はてなキーワード: いじめとは
最近はあまり見なくなったけど、少し前は発達障碍当事者の自己語りをネット上でよく見かけた。
自分にはどういう特性があり、どういう問題を抱えてきて、何が困難で、といったような語りだ。
これはかつてネット上の色んな場所で見られ、時に煙たがられてきたようなものだが、当人にとってこれは自分を理解し次の段階に進むために必要なステップである。
このような語りをするのは、大人になってから初めて診断を受けたような人が多い。そういう人は、子供の頃から様々な理不尽に曝されて生きてきている。
人と全く合わなかったり、馴染めなかったり、いじめられたり。自分は普通にしているだけなのに、その原因が分からない。
それが発達障碍という概念を知って、自分を散々苦しめてきた原因はこれだったのか!と天啓を受けたような気分になる。
あの時の理不尽も、この時の違和感も、すべてはこれが原因だった。人生の伏線回収だ。
そして、この大発見を皆に知らせたいという気持ちになり、このことを知ればみんなが自分を見る目も変わるかもしれないと期待をも抱き、語らずにはいられなくなってしまうのだ。
俺自身もそうだった。俺はネット上ではなく精神科医に対して自己語りをしたのであるが、A4用紙に20ページぐらい、自分の半生の出来事を一心不乱に書き続け、病院に持参したものである。
そのような「大発見」は、当人にとっては生き方を左右するレベルの出来事だが、赤の他人にとってはどうでもいいようなことである。
しかし発達障碍の当事者は、発達障碍を持つがゆえに、それが他人にとってどうでもいいことであるとは気づかない。
そのため、まるで数学の新しい定理を発見したかのような気持ちで、その発見は他人にとっても価値があるものだと確信し、自己語りを公開するのである。
そのように自己語りをしても、周りからの反応はほとんどない。しかし、そうして言葉を紡ぐプロセスを経ることで、当事者は自分自身を深く理解し、次のステップに進むことができる。
また自己語りに関する反応が薄いことで、ああこれは他人にとって価値のない情報なんだと、当人もやっと理解することができる。自己語りは、当事者自身のために必要なことなのだ。
最近、こうした自己語りが少ないのは幼少期から診断を受ける人が増えてきたためだと思う。子供の頃から発達障碍の自覚があれば、大人になって急に天啓を受けることもないのだろう。
また発達障碍の概念が十分に知れ渡ったために、他人に知らせたいという動機も薄くなっているのだと思う。
しかし今でもそうした語りをまったく見ないわけではない。もしそのような自己語りを見かけたら、それは当人にとって必要なステップなのだと理解してほしい。
親の仕事の都合で十代の時に、愛知の田舎から大阪に引っ越して驚いたんだけど、いつもどこかで誰かが喧嘩してた。
歩道では自転車に乗った人が歩行者に罵声を浴びせてるし、車道はクラクションがいつも鳴り響いてるし、
食べ物屋はファーストフードだろうがファミレスだろうがちょっとお高い喫茶店だろうがいっつも怒鳴る客がいるし、
地下鉄では毎日ぐらいサラリーマン同士が小競り合いしているし、ホームでは駅員に詰め寄る人を見かけた。
学校は学校でいじめがひどくて、1人の男子が他の男子全員から毎日小突かれて泣いてるし、女の子はそんな男子に頭から水被せ笑ってる。
どこにいても誰かが誰かをいつも傷つけていて、都会ってこんなに怖いところなんだと知って、田舎に帰りたいっていっつも思ってた。
その後、親のすすめもあって東京の大学に進学し、親元を離れて東京で暮らし始めたんだけど、そこで違いに気付いた。
少なくとも人の目のあるところで他人に大きな声で罵声を浴びせるような人はおらず、
どこの食べ物屋に入ってもみんな物静かだし、地下鉄で殴り合うサラリーマンもいない。
目の前で交通事故が起きても、誰も表面上は動揺せず、しかし被害者に近寄ろうとは中々しないけど、
スマホで楽しそうヘラヘラ笑いながら撮影を始めるような人もいない。
一体、私が見てきたものは何なのか。同じ国の同じ言葉を喋る人なのかとくらくらした程だ。
後に大阪が関西圏の中でも、かなり特殊な土地であることを知ったんだけど、色々と納得の行く部分も多かった。
大阪の人達は、東京を冷血な田舎のものの寄せ集めと馬鹿にするけど、
冷血な田舎ものの寄せ集めでも、公共の場で人に罵声を浴びせるような人よりは遥かにマシに思える。
大阪には大阪なりのよさがあって、だからこそあれだけの人が集まって都市を形成してるんだろうけど、
そのよさに触れるためには、ありとあらゆるところで誰かが誰かを攻めている日常を受け入れなければいけないのであれば、
習い事での移動も必要なら車出してあげて、家事もちゃんとやってるし
勉強見てくれって言われたら見るし誕生日もクリスマスもプレゼントは俺持ち。
外食も旅行も他の家庭に引けを取らないくらいには連れて行ってる。
妻がテレビでいじめを扱ってる番組見てる時にもし自分の子供がいじめられてたらどうしようとか聞いてくるけど、知らん、勝手に解決しろ、できなきゃ自殺でもすりゃいいだろ面倒くせぇなくらいしにか思えない。
実際にそういうことになったら「親らしさ」に照らし合わせた行動をとる自信はあるけど内心はそう。
子供が怪我した時もちゃんと手当とか優しい言葉をかけるけど、本当は興味ない。俺は痛くないしとか思ってる。
高校の時の友達に会った時にそういう話をすると「中二病みたいなこと言ってんじゃないよ」って言われるけど、別になんていうかニヒルぶってるつもりはなくて純粋に子供本体には興味ないんだよな。
親子という役割をこなすこと自体は別に不平も不満もないんだけど、この個体としての子にあんま興味がない。
今日もアフリカでは子供が飢え死にしてますの写真の子供に対する興味くらいしか持てないんだけど。
ちなみに妻は好き。愛してる。
ヨブ記を読みました。
福音派は「サタン」を悪魔とするようですが、ヨブ記のサタンはおそらく神の遣いであり、悪魔ではありません。
人に善悪とはなんたるかを示すのに、「悪魔」という概念が必要なのか甚だ疑問です。
道徳的に非のない暮らしをするヨブに、サタンが試練を下し、「なんでこんな目に」と苦悩します。
さて、ヨブの前に現れた神ですが、グッドオーメン2で見ていたのと似ていました。
神がなにやらよくわからない不思議なことをいうので、ヨブは少し困っているように見えます。
天地創造について人間は知りうることがないので、無知に対して悔改め、神を畏れよというわけです。
私はヨブと議論をした友人たちが、本当に嫌な奴らだなぁと思ってしまいました。
ヨブに訪れた試練はサタンによるものですが、それを知る由もありません。
そのときに、ヨブの行為を疑って、ヨブをいじめているのは本当に見るに耐えないものがあります。
つまり、なにか苦しい思いをしている人に対し、信心深い人が「なにか罪を犯したのではないか」と疑うわけです。
その人は試練を受けているかもしれないのです。
ところで、自然災害が人の命を奪ったときに、それを「試練」と言うことができるのか、とふと疑問に思いました。
ヨブに起きた試練はあくまでも「命を奪わない」ことを前提とした試練です。
無実の人の命を無差別に奪ったのであれば、それはおそらく罰でも試練でもないでしょう。
Xで「ちいかわ お友だちとのつき合い方(https://www.amazon.co.jp/dp/B0CW1B399V)」とかそういう本を挙げて「子供の頃そういうことを教えられなかった大人が読んでる」みたいな話題がバズってたけど、
てことはなに?みんなそういうお友達との付き合い方だとか自分の気持ちとの向き合い方だとかそういうことを親から教わってるもんなの??
そんなの1ミリも教わったことないし小学校でバチクソにいじめられまくってた時でも手助けもアドバイスも何もなかったんだけど、普通はなんかもっとあるもんなんですかね?
小学校1年生の頃は、知的障害の男の子を庇っていた。その子は男子にからかわれることが多く、その度に間に入って男子をたしなめていた。その男の子には懐かれて、からかわれるたびに私のところに逃げてくるようになった。2年生になるとその子は転校していった。
小学校中学年の時は、ある女の子が菌扱いされ始めた。○○菌がついた!汚ねー!みたいにはしゃぐ、クラスの邪悪な団結感が嫌だったから、私はクラスの全員が各々独自の菌を持っていることにした。足の速い子の菌がつくと足が速くなり、勉強得意な子の菌がつくと頭が良くなる。クラスの中で○○菌はご利益的な意味に変わっていった。テスト前に頭のいい子の菌を分け与えてもらうみたいになった。徐々に菌ブームは収束した。
その女の子は明らかに知的障害を持っていて、頭はフケだらけ、人前で鼻くそを食べたり、衣服が汚れているような子だった。人が嫌悪感を示す身なりをしていた。コミュニケーションをあまり取れない子だった。
その子にまともに話しかけるのは私と、後に生徒会長になる私の友達くらいで、別室登校しているその子に給食を届けに行ったり、クラスに1人で入れないときは手を繋いで一緒にクラスに向かったりした。
特別その子が好きなわけでも、仲良くしたいわけでもなかったし、正直汚いのは嫌だった。それでも、下手したらいじめに発展しそうな彼女の周りを取り巻く空気感が嫌だった。
クラスの人間達が、作文などで友情や絆の話をしたり、体育祭や文化祭で団結しようと意気込んでいるのをみても、その子の存在を無視したり冷たくしているくせに何言ってるんだと思っていた。
修学旅行のとき、班分けはその子と生徒会長と私、その他無害そうな男子で固められた。男子はこの班割りに不満げだった。移動中のバスで隣の席になり、私が窓側、その子が通路側に座っていた。その子が突然吐いてしまった。私ももらいゲロしそうになりつつも、この子がただでさえ具合悪いのに、さらに辛い気持ちになるのを防ぎたかった。大丈夫だよと言いながら、前の席に流れて行かないよう素手でゲロをせき止めた。徐々にバスの中に混乱が広がっていく。臭い、ありえない、キモい、みたいな発言が飛び交った。みんな根は悪いやつじゃないはずなのになんでそんな配慮のないことを言えるんだろう。その子は泣いていて、私はその子を慰め続けた。その子に貸したハンカチはゲロまみれになった。私も吐きそうで泣きそうだった。先生と私で一緒にゲロを片付けた。
そんなこともあってか、その子は私によく笑いかけてくれた。多分信頼してくれていた。でも私は同じ人としてというより、動物とか庇護する対象のように思っていたのかもしれない。
卒業したらその子は支援学校に行ったと聞いた。高校生になって地元のお祭りで、その子に再会した。昔よりも言葉もはっきりしていて、新しい学校で仲のいい子ができた、学校が楽しいと笑顔で話していた。会話もできるようになっていたし、身なりもまともだった。動物のようだったのに、人間らしくなったと思った。
そのとき私はぶっきらぼうな態度をとってしまった。庇護対象じゃなくなって、優しくする必要がなくなったから。私のそんな冷たさに彼女は気づいていないようだった。今も気づいていなければいいなと思う。
私は偽善者なんだろうか。
かつての同級生のことを冷たい奴らと思っていたけど、私の方がよっぽど嫌な奴なんじゃないか。
優しくすることで見返りが欲しかった訳でも、褒められたかった訳でも、周りから善人だと思われたかった訳でもない。その時はそうするのが当たり前だと思っていた。辛い思いをしている人を見るのが嫌だった。居心地の悪い雰囲気に身を置きたくないだけ、全部自分のためだった。他の人が面倒見るなら、やらなくていいなら別にやりたくなかった。中途半端な正義感なのか、義務感というか。