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はてなキーワード: 演劇とは

2017-05-27

又吉直樹小説が読めない

本屋又吉直樹の『劇場』が平積みされていて、演劇舞台らしいので、読んでみようと思った。

買う前に、1ページを読んでみたのだけれど、読みにくい。少し不安を覚え、もうちょっと読んでから買うか考えようと思ったが、3ページぐらいで、これは完読できそうもない、と思って買うのをやめた。文体が独特だ。

花火』は読んでないけど、たくさん売れたはずだ。ということは、小説読む人は、この『劇場』も、普通に読むはず。

少しツイッター検索したけれど、賞賛ツイートが多かった。

Amazonレビューでは、星一つのレビューもあったけど、レビュー自体意味不明

私はショックだった。小説が読み切れないなんて。面白い面白くないと判断する前に、読み進められない。

ネットサーフィンのし過ぎか。ネット記事ばかり読み過ぎて、小説すら読めなくなってしまったのか。

2017-05-26

[]美内すずえガラスの仮面」1巻

若草物語のベスの気持ちがわからない・・・えっ降板!?

ってところまで

母親が毒っぽいかと思いきや実は心配してたりとかでなんか珍しいなって思った

少年少女マンガで、普通の親が出てきて現実的なこと言ってからんでくるってのがなんかすごく新鮮だった

ただいくらなんでも煮立ったお湯を他人ぶっかけるのはやりすぎだと思います・・・

助っ人ダンス少女マンガの絵柄パロまんまの絵柄だからなんかすごく新鮮

演劇チケットじゃなくて演劇の「切符」ってセリフだったところに時代を感じた

桜なんとかさんがマヤ演劇いくけどマヤ演劇かぶりついてせっかくのデートなのにまったく意に介されてなくてズーンってなってるのがなんか身につまされるようだった

あと物価が気になる

入学金27万ってあるけど当時の価格だとだいたい60万くらいかな?

マヤがやる公園おでんうるバイト、朝8時から夕方6時までで一日1500円って・・・

当時の物価にしても4000円ないってとんだブラックだわ・・・

ついでに物価調べたら連載開始の1976年って初任給8万とかで物価だいたい1/2だけど、映画は1300円で当時基準だとかなり高いんだね

閑話休題

縦ロールのライバルかわいい・・・マヤいじめるんじゃなくてちゃんとマヤを認めて警戒してるところがなんかほっとする

正統派って感じ

エースをねらえもこんな感じだったのかな?わからんけど

ライバルに意地悪するのってなんか苦手なんだよね・・・

後でカタルシスがあるにしても気分がよくない

(浦澤直樹のhappy主人公ライバルめっちゃ意地悪されてるのすげーいやだった

縦ロールお嬢様キャラってベタだけどすごくいいなあやっぱり

いまんとこ悪人らしい悪人がいないか安心して読める

[]2017/05/25

演劇する夢みた

たぶん寝る前にガラスの仮面を読んだからだと思う

我ながら影響されやすすぎ・・・(こないだは寝る前にパプワ君のOPきいたら南国の夢みるし

場所小学校体育館ステージ

結構セリフ多くてどうしようみたいに思ってたけどもう本番が目の前でテンパってた

一応直前のお願いでセリフ覚える時間ないだろうからってことでセリフが少なめの役だって言われて、へー他の人そんなにセリフ多いんだと思ったら確かにめっちゃ多くて、

こんなん全部覚えるのしんどすぎだろって思った

あべひろしがそのセリフおおい役だった気がする

そんでプロはやっぱりすごいなと思った

あとはなんかすごい高いホテルのなかをいったりきたりした

外でたらぼろい廃屋みたいなバス停があった

2017-05-25

椎名林檎が好きって言ってる奴の星野源も好き率異様に高いと思って

ラーメンズ椎名林檎星野源古屋兎丸写真映画舞台漫画文学美術館巡り、丸フレーム眼鏡短い髪、あとヴィレヴァン

世間ではこういうのを好む女をサブカルクソ女と呼ぶ。そうとも私はサブカルクソ女。上にあげたやつ全部好きだ。今月なんて稼いだバイト代ほとんど全部小林賢太郎ペトロールズにドバドバ注いだせいでおやつを買うお金がなくて今は小麦粉砂糖牛乳でといて焼いた何かにマーガリン塗って食べている。美味しい。

スイーツ()もキモヲタもひどい呼び方だ。なぜ西野カナが好きなだけで()なんてつけられてバカにされねばならぬのだ。なぜ推しへの情熱キモいなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。

なぜだ。なぜ好きなものを好きだと言っているだけで私たちはクソなどと呼ばれバカにされねばならぬのだ。何が好きなら文句がないんだ。

置いとこう。きっと何を好きでも文句いう奴はいなくならないんだろう。

しかし、サブカルクソ女などという不名誉呼称が広く使用されている以上、呼ぶに値するような、何か共通項を複数備えたクラスタ存在するのは事実なんだろうとも思う。

一体何が原因なんだろう。共通項の根幹はどこにあるんだろう。私は私のことを知りたい。

親の年収

うちはトータル1000万くらい。親が若い頃はもっと少なかったかな。

学歴

私は普通の共学の進学校からそんなでもない国立大に進んで理科学んでる程度。

幼少期にどれだけ文化的経験を積んだか?

クラシックコンサート博物館科学館にはよく連れてってもらったけど、演劇美術館には自分で目覚めたかなあ。

というかサブカルクソ女のみんな、絵でも小説でもダンスでもなんかしら恒常的に作品作ってない?あるいは作りたい欲求ない?私映像作ってる。あんまり人に見せないけど。

役者とかやってみたいと思ったことない?私はブスで勇気が出ず結局できなかったけど、文化祭演劇打つ時なんか側で関われるだけでとても楽しかった。

ラインの返信マメにできる?めんどくさくて私はできない。

単独行動できる?私は吉野家に一人で入れる。

人と目を合わせられる?劣等感多くない?自信がないのを奇抜な服装カバーしようとする気持ちない?

こんな風に色々聞いてみたいことがある。あーあ、もっと拡散力あるツイッターアカウントとか持ってたらアンケート取ってみたいんだけどな。

2017-05-21

BLAME!劇場版を見てきた

公開日5/20(土)に見てきましたよ。

全体的な感想としては「まあ、こんなもんでしょう」。(面倒なオタク特有の、上から目線。)

いや、こっちの問題なので、映画は悪くないです。

ビジュアル面は、仕方ないんです。

原作を初めて見たのが「アフタヌーン」誌連載の見開きページで、見た瞬間に脳を焼かれてしまって(ちなみに 内山英明 の写真を見たときも似た衝撃を受けました)。

もう何度も読み返して、脳内でグッツグツに煮えているわけなので。公式映像化というとどうしても期待が膨らんで、好きなシーンがいくつも脳内にフラッシュバックしてくるので、何を見ても物足りなく感じてしまう。マーベル・シネマティック・ユニバース作品並みの予算を投入しても満足できるかどうか。

アクションや、アニメーション(物の動き)に関しても、まあ。

これも脳が煮えてるので。

原作みてて思うのが、絵にモーションブラーをあまりつけてないので、躍動感というか「動いている感」はあまりないんですけど、どんな動きをイメージしているかは伝わってくる。そして、その動きはめちゃくちゃカッコいい。キャラクターアクションだけでなく、建築物や装置の動きも好きです(東亜重工入り口とか)。格闘描写は「ABARA」でも切り拓いているなあと思いました。

あ、霧亥とサナカンの格闘シーンはよかったです。

原作から削られた要素については、単発の劇場作品だから無理ないなと思いました。珪素生物はセーフガードと区別がつかないし、臨時セーフガードも人間と区別つかないし。

唯一文句を言いたいのが、メガストラクチャーが登場しなかったこと。作品の建築物描写における超重要ギミックじゃないですか。これによって、そのへんのビルがどこまでも積みあがっているわけじゃないんだな、ってのがわかる。

重力子放射線射出装置メガストラクチャーに穴を開けて新天地に行く、という名シーンは映像化して欲しかったですね。射出装置がただの強い銃程度のものになっていたのが残念。

劇場に行く前にインタビュー( https://akiba-souken.com/article/30072/ )読んだんですが、感情移入しやすいドラマを入れようってのはなるほどなあと思いました。原作みたいな突き放したつくりにすると、私みたいな性癖の者には刺さりますが、それだけでは売り上げはアレですからね。大勢の人に刺さる普遍的要素を入れるのは良いことでしょう。

でも、なんか、つまらない実写ドラマみたいな出来だなと思いました。面白い人間ドラマを作る難易度って、面白いアクション映画を作るとか、面白い恋愛モノを作るとか、面白い巨大建築物徘徊マンガを作るとかってのと、大差ないと思います。

あと、説明してくれるのはいいんですけど(私も「ABARA」のラスト意味不明でしたから)、視聴者の知性を信頼してないところが、なんか、つまらない実写ドラマみたいだなと思いました。“ながら見”されること前提で作ったテレビドラマじゃないだからもっと信頼してくれてもいいのになあって。特に微妙に思ったのが、自動工場にいくまでの背景の建物が、前のシーンのおやっさんのクソ長い説明台詞のときに写っていたやつそのままだったというとこ。

まあ、これで楽しめるって人が多くて、売り上げが上がるっていうなら、いいんですけどね別に。(面倒なオタク特有の、選民思想。)

私が原作で一番ドラマを感じたのは、臨時セーフガードと珪素生物の確執でした。結局パーソナリティは人間と同じなんで、出しても平気だったと思いますけどね。まあ前述のとおり単発の劇場作品では難しいのでしょう。「あのセーフガードが味方に」って意外性は連載を積み上げていたからこそだったし。

セルルック3DCGはとてもよい感じでした。

あのキャラクターたちが動いてる喋ってる、というのは嬉しいものですが、やはり違和感もありますね。

違和感つっても、映像版のデザインはそうなんだから、映像版においてはそれが本来の姿なわけで、文句を言う筋合いではありませんが。

まあ、私が原作を見てイメージしていたのはこんな感じだった、という話がしたいだけです。

霧亥は、妙に顔が太いなあって思いました。「BIOMEGA」の庚造一のような太さではなく、アゴはシュっとしているのに、なんか太い。原作もっと細いイメージでした。あとイメージよりずいぶん声が低くて喋るのが遅い。

シボは、すげえ高飛車になってました。顔や髪の描写はとてもよかったのですが、服と靴のデザインがそれかいって感じ。

サナカンは、全世界三億七千万人の 弐瓶勉 ファンが驚いたと思いますが、まさかアクセント付くのが「カ」だったとは。「サ」だとずっと思ってたのに。

電基漁師たちについては違和感がまったくなくて、モブとしてしか認識してなかったんだな、という感じ。髪やその装飾の描写がよかった。

捨造は、宮野真守の声してんだからもっと活躍せえやと感じました。電基漁師としては活躍していた方ですが。

づる の、最初の頬染とか、インナーチラ見せとか、そういうのいらねえなって感じでした(個人の感想です)。アレな深夜アニメ並みに突き詰めてくれればまだしも。

霧亥を踏みつけ銃口を突きつけるサナカンをローアングルから見上げるシーンとか最高だったので、そういうのをもっと個人の感想です)。

コンピュータ接続する際に無線が基本なのが、時代にあわせてアップデートしてきたなと思いました。原作ではは有線が基本でしたね。

視線に写る文字などのCG、映画では普通にCGで描写していましたが、思えば原作においてはCGを手描きで描写するというのがいい味出してました。原作が当時されていた当時は特にパソコンスペック向上が激しかったのでうっかりCGを導入すると陳腐化が早かったろうと思います。こういう描写で、手書きフォントみたいな、あえてガタつくような表現をしたら面白いかもしれません。

妄想キャスティング

 霧亥 浅沼晋太郎

 シボ 瀬戸麻沙美

 サナカン 花澤香菜 (あまり低くせず大人っぽくしたときの声がハマる気がする)

 メイヴ 悠木碧

 イヴィ 羽多野渉

 メンサーブ 茅野愛衣

 セウ 宮野真守

 ドモチェフスキー 中村悠一

 イコ 山下大輝

 ダフィネ 斎賀みつき

 プセル 早見沙織

 スチフ 細谷佳正

 ナギナタの人 種﨑敦美 (このイラストの手前に座っている珪素生物です https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=25548289 )

「ブラム学園」が映像化されるとよいですね。

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2017年5月23日火曜日 追記)

5/22(月)に二回目いってきましたよ。

初回は自分の中のイメージとのコンフリクトから「あれが無いこれが無い」を意識してしまいましたが、こんどはちゃんと「劇中にあるもの」だけに集中して見れた気がします。

スゲーよかった。

建築物の描写とか環境音とか。ずっと浸っていたい雰囲気。人間ドラマちょっと脇に置いて、世界観を楽しむ感じですね(って原作と同じやないかい)。

建築物の、特に質感(テクスチャー)がよいですね。原作よりもリッチ表現。今後原作を読むときは映像版のイメージ逆輸入すると、また一段と脳が煮えてきますね。

 

本編終了とエンディングテーマの間に流れたパートキャラクターの静止した3Dモデルがアップになり、カメラだけが動くやつ。

似たようなのが「パシフィック・リム」でもありましたね。あれを意識したのでしょうか。

サンダーバード」のエンディングにも似てるような気がしますが。

 

メカ描写では、電基漁師スーツの背中とグローブデザインがいいですね。強化外骨格という感じで。

 

一度目の鑑賞で気になって、二度目の鑑賞で深まった懸念があるのですが。

原作を知らない方は、建物が水平方向にも垂直方向にもどこまでも続いていて、「外」があるのかわからない、ってことを理解できたのでしょうか。

一見さんにもわかりやすくしたいってことで、ある面では手厚い説明がありましたが、この点については説明が足りてないように思われます。

なんだか、外があるっぽい気がしたんですよね。集落入口の谷とか、ビルの屋上と天井の挟まれた横に開けている場所(ポスターにも使われている)とか、遠くから光が差し込んできていますが、あれ自然光っぽくないですか? シボが塊都を回想シーンひとつでも、アトリウムみたいだと感じました。

映画の最初の方で「都市はどこまで続いているのだろう?」のようなセリフがあり、最後の最後で「無限に続く都市……」というセリフがありましたが、これ、都市が増殖しているのは水平方向だと思われてませんかね。地表を覆い尽くす、みたいな感じで。

都市の高さは「ブレードランナー」や「フィフスエレメント」くらいだと思われるんじゃないかなって。あと、開けた空間にも天井があるのも、「FF7」のミッドガルのようなものだと思われてないかと。

霧亥の「六千階層下からきた」ってセリフがあり、下に関する言及はありますが、上に関する説明がない。舞台となっているのは地表付近で、地底深くからやってきた、という解釈も普通にできますよね。

つか、私も不安になってくるんですよ。ひょっとして原作から改変してて、あれは実際に自然光なんじゃないか、この世界には普通に空があるんじゃないかって。原作通りだと閉塞感で不快になる人がいるかもしれないから避けたのかなって。

原作だと、霧亥が登っても登っても建物が続いていて、「うおー、この世界は何なんだー、上はどうなっているんだー、気になるー」ってなって、霧亥の探索から目が離せないわけです。終盤では木星サイズ距離が提示されたりして、少なくとも惑星よりもデカいんだなってわかる。でも映画だと舞台が固定されているうえに説明が無いので、普通に地球が舞台でミッドガルのようなものの中に住んでて、そこから外に出ないまま終わっちまった、みたいに思われてないか不安になりました。原作の壮大な世界観スポイルされてないかと気になります。

 

あと、原作を知らない人が、ネット端末遺伝子ネットスフィアに関してどう思ったかも気になります。

原作においては、マクガフィンのようなものでしたよね。登場人物の行動原理に芯を通し、「結局こいつら何がしたいの?」って支離滅裂にならないようにするもので。きっと見つからないまま終わるんだろうなあ、と覚悟していました。(実際に、まあ、ねえ。)

単発映画というところに重点を置くと、ネットスフィア接続するために端末遺伝子を探している、ってのは、「天空の城ラピュタ」における、ラピュタに行くために飛行石を探している、みたいなもんじゃないすか。そう考えると、劇中に飛行石もラピュタも出てこないまま終わったようなもんじゃないすか。

たとえば現代が舞台で「政府の重要書類」だの「世界最大のダイヤモンド」とかのありきたりなものだったら、はいはいマクガフィンねとわかりやすいものですが、違う世界が舞台で作品オリジナル造語なわけですからクライマックスバーンと出てくるのかな、って期待してもおかしくはないでしょう。

原作への「引き」になるといえばなるような気もしますが、それがきっかけで原作にきても、マクガフィンですからね。

大丈夫なんですかね。

まあ、私のような原作既読の頭の煮えたファンが考えても詮無きことではあります。

 

結局ネガティブな話になってまいりましたが。

 

二回目の鑑賞でも電基漁師はやっぱり、なんか、微妙でした。

パワードスーツで増強した筋力にモノを言わせて都市をパルクールで駆け回り、セーフガード監視をかいくぐりながら強かに生き延びてきたテクノ遊牧民の末裔——とは思えないほど、どんくさい

ヅルは新人だからまだしも、捨造とかおやっさんとかはベテランでしょうからもっとプロっぽくキメて欲しかったですね。原作なら所詮モブなので、どんくさい方が「霧亥カッケー」ってなって好都合なんですけど。

なんで棒立ちでのんびり喋っているかなあ、って思うことがしばしばありました。声優の演技は素晴らしいのですが、テンポが悪いというか間延びしているというか。

プレスコの仕方が悪かったんじゃないかなあという気がしないでもないです。

いや、アニメ制作プロに対して私が言うのもおこがましいんですが、劇場舞台挨拶の記事 http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1495262889 なんかには「キャラクターの行動が伴うようなシーンはその場でディスカッションをしながら演じていた」「今回全く絵が無くて、あるのはト書きくらいなもんです」「セットが無い状態の舞台演劇をしている感じだった」とありまして。

たとえば、即興で作詞作曲して歌うとか、即興で会話を考えて劇をするとか、すごいスローになるじゃないすか、探り探りになって。本作もそんな感じだからモタついているように感じるのかなあ、と。

全員が原作読んでてグツグツに脳が煮えていればまた違ったでしょうけど、そんなことあり得ませんし。

原作の読み合わせも無かったようですし(そんな長時間拘束するような浪費的な契約は普通しなさそう)。

 

会話の内容で、ちょくちょく引っかかるところもありました。

シボが自動工場がどこにあるか言ったとき、その地域について何も把握してないようなリアクションだったのに、入口についてみると「この場所から帰ってきた者はいない」って言ってて、“おまえら知ってるんかーい”ってなりました。(話は逸れますが、自動工場といえば、新しい武器とか作って電基漁師がパワーアップとかするとわかりやすく燃えたかもしれませんね。「メトロイド」で新しい武器やスーツの強化パーツを手に入れるみたいな。原作でも倉庫から武器をとっていくシーンがありました。)

それと、自動工場にて、別行動していた仲間と合流した際に「彼女はどうした」「駆除系に潰された」のような会話があったのに、行ってみると当の彼女が腕を怪我した程度で座り込んでいて、でも誰も不審に思わなくて“え、おまえ潰されたとこ見たんだろ? だったら疑問を口にするんじゃない? それとも襲われたときすぐさま見捨てて逃げたの? おまえが彼女のことが好きだっていう感じの描写があったし、だから一緒に行動してたんじゃないの? 見捨てたのを悔んだりしないの? 別のやつも誰も気にしないの?”ってなりました。

 

人間ドラマ面で一番ひっかかるのが、死に対するリアクションでした。

あるキャラが死んだ後のヅルのノーリアクションっぷりはどうなのかと。

それだけでなく、冒頭で三人やられたことについても。人口が200にも満たないような小さな集落で、自分たち以外の人間に会う事ができないような寂しい世界で生きていて、同世代の仲間が死んでいったのに、それか、って。

声高に泣き叫べばいいってもんじゃないですけど、なんだかなあ、と。

ヅルに限らず、死んでいった者に対する思い入れがまるで無いように見えました。誰も死んだ者の名前を呼びません。何人やられた、っていうふうに、数しか言いません。

現代日本に比べて死が身近な世界からそうなってるのかもしれませんが、だったら結局は感情移入を拒むようなキャラクター造形だなあと。

悪い意味感情移入できる気がしました。視聴者的には特に思い入れも無いモブキャラが死んだくらいのテンションなわけですが、劇中の人物のテンションもそれくらいっていう。

 

ところで、原作だと電基漁師は死んだ人間の人格保存とかやってまして。

あれはグレゴリイ・ベンフォード小説「大いなる天上の河」が元ネタです。死んだ人間の人格チップに移して人工知能みたいな状態にできて、個人でチップを携行し、先祖たちと頭の中で会話をすることができます。

「大いなる天上の河」の他にも「銀河の中心」シリーズとしていくつか作品がありますが、「BLAME!」に劣らず暗い話で、宇宙からきた機械文明と人類が絶望的な抗争を繰り広げます。地球を飛び出し銀河の中心付近に進出した人類は、かつては巨大な宇宙コロニーを築いて機械文明と闘っていましたが、やがて敗北し、惑星上へと縮こまり、さらには惑星上の要塞も破壊されて流浪の民となり、機械文明の物資を略奪して生きる存在となった、という感じです。原作者が影響を受けた作品として明言しており、インタビュー http://kai-you.net/article/41199 などでも言及されています。

原作の電基漁師はけっこうサイバーパンクですが、映画では捨造が「機械と繋がるなんて嫌だね」と言ったりしていて、普通の人間像に寄せてきたなあと感じました。

 

ついでにもう一つ海外作品を紹介。「BLAME!から影響を受けたPCゲーム「NaissanceE」。

http://www.naissancee.com/

http://store.steampowered.com/app/265690/NaissanceE/

 

一回目の鑑賞よりもポジティブなこと書こうと思ったのですが、ネガティブ話題も多くなりましたので、最後は気楽な萌え語りで〆たいと思います。

 

二度目の鑑賞だと、改めて、霧亥、シボ、サナカンの演技が素晴らしかったです。

霧亥とシボが階段で別れるシーンはグっときました。

シボといえば、ヅルから霧亥を奪っていくシーンがラブコメの波動を感じてよかったです(語弊があります)。入室してくるシボの、あのドヤ顔花澤香菜の見下し声とあいまって最高ですね。

サナカンは、なぜか初回では気にならなかったのですが、すごい顔変わってますね。原作既読映画について知らない人に「プセルだよ」って言ったら信じるかも。額のセーフガードマークが髪で隠れてましたが、見えていたほうがよいかもと思いました。

顔といえば、駆除系の顔。原作より下膨れって感じで、ちょっとダサい気がしました。能面をフィーチャーしたのかも?

 

ところで http://www.ota-suke.jp/news/192644 によると早見沙織曰く「サナカンは、霧亥とは拳で語り合ってるんです。きっとですが、わりと無口な人って、モノローグでいっぱい考えてるんだと思いました」だそうで、私はセーフガード映画ターミネーター」のT-800のような存在であり、原作終盤はともかく、映画では原作初期の立ち位置なんだから、拳で語り合うとかいうのは解釈違いに収まらない明確な誤りなんじゃないか、スタッフはこういう基礎的なところも伝えずにプレスコやらせたのか、だからグダグダになったんだ、とか思っていましたが、考えているうちに映画版ではこの解釈が正しい気がしてきました。キャラデザカワイイ寄りのチューニングされてますし、表情豊かですしね。

ラム学園が映像化されて、「早見沙織のふり〜すたいる」のジングルみたいなやつをたくさんやってくれるといいですね。

 

それにしても、連載開始から20年の時を経た今になって、こんなに多くの人が同時期に「BLAME!」について見たり聞いたり語ったりするというのは、夢のようです。

2017-05-19

大学の同期だった人が売れっ子声優になっててびっくり

なんとなく演劇とかそういう活動してるってのは人づてで聞いたことがあったけど

当時から声優オタクだった自分はよくいる声優志望のモブだと思ってて全然興味持ってなかった

続けることって力なんだなあ

http://anond.hatelabo.jp/20170519081429

CDデビューまでしたネプチューンなんかが典型的だけど

あれはお笑い芸人アイドルとして扱うムーブメントの一つだったとみなしている。

後進のエンタの神様レッドカーペットは、

芸人持ちネタであること

・数分の鑑賞に耐えられること

という縛りが一応存在していて演芸番組としての体裁は保っていた。

駄洒落というお題目に沿ってその番組のためだけにネタが用意される。1組に割かれる時間は長くて一回30秒ほど。

であるボキャ天は、お笑い芸人演劇披露するというよりも、芸人プレーヤー見立てゲームという色合いの方が濃い。

(この数秒で芸人が立ち代わり入れ替わり登場するシステムは、細かすぎて伝わらないモノマネ選手権で今も健在だ。)

からすると90年代吉本印天然素材電波少年での猿岩石など、未熟な若手をアイドルフォーマットに当てはめて売り込もうとする風潮が存在したように見える。

ボキャブラ天国もその流れの一つではないかと。

そしてそのムーブメントオンエアバトル放送M-1の開始で、観客が「本格嗜好」となったために下火になったのではないだろうか。

2017-05-10

接客関係の人が口癖のように使う「そうですね」

接客関係仕事してる人たちが相手の話を聞いてる時や否定せずに肯定して受け止める時に「そうですね」って使うけど(研修とかで教えられる)

実際に使う人たちのほとんどか間違ってる。

研修講師も教えてるはずなんだけど、感情の篭ってない肯定はただの棒読みと同じだからね。

電話応対聞いてても実際にお店に行って話をしてもそうなんだけど、八割くらいはマトモに使ってない。

みんな、抑揚のない返事してるだけで必要のないクレームにぶち当たってる。

人形じゃないんだから普段友人たちとバカ話してるようなくらいに感情込めないと起きなくていいクレームは起きるし、受け取らないで済むはずだったストレスダイレクトに受け取る羽目になるよ。

うちの新人最初棒読みみたいな返事で「ソーデスネ」なんて言ってたせいで連日クレーム受けていた。

そんなんじゃ気が滅入るから少し感情込めるように話してみようか?って言ったら、最初イマイチわかってないようだったけど、

どうしても出来ないと言うもんだから、君が今やってるのは接客という演劇役者になったつもりでやってごらんとアドバイスした。

それからは、しばらくぎこちなかったが今では自然な会話で受け答えできるようになったよ。

最近役者と考えないで素で接客が楽しくなったので受け答えも自然に出来ると言えるほどになったし、表彰されるようにもなった。

そういう子を見てるせいか、いろんなお店で「そうですね」って言葉を聞くとこの子棒読みだなぁ…この子は聞き上手だなぁと思ったり。

長々書いたけど、研修で教えられたとおりとはいっても、人形が受け答えするんじゃお客さんはいつまでたっても満足しないどころか不満を募らせるばかりだぞという話。

自分ストレスを増やさないために今一度見直してほしい。

2017-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20170429110724

2ch風に清書してみた。


しがない大学生体験談なんだけど、聞いてくれ。

最近免許の更新二俣川試験場にいった。

そしたらそこで、エスペランサ・スポルディングみたいなアフロヘアの女にいきなり逆ナンされた。

髪型はアレだけど顔がめっちゃ美人だったから、テンションぶちあがってLINEを交換して、その日はそれで別れた。

けれどすぐにメッセージが届いて、しかもそれが合コンの誘いだったかさらテンション上がって、すぐに学科友達声かけて、メンバー揃えた。

んで、昨日、そのメンバー池袋の個室居酒屋に集まった。

そしたら、どういうわけか言い出しっぺのエスペランサ・スポルディングが来てなかった。

なんか急用ができちゃったから遅れて合流する、とかでとりあえず男4女3で飲み始めた。

だけど、女の子3人の様子が明らかにおかしい。

みんな顔はかわいいんだけど揃いも揃って挙動不審で、ずっとうつむき加減でモジモジしてて、絶対に目を合わせようとしない。

何だよこの子達って不安になってきたんだけど、俺はすぐにピンと来た。

要するに、彼女達は全員処女でまったく男慣れしてないから激しく緊張してるんだな、と思った。

そうとなれば男性陣が意地でも盛り上げるしかねえなってことで、改めて気合い入れ直したんだけど、どんだけ奮闘しても彼女達の緊張はほぐれなくて、ああもうどうしたもんかと困惑してたら想像を絶する展開が訪れた。

3人のうちの1人がバッグから冊子を取り出して、俺ら男性陣に配り始めてそれよく見たら新興宗教の入会案内。

しかも聞いたこともない教団名で、俺ら4人とも呆然として何も言えなくなっちゃった

彼女達が真剣に俺らを勧誘し始めて教団の素晴しさとか、教祖の偉大さとか、歴史の深さとか、ご利益のありがたさとかを熱弁しだした。

女の子達は3人ともさっきまでとうってかわって饒舌で、今度は俺らがうつむいてひたすら沈黙に徹するしかなくなって、地獄のような時間突入して困惑してうなだれていた。

そしたら、いきなり個室のふすまが勢いよく開いて女の子達が一斉に「教祖様!」って叫んだから、そっち見たら、全身にぼろ布をまとって金色の杖を持ったアフロヘアの教祖様が立っいた。

よく見たらエスペランサ・スポルディングで、こっち見てニコニコしながらプラカードを掲げててそこに『ドッキリ大成功!』って書いてあった。

要するに、全てイタズラだったんだけど、教団の入会案内とかすげえ本物っぽかったからどういうことか聞いてみたら、わざわざデザイン専攻の友達と共同で作ったらしくて、ちょっと中を読んでみたら教祖挨拶とか教団の沿革とかびっしり書いてあって、写真とかイラストもふんだんに使われてるし、レイアウトも凝ってる。

なんだよこの無駄エネルギーの注ぎ具合wwwwって思ったんだけど、普段彼女達は美大演劇サークルをやってて、そこの役者仲間らしくてちょっと前にこの偽宗教ドッキリを思い付いてターゲットを探してたとの事。

そこでまんまと捕獲されたのが俺だったらしく、友達3人はとんだ巻き添えを食ったわけ。

タネ明かしされてからは一気に緊張がほぐれてがんがん飲んだ。

挙動不審だった女の子達も素はめちゃくちゃ気さくな子達で、エスペランサ・スポルディングも最高にファンキーだったから、俺もう楽しくてかなり飲み過ぎて途中から記憶飛んでどうやら潰れちゃったらしい。

目が覚めたら男4人はネットカフェにいて全員あまり記憶が定かじゃなくて、女の子達はどこにも見当たらないし、エスペランサ・スポルディングLINEしても既読にならないし、マジで美大生との合コン危険すぎる、と思いながらとりあえず今ネットカフェの個室でこれ書いた。

http://anond.hatelabo.jp/20170429110724

Google翻訳

Although I am a college college student but recently I went to the test site of the Futamata River by the license renewal I was suddenly inverse of an Afro hair woman like Esperanza Spalding but my hair style was so beautiful but my face was so beautiful that I exchanged the tension and exchanged the line that day Although I broke up but the message arrived and it was invitation of the gong consomme so it got even more tension Soon after talking to the department's friends I gathered members and gathered at the private room pub in Ikebukuro yesterday Esperanza Spalding Because I got urgent, I joined up late, so I started drinking with men and women 3, for the time being, for the time being I started to drink 4 girls 3 and the situation of the three girls was obviously crazy and everyone's cute but the face is cute, but the behavior has been consistently suspicious and constantly dull Absolutely by moderation We are not trying to fit together what the matter These children are becoming uneasy but I come with pins at once so that they are all virgins and not quite accustomed to men so I think they are getting nervous so tense If that happens, the men are reincarnated again in the meaning that it is exciting but even if we struggle hard we can not relax their tensions, oh well, if you are confused with what you've done already Unexpected development One of three visited us to take out the booklet from the bag as a matter of fact and began to distribute it to our male team and it seems that if we look closely it is a group name that we have never heard of as an admission guide for emerging religion but we are staggering as to what I got to say that they started to recruit us seriously and spirited about the wonder of the cult and the greatness of the guru and the depth of history and the appreciation of the interests But all three of the girls changed their hands a little while ago and now we are relaxing and we have to stay silent for the time being silent as soon as we go into time like hell and fall apart suddenly the branch of the private room suddenly As the girls screamed at once with all the girls shouting "Guru-sama!" As they all looked at, look at them and wear a rag in the whole body and gods of Afrohair with a golden stick stand standing and see well with Esperanza Spalding While placing a nice smile on the placard, "There is a great success! Although it was all written as it was written as it was all It was a genuine thing seemed to be the entrance guidance of the cult but if it asked what you want to do is to cooperate with friends of the design major, The greetings and the history of the cult and so forth are written carefully and photographs and illustrations are abundantly used and the layout is also getting stuck. I thought that this wasteful energy pouring condition is usually thoughtful but usually they are beauty and theater theater circle Doing it and it seems to be an actor fellow there, just a while ago I came up with this fake religion Dokkari and looked for a target It seemed me that I was captured in the truth so it seems that three of my friends took care of the collaboration but since I was made a solicitude Girls who were suspiciously behaviorally suspicious because they got tension relaxed at once Espana spallding was also funky at the highest Espana Spalling was also funky so I was already enjoying it too much I drunk quite drinking I felt memory flew from the way I seemed to have collapsed apparently but when I woke up 4 men were at an internet cafe and everyone remembered too much I am not sure, girls are not found anywhere Even if I line it to Esperanza Spalding I will not be read Alright, while thinking that gossip with beauty students is dangerous, I wrote this in a private room of a net cafe now.

翻訳

私は大学生ですが、最近は二代目川の試験場に免許更新で行きました。私は突然エスペランサ・スパルディングのようなアフロ髪の女性とは逆でしたが、私の髪型はとても美しいですが、私の顔はとてもきれいでしたその日に緊張を交わしてその日のラインを交換しましたが、メッセージが届きましたが、それはゴングコンソムの招待で、もっと緊張しました。すぐに部署の友人と話した後、私はメンバーを集め、池袋プライベートルームパブに集まりました昨日エスペランサ・スパルディング緊急事態になったので、私は遅く入社したので、当分の間、私は男女3人で飲み始めました。私は4人の女の子3を飲み始めました.3人の女の子の状況は明らかに狂っていました。誰もがかわいいが、顔はかわいいですが、その行動は一貫して疑わしく、常に鈍いです。絶対に適度には私たちは一緒に取り組もうとしていません。不安ですが、私は一度にピンを持ってくるので、彼らはすべて処女であり、男性にはあまり慣れていないので、彼らは緊張していると思います。そのようなことが起きれば、男性は再び興奮するという意味で生まれ変わりますあなたがすでに行ったことと混同している場合は、緊張を緩和することはできません。予期せぬ開発3人のうち1人が、実際にバッグから小冊子を取り出して、男性に配布し始めました私たちが密接に見ると、それは新興宗教入学ガイドとしては聞いたことのないグループ名ですが、私たち真剣私たち募集し始めると言うことを驚かせていますカルトの偉大さと歴史の深さと利益尊重しかし、少女の3人はすべて少し前に手を変え、今はリラックスしているので、私たちは静かなまま静かにしなければならないすぐw地獄のように時間が掛かり、突然個室の枝が崩壊する突然、女の子たちが一瞬に叫んで「女達さま」と叫んだ。彼らが見ているように、それらを見て、全身にぼかしをかけ、アフロヘアの神々を金色の杖で立って立て、Esperanza Spaldingとよく会ってください。プラカードに素敵な笑顔を浮かべている間、「大成功です!それはすべて書かれたようにすべて書かれていました。それはカルトの入口指針と思われる本物のものでしたが、あなたがしたいことを尋ねるなら、デザイン専攻の友人と協力することです、挨拶歴史写真イラスト豊富に使われてレイアウトも詰まっているこの無駄エネルギー注ぎ込みは普通思慮深いと思っていましたが、通常は美しさと演劇劇場サークルですそこの俳優になってください、ちょっと前に、私はこの偽の宗教のDokkariを思いついて目標を探しました。私は真実に捕らえられたようでしたので、3人の友人が協力してくれたようです私は恋人となったので、疑わしい行動が疑わしい女の子たちは緊張感を緩和していたので、Españaも最高のファンキーであった。Spallingもファンキーだったので、私はすでにそれを楽しんでいた。私は明らかに崩壊したようでしたが、私が目を覚ましたときインターネットカフェに4人の男性がいて、みんながあまりにも多くを思い出していました。私はよく分からない、女の子はどこにも見られません。私はEsperanza Spaldingに行けても、美容師とのゴシップ危険だと思って、ネットカフェプライベートルームにこれを書きました。

2017-04-29

美大生との合コンがやばすぎた。

しがない大学生なんだけど最近免許の更新二俣川試験場にいったらエスペランスポルディングみたいなアフロヘアの女にいきなり逆ナンされて髪型はあれだけど顔がめっちゃ美人だったかテンションぶちあがってラインを交換してその日はそれで別れたんだけどすぐにメッセージが届いてしかもそれが合コンの誘いだったかさらテンション上がってすぐに学科友達声かけメンバー揃えて昨日池袋の個室居酒屋で集まったらどういうわけか言い出しっぺのエスペランスポルディングが来てなくてなんか急用ができちゃったから遅れて合流するとかでとりあえず男4女3で飲み始めたら女の子3人の様子が明らかにおかしくてみんな顔はかわいいんだけど揃いも揃って挙動不審でずっとうつむき加減でモジモジしてて絶対に目を合わせようとしないし何だよこの子達って不安になってきたんだけど俺はすぐにピンと来てようするに彼女達は全員処女でまったく男慣れしてないから激しく緊張してるんだなと思ってそうとなれば男性陣が意地でも盛り上げるしかねえなってことで改めて気合い入れ直したんだけどどんだけ奮闘しても彼女達の緊張はほぐれなくてああもうどうしたもんかと困惑してたら想像を絶する展開が訪れて3人のうちのひとりがおもむろにバッグから冊子を取り出して俺ら男性陣に配り始めてそれよく見たら新興宗教の入会案内でしかも聞いたこともない教団名で俺ら4人とも呆然として何も言えなくなっちゃって彼女達が真剣に俺らを勧誘し始めて教団の素晴しさとか教祖の偉大さとか歴史の深さとかご利益のありがたさとかを熱弁しだしたんだけど女の子達は3人ともさっきまでとうってかわって饒舌で今度は俺らがうつむいてひたすら沈黙に徹するしかなくなって地獄のような時間突入して困惑してうなだれてたらいきなり個室のふすまが勢いよく開いて女の子達が一斉に「教祖様!」って叫んだからそっち見たら全身にぼろ布をまとって金色の杖を持ったアフロヘアの教祖様が立っててよく見たらエスペランスポルディングでこっち見てニコニコしながらプラカードを掲げててそこに『ドッキリ大成功!』って書いてあってようするにすべてイタズラだったんだけど教団の入会案内とかすげえ本物っぽかったからどういうことか聞いてみたらわざわざデザイン専攻の友達と共同で作ったらしくてちょっと中を読んでみたら教祖挨拶とか教団の沿革とかびっしり書いてあって写真とかイラストもふんだんに使われてるしレイアウトも凝ってるしなんだよこの無駄エネルギーの注ぎ具合って思ったんだけどふだん彼女達は美大演劇サークルをやっててそこの役者仲間らしくてちょっと前にこの偽宗教ドッキリを思い付いてターゲットを探しててそこでまんまと捕獲されたのが俺だったらしくて友達3人はとんだ巻き添えを食ったわけだけどタネ明かしされてからは一気に緊張がほぐれてがんがん飲んじゃって挙動不審だった女の子達も素はめちゃくちゃ気さくな子達でエスペランスポルディングも最高にファンキーだったから俺もう楽しくてかなり飲み過ぎて途中から記憶飛んでどうやら潰れちゃったらしいんだけど目が覚めたら男4人はネットカフェにいて全員あまり記憶が定かじゃなくて女の子達はどこにも見当たらないしエスペランスポルディングラインしても既読にならないしマジで美大生との合コン危険すぎると思いながらとりあえず今ネットカフェの個室でこれ書いた。

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170425155448

フリーランスカメラマンです。

主にステージ写真ライブ演劇プロレス等のスポットライトと客席に向ける照明がある媒体)を専門に撮ってます

勿論スポットライトが当たるので、ブライダルも撮ってました。

なんとなく淡々と今まで仕事としてこなしてたけど、幼馴染みの結婚式写真を撮った時に

『あ、私は多分この人にとって、欲しい写真を何百枚のうちのたった何枚しか撮れてないかもしれない』

って現像をしながら思いました。

大好きな幼馴染なので、無償、尚且つ御祝儀も包んでした撮影

仕事(ではないけど)として、私の持ってる技術を全て彼女の為に出したつもりでした。

最高の祝福を自分の持っているもの彼女に送ったつもりでした。

ブライダルは記録写真であり、そうじゃない最高の写真を求められます

私はそれ以来、ブライダル仕事を取るのをやめました。

それは私の技量不足(もあるかもしれませんが)ではなく、私の視点の違いだと思います

増田意見は重々わかるのですが、やはりブライダルに関しては現場に慣れている人かちゃんと学校ブライダル業界を専攻していた人に任せるべきだと思います

同じ様に、ステージ写真スタジオ写真を専門にしているカメラマンには多分演者が求めている写真はあまりないと思います

お互いの欲求が一致しないのです。

写真を撮るとは、たった四角に写ったものを収めるだけの誰でも出来そうな行為ですが不思議ものです。

100人が同じ物を撮れば、違うものになる、全員シャッターを切るという共通動作をしているのにも関わらず違うものになる不思議行為です。

から仕事として成り立つんだと思います

【追記】

http://anond.hatelabo.jp/20170415172249

その日は参列者ではなく、持ち込みカメラマンとしての出席でした。

基本親しい友人や親族からの以来は内容にもよるけどそれ以上の他人が絡まない限りギャラを辞退する(勿論最初から用意もしてくれない人からの依頼は断る)のと、幼少期からの幼馴染みだったのでこちらからも御祝儀を出しました。

私に撮ってほしいと彼女が式場に手配してくれました。すごく嬉しかったです。

でも私は、今まで結婚式はショーだと思っていたので参列者の邪魔にはなってはいけない事を重要と思い普段の立ち振る舞いで撮影をしていましたが、まずそもそも『結婚式はショー』という概念が違ったんだと思います

気にしてみてると、式場カメラマンって結構グイグイ前まで行きますね。

やはり専門分野との違いを察せなかった結果だったと思います

私の勉強不足と甘かった考えです。

ちなみに私は結婚式をやりませんでした。

それもあって、式をあげる人達気持ちがわからなかったのかも知れません。

ブライダル仕事をとるなら自分も式をしてみた方がよかったのかもしれないです。

2017-04-24

岡村俊一騒動から見える人力飛行機ソロモン

2.5次元演劇作品の出来に不満を持つファンが不満の声を上げているようだけど、構図としてはニチアサ特撮番組古参新規ファンとの間で起こっていた諍いと同じ構図に見える。

元々から作品を楽しんでいたファンからすれば不出来に感じたものでも、それを楽しんでいる層が一定数おり、製作サイドからすればそちらを優遇したい。

その判断製作側がしたのだから、仕方がないのだ――

自分観測する範囲だと、当時の新規ファンはそう主張していた。

渦中にいる演出家は、故つかこうへい系譜にある人なんだそうだ。

「元来役者なんて河原者」なんて言い回しを好んだのは唐十郎だったが、つかも同様だった。

お客が望むパフォーマンス第一で、役者人権なんて豚に食わせろ、という狂った部分が見えた。

そのために阿部寛は客席の男性(仕込み俳優)とキスさせられたし、女優は頭で大根をかち割った。

それに別の理屈をつける人もおろうが、自分は「客に受けるためなら何でもやる」だと解釈している。

その意味において、客が喜ばなかったのならば、素直に失敗を認めるべきだ。

演出家自分で言うように、俳優のことを第一に考えているのなら、彼がすべきことは俳優のためにおのれの失敗を認めて、土下座をすることだ。

客に文句を付けるなんてのは、スベった芸人言い訳と何も変わらない。

ただこのような場合、スベったかどうかを判断するのは、いつも製作サイドだ。

演出家は、不満を持っているファンたちが主張するように、問題のある人なのかもしれない。

でもそのうえで製作サイドは彼を必要としたのはなぜか。

それは既存ファンたちの支える力だけでは不足があったからでないのだろうか。

既存ファンを満足させていけば、このまま安泰だ」と製作サイドは思えなかったんだと考えられる。

その判断は間違っていないと、個人的には思う。

顧客を絞って先細りしていったコンテンツは、いちいち例に挙げる必要のないほどたくさんある。

から客層を広げる努力が行われ、そこに不満を持つ人が出てくるのも仕方のないことだと思う。

作品世界観を壊す改変が、失礼な行為だという主張もある。

ただその考え方は諸刃の剣だ。

原作至上主義の人たちからすれば、2.5次元舞台のもの世界観破壊にほかならない。

ドラマ映画化が手放しで喜ばれないのと同様に、メディアミックスは誰もが喜ぶ展開というわけではない。

それらはすべて「推しを人質に取られた」と感じるファンが出る危険性を持っている。

また演出家が「話題性のために世界観を壊してもいいと考えている」と信じるのなら、批判はいっそう注意が必要だと自分は思う。

なぜなら、TLで不満が飛び交っているこの現状が彼が望んだものだとしても不思議はないからだ。

現在言葉でいえば『炎上商法』と呼ぶこの状況だけれど、他の表現も出来る。

かつてそれは街頭劇と呼ばれていたが、それの変化系とも言い換えられそうだ。

つかこうへい以前だが、日本演劇界現実虚構のカベを取ってしまおうと考えた人たちがいた。

例えば街角喧嘩しているカップルがいれば、誰もがそれをちらりと見てしまう。

それを俳優が演じていれば、それは立派に演劇だと言えるんじゃないか、という具合だ。

そう考えた作家名前は、寺山修司という。

街中で堂々と行われたショウは喝采を集め、当時のメインストリームですらあった。

エントリにも入れた人力飛行機ソロモンというのは、彼の街頭演劇代表作の題名だ。

一般人生活狭間で上演された街頭演劇の周囲では、何も知らない一般客に迷惑がかかることもしばしばあった。

突然あらわれた奇天烈な隣人にギョッとさせられれば、それを不快に思うのは当然で、それが問題になるのも仕方のない話だ。

からその芝居をそのままの形で再演することは、どの演劇祭でも不可能になっている。(今では参加者が寺山のお面をかぶるまりになることが多い)

ただその混乱そのもの価値を見出すアングラ感、それに酔いしれる観客の気持ちもとてもよく分かる。


そして電脳世界において、今回の炎上パフォーマンスでない保証はない。

演出家自身が言うように「少人数で炎上が起こせる」のだすれば、騒動自演であると言い切ることも出来なくなる。

演出家はどのタイミングだって釣り宣言をして、「ショウアートでしたプギャー」というカードを切ることが出来る。

本来であれば最終的に客に受けなければ成立しない言い訳ではあるが、アンチがいう通りの身勝手演出家ならばそう主張したっておかしくないだろうし、また「そういう役を演じたんだ」と言うことだって出来る。

演劇的な逃げ道が残されている上に、騒動によって新たに興味を持つ人も出てくるかもしれない。

おそらくそこで入ってくる人は、古参の嫌う『マナーの悪いファン』なんじゃないか想像する。

そしてそういうご新規さんを排除しようとする既存ファンの有り様こそなんとかしたいと、製作側は願っている可能性もある。

もはや古参がどんなにお金を落としていようと、製作サイドからすると客としての旨味はないのかもしれない。製作が観客の新陳代謝を求めているんじゃないか

逆に「どんなことをしても集客に繋げる演出家」の価値が上がったとしても不思議はない。

そういった意味で、ファンとして批判するならもう少し慎重になった方が良いと思う。少なくとも目的地を見据えて行動すべきだ。


と書いておきつつも、自分ファンでないので自由に書かせてもらう。

まず演出家が客に文句を付けるなんてのは論外だと思う。

俳優のことを第一に考えているならなおのこと、客に責任をなすりつけるべきではない。

それは自分自尊心という殻を破れずに消えていった俳優をこれからも増やすことに繋がりかねない、危険思想だ。

つかの舞台自分面白いと思ったのは、いつだってその殻を破った俳優たちがいる作品だった。

逆に変に大物が出演してたりすると、弾けた感じにならず、面白い作品とは思えなかった。

つかこうへい自身演出を行わない「つか作品」が面白く感じられた試しもない。それはつかこうへい劇団においてすらそうだった。

円盤などでつかこうへい演出作品を鑑賞すれば分かるように、彼の作品俳優個性と密着している。そのため文字通り「その俳優しか演じられない役」なのだ

しかも苦労してせっかく作り上げたキャラクターは、演出家の思いつきで日々全く違う形になっていく。

たぶんこの過程俳優自尊心という殻も破られるんだろうと、自分勝手想像している。

だが2.5次元作品の役はそうではない。

元々のキャラクターに近づこうと真摯努力すればするほど、演じる自分自身と離れていく。

それを『かぶりもの』と表現するのは(ことば選びが適切かどうかはさておき)なるほどなぁと思う。

おそらくこの辺のバランスもっとも巧く取ってる演出家の一人が西田シャトナーだ。

つの舞台の中で俳優モブなど別の人格が与えられ、ある程度自由にそれを演じさせる。

演じたキャラ以外の部分も観客に見せられるため、俳優個性担保されて、俳優と観客にそれが共有される。

24時間ぶりっこし続けられる女子がいないように、俳優にも自由になる時間必要なのだ


さて話題がそれたが、本題に戻そう。

演出家がああも自信たっぷりに「自分役者たちの将来のことまで考えている」といっている以上、製作サイドも「観客はそうじゃないだろうな」と思っていると認識してもいいんじゃないかと思う。

自分制作者たちがどれほど努力しても興味を失えば去る観客はゲスだと思うし、でもそれで構わないんじゃないかと思う。

たとえそうじゃないとファンが主張しても、その声を真摯に受け止めてもらえる状況ではないだろう。

騒動がその状況をふまえた上で演出家自覚的燃え上がっている可能性は捨てられず、問題が大きくなればなるほど、彼の求心力は高くなる可能性もある。



じゃぁいったいどうすればいいのか?

それは一人一人が「製作者たちにとって『良いお客』ってどんなだろう?」と考えて、それに近づいていくよう努力する以外にないと思う。

本来であれば、製作者たちが客の望むもの提供するのが道理だ。

だけど真のファンであれば、その力関係あべこべになることに不思議がることもないだろう。

どうしても受け入れられないなら観に行かないという選択をすべきだし、それも出来ないのなら自分たち上演権を手に入れるほかない。

同人誌を描きはじめる動機の一つとして「自分の望むものを書いてくれる人が、誰もいなかったから」というのもある。

それもまた一つの『良いお客』の形だと思う。

それぞれのファンが持つ原作への愛情の深さを疑うつもりは全くない。そしてその愛情に応えて貰えなかった落胆の大きさも、想像するにあまりある。

しかしその不満を演出家炎上させるかたちで表すことが、真のファンがすべきことなのかどうか。そこについてはもう少し考える余地があると思う。









などつらつら書いてきたが、もちろんこの文章演出家本人によって書かれたものでないという保証もない。

炎上を含めた一連のやりとりの中で、プロレスが行われているだけと考える人もいるだろう。


隣にいる人はその役を演じている俳優に過ぎず、自分が生きている世界は誰かが用意した箱庭なのかもしれない。

そうした疑念の風を受けて、SNS飛行機ソロモンゆっくりと空に舞い上がっていく。

2017-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20170415211534

元増田理屈に気づいていないやつなんているのか?

それと日本の実写演技は、ラストサムライの時福本清三さんが大げさだとハリウッドスタッフに笑われた経緯から見ても少し特異だ。

個人的に特異な演技の方向性は、基本的演劇文化において大見得を切る演出があるかどうかの差異だと睨んでいる。

京劇のある中国でも一緒。だから香港映画の演技のリアクションは近年まで大げさだった。

翻ってアニメーション分野を見ると、止め絵文化手塚文法以前に歌舞伎的な意識がどこかにあるのではないか、と思わせる。

文脈というより民族性問題

演劇文化のあったヨーロッパにおいてそれらが現代において排斥された理由は、この理由付けでは不完全だ。

から見得切り文化以外にも理由はあるかもしれないが、日本においては上の理由ではないかと考える。

2017-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20170409210929

ノリが園子温やらのサブカル邦画のものから、そこに乗り切れるかどうかだよ。

乱暴と待機」とか「罪とか罰とか」みたいな演劇邦画を受け入れられるならおk

ワイは割と好き。

ビューティフル・ドリーマーを見る感覚で見ればよし。

2017-03-13

http://anond.hatelabo.jp/20170313151917

6. 戸田真琴

https://twitter.com/toda_makoto

戸田真琴です。

見せるもんかと守ってきものを見せても見せても全部残っていました。

それはわたしが君に逢うための道なのだと思います

裸になっても見せることの叶わないもの

内臓よりも深くから持ち出して君に挿すための今だと思います

あの曲がり角の先には何があるだろう、愛も夢も誠実さも流星みたいに通り過ぎてきれいだったね、この場所

よいものとわるいものの違いを永遠に私が亡くしたら

よいものもわるいもの映画みたいにね

わたしはまだあなたに見せていないものを隠し持っていて、

それは切ないわたしの宝物だからいつまでもここで待っている。

きみが本当にほんの少しでも独りなら、

私が私を全うするための力をください。

私は映画を撮りたいです。

7. のあち

https://twitter.com/noa_candyremix

新生アルテマドールの闇の子

魔界にいます、たぶん

絶対的にがんばりますよろしくお願いします。

8. 杉山晴香

https://twitter.com/haruka_sugiyama

ねぇ、聞いていい?

あなたは、自分の 本当の姿を押し殺して

他人社会同調すること

自分を装うことって、一度くらいは するんじゃないかしら?

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私はこの5年、揺れていたのよ。

それまでは、自分らしく生きていたのに

”素の自分”を 表現をすることと

”素ではない自分” というものを 装い作り出すことの 狭間で。 

揺れていた、 この、5年。

何故かって? 

何者かに、媚びていたのよ。

自分を良く見せる”って、それは、度を越すと

クリエイティブじゃないし、疲れるだけなのよ?

嫌われたくなかった、ってだけで 埋もれようとしていたのよね。

でも

私は、私なんだということに、

今後もっともっと素直になれると思う、取り戻せると思う。

何故かって?

それは、また今度話すよ。

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この広い世界に 

たった一人でいい

どうか 私の死を

心の奥から

悲しんでください

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ねぇ、 あなたは 今、幸せ

私はね

どうかしら、ね。

9.いかりんぽっぷ

https://twitter.com/keikarin_popid

大阪から世界に!

カワイクロックPiGUの けいかりんぽっぷです!

10. 風柚

https://twitter.com/WhoR_U_

はじめましてこんにちは、風柚(ふゆ)と申します。

私が今回応募したのは、夢を叶えるためです。わたしは小さい頃からミュージカル演劇を習っていました。顔は決して良くないし、性格クズみたいな性格だけど、好きなことだけは頑張れます。自信はあるけどプライドはない、向上したい気持ちで満ち溢れてます!好きなことが嫌いになるくらいやり続けたいんです、!!

でもその為には、たくさんの人の目に触れること、その人たちに少しでも興味を持っていただくことが大事だなって思いました。

から、こんな私を少しでも応援したいって思う方がいたら是非CHEERをお願いします、!

よろしくお願いします、!!!!!

風柚 (ふゆ)

杉山晴香のコメント匿名ダイアリーを暗示している…と思わせてTwitter言動的には風柚っぽいな。

2017-02-26

Aqoursライブを見た21歳の普通星人は何を想うのか

ラブライブ!サンシャイン!!ってあるじゃないですか。

主人公高海千歌ちゃん、先輩スクールアイドルμ'sに憧れつつも、彼女たちのように「輝く」ことなんてできないよ…と悩み続けていたのが記憶に新しいです。

彼女言葉には、本当に人生リアルが詰め込まれています

「私ね、普通なの。

私は普通星に生まれ普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。

思ってたんだけど。気が付いたら、高2になっていた。」

失礼な言い方ながら、こんな記事を読んでいるあなたのことでしょう。ぶっちゃけそんなに成功した人生を送ってるような方じゃないと思います

年収が1000万、大切な人がいる、学歴、職歴、持ち家、彼氏彼女、人の価値を人が決める上でのステータスは各々が違います。それが高ければ低い人もいる。その高低で優劣をつけ、普段生活で「アレよりはマシ」と比較し、なんとか穏やかな生活を送りたいと無意識に思っている。私は22年目の人生で、少ないながらも様々な本やドラマを鑑賞し、そんな人生を送っている人がほとんどなんだろうなと思いました。

年収1000万、大切な人がいる、学歴職歴etc... もしこれを読んでいるあなたが、これらのどれかを実際に所有しているとして、自分こころに問いかけてほしい。

本当にそれで満足ですか?これまでの人生は胸を張って「満足でした」と即答できますか?

私はできません。

中学でそこそこ勉強を頑張って、そこそこの高校に入り、大学でもそこそこの大学に入り、来たる6月に23回目の誕生日を迎えて23歳になります

昨年は海外留学も1年経験しました。多くの人とも言語を超えて交流をした気でいます

来年から就活が始まります。きっと、そこそこの企業に入るのでしょう。よくわかりません。

前置きが長くなりました。

これを読んでいるそこそこの人生を送るあなたにもうひとつ質問です。

本当に輝いている人をその網膜が捉え、脳裏にその映像が映し出されたとき、人はどうなると思いますか?

私の経験上、それはあまりにもあっさりしたものでした。

応えは、「受け止めきれない」です。

ラブライブ!サンシャイン!!の話に戻りますが、昨日2月25日(土)はAqoursの1stライブ横浜アリーナで開催されていました。

幸運なことに私も参加することができ、座席センターステージが近く、トロッコが通る通路真横という最高のポジションで、自分が本当にこんな席に座っていていいのかと思うほど。

結論から言えば、ダメでした。

はてな匿名ダイアリーで書くようなことでもないですが、私は本当にAqoursのある声優さん結婚したいと思っていますガチです。3年以内にLINEアカウントを交換するし、5年以内に結婚する。声優五カ年計画

そんなことを言いつつも、「やっぱリアル彼女もほしいよね」という訳で、先日「オタク辞める」宣言を発表したところです。

未だに携帯アルバムから声優画像が消えることもないですが、これ以上オタクみたいなイベントに行くのは辞めようという決意。

一方で、「某Aqours声優ちゃんと結婚したら、1stライブの話をされた時に反応に困る。要所要所でポイントを押さえ、共感しないと信用してもらえない。」という推測より、「Aqoursライブには行こう。あれなら顔も覚えられないし。」という理由で今回のライブに参加した次第です。

結論、甘かった。

ライブ開幕、某Aqours声優ちゃんホントかわいい

一挙手一投足、身体の頭からつま先、手の先の細かいところまで自分コントロールしつつも、ステージの上で持ち前の若さ経験を武器に誰よりも大きく振る舞う彼女

普段書かれているブログ文章のように、のびのびとして本当に自由。それでも、時折見せる20歳とは思えない刹那な慈しみの表情。本当に20歳とは思えない。

ライブ中盤。

トロッコを用いた楽曲で、某Aqours声優ちゃんが私のいるサイドへ。残念ながら私がいる方とは反対の、ステージ後方へと私の5m先で舵を切り、網膜キャッチする彼女はどんどんと離れていってしまいました。

おとなしく切ない曲調だったこと、そしてそのなかでも可憐に踊りながらも私から離れる彼女を見てふと、「あんなに仕草美しい人類は他にいない、絶対結婚したい。」と思う。これまで彼女に対して抱いてきた感情で、一番強かった。

「来てよかった。彼女パフォーマンスを見れてよかった。」そう思っていました。

ここまでは。

アンコール

2曲目の曲中で、メンバー全員がトロッコに乗り、こちらへと向かって来ました。

私の横には通路、つまりこれから視界に何も遮るものなくAqoursを観れる。ヤバい死ぬんじゃないかしかもこの曲だけトロッコスピードがやけに遅い。めっちゃ真ん前に来るやつ。

そうこうしているうちに、小宮有紗さんを先頭に多くのメンバーが目の前を通り過ぎるものの…私の方向から見えるのは正面ではなく、背中でした。

「それでもやっぱり声優さんってマジ綺麗だな。すげーわ。小宮さんとかあの茶髪どこで染めてんだろ、めちゃ綺麗。」とか油断していたところ、某Aqours声優ちゃんの番に。

かわいい

(某Aqours声優さんこちら側に向き渾身のダンス)





何もできない。

人は無力、何もできない。

まりにも私の手の届きそうで届かない頭上で輝く彼女の姿を見て、私は何も為すこともできませんでした。

地下ドル現場オタクみたいに「それ!」って言って指を指せばよかったのか、そんなことできない。思考が追いつかない。

μ'sのときはよかった。ステージの上にはライクの感情はあってもラブの感情を乗せることはなかったから。

南條さんを応援させていただきつつも、ラブな感情が芽生えることもなく、エモい時は「エモいなぁ。すげぇなぁ。」といったところで止まっていた。良くも悪くも。

Aqoursは違う。ステージの上には好きな人がいる。

好きな人がいれば、その動きに魅了され、感情の行き場がなくなる。

それを目の前でインファイト状態でやられたもんだ。無理、輝きすぎ。処理できない。

そしてその瞬間、初めて感じた「ステージ側の人間」と「ファン」の距離

これまで3年以内にLINE交換したかった私、今思えば本当に甘かった。この両者の距離感を近所にある小川を飛び越えるくらいの難易度だと考えていた。甘い、甘すぎる。

何故なら、ステージで輝く彼女に対して、こちらは何を披露するでもなければ生産してもごくわずかなものしかクリエイトすることのできない「普通人間」だからだ。

彼女の身振り手振りのひとつひとつには、幼い頃から鍛錬に鍛錬を重ね、養成所に入り私が想像することもできないであろうレッスンに耐え抜き、私の知らない場所時間にもレッスンをして、私がのこのこと大学スマホをいじっている時間にもバイトをし、私が暇だ暇だとぐだりながらバイトをしている時間にも練習をしていたその全ての結果が身を結んだオーラを纏っている。

その動きは、私のような普通人間では手に入れる、意のままに操れるような代物ではなく、それに手を伸ばそうとしても、ホーリーピークという事務所バンダイビジュアル子会社ランティスをはじめとして、様々な権利がその手を拒む。

そもそも、何の努力もこれまでしてこなかった普通人間と、私の経験してこなかったものを多く見て私の頭上で輝く人間が一緒になっていいはずがない。

だって努力してないんだもの

大学受験の頑張り?留学経験?そんなものケツ拭く紙にもなりゃしない。

海外留学で得た経験所詮蜃気楼みたいなもので、実際に今日あのシーンを脳裏に焼き付けた瞬間、それを受け止めきれることができなかった。

海外で得た経験なんか声優の前では無力だった、何も受け止めきれない、何も理解することができない。そんなもんですよ。

「私ね、普通なの。

私は普通星に生まれ普通星人なんだって。どんなに変身しても、普通なだって、そんな風に思っていて。それでも何かあるんじゃないかって。

思ってたんだけど。気が付いたら、21歳になっていた。」

からでも、変われるんでしょうか。

未だにくだらない下ネタを肴に男友達と笑いあえるメンタル中坊な私でも、就職までのあと2年で変われるんでしょうか。

結婚できないかもしれない。でも絶対結婚したい。」

そんなわけで、絶対一般人ではないであろう、熱愛結婚報道等でよく用いられる「(お仕事関係者だけど世間で言えば) 一般男性」になりたい、なろうと思いますバンダイビジュアルにでも就職しようかしら。そう思いつつも、帰りの電車自分の頭上で起きたことがフラッシュバックしてきては、「本当に好きなのに絶対に付き合えない。無理。輝いてるもん。」とこころの下の方の扉を開けた深海へと今宵も意識を沈ませるのでした。

明日から頑張りたい、変わりたい。そう思いつつも、その一歩を踏み出せないまま明日普通星人として横浜アリーナの1万人以上のファンのうちの1人と化して、流れるビート身体を預けたまま、明日へと運ばれる電車で気づけば自宅のベッドに全重力を任せて眠るだけなのでしょう。

ちなみに、今日の帰り際に友人に言われた一言

「某Aqours声優ちゃん、絶対今回のライブで人気出るよね。ライバル増えるよ、頑張って。」

これに関して一言

それは関係ない。

果たしてそのなかの何人が、今日私が感じたようなキモチを味わうのか。

ひょっとしたら、そのなかには幼少期から彼女のことを応援し、日の目が当たらずよくわからんスマホアプリのCMに出ていたり、ノルマが課された演劇舞台へと熱心に幾度も通いつめたファンいるかもしれない。

本当にありがたい、ここで必要なのは感謝リスペクト」。

ありがとうございますあなたのおかげで彼女の輝く姿を今日拝むことができました。

それでも誠に勝手ながら、本当に結婚したいと思っています

こんな気持ちになったのは、幼稚園の頃に同じクラスだった知代ちゃん(仮名)を初恋だとするならば、おそらく2度目。

本気です。

彼女舞台、まだ原石だった頃の彼女を見ているあなたは本当に羨ましい。時間は止められないと知って、君と早く会いたかったよ。本当に早く会いたかった

所詮ラブライブ!サンシャイン!!という大箱コンテンツの、しかアニメ放送からファンになった身。

マジで自分の身の程は重々承知してます

それでもやらなきゃならない。吐いた唾は飲まない。そこに関しては徹底して彼氏候補ナンバー1の座を意地でも奪いたいと思っています

満足した人生を送ってますか?という最初質問から普通の人として生きるまで。

現状、私はそこそこの人生を送っているものの、満足していません。

幸せは足元に転がっている」

そうです、そんなことは百も承知です。それでも彼女と笑いあいたい、対マンで。サシで。頼むよ。

本当に満足して生活を過ごしたい限りです、過ごすぞ。

そんなわけで、Aqoursライブが終わった明後日から生きられる自信がないので、どうすれば声優さん結婚できるのか。「声優さんになる」以外の回答ができる経験談をお持ちの方は是非ともコメントいただきたいです。飲みましょう。

あと、本当に最後の曲が終わってアドレナリンが出まくってたのか、一目散にステージからセンターへと俊足で駆け抜け、おまけに自分の腰の高さまでありそうなくらいにモンキージャンプをしてけらけらと最後まで満面の笑みを見せた彼女

本当に可愛い…と言うと思いましたか

ぶっちゃけ気持ち悪い」と思った。いい意味で。

4時間にも及ぶステージ映像なんかがありつつも、やっぱり3時間くらいはステージで歌って踊っているわけで。

いくらダンス好きだ、愛してると言いつつも、本当に他のメンバーを置いてきぼりにするくらい、アクセルベタ踏み最高速度を叩き出せるあのスタミナは心底恐れ入った。

3時間ライブをして、普段トレーニングをしてるミスチル桜井和寿さん。

彼もライブ中によく走るけど、彼女のようなスピードを出しているところは見たことない。おまけに、彼女は3時間のアクトを踊りきった後。

マジで怖かった。アドレナリン出まくってたんだね、表情からでもわかったよ。マジでテンション高かった、やっぱかわいい

もうひとつ言うと、アンコール衣装Tシャツ1枚。

マジで身体ラインが出ていたので本当に辛かった。アイドルといえど、公衆面前身体ラインを出すのはやめてほしい。

有象無象オタクに見られるの、辛くないですか?

最後に、こんな記事になりますが。

本日ハマのステージで素敵なパフォーマンスを見せてくれたAqoursメンバー18人の皆様。そして想い人の某Aqours声優さん

楽しい1日を本当にありがとうございました

必要なのは感謝リスペクト

私も、明日から輝きたいです。

http://anond.hatelabo.jp/20170226000450

なんやお前? お前の結婚式で友人たちによるフラッシュモブ演劇新婦を悪役が攫ってそれを新郎がやっつける奴)されてもええってんか? お?

2017-02-15

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」(ネタバレ注意)

とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。


まず先に言うと、本作品は『ミステリー演劇』だった。

それは原作推理小説カテゴリーされているからとか、原作者江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。

私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。

もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ

なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。

本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。

また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。

(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)

まり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。

本作はDVDの発売が決定しています。

公式DVD予約サイトhttp://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/

(発送日未定。予約は3月末まで)

めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。

「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。

こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。

たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660

高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)

原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作本質を描いている』けど、ある意味原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。

そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。

一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)

ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。

あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。

そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。

また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しまたか

公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。

本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。

できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)

この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。

私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。

一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。

最後に公式各位。

ネタバレにあたる部分は私の個人的ミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。

と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉スムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理

ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。

ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。

p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。


それでははじめます。

導入


無人の屋敷に風が吹き込む

暗転

まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる

「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本かいものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」

暗転明け

無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。

彼は自身について取り止めなく独り言つ。

彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。


まず本作の初見の私の感想と回答は、下記増田で参照できる。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。

当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。

作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。

認知を歪められている感覚』なんて中途半端ものは見過ごせない。

ちゃんとトリックを暴きたかった。

そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。

そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。

それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある真意』を隠しているということにある。

しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。

そのために以下のことを行った。

そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業


解説『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』①

箕浦の白髪

二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。

これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。

しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。

そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。

冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。

後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。

これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。

では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)

箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである脱出できた時なんて笑いあっていたりする。

これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。

同性愛への拒絶:あの夜まで

生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。

実は学生時代の箕浦は、同性愛を拒絶していない。

諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。

…脱線した。ともかく同性愛を否定する、拒絶する描写が無い。

ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。

これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある

あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。

同性愛への拒絶:あの夜から

しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。

そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。

実はこのセリフ原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ

「君は浅間しいと思うだろうね」と。

箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。

そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。

もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?

『箕浦』の存在

あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。

大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪感情を見せるが、石田箕浦は同性愛嫌悪していない。

諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。

スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)

絶望的に脈ナシな究極のノンケ

原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。

簑浦と箕浦、原作とは名前漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。

石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。

「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」

諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……

石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。

しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。

諸戸の望みと願い

諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。

強い劣等感を抱えた自意識と、強い罪悪感をもたらす超自我

我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。

諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。

箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。

『私』と『箕浦』

石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在

これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。

彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。

井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。

『私』の恋心

そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。

よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドル恋愛しちゃいけない』理論だ。)

ではなぜ超自我ポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。

箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。

佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。

海岸で諸戸を見付けるのも石田箕浦ではなく佐藤箕浦だ。

そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。

握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。

諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。

すれ違う二人

一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。

しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。

逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。

諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。

井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。

そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。


解説叙述トリックを駆使し隠された真意

先述の通り、私の推理動機叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。

からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのまま最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。

で、共に推理していた友人が先に原作叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。

しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだ確信してしまう。

これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリック説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。

本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。

さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?

この件について私は非常に貴重な体験をする。

本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。

友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)

当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。

不快感を分解していく。

友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。

友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。

増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」

結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。

さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」

感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。

私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブ体験談バンバン出てくる。

共に推理原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-02-09

印象。考察なし

http://anond.hatelabo.jp/20170208235429

寝落ちしそうだし消えると悲しいか更新かさねる

率直に書く。総合的な感想考察は落ち着いたら書くつもりだけど、壁打ち悲しいから書かないかも。(というか他作品観劇したらもう書けなくなるだろうから、勢いつかないと現実的に厳しそう)

トゥルーエンドではないけどグッドエンドはもう前回観れたから、推理の旅を終えていいようにも思っている。あとやはり証人が足りない。私の観たルートより先の話が展開されないと推理が苦しいし淋しい。

初見と印象が違いすぎる。

何が変わった? 私が変わった?

私のライフは零である。救いがまったくない。ほんとつらい。

今回はまったくもやもやしなかった。ただあるがまま受け止めてほんと苦しい。

今作はもうずっと『諸戸と簑浦』の話しかしていない。だからうつらい。世界に二人しか居ない。つらい。

嗚呼明日原作既読の友人にいろいろ質問しよう……

時系列順に。

ちなみに『私』と『箕浦』と《わたし》と《みのうら》と簑浦が出てきます

冒頭。諸戸屋敷にいる『私』。これめっちゃ幽霊に見えた。

手記の内容は、すべて完全に諸戸についての内容。つらすぎ。

『私』は諸戸を「哀れ」と評す。まじかよ。

奥さんがお茶を入れてくれてそれを飲んだはずなのに、誰かいませんか?的なことを言う。え、やっぱこの『私』お亡くなりになってない?

そして諸戸登場。語り部の『私』と会話する。おかしくない?

登場キャラクターが天の声に話しかけたりしなくない?

から最初は『私』も諸戸も亡くなってて、死後の世界に見えてならなかった。

てゆか、今日見た諸戸がこわくてこわくて、ずっとすごいこわくて。諸戸の亡霊みがやばかった。成仏してない霊感

初見は王子様のような諸戸だったのに、何が変わった? 私が変わった?

『私』と諸戸は二人で一緒に過去を振り返る。

諸戸との最初の決別、夜の告白の時、聞いてる時の『私』はものすごく悲しそうな切なく美しい顔をする。嫌悪の色ではない。

『私』は諸戸に「性愛には応えられないけれど一緒に遊んだりした友情には感謝しているし君もそれを喜んでいるように見えた」的なことを言うのだけど、これ少なくとも2回目撃している。隠喩だったかそのままだったか…どこだっけ思い出せない丈五郎と道雄だっけ…? すごいつらい。

あのね『私』と『箕浦』が互いに演じた《わたし》と《みのうら》、《わたし》は未来をすべて知っているようで(諸戸の死を含む)、《みのうら》は生きてるからすごく生命力のある反応をする。『私』が《みのうら》になって井戸出たときなんて、それまでとのギャップちょっとびっくりした。

ここで振り返ったのは過去から未来ではないけれど、どうにも諸戸から時間を感じない。(ミスリーみあるけど)

似てきたなと私が感じたのは、この冒頭の『私』と諸戸、諸戸親子、諸戸と吉ちゃん。親子はアフタートークでも言われていたけど…というかあの世界は「諸戸と簑浦に関すること以外すべてカット」されているので、全部が諸戸であり簑浦であってくるしくて無理。常にライフ削ってくる。

大人になってから。『箕浦』は「ここからは僕が」と言って登場する。おかしい。どうして語り部の語る内容にキャラクターが介入できる?

から私は、ああこれは『演劇なのだな、と気付く。原作では簑浦が口頭でこの物語を語ってくれるのだっけ?それとも小説? ここではその語り口が『演劇なのだと。

箕浦』は『私』が初代に渡そうとした指輪意気揚々と奪ってくる。《みのうら》演じている『箕浦』は本当に生命力に溢れてる。

嗚呼だめだ寝落ちたらもう思い出せない…『箕浦』だけは「諸戸と簑浦に関すること」が何もない存在だったようにも思えてくるけど、もう私の記憶証人として使えなくなってしまった。

『私』は決して初代を「美しい」と言わなかった。まわりくどく魅力を説明する。その形容自体違和感は無いが、乱歩が連載初期から意図的言語を使っていたのなら、初代を「美しい」と表現しないのは変だ。簑浦にとっての初代の価値が軽すぎる。

箕浦』は何についても「美しい」と言わなかった。やはり簑浦は矛盾や歪さを抱えていないか? それを『私』と『箕浦』で同時成立させていないか。『私』と『箕浦』は別々の役割をもった役者

初代は証言する。正面を向いて淡々と切々と語る。あれは諸戸のことではなかったかしら。初代だけに存在する追加情報の時だけ『箕浦』を見て『箕浦』に話しかけてやいなかったか

『私』のかんばせが本当に何の欠点も無いようなほど美しく、そしてとても表情豊かで観客をガンガン見てくる。目が合うとかじゃなくて、観客の目を見てくる。後方でも目を見てくる。つまり語りかけ度がぱない。あいつはメッセージを発している。

対して『箕浦からはそんな様子を受けない。《わたし》を演じる時間が短いからかもしれないし、セリフが少ないせいかもしれないし、ずっと座っているから私の座席位置がかすらずそう見えなかっただけかもしれない。

いや、ほかの『役者』もそうだった。わざわざ観客の目を見てきたりしない。あれは『私』だけだ。

箕浦』はハッキリと「ぼくは幸せだよ」と胸を張って言う。

(正確な表現を思い出せない…2時間以上の空間を丸暗記してそれを体験した自分心理思考記憶して寝落ちリセット回避はこのセリフ量だと流石に無理ゲー過ぎ…でも記録に残すならちゃんとしたい…)

初代が亡くなった時に現場での出来事にしっかり対応していたのは『私』。泣き崩れてずっと耐えているのが『箕浦』。

深山木を訪ねてからは、未来を知っている《わたし》役の『私』は度々悔しそう・つらそう・悲しそうな表情をする。

『私』には彼を救えないから? ねぇ、これ『私』にもそういった感情がちゃんとある描写だよ。

初代と深山木さんを亡くしてから場面転換の際にオープニング曲しか聞こえない音楽が入る。唸りをあげて悶絶する『箕浦』。あ、ここ襲いかかる諸戸の唸りと重なる。

諸戸に関係ないところでも、疑心暗鬼セリフはすべて『私』が言っていたように思ったけど…いやこれは断言して大丈夫では。

しかし確実に《みのうら》の口から「諸戸を疑っている」主旨の言葉が出たときは『箕浦』が発言するし、

諸戸から「君は疑っているんじゃないのかい」といった疑心暗鬼を抱いている主旨の言葉が出たときに対面しているのは『私』と、徹底していた。

諸戸と『箕浦』が家で初めて会話している時、諸戸を見つめる『私』がくそやばい。愛憎ぶちこんだ流し目破壊力軽蔑目線でもあっただろうか?嗚呼ほんと駄目だ脳がリセットされて正確に思い出せない!

ああ、でもここで諸戸を見つめる『私』は、『私』を見つめる諸戸に似ている。それは性愛を込めた時じゃなくて島で秀ちゃんに夢中になってる『私』を見ている時のそれ。

子ども残酷」って諸戸が説明したとき、めちゃくちゃ学生時代の簑浦思い出した。

しかし諸戸の話題が《みのうら》への愛についてから事件推理パートに移ってからはクソつまんなそうに家ん中ブラブラして諸戸の推理聞き流してる風に壺にしなだれかかってる『私』だるえろかわい過ぎだった。「ねぇ~まだぁ~?」してる子猫ちゃんかよ。たぶん唯一私が萌えれて心を緩められたシーン。

ずっと『私』は推理パートつまんなそうにしていたのかなと思いきや、だるえろかわいいのあそこだけで、曲技団に刑事と行った時とか身を乗り出して聞いていた。

いや、あれは『箕浦』の代わりに演じていたのか?

あそこ本当に諸戸が『箕浦』のことを狙っていた。すごくこわい。じわじわ距離詰めてくる。こわい。あれなんであそこにそんな描写入れたんだろう。あの時の話題は何だっけ…おとっつぁんについて?

深山木からの荷物を受け取るのはこの後だったかしら。

秀ちゃんの手記。まじつらい。ぜんぶ諸戸と簑浦の話でつらい。

ぜんぶ諸戸と簑浦の話であるから、『手記の秀ちゃん』に母親が居ないから、この舞台での諸戸にも母親が居なかった。(正確に言うと丈五郎母親の話をするが、諸戸は母親の話を一切しない)

原作未読であるので自分確認できないのだが、諸戸が母親について告白する場面はそんなにカット必要位置にあるのだろうか?

諸戸が母親から性的虐待を受け、それによって女性嫌悪感を持ち女性は愛せなくなったこと。親から愛情が与えられず性行為でだけ情を向けられたから、諸戸が簑浦へ向ける愛情性愛以外の多様さをみせられないこと。これらは諸戸の歪な愛を単なる超自我とイドのせめぎあいにさせず、諸戸が『かたわ』と比喩できる大きな理由となっていると思う。

それがカットされたというのはものすごく重大なのではないか

ここにある諸戸は性的虐待を受けていない世界線の諸戸?

手記の後に諸戸がどちらと会話をしていたか覚えていない…記憶の砂が零れ落ちていくの恐ろしい…

おそらく『箕浦』と話している? 系図帳から暗号見つけるのはここか?

島へ行く途中の列車?船?の中、諸戸が「疑っている?」と問いただすのは『私』で、その話題が終わるとすぐに『箕浦』に入れ替わる。

だめだここですべきは事実の羅列ではなく印象という目撃証言を残すことだ。

島に着いた夜。寝ていた『私』と『箕浦』。『私』だけが起き上がり、秀ちゃんと出会う。

そこに現れる諸戸。

私はここにめっちゃ違和感感じて、それまでの流れでやっぱり諸戸も登場人物なのかな…って思ってた気持ちが吹っ飛んだ。なんでここに諸戸が居るの?って思った。『私』と同じ次元存在から

で、原作既読の友人に確認してもらったら、原作ではここに諸戸は居ないししばらく諸戸と合流しないって……

それから呑気に毬遊びをする『私』と『箕浦』を見て、ここでも彼らは『役者』として並列であるめっちゃ感じた。対話をすることはあっても、物理的に直接交流するシーンはここが…あ、いや初代の指輪を奪ったね。そことここだけのはず。二人存在しないとできない行為から

まだ全然考察とか感想にまで至れていないけど、直感だけの変な話しだけど、

諸戸と『私』が同列であることと、『私』と『箕浦』が並列であることは、次元が違っているのですよ。だから諸戸と『箕浦』は同列ではない。

あ、それが《わたし》と『私』か。

わたし》と諸戸は同列。『私』と『箕浦』は並列に役者

五郎に帰れと言われてから、諸戸を助ける決心をして、諸戸からメッセージを受け取っているところも、井戸の中も、『箕浦』はずーっと冒険譚の主人公だった。キラキラクワク輝いていた。秀ちゃんへの恋とか初代の復讐とか諸戸への心配とかじゃなくて、冒険に夢中だった。

諸戸からメッセージを読むのは『私』で、あいつまた俺に変な気を起こしそうでいやだわ~的な愚痴をこぼし、『箕浦』もそれに乗っかる。「同性愛理解できない」ってまた言う。「頭では理解してるけど全然わかんねー」って言うのはどこだっけ。いやほんとに『箕浦』には友情以外まったく無い。微塵もない。清々しいほどに無い。脈ナシにも程がある。

前述した「諸戸も登場人物なのかな…って」考えに変化しかけたのは、同じく前述の事情聴取のシーンで《みのうら》を演じる『箕浦』をそれこそ蛇のような視線で諸戸が見つめていたから。スポットライトの当たらないところで。その時『私』はスポットライトの中で刑事事情聴取を聞き入っている。(時系列ぐちゃってごめん。でも記憶が蘇ったものをとにかく書いて残す)

ひえええあんな完全無欠の究極ノンケみたいな『箕浦』に言い寄っても絶対無理だよ諸戸なんで気付かないんだよ異常だろ…ってぐらい怖かった。対してワンチャンありそうに見えるのは『私』。否定してるんだけどなんか匂ってならない。なんか否定だけを信じられない。

あれか? 「『好き』の反対は『嫌い』じゃなくて『無関心』」ってやつか?

(初見感想で書いた「《みのうら》も実は諸戸を愛していたのではないか?という容疑が浮かんでならない」のは、完全に『私』のせい。これは初見からそう。私はこれを初見で「諸戸カンチガイ乙‼」みたいに感じていたから、こいつは諸戸の疑心暗鬼が見せる簑浦だなと思っていた。)

諸戸は『私』を探しさまようラブファントムなのかと思っていたけど、全然《みのうら》演じてる『箕浦』も狙ってくる。

『私』と『箕浦』はだいたい一緒に舞台上に居るんだけど、諸戸が《みのうら》よりも『私』を優先して見つめたのは、

  • 箕浦』演じる《みのうら》が諸戸の手を握り返さなかった時
  • 箕浦』が寝ているところを抜け出して『私』が秀ちゃんと出会った時
  • 井戸の中で『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた時

諸戸は簑浦を探しさまようラブファントムという印象に落ち着く。

水責めから『私』はもがき出す。水喰らって噎せるし《みのうら》と諸戸に水ぶっかける。

序章でも鬼との出会いを思い出してる時に喉を掻くから原作にも白髪化がいつか描写されてないそうだし諸戸生理的拒否られてない可能ワンチャン…!?って一瞬思った。違った。

箕浦』ずっと脅えていて本当にかわいそう。諸戸に抱き締められてもノンケ過ぎて嫌悪感すら無い様でだだ死の恐怖に脅えている。…って、そうだ。『箕浦』は諸戸の性愛嫌悪感すら返していないわ。性愛なんてもの存在しないようにしか見えない。

ホモフォビア過ぎて逆に男性とキャッキャする現象」が何か科学的に存在しているのですか?(そんな感想を見かけた。)気になるので詳しい方に教えていただきたい。

そーいや江戸川乱歩同性愛を「研究」していたんだよねえ…

それまで『箕浦』を抱きしめて必死告白していた諸戸(この時の諸戸何故か記憶してない。零れ落ちた感覚もない)が、『私』に「嫉妬している?」と問いかけられた瞬間、逆鱗に触れられたように(地雷ぶち抜かれたみたいに)目を見開いて、そのまま『箕浦から手を離し、表情も目線も変えず亡霊というか亡者みたいにゆらぁりと『私』の方に移動していき、「ああ、嫉妬している」と答える。

これほんとめっちゃこわい。ラブファントムこわい。ホラーフィクションでよくある悪霊に追いかけられていたのが御札を持った瞬間にこちらが相手から見えなくなってあっさり追いかけられなくなる・あるいは逆に結界崩壊してそれまで見向きもしなかった悪魔が突然こちらに向かってくる、あれ。完全にあれでこわい。ほんとこわい。

諸戸を否定して死んでたまるかと逃げ出す『私』。諸戸は唸り雄叫びを上げてから『私』を追いかけたっけ?

確かここ最前列目の前に諸戸が来たのに私は目をそらしてしまった。それまでずっと三人の内をを覗きこんでいたけど、目の合うところに居る諸戸の瞳を覗きこむことはできなかった。

そして遂に『私』を捕まえた諸戸。手を掴み上げ触る。

なんというかね、性的意図をもって犯そうとする時って、例えば、頬を触る(唇を奪おうとする脅迫)、腿を撫で上げる(局部に侵入しようとする脅迫)、みたいな仕草がイメージやすいんだけど。諸戸は手なんだよね。いや、手を撫でられるのも十分性的な接触になりえるし、手を撫でてくる痴漢とかクソ質悪いと思うんだけど(あれって痴漢に該当するの?冤罪増えそうだから流石に法的には該当しなさそうだよね?まじきもい腹立つ)、もっと分かりやすセクシャル表現にしても良かっただろうに、なぜしなかったのか。手なのか。

同じ手でも手を舐めるとか頬擦りするとか自分身体に触れさせるとか、方法はいろいろあるのに。

あ、そうだ。秀ちゃんは吉ちゃんの手を取って自分の胸に触れさせていた。超嫌がってたけどあれは同じ手の使用でも犯されている感がわかりやすい。

あえて手であることがわかりやすいのなら、それは何か。

井戸の中での死についてのくだりも、秀ちゃんの手記で隠喩されたまんまでほんとつらい。もう死んでしまいたいという諸戸の叫び

そうだここ『箕浦』も死んでしまいたいと絶望して挫折して復唱していたのに、『私』が水を挿したんだよね…亡霊を呼び起こしてしまった。

諸戸が嫉妬していることを認めたのが、《みのうら》と秀ちゃんが結ばれてしまうかもしれないことについてなのか。(そう明言してた気もするけど)

それとも「本当はかたわものではなく、簡単な手術で醜い自分を切り離すことができること」なのか。

醜い自分を殺したいけど、殺したらきっと自分も死んでしまうと思ってる諸戸…まじ…

助六さんに「生きたくなかったの?」って聞かれた時に、「世間に顔向けできない」と言った諸戸まじ魂抜けてた。心ここに在らず。ライフが0。助六さんに心の内を回答する必要いか大正解しかしイドの超自我破壊自我乗っ取りを止められなかったことは、この時の諸戸の回答もあながち嘘じゃないなと。

あれ?と言うか水嵩が増さなくなったって表現、昨日あったっけ?

私は水嵩が増さなくなったことを知ってるから、初見ではセリフがあったはず。

『私』と襲いかかる諸戸の図を見ている『箕浦』の表情は、「死者を冒涜せぬよう省略」と『箕浦』が言った場面しか見えなかった。

と言うかこのセリフ初見では聞き逃してたかテラびっくりしたんだけど!

【今】はいつだよ!?って疑問が再浮上した。

初見のとき、序章で『私』が「なお、現在では差別用語となる言葉が登場するが、当時のなんちゃらを変えないためそのまま使用します」云々言ってて、「えっ!?『現在』っていつ!?『当時』っていつ!? 『私』が執筆したとき? 乱歩執筆した時? 私が観劇している今? ねえあなたは『いつの人』なの!?」って、超混乱した。

やっぱ諸戸亡霊なのかあああ??????って。

まだ決めていない。

少なくとも、丈五郎を目にした諸戸や、井戸を出た時の諸戸は、『登場人物の諸戸』だったから。

それにしても《みのうら》になった『私』の生命力

佐藤さんの『私』は表情がくるくる変わるしよく動くし観客の目をガン見してきて語りかけ度がぱないけど、アクティブなのにどうにも《わたし》の時は幽霊っぽかったの間違いじゃなかったんだな。ってめちゃ思うぐらい「生きてるかどうか」がなんか明確に違うんだけど。演技力?すごない?やばない?

わたし》になった『箕浦』と、《みのうら》になった『私』も言葉を交わす。「語り忘れたことあるかな?」

ラストは『箕浦』が読んで、『私』が諸戸の訃報を初めて知ったような顔をしている。井戸で《わたし》役になってからの『箕浦』は、諸戸が鬼籍であることを既に知っていた。

箕浦』はあまり『私』も諸戸も見ない。助六さんと井戸脱出しようとした時から、『箕浦』は正面向いてどっしり座って痛ましそうな顔をしている。あれ…顔背けてるのかな…

座ってラストを読んだあと、やって来て『私』に手を伸ばす諸戸の手を宥めるように下ろさせる。

ああそうだ、『箕浦』に向き直った諸戸の表情は見えなかった。

そしてこの物語の語り部は諸戸を憐れにも思っていると序章で明言している。

諸戸の訃報を握り潰すところ。あれね《みのうら》の憎悪というよりも、醜い半身へのやりきれない憎しみに見えた。悔し泣きみたいに表情を潰すところは正直感情が読めなかったよ。ある意味復讐燃えていた『箕浦』の様子にも近かった。

今回は推理するために三人をずっとガン見するつもりでいたけど最前列譲っていただけたのでピクセルに余裕できて他の演者さんもかなりしっかり拝見できた。

2017-02-08

観劇2回目の備忘録 舞台「孤島の鬼」2017版

http://anond.hatelabo.jp/20170207171941

8日ソワレ情報量が多いので走り書きのみ。感想なし。考察なし。

A列上手での観劇。(初見はH列下手での観劇

なお、私は2回目の観劇を謎解きとして挑んだことを大変後悔している。

よほど命知らずの探偵さんでない限り、以下の内容に目を通すことはおすすめしない。


  • これは『演劇である
  • 幕が開いた時点で諸戸は既に亡くなっている
  • それを《わたし》は知っている
  • 亡くなった諸戸が《?》のもとを訪ねてくる
  • 《?》と諸戸は二人についての話をする
  • 『私』と『箕浦』は別の役者である
  • 『私』は諸戸から簑浦への性愛疑心暗鬼白髪になってからの生きている《みのうら》(それまでの《わたし》)を演じる
  • 箕浦』は「孤島の鬼」のミステリー冒険譚、ノンケでまったく諸戸の性愛理解できない・感知すらできない、白髪になるまでの《みのうら》(それ以降の《わたし》)を演じる
  • オープニングは諸戸の家に押し掛ける前に入る。悶絶する『箕浦』。
  • 『私』の一人称は【わたし
  • 『簑浦』の一人称は【ぼく】
  • 原作確認:秀ちゃんとの逢瀬を夜中に諸戸に見咎められているのか
  • この『演劇』は諸戸と《?》についての話であるので、二人の隠喩および冒険譚要素以外はすべてカット
  • 探偵コンビ結成(意訳)の時の握手、はじめ『箕浦』は手を握らない。ぎょっとして『私』を凝視する諸戸。(情報量が多く忘れてしまったが、『私』が某かの反応を返してから)ようやく諸戸の手を握る『箕浦』。
  • 水責め時点から苦しみ出す『私』。冒頭で『私』が鬼を思い出した時と同じように喉を掻く。
  • 井戸の中「嫉妬している?」と『私』が声をかけた瞬間から、諸戸の目には『箕浦』が見えていない。ひたすらに『私』を求める。「ああ、嫉妬している」と答える
  • 箕浦』も『私』に襲いかかる諸戸のことを化物のようと言っている(セリフ正確に覚えておらずすみません。確実に恐ろしいと否定をしている)。そして『箕浦』は「死者を冒涜することになるから詳しくは言えない」と襲われるシーンを省略
  • 原作確認:そう、『私』も『箕浦』も「省略」する。これは原作にもあるセリフなのか?
  • 井戸出たときの諸戸の泣き笑いはなんとも表現し難い。変動するものでもありそう。なんというか、この時点で既に諸戸のライフ零になっているので、追い討ち受けたようなさま。限界越えた時みたいな表情。
  • 箕浦から受け取った手紙とは別にから諸戸の訃報を受けとる。ずっと語り部は『箕浦』。『私』は手紙を握り潰し憎そうな表情に見えた。なんか明らかに嫌悪してそうだったんだけど。諸戸が『私』へ伸ばした手を『箕浦』が宥めるように下ろさせる。成仏させるように『箕浦』が諸戸を連れ立ってゆく。


  • 白い毬を置いたのはスタッフさん?
  • 毬は風の動きを表しているけど、家の中に誰も居ない表現であると同時に(アフタートークの内容関係なく思ったのだけど)諸戸の亡霊が現れた表現なのか?
  • 君は美しいと言う人
    • 諸戸→『私』
    • 『私』→(記憶なくてごめんたぶん言ったよね)諸戸、秀ちゃん
    • 箕浦』言わない
    • 深山木→『箕浦』、諸戸
    • 手記の中の秀ちゃん吉ちゃん→(記憶なくてごめんたぶん)秀ちゃん (原作確認:手記の外では二人は声を発さないのは原作どおりか?)
    • 五郎失恋した相手
  • 『私』と『箕浦』は別人。また、《わたしである時は未来を知っており、《みのうら》であるとき未来を知らない。
  • 箕浦』も仕事内容は『私』と同じ。
  • 『手記の秀ちゃん』と『島で会った秀ちゃん』は別の存在。『島で会った秀ちゃんと吉ちゃん』は声を発さない。
  • 白い毬
  • 諸戸の衣装の汚れ見えた。すごく緑色に見えた。照明の影響すごく受けるから何色なのかわからない。『私』には黒いススのような汚れしかないのが気になった。諸戸と半々ではないのかしらん?
  • 『私』が明らかに《みのうら》に見えるのは井戸出たとき。『箕浦』が明らかに《わたし》になっているのは諸戸に襲われている時。上手からではここの『箕浦』の表情が見えなかったことが悔い。
  • 初回は焦点が集中し過ぎて見えていなかったけど《わたし》になっても『箕浦』ずっといた。
  • 『私』が演じる《わたし》は諸戸に向けて感情を込めた視線をすごく送るけど、『箕浦』をそのように見つめない。『箕浦』が演じる《わたし》は『私』にも感情の籠った目線を向けることがあるが、基本ずっと座って正面を向いて険しい顔をしている。
  • 恐怖とは襲いかかってくる諸戸で固定されている印象も受ける。ただ、それ以上にやはり『私』と『箕浦』の差異重要そう

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

めも・下書き

箕浦が諸戸の性愛を受け入れられない理由、私も最初世間体のようなものかしらと推理したけど割りとソッコーでなんか違うなと思った。

そうか、世間体を気にし、そこに拒絶の理由を望んだのは諸戸なんだね。

そして世間体とは諸戸の超自我でもある。

ここは諸戸のイドが超自我を壊して箕浦に襲いかかっている。

突然見ず知らずの相手から凌辱されるとなるとそりゃもう恐怖だけれど、箕浦は諸戸に何度も口説かれているのだから「改めて掘られかけたからって白髪になる程のもん? 箕浦くんどんだけだよ」みたいな超他人事の薄情な感想も少しあったのだけど、

ここは「諸戸の『イドが超自我を壊した』という恐怖体験」でもあるのだね。

スマボさん貴重なお写真ありがとうございます

演劇で白一色の衣装って割りとよくあるからあんまり深読みしなかったけれども、

「孤島の鬼」で「白」と言えば、箕浦白髪。諸戸の性愛を拒絶する色。

諸戸の衣装けが(外側は)真っ白であるならば、高潔、潔癖、嘘、なんかのイメージに加えて「諸戸の超自我世間体」みたいなものもあるのかも。

諸戸が生きる白一色の世界

その白い世界を消す暗闇。

「諸戸の衣装の内側の汚れは視力が足りなくて見えなかった」と言ったけれども、井戸の奥の暗闇の中では本当に諸戸の汚れがはっきりとは見えない・認識されなかったのだ。

追記。

原作未読×舞台観劇済み』の私と、『原作既読×舞台観劇』の友人とでひたすら「孤島の鬼」の推理をしているのだけど、これが非常におもしろい。

私は容疑が上がる度に「原作ではどうであるか?」を質問するのだけど、友人からドンピシャ舞台上で聞いた覚えがあるセリフが返ってくる。

まり舞台上で起こったことは原作での必要充分であったのだ。原作曲解してはいないのだ。

これは自分証拠漁りに原作を調べていては起こり得ない『脚本家と私達の原作認識が同じ』という発見をもたらした。

まぁ、友人の文学センスが冴え渡っていて『名探偵』であったから起きた事象可能性もあるけどね。

友人との対話の中で生まれ発見をいくつか拝借

  • 『秀ちゃんと吉ちゃん』、『諸戸の超自我とイド』、どれも望んでくっついた訳でも、対立した訳でもない。
  • から「『私』と『箕浦』」も彼ら自身意思で生み出したり解離したりする類いのものでは無いのでは? 理由道理も無いしね。
  • 原作『簑浦』どおりの『私』、原作『簑浦』とは印象が食い違う『箕浦
  • 同一人物であるはずの彼らをどうにも分け隔てているのは、諸戸の目線にあると思えてならない。
  • 諸戸から見た簑浦→『私』
  • 諸戸が見落とした簑浦→『箕浦

あ、そうか。「望んだ形とは違う」から名前が違うのか。

諸戸が欲しかったのは性行為を含む愛・《簑浦》。

プラトニックな愛・《箕浦》なら存在した可能性が微レ存だった。

『諸戸が見落とした簑浦からの愛の可能性・箕浦』は原作に対して創作にあたるから名前が異なるのでは?

追記。

これは「うみねこのなく頃に」ではないか

今夜の観劇観測検証する項目もっと精度上げていこう…

観劇後は推理を立て直そう。

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2017-01-12

http://anond.hatelabo.jp/20170112152855

天皇の要不要と国の要不要をごちゃ混ぜにするなよ。

元号ガンダムで言えば西暦よりも宇宙世紀の方が世界観が出てカッコ良いのと同じ種類の価値がある。

天皇日常の中の非日常感の演出に一役買ってる運命づけられたコスプレイヤー

価値なんかそれだけだよ、演劇なんだから

アニメ天皇もそれで経済が動くとかい正当化があるけど、興味がない人間には本当にどうでもいいし趣味押し付けられると鬱陶しい。

天皇制天皇ファンダムけが買い支えればいいものを無関心な他人布教して自省しない国家規模のゆすりたか集団という点で、国家に対して害悪

2017-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20170104015325

ひどい言い方になってしまうがって前置きの通りほんとにひどいこと言うね…。

自分は男でMマス好きだけど、まさかそんな風に卑下されてるなんて知らなかったしすごく悲しい。

疑似的にメンバーになりきるって感覚も全くわからないし、男性ノリだから好きなわけでもない。

少なくともステージの上の彼らにサイリウム振ってる時無理をしてるという感覚自分にはないよ。

自分声優については男女関わらず疎いし、声優名前とか私生活とかほとんど興味ない。

でもステージ上の彼らは確かに格好良かったし、それは普段ダンス演劇を見て感動したりうっとりしたりする感覚と何ら変わらない。

そういう自分にとっては素直で真っ当な感動を「ウェイウェイ系男子学生に疑似的になりきる」なんて文章揶揄されるのはすごく悲しいし不愉快だと思った。

お前が言うなと言われそうだが」「ひどい言い方になってしまうが」

色んな前置き書いてるけど、多分自分がどれだけ悪辣なこと言ってるかあんまり自覚してないよね。

本当に悲しい。

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