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2016-05-23

今盛り上がっているアイドル文化叩きを見てると

オタク叩きが無くならない理由がよくわかるよね。

事情を全く知らない奴の偏見に満ちた嫌悪感を発露しても誰もとがめるものはいないし、またそれが賞賛されたり支持を集める。

オタク叩きがなくなるってことは、今アイドル文化をよく知らないまま適当に叩いてるような奴らがいなくなるってことだ。

インターネットにはその分野ごとのオタク大勢いてそれぞれ小さな集団を作ってるけど、特にアニオタが最大派閥から、よくアニオタに対する雑な言及は咎められるけど、他の分野に対してはネットマジョリティは冷淡もいいところだ。

しろありえないほど雑に言及して、マジョリティ内での支持を集めて、マイノリティを叩き潰している。

全員がかなり高いリテラシー言論に対する謙虚さを持てば、こういう雑な叩きは無くなるけどさ。

それに言及出来るだけの知識と教養がまず前提にあって、同時にそのもの自体をよく理解してはじめて一定の水準を満たした言及ができるんだけど、

誰でも自由に思いついたことを無責任に書き込める今のネットでは不可能だし。

ブコメなんてスター偏見が増幅されるシステムだしなおさら酷い。

もしくは全員が口をつぐむか。でもそんなの無理だよね。




今回のようにある一件がきっかけで、アイドル文化に対してネットマジョリティ内でなんとなく感覚的で雑な偏見に満ちたヘイトが溜まってる様子が見られたけど、それはマジョリティに対してもそうだからな。

マイノリティ側はマジョリティに叩かれたことを忘れない。それが感覚的なヘイトへとつながっていく。ありがちな憎しみを連鎖だがそれが本質だ。

2016-05-22

痛い目を見たら分かったこと

恋愛関係で初めて痛い目を見た。本当に好きな人から振られたわけである

相手には「幸せになってね!」と言ったが、凄く未練がましく涙が止まらない。

(最も、幸せになってほしいのは事実なのだ・・・)

自分は今まで、振り続けていた立場だったというか、反省も何もしないご身分にいたので本当にショックが大きかったというか三週間なき続けていた。

そこで自分ダメだった点を見つけた。

1.謙虚さを失っていた

→これは、人間関係もそうなのかもしれないが、一番は全てにおいて「学ぶことに対して」謙虚さを失っていた。

2.見返りを求めていたのではないか

→見返りを求めるのは愛情じゃないと身を持って知る。相手にされた最低な行為の後に見返りのない恋愛大丈夫なのかと疑問になったが、一周回って見返りは求めないのが普通であると学ぶ。

3.意見を聞けなくなっていた

謙虚さを失っていたのでそうなるのは当たり前

以上を気づいて改善しようと全力になったら1番と2番はすぐに考え方の改善できたようである。三番はわからない。

相手のことを本当に思いやって付き合えなかったことを本当に後悔している。今は冷静に相手の夢に対して応援もする。今はただただ遠くから幸せを祈るしかない。

未練がなくなったと嘘をついたけど・・・

2016-05-15

老けたい...

老けたい

というか貫禄をつけたい。

アメリカで働いているんだけど、実績と経験に対して自分評価が低い。たぶん実年齢よりだいぶ若く見られてるんじゃないだろうか。

技術的な所はごまかしがきかないのでわりと評価されるんだが、リーダーシップとかマネージメントとか、どうとでも評価できるところが低い。あきらかに自分よりマネージメント力の落ちる老け顔の奴が評価されていたりする。

もう40代半ばなんだが、アジア人が若く見られるアメリカではたぶん30代に見られていると思う。下手すると30代前半だと思われているのかもしれない。

白髪全然なくて髪の毛もふさふさなのも問題なのかもしれない。

まわりからは「優秀だけど、未だ若いからマネージャーとしてはこんなもんで」とか思われているような気がしてならない。今年もプロジェクト成功に導いたが、口ばっかりで全然すすんでいない奴の方が評価が高い。

たぶん見かけだけじゃなく、日本人的な振る舞い(遠慮したり、人を立てたりするところ)がときたま出る辺りも、経験不足故の自信のなさと見なされるのかもしれない。自分は、日本人の中に入ると傲慢な方くらいのもんなんだが、アメリカ人の中に入るとそんな自分でさえも大人しい謙虚なやつになってしまう。

ヒゲをはやしたり、なるべく低い声で話したりしてみた。(男性英語の音声は日本語より大概低いので、日本語と同じ発音だと甲高く聞こえてしまう)多少の変化はあったような気がするが、遅い。遅すぎる。

貫禄つけるには太るのが手っ取り早いのだが、血糖値とかコレステロールとかおっさんなりの数字なので体が心配だ。

いっそはげちまうか。どうすりゃ毛が抜けるんだ?

2016-05-13

早乙女あこを百合にしたい人たち

アニメキャラ百合を好む人が「百合に男を混ぜるのはクソ」とか「同性愛者を異性愛者に矯正しようとするのはクソ」という発言をしてるのをよく見かける。

でもその一方で異性愛者を同性愛者に矯正しようとすることについては喜んで奨励するんだなあって

アイカツスターズ早乙女あこに対する反応をTwitterで見てて思った。





早乙女あこはいわゆるノンケで、男性アイドルであるところの結城すばるが大好きなキャラクターだってことがはっきりと描かれていた。

なのにその事実をことごとく歪めて無理やり同性愛者、レズビアンに仕立て上げようとする感想妄想が多数を占めていて正直引いた。

あこの恋路を応援しよう、あこの人となりを素直に肯定しようなんて感想はほぼ見かけなかった。

結局この人たちキャラクターなんてどうでもよくて百合っていう記号が好きなだけなんだなと思った。





まあ早乙女あこがバイセクシャルだって可能性もゼロではない妄想するのはもちろん自由なんだけど。

あなたのその早乙女あこに対する発言って、あなたがいつも嫌ってる百合男根で引き裂く行為とどこが違うの?と思った。




※追記・返信



別に二次創作性的志向勝手に曲げるのが正道だとか言ってない。やることについては否定しないしやりたいなら謙虚姿勢でいるべきだとは私も思っている。



・一緒なのがわかってて同時に自分にとって嫌な表現存在も認められるなら良いと思う。



・断言してることで言及してる百合好き達と同列視されるのはちょっと、かなり不服だな。そもそも6話を見た時点でわかりやすく手に取れる事実を書いたに過ぎない。

すばるが好き→恋愛対象男の子ってごく自然に考えられることだと思うんだけど、そんなに狭量な考え方だろうか?

そんな考え方をするやつは前時代的な性差別者だとか言われるようなら謝る。

まだ人となりがほとんどわからないのはその通り。だから女の子を好きになるような可能性もゼロではないとも書いたはず。





百合好きの人たちはみんなそうだと決めつけるようなきらいがあったかもしれない。それは悪かったと思う。

2016-05-11

今年中にやりたいこと

性器他人に見せるシチュエーションで言おうと思う。




「迎え撃つモンスターは…こいつだ!

 モンスター、とーじょー!!!

 シュガガガガガ…バン!

 謙虚曲者おちんぽ CHINPO !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

2016-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20160509184227

自律型感動人間とは、自ら考え行動し、その結果に責任を持ち、周囲の人たちに感謝できる人。

その基礎となる力を秘めているのは「謙虚な方(自責で考えられる方)」「人に感謝できる方」

「感動できる方」です。

・自ら考え、行動することができる人間

他人幸福に役立つ喜びを感じることができる人間

・成長し続け、自己実現を図ることができる人間

2016-05-08

コミュ障コミュニケーションについてまとめてみた

コミュニケーションとは

コミュニケーションとは、自分相手との知覚器官を通じて情報を交換しあうものである


コミュニケーションに対する誤解

コミュニケーション情報を交換しあうものなので、話している内容のみに依存するわけではない。

出会った場所出会ったタイミング、顔のバランス、二重か一重か、鼻の高さ、唇の大きさ、歯が出っ歯か、歯が綺麗か、表情、姿勢、歩き方、立ち方、ファッション髪型、髪は綺麗か、眉は整ってるか

からまり

聞き取りやすいか、どもっていないか、声の高低、話す速さ、声の抑揚、ぶりっこしていないか鼻声か、今どういう話の流れなのか……などを経てようやく「言葉による情報交換」がスタートするのである

これは意識して行っているわけではなく、その人間が今までの人生で得た経験本能などをもとに、1秒未満で人を分類しているだけに過ぎない。



「そんなの嫌だ、見た目で判断するな」と思うのは人の勝手だけれど、これはどうあがいても覆らない事実であるので、時代が変わらなければ変わらない。

嫌なら自分時代を変えろ。大抵の場合自分を変える方が楽だ。



それはともかくとして……したがって、話している内容は見た目に比べるとかなり重要度が下がる。

この見た目というやつは、イケメンだとか美人だとかそういうことではなくて、もっと汎用性のある、『好感が持てるかどうか』というもので、イケメンじゃないからどうだとかそういうもの関係ない。

有り体にいうと、この段階で「好き」「嫌い」のどちらかに分類される。

「好き」に分類された場合

コミュニケーションイージーモードになる。相手が寄ってくることで、自分は受け入れらていると安心することができて、そうして落ち着いた言動を取ることができる。

あとはこの「好き」を増幅していくといったノリ。

「嫌い」に分類された場合

不幸にも「嫌い」に分類された場合は、コミュニケーション難易度高まる一般的な人は「やや嫌い」ゾーンから始まるので大抵難易度が高い。

そうして長期間コミュニケーションによって「好き」だの「やや好き」だの「嫌い」だの「死ね」だのに分類されていく。

「嫌い」に分類されるとコミュニケーションが本当に難しい。

なぜなら心を開いてくれないので、どう話しかけても、何をしても、余計嫌われるだけだからだ。こうなっては誰にも止められない。

もっとメタな、間接的なコミュニケーションによって好感度を地道に上げていくしかない。


心が開いているかどうか

人間に対して心が開いているかどうかというのは、ものすごく重要である

結局「どこまで心を開かせるか」というのが最終的な目標である

これは「好き」とか「嫌い」とかそういう次元を超越したもので、「いないと死ぬ」という究極の依存である。要は相手脳内自分という麻薬をどれだけ注入できるかということに近い。

悪く言えば、犯罪ではない精神操作である


心の開きによる対応の変化

「好き」に分類されると、相手は心を開きやすくなる。

一般的に、心を開いてる(ように見える)人間は、顔がどうであれ好かれる傾向にある。

「いい天気だよね」「今日こんなことがあったよ」「いま散歩してる」「見てこの景色綺麗じゃない?」「ご飯作ったから撮った!」などという発言は良い傾向である



たとえば「ご飯作ったから撮った!」というのは、「あなたわたしがご飯作ったっていうわたし生活状態の一部を見る権限があるよ。そしてそれを見てなんらかのリアクションわたしは求めているよ」の省略表現である

「おいしそうじゃない?笑」は「おいしく作れたと思うんだけど、あなたはどう思いますか?肯定を望んでいるけれど」の省略表現である

なので全然親しくない人間に対して、こういうことをする人は少ない。

もし親しくない人間にされたら間違いなくこう思うはずだ。「で?知るか。死ねよ」と。

親しい人間からされたからこそ「おー!すごい!おいしそう!」とか「可愛いしか料理できるとか。嫁にしたい」とか思うわけ。



余談だがここから一般人のくせに生活状態パブリック晒しまくる女は、簡単にヤレる。そしてメンヘラである」と導出可能

個人的パブリカビッチ呼称している。



心の開き具合が違いすぎるとどうなるか

心の開き具合が違いすぎると、コミュニケーションギャップが生じてくる。

「ご飯作ったから撮った!」「で?知るか。死ねよ」というのはまさにそれだ。

コミュニケーションを円滑にするためには、相手の心の開き具合を見極めて、そうしてその少し上ぐらいを自分が開くことで、良いスパイラルを生み出すことができる。



コミュ障の1つの指標として、『これを知ってるかどうか』というのがあると思う。



基本的無意味に開きすぎると、「キモい」「死ぬほど嫌い」と思われる。


心の開き方

こんにちは」一つで好きか嫌いかが別れる

こんにちは……」

「こんにっちわー!」

「ちーす!」

「ちわわーす!」

「ちわわーん!」

「こんちわ!

こんにちは!」

「こーんーにーちーわー!」

こんにちは。」

こんにちわ〜」

「こ…こんにちは……」

と、文字だけでもこれだけの表現の違いがある。つまり、話の内容よりも、話し方の方がよっぽど大事なのだ

こんにちは……」なんて、どう頑張っても好印象にはならない。たった2文字余分についただけなのにだ!

相手が超イケメンでも、これのせいで「は?根暗かよ」と、好感度がかなり急降下する。その後はもうひたすらdisる箇所を見つけられていって、最終的にあぼーんするだけだ。



言葉が同じだからといって、意味や想いまで同じだと、思うなよ。



こんにちは」だけで惚れさせる気合でいく

少し前にあいさつの魔法かいうのがはやったけど、ほんとうにこれは魔法的な効果があるものだ。

元気いっぱいにこんにちは!というだけで、「あ、この人はいい人なのかも」と思わせることができる。そうして勝手に心が開かれる。

現代人は基本的に元気がないので、元気がある人はレアキャラなのである

みんなレアは好きだ。しかも元気をもらえるような気がするからなおさらだ



ただこれは存外難しい。なにせ、自分はそんなキャラではないから、とてつもなく恥ずかしいし、あいつどうしたんだなんて思われたくもないからだ。

そして継続するのはもっと難しい。なにせ元気ではないからだ。

ひとまず、普通に挨拶すれば、好感度が下がることはない。

もし下がったとしたら、それは相手が歪んでいるので、心配することはない。これはもう徐々に変えていくしかない。


自分が心を開く(ように見せかける)方法

ぼくはコミュ障だったので、心を開くとかいもの意味がわからなかった。

お菓子の交換」とかも、全く意味がわからなかった。

「食べたいなら自分で買えばいいじゃん。なんでシェアするんだ。あほなの?」と思っていた。



だがあれはリア充による『友情確認システム』の一環である

お菓子の交換」は「お菓子食べたいから」ではなく、「お菓子を交換しあうことができるぐらいの仲の良さを確認し合うコミュニケーションフレームワーク」なのである

から「ガムいる?」は「俺おまえとちょっと仲良くなりたいって思ってるよ」という意思を示しているわけだ。

だって、嫌いな相手にガムなんて渡すか??!!



なので「いやいいよ笑 今はガム食べたい気分じゃないし」などと拒絶すると

「拒絶された!」と思われて、相手自分に対する心の開き具合がかなり緩やかになるわけである

ガムがほしくなかった場合は、「いやガムはいいや。グミだったらもらったけど笑」と言えば、「お菓子の交換を拒否されたわけではない」と思われて、軋轢を生まないのだ。

実際のところどうなのかは、とんと知らんがね!!!



こういった、リア充先天的に獲得していて自然に行っているハイレベルコミュニケーションは、後天的に獲得したコミュ障にとっては、ものすごく難しいものである

それはコミュ障をジェネレートするような家庭に育った自分を嘆く他ないが、コミュ障になってしまったものはしかたがない。



ただ知ってしまって身につけてしまえば、そのリア充よりも上をいくことになる。

リア充は拒絶されるとただ傷つくだけだが、後天的に身につけた人は「あ、今そのレベル了解です」と思うことができるからだ。


信頼関係構築システム

そもそもなんで信頼関係を築くのか

信頼というのは、極めて重要だ。

なにを成すにしても、相手を疑っていてはキリがないからだろう。

横断歩道で青になったから渡ろう」というのは、「今ここにいる車を運転している人は、少なくとも赤信号ときは止まってくれるだろう」という信頼の上に作られた強固な信念である



ぼくは人なんて大体信じていないので、車の運転手の顔と仕草、車のスピードを必ず確認する。

道行く人のこともこれっぽっちも信じていないので、いつ刺されるのか戦々恐々としている。もうこれは病気の域なので許してほしい。

ただそんなぼくでも、状況によっては信じていることもあるので、もうなんか、毎日波乱万丈で命がけめいた生活を送っている。

これはこれでアドベンチャーめいて悪くはない。

信頼がなければ何もできない

さっき書いたみたいに信頼がなければ何もできないので、人と人とで信頼関係を結ぶのだ。

結局そこが重要だ。

人は他人に対して「自分人生を預けられる人か」「全部委ねても問題のない人か」というのを求めているわけ。



ぼくはそれは大嫌いだ。自分人生を人に委ねるな。お前のことはお前が決めろと思う。嫌なら俺に食われろと。代わりにぼくはきみに愛をあげるから

コミュニケーションほとんどの場合かなり難しい。

特に万人受けするようなコミュニケーション手法はない。ある人にはバシッと一致したやり方が、別の人には全くヒットしないことも数多ある。

整形したけど好きな人には見向きもされなかったということもあるだろう。おもしろ悲劇だ。

でも一般的にはすべてのコミュニケーションは、この上に書いたような概念で成り立っているとぼくは思っている。

かなり抽象的なものだが、この概念を体得することによってコミュ障コミュ障でなくなれると信じている。



ぼくはこれらの上に書いたことを自分人生経験によって後天的に獲得したけれど、未だ極致には及んでいないと思っている。



でもそれでも、昔のぼくみたいに、コミュ障で苦しみ抜いている人の、何か手助けになれば嬉しいと思います



ではでは(`・ω・´)

あ、あと彼女募集中です

追記

1

最初に言いたいのは、ぼくが書いたことは、かなり難しい概念であり、なおかつ多くの人間はこれを獲得できていないので概念的に新しく、サラッと読んだだけで理解できるとは思っていない、ということだ。

にも関わらず、読み易くしてしまったことは失敗だと思っている。

換言すれば、ぼくは、この記事対象読者の設定を、あまりにも高く見積もりすぎていたというだけの話だ。

そのような読者はとんでもなく少数だというのに、ぼくはかなり愚かだった。

これは猛省すべき点だ。



無知蒙昧な輩にとってぼくの文章は、ところどころに書いた「嫌なら俺に食われろ」とか「犯罪ではない精神操作」とか「そしてメンヘラである」とかそういった文言が持つ極めて暴力的な響きしか伝わっていないのだと思う。

ぼくの文体は、終始人を見下すような調子で一貫されているけれど、それはその通り受け取ってもらって構わない。おめでとうそれは真実だ。事実ぼくはあなたを見下しているのだから

ぼくにとって、この記事は「色んなひとに知っておいてもらいたいもの」ではなくて「愚鈍貴様に、俺様が授けてやろうと言っているんだ」くらいの気持ちで生成されたものだ。

したがって、ぼくが追記で言いたいことは「ありがたくこれを受け取ってお前の糧としろである。ぼくの文章は「ぼくがかんがえたさいきょうのコミュニケーション」という生易しいものではない。

この追記そのものも、やはり無知蒙昧な輩にかかれば、ただ見下されている不快文章として扱われるだろう。それは無知蒙昧なのだから、仕方ないことである

ぼくはかなり排他的だが、悪魔的ではない。それどころか紳士淑女的で優しく慈愛を持つ人間だと自負している。

したがって、まぁそんな輩はさておいて、けれど凡人においても、ぼくの言葉理解し難い点はいくつかあると思うので、それについては平易な表現言葉を言い換えて、以下3点、解説をしようと思う。

これらは慈悲深い猶予にすぎない。



2-1

ぼくの文章の多くは、人々にとって「読んでいても当たり前にしか聞こえない」ようなことがつらつら書いてあるように思われるのだろう、とぼくは考えている。

ただしぼくは、全く当たり前のことを書いていたつもりはない。

それはぼくにとっては呆れるほど自明なことだが、愚鈍に毛が生えたものにとってぼくは匿名の筆者であるということを考えれば、まずあなたがぼくのことを「価値のあることを言う人物だ」とみなす材料がないのだから、傾聴しようと(愚かにも)努力しないことは当然だとも思っている。



たとえば、

お菓子の交換」は「お菓子食べたいから」ではなく、「お菓子を交換しあうことができるぐらいの仲の良さを確認し合うコミュニケーションフレームワーク」なのである

から「ガムいる?」は「俺おまえとちょっと仲良くなりたいって思ってるよ」という意思を示しているわけだ。

だって、嫌いな相手にガムなんて渡すか??!!

という文章は、至極当たり前のように見えるだろうが、これは「ガムいる?」という表現は、「仲良くなりたい」という表現をするためのガムを媒介としているにすぎないというもので、

「ガムいる?」から開始されるコミュニケーションにおいて、『「ガム」が「必要か否か」』という概念は全く重要ではないことを示唆している。

「ガムいる?」が最初にあって、それが仲良くなりたいという表現なんだよということではない。

「仲良くなりたい」が最初にある。ガムは別に無い。ガムは媒介である

そしてこれはすべてにおいて適合する。ぼくは「お菓子の交換」とはこういうものだと、そんなことを大真面目に論じているわけではない。

お菓子の交換」の話は、依然として抽象度が低い。それぐらいは、たとえどれだけの馬鹿でもわかってほしいものだ。



やはりこの「たとえば〜」から始まって「〜ほしいものだ」で終わる文章も、読み易くなっているのが原因だろう、おそらく「ふーん」と読み流してしまうことができる。

それは、「知っている」から読み流しているのではなく、「よくわからいから読み流している」のだ。言葉の一語一語に再三注意して、かつ十分に日本語文法解析能力を発揮して、意図を汲み取ることがあなたがするべき仕事だ。


2-2

ぼくが書いたことは大変難しいので、あぁ、それはタイトルだけを見て脊髄反射的に「コミュニケーションってこういうものだよ」とあなたの考えを論ずるのは、それはあなた人生の数瞬なのだからどう使おうが勝手にしてほしいのだが、やはりもし少しでも聞く耳があるのなら(おそらく無いだろうが)、ぼくの書いた節ごとにあなたの考えを論ずることは上徳であろう。

何もぼくも、ぼくは完璧だと主張するつもりはない。ぼくは真摯意見には敬意を払う。なんならぼくの間違いを指摘してくれても構わない。ぼくはそれを受け入れる。

ぼくが予測しえなかったぼくの誤謬を暴けるほど優れた人々は素晴らしい人々だ。

2-3

彼女募集中について。

これはぼくが女であると見抜けなった間抜けを炙り出すための装置だった。


3

ぼくが自身コミュ障だと呼称したのは、謙虚さの発露だったというのに、それを論ってマウンティングするような人間には絶句しかない。

一度自らの愚鈍さと真摯に向き合ったほうがいいだろう(ただ可哀想に。向き合えることはない)



最後に思うことは、ぼくが最初謙虚に書きすぎたせいで、信じられないくら傲慢人間を引き寄せてしまったこともかなり失敗だった、ということだ。

それはやはりぼくが完璧ではないと書いたことにも繋がるが、その点に限っては今後も精進していきたいと思っている。



そしてぼくは、これらがあなたコミュニケーションの助けになりますように、と切に願っているだろうか。

2016-05-06

ま~た地獄のミサワ系か

ほんと多いな最近。俺こんなことしかできないけど困るわ~とか、

こんな自分が嫌になるとか言いながら謙虚オブラートを装って自慢する屑。

俺なんでもできるけどそんな自分嫌悪感って感じかな。気持の悪い方法を使うなと言いたい。

http://anond.hatelabo.jp/20160506094228

2016-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20160505005040

えっ、「謙虚にチマチマ振る舞ってる奴」ってのが「童貞だということがどうせバレてるいう甘えからビクビクと相手の顔色を伺いながら振る舞うやつ」ってことなら確かにあんまりよくなさそうだけど……。

デートの誘いもデート中の振る舞いも、童貞であることに甘えずに堂々とできる限り礼儀正しく、誠実に振る舞ってそしてはっきりと告白するなら悪くなくない? いや童貞からわからんけど。

anond:20160505004525

なるほど、たしかにそういうのもわかる気がする

だけど、自分童貞であることを自認しながら謙虚にチマチマ振る舞ってる奴と

いざという時男になろうと頑張ってあがいている童貞とどっちが魅力的に映るかは、女目線で考えてみ

たとえ失敗したとして、どっちのパターンで失敗したほうが得るものが大きいと思うかも考えてくださいな

2016-05-04

「驕る平家は久しからず」というけれど

さも当たり前のようにいうけれど、じゃあ驕らなければ天下はそのまま平氏のものだったんですかって話だ。

京への未練を断ち切り福原京に腰を据えて、謙虚にふるまい義仲との和睦がうまくいったとしても、せいぜい頼朝も迎え撃てますよ的な体裁まりだろう。戦力からして自分たちの方から鎌倉へ攻め上がることはできない。飢饉の続く時代でもあるのだから、無理はできない。

そのうちじわりじわりと西国へ押しやられ、天下など夢の話に終わる。

平家は驕らなくても勝てないんだよ。頼朝東国をまとめた時点で、もはや驕りがどうとかいレベルじゃない。

2016-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20160503224708

サラッと読んだ限り、他人バカにしてるのが態度に出ているのだと思う。

コミュ力問題じゃなくて、まず間違いなく性根の問題かと。

謙虚が一番。

2016-05-02

企業研究

企業研究

なぜ当社なんですか?という質問

何を研究するのか?項目を考えておく

限定して研究・・しなくてもよかった会社か?どうなのか?

あんまりムダな動きはしない方がいい

ピンポイントで選ばずある程度考える

自分に向いている会社を知ろう

幸せに生きたいのならばその行動が取れているか

会社=人の幸せに貢献する為の所

自分の中の幸せ休日は土日? 平日か?

サービス業・・土日は休めない。

自分安心できる環境に。

負けた人⇒大手に入れなかったではなく、社会に出て精神的に潰れた人

規模の大小は関係なく自分プライベートで考えよう。

仕事はつらくなるもの。その代わりプライベートを充実させる。

会社を名だけになるな。自分が笑っているからこそ、世の中の人を笑わせられる

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

上記の内容は相手に伝えることではない。常識は考えておこう。

A.やりたい仕事

B.やれる仕事

C.やりたいです/やれることがありますという仕事←ここを増やす

言葉の捉え方がポイント

事実感情論

ビジネスでは事実なのか感情なのか知っておけ

<近い・・遠い・・感情>

抽象表現区分する

疑え。 自分の捉え方を疑え!

抽象表現質問する! 論理的・・

カレーは好きですか?

何のこと? 何のカレーかわからない

謙虚質問しろ。上手く話せないから私はダメだと思うな。

コミュニケーション定義は何かわからない

コミュニケーション力≠プレゼン

捉え方を疑おう。 別物である

研究

ツールバーチャル(ネット)とリアル(インターン・OBOG、イベント)

基本的リアリティに触れた方が間違いない。

現場にいて、見ないと勝手な潜入感で考えてしま

ショールーム・・ふらっと行くだけでちょっと勉強できる

考える時に一番やりやす方法を考える

こういう所に行ったという足跡。展示会もある。

工場見学に行って情報を仕入れました⇒ホームページを見たというよりは全然良い

自分がその会社仕事ができるなという証明を見つけてくるべき

自分との共通点を探す

グループで協力するか⇒一人でやったことの方が多いので

企業メッセージから自己分析

自己分析するために企業へ行くんだぐらいの気持ちで。

ビジネスモデル

客のコミュニケーションは?

お客さんに合わせたコミュニケーション

相手にしているお客さんは誰なのか?

有価証券も見ておこう。

有価証券・・トヨタ リスクも。

第二章 業績等の概要

非上場企業には上場企業の第二章の項目を聞く、質問する

有価証券報告書・・上場企業のみ

横浜学生発言しな

2016-04-29

スキルのないクソボランティアにもできること

東北震災から3年後に行って、3年間開けてなかった冷蔵庫の中身を掻き出す作業をしたよ。

開けた瞬間もう全部真っ黒で何が何だかからない状態

ジュースのパックはかろうじて文字が読めるくらいで、ふくらんでブヨブヨだった。

卵も真っ黒でブヨブヨ、魚も魚なのかわからいくらブヨブヨ。全部真っ黒でブヨブヨ

もう腐ってるを通り越してて臭いあんまり感じなかった。

ただひたすらブヨブヨを掻き出していた。


でも自分には土木工事電気工事経験はないから、役に立つ仕事があって嬉しかった。

大工やってた人は荷物運びも迅速だしロープ結びも完璧だし、どの現場でも一線を張ってた。

電気関係の人はエアコンや室外機の取り外しとか、プロじゃないとできないことをやってた。

農業やってる人は危ないチェーンソーなんかも軽々使ってた。


やっぱりボランティアってそういう本業を活かせる人たちが9割方の成果を生み出すんだと思う。

俺みたいな何のスキルもないクソボランティアは、その人達の手足になって残り1割の仕事をする。

ボランティアとして胸を張っていいのは前者の人たちだよ。

でもこういう人たちほど謙虚で、人の何倍も仕事をしてるのに何一つ文句も言わないし要求もしない。

クソボランティアの方が口だけで偉そうにしてるなんてあってはならない。

クソボランティア自分がクソであることを自覚して、働かせてもらえるだけでもありがたいと思うべき。

2016-04-26

たかはてな美術部(というかブクマ

うわー昨日の昨日文句行ったばっかでまた中身の無い美術ブログが1000越えブクマ

深いとか言ってる残念な人達がのきを連ねていたけど、それ言うんだったら記事元に「部分と全体を同時に観る」という話や、

「回りこみの影の部分にはなお光あり」、とかもうちょい人生に引っかかりそうなワードがあるべきだった。

中身なにもないぜあれ。

ただ単にブログ主が形を取れなかっただけだし、先生主婦相手が大変で放置されてただけだし(これ巷の教室によくある)。

あいう時は石膏像でも上下左右の点と点を打って一挙に形をとったり、

ネリケシを使って面を出しながら形を最後に決めるなんて手法オーソドックスなはずなんですが。

先生それ最初に教えずによく見ろとだけいったの? まんま古吉先生とかが言ってるだめな美術教育じゃないですか。

俺なんかイラスト崩れで誰も相手にしない人ですけども、マジいいかげんにしろやと本物が声上げてくれませんかね。

俺が毎日ムカついてても正直そんなに偉そうにしていいもんやらわからんのですよ。未熟さをよくしってるから

またこれが厄介でね。ブログ主は至って謙虚なんですよ。当たり前ですよねデッサン数日なんだから

問題ブクマ。いい加減にしやがれ。悟った風なことばっか言ってんじゃねーぞ。

くっそ安いバーボンを渡されて、味に気づかないまま横の女の口説文句に代わりに講釈たれてんのと大差ねえよ。

2016-04-17

朝鮮人井戸に毒』に大騒ぎする人に私も言いたい

まず、くだらん書き込みをしてくれた自称保守諸君、どうもありがとう諸君行為によって、100年前の日本人の恥ずべき行為に対して、人々の関心が再び集まった。歴史直視することはどのような集団にとっても重要なことであり、ことに自分たちに都合の悪い歴史直視するのは勇気のいることである諸君書き込みのお陰で「震災虐殺」で検索する人々は増えたであろう。このような機会がなければ、どんどん風化していく過去であるが、極めてショッキングな形で、これを改めて日の下に引きずり出してくれた。感謝したい。

また、その上、現在自称保守」の皆さんのいわゆる民度が100年前のそこから一歩も出ていない(ジョークとして消費できるというそ感覚!)上に、歴史に対するどのような反省もないという点で、お仲間の市会議員・新聞社メディア等を巻き込み、極めて悪質であるということを満天下に知らしめた(http://b.hatena.ne.jp/entry/ironna.jp/article/3143)。この点においても、その功績は大である。おそらく、先日の「保育園落ちた」騒動と同じように、国会で取り上げられるなりすれば、ヘイトスピーチ規制を一段と進めるよいキッカケとなるだろう。『ヘイトスピーチ蔓延した結果、このような言動をする人間が実際に出てきているんですよ!どうですか!』…と言われて、公にヘイトスピーチ規制に反対できる人はいるまい。



正しい保守の皆さんも、さすがに「こんな連中と同一視されたら、ちょっと困るんで…」という引き気味の反応になっており、大変望ましい状況である自称保守」の諸君が、その仲間内で極めて醜悪なコトバを日常的に消費しているのは知っているし、もちろんそれは自由である。そして、それが自由であるということは、結果としての他者から視線批判謙虚に受け止める責任も負うということである諸君がどのように見られるかは、諸君言動にかかっている。それは誰の陰謀によるものでもない。自業自得である



なお、親切心から少しアドバイスをしよう。諸君への批判者=左派だとどうも諸君は信じているようだが、左派自分たちに対してそのように敵意むき出しでかかってくると実際に思っているところを想像すると、いささか滑稽な感があるのは否めない。諸君への批判のうち、大変純真な反応を示しているごく少数を除けば、半数は一般的な「良識から拒否反応であり、残り半数は「保守を名乗って醜いことをするな」という保守の皆さんから批判であるとお見受けする。社会の片隅でひっそりと左派を自認する立場からすると、諸君がまき散らしているヘイトスピーチ自体には特に『興味がない』。当初はその傍若無人さや余りな不勉強に眉をひそめることもあったが、いまでは諸君のことを「理屈ではなくそう信じている人たち」として心静かに眺めるようになった。信仰ならば、どのような非合理的主張も行動も、そういうものと思って眺めるのみである。「神は存在する」という主張に対して「反論」をする意味がない。

そんなわけで、自称保守」の諸君左派攻撃するつもりで今回の件において自分たちへの批判者を攻撃すると、随分的が外れるどころか、ごく普通保守の人たちの気持ち逆撫でする結果になるだろう。その結果、諸君ますますカルト化していくことになり、最終的には保守的潮流自体を退潮させる結果につながるだろう。そのことは、少し自覚しておいた方がいい。



左派の側として、実は政治的に一番困るのは、今回の件について諸君に「謝罪」されたり「素直に反省」されたりすることである自称保守」の諸君にも一片の理性があるではないか…という雰囲気になると、本当のところ大変困る。なのになぜ正直にこんな話をしているかというと、まずそういうことは起こらないだろうと安心しているからだ。そもそも、自称保守」の諸君は、私が左派であると知った時点でもうこんな文章最後まで読んだりはしないだろう、それどころか、一行目を読んだ辺りでもうタブを閉じているだろうからさらに、私がどんなに理のとおった有用忠告をしたところで、諸君が私の忠告を受け入れるはずがないということについてもほぼ確信している。左派の言うことを聞くくらいなら死んだ方がマシだと思っているだろう。全くそれで構わない。そもそも、私も諸君に話しかけているという体で、本当のところはここまで読んでいるであろう一般保守及びノンポリ良識派のみなさんに語っているのだから。だから自称保守」の諸君はそのまま変わらないで構わない。まあ、私が構おうが構うまいが変わらないことは変わらないだろうが。



というわけで、今回の件は、自称保守」のカルト化の進行が、保守潮流全体の行き詰まりや退潮の兆しを明らかにする段階に至ったことが見られたという意味で、印象的な出来事となった。本屋などでも、自称保守」の諸君が喜びそうな本を並べたコーナーは最近縮小しつつあるように感じていたが、その理由が今回の件でよく分かった。あとは、カルト化した連中による「事件」が起これば、それが決定打となるのだろう。それはおそらく1、2年のうちではないかと踏んでいるのだが。



最後に…最後まで読んでくださっている、自称でない普通保守、またはノンポリ良識派のみなさんの、そのうちの極めて読解力の高い少数の人……私の皮肉に満ちた冷たい言い草から、それとはまた違った気持ちを汲み取っていただける人がいるとすれば、その方々にはこう申し上げておきたい。ご批判は甘受します。ただ、私がしているのは、今ではなくその先に向けた準備なのです。

2016-04-01

「ごめんなさい」もしくは「黙れ」

インターネット掲示板ブログコメント欄は、さまざまな雰囲気を醸し出している。


罵詈雑言に満ち溢れていたり、平和だったり、少々へりくだりすぎ(慇懃無礼)な場合もある。ざっっと見た感じ3:5:2の比率ではないだろうか。まるで朝・昼・夜の理想的カロリー摂取量比率みたいだ。


その中で『へりくだりすぎ』について書く。


以下は、3年前の話だ。



私がよく訪問するブログに、Yさんという人がかなりの頻度でコメントをしていた。Yさんもそのブログ常連であった。


そのブログにはYさんや私以外にもたくさんの人が訪問しており、なかなかの人気ブログだった。



しかし、1つ問題があった。Yさんの過剰な謙虚である


Yさんはコメント欄で長文を書いては「長文ごめんなさい」などと何行にもわたって謝り、またある日は何らかのアドバイスを書いて「おせっかいでごめんなさい」などと何行にもわたって謝っていた。


そこに誠意はあったのかもしれないが、私にはそれは過剰に思えた。


私や他の人は「いやいや、いいよ」と対応し、しかしそのように朗らかな対応をしつつも「どうしたもんかな」と思った。自分が何か悪いことをしているような錯覚さえ抱いた。そのくらい過剰だったのだ。誰が責めているわけでもないのに「ごめんなさい」と謝るYさんは、私からすると不思議しかなかった。



問題は、誰も悪くないということだった。例えば誹謗中傷などであればその人に責任があることが明確だ。しかしYさんの降ってわいたような「ごめんなさい」によるとってつけたような『責任』は、行き場もなくそブログを覆い始めた。



Yさんは頭も性格も良い方だ。「ごめんなさい」を除けば何の問題も無かった。



私は、まさか人生で「ごめんなさい」に悩まされるなんて、それまで考えたこともなかった。



私はある時からこう思い始めた。

Yさんはきっと「黙れ」と言いたいのだ。「ごめんなさいって謝るから何も指摘しないで。頼むから黙ってくれ」と言いたいに違いない、と。


それは同情に値する話だった。Yさんはおそらく心に傷を負っているのだろう。しかし私もどうしようもなかった。私もまた(Yさんより大分劣るけれども)自分に同情した。

そして私はそのブログを去った。



それから3年が経ち、さきほど久しぶりにそのブログを覗いたら、Yさんはまだいた。「ごめんなさい」と書いていた。


私は「ああ、、」と思った。それと同時に、Yさんはそのブログコメントを書き続けることで生きながらえているような気もした。本人にとっての生き甲斐は、他人理解される必要はないのだ。

2016-03-30

フジテレビデモに参加していた元ネトウヨ発言です




在特会っぽくなってきたなぁ〜。/僕が大学生の頃が麻生政権樹立/失脚、民主政権下で保守的運動が盛んだった時期だったが、特に過激運動家露骨に口が悪くなったり、手続きを軽んじる方に流れてたからなぁ〜



いやさ…右でも左でも結局運動家限界は「粛々とやるほうが大きな運動になるけど、進むスピードゆっくり」「でも、政治に対して焦れてるバカゆっくり手続きや段階を踏んだ運動自体に我慢ならず、過激言葉思想で煽る人を支持して、自己消滅していく」のよね…。それがメカニズムであり限界


たださ…オトナになること、何かを成し遂げることとは

手続き時間がかかること

・地味な作業活動の積み重ねであること

・ささいなことでも失敗や減点されないよう慎重で謙虚に進めて行くこと

だと気づくのよ…それがないと何もできないよ



いやさ…政権交代後の民主党がマシになってきた頃に「民主党自民党っぽくなった」とか言われてたのもそうだけど…結局のところ政治政治の体をなそうとすると手続き主義になるんですよ…。

逆に言えば、手続きに乗らないで調子のいいこと言ってるうちはその政党政治団体権力と実務能力はないの






少なくとも26歳になって自分のことを青二才と名乗りその名の通りの行動をしている豚まんにオトナになることを語られたくはないよな。

SEALDsアホだと思うがフジテレビデモよりはマシだわ。

大学生活4年間で学んだこと

■対人

彼女に対して

  • 常に相手の事を大切にする、思いやる
  • 自分がどうよりも、相手がどう思うか
  • 相手が悲しむようなことは絶対にしない、したくなったらその前に別れとけ
  • 身だしなみ部屋の整理は常にしておく
  • 相手に関することは忘れないようにメモしておく、大事
  • 相手が好きなことを好きになる
  • 自分が好きなことも好きになってもらう
  • 上記のことができるくらい好きな人彼女にする

普段

2016-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20160325014718

乙武さんって、障碍者なのに、その障碍に挫折して歪んだ性格になることもなく明るく快活に生きている印象を売りにしてきたと思うのだけど、近年の行動をみているとどうも実態は違うことが分かってきたんだよね。

手足のある人間障碍者になって、排せつの世話までされると、「恥ずかしい。こんなことまで他人の手を煩わせるなんて」と謙虚振る舞うのだが、生まれつき手足が無い彼は、「俺様の排せつの世話をお前にさせてやる。ありがたく思え」と傲慢なふるまいをするように成長したのではないかと思う。

(彼を責めるつもりは毛頭ないが、傲慢さを身に着けることで、あの障害に対する心の平衡を保てているのではと思う)




乙武さんは傲慢人間である

そう考えると、明るく快活に生きているというのは実に自然なことだし、

意思の弱そうな女を嫁にするのも分かるし、

レストラン事件でのわがままも彼にとっては当たり前の要求をしているに過ぎなかったと納得できる。




傲慢人間感情的に嫌うのは、自然なことだと私は思う。

2016-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20160324230108

http://anond.hatelabo.jp/20160324230108

恐らく似たような職務内容であなたのような人に困らされてる立場人間です。(きついこと言うけどごめんね。参考になれば

自分の不遇ばかり嘆いてないで迷惑かけられる周りの身にもなってほしい。全てが受身仕事ができないくせに職歴だけ重ねたことでプライドが高くなってる扱いづらい人材なのが文章から伝わってくる。仕事できない自覚があるならひたすら謙虚に、分不相応仕事に就いてしまったんだと(目を向けたくないだろうけど)よーく意識したほうがいいよ。コミュニケーション苦手、人の気持ちがわからないのは天性によるところが大きいから死ぬ気で直す気がないと直らないと思う。今は自分にできることを確実にやって周りの信頼を取り戻すしかないです。ただしいつまでもそれじゃ足踏みしてるだけと同じだから昇進もできないし、後輩にどんどんに抜かされていくよ。だってそれがあなたの出来る限界なんだからしょうがないよね。それは覚悟して我慢したほうがいい。努力の方向すらわからないあなたに先輩と同じような活躍ができる日は、多分来ない。

今の仕事やめて、お刺身タンポポのせるお仕事なら1位になれるかもねと思うけど、それじゃ嫌なんでしょう?それならどんなに惨めな思いしてもしがみつくしかないと思いますよ。

2016-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20160320222603

> 20代のころは、自分という子供レベルが低い)と大人(レベルが高い)たちという世界だったが

30超えたあたりで、まわりから大人という存在が消えかかっている気がする

なんていうか、自分と同じ人(レベルが)たちがいっぱいという感じ

20代後半~30代くらいってそんな年代なんだと思う。

若さと知識や能力の両方がそなわってくる,というかそんな風に感じる万能感と楽観をもった年代。そこらの大人や自分自身の親ができる・できたことな自分にもできそうな気がする,失敗してもなんとかなりそうな気がする。

人生の転機になる選択が勢いに乗って前向きにできる時期でもあると思う。結婚とかそのさいたるもの


上の世代を「大丈夫なの?」「たいしたことない」って思うのは,元増田自身が上の世代とその世代が作ってきた世界を超えようとしてるってことでもあると思う。謙虚かつ冷静に状況を見る目をもちつつ,いろんなことにチャレンジしてください。

2016-03-16

娘に一番感謝してもらえた母親としてのアドバイス

「親に甘やかされて育ったけれども謙虚男性と付き合いなさい」

もともとは福祉心理の分野で働いている友人からアドバイス

DV男や束縛の強い男には自身の無さだけでなく親の愛情ほとんど受けてこなかったという共通点があるらしい。

実際夫も娘の夫もこの選び方で大正解だった。

嫁姑問題とも無縁でいいですよ。

2016-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20160315170844

同じ外見が優れないなら、やっぱり女の方が優遇されてるよ。一応メイクなんかで補正手段あるし。

それに個人的意見だが、自分をブスと自覚して謙虚になれるような女性性格美人だと思うわ。