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はてなキーワード: 外国人とは

2016-08-24

英語

そんなに使いもしないのに、英語学習にすごい時間お金をかけてる。

中途半端状態が一番コスパが悪い。

英語小説読めたり(*1)、出張外国人と歓談出来たりとプライドの保持には役に立つんだけど

まぁ、ぶっちゃけいらんわな。

いままで資源投入してきたし、やっぱキープするためにがんばろかな。嫌ややなぁ。

(*1) ハリーポッターの一作目は無理でした。諦めました。挫折です。

お金がMoneyでよかった

acquaintanceとかだったら覚えにくくてしょうがなかっただろうけど、Money(マネー)だったら子どもでも直感にわかやすい。

お金マネーは似ているから、子どもに「お金って英語でなんていうの?」と聞かれた時にお金だと直感的に理解させやすい。

お金って英語でなんていうの?」と聞かれた時に「acquaintanceだよ」だったら「アク…?」となり、絶対何回も「お金って英語でなんていうんだっけ?」と聞かれるし、覚えられないから「お金英語で言ったやつ」という覚え方をされると思う。

お金をMoneyと表現した昔の知らない外国人感謝

リスニングが出来ない(のはどう考えても教育が悪い)

旧帝大学生センターリスニングは42/50点(これが良いかどうかはさておく)、TOEIC/TOEFLは受けたことな

外国人の喋ってることが全く聞き取れないで苦しんでる

特にメジャーの中継とか解説が色々言った後実況と一緒にハッハッハッって笑ってるのに全然何言ってるのかわかんなくて笑えないしやばい

聞き取りできる順に、

=聞き取れる壁=

英語試験

センター試験

=まぁ聞き取れる壁=

映画など役者の声

=担当者によっては聞き取れる=

TED

BBC

CNN

=無理=

メジャーリーグの中継

こんな感じ

なぜ聞き取れないのか

というわけで分析

よくある順に、

一瞬分からない単語がチラつくとその後一気に全部倒れる

語彙力が貧弱といえばそうなんだけど、文章だと前後の文で分かってしまうので、「前の文」しか流れてこないリスニングだと、「後ろの文」を聴いている間に「さっきの単語の推測」まで行うことは難しい

単語の切れ目が分からない

単語単語の間を詰められれば詰められるほど脳が溶けていくのが分かる

知ってる単語2つでも間合いが詰まると未知の単語1つに化けていく

助動詞が聞き取れない

would=ウッド

will=ウィル

と覚えてると外国人はどっちも「ウッ」となるので聞き取れない

さらにはhaveはhasにもなるしhadにもなるし、見た目だと一瞬で判別できるけどリスニングでブチ込まれると混乱しかもたらさな

he isとhe hasの違いとかでぶっ壊れたりするのは読解じゃあり得ないけどリスニングでは茶飯

助動詞は時制とかに繋がってくるのがうざい

助動詞それからhaveの含まれ文章ダダーッと流れてきて「はいこれ未来形」「はいこれ過去完了」「はいこれ仮定過去完了」と変換するのは難しい

まり時制が分からんくなる

殆ど発音しない時がある

andとか。

主語が聞き取れない

I'd like to...

を「ァライクトゥ」と聴いてしまうので、

..like to..

と聞こえて「は???主語どこ???」となる

最低でも「ッドライクトゥ」と言って欲しいが奴らは「ァァライクトゥ」とか言ってくる

どもる

外人の実況どもりすぎじゃないか

日本アナウンサーが「わっわっ私もそう思います」とか「かっかっ彼は、彼は……」とか何度も言ったら池沼扱いだと思う

しか外人アナウンサーは平気で「アッアッアッアイスィンク」とか言う

従属節

whichとかthatにマルをつけて、従属節がどこにかかってるか図示する方法リスニングでは使えない

よってどこに何がかかっているのか謎化してしま

ある程度ヤマを張って文脈判断することが出来なければ一文丸ごと意味不明になるので白目をむくほかない

結局聞こえてくるのは

途中まで聞き取れていても、主語ねぇ、時制わかんねぇ、メインの動詞意味わかんねえ、後の文は総崩れ、という状態崩壊してしま

役者台詞とかならこういうことはあんまりないけど、普通英語圏の人の会話には全くついて行けない

「アム……アッアッアッアイアイアイスィンク……faweiojaf;woiea3h;adfja;……イッイズじぇ;をいあfjをいえ……」

って感じ

原因の原因

副詞」「助動詞」「助詞」とか「仮定法」「時制」「未来過去」とかそういう名前をペタペタ一つ一つの単語にはりつけていって分類し構文を脳に流し込むという教育が悪かったんじゃないかと思う

ネイティブが喋る速度と同速度でその会話文に「はい主語はい助動詞はい動詞はい時制はこれ、メインの文はこれ、従属節はこれ」って解析していくのが間違っている

しかし一度身についたものが容易にはがれるはずもない

まり教育が悪い

これらを解決リスニングが出来るようになる方法

もしかしてそれを期待して読んだか?

残念ながら解決法は見つかってない

おそらく解決するにはネイティブが喋る速度と同じ速度で「主語→(助動詞が来るかもしれない)→動詞動詞の指す内容→主語→……」が常に流れてくるということを体で覚え込むしかない

しかしどうすれば身につくのかはよく分からない

時制をぱっと判断しようにもhaveが高速で流れ去るし、時制判断を行った直後に動詞が来るから判断時間をかけていると肝心の動詞が抜け落ちる

編な省略は多いしどもるし発音しない単語あるしもうなんなんだ

キレそう

2016-08-23

ランチタイムになると水道橋駅前にはマクドナルドの呼び込みが立ってるんだが、障碍者雇用なのか外国人なのか知らないが、さっぱり何言ってるか聞き取れないんだよな。

「あえたえナゲッおかいろーろたいえおぉくなクーポんマゥドナルぇえす」

バックヤードに入れておくとかえってジャマになるとかそういう理由かもしれないが、もう少し呼び込みに適した人材がいると思うぞ。

聞き取れない大声は怖いから、黙ってビラ配りさせてる方がまだ客はくると思うんだがな。

http://anond.hatelabo.jp/20160822215330

フィ○ィもそうだけど、なんで一芸人、一タレント発言があそこまで取り上げられるのかマジで

日本語ペラペラの有名な外国人サマの発言からなの?

2016-08-22

自分はこうしてる

http://anond.hatelabo.jp/20160814180024

 

俺も元増田と同じで他人の考えに流されやすいのでマジレスする

 

自分で考えるコツ」ってわけじゃないけど、気を付けてるのは2点

 

ソース確認する

基本的なことだけど

ソースを探してみると、「~~は日本では規制されている」と書かれていたことが一定条件で可能だったり、「~~が少ない」と書かれていたことが実は一面的データだけを見ていたりすることがたまにある

 

置換してみる

要は1人ブレスト

 

人を置換してみる

「これが俺だったら」は基本として、「これが女性だったら」「これが子供だったら」「これが外国人だったら」など、いろいろ入れ替えてると何かに気づくことがある

 

場所を置換してみる

「これが公の場所だったら」「これが私有地だったら」「これが外国だったら」「これが東京だったら」「これが田舎だったら」などなど

 

時間(状況)を置換してみる

「これが戦前だったら」「これが江戸時代だったら」「これが深夜だったら」「これが勤務時間だったら」「これが私的時間だったら」などなど

 

事物を置換してみる

「これが傷害事件だったら」「これがなんの損害もない事件だったら」「これが18禁コンテンツだったら」「これが著作物だったら」などなど

 

 

なんか当たり前で、すまん

 

シン・ゴジラ後乗り感想

あんまりにも絶賛以外の初期批評ボコボコにされるのを見て恐れをなし増田に投下する所存

ネタバレあります


矢口描写

現実派の赤坂理想家の矢口という対立描写がされていたが、矢口が非常にできる人オーラを出しているのであまり対比が感じられない。

冒頭で矢口が巨大生物云々という空気の読めない発言をするが、観客からすれば「真実」を指摘しているわけで、この時点での矢口の未熟さを感じる人はあまりいないと思われる。

赤坂が「空気を乱すな」とたしなめるが、この時点で赤坂矢口感情移入する観客からすれば嫌な人でしかない。

その後も矢口は周囲のフォローを受けながら巨災対を回していくわけだが、失敗描写殆どないのでやはり矢口は有能に見えてしまう(よく見ると矢口1人では全く回ってないのだけれど)

よりわかりやすく示しても良いと思った。決定的な失敗をするとか、巨災対に陰口言われるけど成長して信頼されるとか。

はいえ、現状の構成にも利点はある。矢口感情移入すれば(そしてそれは容易であるヒーローとして楽しめるし、深読みすれば矢口成長物語としても楽しめるので。

実際この2人と、矢口-松尾コンビのやり取りは楽しく見ることができた。


■カヨコ

さんざん言われているけれど、やはり浮いている。怪獣映画であるとしても浮いている。たまにゴジラが一番リアリティないだとか、ヤシオリに向けたリアリティラインの降下要因だとか言われるが納得できない。

対人物と比較したときにカヨコが浮いているのは紛れもない事実である

人とゴジラ対話してチームでも組むならカヨコの存在違和感いかもしれないが、そんな荒唐無稽なことは起こらない。

ゴジラリアリティがないからカヨコにリアリティがなくても良いという主張は、実質映画の全てを免罪し映画自体評価を下げてしまうのであまりよろしくないと思う。

カヨコがいたかリアリティが感じられなくなりヤシオリを素直に楽しめたか?NO。

あのテンプレアメリカンキャラ付けルー語は勘弁して欲しかった。

個人的には老獪な紳士とかだと良いなぁと思います萌えるので。


ゴジラの生態

これはこの映画最大の魅力ではなかろうか?

前段で書いたこと、これから後段で書くことはあくま映画をそれっぽくするためのオマケ。

ゴジラの設定は最高だった。あのぶるぶるするちょっと残念なサンショウウオが画面に現れたときですら大興奮だった。その後のそれっぽい科学説明科学的に正しいかは問わない)もそれに拍車をかける

絶望感を盛り上げるWho will know (24_bigslow)/悲劇(熱線の時のBGM)もいいが、 Persecution of the masses (1172)/上陸も不気味さと不安感を煽る絶妙音楽だと思う。

日本武力の総力を投入しても基本的にはただ平然と前進し続けるゴジラ。お決まりの「やったか!?」。この古典的台詞ですら場面を盛り上げる。

そして熱線。かっこいいの一言に尽きる。まずガスをはき出してそれに引火し、炎が収束していくあの描写オタク心を存分にくすぐってくれた。ギャレス・エドワーズの熱線描写で大興奮していた自分にとって、あのシーンだけでもこの映画価値がある。

ガメラ2ラストのような火の海の中で暴れ続けるゴジラを遠くから描いたカットも最高。そして全てが終わった後、エネルギー切れのロボットのように眠りにつくゴジラ。1連の流れは”美しい”の一言に尽きる。この場面だからこそWho will knowも生きる。いきなりIf I died~で始まる歌詞無駄示唆的でよい。

その後東京にたたずむゴジラを見たときは少々ギャグっぽいなと思ったが、熱線を掃き終え眠りにつく描写のかっこよさはそれを上回る。

熱線描写までは積極的破壊をしないところも評価したい。サンショウゴジラはただ進んでいるだけだが、それだけで甚大な被害をもたらすという絶望感は心地よかった。それは見慣れたゴジラの姿になっても変わらない。

従来策のように、なんでビルに戦いを挑むのかと思わせられる部分はなかった。


■前半と後半の乖離

前半部分の完成度の高さに比べて、映画後半はどうしても見劣りする。

ゴジラという強大な存在感に支えられていた映画が、外国という相手しかも顔も言葉も見えない!)にその対象を変えたことで一気に魅力が薄れてしまった。

この映画に出てくる外国人は、漫画テンプレか、顔の見えないよくわからない相手である。正しく世相を反映しているのかもしれないが、ずいぶんと内向的な描き方だと感じる。

さて、後半魅力が薄れた理由は核攻撃とそれに対する主人公達の反応に説得力がなかったからだと思う。露悪的な見方かもしれないが、突然嫌悪感を前面に押し出す主人公達の反応があまりにも唐突に感じられる。

攻撃有効性は巨災対の中でも認められている。勿論自分絶対にノーだが、この映画は前半で日本にとって東京いかに大切かを延々としゃべらせているので、地方在住の自分としては「地方だったらここまで抵抗するか?」と穿った見方をしてしまう。

理想化の矢口の反応はわかるが、ここで赤坂感情的になるのも解せない。日本人皆の共通認識と言えばそれまでだが、もっと説得力のある反対理由が欲しかった。ぶっちゃけ核がゴジラにきかないのでは...?という手応えが欲しかった。

既に東京ゴジラにより破壊汚染されているわけだし。

ヤシオリ作戦カタルシスに欠ける。絵のシュールさも勿論、電車爆弾程度でゴジラが転ぶのか?と思ってしまう。脚本の都合上仕方ないかと思うが、観客に仕方ないと思わせている時点で失敗といえる。

地面を爆破してバランスを崩すとか、そういう描写の方が説得力があったかもしれない。

口に散水車で液体を流し込む絵もあまりにもシュール。ヤシオリというかヤケクソ。

前半は素晴らしく没入感のある映画だっただけに、後半冷めてしまったのは本当に残念。とはいえ前半があったが故に後半もまあ許せるかぐらいの気分にはなれるし、この映画を良作たらしめている。


政治云々

初代ゴジラには議会ゴジラ情報を統制したい与党っぽいおじさんと、事実公表しろと迫るおばさんのやり取りがあったりする。

一方シンゴジラでは政治描写殆どない。基本的には現内閣とその下部の各省庁から集められたチームが職務をこなす様であって、あれは行政と呼ぶべきだろう。

ゴジラが海に帰った後、国会でのやり取りがあっても良かったかも知れない。それこそ初代のようなやり取りを。民主主義云々言うのなら国会野党を欠くのは片手落ちである

科学者へ無邪気な信頼を置いているのも気に掛かる。今作はわかりやすいほどに震災モチーフと言われているが、であればあのとき科学がどういう状況だったかを考えるとこの映画は無邪気すぎる。

あのとき間違えたものも正解したものもいた。にも関わらず今作の巨災対の科学への絶対的信頼は怖い。

彼ら・彼女らは行政人間ではあるが同時に科学知識を持つ専門家としても描かれている。そのギーク達が超人のごとき活躍。本当に福島を扱いたいならあまりに呑気ではないか

これは穿った見方をすればギークが有能な指導者に見いだされ日本を救う物語とも取れる。この設定は映画の魅力を損ねるわけではないが、高める訳ではない。

また日米の主役である矢口とカヨコは両者とも世襲政治家で若くして高い地位についている。きっと矢口支持率も高いのだろう。親の七光りも存分に使っている。

これが皮肉なのかどうなのかはわからないが、その上矢口は(危機はいえ)小休止時にシャワーもせずに働きづめで有り、皆もそうであることを賞賛する。

庵野が描いた主人公がこのような仕事人間なのは興味深い。


総評

良作。見て損だと思う事は絶対にない。見た人を必ず楽しませてくれるはず。

一方で気になる欠点存在し、その欠点を吹き飛ばすには後半の尻すぼみもあり傑作とまでは言えないと思う。

ゴジラ割りと面白かったけど不満点はそれだけか?

http://anond.hatelabo.jp/20160821212820

一回しか見てないんで見落としてるだけだよってだけかもしれんけども


追記:

  • 忘れてたけどこの国かの国うるさい。「この国を見捨てずにやりましょう」(だったっけ?)じゃなくて「最後まで諦めずに頑張りましょう」じゃね、ふつうと思った。皮肉で彼の国っていうのはありですけども
  • あと俺も一回しか見てないよ。しかも一週間以上前なのでいろいろ不確か

2016-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20160820225656

調べてみたら1990年以前のオリンピックって柔道体操レスリングバレーボールくらいしかメダル取れてないというか決勝に残ってないやん

陸上競技外国人名前ばっかりになるの当たり前やん

横浜DeNAベイスターズ親会社DeNAになって4年の中畑清時代を経ての5年目にアレックス・ラミレス監督になってペナントを戦っている。

何もベイスターズに限らず、過去現在を問わず采配、起用がどうしたという事に文句を言いたい人は多いらしい。

例えば今年新外国人としてJ.ロマックを獲得したが、獲得や起用に応えるような成績は見せることがなく、現在は2軍暮らしになっている。

シーズン途中に獲得したエリアン、最近1軍初登板で類を見ない鮮明なデビューをみせたブロードウェイ

あるいは国内選手にしても、采配がおかしいという声はあちこちにある。




では、チーム監督コーチというのはそれほど絶対的権力行使できるのか。与えられているのか。

Noだと思う。

ロマックは最終打席に四球を選んだが、3打数安打打率1割1分8厘。その姿に「我慢限界にきている」と手厳しかった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00000111-dal-base

今年の6月デイリースポーツ記事だが、この我慢限界はどこへの限界なのか。


選手監督コーチもそれぞれチームとの契約である

ロマックに限らず野球選手としての成績や指標はそれぞれ一定のものは残してきているが、彼らは現場では求められた仕事とは遠い現状がある。

編成・スカウトといった裏方の人間にとって自分たちが探してきた人間が求められた役割果たしていない、特に助っ人として獲得するにあたって国内選手より選手契約のものにかかっているコストも少なくはない。

とすれば、そのような裏方からは「自分たち工数を計上し、(国内選手に比べれば)難しい状況で、それなりに費用をかけて獲得したのだから一定の期間は使い続けて様子を見てほしい」というようなリクエスト現場に飛ぶのは良し悪しを別にして、よくある事だ。

さて、冒頭の話に戻したい。

招聘され契約によって就任したチーム監督などの現場要職に就いて試合を戦う人間試合に勝つことを求められるだろうが、このような裏方の要請を「勝ちにつながらないので断る」と拒絶できるだろうか。

特に契約している選手に信賞必罰であたっている球団であれば、そのような裏方の人間本来相当首が涼しくなるはずだ。なんなら首が胴から離れてもおかしくはない。

そう、おかしくはない…はずなのだ




チーム監督や、あるいはオーナー球団社長等の名前という分かりやす看板を叩きたくなる人は多いだろうが、そんなサンドバッグのような役目も抱き合わせにされ、契約社会よりも社内政治が勝るだろうチームを率いるのに、本当に充分な権利権力待遇が用意されているのだろうか。

2016-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20160819011617

ギャレスゴジララストサムライ世界のような外国人想像する架空日本が出てきたときコメディかと思った。

でも狂おしいほどのゴジラ愛はわかった。

ホンマもんのオタクなことはよーくわかった。

シンゴジラは、ゴジラ音楽自衛隊音楽は、旧シリーズから流用してるけど、ぜんぜんリスペクトがないね

ネタとして笑い者にしてる感じがして嫌だった。

http://anond.hatelabo.jp/20160819145045

中山教習所だと松田さんだっけ、大盛りの牛丼食べてた子がよかった。

野村くんと賀来くんの微妙関係もよかった。



あれが好きならセトウツミもいけるんじゃないかな、と思った。




自分の好きなの、というか、今回のような邦画うんぬん売上うんぬんの話については、

「下衆の愛」が示唆的だったと思う。

インディーズ映画を撮ってるといいながらもうまくいってないワナビ状態主人公渋川清彦と対置するように、

メジャーへ行って大衆受けの作品を撮ってる古舘寛治が出てくる。

しかプロデューサー外国人劇場の入口でポストカードを手渡ししてくれたんだけど、

映画を作ってる側もこういう意識はあるんだなーって思った。



なんの話をしてたのかわからなくなっちゃったな、もうしわけない。

多様性のない会社は 優秀な外国人を雇えない

多国籍企業ダイバーシティとか多様性を求める理由がわかった。

つの人種民族が大多数を占める企業はそれ以外の出身の人にとって魅力的に映らないのかも。

会社の働き方に柔軟性も出ないだろうし、もしかしたら革新的な案も出ないのか

2016-08-18

趣味としてのポスク

スクロ(ポストクロッシング)というのがある。

英語サイトだが、住所を登録して、「ハガキを出す」的なボタンを押すと海外の見ず知らずの人のプロフィールと住所が出る。

そこで相手プロフィールから、喜んでくれそうな絵柄の絵葉書を送り、無事相手に届くと

今度は自分宛に、海外の見ず知らずの人から自分プロフィールから熟考して選んでくれたであろう絵葉書が届く。

基本は、こんなプロジェクトである

絵葉書といっても、いざ買おうと思えばあまり売っていない。

例えば今回絵葉書を送ることになった相手が64歳のドイツ人男性で、プロフィールに「私は飛行機が好きなので、ぜひあなたの国の飛行機の絵柄のポストカードが欲しい」と書いてあったとする。

でも、いざ飛行機絵葉書を買おうと思っても、案外見つからないものである

東急ハンズに行っても、ロフトに行っても、ジュンク堂文房具コーナーでも見当たらない。

空港に行けば売ってそうだが、絵葉書一枚買いに行くために行くのもバカバカしい。

じゃあ、飛行機以外で、このドイツ人男性はどんな絵葉書を送れば喜んでくれるだろうか。

そんなことを考えるだけでも楽しい

また、ポスクロをやっているうちに、切手世界も奥深いことを知る。

例えばインドネシアの「可愛い犬や猫が好き」という15歳の少女に送ることになったとする。

絵葉書は、日本から送るってことで柴犬赤ちゃんの可愛らしい写真絵葉書を送るとして、

じゃあ切手は「ほっとする動物シリーズ」のグリーティング切手を貼れば喜んでもらえそうだ、とか、

あるいはハローキティ切手なら喜んでくれるかな?って考えたり。

郵便局で新発売の記念切手を常にチェックするようになり、金券ショップヤフオク記念切手安く買うようになったりする。

ちなみに、ハガキ一枚を海外に送る場合、どこの国に送ろうが一律70円だ。

70円切手というのは、海外文通週間記念みたいな記念切手が出ない限り、売っていない。

なので、今現在手に入る切手いかに70円分貼り付けるのか考えることになる。

相手が喜びそうな絵柄の切手いかにして組み合わせるか。切手にこだわるのもわかる。

ハマればとにかく切手代にハガキ代がかさむ趣味ではあるが、忘れた頃に見ず知らずの国から絵葉書が自宅に届くなんて夢のあることじゃないだろうか。

また、絵葉書の住所を書く欄には英語挨拶程度のことは礼儀として書かなくちゃならないので、

普段生活では書くことのない中学レベル簡単英文を捻り出さなければならない。

慣れれば簡単だが、最初のうちは簡単英文を書くのにも苦労するが、それも楽しい

また、ポスク初心者は「今は世界的に日本アニメが人気だからドラえもんセーラームーンエヴァンゲリオン絵葉書を送っとけば大体喜ばれるだろう」という考えに陥りがちだが、

ドラえもんなんてつい最近アメリカ放送が始まったばかりのレベル世界的には全く知名度がないし、

外国ではアニメ子供だけのもの大人が見るものではないという考えが一般的である

ましてやセーラームーンエヴァンゲリオンなどの美少女萌えイラスト外国人からすると見馴れない絵柄であり、

変態っぽく見えて気色悪いものに見え、生理的に受け付けないレベル嫌悪する人が圧倒的に多い。

YOUは何しに日本へ?」とか、「所さんニッポンの出番」とかを見てれば、まるで世界的に日本アニメが人気のように思うが

ごく一部の一握りしかいない、外国人アニメオタク大袈裟に取り上げているにすぎない。

日本でも、例えばネットをしていれば、まるで日本人全員が「ラブライブ」を見ていて社会的に大ヒットしているかのように騒いでいたのは記憶に新しいだろうが、実際社会に出てみれば「ラブライブ」なんて微塵も知らない人のほうが多い。それと同じだ。

アニメ絵葉書を用意していても、滅多に使う機会はない。極稀に「日本アニメが大好き!」という海外少年少女に当たることがあるが、本当に少ない。

それどころか、「マンガアニメポストカードお断り」と書いている人のほうが多い。

アニメ絵葉書希望されても、トトロもののけ姫などの宮崎アニメ程度である

トトロ絵葉書は持っていて損はない。

また、ディズニー絵葉書は全世界ウケるだろうと考えがちだが、ポスクロの世界ではディズニーよりムーミンのほうがウケる

ムーミン絵葉書を求める人はかなり多い。ムーミン絵葉書マスト

結局のところ、メインで送る絵葉書地元風景写真富士山スカイツリーなどの日本名所、

浮世絵仏像などのいかにも日本らしい絵葉書を送ることが多くなる。

それでもポスクロをするにあたって絵葉書は何枚あっても損はないので、色々買い集めることになってしまう。

自分の送ったハガキ相手ものすごく喜ばれると、ほんと送った甲斐があったなーと。これがあるから辞められねえ!って思っちゃうよね。

趣味がないとお嘆きのあなたに是非おすすめ趣味である

って長々書きながら、俺も一度もやったこと無いんだけどね!(始めようと思ってる)

まりゅう」「もうたくとう」でなぜあかんのか

オリンピック見てます

中国卓球の馬龍選手、強いですね。

で、ちょっと馬龍選手をググってみました。

そしたら「まりゅう」でなくて「まろん」と書かれているサイトがいくつか見つかりました。

ていうか、「なぜ現地語発音の『まろん』て書かないのか?」てサイト

いや、普通に考えたら「まりゅう」だろ。

昔、中国との協定で「自国の読み方をする」って決めましたから。

で、もう一度「中国語」「現地語発音」でググってみると、質問サイトとかで質問者が吠えてますね。「なぜ現地語発音しないのか」と。

例えば

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6570812.html

いや、それ無理ですから

理由は2つ。

中国語方言が多すぎて(というか、全く別の言語と思えるほど方言がきつくて)、「まろん」だけでは北京周辺しか通用しないのです。

現地語発音できない場合があるのです。

例えば、日本人は th の発音ができないし、フランス人は h の発音ができない。中国人日本語のバとパの区別ができない。

原啓さんがフランスに行って、「アライロシ」と呼ばれて、「いや、アライロシじゃない、ハラヒロシだ。もう一度言ってみて。」なんて言うのが正しいのか、てこと。日本語読みをフランス人強制するのが正しいのか、てこと。

以前ドイツに行ったときホストファミリー名前に o ウムラウトがあって、どうしても発音できず(大学では第二外国語ドイツ語だったのにね)「メヒトヒルデ」と呼ばせてね、といったこともある。私の名前外国人には発音しづらくて、妥協案の「アッキー」って呼んでもらった。

それでも「現地語発音しなさい」というなら、すればいい。でもあなたの「マオツートン」、「猫沢東」ですから

動画サイトで見かける外資動画広告アフレコ

ここ最近動画サイトでの動画広告が百花繚乱で、当たり前のように増えてきた。

伝統的なチャネルと違い安価なので、新興企業外資などが積極的活用しているのは、面白いなとは思うのだが…。

外資CMは大抵、母国語英語版CMがあり、それを日本語翻訳したスクリプトがある。

ここまではいいのだが、なぜかアフレコが、音声ソフト日本語をしゃべる外国人がアテている事が多くて、複雑な気持ちになる。(なぜなら日本語イントネーションアクセント違和感を感じるレベルおかしいので)

しかプロじゃないにしても安価アフレコをするのは、簡単なご時世に(ましてや海外からなおさら簡単なはず)なぜ、画竜点睛を欠くのか理解が出来ない。

スクリプト翻訳まで一生懸命金使って、なぜ最後の音声で手を抜いて全てを台無しにしているのだろうか。

ちなみに違和感を感じるのは某ホテル予約サイトの一部の動画と、某国観光局動画最近見たものではそうだった。

さすがにFMCGではそういう手抜きをしていないのはさすがということろか。

2016-08-17

シンゴジラみえ邦画オタクの悪癖、あとオタク限界

映画面白かったよ

テンポがいいし政治劇もおもしろい、大人も楽しめるいい映画だなって思った

この映画制作委員会方式ではないらしい

からいろいろな出資者配慮することな面白いものができたんだろうね



邦画の悪癖

でもこれが海外から見るとどうなるかと言ったら安っぽいCG

みょうな日本人がひどい英語アメリカ人を演じているというまるでコメディのようなものだろう

外国人邦画にしてはCG頑張ってるよねとかそういう親目線評価しないだろうし

石原さとみってECC英会話頑張っててさ~日本人にしては頑張ってるよとか、ファン目線擁護はしないだろう



何が言いたいかって、この映画、まるで海外市場意識していないということだ

せっかく委員会方式採用していないのに、なぜカヨコ役をアメリカ人に任せなかったのだろうか

制作委員会方式であったら事務所ごり押ししてきたんじゃないかとか理由をあげられるが

そうでないなら、あの石原さとみは誰の希望キャスティングされたのか。庵野か?



ネットでは題材が内向きでよくないなんて意見もあるが、そこは悪くないとおもう

日本で起こった311での題材をゴジラを通して見せるというのは本当に見事だったと思う

しかキャスティングでの内向きさは邦画のよくない日本芸能村という閉鎖的な面をさらけ出しているなと感じた

せっかくのチャンスなのに、自ら村根性を出してしまった

これはもう癖のようなものじゃないだろうか



そして海外マーケティングなどがなされていないのが本当に残念だ

無理やり外国人ねじ込めと言っているわけではない

物語アメリカ重要存在

これ幸いとばかりにアメリカとの関係が描けるのにそれを生かそうとせずに

日本芸能村の内輪でことをすましたことが残念だということだ

石原さとみに下手な英語を話させることのどこに作家性の意義があるのかよくわからないが

結局かわいい子がでてれば良いという、邦画のしょうもないスケベ根性しかなかったりするからあきれる



オタクの悪癖

オタクという生き物は、ほんとうにめんどくさい

めんどくさい例はあげればきりがないが

今回の場合で言えば、その気がなくても好かれたいってやつだ

これはつまり海外のことを意識なんかしなくても外国に褒められたい、消費されたい

海外マーケットに合わせた映画作りなんかしなくても、俺らは支持されるんだよねという願望のようなもの

シンゴジラ批評オタクたちが大好きなもの

シンゴジラ恋愛ないし家族愛描いてないけど面白かっただろ?邦画ってすぐ恋愛入れたがるじゃん?」

オタはすぐ自分たちが気に入らないなにかを馬鹿にする

恋愛があろうが、家族愛があろうが面白い映画はあるし、逆に、それらがなかろうが面白くない映画はある

結局映画の出来と関係ないもの比較して勝利宣言をしているのがオタクの癖だ

しかしたらカヨコを石原さとみにまかせたのもアメリカ市場に媚びたくないというなにかしらのオタの癖なのかもしれない

そうなってくるとオタクの才能に任せるのも問題だなといえる



オタク限界

結果ツイッターはてなではあれだけ盛り上がっているが、結局興行成績は目標50億というところだという

なんともいえない数字

成功か失敗かといえば成功だが

しか庵野秀明ゴジラというブランド、そして名作だという評価をもってしてもこの程度が限界なのだという事実

庵野自身も、エヴァンゲリオンで好きにしてQで崩壊しているのに、まだオタクという生き物は作家性を崇拝し

そして組織馬鹿にする。都合のいい成功事例ばかり抽出勝利宣言のようにほかの邦画をくさすわけだ

2016-08-16

最近テレビキモイ

最近テレビきもいな~って思うのがある。

日本にきた外国人日本のことほめさせて、え~それがすごいの~それ日本じゃ普通なのにな~!!

ってやってるのホントキモイ

はいろんなとこ旅行しても毎回日本がやっぱり最高だ~!って思うくらいには日本が好き。

でもわざわざ外国人捕まえてやらせくさく日本ほめさせてるのすごい吐き気がする。

というかみてて恥ずかしい。情けない。

しか白人ばっかりだし。中国人とか全く映んない。

白人コンプでててはずい。

日本技術を学びにくるみたいなのも同じ。

日本外国から褒められるくらいすごいんだよ~!!普通なのにな~!!

みたいなお世辞いわれて謙遜しつつも自慢する女子高生みたいな感じとても無理。

なんで外国人絡めるんだよ普通に日本のいいところを紹介してくれればいいのに

なんでこういうのが続くのかなって思うけど多分おじいさんおばあさんが好きなんじゃないだろうか

自分の家の祖父母も毎週とても楽しそうにみてる。今テレビこの辺の世代がよく見てるしね…

日本人って外に弱いのかな。ポケモンGO外国で絶賛されたってことがあったかメディアでの批判が軽くなったような気がするし。

ホント日本をすごいっていってくれる人もいるんだろうけどこれらの番組とてもうすら寒く感じるのは私だけなのかなあ

原発基地とハッテン

41歳、ゲイです。

ちょっと右より。

ただ、原発米軍基地周辺の住民不安さも分からないこともありません。

そこで提案します。

原発20km圏とかそのくらいの住民を退去させ、原発をすべてフル稼働させます

で、ゲイ移住させます

どうせ子供も作らないし。

米軍基地も影響のありそうな地域住民ゲイに限らせます

ゲイ沖縄好きは多いです。

一定数は外国人が好きです。

そしてそれらの地域日本国から独立し、一つの国とします。

ハッテン首長国

経済日本国からの援助でまかないます

仕事をする必要がありません。

国民は朝から晩までハッテンに明けくれます

ゲイ福祉事業関係者が多いことからも分かるように、基本的貧乏です。貧しくてもセックスができれば満足しますので、日本国負担も少なく、ウィンウィンの関係となります

僕が首長になります

中国人友達の『シン・ゴジラ感想

シン・ゴジラ中国人友達28歳♂(日本大学学位取得後、仕事日本で見つけて働いている)と一緒に見に行った。

俺にとっては2回目の鑑賞、彼にとっては初見だったが、めちゃくちゃはまったらしく、結局、もう一回みることに。

その後、お茶しながら、彼がいろいろと感想を語ってくれたのだが、興味深かったので書き残しておく。

(※彼の承諾はうけています


1. ゴジラ怖すぎ、強すぎ

レジェダリー版のゴジラは見たことがあるという友人。あらゆる武器がほぼ無効シン・ゴジラ絶望しか感じなかったとのこと。

個人的には、レジェダリー版の方が防御力最強のような気もするが。ま、撃ってみなければ分からないが)

第二形態気持ち悪すぎてみてられなかったらしい


2. けど、日本語早すぎて聞き取れない箇所多数

1回目の鑑賞では流れを追うことも出来なかったぽい。ヘリコプターのシーンの意味が分かったのは2回目で、ようやくありえないことが起こっていることがわかったとのこと。

あんなシーン、中国では作れるはずがないし、たぶんハリウッドでもなさそう。やはり日本人はどこかおかしいとのこと。


3. 自衛隊すごい、反面・・・

自衛隊士気の高さ、統率の取れ方、精確な攻撃に驚いたとのこと。おそらく建国期・朝鮮戦争辺りの中国も、少なくとも士気の高さでは日本には劣らないはずだが、

それ以外の点では劣る要素しかないのではと思った。というより、映画で思ったのは、もし上海とかにゴジラがやってきたらどうなるかということ。

自衛隊なら映画と同じように守ってくれそうだが、たぶん、中国ではそう上手くいかない。そして、なによりも、アメリカとか他国が助けてくれない。

この点に打ちひしがれたとのこと


4. 民主主義底力なのか?

はじめの長ったらしい閣議と後手後手の対応日本人風刺をするのだなと思ったが、それがそのうちに無くなり、洗練され挙国一致になる様は驚かされたとのこと。

政治家権力争いも特に無く、住民も素直に誘導に従っている。非常事態に際して、なぜ政府を信頼し続けられるのか。欧米日本映画空気のように当たり前に描かれる

現象中国人もっと目を向けるべきではとのこと。


結論 中国ではたぶん上映禁止

シン・ゴジラは、東京破壊されるので、一見中国政府好みのようだが、公開を許すと徐々に反体制派の聖典的な扱いになりかねないのではとのこと。

幸いシン・ゴジラは、かなり暴力的なので当局はそれを理由に上映禁止にできるので、たぶんそうしたほうがいいんじゃないかとも言っていた。


その他、石原さとみ上院議員の娘なのに柄悪すぎて笑ったとか、次の首都福岡なのか?とかも話にあがった。


なんか、僕が知らないだけでいろいろと間違っていることも多いような気もするけど、知日派のお隣の外国人感想ひとつとしては面白いのかなと思って書かせていただきました。

2016-08-15

インテリの俺が全力でシン・ゴジラ批評するゾ

シン・ゴジラを観た。

エンタメとしては面白い

だが同時に庵野および日本映画限界を示すドキュメンタリーのような映画でもあった。


この映画は、

復興ありき、

再建ありき、

日本にはまだ力がある、

立ち直れる、

そういう答えがもう先にある。

出来レースっぽい。


結論はこれ。もっと詳しく読みたい場合は先に進んで欲しい。


日本万歳の大合唱で負の側面を覆い隠す

これは映画に限らず様々な場面で3.11震災後なんども繰り返されていることだ。

力があるって主張をかたくなに、ほとんど反駁不可能イデオロギーのように保持しているのは、

しろ思考停止の弱体化にしか見えない。

俺は出来る!って盲信しているやつは、強いんじゃなくて自分の弱さを直視できないだけだ。


もっとも、3.11以降繰り返されてるそうした自己欺瞞的な合唱に飲み込まれることは、まぁ仕方ない。

この作品を取り巻く精神的な状況からして、ほとんど不可抗力であるし、それだけで作品のすべてを否定するつもりはない。

しかし、せっかくゴジラほどの大怪物召喚しておいて結果やっぱり俺らスゲーの大合唱かよ、と思わざるをえない。

俺らスゲーの出来レースゴジラ以外の他のテーマでやってくれ、と言いたくなる。

ゴジラというキャラもっともっと掘り下げるべきテーマを蓄えた宝庫なのであって、ゴジラをそんな自己欺瞞物語なかに埋もれさせて浪費してはいけないのだ。


新たな危機に直面すればこそそれに見合った国の体制を改めるよう反省を強いられ、

新たにテーマを掘り下げればこそそれに見合った映画手法発明するよう強いられる。

しかしそうした危機テーマである当のゴジラが、ほとんど空虚存在であるがゆえに(たしかわずかだが神として語られ、放射能の脅威を連想させていても、しかしそれが物語構造のものに関わることはない)、

日本万歳のその国の概念のもの反省を迫る映画にはなっていないし、その手法に関して言えば新たな手法発明どころかエヴァンゲリオンとさして変わらない。

(たとえばキャラクターについて言えば、感情を押し殺したようにして淡々と語る綾波市川実日子に、外国語を混ぜたご機嫌なアスカ石原さとみに、真意のわからぬまま無理難題を突きつけてくるゲンドウは〈あの国アメリカに、それぞれ入れ替わっただけである。)

シン・ゴジラエヴァンゲリオン庵野確立した様々な設定を忠実に引き写している。そこには反省発明も見つけられない。


もちろん何の変化もないわけではないが、

そうした変化が結局は日本の閉鎖的で差別的視野に同一化する点、

自分に力があると信じたいがために他国と異性に対する偏見を利用する屈折した日本男性視点に同一化する点は、

この映画保守的ものにしている部分である


石原さとみによって日本を弱小国として見る可能性が排除される

たとえばエヴァンゲリオンにはなくてシン・ゴジラには見られる新しい部分は、政治の前景化であるとともに、(それがつねに〈日本の〉政治である限りで)他国政府との交渉だろう。

ここに石原さとみが登場するわけだが、彼女キャラクターは、自信を回復したがる日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕している点で、やはりこの映画保守的ものにしている。


石原さとみのチャラけた演技は真剣に事案に対処している他のキャラクターに比べかなり浮いて見えるが、

しかしあれは日本男性の閉鎖的で差別的欲望からすると必然的な役柄になっているといえる。

演技がわざとらしいために良い演技とは言い難い、と思う観客もいるだろうが、しかしそういう演技も含めて必然的キャラのあり方だと思う。


日本米国の間に女性が入るというのは、日本からみて心理的必然性をもっている。

日本米国関係はいわばスネ夫ジャイアンであって、ジャイアンマッチョなところがあまりに出すぎると(たとえばジャイアンの力のみで事件解決したり、その力がスネ夫である日本に向かったりすると)、日本を守る日本人男性たちのプライドや虚栄心が傷ついてしまう。

そこで米国代表としてか弱い女性を置くことで、日本人男性日本人男性の力で国を守ったという体裁が保たれる。

かつ、あの日本語と英語を織り交ぜたヘンテコな日本語は、彼女をか弱い存在だけでなく変な奴として提示する。国際的観点からでなく、あくま日本人の側から見られた変人だ。

ここでは常識人変人の対は、内部(日本人)と外部(外国人)という対と本質的に繋がっている。変人変人であるのは、その者が外部から来た外国人であるからだ。

「〜アルヨー」とか「〜デース」とかい言葉遣いキャラが、日本人の側から見られた変な奴の象徴であるのと同じで、

彼女の奇妙な日本語は、他の日本人男性と観客とに米国でなく日本から観点を持たせ、その外部から来た変人として石原さとみを見させる。

視聴者たちが米国目線から日本を弱小国として見る可能性が排除される。


このようなわけで、この映画日本男性精神性の問題をそのうちに含んでおり、その点ははっきりと批判されるべきであるが、

しかしその限界をはっきりと映画のなかで示しているという点においては、そうした限界の記録として、ドキュメントとして、歴史的価値が大いにあると思われる。

その点では逆にこの映画評価されるべきだろう。

これほどありありと、日本的および日本男性想像力限界を示した作品はなかなか見つからないのではないか


風立ちぬ』にも認められるドキュメンタリー価値

この点ではジブリの『風立ちぬ』も同じだろう。

あの映画は、機械オタクの男が設計室に引きこもってひたすら戦闘機流線型フォルムにうっとりしているだけで、その戦闘機がどれだけ戦争悲劇を生んだか、とか、そうした男の機械オタクたちが生んだ戦争技術によって死んでいった女性への視点が欠如しているだとか、政治的またジェンダー的な観点からさまざまに批判を呼んだが、

しかしそうした戦中日本精神限界性をはっきりと示していたという点においては、ドキュメントとして大いに価値をもっている。

今回のゴジラもまた、同じような価値をもっているといえる。


こうして、批判されるべき部分は評価されるべき部分ともなる。

したがっておそらく、この映画において賭けられているのは、シリアスコミカル関係性ということになろう。これはどういうことか。


正しい反応とは、それを積極的に笑うというもの

さしあたりこれまでの論述で明らかになったことは、この映画限界証言するドキュメントとしては優秀であるが、それはいわば限界にはっきりと居座っているからであって、丁寧になぞっているからであって、限界を越えようとしているからではない、ということであった。

まりエヴァンゲリオン踏襲し、ナショナルものジェンダー領域において日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕するこの保守的映画は、

限界を自ら反復し、演じている、ということであった。

日本男性政治家米国女性シリアスセリフを交わす場面で、自身の力への欲望は満たされるだろう。

しかしまた、あることを反復し演じることは、つまりそれを真似することであり、その虚構性を示すことである

そう考えれば、シリアスものコミカルものに転じる。

そしてそれに応じて、批判されるべき部分は、評価されるべき部分ともなるのである


したがって、このように問うことができるだろう。

限界を反復することは、限界に居座ることであると同時に、限界茶化すことでもあるのではないか。つまり限界批判することでもあるのではないか

たとえばエヴァンゲリオンの設定を踏襲することは、新たな手法発明努力放棄することであると同時に、反復しているその設定を茶化し、批判することでもあるのではないか


そうであれば、シン・ゴジラへの正しい反応とは、それを積極的に笑うというものではないだろうか。

まりシン・ゴジラが何かを反復している限りでシン・ゴジラを笑い、またその反復によってシン・ゴジラが茶化しているものを笑う、と。

誰か、あの映画を見て笑ったものはいるだろうか。

あの映画は、諸手を挙げて受け入れられているように見える。

私はその反応をこそもっと批判したい。

2016-08-14

近所の宗教団体が21時過ぎにパーティーしててうるさい

住宅街違法建築された建物内にパーティーやってて騒いでる。

いかげんにしろよ。

日本人じゃない。

韓国語中国語か知らんが外国人の集まり

ほぼ毎日誰かが建物内にやってくるけどこんな立派な建物建てる資金はどこから出てるんだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20160814074929

あなた日本人である事や男である事で権利を守られている。

外国人ハーフであれば差別をするな!と権利を主張する事で、そもそも日本人が得られてた権利おこぼれを奪ったり分け与えられてるわけです。

マイルドヤンキー関係ありません。

日本人にとって人間価値というのは日本語が喋れる事や日本人であるという事しかありません。

別に英語で良いなら東南アジア人やらアフリカ人が腐るほどいるわけです。

日本人が生きる為に、外国人差別するのは仕方のない事です。

何故なら大半の日本人にとって、その人間価値というのは日本人であり日本に住んでいるという事しかいから。

ハーフに生まれ自分呪いなさい。

そして嫌なら死になさい。

誰もお前に生きろなんて言ってない。

2016-08-10

自称弱者男性が「男女平等振る舞うからモテない><」って被害者面しているのを見ると

いやあんたらは全然男女平等に振る舞ってないやん、女ばかりに粘着して攻撃しているやん、って思う

そういう男性陣は女を叩くのとは反対に、同じ男(一部の外国人障碍者を除く)相手には凄く大人しくて従順

女を本当に「男と同じように」扱っているなら、寧ろ男相手にするように下手に出るんじゃないの?

赤木智弘氏などが代表的だが。

「女を殴る(男は殴らない)」を

「女を男扱いしてやったぞ!男女平等だ!」と思い込んでるような感じ