「感覚」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 感覚とは

2016-12-09

今日摂取カロリー

朝食

昨晩の残りのハリハリ鍋 100kcal

昼食

弁当 750kcal

夕食(モスバーガー

スパイシーダブルモスバーガー(503)+モスチキン(282)+クラムチャウダー(119) 900kcal

晩酌

ビール 220kcal

芋焼酎

1600kcalオーバー

夕食を外食した上でビールも飲んでおり、まあオーバーかなと思ったがやっぱりというところ

ハンバーガーカロリーが思った以上に高い

軽食」という意識なのにがっつりのカロリー

けどまあ今日は定時後に予定があり、前もって夕食を摂る必要もあったと思う

やむなしということで

カロリー制限をはじめてから4ヶ月ほど

これはだいたい何キロカロリー、という感覚は身についてきた気がする

唐揚げとか肉類は小さいパックでも200kcal、とか

外食普通に食べたら800~1000kcal見込み、とか

知識を得つつ、明日もまたがんばろう

2016-12-08

MacBook Proの新しいキーボード

キー入力感覚が何かに似ているなと思っていたが、あれだ、

昔のカシオMSXキーボード叩いた時の感覚だ。多分。

記憶いかもしれないけれど。

タカタゴムっぽい反応の。

http://anond.hatelabo.jp/20161208130611

あーこの感覚、しっくり来ますね。確かに犬見ているとそんな感じする。

Everfilter がもし人工知能を真っ当に利用したものだとしたら、どう考えますか?

君の名は。」風の写真に変換するアプリということで話題になった Everfilter が公開停止になった。著作権侵害ではないかという指摘に対する運営会社対応である。以下の記事が詳しい。

私のみた観測範囲では、いまのところ以下のような結論が優勢に見える。

合成だとみなされた過程としては

という主張がなされている。特にこの記事が多く参照されたように思う。

以降、これらの主張がその通りではない可能生がわずかながらあること、もしそうだった場合には著作権侵害に対してどのような議論がなされるのだろうか、その思考実験をしてみたいと思う。

なお、あくまで仮説であってここまでの主張を否定することを目的にしているわけではない。もしかすればそうではない可能生が微レ存、ではそちらの可能生を考慮したら、どのような議論になるか考えてみると (不謹慎ではあるが) 面白い議論になりそうだ・・・というのが趣旨である

Google Research 論文提案する手法

先の shi3z 氏の主張はスタイル変換に DeepArt と呼ばれるアルゴリズムが用いられていることが前提となっている。確かに shi3z 氏が述べているように DeepArt ではスタイル変換で細部のディテールを残すことが難しいことが分かっている。

具体的には、生成された画像において、人物の顔、建築物の模様などのディテールが潰れてしまう。

一方、今年の 9月Google Research から提案された、スタイル転送の改良版アルゴリズムがある。

当方たまたま知人から教えてもらったものである。細部まで読んではいないが、おおまかに言うと、古典的テクスチャ合成の手法既存ディープラーニングベーススタイル変換アルゴリズム適用して改良することで、細部のディテールを残したままの変換が可能になった・・・という内容である

結果は 24ページ Figure 8 と Figure 9 にある既存手法との比較が分かり易いだろう。

上段の Figure 8 が既存手法 ・・・ おそらく shi3z 氏の記事にある DeepArt に近い手法。Figure 9 が提案手法である建物ディテール再現できていない既存手法に対して提案手法では建物ディテールを残すことに成功している。

また、もうひとつ特徴的なのが、空のように一様性の高い箇所においては元のスタイルが持つ模様のパターン酷似したパターンが描かれている点だ。このあたりは古典的テクスチャ合成を応用した影響だろう。

手法を用いた場合既存手法より高速に変換画像が生成されることにも言及されている。

Everfilter のアルゴリズム提案手法に近いものである仮定する

もし Everfilter のアルゴリズム提案手法に近いものであるなら、今回疑問視されていることの中に幾つか説明のつくものがある。

というものである

この辺りから、Everfilter は「ニセAI」ではなく比較的新しいスタイル変換のアルゴリズム実装した製品だった可能生が微レ存・・・と思い至ったわけである

もしも Everfilter がニセAI ではなかったら著作権侵害ではないのか?

当然、そこまでは言えないと考えている。

2016年現時点で著作権侵害親告罪なので、たとえどんな手法が用いられようがその出力に対して「お前のこの絵はこちらのパクりだろう」と指摘されたところで容疑がかかる。中身がディープラーニングであろうが、コピペであろうが、そこは変わらないと思われる。

インターネット上の議論に載せてみたいと思ったのは

といった論点である法律的な白黒は先に述べたように親告罪に照らし合わせて考えればよいので、ここは、世間一般の人々の感覚話題にしてみたい。

例えば、人間漫画家場合を考えてみる。

有名漫画家漫画を模写し続けることで画力を磨いた漫画家が描いた作品は、その有名作品に画風が似ることはよくあるだろう。その場合ストーリーや構図に類似性が見られず、かつ、画風も多少の癖の類似であれば許容範囲内というのが世間一般常識であるように思う。つまり、画風"だけ" に多少の類似があるものは認められそうだ。

では、有名作品データをもとに学習を行った人工知能が描き出した、画風 "だけ" に癖のある写真・・・というのはどう考えるべきだろうか。もちろん、画風に強すぎる類似性が認められる場合は、世間の風当たりは強いだろうが、では、どの程度の類似性であれば許容範囲内なのであろうか?

その類似性は大きくは

の二つからもたらせるものであるが、強い類似性を悪とした場合、では著作権のある画像から模倣した ・・・ 学習したことが悪なのか。まだ人類もその性質を解明し切れていないディープニューラルネットワークもつ性質が悪なのか。

(法律的判断ではなく) 感情的判断についてはもやはり、出力が問題であってどんな手法が使われているか関係無という態度が正しいのか。

話題は逸れるが、ニューラルネットワーク版の Google 翻訳が生成した文章著作権はどう考えるべきなのか。これも似たような問題であるGoogleウェブ上の大量のデータから学習していると思われるがもしそれが著作権フリーではないデータから学習だとした場合に、生成された翻訳文書Google著作権を持つのか、そうではないのか。

世間常識がどこに落ち着くのかはまだよくわからない。だからこそ、この議論コミュニティに投げかけてみたかった。

Google Research の論文で Everfilter が完全に再現されるかどうかは実験してみないとわからないことであり、また論文をの例を見る限り Everfilter 品質での出力を得るには相応のチューニング必要になるようにも見える。それが現実的に困難だった場合はやはり shi3z 氏の主張が正しい可能生も大きい。また、テクスチャ合成を応用したという点で著作権との相性が悪いアルゴリズムである、という考えもあるだろう。

shi3z 氏の主張を否定するために記述したのではなく、あくまで、人工知能が作り出したコンテンツを人々はどう捉えるのか、そこについてみなさんの意見を伺ってみたく起こしたエントリであることを強調しておく。

キュレーションサイトライター()なんてバイト以下。

某社のキュレーションサイトでのライター()仕事について、

昨日打ち切りの連絡がきました。

昨夜のテレビニュースで、「ライター賃金は激安で、バイト感覚の人もいたようだ」

と報じていましたが、バイトならもうちょっとちゃんとやります

取材くらいするし、本だって買うよ。ちゃんと裏を取った記事書くよ。

文字0.8円の記事作成のためにわざわざ取材に出かける人います? いないでしょ。

編集部だってそこまで求めてなかったと思います

必要なのは記事の数というビジネスモデルですよね。

納品が多いとボーナスもらえましたし。

から情報サイトじゃなくて”キュレーション(まとめ)”サイトなんでしょうね。

あくまでもネット情報をまとめただけだよって。

でも、某社の報酬額は高いほうでした。儲かってたんでしょうね。

ワークサイトはいくつか登録してますが、初心者ライター仕事なんて0.5円/字いけばいいほうです。

仕事として考えると、ホント、ひどい世界です。

まぁ、「デブリ生産して金になるとかラッキー!」くらいの感覚でないと無理です。

それならそれで、運営側ファッションとか恋愛あたりのトピックでとどめておけば良かったのに、

医療やらマネーやら法規制の厳しいジャンルに手を出したのが敗因でしょうね。


時系列的には、

・先月上旬中旬くらいに「監修体制の強化を図るために、有資格者ライターの力を借りたい。

ついては、協力してくれる人は持っている資格を教えてくれ」と一斉連絡

↑思えばこのときには炎上し始めていたのか。

・持ってる資格を連絡すると、11/23頃に「今後お声をかけさせていただきます」と個別連絡

12/1、サイトの一時非公開化と業務の一時停止が通告される(一斉)

12/7、契約打ち切り通告(一斉)

という感じでした。

監修体制強化のために資格を聞いてきたのは、

下読みかなんかさせてもらえるのかなぁくらいに思ってましたが、

監修担当になったら記事の全責任を被らされていたのかな、と思うと恐ろしい。

2016-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20161207150631

話はちょっとずれるかもしれないけど



自己評価が異常に高い所も気持ち悪い

「女はバカから俺たちの業界に来ない」って、「俺たちの業界」が他より相当優秀な人間揃いだと思ってないと出てこない発想だよね

優秀な理系女子東大医学部ではなく他大医学部に行ってしまうと言う話の時も医学部をやたらバカにする人が多かった

医者って一般論としては偏差値収入社会的地位も高いし、人の命を救う立派な仕事だとされてるよね?

なのにそれですら自分仕事より下とナチュラルに考えて主張出来てしまうのが凄いよなあと

何でそんなに自分たち業界が至上だと思ってるのか



そういう感覚が、彼らがよく主張する「女はバカから俺を選ばず他の男を選ぶ」認識にも繋がってるのかな

何で自分が他の男よりも素晴らしい人間だと思って、それを主張出来るのか

根拠もないのに

http://anond.hatelabo.jp/20161207141510

俺は、自分は常に最善を尽くしているという感覚があるので、自分を責めるという経験がないわ。

しろ何で、過去自分がより上手くやれたと思えるのか、そっちのほうが分からない。

コミュ力0のエンジニア介護し続けてきたツケが回ってきた気がする

11月12月炎上、というより「コミュ力の圧倒的足りなさ」から揉め事騒動を起こしている人たちが軒並み40代だった。



SQLおじさんこと生島勘富は40代クラウドワークスのページより)



ちょまどの例のスライドを作ったおっさんこと山本康彦は1957年まれの59歳。



フリーランスの人こと酒巻裕一は職務経歴書によると40歳



その酒巻裕一を擁護しつつ自身アドベントカレンダー特定人物攻撃記事を上げているRichMikanことシェルショッカーこと松浦智之は1975年まれの41歳。



職人エンジニアみたいな言葉を使ってエンジニアコミュ力求めない風潮を是とする記事を読んだことがあったけど、こんな若気の至りでやるような揉め事をいい年したオッサンたちがやっているのを見ると、コミュ力0のまま一定の年齢を超えたエンジニアは、社会と完全隔離させないと誰かを不幸にするだけの存在になるんじゃないかって気がしてならない。これは社会人全体にも言えるが。



ゲーム現場は平均年齢が30くらいなので、フリーランスで40越えたときには周りがみんな年下で、そこに同対応してゆくかというのはある。というか、対応できずに昔のままの感覚で腫れ物扱いや疎まれていく(もちろん、本人には言われない)というのを最近たくさん見てつらい。

https://twitter.com/obenkyounuma/status/806253887036366849



あとドラえもんの「大人ってかわいそうだね。自分より大きなものがいないもの。よりかかって甘えたり叱ってくれる人がいないんだもの。」っていう台詞を思い出した。もうこんなおっさん達を正しく叱ってくれる人間はいないだろうから、やはりただちに現実からネットから隔離するしかないんじゃないか

コンビニ自動化が始まるのか

確かに画一的フォーマットが、そもそも自動化やすそうではあった

標準化して普及させると、イコール自動化のしやすさも上がる

雇用はどうやって守るべきなんだろうか



昨日行ったくら寿司では満席フロアを2人程度のスタッフが走り回っていた

いずれ会計も席案内も机の清掃も自動化されるのだろうか

食品工場食事する感覚を覚えそうだ



未来の子供たちは何を目指すべきなんだろうか

まだまだ人手不足もあってブルーカラーにも希望はあるが

ホワイトカラーも同じく「単純作業地獄行き」みたいな人生観にはなっていくのだろうか

教育の中で自動化されやすさを教えるのだろうか教えられるのだろうか

教師自動化されるのだろうか



消費性向中間が居なくなりそうだ

もう既に居ないのだろうか



雇用が減るスピードと創られるスピードとは結局前者が勝るのだろうか

いずれ創出の余地が消えたとき、一体どんな社会なのだろうか

君の名は。中国公開事情について。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.recordchina.co.jp/a156895.html

で「配給会社買取だった」ことにブコメ話題が集中しているが、あちらの外国映画事情

中国ではもちろん日本邦画外国映画である)について基本事情が全く知られていないようなので少々。

外国映画の輸入枠について

中国(厳密には中国本土)では外国映画の輸入(公開)に政府による本数制限がある。

a.枠 一般映画レベニューシェア方式 20本/年

b.枠 一般映画買取方式 30本/年

c.枠 3D/4DX映画(通常レベシェ方式) 14本/年

(少し前に聞いた数字なので今年は少し違ってるかもしれない)

 *末尾に追記

これが枠の全て。中国映画オタは年間64本見るだけで「俺は今年公開された洋画全部見たぜ!」と言えるわけだw

当然、中国配給会社は貴重な外国映画枠を確実にヒットが狙える作品しか使わない。

外国映画が興収1億元レベルで終わったら(日本ならそこそこヒットだが)、中国ではたぶん買付け担当者の首が飛ぶ。

外国映画製作会社としては当然a.枠で売りたいところだが、ここは大激戦区になるのでハリウッド大作や

ドラえもんのような中国市場確立されたブランドIPシリーズ作品以外は全くお呼びじゃない。

「なんで君名を売り切りなんて安売りしたんだ?」というより、そもそも輸入枠全体の9割をハリウッド勢が占める中、

日本映画中国で公開される」こと自体が年数本しかない狭き門で、実績の無いオリジナル新作アニメ

中国公開に漕ぎ着けた」(=3億円ぽっちだがb.枠で売れた)だけでも、結構もうけものなのだ

配給会社の賭けについて

ブコメでは「中国では無名監督作品を7000スクリーンで公開した賭け」が注目されていて、

それは確かにその通りなんだが、そこは配給会社の光線伝媒にとっては、掛け金の一部でしかなかったはず。

「公開規模の大きさ」以前に「実績無い新規IP外国映画輸入枠を使う」「緊急的な公開」の2点でも大きく賭けてる。

日本での公開から僅か1ヶ月で上映日程発表してるということは、買い付け交渉の開始はまず確実に日本での公開前だ。

すなわち日本での大ヒットという実績が出る前に、確実に稼ぐ使命のある外国映画枠を一枠使う決断をしてる。

しかすると君名を今年中に公開するために、買い付けてた他の外画1本お蔵入りにして枠作ったのかもしれない。

字幕準備や上映スケジュール調整は特急でやる(その辺は中国企業の得意技だ)にしても、公開自体も異例なまでに早かった。

無名監督アニメに火をつけるには日本ウォッチしてるようなアニヲタ連中の口コミ(=SNS)が火口として大事から

「彼らの間で話題になってる内に」と急いだのだと思う。

なにせ中国には検閲がある。外国映画なら公開日程だってお上の内諾が(非公式だが)必要

物があれば即上映できる国ではないのだ。

最近は綱紀粛正で「賄賂で何とでもなる」わけじゃないので、その辺の許可が間に合うかどうか自体も賭けだったはず。

日本感覚で考える以上に光線伝媒はハイリスクを取っている。

「大宣伝と大量のスクリーン」は「日本での大ヒット」という一応の根拠あっての話なので、むしろこれは勝算が見込める賭け。

本当に博打を打ってるのは日本公開前から走っているであろう「外国新規IP買い付け」と「特急公開の準備」の方だったはずだ。

担当者は相当の度胸と嗅覚を持ってる敏腕だと思う。

中国映画市場可能性について

君の名は。」の中国大ヒットで「アニメ映画中国市場で稼ぐといいいんじゃね?」という意見散見されたが、

上述の事情を鑑みればそれは現状寝言しかない。

今年は恐らく興収1兆円超えてくる(日本の4倍以上だ)であろう中国映画市場だが、そこで邦画が稼げる額は

邦画合計しても基本的に「数億円x数本/年」にしかならないのだ。b.枠を全世界映画と争ってる限りこれが上限。

(そして映画上映以外では海賊版との戦いだ)

もちろん外国映画輸入枠の撤廃があれば別だが、ずいぶん以前からWTO非関税障壁として問題にされているにも

関わらず、この制度は続いていて近々に撤廃されるとは思えない。何より中国政府撤廃動機がない。

(もちろん中国のことであるから鶴の一声で一晩でひっくり返るかもしれないが)

「数年、あるいは十数年かけてハリウッドと戦える知名度ブランド中国で築いてa.枠に食い込むのだ」

という長い目での種まきをやる話ならともかく、日本映画業界の当面の飯の種として考えるのは

制度的に厳しい市場なのだ

追記

ブコメnovak777氏指摘の、けろっと氏による今年の外国映画輸入枠→

https://twitter.com/kerotto/status/806005804486639617

恐らくa.枠10増、b.枠10減、c.枠微増って感じなので、c.枠はハリウッド独壇場としても、a.枠が拡大しているとなれば

邦画にもa.枠に食い込むチャンスが出てきたのかもしれません。

少なくとも次の新海作品にとっては「中国でa.枠取って公開」は寝言どころかKSFになりそうですね。

2016-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20161205220932

まず荒らしは一瞬で非表示にする。これは当然のことだと思う。

荒らしっぽい奴はちょっと考えるが、基本嫌がらせに付き合う必要はないと思っている。



あとは、はてブも人数が多すぎて全部なんて読んでられないか間引き感覚で数を減らす。

読んで損したと思うようなことしか書かない上にどこにでもブコメつけてる奴は消す。

こいつの意見は聞く価値ないと思ったら消す。

http://anond.hatelabo.jp/20161205220932

半分正しいんだけど、半分違う気もするんだよな

たまにセッション切れたり違う端末で見てると、オッて思うコメントしてるやつが、ログインしてみると実は非表示になってたりする

過激なことを言うやつほど、その性格ゆえに鋭いツッコミをすることがある

9割はただのストレスの元でしかないんだけどな

自分感覚フィルターすると自分に心地よいコメントしかさなくなるから、その匙加減は難しいと思ってる

精神衛生上は素直にフィルターしたほうがよい

嘘を嘘と見抜けないやつ〜はという欺瞞

騒動は確かに問題があるけど、今の日本ネットで明確なソースがないものは山ほどある。

先日の小山田の話だってソースは結局どこにもない。

実在する雑誌情報源がある、と言われるとネット上では了承する風潮が存在する。

これは現物を出してくるのだから黙らざるを得ない、という一種マウント心理も兼ねている。

一方で本当の情報に嘘を混ぜ込むという洗脳テクニックがある。80%の本当を提示して信じ込ませ、

20%程度に未確認の嘘を混ぜ込んで人を信じさせてゆくものだ。

確認グセがある人は騙されないが、普通の人は騙される。

まして専門家の皮をかぶった人間未確認ソース提示するのだ。

インターネット利用者全てに綿密な確認姿勢要求しつつ罵倒するのは筋違いだし異常だ。



他の側面もある。

仮に20%の嘘を全て疑う人ばかりで世の中が形成されたとして、未知20%除外によって失われるプロジェクト可能性も沢山あったはずだ。

未知を過去から否定する人と、未知はあくまで未知として挑む本能感覚を持つそれぞれのタイプかも知れない。

騙される心理には結局未知への探索という側面もあるだろう。

ただ単に不注意だの騙されやすいだのという一面で語ること自体が甚だ不注意であると言うべきだ。

あるいはそのひとはこだわりがなく素直な性格かもしれない。

理屈ではなく感覚暮らしてゆけた幸せな人かもしれない。



因みにDeNAは色々取り沙汰されていたので訝しく思って当然だ、という人もいるかもしれないが、

そのDeNA情報に当たって逐一調べ、とき電話などで聞いてみた人は何人いるのだろうか?

一時ソース信頼性を言うならそこまでやるのが情報を探る者の善意と言うものだろう。

それをしないでネット二次情報からあそこはいかがわしいと決めたのではないか

結局そういう風評からDeNAがやることに対するアンテナのはり具合が決まっている。

それで今回のことが予防できたからと言って何も自慢にはならない。

今度の餌は一時ソースを見ないあなたなんだから

死ね」なんて大っぴらに言うもんじゃない、って普通感覚が、本当にわからない人がいるってのが驚く

ネットに毒されてるのか

セックスで得られる体性感覚について

忘れないうちにセックスで得られる体性感覚について記載しておく。まず性交による射精後には性器周辺が軽やかになったような開放感がある。自慰であればこれだけなのだが、性交後は四肢末端にも開放感がある。これが自慰性交の大きな違いのように思う。同時に不安感も大幅に解消され、これが自分にとっては重要な要素である。もちろんこれらの効果一時的ではあるのだが、少なくとも 30 分程度は持続する。またここ数年のセックスにおいては膣内射精許可されており、自身承認欲求の充足・維持に大いに貢献しているように思う。

一方で女のオーガズムについては未だによく分からない。現パートナー前戯で先にイカされるのは好まないようなのだが、さりとて性交によるオーガズム表現型はそれほど顕著ではない。ただし電マは秒殺だと言っていたし、普段セックスも十分満足していると言っていたから、毎回同じではないにせよオーガズムがあることは分かる。またこちらに悪戯っぽくイったかどうか聞いてくるし (膣内の精液で分かっている筈なのに)、オーガズム無頓着ではないということで満足しておこう。過去には耐えきれずイってしまう系の女や演出じみた激しい反応をする女もいて、このあたりはやはり個人なのだろう。個人的には静かに小刻みに震えるようなオーガズムが好みなのだが、余計な追求や期待をするのは止めておく。残りの一生で女のオーガズム理解できるとは到底思えないが、人生に多少の不明点があったって良いし、むしろパートナーと良好な関係を維持していく方が優先である

幸せ日常における充実した性生活重要性を今更ながら実感する。40 代童貞だけど。

2016-12-05

年を食ったせいかバイオレンスに拒絶感が出てきた

M-1見てても錦鯉やカミナリの漫才は一歩引いてしま感覚があるし

あれをげらげら笑って見ている人がいたなら多分白けていた

その場にいない誰かを揶揄するようなネタも昔ほど素直に受け止められなくなったか

M-1で言えば和牛スーパーマラドーナニューヨークあたりのスタイル

(と言っても和牛は決勝以降、水田の演じるキャラ浮世離れさせることでえぐみを減らしていたので見れた。

ただ、決勝1本目の巾着捨てたくだりで「あ、アスペルガーっぽい・・・」と思ってしまった。

インターネットの暗部に僕は毒されすぎているのかもしれない。)



僕の中で段々と「誰も傷つかないこと」が表現評価する前提条件になってきている

何かを傷つけるということを表現に取り入れるならば

そこに重さやそこにおいて暴力必要である理由がないと納得できなくなってきた

暴力茶化すなんてことにはもう軽蔑気持ちすら湧いてきているかもしれない

母は映画アクションシーンなどに拒否を示す人間

僕はそれを「なんだかぬるいなあ」と冷ややかに見ていたものだが

今になってそんな母の気持ちも少しわかるようになった気はする

○○(性格)を治したい

結局自分の幼少期の頃に原因があってそれを自分で治せって言われていて、マウントから殴られている感覚がする。

種明かし

何の種明かしにもならないかもしれないと思うけど。

かなりの確信を持って「絶対ブクマされて否定的ブコメで満ちるだろう」という推測を立てて、適当に穴ぼこだらけでツッコミどころ満載かつ感情を煽る内容で書いてみた。

ちょっと釣り針がでかすぎるんじゃないかとも思ったけど、そんなことも杞憂な結果だったことに、やっぱりねという思いと同時に想定以上の危機感を覚えた。

言いたいことは3つ。

コンテクスト不明確なものに対して、その欠損部分を脳内で補って発言するのは考え直した方がいいのではないか

与えられただけの情報を食べてモンスター化していませんか?

インターネットに対して冷静になりましょうよ。

今回の増田コンテクストは明かされていない、いわばXの状態が多い…というよりも、私が作りあげた全くの仮想増田だ。

こんなことを考えて書いた増田は私の脳内しか存在しない。

それにも関わらず、実在人物がそのように考えているように読み取り、さらに読者が各々の中で別人格増田を作り上げる。

思うに、まずは勝手コンテクストを補ったりするのではなく、新しい情報が現れるのを待つ、あるいは情報収集をして検討するまでコメント差し控えるというのが最適解だと私は思う。

追加情報が現れた時に手の平返しをしなくてはならないのはコメントをした当の本人なんじゃなかろうか。

(どうせ増田だろw という感覚の人って少なくなったよなぁ…)

2つ目は情報によって容易に民意というもの操作できるということが実体験で確認できたということだ。

しかも一昔前よりも簡単に、インターネットで書けばいいという状況にある。

1つ目に関連することだけれども、元増田の一部のブコメを除けば誰もコンテクストとか考えていないんだもの

例えば、ある政党政権交代のために、現政策による悲壮人物を作りあげる(*1)。

増田悲壮感を漂わせる文を書いて、セルクマ+αを行えば「こんな日本ってどうなの?」ということが民衆の中から湧き上がり政策批判の声が大きくなる。

しかし、その増田を読んだ人たちは多くの場合、現政策についてほとんど精通していない。

いわば与えられた情報だけに食らいつく飼いならされたモンスターに餌が与えられただけで、あとは勝手に腹を満たしたモンスターが暴れてくれる。

現状で政権交代も起きていないじゃないか、というツッコミがあるんだろうけど、現政権側も同じように情報を作り出せば、そのうちモンスターは過食気味になって黙り込む(*2)。

キルケゴール大衆論?…ちょっと妄想しすぎやしないですかね、なんて思っていた時期があったけど、ここ最近インターネット発の情報とその動きをみていると妄想とは思えなくなってきた。

そして3つ目は上述の2つを総合したもので、かなり端的に言えば、もう少しインターネットに対して冷静になろうよ、ということが言いたいわけです。

私は本当に、もう少し冷静にインターネットに付き合ってもらいたいとは心から切に願っています

最近はてブ界隈を見ていると、どうも過熱気味でインターネットに使わされている気がします。

ガルブレイズ依存効果を持ち出すのは乱暴だろうけど、インターネットで欲を満たすというよりも、インターネットで欲を作り出されているような気がします。

以上!

最後なので、謝るべきは謝ってきちんとしておきます

こういうやり方をしたことは卑怯かもしれません。

真摯コメントをくれた人には本当に頭が上がらない。

それは正直に謝罪すべきところだと思います

誠に申し訳ない。

*1

かなり端折って、分かりやすくするために簡略化した例という注を書かなければならないほど、たまに「?」というブコメの人がいる。

*2

くどいけど、分かりやすくするための「例え」ですからね。

http://anond.hatelabo.jp/20161205165301

「そんなものは作り手だけが考えればいいだけ」

消費者側が「これは○○と違う」って思った時点で作品に没入できなくなるから作り手だけの問題じゃない

この感覚理解できてないならシリーズ物を語ろうとしない方がいい

また、作り手側としても消費者に違うと思わせた時点で購入障壁自分から作ってるようなものなので大問題

売上にダイレクトに影響するようなことを作り手が考慮しないってどんな世界でもそれはあり得ない

そんなこと言えるやつは作り手でも消費者でもない外野でどこまでも部外者なやつしかいない

 

作品に誰が作ったかなど関係無い」

論外

米国あるある「え、彼女じゃなかったの?私」。正式彼女になるまでの道のりは長かった。

よくある記事だが、文化の違いというよりも日本では恋愛至上主義

告白されたほうに選択権があるという儀式ゆえの感覚の違いだよなぁ

http://heapsmag.com/steps-for-being-official-girlfriend-in-us-nyc-its-too-long

親しみやすさとカッコよさ。ジャニーズについて思うこと(偏見

嵐以後のジャニーズが何をウリにしてにウケているのかよくわからない。

SMAP世代を超えて聞かれる歌を出してる。ひとりひとりが個性的なカッコよさを持つ

TOKIOバンドとして面白い

V6ダンスがカッコいい

KinKi Kids→顔がカッコよくて歌がわりと聞ける歌。喋りがわりと面白い印象

こういうカッコよさに加えて、

飯島さんが発案したというの親しみやすい笑いの取れるアイドルの要素。




嵐以後→?

嵐は童顔な人を集めた印象。

親しみやすさはあると思う。そして可愛い感じがプラスされてる。

たたし、KAT-TUN例外で洗練されてた印象で、加えて1人1人が個性的だった。

親しみやすさよりも、カッコよさを感じてた。そういう意味解散は残念だった。




まぁジャニーズ積極的に見てるわけではないので、

ジャニーズの本懐である舞台を見たら印象変わるのかなって思し、

ジャニーズもだけどAKBも含め人気があるのを見ると、

カッコよさより親しみやすさを重視してる人がとても多いのかな、とは感じる。

お笑いの国だし。



ちなEXILEはよく観察してないのもあって本当にわからない。謎の集団

多人数ダンスが受けてるのだろうか。

個人的な好みの問題だけど、

歌2人体制に加えて多数のバックダンサーだと、

歌ってないパートがあると歌ってない人が浮く感じがするので、

歌1人に4人ぐらいのバックダンサー体制の方が洗練された印象を受ける。無駄がない感じ。

ただ歌ってないという余白がいい味を出すこともあるとは感じる。



あとEXILEAKBぐらいの多人数が同じ動きをすると、有無を言わさぬ圧力を感じて

見てる自分存在が小さくなって消えてしま感覚に襲われる。

萎縮するというか。

揃った時の美しさとかいものもあるのでしょうが




落語は一対一のコミュニケーションだけど、漫才は3人のコミュニケーション

多人数アイドルはなんだろう?教室でみんなの前で立たされてる感じ。

女だけどセクハラが難しい

酔っ払いの多少の下ネタを笑って流せる程度の、ある意味でおおらかな、ある意味で毒された感覚は持っている。

くじらを立てるほどでもないから、不愉快不愉快だけれど笑って流せる。

酔っ払った上司が言う「ディープキスする?」という類の冗談は、正直どこの職場でもあり得そうな気がしているし、そんなの親戚のおじさんにだって言われてきた。

接待帰りの帰り道、「寒いから手を繋ぎたくなってきちゃったな」と言って、上司が私の手を掴む。

私はその手を払いのけて「あ、それは別料金なんで!」と冗談にしてしまう。

いつもそうやって誤魔化している。不愉快だけど、相手も酔っ払っているし、本気なわけはないんだし、強く言うと面倒臭そうだし……。

そうしてへらへらかわし続けている。

一瞬のことだ。その瞬間、とてつもなく不愉快なだけで、仕事をしているだけなら普通にいい人たちだ。

騒ぎ立てるほどのことでもない。

そう思いながら、今までやってきていた。

1週間前、新入社員女の子と、セクハラおじさんたちと一緒に飲む機会があった。

セクハラおじさんたちは例の如く、お酒冗談を巧みに持ち込んで、セクハラじみた言動を重ねる。

私の正面に座っていた新入社員女の子は、私と同じように笑いながら、ときに諌めながら、セクハラおじさんたちをかわし続けていた。

いつも自分がやっていることを、はじめて客観的に見た。

彼女は嫌そうな素振りも見せず上手く笑いに変えていて、なんだか場が盛り上がっているようにすら見えた。

彼女不愉快じゃないのだろうか?

みんなこれくらいのことは当たり前にかわせるのだろうか?

それとも私みたいに不愉快さを抱えながらも、かわしているのだろうか?

元気に笑う新入社員を見ながら、申し訳ない気持ちになった。

もし彼女不愉快さを抱えながらも、貼り付けた笑顔でこの場をしのいでいるのだとしたら。

もしそうなのだとしたら、その責任は私にもある気がした。

へらへら笑いながらかわし続けていたせいで、「ここまでは大丈夫」というラインを作ってしまったんじゃないか唐突に怖くなった。

いちいち騒ぐのは面倒くさいし、かわせるならかわし続けて適当にしておきたい。

でも面倒くさがってへらへら笑っていたせいで、私のサボりのせいで、誰かを困らせる日もそう遠くないように思われる。

騒ぎ立てるほどのことでもないけれど、うまくやりすぎても駄目な気がする。

仕事に影響が出るのは嫌だけれど、これが当たり前の対応と思ってもらっちゃ困る。

加減が分からない。

本当にセクハラが難しい。

いじめてたヤツの告白が少なすぎる

そんなに少ない筈無いだろう。絶対いじめてたヤツの方が多い筈なのに、「私はいじめてました」っていうヤツが少なすぎる。

あ、私ですか?どっちの経験もありますよ。個人的感覚では、7:3くらいですが。

2016-12-04

死の収容所へ 3

http://anond.hatelabo.jp/20161204230447

 様々な要因の影響を受けながら、ユダヤ人たちは強制連行を受けとめていた。彼らはもう何年ものゲットーに閉じ込められ、飢えと渇き、恐怖と苦痛さらされ続けていた。そうした人びとは既に絶望し諦め切っており、連行命令に従いがちだった。強制連行の中でナチドイツによってもたらされた恐怖はもはや抑えがたいほどに膨れ上がり、彼らは打ちのめされ、感覚を失い、脱出や抵抗への意志を打ち砕かれてしまっていたのだ。その上連行されてゆくユダヤ人たちの圧倒的多数は、自分たち労働のために移送されてゆくと、実際本気で信じていた。彼らは東方への再定住に希望を繋いでさえいた。そこには仕事もあるのだからまさか自分たちが後にするゲットーよりもひどい事はないだろうと。彼らに期待できることはもう、それしかなかったのだ。どこか知らない東の地の他には…。

 いずれにせよ、ただユダヤ人だというだけで何の罪もない老若男女が連行され殺されるなど、誰にも予測のできようはずもなかった。 予測しようにも特定民族の完全絶滅など、未だかつて誰ひとり、経験したためしがなかった。

 連行にはナチドイツ以外の国々の警察隊も加わった。ポーランド青色警察」、オランダ緑色警察」、フランスルーマニアハンガリー警察ウクライナリトアニアラトヴィアエストニア警察その他、それはユダヤ人強制連行が行われたすべての国々に及んでいる。

 多くの非ユダヤ系住民強制連行を目撃している。玄関から歩道から、彼らは連行をただ見ていた。悲しみと同情を表わす顔もあれば、大喜びの顔もあった。だが大多数の人びとは、見知った仲の隣人が追放されてゆくこの痛ましい光景に、無関心なようだった。まるで彼らは、何も感じていないかのようだった…。

 駅に到着したユダヤ人たちは窓を塞がれた貨物列車に詰め込まれた。しばしば100名から150名、ときにはそれ以上が、その半数ほどしか収容できない1両の貨車に無理やり押し込まれた。貨車には外から錠が下ろされ、列車収容所入口に着くまでドイツ兵もしくは警官随伴した。列車は何事もなければ数時間で済む収容所までの道のりを、幾日もかかって走ることが度々あった。東方ソヴィエト戦線に向かう軍用列車が通るたびに退避線に入っては通過を待ち、再出発の許可下りるまで何時間も停車していたかである

 すし詰めの貨車の中の有様は、言語を絶していた。貨物車なので便所などひとつもなく、詰め込まれた人びとはバケツか、さもなくば床に用を足していた。換気装置も水もなく、車内の温度は夏になると水ぶくれができるほどに上がり、冬には逆に氷点下に下がった。これらの要因は収容所到着を待たずに大勢の人びとが車内で死亡する原因となった。特にポーランド領のゲットーからの便では、収容所到着時に数百名がすでに死亡していたという例もある。

 ヨーロッパ西部バルカン半島諸国での強制連行は、東欧でのやり方とは若干異なっていた。連行が決まった人びとはまず自国内の移送収容所抑留され、数週間あるいは数ヵ月後にポーランド行きの列車に乗せられた。彼らの場合ポーランド系ユダヤ人場合よりは待遇が良かったので、移送中の死亡率も低い。西ヨーロッパユダヤ人貨物列車ではなく客車移送されて行ったケースもある。もちろんそれは、労働のために移送されて行くという彼らの幻想を引き伸ばすための手段に過ぎなかったが。

 列車絶滅収容所に到着するとユダヤ人たちは貨車から降りるよう命じられた。ベウゼッツ、ソビボル、トレブリンカの各収容所に着いた人びとは、ここは移送収容所であり、ここから労働収容所へ送られることになる旨を伝えられ、そしてこう言われた−「シャワーを浴びるから衣服を脱ぐように」

脱いだ衣類は消毒に廻された。女性衛星上の理由と称して髪を切ることを告げられた。男性女性子どもたちから引き離された。荒々しい殴打と威嚇の中を、丸裸にされ運命から見放され呆然となった人びとは「シャワー」へと追い立てられて行った。それは確かに「シャワー」ではあった。ただしそれは「ガス」のシャワーだった。

 アウシュヴィッツでは、人びとがホームに降り立つと通常は「選別」が行われた。約20パーセント−若く体格の良い人びと−が強制労働のために集められ、「ガス室」送りを一時延期された。しかしそれと同時に、年齢も体調もおかまいなしに、到着するなり全員が何の選別もされずに「ガス室」に追い込まれ場合もある。一方では、稀にではあったが、到着した全員がしばらくの間ガス殺されずにいたこともあった。

 ナチの念の入った偽装と隠ぺいのシステムの中で、「ガス室の中で絶命する」という犠牲者たちの運命は常にあいまいにされ、彼らは最期の瞬間までそれを知り得なかった。

ナチス・ドイツが構築した排除装置は恐るべき効果を挙げた。数百万に上るユダヤ人が等しく殉難の試練を受けた。それは彼らがいまだ家庭にある時より始まり絶滅収容所ガス室をもって終わった。

http://anond.hatelabo.jp/20161202172148

そういうまともな感覚を持った賢明女性は、増田のような男は避けると思う