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2016-07-27

相模原事件人権意識


朝、相模原事件ニュースを見て目を疑った。

酷いニュースなのはもちろんだが、それよりもっとおかしいのはマスコミ報道姿勢



一通り事件について報道した後、オリンピック都知事選話題に何のためらいもなく移っている。


19人も亡くなるという戦後最悪の殺人事件であれば、即特番が組まれるべきで、他にもバラエティ番組を延期するなど何かしらの自粛ムードが起きても不思議じゃない。

政府対応も同じで、首相役員会で簡単声明を発表するのでなく、きちんと映像付きで被害者と遺族の方へのご冥福と、事件真相究明について語って欲しい。



その一方で、なぜアメリカケリー国務長官プーチン大統領映像付きで今回の事件に対し迅速に声明を発表しているのか、なぜ日本より海外メディアの方が大々的に報道しているのか。



ひとつ仮説を立ててみた。

海外では障害者の方も「当然」人権を持っているという意識根底にあり、健常者だろうが障害者だろうが19人の人命が失われた事実フォーカスし、同じように報道し、哀悼の意を表するのに対して日本人はもしかするとその意識が欠けているがためにこんなに軽いマスコミ政府対応になっているのではないだろうか?



プロテニスプレイヤーフェデラー言葉を思い出した。

http://grapee.jp/14951(より引用

日本記者ロジャー・フェデラーインタビューしたときに「なぜ日本テニス界には世界的な選手が出てこないのか」と聞いたらしいんです。

するとフェデラー

『何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!』

と言った」



という内容。

これだけで全てを判断することはできないが、日本人障害者を軽く見ているというひとつの例ではないかと思う。少なくとも欧米よりは。



障害者だけでなく、社会的弱者全体への意識が低くなっていないだろうか?風当たりが強くなっていないだろうか?

マスコミ民意の鏡である」という言葉があるが、まさにこのマスコミ報道姿勢自分たち障害者社会的弱者に対する意識を現しているものだと思うがどうだろうか?

同情もできなくてごめんなさい

相模原事件。朝のうちに知ったけど、今日一ツイッターなんかで自分からは一切そのことには触れなかった。

たぶん被害が身障だったら「かわいそう」というきもちが沸いたんだろうけど、相手池沼と知って本当に少しも「かわいそう」と思えない自分自分でひいた。



私は子供の頃、池沼に追い回されたり、引きずるように連れて行かれそうになったり、体をべたべた触られたりと散々なめにあったことがある。

別にレイプされた訳じゃないし、追い回されただけで大げさな。これが田舎の周りの大人対応だった。

さすがに引きずって連れて行かれそうになったときは知らないおばちゃんが呼び止めてくれたが、今考えるとあの時おばちゃんが見咎めなかったらどうなっていたのか恐ろしい。

幼少~小学校低学年の間にこんな体験をしてるので、どうしても池沼に寛容になれない。

つーか、いまだに池沼が怖い。近寄りたくもない。

さら男性が、特に自分より体の大きい男性が苦手だ。

連れて行こうとした池沼は大きなおにいちゃんだったからな。たぶんそっから体の大きい男が駄目。



別に犯人賞賛する気持ちはない。でも、被害者に対して、

たとえばふつうの子供の列に車が突っ込んだとかの事件被害者に対する「かわいそう」と思う気持ちの1/10ほども憐憫気持ちが沸いてこない。

こんな凄惨事件に対する「普通人間」が持ち合わせそうな感情全然出てこない。

出てこないことに「あんなめにあってたんだから仕方ない」と自分言い訳をしつつも、自分が「欠陥品」に思えて仕方がない。

ほんと、同情もできなくてごめんなさい。

被害者のお涙頂戴報道」がない

言われて気がついたが亡くなられた障害者の方々のお涙頂戴報道ほとんど見ないな。

秋葉原の時はあんなにいいこだったのに!的な被害者エピソードをたくさん見かけたけども、今回は見ない。

なんでだ?と思ったがそりゃそうだよな、施設に入居するレベル障害者もの

結果的犯人と同じセリフになるが「障害者は死んだほうがいい」と言わんばかりの障害持ちなんだよな。

からお涙頂戴エピソード報道できるほど良い話がない。

施設に入居するレベル障害者は本当にやばい

町中でたまに大声で喚く障害者の息子を必死で押さえつける母親とかを見かけるけど、

あんなのが可愛く見えるレベル

一度見に行ったことがあるけど本当に「この人たちは何のために生きてるのか」と言わんばかりのレベル

報道がないのは、単に、報道するネタすらないって話だと思う。 

2016-07-26

なんで凶悪犯が現れると同情的な意見が飛び交うんかね

相模原障害者施設殺人事件に関するの見てるとさ、


職場環境がああだのこうだの。


日々つらいことがあってもガマンしてるうちらがそれを賞賛されることはないのに、実際に殺した奴が出てきたら「もっとよい環境を」だの何だの言われるのは、おかしいというか、理不尽ではないかい?


皆、職場だの、家庭だの、地域社会だの、憎い相手が山程いるけどガマンしてるだろ?


なんでガマンできない奴が出てくると途端に同情的になるんだよ


お前ら、普段、追いつめられて自殺した人が出ても何も思わねーだろ


真っ先に心配すべきなのは自殺大国日本の現状だろうがよ


だいたい相模原事件なんて犯人はでっかい刺青入れたDQNじゃねえかよ


被害者は、犯人にとっては憎たらしい奴も多かっただろうけど、大して接点無かったのもいるだろうし、ヘタしたらまったくの入れ違いもいたかもしれないだろうよ


こういう時ばっかり社会を憂う立派なお人になってんじゃねえよ


まったくやってらんね

なぜ書いていたのか

以前、3日に一回程のペースでブログを書いていた時期があった。

当時は慣れない土地一人暮らしを始めた時期で、その時に書いていたのは自分のなかのドロドロしたものや、自分の中で処理しきれない葛藤を書いていた。

ドロドロしたもの葛藤と書いたが、要は自分の置かれた境遇に対して一方的被害者面をしながらひたすら周囲への恨みつらみを書いていた。

今思い返すとその時の自分は、自分の身の周りを取り囲む環境や、さらにその周りを取り囲んでいる社会というものを、何か得体の知れない怪物のようなものだ、というイメージで捉えていた。

そしてブログ文章を書くことで、その怪物とどうにか闘っていくのだ、と当時の自分は考えていた。





その後所属する組織が変わることで、社会から隔離されたような不安定身分から、それなりに安定した社会的身分を得ることが出来て、プライベート人間関係でも新たな要素が加わったりするなど、公私ともに安定した生活を得ることが出来たが。その一方で、ブログを書くという習慣はその頃から無くなった。

特に大きかったのは、プライベートできちんと話を聴いてくれる人が出来たことで、それ以来ブログを書きたいと思うことはほとんど無くなった。

自分が何かを悩み始めれば、電話なりLINEでいつでも聴いてくれる人が出来たので、1人で悶々としたものを内に抱え続ける必要が無くなった。




ただそれだけの話なのだが、当時の自分、血を滲ませるようにブログ文章をつづっていた当時の自分はそれを聞いて納得するだろうか。

社会対峙するつもりでブログ文章を習慣的につづり続けるという行為は、公私の生活が安定し始めた途端に消滅してしまったのだと当時の自分が聞いたらきっと、じゃあ自分自分なりに誠実に書いていたそれらのものは一体何の価値があったのだ、と感じて悲しくなったり、社会的身分が安定して私生活が充実したからといって、ひとりで世界対峙する思考を捨ててしまったお前は腰抜けだなどと今の自分のことを責めるだろう。

当時の自分は、周囲への怒りを原動力にして自分を取り巻く環境社会糾弾し続けることが状況を前進させるのだと思っていたし、それが社会にとっても有意義なことだとさえ思っていた。




あのときブログ文章をつづることがいずれ、この境遇から少しでも自分を進ませることにつながる、と考えていた。

あるいはブログ文章をつづることは、このクソ現実を変えるための有意義行為であるかのようにすら感じていた。

それは有意義もなにも、自分が辛いのはこの世界を作ったお前らのせいだ、と自分が苦しいのを自分を取り巻く環境のせいにすることでしかなかったのに。




当時の自分は、自分が辛い状況に置かれることになった大本の原因は自分を取り巻く環境社会にあるのだ、と決めつけていた。

そしてそういう思考の枠組みが、単なる思い込みであることに気がついていなかった。




今振り返ると、当時の自分は、自分を取り巻く世界自分自身とを対立させてしか物事を考えることが出来てない。

社会vs自分、という構図でいつも物事を考えていたし、その二項対立に固執していたのだと思う。



そしてその二項対立から導き出される「社会」というものは、現実自分身の回りを取り囲む、顔の見える範囲での人との関わり方というものから乖離した、自分の頭の中だけで作り出されたものだった。

現実自分の周りにいる、顔の見える人たちとの関わり方に対して責任を果たそう、という考えを持つことは無かった。

そして現実に実際の人々と関わりを持つことを避けてきたために、自分の頭の中で「社会」というものは、ひたすら暴力的衝動に突き動かされて自分のことを搾取する理解不能怪物のようなものだ、という考えばかりが占めるようになった。



そもそも当時置かれていた環境は、今思い返すと、そんなに思い悩んで苦しむようなものだったのかすら怪しい。

一人で勝手に苦しんで、一人で勝手に状況を悪化させていただけだったように今は思える。




当時の自分はどうしてそこまで頑なに自分世界から切り離して物事を考え続けていたのだろうか。

どうしてそのような二項対立は公私の生活が安定することでいとも簡単に消し去ったのか。




けっきょく私は、自分の周りの世界に対して、どうして自分の欲求を満たしてくれないのだと怒っていただけなのだと思う。

どうして自分の欲求に沿った環境を用意してくれないのだ。どうして皆もっと私に構ってくれないのか。そう思っていた。





いくつかの偶然と幸福が重なって、私のその欲求のいくつかは叶えられた。欲求が満たされない頃は赤ん坊のように泣き喚いて不満を表明していたが、腹が満たされオムツを替えられると、また母の胸の中ですやすやと眠り始めた。




から、あぁそうだ、自分たまたま幸運が重なって、母乳で腹を満たされ湿ったオムツも変えてもらえたから、それで泣き喚くのを止めただけなんだ。





たまたま欲求が満たされたから、母に対するギャン泣きを止めただけで、決して自分の足で歩き始めたわけではない。




いま腹いっぱいのうちに、母がいなくても大丈夫なようにひとり立ち出来るようにすることが、今の自分がするべきことだ。

なぜ今回の被害者の人柄は報道されないのか

スキーバス転落事故バングラディシュテロで死んだ人の人柄は大きく報道されたのになぜ今回はないのか。

たとえ知的障害でも人柄はわかるはずだが放送できない理由は何?

みなさんメディア差別を感じませんか?

事件被害者の方々の冥福を祈るためにシコります

官房長官なんかいえよ、日本政府スポークスマンとして

被害者ご冥福をお祈りします」「捜査行方を見守りたい」はナシで。

国家としての意志を示せよ。

AV女優って被害者なんですか

私はAVを観ようと思わないし全く興味ありません

はっきり言ってAV業者AV女優AV消費者反社会的人達しか見えません

ドラッグ流通を牛耳る麻薬王ドラッグ製造者ドラッグ中毒者くらいの違いしかない

どれも悲惨人生だと思いますし同情しますが反社会的な人々ということで間違いない

AV風俗パチンコなんて類は社会から消えて欲しい

2016-07-25

プロポーズ彼女に「浮気OKですか?」って聞いちゃ駄目らしいぞ

こんにちは、さいとーです。

突然ですがぼくは日々思うんです。

世の中では正直者が馬鹿を見て、嘘つきが得をしているなって。

どんな大人も指摘しませんけど、これっておかしなことじゃないんですか?

それともそう思うぼくがおかしいんでしょうか?


プロポーズ彼女に「浮気してもいいですか?」と聞き続けた

これを言うと大人に笑われるんですが、ぼくはプロポーズ彼女に「浮気をしてもいいですか?」と聞き続けました。

だってぼくは女体が大好きなんです。

夫婦になって子作りするとしても行きずりの浮気はやり続けたかった。

もちろん奥さんが第一なので浮気相手とのセックス頻度は下がるだろうけど、それでも浮気は続けたかったんです。

けれど浮気を続ければ少なくとも毎日エクスタシーが発生する。

「このエクスタシーって多くの夫婦では許されていない、いわゆる浮気からまずいことなのかな」

そう思ったぼくは今までプロポーズした40人のほぼ全てに「浮気はしていいですか?」と聞き続けました。

その質問をするたびに彼女苦笑いをしながら「浮気禁止なんです」の一言

婚活を諦めた今になって、たくさんの大人に指摘されてぼくはハッとする。

そうか、浮気ってコッソリやるものだったのか…。


正直に生きるっておかしことなんですか?

ぼくはただ自分浮気を続けたいという気持ちに真っ正面から向き合った。

それでいて誰も気分を悪くしないように真っ正面から彼女に「浮気を続けていいですか?」と聞きました。

けれど真っ正面から突っぱねられた。

どうして?どうして正直なことを言ったのにそれを悪と捉えるの?

大人は口を揃えて「時には黙ることや、嘘をつくことは必要なんだよ」と言う。

確かに人を幸せにするための嘘ならときには必要だと思う。

その人がそれを知らなければ生涯幸せに生きていけるのなら、そこに嘘が必要だということはわかります

けれどこれはぼくの人生だし、ぼくは自分のために嘘をつくことも大嫌いだ。

せっかく結婚してくれる未来の奥さんに、裏で浮気をしてエクスタシーを得ているという嘘をつき続けることはできません。

から結婚する前から浮気しています」と本当のことを言っただけ。

それなのに彼女に振られるのはどうしてなんだろう。

確かにピロートークで浮気相手との情事を話すのは彼女にとってリスキーかもしれない。

余計なことを言っているかもしれない。

結婚をするなら見た目は当然、中身まで取り繕って彼女が欲する人物像になりきる必要があるそうです。

それに対してぼくはピロートークで浮気相手との情事公表した。

ロートークではぼくの性癖を、何も取り繕ったりせずに喋っています

どんな人間だって完璧じゃないように、ぼくだって完璧じゃない。

ぼくの全てをさらけ出したピロートークを聞けば彼女には良いプレーだけでなく、悪いプレーだって伝わります

ぼくはそれで振られたのか?

過去のことを思い返して恨んでいる訳じゃないけれど、婚活自分のいい部分だけを見せ通した奴が勝つゲームなのか?

綺麗な面だけ見せた騙し合いがぼくには一番汚く見える。

そんな社会に媚びてまで婚活を続けるつもりは、ぼくにはありませんでした。

だって、正直者が馬鹿を見るんですよ。

正直に嘘をつかずに生きるってそんなに駄目なことなんですか?

汚い。汚すぎる。ぼくはそんな大人には絶対なりたくない。


正直者が生きやす社会を作りたい

なにもぼくは今になって損をし始めた訳ではありません。

小さい頃からずっと、愚直なまでに正直に生きてきた。

そのお陰でぼくはいつも誰かの踏み台にされて損をしてきた。

ぼくの上でニヤリと笑っているのはいつも嘘をつくのが得意な奴だった。

その汚い笑顔を今まで何度見てきたことか。

そして何度理不尽さを感じたことか。

正直者が馬鹿を見て、嘘つきが得をするそんな世の中がぼくは大嫌いだ。

これからレールを外れて生きていくぼくは、もうこれ以上同じような被害者を生み出したくない。

正直者のまま、嘘をつくのが上手な大人にならなくたって生きていける道を作りたい。

いや作るんだ。ぼくは汚い社会には染まりたくない。

最後には正直者が笑うってことをぼく自身が必ず証明します。今に見ていてください。

http://anond.hatelabo.jp/20160725115947

そこはお互いさまと思ってコストをはらう(って、選別してもらう)か、選別から排除されることに納得しておくべきなのじゃないかな。

うん、現実的にはそんなところだろう。

特定ファッション義務教育で教えるってのは全体主義からだとおもうぞ?

特定ファッションを教えろとは言ってないよ。「是非はともかく」って書いたじゃん?まあ敢えて言うならだけど、色彩理論パーソナルカラーやコーディネートや化粧の基本くらいは学校で教えてもいいかもね。

それとも「ファッションというのはコミュニティ同族証明みたいなもので異なるファッションの人はそのコミュニティメンバーからメンバーとして扱われます」ってことを教えるべきだってこと? 

同族証明ってのもあるんだけど、こちらはもうちょっと範囲の広い話をしているつもり。部族間じゃなくても、そもそもファッションの心得がある人とない人とでは他者に与える第一印象がぜんぜん違うっていう現実があるわけだよね。例えばだけど、スーツのコーディネート理論を知ってる人は比較簡単に「デキるビジネスマン」を装うことができる。ファッションの心得があるってことは、特定トライブ内だけじゃなく、世間社会全体に対する自己プレゼンテーションにおいてとても有利に働く。という現実くらいは明確に教えておいてもいいんじゃないか。

「そんなの教わってない、知らなかった!」って叫んでいる人は、自分がそのジャンル努力放置していた事実を指摘されたくないだけだよ。

うん、そういう人もいるとは思うよ。

そうやって被害者意識を出している人間でさえほかのシーンでは選別側なわけで(そこから人間は逃れられないのだから

まったくもって仰るとおり。でも、だからと言って貴方(もだよね?)や私や世間の人たちが「選別する加害者であるのは事実だし、元増田が「選別される被害者であるのも事実だってことに変わりはないよね。だから元増田被害者」的な書き方をした。もちろん、あなたの言う通りで、元増田だって別のシーンじゃ加害者だ、ってのはたぶん事実だろう(いや聖人君子だったら元増田ゴメン)。

http://anond.hatelabo.jp/20160725113427

そりゃあ、当然、ファッション表現一種で、その選択は「思想信条自由」や「表現の自由」だからでしょ?

そしてある種のコミュニティに参加するかどうかは「結社の自由」で、どの企業はいるかどうかは「職業自由」の範囲内だからだ。

特定ファッション義務教育で教えるってのは全体主義からだとおもうぞ?

それとも「ファッションというのはコミュニティ同族証明みたいなもので異なるファッションの人はそのコミュニティメンバーからメンバーとして扱われます」ってことを教えるべきだってこと? そんなことを知らない学生はいないよ。何せそれがいじめの起きるメインのメカニズムなのだから。むしろ学生ほどそれに詳しい人種はいない。

「そんなの教わってない、知らなかった!」って叫んでいる人は、自分がそのジャンル努力放置していた事実を指摘されたくないだけだよ。

「選別された!?」って被害者的に描いているけれど、そんなのは欺瞞で、そうやって被害者意識を出している人間でさえほかのシーンでは選別側なわけで(そこから人間は逃れられないのだから)、そこはお互いさまと思ってコストをはらう(って、選別してもらう)か、選別から排除されることに納得しておくべきなのじゃないかな。

2016-07-24

以前、3日に一回程のペースでブログを書いていた時期があった。

当時は慣れない土地一人暮らしを始めた時期で、その時に書いていたのは自分のなかのドロドロしたものや、自分の中で処理しきれない葛藤を書いていた。

ドロドロしたもの葛藤と書いたが、要は自分の置かれた境遇に対して一方的被害者面をしながらひたすら周囲への恨みつらみを書いていた。

今思い返すとその時の自分は、自分の身の周りを取り囲む環境や、さらにその周りを取り囲んでいる社会というものを、何か得体の知れない怪物のようなものだ、というイメージで捉えていた。

そしてブログ文章を書くことで、その怪物とどうにか闘っていくのだ、と当時の自分は考えていた。





その後所属する組織が変わることで、社会から隔離されたような不安定身分から、それなりに安定した社会的身分を得ることが出来て、プライベート人間関係でも新たな要素が加わったりするなど、公私ともに安定した生活を得ることが出来たが。その一方で、ブログを書くという習慣はその頃から無くなった。

特に大きかったのは、プライベートできちんと話を聴いてくれる人が出来たことで、それ以来ブログを書きたいと思うことはほとんど無くなった。

自分が何かを悩み始めれば、電話なりLINEでいつでも聴いてくれる人が出来たので、1人で悶々としたものを内に抱え続ける必要が無くなった。




ただそれだけの話なのだが、当時の自分、血を滲ませるようにブログ文章をつづっていた当時の自分はそれを聞いて納得するだろうか。

社会対峙するつもりでブログ文章を習慣的につづり続けるという行為は、公私の生活が安定し始めた途端に消滅してしまったのだと当時の自分が聞いたらきっと、じゃあ自分自分なりに誠実に書いていたそれらのものは一体何の価値があったのだ、と感じて悲しくなったり、社会的身分が安定して私生活が充実したからといって、ひとりで世界対峙する思考を捨ててしまったお前は腰抜けだなどと今の自分のことを責めるだろう。

当時の自分は、周囲への怒りを原動力にして自分を取り巻く環境社会糾弾し続けることが状況を前進させるのだと思っていたし、それが社会にとっても有意義なことだとさえ思っていた。




あのときブログ文章をつづることがいずれ、この境遇から少しでも自分を進ませることにつながる、と考えていた。

あるいはブログ文章をつづることは、このクソ現実を変えるための有意義行為であるかのようにすら感じていた。

それは有意義もなにも、自分が辛いのはこの世界を作ったお前らのせいだ、と自分が苦しいのを自分を取り巻く環境のせいにすることでしかなかったのに。




当時の自分は、自分が辛い状況に置かれることになった大本の原因は自分を取り巻く環境社会にあるのだ、と決めつけていた。

そしてそういう思考の枠組みが、単なる思い込みであることに気がついていなかった。




今振り返ると、当時の自分は、自分を取り巻く世界自分自身とを対立させてしか物事を考えることが出来てない。

社会vs自分、という構図でいつも物事を考えていたし、その二項対立に固執していたのだと思う。



そしてその二項対立から導き出される「社会」というものは、現実自分身の回りを取り囲む、顔の見える範囲での人との関わり方というものから乖離した、自分の頭の中だけで作り出されたものだった。

現実自分の周りにいる、顔の見える人たちとの関わり方に対して責任を果たそう、という考えを持つことは無かった。

そして現実に実際の人々と関わりを持つことを避けてきたために、自分の頭の中で「社会」というものは、ひたすら暴力的衝動に突き動かされて自分のことを搾取する理解不能怪物のようなものだ、という考えばかりが占めるようになった。



そもそも当時置かれていた環境は、今思い返すと、そんなに思い悩んで苦しむようなものだったのかすら怪しい。

一人で勝手に苦しんで、一人で勝手に状況を悪化させていただけだったように今は思える。




当時の自分はどうしてそこまで頑なに自分世界から切り離して物事を考え続けていたのだろうか。

どうしてそのような二項対立は公私の生活が安定することでいとも簡単に消し去ったのか。




けっきょく私は、自分の周りの世界に対して、どうして自分の欲求を満たしてくれないのだと怒っていただけなのだと思う。

どうして自分の欲求に沿った環境を用意してくれないのだ。どうして皆もっと私に構ってくれないのか。そう思っていた。





いくつかの偶然と幸福が重なって、私のその欲求のいくつかは叶えられた。欲求が満たされない頃は赤ん坊のように泣き喚いて不満を表明していたが、腹が満たされオムツを替えられると、また母の胸の中ですやすやと眠り始めた。




から、あぁそうだ、自分たまたま幸運が重なって、母乳で腹を満たされ湿ったオムツも変えてもらえたから、それで泣き喚くのを止めただけなんだ。





たまたま欲求が満たされたから、母に対するギャン泣きを止めただけで、決して自分の足で歩き始めたわけではない。




いま腹いっぱいのうちに、母がいなくても大丈夫なようにひとり立ち出来るようにすることが、今の自分がするべきことだ。

文章を書く

文章を書く。特に書く事は決まっていない。




以前、3日に一回程のペースでブログを書いていた時期があった。

当時は慣れない土地一人暮らしを始めた時期で、その時に書いていたのは自分のなかのドロドロしたものや、自分の中で処理しきれない葛藤を書いていた。

ドロドロしたもの葛藤と書いたが、要は自分の置かれた境遇に対して一方的被害者面をしながらひたすら周囲への恨みつらみを書いていた。

今思い返すとその時の自分は、自分の身の周りを取り囲む環境や、さらにその周りを取り囲んでいる社会というものを、何か得体の知れない怪物のようなものだ、というイメージで捉えていた。


その後生活の拠点を移し、人間関係でも新しい要素が加わったりして、ブログを書くことは無くなった。

早い話がプライベートできちんと話を聴いてくれる人が出来たことで、ブログを書きたいと思うことが無くなった。

2016-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20160721153003

私の父親であった男は自分が既婚者である事を母親が未婚で妊娠するまで隠し、バツイチだと嘘をついていた。

の子供は流れてしまったが、母親バカだったので「別れてくれるなら付き合う」と言って本当にバツイチになって来た男と愚かにも交際継続し、再婚して二人の子供を成し、案の定不倫の病の再発した父親に捨てられた。

独りになっても母親バカだったのでまた既婚者と関係を持ち、怒り狂った本妻が家へ押し掛け、小学生なる子供の前で母親と堂々と不倫相手に関する言い争いをした(注)。

一時期は不倫相手結婚できるならお前なんか捨てても良いと子供本人に向かって言い放つ程頭の狂っていた母親だが、母親がわりであった祖母(私から見て曾祖母)の死を転機として目を覚まし、不倫相手と縁を切って独身男性再婚した。その男性が父となってから実家では概ね平穏な家庭が続いている。

(注:なおこのとき私は不倫相手をパパと呼ばされており、まだ不倫という概念を知らなかった。その言葉を初めて知ったのは、子供たちとの帰宅時に家の前に座り込んでいた本妻を見た母親が泣きながら女友達の家へ駆け込んで通報し、やって来た警察官にその友達が『彼女(母)とその女性旦那さんが不倫関係で』と説明をしていた時の事だった。度重なる本妻の来訪に悩まされての事だろうが自業自得案件に呼びつけられる警官も気の毒な事である



このような家に育った私は、年を経る毎に次第に自分の家に何が起きていたのかを悟るようになり、そして深く不貞というものを憎むようになった。

血のつながった両親はもちろんの事、便所ブラシと肉便器の間に産まれた、母親不倫相手本妻やその子から殺されても仕方がない薄汚れたクソガキである自分自身の血も憎くて仕方がなかった。

丁度インターネット黎明期10代後半であった私は、ネット世界自分と同じ思いをしている子供がいないか子供にそんな思いをさせている親は何を思っている/いたのか、それから何年もかけて探して回るようになった。

そうして20代の私はミソジニーかつミサンドリー煮込みうどんとなった。両親共不貞加害者であった自分には増田のように片方の性を神聖視する選択肢がそもそも無かった。




今は違うが当時の世論ネットも本当に酷いもので、不貞に異議など唱えようものなら男の場合浮気をする甲斐性がある有能な男を妬んでいるモテない駄目男、女なら男をつなぎ止める魅力と寛容さのない裏切られて当然のゴミ女、と罵倒されるのが当たり前の場所だった。要するに男の浮気には異様に甘く女の浮気独身女が既婚の男に股を開くパターン以外の選択肢があり得ない、昭和男尊女卑の一番酷いところを鍋底にこびりつく焦げカスになるまで煮詰めたような場所だった。

増田と同じように私には、不貞などせず縁もなく、普通に生きている人たちの姿は誰ひとり目に入らなかった。この世にはまだ裏切っていない人間と裏切った人間と裏切られた人間の三種類しかいないと本気で思っていた。男も女も皆クズでどうせ裏切り者以外は100%裏切られるのだからモノだけを心のよりどころとしていれば良い、そうすれば傷つかずに済むと20代の前半はずっと考えながら生きていた。



はい日常的に他人攻撃的な言動をとっていた訳ではない。表面上はごく普通に接していた。

(ただ一度もうすぐ結婚するという高校時代女友達が、結婚報告と同時にそれが略奪婚であると明かし、「彼(二股をかけていた便所ブラシ)と一緒に裸でベッドにいる時に元彼女が訪ねて来て凄く怖かったの」とかい寝言を吐き始めたときだけはどうしても取り繕えなかった。裏切られた元彼女は男と同じ職場であったらしく、結婚式の招待状を元彼女にも出そうかと男に尋ねてわざと楽しんでいるという話を聞いた時点で「最低だね」という感想をついに黙っていられず縁を切った)


それ以外はリアル不倫をしている人に会っても概ね知らぬ振りをしていられた。

幸いにも私の周囲には、自分のしている不貞本能からと男は皆不倫して当たり前とかい理由正当化しようとするバカはおらず、私も「でしょうね男はみんな不倫しますよ私の父もそうでした○○さんのお父さんもお祖父さんもひいお祖父さんもみんな不倫して奥さんを泣かせて来たし娘さんも結婚したら旦那さんに不倫されて同じ目に遭いますよね楽しみですね」とか「まあそれはご勝手ですけどお子さん間違いなく股ユルになるかだめんずになるか誰とも付き合えない人間不信メンヘルになるかの三択ですね、よかったですねソースは私と妹です」などと大人げの無い嫌みを言わずに済んだ。

一方ネットはそういうバカを見つけるたびに上記の言葉を投げてやって楽しむ自傷行為日常茶飯事だった。一度「俺の親を侮辱するな」とか言い返して来た客観性という概念を知らないほんまもんバカがいて今風の表現を借りれば大草原不可避であった。




そんな中である2ch浮気不倫板に親に不倫された子供スレというスレを立てた。

スレ立て当初は滅茶苦茶に荒らされまくり、親が不倫したのはお前のせいだ、お前らは捨てられて当然だと書き込まれる事も幾度となくあったが、それでも細々と何スレか続いた。リアルタイムで親の不倫を知って苦しんでいる中高生を慰め、昔親の不倫に苦しんだが今は幸せだという年長者に慰められ、何より「不貞なんかして家族を傷つける奴はクズだ」という意見を誰にも否定されず堂々と言える場ができたことに心のよりどころが生まれた。

(何しろそんな事リアルで言おうものなら「世の中白か黒じゃない、大人になれ」「ご両親も苦しんでいたのだから理解してあげろ」とかい説得力もクソもない思考停止押し付けられる選択肢しか当時はなかったのだ。毒親に苦しむ子供に対して子供を愛さない親はいいから親を許せと平気で言うバカが幅を利かせていた時代なのだから当然と言える)

そうして私は少しずつ立ち直って行った。



気づけば周囲の状況も随分変わっていて、不貞をしている者を見れば男女を問わず咎められる空気が徐々に優勢となっていた。

しかすると初めからそうで、前段に書いた「当時の世間」は一部のバカに惑わされた私の視野の狭さによる思い込みしか無く、ただ私が自分を傷つける意見の方に自ら近寄って行っただけなのかも知れない。「そんな人たちばかりではない、良い人を見つけたら幸せになれる」という声は今も昔も確かにあった。ただ誰がそんな人たちで誰がそうではない人たちなのか明確に見分ける術のない自分には何の救いともならなかっただけだ。

最終的に「クズとそうでない人を見分ける事におびえる必要はない。誰がクズだか分からいから全員を断ち切る必要もない。相手クズとわかったら即座に切ればいいだけ」と自分で出した答えがとりあえずの結論となった。




元増田世界には小学生スマホオナニーを、中学校で公開キス動画を、高校円光大学で数股変態プレイを、会社や家庭で不倫を楽しむ女しかいないのだろう。増田の母も祖父母も妹もそういう女たちなのだろう。男も増田自身を含めてそうした性の乱れた同類ばかりで、そうした人間たちとその価値観を厭わしく思い咎める者は男女問わず誰もいないのだろう。それでいいと思う。

私自身そうしたものには何一つ縁無く生きて来たしそういうものには自他を問わず永久に無縁であってほしいが、増田にそれを証明してやる義理も縁もない。増田にとっては長らく喪女として生きて来た私のような者は女ではなく産廃としてカテゴライズされている可能性も高いことだし。



私の世界には男と女がいて、その中に割合は分からないがクズが混じっている。どこの誰がクズか分からないのは今も同じだが、それを悪として捉え被害者の心に寄り添える人が私の他にも沢山いると知っている。その対処法も彼らから沢山学んで来た。

クズとわかれば捨てれば良い。わからないうちは自分が親しくなりたい人と親しくしていれば良い。自身自身の憎むクズに落ちぶれなければ良い。今はそう思って生きている。

自分と同じ事を思っているのが自分だけではないと知らなかったらきっと私も一生煮込みうどんのままだったろう。

生活保護についての認識が甘すぎる

今朝の朝日新聞で、母子家庭生活保護を受けていたのに息子がバイトをしていたことが福祉事務所に「発覚」(この表現を使った記者むかつく)して、75万円の返還しろと言われて困ってるいう過去朝日新聞記事が昔掲載されたけど、その後それを支援したいという人間が出てきて、その人らが全額肩代わりして返してあげたってのが美談として載ってたけどすごくムカつく

息子は「バイトしたカネで大学入って~みたいな夢描いてたのに借金を背負わされてつらい」みたいにコメントしてたのも、いや違うしと思ったし、

その記事読んだ人が制度の欠陥だとかい意見があったのも違うって今ならわかる

なぜなら、「健康で文化的な最低限度の生活」っていう福祉事務所新人主人公漫画でほぼ同じシチュエーションお話があったから。



その漫画ではバイトとかするんだったらお金さないといけないってのが書かれた契約書みたいな書類に息子もサインしてて、ほらここに書かれてて、あなたサインたから、仕方ないけど返さないといけないのって結論になった

母親が息子に説明してなくてごめんってあやまったりもしてた

主人公めっちゃ悩んだよ

でも決まりでそうなってるんだよ



生活保護がどういう趣旨支給されてるかを考えれば、別におかしくもなんともない

生活保護を何もせずにもらって、バイトしたカネは全部自分のために使うってのは筋違いだし、制度理解してないだけだ

パチに使う人間とかもいるし、支給要件は厳しくなってる

生活保護保証されてるのはあくまでも最低限度の生活なんだよ

それを超えてバイトしたりしたらその分減らされるのは当たり前

被害者ぶらずに自分無知を呪え



つーか生活保護受ける条件に健康で文化的な最低限度の生活漫画読ませろ

最低時給より高いとかいうのが取り沙汰されることもあるけど、生活保護を受けるにあたってあまりにも無知が多すぎる

無知から生活保護受けるハメになったんだとしても、それなら受給するにあたって知ることは必要

本当に必要人間には支給されずにパチで使う人間がいる一方で餓死する人もいる

生活保護役割範囲についてあまりにも無知すぎる人間が多すぎる

貧すれば鈍するなのか?もうどうしようもないのか?

そんなの今更仕方ないよ

ホワイトカラーしかダメって親とか世間から仕込まれ続けてきたんだから

社会を知ってからブルーカラーの方が案外いいカモと思っても難しいなんて良くある事じゃん

そんなの周りとか社会が悪いんだから

ゆとり教育と同じ

被害者なんよ単なる

2016-07-20

被害者面する全てのカサンドラ症候群母親が苦手

お前らが相手を見極めず結婚して機能不全家族を作ったんやで

子供謝罪しろ

http://anond.hatelabo.jp/20160720125926

そーそー

引用もとの「共感できない」って益田

「違いを発見分析して役立てられたら」っていってたのに

そういう建設的な提言ボコボコに叩かれて

「詰む」「詰む」言ってるだけの愚痴は大絶賛




なんやこれ

あいつら子育てを楽にしたいんじゃなくて

被害者」の立場にずっと身を浸してたいだけなんだなー

http://anond.hatelabo.jp/20160720051251

昔の刑事ドラマとかも多かったよね。未遂じゃなくて行為自体は描かれなくても、被害者が事後に泣いているみたいな感じで…

直接、実際の犯罪傾向と比例しているわけではないだろうけど。昔は本当にこういう犯罪が多かったんだなぁ…と。

「昔は今と比べて異常な犯罪が少なかった」とか絶対にないから!!

2016-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20160718204318

「すべての子供たちがそうなのにゃ。ロンダーク。人は、少なくともすべての子供は、彼らから見れば、理不尽に生に産み落とされるのにゃ」

「『あなたは愛されて生まれた』と告げる両親がいるにゃ。とても美しい言葉にゃ。でも、その言葉は産んだ親の自己満足にすぎないのにゃ。世界に産み落とされるにあたって同意を求められなかったという事実を覆すことは出来ないにゃ。救われる子供はいるけれど、被害者である部分は変えられないにゃ。すべての人々は、そうして生を受けるのにゃ。この世界でも、元の世界でも、どの世界でもっ!」

 だから、我慢しろ

 そんなことは言えなかった。

 誰でも味わう苦しみだとしても、その苦しみの一つ一つはその人だけのものなのだ。苦しみの底にあったにゃん太がそんなことを言われたら拳で応戦したように、今ロンダークは拳を振りかぶっている。そして、拳を振りかぶっているのはロンダークだけではない。

 この世界には悲哀が充ちている。


加害者になったこともない奴が被害者ぶるな!

菅野完さんへのお詫びと週刊金曜日に関する政治的駆け引きの詳細

菅野完さんから暴力被害を受けたというXさんからの依頼で、7月14日に「菅野完 noiehoie の性暴力」というエントリーを上げました。

http://c71.hatenablog.com/entry/2016/07/14/153922

これは自発的に書いたものではなく、一部の人の思惑に沿って書いた作為的エントリーでした。善意からはい係争中の案件を裏取りもせず、頼まれるまま無責任に書いてしまったことを関係者の方々、ならびに読者のみなさまにお詫びしたいと思います

 

この件には私が知る限りでも週刊金曜日編集者の方、係争事件弁護士の方、濁山ディグ太郎さん、中島岳志さん、山口智美さん、いとうせいこうさん、朝日女性問題を多く取り上げている林美子記者始め多くの方が水面下で結束しています。私はこの繋がりが純粋に性暴力被害者を救済し、再発を防止するためものなのか、菅野完さんの日本会議批判関係があるのか、疑問を持っています

 

以下長文になりますが、顛末です。

 

7月14日Twitterフォロワーであるfさんから暴力事件についてのエントリー被害者を助けるために書いてほしいという連絡があり、被害者を名乗るXさんとグループチャットお話しました。私は自分自身が性暴力被害者であるため、そこで聞いた話と発売前の週刊金曜日キャプチャの内容に強い衝撃を受け、フラッシュバックで正常な判断力を失ってしまいました。Xさんとも菅野完さんとも面識がないにも関わらず、被害に遭ったというXさんとかつての自分が重なり、無条件で力にならなければならないと思い込んでしまったのです。

 

見ず知らずの方の係争中の案件に関わることは軽率なのではないか、発売前の雑誌の紙面を大きく掲載したキャプチャ使用著作権侵害に当たる場合、その責任は誰が取ることになるのか、そういったことについてさえ十分に話し合うことなく、とにかく発売までにエントリーをアップして拡散させなければと必死記事を書きあげました。

 

パートナーは私が本業の準備、食事や持病のための休息時間犠牲にし、フラッシュバックでふらふらになりながら、ひたすらテキストの加筆修正を繰り返す様子を見て、とても心配しました。彼は当初から先方がこれだけの依頼を出しておきながら、執筆料の申し出を一切しようとしないことにも疑問を持っていたようです。

 

長文のテキストであることに加え、Xさんと彼女支援者を名乗る人たち、また弁護士週刊金曜日編集部から要望が後からいくつも追加され、私はその度に細かい修正に応じました。加筆修正の度、何度も何度もおぞましい性暴力のについて読み返すことで自分自身の性暴力被害が蘇り、吐き気と動悸と冷や汗でとても苦しかったです。でもそのときは「性暴力被害を許してはならない」「被害者自責の念を持たせてはならない」ということしか考えられませんでした。

 

ようやくOKをもらったエントリーはXさんの支援者ではなく、紹介者のfさんを通じてリツイートしてほしいと頼まれました。私と同様事件無関係のfさんがなぜ?と疑問思いましたが「被害者探しを避けるため」といわれ、「被害者危険晒す気ですか?」と脅されているように感じ、何も言えませんでした。

 

また「フェミのお仲間を通じてリツイートしてほしい」「互助会互助会のノリで、お願いします!」という言葉には(フェミの仲間なんていません。一人一人が自分の考えで発言しているんです)(互助会なんてありません)と思わずにいられませんでしたが、言い返すだけの気力もなく、上手く言葉にすることができませんでした。

 

パートナーはXさん、濁山ディグ太郎さんらに新規はてなidを取得してブログを書いたり、増田を使って匿名エントリーを上げてみたりしてはどうかとすすめましたが、誰一人それに応じた人はいませんでした。憔悴している私を傍で見ていた彼は私一人が矢面に立たされることに強い憤りを感じており、それを見ているうちにようやく私も「これは何かおかしい」と自分感覚の異常に気付くことが出来ました。

 

私は自己評価が低く、記事作成を依頼されたときも「なぜ私が?」という思いがありました。そのことについてXさん、naeさんらから自己評価が低いからこそ被害者によりそういい記事が書けた」といわれたとき限界が来ました。私自身は自己評価の低さと戦うため、これまで命を削ってきたからです。個人差はあると思いますが、性暴力被害者自分を無価値であると考えるのは謙虚さとは違います。この苦しさは「だからよかった」といえるものではありません。

 

記事を書いている間の緊張とエントリー反響、そして休息や食事を後回しにしていたこと、何よりフラッシュバック普通状態でなかったことが重なり、私はXさんの支援者の皆さんに感情的な反応を返してしまいました。そのことはお詫びしたいと思います

 

しかしようやく少しだけ判断力を取り戻したいま、パートナーをはじめ友人たちに話を聞いてもらい、この件を伏せておくことは良心的に出来ないという結論に達しました。私は知らずに政治的駆け引きに加担し、証拠不十分な係争中の事件について、言われるままに一方的宣伝をしてしまいました。裏で糸を引く大勢の人たちの思惑に従い、とても公正とはいえないやり方で日本会議批判攻撃する立場に立っていました。

 

このような事情によってあのエントリーを書いたことを読者のみなさんに知っていただきたいと思います。このような結果になったのはひとえに私の迂闊さと甘さによるもの反省しています。今後は利用できそうな人間は誰彼かまわず利用する人の餌食として踊らされないよう健全自尊心を持ち、自分他人の心の境界責任所在を明確にしていきたいです。他人回復の前に自分自身安全を守ることが、私を大切に思うパートナーや友人たちへの愛情だということを忘れないでいたい。またXさん、菅野完さん、そして日本会議に対する思想立場について、感情的思い入れに流されない視点を持ちたい。都合よく踊らされるのはもうたくさんです。

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って書くな、自分だったら。そして拡散済のエントリー最初最後に追記として、こっちのリンクを貼る。

相手が悪いと攻撃するよりよっぽど効率的だぜ。

http://c71.hatenablog.com/entry/2016/07/17/224429

茨城女性死体遺棄 「ただ人を刺したかった」高2少年を再逮捕被害者に後方から駆け足で接近」

 茨城県龍ケ崎市西谷田川で同県牛久市上柏田の職業不詳、進士(しんじ)康子さん(42)の遺体が見つかった事件で、茨城県警は17日、殺人容疑でつくば市の県立高2年の少年(16)=死体遺棄容疑で逮捕処分保留で釈放=を再逮捕した。(産経新聞)

2016-07-17

眼鏡にいたずらされたという話

おそらく「恒常的ないじめ行為」が本質

そのいじめ行為の中に眼鏡へのいたずらも含まれていたのではないだろうか?

だとすると、いたずらしてはいけない理由説明することではいたずら対策としては効果が薄い。

加害者から距離を置くことのできる環境であればよいのだが…。



また「眼鏡かけてるけど、いたずらなんかされたことない」といったコメント散見されるが

いじめ被害者にとってはこれほど心ないコメントもあるまい。

実は自分もつい書きそうになってしまった。すまんすまん。

眼鏡者として同情を禁じ得ない話ではある。