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はてなキーワード: 教科書とは

2016-09-27

今まで出会った中で一番すごい人。

遠い昔に働いていた職場での話である

「私、突出していたの」

前触れもなく、そんなことを言い出した年上のおばさま。

私はといえば、頭の中に「?」がひとつ

彼女淡々と続けた。

学生の頃、教科書とかもう早くに読み終えちゃって、授業が退屈で仕方なかったの。だからサボったこともあったわ。先生は、テストの点数さえよければ何も言わなかったしね」

うん十年前の懐かしい思い出なんだろう。

でも、普通、突出してたとか自分で言う?というより、本当は突出って悪い意味で使うんだっけ?(念のために調べたらいい意味だった)

なんてことを考えた後、口からポロっと出たのは

「授業サボったこと、後悔してるんですか?」

という言葉彼女にとってトンチンカンだったのだろう。

別に」と、ちょっと驚いた様子で返してきた。

すごいですね!とか言ってほしかったのかもしれないが、どこもすごいと思えなかった。

彼女は頭はいい人だったが、精神的に問題を抱えている人で、私はよく攻撃対象になっていた。

ええと、多分続く。

2016-09-26

責任も「である」ことでなく「する」ことに生ずる。丸山真男を元に。

 http://anond.hatelabo.jp/20160921171221http://anond.hatelabo.jp/20160924215458http://togetter.com/li/1028423を元にして、http://anond.hatelabo.jp/20160925154605を書いたら、同じまとめ人に派生まとめを作られていた。こっちも派生議論を書いてみたいと思う。まとめ主がしつこくて嫌だと思っているのなら即刻消すので、そういうことをまとめ主が言っていたらトラックバックでお教え願いたい。

 http://togetter.com/li/1029287を読んで思ったことを書く。

 このまとめ文中で「ピルとの付き合い方(公式)」氏が仰っていることの中に、「ルールに反する【行為】はだめなんだ。」という部分がある。内心は規制できない、犯罪扱いはできない、という内容のあとで、では何が規制されるのか、ということを書いた部分だと筆者は解釈した。そうなのである。だめと言われなくてはいけないのは「行為」だ。

 これを端的に言うと、「である」ことではなく「する」ことを理由として規制対象である認定しなければならない、ということになると思う。

 さて、「である」ことと「する」こと。これは多分有名な文だと思う。高校教科書にも乗っている、丸山真男の「日本思想」という本の一節だ。丸山氏はその学問を「丸山政治学」とも称される偉大な政治学者である。同氏はその文章の中で、時効という概念について、権利要求「する」ことをし続けていない者はその権利喪失するためである、というようなことを書かれていたと思う。ここでは「する」ことが権利を得るための行為として書かれていたと思うが、これは責任を考えるにあたっても言うことができるのではないか

 筆者は法学政治学日本国憲法学(?)まともに学んだことがないので、以下の意見はかなり的はずれなのかもしれないが、「である」こと、つまり状態を以て責任を問われる、ことは不適切で、「する」こと、つまり行為によって罪を問うべきなのだ。そういえばコメント欄だったかどこかで「行為論」という言葉を見たと思うが、関係あるのかもしれない。

 もともとのまとめで言えば、「ロリコンペドフィリア)『である』事によって犯罪者認定され、人権制限される」のは不適である。「幼児危害を加えるという行為を『する』ことによってはじめて、犯罪者認定されて人権制限される」という方法が取られるべきであると思われるのではないか

 もちろんこの理論ロリコンペドフィリアに限らない。ほかのコンプレックス、例えばショタコンであるとか、あとはなんらかの病気にかかっている状態である(それが自己責任だとしても)とかにも言えると思う。透析患者云々論にもこのロジック適用できはしないだろうか。債権を持っている状態である」だけで権利が保たれないのと同じく、自業自得の結果病人である」ことも、責任を問えないような気もする。

 法学政治学その他疎いのに、予定外に細かいところに突っ込んだので、かなり問題点はあると思う。正直不適切な点は正しく知りたいので、できればお教え願痛いと思う。

 余談。トラバへの再返信。

 http://anond.hatelabo.jp/20160925193805に関して。

 たしかにそれも良い例示だと思う。あくま個人的にはだけど。「気に入らない」で人権否定も良くないように、気にいるからって権利無秩序に拡大するのもまた似たように良くないと思う。

2016-09-23

私は鬱病になれない。

私は昼休み喧騒の中、ただ1人孤独であった。

眠くはないけど、机に突っ伏して寝たフリをするのが定番だった。私にはやることがある。眠いから寝るのだ。だから1人でいるだけなんだ。そう心の中で唱え、必死自分を慰める。

私の居場所はこの机しかない。この机だけが私の唯一の友達だ。そう思い大きく息を吸い込んだ。使い古された机の木の香りが鼻を通り抜ける。途端、私は切なくなった。ああ、そうか私はこの机の「唯一」にすらなれないのか。私なんて所詮、沢山使ってきた人の中の1人でしかなかったんだ。4月からずっと使ってるのに、ただ私の片思いだったみたい。誰かの特別になりたいんだ。

本当は、私がいる世界は優しさで溢れているのに、入っていくのが怖いんだ。

変わった人間なら興味を持ってもらえると思ってた。でもその興味に答えられるほどの中身がないんだ。でも普通人間にもなれなかった。あの娘の話をされても私はあの娘を知らないし、貴方の前髪なんてどうだっていいし、自分で曲を作らないアイドルに興味なんて持てない。

友達がいないのは、きっと他人に興味がないわけじゃないんだ。

本当はあの娘のことが気になって仕方がないんだ。2つ結びの、スカートを膝までのばした、不思議あだ名を欲しがっているあの娘のことが。

ああ、君を知りたい。

現代文教科書の表紙が好きだと言った君の、美しいと思うものを。

弁当に入ってるハンバーグを喜んでいた君の、好きな食べ物を。

目を合わせて話さない君の、考えていることを。

ああ、君と語りたい。

あの娘の噂話よりも、前髪の話よりも、アイドルの話よりも、ドーナツの穴について、動物園動物幸せについて、宇宙人について。

自分気持ちのままに素直に行動できない自分が嫌いだ。

いっそのこと鬱病になってみんなから心配されたい。

なにもできなくても許されたい。

父親は言った。

「お前は鬱病にはならない」

と。

2016-09-19

国語教科書問題で一つだけ言いたい

舞姫はクソ

http://anond.hatelabo.jp/20160919223914

やっぱセックスとか暴力描写とか宗教とかマルクス主義とかにかかわる文章は載せられないんかな。

そういうの避けて、かつほどよい長さの文章を選ぶのは大変そう。

ゲームレーティングと同じで、発達段階に応じた内容を選ぶことの難しさはありますが、

自分場合高校ですし、高校生はある程度現実見えてるので、そこまで厳密なゾーニングをしたところで、という気にはなります

個人的にはセックス暴力描写も、「そこから客観的に何が読み取れるか」「どんなことが見えてくるのか」という点で、

教材としてだけなら、むしろ良い教育内容が作れそうだな、という感じはあります

宗教とかマルクス主義の例ですが、イデオロギーを色濃く含んだ文章は、難しいです

価値判断を含んだ文章理解するには、ある程度、筆者の価値判断材料理解しなくてはなりません

そして、理解した上で、共感するか、しないか

しない場合自分共感しなさをどのように伝えるか、と言った問題があります

すぐれて教育的な問題ですが、時間のなさ、カリキュラム教師能力、生徒の能力といった諸々の事情から、厳しいのが現実ですね

条件が整わないまま、価値判断を色濃く含んだ文章を取り扱うと、筆者の価値判断(読解ではなく)の押し付けみたいなことも生じる可能性があります

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自分中学校国語科の教員免許も持っていて、たまに中学校教科書なんかを覗いたりするんですが、

いわば「反戦小説」が全学年出てきたり、うーん、となることがあります

http://anond.hatelabo.jp/20160919223320

横だけど、国語教科書に載ってた文章って本当に印象が薄い。

面白かったなぁと思ったのは『檸檬』と伊藤整が書いた「愛なんて日本にはねぇんだよ!!」みたいな評論ぐらい(後者は配布プリントだったかも)。

やっぱセックスとか暴力描写とか宗教とかマルクス主義とかにかかわる文章は載せられないんかな。でも面白いのってこういうのだよね。

そういうの避けて、かつほどよい長さの文章を選ぶのは大変そう。

http://anond.hatelabo.jp/20160919222546

元増田です

日本語テキストの中にクソみたいなのがあるのは首肯しま

しかし、「読みやすさ」という意味でクソでも、よくよく中身を吟味してみたら、一考する価値のある内容や、卓見があるかもしれませんよね

「読みやすい」文章が書けるようになってほしいという気持ちは、国語教員としてもちろんありますが、

「読みやすさ」を守るために、本質的理解を拒絶してほしくない、

読みにくくても内容を掴んで、せめてそれからクソと言ってほしいという気持ちもあります

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また、「文学」という言葉が出てきましたが、いわゆる「文学作品」について、国語から切り離すべきとかそうじゃないとか、

いろいろ議論が紛糾している状況です

まだまだ勉強不足で、国語教育を取り巻く状況を正確に把握しきれていませんが、教科書のものが抜本的に変わる日も遠くないかもしれません

2016-09-17

久々に、手塚治虫漫画火の鳥の乱世編をみたら、

いきなり、マウンテンという猿山ボスの話が出て来た。

ああ。マウンティングではないけど、権力争いとか、高校生物教科書にもあったけど、

ニワトリのつつきあいの順序とか。

やっていたな。

2016-09-13

こち亀は年老いた

終わるってんで20年かそこらぶりに読んだわけだが、

お茶の間向けのコメディ番組みたいになってるのが悲しかった。

なんだよあれ。作品ジャンル変わってんじゃん。

纏とかい無難庶民といい感じになったんだか所帯持ったんだか判らん状態なっちゃってるのもそうだが、

なんか両津に限らず登場人物のギットンギットン加減が全然なくなってる。

中川とか単なるツッコミ役じゃん。

中川って、両津にツッコまれる役だぞ本来

っつーか顔が手抜きじゃん。中川と麗子の顔が。なんだよあの新聞4コマまんがか昔の英語教科書レベルの淡白な顔。

フリテンくんかよ。ニューホライズンかよ。エレン先生に負けてんじゃねえか明らかに。

昔のこち亀ハリウッドで作った男はつらいよみたいなゴージャスでバカエキセントリックで勢いで押しきれる作品だったのに、

今のはNHK辺りの昼間にやってる漫才番組欽ちゃん仮装大賞だ。

芸がない。

天丼だのみか。

こいつら全員ジジババか。

2016-09-08

苦悩から得た掃除の心得

掃除に対する私の考えを書きます



掃除嫌いだった10代の頃

10代の頃は掃除は大嫌いで、滅多にしませんでした。

学校からもらったプリントは机の上に平積みにで、たまりまくって机から溢れて床に落ちてても知らんぷり。たまにしか必要のない美術教科書などは学校から定期試験前に持ってくるように言われるのですが、どこにあるか分からず前日に大慌てで探したことがしばしば。

定期試験勉強中は現実逃避から掃除がしたくなり(苦笑)、ちょっとやって試験が終わってから続きをやろうと思うものの、試験が終わったらプレッシャーから解放掃除せずにそのまま。

毎年春、学年が上がってそれまでの勉強道具が必要なくなったときにあまり確認せずに一気に捨ててました。そのせいで日記など当時の自分を知る貴重なデータが残っておらず、今になればとても悲しい状況です。。。



一人暮らしをして目覚める

20代になって初めて一人暮らしをし、掃除に対する意識が変わりました。

最初の頃は、部屋にそれほどものがなく掃除する必要もなかったわけですが、今まで家族と住んでいた時間から急に一人暮らしになると、それまで家族がいたせいで食事時間を合わせたり風呂の順番待ちなどに時間が取られることがなくなり、かなり時間に余裕ができたため、「暇つぶし」として掃除をするようになりました。

リビングは、週1で床や家具コロコロしたり、掃除機をかけるようになりました。エアコンは3か月ごとにフィルター掃除機にかけ、半年ごとにエアコンの中身を専用のスプレーで洗浄するようになりました。

また、実家にいた当時は全く意識になかったトイレ風呂場といった水回りを掃除することを覚えました。水回りって放っておくと一気に汚くなります。それをいかに抑えるか、掃除の回数や掃除方法だけでなく、普段の水回りの運用も考えていかなければなりません。



私がそのとき思いつき、現在もしている水回り対処法は次のような感じです。


風呂場>

トイレ

  • トイレ掃除は2週間ごとに行う。毎回便器専用のクリーナーとモップで丁寧にこする。便座は便座シートで丁寧に拭く。(当初は「ブルーレットおくだけ」などを併用していたが、特に効果は感じられず、色が好きになれなかったので使用しないことに)
  • トイレは、掃除を考えると「小」は立ってしない方がいい。

どちらも定期的に行うように習慣付けられるまでは時間がかかりましたが、習慣になればこっちのものです。掃除している人からすれば当たり前のことでしょうが、定期実行が掃除の1つの要です。



さら儒教的思想に目覚める

その後、とある中小企業事務系のバイトしました。毎日朝礼があって選ばれた人が自分の好きなテーマプレゼンするのですが、その会社社長儒教的な考え方の持ち主でいろいろと教わりました。


その中でも次の言葉が印象的でした。

自分ダメになっていくとき予兆が見られる。部屋が汚くなっていたりするのはその予兆である


人は精神状態が落ちていくと身の回りのことに力を注ぐことができません。掃除ができなくなっていくのは自分精神ダメになっていくということだそうです。逆に考えれば、普段から掃除をしている人は精神衛生状態がよく、向上心をつけることができるということでした。(その会社ではそれを実践するために、毎朝朝礼の前に掃除時間が設けられていました)

私はこの言葉に感銘を受け、掃除は怠ってはならないと決心しました。



まとめ

まとめると次のようになります



掃除の基本>

  • 定期実行(最初は難しいが、しばらく続ければ習慣になって、逆にしないと気持ちが落ち着かなくなる)
  • ながら実行(別なことをしているときに並行して行えば、気持的・時間的負担も少ない)

掃除とき心持ち

ナコルルヘイトスピーチ (2016/9/9追記)

まず前提として発端となった若者たちツイートはこれだ。

https://twitter.com/toriwalking/status/773722928613429248

ゲーマー同士が@つきのリプライナコルルというアイヌモチーフキャラクターの話をしながら他愛ない会話をしている。

そこに多分「アイヌ」とかその辺のワード毎日エゴサしてる例の糾弾者が「怖いだろう、想像力がないのか?」といきなり喧嘩腰で噛み付いた感じ。

これで分かり合おうというのは、粗暴な言葉を使ったこの若者達でなくても難しいと思う。

憎悪ガチガチで固まっている本物のレイシストヘイトスピーチ野郎に遠慮する必要は全く無いが、

アイヌに対して特に悪印象も持っていない人々の言葉尻を捕まえて怒鳴りつけるのは、一体何がしたいんだろう。

(というか逆にナコルルを通してアイヌに親しみさえ持っているだろう、それが良いかいかは別として。外国人ニンジャサムライイメージ(※偏見)のおかげで日本人に親しく接してくれるのと一緒だ)



ヘイトスピーチってさ、直訳で分かる通り「憎悪表現」なんだよね。

新大久保で心から在日韓国人が憎くて「韓国人は消えろー!」って叫んだりするアレだよ、アレ。

いきなり呼び止められて「お前アイヌ人だな、死ね」と言われたらそれはヘイトスピーチで間違いない。

そこまで行かずとも、やはり同様に街中で「あーあー、アイヌ人死なないかな」と言われたのを当事者アイヌ人がたまたま聞いてしまったら、それは怖いだろうことは想像に難くない。

コンテキストとしてナコルルや同様の非実在キャラクターの話だったとしても。今回のゲーマー達のリプライのやりとりをエゴサした状況は明らかに違いはするけど、そういうシチュエーションだったとして)

そういう時、仮に一言

すみません、そういう意図ではないのかもしれないですが私はアイヌ人で今のあなた発言が怖かったです。」

と言ったならよほどの相手でもない限り、「ああ、自分発言は当該属性の人を傷つけていたんだな」と理解できるはずだし、そして静かに反省謝罪することだろう。そして以後は気をつけるだろう。



要するに伝え方の問題

本当にヘイトスピーチをやめさせたい、この世から根絶していきたいなら、コミュニケーションに気を使わないといけない。

今回の件についてだけ言えば、怒鳴りつけられたゲーマー側には明らかに理不尽感が残る。本人にそういう意図がないからね。

彼らに落ち度があることは間違いないが、それでも、軋轢は残るよ。粗暴な言葉にはそれだけ感情を動かす力がある。彼らだって人間なんだから

意図があろうがなかろうが、ヘイトヘイトだ」とか、そういうありきたりな言説もあるっちゃあるけどさ。憎悪ってそういうことだっけ?

「私が不快なのでその言葉はやめてください」はいいよ、まだ分かる。けど、「それはヘイトスピーチです」はさ、伝わらないと思うよ。

そんな喧嘩腰だと、新たな憎悪が生まれるだけなんじゃないの?本物のね。

という疑問が出てくるのは別にそこまでおかしなことじゃないよね。



と想いながら当該の人物のツイートを追ってたら、ナコルルゴールデンカムイのようなアイヌを描いたフィクション作品を片っ端からdisったり、

https://twitter.com/kotnei/status/773115914195566592

ネイティブではないがアイヌ語ツイートしてみた人に対して、該当ツイート検索で見つけた上で「間違ったアイヌ語拡散する責任感はないのか、間違っていると指摘がくるだけでもありがたいと思うべき」と噛み付いたりしている。

https://twitter.com/kotnei/status/770846937612324864



百歩譲って少数民族の、かつての歴史での被差別対象についてだから敏感になっている、もしくは半分頭おかしくなっているというのは分かるが、それにしても態度が悪すぎる。

初対面の相手に話すような言葉遣いとは思えない。



もうちょっとどうにかならないの?

普通、怖いものは見たくもないはずだ。何故わざわざTwitterで気に入らない言葉検索して殴りに行くの?それって逆に憎悪なっちゃってない?



みたいなことを書くと、

「私は弱者、だから私が怖かったり傷つくような発言は、誰に向けたものであれどんな意図であれヘイトスピーチだ」

強者理解されなくて結構押し付けがましい」

強者理想弱者押し付けはやめてください。あなた勝手にやってください。私には関係ない」

とか言い出すんだけどね。今回の燃料投下役のはてこさんとかね。



それって一生平行線だよね。現実問題、それでなんか進んだの?誰から理解されない独りよがりの全方位攻撃を何年続けるつもりなんだろ。





※ちなみに、オチにする意図ではないのだが、例の糾弾者(今回の件で若者たちからアイヌおじさんと呼ばれている)は、純粋日本人であり特にアイヌとは関係がない。




2016/9/9追記

気になったブコメがあったのでお返事します。

aramaaaa マイノリティマジョリティの気分を害さないようい抗議しないと聞き届けてもらえませんよというありがたいご提言です。

からこういう発想がダメなんだって

同じ属性、例えば日本人のおじさん同士だってこれくらいのことは気を使うんだよ。

電車内で携帯電話通話してる人がいたとして、私たちが「通話はやめてください」って注意をしたいとして。

その時はできるだけ相手に聞き入れてもらえるように穏やかに、不必要相手を傷つけたり、怒らせたり、追い詰めたりしないように伝える努力をするんだってば。当たり前にね。

いきなり携帯持ってる腕を掴んで「迷惑だと思う人がいるだろう!?お前は想像力がないのか!?」って言って、相手がモゴモゴしてたら携帯取り上げて叩き割るのは違うでしょう。



人間人間とのコミュニケーションについての話をしてるんだから、そこにマイノリティだの、マジョリティだの、勝手境界線を持ち込んであちら側こちら側って分けようとするほうがおかしいよ。

でも、もう年中差別のことで頭がいっぱいになっちゃってる人はそこがどうしても譲れなくなっちゃってるんだよね。

これについては、はてこさんの最新記事も本当に悲しかった。もうダメかもって思った。

http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/09/09/003414

「それにしたってヘイトスピーチ呼ばわりは行き過ぎだ、穏便に話し合い、理解を深めなければ元も子もない」という意見がたくさんあった。

わたしが思うのはそれを言っていいのは当事者だけで、加害者の子孫が被害者にそれを求めるのははなはだ見当違いだということだ。自分民族少数民族面白半分で揶揄することを野放しにするのは恥ずべきことだと思う。相手理解する必要があるのは被害者ではなく加害者の方で、自分立場をあかすことさえ危険当事者説明するためのリソースを割けというのは傲慢だ。

加害者の子孫」って。「自分民族」って。それってつまり日本語ではてこさんのエントリを読める日本人からほぼ全ての人だよね。

君たちは全員差別加害者の子孫だから野放しにするな、野放しにするなら同じ加害者民族のお前も同罪だって意見でしょう。これを過激と思わなくなってるのは、反差別のことを書きすぎて感覚普通の人とかけ離れてしまっていると思う。

そしてやっぱり、「リソースを割けというのは傲慢だ」って話になるんだよね。はあ……。

※ちなみに「理解を深めなければ元も子もない」って主張も最初から理解を深めるべきなのは加害者側ですって意味で、一方的私刑にするだけでは加害者理解されないよってことだと思うよ。

被害者理解しろなんてどこにも書かれてないはず。はてこさん、最近そういうミスリード増えたよね。。。


更にこの後、

無知免罪符にしてはならない

って話が続くんだけど。



ここから先はまた少し違う話。

上で言いたかったこととはまた全然うから別物として読んでね。



確かにかつてアイヌ差別があったことはみんな歴史教科書で習ってなんとなくは知ってる。

ナコルルや、ゴールデンカムイや、あとシャーマンキングにもいたよね?アイヌの子。そういったキャラクターで愛されて、少なくとも今の若い日本人達はみんな差別感情は持ってないんだよ。

ニンジャに興味津々な外国人の子供のように、無邪気だよ。それは良い面悪い面あるだろうし、"差別意識が全くない"ことで逆に今回のように元々口の悪いゲーマー達が迂闊で失礼なことを発言するかもしれない。



それがそんなに、悪なんだろうか。

「戦い続けるよ」なんて言われる、倒すべき相手なんだろうか。



今この瞬間オギャアと生まれ赤ちゃんにも、お前は加害者民族の子だって教えていくんですか?

なんかはてこさんの主張読んでると、もしかして静かに忘れられることが差別解消の第一歩なんじゃないかって思うことはある。

タヒニンってなんですか?そんな人いるんですか?僕達みんな一緒じゃないんですか?だっての子もこの子もみんな友達で、何が違うんですか?って、今の子ども達は本気で思ってるよ。

それを「あそこの家の子被差別民族の血なのよ。私たちとは違うのよ。私たち加害者なのよ」って教え続け、また時には迂闊な発言をした子を吊し上げ、それで何が得られるんだろう。



でもはてこさんみたいな人は言い続けるんだよね。知らないほうが悪い。免罪符にするな。ってね。

ここまで書いたけど、ずっとモヤモヤしてて結論は出ないよ。でもはてこさんからアンサーは欲しいなと思ってる。ごめんね。

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160903074101

せっかく浮世絵というキーワードが出たので、少し浮世絵見地からコメントを残す。

事実浮世絵美人は一重瞼が圧倒的に多い。

その前に、この文章のなかでいう浮世絵とは、江戸明治期の大衆画、木版画ということで話を進める。

本当は浮世絵定義でそれこそ一冊の本が出来上がってしまいそうなので、たぶんみなが一番あたまに浮かぶ絵として、そういうことにする。

おそらく、浮世絵美人で一番名前が売れたのは、歌麿のものだと思う。

https://data.ukiyo-e.org/tnm/images/C0027082.jpg

他方で、役者絵などは、二重が多い。

https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc147410

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/kunimasa005_main.jpg

役者歌舞伎ということで自動的男性になるわけで、女性男性という違いが大きいので、これをもってどうとはいえないが、とりあえずそれを覚えておいていただき、次の話に移りたい。

(もう少し言えば、役者絵も理想化して描く場合と、写実的に描く場合と、個性デフォルメを強くして描く場合とがあり、話が違ってくる)

他方で、現代漫画である

男性キャラは、イケメンキャラ糸目である

四乃森蒼紫や流川楓を思い浮かべてほしい。

イケメンキャラというよりは、クール糸目熱血漢、優男=パッチリおめめでふと眉、という図式である

藍染惣右介などわかりやすく、当初の優男の時から、敵役に回りクール性格に変わると目が細くなった。

ここで、仮説を提案したい。

「二重、ぱっちり目は美人を示すアイコンではなく、快活な性格を示すアイコンである

と。

そして、現代においては、快活で明るい女性が求められている(=二重、ぱっちり目)が求められている。

個人的には、セクシー系にはぱっちり目は合わないと思う。

逆に、ぱっちり目でセクシー系も合わないように思う。

そりゃ、セクシー系の壇蜜だってキティちゃんグッズくらい買っててもおかしくないだろうし、ぱっちりおめめの橋本環奈だってアブノーマルハードコアセックスくらいしてかもしれんが、その容姿にふさわしいキャラというものを、われわれは求めている。

再び、浮世絵の話に戻ろう。

その仮説を検証しながら、浮世絵世界での美人の変遷について語ろう。

まず、元号明和時代浮世絵が単色や二色摺りから、多色摺りへ変化したとき絵師鈴木春信である

イニシャルはH.S、ドSでHは鈴木春信と覚えてほしい。

多色刷りという技術的な革新もさることながら、女性像も革新的だった。

一言でいえば、ロリである

江戸時代女性像というのは、それ以前の髪を下したスタイルから、結ったアップスタイルに変化した時代だ。

アップスタイル女性社会進出象徴であり、いなせで粋で大人女性萌えていた。

そんなところに、春信はロリである

服装や髪形だけみれば立派な大人、でも体型はドロリ

教科書的には、はかなげな女性を描いたことになってるらしいが、端的に言えば、ロリハードコア凌辱される絵である

女性糸目である

幼児ポルノは持ってるだけでお縄であるので、持っていないしURLを張り付けることも出来ないが、ハードコアロリ裏ビデオには、おめめパッチリの二重美少女よりも、糸目の薄幸少女がよく似合うと思いませんか!?

春信の絵は、物語性が強く、その絵の場面に至るまでの物語や、続きの物語想像させられる。

そこに、例のエロである

薄幸そうな少女に、極太のデカものがぶち込まれてる絵を一度みてしまうと、エロくない絵をみても

「このあとされちゃうんだろうなぁ」

と思ってしまう。

いくつか、お気に入りの春信の春画アドレスを貼っておく。

スタンダードデカちんにされちゃう

http://okunoin.up.seesaa.net/image/IMG20no.189.jpg

レズプレイであったり

https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc149258.jpg

春信の時代のものは、春画でも相当お高くて(一般に、春画のほうが安い。芸術自分を騙せば100万でも買えても、エロパロのために何十万もは出す人は少ないんだろう)、春信の浮世絵を買うなら春画おすすめだ。

続いて、鳥居清長。

ロリから反動からか、長身美人を描いた。

https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc226102.jpg

たぶん8頭身、下手したら9頭身くらいある。

女性を一人だけ描くことはせず、かならず複数女性が絵に並ぶ。

群像劇のような表現を狙ったんだと思う。

自分は、清長が描く美人がけっこう好きだ。

体型も、表情も、健康的な感じがする。

まだこの時代も一重で糸目だね。

続く

[]ドノバン珊瑚礁

シナリオ教科書に失敗作の例として載せるべきなくらい支離滅裂な話だった。

 

戦後日本軍と戦った南の島にそのまま住み着いた医師ディダムの元を、故郷ボストンからアメリアが尋ねて来る。ディダム実家海運業の株が相続されることになったのだが、彼がもし現地で家族などを作っていると「ボストンの慣習に照らして」道徳的問題があるため、遺言状の条件により相続資格を失う。それを暴いて相続権を取り上げるのが目的である。娘が来ると聞いたディダムの仲間は、彼の家族を隠そうとする…。

 

というと、まるで相続権を争って秘密を守り通す紆余曲折という話になりそうなあらすじだが、違う。まずもって、ディダムの仲間たちは相続の話は最後まで知らない。ディダムが回診で近隣の島へ出掛けているうちに、なんとなく「娘には新しい家族とか隠しとかなきゃいけないよね」で隠すのである。ディダムは島に帰って早々、娘に直接「株とかそういうの要らないし」と、自分いかにこの島が好きかを語る。この時点でメインプロットは終わったも同然だが、何故かその後も惰性でディダム医師の3人の現地子(娘ふたり息子ひとり)の存在は隠されたままになる。

 

そもそも島の仲間は株のことなど何も知らないのだから相続権を巡って必死秘密を守る話にはならない。代わりに、ディダムの子供たちの偽の父親役を引き受けたドノバン珊瑚礁(店名)店主ドノバンとディダムの娘アメリアロマンスが途中から話の中心になる。相続の話は知らないくせにアメリア資産があることは「調べ」ただけで突き止めたフランス人総督微妙ちょっかいを出してきたりもする。

 

しかしこれもよく見ると変な展開であるドノバンはディダムの子供たちを隠すために父親役をやりながら、何故かアメリアの案内役のようなものも同時に務める。他に人材がないなら仕方ないが、隠すなら極力近づかないようにする方が良いのは当然である。このせいで、ディダムの子供たちと交流を深めたアメリアが、子供たちをディダムの家(つまり子供たちの家)のパーティーに招待したりして、変な感じになったりする。

 

結局のところ、この映画においては全ての出来事ドノバンアメリア交流を無理矢理作り出すためのヘタクソなお膳立てなのであるアメリアが島に来るために相続の設定をつくり、アメリアドノバンに惚れるために、ドノバンがディダムの子供たち相手に「良い父親」を演じる状況を作り出す。

 

あげく、アメリアは島のそこここで見た「マヌラーニ(姫?)」の名前から、これが子供たちの母親であり自分の父の妻である事を勝手推理し、そもそも相続問題もなければアメリアに新しい家族に対する抵抗もなかったので、そのまま家族和解し、本当は独身とわかったドノバンプロポーズされて終わる。(この「マヌラーニ」の名前も、父親たちと一緒に戦った記念碑名前がある、父親病院マヌラー病院となっている、マヌラーニの墓を教会で見かけた、だけで父親プライベート手紙名前があったとかですらないので、よく当たり前に推理したもんだと感服せざるをえない。)

 

こんな「父親現地妻がいたらすわ大問題、かと思ったらそんなことはなかったぜ」的尻切れとんぼな話が、脈絡のない乱闘シーンや、おっさんたちの「俺たちはよゥ…ここで戦ったんだよゥ…」という郷愁ポリネシア?のエキゾチック儀式とむりやりシャッフルされて映像化されたのがこの映画なのである

 

長々書いたが、実際この映画のめちゃくちゃさを実感するためには、見た人の大半がストーリーを間違って理解している、という事実を指摘するだけで十分なのかも知れない。ともあれ、何がしたいのか理解するのに苦労する映画だった。

 

南の島の風景はよかった。

2016-09-05

人間尊厳には差があると認めろ

私は病人だ。

特定を避けるため詳しくは言わないが、他人の手を借りる程ではないものの、比較健康生活を維持するので精一杯で、働くことが出来ない程度の病気だ。

さてここで、相模原障害者施設殺傷事件について思い返したい。

私は犯人思想賛同はできない。しかし、そういう考えに至る点については理解できる。

例えば、認知症意識がなく寝たきりで、寝返りも排泄も他人に頼り、胃ろうによってただ生かされて続けている老人をみてどう思う?その老人は生きているといえるか?

少しスケールを下げてみる。

自己認識もあり、排泄食事その他も自分で行うことができるが、病気によって脅かされる生命維持の対処に一日の時間がほぼ費やされ、働く程の体力もなく、ただ日々「生命維持の為に努力し、生きる為に生きている」人間は、生きているといえるだろうか?(これはつまり私自身のことだ)

意識の有無の違いはあれど両者ともに、生きてはいる。しかし、生命の維持、つまり「日々息をし、食事をし、排泄し、眠る」以外の行動はほぼできていない。そして当然だが、「日々息をし、食事をし、排泄し、眠る」だけでは人は生活できない。当人以外の誰かが、食費や光熱費や住む場所為のお金を払っている。

私の疑問はシンプルだ。

人間尊厳とは、何だと思う?

生きることは無料ではない。寝たきり老人は誰かが世話をする必要があるし、生きる以外の事が出来ない病人生活費は誰かが稼がなければならず、施設の中で介助を受けながらただ生き続けるだけの障害者もまた同じだ。

人はひとりでは生きていけない。助けあって生きていく。どんな命も尊い。そういった考えは美しい。だが、そんなもの現実的な病苦や伴う苦労に対して何もしてくれない。

ベットの上で意識もなく生かされ続ける人に尊厳はあるか?苦痛中日々を生き延びるだけの人間尊厳はあるか?他者尊厳どころか自分尊厳さえ認識できない人間尊厳はあるのか?

本人の意思努力社会他者から認知支援では補えず、その排除永遠に叶わない「尊厳への攻撃」は、老いや病苦や障害存在のものなんだ。

「生きているだけで素晴らしい」というのは、「生きている限り少なくとも何かできる可能性がある」という前提がある時に響く言葉なんだ。

生きているだけで苦しむ人間に、生きる為だけに普通以上のコストを払う必要がある人間に、何かできる可能性すら持てない人間に、「それは素晴らしいことだ」と言えるか?

からすればそれは、永遠に排除が叶わない「尊厳への攻撃」を受け続けなくてもいい人間傲慢だ。

こんな、苦痛と、屈辱と、惨めさと、無力と無為にまみれた毎日のどこが素晴らしいんだ。想像力のない馬鹿の戯れ言だ。私が生きていることが「素晴らしい」ってんなら、いつでも変わってやるから変わってくれよ素晴らしいんだろ?

生への手放しの賞賛なんて、「生きているだけで尊厳への攻撃を受けている状況」へ対する否定無視なんだよ。

生きていることは素晴らしいから、家族からまれいるから、どんな人間であれ個人として尊重されるべきだから。わかる。理屈はわかる。正しい。

しかし、私の尊厳私自身で決めたい。勝手に決められたくない。生きていることは素晴らしいなんて思想押し付けないでくれ。「ひとりで生きていけなくても、同じ人間人権尊厳があるんだから生きるべき」とか、勝手に決めるな。

生きていることが望ましく善であると思えるのは、今いる場所マイナスじゃないからだ。生きているだけで尊厳への攻撃を受けている人間がいることを知ってくれ。苦しみながら、もしくはその苦しさを自覚する事すらできないまま、”ただ生き続けるだけ”しかできない人間まで「素晴らしい」なんて言うな。そうやって何の区別もせず生の賞賛をするから、建前と現実ギャップに耐えられない人間が「障害者(等の弱者)は人に迷惑をかける存在から死ぬべき」なんて思ってしまうんだ。

老いや病気障害というどうしようもない理不尽と不幸と差異を、いい加減真正から受け入れるべきだ。健康人間とそうじゃない人間は、どうしようもなく違うんだ。

死にたいわけじゃない。差別されたいわけじゃない。人権を捨てたいわけじゃない。必要や不必要の話ではない。尊厳の話なんだ。

私の尊厳は、私自身や誰かが何をしようと、いつだって病気によって脅かされているんだとわかってくれ。

「辛くても無為でも他者迷惑をかけても生きろ」というエゴ傲慢を、せめて認めてくれ。

「生きることは素晴らしく、意味がある」なんて思考停止した理想を掲げるのは、もうやめてくれ。

ただでさえ病気で苦しいんだ。自分尊厳なんてあるのかわからない。それでも、自分自分で維持できる最低限の尊厳とはなんだろうかと悩んでいるんだ。これ以上、教科書に書いてあるような「人間尊厳」を掲げて追い詰めるのはやめてくれ。私はそんなところまで上がる事ができないんだ。

綺麗で完璧人間尊厳という言葉で覆い隠して、逃れられない理不尽を受けている存在から目を逸らすのはもうやめてくれ。

病気理不尽に奪われてカスしか残ってない尊厳でも、それが自分の上限だって認めて必死でそのカスを維持しながら生きてる存在を、認めてくれよ。

2016-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20160902031012

面白い記事だった&言いたいこと多かったのでトラバ





もっとちゃんとした就職予備校設置してほしいけどそういう変革は無理なんだろう。

→3年後くらいに、職業大学の話がでてるよね。

でもたぶん本質的にはあまり変われないところが多いんじゃないかな。

半端な時期に実施される検定ありきの専門学校が、半年カリキュラム制に合わせられるか超疑問だけど。

専門職大学創設を答申 文科省、3年後の開学目指す:朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/articles/ASJ5V3HL0J5VUTIL00J.html





パソコンのご本を読めるようになるのが難しい、という感じのお話。独学? が難しい。

>全体的なビジョンがないわけ。実際の世界がそれで動いてるようなビジョンが。だから読めない。

→わかる。そういうことじゃない、ってやつだよね。丁寧さはそこに求めないというか。

→でも丁寧に作らねば、苦情来るので、丁寧になる理屈もわかる。






>僕は社会の役に立つことを直接学びたかったよ。社会がどういう風に動いてるかみたいな話をさア

技術実態みたいなやつ。そういうのは学校で教わらないんですよね。

→実際のコードとか見れたら最高ですもんね。でも実務のそれは守秘義務で出せないから、技術者プライベートで造ったものくらいしか見せられないジレンマ







>優秀な人はバイトとかやって知ってるっぽいけど、それみんなバイトでやるの? みんなはやらんでしょ。

意志があるひとは飛び込むやろな。



>というかバイトみたいな形で社会参画しないと学べない知識だったら、それはそれでやばくないですか? という提起でもあります

やばいけど、安定しない市場規模から、なかなか学生育てる体制がな整えられない状況だし、状況が変わる見込みも少ないという。



>そういう知識があれば、大学図書館に置いてあるような「技術本」っぽいやつ? の扱い方がわかるんだろうなーと思う。

→うん、その通りかもしれない。(そうか、学生は、「技術本」の拾い読みの仕方がわからないことに今気づいた…)アルバイト大事




>僕が何を期待しているのかって?それは実務のうちで難しいお話が出てこない、環境の話、という感じ。

→?



>あるいは別にアプリなんか作ってないのかもしれないよな。とすると何かしらサーバーを使って捌くようなシステムサービスの細かい調節のお手伝いをしてたりするわけだ。

>その具体的なトラフィックがどうだからどうのこうの、というお話をしたり、アクセスの仕方がどうの脆弱性がどうの、新しい技術がどうの、という話だと思うんですけど、

>端的に言ってそういう話がぜんぜんわからない。そういう話がわかるとスンナリ進めるはずなんだけどな~と思いながら。

個別すぎて、フォローしきんないんだな!



親の金大学行ってるのに、なんかもっとこううまくできるはずなのに……という感じでつらい。

→これはわかる超わかる。出資者の親への申し訳なさ。でも親は子がしあわせそうだったらお金払う価値感じるから

 学び取りきらなくても、せめて増田学業を楽しんでれば、それが孝行になっているはず。



>そういうの、本とか、自分の足りない知識とか、おそらくその辺にあるんだろうな~と思いながら、でもバイトで働くにも微妙プログラミング知識必要で、「これまで何作ってきましたか?」と言われても、

>そういう、あんまりしっかりしたものを作ったことないし、

→いや、ホント1つ完成させるだけでいいんだと思うよ。スペシャリスト期待してない。新卒に。どちらかというと、0から実装する発想力とか、完遂力とか見てるんだと思う。自分求人担当した時にはそれだけ見てた。




絶対手打ちより良いやり方あるはずだけど、僕は知らんし、知らない以上何が効率的に作れるのかもよくわからないし、わからないことにはできるだけ手を出さない方がいいな、と思う。

→いや、そこはやった方がいい。愚鈍でも。

→なぜかと言うと、あったとしても、まずは手打ちの手順理解してないとそれのメンテ全然できんからね?メンテしないで済むフレームワークツール)は存在しないですん。




>同年代で「めちゃくちゃプログラミングできちゃいます!(漠然)」みたいな人間いるけど、僕が例えばどういう本読んでどういう道筋を歩んだらそういうカンジになれるか、かなり見えなくてつらいし、

→まずは1つ作りたいものを考えろ。簡単な奴な。なるべく。

 で、それを実装するための手法を、泥っぽくても良いから考えろ。これな。

→それ繰り返してる内に、『調べる力』がまずつくし、点がたくさん生まれて、その内つながるから




>「でも本当に役に立つ本って開いた瞬間に読みやすいのでは?」みたいな信念がある。 これが原因なのかな。でも、この信念、少なくともこれまでめちゃくちゃ役に立ってきたものなんだよなあ……。

→それだな!それは『教科書がある世界』までのお話や。先人がいる世界までの話。

温故知新じゃないが、先人が残したものの先から私たちがやるべき領域で、独自領域になってくる。(学問の「研究」が指すところ)

 独自の歩みを始めると人口がぐっと減るから、読みやすさ極めた本はなくなるぞ。じゃなきゃ英語リファレンスなんか読まないんよ……。()




>そういうのができるようになるのかと思ってたらあんまり学校でも学べる感じじゃない。全体像とは……となっているけど、こういう悩み、自然解決したりしなかったりするんだろうな。

自然解決はしないね。地道に自分トライアンドエラーするしか。で、全体像は、個別すぎて全種類フォロー不可能なので、共通部分となると、理論の話とか、すでに学校でやってる内容がそれなんですな。振出しに戻るみたいになるけど;

→だから共通部分やった後、大学ではゼミ制になるんじゃないかな。




>できるところからできるところだけ勉強していきたいと思います。それが、僕にとって、よくわからない本をじっと読まなきゃいけない義務から抜け出した罰の引き受け方っぽいので。

自分カンを働かせて調べようとしてるこの姿勢こそ、この記事での悩みの解決策になると思う。とてもよい増田

→これが遠回りだとしても、これも一つの近道(学生にとっては必要過程)だから、まずやってみて、そしてまた詰まったら増田投稿してほしい気がする。

→これは個人的レスだが、まずは「何を作りたいか」「何をやりたいのか」を持つと、自然とやることや調べる事も見えてくるから、それを大切にするのが一番近道だと思う。








長くレスしてしまったけど、

こういう投稿するってことは、悩みを外に伝えて

前に進もうとしてるってことだから

すごい成長するにおいがする。


増田のこれからが楽しみ。

2016-09-02

まあそんなもんですが

anond:20160902031012

勉強必要教科書は3種類あって、

1.お経(いわゆる動物本がそうなの?みたことないけど)。順番が乱雑、暗記するしかないものリスト単語帳。死ぬほど退屈

2.事例(問題集、例題にあたるのかな、一般的教科書

3.人(親とか家庭教師では不十分で、金出してくれるクライアントとか上司

 

好きな分野・やりたい分野だったらお経が通して読めるか、かたまりで丸かじりいけるかっていうと、そうでもない。

何かを一から自分でやりとげて、そのとき索引をつかいながら事例を引っ張りだすほうが覚えが早い場合があるし。

少しでも金をもらったら本気で覚えられるという人もいるし。

 

この人は3を欲しがっているんだけど、3は社会にでないと手に入らない。

コンピューター分野はドッグイヤーなので教師ができる人間はすでに働いている。

しかも、部下のしごとをいちいち採点して間違えたところを教えてやる暇はない。

 

実際的かつあたりまえなアドバイスとしては2にあたるもうちょっといいもの、を探すべきだと思う。

本ではなくブログの形かもしれないけど。

 

いきなりバイトすれば3から手に入れられ、楽(インターンというのもあるらしい。はてなでもやってる)

という言説を知っていても、

この人は1.2ができないうちに3にいってはいけないような気がしている。

真面目というか、まあ普通そうだよね。足ひっぱりそーとか思うと尻込みする。

 

で、その見通しが正しいなら、

無理に今3やっても失敗するだろうし、

実は適職がそこであるとも保障がないのでは。

今まで学科でやってきたことはまだ半分で、

コンピューターもいじれる別の職、になる、のでは。

 

今は、誰もこない道へいくために二足のわらじをはくか、

自分をほかの学生とおなじレベルに引き上げるかを判断すべきときなのでは。

ま、ようしらんけど!

2016-08-31

デス六がダメなざっくりした理由

今日楳図かづお先生インタビューを見た。

正直に言えば先生知識は(昔の)漫画エッセンスに活かせればよい、といった程度でとても表面的だった。

しかしそこに出てくる構想はとても面白かったし、着眼点がやはり世間的ではない印象を受けた。

知識を集積してそれを武器として使う人がいる。多くは自分自身自我を強く見せるためだ。

そこには知りたいという思いより、あるいは思いと併存して――でしゃばりな自己存在する。

単なる能力のことだけを言えば、Wkipediaの情報量個人が敵うことはほとんどのケースでないといえる。

では彼らがなぜ知識収集するのかという理由が前述にある。

一応ここまでがメンタル理由だが、もう一点重要な部分として自我のために、あるいは負けないために知識を集積する者達のオリジナルティのなさだ。

彼らは基本的知識を溜め込めば溜め込むほどノーマライズされて平坦化してくる。

発想よりも教科書に習って正しい知識で先輩面することを望んでいるので正確性のほうが重視される。

まさに楳図さんが感じていらした科学者の発想力に対する態度そのものだろう。

上記態度を「学者的」と形容することも間違っていないし、慎重だということもできるだろう。しかしそれはメンタルの話には基本含まれない。

勝つため、あるいは偉ぶるために集積された人間Wikipediaは、知ることもしくは勝つこと、マウントすること自体目的なのでそこから希望や発想をふくらませることが出来ない。

自分の中にいる裁判官が持つ批判精神が出てくるという可能性は0ではないにしろ、このような人種は産むことに対してとても鈍感だ。

それは目的が違うからだろう。目的が焦り続けるエゴの充足であればあるほど他人は楽しめない。そして心中嫌がられこそすれ尊敬もされない。

もし敬っている態度をとっているとすれば、恐れによるもの一般的空気に合わせてそう発言したに過ぎない。

正しさだけを求めて集積された知識演繹的に創造に繋がることはあっても、それ自体部品しかなく今後のAIにもWikipediaにもかなわないし面白くなりようがない。

人は聞くとき知識集積庫のWEBを探れば良いだけだし、書店で本を買い漁って保管すれば良いだけだ。もっともそれが死蔵につながらないことが大切だと考える。

2016-08-28

不安かられる大学時代を送っていた

ふと大学時代のことが思い出されたので書き連ねてみる。

私はとある地方都市大学に通っていた。現役合格だった。大学場所は、18年間生まれ育った町からかなり離れたところにある町。東京から電車などを利用して数時間かかるところにその大学はあった。ただ、地方都市はいっても、大学がメインの町なので、学園都市に近い。

それなりに偏差値の高い大学だったし、学びたいことがあったので、知らない土地に対する不安は何もなかった。でもいざ大学に入ってみると、大学生特有のウェイウェイした感じ、高校生ときから止まったスクールカースト、町特有の閉鎖感などが、自分合致しなくて、大学を始めてから半年くらいで授業以外のものにはかかわらなくなっていった。

授業以外で何をしていたかというと、本を読むだけの毎日。授業以外はいろいろな本を読んでいたと思う。授業の教科書。授業に関係する本。授業にもまったく関係のない本。なんとなく友達を作りたいなあとか、恋人欲しいなあとか思いつつも、やっぱりめんどくさいというループを回して、本を読み続けていた。

本を読む場所はその時々によって変わる。自分学部の休憩スペース。別の学部の休憩スペース。食堂喫煙所図書館など。そういったところをローテーションで組みながら、片っ端から本を読んでいた。

ある日のこと、数時間本を読んで、もう夕方だし、帰ろうかなって思った。日が暮れそうだった。ふと、ありえないくらい将来に対して不安になった。不安自体漠然としていたのだけれど、夕日を眺めているとひどく不安になった。

大学以外何もない町。閉鎖的な空間。本を読んでばかりでカラに閉じこもった自分。誰かはいるはずなのに誰もいない気がする感覚。何もかもが嫌でしょうがない。逃げ出したいけど逃げる方法もわからない。というか、逃げるという選択肢すら思いつかなかった。その頃は自分にもとりあえず友達と呼べる人はいたけど、別にそいつらにとって友達は僕一人じゃないから、気軽に連絡を取れるわけでもないから、よけいに閉鎖的だった。

ビルの中から何もない町に夕日が差さっているのをみると、なんかとてつもない不安に駆られた。だからといって、大学を休むとか、自傷行為かられるとか、そういうのは全然なかったんだけど。

この前私用で大学によってみたのだけれど、相変わらず人はいる。いるんだけど、いま改めて見ても閉鎖的な空間なことに愕然とした。

こんな閉鎖的な空間のなかでよく何年も生活出来たなとゾッとした。

2016-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20160827174356

刑法総論」って分野の教科書の「責任」の部分に書いてある。特に「原因において自由行為」あたりの議論

下士官兵ニ告グ

二二六事件の有名な文章にいわゆる「下士官兵ニ告グ」というのがある。参加兵士投降を呼びかけたものだ。歴史教科書等に載ってて(今も載ってるんかな?)多くの人が見たことあるだろうし、今でも時々Twitterだったりネット大喜利ネタになってたりする。

今までこの文章を見ても何とも思わなかったのだが、つい最近、これを当時見ることになった参加兵士たちはこれを見て投降しようなんて気持ちになったのかな?と思うようになった。

「三、お前達の父母兄弟国賊となるので皆泣いておるぞ」か。よくネタにされる文章だ。でも、泣いているとされるのは、「国賊となるから」であって「大切な家族死ぬことになるから」じゃないんだね。この文章を考えたのは軍人(しか戦前の)だからそんな考えは微塵も思い浮かばなかったのだろうけど。俺なら「俺の命なんてどうでもいいんだ」と思っちゃうね。

2016-08-26

[]日本メディアはなぜ報じない!?韓国を揺るがす7万人大暴動

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9c%e5%a0%b1%e3%81%98%e3%81%aa%e3%81%84%e9%9f%93%e5%9b%bd%e3%82%92%e6%8f%ba%e3%82%8b%e3%81%8c%e3%81%997%e4%b8%87%e4%ba%ba%e5%a4%a7%e6%9a%b4%e5%8b%95/ar-BBw484W?ocid=iehp#page=2

○ パリでの同時テロの裏で起きていた韓国での大規模暴動

 > 文氏は朴大統領教科書国定化の動きも激しく非難する。韓国では日本よりもっと偏った左翼的教科書反韓国、親北朝鮮教育がなされている。このことを懸念した朴大統領教科書一新必要だと判断し、国定教科書を導入すると決定したのだが、文氏もデモ隊もこの件に絶対反対のスローガンを掲げたわけだ。

○ 〈追記〉来年秋に控える韓国大統領選は?

 > (2016年4月13日選挙では)親与党有権者与党離れを起こし、親野党有権者野党離れを起こし、結果として第3の党としての「国民の党」に投票したというのだ。

2016-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20160820193743

重要なのはキリギリスもアリに変わることは、個人レベルでは簡単なはずなのに、親との関係などで悪循環に陥るということだ。

長期的な視点お金を貯めるとかいうことを、小学校でも教えるべきだ。

西川のりおの『ゼニはこう貯めるんや!』を学校教科書採用することを強く求める。

2016-08-20

京都神社仏閣をいろいろ巡ってみた後の率直な感想

清水寺】有名観光地と言われるだけあってやっぱり見ごたえがある。

金閣寺】壁に金箔貼り付けただけのただの家。ここに行くくらいなら銀閣に行った方が良い。

銀閣寺質素建物が周囲の木や池と溶け込んで美しい。周りの門前町もいい雰囲気

東寺五重塔はやっぱインパクトあるけど、1回見ればもういいかな。

二条城石垣普通の城と同じだが、当時の建物がちゃんと残ってるのはやっぱすごい。

龍安寺教科書で見たことある庭園が間近で見れるという感動はあるが、それ以外は特に見所なし。

醍醐寺観光客が少なく静かに見て回れるが、ここも1回見ればもう十分かなあ。

西本願寺建物デカいので近くで見ると圧倒される。

仁和寺】門や本堂の巨大さと、庭園の美しさを同時に楽しめる。

上賀茂神社】規模はデカいけど、ぶっちゃげただの神社と変わらん。

三十三間堂】千体の千手観音像が並ぶ姿は本当に圧巻。人にもお勧めしたい。

平等院建物は思ったほど感動しなかったが、付設の博物館がすごく良かった。

宇治上神社観光客ほとんどおらず、静謐神聖雰囲気平等院に来たらここにも立ち寄るべき。

天龍寺建物庭園・池が一体となった風景がすごい。これぞ、ザ・日本の美って感じ。

北野天満宮】まあ受験生なら言ってもいいんじゃね―の?ってレベル

八坂神社】提灯がいっぱい飾ってあるっていうくらいしか印象に残ってない。

2016-08-18

夢を見た

今日見た夢です。

下町っぽいような、でも国道っぽい道路を渡ると大きな生命保険会社が入ってそうなビルが並ぶところで、高校生の僕が高校スポーツバッグみたいなのを持ってボロボロの家に入り、噺家さんのような人と面談みたいなのをした。

そのボロボロ家は、墓場鬼太郎みたいなガサガサと色ハゲたような家で、昭和40年代とかその頃みたいな感じの家が数件あった。道も所々住んでいる人の土地関係でジグザグしてた。

夕方から薄暗くなった夏の夕時のような時間だったので、家々がすこし薄ピンクで空が青紫電柱蛍光灯黄色がかってノスタルジーだった。

面談みたいなのはというと、若干アルバイトとしてお手伝いをする話とその人の息子さんが同級生ということで、普段の息子さんはどうかな?ちゃんと勉強してるかい?みたいな話をした。

噺家さんの家を出た時、玄関に何故か高校のバッグがなくなっていた。財布や教科書などが入ってたのですごく慌ててしまったが、ふと気づくと財布はポケットの中にあり「あ、さっきコーラを買って飲んだ時入れたんだった…」とホッとした。

しかしバッグは玄関のところに置いておいたのに「しまったなぁ…」と悔やみつつ、噺家さんは「それは子供のいたずらでしょう」とこの下町の悪ガキのことだからすぐ出てくるよ、とおっしゃったが僕は何か大切なものが入ってた気がしたので、家に帰るまでに探そうと思った。

少し歩いてコインランドリーのような白い店に入った。看板日焼けに雨風に当たって薄くなっていた。何て書いているのかはわからなかったが、多分赤い文字で書いてあっただろうと思った。

お店では¥100でシャンプーができ、洗い終える場合は店内で洗い流すか、そのまま洗い流さずに外に出るかができた。

僕はとりあえずシャンプーして外に出た。

そとは祭りが行われているようで、電柱などに提灯が飾られていた。

頭をカシャカシャ洗い、何かを探し出した。この時もう既にバッグの存在は無くなっていた。代わりに何かを探しながらシャンプーする姿がすごく可笑しいと指さされて爆笑されたが、僕は何が可笑しいのか分からなかった。

そうしてるとシャンプーの泡が減ったので自販機で水を買い、洗い流してまたシャンプーして商店街を歩いた。

すると喫茶店でこっち来いこっち来いとするオジさんが2人いた。さんまさんと鶴瓶師匠だった。

二人は街を練り歩く番組ロケ中だったらしく、シャンプーしながら歩く僕を爆笑して呼び止めたらしい。

二人に何故シャンプーをしてるのか問われたけど、途中さんまさんとベー師匠勝手若い金もない時の話をしだし、全然シャンプーのことに触れられなくなり、さんまさんが「よっしゃ、君を弟子にする!」と言い出し、とりあえず僕は喫茶店のオバちゃんにミルクセーキを頼んだら、ベー師匠に「おかしいんちゃう?」と突っ込まれて目がさめた。

おわり

http://anond.hatelabo.jp/20160818165739

え、マジで。微かな記憶ではリショウバンで習った(んだか、教科書ないし資料集にリショウバンとカナが振ってあったんだかした)ような気がしてたし、ちょっと前の池上さんの番組でもリショウバンって言ってた記憶があったもんだから、あー古いもんは漢字音読みのままなんだなーって思ってたよ。

あいまい記憶あいまいなこと書いてごめん。