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はてなキーワード: 書籍とは

2016-12-09

キュレーションサイトってどこからがアウトなのか教えてください

クラウドソーシングで1円ライターをやってますキュレーションってどこからがアウトなのか分からないので誰か教えてほしいです。

【1】他のサイト文章丸コピペで記事を作る

【2】公式サイトを隅々まで読んで得た情報記事を作る

【3】インターネットで調べて学んだ情報記事を作る

【4】書籍情報を調べて記事を作る

【5】そのテーマに明るい人にインタビューして記事を作る



【1】がダメなのは分かるんですがそれ以外はどれがセーフでどれがアウトなんですか?

個人の捉え方で線引きが変わる気がするので、今の世間スタンダードが知りたいです。

あと、安い文字単価で延々記事書いてる僕たちみたいなライター以外でも、似ていることをやってるブロガーさんが多いのも気になります

「ある情報について調べたのでまとめました!」みたいなブログ記事がバズってるのよく見かけますし。あれってキュレーションサイト記事と何が違うんですか?

これからブログ粛清されていくのでしょうか。誰でも副業で稼げる時代の終わりですか?クラウドソーシングでどういう仕事なら受けていいの?キュレーションって言葉理解難しすぎます誰かスッキリさせてください。


【追記】

クライアントが満足する記事を書いてお小遣いがもらえればラッキー!と思って低単価の記事を書いてるだけなので、確かに僕はライターじゃないですね。なのでまともな仕事は入ってこないし、他にクラウドソーシング仕事してるほとんどのライターはみんなまともじゃない仕事お金稼いでるんだと思い込んでますお仕事一覧でまともな仕事を見たことがないので。


なのに有名なクラウドワーカーさんには、「私はライター始めた頃から怪しい仕事は受注しなかったので」って言う人が多くて不思議なんです。もしかしてキュレーションメディア」の僕の理解が間違ってる?って思ったんです。


キュレーションサイトについて調べても、「引用つぎはぎがアウト」「情報をまとめてくるのがアウト」「今回は間違った情報掲載してたのがアウト」などと意見がバラバラだったので、一般の声が聴きたいと思って書きました。

頭悪くてごめんなさい。

2016-12-06

SIer出版社は似ているか

エンジニアから見たSIerがクソな理由 - 負け犬プログラマーの歩み

↑の記事を読んでいて、SIerってそんなにヤバいのかなぁと思い、衝動的に書き連ねている。



旧帝の大学院を出て、出版社就職して1年半が過ぎた。

SIer出版社中心で就活していて、それぞれ1社ずつから内定をもらい、出版社のほうを選んだ。

SIerSE職で内定をもらっていて、出版社では入社以来編集者をしている。

SIerの方(仮にA社とする)は社員数4ケタの元請けSIerで、毎年新卒100人ほど入るらしい。

一方、弊社はA社の数十分の1の社員しかいない専門出版社で、新卒が入らない年すらある。

はてなにいるとSIerの話がよく出るので、就職した後もA社を気にかけることがあるのだが、果たして自分がA社に入っていたら、どんな人生が待っていただろうか。



給料

大手SIerの給与ランキング。平均年収は800万円前後か : IT速報

ここのランキングに載ってるのが正しければ、あまり変わらなさそう。

ちなみに出版社と言えば三大(小集講)の給料バカ高いことで有名だが、弊社含むそれ以外の中小出版社は大したことないことが多い。

(同規模の会社比較すれば高いのだろうけど)



労働時間休日

残業時間はA社のほうが弊社より若干多いだろうか。

出版社は、一般刊行周期が短いほど激務になる傾向がある。週刊誌編集部はそれこそ過労死レベルの激務と聞くが、弊社のような書籍メインのところはそこまででもない。

所定労働時間はA社は7時間半、弊社は7時間なので、時給換算だと弊社のが若干有利かもしれない(出版社は実働7時間のところが多い)。

あと、A社だと夏休み有休で取ることになってるらしいから、有休消化率は高くなったかも。

弊社は有休とは別に夏休み(=ひと夏で消える有休)があるので、本来有休までなかなか消化し切れない。



仕事内容

新人研修めいたものはA社でもあるはずだし、弊社でもあった。

期間はA社のほうが長そう。さすがに2年目の今頃には現場にいるだろうが。

A社だと多少コーディングに携わって、その後は進捗管理クライアント折衝が中心だろうか。

いきなりということは無いだろうが、やがて何十人以上のプロジェクト管理やることになりそう。多数の協力会社はてな用語では下請け)の人と共に……。

出版社現場に入って最初にやったのは、校正校閲(本の誤字脱字・内容チェック)。

そこから先輩の指導で本を1冊担当し、編集プロダクション編プロ)の人と共に本を完成させた。今は、何冊かを同時並行で制作しているところ。

編プロはうちの業界場合ライター編集者が集まった会社で、編プロに書いてもらった原稿自分出版社人間がチェックする。

まとめると、↓に書いてあるのと近いが、編プロが筆者を兼ねている場合がままある。

http://anond.hatelabo.jp/20150212124233

SIerと違うっぽいのは、SIer人月仕事を投げているのに対し、出版社は1ページいくら編プロ原稿料を払っていること。

なので、出版社編集者が、編プロから出てきた原稿に何度ボツを出しても、出版社が払う原稿料は変わらない。

優秀な編プロならボツも少なく、彼らにとっても割がいい仕事となる。

一方、そうでない編プロだと「今回のボツで、先方の時給が最賃以下になったな」と同情することもしばしば。

でもボツ原稿出版するわけにはいかないので、頑張ってもらうしかない。それを応援するのも仕事ひとつ

まりにひどい原稿が出てきて、かつ時間がない場合は、自分らで原稿に手を加えざるを得ない。たまに「自分赤ペン先生かな?」と思う時がある。

裏を返すと、技術力(文章力や専門知識など)は日常的に磨かれるので、フリーライター編集者として独立する元同業者は割と珍しくない。



やりがい

動くカネの量や成果物を使う人の多さは、A社のほうが大きいと思う。実際「大規模プロジェクトを動かすプロマネ志望!」と言いまくって内定をもらった。

自分プログラミング能力は皆無に等しいが、技術力を活かすより多くの人に影響を及ぼせる仕事がしたい気持ちの方が強かったので、A社でもそれなりに楽しめるのかもしれない。

弊社は専門出版社なので、想定読者数がそもそも少なく、動くカネも少ない。ただ、読者にとっては確実にニーズがあって、人様の役に立っているという実感は味わいやすい。

専門の人らのブログとかで、自分らが携わった本を褒めてくれていると素直に嬉しい。



会社の将来性

A社はじめSIerは受注産業なので、仕事していれば食いっぱぐれることはないが、逆に言うと仕事し続けないと儲けられない。

一方、弊社はじめ出版社メーカーの側面があり、成果物著作権は自社にあるので、当たれば労なく稼ぐことができる。

(逆に言うと、どんなに頑張って商品を作っても、売れなければ儲からないということだが)

それなりに続いている専門出版社場合、その道の人が必ず買ってくれる本というのがあって、そういうのが利益を下支えしている。



自分の将来性

A社のほうが業界的に転職が多そうだが、プログラミング能力がないまま転職できるのかという不安がありそう。

弊社はフリーになる道もあり得るが、原稿料商売では弊社にいるより稼げないのは目に見えている。

起業して編プロ社長になれば儲かるかもしれないが、社員をこき使うことによる良心の呵責で死にそう。

元請けSIer出版社プロマネがメインという点では共通しているし、磨けば他社でも通用する汎用的なスキルだと思うが……業界知識の壁があるか。



出版社に入って「自分らが権利を持ってるって強いなぁ」と実感しているので、将来独立するならば、自前のコンテンツでご飯が食べたいと思う次第。

切込隊長凋落は「個人メディア」だったネットの終りを象徴している

ここ最近隊長調子が悪い。都知事選でも能年玲奈に関しても、ポジショントークに終始しているし、今回のほぼ日に関しても切れ味が悪い。勢いがあって笑えた文章も、ただの罵倒しか見えなくなってきた(個人の感想です)。

この変化は、メディア環境の変化と関係があるだろう。元々、隊長の持ち味はどこから集めたのかわからないリー情報ベースにして、それをネット文体で書きたてるものだった。ちょっと前まで、ネットには独自取材をする人がいなかったので、それはとても貴重なものだった。しかし、バズフィード代表されるように、既存メディアから人材移動がいよいよ本格的に始まり取材力を持ったライターが現れ始めたことによって、その価値は薄れてしまったのだ。

既存メディアライターは強い。なぜなら、電話取材ができるから。何か起こったらすぐに取材をしてその日のうちに記事にしてしまう。正規ルートで一気に突破する。隊長は片手間にやっているから、この点で出遅れしまうし、本業ではないか正規ルートが通れず、取材力も弱い。

雑誌凋落人材週刊文春に集中し、彼らがネット展開のやり方も覚えてしまったので、出処が不確かな噂話も価値がなくなってしまった。

この変化はすべての個人書き手に当てはまる。あなたはこの数ヶ月、個人ブロガーが「炎上」以外で注目を集めているのを見たことがあるだろうか? かつて「面白い」と言われていたネットメディアも、ぜんぜん見ていないのではないか? おそらく「YES」と言うだろう。既存メディア教育を受けてきた人がいよいよネット進出してきたので、個人ブロガー存在感はどんどんなくなってきている。素人の与太話や感想を読むくらいなら、きちんと取材されたものを読みたいと思うだろう。

Kindle Unlimited、DマガジンNetflixTVer……書籍雑誌映画テレビも、すべてプロが作ったクオリティ保証されたものが、インターネットで手軽に見られるようになってきている。この変化は、インターネットにいっぱいいる個人書き手を、どんどん駆逐していくだろう。切込隊長例外じゃない。いよいよ「古き良き」インターネットは終わろうとしているのだ。

2016-12-04

Dに思ふ

http://pret.yakan-hiko.com/2016/12/01/dena_welq/

http://toyokeizai.net/articles/-/147912

十年くらい前、D社の(当時)創業社長だったN氏の話を間近で聞く機会があった。当時、D社はゲーム事業で一山当て、ガンガンいこうぜ!という状況だったと思う。

後日、N氏は会社の立ち上げ時のドタバタを本として出している(自分も読んだ)が、その時もこの本に書いてあったような話をいろいろしてくれた。

その中でも特に印象に残ってるのが、D社がCtoCの売買サイトを立ち上げたが全くの閑古鳥で困ってしまい、業界大手の Y!社のサービスヘビーユーザーに「うちのサービス使ってくれませんかね」と直々に(メッセージ機能を使って?)コンタクトを取ったが、にべもなく断られ、うまくいかなかったという話だ。

うまくいかないのは、当然ユーザーレビューで積み上げた高評価を持っていけないかなのだが、そういうところに思い至らず他社サービスユーザーを引き抜こうとしたりとかするのが、現在進行中の炎上騒動と通じるところがあると思った。

自分記憶が正しければ、このエピソードは例の書籍には載ってない。

2016-12-02

ちきりん炎上

狙ってやったのでは?

だって、ほら

書籍自分時間を取り戻そう

2016/11/25 ← !!

炎上商法

2016-11-29

エンタメがなんなのかわからずじまい

娯楽それぞれ

http://zokugo-dict.com/04e/entame.htm

エンタメとは「娯楽」「気晴らし」「余興」「演芸」「軽い読み物」といった意味英語"entertainmentエンターテインメント)"の略である意味エンターテイメントと同じように使われており、単に語呂のいい形に簡略化されただけであるエンタメ映画ドラマアイドル小説パチンコゲームと様々なもの対象に使われるが、同じカテゴリーにあってもそこにエンターテインメント性(娯楽性)がなければエンタメには区分されない。例えばニュースを扱うサイトの中で政治経済事件を主に扱うサイトエンタメサイトに分類されないが、芸能映画スポーツなどエンターテインメント性が強い記事が中心のサイトエンタメニュースサイトとして扱われる。人気お笑い番組エンタの神様」のエンタはここからきている。

ここでは娯楽性。



https://goo.gl/BU3nJq

 エンタメとは、エンターテインメントentertainment)の日本式略称で、人々を楽しませる行為パフォーマンス)を意味し、主にその場かぎりで消費される演劇映画芸能などについていう。絵画建築作品のように希少性と永続性がないので、エンタメ提供者は、なるべく多くの人々に比較安価価格で見てもらうことによって日銭を稼いでいる。また、演劇寄席芸能などは、文学書籍)のようにいつまでも自分の手もとに置いて楽しめるものでもないが、たいして関心のない団体ツアー客や、何度も同じ演目を見に来る物忘れの激しい客をたよりに糊口をしのいでいる。音楽映画などは、パフォーマンスを記録したメディア販売され、子どもをだまして大量販売に結びつけることも可能なので、演劇芸能関係者よりはお気楽生活を送っている関係者も多い。(CAS)

文末に首をかしげるが、単語意味については「人々を楽しませる行為」、としか書かれていない。



エンターテインメント-Wikipedia

https://goo.gl/K98F6m

エンターテインメント(英: entertainment[1][2])は、人々を楽しませる娯楽をいう。抽象的な意味もつ言葉であるが、楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜きレジャーなどが類語となっており、エンターテインメントにはそういった意味合いを含む。似た意味を持つ言葉としてアミューズメント(英: amusement)も娯楽を指して使用され(アミューズメント施設など)、エンターテインメント範疇に含まれる。

ここも娯楽ですよ、としかいっていない。



Yahoo! 知恵袋

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1213791332

エンタメ小説とはエンターテイメント小説、すなわち娯楽や読む人を楽しませることを

目的として書かれる小説です。娯楽小説通俗小説大衆小説とも呼ばれます

文学とは、それらも含めた言語により表現される作品一般を指します。

小説、詩、俳句短歌日記随筆戯曲などが含まれます

もう一つ、純文学というのもあります。これは大衆小説と相対する言葉で、

娯楽や商用よりも芸術性に重きを置いた小説のことです。

ですが純文学といわれる作品商業成功を収めたり、

完成当時は娯楽的だったものが時を経て文学的評価されるなど、境界曖昧です。

ここは結構正しいこと言ってる。正規文書じゃないけど。

まり映画などをすべてエンタメとして捉える上記辞書系の定義と違い、それ以前の小説世界エンタメ定義されている。

現在文学的、という言葉映画アニメも再評価されつつあることを考えると無視できない。



エンタメには“中二病”的要素が必要不可欠?』

http://www.oricon.co.jp/special/47728/

ここはどう考えてもエンタメ=従来のアクション映画などの娯楽思考の強い作品、というステレオタイプが見える。

進撃の巨人ピックアップされていて非常にエンタメ性質がわかりやすい。



時代によってかわる芸術定義

http://www.stonetherapyschool.com/periods_art.html

知恵袋と同じように時代によって変遷する、という意見

ドンキホーテが例に上がっている。



ライトノベル定義/ラノベ作家になるには』

http://syousetuka-naruniwa.com/category4/entry16.html

ライトノベルというのは主に若年層を中心に人気を博しているエンタメ要素の強い小説です。

ここでは明確に文学的ものではないラノベ、という感覚的発想が見える。



ピュアサイドチェイン ‏@quisye 11月20日

何か言った気になりたいなら適当エンターテインメントとかドラマとかって曖昧ふわふわした語に詰め込んで、「ドラマ性が薄いかエンターテインメント性も薄い」みたいに言えば済んでしまう。もちろん定義へったくれもないから紙より薄い言葉なんですけど。

公共性の薄い個人発言無断引用なので埋め込みとか目立つ方法はひかえた。

公共性定義とかそういうのは突っ込まれても困る。

この人の中では定義のものの鍵はドラマ性と言ってる。



いったいなんなの?

色々見てみると明確な定義はない代わりになんとなく芸術性及び思索性が皆無なものエンタメと呼び、

後にエンタメ化することはなくても後に文学化することはあり得るとよめる。

この世界の片隅に』は文学へと変質しかけてるし、後年『君の名は』が文学扱いされるには苦しさがある。

三国志とかエンタメかつ文学じゃん、とか言い方はあるだろうけど、

三国志演義に限ってはエンタメでも区切りとしては間違っていないように思える。

たとえば新海誠を語る文脈上において勉強の側面が強くなってきたら、文学的な扱いを受けるかもしれない。

あるいは今だって新海誠作品方向性は語られて文学的芸術性やら思索なんかを生み出そうとしている。

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1472797135219.html

そして文学的ってなんだよ、という話がまためんどくさい。これはこれでだいぶ未定義で、

少なくとも今回の件ではコトバンクの「文芸作品にみられるような趣があるさま」に近い。

実際古典化してお勉強の側面が強くなると何故かエンタメ文学なっちゃうところがある。

エンタメ的な動きの激しさ、積極的に楽しませようとする進撃のような要素、

思索や情感をメインとしない話という意味君の名はエンタメだけど、

この世界の片隅に』ってそうなのかなという疑問符個人的には残りまくる。

http://anond.hatelabo.jp/20161128081913

2016-11-27

何にでも領収書切る人って恥ずかしくないの?

私はしがない書店員だ。


お客さんで、「領収書下さい。書籍代で」という人がいっぱいいる。

仕事で使う資料としての本なら、必要経費で落とすのは当然だ。



でも、土日祝に家族連れとかデートとかでご来店して、

あきらかに趣味のもの、例えばマンガとかファッション雑誌とか絵本とかで領収書切る人って恥ずかしくないのかな?と思う。

もちろん、資料場合もあると思う。でも、全員がそうだとは考えづらい。



それとも、私が世の中を知らないだけで、趣味のものを買うとき領収書を切るのは、世間一般には常識なのだろうか。

そうやって会社の経費を無駄遣いして、心は痛まないのだろうか。



もし私がその人の恋人や友人や娘なら、心底軽蔑するだろう。

自分お金で買えないんだったら、買うなよ」と思う。

2016-11-25

日本人の脱ノンポリ化、左翼志向がまったく新しいサブカル(サブカルチャー)の萌芽になるかもしれない

https://www.amazon.co.jp/七二-仮-高山直人-ebook/dp/B01DDAUVMA

貴方は読んでいるかどうかも怪しいかもしれないが、かつて、私は七二(仮)という電子書籍文化カーストXというもの提唱した。

詳細は実際に書籍を読んでほしいので省くが、早い話が、エリートヤンキーオタクのいずれにも属さな文化階級で、わかりやすく云えば、理性と精神価値を重んじる階層で、エリートとは正反対性質で、精神価値を重んじるお宅と、理性を大事にするヤンキーを足して2で割ったものだ。

今回はそれについて現代視点で少し考えてみよう。

大企業が仕掛けたり、ましてや政治行政実施するわけではないのに、ネットと連動する形で自然と大きく盛り上がった文化現象と言う風に考えれば2000年2010年代の「オタク」も今の「デモ」も類似している。そしてどちらも、世の中の支配的な構造に圧迫された人たちが参画しまくったのだった。

OOAだけでなく、高齢ネット原住民ファッション関連の騒動活躍したこと、東海道新幹線から和製自爆テロリスト」が生まれことなどを考えると、日本の主流もノンポリ優勢の構造ではなくなりつつあり、むしろ今の左翼パルチザン化の流れに合流するような兆しを私は感じている。

いずれも社会の日陰者扱いされた鉄道オタク文化バイクオタク文化大衆文化にぶち上げた「流れ」の当事者たちがもしも左翼に合流するとどうなるだろう。すでに日本でも韓国10分の1の規模のデモは頻発している。「自分がでネット原住民流行煩い大人から無意識バイクお宅にはまっていた人」がこれに加わるとどうなるだろうか。

日本社会の抱える相次ぐ問題である汚職裏社会スパルタ労働(ブラックなんて可愛い言葉はもうやめよう)に続いて、鉄道業界にも政治イデオロギーがらみの黒い噂が立ち込めているという。所謂ネット原住民空間はともかくとして純粋鉄道オタクさえ右翼バッシングが多いのは、単に右翼憎しという日本人としての公憤や鉄道の印象を悪くされたオタクとしての義憤だけでなく文化への干渉があるからだと思う。裏社会沙汰で自身が影響を被ったり、私鉄解体されるために遊び場所鉄道からなくなることもあると思う。

既にJR北海道とか認知症右派団体がらみの大炎上があるわけで、今後もこれに匹敵したり凌駕する騒動汚職が続くことは必至なんじゃないかと思われる。そういう繰り返しがあれば、不満によって私鉄否定論支配的になり、ネオリベに怒りの矛先が向かうようなこともありえなくないだろう。

ポストファミコン世代とかリア充世代とか、30代以上のオタクからすれば「自身弟子左派かぶれ」な人間がすでに左翼の側にある。同じく強烈な文化発信地であって同じように1980年代2010年代時期にトップダウン的な潮流のもとで大衆文化化が進んだ「デモ文化オタク文化左翼(リベラル含み、ネオリベ除く)が手を結ぶ」可能性もありえなくはない。

そういうものを「公のお墨付き」と位置付けて、往年の西側諸国のように大衆文化国民コントロールを円滑する道具にしつつ、対外PRのための政策芸術として用いようとしていた日本の政治からすると、サブカル大衆文化という大きな文化軸に矛を向けられることだけは避けたいと思われる。

2000年代福知山線事故以降、日本エスブリシュメント層は鉄道オタク的な文化嫌悪するようになり、それまで叩く側にあった車・バイクサブカルチャー文化を急に持ち上げだした。そしたら2000年代後半にエスブリシュメント層によるノンポリ道路文化迎合政策鉄道文化政治思想家潰しが激化し、1990年代には等しくのいかがわしいとされた両者は全く別の道をたどった。

一方は冷遇されたためにプロテスト積極的集団となり、一方は厚遇されたために御用化したが、この二極構造が、今まさに変わっているさなかにあると思う。それがどうなるのか気になっているため、最近社会運動テロシーンの動向にはずっと注目しているのだ。

2016-11-24

艦これ二次創作の動向分析

半年ほど前、ブラウザゲーム艦隊これくしょん」(以下「艦これ」) の人気動向について、

  ・艦これ権利を持つ版元が直接関与する公式関連

  ・ファンが中心となって活動する二次創作関連

の双方の観点から分析を行った。

その際は大雑把にいえば「公式関連の人気は今だ根強く、二次創作関連の人気はやや下落気味の傾向が見られる」という公式二次創作の人気の乖離について言及したが、今回二次創作関連に焦点を絞って改めてその動向を調査したところ、艦これ」における二次創作活動規模は明確に縮小しているという事実が明らかとなった。

最近公式関連の動向やコミックマーケットの動向を見ていると、この結論に疑問を呈する方は多いのではないかと推測する。

前回の報告では二次創作人気の下落について明言を避けたが、今回はその点も含めて何故このような結論に至ったかについて、調査によって得られた数字を元に出来る限り客観的に述べていこうと思う。


大前提としての注意事項

本稿を読み進めるにあたっては、まず大前提として以下の点を必ず理解いただきたい。

  ・あくまで「艦これ」の二次創作の動向に関する分析であり、公式関連の人気とは直接的には関係しないこと 重要

  ・出来る限り、調査で得られた数字という客観的かつ定量的指標をもとに説明するように努めていること

  ・しかしながら人間が書いている以上、常に何らかのバイアスがかかっている惧れはあること ← とても重要

  ・比較対象として他ジャンルの動向を示すことがあるが、あくま特定の条件下での比較であり、対立を煽る意図はないこと


艦これ二次創作の規模縮小を"明確に"述べるに至った判断基準

本稿を読み進めている方の最も気になっている点がこの判断基準ではないかと考える。

これは次節から述べる各指標調査結果から総合的に判断したものであり

  ・短期間のゆらぎを除いて上昇基調に反転した指標がないこと

  ・下落継続期間が相当の長期に亘っていること (約2年間)

  ・下落後の安定期というものが未だ現れず今なお下落基調が続いていること

の3点が核となっている。

以上の点について、次節から指標の動向を定量的に述べていく。


下げ止まらない二次創作コミュニティでの投稿数・閲覧数

二次創作活動を行うためには、それを行うための「場」が必要となる。

特に艦これ」の場合サービス開始とともにインターネット上で爆発的に人気を博した経緯から二次創作活動においてもインターネット上のコミュニティがそういった「場」の大きな一角を占めている。

まず初めに、それらの中でも特に影響力の強いいくつかのコミュニティについてその動向を述べる。


pixivにおける「艦これ二次創作の動向

以前も述べたとおり、二次創作においてpixiv投稿数とサークル数の間には強い相関があり、pixiv二次創作活動において今なお大きな影響力を持っている。

投稿数の推移は、


○週間平均投稿数:

 ・2014年10月12月:3,632枚

 ・2015年1月3月 :4,111枚 (最大値:5,214枚 2/16週)

 ・2015年4月6月 :3,762枚

 ・2015年7月9月 :3,558枚

 ・2015年10月12月:3,091枚

 ・2016年1月3月 :3,357枚

 ・2016年4月6月 :3,064枚

 ・2016年7月9月 :3,002枚

 ・2016年10月11月:2,435枚 (最小値:2,004枚 10/17週) ※集計中


で、約2年間一貫して下落トレンドが続いており、下げ止まる気配は一向に見られない。

2015年2016年ともに特に10月投稿数が落ち込む傾向にあるが、中でも去年10月は初めて週間投稿数が2,500枚を切り、今年は2,000枚を割り込む寸前まで減少した。

pixiv自体利用者数の減少ということも考えられるが、2014年の段階でほぼ同規模であった東方Project投稿数をバックグラウンド値として比較すると


○【参考:東方】週間平均投稿数:

 ・2014年10月12月:3,712

 ・2015年1月3月 :3,662枚

 ・2015年4月6月 :3,918枚 (最大値:5,130枚 5/3週)

 ・2015年7月9月 :3,635枚

 ・2015年10月12月:3,733枚 (最小値:3,037枚 12/3週)

 ・2016年1月3月 :3,651枚

 ・2016年4月6月 :3,719枚

 ・2016年7月9月 :3,520

 ・2016年10月11月:3,420枚 ※集計中


とこちらは極めて安定的な推移を見せていることが分かる。

その他、比較的長期のジャンルであるアイドルマスター」や普遍的な「オリジナル」「創作」などのタグでも投稿数は安定的に推移しており、pixivから投稿者の大幅な流出が起こったとは考えにくく、pixivにおける「艦これ」の二次創作は底の見えない規模縮小が続いていると判断せざるを得ない。


指標としてはやや劣る閲覧数は、以前も述べたように2015年6月初頭にpixiv側での集計仕様に変更があり、その前後での単純比較及び他ジャンルとの絶対数比較が困難となる。

そのため仕様変更以降のみを検討するが、2015年8月には週平均で3,000万近い閲覧数があったのが、2016年1月には2,700万まで低下し、同年6月には約2,400万に、直近の10月には約1,700万まで落ち込んでいる。

ただし、2016年10月以降の閲覧数が大幅に落ち込んでいるのは、すでにTwitter匿名掲示板で指摘されているとおり、2016年9月4日からpixivの閲覧仕様変更により閲覧中心のユーザーが離れたことが原因であると推測される。

(他のジャンルでも直前の3ヶ月と比較して約25%閲覧数が減少している)

しかしながらその要因を考慮した上でもなお艦これ作品の閲覧数が減少傾向にあることは、長期トレンドの推移からも間違いない。


ニコニコ動画/静画の傾向

ニコニコ動画には、2016年10月現在で週平均約300~350程度の艦これ動画投稿されている。

これは2016年3月頃の投稿数と同程度であり、一見すると投稿数の減少は収まったかのように見える。

しかしながらその内訳を見ていくと、「MMD艦これ」に代表される二次創作作品割合が低下してきており、艦これ二次創作作品実数は未だ減少し続けているのが実態となっている。

直近の11月公式関連の本編ゲームイベントなどもあり投稿数が約800前後と大幅に増えているが、その増加分はほぼ全てがゲーム内ボイスの転載といったゲーム本編関係動画となっており、二次創作の増加の気配は見られないのが現状である


ニコニコ静画の動向もpixivのそれに近い状態であり、艦これ二次創作作品投稿数減少に歯止めがかからない。

2016年1月3月の段階では週間平均で約1,500枚の投稿数があったにも関わらず、同11月では約950枚とついに1,000枚の大台を割り込んでしまった。

未だ投稿数の底が見えないこともあり、減少傾向は今後も続くものと推測される。


Twitterの動向

最近よく耳にするのが「二次創作活動の場はpixivニコニコ動画からTwitterに移っているのではないか」という疑問である

Twitterはその仕様上、二次創作に限った検索投稿されたイラストの全数調査という手法が困難であるが、昨年末から試験的にいくつかのキーワード指標を設定してTwitter上での二次創作活動推移の定点観測を試みた。

結果的には設定した全ての指標で減少、あるいは横ばいという傾向が見られたが、これらは公式関連の動向による攪乱を受けてしま懸念を完全には排除することができず、今しばらくの検討必要であると考えている。

その中でも比較安定的指標と考えられる艦これ版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」(いわゆる艦これワンドロ) の動向を示すと、日毎の変動はやや大きいものの、昨年末調査開始の時点で日平均約220枚程度の投稿があったものが直近1ヶ月では約140枚前後まで減少している。

このような減少傾向はpixivニコニコ動画といった旧来のコミュニティの動向と大差なく、結果を総合的に判断すると、現段階ではpixivなどからTwitter活動の場が移ったと解釈するのはいささか困難であると言わざるを得ない。


集約化の進む「艦これ同人誌即売会

前回に引き続き「艦これ」が関係する同人誌即売会の動向を調査した。

いくつかのイベントを例に直近の動向を調査すると


 ・コミックトレジャー(オールジャンル):381(第25回)→372(第26回)→319(第27回)→361(第28回)

 ・蒲田鎮守府:243(第2回)→59(第3回)→以降開催なし

 ・海ゆかば:133(第3回)→47(第4回)→54(第5回)

 ・西海ノ暁:50(第5回)→63(第6回)→33(第7回)→55(第8回)→56(第9回)→14(第10回) ※第9回は併催の艦これオンリーを加えると114サークル

 ・駆逐してやる!~なのです:65(第4回)→32(第5回)→16(第6回)→46(第7回)→34(第8回)→17(第9回)→27(第10回)

 ・我、夜戦に突入す!:375(第2回)→312(第3回)→287(第4回)→115(第5回) ※第5回は併催イベント共々募集規模が小さい

 ・砲雷撃戦!よーい(東京):1010(2015年9月開催)→686(16年1月開催)→945(5月開催)→834(9月開催)


となっており、各イベントとも多少の増減はあるものの規模は比較固定化してきたように見える。

その一方で「蒲田鎮守府」「鎮守府に着任しました!」「艦娘まりんふぇすた」など、休止した即売会も規模の大小を問わず多く存在しており、即売会の統廃合が急速に進んでいることが伺える。

特に艦これ同人誌即売が群雄割拠した2014年比較して2016年個別開催数が約半数までに落ち込んでいることを踏まえると、現在継続して開催している即売会が規模を維持できているのは、集約化による影響が大きいと考えられる。


即売会の規模について簡単に触れておくと、現在継続して開催されている即売会には、最大規模の「砲雷撃戦」の他、「我、夜戦に突入す!」「西海ノ暁」「駆逐してやる!~なのです」「絶対海域」などが存在するが、「砲雷撃戦」と「我、夜戦に突入す!」を除けば全て参加サークル100未満の小規模即売会となっている。

比較的小規模なまま推移しているのは、おそらくは艦これ即売会基本的に他ジャンルとの併催で行われることが多く艦これ単独での規模が抑えられがちになる点、キャラクターオンリー即売会などが発達せず即売会同士の差別化が多分に地理的要因に起因している点が原因ではないかと推測している。

このような要因によって艦これ同人誌即売会を取り巻く環境は今なお厳しく、集約化はこれからも間違いなく進んでいくものと考えられる。


サークル当選数」が隠すコミケの動向

最後コミックマーケットにおける艦これ二次創作サークル数の推移を見て行きたい。

2013年冬のC85以来、コミケにおける艦これ二次創作サークル数は常に増加してきた。

今冬のC91では艦これサークル数は2153サークルとなっており、前回を91サークル上回った。


しかしながら、コミケは参加申し込みが他の即売会比較して圧倒的に多いため抽選制を取っており、基本的落選がなく申し込み数=当選数となるオンリー即売会のように「(当選)サークル数」の推移を見ただけでは傾向を掴むことはできない。

そこで、艦これ専用のジャンルコードが設けられたC87以降の艦これジャンルの (当選数, 申し込み数, 当選率 [当選数/申し込み数]) を確認すると


 ・C87=(1840, 2295, 80.17%)

 ・C88=(1846, 2230, 82.78%)

 ・C89=(2062, 2425, 85.03%)

 ・C90=(2062, 2360, 87.37%)

 ・C91=(2153, 2364, 91.07%)


となっており、当選サークル数が毎回増えているのは当選率が毎回上昇しているためで、申し込み数のピークはC89であったことが判明した。

特にC91ではC90と申し込み数がほとんど変わっていないにも関わらず当選率が3.7%上昇しており、結果的過去最大のサークル規模を達成する直接の原因となった。

これだけの規模のジャンル当選率が9割りを越えることは非常に珍しい。 (コミケでの規模が第2位の「東方」は (1582, 1780, 86.87%)、同第3位の「アイドルマスター」で (1231, 1428, 86.20%) 、また「東方」が今回の艦これと同程度の当選数だったとき当選率は C85=(2246, 2848, 78.86%))

この原因はおそらく同ホールに配置された他ジャンルとの兼ね合いでの端数調整に起因するものと考えられるが、より規模の小さなジャンルに端数分を振らなかったことにはやや疑問を覚える。(無論、艦これファンとしては当選サークル数の増加は嬉しいことではあるが)

これまでの分析では、集約化によって減少した艦これオンリー即売会の穴を埋めるようにコミケへの参加者の集中が起こっているものと考えられていたが、検証結果を見る限りでは実体としては「コミケへの集約化は思ったほど進んでいない」あるいは「集約化は進んだがそれ以上のペースで艦これサークルが減少している」のいずれかが起こっているものと考えられる。

いずれにせよ、コミケ以外の場における強い二次創作の減少傾向が存在することからも、今後のコミケにおける艦これの動向は決して明るいものではないと予想される。


艦これ二次創作の今後

以上から艦これ二次創作を取り巻く現在環境は非常に厳しく、今後も現在の傾向が続いていくことになると予想される。

ジャンルの動向を見ても、ここ半年からガルパン」の二次創作が爆発的な人気を博しており (6月のSDFスペシャル9月の砲雷撃戦に参加した方は、併催のガルパンオンリー即売会にむしろ艦これ以上の人数が集まっていたことに気付いたことと思う)、加えて東方の人気が再び戻ってきたという話も最近はよく耳にし、アイドルマスターも未だ徐々に規模を拡大しつつある。

今後、仮に二次創作が再び増加に転じることがあるとすれば、それは公式関連の劇場版が多くのファンから好評を得た場合である

というのも、書籍映像作品二次創作に繋がるような要素を多く含み得るものであり、また過去にも賛否割れアニメの放映後に実際に二次創作活動が最盛期を迎えたという実績もあるためだ。

公式関連の人気が今だ根強いことは、この記事を書いている今ちょうど話題になっている百貨店三越」とのコラボ商品を求めて多くのファン店舗に集結したことなからも伺える。

そして、コラボグッズと映像作品、どちらがより二次創作に影響を与えるかということを考えると、物語性の強い映像作品に軍配が上がることは簡単に予想できる。

しかしながら、以前に実施したコラボと内容の近いなか卯コラボローソンコラボ第2段がやや不発気味だったことを考えると、同じ映像作品であるアニメ放映後の劇場版にどれほどのインパクトがあるか、それによって二次創作人気の下落は底を見せるか、反転後の上昇はどの程度まで達するか、などが重要となってくる。


長々と検証を述べたが、艦これ二次創作の規模は明確に縮小しているという現実を知った上で、その事実に抗って跳ね返すくらい活発な二次創作活動が今後増えてくることを期待している。


(了)

2016-11-23

自己投影女子に告ぐ

   11/24 長すぎて入らなかった部分を別記事で追記


腐女子こそ夢小説を書くべき論」が話題になって「よくぞ言ってくれた」と喜んでいる人と記事自体に怒っている人がいた。


記事自体に怒っている人、とりわけ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」を読んで欲しい層として想定された(と思われる)「腐女子」以外の人について考えてみた。

腐女子こそ夢小説を書くべき論 - 模索中



腐女子以外で、この記事に対して怒っている人たちに、自分たちを「自己投影勢」と自称している人たちがいる。


自己投影勢」とは?

夢小説を愛好する方の中で、主にガチ恋勢などと言われる人たちのことだ。

彼女らは、夢小説に出て来る名前変換が可能な「主人公」に自分だと思いながら、夢小説を読む。


私は怒っているので、キツイ言い回しになっているかもしれない。


この記事を書いている私は、彼女ら「自己投影勢」の「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に対する反応に怒っている。


私が怒っている対象は「自己投影勢の肩身が狭くなるから、こういった記事を書いて腐女子が書く夢小説を増やしてほしくない」と言っている人たちだ。

自己投影全般に怒っているわけでもないし、嗜好について私の理解が及ばないと思っていても馬鹿にもしていないし、気持ち悪いとも思っていない。

彼女らに私の嗜好を貶され、排除しようとされない限りは、はっきり言って、彼女らがどう思っているかは興味がない。


嗜好を名指しして「布教をするな」と言われたのでなければ、この記事を書くことはなかった。




上記の自己投影勢の説明ではあまりにいい加減なので、ある程度、前提条件を絞りたいと思う。そのために私の自己投影名前変換に対する考えを記述する。


私と同じ考えだと自信のある方は飛ばしていいと思う。

目印として本題に入る部分に矢印をいっぱい付けておくのでそこまでスクロールして欲しい。




私のスタンスとしては、他人が書いた小説主人公自分だと思いこむことは特殊技能であると思っている。




これは、キャラ恋人自分だと妄想することとは別の話であることを留意してもらいたい。

誰かの恋人になった自分空想すること自体は、誰もが抱くことのある欲求ひとつであると私は思う。空想し、それを作品アウトプットすることもまた、ありふれた行動であると思う。

しかし、小説という作品媒体になったものを読むとき登場人物が「自分だ」とはっきり信じることのできる人は多くないだろう。

これは感情移入とは異なるものだと私は思う。

映画や本を読むときに、話者となる登場人物感情移入してストーリーを疑似体験する。これは基本的エンターテイメントだと思う。

感情移入する登場人物主人公に限らない。幼少の頃に見ていた映画大人になって見ると、幼少の頃に思い入れ登場人物とは別の人物気持ちになって泣いてしまった、ということはよく耳にする話だ。

さて。このとき観客あるいは読者は、登場人物登場人物であって、自分とは別の個体であることを認識している。境遇自分に重ねることはあっても、自分ではないと分かっているはずだ。


ここでいう感情移入共感意味だと思う。

腕にひどい怪我をした人物を見て、自分の腕が痛い気がして顔をしかめる。怪我一つない自分の腕を押さえる。これが共感だ。多かれ少なかれ、誰しもが持っている感覚だといえる。

共感」は人間社会生活を円滑にする上で欠かせないものだ。一説では、サイコパス共感的な感覚先天的に欠いているのだという。共感が出来ないからと言ってその人がサイコパスであるとは限らないことに気をつけたい。


この共感が強すぎることで、映画テレビを見るのが苦痛だという話が、しばらく前に話題になったと思うので、「共感」というものがピンとこない方はそっちを覗いてみるのがいいかもしれない。

"恥をかくシーン"が苦手な人たち

話は戻って、名前変換によって、いくら登場人物自分名前を冠しているからといって、主人公自分だと思い込む、ということは「共感」ではなく「同一化」に当たるのではないだろうか。

サイコパスの話を持ち出してしまったが、専門用語としての話ではないのでその点はご理解いただきたい。


自己投影と称している人の中で完全な「同一化」ができる人はそう多くないのではないだろうか。多くの人が、夢小説の中で恋愛をしているのは小説の中の「わたし」であって、今この世界にいる「わたし」でないものだと折り合いをつける。

自己投影ってなんだっけ - めもかん。

この記事を書いた方も、おそらくそうだろう。


2は、1よりちょっとだけ現実の私と切り離されている。 なんというか、原作世界二次創作世界パラレルワールドだと認識しているのはこの層が多いんじゃないかなあ。 その世界の「私」となって、キャラと接するのがこれに当たる。

「同一化」と書いたものをこの方のいう1とするならば、2は「折り合いをつけている」人たちのことだろう。3の話はここではしない。


この折り合いが付けられた状態は、映画を見て登場人物共感して涙することと差がないように私は思う。




余談 コンピュータ名前変換 ゲーム夢小説

夢小説は、コンピュータインターネット回線の普及によってもたらされたジャンルであると思う。

それまでは小説といえば紙の書籍主体で、印刷物として市販されている小説主人公たちの名前は変えることができなかった。

それが、コンピュータの普及によってテキストの一部を自分名前に変えることができるようになった。これを女性向けとして利用した人が現れる。これが夢小説のはじまりだと思う。

夢小説の出現よりもひと足早く、ゲームでも主人公名前自分名前に変えることができることが「普通」になっていった。その片手で、インターネット上に公開された名前変換可能テキスト群が夢小説と呼ばれることになった。

一見違うもののように見えるが、双方デジタル化によって生まれユーザビリティの結果であり、本質的には同じものであると思う。

そこで、ゲームをしているユーザー自分名前のついた主人公を「自分だ」と思い込むことができるだろうか?

これは、できる人もいる、が正解だと思う。自分選択によって動きを変える主人公が、自分であると思う人もいれば、画面の中で動く人型のイラストを、自分が操っている操り人形だと思う人もいるだろう。

後者については、海外に多い「プレイヤー視点が画面になるタイプゲーム」のユーザー間では減少する可能性がある。ゲーム内のアバターアバターだと認識することは、ゲームプレイヤー自身アバター俯瞰する形になる、多くの日本産ゲーム特有感覚かもしれない。長くなりそうなので、ゲームでの視点の話はこの程度にしたい。

余談の余談

余談の最後に、私が思うゲーム夢小説の違いをまとめて、話を「自己投影」についてに戻していこう。

ゲームには操作性の問題がある。主人公の行動を自分で操る事ができる。この点が、ただ与えられたテキストを読むだけの「夢小説」とは大きく異なる点だろう。

夢小説の中に出てくる登場人物の行動を、読者は変えることができない。

夢小説の中に出てくる登場人物セリフを、読者は変えることが出来ない。

繰り返しになるが、自分意思とは違う行動を取り、違うセリフを喋る主人公に「共感」するのではなく、「自分だ」と思い込む、「同一化」する事ができるということを、私は特殊技能であると思う。

私の一歩先を行っているのかもしれない、とも思う。




同担拒否」を自称する方たちに対して、いくつかの疑問がある。

まず、私が思うのは彼女らは何を読んでいるのだろう?ということだ。

人が書いた小説を読めば、必ず違和感が生じるだろう。お母さんが枕元で、主人公名前子供名前に置き換えて読んでくれることとはわけが違う。クラスメイト貴方主人公小説を書いてもらい、プレゼントしてもらうのとも違う。

ただ、スクリプトを使って文字列自分名前に置き換えているだけだ。

好きな食べ物も、癖も、言い回しも、得意な教科もすべて変換するわけにはいかない。そんなに違う「わたし」とどのようにして「同一化」するのだろうか。

そして、彼女らは自分で書いた小説を公開するのだろうか?

自分恋人の話を綴った物語を公開して、自分と同じように彼を恋人だと思いこんでいる人が読んで、自分体験他人のものにされることが不愉快ではないのだろうか?

このあたりの感情の処理が、私には理解しがたい。


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本題にうつる前に周りくどく鬱陶しい話をしたのは、前提条件をはっきりさせておきたから、と断っておく。

本題はその「自己投影勢」がなぜ「腐女子こそ夢小説を書くべき論」に怒っているか

なぜ、私が「自己投影勢」が怒っていることに対して怒っているか

という話だ。

私がTwitter観測した限り、怒っている理由には大きく分けて2つあったように思う。私が見かけた2つの理由について話をしたい。



怒っている理由その1

自己投影勢」が馬鹿にされたと感じたか

だそうだ。



これは見当違いな怒りであると私は思う。「腐女子こそ夢小説を書くべき論」の中で、たしか

夢小説ってキャラ×自分なんでしょう」「わたし夢小説自己投影しないし」

など書かれている部分はある。

しかし、これは、この記事を書かれた方の意見ではないのだ。少なくとも私にはそう読める。

私が読むところによると、これは、世間から夢小説」に対して向けられている一般的感想だ。

偏見としてあげられる言葉を持ち出すことすら許さないならば、許さない人が偏見を持っている人にやめてくださいと訴えるべきだ。怒りを持っていく場所が違う。

誰が発言するかによって怒りが違うならば、それは貴方の心にある差別が原因だろう。胸に手を当てて心当たりを探ることをおすすめする。


そういうのもあるけどそれだけじゃないよ!


としているが、自己投影的な考え方を否定しているわけではない。むしろ、全体を通して自己投影は誰もが持ち得るものだと書いているように私には読める。

そもそも、「それだけじゃないよ!」は嫌っている人に嫌いなものをそのまま食わせる馬鹿はいないので「夢小説あなたが嫌いだと思っているものよりもずっと多様なものですよ」と話しかける言葉だ。自己投影を貶めることは書いていない。


行間から書いていない言葉を読み取るのはやめたほうがいいと、老婆心ながら言わせていただこう。

そのうち行間から呪詛を感じ取ってこの記事のせいで呪われたなんていい出しそうだ。

ちなみに今わたし貴方呪詛をかけている。嘘だけど。



怒っている理由その2

夢小説から自己投影勢が追い出される、

というものだ。




はっきり言おう。私にはこの感覚がまったく理解できなかった。そして、これを理解したことによって怒っている。

夢小説のはじまりは、自己投影にある、と言っている人がいた。これは当初のことがわからないので、間違っているかあっているか問題にしない。

私がこれに対していうことがあるとすれば「だから何?」だ。

から? 幼稚園児が遊び場の権利を「すべり台わたしが先に使っていたのでわたしのものです」と主張するくらいにどうでもいい。

余談としてゲーム夢小説の部分で触れたが、主人公名前を変えるという考え方自体は珍しくない。それを二次創作に使うことは、誰にでも思いつく可能性があったことだと私は思う。

夢小説流行り始めた当初、このスクリプト自分で書くことのできる人は少なく、多くの人が他人からこれを借りた。

その借りた先の人が「夢小説」あるいは「ドリーム小説」と読んでいたのなら、これは自己投影云々についていた名前ではなく、名前変換というシステム自体につけられた名前であると私は思う。

異論はもちろんあると思うが、自己投影がたしか原初であったとしても「だから何?」と私は返すだろう。


夢小説ルーツでの幼稚なマウント以外に、私は「追い出される」という感覚理解できなかった。なぜなら、10年以上も前から自己投影勢もあったし、オリキャラ勢もあった。共存していたのだ。

古の超大手夢小説検索サイト「ワンドリサァチ」さんのキャッシュからも、当時から細かく別れていた傾向のチェックボックスを見るとわかるのではないかと思う。

ちなみにワンドリサァチさんがページ消失したのはかなり昔のことだ。ワンドリサァチさんの消失夢小説界隈を、まるで神に言語を乱され方方に散ったバベルの塔逸話のように、引き裂いた。


夢小説史はさておき。なぜ突然、オリキャラ勢が押し寄せてきて……なんていいはじめたのか。

しかに数年前から「夢主はオリキャラです」と発言やすくなったことは感じているが、これはオリキャラ夢主で夢小説を書く人たちが、仲間を募り、自身創作を楽しんだ結果であると思う。彼らは自分たちで、自分たちの楽しむ場を作った。これに嫉妬しているとしたら、理解に苦しむところだけれど、同担拒否です!この小説は私じゃないので読めません!なんて言って、他人牽制しまくっている人がいるのなら、仲間が増えないのは当然だろうと思ったのでこの点は言及するのはやめておこうと思う。


私にとっては、自分の好みではない作品が増えたところで、自分の好きなもの絶対数が変化しなければ、どうでもいいことだったのだが、彼女らにとってはそうではなかったらしい。


問題になった「腐女子こそ夢小説を書くべき論」では、腐女子BL主題として扱った夢小説を書くことを勧めている。

このことに対してアレルギーを起こしたように反応している人たちがいた。


腐向け」という言葉が目に入るだけで、不愉快なのだそうだ。

そもそも、オリキャラ夢主と自分の推しが恋愛しているという情報自体が気に入らないのだそうだ。



腐女子が参入することによって、腐向けでもあり夢小説でもあるものや、彼女らにとって不快ものが増えることによって、住処を追われるのだそうだ。



先述の通り、昔からオリキャラ主人公とする夢小説存在していた。

夢小説を愛好する人の中には「腐向け」を嫌う人は多い。しかし、夢小説の中には「腐向け」の夢小説BLDと呼ばれるものもある。BL夢小説彼女らが何を思うことにも関係なく、すでに存在する。


はっきりいいたい。「何様のつもりだ」


インターネット上は公共の場所だ。不愉快ものを見ることもあるだろう。しかしながら、貴方にとって不愉快ものは、誰かにとっての大切なものだ。それを見て貴方が気分を悪くするだけならいい。

気分が悪くなるから、遠慮しろ、肩身を狭くしていろ、というのは傲慢がすぎるのではないか


腐女子も好きなジャンルで、自分が好きなカップリングとは受け攻めが逆のカップリングが増えてしまうこともあるだろう。逆CPは見るだけでイヤだという人も多いだろう。しかし、だからといって自分の気に入らないCPをの悪口を言ったり、そのCPが増えてほしいという人に、私の地雷から布教活動をしないで下さい、と訴えることを考えて欲しい。


私なら人混みで鳩尾に肘を入れるし、靴を踏む。(暴力はよろしくないと思うがそれくらい腹立たしい)


貴方自身の当然の権利と思って言っているそれは、これと同じことだ。恥を知るがいい。




マナーやら何やらで加工して訴えようと、本質は変化しない。貴方自分不愉快からと、他人活動制限しようとしているのだ。いかなる理由をつけようと「布教活動するな」と訴える行為正当化されないことを覚えておくべきだ。




腐女子の人が「自分の好きなものではないので書かない」ということとは、わけが違う。

自分の好きでないものに増えてほしくない、という権利貴方にはない。



そして、自分の好きなものが数で負けるなら、その分は貴方がかけばいい。貴方布教して増やせばいい。貴方夢小説を読んで楽しいと思った人が、同じような小説を書くように努力すればいい。

他人の足を引っ張るだけの行為生産性がない。



あと、検索で引っかかって云々とか言うな軟弱者。心を鍛えろ。

自分の行動の責任自分で背負え。

蝗に怯えて耕作を怠るな。実りのない田畑では人も増えない。


心優しい私は、対処法をあなたに教えてあげようと思う。心して聞くがいい。

Web ブラウザ上の文字列検索して非表示にするNGワード導入しろ。それくらい自分で調べろ。


最後に、そんな発言をしている人が存在するのか疑問に思う人もいるだろう。それでもツイート引用することは控えたことの意思は汲んでいただけたらと思う。

この長ったらしい文章攻撃目的ではない。軽はずみな発言をした人に自分発言を省みてもらうことが私の望みだ。

国が興るも滅ぶも人にあり。小林虎三郎

長岡藩支藩であった三根山藩(現在西蒲原郡巻町峰岡)が長岡藩の窮状を察し、米百俵を寄贈したが、分配されることを望む藩士らに向けて虎三郎は、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物養成するのだ」と教育第一主義を唱え、その米百俵の売却益を元手に、学校必要書籍器具の購入にあて、明治3年6月15日1870年7月13日)に国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目)に開校した(現在の市立阪之上小学校ルーツでもある)。

小林虎三郎 - Wikipedia

興学私議について

国を興すは教育にあり―小林虎三郎と「米百俵」 | 松本 健一 |本 | 通販 | Amazon

One Hundred Sacks of Rice : A Stage Play: Yamamoto; Keene, Donald (translator) Yuzo: Amazon.com




金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上。

2016-11-21

Twitterから書籍がうまれることへの雑感

「o号室」というアカウントTwitter上での投稿書籍化されたことが話題になっていたのだが、その投稿をここにいくつか挙げてみると、「なんでもそうだけど 大切なものほど後で気付くから」「大切な人をもっと大切にしていきたい」「遠距離だろうと近距離だろうと 続く人は続いていく」等々、具体的なシチュエーションは一切書かれていないが、恋愛関係における格言めいた言葉ポエム調の文体で並んでいるものであった。

上の三つのうち、一つ目と二つ目恋愛関係でなくとも、家族や友人といった人間関係全般に当てはめることができるものである。それ以外の投稿もほぼこういった、o号室氏が日常で頭に浮かんだ「気づき」めいたものが並んでいる。先に具体的なシチュエーションが書かれていない、と書いたが、o号室氏の投稿から想定されるシチュエーションは「恋人ガソリンをかぶってライターを握り電話してきている」「親が数千万円の借金を完済した」といったものでは決してなく、「恋人と別れた」「同級生部活を辞めた」といった多くの人が経験として持っていてもおかしくないもので、さらにその「ありきたり」な事象に対する投稿の切り口自体も「ぼっちになったのでヤケクソで風俗四件ハシゴした」といったおかしものではなく、その投稿独自性といったものは皆無だ。しかし、突如投稿される「一生届かない好きもあるよ」という投稿は多いときでは三万リツイートされる。

このたびそれらのTwitter上での投稿書籍となったが、「いちいち言わなくてもいいことをツイートにしただけで書籍化かよ」といった感想もあるが、「共感した」「泣けた」などの感想が多く見られ、刷られた部数も六万部を突破したことから、支持している人たちが多くいることは間違いない(無名作家や物書きの書籍の部数など、初版では数千部程度である)。

出版業界を考えてみると、

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いま、酒を飲みながらなるべく感情を込めずに「0号室とかいうどうでもいいクソみたいなアカウントキモいツイート書籍にして印税でカネを得ることが気に入らない」という私の感想他人共感を持てるように書こうとしたけど、面倒になった。結局、彼もおれも共感が欲しいのだろうか。0号室氏のクソ書籍Twitterでのクソ投稿も「共感しました」という感想で語られている。小説でも映画でも、「主人公共感を得られない」ということから評価を下げる感想が多くある。「共感を得られる」ことで評価されていいのだろうか。独自視点自分の中になかったもの見方)を読者やお客さんに提示する、それがメディア存在意義ではなかったのだろうか。共感というものに対して目くじらを立てるつもりはなくても、さすがに0号室の書籍はねぇよ。途中からグビグビ酒飲んで書いたからぐちゃぐちゃだけど、ねぇわ。あんなもん読んで人生が変わるわけねぇ。毒にも薬にもならない。カス。同じカスでも、深爪とかの方がまだ芸はあるかもな。独自性があるから(で?という内容だけど)

2016-11-20

コード譜(歌本)をめぐる状況

主にギター弾き語りで使われるコード譜というものがある。歌本とも呼ばれる。五線紙おたまじゃくしが泳いでいる楽譜ではなく、歌詞の上にCとかFとかF#m7とかのコード和音)が書かれているものだ。これとギターが一本あれば、絶対音感コード理論知識がなくても、弾き語りができる。フォークソング流行していた頃には、重宝されたのだろう。昔は流行っている曲のコード譜を載せた雑誌が毎月出版されていた。「月刊歌謡曲」(ゲッカヨ)をはじめ「ソングコンング」「歌BON」などがあった。今はすべて休刊している。月刊誌ではなく歌手別や年間ヒット曲を集めた書籍としての歌本は今でも残っているようだ。



これらの出版物は、電子書籍に移行することはなく、今ではウェブ無料で見れるものとなった。速報性や検索性に加えて、カポタストを使った場合の転調に対応できる点も有利なのだろう。

代表的サイトJ-Total Musicだ。2002年から続く老舗である

他に楽器.meChordWikiU-フレットなどがある。



同様のサイトコードスケッチ(ttps://chordsketch.com/)がある。U-フレットと見比べてみると、新着にまったく同じ曲が並び、コード進行も一致する。

楽譜.me(ttp://gakufu.me/)というサイトがある。「当サイトディープラーニングによる楽曲分析を行うための実験サイトです。」と書かれているが、生成方法は謎でコード進行は正しいものとは思えない。サイト名は楽器.meとの誤認を狙っているのだろう。

これら二つのサイトは、Google AdSenseIDが一致(ca-pub-9885680373061782)する。



コード譜は、耳コピにより作成される。コードを聴き分けて書き起こすのだ。そしてその解釈は一意ではない。

例えば長渕剛の「乾杯」のような元々ギターだけで弾き語られる曲であってもそうだ。

http://music.j-total.net/data/021na/001_nagabuchi_tsuyoshi/005.html

http://gakufu.gakki.me/m/data/DT08823.html

https://ja.chordwiki.org/wiki/%E4%B9%BE%E6%9D%AF

http://www.ufret.jp/song.php?data=943

イントロや「君に幸せあれ!」の部分が異なる。採譜者の耳や感性によって変わるのだ。初心者が弾きやすコードが選ばれることもある。



歌詞には著作権があるが、JASRACをはじめとした管理団体委託されていて、利用するのは容易だ。そしてコード進行には著作権適用されないというのが定説だ。料理レシピと同じであるパクリOKなのだ

コードの採譜には能力と労力が必要であり、無償ではない。昔は紙の本の売上で制作費を賄っていたが、今はネット広告収入運営されるものとなった。違法でないからといって、他人の成果を横取りして利益を得ることは認められるものではない。

カラオケが広く行き渡りDTM環境が充実する現在でも、手軽で自由度が高くシンガーソングライターへの入り口でもあるギター弾き語りの愛好家は多い。この文化が廃れないことを望む。

2016-11-12

バーナード嬢曰く。』(施川ユウキ著)の魅力(序)

 2016年秋季放映のアニメの一つに、『バーナード嬢曰く。』(施川ユウキ著、一迅社2013年~)があります


 アニメ化の報には心躍り、楽しみに待っていての放映です。毎週楽しく拝見しています

 その流れに乗って、ここでは、原作コミックスの主な魅力について、特に焦点を当てて述べます

 

イントロダクション>『バーナード嬢曰く。』の紹介。

 『バーナード嬢曰く。』(以下、『ド嬢』と略します)の一巻(発行当初は1巻完結の無印)の裏表紙には、

本を読まずに読んだフリをしたいグータラ読書家”バーナード嬢”と

読書好きな友人たちが図書室で過ごすブンガクな日々――。

聖書』『平家物語』『銃・病原菌・鉄』『夏への扉』『船を編む』『フェルマーの最終定理』……、

古今東西あらゆる本への愛と”読書あるある”に満ちた”名著礼賛”ギャグ!!

と、紹介されています。本好きの方々も、本好きのフリをしたい方々(なにせこちらが主人公高校生)も楽しめる二層構造になっています

その中で、特に強く良いと評価したい点を述べます


<『ド嬢』本編の主な良い点>


1、表紙がサプライズインパクトに満ちています

 まずは表紙をご覧になって、「ええーっ!」とか「えっ……?」とか「せ、正解って!? 何??」(2巻参照)とか「おおっとぉーーー!」(3巻での私の率直な感想)と、何らかのリアクション、心の想起が起こることを期待しています。そこから本書を楽しんでほしいです。


2、一話完結で、8~10ページの長さなので、少しずつ読むこともできます

 マンガジャンルとしては、本著はショートギャグであるので、比較的手軽に読み進めることができます


3、マンガの幕間ページの関連コラムも、短いエッセイを読んでいるようで楽しいです。

 作者の施川ユウキ先生が何を考えて本編に至ったのか、垣間見ることができるようで面白いです。コミックスでまとまった活字も読めて、おトクな感じがします。


4、取り上げられている本の多くは、比較的読みやすく、入手可能でありつつも、中には難解だったり、レアな本も混じっていて、読書欲を昂進させます
5、読書の敷居を下げることに貢献していると感じました。 

 自身を「バーナード嬢」と自称している主人公高校生町田さわ子の態度は天真爛漫そのもので、肩の力が抜けるような思いがします。 

6、<重要!>「参考文献」リストがしっかりしています

 一般書では、そもそも「参考文献」リスト存在すら無かったり、あったとしても発行年や出版社名が書かれていないケースが多い中、『ド嬢』では、本編に登場する書籍の基礎データが、『タイトル』(著者名、訳者名、/出版社名/発行年)の順に並び、話数ごとに分かれ、登場順にリスト化されています。これは、「次に未読のこの本を読んでみよう」とする読者にとって、非常に親切なつくりとなっています。整然としたリストを見ると嬉しくなります

 公立図書館に所蔵しても、読書促進の助けとなるのではないでしょうか。

 ただ、1巻では、おまけページ(44ページ)の『百年の孤独』について、「参考文献」リストの中に見つけることができなかったのが残念です。私が所有しているのは、初版無印なので、現行とは変わっているかもしれません。


<切なる願い> 

 願わくば、『ド嬢』と同様に、『がんばれ酢めし疑獄!!』、『サナギさん』、『もずく、ウォーキング!』、『オンノジ』、『鬱ごはん』そして『少年Y』(原作「ハジメ」名義)もアニメ化されることを願っています

 実は私の頭の中ではもう放映しているのですけれど、やはりそこは、プロの方々に、自分想像を超える作品を作っていただきたいのです。


総合的な施川作品の魅力>

施川作品の最大の魅力のうちの2つは、「自力で考えられ得るところまで考え出し、そしてその考えた筋道を明瞭に示しながらもギャグ昇華しているストーリーテリング能力」と「一見簡略化されているようにみえて、実はシンプルで可愛らしい絵柄」にあると、私は評価しています


<今後の予定>

 『ド嬢』の登場人物、登場書籍、そして本編での個別ストーリーギャグ感想は、別のエントリを立ててこちら、つまり、ここの匿名日記のスペースをお借りして、少しずつ、その魅力に詳述していきたいです。

2016-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20161109215129

etc-etc先生プライベートモードを解除してはてなに戻ってきてもらいたいので

先生特定をしてみたいと思います

先生にわかって頂きたいのは、住所と職種特定されても恐れる必要はないということです。

>幸い、僕はその職業従事していないのですが、実はそこに関連のある職業についています

「その職業」とはおそらく税や社会保障に関する職業であると思います

先生税関係の専門的なブコメを多数されてていますし、『経営分析の基本がハッキリわかる本―「会社数字」がわかれば一生食うに困らない!』という書籍にもブクマされていました。

また、税理士タグで137件ブクマされていたこからもこれは推測されます

>直近に起きた事件記事に近所で起きた旨コメントしてたので、こういう危ない人に「職種と住所は分かってるよ」と言われた怖さといえば分かるでしょうか。

これはキャッシュが残っていました。

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:kGj51H0eGmQJ:b.hatena.ne.jp/etc-etc/+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=us

名古屋市名東区八前二、うどん店「めん工房むらかみ」の経営者村上徳さん公園うどんをまきちらし事件ブコメされています

以上からetc-etc先生名古屋市名東区に住む税関連の職種の方だということが推測できます

これらは先生が自ら付けられたブコメから判断できることであり、プライベートモードを解除されればさらに絞り込める可能性はあります

ただ、それだけで正確な住所氏名職場まで特定することは困難ですし、仮に番地まで特定されても先生本人が認めでもしない限り100%確定にはなりません。

住所と本名特定されても元気に活動している方々もネットはいらっしゃられます

第一ポリコレの棍棒云々のブコメをしただけで特定しようとする人はいないと思います

先生ポリコレ支持者やはてサ特定して嫌がらせてくるのではないかとおそれているようですが、ブコメ異論を書いた者全員にそんなことをしていればキリがありません。

仮にそのような嫌がらせをされた場合弁護士警察相談されればいいと思います

先生ビビりすぎです。もし特定されるとしたら先生主義主張が原因ではなく、ビビりっぷりが面白かったためではないかと思います

はてなは半匿名ですので、ブクマ傾向やブコメを紐づけして人物像を推測することは可能です。

しかし、だからと言って萎縮する必要はありません。正確な個人情報特定するのは困難ですし、思想の違い程度で拡散嫌がらせを受けるようなことはほぼないでしょう。

先生ポリコレの棍棒を恐れすぎです。安心して早く帰ってきてください。

2016-11-09

藤沢数希のまとめ

物理学と金融業は虚飾。本当はアムロのバックオフィス(年俸推定600万)

WEB上の活動記事や対談(100本以上相場1本一万から)。出版社媒体で自社の書籍宣伝目的でそれ以外はアゴラとSPAのみ

・「なぜ投資の~」は25000部印税400万、「僕愛」は確定7000部100万。どちらも内容は剽窃(パクリ)

ブログは09年で推定月間50pv未満、推定収益は最大月20~30万

ツイッターブログ書籍メルマガ宣伝目的

まとめ

ダイヤモンド社幻冬社以外からまともな依頼がないこと、「僕愛」は実売5000部であること、メルマガの内容は公表部分のオチ外人相談であることから言って、藤沢数希は極々僅かの信者以外には世間でまったく相手にされておらず、そのコンテンツ価値は経歴の詐称ホリエもんと絡むことしかない。メルマガ以外では普通サラリーマン以上稼いだことはない、剽窃した情報商材を騙し売るコジキ。

2016-11-08

金融日記大先生って以外にビンボー?

加藤 貞顕 氏、株式会社ダイヤモンド社 書籍編集局 第三編集部

『なぜ投資プロサルに負けるのか?~あるいは、お金持ちになれるたったひとつクールなやり方著』

藤沢数希 2.5万部

セミナー『売れる企画はここが違う』より」

http://www.1book.co.jp/003523.html

印税10%だとすると25000×1600×0.1=400万円

えっまじでこんなもんなの?詳しい人教えて

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisaw/archives/9111159.html

2016-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20161107183848

トランプの方がなんぼかマシというのは少なくない無党派白人層は思っているらしい。

知識層の間では書籍クリントンキャッシュ』の影響も大きい。

ただ、マイノリティ支持層関係クリントン優勢ではある。

2016-11-05

中学校LGBTの人にも使いやすトイレ」のニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20161104/k10010756371000.html

ブコメの反応が思った以上に否定的で驚いたんだけど、よく考えたら、なんの前知識もなければ私も文句つけてたと思う。

記事の中に

「ほかの学校で応用する場合当事者本人の意向を丁寧に確認して対応していく必要がある」

とあるが、その通り。丹原東中だから大丈夫なんです。

私は愛媛に住んでいて、丹原東中の挑戦を割と近いところから見ている。

2014年度、文科省人権教育研究指定校となった丹原東中は、当時の校長の発案で「性的マイノリティ」を題材に取り上げた。

独自資料書籍を集めたほか、愛媛LGBT当事者団体と連絡をとり、教材作りから全面的な協力を受けている。

当事者団体代表は、最初に「生徒さんの中にもいると思われますが、当事者探しをするようなことにだけはならないように」とお願いした。

中学生の中には「マイノリティ」の意味もわからない段階の子もいる。繊細な問題を、焦らず段階を追って教えることに、先生方は大変な努力をして取り組んだ。

私は、LGBT当事者サイドからその取り組みを追っていた。正直最初不安だったが、日を追うごとに生徒の様子が変化するさまを見ると、素晴らしい経過をたどっていることがわかった。

それは実際の生徒の言葉からも感じられると思う。段階を踏んで、このように変化した。

最初は、どうせ『道徳時間』を作るための授業だろうと軽く考えていた」

「世の中にはそういう人もいるんだ」

社会偏見があるとわかって、家族や友人に、言えなくて苦しんでいる人がいるかもしれないと思った」

「今はまだわからないだけで、自分が『性的マイノリティ』の可能性もある」

周囲の人を思いやる段階さえ過ぎて、自分のこととして捉える感性が育っているのだ。

丹原東中の性的マイノリティ学習は、「性的マイノリティ知識を身につけ差別をなくしていく」という趣旨で始まったが、学校側や関わったLGBT団体の期待した以上の良い変化を生徒にもたらした。

差別用語を使って人をからかうようなことをしなくなった。

精神的に安定し、穏やかになった。

セクシャリティに限らず、相手が何か問題を抱えている可能性に配慮し、また、自分の抱えている問題相手が暴くことはない、という信頼関係が生まれ育っている。

こういった学校であるから、まだ教育を受けておらず差別的言動をしてしまう新入生がいても、徐々に人権感覚を身につけていく。

3年にわたる連続した学習があって「思いやりトイレを使ってもいじめられることなどにはならない」と、確信を得て今回に至ったのだ。


また、元記事中で使われている「LGBT」という用語は、レズビアンゲイバイセクシュアルトランスジェンダートランスセクシュアル)の頭文字からきた言葉ではあるが、そのほかにも様々にある性的マイノリティ総称だ。「トランスジェンダーの方に配慮」といった時にこぼれ落ちてしま性的マイノリティを含むという考えでこの言葉を使っているのだと思うので、LGBには関係ないなんて責め方しないでやってください。

PV数や収益ばかり気にしてるアフィブロガーへ

PV数や収益ばかりひけらかすアフィブロガーをたくさん見てきたが、物を書くというのはそういう数やお金ばかり優先するようなもんじゃないとずっと思ってきた。

内容で人に感動を与えたり笑いを提供したり、ちょっとした雑学を読んでもらって読者が読んで良かったと思えることを書くのが書き手存在意義だと考えていた。炎上なんてもってのほかである

そう考えながら自分はずっとブログを書いてきた。何十万アクセスも、ましてや収益なんて一切なかったが、読んでくれた人が読んで良かったと思えるような内容を考えてずっと書いてきた。

そうしてやっと書籍を出せることになった。自分名前を使ってだ。内容は特定を避けるために公表しないが本当に嬉しかった。書籍化が決まった夜はセブイレブンで少し高級な肉まんプレミアムモルツを買って、泣きながら肉まんを頬張った。本当に嬉しかった。

正直儲けることを考えてアフィリエイトをやろうかと考えたときもあった。でもそれでは自分が何のために文章を書くのかわからなくなりそうで、金のために文章を書くだけの人間になりそうでなんとか踏みとどまってきた。

アフィブロガーは確かにアクセス数はすごいし収益もすごい。だが数年たてば誰も貴方の様なアフィブロガーの名前は覚えていないだろう。記事の内容だって忘れられるだろう。だって皆でアクセス数が稼げる内容ばかり書いていたのだから、そこに貴方アイデンティティはない。

書籍化したら絶対言ってやろうと思っていた。文章を書くというのはただ金を稼ぐためにあるわけではない。読者の人生の肥やしになるために書くのだ。それが積み重なって自分の肥やしになる。文章なめるな。文章を尊ぼう。文章で人を幸せにしたい、そういう人達文章が世に広まることをずっと願っている。

2016-11-03

Twitter存亡の危機ニンジャスレイヤーのあり方をも変えた

Twitterのおかげで人気を博した作品ではあるが、

肝心のTwitterがいつなくなってもおかしくないくらいに落ちぶれている(国内では未だ不可欠レベルインフラになってはいるが……)

また、物理書籍以外にも収入のアテを見つけたいという思惑もあってか、

一部コンテンツnote配信するようになってきた

これも生存戦略なのだろうなあ

ブコメしまくる人達動機意図についての考察

はてな上場しそれなりのネットサービスとなり

人気はてなブロガー出身ライター達が書籍出版にこぎつけたり

匿名ダイアリー日本死ねエントリブレイクするなど

はてな界隈一定コミュニティ媒体としてのバリューが生まれはいるが、

ブログ記事を書くわけでもなく

ブコメの多くは毒にも薬にもならない数行の皮肉や軽いジョークであり、そんなブコメid入りで行っても何も得にならないにもかかわらず

短期にせよ長期にせよせっせとブコメしまくる人々がいる

ザーバのように名物変人になり自分ブログ誘導するほどのキャラ作りをしているわけでもない

あれはまじものだとは思うが

彼らの意図目的はいったい何なのだろうか

ひとつには自分意見を書くことによる充足感であろう

人間の脳は自分意見を書くと快楽物質が出るという記事をよんだことがある

承認欲求という説明もできるだろう

ブログを書いても読者が集まらない

Twitterなどでもフォロワーが集められない

さみしい人にとっては

はてなブコメフリーライドやすい場かもしれない

書いてる途中でブクマカとかどうでもよくなってきたので好きに生きろ

何でも好きなことをすればいい

2016-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20161029111341

なんだろう、リュックはいろんなものを入れる前提だけど

ランドセルは本とかノートとかの紙類や筆記具、電子機器なんかを入れる前提だとかかな

リュックは衣類だったり身の回りの小物だったり弁当だったりなんでも柔軟に入る、

もちろん本もノートも入るけど雑然とする感じ

あと、本ばかり入れると重くなるし形も崩れる

ランドセルは紙を運ぶ前提なので形が固定されてて安定感がある

あと重い紙を長期間に渡って持ち運ぶための耐久性考慮されてる設計

けどまあ、書籍電子機器を運ぶリュックというなら少し前に流行った箱型のリュックでいいんだよな、学生がよく持っているやつ

大人が持つの微妙な気もするけど

土屋鞄大人ランドセルの予約が今日の午後からネットと実店舗で。

ほしいなと思ってチェックしていたのだけれど、当日になって迷う。

カバンパソコンなんかを持つと重い。背負う方が楽だ。

革のきちんとしたものなら、ビジネスユースができる。

パソコン書籍ノートの類を背負って運ぶための

きちんとしたリュック形状のものが欲しかったところからの興味だったのだけれど。

実物を見ておらず、ネットサンプルを眺めているのだけれど

どうも実際に使うと自分には似合わない・そぐわない気がする。

今日予約して、届くのは12月の中・下旬らしい。

クリスマスの時期だし素敵だなと思うけど、どうも踏み切れない。

ネット予約店舗予約ともに14時頃から

実際に店舗の展示品見に行ってみるのが良いだろうか。悩む。

2016-10-23

つうか学校教育恋愛を教えるべきなんじゃないか

恋愛離れ恋愛離れと嘆く割に、じゃあどうすりゃいいのさ、となると

『知るかボケ自己責任自助努力でなんとかしろ!』…こんなんで恋愛離れが改善するわけないと思うんだが

まあ恋愛学校で教えようなんて流れにならん理由は、

恋愛上手な人にとっては「恋愛なんて普通に生きてたら普通にできるだろ」とおっしゃるけど

それが大マチガイなんだと思うよ

だってさぁ、「何すりゃいいか」分からないんだよ、恋愛できない人間にとっては

レールが要るんだよ、レールが

そしてレールが無いならじゃあ恋愛はいいや、としかならんのだよ

そこらの書籍ネットで溢れてるアドバイスとかじゃなくてレールが!もっと公的で強固なレールが!!!!!!

それが無いなら恋愛離れをいくら嘆いても仕方ないことだろう



恋愛カリキュラム的に教えられるもんじゃない」なんてクソクソウンコ言説としてゴミ箱にぽーいしないと話にならんだろ

あんたらホント恋愛離れを嘆いてんの?ってカン