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はてなキーワード: 目線とは

2016-08-24

一次生産できる人って凄いと思う

簡単に言えば、元ネタに頼らないコンテンツを作る人ね

別に2次生産が悪いって言ってるわけじゃないよ

 

ニコニコ動画を見ていて思ったんだけど、そこにあるコンテンツってほとんど二次生産なのね

ゲーム実況MMDMADボカロ違法UP…

大体はなにかの人気に便乗して注目を集めてるわけ

で、振り返ってみれば自分増田記事を書いてるわけだけど、内容はホットエントリへの言及だったりする

もっと言えば、はてブなんて100%元ネタありきのコンテンツじゃない

 

元ネタに対して新しい目線提供するとか、話題もっと深掘りするとかも凄いと思うけど

元ネタに便乗しないコンテンツ提供して、それでも話題になれる人ってやっぱりすごいと思うのよ

ネットでそういう活動してる人って思いのほか少ないので、もっとリスペクトしていくべきだと思う

2016-08-22

オタク弾圧する左派論理ネトウヨそっくり

シン・ゴジラ右派的に解釈できるような部分が存在するためにナショナリズムと結びつけて語る人達がいる。

そしてそれをシン・ゴジラオタク的な部分と結びつけて、オタクナショナリズムのような言説を語る。


以前から思っていたのだがこの手のオタクナショナリズム差別主義のような結び付け方は明らかに分が悪い。

どうも左派的な人の中にオタクネトウヨといった見方や○○最高!的な持ち上げ方にナショナリズム的なものを感じて批判する人がいる。

はっきり言わせて貰うと傍から見るとその手の言説は「在日韓国人差別するネトウヨ」のようだ。

左派達の中では、オタク生来まれ持った属性ではないとか色々理屈があるんだろう。

しかし、第三者的目線で見てると「オタクはもう差別されてないんだからもっと謙虚になるべき」とか「オタク調子に乗りすぎて気持ち悪いだの」言ってる事がほとんどネトウヨと同じである

差別階級に属する人達自分達が気に入らないからともっと謙虚になれと言ってたたき続けるさまはまさにネトウヨのようだ。

正直もっと言い方や理論を練って欲しい。

こんなやり方をしていても対立は深まるばかりである

反省して欲しい。

2016-08-21

シンゴジラが気にくわない人がこれは評価するという映画を聞かないとなんとも言えないかなあ

石原さとみの演技が云々は、はあそうですか、としか言えないし

批判妥当とか納得できる理由じゃ無いんだよね

理解できないというか

(1)あんインチキ外人ドヤ顔でこれみよがしに出しゃばられても・・・

→そうは思わなかった

(2)怪獣がそんなに怖くない

普通に怖かった

(3)怪獣をダシに使った政治劇がオタクファンタジー・・・

映画ってそんなもんですよ

(4)庵野信者同窓会には参加できません

→そうですか

もう単なる感覚の話だから、そう思うでしょうねあなたはってレベル

ただ表現力不足なのか納得する所まで行かないんだよね

クローバーフィールド比較してたけど、

実験的で硬質な雰囲気は似てるけど、全く目線も要素も真逆映画なんだよね

まんまエヴァとかヤシマ作戦っていうのも分かるんだけど普通にエヴァ

面白いと思った人間なのでそれを言われてもちょっと

オタクテクノクラート、う〜ん、軍がミサイル打ち込んで終わる映画の方が多い気がするし

別に映画ってそんなもんじゃ無いの?って感じなんだけど

まらないって思ったってのは分かったってだけで説得力を感じなかったし

理解させるほどの文章力も感じなかった

2016-08-20

NHKの考える貧困があのJKという事実

NHK職員の平均年収が2000万だっけ?

そういう連中からしたらああいうのでも可哀想な救うべき貧困層になるんだろうね

NHK報道目線庶民から非常に乖離してるってよく分かるよね

2016-08-19

アニメオタクを見下すワンピース好きのDQN

ワンピース好きのDQNアニメオタクを見下していた。アニメオタクだけはワンピース好きのDQNである自分より下でなければいけなかった。そして、ワンピース好きのDQNの代わりにいじめられるべきだと考えていた。


ワンピース好きのDQNは、極端に自分マイノリティになることにおびえていた。自分マジョリティ側の人間であり、自分の考えは常識であり、そのことをアピールたかった。常にそうしていないといつ周りから白い目で見られるのかわからなくて怖かった。周りの目気にしすぎて自縄自縛になりそのストレス自分より弱いと思い込んでいるアニメアイコンをさげすむようになった。


ワンピース好きのDQNが言うには、ワンピース現実的テーマを取り扱っているから許されるがアニメオタクは幼稚で現実逃避をしているから許されないという謎の理屈を述べていた。このように、このワンピース好きのDQNはとにかくアニメオタクを見下したくてしょうがないようだった。



いじめに怯えて一番過激弱者いじめる人の話があるが、このワンピース好きのDQNはまさにそんな感じなのだ。ほかの一般人らしい人がドン引きするほど、一生懸命アニメオタクキモさや現実の見えてなさを語った。

また、このワンピース好きのDQNは誰も聞いてもいないのにアニメオタクに向かってワンピースの素晴らしさを語りだした。絶対一般人にはこういう話できないんだろう。アニメオタク馬鹿にしているからこそ饒舌になったのだろう。、仲間か自分より下とみなしてる人相手の時だけ饒舌になっていった。

ワンピースにもアニメにも興味のない一般人から見ると、どちらも同じくらい気持ち悪いと感じたようだった。



ワンピース好きのDQNは「僕はオタクだけど常識を持っていて現実認識があります」というのをアピールしたくてたまらないようだった。だからはいじめられないんだと。 そういうウソを信じるために、どうしても気持ちいかいじめられても仕方ないアニメオタクという存在絶対必要だったのだろうってことが透けて見えてきた。このワンピース好きのDQN一生懸命語れば語るほど、周りの人はこのワンピース好きのDQN現実逃避してるなと感じるのだった。



当然だが彼のイメージは嘘まみれでツッコミどころ満載だ。最初筋道だてて話してるつもりだったようだが、しゃべればしゃべるほどぼろが出てきて、たくさん突っ込まれにっちもさっちもいかなくなったら「俺はともかく世間は許さないぞ!それが常識だ!もっと周りの目を気にしろ」という典型的太宰メソッドで話はじめた。 ついには、「俺がアニメオタク気持ち悪いと言ったらとにかくアニメオタク気持ち悪いんだ。アニメオタクはみんな現実が見えてないやつなんだ」とわめきだした。もう理屈もクソもない。単なる駄々っ子である


周りの人間は「おいワンピース好きのDQNよ、成熟していて現実が見えている」はずの大人の態度はどうした、と思いながら彼の奇行を眺めていた。 ワンピース好きのDQNはずっと周りの目線を気にしているといっていたが実際は何も見えていなかった。 この人はあくまで内在化した自分脳内しかない視線しか気にしない。実際に周りがどう見ているかなど全く気にならなかったのだろう。それはみじめなものだった。



最初ワンピース好きのDQNの話を聞きながらイライラしていたアニメオタクだったが、だんだん哀れに思えてきた。多分それだけずっと周りの目を気にして来て、その目線に合わせることばかり考えてきたのだろう。もう自分でもその周りから目線に立ち向かおうだとか、そこから離れようということができなくなってしまったのだろう。自分を曲げてでもその目線に合わせることに必死で、ついにはおかしくなってしまったように思えた。


結局誰もワンピース好きのDQNの話をまともに聞く気がなくなり、適当に相槌だけ打つようになると、ワンピース好きのDQNは満足して好きなだけしゃべり、そしてさっと帰っていった。残った人たちは「あいつはもうだめだな」「どうしてこうなるまで放っておいたんだ」とため息をついたのだった。

TOPダウンが成功する組織

TOPが誰よりも下で支えていて、底辺目線を持っている組織

これはボトムアップという名の多数の王様意見を聞くよりも、一人の底辺にいる人間の方が正しい目を持っている。

2016-08-17

シンゴジラみえ邦画オタクの悪癖、あとオタク限界

映画面白かったよ

テンポがいいし政治劇もおもしろい、大人も楽しめるいい映画だなって思った

この映画制作委員会方式ではないらしい

からいろいろな出資者配慮することな面白いものができたんだろうね



邦画の悪癖

でもこれが海外から見るとどうなるかと言ったら安っぽいCG

みょうな日本人がひどい英語アメリカ人を演じているというまるでコメディのようなものだろう

外国人邦画にしてはCG頑張ってるよねとかそういう親目線評価しないだろうし

石原さとみってECC英会話頑張っててさ~日本人にしては頑張ってるよとか、ファン目線擁護はしないだろう



何が言いたいかって、この映画、まるで海外市場意識していないということだ

せっかく委員会方式採用していないのに、なぜカヨコ役をアメリカ人に任せなかったのだろうか

制作委員会方式であったら事務所ごり押ししてきたんじゃないかとか理由をあげられるが

そうでないなら、あの石原さとみは誰の希望キャスティングされたのか。庵野か?



ネットでは題材が内向きでよくないなんて意見もあるが、そこは悪くないとおもう

日本で起こった311での題材をゴジラを通して見せるというのは本当に見事だったと思う

しかキャスティングでの内向きさは邦画のよくない日本芸能村という閉鎖的な面をさらけ出しているなと感じた

せっかくのチャンスなのに、自ら村根性を出してしまった

これはもう癖のようなものじゃないだろうか



そして海外マーケティングなどがなされていないのが本当に残念だ

無理やり外国人ねじ込めと言っているわけではない

物語アメリカ重要存在

これ幸いとばかりにアメリカとの関係が描けるのにそれを生かそうとせずに

日本芸能村の内輪でことをすましたことが残念だということだ

石原さとみに下手な英語を話させることのどこに作家性の意義があるのかよくわからないが

結局かわいい子がでてれば良いという、邦画のしょうもないスケベ根性しかなかったりするからあきれる



オタクの悪癖

オタクという生き物は、ほんとうにめんどくさい

めんどくさい例はあげればきりがないが

今回の場合で言えば、その気がなくても好かれたいってやつだ

これはつまり海外のことを意識なんかしなくても外国に褒められたい、消費されたい

海外マーケットに合わせた映画作りなんかしなくても、俺らは支持されるんだよねという願望のようなもの

シンゴジラ批評オタクたちが大好きなもの

シンゴジラ恋愛ないし家族愛描いてないけど面白かっただろ?邦画ってすぐ恋愛入れたがるじゃん?」

オタはすぐ自分たちが気に入らないなにかを馬鹿にする

恋愛があろうが、家族愛があろうが面白い映画はあるし、逆に、それらがなかろうが面白くない映画はある

結局映画の出来と関係ないもの比較して勝利宣言をしているのがオタクの癖だ

しかしたらカヨコを石原さとみにまかせたのもアメリカ市場に媚びたくないというなにかしらのオタの癖なのかもしれない

そうなってくるとオタクの才能に任せるのも問題だなといえる



オタク限界

結果ツイッターはてなではあれだけ盛り上がっているが、結局興行成績は目標50億というところだという

なんともいえない数字

成功か失敗かといえば成功だが

しか庵野秀明ゴジラというブランド、そして名作だという評価をもってしてもこの程度が限界なのだという事実

庵野自身も、エヴァンゲリオンで好きにしてQで崩壊しているのに、まだオタクという生き物は作家性を崇拝し

そして組織馬鹿にする。都合のいい成功事例ばかり抽出勝利宣言のようにほかの邦画をくさすわけだ

おっぱい見えてるのに目を見て話す奴


おっぱいちらつかせながら仕事してるくせに目を見て話してくるやつなんなの。

あれマジでやめてほしいわ。

どう考えたって目線はそっちに行っちゃうんだよ。

目を合わせる一瞬前に見ちゃうんだよ。

その一瞬の目線の動きを見て楽しんでんのか。

俺もあそこの先っぽだけ出して目を見て話そうか?

2016-08-16

ヒス持ちの女の子と別れた男性

タイプ容姿だけどヒス持ちの女の子」と別れた男性、「元カノと同格の容姿ヒス持ちでない女の子」と付き合おうとする。

元カノとの交際開始時と比べて自分社会的地位が上がってない(同年代の中で相対的に下がっている)&自分容姿劣化してることに気付いてない。

 

ヒスにさえ耐えれば社会的地位容姿レベル上げなくても可愛い子と付き合えてお得」と考える男性、何もわかっていない。

メンタルだけでもボコられると意欲が減退して職能を上げる機会逃すし、容姿レベルも下がる。

趣味へのエネルギーすら減退する。全体的に衰えて、貧乏神疫病神みたいな雰囲気になる。生気を吸われそうで関わりたくない人になってしまう。

 

彼女が出来ても、彼女に振られたり彼女死ぬ可能性もあるわけだから、「良い女の子と付き合える自分状態」をキープしようっていう目線重要だと思う。

自分がそういう姿勢で生きてると同性の友達の質も変わるし、貧乏で不健康で僻みっぽい同性の友達スポイルされにくくなる。

社会人にもなって安酒に誘ったり、健康社会的評価を得られる行動を「ダサい大人」「オッサン臭い」と小馬鹿にしてくる友達は大抵スポイラー

TO BE

チカチカして読めないブクマカちゃん達へ

http://sealdspost.com/tobe/




2016年8月15日戦後71年の節目をもって、SEALDs解散します。


私たちは、日本自由民主主義伝統を守るために、
立憲主義生活保障安全保障3分野で、明確な立場を表明し、
デモや街宣などの行動を起こしてきました。
とくに昨年の安保法制強行採決に反対する国会前でのデモや、
今年7月10日に行われた参議院選挙に向けた野党共闘の実現、
市民参加型の選挙に向けた行動などを行ってきました。


結果として、ほとんど不可能だと言われていたにもかかわらず、
野党共闘のもと、参議院選挙では32の1人区全てで野党統一候補が決まりました。
また、選挙風景にも変化が起こりました。
昨年の夏、自発的デモ勉強会などを自主的に行った市民たちを含め、
選対には多くの人々が積極的ボランティアとして参加しました。
これまで選挙に関わることの無かった人々が自ら応援演説に立ち、電話がけをし、
ポスターフライヤーデザインしてポスティングしたのです。
候補者自身も、市民との関わりの中で、
よりいっそう候補者としての自覚責任を持つようになっていきました。


しかし、当然ながら、私たち選挙結果を含め、
これで十分だったとは思っていません。
改善すべき問題点は山のようにあります
市民が立ち上げる政治は、ようやく始まったばかりです。
個人として路上に立つのと同じように、
わたし」の声で、日常目線から政治を語ること。
隣近所・家族・友人・恋人政治について語り合うこと。
自分選挙区候補者に会いに行き、自ら選挙景色を変えること。
こうした営みは日々行われるもので、一朝一夕政治を変えるものではありません。
この動きを末永く、ねばりづよく続けていく必要があります
その積み重ねは、長い時間をかけて社会に根をおろし
じっくりと育ち、いずれは日本自由民主主義を守る盾となるはずです。


あの戦争が終わってから、71年が経ちます
私たちは、立憲主義尊重する政治を求めます
私たちは、持続可能健全な成長と公正な分配によって、
人々の生活保障を実現する政治を求めます
私たちは、対話協調に基づく平和的な外交安全保障政策を求めます
そして私たちは、戦後71年でつくりあげられてきた、
この国の自由民主主義伝統尊重します。


SEALDs解散します。
しかし終わったというのなら、また始めましょう。
始めるのは私であり、あなたです。
何度でも反復しましょう。
人類の多年にわたる自由獲得の努力から学びながら。
孤独思考し、判断し、共に行動し、
そして戦後100年を迎え、
祝いの鐘を鳴らしましょう。
This Emergency Action is over.
But the Unfinished Project Must Go On.
2016年8月15日>

SEALDs
(Students
Emergency
Action
for
Liberal
Democracy-s )


自由民主主義のための学生緊急行動
SEALDs

子供が見たらショックを受けるだろ!!」って言ってる奴ってさ

自分子供だった時の目線が無くなってるんじゃないかと感じる。

分子どもが出来て親になったタイミングとかにそうなっちゃうんだろうね。

子供が生まれて可愛くなっちゃうんだろうね。大切に育てたくなるんだろうね。

徐々に子供を見る目が大人から見た子供イメージステレオタイプに染まっていくんだろうね。

純真で素朴」「夢を壊しちゃいけない」みたいな。

クソみたいな卑劣な心を持ってたり、妙に大人びた子供っていたけどね。結構

子供の頃そういう目で見られるのが苦痛だった。親のイメージ通りに育てさせられて嫌だった」みたいな体験談ネットにいっぱいあってあんなに共感されてるのにね。

子どもに変なおっさんを見せてもなんともないし、殺人事件ニュースを見せてもなんともないし、ゲームやらせてもなんともないし、コンビニエロ本を見せても何の影響もねえよ。

添加物モリモリの食品食わせても何の問題もないし、糞汚いところで泥だらけになって遊んでも何の問題もないし、ちょっとくらい親が子供を怒鳴ったり叩いたりしても何の影響もねえよ。

生存バイアス!」「マッチョイズム!」っていうけどさ、そんな何の淀みもなく育つ人間なんていねえよ。

まあ、プリキュアの件について言えば、サンタを信じる信じないみたいなもんだから、各家庭が各々でゾーニングすればいいよね。

サンタがいないと子供が一人で気づくまで待つか、サンタの話なんてそもそも歯牙にもかけないかは、各家庭の問題だろ。

街でサンタコスプレをしたオッサンを見たら、「本物のサンタさんは今外国にいるんだよー」とか言うみたいに「あのおじさんはプリキュアが大好きだからプリキュアの格好をしてるんだよー。本物のプリキュアたちも同じ格好をしてくれるのが嬉しくて喜んでるんだよー」とか言うだろ。知らんけど。

あと、アレルギーとか体質とかの子どもにとって深刻な問題や、子供性格とかの成長する上で重要資質はしっかりと親が知って、ケアして上げることが大切だよね。(ありきたりな正論でしめる)

2016-08-15

ネタバレ有り】シン・ゴジラ矢口赤坂屋上シーンで気づいたこ

最近話題になっているシン・ゴジラ

ドハマリし、Twitter等で様々な情報をかき集めた後に、先日2回目の上映に参加。

そして思うところが多々あった。発見の多い映画は素晴らしい。

ここからネタバレあり。

未見で、今後ネタバレ無しで楽しみたい方はご注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイトルにある通り、矢口赤坂立川広域防災基地屋上にて、

ゴジラへの多国籍軍による熱核兵器攻撃政府が認可したことを話すシーンについて、

非常に細やかな演技があったように感じた。

屋上にて、赤坂矢口政府による熱核兵器の認可を伝えたとき

ゴジラ凍結作戦通称ヤシオリ作戦)を進めている矢口は強い口調で反論する。

一方、対比するように赤坂は冷静な口調で熱核兵器攻撃必要性

そしてゴジラ赤坂言葉では『巨大不明生物』だが)滅殺後の日本の復活まで考えることの必要性を説く。

このとき赤坂は「巨大不明生物駆逐後の日本のことまで考えることが我々の仕事だ」と言い切るとき矢口の目をまっすぐに見ているが、

核兵器必要性について述べるとき矢口目線を合わせていないのである

直前のシーンでは、里見総理大臣代理から核兵器攻撃認可の旨を、

目を見据え、身を乗り出しながら聞いていたのにもかかわらず、だ。

他の場面でも、赤坂他人と話すときはしっかりと目を見て話す人間である

それにより、このシーンの、目線を下に逸らしながらの会話が強烈に印象に残った。

 

考えられる理由はただ一つであろう。

赤坂日本の政治家として冷静かつ現実的選択、すなわち熱核兵器使用を推進する一方で、

その選択はやはり本心から来ているものではないのだ。

一見淡々と、見方によっては非情物事を進めているように見えてしま赤坂だが、

彼の中にも間違いなく葛藤はあったはずである

それを如実に表現したシーンであったように感じる。

その後、里見総理大臣代理に対する「総理、そろそろ好きになされては如何ですか」という進言に繋がるのである

以上、他に多くの方がお気づきかもしれないが、

自分が2回目の観賞の中で最も気に入っているシーンの紹介であった。

またいずれ、3回目の計画を立てようと思う。

備考:

赤坂セリフについては、概ね意味するところは同じであろうが、詳細は不完全なところがある。ご了承いただきたい。

インテリの俺が全力でシン・ゴジラ批評するゾ

シン・ゴジラを観た。

エンタメとしては面白い

だが同時に庵野および日本映画限界を示すドキュメンタリーのような映画でもあった。


この映画は、

復興ありき、

再建ありき、

日本にはまだ力がある、

立ち直れる、

そういう答えがもう先にある。

出来レースっぽい。


結論はこれ。もっと詳しく読みたい場合は先に進んで欲しい。


日本万歳の大合唱で負の側面を覆い隠す

これは映画に限らず様々な場面で3.11震災後なんども繰り返されていることだ。

力があるって主張をかたくなに、ほとんど反駁不可能イデオロギーのように保持しているのは、

しろ思考停止の弱体化にしか見えない。

俺は出来る!って盲信しているやつは、強いんじゃなくて自分の弱さを直視できないだけだ。


もっとも、3.11以降繰り返されてるそうした自己欺瞞的な合唱に飲み込まれることは、まぁ仕方ない。

この作品を取り巻く精神的な状況からして、ほとんど不可抗力であるし、それだけで作品のすべてを否定するつもりはない。

しかし、せっかくゴジラほどの大怪物召喚しておいて結果やっぱり俺らスゲーの大合唱かよ、と思わざるをえない。

俺らスゲーの出来レースゴジラ以外の他のテーマでやってくれ、と言いたくなる。

ゴジラというキャラもっともっと掘り下げるべきテーマを蓄えた宝庫なのであって、ゴジラをそんな自己欺瞞物語なかに埋もれさせて浪費してはいけないのだ。


新たな危機に直面すればこそそれに見合った国の体制を改めるよう反省を強いられ、

新たにテーマを掘り下げればこそそれに見合った映画手法発明するよう強いられる。

しかしそうした危機テーマである当のゴジラが、ほとんど空虚存在であるがゆえに(たしかわずかだが神として語られ、放射能の脅威を連想させていても、しかしそれが物語構造のものに関わることはない)、

日本万歳のその国の概念のもの反省を迫る映画にはなっていないし、その手法に関して言えば新たな手法発明どころかエヴァンゲリオンとさして変わらない。

(たとえばキャラクターについて言えば、感情を押し殺したようにして淡々と語る綾波市川実日子に、外国語を混ぜたご機嫌なアスカ石原さとみに、真意のわからぬまま無理難題を突きつけてくるゲンドウは〈あの国アメリカに、それぞれ入れ替わっただけである。)

シン・ゴジラエヴァンゲリオン庵野確立した様々な設定を忠実に引き写している。そこには反省発明も見つけられない。


もちろん何の変化もないわけではないが、

そうした変化が結局は日本の閉鎖的で差別的視野に同一化する点、

自分に力があると信じたいがために他国と異性に対する偏見を利用する屈折した日本男性視点に同一化する点は、

この映画保守的ものにしている部分である


石原さとみによって日本を弱小国として見る可能性が排除される

たとえばエヴァンゲリオンにはなくてシン・ゴジラには見られる新しい部分は、政治の前景化であるとともに、(それがつねに〈日本の〉政治である限りで)他国政府との交渉だろう。

ここに石原さとみが登場するわけだが、彼女キャラクターは、自信を回復したがる日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕している点で、やはりこの映画保守的ものにしている。


石原さとみのチャラけた演技は真剣に事案に対処している他のキャラクターに比べかなり浮いて見えるが、

しかしあれは日本男性の閉鎖的で差別的欲望からすると必然的な役柄になっているといえる。

演技がわざとらしいために良い演技とは言い難い、と思う観客もいるだろうが、しかしそういう演技も含めて必然的キャラのあり方だと思う。


日本米国の間に女性が入るというのは、日本からみて心理的必然性をもっている。

日本米国関係はいわばスネ夫ジャイアンであって、ジャイアンマッチョなところがあまりに出すぎると(たとえばジャイアンの力のみで事件解決したり、その力がスネ夫である日本に向かったりすると)、日本を守る日本人男性たちのプライドや虚栄心が傷ついてしまう。

そこで米国代表としてか弱い女性を置くことで、日本人男性日本人男性の力で国を守ったという体裁が保たれる。

かつ、あの日本語と英語を織り交ぜたヘンテコな日本語は、彼女をか弱い存在だけでなく変な奴として提示する。国際的観点からでなく、あくま日本人の側から見られた変人だ。

ここでは常識人変人の対は、内部(日本人)と外部(外国人)という対と本質的に繋がっている。変人変人であるのは、その者が外部から来た外国人であるからだ。

「〜アルヨー」とか「〜デース」とかい言葉遣いキャラが、日本人の側から見られた変な奴の象徴であるのと同じで、

彼女の奇妙な日本語は、他の日本人男性と観客とに米国でなく日本から観点を持たせ、その外部から来た変人として石原さとみを見させる。

視聴者たちが米国目線から日本を弱小国として見る可能性が排除される。


このようなわけで、この映画日本男性精神性の問題をそのうちに含んでおり、その点ははっきりと批判されるべきであるが、

しかしその限界をはっきりと映画のなかで示しているという点においては、そうした限界の記録として、ドキュメントとして、歴史的価値が大いにあると思われる。

その点では逆にこの映画評価されるべきだろう。

これほどありありと、日本的および日本男性想像力限界を示した作品はなかなか見つからないのではないか


風立ちぬ』にも認められるドキュメンタリー価値

この点ではジブリの『風立ちぬ』も同じだろう。

あの映画は、機械オタクの男が設計室に引きこもってひたすら戦闘機流線型フォルムにうっとりしているだけで、その戦闘機がどれだけ戦争悲劇を生んだか、とか、そうした男の機械オタクたちが生んだ戦争技術によって死んでいった女性への視点が欠如しているだとか、政治的またジェンダー的な観点からさまざまに批判を呼んだが、

しかしそうした戦中日本精神限界性をはっきりと示していたという点においては、ドキュメントとして大いに価値をもっている。

今回のゴジラもまた、同じような価値をもっているといえる。


こうして、批判されるべき部分は評価されるべき部分ともなる。

したがっておそらく、この映画において賭けられているのは、シリアスコミカル関係性ということになろう。これはどういうことか。


正しい反応とは、それを積極的に笑うというもの

さしあたりこれまでの論述で明らかになったことは、この映画限界証言するドキュメントとしては優秀であるが、それはいわば限界にはっきりと居座っているからであって、丁寧になぞっているからであって、限界を越えようとしているからではない、ということであった。

まりエヴァンゲリオン踏襲し、ナショナルものジェンダー領域において日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕するこの保守的映画は、

限界を自ら反復し、演じている、ということであった。

日本男性政治家米国女性シリアスセリフを交わす場面で、自身の力への欲望は満たされるだろう。

しかしまた、あることを反復し演じることは、つまりそれを真似することであり、その虚構性を示すことである

そう考えれば、シリアスものコミカルものに転じる。

そしてそれに応じて、批判されるべき部分は、評価されるべき部分ともなるのである


したがって、このように問うことができるだろう。

限界を反復することは、限界に居座ることであると同時に、限界茶化すことでもあるのではないか。つまり限界批判することでもあるのではないか

たとえばエヴァンゲリオンの設定を踏襲することは、新たな手法発明努力放棄することであると同時に、反復しているその設定を茶化し、批判することでもあるのではないか


そうであれば、シン・ゴジラへの正しい反応とは、それを積極的に笑うというものではないだろうか。

まりシン・ゴジラが何かを反復している限りでシン・ゴジラを笑い、またその反復によってシン・ゴジラが茶化しているものを笑う、と。

誰か、あの映画を見て笑ったものはいるだろうか。

あの映画は、諸手を挙げて受け入れられているように見える。

私はその反応をこそもっと批判したい。

せめてプリキュアコスプレゾーニングして欲しい、というお話

せめてプリキュアコスプレゾーニングして欲しい、というお話

というブログを読んで、勝手だなぁと感じた。

いやね。

子供を育てて始めて気がついた感じがにじみ出てて。

ああ、勝手だなぁ と。

つの時代自分目線からしか動くことはないよね。

でも理屈じゃないよね、子育てってさぁ。

2016-08-14

日本人選手に肩入れしすぎる解説

試合を冷静に見ることができず、日本人選手から目線しか試合を見ることができていない

あいう人は指導者には向いていないのだろう

2016-08-13

今風のオリンピックの楽しみ方

自分の好きな競技だけを見たり、こんな機会でもなきゃ見ないようなマイナー競技を見たり、エロい目線で見たり、単純に日本選手応援したり……

うん、そういうのは今までやってきたんだ。だもんでもうちょっと目新しい見方があれば教えてほしい。

2016-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20160811160732

東京だって近所付き合いや町内会消防団はあるんだよ

地方出身者は、そういった義務を果たさないから嫌われる

地方出身者の目線東京を語らないで

地方出身者を、都会の人なんて呼ばないで

奴らは、地元を捨ててきて、更に東京義務を果たさないか

嫌われるんですよ・・・

2016-08-10

http://anond.hatelabo.jp/20160810210702

出産後やたらと「主婦目線(笑)」になったようで、復職後に何か会社企画が起こると「その言葉遣い子供たちを蔑ろにしている」「子供たちのために環境に悪影響は及ぼせない」とかやたらと壮大な地球愛を業務に持ち込むようになった経産婦なら知ってる。

まじうぜえ、専業主婦しながらボランティア活動してろよって思った。

社内でやたらと有機野菜だかを周囲に勧めまくって、いりませんて言ったら「そうよね。子供がいないとこういうことの大切さってわからないわよね」みたいな捨て台詞言われた。

http://anond.hatelabo.jp/20160810075021

そう、ネガティブ意見ゴリ押しし始める人自体は、アスペルガー症候群とは関係ないと思う。

ただ、ASDの人は些細な論理破綻意味連結の不明瞭さをすごく敏感に感じ取って、指摘できる傾向がある。

そういうのをめざとく見つけて、

ケチのつけ始めとして都合よく利用しようとする人がネットには沢山いる。

たとえば、「ああやっぱり脚本家クソだ」「○○ファンはガキ」みたいに、

クリエーターや読者層にマウントし、貶めたい人。

そうやってプライドを満たし、自分を賢くみせたくて仕方ないのだと思う。

そういうのにも障害的な名前がついてるかもしれないけど、

だとしても限りなくレインボーでどこからが病的なのかは微妙だと思う。

これはASDについても言えるから、本当はこういうレッテルみたいな言い方をするのは

良くないと分かってる。でも理解やすさのため言っていることをわかってほしい。

 

ともあれ、そうやってネガティブを吹聴する人たちは、

アラ探し目線ものを見て、否定から入り、ものごとの良さを汲み取る姿勢がない。

ともすると自分ターゲット層でない作品にすら入り浸ったりする。

から、楽しむために見ている人とはどうしようもないほど理解の断絶が生まれる…

はずなんだよね。でもネットだとネガティブ意見思考侵食力がかなり強く働く。

そういうところが怖いなって話よ。

 

2016-08-09

漫画家は物知りだけど学がない人が多めな印象がある

ちなみに自分創作家ではない単なるファンなのでリスペクトはもちろんある前提だし、例外はある前提で。

敢えて例は上げないが、自分の見ている70年代から作家を見るとクイズ王的な知識や人を切り取る目線が鋭い人は多いと思うのだけど、漢字が読めないなど基礎的な「学力」は無い印象がある。

今は高学歴漫画家も多いのかもしれないけど、昔は若くして売れる人が多かったせいかな?

なんて思っていて、彼ら漫画家が、コメンテーターコラムニストとしてあまり呼ばれなくなった一因にも関係有るのかなーなんて。

2016-08-07

ネタバレシン・ゴジラのフクイチ批判は表面的でしかなく神話解釈による政治批判が正しいと思う

まえがき

シン・ゴジラ作戦名どっかできいたことあるけどなんだっけとおもって、でもしらべるのめんどうで放置していたら、ちょうど今読んでいる本で、その由来を確認して、もーそっから色々妄想がとまらなくなり、深読みをしたくなりまくってしまったので書きます。途中までは、あんのさんのゴジラ作戦名とかに仕込んだ神話ネタ説明。途中からはちまたにあふれるエヴァの超解読本ぐらい怪しい俺の推測。でもまあこういうの含めて盛り上がるのがあんのさくひんだよなとおもうので様式美としてひさしぶりに長文かきます結論だけかくと、一見くそまらない勧善懲悪みえるのだけど、今回もちゃんとあんのさんてきひねくれた映画だったのだろうということです

 

ゴジラヤマタノオロチ神話比較的わかりやすい関連性について

ヤシオリ作戦アマハバキ

まずシン・ゴジラ構造として、わりと愚直なまでにスサノオヤマタノオロチ退治の神話をなぞっています。誰でも気づくのが、ヤシオリ作戦ヤマタノオロチに眠らせるために飲ませる酒の名前はしご車名前であるアマハバキリはスサノオが使った剣の名前ってとこです。この2つで明確にヤマタノオロチ神話をなぞっていることを示しています

ということはゴジラヤマタノオロチということになるわけですかね。ゴジラ原作では恐竜ミュータント、つまり龍です。龍と蛇は限りなく近く、概ね同じ存在と見なしていいと思うのでヤマタノオロチ=龍=ゴジラってことでもいいのだけど、やはり微妙に異なる。今作では幼体の姿で4つんばいの状態を見せているところからも蛇としてのゴジラというのも意識させている気がします。尻尾が長いのもその象徴かなと。後常に状況に応じて進化するのは蛇の脱皮をイメージさせる。だから今作のゴジラはより蛇であり、ヤマタノオロチに近い存在であるとは思います

スサノヲ=矢口

そうなると、矢口スサノオなのか。スサノオ神話は基本構造貴種流離譚、つまりアマテラスの弟という高貴な血筋もつものが、本人のか何らかの欠損を理由追放され試練を乗り越える。矢口は親が力を持った政治家であることが示唆されている。しかし本人の性格は、権威に頼らず上との衝突を辞さず、どちらかというとうとまれ存在。結果、メインストリームから外された専門家集団責任者になるなどする。まあありがちな設定だが、違和感があるのは親が政治家である設定だ。この流れならはじめからたたき上げの能力戦いがコミュニケーション力低いオタク性格主人公でもよかったはずだが(実際アニメだと死ぬほどよくある)、そうしなかったのはスサノオを重ね合わせるための設定かなと思いました。

カヨコと牧教授は、ヤマタノオロチ被害をうけた、うけつつあるクシナダヒメとその親アシナズチ。

教授の奥さんが、放射能が原因でなくなっているというのは、ヤマタノオロチがこれまですでに八人の乙女を食らってきたという部分に重なる。放射能象徴ゴジラでもあるからだ。そしてまたヤマタノオロチが暴れ狂うのだと、旅先で出会ったアシナズチという老人はスサノオに告げるのだ。アシナズチは牧教授なのでしょう。もう少し妄想を広げるならクシナダ姫は、日本出雲に近い広島)の血を引き、過去親族放射能というヤマタノオロチ被害をうけ、同時に高貴な一族の出(パターソンという名前は、貴族血筋)であるカヨコかなと。クシナダ姫なら、今回のゴジラに殺されそうになだてるのかというと、そうでもないのがこの説の弱いとこですが、アメリカから核爆弾が落ちるときに、ぎりぎりまで日本にいる選択をしたところで、ゴジラではないが同じ放射能存在核爆弾被害をうけ兼ねないという意味ではまあそういってもいいかなと。

後半になればなるほど、若干強引な結びつけにはなってますが、作戦ひとつで、まあヤマタノオロチ退治の物語にかけているというのはある程度明らかなのだろうと思います。それはあんのさんがよくやるゲンガクテキになんとなく、物語に深みがあるようにみせかけるためにやっているのかというと、もしかしたらそうじゃないのかなとか思います。ここからは、さらさらこじつけになっていく部分が大きくなりますがご容赦ください。妄想です。

ゴジラに隠された氏族共同体中央集権の争いのメタファー

原始蛇信仰について

まず、事前説明として日本における蛇信仰について説明。蛇は、最も古い信仰だと1 外形が男根相似 2 脱皮による生命更新 3 一撃にして敵を倒す毒の強さという特徴から世界各地で祖神として崇められていました。時代が移ると、蛇は稲にとって害獣である鼠を食べる特徴から農耕の神という属性が強まったこと、また蛇を邪とし龍を崇める信仰が流れてきたことから祖先神の側面はうすくなり農耕の神の側面がつよくなったのです。

ヤマタノオロチ神話解釈

オロチとは、そのまま蛇という意味もありますが、峰の神、山の神という意味もあり、かなり古い蛇信仰対象といえる名前です。それがまず害をなす存在として描かれる。助けを求め最後に勝つの側のアシナズチという老人はテナズチという配偶者がいます。その足がない、手がない神という名前から彼ら自身も蛇の化身と考えられる。その娘がクシナダ姫。奇稲田の姫と書き、農耕の神を意味し蛇の神の子であるから彼女も蛇の神。善とみなされるのは農耕の蛇の神なのです。農耕は中央集権的定住型の社会象徴、それより古い祖先神は、集権化される前の氏族共同体象徴ともいえます。この国は、かつて様々な小さい国が、自分たち祖先神をもち、乱立し互いに牽制し互酬しあう仕組みでした。稲の神である天皇による大和支配確立日本という形がつくられるようになりました。

まりヤマタノオロチ退治の話は、農耕の神としての現体制の蛇神が高貴な新しい王族の血を引くものといっしょに、出雲を中心とした旧支配者としての蛇を倒す話ともよめます

ゴジラヤマタノオロチ神話になぞって解釈すると

今回のゴジラ投影しているのがヤマタノオロチだとすると、それは眠っていた古い戦いの神、すなわち現体制にとっては無秩序をもたらすものなどのイメージを仮託してるのではないでしょうか。一方、総理を中心とした秩序を維持し続けようとする政府側、そこからうとまれながらも、大きな役割を果たす矢口は、当然そうした、ありとあらゆる秩序を破壊しようとする悪を許さな中央集権社会体制イメージされているのでしょう。そして日本の力を政府結集して、無秩序純粋な力に打ち勝つ。

あんのさんはどっちの味方?

ただ、ヤマタノオロチ神話のように、実際に打ち勝つことはできず酒で眠らせたとここておわっているところ、本来ヤマタノオロチのしっぽから草薙剣がでてくるはずなのに、何かまがまがしい生き物が出てきそうになっている描写、おそらくゴジラの次の進化を、におわせていて、勝負はついていないところを見ると、あんのさんの目線はどちらかというと、ゴジラ側の反体制的、封印された本能の塊のような存在共感をし続けているようにしか思えます

今回も怪獣同士が戦う映画だった。

実際日本においては、かつて天皇による中央集権画家たちの上ではなされたとはいえ、現代に至るまで強力にそれが機能したことはなく、困ったときは旧来のお互いの話し合いで解決するというやり方がずっと続いています氏族共同体のありかたは死せず、この国に眠り続けています。今回の映画でも、体制側の否定されつつ、賛美もされた特徴として徹底した非合理な合議制があります。そしてトップが死んでもすぐに首のすげ替えがなされる。まさに蛇的なありかた。これがゴジラを倒した最大の理由であるとすれば、あんのさんが、最終的に勝たせて賞賛したのも中央集権的な正義ではなく、日本体制側のなかにもある蛇的、ゴジラ的な部分だったのではないでしょうか。

今回、怪獣は一匹しかでてないようにみえましたが、じつは今作も怪獣同士の戦いであったのです。ゴジラ vs 日本人

やっぱりあんのさんの映画だった。エヴァと同じ構造

そう考えると、最初いつものエヴァとかのひねくれた作品とちがって、今回は単なる勧善懲悪映画なのかな、つまんねーなとおもってたりしたのですが、やっぱりそうじゃないひねくれ映画だったのだろうな、いつものあんのさんだっとほっとします。

蛇足ですが(蛇だけに)人間使徒ほひとりで、進化の形が少し違っただけの怪物であるというのはエヴァとまんまおなじな訳ですよ。そう考えるとゴジラは、アダムであり、尻尾から生み出されるのは使徒なのかも。イメージ的には貼り付けにされたリリス下半身からにんげんがぽこぽこくっていていたのとおなじなのかも。

ゴジラはフクイチのイメージ

ゴジラって、いままでSF定番の行き過ぎた現代科学に対する警鐘としてえがかれてきたかとおもうのですが、そして今回も福島原発イメージはわかりやすいほどかぶせているとは思うのですが(こちらでも言及されてますhttp://anond.hatelabo.jp/20160805000418 )、ヤマタノオロチを持ち出してきたことによって、いままでのような科学の力への警鐘ではなく、また311の反省映画でもなくしているのではないかと。単発の事象に対する象徴的な映画なのではないとおもうのです。この国が根本的に抱え、なおかつ封印している体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望の力強さとその恐ろしさへの警鐘、それと同時にその力は今でも脈々と体制側の中にもすでにとりまれていてそれを有効に使うこともできるよね、というような話をみせたかったんじゃないかなとかおもいますゴジラは死なないよどこまでも、ってかんじで。

おわり

あーーーー、妄想がとまらない。とりあえずここまで読んでくれた人ありがとうヤマタノオロチ解釈に関しては、たぶん世の中的には主流ではない解釈だと思います一般的には、川の氾濫の象徴とか、そんな感じでしょう。でもまあこういう解釈方向性は、いろんな人が出していて(この本とか https://www.amazon.co.jp/dp/B00PS2FK8C/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)そこ自分で味付けして解釈してみましたというかんじです。

まあ、最初にも書いたけど、こう言うのを考えるのが楽しいのがあんのさくひんだなとおもいました。



追記

http://anond.hatelabo.jp/20160807101757

読み方は(増田も言っている通り)やや(かなり?)牽強付会くさい点もあるけど、面白い読みだとは思った。

ただ、増田の言うことが正しいとして、何で今の時代に「氏族共同体中央集権の争い」を描いたの?ってのが気になった。「体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望」が発現した事件とかって最近あったっけ?ISとか?

ちょっと言及されたので、補足してみる。

前提として、巷で言われるように右翼礼賛、共同体万歳的な側面がこの映画にはある。ただ、共同体主義には2種類あると思っていて (1) 国家型(中央集権的) (2) 地域型(地方分権的) がある。

今回は地域共同体主義共感している映画だとおもっていて、結果的国家型を否定するなぞりがあるんじゃないかと。

地域共同体主義の人にとっては、リベラルのいうような何か理想とする社会を人工的に作るというのはぴんとこない。もっと自然感情で、近しい人で社会をつくりあげたいとおもっている。しかし、国家というのは大きすぎてぴんとこない。そしてそこにひも付きやす全体主義的な思考には拒否反応をしめす。そういう思想です。

これって全く特別イデオロギーではなく、割と普通ネトウヨとかじゃないけど、左翼むかつくとおもっているネットによく人たちの自然思想だとおもっていて、おとなしめのリベラルちっくなオタク親和性たかい。そしてあんのさんもそういう思想意識的無意識的かもっているんだろうなと思うのです。だからこういう対立を描いたと。

無秩序への回帰というのはちょっと「現体制にとって」の無秩序であり、ほおっておいても自然に生まれ家族的情愛による秩序への回帰共感したいというメッセージかもしれないなと思います

2016-08-06

カムアウトすれば自由になれる、という妄想

おすぎピーコおすぎ

差別があった頃のほうが楽しかった」と言った。

それは負け惜しみでなくそうだったんだと思う。

ここ10年ぐらいかな。

テレビにオネェタレントが大挙して押し寄せて

日本でもゲイパレード報道されるようになって

一部地域同性婚ヘテロ婚姻と同等の権利)を認めて・・・

LGBT活動が実を結んで

ゲイ市民権を得たかのようなムード蔓延してるけど

現実はまだまだそんなに簡単じゃない。

今回起きた大学生同級生への告白から自殺に至った悲劇

ひと昔前なら(ほとんど)起こりえなかったろうと思う。

何故かというと、そんなことを言ってはダメだと知っていたから。

同性愛について辞書を開けば、

そこには堂々と『異常性愛』と書かれていた時代があった。

もちろん、現代尺度ではナンセンスの極みなんだけど

でも、男が男を、女が女を好きであることが特殊であることは事実

身を焦がす想いに苛まれていたとしても

告白しても上手くいかないのはわかっていたし

何より告白することが相手に対し負担を与えることだとわかっていたから。

最近日本ゲイは甘やかされ過ぎなんだと思う。

ゲイだってだけで身の危険が及ぶような国でもないのに

主張したい権利アイデンティティも持ち得ないまま

海外猿真似ゲイパレードをやって

大勢で練り歩いて笑ってるだけの軽薄なゲイが増えた。

ファッション感覚ゴスペル歌ってる連中と同じ。

これでは世間は何も変わらない。理解なんて得られなくて当然。

カムアウトって誰のためにするの?

自分が楽になりたいだけだよね?

自分が楽になれば、それを聞かされた人が思い悩んでもいいの?

そんな自分勝手理屈がいつの間にか「正しい行為」として推奨され、

あまつさえ「受け入れられる社会理想」とか

その覚悟もないし出来もしない連中が綺麗事で書くから現実との齟齬生まれる。

今回亡くなった大学生さんは、

まさにその歪みにはまってしまい、身後動きがとれなくなってしまった被害者

敢えてどぎつい書き方をすると、「寛容な社会」を標榜する方々は、

相手からゲイだと告白され、さらには好意を持っていると

言われることの意味を本当にわかっているのかな?

あなた男性だった場合、それは「あなたのチンポをしゃぶりたいんだ。

できればあなたのケツにも入れたいんだ。

(もしくはあなたのチンポをケツに入れて欲しいんだ)」を意味するんだよ?

まぁ、最近若いゲイセックスしない子も増えてるけどさ。

今回の件で、とあるブコメが「こういうケースを積み重ねて

世間理解が浸透していくんだろう」みたいなこと書いてる人がいた。

人が一人死んでるのに、理想的社会形成するための

捨て石のように考えてるんだと思ってゾッとした。

LGBTに対して理解あるフリしたコメントをしてる人達

貴方貴女)達こそ、「認めてあげなくちゃね」っていう上から目線ゲイを見てない?

そして、自分が偶然上手くいったからといって安易カムアウトを薦めるゲイ達。

貴方貴女)達の無邪気で無責任な呼び掛けが

今回のような新たな悲劇を生む一因にもなっていることを自覚すべき。

日本生活する上で、レインボーパレードしなきゃならないほどの窮屈を

貴方貴女)達は本当に感じているの?

パレードに参加して5人とヤッてきた』なんて話、ゴロゴロあるよね?

みんなコンドームたくさん用意して出かけるもんね。

ただの大規模なお見合いフェス、やりコンになってることを

静かにしておいて欲しい大半の隠れゲイは見抜いてるんだよ。


***追記***

ブコメをいくつかいただいてたので書きます

Shichi_Yachioさんへ。

カムアウトする人がいなければ社会は変わらないという意見

失敗すれば今回のように自殺するまでにもなりかねないのに、

社会を変えるための捨て石となってサンプルケースになれと?

私は「差別継続しろ」と言っているわけでもありません。

mugi-yamaさん。冒頭に書いたおすぎ発言の出典についてですが、

これはテレビ東京系列でやっている鶴瓶の「チマタの噺」や

TBS系列でやっている阿川佐和子の「サワコの朝」など複数番組で言ってます

kidspongさん。

あなたが楽になれるのなら言ってほしい」という想いも他方には確実に存在する。

これは一見理解ある発言のようにも見えます

未婚率がこれだけ上がっていて、他人プライバシーにそれほど干渉しない

日本に住む上で、ゲイを隠して生きることをさほどストレスにも感じない人は

たくさん存在します。「さぁどうぞ!私は理解あるから言ってちょうだい」という

気持ちのものカムアウトの強要であり、そこをストレスに思う人もいるんです。

お気持ちは有り難いのですが、人によっては善意が息苦しくなるんです。

lamiel123さん。少数派の子供達に、この国では少数派であることを呪い

絶望して生きれば安全だよと教えるのか。これは極論もいいところです。

例え少数派に生まれても、自ら喧伝する必要はないと言っているんです。

そうすることで生まれ悲劇もあると教えることもまた必要でしょう。

firstbentoさん。「ええ感じてるわ。この増田存在することがその根拠

こういった、いかにもオカマらしい揚げ足取りこそ不毛と考えます

それでも敢えてコメントするなら、日本レインボーパレード

社会に対し何らかの影響を与えたと思っているなら相当におめでたいと思います

思想も怒りもない、ただの仮装パレードに誰が何を感じると。

sk2233さん。同性愛者は表に出てくるななんて言ってません。

この日本は、同性愛者がわざわざ前に出て権利を主張しなければ

生き辛い国ではない、ということです。

sasakisasaoさん。いえいえ、ゲイ同士なら好きにすれば良いと思います

事実私もそうしています。これは自戒意味も込めて書きます

ゲイセックスまでの過程がすごく早いんですよ。

「寝てみて決めるゲイのお付き合い」という言葉もあるぐらいです(笑)

kapiyvachangさん。ヘテロ比較してどうこう言っているのではありません。

それはすり替えです。この人の別のブコメに「理解してあげないと」とありました。

現実も見ずキーボード尊大な考えの打っているような方に

「まだまだ道程は厳しい」などと言われたくないですね。

hak2407さん。「下を見て安心したいのか理解ある自分スキーなのかと邪推

この人は一体何が目的でそんな邪推をしてるんでしょうか。

研究対象か何かだとでも思っていらっしゃるんですかね。

yas-malさん。「怯えなくていいよ」

これこれ、こういう目線が苦手なんです。

理解あるフリをしたい人達っていうのはゲイを下等動物

障碍者ぐらいにしか思ってないんじゃないですかね。

私はこれっぽっちも怯えてないですよ。

untanchangさん。

私はおすピー若い頃を知りませんから、実際どうだったのかは分かりませんが

昔話を聞く限りでは有形無形の嫌がらせ、それこそ人間扱いされないような

酷い差別を受けたと言っています

美輪明宏のように容姿端麗で才能も豊かだった人ではなく

おすピーのような「普通オカマ」がメディアに出てきたことこそが

今に繋がってるんじゃないですかね。

gomattouさん。

オカマの敵はオカマ』って言葉知ってます

あなたはまさにそうですよね。

過去にご自分も友人にバラされたというコメント、今は非表示にされてるようですが

少なくとも私は貴方に対して「死ね」などとは思ってませんよ。

多様な性が受け入れられる社会を夢見ているなら

まずは多様な意見を受け入れる心をあなたが養うべきです。

youco45さん。

私は差別などしていません。

「何もしなくても平穏に暮らせているのに

不用意に事を荒立てないでくれ」と言っているんです。

それによって被害者(今回の自殺者)も出たでしょ?ってことなんです。

quick_pastさん

自分と異なる意見を「詭弁の塊」としか思えないなら

性の『多様化』について議論の席に座る資格はないですね。

firstbentoさん。

では高尚な理念とやらを掲げずに

「年に一度のヤリコン!みんなでやりまくろう!」って

掲げれば良いのではないですか?

ゲイナイトなんかは堂々と書いてるんですから

それを外(昼間)でもやればいい。

yamatedolphinさん。

禅問答じゃないんですから、そこまで範囲を広げられても困ります

少なくとも今回の自殺者は、結果として捨て石になってしまっただけで

最初から捨て石になるつもりで告白したのではないと思いますよ。

そこを勘違いさせたのは、昨今の無責任なカウアウト推奨と

ゲイリブマンセーな流れだという主旨で書いてますので。

2016-08-03

弱者のくせに支配目線なのほんと滑稽

いるんだよねけっこう

先生に会いたくなった

ふと高校時代担任先生と話したくなった。

他にも担任だった先生はいるのに会いたいと思ったのはその先生だけだった。

別に親身に相談に乗ってくれた訳でもないし、何かで怒られたこともない。特別な思い出も特にない。

唯その先生は、最も私たち目線に近づこうとする意識が高いように写っていた記憶が残っている。



変な言い方になるかも知れないけど、先生には教師として一生徒であった私が、どうしてこの学校を選んだのか、

当時何に悩んでいたのか、卒業後に何をしていたのかとか諸々を知る権利があるんじゃないのかと思った。



今更になって先生という存在のありがたみが分かるようになったのかもしれない。

それを伝えることが先生に対する私が精々できる御礼な気がした。