はてなキーワード: 長所とは
俺の一番の長所は運の良さで、幼少期から35歳の今までずっとツイてきた。
なぜだか分からないが、本当にずーっと人生に追い風が吹いており、思い返すと不思議なほどにツイている。
俺ほどに強運が継続している人間は日本にほとんどいないと思うし、運の良さで生きてこれたので自慢したい。
長い文章だが、とにかくずーっとツイているので長くなるのは仕方がない。
夏目漱石の「坑夫」という小説に、主人公たちの腹が減ったらたまたま近くに飲食店があり「大袈裟に云えば天佑である」とコミカルに述べた部分があって妙に印象に残っているのだが、俺の人生はまさに天佑の連続なのだ。
ファクトフルネスの正しいタイトルは「ハッピーになるために事実を選り好みせよ」である。
ハンス・ロスリングが「ファクトフルネス」を出し、主に世界の人口について書かれており、ビル・ゲイツが米国の大学卒業生にこの本を無料で配布している。
マスメディアはネガティブなニュースを報道しすぎる傾向があると、おそらく多くの人が思ったことがあるだろう。
この本の長所は、前世紀に起こった人間の状況の改善について思い出させてくれることである。
この本は世界についての13の質問と、読者が選択できる答えで始まる。
その後に、「ギャップ本能」や「ネガティブ本能」など、さまざまな「本能」を中心に構成された11の章が続く。
ロスリングチームによると、これらの本能は誤解を引き起こす。世界は先進国と発展途上国に分けられる(「ギャップ」がある)とか、「物事は悪化している」(「ネガティブ」)などである。
13の質問は各章で再び登場し、グラフは世論調査で間違った答えを選んだ人々の(高い)割合を示している。
13 の質問のうち、11 は人口問題と人々の生活状況に関するもので、2 つは環境状況に関するものである。
したがって、最初から強い人間中心主義の考え方が明らかである。
すべての人間が依存している環境 (たとえば、食料や淡水) は、ほとんど考慮されていない。
環境に関する質問のうち、1 つは「気温は 100 年以内に暖かくなる」というもの。
もう 1 つの質問、トラ、ジャイアント パンダ、クロサイに関する質問の正解は、1996 年よりも今日の方が絶滅の危機に瀕していないというもの。これは誤解を招く質問である。なぜなら、これらは数千の絶滅危惧種のうちの 3 つにすぎないからである。
この問題は後のセクションで取り上げられ「人類は地球上の自然資源を略奪してきた。自然の生息地は破壊され、多くの動物が絶滅するまで狩猟されてきた。これは明らかだ」と書いている。
これは正しいが、その後に「今日レッドリストや世界自然保護基金(WWF)を調べれば、一部の地域個体群や一部の亜種の減少にもかかわらず、トラ、ジャイアントパンダ、クロサイの野生個体群全体が過去数年で増加していることがわかる」と続く。
ここで話は終わる。ロスリングチームは良いことを強調したいが、特別な注意と保護を受けているこれらの3種の哺乳類を強調するのは非常に誤解を招く。
ネイチャー誌に最近掲載された研究では、レッドリストに掲載されている8,700種以上の情報を集めた。
この研究では、過剰採取(野生種を繁殖や再生で補えない速度で採取すること)と農業(食料、飼料、繊維、燃料作物の生産、畜産、養殖、樹木の栽培)が「大きな殺し屋」であると結論づけている。
種の絶滅は起きているが、多くの植物、菌類、昆虫については特に測定が難しい。
同様に深刻な懸念は、耐性遺伝子プールや将来の種分化の原料となる種内の個体群が絶滅することだ。
PNAS誌に掲載された研究では、1900年から2015年までの177種の哺乳類の個体群絶滅をマッピングした。
いずれも生息域の 30% 以上を失い、種の 40% 以上が深刻な個体数の減少 (生息域の 80% 以上の縮小) を経験した。
もっと総合的に見れば、野生の自然はここ数十年で大きく劣化しており、今後も同様の状況が続くと予測されていることは明らか。
野生の自然を保護することに関心のある人は、過去 1 世紀に起こったことや、これからの 1 世紀に起こりそうなことについて喜ぶべきではない。
この本には「16 の良いことが増えている」という見出しがある。ここにあるグラフの 1 つは理解不能で、「監視対象種: 絶滅危惧種としてリストされている種」というラベルが付けられており、1959 年の 34 種から 2017 年の 87,967 種に増加している (良いこと!?) と表示されている。
別のグラフでは、保護地域が 1900 年の総陸地面積の 0.03% から 2016 年の 15% に増加している。これもまた、非常に誤解を招く。
まず、保護地域は主に生産性の低い土地(山、砂漠、または高山/北極圏の土地)であり、他の生態系は十分に代表されていない。
さらに重要なのは、1900年から2016年の間に、世界中で自然および半自然生態系の広大な地域が人間の集中的な利用のために転換された。
たとえば、スウェーデン北部の半自然北方林の広大な地域は、1950年から2012年の間に、急速に拡大した林道網と皆伐により、生産林に転換された。
2012年までに、数パーセントが正式に保護されていたが、全体として、スウェーデンの半自然林は大幅に減少した。
この同じパターンは、過去1世紀にわたって世界の多くの国、そして世界全体で繰り返された。
正式に保護されている地域は拡大しているにもかかわらず、野生の自然および半自然の土地の総面積は減少している。この本の追加グラフでこれを説明するべきであっただろう。
環境の運命に対する同様の無視は、他の種と同様、将来を左右されるが、ロスリング チームの長編映画「パニックに陥るな」にも見られる。
たとえば、アフリカの川が映し出されているが、この川は灌漑にのみ使用されているはずであり、このような大河川の他の価値 (生態系サービス、他の種の生息地、釣り、レクリエーションなど) については何も触れられていない。
人類に関して言えば、医学の進歩、教育、技術によって極度の貧困が減り、多くの国で寿命が延びたことは事実。
これらの成果は大いに強調されているが、ホモサピエンスがすでにすべての生態系を支配していることを考えると(直接的または間接的に、たとえば気候変動を通じて)、現在の人口過剰と将来にも関係しているに違いない。
国連の人口予測では、2100年までに38億人増えると予測されている(中位推計、2017年予測)。
人口が増えると、温室効果ガス、気候変動、持続不可能な経済成長(本書ではほとんど扱われていない)、食料と淡水に対する需要のさらなる増加、汚染と毒素の増加、野生生物の個体数の継続的な減少などが生じる。
「ファクトフルネス」は、イランにおけるかつての成功した家族計画プログラムを描写しており、これは良いことだが、ロスリング チームは、より明るい未来のために世界の出生率を低下させる必要があることを強調していない。
このトピックに関する「肯定的な事実の質問」では、チームは次のように質問できたはずだ。
「2100 年に 2018 年と同じ世界人口にするには、女性 1 人あたり何人の赤ちゃんを減らす必要があるか」。
考えられる回答: 平均して、女性 1 人あたり a) 1.5 人、b) 1 人、または c) 0.5 人減る。正解: たった 0.5 人! これは、よく提示される国連のグラフ「低変量」予測で確認できる。
ロスリング研究チームは、出生率低下における女性と男性の教育の役割を強調している。
これは結構だが、異なる国で、異なるレベルの授業で何が教えられているのだろうか。
性や避妊に関する教育の内容について、本当に何を知っているのだろうか。
宗教は教育の1つの要因だが、研究チームは出生率の決定におけるその役割を軽視している。
彼らは「イスラム教徒の女性は平均3.1人の子供を産む。キリスト教徒の女性は2.7人。世界の主要宗教の出生率に大きな違いはない」と結論付けている。
しかし、ここでの平均差は0.4人の赤ちゃんだ。上記の0.5人の赤ちゃんの影響と比べてほしい。
小さな数字でも長期的には大きな違いを生む可能性があり、研究チームはこれを「運命本能」(「ゆっくりとした変化でも変化は起こる」)で強調している。
エリック・カウフマンが著書で述べているように、宗教は人口増加を促進できる。
追加すべき関連する質問は、「1970 年から 2010 年の間に、世界の人口のうち宗教に属する人の割合はどのように変化しましたか?」だ。
考えられる回答は、a) 88% から 81% に減少、b) 変化なし、c) 81% から 88% に増加です。正解は c) である。
ロスリング チームが、人口メディア センターの素晴らしい活動について言及していないのは驚きである。
この組織は、インターネットや強力なラジオやテレビ番組を通じて、貧しい国の人々に家族計画や避妊に関する知識を広める活動を行っている。
この本には参考文献が多数掲載されているが、その大部分はウェブページの情報源と政府機関の報告書である。
チームは事実を確認したと述べている(より適切な言葉は「データ」、科学者が使う中立的な言葉である)。
最良の知識源は多くの科学雑誌に掲載された学術論文であるが、「Factfulness」には人口に関する2つの重要な論文(Nature 2016とScience 2017に掲載)への言及がない。
そこで著者らは、1990年代半ば以降家族計画の役割が残念ながら縮小していること、これが将来の食糧不安や絶滅危惧種の運命にどのような意味を持つのか、そして何をしなければならないのかを説明している。
ロスリング チームは批判的思考が必要であると指摘しているが、人口増加と環境に関しては、依然として「状況は良くなっている」という本の主なメッセージになっている。
人口増加を抑制し、国際援助を増やすための新たな行動の必要性についての力強い適切なメッセージが欠けている。
対照的に、サイエンス誌に掲載された優れた記事では、温暖化する世界で人口増加を遅らせる方法を説明している。
「ファクトフルネス」ではなく、その記事を米国の学生に無料で配布すべきだっただろう。
紙が減れば、温室効果ガスも減る。
私は、高学歴の人のほとんどは、世界についてかなり現実的な見方をしていると想定している。
仮説は、世界についてあまりに強い肯定的 (偏った) メッセージを彼らに伝えると、状況を改善する行動を起こす人が減るということだ。
飢餓に関するメディアの否定的な報道が、何百万人もの人々を慈善団体に寄付に導いたことを思い出してほしい。
何百万人もの人々が、人口増加の悪影響と家族計画プログラムの改善効果について明確でバランスの取れた情報を得ることができれば、彼らの多くはおそらく、国際家族計画財団、人口メディアセンター、その他の進歩的な組織を経済的に支援するだろう。
婚活中の友人がいる。
いや、正確に言うと「婚活中」ではない。
彼女としては結婚以前に「まともな恋人がほしい」と思っているところなので、「恋活中」と言った方が良いかもしれない。
少なくとも結婚願望があるなら、そんな生ぬるいことやっていないで婚活に本腰を入れるべきだと私は思う。
しかし彼女は自分の年齢を10歳以上見誤っており、20代前半の感覚で生きているのでそんなことには到底気付かない。
ちなみに彼女の口癖は「おばさんになったなぁ~」なので、自分の年齢を見誤っている自覚は全くない。それがまた恐ろしい。
本題に入る前に、私と彼女についての詳細を書く。
38歳女。技術職。
恋愛経験といえば、若い頃に何度か好きな人のセフレになったくらいで、まともな交際経験はほとんど無い。
同年代にはあまり知られていない、とある映画が好きだということが発覚し、意気投合。
多感な時期を共に過ごしたこともあり、恋バナや趣味の話、将来の話などをしていつも盛り上がっていた。
いつか結婚式するときはスピーチをお願いする約束もしていたくらい、本当に仲が良かった。
大学の専攻とは関係のない技術職に興味を持ち、独学で技術を学んで専門職に就いた。
遠く離れて暮らしていても、それなりに連絡を取り合い、帰省した際には必ず会っていた。
「彼氏ができない」
といったような悲観的な内容ばかりになっていった。
学生の頃のような趣味などの明るい話はせず、自虐を言っては「幸せになりたいね」と、互いにただ願う日々。
私たちのLINEは、傷の舐め合いのトークで埋め尽くされていた。
30歳の節目を迎えたとき、何となく「このままではまずい」と思った私は、本格的に婚活を始めた。
お見合いパーティーやマッチングアプリに勤しみ、様々な男性と会った。
頑張った甲斐あって、約半年間の活動後、数年ぶりに彼氏ができた。
それが今の夫。
悲観的になって傷の舐め合いばかりしていた私たちは、他に共通の話題が無かったのだ。
私が彼氏との出来事や愚痴などを話しても、A子は交際経験が無いため碌な返しが来ず、「話すだけ無駄だったな」と思わされることが多かった。
「公務員試験受けようか考えてる」
と口だけいっちょ前な事を言うくせに、特に行動を起こさないので聞いていてイライラするようになってしまった。
悲観的な思考になってしまったせいか、これといった趣味も無い。
なので会話で盛り上がることは無くなっていき、昔のようなLINEのラリーもしなくなった。
彼氏ができ、同棲し、婚約し、仕事でも役職を貰えたり後進育成の立場になったりと、1歩ずつ人生がステップアップしていくにつれ、A子がいつまでもその場で足踏みしているように感じ、私は次第にA子を見下すようになった。
もう昔のように、心から楽しく話せる友達ではなくなってしまった。
ただ、連絡が途絶えたわけではない。
お互いの誕生日にはLINEを送り合ったり、ふとした時の連絡のついでに近況を話したりする程度にはやりとりをしていた。
そして会うたびに「こいつは何も変わらないな」と思っていた。
A子以外の友人は、年を重ねるにつれどんどん生活が変わっていくのに、彼女だけは相変わらずその場で足踏みしている人生を送り続けていた。少なくとも私はそう感じた。
結婚式は、お互いの地元がかなり離れていて何だかんだ面倒なので、しないことになった。
しかし、その頃にはA子のことをすっかり見下していた私は、むしろスピーチを頼まずに済んだことに安堵したのだった。
やがて、コロナ禍が到来。
帰省することができなくなり、A子と会うこともなくなった。
そんな中で私は妊娠・出産と、人生における大イベントを迎えた。
里帰り出産ではなく東京で出産したため、A子にもLINEで報告。
報告ついでにA子の近況を聞くと、どうやら婚活もとい「恋活」を始めたようだった。
コロナ禍で誰にも会えない日々が続き、寂しさを感じて彼氏を作ろうと決意したらしい。
恋愛弱者にマッチングアプリは厳しそうだなぁと正直思ったが、「良い人に会えるといいね!」とだけ言っておいた。
誕生日のお祝いメッセージなど、たまに連絡を取ることはあったがお互いの近況を言い合うことは無かった。
今年、私たちは38歳。
コロナ禍で会わせられていなかった娘にも会いたいと言ってくれた。
A子とは4年会っていなかった。
見下していたとはいえ、4年も会っていなければ色々と変わっているだろうから近況を聞きたいなと思ったし、何より近頃は友達と会う機会がめっきり減ってしまったため、声をかけてくれたことが嬉しかった。
そうしてA子と私は4年ぶりに再会することになった。
A子は何も成長していなかった。
まず、仕事の話。
4年前と相も変わらず同じ愚痴をこぼしていた。
資格がほしいと言っていたわりに、新たな資格は特に取得していない。
今の会社では、職種を変えない限り昇進は無く、ずっと末端社員のようだ。
年齢を考えると管理職くらい経験しておかないと今後転職は難しいと思うが、そこに対する危機感は感じていないのだろうか。
別に辞める気が無いならそれでも良いと思うけど、「辞めたい」の嵐。
何年も末端社員で同じ仕事をしながら、同じ愚痴をこぼしている。
お局という名の化石が出来上がっていた。
そして、「恋活」について。
この4年間で、彼女はマッチングアプリを通して4人ほど交際したらしい。
交際経験が無かったことを思えば、それだけ聞いたら少し進歩したように思える。
何度も言うが、A子は38歳である。
まず「全員年下」という点について。
A子はけっこう美人だ。美意識が高く、美容にお金をかけている。引け目に見ても10歳くらいサバが読める。
それが問題だ。
私を含め38歳って、皆おじさんおばさんである。
目元口元にシワが出て、白髪も生えている。
同じ年の友達に会うと、「年を取ったなぁ…」と必ず感じてしまう。
そのため、おそらく自分のことを28歳くらいだと勘違いしてしまっている。
でも冷静に考えてみて。
年下(30代前半)の、そこそこ見た目が悪くない年下男子が、真剣に交際相手を探していたとして、
そんな年下女子にも需要があるであろう男性が、わざわざ38歳の女を選ぶ?
選ぶわけない。
なのでマッチングする相手は、真剣交際なんてする気のないヤリモクでしょう。
「全員交際前に身体の関係を持っている」というのが何よりの証拠。
ちなみに私は婚活していた時に何人もの男性に会ったが、身体の関係を求められたことは殆どない。(ゼロではないが。)
ヤリモクが蔓延しているマッチングアプリで真剣に出会いを探すため、私は徹底して“浮気しなさそうな男性”を選んでマッチングした。
いいね数が多い、見た目が良い、女慣れして会話が弾むような男性はヤリモクの確率がぐんと上がる。
なので、いいね数が低く、見た目が地味な人を選び、お酒の力で会話が弾んでしまわないように昼間に素面で会うことを徹底した。
そうして出会った今の夫。
交際経験の無い童貞を引いたが、浮気の心配のない優しい夫になった。結果的に大当たり。
なんとなく見た目や雰囲気でマッチングして、会って、お酒飲んで、身体の関係を持った延長線上で付き合って…を繰り返して、本当に良い人に出会えるわけなかろう。
全員、A子が「付き合ったあとに違和感を感じて別れた」という点。
(ここでは、前述の「全員ヤリモクだろ」説は一旦横に置かせてもらう。)
A子は元彼たちについて、
「こういう癖がイヤだった」とか
「私の話を聞いてくれない」
「デートの行き先の趣味が合わない」などといった、しょうもない不満をつらつらと述べた。
しばらくは不満に目を瞑って付き合うものの、やがて嫌になって別れてしまう、というのがお決まりの流れらしい。
聞け、A子。
なのでこの世のカップルは、互いに大なり小なり何かしらの不満を持っている。
だから、その不満を相手に伝えて話し合って解消していったり、落とし所を見つけていく必要があるんだ。
優しい夫とはいえ不満はあるし、逆に夫も私に対して不満が沢山ある。
でも、そのたびにお互いの落とし所を見つけてきた。そうして夫婦生活が続いている。
それが、人と長く付き合うということなんだよ。
勝手に心の中で不満を溜め込んで、勝手に爆発して、勝手に「無理だ」と決めつけて、勝手に関係を終わらせている。
不満を感じずに付き合える人といつか出会えると思ってるの?
そんな人、いないよ。
不満を全て我慢するのでもなく、相手を切り捨てていくのでもなく、「関係を築いていく」という作業をしていかないといけない。
それができない限り、結婚どころかまともなお付き合いなんて絶対に無理。
そもそもA子が述べた不満は、すべて交際前に数回デートすればわかることばかりだ。
人となりの確認をすっ飛ばしてセックスして交際してしまうので、付き合ってから小さな不満がポロポロと出てくる。
まぁ20代前半くらいならその付き合い方でもいいと思うよ。
でも、A子は38歳。
こうしている間にも、体はどんどん衰えていく。そんな年齢。
1分1秒が惜しい年齢なんだよ。
そんな非効率な付き合い方をしていたら、あっという間に40歳になっちゃうよ。
…とまぁ、近況を聞いてイライラした点を書き連ねたが、A子本人には何一つ本音を伝えることはなかった。
本音を言ったところでA子は拗ねるだけなのが目に見えている。
それに私の本音をぶちまけたところで、A子にとっては単なるクソバイスにすぎない。
ツッコミどころをぐっと堪えて聞き流し、悶々としながら「大変だね」、「頑張ってね」と薄っぺらい優しい言葉をかけることしか、私にはできなかった。
ここまで散々A子の近況をバカにしてきたが、彼女は決して悪いやつではない。
「不満があっても相手に伝えない」という人柄なだけあって、基本的に人畜無害な人間だ。
おそらくA子の事が嫌いな人はこの世にいない。
これだけ見下しているのに付き合いが続いているのも、A子が私に対して決して害を与えない人間だからだ。
A子は、娘を懸命にあやしてくれた。
独身で子供がおらず、さらに一人っ子で甥や姪もいないため、A子は子供に慣れていない。
それでも「子持ちの友達が多いから、子供の扱いには慣れちゃったw」と言いながら、ぎこちなく娘と遊んでくれた。
そして、その姿を見て、私は「ダセーな」と思った。
まるで子供慣れしていない若い子が、懸命に子供をあやす姿のようだった。
実態は若い子じゃなくて38歳のおばさんだと思うととても滑稽で、痛くて、ダサく感じてしまった。
本来だったら、「子供の扱いに慣れていないのに、頑張って接してくれてるんだな」と嬉しく思うところだと思う。
長所として捉えるべきところを、「滑稽」「痛い」「ダサい」と、悪い方へ悪い方へと考えてしまう。
A子の話し方、立ち振る舞い全てをマイナスに捉えるようになる。
人を見下すということは、そういうことなんだ。
私はもう、彼女の全てに対して対等な目線で見ることができなくなってしまった。
20年来の友人に対し、心の中で勝手に見下し、「どうせ言っても拗ねるだけだ」と決めつけて本音を言わず、こうして文章に書き連ねて全世界に発信する。
さて、ここまで書いた長ったらしい文章で、私がいかにA子を見下しているかを理解してもらえたと思う。
A子と会ったのは半年前の話。
それでも、ふとした合間にA子の事を考えて
「あいつは一生結婚できない」と改めて彼女を見下し、ひたすらそれを反芻している。
髪を乾かしているとき。
毎日毎日、半年前に話した内容を思い出し、イライラし、彼女のダメな点を洗い出し、「だからあいつはダメなんだ」と再認識する、という流れを何度も何度も繰り返している。
どうかしてる。
何の生産性もない。
そんな事を考えるなら、可愛い娘のことを1秒でも多く考えるようにしたい。
でも、できない。
どうしても考えてしまう。
このことに、私はかなり本気で悩んでいる。
寝る前にA子の事を考えて、イライラして眠れなくなってしまう、ということも何度もある。
子育てする中で貴重な睡眠時間を、わざわざA子の事を考えて削っている。
考える時間を作らないように、隙間時間に語学の勉強を始めたり、無心の作業中には歌を歌うなどの対策もしてみた。
それでもだめだった。どれも長続きしない。
なぜ何度も何度も繰り返して考えてしまうのだろうか。
専門的な知識がある人がいたら、教えてほしい。
もしかして、A子のことを見下すことが私の中で「快感」になってしまっているのではないだろうか。
人を見下し、自分の状況と比べ、安堵する。
そのこと自体に脳が快楽を感じるようになり、それで何度も繰り返し考えてしまうのでは?
あぁ、恥ずかしすぎる。
それなら尊敬できる人のことを考えて成長できる人間になりたいよ。
A子とは半年前に会った日以来、誕生祝いのメッセージを送ったくらいで、他に連絡は取っていない。
半年も経てば、またきっとA子は何か変わっているかもしれない。
それでも、「どうせ変わっていない」と決めつけて、半年前のA子をひたすら見下し続けている。
おそらく、私はこのままA子が変わらないことを望んでいる。
そして今日も、A子の事を考える。
文章にして誰かに読んでもらうことで、この反芻思考が止められるかもしれない。
そう思い、今回この日記を書いた。
書くのにとても時間がかかった。
そのため、今日は9割くらいA子のことを考えていた。
あぁ、思っていることを書き殴ってしまったから締めの言葉が思い浮かばない。
A子にメッセージでも書いておこうかな。
…って思ったけどA子に言いたいことなにもないや。
これからも私はA子のことを見下し続けるだろうけど、そのことについてはどうでもいい。
この意見にはいくつかの妥当な点と問題点があります。以下に、それらを整理して説明します。
妥当な点
1. 選挙結果は政党の絶対的な優位性を証明するものではない:
• この意見の中心的な主張は、選挙で勝利した政党が他の政党より必ずしも優れているとは限らないという点です。これは、多くの民主主義国家で見られる現実であり、選挙の結果が必ずしも有権者全員の理想を反映しているわけではないという考え方に基づいています。
• 有権者の判断が必ずしも完全に情報に基づいているとは限らず、さまざまな要因(感情、メディアの影響、候補者のイメージなど)が投票行動に影響を与えることもあります。このため、選挙での勝利が政党の「優位性」や「正当性」を単純に示すものではないという指摘は正当です。
• 「裏金」や「カルト団体の影響」といった問題は、日本の政治においても話題になってきたことがあり、自民党を含む多くの政党が過去に疑惑に巻き込まれたことがあります。こうした疑惑が政治的な意思決定に影響を与えている可能性は、選挙の公平性についての議論の一部を構成します。
• 「クズ」「真正の馬鹿」「罵倒されて当然」といった感情的で攻撃的な表現は、冷静な議論を妨げ、相手の意見を聞く姿勢を欠いたものになりがちです。このような言葉遣いは、意見の妥当性や説得力を弱めることがあります。
• 建設的な議論を行うためには、相手を攻撃するのではなく、冷静かつ論理的に主張を展開することが重要です。
2. 偏った見解:
• 意見全体が特定の政党(自民党)に対する否定的な見解に偏っており、他の政党や政治システム全体の問題に対する公平な視点が欠けています。自民党だけでなく、他の政党にも問題があることを認識し、幅広い視野で評価することが重要です。
3. 民主主義の誤解:
• 民主主義では、選挙の勝利が「多数の意見に基づく決定」であることを意味しますが、これは必ずしもその政党が「最も優れている」という意味にはなりません。しかし、民主主義のプロセスは、有権者が自分の意思を表明する手段であり、その結果が最も多くの人々に支持された選択肢であるという意味では重要です。意見の中で「民主主義の常識」として述べられている部分は、正確に理解されていると言い切れない部分があります。
• 冷静な論理展開を心がける:感情的な言葉を排し、根拠に基づいて論理的に意見を述べると、議論の質が向上します。
• 偏らない視点を持つ:どの政党にも問題点と長所があることを認識し、公平な視点で評価することが重要です。
• 民主主義の理解を深める:民主主義のプロセスの意味や限界について正確な理解を持つことが、より説得力のある議論に繋がります。
この意見は一部の主張には妥当性がありますが、感情的な言葉遣いと偏った見解が問題となり得るため、より建設的かつ理性的な議論に向けて改善が必要です。
紙に手書きの方が記憶に残るし思考も捗ることが科学的にも証明されてるのに、続ける意味なんてないんじゃないの?😟
もちろん、板書をただ書き写す労力なんてアホだから、プリント配布するとかすればいいし、
プリントを喪失しても、いつでも出力できるよう、プリントはPDFなりで電子化されていればいいし、
デジタルでパワードされるべきなのは教育者側であって、教育者の労力が削減されるべきであって、
もちろん、それでデジタル弱者が生まれるかもしれないけど、なんとなくだけど、多分GIGAなんとかしたって、そういう人は弱者になるだけだと思う
受験勉強と同じで、自分は勉強に向いているのか、向いていないのか、それがジャッジできればいいだけであって、
それをジャッジした後に、尚も勉強に向いてない人たちに勉強を強制するべきではないと思う
いいかげん、長所を伸ばす教育をするべき出会って、程度の問題はあるが、短所を無理やり強制的に伸ばそうとするの、やめた方がいいと思う
誰もが情報I、情報IIの知識が必要な社会になんて、これからずっと先もそんな社会にはならない
学校で情報なんて習わなくても、情報処理の試験を受ければいいし、興味がある人がやればいいだけであって、
というか、情報以外の教科も本音で言うならそうだと思う、古文はまだ分かるが、漢文の必要性はあまり感じない、だったら中国語やれとさえ思う、役に立つから
教科書をデジタル化する必要もない、教科書は学校に置いておいてもいい
自分は学校で悪質なイジメ、虐待にあった経験者だから、日本の学校も海外みたいにロッカーにするとか、監視カメラを付けるべきだと思う
痴漢防止のために、電車内に監視カメラを付けることにも賛成する
監視されていないと自制心を保てないレベルの人も社会には残念ながら存在する
いずれにしても、タブレットの導入をどうするだの、子供が砂にマシンを埋めただの、仮に子供に与えるのがラズパイだったとしてもざっくり1万円である
ノートやタブレットより1万円のラズパイは安いかもしれないが、それでも毎回砂場に埋められてたらやってられないし、もう1万円という時代でもないしな…😟
電子機器を捨てて、紙を使え、紙を、パピルスがない時代からすれば夢みたいな現代だろ
あと、生成AIみたいなのも出てきて、コンピュータの方が人間に近付いていってるんで、尚更、誰もが情報I、IIの知識が必要な社会なんて尚更尚更来ないし、
情報IIの補足みたいなの一通り眺めたり、試してみたりしたけど、こんな広範囲、全部教えられる人間なんていない、いても酷く広くて浅い知識になってしまうし、
あなたの価値観や経験に照らし合わせて「鉄板の話」とされるエピソードが、必ずしも他人にとっても同じように魅力的であるとは限りません。
例えば、彼にとっての普通の日常や友人関係が安定していることは、実はそれ自体が大切な価値を持っているかもしれません。
彼が特定の「武勇伝」や「面白いエピソード」を持っていないと感じるのは、それが彼の性格や価値観に基づくものであり、それが彼の長所であるかもしれません。
会話があっさりしていることが、必ずしも相手をつまらない人間にするとは限らないのです。
むしろ、彼の穏やかさや安定感をあなた自身が評価しているのではないでしょうか。
そうした特徴は、長い関係の中で安定したパートナーシップを築く上で重要な要素です。
あなたが自分の話し方やエピソードを気を遣って構成しているのは素晴らしいことですが、それが他者にとっての「楽しさ」の基準を押し付けてしまう可能性もあります。
会話は双方向のものであり、相手があなたの期待通りのエピソードや会話展開をしないからといって、その人を「おもんない」と判断するのは早計です。
むしろ、違うアプローチや視点からのコミュニケーションを楽しむ余地があるかもしれません。
人それぞれ会話のスタイルが違い、全てがエンターテイメントを重視するわけではありません。
彼の会話がシンプルなのは、単に自分のスタイルを持っているからであり、それをあなたがもっと理解し、受け入れることで、より円滑なコミュニケーションが築けるかもしれません。
身バレしたい訳でもないので詳しくは書かないが、先日活動先で「視野が広いね」と複数人から言われた。集団の中で、誰かを取り残さないように良く見て声を掛けている、ということらしい。
そんなこと、人生で初めて言われた。うれしい。
その言葉自体はとても有り難い表現なのだが、ふと思い至る事があった。
私って、多動かも?!
椅子にじっと座っていることが苦手(※「いま立ってはいけない」という規律は守れる程度なので人目があれば我慢している)だし、姿勢を保つことも困難で、机に向かえばひどい前傾姿勢になり、ノートは体に対して45°傾いている。聞いた音はすぐ口から出るし、長い文章は書けない。計画性と継続力がなく、あらゆることに対してギリギリで生き、失敗から学ばず、ついでに受験も大コケしている。
何が異常行動なのか多少は分かっているつもりなので、「普通」ではないかもしれないが、人目がある場ではそこそこ頑張って擬態しながら生きている。
(反動か、人目がない自室では服を脱ぎ散らかし床に寝そべって足を打ち付けるなどしている。)
そんな自分にとって、今回の「視野が広い」という評価は非常に困惑するものでもあった。
ケアレスミスしまくり、物落としまくり、あらゆるものを読み落とし、視野から消し、ついでに記憶から消すのが得意な私は、そんなことを言われた経験が無かったためだ。
人だ。
自身が「そう」なりがちだった経験から、集団の中で、悲しい顔や仏頂面をしている人、困惑している人、ソワソワしている人、表情が抜け落ちている人、つまりは集団に馴染めていない人がいればすぐに分かる。
そんな人にうっすらと寄り添いに行く。
それがどうも今回に関しては「視野が広い」として良いこととして評価されたようだ。普段めちゃくちゃ視野狭いのに。
これは楽観的な見方だが、私は細かい文章を読めないし些細な違いにも気付けないが、気が散りまくっている分、あらゆるものをざっくり警戒する、という能力にはそこそこ長けている可能性が出てきた。光とかデカい音とか苦手で、すぐ意識逸れるけど、危ないことしてる人とかにすぐ気づくし。
………………やっぱり多動かも……。
こんなしょうもない人間に見つかった長所らしい長所、能力の素晴らしい言い換え、何か生かして人の役に立てる仕事がしたいですね。合法なやつで。
自民党総裁選のネット情報戦はさすがジャップの様相を呈している
右から左まで自分達の長所よりも政敵の短所を攻撃する発言ばかりだ
最近秋葉原の「U Mobile Shop」で開催されたセールで購入したIntel NUCキット(NUC6CAYS)に
ついてのレビューです。
このミニPCは、その小さなボディに秘めた可能性に驚かされることばかりでした。
それでは、購入から設定、そして実際の使用感まで、詳しく見ていきましょう。
NUC6CAYSの画像: https://i.imgur.com/LrfNMrA.jpeg
1. 購入経緯
2024年9月14日、秋葉原の「U Mobile Shop」とそのオンラインストアで中古ミニPCのセールが
開始されました。
オンラインストアは午前0時からスタートし、私はこの機会を逃すまいと注文しました。
Intel製Windows 10ミニPC中古が3,000円でセール!【Intel NUCキット】
https://daily-gadget.net/2024/09/12/post-77177/
セールの目玉商品だったIntel NUCキット(NUC6CAYS)の仕様は以下の通りでした:
- メモリ: 4GB
- ストレージ: 32GB
- OS: Windows 10 Home
https://youtu.be/Q9gM8jAOf_0?si=kr-9lrfr20P0eG-Z
残念ながらWindows11には非対応ですが、そのために価格は3,000円!でした。
2. 開封と初期の印象
商品が届いてすぐに開封しました。外観は予想以上にきれいで、ミニPCとは思えないほど
頑丈そうで加工精度が高い印象を受けました。
手に取ってみると、その小さな筐体からは想像できないほどの重量感があり、
a. まず、HDMIケーブルでモニターに接続し、2.4GHz帯のワイヤレスキーボード
b. 電源を入れると、問題なくモニターに映像が表示され、キーボードとタッチパッドも
c. BIOS画面はIntel独自のデザインで、タッチパッドでスムーズに操作できました。
3-2. Windows 10の起動
そのまま起動すると、内蔵eMMC(32GB)にインストールされていたWindows 10が
立ち上がりました。起動は速く、基本的な操作も問題なくできました。
ただし、機能更新プログラムのバージョンは相当古いものでした。
注目すべき点は、CPUファンが搭載されているにもかかわらず、とても静かだったことです。
デスクトップ環境として使用する上で、この静音性は大きなメリットだと感じました。
ネットで見つけた分解写真: https://i.imgur.com/BXApN8U.png
まず、空きスロットに8GBのDDR3Lのメモリを追加で挿し、12GBに増設しました。
BIOSで問題なく認識され、システムの応答性が向上したように感じました。
次に、2.5インチSATA SSD 1TBを増設しました。内蔵の増設スロットを利用したので、
取り付けは非常に簡単でした。
4-3. eMMCの無効化
搭載されていたeMMCは容量が32GBと限られていたため、BIOSから無効化することにしました。
ただし、元のWindows 10インストールを保険として残しておきたかったので、
完全に消去することはしませんでした。
無効化後、NUC6CAYSを起動すると新しく増設した2.5インチSATA SSDにインストール
されていたWindows 10が問題なく起動しました。
Windows 10も快適に動作しましたが、さらに軽量なOSでの使用感を試すため、
a. インストール自体はスムーズに完了し、特に問題は発生しませんでした。
c. YouTube FHDの60FPS動画も問題なく再生でき、Wi-Fi接続も安定していました。
Chrome OS Flex上でいくつかのベンチマークテストを実行しました:
シングルスコア:約15,000 マルチスコア:約110,000
b. WebGL Aquarium:5,000匹の魚で約35FPS
ベンチマークの画像: https://i.imgur.com/5zmXXbc.jpeg
これらの結果から、高性能とは言えないものの、日常的な使用には耐える性能を
持っていることがわかりました。
特筆すべきは、これらのテスト中もファンの音がほとんど聞こえなかったことです。
天板に直接耳を当てないと音が聞き取れないほどの静音性は驚きでした。
6.総評
Intel NUCキット(NUC6CAYS)は、その小さなボディからは想像できないほどの
可能性を秘めていました。
6-1. 長所:
- 驚くほどの静音性
6-2. 短所:
- 高負荷のタスクには向かない
- 自宅用のChromebox的な使い方
3,000円という破格の価格で手に入れたこのマシンですが、その価値は金額をはるかに
超えています。
拡張性、静音性、そしてある程度の性能を兼ね備えたこのミニPCは、様々な用途に適応
できる素晴らしいマシンだと言えると感じました。
Chrome OS Flexの検証に続いて、Linux開発環境の可能性も探ってみました。結果は予想以上に良好で、
Chrome OS Flex上でLinux(Beta)を有効にし、開発環境をセットアップしました。
Linux開発環境の画像: https://i.imgur.com/8URQQSU.png
Linux環境で、以下のアプリケーションをインストールし、動作を確認しました:
参考サイト:初期設定&日本語入力を使えるようにする方法|ChromebookでLinux
https://catalyst-wakaba.com/linux-on-chrome-os/
30歳頃はだめだめの人生だったけど、40歳前後で結婚できました。
自分の経験と、身の回りで婚活苦手そうだけど結婚できた人たちを見ていて思った事を書くね(男視点の話です)
知り合った女性に勝手に好意を持ってしまって、告白して玉砕ってのは何回かしてた。職場関連で告白に失敗して気まずくなったこともありました。
まじで地獄だった。話が合わないし、緊張するし、滅茶苦茶疲れたって事しか覚えていない。
話も盛り上がらないし、次回会うのがつらすぎて早々に断った。おそらく向こうからも断られてたと思う。
後々、相手(現在の妻)になぜ付き合ったのかとかどこに惹かれたか聞いたところ、私自身は長所ともアピールポイントとも思っていかなった事を褒められた。
未婚である事で、責められることも無くなったし、上から目線でアドバイスされることもなくなったし。
精神的に本当に楽になった。
既婚者になったので、相手から不審な男性扱いされにくくなっただけだと思う。(急にアプローチしてくるとかがない)
もてるようになったわけではない。
コロナ前に結婚した増田の話なので、マッチングアプリの利用率とか現状とちょっと違ってると思うけど。
その1人を見つけるのが難しいのは重々承知何だけど、モテるようになる必要はないと思う。
知り合いが増えるとチャンスも増える。私には女性の知り合いを増やす良い方法はわからかなったけど。
私の周りで、婚活や女性が苦手だけど結婚できた人は、友達や知り合い経由でチャンスを掴んだ人が多い。
男女関係なくつながりを増やしていくのって大事なんだろうなあと思った。
チャンスが生まれそうな機会を増やしておくと、結婚できる可能性がぐっと上がると思う
マッチングアプリや結婚相談所を利用するのが、チャンスを増やすのには最も直接的な方法だけど、私には精神的に辛くて無理だった。
周囲の人に、結婚したいけど相手がいない事を正直に伝えておくのって大事だと思った。チャンスがぐっと上がる。
私の知り合いで、意外なところで女性を紹介された事がきっかけで結婚した人もいる。
匿名ダイアリーに書かれているような高度なレベルは無理だったけど、できる範囲で頑張った。
部屋掃除は、家に男友達がいつでも来れるくらい程度には頑張った。
みだしなみは、毎日風呂はいるとか、散髪には定期的に行くとか。
ファッションは、無難な服を着ていた。同じ服を複数枚持ってて同じコーディネートで着てる事が多かった。
位置情報ゲームアプリのオフ会で仲良くなった男友達が、そのオフ会内で付き合って結婚したのには驚いた。
其の友達は女性とは話すのも苦手そうだったし清潔感もなかったけど、オフ会には必ず来てたし、段々と明るく社交的になってきたなあと思ったら付き合い始めてた。
これ以外にも趣味関連やゲーム関連がきっかけで結婚した友達がいた。
嫌で辛い方法は長続きしないと思うので、ストレスが少ない方法で婚活を頑張ってほしい。
私自身はたまたま1回うまくいっただけだと思う。私の具体的な成功した方法には再現性はないし何の学びもないと思う。
ただ、成功するまでに、めちゃくちゃたくさんの失敗や玉砕をしています。
結婚につながるかもしれない機会を増やした事は有益だったなあと思ってます。
(追記)
似たのを見た🐕
これじゃん
https://note.com/iekei/n/n39eb35f09ca1
そのギャップを受け入れることができない。
「生きづらい」状態では、理想と現実のギャップを認知したとき、
その方法は大きく2つに分かれる。
1.マウンティング
2.都合のいい解釈
https://note.com/iekei/n/n873f2346860f
「自己受容」は、自分のダサい部分を受け入れることで高まっていく。
プライドが高い状態では、理想と現実のギャップを受け入れられないため、自分の長所を主張し、他人の短所を見る。
これでは、普段の生活の中で自分の短所を認知することができない。
自分がダサいということを認知し、それを受け入れる体験をすることで
自己受容は高まっていく。
私は34歳であり、身体的には男であるからして、まあ、おっさんである。
しかし、幼少期にまわりから「かわいいかわいい」と言われて「わ~!僕ってかわいいんだ!うれしすぎ~」となった結果、
未だにかわいいと言われたいし、かわいいと思っているおっさんになってしまったのである。
思春期は身体が男になっていくことが嫌すぎて、性器を切り落とすことや、ホルモン注射を打とうかとも日々考えていたが、
そうしたとしても自らの身体と精神の不一致が解消することはないだろうと考え、なるがままに任せることにした。
私の心はずっと美少女なのだが、鏡に映るのはおっさんである。かなしい。
更に、同じく子供の頃に、理性的な人間であることを旨として生きた結果、
これまで自慰をしたことはなく、いかがわしい妄想をすることもない。もちろん童貞である。
(アダルトコンテンツに対する忌避感などは特になく、他者に対して潔癖であるわけではない)
そういうかわいくてかっこいい白馬の王子様にさらわれるのが夢である。
さて、本題はこんな私が誰かと恋仲になることは現実的に可能なのか、ということである。
現在、私には気になる人がいるのだが、普通に考えてこんなやべーやつに想われるのこわすぎるだろう、と思うのである。
自分は、素直でいいこ(かわいい❤)なのが長所なのだが、外見がおっさんというだけで全て短所に変換されてしまうのだ。
すべてを隠せば普通の人間として扱われるのかもしれないが、自分はこうなってしまった自分も愛おしいのである。
それに好きな人の前で素直に過ごせないのも辛すぎる。私が愛おしいと思う私も好きになってもらいたいのである。
でもそうなると一気にハードルが上がるのだ。詰んでいるのではないか。
まあ、まだ「気になる人」とも数ヶ月の付き合いなのでこれから発展するのかもわからないのだが、
この問題は今後も続いていくので、どこかで答えを出したい所存である。
因みに、別に普段は恋人がほしいとか結婚願望があるとかではなく、