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2017-01-20

ものすごくおもしろ小説を書けるAIの開発とか

anond:20170120123524

しかボタンひとつ二次創作小説自分主人公にしても自分祖先主人公にしてもわりと元の人格再現して読める感じになる

小説家亡者全員志望 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1290327232エンタメ系やライトノベル系を志望する方たちは、

単位に上る」

 

アルファGOよりさらに強くて早いAIの開発とか

→碁の棋士が全員志望

 https://www.nihonkiin.or.jp/player/saiyou/result/ 人数不明

 

脳内景色からすぐ作れるアニメAIとか

アニメーター志望者全員死亡

 

完璧情緒教育もできる教育AIとか

教職死亡

 

キングコング西野AI

絵本製作者死亡

批判を封じたいファン勝ち馬に乗りたい奴が

「あれやこれは批判しないのか」って挙げてる物が

製作者が自分で作った比率が高いもの無料化(そこから他の仕事が来たりする)で

持論で自分の首を絞めてることに気付いてない

バカは強い

2017-01-19

キングコング西野絵本を公開しそれに対する反応の件

キングコング西野絵本無料で公開しそれが話題になってるが、それに対する反応がどうもおかしい気がする…

クリエイター仕事価値・値段が相対的に下がるから正当な料金を請求しろという人が多いが、大前提としてクリエイターにたいして〇〇は無料で書いてくれたか無料で描けとかごねをこねて安くしろだとか言うユーザー問答無用で糞だと思うが

ただ、クリエイターが作った作品クリエイター自身が値段を決めるのであり、それが今回の場合無料にするなとごねをこねてるだけにしか見えない。ある種特大ブーメランを投げているようにしか見えないのだ

それに別に本や漫画イラスト素材に対しての需要がないわけではなく、ただ単に今までの人の上位互換が現れてるようにも見える。

西野の件に関して言及するのであれば、lineblogで他の製作者に対しての影響はなさそうだし、なおさらなぜここまで叩かれてるのかわからない

結局PokemonGoの規制と同じで一部ユーザー無料で描けとかいうやつ)が糞だから無料で公開してるやつ全部批判するみたいなように思えるのだが…

まとめとして結局、クリエイターが定めた値段に関して無料であろが有料であろうがその人はその人なりの価値観があるんだから格段言及すべきでないと思うのだが。

2017-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20170118083140

新海アニメ製作からして光源を持ったディスプレイモニターで作られており、ディスプレイ進化がそのまま映像の仕上がりになっている。

8Kディスプレイで「君の名は。」を観たら映画館スクリーンで観るよりずっと良いのだろう。

え、他の映画はどういう映像の作り方してると思ってるんだ?

映画館でわざわざ観る必要がない問題

この世界の片隅に」はわざわざ映画館で観る理由がない。映画館で観る人はとにかく褒めたいアーリーアダプター話題に乗っかりたいブロガーさんだけである

いずれYoutubeAmazonビデオでなら観るだろう。そしてレビューに「素晴らしかった!」とか書くんだろう。

この手の話はここ10映画が衰退している理由でもある。

BDの普及、レンタル屋、テレビの高精細大画面化。

キネマ旬報はこの流れとともにおっ死ぬんだろう。それでいい。

新海アニメ製作からして光源を持ったディスプレイモニターで作られており、ディスプレイ進化がそのまま映像の仕上がりになっている。

8Kディスプレイで「君の名は。」を観たら映画館スクリーンで観るよりずっと良いのだろう。

映画館スクリーンは、レコードと同じ運命を歩むだろう。未来に生きて欲しい。

2017-01-17

ニューダンガンロンパV3ネタバレ無しで評価する

自分ブログを持っているわけでもないので雑記程度に。

ゲームとしてのダンガンロンパ最新作だったV3ですね。えー、やりました。もう結構某所とかで言われてるみたいなんですけど最初に私も同じこと言います

オチが酷い。

プロローグ、1章〜6章、エピローグといういつもの構成だったんですが正直申し上げますと5章終了ないし6章クロ当てまで進めたらそこでプレー辞めることを推奨します。それ以上進めると「それ以前のダンガンロンパシリーズ記憶」を破壊されますマジで。書き換える、のがわかりやすいかな〜ゲーム内容的にはな〜...

V3は新章で別だって言ってたじゃん!」との声、普通にあると思います。私もその情報が事前にあったのでアニメ3でぐちゃぐちゃになった世界とは別!と思い購入しました。"嘘"がテーマであることで物語がどのような発展をみせるのか気になりましたし。単純に偽証システムが見てみたかったのもありますが...

率直に言うと「世界観一新」は"嘘"ですね。ダンガンロンパチームの。だからといってシリーズ経験者にお薦めできるかというとNOですし、しか新規が入りやすいわけではなく踏みいれれば過去作のネタバレ価値不法投棄を目の前で行われることになります。端的に言ってお薦めできません。とある人物周りの伏線回収も現状ではずさんだったとしかいえないでしょう。

受け止めかたの問題だ!冷静になれば面白い!とかい意見に対しては、6章クロ当てからの一連の流れは製作からの悪意がふんだんに織り交ぜられているために絶望よりも不快感がこみあげてくるものになっていて、肝心の伝えたかったであろうテーマにまで泥を塗る結果になっていた、とだけ言っておきます。私個人としては様々な不可解な状況証拠から"黒幕台詞は多くが嘘"という結論に達したので全否定するつもりはありませんが、確実な真実への道程を作中で示さず全てをあやふやなままで終わらせた時点で世に出す作品として中の下だったということは変わらないと思います

では問題オチ以外、つまりプロローグ〜5章まではどうだったかといいますと、過去作に比類する出来だったのではないかと私は考えますトリックに一部引っかかりを覚える部分もないとは言い切れないのですが基本的破綻せず進行しているように感じました。キャラ描写は...その......勿体ないな〜と思わなくもないのですが通信簿があることを踏まえれば5章までは良作の部類だったかと。5章まではね...イヤほんと5章で終わっておまけ要素解放されてたら雑な神ゲー認定してたな......気に入ったキャラ結構いたし.........



いつまでもシナリオの話しててもしょうがないので学級裁判システム周りについての感想にいきたいと思います

まずは今までのコトダマ論破に「V論破/賛同」が追加されました。R長押しで精神集中すると色つき主張に「ウィークポイント」となる赤い点が浮かび、そこを上手く撃ち抜くとV論破達成となり、得点があがるという本作のアクション成分をアップさせる要素となっていますさらに直後の台詞等も少し変わる...らしいのですが2周めをまだしていないので詳しくはよくわかりません。

次に「コトダマの偽証」。△長押しで選択されていたコトダマを"反対の意味"のコトダマ(=ウソダマ)に変えることができる要素が追加されました。このウソダマを正解となる相手発言に撃ち込むことで「偽証」が成立し、停滞した議論開拓の道を示すことが可能となります。もちろんこれも「V偽証」することができます

ウソダマを使用するにはデメリットがあるものの正解に撃てば帳消しになるので、タイミングがわかれば気軽にでき適度に学級裁判を盛り上げてくれました。まぁだからといってそれでシナリオの大きなルート分岐もなければ事態の核心に迫れるわけでもないので勿体ない使い方してるなとは思いましたが......

議論スクラム」について。参加者内で意見が2つに割れ裁判の円滑な進行が阻害されたときに発生します。その時点での各キャラクター立ち位置意見が全てわかるうえ、相手意見パズルのように合致させまとめて論破できるので爽快感が強く、また台詞間の幅が主人公の味方側キャラへの名前呼びかけで無くなるためテンポが非常に良くなっており臨場感も味わえるというとても面白いものになっていました。過去作でも是非やってみたかったとまで思える要素だったので、ここは評価されていいと思います。ここだけでしか見れない横顔が綺麗に見れるのもポイント

パニック議論」に関してはノンストップ議論が3つ並行して行い時折大声で主張する人が現れ他を阻害してくるという、スタンダードながらも場の騒々しさが伝わってくるもの面白さがあったように思いますアクション難易度があがる場面なので、このときに上手くV論破が決まると達成感も得られました。

「発掘イマジネーション」は単なるモノリスなので割愛。あとは「ブレインドライブ」と「理論武装」ですが...どっちも微妙だったな、としか

ブレインドライブ」はレースゲームの時点でゲーム性は限られていましたが、スキルを取らないととにかく冗長なだけで単調でした。カジノ版みたいにアイテムが道端に落ちていればアリだったかもしれません。道路デザインネオン街は本編と何の繋がりもないけどお洒落で好きです。繋がりないけど。

理論武装」はリズムゲーにしては音に併せるとmissするという目押しゲーなのにもかかわらずその目押しゲージをお邪魔の隠しで潰してくるという割と意味不明ものでした。これもスキルをとればマシにはなるのですが、この要素の都合上裁判クライマックス付近で発生するものなので真相への疾走感の障害しかなっていなかったなぁと感じます

反論ショーダウン・真打」は正直なところ前作のほうがやりやすかったです。これもV斬りを狙えるのですが操作性の都合でとても難しくなっていました。


思いつく限りではこんなところでしょうか。あくまネタバレしなので詳細はありませんが感想としては以上になります。無論これは個人差があるのでこの意見が全て他の人にとって真実とは言えないはずですが、私のなかでは嘘ではないので、この日記に目をとめてくださったかたのひとつの目安になれればと思います

2017-01-16

アニメが「わかる」ようになるお話

アニメをみて「わからない」という人たち(A)がいる。

一方で、「あれはこういうことだ」という人たち(B)がいる。

少し経つと、Bの言葉を聞いた人たちのなかで、Aに向かって「あれはこういうことだバカ」と言う人たち(C)がでてくる。

すると、Cに馬鹿にされて気分を害したAのうち、「なんだよ。このアニメはクソ」と叫ぶ人たち(D)が出てくる。

Dの叫びが大きいとき、「あのアニメはクソなんだな」という認識をもち、同調して騒ぐ人たち(E)がでてくる。

このようにしてアニメは「クソ」になってしまう。

では、どうすればアニメは「クソ」にならずに済むだろうか?

製作者たちは、とにかくAを生まなければ、「クソ」にはならないと断言することができる。

日頃からAに置かれがちな人たちも、Aのようにはなりたくないという思いがある。

そうして、アニメは「わかる」ように作られるようになった。

めでたし、めでたし。

http://anond.hatelabo.jp/20170116114302

製作者やどれぐらい儲けたかとか、

これは続編を作れる構成なのかとか、原作者スポンサー製作陣とでどういった摩擦があったのかとか、

そういう作品を取り巻く周りばかりを気にして

これを「舞台裏」というのではないの?

さらながら録画してた四畳半神話体系を観て消した

正直オチ微妙だった。

 

途中まではオチのための話だということで我慢してみていたが、

まらないとしか言いようがない。

どこがどうつまらいか熱く語りたいところだが、

あいくそんなアンチというなの熱狂ファンにすらなれないくらい、

特にこれといって語ることのない内容(「無い内容」ではない、たぶん)だった。

 

最初作者のことを良く知らずに、化物語書いたやつと同じか?

くらいに中身のない上に新しくもない自分語りをツラツラと聞かされたが、

まだあちらよりはこちらの方が行動していたので調べてみると違うらしい。

でもこのクドクドしたのが好きなやつは手放しで絶賛して、しかし金は落とさないのだろうな、

いつものように、と思いながら見ていた。

最近はこういう見方をする。

 

最近?いや、最近どころではない。

5年以上前から俺は作品を観るとき作品のものではなく製作者やどれぐらい儲けたかとか、

これは続編を作れる構成なのかとか、原作者スポンサー製作陣とでどういった摩擦があったのかとか、

そういう作品を取り巻く周りばかりを気にしてまともに楽しめなくなってしまっている。

俺は

舞台裏を含めて愛せる人間ではない。

サンタがいないと知ったら、普通に落ち込むような面白味の欠けた人間だ。

サンタ父親母親だろうが、その年収を知っても特に面白いことはない。

嘘を真実だと信じていたからこそサンタというもの価値がそこにあったのだと思い返すだけだ。

俺の人間的強度が嘘を嘘として愛せるほど頑丈ではなかった。

俺は家族で鍋を突いて日曜に観るサザエさんが好きだったのであって、

その裏で姑や小姑からいじめられる母親存在を愛していたわけではなかった。

 

この話はどうでもいい。

丸2日寝てないせいで脳が制御できていない。

とにかく四畳半体型、面白くなかったよ。

だっれかがNHKにようこその続きだと言ったがふざけるな。

NHKにようこそのテーマは外の拒絶から自分ベクトルを生み出す創造の尊さがテーマだ。

四畳半はただの人恋しさからコミュニケーション欠乏症に陥った末のリア充デビューだ。

まるで似て非なるものだ。

NHK引きこもりが外と交流したけど結果として自分意志を持たないと駄目だと気づいた話で、

四畳半は外と積極的交流しようとしたけど上手くいかなくて引きこもったけど上手くいかなくていいと開き直った話だ。

四畳半は躁鬱が躁状態突入しただけで、自分なりの哲学を作ってないからあれは簡単に鬱に戻る。

子ども子どものままウェーイw状態突入しただけで好機がなくなれば加齢でただのオッサンになるのは目に見えてる。

四畳半はあれは蔵の中に閉じ込められて泣いて親に反省たから出してくれって言わざるを得ない状況に追い込まれただけ。

ただそれだけ。

自分なりの壊されないものを作り出さなければ人は真の孤独から脱出できない。

あれには形が無いし時もない。

から自分ルールを作るしかない。

NHKにはそれがあったように思える。

失礼。

今までNHKにようこその名前を出していたがアニメではなく漫画のほうの話。

漫画アニメは内容が違う。

アニメは金を出さずに消費できるやつが多いのでNHKアニメはよく語られるが

漫画ほとんど語られない。

とにかくここまでだった。

2017-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20170108221330

アニメ業界って言っても

製作制作の話を混ぜるから

混乱するんだよな

製作制作飼い殺しにしている

構造が厄介という事なのに

2017-01-07

[]映画この世界の片隅に

よーやく見たので箇条書きで書く

ネタバレあり

・始まるまでのCM相変わらずなげえな映画館

・始まって1分もたたないうちからなんかこみあげる感動の先走りがあった

・そのせいで、冒頭の船の上でこどものすずが正座で足しびれて目が><ってなってるのをみたタイミングでもう結構やばくて、その後カメラがどんどん上にあがっていって空をうつしていって、そのバックでコトリンゴの悲しくてやりきれないが流れ出して、それに合わせてタイトルの字が出たタイミングが感動のピークだった

・もうそときに涙がこぼれてしまった

・はえーよホセwwwと思いながらも涙が結構こぼれた

・正直そこまで原作とかこうの史代ファンでもないのに、なんで冒頭はじまっただけでそこまで感極まったのか自分でもわからん

・目が><となってるのほんとかわいいほんとかわいいほんとかわいい

・は~そすそすそすも再現されてていくつかのシーンで何度か描写されてたから満足

・絵かくのさぼってた水原さんが鉛筆くれるシーンは、その前にちびった鉛筆をいたずらで失くされたっていう前フリがないと、なんかいまいちあのシーンのよさが伝わんねーんじゃねーのかと思った

問題児ちょっといいことしてくれた的なニュアンスだけ伝わればいいっていう割り切りだと思えばまあわからんでもないけど

水原さんは小野Dってわかっちゃったからどうもうーんという感じだった

・しゅうさくさんは朴訥な演技があったせいか久しぶりに刀語のいちかのときの声をきいた気がした

密度濃くてテンポよくて原作知ってても退屈せずに見れた

ギャグシーンで劇場内で笑いが起きてたから、別に自分製作者サイドでもなんでもないのにうれしかった

座席位置最前列から2番めっつうすげー見づらい位置だったけど、そこまで動きのおおいアニメじゃなかったからなんとか見れた

CMでやってたみたいな激しいアクション映画とかだったらとても見るに耐えなかったと思う

・というか映画館映画をほんとうに見てもらうことを考えるんであれば最前列前何列目くらいかまでは座席なくしてほしい

ちょっとでも埋めるためにはそんなことやんないだろうけど

閑話休題

日常シーンと爆撃シーンとの音響の差がすごくてめっちゃうるさく感じた

空襲警報映画の中だけでもうざいと思ったのに日常あったらほんとうざいだろうなあ311のぎゅいっぎゅいっと同じうざさっぽいなあと思いながら見てた

・はるみが死んだ後はさすがにそれなりの演出はあったけど、それでも原作よりもかなりあっさり終わった感じした

個人的には原作の、あの壁の向こうには花畑ではるみさんが遊んでるような風景があったんだろうか、という1ページ描写がどうなってるかが気になってたけど、思ってたよりもかなりあっさりで、物足りなさを感じつつも、変に感動的に押し付けがましくしてくるよりかはこれくらいの淡白さがあったほうがらしいっちゃらしいかなとか思ったりもした

・鬼いちゃんが死んだときしかり、死が今よりも日常と隣合わせだから若い子供が死んでも別にニュースになんてならないってのが、現代とはほんと価値観違うよなあ

最後いきなりでてきたように感じられた右腕をなくした母親がのこした子供エピソードのあたりも、どっかネットでみた、パラレル子供ができて死んだもうひとりのすずの可能性みたいなものを確かに感じさせなくもなかった

・でもまあそれもあくまでも見る人の考え方ひとつってだけ

原作にはなかったその子供のその後が、エンドロールのバックの一枚絵で少し描かれてたのもうれしかった

・その後のクラウドファンディング寄付者の名前一覧ね

個人的に一番!?ってなったのは星空めておだよ

キムタクばりに、ちょwメテオwwwって一人でにやにやしてしまったwww

・残念だったのは、のんの滑舌が若干悪くて聞き取りづらかったところがあったところかなあ

終戦ときセリフが改変されてるっての知ってたからなんて言ってるんだろうって思って一応気をつけて聞いてたつもりだったけど、結局なんていってるのかはっきりとわからなかった・・・

・はるみさんが死んだのも全部無駄だったっていうんか!?みたいなこと言ってた?

・いっしょにみた人がコトリンゴの歌きいて、手嶌葵パクリかと思ったと言っててちょっといらっとした

2017-01-05

戸田奈津子尊敬されるための唯一の方法

インタビュー字幕翻訳者戸田奈津子さん「エッ?と思う字幕は、どこかおかしいの」

https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/interview-with-natsuko-toda?utm_term=.bhpJ8y62dK#.pf3GDwzR2e

 

を読んだ。全体的には一方的自己弁護を垂れ流すだけの提灯記事だが、インタビューという性質上これは仕方のないことなのだろう。この記事の良い点は、戸田奈津子という人の見当違いな自己顕示欲を浮き彫りにしているところだ。

 

「叩く扉もなかった」字幕翻訳という仕事に、その道の第一人者に直接食らいつくようにして取り組んでいった前半生は感動的でさえあるし尊敬もしよう。しかし一人前として仕事を任され、一定の地歩を固めつつあった頃には、質的研鑽よりも量的なアピールに重きを置く仕事ぶりだったことがよく分かる。

 

それは時代というか当時の映画産業要請でもあって、戸田個人責任を帰すことも出来ないだろうが、何度も立ち止まるチャンスが有ったにも関わらず、過剰な自信に満ちた「職人魂」みたいなもの自分を虚飾したい一心で、本質的には作品奉仕するべき字幕翻訳者のあり方を歪めた自己像を描出し、直そうともしなかった。それがこのインタビュー記事表現されている「字幕翻訳女王」の実態だ。彼女はことあるごとに「文字数自由だし調べ物にもゆっくり時間をかけられる文芸翻訳とはわけが違うのよ」式の言い訳師匠発言の一部を都合よく切り取ったものだ)をして、質を犠牲にしてることを棚に上げて早業自慢を繰り返すが、この記事もまさにその例を一歩も出ていない。ほとんど馬鹿の一つ覚えだ。

 

せっかく日本一名の売れた字幕翻訳者になったんだから個人の早業を自慢するよりも、字幕質的向上のために制作・配給側が用意する時間予算の拡充をアピールするのが筋なんじゃないのか? と私などは思うのだが、そんなことは自己否定になりかねないのでできない。映画や観客より自分大事からだ。徹底して裏方仕事に向いてない性格なのに(だからこそ喰らいついていけたとも言えるが)、なぜか字幕翻訳者なっちゃった人で、その上根っからダンピング体質なんである。広く「第一人者」と呼ばれるものの最悪の事例として歴史に記録されるに値する人物だろう。

 

戸田字幕の具体的な問題点については、今ではある種のネットミームと化していて、山のように検証を綴ったページがヒットするので、ここでいちいちあげつらうことはしないが、この記事を読んでそれらガッカリ字幕根本的な原因を確信できた気がする。戸田奈津子自身映画作品に対する理解力が低いのだ……というのはあまりにも失礼なので、観客(想定読者)の理解力を低く見積もりすぎ、と留保つきで言うべきなのかもしれないが、とにかく画面に映っているもの脚本に対する読解力が低い翻訳をしてしまっている。軍事用語や「指輪物語」の専門用語に通じてないせいで勝手流に造語ちゃうみたいなことは、専門の監修者をつければ(それさえ不服のようですが)済むことだが、理解が浅いまま手癖で字幕をつける悪癖についてはせめて直そうとする姿を見せてほしいと思う。

 

どんな作品であれ受け手によって読み出せる情報量は変わるものだが、戸田字幕はその理解力の設定が最小限になってるみたいな字幕なのだ。そんなとこを端折ってしまったら、まるで子供の頃に見た「大人映画」のように途中で筋が追えなくなるだろうな、と思うことさえある。一通りセリフが聞き取れるとか、背景知識も揃っているような人間が見ると「エッ?」となるような訳を乱発してしまっているのである。これは映画字幕という表現媒体のものの制約なのだろうか? 単に投下すべきコスト時間人員)をケチってるだけじゃないのか? なにしろ理解力が乏しいゆえにかえって回りくどい表現をして、大切な字数を浪費している例さえあるのだ。単にこなした本数が多いから下振れが記録されているだけと擁護することも出来るが、それを言うとかえって早業自慢の露悪性が強調されるというものである

 

そして戸田字幕に感じる理解力の低さ、雑さの遠因が、このインタビューでは明らかにされている。ただの映画ファンとして、「作品ファン」としての経験を積まずに映画を見まくった原体験が、映画を十分理解せずに、ざっくりと筋がわかれば(たまにそれにも失敗する)いい、という仕事を次々とこなすことを良しとする「映画字幕女王」を産んだのだ。それは映画というもの立ち位置が変わってしまった現在には全くそぐわない態度であると私は思う。

 

多くの人が週末には何かしらの映画を見て、学生なんかは金の続く限り映画館に入り浸って、それ自体が楽しみで、何度かに一回面白いものがあったら儲けもの、といった時代はとっくに過ぎ去った。多少荒っぽい仕事があっても、「まぁそんなこともある」と納得してすぐにまた映画館に足を運んでくれる観客は絶滅危惧種と言っていい状況で、「とりあえず筋の追えるものを今週中に」みたいな品質でつけられた字幕を使う理由ほとんどないと言って良いんじゃあるまいか。なにもタコツボ化したマニアけが字幕翻訳者理解不足を責めているのではない。字幕スクリプト情報量100%伝えろという不可能要求しているのでもない(そんなことを言ったら、原語が完全に理解できても伝わらない部分は常にある)。娯楽が多様化する中で、金と時間を使うに値する丁寧な仕事競争できているか問題なのだ

 

そもそも多くの映画は長い時間をかけて作られるものだ。製作に着手してから数年かかることはザラだし、驚くべき短期間で撮影が終わったというような作品でも、原作を読み込んで脚本化するのに何十年もかけていることだってある。そしてそれを待つファンも何十年越しで待っていることだってある。それだけの労力と期待を集めて公開される作品最後工程に、パッと見の印象を伝えるので精一杯みたいな字幕がついていて良いのだろうか? 日本人英語力の向上には役立つかもしれないが、自分で聞き取れるようになったからといって問題が無くなるわけではない。「自分は内容がわかっても、あまりにも作品無理解字幕がつけられていることに耐えられない」という作品ファン心理考慮せずに仕事を続けることは、今や娯楽の王座から落ちて、比較的嗜好性の強いものになった洋画ファンには悪印象しか与えない。それに洋画ファンだけの問題でもない。どんなジャンル仕事であっても、雑な仕事というのはそれに初めて触れる者に「なんとなく面白くないな」という印象を与えてしまものである。それを防ぐために必要なのは、十分な準備期間と作業時間を用意することによって得られる翻訳者の深い作品理解だ。翻訳者に十分な時間リソースが与えられ、一つの作品に使える労力を拡大することのほうが誰にとっても良いことなのではないか? すべての原因を「文字数の制約」や「納期の短さ」に帰することが出来るという甘ったれた足かせを自慢できればそれでいいのか?

 

戸田字幕映画理解力の低さが、意図的に設定されているものではないと疑う理由がもう一つある。戸田字幕翻訳単独作業である理由として、「セリフ言い回しリズム統一するのに余計な時間がかか」るということを挙げている。そんなことを言っていたら、作中でセリフ言い回しリズムを敢えて変えることで、登場人物心理的変化や場面転換を表現する映画原理的に字幕に乗らないことになる。これほど馬鹿な話はない。「こいつは最終的に悪ものになるやつだから最初は丁寧にしゃべってても荒い口調で統一しとくのが親切」みたいな字幕が付けられた映画を、誰が見たいだろうか? 一つ一つの映画作品性質をよく理解しないまま、ちぎっては投げみたいな仕事を続けてきたせいで、どんな映画も同じような構図に当てはまるよう訳すのが当たり前になってしまっているからこそ、セリフ統一感があることが「透明な字幕」の必要条件だという勘違いを起こしてしまうのだろう。映画が転調したときには字幕も転調するのが「透明な字幕」で、そのためには複数視点必要になることだってある。脚本演出意図を読み違ったまま、理解をし損なうことは避けられないからだ。いつまでも「一人の字幕翻訳者が短い期間で理解できた範囲」としての映画字幕が作られ続ける状況を肯定することは、この人の取るべき道ではない。それは決して映画のためにはならない。

 

ロード・オブ・ザ・リング」の第二作以降は、原作翻訳者スクリプトの全訳を事前に行った上で、それを参照して戸田字幕作成し、改めてチェックを受けるという体制が敷かれたようだ(インタビューではその経緯をまるっきり無視していて、結果的に監修者の仕事を貶める傍若無人ぶりが表れている)が、これに似たことが常識的に行われるように働きかけしているんですよ、といった風のアピールをするほうが、「第一人者」としての尊敬を集めるのではなかろうかと私は思う。

  

現在洋画の年間公開本数は80年代末以来の第二のピークを迎えている一方、戸田仕事は当時の1/5近くまで減っている。文芸関係に限って言えば50歳ごろに確立した仕事のペースを守っている80歳なんていくらでもいるので、年齢のせいばかりでもないだろう。その事自体戸田翻訳者待遇改善に取り組んだことの証左だと弁護することも出来るかもしれないし、実際にセリフ聞き取りながら見て「ここをこうやってまとめるのか、上手いなぁ」と思える翻訳者が増えてはいるので、まぁ戸田奈津子問題ある訳というのも、そろそろ過去の話だよね……と最近は思っていたのだが、私はこのインタビューを読んで気が変わってしまった。やはり早いとこ全面的に後進に道を譲って、ご自身字幕翻訳質的向上のために翻訳者待遇改善する言論を起こされるなどしたらいかがだろうか。それが名の売れたものの使命と思ってはもらえまいか。いい年してよいしょインタビューに答えて、自分の大ポカで迷惑をかけた監修者の名誉を傷つけるような非道言い訳を垂れ流している場合ではない。

 

さら早業自慢を封じられるのは、自己認識からすれば転向に映るかもしれない。ひょっとしたら一気に老け込んじゃうかもしれない。しかし、昔よりずっと観客同士の横のつながりが強くかつ広範囲で、作品についての情報も手に入れやすい今だからこそ、字幕翻訳要求される水準が上がっていることを認識し、それに適切に対応するように送り手たちに働きかけをする姿は、映画ファンの心に強い印象を残すはずだ。個人的な快刀乱麻の仕事ぶりを自慢するのはもうやめて、業界全体で作品の質に貢献する、充実した作業環境を残せるよう声を上げる好機なのではないか。それでこそ「字幕翻訳女王」としての尊敬を集められるのではないか。今のままではせいぜい良くて「時代の徒花」といったところである

2017-01-04

WEB博物館で働いてるけど、もうだめだ

31歳、WEB博物館学芸員大学の専攻はソフトウェア考古学

行ったことのない人のために説明しておくと、WEB博物館WEB150年周年を記念して設立された博物館で、WEB歴史を振り返るとともに

時代サイトデザインインタラクション体験できる日本唯一の博物館。古くは平面ディスプレイでのWEBページから、主流の空間3次元MRの流れを体験できることが売りなんだけど、

まだ2010年~2020年代の展示が用意できていない。暫定的に、展示パネルスクリーンショットを展示している。

この展示の担当者は俺。正直な所、ちゃんとした展示が開始できる見込みは立っていない。というのも、ソースコードはあるけれど、当時の技術背景がはっきりしないため、サイトを動かすことが全くできないためだ。

今時、平面ディスプレイなんて骨董品屋に行かないとお目にかかれないが、なぜか自宅の地下に眠っていた。

りんごマークが描かれた物理キーボード搭載の、所謂ノートパソコンってやつ。金属ボディでかつ核シェルターに入ってたので、核戦争の時のEMPにやられずにかろうじて残っていたみたい。これを高校生の時に見つけて以来、徐々に二次元派になっていった。レトロPCマニアという区分人間だ。

当時のソフトウェアを発掘、解析していくうちに、古い技術ソースコードを集めるのが趣味となり、大学ではソフトウェア考古学を専攻した。

大学時代にやってたことは、未処理地区に入ってストレージを発掘、残っている当時のソフトウェアを解析、当時のものを修復・復元などだ。

その後は技術博物館に勤務し、2年前にWEB博物館に移った。

ここでは研究員がそれぞれの時代WEB技術で作られた製作物を復元するプロジェクトに携わっていた。

で、俺の担当が暗黒の時代と言われた2010年~2020年代だった。

当時のブラウザパソコンに入っていた。

ソースコードは、骨董から譲ってもらった。当時のサーバークラウドサービス核戦争でほぼデータ消失しており、100年以上前ソースコードなんて絶望的だったが、ある企業が当時の中国ハッカー集団に抜かれたソースコードを保存していたストレージがたまたま現存していた。

問題は、それを動かせる環境構築だ。

開発に使われたJavaScriptという言語は、AIの解析によってバージョンが判明し、なんとか仕様が分かった。大学近代プログラミング言語史の授業を取っておいてよかった。

しかソースコード依存するパッケージが手に入らない。

とにかく、この時代フロントエンドの開発環境の移り変わりが激しく、それぞれのパッケージが使われていた期間がとても短く、バージョンも多様に渡ることから、正解のパッケージ現存していない。

この時代は、まだIT教育ほとんどされていなかった時代でもあり、ソフトウェアエンジニアほとんど独学で技術を身につけるのが普通で、そのためソフトウェアに対する価値観が多様であった。どんどん新しいパッケージが開発、公開され、そのため開発環境の移り変わりはとても激しく、特にフロントエンドは1~2年でガラリと変わっていたようだ。

すると、1~2年しか使われなかったパッケージなんて入っているピンポイント生存ストレージなんか見つかるはずもなく、全然開発環境復元が進まない。

バージョンパッケージが見つかることもたまにはあるので、それで代用を試みるけど、エラー文が多すぎてほとんど使えない。

当時の人は、やたら保守性にこだわっていたみたいだけど、こんなバージョン地獄でうまくやっていたのだろうか。

好きで始めた仕事だけど、もうこんな開発環境の構築だけで消耗する仕事は辞めて、普通WEBエンジニアになりたい。

2016-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20161230220854

もしその理屈が正しいとすれば

アニメ製作本数が現在ほど膨れ上がったのが2006年くらいだったと記憶しているか

製作委員会中国企業名前を並べているアニメがその頃から爆発的に増えているはずだがそういったデータはあるのだろうか

どうしてアニメ制作現場お金が無いのか

12月25日の夜に『山本寛岡田斗司夫公開トークイベント~僕たちのクリスマスナイト~』が開かれた。

ここでアニメ制作現場お金が不足している訳を、山本寛さんが赤裸々に打ち明け、

岡田斗司夫さんがそれを解説されていたのだが、これが非常に興味深かった。

しばしば話題になるアニメーター低賃金問題アニメ業界のあり方そのものへの

重要な指摘だと感じ、ちゃんと理解たかったので流れがわかる程度に一部を書き起こしてみた。


山本寛岡田斗司夫公開トークイベント~僕たちのクリスマスナイト~』より

山本寛:

どれだけ敵にまわすんだろうっていうくらいの内容をしゃべりました今日の昼ね。

非常に図式が簡単で、すごくシンプルにいうと、お金は上の方であるんですよ。

これが現場に落ちてこない。なんでってことなんですね。

もう直で落とすしかいねっていうのが結論ですね。

そこになるだけ中間マージンを抜く的な、暴論ですけど…

もちろんそこはちゃんと機能しているしアニメを作るのに今なくてはならない機能にはなっているんですけども、

やっぱり減って減って減って現場に降りてきたときに、これだけかよって自体をなくすためにはBtoCではないですけど、直接行くしかない。


(中略)


山本:

大規模なテレビアニメであるとか、待ったなしの続き物のアニメを作るためには必要システムではあると思うんですね。



(中略)


岡田斗司夫:

アニメ業界に金は無い、金は無いって言っても、テレビ局の奴は儲けてる、広告代理店が潰れたなんて話は聞いたことがない。

なので実は、潰れた潰れたといわれてるのは、末端のスタジオ現場であればあるほど潰れている。

なのでこの上のおじさんたちにいなくなっていただこうって話?



山本:

まあ、言いましょう。

名指しで批判するつもりはないんで、製作委員会というスキームのもの問題があると思ってます

ここにメスを入れないとダメだということです。

例えばお金はいくらでもある。

例えば中国配信業者10億出しますよと言っている。

でも、製作委員会がじゃあ10いただきますやったーにはならないじゃないですか

パーセンテージがあるじゃないですか。

製作委員会幹事会社が40%、50%握るためには、10億きてもらったら困るんですよ。

幹事会社出資額には限度があるじゃないですか。

40%の権利を得たい。

幹事会社権利を得たいけども4000万しか出せません。

ということは、予算総額は、1億で決まっちゃうんですこの瞬間に。

どれだけお金を出したい、10億でも20億でもこの作品のために出すよと言っても出せないんです。


岡田斗司夫:

これね、ホワイトボードに書いて説明したいんだけどもちょっと翻訳させてね。

えーっ、つまり10億あったら、劇場アニメのすごく良いのができるし、中国会社10億でも20億でも30億でも出そうと言ってる。

ところが、中国会社20億も30億も出してしまったら、中国会社出資100%アニメができてしまう。

なので、まるでそれがいけないこと、チャイナマネーの脅威みたいな言い方をしながら、

でもお金は欲しいからどういうことになるのかというと、製作委員会方式をとりたい奴らというのがいて、

結局それがレコード会社とか一部の会社がいつもいつもアニメ版権握ってるような会社が、

中心の版権の窓口やりたいとか、手数料取りたいって思ってるようなところがあって、このアニメ製作予算として2億以上かけちゃ困ると。

だってうちの会社4000万しか出せないんだから2億で4000万だったら、やっとこれで20%じゃん」と。

で、「20%以下にパーセンテージなったら俺の会社での立場なくなるよ。なので、このアニメ予算2億で。

えっ中国会社20億も出す? じゃあしょうがないな、その20億を10作品で割りましょう。」

というふうな形で作品10ぐらい作って個々の作品予算上限を2億ぐらいにとどめたり、1億に留めたり、数千万にとどめたりして、コントロール権を握ろうとしている。

それによって──


山本:

から本数が増えたんですよ


岡田:

から本数が増えた。あっ、俺の読みで良いの?


山本:

ご名答です


岡田:

やったー


山本:

そこに、前回言った通り、その10倍に増えた1本が10本になったものを受け止められる現場がないんです。

から作れないんです。だから落ちるんです。

簡単でしょ実は。



岡田:

まりアニメ出資したがってる会社は多いんだけども、

バジェットが上がりすぎると個々の、これまで日本出資をしてて、現場を仕切ってて、

で、アニメのそういう版権ビジネスから手を引きたくないオッサンたちが、バジェットの上限決めちゃってるから制作費が増えない。

横の方向の制作本数だけが増えちゃう

で、じゃあ、解決策としてはどうなのかというと、「このおじさんたちがいなくなって──


山本:いなくなればいいとまでは言いませんけども(苦笑)


岡田:

──中国出資者たちと直に繋がればいいんだあ」、とこないだ真木さんが岡田さん言っちゃだめだよと言いながら酒飲んでた(笑)


山本:

いっちゃったか(笑)

当分そういったいざこざの中では生きられないと思ったので、言っちゃおうと思ったんですけど。

あのー、やっぱりどこかでその製作委員会もう完全否定するつもりはないんですけども、

どこかでやっぱり意識の変革?個々の意識の変革を…

もうちょっとやっぱりお金を出さないと、良いものは作れないんじゃないかとか、もうちょっと作品一本一本を大事にしないとアニメは盛り上がらないんじゃないかという意識は持っています


このトークイベントの一部は、以下の動画から観ることができる。

アニメ業界に未来はあるのか?ヤマカンが今のアニメ業界の図式を説明 by EXIT エンターテイメント/動画 - ニコニコ動画

ヤマカンブログでのトークイベント後の補足

山本寛 - ゴールドラッシュ - Powered by LINE

http://anond.hatelabo.jp/20161229172137

気持ちはわからなくもない。

二次創作物製作者は他人の褌で相撲を取っているということをもっと認識したほうが良いと思う。

もちろん購入側も。

絵師とか言われててても所詮パクリからなぁ。

2016-12-28

映画この世界の片隅に」が教えてくれた漫画映像化の道

  • 一つ目。

まず漫画の絵が動いている、ということだけで感動できるという感想が多かった。

これがアニメ化における利点だろう。

実写ではハードルがあがる。ただ中には「お前原作通りだな!?」っていうサプライズもあるので捨てがたい。



映画この世界の片隅に」においては動く人物たちの背景に拘ることで、漫画以上のリアリティを加えた。

実写の場合ロケセットを立てる。または舞台があるなら映画ピンポン」を江ノ島で撮ったように、現地で撮ればいい。小道具も使える。

アニメ場合、実際の風景を取り込むことで可能な「君の名は。」新海監督や京都アニメーション技法存在する。

ただ、映画この世界の片隅に」を今の呉や今の広島で撮ったところで意味が無い。カラー写真ほとんどない。

再現できたのは『作品への情熱』のおかげだろう。

アニメ限定で出来るとかは思わない。実写もCGを駆使すればいい時代になった。役者演技力も年々上がる。

情熱は、どうか?昨今減ってはいいか



  • 三つ目。

これが最重要だ。

たびたび原作通りにするかしないか論争が起きる。特に映画化場合は2時間に収めるために原作カットしなければならない。

映画この世界の片隅に」はどうだろうか。

決して、全くの原作通りというわけでは無いと思う。史実に基づき原作おかしなところは直しているし、微妙ニュアンスを変えた台詞存在する。

またエピソードを大きくカットしている。これは原作ファンには何故?と言われていたが、カットするには正解の場所だったし「無かったこと」にはされていないのが印象的だった。

確実にここに何かが合った。しかもそれをアピールしてくる。抜けている何かがある。なんだ?という疑問が見ている最中にでも起きる映画がこの作品だ。

あえて重要エピソードを抜き、あえて抜いたことをアピールした。(それが原作大人買いとか、カットしたところを見せてくれ、という新しい商売を生んでいる。言い方は悪いが)

監督のワザでもあったし、全てが上手く行くとは思わないが、時間が収まらない漫画映像化の際には、こういう風に映像化すればいいのではないか

原作ファンも一番納得のいく形になりそうだ。



  • 四つ目。これは三つ目と被るのだが。

原作ファンをないがしろにしてはいけないということだ。

映画バクマン。であるスタッフはこう言っている。「原作ファン割合は2~3割」「原作を読んでいる人の倍以上が映画館にくることが多くて、読んだことのない7~8割の人に『ああ、この原作読んでみたいな』って思ってほしいんです」

しか果たして映画バクマン。」の出来は置いといて原作ファンの反応はどうだっただろうか。

映画バクマン。」は原作ファン以外からはソコソコの高評価を受けたが、原作ファンの反応は微妙だった。

興行収入は人気ジャンプ漫画を使った期待に比例せず、続編を作る目安には届かなかったため、監督は残念な声をあげていた。

スタッフは売るために原作とあえて違う設定を選んだらしいが、売るなら原作通りが良かったのではないか

作品評価している人は原作と違うところを褒めていたが、作品性を高めるために違うものを選んだわけでは無いのだろう。

映画この世界の片隅に」はクラウドファンディング製作された。もちろん監督ファンもいるだろう。

しか圧倒的多数が『原作ファン』であろう。

その原作ファン(約3000人)が先行的に鑑賞し納得し、SNSで具体的に宣伝した結果は大きなものとなっている。

そう。原作ファンは納得すれば宣伝してくれるのだ。納得しなければ、大きな批判をするのだ。人気原作とはどっちにしろ『大きな声』を生むのだ。

その大きな声をあげる2~3割を排除してしまって良いのか?

例えばスマッシュヒット作で100万人を動員したとして、その2~3割は何万人になるだろう。

果たして2~3割とは本当に少ないのか?

その何万人が大宣伝してくれたとしたら?その何万人が大批判したとしたら?

東宝プロデューサーは今一度考えを改めなおしてほしい。

ファンには悪いのだが映画ちはやふる」もあそこまでキャラ設定を変えなければ、原作ファンもっと宣伝してくれたのではないか

※あげている作品は少しマイナス評価したところで痛くはない高評価を貰っているもの判断していますが。



原作大事に。原作に、愛を。

2016-12-26

アニメジョジョ4部が製作費のわりにコケ理由を端的に言うと「分かりづらい」

1部、2部は王道漫画

盛り上がるところも見てる方も分かりやすい。

吸血鬼なのに銃で撃たれても死なない、とかはジョジョ知らない人間でもその場面だけ切り抜いて見ても分かる。

波紋を食らうと吸血鬼死ぬってのもそれ以上難しくならない設定なので1回聞いたら理解できる。

要は波紋をどう当てるのかというのを待って見ていればいいから毎回波紋をヒットさせるという盛り上がりからの着地点が分かる。

まり盛り上がるところが分かりやすく乗れってこと。

これはかなり重要

 

比べて、スタンドバトルがメインになる3部からは、毎回敵が出てくるたびに特殊能力持ちとの超能力バトルになる。

敵の種類も多いので毎回違う特殊能力を覚えなきゃいけない。

これが視聴者負担になる。

漫画なら自分のペースで読めるがアニメだとリアルタイム初見理解しないといけない。

これが楽しむための障害になる。

幸いなことに3部の特殊能力は分かりやすい。

水を操れるとか超スピードとパワーとか炎を操れるとか剣裁きがすごいとか、砂を操れるとかとにかく理解やすく分かりやすい。

敵の超能力にしても人形を操るとか実は本体が船だったとか予知能力とかピストルとかボスは時を止めるとか、

まあ、一般人でも想像で考えそうな範囲超能力だよね。

から何となくオチ想像できたし決着も分かりやすくて盛り上がれる。

その点、主人公の承太郎スタンドが超パワーとスピードなのも分かりやすくていいよね。

からこれも分かれる範囲作品だった。

1部が北斗の拳パクリでその流れをまだ3部までは残していたから基本オチもちゃんとスタンドラッシュお約束を守ってきたと思う。

ラストバトルのラッシュ合戦だけ切り取っても超能力ですごい戦いしてるってのは伝わってくる。

 

ここまで言うともう理解したと思うけど4部はとにかく分かりづらい。

物を直すという能力クレイジーDからしてまず直す能力を頻繁に拡大解釈する。

普通感覚だと戻す能力ミサイルとか体を引っ張るとか言われてもピンとこない。

せいぜいバイクをバラバラにして避けて直してまた走り出すくらいが一般人初見感覚ボーダーだと思う。

これも漫画だと自分のペースで読めるからいいけど、初見リアルタイムでかみ砕かないといけないかハードル高いと思う。

絵を見せると本にして無力化とか紙に物を閉じ込めるとか鉄塔とか養分を吸収するとか擬音を貼り付けるとか正直分かりづらい方の能力結構出てくるわけで。

吉良の触った相手を「爆弾のものに変える」っていうのも感覚的に理解できてない人もいるんじゃないだろうか。

接触爆破型と起爆型も使ってくるし、シアーハートアタックも使うし、バイツァダストなんかとにかく分かりづらいだろう。

まり理解してない状態でバトルが進行するから盛り上がれないのだ。

単純な答えと着地点になれないため万人を盛り上げてくれない。

それが4部が金使った割にコケた最大の原因。

これは根本的にはスタッフのせいじゃない。

やたらややこしい超能力バトルを書いた原作者荒木が悪い。

だがアニメ化するに当たっては分かれるように何らかの補助をしなければならなかったのは事実だろう。

制作者たちが勘違いしたのは再現すればそのまま勝てると思ってたところだろう。

でも余計なアニメオリジナル要素も挟んできたり、そのまま再現してるとも言えないわけだが。

また、ジョジョアニメ解釈を優先させすぎなところも足を引っ張ってきたと思う。

個人的には「出しな・・・テメーのキラー・・・クイーン・・・」はもっとトーンが低くてこれから西部劇のように決闘を行う、

ラストバトルが始まるような張り詰めた演技を期待していたが、出てきたのはいつも普段の演技と同じものだった。

こういうところでどうも自分の期待していたものとズレてるなという気がした。

 

全体的にアニメ4部の出来は完成度が高くアニメの質という観点からは良い物ではあるが、

いかんせんバトルパートが分かりづらい。

この分かりづらさが売り上げに響いてきていると思う。

盛り上げられるところで一緒に乗れなかったら冷めてしまう。

もう少し原作が分かりづらい内容だということを予見していれば何か対策ができただろうが、

これに関しても荒木アドバイスするべきだったと思う。

 

PS:

5部は4部の反省をした荒木が作ったものなので割と王道漫画の部類だから4部よりはやりやすいだろうが、

やはり分かりづらい能力は出てくるのでいかにそれを伝えやすくするかがポイントだろう。

2016-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20161223120611

トレーサーってまさに頭空っぽヘテロには分からないけど少し知識ある人には分かるようなレズビアンアピール最初からなされてたキャラ

制作者がキャラの中にLGBTいるって宣言したときにほぼ半確定でトレーサーがレズビアンだって認識プレイヤー認識だったと思うけど……(世界観考察やってる人は特に

というか製作者がLGBTいるって明言した時点でそれなりにLGBT特にレズビアンコミュニティレズビアンカルチャーステレオタイプ描写のことを知ってればトレーサーがビアンバイかはすぐ予想付くと思うんだけどなぁ

しろショートカットそばかすあって片耳ピアススポーツマンタイプって悪い意味レズビアン露骨すぎるステレオタイプ描写でこれでレズビアンじゃなかったら、眉毛整えてて短髪でローライズボクサーブリーフ履いてて体鍛えてて体のラインピッタリのタイトな服来てる男だけどノンケキャラですくらいの衝撃

(もちろんこれは歴史的創作物等でLGBTが同表現されてきたのかを話しているので現実には十人十色LGBTがいるのはあたりまえ)

今回のコミックで初めてトレーサーがレズビアンだと知って驚愕したと抱くような人はLGBTカルチャーコミュニティを知らないだけでなく

どのようなレッテルLGBTが語られているかすら知らない無知無知無知だよ

 

日本百合アニメに毒されてレズビアンがどうステレオタイプな目で見られ偏見歴史があったのか知らないのかもしれないけど良くも悪くも

・片耳ピアス

そばかす

スポーツ好き

ゴルフ好き

サッカー好き

テニス好き

中指と薬指に指輪

すっぴん

・すね毛処理してない

トラック乗ってる

・チェックのシャツにズボ

などなどステレオタイプ表現があってトレーサーがノンケならそれはそれでとても斬新なくらいにはトレーサーはレズビアン表現にまみれたキャラだよ……

[] #10-2「サンタプレゼント争奪戦

きたるイベント当日。

アトラクションに使われる大掛かりなセットがスポーツ施設にずらりと構えらている。

今回は製作者の興がノリすぎたのか、かなり大規模かつデザインも凝っている。

まあ、参加者にとってはプレゼントのための障害しかないのだが。

弟たち参加者の目はマジで和気あいあいとした雰囲気とは裏腹に立ち振る舞いはトップアスリートのそれである

「マスダ、今回ばかりは知恵はもちろん、手も貸さないよ」

「ああ、俺も同じさ」

「最新の防音耳当ては僕のものさ」

いつもは弟と共にいる仲間たちも、今回はライバルだ。

私、女だけど、淑やかさは目的の前には無意義なの」

タオナケもいるということは、恐らくドッペルもいるのだろう。

変装しているのか、俺たち家族のいる観戦席からだとよく分からないが。

シロクロはというと、年齢不詳かつ体格も成人男性と変わらないということで参加を拒否されたらしい。

そうして参加者が出揃い、観戦席も埋まり始めたところで、いよいよ開催のアナウンスが入る。




まずは市長イベント関係者挨拶、注意事項の説明であるが、参加者である子供たちはもちろん大人たちも聞いていない。

当人たちもそれは分かっているのでテキトーなことを言って済ませたいようだったが、町おこしも兼ねているのでマスメディア意識した適当なことを言わないといけない。

「以上で注意事項の説明は終わります。次にこのイベントに欠かせない、サンタさんの登場です!」

スタッフが手を向けたさきの扉近くからスモークが吹き上がる。

そこから勢いよく、如何にもな格好をしたサンタトナカイに乗って登場する。

「ホッホー!」

俺の記憶ではサンタが乗っているのはソリで、それを引くのがトナカイのはずなのだが、第1回からこの調子だったので今さら変える気もないのだろう。

「数々のアトラクションを潜り抜け、サンタのもとへゴールしてください。では……」

弟たちが構える。

空気銃の音を聞き逃さないよう必死だ。

「……スタート!」

空気銃の発砲音が響き渡る。

ミミセンは、その音にやられてしまって開始早々ダウンした。

かくして、プレゼント争奪戦の幕が切って落とされた。

(#10-3へ続く)

2016-12-23

任天堂2017年に期待です

時は2013年

ファイアーエンブレム覚醒』が北米EUを中心とした欧州並びに豪州地域にて発売される。

ファイアーエンブレムシリーズの売上低迷もありシリーズ最終作となるはずだったこの作品シリーズ集大成として国内及び海外で大ヒットし

特に国外ではシリーズ歴代最高の売上となり次回作製作に繋がった。

しかし全世界累計販売数およそ200万本のうちのおよそ8割を占める海外にてある疑問が生まれる。

『どうして同性と結婚できないの?』これが、親が安心して子供に買い与えられるゲーム会社任天堂」、アメリカ市場独自存在感のある「Nintendo of America」のブランディングにどう影響するかおそらく任天堂のお偉いさんは何も分かっていなかっただろう。

その疑問というのももっともであえて言うなら「普通」の疑問だったのだ。ソフト売上の8割を占める北米EUを中心とした欧州地域豪州地域では

同性婚同性婚に準じるパートナーシップ同性愛者同士の関係性の承認がその殆どの国で存在してそれがもはや日常で「普通」だったからだ。

 

 

時は2014年

ソチオリンピックに伴う反同性愛法で国際社会から強く非難される中任天堂が口を開けた。

「どのような形での社会的主張も行うことは意図していません」

「異性婚しかないのは、現実世界再現したというよりは、ちょっと変わった、愉快なもう1つの世界からです」

これは3DSソフトトモダチコレクション新生活』にて同性婚が出来ないことに対して任天堂が行った主張だ。

後に任天堂は自社の過ちを認め新作のトモダチコレクションEqual Marriageを導入すると回答した。

 

 

時は2015年

ファイアーエンブレム覚醒』にて息を吹き返しSRPGとしての地位を再び勝ち取ったファイアーエンブレム最新作『ファイアーエムブレムif』にて同性婚が取り入れられる。

元々BL百合的要素や近親や獣姦要素のあったゲームでありやっと任天堂Equal Rightsな態度を示してくれるのかと沸き立つ。

ちなみに2015年度には任天堂の社内規定での人権方針の変更がありLGBT差別しない姿勢明確化したと任天堂公式ホームページ記載されている。

 

  

時は2016年

ファイアーエムブレムif』が海外で発売される。任天堂のあまり無理解配慮燃える

海外プレイヤー日本語版四苦八苦しながらプレイしたところ、レズビアンと誤解したキャラ(実際はバイセクシャル)への異性愛への矯正シーンがあるとして炎上。後に撤回

また頭なでなでやバイセクシャルキャラだけなぜか色情魔の設定だったりジェンダー的古臭さが目立つこととなった。

実際、『ファイアーエンブレム覚醒』では男同士で何考えてるんだとか女同士は過激だとかいセリフが平気で出ていたりするし、『トモダチコレクション新生活』でのあまり配慮のない弁明をしたり

既に任天堂は反LGBT的なホモフォビックな企業としての下地が出来上がっていたのだ。

 

 

現在ゲーム市場には多様なゲーム存在する。

オーバーウォッチにはヒーローが沢山登場するがその中でも主人公級の扱いを受けるキャラレズビアンだと判明した。オーバーウォッチ製作者もヒーローたちの中にも数人のLGBTsがいることを明言しており、単なるラブロマンスではなく公平に描くと製作者は語っている。

またウィッチャー3ではキャラメイクできず男女のロマンスであるが、主人公ゲラルトは物語の中で異性装をするキャラと協力したり、また舞台設定ゆえに苦悩するLGBTも描かれている。特に前触れもなくいろんなクエストの1つとして自然に。

またラスト・オブ・アスではゲイキャラクターエピソードも描かれており、DLCでは過去エリーの極限状態におけるクィア体験が描かれた。

 

 

そして2017年

任天堂switchトモダチコレクションの新作が来るだろう(と勝手に予想してる)。まさに任天堂の『企業の社会的責任』が問われることとなる。

任天堂CSR(企業の社会的責任)を自ら掲げる企業のうちの1つだが、2017年任天堂はどのような形で私達に見せてくれるのだろうか?

子供同性愛者の前で「子供教育に悪いか同性愛表現はしない」と言うような自民党もびっくりの価値観北米欧州オセアニア地域での展開をしないことや

また、任天堂LGBTクリエイター自分能力を思う存分発揮できるような環境になることを祈るばかりです。

2016-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20161222011801

別に海外日本評価がずれるのは構わんのだ。

しかし、その違いを認識できていないのはいかにもまずい。

とくにプロであるはずの評論家製作者が認識できていないのが露呈してしまった。

この状況はすごいまずいんだよなぁ。

ゲハ化する第一段階に入り込んでる。

2016-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20161221211105

こういう意見言う人がいてもいいと思うけど、それはどちらかというとオッサン・オバハン的な

「既に自分にとって心地よい音楽がどんなのかわかってる」人の意見だと思うね。

一般リスナーほとんどは「自分にとって最適」の基準すらわかってないのが大多数だと思う。

しろ10代~20代前半くらいの人にとっての音楽って「こんなのあるんだ!すげえ!」っていう驚きを欲しくて聴くもんじゃないの?

一般向けに同じような製作ツールができたせいで、どれ聞いても同じような音作りしかしてないなら確かにわざわざ高音質で聴く価値はないだろ。

枯れた感性の人にはわかんないだろうけど、いつの時代若い世代自分想像を超えてびっくりさせてくれるすげえ人を求めてるもんだぜ。

結局アニメは売り上げが全てなんだよなあ

批判に対して「ならお前が作ってみろ」って製作者が最も言ってはならない言葉だと思うんだけど

あれだけ売れれば許されるんだなあ

同じことヤマカンが言ったらフルボッコだろうになあ

結局アニメは売り上げが全てなんだな

2016-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20161220133546

ガラスの仮面みたいなど根性で這い上がっていくサクセスストーリーはもうゆとりには受けないんだよ。

ラノベにどっぷりつかった読解力のないゆとりに受けるのは




・深くないけど妄想余地のある記号的なキャラ設定

天才肌だけど自信のない内向的主人公優越的な感情移入対象

・傍目にはものすごく軽いんだけど本人的には深いっぽい懊悩

・さんざん煽っておきつつも「これは同性愛じゃない」という逃げ道

・どっかで聞いたような安心できる話と設定。




こんなとこでしょ。

同じく11話まで見たけど、製作者のゆとり脳全開って感じだったな。

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