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はてなキーワード: 表現とは

2016-06-25

なぜ表現職業にすると辛いのか

俺が書く物語は俺を表現するものだ。

他人が書く物語は俺を表現するものであるべきだ。そうでなければ読まない。

故にプロは俺を表現する物語のみ書くことを求められる。

しかしながらお前らの思う俺は、俺ではない俺だったりする。そこのところに激しく遺憾を覚える。

EU離脱派勝利のことについて一生懸命書くのでブクマ200くらいください

EU離脱派が勝利を収めましたが、この原因は貧困層いじめすぎた・甘やかさなかったせいだと思います

原因というか富裕層にとっての敗因でしょうか!?

 

貧困層は今回の選択が必ずしも自分たちメリットになるとは考えていません!

もちろんデメリットとなることが分かっている者もいるかもしれませんが大半はそれも分かっていません!

ではなぜ、メリットになるともデメリットになるとも詳細が分からないことを決定したのでしょうか?

それは、嫌がらせからです!

 

自分たちの持つ富裕層に対する不安・不満・疑念

個人では力が無い故に形にならなかった感情

それが団結することで明確に力になろうとしている!

旧・民主党政権誕生した民衆心理完全に一致しているのです!

自民党に不満がある、でもそれを形にして表現するだけの力が無い、

その状況に上手くのっかかれたのが民主党だったのです!

まり民主党民主党自身のチカラによって当選したのではなく、

民衆の想いが具現化する対象に選ばれただけだったのです。

ですから、まともな政治主導もできずに野党に逆戻りしたわけですね。

これは自民党が「貧困層の動きを軽視しすぎた」ことに支払わされた代償であり、

決して野党の大勝利ではなかったのです。

そして自民党政権にすぐに戻ったのも民衆自分たちの想いが具現化したもの

正義戦士」ではなくて自分たち短剣で刺し回る「悪魔」だったことに気付いたからでしょう。

そして野党政治主導する力がそもそも無いことを今の世代に露呈させたことから

今の野党の弱体化に繋がったと考えられます

まり結局は反省して元に戻したんです。

本当に選択が正しければまだ民主党政権が続いてるわけですから

 

イギリス民衆も同じようにEU離脱することで自分たちの不満を具現化したかったのです。

低所得者ありがちな現実問題の解消よりも心理的充足を優先させる傾向が大衆にも当てはまったのです。

これから先にイギリス貧困層は今までよりもさらに多くの負債をかぶさり、

自分たちが生み出した「悪魔」に心臓を刺されていることに慌てて気づき、遅まきで後悔するのだろう。

後悔先に立たずとはこのことですね!

たちが悪いのが、勇ましく泥を被ろうぜと富裕層にけしかけた結果だとしても、

富裕層よりも所得の低い貧困層や直接的な被害にあった株に手を出していた貧困層~中流層は線路に飛び込んだのではないでしょうか?

 

これは数が増えすぎたせいで自ら暴走して死に至らしめる「蝗害」とどこか似ています

不安や不満を具現化するのが目的、と言いましたが

民衆すら気づかない真の目的は「私たち暴走しない範囲で上手く騙すか、

恩恵を与えて欲しい」というメッセージを切実に富裕層に向けて送ることなのです。

コチラの方が本当の脅しなんですよね。

私たちが蝗害になってしまう前に、貧困層いじめをやめて欲しい」というメッセージが本当の真意だったのです。

このことを今の富裕層がきちんとキャッチしないことには、人類滅亡まで永遠に貧困層由来の蝗害は発生し続けます

 

お互いが不幸にならないためにも本当に変わらなければいけないのは?

教養もない、お金もない、選択肢もなければ、才能もない、覚悟も無い、時間もない、味方もない。

そんな貧困層は変わりません、奴隷のための存在ですから

奴隷奴隷で居続けるための最低限のボーターを調整することが富裕層義務なのです。

全体を調整する役目が選ばれた人間には責務としてあったはずです。

大衆管理されることを望んでいますが、

虐げられることは望んでいないのです。

 

いじめ駄目!絶対

http://anond.hatelabo.jp/20160624165045

要するに、科学技術歴史過去のどこかから枝分かれさせて、

ある技術現代以上、"その他の技術現代未満の発展具合"、と

言わばステータス配分を異にしたものが「スチームパンク

って事でいいんじゃなかろうか。

スチパンは語義的に蒸気機関進化したもの限定って主張も分かる。

でも広義に上述のニュアンスを指して言う人もいるのだろう。

なぜって、それを「スチームパンク」以外にどう表現するか分からんから

言うとしたらサムシングパンクとか?進撃なら立体機動パンク

でも、スチパンの元になったサイバーパンクだと、よりSF色が強くて、

科学技術はぜんぶ現代上位互換ってことが多いけど

スチパン現代より劣ってる部分があってその制約が物語を引き立てる事が多い。

そういう要素はやはりスチパン特有なので、

「スチパン」って単語にその感覚を仮託するしかないわ、みたいな。

http://news.mynavi.jp/articles/2016/06/24/bakuon/

ばくおんは良かった

クールでは一番好き

ばくおん!!』という原作アニメ化するということは、原作をそのまんま表現することだと思いました。

この発言はなんか西村純二監督良識を感じさせるなあ

これが天然のクレイジーボーイだったら「原作をそのまんま表現したい」と言いつつ天然ゆえに原作より危険になるアレンジをしてしまったり、藤田陽一だったらもう最初から原作よりやばいネタをやることしか考えないんじゃないか(偏見

2016-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20160624224930

FF619世紀末の雇用問題に見られた世紀末感が世界崩壊として表現されてたり、

ゾゾの街に行列ができたりと確かにテイストはあるかもしんないね

7はハイテクノロジーに足を踏み入れてるので、スチパン分類は首を傾げる人もいるんじゃないだろうか。

あいかわらず原作厨低能だな

http://b.hatena.ne.jp/entry/9tail.hatenablog.com/entry/kumamiko12review





https://twitter.com/yokoline/status/744932470974341120

まずこのツイート低能

まちのところに「村から出たい」としか書けていない

それだけで済むなら、よしおの行動はまちの欲望と利害が一致してるだろうが

低能原作厨馬鹿から気付けないようだが



本当は問題ないはずなのに何故馬鹿の目には周囲がまちを苦しめているように見えるかというと、まち自身が「村に帰りたい引きこもりたい」という矛盾した願望を抱いているか

そんな願望が生じるのは、まちが非常に臆病であり、かつ機械操作もろくにできないような頭の弱いキャラとして「設定」されているからに他ならない

馬鹿原作厨は石を投げられる妄想だけに注目しているようだが、まちは初期からこういうキャラだった

新しいことに異常な抵抗を示し、知識はいっこうに身につけず、炊飯器もろくに使えない頭の弱い娘

これこそがまちが村を出れない最大の原因だ

そこにあるのは引っ込み思案で頭脳も平凡な少女リアリティをもって描こうとする態度ではなく、度を超えて未熟な少女を愛でようという欲望しかない

まちは未熟なものを愛する変態たちへ捧げられたキャラクター

諸悪の根源はこの設定を作った原作者であり、よしおたちには何の罪も無い

アニメスタッフ原作者の設定意図を正確に読み取っているからこそよしおに「生贄」と表現させたに過ぎない

原作者がやっていることを作中のキャラクターに指摘させることに何の問題があるだろうか?

本来ならば、問題は無い




が、自らの欲望客観視できず、作品構造を読解することもできない低能原作厨からすると、よしおは酷い奴だ、という筋違い感想を言い出すわけだよな

少しはメタ視点も身につけろよ

まあ馬鹿には無理なんだろうな

つくづく原作厨害悪であるしか言いようが無い

死ね

日本でスチパン流行らないという言説

より詳細に言えば19世紀末物は流行らないということらしい。実際大友スチームボーイもポシャっている。

カバネリは見ての通りだ(そもそもスチパン必然性がない)。

ところが検索すると進撃はスチパンだという意見がちらほら。正直疑問符

あれに産業革命匂いなんか微塵もない。ガジェットについて特に蒸気機関の明示はなく、ガスということから石油ガスっぽい。

ラピュタはスチパンかといえば、巧妙に偽装したスチパンだと言い切れなくもない。実際ムスカの一味はイギリスモデルにしている。

しかフラップター航行速度的にいっても蒸気では間に合わないし、飛行石という最終兵器が出てくる時点でスチパン色は薄まっている。

緻密なハードスチパンは確かに存在しないかもしれない。中田春彌『LEVIUS』は結構まじめにスチパンをやろうとはしている。



個人的にはスチパンファンタジーという、SF考証を御座なりしなたもののほうが受けやすいのではないかと思う。



若干気になったブコメ

id:pokute8 "フラップター航行速度的にいっても蒸気では間に合わないし、飛行石という最終兵器が出てくる" スチームパンクを何だと思ってるんだろう? 厳密に蒸気で再現できるものしか登場させちゃいけない世界ではないぞ。

トラバ定義してる人もいるのでそっちも参照。このブコメ創作全般のあり方だと思う。



id:Hoodedcrow1 元々どの国でもスチームパンク流行したことなんてないってだけの話では。流行ってどのぐらいの規模を想定してるかしらんけど。19世紀末物は流行らないって、ヴィクトリア朝ものは根強い人気ジャンルじゃん。

もともとの発端はそこら辺の雑談ではなく、映画なんかの企画段階で失敗しやすいかスポンサーが降りる、という話からだった。

ここらはもっとはっきり書くべきだったかもしれない。



id:kijtra 設定が重要なら「パンク」つけなくてもいいんじゃ…?スチームファンタジーで。

id:crapman スチームパンクはただのデザインコンセプト、って考えた方がいい

かもしれない。案外単なるアイコン化してる側面も。



id:kskss0505 スチボはコケはしたけどポシャってはいない。妙な略語といいちゃんと考えて文章書いてる?

しょうもないつっこみすんな。

興行的にも大敗して世間的にも受け入れられなかった作品をポシャってると表現しても大きな違和感ないだろ。

少なくともこの略語に関しては俺発祥じゃねーよ。

写真談義に完全に乗り遅れたけど聞いて!

出張から帰ってきたらカメラ談義で手斧飛び交いまくってたことを知ってとても悔しい気分だよ!

僕も手斧で殴りあいたかった!

もう全然旬が過ぎた話題だけど、増田書くよ!



被写体への愛とか、アマチュア一眼レフ捨てろとか、手っ取り早く撮影できるコツを教えろとか、ひとまずみんな正しいよね。

だけど、写真を撮る上で本当に本当に根幹にある部分について誰もまだ言及してないことがあるよ。

それはね、写真に映る世界は撮り手が見てる世界しかないってことだよ。



だってカメラ透明人間ではないから、その空間には必ず撮り手がいるはずなんだ。

から写真には必ず撮影者と被写体関係性が映るはずなんだよね。

その関係性っていうのが、人が写真を通してみたいものの一つでもあるんだ。

例えば被写体とのダイレクト関係性を写す写真かといえば梅佳代ちゃんだよね。

あん写真コミュ症の僕には逆立ちしたって撮れないよ。

そもそも逆立ちできないし、でももしかしたらそんな惨めな姿を眼の前にしている人との意外な関係性が写せるかもしれないね



被写体との関係性を高い次元成功させているのはアンリカルティエブレッソンだよね。

彼は決定的瞬間を発明した人間として有名だけど、それよりもすごいのは膨大な数のストリートスナップだと僕は思っているよ。

どうしてそんな瞬間に居合わせたんだろうっていう写真もあれば、写ってる人に見つかったら大変なことになりそうなドキドキを感じる写真もあるよね。



被写体に愛があることは大事だけど、被写体に愛がないというのも関係性なんだ。

それをどちらが好ましいかは個人のセンスしかないよ。

商用であることを前提にしないなら、そんなことを気にする必要なんてないんだ。

それよりも何よりも愚かなことは、自らの関係性に目を背けて他人関係性を真似しようとしかしないことだ。

当然関係性というのは人に対してだけじゃなくてものに対しても生まれるよ。

被写体に対してどういう想いがあったかによって見え方だって変わってくるし、感じたままを写そうとすれば撮り方だって変わってくるよね。

そんな他人でも作れる写真いくら量産したって、自分にとって何の意味も持たない。

これだけは断言してもいいよ。



次に機材の話。

関係性の表現に大切なのは、機材の表現力だ。

だって自分の目から見える世界カメラに写る写真とは同じはずがないからね。

から自分の見た世界にどれだけ近づけることができるかを考えて、機材を選ぶんだ。

高ければいい写真が撮れるなら、みんな高い機材使うよね。

違うよね。

君が機材との相性が合わなかったり合ったりを感じるのは、君が見てる世界との違和感を感じているからだよ。

からアマチュアだって一眼レフを使ってもいいし、使わなくてもいい。

どちらでもいいけど、自分が追い求めるべきは、自分の見てる世界表現だと割りきったほうが、余計な機材を買わなくて済むよね。



最後に手っ取り早くいい写真を取るコツ。

それはね、自分自分以外の関係性に恐れず一歩踏み込むことだよ。

ただ周辺が写ってる俯瞰写真だっていいじゃないか

もしそれが自分と周囲との関係性を表現してたなら、それをつまらないと言われたら腹が立つのは当然のことだよ。

だって、人の中に交わるより遠くから冷静に眺めてる事のほうが好きだ。

からレンズ24~50mmの画角帯をよく使ってるよ。

もしその奥さんが自分と周囲との関係性を汲みとって写真に撮ってと言ってたとしたなら、そしたら話は早いよね。

彼女視点から何が見えればを考えればいいんだ。

僕は奥さんのことを知らないからなんとも言えないけど、例えば僕が奥さんと一緒にいる時は、奥さんと子供が楽しそうにしている雰囲気を奥さん目線で撮ったり子供目線で撮ったりするよ。

この人に限って言えば、デジカメじゃなくてチェキを使って撮ったら面白いかなって思った。

暗い部屋の中ならフラッシュが届く距離も限られてくるし、すぐに写真を渡せるから相手リアクションを楽しみながらコツをつかめるんじゃないかな?



最後に、もし写真を楽しみたいならハイスペック防犯カメラになるのだけは止めよう。

そこにいるのはカメラじゃなくてあなた自身だよね。

その風景あなたがいて初めて出来上がった風景なんだから、それをしっかり写真に収めていこうよ!

そうしたら、きっとカメラ役割が記録から記憶に変わっていくと思うんだ!

みんな偉そうなことを言ってる割には、こんな基本的なことも忘れてんじゃない?

xevra先生に限って言えば、自分との関係性が写っていることを知っているか写真を隠し通してる気もするけどね。

だってあんな人を見下げる人と他人との関係性が美しいわけないもの

http://anond.hatelabo.jp/20160623124218

ブコメ面白れぇww

一般化した時に、表現で黙らせるんでなく、口で返すようになったら、表現者しまいよ。

「その程度の物」しか作れてないってことだから

んでそういうのを、「お客様」が有難がるようになると、文化として終了。


歌舞伎一般人が楽しむのはハードル高いし、普通に消費するコンテンツじゃなくなってるべ。

(もちろん大衆化しようと努力している人も居るけれど、高尚な文化人で居たい人らは抵抗勢力になる)

2016-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20160623124218

こういうこと言うヤツにかぎって、受け手としての自分表現した時に否定されまくると発狂して受け入れないなんてクソだと喚き始めるんだよなぁ

アニメ会社PoROはいつまで判子絵アニメを続けるつもりだ

いつになったら鬼父作画を止めるんだ。

最初期のとらいあんぐるBLUE作画表現演出も含めてPoROの良き時代と言えたが、

今は暗黒期という他ないほど、全部が全部、発売したもの全てが鬼父の判子絵になってしまっている。

京アニでいう一時期死ぬほどけいおん!絵だったが、PoROも負けてない。

鬼父が出てから数年出すタイトル出すタイトル全て酷い作画だ。

エンゼルティアで一瞬だけ違った作風だったものの、あっと驚く表現は全部一緒で全く抜けない。

鬼父も最近手抜きが目立っている。

きのはらひかるも鈴木みら乃では非常に良い線で描いてるので間違いなく作画担当問題があると思う。

コンお前の事だよ。

いい加減ワンパターン作画を止めろ。

PoROの沽券に係わる事なので本当頼みますよ!ぷんすか

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.ライトノベルは、なぜああい文体が多いのでしょうか。

その界隈で精通している人たちですら、ライトノベル定義にブレがあるしね。

そんな状態のものに、私がとやかく言えることはないぞ。

ただ、それでも言えることがあるならば、表面的な表現手法について批判することに意味はないということくらいだ。

極端だけど、短歌に対して「短い」なんて普通は言わないだろ?

版型が変わればデザインだって変わる、ということだ。

フォントなり行間なり、紙媒体がどうかでも違ってくるだろう。

昔の長編小説をそのままの文章構成で、スマホ(フォ)のような別の媒体で読むとしたら、内容の良さに関わらず大分きついだろう。

から、「小説」と「ライトノベル」は同じ読み物だけれども、厳密には違うのさ。

焼きそばカップ焼きそば関係といえばいいのかな。

ライトノベルの「ライト」が何を指しているかにもよるが、売り手が狙っている主な層は、様々な文学に慣れ親しんだ層ではないのだろう。

であるなら、そこで紡がれるのは活字への抵抗感を考慮した「ライト」なものになるのは自然の流れではないだろうか。

表現手法最適化とは、媒体マーケティングによっても変わる。

もちろん例外はあるのだろうけれど、イレギュラー反論材料としては弱いしな。

読者層が様々なのは分かるが、子供向け番組を観る「大きなお友達」みたいなもので。

彼らがウケることをやることもある、けれどそれは副次的ものであって、メインターゲットは別なわけだな。

賞をとったものの中にはきつい出来のものが多々あり、理解に苦しんだ時期もあったが今はそう思い込むことにしている。

媒体考慮した表面的な手法文体などはそもそも評価対象ではないので、批判対象にならないというのが私の答えだ。

まあ、賞賛対象にもならないということでもあるが。

だが、そんな君にオススメしたい作品がある。

私が書いた、「死んだ日本で生きる私」だ。

ゾンビ蔓延って社会が全く機能しなくなった日本一人暮らしをしている青年が、毎日をよりよく生きようとする日常モノとなっている。

似ている設定で「地球最後の男」があるが、あちらと比較してブラックコメディ寄りな作風と、ブログみたいなノリで書かれる主人公の心情と独白がウリだ。

ライトノベルでありながら、“昔の文学を読んでいるような”気分に浸れること請け合いだぞ。

2016-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20160622082922

当時の表現だと理解してるので気にはしないな

しいて言うなら

「~かしらん」という言い方にして女性的な言い方とは違うという区別はつけるかも

追記および村中璃子氏の連載記事に関して (後編)

「利用される日本科学報道(後篇)」について

子宮頸がんワクチン薬害研究班に捏造行為が発覚 ― 利用される日本科学報道(後篇)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7080

さて、後篇であるサブタイトルに「捏造行為が発覚」とはなんとも穏やかではない。

後篇の内容は、池田氏発言検証マウス実験に対する批判が主である

マウス実験についての指摘内容は、これまた私の指摘と同じなので割愛する。

またそれとは別に、発表資料内で示された図とグラフ(資料ページ59: 自己抗体の沈着の写真グラフ)はチャンピオンデータによるものではないか、との疑問も呈されている。

確かに、写真は1種類でグラフエラーバーが無い点からも、疑問を抱くのは妥当であろう。



そして村中氏がその詳細について調べるため、実験担当したA氏を探し出して取材したところ驚くべき証言が得られた、というところで記事は終わっている。

あとは月刊Wedge7月号を読んでくれという、「続きは映画館で!」的な終わり方であり、少々拍子抜けだ。



その過激サブタイトルにも関わらず、後篇の記事中では「捏造行為が発覚」していない。

せいぜいチャンピオンデータ使用示唆されたくらいだが、これも疑義まりで、とても「発覚」とは言えない。

そもそも、チャンピオンデータ使用は「捏造」と異なる形態研究不正である(不正と見なされない場合すらある)。

捏造」はデータのものでっちあげる行為であるため、「チャンピオンデータ」のような都合よく選別したデータを示す行為とは明確に区別されるのだ。



このような乏しい情報でもって「捏造が発覚」というような非常に強い表現をするのは、控えめに言ってもやりすぎであろう。

月刊Wedge7月号の村中氏の記事について

子宮頸がんワクチン薬害研究班 崩れる根拠、暴かれた捏造

村中璃子, 月刊Wedge7月pp.40-44

Web記事だけでは片手落ちなので、Wedge本誌の記事についても解説していこう。ええそうです。買いました(\500)。

本文4ページ中、1.5ページは後篇の内容とほぼ同じであったが、Web版を読んでない人には序文として必要であろうから、とやかくは言うまい

この記事の目玉は、A氏への取材で得た実験内容の詳細および池田氏捏造行為についてである



A氏の証言をまとめると

(1) マウス実験はごく初期段階の試験的なもので、使ったマウスも3~5匹程度であった

(2) HPVワクチン以外の血清で緑色蛍光を呈した写真存在したが、発表資料には採用されなかった

(3) 資料中のグラフ写真は1匹のマウス(N=1)からチャンピオンデータであった

(4) 自己抗体が沈着した写真ワクチン接種個体の血清を正常マウスの脳切片に添加して蛍光染色し、撮影したものであった

(5) 自己抗体ワクチン接種個体の脳に沈着していた証拠はない

(6) 血清をとったマウスに接種したワクチンの量は50ul (濃度は不明だがヒト換算で通常接種の100倍以上らしい)



これらの証言を読んでわかるように、A氏の証言全面的に受け入れたとしても、研究不正に該当しそうな行為チャンピオンデータを用いた点だけであり、「捏造行為」の存在は見出せない。

村中氏は、証言(2)に対して「重大な捏造である」と断じていたが、チャンピオンデータのみを示す行為が「捏造」でないことは前述の通りである

また、証言(4)と(5)に対しては、ワクチン接種個体の脳に自己抗体が沈着していたかのようにミスリードしていたという点が批判されていたが、これもまた「捏造」ではない。

まりWeb版とWedge本誌の記事を通して、池田氏らが「捏造行為」をしたという根拠は一切示されていないことになる。



さらに、記事の最終ページでは池田氏学長選挙エピソードやその上昇志向といった人格面の描写が過半を占め、最後の結びは以下のような文章であった。

それぞれの立場動機から捏造に手を染める研究者たち――これが国費を投じた薬害研究班の実態だ。

子宮頸がん罹患リスクを負ったワクチン未接種の少女たちとワクチン人生を奪われたと苦しむ少女たちの未来は、こんな大人たちの手に委ねられている。

(月刊Wedge7月号 p.44)

これらの批判、ともすれば中傷は、池田氏らの名誉を著しく傷つけるものであり看過し難い。

捏造というのは、科学者に対する批判としては極めてインパクトの大きい言葉であり、軽々に投げかけて良いものではないのだ。



私は元増田池田氏らの発表および発言内容を「言い過ぎ」と評したが、村中氏の方が「言い過ぎ」度合いでははるかに上である

過激煽情的表現は、耳目を集める上では有利かもしれないが、それは科学的な議論批判をするうえではノイズしかならない。

村中氏の取材批判の内容そのものは概ね適切であり、あえて過激な言い方をせずとも十分に説得力訴求力があるはずだ。

是非、客観的で誠実な議論に戻っていただきたい。



A氏は実在するのか?

Wedge本誌の記事で中核となっているのは明らかにA氏であった。

彼(または彼女)の実在性についてここで論じてみたいと思う。



村中氏の記事によれば、A氏は以下のような来歴を持つ人物のようだ。

実際に手を動かしたのは、信州大学産科婦人科教室の誰なのか。

筆者は周辺取材を重ね、それがこの4月信州大の准教授から関東圏の新設大学教授職に転出したA氏であることを突き止めた。

であれば、信州大学産科婦人科教室メンバーからA氏の正体がわかるかもしれない。



以下は信州大学産科婦人科教室メンバーリストである

上は現在(2016年6月)公開されているリスト、下がInternet Archiveというサイト(WEB魚拓の凄い版と思ってくれれば良い)に保存されていた2015年10月メンバーリストである

信州大学 産婦人科教室スタッフ紹介(2016年6月現在

http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-sanfu/about/post_9.html



信州大学 産婦人科教室スタッフ紹介(2015年10月現在

http://web.archive.org/web/20151209020718/http://www.shinshu-u.ac.jp/faculty/medicine/chair/i-sanfu/about/post_9.html

これらをみると、2015年10月時点で産婦人科教室所属している准教授存在しない。

そのため、A氏が産婦人科教室に配属されたのは少なくとも2015年10月以降であると考えられる。

しかし、村中氏によるとA氏は2016年4月転出しているとのことだが、配属からわずか6カ月ほどで転出というのは少し速すぎるように思う。医学系ならそうでもないのだろうか?

さらに、2015年10月より後に教室に配属されたとして、そこから翌年3月の発表までにマウス実験を終わらせるのは少々厳しいのではなかろうか。



もちろん、取材源の秘匿等の理由記事中には偽の来歴を記していた可能性もあるし、村中氏がこんな嘘をつくメリットも思い浮かばない。

結局、A氏の実在性は不明瞭なまま残ってしまった。

個人的には実在しているように思うが、非実在でも驚かないといった程度に私は認識している。



村中氏の連載についての総評

氏の連載を通して読んでの批評を述べるとすれば、「客観的事実に基づく批判はまっとうであるが、それ以外の部分が煽情的に過ぎる。対立する話者の悪魔化をおこなうべきではない」といったところか。

HLA型にまつわる遺伝子頻度と保有率の取り違え、マウス実験がヒトには適用できない点、チャンピオンデータだけを提示する行為などに対する批判などは妥当ものであった。



しかし、池田氏らの行為について悪意的にとらえ過ぎているきらいがあり、人格面での批判も目につく。

また、池田氏らがマスコミを利用して何かを企んでいる、というような論調が全篇にわたって存在している(タイトルからして「利用される日本科学報道である)。



その帰結としてなのか、「捏造」という科学者にとって極めて強力な(したがって非常に強い証拠必要な)批判を無根拠に突きつけるといった行為にまで及んでいる。

(恐らくこれは村中氏が認識していた「捏造」の定義が間違っていたことに起因するが、それにしても杜撰である)



氏の精力的な取材情報発信は、HPVワクチンに関して薬害説に傾きがちなマスコミ報道において、貴重なカウンターパートとなっている。

なればこそ、冷静で客観的表現を心掛けることで、より良き論評ができるのではないだろうか。

願わくは、煽情的表現は避け、客観的かつ冷静な筆調でもって語っていただきたいところである



最後

なぜか池田氏らを擁護するような内容になってしまったが、私はそもそも彼らの見解について批判である

元増田もそういう意図で書いたし、HPVワクチン積極的な接種勧奨の再開を望んでいる。

しかしながら、元増田でも述べたとおり、評価すべきところはその立ち位置に関わらず評価すべきであるとも考えている。



村中璃子氏に対しては極めて批判的に論じてしまったが、総評でも書いたとおり、氏の活動は褒むべきものである

HPVワクチン問題について多くのマスコミセンセーショナル薬害説に傾いた立場を取ることが多く、そういった状況で村中氏のような立場から論じてくれるジャーナリスト存在重要だ。

村中氏については、その立場応援させていただくとともに、穏当な表現でもって議論してくださることを願ってやまない。



以上、もし間違いや事実誤認等の不備があれば指摘していただけるとありがたい。

追記および村中璃子氏の連載記事に関して (前編)

追記に際して

この記事元増田にあたる「HPVワクチン副反応に関する3/16の発表に関して」を投稿してから早3ヶ月が経過した(Oh...)。

この3ヶ月で、池田氏症例報告(*1)はパブリッシュされ、村中璃子氏による池田氏の発表を対象とした一連の記事は完結を迎えた。

この追記記事では、池田氏症例報告、一部ブコメへの返答、村中氏の記事に対する批評を主としておこなう

なお、字数オーバーしてしまったため、前後編に分けて投稿する。

池田氏らによる症例報告

3/16時点ではIn pressであった氏らの症例報告について批判をおこなう

文献情報URLは以下である

Abe et al. (2016) Monoarthropathy or Polyarthritis in Adolescent Japanese Girls Who Received Immunization with the Human Papillomavirus Vaccine. Case Reports in Clinical Medicine, 5, 109-114.

http://www.scirp.org/journal/PaperInformation.aspx?PaperID=64855

この症例報告はHPVワクチン接種後に単関節炎または多関節炎を発症した2人の日本人少女についての報告である

かい内容は各自に読んでいただくとして、この報告の問題点を端的に表すのは以下の一文である

4. Conclusion

HPV vaccination may occasionally induce true joint lesions.

(Abe et al., 2016:112)

日本語に訳せば「結論HPVワクチンは、稀に関節病変を引き起こすかもしれない」といった感じか。

元増田でも指摘したが、疫学的に調査しなければワクチンと疾患の因果関係は明らかにできない。

それにもかかわらず、たった2人の症例報告でこのような結論に達するというのは、どう考えても言い過ぎである

文章自体は弱い表現(may occasionally)を使っているが、疫学的にはHPVワクチンと各疾患の関連は概ね否定されているため、結果として強い表現になっており、極めて不適切結論であると言わざるを得ない。



あるブックマークコメントへの返答

ROYGB http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201510/0008513286.shtml のような重い症状の人が未接種者にもいるのかどうかが知りたいところ。

ワクチン未接種だけど同様の症状の人が同程度にいるのならば、ワクチン無関係だけど。

まず前提として、HPVワクチンの接種によって各疾患の発症リスクは上昇しないというエビデンス存在する。

これは元増田で示しており、コメントを下さった方もそれは承知していると思われる。

したがって、上記のブクマコメントは「HPVワクチンの接種によって、自然罹患した疾患が重症化するリスクが上昇するのではないか?」という意見だと受け取らせていただいた。



名古屋市調査結果(*2)を見ていただくとわかるが、「物覚えが悪くなった」「普通に歩けなくなった」「杖や⾞いすが必要になった」等の症状の頻度は接種者と非接種者の間で差がなかった。

また、複合性局所疼痛症候群(CRPS)などの疾患においては記憶障害運動障害が症状に含まれることが知られており (*3)、HPVワクチン接種者に特有の症状というのは今のところ見つかっていない。

よって、HPVワクチン接種による疾患の重症リスクの上昇は恐らくないもの結論付けても良いだろう。

重症リスクに着目した論文が見当たらなかったため少々歯切れは悪いが、これで疑問への回答となっただろうか?

もし納得いただけたなら幸いである。


「利用される日本科学報道(前篇・中篇)」について

子宮頸がんワクチン遺伝子 池田班のミスリード ― 利用される日本科学報道(前篇)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6418



子宮頸がんワクチン脳障害」に根拠なし 誤報震源医学部長 ― 利用される日本科学報道(中篇)

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6421

これらの記事は主に、HPVワクチン副反応とHLA型が関連しているという主張および池田氏発言について批判している。

指摘の内容は基本的に私の書いたものとほぼ同じであり、これについては特に付け加えることもない。



ただ、私がスルーしてしまった点として、鹿児島大のデータで示されている有意差について実際に計算すると有意にならないということが示されている。

試してみると、確かにFisher’s Exactでもカイ二乗でもP<0.001にはならず、なぜ資料ではこんな値が出されていたのか、大いに疑問である

実は有意水準ではなくP値の方を1/10してしまったなんてことは......まあ流石に無いだろう。



(後編へ続く)



参考文献

*1 Abe, R. , Kinoshita, T. , Hineno, A. and Ikeda, S. (2016) Monoarthropathy or Polyarthritis in Adolescent Japanese Girls Who Received Immunization with the Human Papillomavirus Vaccine. Case Reports in Clinical Medicine, 5, 109-114.



*2 名古屋市⼦宮頸がん予防接種調査 解析結果(速報)

http://www.city.nagoya.jp/kenkofukushi/cmsfiles/contents/0000073/73419/sokuhou.pdf



*3 Schwartzman, R. (2012) Systemic Complications of Complex Regional Pain Syndrome. Neuroscience & Medicine, 3, 225-242.

「~かしら」=「~か知らぬ」

1「○○であるか知らぬ」→2「○○か知らぬ」→3「○○か知らん」(古語で撥音は無表記なので)→4「○○か知ら」→5「○○かしら」

だと思う。元々男言葉、あるいは男女いずれも使った表現じゃないかな。

4くらいまでは、大正小説などではよく見たように思う。話者は主として男性だった。

http://anond.hatelabo.jp/20160622082922

http://anond.hatelabo.jp/20160618194135

首都でも京でも無いくせに「東"京都"」呼ばわりしてる方がどうかしてるんですけど。江戸府江戸府でしょ。()

   

固有名詞をそのまま書かないオレ、かっこいい、みたいな気持ちなの?

   

なるべく角が立たぬよう、直接的な表現を避け、婉曲させ、言い換えて、本来呼称から遠ざけていくのが国語の特徴。

狹い島国風土が生み出した和を尊ぶ我が国ひとつ文化ですことよ。敬称なんてまさにそれよね、役職立場相手を呼ぶ。

固有名詞に拘る貴方は親御さんを名前でお呼びになるの?「先輩」とか「先生」とか「オー シャチサン スケベネー」なんかも使わないのよね?

「失礼、ちょっとお花を摘みに‥‥‥」なんて口が裂けても言わず「ちょっくらクソぶっぱなしてきます!」で通してるってことでしょ?

それってあれなの? 固有名詞をそのまま使うアテクシったら、みんなと違う、まじかっこいい、みたいな気持ちなの?ねえ、そうなの?

やだー

2016-06-21

四月は君の嘘を読んだ。何回目かの再読だったんだけど、びっくりするくらい涙が溢れてきた。正直自分自分にひいた。ないわー、ほんと。ないわー

個人的に、これまでこの作品の涙ポイントは決まって七巻の公生ママ独白だったんだけど、今回はいろんな巻の色んな場面で目頭が熱くなってしまった。

結末を知っているからこそだけど、まだ元気な時のかをりちゃんの言動に隠された心情をちょくちょく想像しながら読んだもんだからその時々で胸が詰まった。一巻のバイオリン発表会の際に彼女は何を思っていたのか、演奏後公生に感想を訊ねて、本人の言葉で返事をもらった時どんな気持ちがしたのかとか、思いを馳せるとすぐに涙腺が緩んでしまう。一番裏を読みたくなる人物だよね。

紘子さんが抱えている負い目も切ない。祭りの場面とか、演奏会の時とか、台詞がない表情だけのコマで何を表しているのか、そんな面持ちで何を考えているのか、ちょっと読むスピードを落として覗き込んでみるとじんと胸に突き刺さる、言葉にならない思いが垣間見えた気がして思わず視界がぼやけてしまった。

今回特にびっくりしたのが、前はそんなに感じ入らなかった最終巻で目がうるうるしてしまったことだった。公正が表現者として伝える対象者を聴衆にまで広げる展開が早過ぎるのは前読んだ時と変わりない感覚だったんだけど、通しで読んだせいか没入感が凄すぎてドラマチックな演出に流されるままに涙を流してしまった。くやしい。

他にも色んな場面でいろんな登場人物の思いや行間なんかをじっくり想像する度に、どういうわけかじんわり涙が浮かんできて馬鹿正直に感動させれてしまった。

出てくる登場人物がみんな血の通った真人間なのが素敵なんだよなあ。綺麗過ぎるって感想もあるけれど、これはこれでいいと思います柏木さんが素敵です。渡は本当に良い奴です。

この作者は表現方法面白い。いろんなところから引用しているのが一点と、エピソード台詞の対比を効果的に使うところが上手いと思う。特に関心したのが七巻。公生が演奏している映像を紘子さんが見ている場面で、感情が高ぶるあまり繋いでいた娘の手を強く握りしめてしまった後、娘に「いたくしないんなら手つないであげる」と返される展開が、幼い公正と母親との関係がそういかなかったことを連想させて、余計と公正の母親が自らのことをひどい母親だと後悔する回想を引き立てているように感じた。椿の時間が止まるという台詞もそうだし、ものすごいわかりやすい例で言えば公正の母親とかをりちゃんの車椅子なんかもそうなんだと思う。

要するに伏線が上手いってこったな。さよならフットボールでも何気ない会話の中で出てきた一言象徴的な決めシーンで繰り返したりしてるから、すごく意識して作ってるんだと思う。どこか忘れてしまったけれど、四月は君の嘘のあるコマを見た時に精緻に積み上げたロジックが完成したかのような一致感を覚えた時もあったから。

残念なのは、ところどころ描写が急な箇所があること。最終巻の公正が決意するシーンもそう感じたし、かをりちゃんが病院慟哭する場面も勢いが良すぎて少し没入感が削がれてしまった。また楽譜に忠実な演奏の描き方が物足りないのも惜しい。おかげで武士の凄みが最後の方まで今ひとつ迫ってこないのが残念だった。

唐突に思い立って読み直したら久々に感動できた気がする。やっぱりいい作品です。後日談が八月かそこらにでるらしいから見逃さずに買わなくちゃ。




全然違う作品だけど、ワンダーランドっていう漫画は二巻になってから面白くなった。一巻はまるまる一冊パニックホラーだったけど、やっぱり状況がわかってくると面白さも倍増するんだと思った。

戦士」なの?

近年出版されてる仮面ライダーウルトラマン本で見かける「戦士」って表現、なんかちがう気がするんだよな。


仮面ライダー復讐込みの戦いだろうし、ウルトラマン防人的なイメージ

この辺り、日本語表現詳しい特撮オタから解説して欲しい。

http://anond.hatelabo.jp/20160621202148

本読めよw

由来は知らないが、昔の文豪もよく使った古風な表現だよw

それだけw

無知過ぎワロタ

馬鹿って

ものごとを正論で解いて「ほら現実論としてそう考えるのが一番妥当だろう」と論証されるよりも

「◯◯さまは神聖にして全知全能、思考停止してその素晴らしさを信じるのだ。信じるものは救われる!」ってアジられる方が好きなんだなあと

ネット見てるとほんと痛感するね。どんなに大げさでそれ自体非科学的な表現でも「科学さまは全てお見通し。科学さまは全てを決められる」とか言う方が

「いや科学的にはそこはわかんないんで、あとは政治で決着つけるしかないと思うっすよ」なんて言うよりも何故か全然信者を獲得するのだ

こと「科学」なんて領域においてさえ

もうほんと、泣けてくるね

アクシズでも落としたくなるよほんと

「何なの?」ってそもそも煽りから喧嘩売ってるから

馬鹿なの?死ぬの?」って続けるのはネットスラングだけど、「何なの?」が元々含んでる煽り要素を上手く表現してる。

カナル型イヤホンが普及してくれてよかった。



というのも、俺の耳にはインナーイヤー型のイヤホンが引っかかる場所がない。

まりにスルンスルンとイヤホンが落ちるので皆がどうやってイヤホンをつけてるのかわからず、友達の耳と自分の耳を比べてみたことがある。

すると、みんなの耳にはある 凹 みたいな形の、軟骨が狭まってイヤホンをひっかける場所が、自分場合、耳の外側の軟骨が全く狭まる気配なく随分とオープンな形状になっていた。

普通 |_| ←こうなのが、 \__| ←こんな感じ。

なんかうまく表現できないけど、とにかく、そりゃー引っかかる場所ないんだから落ちるよなあって感じの形をしていた。

柔道やってたら耳が変形するとか聞いたけど、別にそんなのやってない。

単に生まれつきか、横向きで寝るクセでもあったのかな?両耳ともほぼ同じような形してるけど。

同じような悩みの人にまだ会ったことがないので、これがどのぐらいよくあることなのかイマイチからない。



イヤホンがつけられないと、普段は仕方ないかヘッドフォン使ってたけど、かさばるし耳痛くなるしで割と億劫だったし、

リスニング試験とかで機械が配られてイヤホン各自聴けみたいなテストは常に左手イヤホンを抑えながら片耳で受けてたりして微妙に大変だった。

イヤホン無線機つけなきゃいけないタイプバイトに間違って応募したりしなくてよかったと思う。

つの間にかカナル型イヤホンがかなり普及して、簡単に手に入るようになってくれたので、今は悩みから解放されたけど、

今日遂に会社で、ウチの部署ではヘッドフォン禁止(イヤホンは可)というお触れが出たので、改めてカナル型イヤホンの普及に感謝した。

なんか偉い人的には、自分世界に入ってる感のある見た目が前から気に食わなかったらしい。

いやーよかったよかった。

http://anond.hatelabo.jp/20160620192048

小説とかでも使われる言い回しで、普通に市民権を得てる表現だと思うけど。

この「~けど。」という表現も同じようなもので、

後に続く文をあえて言わずに省略しているんだよね。

「どうしようもなく綺麗で、その美しさたるやまるで○○、見惚れてしまったよ。」

常識だと思うけど、知らなかったの?馬鹿なの?」

みたいに、外人がよくやるように筆舌を尽くして言われても、

逆になんだか嘘っぽく聞こえてしまったり、胡散臭くなったり、一言多くなったりとデメリットもあるでしょ。

そういう事をせず、簡潔にとどめることであえて思いの強さを感じさせたり、

奥ゆかしさを感じさせたりする、優れた表現法だとボクは思うね。