「いじめ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: いじめとは

2016-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20160926000432

精神病患者いじめ経験者って他評価はなぜか低くて自己評価が高いよな。

何でだ?

とりあえず決めつけで他人評価が低い。

防衛本能ってやつか?

気持ち悪いなぁ、いじめられて当然だぞ。

2016-09-25

経済格差可視化されるから制服反対する人に聞きたいこと

ほとんどが私服になってる小学校制服にしようとか思わないのか?(小中の校区は同じ場合いか小学校貧乏ってばれてたら中学から制服にしても無意味

休日私服で出かけるのは放置してもいいのか?(たいてい生活圏同じなんだから学校以外であったらばれるだろ)

授業参観等の親の服装でも可視化されるけどそれはいいの?(子供だけ同じにしても無意味

住んでる家も経済格差あるけど家は共通化しないのか?(服装以外で経済格差可視化されてるだろ)

黒い肌の人は差別されるから白塗りしようという発想は問題だと思わないの?(安い服を着てるからといっていじめるなと教えるのが本来あるべき姿)

社会格差があるのにそこを放置して見えなくするのって妥当解決策なのか?(社会問題報道規制すれば社会が良くなるといってるようなもの

http://anond.hatelabo.jp/20160925031654

何も判ってない。

あれが「感動ポルノなのはいじめられた側が「いじめ行為」を糧に成長するような描写があるからで、

虐められた奴や主人公に美しい物語が用意されているからではない。

いじめた側にとっての都合よさを「感動」に昇華してるから、「感動ポルノ」なんだよ。

ズートピア』は『聲の形』に比べて政治的に正しくないアニメ

http://anond.hatelabo.jp/20160923031920


・『聲の形』の視点人物は元いじめっ子だが、『ズートピア』の視点人物は元いじめられっ子。→いじめられっ子たちの繊細で多様性に富んだ内心をウサギ(尻がいい)一個人に集約するのはいかがなものか。


・その元いじめられっ子いじめられて即いじめをはねのけるほど強い。→「いじめられっ子はいじめられてもめそめそせず、強くあるべき!」という押し付け


・元いじめっ子デブな方のキツネ)があっけなく許されすぎ→ウサギ(尻がいい)の親に至っては元いじめっ子となんの蟠りもなく商売やってる。ちゃんと自分の娘がいじめられてたのは知ってたはずなのに。「あのころは俺は自分に自信がなかったんだブヘヘ」で許されるんなら、『聲の形だって「あの頃は俺もイキっててさw」で許されるべきだろ。


ウサギ(尻がいい)もデブじゃない方キツネにひどいこと言ったけど、泣いて謝ったら許してもらえたよね。→泣くだけで許してもらえるのはウサギがかわくて性的アピール(尻がいい)にめぐまれいるから。たとえば、魅力のないイタチは泣いても許してもらえないだろう。


・結局、ウサギキツネが互いに許し許されているのは、美男美女から。→ウサギは尻がいいし、キツネ尻尾アナルを同時に攻めると弱そう。


・え? 何? 「ズートピア聲の形とくらべて、自罰的ないじめ被害者が出ないからいい」ですか?→羊はどうなんですか? あいつは明らかにライオンからパワハラを受けて、それをいかにも自罰的に受けながしてましたよね。


・「いじめられっ子復讐するのは悪」というストーリー→羊さんはライオンからパワハラに耐えかねて、それでキャラが歪んで権力志向したんですよね? いじめられっ子復讐する話ですよね? なんでそれが否定されるんですか? いじめられっ子暴力をふるわれるままにガタガタ震えてろってことですか?


結論:『ズートピア』のいじめ描写政治的に正しくない。ジュディの尻は最高。

映画聲の形』は商業的なマイナス要素を極力排除して再構成することで売ることに逃げ切った作品

観終わった最初感想は、漫画聲の形』が映像化されないことを確信したショックだ。

 

まず先に断わっておくが私が言いたいことは原作を崇めて原作未読者や映画馬鹿にするといった内容ではない。

映画製作に携わる人間が『聲の形』をどういったつもりで再構成したのか、

またその再構成の結果として商業的な成功を収めたことや、

そのせいで映画聲の形』(以下、映画しか漫画聲の形』(以下、漫画)に触れていない多くの人に誤解させてしまったということ、

そしてこの世で漫画聲の形』が漫画聲の形』という作品しか伝えられなかった、他のラブストーリー青春物語ではできなかったこと…映画からは外されてしまったことについて触れる。

この日記を読んで少しでも漫画に興味を抱いたのなら、漫画にて『聲の形』というコンテンツを全て消化すべきであり、

本当の答えを噛みしめ、確認しなければ作品聲の形』には全く触れないで人生を終えるといっても過言ではないと言っておこう。

これはステマではない。

なお漫画ネタバレになりかねないよう、これから漫画を読む人間にとって害にならない程度に極力抑えるつもりだ。

これはステマではない(繰り返し)。

 

そしてあくまでも日記なので読みづらさや誤字脱字などは勘弁してもらいたい。

 

制作スタッフが行った再構成とは

単純に2時間半に収めるには物理的な無理があったため、大幅にカット再構成されている。

その点だけでも漫画映画は全くの別物と言っても差し支えない。

しかしこれは映画1本に収めるという制約上仕方のないことで、これに関しては特に言及するつもりはない。

要は、漫画が伝えたかった要素をコンパクトにして映画で伝えられたらいいだけだからだ。

まり、私が問題にしているということはその再構成漫画が伝えなければいけなかったことを大部分が外されているからだ。

 

制作スタッフ映画を見に来た観客にできるだけ「負の感情」を強く抱かせないように気を使って再構成している。

分かりやすく言うと「なんだよこのクソ鬱映画!!」みたいな感想にならないよう、できるだけイライラ不愉快になるような要素や、

生々しい要素をオミットしている…その商業的にも負になりかねない要素たちだけ、

この映画への梯子が外されて下に蹴落とされている…といったイメージだ。

漫画では読者の心をえぐってくるような要素が宝石箱のように詰め込まれている。

主人公石田にともすれば殺意を抱かせるだけの強いクズ描写がされており、

小学生時代石田を無条件に悪だと読者は強く確信でき、そこに同情の余地もなければクラス手のひら返しにも憤慨するだろう。

映画ではかなりあっさりと流されていて、このせいで不快な思いをだいぶ軽減されているが、

石田の「俺は清算して死ぬべきだ」という気持ち映画視聴者に軽く受け取られやすくなってしまった、薄っぺらく見られやすくなってしまっている。

漫画の特色として、読者の暗い感情をこういった不快いじめや生々しい描写で刺激しつつ、

当事者である石田がどうやってそれを乗り越え、まともに生きることはできない、けれど死ぬこともできなくなったところを出発点に歩き出した、

というのが最初石田西宮出会いで、だからこそいじめた本人である自分友達になろうとするという不条理を進まなければならなくなったという経緯がある。

まり最初の死への渇望とその道を閉ざされた石田心理描写を読者に刷り込ませるためには、

石田所業が到底擁護できないくらい行き過ぎた描写であることが『聲の形』という作品には不可欠なのだ

それを見た読者の底にドロドロと横たわりだした感情を燃料にして、出会いが種火となり燃えながら、時には火が消えかけながら、それでも何とか大きくなろうとする炎の様子が、本当の『聲の形』の姿だ。

作品として、「読者(視聴者)の負の感情」が必要なのだが、これは前述したとおり耐性のある人間を選んでしまうため商業的に足かせともなりかねない、

判断され軽減・外した、というのが制作スタッフ再構成で行ったことだ。

ピンと来ないなら激辛だと食べれないから中辛にした、ということだと思って欲しい。

そのおかげで結果として極力不快要素を外し京アニ作画力とキャラの可愛さで万人が食べれる作品へと変化し、

商業的に成功を収めることができ、映画映画として勝利した。

映画聲の形』は売れることに邪魔になる重りを捨て去り新品のランニングシューズを履いて走り抜けた。

でもそれは漫画が這いつくばってたどり着いたところとは違うゴールであり、

その漫画がたどったコースとゴールは今後二度と映像化され現実化されないということを確信し、制作の手腕の勝利も同時に確信し、私はショックを受けた。

 

映画だけを視聴して誤解してしまった人々

帰ってレビューに目を通すと、やはり石田心理描写が把握しきれていなかったり、

よく分からなかったという感想もちらほらと目立った。

障碍者としての西宮葛藤や苦悩もかなりあっさりされているので重いテーマだったという感想はありつつも、

そこから広がりを感じるような形としての感想が出てこず、実は何も考えさせられてないというのが観察できた。

西宮がなぜ笑い続けなければいけなかったのか、西宮がなぜ思い詰めてしまったのか、

石田も同様になぜ最初に思い詰めて、それでも西宮と違い諦めなかったのかということに説得感を出すためには、

やはり前述した「読者の中に生まれたドロドロとした暗いもの」を燃料にするための不快要素がオミットされたことが原因である

 

聾唖の人たちから意見も、この不快要素オミットのために発生した説明不足、その他ところどころに出てきてしまった脈絡のないように見える行動もこのオミット行為副作用となっている。

から必要なのだ

聲の形』という作品を完成させるためには必要な要素だった。

ただ、それは商業的な成功には必要なかったし、事実それで勝利を収めてしまった。

これは作品の特色であってもビジネス上で不利益とみなされたものは無かったことにしていいという資本主義思想に対する芸術創作の完全敗北と言い換えてもいい。

とにかく大多数に対して理解されやすければ、消化しやすコンテンツであるならばいくらでも特色を消してしまっていいという姿勢だ。

それに深く静かな絶望を覚えたのは、漫画既読組には少なからずいただろう。

家に帰ったあとそれは視聴した沢山の人のレビューを読んで感じているかもしれない、私みたいに。

一体、映画を見た人の何割が石田自分を重ねることができたのだろうか。

嫌な汗はかくことができただろうか。

 

漫画聲の形

漫画の『聲の形』は、一度死を望んだ石田自分が行ったことを思い知らされ、なおかつ死ぬという逃げ道すら断たれたことで、

前を向いて、半ば仕方なく、半ばやけくそで行動する・西宮友達になるというスタート物語が始まる。

石田のやったことがどれだけ許されないことなのか、また当時の登場人物たちが流され、無力で、愚かで、間違えてきたことが心をえぐられる程度に描かれている。

この最初の導入でしつこいまでに鬱要素をぶっこむことで読者は自分過去やってしまった罪の意識を思い出し、無意識石田に重ねる、石田は読者の暗い過去だ。

今風にいうと黒歴史人物化したキャラクターとしてこれで形作られる。

過去が黒ければ黒いと形をはっきりしてくるキャラクターだ、それは視聴者の闇の色と同じ色をしているからだ。

それをやらなかった映画石田に対する感情移入がバラバなのは、つまりは、その黒歴史へのアクセスが不十分になってしまたからだ。

普通、そこまで思い返すほどのトラウマ黒歴史を持つ人間は少ないので、

その場合石田に代行させて罪の意識を増幅させるためにも石田のやったことは大きく描写されていた方が感情移入のためのパイプを築ける。

 

そして、死ぬことを閉ざされた石田が、つまり黒歴史から目を背けずに、常に意識して生きなければいけなくなった「あなた」は、

どうやって生きていけばいいのか、どう周りと接していけばいいのか、取り返しがつかない過去石田あなたはどう向き合っていけばいいのか。

それが『聲の形』の作品としての本質だ。

決して障碍者と涙ホロホロ最後ハッピーなだけの作品ではない。

石田黒歴史を貼りつけながら歩き続けるプレイヤーとなり、読者は過去が脅かすことに石田と共にドキドキしながら、辛さを共有しながら、

最初不快感を感じていたはずの石田自分に、いつしか何とかしようと奔走する石田応援しだす。

過去は取り返しがつかないかもしれない、

けれどこれから西宮未来は泣かせないように行動することができる。

それを問いかけてくる作品なのだ

それが『聲の形なのだ

 

過去の追跡がどれだけ辛く暗いものなのかが、このテーマを重く受け止めるために必要な手順だ。

ところが、何度もいうがこれをオブラートに包むか削除してしまったため、このテーマが盛大にぼやけてしまった。

漫画では西宮の家庭環境小学校教師との再会や映画作り、いてもいなくても一緒だった真柴のちゃんとした存在意義など、

この暗さと前向きにもがく様を描くための要素が何度も繰り返されている。

その最後の結末が、読者のこれから背中を押す形で終わっている。

生き続ける石田現実に生きる私たちへの、エールへと繋げられている。

それが『聲の形なのだ

 

そしてそれが他のラブストーリーにできなかったことで、『聲の形』だけができたことだった。

他のラブストーリーに、何とかしようとして上手くいかずに古傷をえぐらせるような真似をして、

それでも読まざるを得ないという状況にもっていけるだけの能力がない。

「これはどうなってしまうのか?(他人事とは思えない感想)」と思わせるのがこの作品面白さでもある。

 

聲の形』にとって障碍者という要素はいじめの歴史を作るためのただの道具の1つに過ぎず、それが本質ではない。

本質は、変えられない過去と変えられる未来、そして過去を受け入れるというこの3つの要素だ。

消極的に変わらざるを得なかった石田が変えられない西宮を救い、

一緒に変わっていこう、と2人とも前向きになるという完全に内面の話なのだ

そして変わりたいけど変われなかったという気持ちの重さ、辛さ、ドロドロした暗い時間の積み重ねを描き切ったのが漫画だ。

読んでいる人間石田の状況に嫌な汗をかき、そして小さくホッとする作品なのだ

その作品映像化はできていない。

できていないのに、商業的に成功している。

 

変わることの重要性を訴えた作品が、

そのメッセージの大部分を消失しながら、

大ヒットをしている。

 

まず私はその現実に立ち向かわなければいけない。

そう、思った。

 

…私はこの映画を予約するのに3時間かかった。

ネット予約操作方法が分からないのではない。

映画館聲の形から心をえぐられることに2時間半耐えられるか悩んだからだった。

ところが実際は、別のことでえぐられるとはそのとき私は思いもしなかった…

聲の形」見たのでおすすめする

はじめに

公式の書き方や、巷で燃えてる情報だとどんなところが魅力なのか分かりづらいなと思ったので

見るかどうか迷ってる人に向けて

どういうところが面白かったかなど書きます

 

ある程度あらすじを書かないと正直何も言えないので

導入部分だけネタバレします(いじめあたり)

 

もちろん大事な部分はネタバレしませんが

情報ゼロで見たい人は読まないようにしてください

 

ちなみに原作は読んでいません、あと私はおっさんです

  

全体的な感想ネタバレ無し)

正直予想を遥かに超える良い作品でした

Key作品を手掛けていたときのような京アニ彷彿とさせます

キャラの繊細な心理描写が、鼻に付かない程度に上手く表現されていて

一冊の小説を読んだかのような読了感を覚えました

 

テーマも非常に面白いです

一般的物語というのは人と人の関係によって生じるものが多いですが

この作品は「いじめっ子いじめられっ子障害者)」です

このような加害者被害者という関係性の作品は無いこともないですが、ここまで真正から

アプローチして面白くできていることに驚きました

まるで新しい味のラーメンを食べたときのような、「なんだこれ、旨いな」感がありました

 

原作シナリオ大分改良を重ねられているらしく、映画もできすぎているくらいによくできています

特に登場人物の心の変遷が面白いです

 

おすすめできる視聴者層ネタバレ無し)

この話は、もし小説だったなら学校図書室に置いてありそうな話です

なので、老若男女問わずおすすめできると思います

 

もちろん、もっとハチャメチャな展開を希望する人にはおすすめできませんし

小学生には難しいかもしれません

 

導入部分のあらすじ(ネタバレ

物語主人公石田将也が自殺を図る意味深なシーンからまり

そもそもなぜそうなったか小学校時代に遡ります

 

石田は小6の頃、元々粗暴なガキ大将タイプ少年でした。

どのクラスにも一人はいるような悪ガキですが、割りとクラスに溶け込んでいました。

 

そのクラス聴覚障害者西宮硝子が転校してきます

障害を持った児童普通学級に入ることはままありますが、様々な要因により、このクラスではうまく行きませんでした。

やる気のない教師。陰口を叩く女子。やがてそれはエスカレートしていき、明確にいじめに発展していきます

 

石田も、何を考えているかからないような彼女に対して「気持ち悪い」と思うようになり

途中からはいじめ筆頭として直接手を下すような存在となっていきました。

 

しかし、補聴器を何個も紛失させるなど度が過ぎたため、ほどなくしていじめがバレます

そしてクラスメイトはその罪を全て石田に負わせました。

それどころか、今度は仲の良かったクラスメイト石田いじめターゲットとするようになります

 

母親にもバレ、大金を弁償するという苦い思いをする石田

その石田に、いじめられていた西宮けが優しくしようとします。

しかしその行為理解できず、石田さら西宮に辛くあたるのでした。

 

そのまま何も解決せず、西宮は転校してしまます

 

石田は小6から高3まで「いじめっ子から近づかない方がいい」という理由いじめられます

それによってか、西宮硝子に対して行った罪の重さを自覚し、結果すっかり自己否定人間不信のような鬱屈した人間と変貌します。

人の顔すらまともに見れなくなった石田は耐えられなくなり、母親が払った弁償金をバイトで稼ぎ、そのまま死ぬつもりでいました。

 

そんな中、石田は通っていた手話教室で5年ぶりに西宮硝子と再開します。

果たして2人はどうなってしまうのか!

 

※ここまでが導入部分で、こっからスタートだと思います

おさえておきたいポイント

要点

 

疑問

これらが分かったとき、私は「いい作品だ」と思いました

その後の展開は?

 

石田西宮クラスメイトを中心に展開しま

 

個人的面白いと思った点

 

石田とともに罪悪感を覚える

最初石田○ねとしか思いませんが、いつの間にか感情移入していきます

すると西宮とどうなろうが、必ず罪悪感がつきまとい、優しい行動にすら違和感を覚えていきます

「俺なんかが話していいのか」「嫌がっていないか」「喜んでもらうにはどうすればいいのか」

そんな感情ラブストーリーで感じるものに少し似ていますが、罪の意識が強い分、別の何かです

喩えるならヤマアラシジレンマでしょうか(エヴァネタ

このモヤモヤ感は是非味わってほしいです

 

登場人物の変遷が面白い

西宮という存在によって、登場人物が思い悩みます

そして西宮自身も思い悩みます

 

そのどうしようもない中で、状況だけが変わっていきます

その登場人物の心情や状況がどんどん変遷していく過程面白いです

  

小学校時代西宮登場前と後、高校時代西宮登場前と後と、フェーズが多く

その上家族まで関わってくるため、なかなかに層の厚い話に仕上がっています

 

登場人物の配置

周りの登場人物が、いじめ筆頭から部外者まで連綿と配置されているところも面白いです

現実でも問題の中心に近い人だけが存在するわけではありません

西宮と他の者、石田と他の者の距離感一定ではないのですが、そのことで良いテイストが出ていると思います

  

加害者被害者

加害者被害者というテーマは実際のところ非常に難しいです

バランスを欠くとどちらかにご都合的になったり、ダレたり、気持ち悪さが残ります

でもこの作品はそういう灰汁が出てないんですよね

 

永束くん

永束くん

 

おわりに

聲の形はいいぞ

 

2016-09-24

やっぱはてなってネットの中でも特上に性格悪い連中の巣窟だと思う

いじめられっこで陰キャラだった俺が見てもはてなの連中の性格や考え方にイラつくんだもん、いじめられっ子エリートが集ってる感じがするよ

http://anond.hatelabo.jp/20160924034328

おうじゃあおまえがいじめ被害者になってからそういう戯言をほざいてくれ

まず実名と住所を公開しろ

話はそれから

映画聲の形」への的外れ批評とその醜さについて

聲の形」という作品は、読み切りから映画まで、一貫して「障害」や「いじめ」はテーマではない。

この作品テーマは「コミュニケーションと成長」だ。

それを読み解くこともせず、眼前に広がる一見ショッキングな"状態"に"反射"して思考停止し、瞬間感じた嫌悪感武器批判しているだけの批評散見されていて、反吐が出る。

罪と罰、救いを一元的に見る人間のなんと多いことだろう。

決して自らの罪を許さない将也と、どこまでも内罰的な硝子の二人が、すれ違い続ける悲哀に満ちた少年少女物語にむかって、

加害者目線ファンタジー」だの「障害者を使った感動ポルノ」だの、

あげく、以下のありさま。

https://twitter.com/sssugita/status/778894069380427776

将也は言わずもがな。そして硝子は許すも何も、自分害悪加害者だと思っている。なんでそれがわからないんだろう。

勧善懲悪な、白か黒かのふたつしかない世界を行きているのであれば、それはなんて貧しいことだろうと思う。

人の心はいだってグレーなのに。

2016-09-23

女の子いじめた俺の話

 

とりとめのないことを書きたくなったのでとりとめなく書く。

一応、初めに書いておくと、たぶん胸糞悪い話なので注意して読んでほしい。

 

 

 

小学校3年に上がった時に同じクラスになったMさんという女の子がいて、生まれつき脚の関節が悪いらしくいつも足を引きずって歩いてた。

2年の時は別のクラスだったので接点がなかったけど、3年になってみんながいじめてるのを見て「ああ、この子はこういう扱いしてもいい子なんだ」と思い、足を引っ掛けて転ばせた。

なんというか、俺、そのころはお調子キャラだったんで、そうすればウケると思ってやったんだ、と思う。あの頃はなんか衝動的にやらかすことが多くて、自分でも理由が分からない行動をしてたから。

で、MさんをよくかばってるNさんという女の子がいて、これが腕っ節が強くて足が速くて気も強い子だったんだけど、Nさんがしこたま怒ってて。

ウケると思ってやったことだからそういう反応だったことに不満だったんで、親に相談してみたんだわ。「足の悪い子を転ばせてやったんだけど反応がいまいちだったわ」って。

ほんとバカだと思うけど。

怒られたね、当たり前だけど。

次の日、Mさんに謝って、許してもらったんだかもらってないんだかはよく覚えてないんだけど、俺の中ではその件は終わったものとしてた。

 

で、面白い、と言ったら怒られるかもだけど。

そういうことがあった後に、俺の中で「正義」が目覚めたみたいなんだ。

弱い子は助けてあげなきゃダメだ!

いじめよくない!

みたいな。

その日からMさんの手助けを進んでやるようになった。

しょせんお調子キャラから、ただ調子に乗ってただけだと思う。今振り返って、Mさんがどういう気持ちで助けられてたかと思うと冷や汗が出てくるんだが、とにかく俺は「正義」に目覚めた。

 

MさんやNさんと仲の良いSさんという女の子がいて、この子いじめを受けてた。

Sさん障害者ではなかったので手助けをするようなことはなかったんだけど、「正義」に目覚めた俺はいじめに参加しなかった。

えんがちょ」が回ってきた時もスルーした。Sさん無視されている時も、普通に話をした。

調子者だったから、「Sさん普通じゃん、なにしてんのお前ら」みたいなことを調子に乗って言ったりした。

 

4年になるころ、Mさん引っ越しで転校していった。Sさんは相変わらずいじめにあってた。

席替えの時にアンケートがあった。男女ペアで座る形式だった(今考えるとなんで男女ペアなんだろ)のだが「隣に座りたい人」と「座りたくない人」を挙げろ、というものだった。

俺はどちらも「なし」と書いた。

それからしばらくした後に、Nさんが「話がある」とやってきた。

Nさんは担任先生からアンケートの結果を聞いた、と言ってきた。

「隣に座りたくない」にSさん名前を上げなかったのは俺だけだったそうだ。

そして、Sさんアンケートで「隣に座りたい」と書いてあったのは俺だそうだ。

「S、あんたのことが好きなんだって」とNさんは言ったので、俺は「へー」と答えた。

これはなんか覚えてる。へーって確かに言ってた。

 

で、次の一言が引っかかった。

「このことは内緒にしてよね。あんたもSに好かれてるとか、迷惑でしょ?」

なんで、迷惑だと思うと思ったんだろう、と。

NさんはSさんの味方だったんじゃないだろうか、と。

そう思ったけど、俺は「はあ」と答えた。これも覚えてる。

迷惑じゃねえよ」と答えればよかったんだろうけど、Nさんの一言がひっかかってて、頭がぐるぐるしてたと思う。

 

そんなことがあったんだけれど。

結局、なぜかSさんと俺は隣の席にならなかった。

普通に今までどおり、クラスメートとして接してた。

 

5年になってSさんと別のクラスになった。

そこで俺はいじめられた。

それは数か月で終わったのだが、多人数による悪意の恐ろしさを理解し、子供らしい全能感が粉砕され、お調子キャラはすっかり影を潜めた。

Sさんとはあまり話すことがなくなった。

 

 

 

高校生3年になったころ、Sさんと再会した。近所の夜道だった。

原付を押して歩くSさんは濃い化粧をしてレディースみたいなかっこをしてた。連れの友達も似たようなかっこだった。

「おー、ひさしぶり」「なにしてんの?」「犬の散歩。そっちは?」「今から友達のとこ」みたいな会話をした。会話は続かなかった。

別れて、背中から「あれ誰?」「小学校の時のタメ」という会話が聞こえた。

 

Nさんはスポーツ結構いいとこまでいってた。推薦で大学に行ったはず。

 

Mさんはどうしてるのか知らない。小学校同窓会が一度あったけど、NさんはいたがMさんSさんはいなかった。

 

 

 

なんていうんだろな、振り返ると、お調子者で何も見えてなかった小学生の俺死ね、って感じだ。

そして、こうやって俺俺話をしてる今の俺も死ねって感じだな。

 

http://anond.hatelabo.jp/20160923131556

いじめられた原因はあくまで男にあるべき

これ正しさのかけらも無いぞゴミクズ

死ね

「おっ、障害者いじめテーマ漫画か、それではこの私が直々にポリティクスにコレクトかどうかを判定してやろう」

という気持ち作品に接すると、たいがい粗(のように感じられる要素)ばかりが見えてきます

こういう人が想定している「正しさ」はめちゃくちゃ範囲が狭いから、というのもありますが、

そもそも人類偏見先入観にめちゃくちゃ影響される生き物だからです。

作品を読むときは、障害者に接するときのように、なるべく偏見を排して臨みましょう。

その上でもし作品描写に不満があったとしても、

差別的である」と「公正に書くことに失敗している」をきちんと区別したほうが良いと思います

聲の形政治的に正しい作品に作り替えるには

聲の形はいじめっこ向け感動ポルノなのか - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/1027520

これを読んで、同作が本来こうあるべきだった、政治的に正しい構造を考えてみた。

女性抑圧的な言動故にやむを得ずいじめられていた男が

(まず、いじめられていた女がいじめていた男の物になるという構造がアウト。

 女性側が「許しを恵まれる」構造も当然避けなければならないから、いじめられた原因はあくまで男にあるべき)

・年月を経て努力し、女性抑圧的な言動を改めたため

努力もせずに女に許されるなどという男の欲望など見たくもない)

・やむをえずいじめていた女性に許しを与えられ、交際を始める

・この場合、男を障碍者にすると女性障碍者いじめる構図となり正しくないし、

 女を障碍者とすると障碍者いじめをすることになり正しくないので、障碍者設定は削除。

最低限このくらいはやるべき。

他人創作いじめ案件自分自身投影して許せだの許すなだの言っても、

いや、この件に関してはあなた被害者でなくただの第三者やん……って思う

俺だったら絶対に許さない、なら言ってもいいけど、

境遇が似てるからって勝手に代弁したってナンセンスだよ

[]小杉光太郎普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。

アニメ放送開始時、まーたやってみた系のありきたりな萌えアニメかと思ってたけど、評判をきいてるとどうもそんなに悪くない

そんなら・・・と当時アニメ1話を見たときは、ありきたりな萌えアニメではないとは思ったけど、とくに面白みもなくて2話以降見ることはなかった

改めて今更手にとってみた

うん、たしかイヤミにならない程度にローカルアイドルについて真摯に描かれてるマンガだね

でも登場人物みんないい人すぎて物足りない(もっとお偉いさんへの接待とかもあるだろグヘヘ)と思ってしま自分はもう世間擦れしてしまったんだろうな・・・

ところどころで薄い本展開を妄想してしまう部分があったし

野良猫みかけたときかわいいってよりも自分におびえて逃げる姿みて苛ついていじめたくなるのと似てる

自分はとことんゲスいしクズいなあ・・・

と言うよりは結局掲載誌とか考えてこのマンガに求められるベクトルがそういうのじゃなかったってことなだけか

時給と蜂の巣駆除なんかよりももっといろいろ現実には悲惨で大変なこともある気がするのに、ろこどるが大変だってギャグオチとしては終始それらだけしか触れられなくて逆に闇を感じた

深読みしすぎかな

あと既刊全部読んだけど驚くほど印象に残るものが何もなかった

毒にも薬にもならないというか

でも決してつまらない・飽きる感じがしないのはなぜかわからんがすごい

ニュートラルに読める貴重なマンガなのかも

とりあえずちっちゃいのに巨乳きぐるみ入るげんしけん荻上みたいな髪型の子エロすぎ

汗だくで巨乳水着みたいなかっこできぐるみはいってて・・・

さぞかしきぐるみから出た直後は汗臭いんだろうなあ

その腋クンカクンカしたいなあグヘヘっていつも思ってた

社会から排斥されるとどうなるか

反省したいじめ加害者のことを『許さない!』と、いじめ被害者が主張するのは、危ない思想(by山本弘)」なのか

http://amamako.hateblo.jp/entry/2016/09/22/223902



http://anond.hatelabo.jp/20081217111308

上記を見てどう思うだろうか?

いじめられた被害者が「それでも前を向いて歩きだす」という物語は、感動ポルノだろう。

これは、もと加害者被害者になって改心したから、【ではない】。

いじめられた被害者が、それでも社会適応し、むしろ肥やしになったみたいな感じで前を向いて歩きだすから感動ポルノなのだ



ちなみに、話は変わるが、改心してない状態でどれだけ相手非難しても、それは相手に届かないだろう。

だって相手クズのままなんだから

自分はむしろ迷惑かけられた被害者だと思ってんだから

自分は「正当な対応(仕返し)」をしたと思ってんだから

から、この時点では、クズ精神性は「いじめをした奴は苦しめばいい」と思うイジメ被害者と同一の物なんだ。

だっていじめ被害者から見て、イジメ加害者精神病み、まともな日常が送れなくなっても、「インガオホー」ってなもんでしょ?

から、最大の仕返しは相手真人間になることなのだ。

まずは、自分のしたことが「過ちであった」と気づかなくては始まらない。


許されようとするうちは、反省なんぞしていない。

それは全部「自分都合」だからだ。

自分が逃避したいだけだからだ。

許すってのは、「状態」であって、「行為」ではない。

関係性の積み重ねで、わだかまりがなくなったからこそ、相手を許そうと思えるものなのに、なんでかこれを「救済行為」だと考える馬鹿がいる。

から、「反省してマース、許してくださーい」とか態度で示すことが横行し、許さない事が狭量だと言われる。


うからな。

から私は、amamako氏を支持する。

いじめ被害者が、反省したいじめ加害者を、「許さない」と考えることは当然許容されるべき

万引きブツ返せばOKなのか?違うだろ

議員公費使い込み返して辞職すればそれでいいのか?違うだろ

同じ話だよ

http://anond.hatelabo.jp/20160923074547

ネットでは発達障害の人が昔いじめられたアピールすることが良く見られるけれども

自分のやったことは悪ふざけで済ましてるのだろう

発達障害加害者にもなりやすいのだから

悪ふざけという言葉が嫌い

たからみたらお前どうみてもいじめだよそりゃ。

http://anond.hatelabo.jp/20160923054806

自称いじめられっ子多すぎなので

そのうち何割かは逆にいじめてたこともあるとみた。主犯格でなくとも。

都合よく自分いじめてたことだけ忘れてるってやつ。

駅員いじめてちゃいけないけど鉄道会社にはもっとねじ込みまくるべき

あいつらは独占企業です。

どれだけミスろうが怠慢しようが消費者に嫌な思いさせようが

電車の本数少なくして消費者ミチミチに詰めることで利益率アゲようが

競合他社に乗り換えられてしまうと言うことが容易には起きないすごい強みがあります

立場としては地方公務員の中の悪質な部類と殿様商売が合体した究極生命体です。

NHKとか東電の親戚ですよ。



国鉄JRなんか特に酷い。

あいつらは消費者の利便なんか全然考えてません。

ちょっとトラブルが起きたら電車止めて、他の鉄道会社でも考えられないような長時間停車して、

そのあいだずーっと「振り替え輸送で他の線にお回りください」って喚き続ける。

利用者を客と言うより邪魔家畜のように思っている。



JR品川駅はずーっと利用者数に合わない酷い狭さの階段ホームを直そうとしない。

利用者をどれほど苦しませても利用者減らないから金や手間を掛けてまで直したくない。



こういう企業に対しては

電車が止まるたび遅れるたびに

それこそマナー悪いおっさんが猛烈にねじこんで泣きべそ掻くぐらい追い詰めてやらないといけない。

腐敗役人と殿様が合体した究極生物にはそれぐらいして日々ストレスと緊張感を与えなければ

あっという間に腐るんです。組織も人も。

2016-09-22

いじめ加担者が許されて気持ちよくなる構造が気に入らないのはまあわかる。俺が許されて気持ちよくなってるのに空気読めよという反応もな。

しかしまるでフィクション気持ち良くなるのは悪いことのようではないか

GATE」「永遠の0」「テンプレハーレムラノベアニメ」「異世界転生俺Tuee」

いかんのか?

http://anond.hatelabo.jp/20160920164244

フィクションリアル視点から考察してるのが理解できない

聲の形とか。

フィクションなんだからもうどうでもよくね?って感じなんだが。

リアルだったらこんな子いない」

いじめっこはもっと痛い目を見るべき」

ストーリーが都合良すぎる」とか。

なんだろ。これって作品評価というよりはただの妄想って感じがするんだよね。

これはもっとこうなるべき!!!って妄想して喚いてるみたいに見える。

それを評価と直結させてる人が多すぎて気持ち悪い。

しかもこういう奴らに限って声がでかい

アナと雪の女王登場人物同性愛であるべきって暴れてた海外の奴らと何が違うの。

願望と妄想押し付けてるって意味では同じだろ。


アトピーゾンビ二号が虐めで不登校になった

中学の時、アトピーゾンビと同じく、アトピーゾンビウイルス感染してる奴とクラスが一緒になった。

アトピーゾンビよりも症状がひどかった。

彼は顔と首の肌が赤く、カサカサと乾燥していた。首や体を掻く様は見てるだけで不快指数が高くなった。

おまけに重度のコミュ障で、声が小さく、挙動がキョドッテいて気持ち悪かった。

「こりゃ虐められるな」と思った。

クラスメイトの話によると、もともと明るい奴だったが、小学生の時にアトピーゾンビウイルス感染して容姿が醜くなって虐められるようになり精神おかしくなったようだ。

彼と話したことはないし、どんな人間なのかもよくわからないが、観察した限りでは悪い奴じゃなさそうだった。

から僕は、彼を心の中でアトピーゾンビ二号と呼ぶことにした。




彼はアトピーゾンビと共にスクールカーストの最底辺にいた。

いつも無気力でだるそうな目をしていた。自分のしょうもない人生に嫌気がさしていたのだろう。

悲しいことに顔面偏差値は高かった。だから余計辛かったのではないだろうか。

アトピーゾンビ不細工なので諦観できているが、顔面偏差値の高いゾンビは辛いだろうな。

これさえなければ人生楽しいのにといつも絶望していたのだろう。




クラスほとんどが虐めに加担していた。無関心だったのはアトピーゾンビを入れて三人だけだった。

小学校が同じだった奴が中心となって虐めていた。手慣れていたので、おそらく小学生の時にも虐めていたのだろう。

虐めは精神的なものだった。肌がキモイ風呂入ってんの?、ゾンビw、治るようにちゃんと努力しろよw、お前のまねw(肌を掻く真似をしながら)、無視などだ。

もちろんゾンビ二号を蹴ったり、ボールを投げつけたり、腕パンっていう遊びに強制参加させたりという肉体的ないじめもあった。

容姿に優れていて運動勉強もできて教師の評判もいい奴が「お!こいつ虐めてんの!?俺も混ぜて!」と言って楽しそうに一緒に虐めてた。

人生は生まれで決まるんだなと思った。




そんなこんなで数か月たっぷりクラスメイトに虐められたゾンビ二号。

彼が初めて学校を休んだ時、クラスがざわざわしていた。

教師教室にいないときクラスメイトの一人が「やったーwww」と両手を挙げて喜んだ。

それを見たクラスメイトがつられるように、

「ざまあみろw」

「もう学校こないでほしいww」

あいつがいない教室最高w」

キモイから虐められて当然だよね!」

ちょっとからかっただけで不登校とかww」

自殺すれば社会がきれいになるねw」

自殺してくんないかなーw」

「また学校来たら虐めようぜw」

いいねーw」

「虐められたくないなら努力しろって思う」

「ねー!不潔な自分が悪いのにね」

こんな感じのことをクラスメイトのほぼ全員が言いまくっていた。

教室が悪意に満ちた笑い声に満ちていた。

クラスメイト達の満足げで醜悪な表情をみて人間は醜いな。と思った。

同時に、次は自分が虐められる番なんじゃないかと恐怖と不安でドキドキビクビクして死にそうだった。

幸いにも虐められることはなかった。虐められなかった理由は今でも不明だ。






本当のことを言うと虐められなかった理由はなんとなくわかる。

アトピーゾンビいじめに加担していたからだ。

家柄がよくて容姿に優れた恋愛勝ち組クラスメイトに、「お前もやれよw」とボールゾンビ二号に当てるゲームに参加させられた。

日々のアトピーゾンビウイルスストレスを晴らすかのように思いっきりぶつけた。

「おぉー!いいねーw」とクラスメイトは喜んでいた。

ゾンビ二号は少し泣いていた気がする。

同じスクールカースト底辺人間に虐められるのがつらかったのか、同じウイルス感染している人間なのに自分は虐められてあいつはされない理不尽だ、とでも思ったのだろうか。



その後、アトピーゾンビアトピーゾンビウイルスの痒みと痛み、受験期の激しい虐めが原因の鬱と対人恐怖と学習性無力感で見事受験に失敗。

関東ごみ高校という五流高校入学することになった。

アトピーゾンビ二号が今何をしてるかは分からない。人生絶望して、もしかしたら自殺たかもしれない。まぁ生きているより、そっちのほうが幸せだよな。




どんなに善良な人間でもアトピーゾンビウイルス感染しているというだけで周囲から理不尽仕打ちを受ける。

まぁ、惑星地球は健常者専用の娯楽施設だから、非健常者が排除されるのは当然だよね。終わり。