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はてなキーワード: 熱狂とは

2017-04-24

氷河期世代選挙に行くべき?

氷河期世代負け組(この言葉も嫌いだが)の人たちが小泉劇場熱狂的に支持していたという現実を思い返すと

選挙で救われるわけなんかないと自分は思うんだけど

このへんについてあの世代の人達は今どう考えてるのかっていう意見を聞いてみたい気がする

2017-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20170416152445

いや、うるさいのがごく一部の熱狂的なキチガイ仕業ってことぐらいわかるけどさ

残りの面々が表立って異を唱えない(そりゃそうだ、利益もなければめんどくさい)以上

個々の構成員レッテルは貼れないが、とりあえず集団としては敵とみなすしかない

だいたいあいつらが抑圧的なのはオタクに限らず、バラエティ番組とか他に対してもそうだ

2017-04-14

マストドン流行らない、なぜなら

おっさんばかりだから

 

mixitwitterfacebookニコニコ動画2ちゃんツイキャスもみんな若者達が流行らせた。

 

おっさん達が熱狂しているところに女性若者は入ってこない。

[追記]

twitterは既に米国では若者にウケている状態日本に入っているので、妙に日本ユーザーが増えたマストドンtwitterのように伸びないと予想。

海外マストドンユーザーの年齢層までは見ていないが、仮に海外若者にウケたとしても日本若者に刺さるまでは時差がある。

作り手の話をしているトラバがあるが、論点は「ユーザー若いかどうか」だから作り手の年齢は関係ない。ユーザー若者が増えないとSNS絶対流行らない。

2017-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20170410003958

君の主張:

熱狂を消費するけど創造はしない

主張は曲げないけど主義でもない

何もしないし発散するだけ

ここまで確定だね。

周囲に噛み付くことは否定肯定もしていない。

これはどっち?

熱量を保つためなら周囲にも噛み付くってことでいいの?

あと何について熱量を発散するの。具体的に。

答えてくれないと話が進まない。

http://anond.hatelabo.jp/20170410000550

正義の恐ろしさだな

と答えてみたもののこの一個前の増田自体釣りなんじゃないかとすら思える。

今日の流れからして。

追記:

と思ったら釣りでした案件

花火の後にポテトチップスの残りカスを捨てるヤンキーと大差ないわけですよ。

君らの熱狂とやらは。

http://anond.hatelabo.jp/20170410000213

狂信者を任じている人間にそんな問いをすること自体が、頭悪い。

良い悪いという基準自体がつまらん。

人殺しリスクを超える熱狂があったのなら、きっと素晴らしい時間がそこにあったんだろ。

2017-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20170409234325

あーこれアレですかね。自分が「何に熱狂しているか」を答えず延々と相手を「安い」

とだけ罵倒してまさしくふわっと「情動が素晴らしいけど、別段俺のポジションとは言っていない」

とか言い出すやつですかねー。

愛は、そういう安い理屈を超えたところにあんだろ。

お前はシューズコレクターに「でもそんなに必要ないですよね?」とか言うんか?

お前が言うような話なんか、誰も「だからどうした」くらいにしか反応せんわ。

でもこの上の発言見る限り自分は愛を知ってる、という風にもとれる。

もっとも彼が一般論として愛を語ってるなら別ですけど。

で、どうなんですか。あなたは何について熱狂して何について情動を異様に持ち上げ、その情動昇華していないのか。

あるいは「情動を持ち上げます宣言ってだけですかね。イマイチあなた立場が不鮮明でして。

追記

おっと時間差で相手の追記があったのでこちらも。

情動を消費し、お祭り騒ぎ。いいじゃん。

それを下らないと見るお前がつまらんのだ。

ああ、やっと認めたんだね。自分たちが騒ぐだけの害虫だってことを。

http://anond.hatelabo.jp/20170409233427

まり自分の好きな作品のためなら過激派として生きると言うことでいいのかな

いやもっとも君が「作品」といった覚えはないので、ここらから推測するとしよう。

アニメなんかの批判」って言って他人がやることを下げつつ、信念とかふわふわしていないものを求める意識高い系って、ほんと、日々に熱量を持って生きていけてなくてゴミだと思う

ふむ、どうもアニメなら話が通じそうだ、といこととはわかるのだけど、

批評批判がなぜあなたの好きなアニメ価値を下げると判断されるの?

他のツリーでは「迫害するなら戦うだけ」と言ってて勝手迫害まで話が拡大してる。

熱狂とか要らないからとっとと冷めといて

邪魔

迫害するなら戦うだけ

ちなみに冷めといて増田自分ではない。

熱狂とか要らないからとっとと冷めといて

邪魔

http://anond.hatelabo.jp/20170409220902

熱狂はね、君みたいに相対的にやるもんじゃないんだよ。

誰かと言い合ったり誰かと共感するための熱狂ではない。

あんたの熱狂の質は賑やかし祭りで終わりなんだろう?

なら宗派としてそうすればいい。

http://anond.hatelabo.jp/20170409220230

そうやって客観視してトラブルを避けようとするメンタルに、熱狂は宿らんよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170409214311

この非常に傷ついた過剰な反応こそが彼らの病的な心理状態物語ってて、今日の絡んできた発狂君も含めてだめかなと思う。

好きだからこそ逆になぜ好きなのかを考えるし、本当に好きであればあるほど崇高故に自己同一視はしないはず。

仮に自己同一視しない立場であっても、神聖視しているからこその分析存在している、と考えるのが通常の反応だろう。

批判無自覚に受け入れて「とても好きだ」なんて目を輝かせているのは結構。俺個人は安いとも高尚とも言わんし勝手にしたらいい。

ただし、無闇やたらに他人に剣をかざすのは神聖と思うがゆえの反応であり、とりもなおせば自己同一視である、という構造は避けられない。

もっとストレートに没入していても避けられないが。

自分自己同一視しない場合においても神聖視ししすぎて批判を受け入れられなくなってるし、それが何より危険だと言ってる。

ここ数日のけもフレ称揚とか、これは流石にネタだろってくらい熱狂的なやつがいて、周囲に殴りかかってるのを見ると危険だと思うし。

勘違いしないように言っておきたいが、批判に対する取捨選択なき無批判はやは同じくらい害悪だ。

問題相手批判内容によらず、反対派ならすべて食って掛かるメンタルにある。

神聖に関して一言述べるならば、神聖なるもの増田で公開したりはしないな。

そんなことやっても反論や反発が来ることは想像に難くない。

誰かが世界一最高だといったものは誰かの癇にさわる。

そのくらいは「だからどうした」のあなたはよくわかってるかもしれないけどね。

2017-04-06

人類熱狂する五大競技といえば

サッカー

野球

ガンダムファイト

バスケットボール

の4つは確定済だけど

あと1つは何?

2017-04-04

オタクアニメ大好き というワード違和感

本来オタク意味って何かに熱狂的に精通してるって意味だろ。

数学オタクとか政治オタクとかそういう使い方が本来の使い方だよ。

ただの「アニメ大好き萌え萌え座衛門」を指す言葉別に作ってくれねーかなと思う。

数十本アニメを見てるってだけでオタクっていうのは違和感あるは

2017-04-03

昨今のヨッピーバブルが、往年のコンビニ店長記憶を甦らせる

個人の突出したキャラの魅力で一躍ネットスターにのし上がり、

連日はてブホッテントリノミネートされ、

本人のidによるブコメには千両役者へのおひねりよろしく数百ものスターカラースターとともに散りばめられる

だがこうした祭り上げられ方をされると、

その反動もまた怖いのがはてブというモヒカン愛好者が集う天邪鬼空間

一般社会でも強い個性を持つスターには一定アンチが付くものだが、

ことはてな村では手斧を投げるのが大好きという人としてどうかと思うような悪趣味人間ウヨウヨしているため、

はてな村アンチ攻撃も非常に陰湿粘着質になってくる

アフィに対するヨッピーへの攻撃事件

あれでヨッピーに対する潜在的アンチ存在が示された

そろそろ第二・第三の矢が放たれることであろう

ここで筆者のスタンスを述べておこう

ヨッピーは確かに面白いし才能はあるとは思うが、

持て囃されすぎて評価が過剰に思う

もっと穏やかな評価がじっくりと長続きして欲しい

熱狂は毒だ

以前のコンビニ店長も、

店長本人の属性というよりもむしろ取り巻きのウザさがアンチ陰湿さを助長してしまい、

それがために店長辟易としてはてなから去っていったのだと私は考えている

ネット社会は、肯定にせよ否定にせよとにかく急激に発生し、

あっという間にたかられて、

気がついたらいつの間にかしぼんでなくなってしま

ネットイナゴとはよく言ったもの

焼畑農業のようにただ食い尽くすのではなく、

穏やかにどっしりと根の張ったエンタテインメントが育って欲しい

ヨッピーDPZのように進化を遂げるか否か、

ここが正念場であろう

2017-04-02

けものフレンズ考察を装ったアニオタ批判

自分ブログに書くとなんだか炎上しそうなのでここに書くことにする。

けもフレ人気が各地で大爆発を起こしているが、さすがに褒められすぎ、評価されすぎ、持てはやされすぎである

この作品はどう評価しても100点満点中あげられるのはせいぜい30~50点くらいである。

アニオタ界隈のけもフレを評価する声として「安心してみていられる」「脚本がよくまとまってる」「やさしいキャラが魅力」などという言葉が交わされているが、これらは全て嘘っぱちのように聞こえてならない。

こんな薄い言葉表現される毒にも薬にもならない作品は、「よくできましたね」くらいの評価を得ることはありえるが、猛烈に人を惹き付けて心を揺さぶる名作にはなりえない。

本当に人の心をガッツリと射貫く作品というのは、たとえガタガタでブサイクな出来だとしても、何か一つくらい魂に響く「核」のようなものがあるはずだ。

「けもフレ」に心を揺さぶられた人間などきっとほとんどいない。そう言っている人間がいたとしたら、熱狂的な空気につられて思い込んでいるだけなのだ

その証拠にきっと「けもフレ」はすぐ忘れ去られる。あと一か月もしたら、おそらくこの作品には誰一人言及しなくなるだろう。

***

「けもフレ」人気のインフレーション理由は、基本的ネット空間における「極性化現象」であるといえる。

アニオタコミュニティという空間の中では、アニメ評価を巡ってぐるぐると再帰的な「言語ゲーム」を続けていく内に、しだいに表現に尾ひれがついて妄想が膨らんでいく傾向がある。

その中では、凡百のストーリーが「絶巧の脚本」になり、平坦な芝居が「神演技」になり、チープな謎が「深遠な哲学」になる。

このような現象は、ネット炎上などでよく観測されるメカニズムである

ちょっといたずらをしただけの大学生や、何気ない発言をしただけの女性が、集団極性化した暴徒によって糾弾されまくる構図は、ネット上で毎日のように見られる風景である

ネット上の言語ゲームというのは、往々にしてこのような「過剰」に至るのだ。

***

基本的アニオタというのは、他者媒介しないと何も考えられない、何も感じられない存在である

どんなアニメ面白いのか、どんなアニメ自分が好きなのか、そのアニメ自分にとってどういう価値を持つのか、一人では判断がおぼつかず何かを基点としないとリアリティを感じられない。

人間とは多かれ少なかれこういう側面を持つ動物だが、アニオタはこの性質がむき出しの形で露わになった存在である

アニオタは、基本的自分欲望することを欲望している。アニメを楽しみたいというよりは、アニメを楽しんでいる自分を楽しみたいのである

なのでアニオタにとって重要なのは作品のものではなくてその作品を取り巻く「人々」や「言葉」や「その評価」、いわば「アニメコミュニティ」という場そのものである

この「場」に埋め込まれることによって、アニオタは初めて作品に対して欲望を抱くことが可能になるのだ。

このことは、アニオタを語る上で押さえておきたい重要ポイントである

***

アニオタたちが「けもフレ」を担ぎ上げる理由、「けもフレ運動」の意図を強引に深読みしようとすれば、次のようにも解釈できる。

昨今のランキング市場は狂っている。

そこで上位を占めているものは、メディアSNSを通じてステマ的に人気を煽りブーストを仕掛けた「張りぼて」の作品ばかりと言っていい。

アニオタたちはこのランキング市場にどっぷりと身を浸し、どっぷりと依存しつつもキレている。

メディアに対してももちろんキレているが、それにまんまと乗せられている自分自身にもキレている。

その鬱々と溜め込んだ感情が、今回突発的に「けもフレ」を通じて連結した。

「けもフレ」という作品は、徹底的に薄味で、徹底的に無難で、徹底的に空っぽであり、「本当に売れたいのか?」と問いかけたくなるような、いかにも「ステマーケティング」と縁のなさそうな装いをしている。

神輿は軽いほど良い」という言葉があるが、「けもフレ」こそはアンチステマ運動アイコンに相応しい空虚作品であった。

アニオタたちは「けもフレ」を神輿として担ぎ上げて、自分たちを操縦しようとするランキング市場のかく乱を目指すための意味不明舞踏を開始した。

これは江戸時代流行したとされる「ええじゃないか運動」を彷彿とさせるものである

アニメ評価をかく乱せよ」

アニオタたちの目論みは、自分たちに向けられた圧力を全く同じ方法相手オウム返しにすること、「張りぼて」に対して「別の張りぼて」を擁立して推し上げることであり、これは俗にいうミラーリング作戦というものである

この作戦は幸か不幸か一定の成果を上げていて、アニメ関係者や一部のマーケッターたちは、なぜ「けもフレ」がこれほどまでにウケているのかを理解できずに、困惑の表情を見せているという。

真実などどこにもない。ウソを倒すのはまた別のウソ

ポスト真実時代の戦い方が、まさにここにはある。

***

アニオタたちがもし上記の行動を「自覚的」にやっているのだとしたら、それはいかにもオタクらしく捻くれていて、しかし少々のユーモアも感じさせる、気の利いたいたずらのようにも思える。

しかしもし無自覚的・無意識的にそれをやっているのだとしたら、それは鬱々とした大衆の暗い感情病理的に発露してしまたかのような、なんだかこれから先が心配になってしまう「症状」だともいえる。

このような運動は秩序を打ち壊しカオスしか生み出さない。

このような運動アニメ界隈を通じて別の空間に波及してしまわないことを祈っている。

2017-03-31

人は見た目が100パーセント

タラレバ』に『人は見た目〜』など、『逃げ恥』なんてクソ食らえってドラマが続く。

ぶっちゃけ世の女性にかけられた、ゆりちゃんが解こうとした呪いはあまりに強力で、たかだか1クール程度で消え去るものじゃないしな。

結局人は見た目が100パーセントなんだ。

年齢、化粧、体型、ファッション

自分がどれだけ人を見た目で判断していたか最近あることがきっかけで気付かされた。

ひまだったら読んでくれ。


きっかけは、友人(男)に「絶対うから」って紹介されて渋々ある人に会ったことなんだけど。

しかに私にはい恋人はいない。

が、そいつに「彼氏ほしい」なんて言ったことないし、なんでかごり押しされて心底意味わかんねーって思ってた。

けど、実際会ってみたら普通に「いい人」だった。

価値観も似てるし、性格もいいし、少しでも惹かれたことは認める。

が、彼はファッションに興味がなかった。

会った当日もグリーンレーベルで揃えた、みたいな無難な格好だった。

片や増田は春用にと買っておいた花の刺繍ブラウスお気に入り帽子なんてかぶっちゃって、

並んで歩くと、お互いがお互いの服のせいで浮くっていう不思議で最悪な状況ができあがった。


この時、一瞬だけタラレバの倫子と同じことしてないか自分って思ったんだ。

「もしかしたら彼は早坂さんで、出世株かもよ?」って。

けどな、もう一人の自分が言うんだよ。

「お前は吉高由里子じゃないし、脚本家でもないし、そもそもKEYくんなんていねーのわかってっだろ」って。

(すぐにドラマ自分人生重ねようとする癖いい加減やめたい)


話を元に戻す。

私は友人たちがどんな服を着ていても気にしない。

派手だろうが地味だろうが奇抜だろうが無難だろうが、みんな自分の好きな服を着ればいい。

自分が魅力に思っているのは中身だし。

そう思ってた。

けど、違った。

そもそも、自分の周りにはおしゃれに興味がある/気を使う人しかいなかったことに気がついた。

全身Supremeのスケボー馬鹿だったり、スニーカーオタクだったり、『ポパイ』の熱狂信者地方都市出身)だったり。

あと、たとえ最初ダサくても、おしゃれな人たちと一緒にいれば必然的におしゃれになるもんだと思う。

(※ただしその人たちと一緒にいたいと思った場合に限る)


おしゃれっていうのは進化なのかもしれない。

ダサい状態からそうじゃなくなること。

おしゃれな人っていうのは、色、丈、TPOとかの絶妙バランスを汲み取れる人のことだと思う。

あることを知ってしまったら、もう知らなかった状態には戻れないように、

そのバランス感覚を身につけたら、もうダサい状態には戻れない。

そうやってダサい人がおしゃれになっていくのをたくさん見てきた。

オセロで黒に挟まれた白が黒くなるみたいに。

もう一つ気がついたことがある。

おしゃれな人に面と向かって「おしゃれですね」って言わないし、頭いい人に「頭いいですね」とは言わない。


それ言われるってことは、たぶん「あなたとはそれ以外話すことがないんです」って言われてるのと同義だと思う。

(けど「かわいい」とかは言うね。「かわいいは正義」だもんね)

申し訳程度に彼は服を褒めてくれたけど、「いやおま絶対思ってないだろ」って顔で言われた。

しかにいい人だったけど、自分は向こうにあわせて無難な格好しようとは思わないし、向こうをおしゃれにしようとも思わない。

まり、向こうの色に染まりたい/こっちの色に染めたいと思うほど、好きにはなれなかったわけだ。

よってお付き合いを申し込まれたけど丁寧にお断りした。

わがままかもしれないけど、恋人として自分の隣を歩くのは、間違ってもチャオパニックで買ったボーダーのロンTを着る人ではない。

グリーンレーベルとか無難ブランドは、自分にとっては逆に地雷だったりするんだと学んだ)

友人は私がファッション好きだって知っていたはずなのに、なんでファッションに興味ない男なんてしょうかいしてきたんだろう。

結論として、恋人候補は異性から紹介されないほうがいいな笑

(まあ同性でも「そいつが選ばなかった人」って思うと「んー」とはおもうけど…)


追記:

トラバブコメ見て、タイトルを「おしゃれはオプションじゃなくて前提」にすればよかったと激しく後悔。

2017-03-28

1984』はソビエト監視社会の話ではない

1984というと一般には全体主義監視社会という観点で語られがちであるが、実のところ、かの世界でテレスクリーンによる監視を受けているのは全体の20%にも満たない中上層階級だけである

では残りの80%――プロレと呼ばれる労働者階級――はどうしているのか

教育は与えられず、ニュースピークにより思考方法は奪われ、代わりに無害な娯楽(プロフィードと呼ばれる)と党のプロパガンダが与えられる。そうして実際には党からひどい搾取を受けながらそれに疑問を抱くことはなく、二分間憎悪熱狂し、B.Bを熱愛する

こうして政治的去勢されたプロレは、もはや体制に脅威を与えうるものではないと見做され、永遠の窮乏と抑圧の中でほとんど"放し飼い"にされているのである

昨日のプロパガンダ今日プロパガンダ齟齬があっても彼らは気にしない。より上位の階層であればそのような認知的不協和を解消するために二重思考を用いるのであるが、プロレはそんな面倒な(そして高度な)方策を用いるまでもない。彼らは今日与えられた"真実"を今日真実としてただその中に生きている

このような社会では中層階級が立ち上がり下層階級と手を組んで社会転覆することは起こりえない。立ち上がる可能性のある中層階級に釘を刺すために監視は行われているが、しかしそれは党の支配原理の中枢ではない

党の支配原理はむしろ現実認識思考コントロールにこそあり、またそれがこの物語主題でもある

そう、1984は "一億総ネトウヨ" の世界なのだ

2017-03-26

素晴らしいキャラ作り

これだけネットが普及した時代でも、あまり知られていないマニアック趣味はある。

少なくとも殆ど日本人にとって、アメリカ女子プロレスはそうだろう。


そんなアメリカ女子プロレスの現チャンピオンは誰か、ご存知だろうか。

実は、大阪出身日本人なのだ

リングネームアスカ」、日本では「華名」の名前ファンに親しまれていた人物だ。


ちなみにプロレスは洋の東西・男女を問わず基本的興行第一スポーツである

大相撲と似たような世界と言えば、なんとなく分かってもらえるだろうか。

から試合も観客を熱狂させることが最大の目的であり、したがって流血や骨折といった、観客がドン引きするような展開はほぼ皆無である

言い換えるなら「魅せるのも商売」の最たる例である


では、件の大阪人彼女は、異国の地で何を魅せているのか。

なでしこジャパンゲイシャガールもしかしてアイドル?そのどれでもない、極めてオリジナルユニークキャラ作りだったりする。

即ち、殺気みなぎる不敵な笑みがチャームポイントの、


「ヒノモトの蛮族」


のものである

大阪的(?)極彩色」「鬼ヶ島の鬼」「安珍清姫」「片言の英語」が悪魔合体した感じだろうか。

というか、入場コスの振り袖と能面マスクが、首狩り族の儀礼アイテムのように見えたのは生まれて初めてである

ファイティングスタイルも強烈かつ容赦ない攻め方で、ダイナミックな投げ、鋭いキック、そしてトドメ柔道ばりの絞め技で失神狙い、まさに序盤中盤終盤とスキがない。

何より最後の絞め技が大蛇のそれにしか見えないのは大したものである


と、色々書いてみたが、百聞は一見に如かずということで、試合映像リンクしておく。

是非とも圧倒されて欲しい。


デビュー

https://www.youtube.com/watch?v=AUF_MadMPbw

チャンピオン奪取

https://www.youtube.com/watch?v=hXD65LaFiHk

防衛戦

https://www.youtube.com/watch?v=uZgjPWEfK4g


今後も見逃せない。

2017-03-16

ラーメン屋さんとひとりさん

あのラーメン屋さんのつぶやきに対して、批判の声も結構あったことに驚いた。

客を選ぶのかって当たり前だ。お金を払うからって何をしてもいいわけないだろ。

自分の事神様とか思ってる?神は神でも貧乏神ですよ。

私は営業してて買ってもらってるとも、売ってあげてるとも思った事ないです。

お客さんの為には全力を尽くす所存ですが、売上にならないのに過剰にサービス要求される筋合いはありませんですよ。

たとえ売上が少なくても誠意のある方とか、そういう所に力と時間を使いたい。

あのラーメン屋さんは熱狂的なファンがいるようだし、なんでもありになっちゃうとその人達に失礼だよね。

決して上から目線ではないと思うんだ。むしろ風通しが良くなったんじゃないかな。

ほんとに要らない客っているんだけど、なかなかリアルでは言えない。

それを言えるのがひとりさん。あの方の仰る事は理に適ってると思う。

商品には全く興味なかったのに、突然すごく欲しくなってクリームを買ってみた。

うん。容器がね、ちょっとね。だけど顔上がる。

強気強気!って仰ってますけど、こりゃ強気にもなりますよ。

今日もいい一日でした。

2017-03-12

曽田正人に何があったのか

「テンプリズム」が絶望的にヤバい。糞みたいな大ゴマに真っ白背景。お話には見るべきところが無いとまでは言えないけど、これまで自転車レスキューモータースポーツバレエなどの漫画で俺を熱狂させてくれてたのにテンプリズムは見ててイライラが止まらない。いくらなんでもここまで酷くは普通ならないと思うんだけどどうしてこうなった

2017-03-11

さよならAC

2011年3月11日、未曾有の大災害東日本を襲った。影響は各方面に及んだ。福島原発は爆発し、首都圏を含む広域な交通網は打撃を受けた。多くの人が亡くなり、多くの人が家をなくした。

この震災を受けて、企業各社はCM放送自粛した。震災時のCM放送が法によって規制されている訳ではなかったが、CM放映による非難企業自主的に避けようとしたのである。代わりに、テレビ局人畜無害ACCMを流した。 繰り返されるCMにより、ACは一躍その名を高めていった。

震災から一週間が経った。震災による犠牲者は一万人に迫ろうとしていた。テレビでは未だACCMばかりが流されていた。企業としてはそろそろ通常のCM放送したい気持ちだったが、もし自分会社けがそうすることによって「不謹慎だ!」と言われてしまってはたまったものではない。ネットではとあるACパロディ動画があげられていた。それは冷静に見れば面白くもなんともないものだったが、きっと他に見るものもなかったのだろう、驚くべき再生回数を記録した。その人気にあやかろうとしたのだろう、次々とACCM関連の動画アップロードされた。大の大人が「ポポポポーン」と叫ぶという、滑稽とも見苦しいとも取れる動画群であったが、人々はそれを不謹慎とは受け取らなかった。

二週間が経った。各国から支援が続々と寄せられていた。人々は(被災していなかった地域を含む人々は)それを見て「A国は素晴らしい」だの「K国はやっぱりクソ」だの言っていた。その頃、国会ではある法案が審議にかけられていた。アンチコマーシャルメッセージ法案通称AC法案である。この法律では、震災復興を達成したという判断政府が下すまで、企業テレビCM放送禁止規定していた。何故こんな法律が審議されることになったのかはよく分らない。しかイメージダウンを恐れて企業法案に反対できなかったし、当然のことながら猛反対の立場をとるテレビ局各社は盛んにこの法律弊害を訴えたが、震災報道ヘリコプターを使って被災者迷惑をかけたり、衝撃的な映像をまくし立てるように放送し続けたりしたテレビ局視聴者は既に愛想を尽かしていた。結局AC法案は難なく両院を通過し、テレビで映るCMACのものだけになった。

一ヶ月が経った。とある実業家による億単位義援金や、さるスポーツ選手によるツアーの賞金全額寄付宣言世間では話題になっていた。テレビ局スポンサーに働きかけるのに必死だった。自社のCM放送されないのに企業お金を出すなんてことはおかし論理だったが、それを認めたらテレビ局は立ち行かなくなってしまう。結局、「番組内で可能な限りスポンサー商品を紹介する」ということに決まった。出演者スポンサー企業ロゴ付きの服を着ることが常識になったし、番組の中でそれまでの流れとは関係なく唐突商品の紹介が始まることになった。それでもスポンサーから今まで通りの料金を徴収することは叶わず、経費削減の為にギャラの高い大物芸能人は締め出され、金のかからない素人芸人の起用が急速に高まっていった。ネットではAC関連動画の盛り上がりが、最高潮に達していた。

三ヶ月が経った。全く前例のなかった計画停電が行われ、都心優遇ぶりに一部の人々は憤慨していた。結局テレビは何とか放送を続けられていたものの、以前との差は歴然としていた。番組の内容もそうだが、間々に挟まれCMが全てACの為、テレビ自体一種カルト宗教的色彩を帯びていたのであるAC側もCMバリエーションを増やしはしたが、それも焼け石に水と言える程度のものだった。もはや国民ACの名を知らぬものなどいないという有様だったが、多くの国民は良い感情を持っていなかった。余りにもCMが繰り返された為、段々ネットACパロディにする人も減ってきた。

半年が経った。さる地方テレビ局が、番組内で東北地方のお米をセシウム米と表示したことが大変な物議を醸した。ただてさえスポンサーからの金が期待できなくなっているのに、その上この不祥事ではもはやなす術がなかった。結果、番組のみならずテレビ局までもが潰れた。テレビ局が潰れるなんてことは前代未聞だった。この事件の後極度にテレビ局各社は不祥事を恐れるようになり、人々の反感を買いそうな発言ますます避けるようになった。ネットでは、(直接的な関わりはなかったものの)ついにACは局を殺したと言われた。

一年が経った。大震災の模様が改めて各メディアに取り上げられた。問題は未だ山積みであったし、それとごろか原発を中心とした被害は更に拡大していったが、人々はというと大震災のものより、原発は推進すべきだとか廃止すべきだとか、与党を変えるべきだとか変えないべきだとか、そういった話題に興味を持っているらしかった。AC以外のCMが消え失せてしまったことも、もはや当たり前のこととして受け止められつつあり、誰かが思い出したようにACネタにした動画を作るだけだった。

二年が経った。被災者を除くと、人々は既に震災に関する興味を失っていた。時代は変わった。震災後急速に衰えていったテレビに代わってインターネットが主要なメディアと見なされるようになった。人々はテレビを見なくなり、テレビACCMしかやらないことなんてもう誰も気にしていなかった。企業は力を失ったテレビに代わってインターネット上での広告に力を入れるようになった。ユーザーの好みにピンポイントで合わせた商品宣伝から、見るだけでお金が貰える斬新な広告までもが生まれた。それはかつてのテレビCM以上に多彩で、ユニークで、興味深いものだった。テレビなんてものパソコンが使えない情弱だけ見てればいい。そんな声が強くなっていった。

 五年が経った。この年大震災テーマにした映画が公開された。それは大変な好評を博し、歴史に残る名作とまでも言われた。しかし、人々は未だ故郷に戻れぬ仮設住宅暮らしを強いられている被災者がいることを知らなかったし、被災地寄付することなんて思いもよらなかった。震災は感動という名のビジネスの道具となっていた。同じ年、政府によりAC法案の解除が発表された。瀕死テレビ業界はこの宣告に狂喜したが、すぐに期待は裏切られた。なぜなら、AC法はこれより四年後、2020年東京オリンピックの開催と共に解除だということが知らされたからだ。明らかに、国が立ち直ったことを国内外アピールするための政府戦略だった。このころになると、テレビは見てはいけないものとさえ思われるようになり、まだあどけない子どもたちが何かの拍子にテレビを見て、「ポポポポーン」なんて言った日には親から叱られる始末だった。

 震災から九年が経った。遂にテレビCMが復活する時が来たのである。既にテレビは最盛期を思えば哀れになる程衰退しており、CMを復活させたところでかつての威光を取り戻すことが不可能なことは誰の目にも明らかだった。各局はなんとかスポンサーを見つけようとしたが、もはやあえてテレビで自社のCM放送しようと考える企業はいなかった。「もうこの業界は終わりだ」最後希望を打ち砕かれた業界関係者たちは嘆いた。

 そしてその日がやってきた。オリンピックの開催とともに、首相によって震災から復興が全世界に高らかに宣言された。AC法も解除された。人々は56年ぶりの首都でのオリンピック熱狂した。散々興味がないと言っていた人までも試合の経過を見守ったり、見たことのない程人で溢れかえる東京に驚いていたりした。オリンピックは、成功裏に終わった。

 その一方で避難者は七万を下らなかった。福島出身の子供に対する苛めも収まらなかった。東北地方の食に対する信頼も回復しなかった。原発放置されたままだった。しかし、そんなことに心を痛める人はもういなかった。人々は震災被害なんてものは遥か昔に回復したものだと思っていたのだ。

 それから人々が震災のことを忘れるのに時間はかからなかった。いや、震災のことだけじゃない。この九年間で人々はテレビを忘れた。テレビだけじゃない。テレビで嫌というほど繰り返されていたACのCM―かつてはネタにして面白がった、それから先は忌み嫌うものとして見なしたCM。特異な状況であれほど繰り返し放映され、国民全員がこの先忘れることはないだろうとさえ思ったCM。そのCMのことすらも、震災に関する全ての記憶とともに、忘れていたのだ。

2017-03-07

熱狂度を測るにはどうすればいいのか

映画でもアニメでもなんでもいいが

どれだけ流行ってるかはわかるが、どれだけハマってる人がいるかは中々測りづらい

 

これはあらゆる調査に言えると思う

支持率も、熱烈支持なのか、消極的な支持なのかわからない

 

金を落としているかどうかという調査はあるが

金持ち適当にカネを落としているかもしれないし、一般人が小遣いの範囲で全力で熱狂してるかもしれない

 

熱狂の種類も難しい

周りが騒いでるから、一緒に騒いでるだけとか

定期的に熱狂する人が一時的に騒いでるとか

いろいろある

 

そういう調査ってどうやるんだろうな

2017-03-06

宗教を持つ意味

僕の家庭は親がカトリックだったから、自然洗礼を受け、教義自体違和感とか感じることはあったけど、十年間以上教会に通っているし、それを当たり前のことだと思っていた。

でもある時、サークルの予定や友達との約束が尽く教会礼拝イベントの日程と被り、全部潰れた時があった。社会にとって日曜日なんて土曜日と変わらないんだから、そういうことは昔からよくあったし、普通だと思っていた。でもなぜかその時はこういう考えが浮かんできた。「なぜ僕は自分のやりたいことを捨ててまで教会に行ってるんだろう」と。その行為信者たちは「神への犠牲」として尊ぶ。でも犠牲にして何かあるの?色んなこと要求されるけど、そもそもカトリック信者やってて良いことあったの?そこから僕は自分宗教信仰する意味を考え直すようになった。

確かに僕の倫理観カトリック教義によって培われたものかもしれない。でも宗教持ってなくても素晴らしくて尊敬できる人はたくさんいるし、むしろ神父なのにクソみたいな性格の奴だっている。正直聖書の言葉なんか一度も心に響いたことないし、それよりも自分人生の中で生み出してきた言葉のほうが自分をよく支えている。神を信じないと地獄に堕ちるって言われても、死後のことなんて知ったこっちゃないし、ほらっ、宗教が無くても十分幸せに生きられるじゃないか。結局宗教の主な役割ってコミュニティ形成だし、僕が信者を辞めないのも、家族や今まで教会で培った人たちとの関係を壊したくないからなんだろうなと思う。多分海外一人暮らししたら教会行かなくなるよ。

まあこんなことを言うと、「神父様や他の信者さんに相談してみなさい」って案の定言われるんだろうけど、神父や“熱狂的な”信者ってやつは、普通の人が到底納得できない「神の言葉」を延々と振りかざすだけで、何の解決にならない。多分神の言葉を万能だと思ってるんだろうな。本当に絶望している人には神の言葉なんてこれっぽっちも届かないけど、まあ彼らは絶望したことがないから分からないんだろう。

そもそも信者たちはこういうことを考えること自体を「神に背くこと」として忌避する。まあそれでもいいけど、そんな思考停止状態じゃ普通の人たちに神の言葉なんか伝わるはずないし、教会の先細りは決まってるようなもんだよね。

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