることになっていた。

一目惚れきっかけになったイベント2013年だったので、7年近くCさんへガチ恋していたことになる。

Dさん

現在進行系のお相手である。6歳下で美人トークも上手い。

自分の興味のないコンテンツにCさんが積極的に関わるようになったことや、コロナイベントがなくなったことが影響したのか、2020年頃にCさんへの興味が薄れていった。

代わりに2020年の終わり頃に自分の熱中していた作品に出演していたDさんにガチ恋した。

当時、Dさんはその作品宣伝番組ライブ積極的に出演していて、その切り抜きなどを見るたびにその容姿や人柄に惹かれていった。

Dさんはアーティスト活動積極的に行っており、ライブではかっこいいパフォーマンス披露する一方で、MCでは可愛らしさや自身の弱さを見せてくれる。ズルじゃんそんなの。

しかしながら、この歳でガチ恋を拗らせるのはかなりキツく (年の差もあるし)、また、Dさん自身活動に関しても色々思うところがあり、いい加減ガチ恋なんてやめてしまいたいと思っているのだが、まったくうまくいかない。

ラジオは聞くのをやめたし、参加するイベントも最小限に抑えている。

やはり真っ当な恋愛をするしかないのだろうか。

職場周りでは全くと言っていいほど出会いがない。

となると、マッチングアプリなどに手を出してみるべきだと思ったりもするが、別にDさん以外のそこら辺にいる女性恋愛がしたいわけではないし、結婚願望もないのでなかなか気が進まない。

そんなこんなで毎日苦しみながら、ときどきDさんを薬として服用し、なんとか生きているというのが現状である。つらい。

家をどれだけの重さのゴールドで買えるかは50年前と変わってないらしい


日経平均ゴールドの重さに換算した場合ピークは2018年で、2024年現在の37000円は2013年以来の低水準

2024-04-16

カオスラウンジは今

2011年炎上

東日本大震災のあったこの年、カオスラウンジメンバーである梅ラボ

画像掲示板ふたばで作られた「キメこな」を丸パクリしたことが発覚

リーダー黒瀬陽平が「ネット画像は好き勝手に使わせてもらう」と明言したこと

pixivを巻き込んだ大炎上となったことで一躍有名となった。

 

当時のカオスラウンジ

アート業界から村上隆オタク業界からpixiv言論業界から東浩紀という

三業からの強力なバックアップを受けた一大プロジェクトであった。

 

しかし、この炎上が原因となり、村上pixivカスラジとの関係を断ち

以降は東浩紀率いるゲンロンのバックアップの下で活動していくことになる。

 

東浩紀との関係

当時、東浩紀は「福島チェルノブイリのようにダークツーリズムで客を集めよう」との考えから

カスラジとともに福島での活動を行っていた。

特に有名なのが2013年の「福島第一原発麻雀計画である

https://togetter.com/li/609484

 

また、2015年には「ゲンロン カオス*ラウンジ芸術校」を開設。

ゲンロンの美術部門としての活動を行った。

表現不自由展」で有名になったあいちトリエンナーレ2019には

この新芸術校の出身者が複数人出展している。

 

パワハラ不倫裁判

2020年、当時カオスラウンジ社員女性黒瀬セクハラパワハラ告発告訴

カスラジは当初公式にて事実を認め謝罪したが

後に「調査した結果そのような事実はなかった」として女性側を逆告訴した。

 

2022年に「セクハラはあったがパワハラはなかった」と判決が下ったが、女性側は控訴している。

被告黒瀬ら3名は告発以降表向きは沈黙していたが

判決後にTwitter更新を再開し、活動を再開した。

 

なお、黒瀬は本件の責任を取りカスラジを退任。後任は藤代嘘となった。

2011年炎上当事者である梅ラボは、本件には無関係被告にもなっていない。

本人曰く「黒瀬らと被害女性との話し合いの仲介をしていたが、裁判を避けられなかった」として

女性告訴があった日にカオスラウンジ離脱している。

  

ゲンロンは本件を受けてカオスラウンジとの契約を解除した。

同時に「契約違反があった」としてカオスラウンジ提訴しているが、違反の内容や裁判の結果は明らかになっていない。

 

近年

訴訟以降、黒瀬は公に活動していなかったが

2013年8月キュレーターとして「お分かりでしょうけれど、私は画家であることをやめていません。」展を開催した。

カオスラウンジとしての活動ではないが、参加アーティストはほぼカオスラウンジと同じであった。

参加者によれば、会場は第1から第3まであり、第3会場に入るには「個人情報所属を提出した上」での「抽選制」とのこと。

2024-04-14

働かないおじさん(はたらかないおじさん)とは、周囲の期待する役割に対して、成果や行動が伴っていない中高年の男性社員を指す用語[1][2][注釈 1]。

存在感が薄いため妖精さん(ようせいさん)とも呼ばれる[3]。

全く働いていないわけではないものの、働きに見合わない高い報酬を受け取っているとして批判されている[1][4][5]。

「働かないおじさん」という用語自体は、少なくとも2013年にはビジネス評論家の楠木新によって言及されている[6]。

2014年には「働かないおじさん」に関する著書も出ている[7]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/働かないおじさん

anond:20240414081118

児ポ法改悪創作物表現規制に反対 TPPから同人誌コミケを守ろう

2013年7月18日

(略)

しかし、児童ポルノ法改正」によって、単純所持を一律に規制したり、漫画アニメーションなどの創作物規制対象に加えたりすることは、児童ポルノ問題解決に役に立たないだけでなく、逆に、人権侵害表現の自由の萎縮につながりかねません。

 したがって、日本共産党は、「改正」案には反対です。

(略)

コミケを守り、表現の自由を守るためには、たたかいが必要です。そして、たたかえば勝利することができます

(略)

日本アニメ漫画文化世界に誇るべきものであり、コミックマーケット日本文化の一つとして定着してきています。今後も、アニメ漫画文化がいっそう豊かに発展できるよう、私も力をつくしていきたいと思います

(略)

http://kirayoshiko.com/old/opinion/

2024-04-03

ダンス規制って2013年ぐらい?

2010年代に、風営法改正に対する反対運動(いわゆるダンス規制)があったのは覚えている。その運動を牽引したのは、表現の自由を守る戦士たちだったのではないかと、ふと気づいた。その人たちと、ダンス規制に反対していた人たちが被っていることに気づいた。ハッとした。はっきりとした証拠はない。ただ、なんとなくつながってしまった。すると、あの運動に対する自分評価が一気に下がってしまった。

そういえば、ダンス規制が成立してから、反対していた人たちがどこかへ消えてしまった気がする。修正しようとする動きも見当たらない。これは、ダンス規制がやっぱり何かメリットがあったのかなって考えてしまう。

2024-04-02

まだ生きている・・・

ブックマーク管理するツールを入れて、2024年になってやっと整理することになった。

Windows11となって心機一転というわけでもないけれど、ごちゃごちゃとして趣味仕事も一緒になってしまっているので、ここいら辺でなんとかせねばと取り掛かったところ。

はたしてHatenaBlogも生きているのかと覗いてみると、まだ生きていた。

前の記事2013年なので10年越しに書いているわけだが、まぁ匿名ブログということもあり、内容のないことを書いているなぁと・・・

Google chrome10年経てば色々と変わったわけだが、ちゃん管理していなかっただけあって、使い方もおぼつかない。ブックマーク自体フォルダ分けしているものの、乱雑さが目立つ。

ブックマーク名前順にできることを知らずに使っていたくらいなので、フォルダ管理重複登録をなくすことをとりあえずやっておこうと思う。

はてさて、三日坊主で終わらないことを願って・・・後半に続く

2024-04-01

政治的主張のために科学妥当性を放棄するな。

以下は、東北大学高齢経済社会研究センター吉田浩教授が、国内で最も多い「佐藤」姓の増加率と人口動態を分析したとの記事である

https://mainichi.jp/articles/20240331/k00/00m/040/076000c]

しかし、この推計は元となるデータ妥当性に疑問が残り、科学妥当性を軽視した発表であると感じる。

そのため、そこから得られる含意(選択夫婦別姓必要性)についても、疑念を抱かざるを得ない。

佐藤姓の占有率と選択夫婦別姓の是非は無関係事象であり、そもそも価値のない計算であると言わざるを得ない。

政治的主張を行うために、科学的な妥当性を軽視した発表をすることは慎むべきである

分析の詳細に関しては、以下のサイト公表されている。

https://think-name.jp/]

この推計の肝になるところは、PDF中の過去データの取り扱いにおける以下の記載である

⚫ はじめに、日本の全人口の 99.04%以上の名字網羅しているとする「名字由来 net

https://myoji-yurai.net/提供公表データにより、日本佐藤姓の人数の値を得た。

⚫ 次に、各年の日本の総人口総務省「推計人口」)×99.04%で上記佐藤姓の人数を除し、

「あるt年の佐藤姓の比率」:x(t)を求めた。

データソースとなっている名字由来 net には、年度ごとの苗字人口非公表独自集計で計算している。

https://myoji-yurai.net/oneYearAccessRanking.htm?rankingId=13]

これによると、佐藤姓の人口は以下のようになっており、変動がない。

2023年 約1,830,000人

2022年 約1,830,000人

2021年 約1,830,000人

2020年 約1,830,000人

2019年 約1,830,000人

2018年 約1,830,000人

2017年 約1,830,000人

2016年 約1,830,000人

2015年 約1,830,000人

2014年 約1,830,000人

2013年 約1,830,000人

このデータソースは、佐藤人口の経時的推移を補足できていないと考えるのが妥当であろう。

しかし、吉田氏の発表資料では、

佐藤姓の占有率 x(t)は 2013 年の 1.480%から 2023 年の 1.530%と、10 余年で 0.05%ポイント伸びている

と述べている。

定数を、減少する日本人口で割っているので上記のような計算となると思われる。

上記のことから吉田氏の推計は、不十分なデータソースをもとに数値を無理やり当てはめて推計を行っており、科学的な推計・将来予測・試算というには無理がある。

このような発表を、研究者が社会に対して軽々に行うべきではない。

2024-03-28

anond:20240328201543

最後の端末が出たのは2013年で、もう10年前の話だから、仮にその懸念が正しかったらもうとっくにやめてるって。

当時はソニーマーケティングがやっていたけど、その後にソニーミュージック移管され、端末を売るためのサービスからコンテンツビジネスの一端に切り替わった。

そして、ソニーグループは、ゲームを除くエンターテイメントコンテンツ関連売上規模でウォルト・ディズニーに継ぐ世界第三位

「そのうち閉店ガラガラしそう」とかんなわけないじゃんとしか

Amazon楽天が成長が止まった上に、割引合戦で単体では利益率が低い電子書籍部門カーブアウトさせる方のが可能性としては高いと思う。

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-17

anond:20240316113208

憲法同性婚を想定していないまでは同意なんだけどその先が色々おかしいところあるような。

社会情勢の変化での解釈改憲

法というもの社会の中で生きているものから解釈は変わっていくというのは法学の基礎だと思うんだけど。

社会情勢の変化により憲法解釈を変更すべきとのこと。まぁ分からなくもないが裁判所がそれを言うのはどうなんだろう。

例えば有名な尊属殺重罰規定違憲判断について、最高裁は「社会情勢の変化」などは理由にせず、「目的に対する法定刑が重すぎる」ことを理由にしている。(社会情勢の変化に対応するのは立法府との判断だろうか)

と言っているけど、他の違憲判決社会情勢の変化を取り込んだ判決はあるよね。

婚姻外の日本人男性外国人女性の間に生まれ子供日本国籍を認めるかで争われた最大判H20.6.4は法制定時には一定合理性はあったけど社会通念、社会状況等の変化で時代遅れになっているとして、違憲判決を下している。

国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下においては……一定合理的関連性があったものということができる。しかしながら,その後,我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴って,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており……社会通念及び社会的状況の変化に加えて,近年,我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大することにより,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加しているところ……今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。」

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=36416

非嫡出子法定相続分嫡出子の半分であることが法の下の平等に反するかで争われた最大決H25.9.4では明確に昔は合憲であっても社会の変化で違憲に変わることがあると述べているよね。

最高裁平成3年(ク)第143号同7年7月5日大法廷決定・民集49巻7号1789頁は……その定めが立法府に与えられた合理的裁量判断限界を超えたものということはできないのであって,憲法14条1項に反するものとはいえないと判断した。

しかし,法律婚主義の下においても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分をどのように定めるかということについては……時代と共に変遷するものでもあるから,その定めの合理性については,個人尊厳法の下の平等を定める憲法に照らして不断検討され,吟味されなければならない。……婚姻家族形態が著しく多様化しており,これに伴い,婚姻家族の在り方に対する国民意識多様化が大きく進んでいることが指摘されている。……当裁判所は,平成7年大法廷決定以来,結論としては本件規定合憲とする判断を示してきたものであるが,平成7年大法廷決定において既に,嫡出でない子の立場を重視すべきであるとして5名の裁判官が反対意見を述べたほかに婚姻,親子ないし家族形態とこれに対する国民意識の変化,更には国際的環境の変化を指摘して,昭和22年民法改正当時の合理性が失われつつあるとの補足意見が述べられ,その後の小法廷判決及び小法廷決定においても,同旨の個別意見が繰り返し述べられてきた。特に,前掲最高裁平成15年3月31日第一法廷判決以降の当審判例は,その補足意見の内容を考慮すれば,本件規定合憲とする結論を辛うじて維持したものとみることができる。

……遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては,立法府裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分区別する合理的根拠は失われていたというべきである。 したがって,本件規定は,遅くとも平成13年7月当時において,憲法14条1項に違反していたものというべきである。」

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=83520

かに医療技術進歩妊娠判断がやりやすくなったため、女性のみ再婚禁止期間が6か月あった民法規定違憲とした最大判H27.12.16もあるよ。

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=85547

  

というわけで、札幌高裁判決社会情勢の変化を要素に入れても突飛な考えではないということだね。そういう法解釈の仕方は間違っているという考えはあると思うけど、最高裁が一顧だにしていない独自解釈ありがとうございます解釈ですべてと変えられると成文の意味がなくなるという指摘は同意できるけど、ここで言うことかという問題だね。

  

同性婚導入は違憲

少なくとも憲法上の婚姻制限されてるよ。

条文読み直してみてね。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」するんだよ。

両性の合意がない以上、それに準ずる制度は作れたとしても憲法上の婚姻には該当しないって理屈付けしなきゃ無理。

元増田ゴリゴリの文理解主義者っぽいので条文は一意に解釈して解釈変更はできないという立場かもしれないけど、そうではないというのが現実なわけで

インターネット上で見られる分かりやす情報として

国立国会図書館調査情報―ISSUE BRIEF―」No.1257(2024. 2. 6)の特集がちょうど同性婚日本国憲法ざっとまとまっているのでこれを読んでみるよ。

これまでの地裁判決では、次の点が確認できると指摘されている。憲法24 条は、異性婚のみを保障範囲に含んでいるが、同性婚禁止してはいないこと。性的指向に基づく区別取扱いが合理的区別差別的区別かが主たる争点であること。③憲法24 条(特に第 2 項)と憲法第 14 条第 1 項の議論相互に重なり合っていること。④いずれの地裁判決同性カップル保護のために何らかの法整備を求めていること。③については、憲法の各条項間の関係をどのように整理するかが問題となると考えられる。④については、地裁段階とはいえ、うち 2 つが違憲、2 つが違憲状態とし、合憲とした 1 つも将来的な違憲可能性を指摘したとして、「国に今後の対応を促したものといえる」とする評価もある。(強調は引用者)

https://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/index.html

最初に言ったように同性婚は想定していないまでは同意だけど

少なくとも憲法上の婚姻制限されてるよ。

は強く言い切れるほどの根拠あるのかな。この札幌高裁だけおかしいとまでは言えないよね。いや学説は違うんだと言いたいのかもしれないけど、地裁禁止説を取っていないってのも尊重されるべきじゃないかとは思うよ、まあ最高裁じゃないのでそんな参考にすべきじゃないと言われたらまあその通りでもあるけど。なかなか通説はどうとか確認しにくいので言い切られると違うとは言いにくいのが困ったもので、ちょっと古いけど下の総論でもそこまで言っていないよねで留めておきます

藤戸敬貴「同性カップルの法的保護をめぐる国内外の動向 : 2013年8月~2017年12月、同性婚を中心に」『レファレンス』₍2018.2₎

https://cir.nii.ac.jp/crid/1520854806028564608

2024-03-11

vrchatを2年プレイしてお砂糖人間関係について思うこと

砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別位置なのか議論されることがありますしかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲渡ります。それでは、この微妙関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。

『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」

[補説] 2013年10月実施した「あなた言葉辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』

goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/

"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉表現されますが、その深さや距離感に違いがあります

互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分内面理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見自由に交換できる関係を指します。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的問題を共有することは少ないかもしれません。

一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます

「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定コンテンツゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティ所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。

私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋趣味を楽しむ相手としての友達です。

これが悪いというわけではありません。むしろインターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。

ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられますリアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人である恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。

それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人しかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全人間関係を築く上で全く適切ではありません。

それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います

奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます

人々が他人欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団非難することは、不寛容社会を反映しています完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています

カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たち他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準適用してしまっているのです。

しかし、人間完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。

自分距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います

人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たち完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っていますしかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります

嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています

まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。

人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います

ですが、現実はそう甘くはありません。

SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。

このような状況は、人間関係価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係問題が生じたとき解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要過程です。簡単関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。

私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的不快感問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバース時代においても変わらない人間関係本質であると言えるでしょう。

anond:20240311170852

普通に休載多すぎたからや

 

月刊誌やのにやたらと休載するし

返ってきたかと思ったらページ数少ないし下絵だし

語りようがないわ

 

阿知賀編なんかもっと顕著で単行本発売日↓やぞ

6巻 2013年8月24日

7巻 2021年1月22日

誰がこんなもん追いかけるねんアホか

anond:20240311104749

基本的には自分の考えの整理と振り返りに使っているけど、ブクマカブクマカ兼ねてそうな増田を年単位で見て非常に得るものはありました

 

  1. まともな人が多いから世の中は回るは大大大前提にはあれど、想定の範囲外の人はいる。他人の知能や知的な態度に期待し過ぎてはいけない


  2. どんな能力を持って生まれるかも、どんな親の元に生まれるかも、100%運だから、すべてを当人の責めに帰すのは公平ではない
    から凶悪犯罪者や近い将来にそのような犯罪を犯す可能性の高い人でなければ、できる範囲で力になりたいなと漠然と考えてる
    (例えば、ホームレス、行き場のない子どもたち、仕事を探している人々など)
    しかし、現在生活に困っておらず、近い将来に家や仕事を失う心配がない人々には、同情する必要はないのでは?とブクマカブクマカ兼ねてそうな増田を見て気付いた
    だって自分の行動の結果が現れているだけ』としか言いようがないか

 

 

ただ、2番においてはまだ、気付きのまとめが終わっていない。これはワイではなく、別の増田投稿なんですけどね

自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている

https://anond.hatelabo.jp/20240227185639#

 

これは 1000000000%、それはそう

 

森羅万象ではなく、もっと単純な日常的な視点で言っても、

通貨が弱く、教育システム医療体制も不十分な国から出てきたエリートや準エリート、またはスラム街からのし上がった人々にとって、先進国人間の直面する問題なんて甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、

同じ先進国人間でも、呼吸する、歩く、座る、食べる、うんこする、寝る、じっとする からして困難な人たちからしたら、それらの困難を持っていない人の直面する問題など甘えどころの騒ぎじゃないだろうし、

身体的・精神的な困難を抱えていない人であっても、居所不明児童悲劇 川口高齢夫婦殺害事件(2013年)当事者に近い環境に身を置く人はいるだろうし、

殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常なのはまぁまぁしんどいし、

ネグレクト機能不全家庭でなくても、教育DV暴言日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない

 

 

まぁそれでも新たに上がっている『めちゃくちゃ叩かれてるビリギャル擁護?を少しだけ(https://anond.hatelabo.jp/20240310181641#)』では、

ボンボン(持てる側) の 甘え や 傲慢が叩かれてるんだよね

やっぱ、甘やかされた裕福な家庭の子どもたちが、自分人生が大変だと嘆いたり、傲慢教育はいてるのを見ると、

呆れたり、バカなの?ってなるの、どうしたって一般的感覚だと思うんですよね。だってエクイティ(Equity)や共通善と反してるから

 

(ただ、厳しい環境に身を置くと〜の話を書いた時、先進国特別な困難も無さそうな人たちが『生存者バイアスだ!』とキレてましたよね?自分を棚上げ?😒とは思わんでもない)

 

 

 

 

やりたくないことをしない選択他人にそれを強制しない選択は、他者を受け入れる態度と関連している

でもなんやかんやとやらないといけない事は現実問題としてある。そして、エクイティ共通善に反する持てる者(能力主義)の傲慢

 

暇な時に考えてそろそろ3ヶ月くらい経つけどなかなかまとまらない

 

1. 他人の知能や知的な態度への期待:

- まともな人が多くても、全ての人が同じ期待に応えるわけではない。期待し過ぎないようにすることが大切である

 

2. 生まれつきの条件と自己責任

- 能力や生まれつきの条件は運に左右される。凶悪犯罪者でない限り、力になりたいと思うが、生活に困っていない人々に同情する必要を感じない。

 

3. 自己責任論の突き詰めと批判

- 自己責任論を突き詰めると、すべてが本人の責任になるが、それを受け入れることは難しい。自己責任論者は自己中心的だと感じる。

 

4. 困難な状況への理解

- 先進国の人々も、困難な状況や悲劇に直面することがある。ただし、他の人の問題共感すると同時に、エクイティ共通善に反する傲慢な態度には注意が必要

 

5. エクイティ共通善に反する傲慢

- 持てる者が傲慢な態度を持つことはエクイティ共通善に反しており、これには批判的な態度をもつべきである

 

6. 甘えや傲慢への批判

- 甘えや傲慢な態度が叩かれることは、エクイティ共通善に基づく考え方と一致している。厳しい環境に身を置く話については、「生存者バイアス」の意見もあったが、これには異論もある。

 

7. やりたくないことをしない選択他者への受け入れと現実問題

- やりたくないことをしない・させない選択は大切だが、同時に現実問題としてやらなければならないことも存在する。他者尊重し受け入れる態度とバランスが求められる。

  

anond:20240311023844

2013年の本で当時25歳。なので、受験したのは2006年頃か。

初出はstorys.jpでもう少し前に書かれている。

書いたのは塾の先生

anond:20240311023844

知らんかった、ビリギャルって30台後半なのか。2013年頃の本だから勝手20代なのかと思ってたわ(未読)

 

ボンボンの女は本当にダメだな。男だとまだぶん殴って分からせるみたいなイベントに遭遇することがあるけど、女だと肉体的にも精神的にもヨシヨシされる一方だから本当にどうしようもない人間に育つケースが多いよね。

 

大金持ち・小金持ちの甘やかされたお嬢ちゃん・お坊ちゃんはべつにどっちも同じやろって思うが、

こういう甘やかされたボンボンの『教育論』、親のプライベートジェットでお出かけするネポベイビーの『人生大変🥺ぴえん』見たら、

やっぱ、『甘え』『これだからボンボンソシオパスは』以外の感情はでないよねって思う

 

一般的感覚なようで安心するわ

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