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2024-03-17

anond:20240317115219

店舗側が客寄せのために赤字で出してるネタがあるとする。

たとえば大トロ半額キャンペーンなどで大トロだけをひたすら10皿以上食って自慢気にSNS投稿するやつがポイ活乞食界隈には実在する。私はそういう人を見ると気持ち悪くて吐き気がするが、珍しくもない光景だ。

ポイ活乞食はだいたい無職とかだったりするのでオープンと同時に殺到して赤字ネタだけを食べ尽くす。

当然ながらその店舗では早々にキャンペーン商品であるトロが品切れになる。

最悪の場合キャンペーン初日ランチタイムの時点で大トロが品切れになり、キャンペーン目当てで訪れた一般客が「品切れだ!キャンペーン詐欺だ!」とSNS投稿する。何度も何度も繰り返されてきた光景

店側が一人何皿までとルールを定めないのが悪いとする人もいる。

キャンペーン乞食問題転売ヤー問題にもちょっと似ている。

素人質問なんですが「素人は黙ってろ!!!!!!!!!!!」

Twitter見てると「俺は素人じゃないんだぜ」か「俺はこの分野では素人だけど地頭はいいんだぜ」って勘違いしてる素人素人質問といういちゃもんをつけてる光景をよくみる

大体こういう奴は馬鹿なので何いってんだおまえ????ということしか聞かないし、運良く答えてもらっても「なんでそういう解釈するの???日本語わかります????」レベル理解をする。馬鹿なので

2024-03-16

東京駅新幹線ホームの容量がヤバイw

東京駅東北上越新幹線は専用ホームが2面4線しかなく、ただでさえ容量が少ないというのに。

お隣の東海道新幹線はたった1路線なのに、3面6線も容量が確保されているんだよ。

2面4線の中で、東北北海道上越北陸の3路線乗り入れてくる。

平日朝の時間帯に行ってみると、カオスみたいな光景が見られる。

東京駅に入線した到着列車は客を出して直ちに車内清掃、そして乗客を乗せて直ちに発車。

これらわずか5分でやっている。

上野から上り列車が次々にやってくるので、これくらいの速さでやらないと捌ききれないのだろう。

本日3月16日は北陸新幹線の敦賀延伸という、記念すべき日である

しか東京人の私元増田からすれば、20~23番線ホームカオスが更にひどくなる光景しか思い浮かばない。

東京駅ホームの容量は一定なので、北陸の本数を増やしたら、どこか別の路線を削らなければならなくなる。

上野大宮発着、あるいは折り返しの営業列車とか作ればいいのに。

2024-03-15

anond:20240315194120

ああ、ただのつけ忘れ すまないな 意図理解できたようだね

理解できません テレビで四六時中素人に株を勧めてる光景なんてみたことないので

意図理解できたようだね

理解できないって書いてるんだけど、文字が読めない人?

意味理解できたけど認めたくない人がやる行為をしているからな

anond:20240315184017

ああ、ただのつけ忘れ すまないな 意図理解できたようだね

理解できません テレビで四六時中素人に株を勧めてる光景なんてみたことないので

意図理解できたようだね

理解できないって書いてるんだけど、文字が読めない人?

意味理解できたけど認めたくない人がやる行為をしているからな

こんなのただの嫌がらせ目的なんだから相手にするなよ

ああ、ただのつけ忘れ すまないな 意図理解できたようだね

理解できません テレビで四六時中素人に株を勧めてる光景なんてみたことないので

意図理解できたようだね

理解できないって書いてるんだけど、文字が読めない人?

意味理解できたけど認めたくない人がやる行為をしているからな

anond:20240315161315

理解できません

テレビで四六時中素人に株を勧めてる光景なんてみたことないので

2024-03-13

anond:20240313192108

頭の固い連中が既得権必死でしがみついて周囲を巻き込んで自滅していくという、よくある光景というべきか、、

家の周りに畑があった。生計の足しになってんだか、税金対策趣味レベルなのか、微妙分からんレベルの規模のやつが。

繁華街にほど近い都心部で生まれ育った連中から田舎と言われそうな、トーキョーといえば全部大都会だと思ってるような田舎から全然文明のある方だろと言われそうな東京西部郊外だ。

道路を挟んでウチのマンションの目の前にその畑の直売所があった。ガキの頃よくお遣いで行かされて、毎度オマケを持たされた。おれが通い始めた時はウコンとかよう分からんものを貰ってきて、姉におまけの豪華さでマウントを取られ大変不快な思いをした。曰く、自分が行けばトマトとかもらえるのにお前はウコンなんぞもろてきてどう食うねんと。

それでも通っていくうちにインゲンとか枝豆とか、トマトさえも貰えるようになってきた。ある日目当てのものがなくて手ぶらで帰ろうとしたところ、タダで数種の野菜を袋に詰めて持たされたのを割とよく覚えている。

そんな光景中学になれば無くなってきた。直売所が閉じたからか、おれが自我を持ち反抗期を迎えたからかは忘れた。

今やその手の地域ヌクモリティ的なものも煩わしいなと思う。事あるごとに「昔は素直で優しかったのにねえ」と言う母にイラッとして、人間は変わるもんなんです〜〜〜変化を否定すれば成長をも拒んでしまうんです〜〜〜いつまでも自我がなくて可愛かった子供記憶に縋りついててウザいです〜〜〜と反抗期のおれは心の中でそう思っていた。今でも全然思う。それでもやっぱり他人の親切に素直にあやかっていた時期もあったんだよなとも思う。

お遣いには行かなくなっても畑は以前在る訳で、家の周りの光景として、原風景の一つとして心に刻まれてる。好きからいかはともかく。

中学高校の頃、さっさと家を出たいという気持ちが常に頭の半分以上を支配していた時によく夢を見た。家の庭のフェンスによじ登って、夢特有のフワフワとした跳躍で畑を超えて行く夢だ。

逃げた先に何があったかは覚えてない。何もなかったかもしれない。少なくとも天国ではなかった。でも逃げる事に意味があった。

夢なんて大体理不尽不条理で謎の存在に謎に追っかけ回されるばっかりだし、脳のウンコしかない。示唆的なものがあるとかユングの類は全部まやかしだと思ってる。それでも家の裏の畑ばっかりは固有のモチーフとして何度も何度も出てきた。ウンコでも健康状態を知るのには役に立つのかもしれない。予知夢とかは全部嘘か偶然か思い込みだと思う。

夢に限らず、100mほどの畑沿いの道を歩くのは好きだった。夜中にひっそりと家を抜け出して、音楽聴きながら畑越しに見える団地電波塔送電塔みたいなデカ建造物をボーッと見てるとナイトホークスでも鑑賞してるような気持ちになれた。都会のダイナーには行けないけれど、郊外には郊外なりのものがある。

住宅街には住宅街の良さがあるとか言う人いるけど、おれは人の生活の息づきとかには何の魅力も感じない。人様の生活勝手に思いを馳せて勝手に感動するステーションバーめいた行為をおれは下品とすら思う。だから住宅街の静かな畑の特にまり返った夜中が好きだった。公園も悪くないけど、浮浪者とかおれの同類みたいな陰気ティーンや騒いでる学生風の集団がいたりしておちおち黄昏ぶってられない。

そんな畑もおれが高校卒業する手前辺りで、なんぼかを残しつつ潰されて家の建設が始まった。噂じゃ畑の持ち主はマンションを持ってて不動産収入があるらしい。やっぱり畑は本格的な仕事ではなかったんだろうか。

大学入って暫く経ってから一人暮らしを始めて、都心へよく行くようになった。今までは交通費も覚束なくて両手で数えられる程度しか行けなかった都心に。バイト先もわざわざ遠くの都心を選んだ。人の金で行けるのだから美味しい話だ。駅から駅の間を歩いても途切れる事なく繁華街が続く光景には心踊るものがある。夜中でなくとも歩いてて楽しい。夜中だと尚更楽しい

それでも人のいない静かな場所で過ごすのは変わらず好きだった。聖蹟のゆうひの丘までよく1時間かけて歩いて行った。カップルが多かったりしてちょっと落ち着かないけれど、高台から見下ろす夜景は畑越しに見える景色と通ずるものがあった。終電で行く冬の鵠沼海岸も夏の芋洗い状態が嘘みたいに人がいなくて趣深かった。多摩川もいい。場所さえ選べば人がいなくて、トランペット担いで行って一応ミュートつけて練習してみたりたした。「河原トランペットを吹く青年」を自分がやっている状況に興奮を覚えた。夜釣りと称して魚がいるか分からん場所で竿を振り回したりもした。ボウズのまま迎えた朝陽マジで綺麗だったし、なんか何かを急かされてるような気もした。この頃にはもう家の裏の畑を飛ぶ夢は見なくなっていた。

大学で色々あって最近また実家に戻ってきた。近所の景色マイナーチェンジはありつつ、まあたかだか数年の事なのですぐ目に馴染んだ。

畑の跡地の住宅地は、おれが出ていく前はほとんど更地だったのが割と家の形になっていた。家の骨格越しに電波塔が点滅する景色はなんだかディストピアめいた味があって、これはこれでちょっと好きだった。

施工は日々進んでいって、人気のない家の殻が出来上がって来る頃にはもう遠くの景色は遮られて見えなくなってくる。新しい住宅地の中には公園と称した小さなスペースも出来ていた。空き家に囲まれたそこで夜にタバコ吸いに行くのがなんとなくルーティンになっていた。

カーテンも張られていないガラスから工事用?の照明が付けっぱなしなのか、ほんのりと照らされるもぬけの空の部屋が見える。それを見ているとガラスをブチ割って土足で座り込んでタバコでも吸ってトレインスポッティングを気取ってみたい気分になってくる。廃墟どころか新居だし、そもそもそんな度胸はないので妄想まりだけれど。

つい最近からその住宅街にも一挙に人が棲み着き始めて、夜中に歩いていても家々から放たれる息づきからなんだか圧迫感のようなものを感じる。

件の公園日中はすっかりガキの遊び場になっているのを目にする内、なんとなく足が遠のいた。自分だけの場所地域の(幼い子供を持つ家庭の)共有物となってしまったような気分だ。元々おれの場所などではないのだけど。

それでも時々ベンチにストロング系のロング缶が置いてあったりして、なんとなく捨て主にエンパシーを感じたりする。

平成狸合戦ぽんぽこで描かれたような再開発へのメッセージとはまるで別種だろうし、開発といってもごくごく小規模なものだけど、おれはおれなりのイヤさを感じているのかもしれない。

おれは地域ヌクモリティがさァ!文化資本がさァ!とかそういう話がマジで嫌いだ。ネットでその手の話題が露悪的に語られがちなのもあるけれど、土地がどうあろうが各々の生き方次第だろって思うから。おれは構造主義より実存主義が好きだ。

そうは言っても都会なら都会なりに、田舎なら田舎なりに土地が育む心の特定の部位みたいなのはあるのかもしれんなって思った。

友人が創作活動で壊れてしまった

ちょっとバズったことで味を占めたらしく、睡眠時間を削ってひたすら創作活動に励んでいる。

睡眠時間の低下によるのか、なかなかバズらない焦りなのか、ストレス耐性が下がっていき言動が凶暴化してきてる。

バズ目的創作ばかりしているのでまともにストレス解消も出来てないのか、いつもずっとイライラしている。

エゴサーチの延長からネットウォッチにはまり即物的ストレス発散を求めてなのかいろんな人に噛み付いていてそのうち炎上しそうである

消費活動だけノンビリ楽しんでいればよかったのに、なんで一度変にバズっちゃったんだろうね。

パチンカス誕生と同じような光景を目撃しているのかも。

はやく創作活動から足を洗って真人間に戻って欲しい

anond:20240313160138

これ

田舎に通した幹線沿いが栄えてバイパス通す時に市街を逸れて通すとまた新しい幹線沿いが栄えてまたバイパス通す時に…という現象があることは学問的(分野は忘れた)に言及されてる

実際グーグルマップで十万人規模の街眺めてたらよく見る光景

2024-03-12

外見の劣りや醜い部分を整形するのは卑怯なのか否か

よく「整形はズル」とか言うのいるけど

じゃあ「ブサイク」「気持ち悪いチー牛」「ホビット」「顔隠せ」と言われて来た存在が、整形で人の面に改造してもらったり、豊胸や骨延長手術で体系を作り変えることは悪いことなのか

醜い、気持ち悪いと嫌悪されたから、金と技術自分を改造したら、今度は「ズル」「詐欺」「全く努力してない」と罵られる光景は、何か見てておかしいと感じる

要するに叩いていいと思ってた存在がそうでなくなるのが嫌だから理由をつけてイジメたいんでしょ?

2024-03-11

じしんのひ

私は生きている。

それを胸抱えて日々を過ごせば過ごすほど、あれは一体何だったのだろう空を仰ぐばかりだ。

何年経とうがあの日自分はずっとまだ昨日にいる。

家も消え、土地も消え、人も消え、思い出になる前の記憶さえ消えた。

自分けがまだ、3月11日に取り残されている。

死体が浮く街を歩いた。水が引いたら、何キロも先にある同級生卒業証書自分の家に流れ着いていた。やれることをやるしかないと笑えば、時折鳴る着信から友人や恩師の訃報が届く。

偶然誰かに会えたなら、そこでようやく互いに安心できた気がした。会えたら生きてる、会えないなら死んでいる。そんな日々が続いて、誰かに会うのも嫌になりかけた。

仮設安置所に踏み入れば、眼下に真新しい棺桶が広がる。途方もなく、隅から隅まで、ボーリング場だったらしいその場所に、四角い木の箱ばかりが広がっていた。そうして、端から端まで歩いた。知っている名前が無ければいいのになんて考える前に、知ってる名前ばかりが並んでいた。私に楽しさを教えてくれた人も、私にいじわるした人も、私が優しく出来なかった人も、ちゃん名前が書かれていた。この光景は、何だったんだろう。何を恨めばよかったんだろう。それを自分に問うてしまったら、その答えは「そのうち会える」と機会を先延ばしにしていた自分を恨むしか他にないのに。これは一体、何なのか。誰かに答えてほしかった。

私は生きている。私はその選択肢を選び取った。そのせいで、私が座るはずだった場所に座った誰かが死んでしまった。私は怖かった。初めて行動の取捨選択で見知らぬ誰かと命のやり取りを終えてしまたから。私はそれがすごく怖かった。こうして文字にできるまで今日までかかってしまった。手など合わせられない。自分が死んでいたら、死なないはずの子がいたはずなのだ。私は怖かった。これは何なんだろうと。親にも友人にも、この恐怖だけは一生言えないままだと気づいたときにはもう、何も出来なかった。私は今でも地震の揺れや津波よりも、それがとても怖い。きっとだれも私を責めてくれないのだから

3月10日のことを想う。読んでいた小説も、私の名を呼ぶ祖父の声も、適当に送り出してしまった父の背中も、履いていた靴も、カサついた母の手の温かさも全部全部全部鮮やかだ。

3月11日のことを想う。年上のお姉さんがくれたアーモンドチョコの美味しさも、避難所の床の冷たさも、満点の星空すらも、全部全部鮮やかだ。

私はこれを、死ぬまで思い出にすることは出来ないのだろう。

そうして私は生きていく。

2024-03-10

anond:20240310113013

あーなるほどね。

から「突然女の体になってクラスメートレイプされる」みたいな漫画が一部界隈にはやるんだ。

想像力ミジンコレベルでないから、実際にそうなった光景提供されると「凄い!考えたこともなかった!俺たちって普段こんなことしてたんだ!」って興奮するんだね。

はーマジでバカー。

将棋の一つでもやったことがあれば「盤面をひっくり返して相手からみたらどうなんだろう」ってことを幼稚園児でも考えるようになるってのに。

一切の知的行為に振れることもなくルールもわからないままサッカーボールを蹴り続けては審判に噛み付いて最後には誰にも相手にされなくなりシンナーを吸いながらバイク乗り回してるうちに体だけ大人になったような人達なんだろうな

2024-03-08

anond:20240308165316

ちょっと待って。シュレディンガーの猫というのは、箱を開けて観測するまで「生きている状態」と「死んでいる状態」が重ね合わせになっていることを言うんじゃないの?

存在しないわけじゃないでしょ。

自分が見ている光景、感じている感覚、嗅いでいる匂い、感じている感情は何の形にもならず、誰にも伝わらず、ゆえにシュレディンガーの猫のように、社会的には存在しないも同様である

みんな死ぬ

鳥山明が死んだ。

神田沙也加も死んだ。

安倍晋三も死んだ。

三島由紀夫も死んだ。

ウチのペットも死んだ。

みんな死ぬべきではなかった。社会に対して、他者に対して、影響力を持った人物だった。生きている意味があった。うちのペットには何の罪もなく、ただただ可愛かった。

特に何の社会的な価値もない自分は生きている。あまりに偶然であり、特に必然性もない。ただ単に、偶然、何の意味もなく生きている。

生かされている理由があるわけでもない。ただの偶然だ。その辺に虫が這っているのと同じ現象だ。

自分が生きていることが(別に価値がないとか無駄とか言っているわけではなく)本当に、夢幻のように思えてくる。もしかしたら、誰かの古い記憶をすごくリアル追体験しているのかもしれない。

自分が見ている光景、感じている感覚、嗅いでいる匂い、感じている感情は何の形にもならず、誰にも伝わらず、ゆえにシュレディンガーの猫のように、社会的には存在しないも同様である

だが胸が締め付けられる。ただただ胸が締め付けらるのである。いや、しかし、それが生きていると言う事だなあ、こんな気持ちを、死んだ者たちはもう感じることもないのだ。

そして自分もいつか死ぬ未来では自分は死んでいる訳だから、今の自分が古い記憶なのは当然なのである

2024-03-07

anond:20240307061207

から勝手に補足すると

女性スマホを持って松本氏にまたがる写真は、性加害を告発された飲み会とは別の飲み会

つかあの写真は一旦飲み会がお開きになって、松本に選ばれた女以外の女と後輩芸人帰宅した後に帰宅した女が松本に呼び戻された後の光景

スマホを取り上げたり使用禁止にしていたのは後輩芸人の指示なので、これは後輩芸人がいない場だから止める人がおらず写真を撮れた、とも考えられる。

あとそもそもフライデーであって文春とは無関係

セクシー女優霜月るな氏が「記事にあるギャルは私だと思いますが出鱈目です、楽しい飲み会でした」と主張したのも大阪の異なる飲み会

そもそもこの人が言ってる事と文春記事の内容はほとんど矛盾していない。

https://gendai.media/articles/-/125367?page=3

この人がちゃんと文春記事を読んでいるのならそこに気付くはずだが、何をもって出鱈目と言っているのか謎。

書店の在り方について頭がかたい人が多い

書店を街の必要施設としておく、ということだが

それもう図書館がやってる役割なんだよな。

まあみんな気づきながら言ってると思うけどさ。

残したいならもっと具体的に本屋の在り方を変えていく必要があると思う。

まず「紙の本は最高!」とか言うのが宣伝になると思ってる奴は単行本の『ハンチバック』で後頭部から殴ろうと思う。紙の本は鈍器にもなる。

まず書店はあまりにも長く姿を変えていない。一因として書店はこうあるべき、という形にこだわってる人が結構多いようだ。

一方、蔦屋書店宗教上の理由で嫌いなんだが(失敗しているTSUTAYA図書館参照)あの探しにくさの中でよく賑わっている。

単純にでかいから置いてる本も多いし、なんか混雑してても関係ないオシャレなスタバみたいに思ってる人も居るんだろう。エンタメ施設としての成功は認めたい(TSUTAYA図書館は最悪だ)。

日本書店海外を見ればもう少し色んなことができるはずだ。

専門性を高めた書店大衆書店差別化もそうだが、

例えばもう既に導入されている買う前に読めるカフェの併設。

海外図書館では普通にある光景なのだが、拒否感を覚えている人も多いようだ。

まあカレーパン食いながら本触られたらたまったもんじゃ無い。海外は不潔だ……という話ではなく、海外カレーパンは置いていないか問題ないのだ。クリームパンとかメロンパンもないし。ドイツパンみたいな、かったいパン食ってるだけだから…かったいパンカフェを併設することを薦めたい。頭はやわらかく行こうぜ。

また日本では売れ残った本を返品できるような仕組みなのだが、ヨーロッパなどでは新品の本を半額セールで売ったりする。ワゴンセールだ。

大体電子書籍ポイント還元や%引きが多いのに、紙の本はいつまで定価で戦うつもりなのか…。

文化拠点と言うのなら安く本を買える仕組みというもの書店出版社は協力して作っていくべきじゃないのか。

返品できたほうが本屋は助かるじゃないかとは言うがリスク取って攻めないと商売死ぬ役人仕事みたいになってはいいか

なによりもセールってとても楽しい普段買わないものまで買ってしまう。セールで手に入らなかったら結局は定価で買っちゃったりもする。

セールもなければチラシを撒く必要もないので宣伝もない。本屋のチラシって見たことないよなー。書店企画出されてもなにをしてるのかさっぱり知らない。

そういう『商店』としての楽しみを、発展を止めた本屋は見事に失っていると思う。

そうは言っても書店の店主は歳を取っている場合も多い。そういう人を保護すべきだという訴えなのはよくわかる。

しかしだ。それでも国が支援すべきは「書店の発展」を考える人に対してであろう。そんな人はいない?いやこれはもう10数年前から業界大学等で言われてることであるから専門家も居る。

うっかりTSUTAYA図書館なんか支援しようとしないで、書店に協力していくことは急務ではないかと考える。

まあパブコメ案件だと思うね。

追記

その歴史のある再販制度も触る案件なんじゃないの今回の議論

anond:20240307004630

関西以外でそんな光景あんまりたことないな

ヒスおばは主要都市ならだいたい見かける光景…と思ったが、福岡ではあんまり見ないな。なぜだ

2024-03-05

七尾市被害認定が厳しいせいで被災住民地獄だよ

罹災証明書を受けたり公費解体生活再建補助金をもらうための第一ステップである被害認定作業ほとんとを県外都市部自治体から応援職員が行っているよ。

スピード優先で「立っているか」、「立っていないか」ぐらいの判断被害認定を行っているよ。

そのせいで倒壊は免れたものの、被災により柱がズタズタな古民家屋根ブルーシートで覆われているような古民家に対して「被害なし」の認定を連発しているよ。

住民避難所や2次避難中で不安しかないなのに生活再建ができないと絶望しているよ。

一部の元気な人たちや義憤かられた漁師たちが、市役所に2次調査申込で怒鳴り込みに来て怒号の能登弁をまくしたてたことろ、応援職員号泣するという地獄光景がひろがっているよ。(七尾市漁師町です)。

このまま被害なしとすると公的解体補助金支援が受けられないので、住民七尾市から逃げ出す算段を始めているよ。

特に東京大阪から移住してきた古民家リノベIターン勢は、2次調査まで待ってらんないので、このまま支援を受けられないなら実家都市部に帰ることを決断し始めたよ。

Iターン勢は観光や町お越しの中核なのに、その人達がいなくなったら町が死んじゃうよ。

それもこれも馳を筆頭とした行政対応がクソだからだよ。

七尾市被害認定が厳しいせいで地獄になっているよ。

2024-03-04

"僕"は深夜、都内繁華街を歩いていた。

眠気を押し殺すために飲んだ睡眠導入剤のせいで、現実幻覚不思議なほど交じり合っているようだった。

フラフラとした足取りで歩く僕の姿は、まるで泥酔者だ。

スルッと避けて通り過ぎようとした通りすがりサラリーマンに声をかけた。

僕: 「お疲れ様会社帰り?」

サラリーマン: 「え、いや、実は今から仕事なんだよ。夜勤明けでね。」

僕: 「おっ、そりゃ大変だな。でもさ、夜の仕事ってっと、吸血鬼っぱくてクールじゃ?」

サラリーマン: 「まさか吸血鬼面接官になってくれるんですか?」

僕: 「もちろんだよ。でも待って、吸血鬼って夜行性から、昼は休みってことになるよね。それって最高じゃない。か?」

サラリーマン: 「確かに、昼寝が捗りそうだな。吸血鬼求人、どこかな?」

"僕"は笑顔で立ち去る。そして、次に出会ったのは路上パフォーマンスをしているストリートミュージシャンだった。

僕: 「おっ、これはいい音だね。それと何かリクエストあるかな?」

ミュージシャン: 「何でも言ってくれれば弾くよ。」

僕: 「じゃあ、『眠れぬ夜をありがとう』ってやつを弾いてくれないか?」

ミュージシャン: 「それ、知らない曲だけど…

僕: 「そうだよ、僕も知らない。でも夜中に街を歩くのにピッタリの曲さ。」

ミュージシャンは微笑みながら曲を演奏し始めた。

"僕"は音楽に合わせてフラフラと歩き続け、街の灯りが照らす夜の冒険が続いた。

ミュージシャン音楽に耳を傾けながら、"僕"は次第に幻想的な夜の街の風景に引き込まれていった。

街灯の明かりが建物の壁に幻想的な影を描き、人々が笑顔で歩き交う様子がまるで夢の中のようだった。

"僕"は路上パフォーマンスをしているジャグラーのところにやってきた。

ジャグラー: 「おい、お前も何かやってみなよ。」

僕: 「何かやるって言われても…」

ジャグラー: 「じゃあ、これを使ってみてくれ。」

ジャグラーは"僕"にボールを手渡し、そのままパフォーマンスを手伝ってもらうことになった。

"僕"は初めてのジャグリングに戸惑いながらも、笑いながらボールを投げ上げた。

"僕": 「これ、なんか楽しいな!」

ジャグラー: 「さあ、街の人たちに見せてやれ。」

"僕"はボールを巧みに操り、通りがかる人々に笑顔を届けた。そんな中、路上アーティストたちとの共演が続く中で、"僕"の夜はますます幻想的なものへと変わっていった。

深夜の繁華街出会う人々とのユーモアあふれる交流は、"僕"にとって不思議冒険の一夜となり、眠気を感じることも忘れさせてくれた。

彼は笑顔で街を歩き、新たな出会いを楽しみながら、光と影で煌めく夜を歩き続けた。

"僕"は繁華街を歩きながら、次第に周囲の光景さら夢幻的に変わっていった。路上パフォーマンスをしている芸人たちが、彼の前に立ちはだかり、面白おかしネタジョーク披露してきた。

芸人A: 「おい、お前も一発言ってみろよ!」

"僕": 「うーん、じゃあ、夜中に駆け抜けるトンビってなんだと思う?」

芸人B: 「なんだ?」

"僕": 「ナイトホークだよ!」

芸人たちは笑いながら拍手を送り、"僕"は自分冗談に満足そうに微笑んだ。

その後も、路上出会うさまざまなキャラクターたちと楽しいやりとりを続けながら、"僕"の夜はますますコミカル雰囲気に包まれていった。

途中、カフェの前で一人の詩人が立っているのが見えた。

詩人: 「夜の街は言葉にならない美しさがある。君もその美しさを感じているのかい?」

"僕"は微笑みながら答えた。

"僕": 「確かに、夜の街は言葉にならない何かが漂っているよ。でも、それが何かはちょっとからないな。」

詩人: 「それが夜の魔法だよ。言葉では語りきれない美しさが、夜になると優雅に姿を現すんだ。」

"僕"は詩人言葉に深く頷きながら、夜の街を歩き続けた。路上での出会いと笑い、夢幻的な空気が"僕"を包み込む中、彼はこの夜を忘れられない冒険の一ページとして心に刻んでいくのだった。

アパートには静かな夜が広がっていた。

俺は何気なくスマートフォンを手に取り、デリヘルサイトを開いた。孤独な夜、些細な快楽を求める気持ちが俺をここへと導いていた。

画面には美しい女たちの写真がズラリと並び、誘惑的なポーズで微笑み躍動していた。

俺は興奮し、期待感に心を躍らせながら一つのプロフィールを選び、電話をかけた。

暫くして玄関ベルが鳴ると、俺はすぐに出た。

だがそこに立っていたのは写真とは大きく異なる女性だった。

すみませんが、もう一度選びなおせますか?」

そう言いそうになった。だがその瞬間、頭に幼少期の光景が浮かび上がってきた。

さな頃、親と一緒にペットショップを訪れたことがあった。そのとき目に入ったのは愛くるしい顔の子猫ではなく、目付きの悪い子猫だった。

他の人々は可愛らしい子ネコたちばかり構う中、俺はどうしてかその子ネコばかりが気になった。

学校帰り、毎日のようにペットショップに通った。他の子ネコは次々にもらわれていく中、目付きの悪い子猫は当然のように売れ残っていた。

それでも俺はあいつのことが好きだった。

誰にも愛されないあいつのことを、俺が愛してやりたかった。

小二の誕生日そいつを買ってもらった。俺は歓喜した。あれほど嬉しいプレゼントは今でもないくらいだ。

結局猫は俺が高三になるまで生きて、卒業する前に逝った。

猫は愛嬌がなく、いつもツンとしていて、それでも甘えてくるときは本当に甘えん坊だった。

あいつのことを俺は愛していた。ひとりぼっちで泣いていた夜、あいつは布団の中に入ってきた。温かい夜のことは今でも覚えている。

その時あいつはひどい顔で笑った。その笑顔が俺は大好きだったんだ。

ハッとし、俺はデリヘル嬢に目を移し、思い直した。

彼女あいつなのかもしれない。あいつと同じだ。

そう気づいた時、俺はチェンジするのをやめた。

何も言わず佇み、泣いている俺のことをデリヘル不思議そうに見つめ、それから微笑み家に上がると俺の手を取った。

それからベッドの方へ行き、美しい夜景の中で、俺は彼女の手をとり、幼少期の経験が与えた優しさに包まれながら、俺は嬢に身を委ねた。

すべてが終わると連絡先を聞こうとした。嬢は表情を歪ませる。

あいつのことを思い出しながら俺は君の力になれるからと言い、彼女は表情をようやく綻ばす。

次の週末、外で会うことになった。

きっとあいつも、このことを祝ってくれるだろう。

2024-03-03

イスラエル軍ガザ地区支援物資毒薬を仕込むと効率よく人を処分できます

やらんのかな

ゴキブリ駆除とかで遅効性のやつ使うよね

普通支援物資も疑いの眼差しでみるから

美味しいご飯を前にして餓死を選ぶ光景

見られるます

最高でしょ。

2024-03-02

anond:20240302152800

ネット過激思想を振りまいている迷惑な人たち?

リベラルが立憲共産れいわを少しでも良く思わない意見を述べたらネトウヨ扱い

中国韓国コンテンツが好みじゃないと言えばネトウヨ

スポーツの日代表応援したらネトウヨ

自民維新を支持するような発言をしたらネトウヨ

オタク話題をしてたらネトウヨ

これらは良く見かけた光景だが、過激思想を振りまいてる内にリベラルにとっては入るんだね

なんで東京の人って電車の中で喋らないの?

ちょくちょく東京に行く用事があるんだけど電車に乗る度げんなりする

なんで皆あんな静かなの

満員電車で静かならわかるよ のんきに喋れる状況じゃないか

でも昼過ぎ乗客まばらな山手線でも誰も喋らないじゃん

日大学生3人が乗って席座ってから降りるまで一切喋ってなかったのを見てやっぱおかしくね?って思った

東京というか首都圏はどこも静かなのかな

横並びの座席で全員スマホいじってる…みたいなやつ今まであんまピンときてなかったけど、東京ではまんま同じ光景毎日出くわす

名古屋でも大阪でも福岡でも人と電車乗ったら普通に喋るから

本当に違和感すごい なんでなんだろう

電車では静かにしようみたいな空気があるの?

追記

メモのつもりで書いたからこんな反応くると思わなかった

・一人で乗ってるから喋らない

→それはそう でも明らかに誰かと一緒に乗ってる人も全然喋らないよね?それが不思議というか新鮮

・車内で喋ったら迷惑

→何も大声で喋れって言ってるわけじゃない 寝てる人が起きないぐらいの普通の話し声は人がいる場所なら自然ものじゃない? コロナに関してはまあ何も言えんな

・お前が田舎出身から

→ほぼ毎日大阪環状線と御堂筋線乗ってるけど、東京とは比較にならないほど皆喋ってるよ 阪急電車もそう うるさくはないけど話し声はそれなりに聞こえてくる そしてそうやってなんとなく皆が喋ってるから混んでるときの車内はガヤガヤしてる 大阪市内が田舎というのは流石にナシな

普通にみんな喋ってるよ

→そうなんだ、時間帯にもよるのかな 車内全体のボリュームは控えめに感じるけど

「人に話を聞かれるのが嫌だから」「人に注意されるから」って言ってる人多くて個人的に驚いた

元々静かな車内だから余計に声が目立つんだろうな

というかそうやって他人に注意する謎のおっさんたち、出張で他の都市に来たときとかどうしてるんだ ストレスエグいやろ

それから「げんなりする」はちょっと言い過ぎたな すみません でも毎回ちょっと面食らってます

逆に首都圏出身の人が関西に来てうるせーなあ!って思うこともあるの?どうなん

もしそうならかなり気の毒だと思う

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