「茶化す」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 茶化すとは

2017-04-23

まあフェミニズム批判しないものフェミニズム茶化すことではなく

フェミニズム批判するものに対する真剣擁護こそが求められているんだとオタクには実感してほしい

2017-04-18

タモリの疑似社会科学っぽさ

先に言うとタモリは好きだ。

子供の頃からいいともをよく見ていたし、ジャングルクッキングとかのタモリもよく見ていた。

タモリ倶楽部面白いし、いまでも好き。

しかし、タモリは全肯定されすぎな気がする。タモリ教養あるように思われている昨今だが、あれは教養ではなくて、豆知識の集積であるように感じる。

ブラタモリもまちの新たな見方提供した番組のように思われているが、どうもサイエンス的な裏付けが弱い気がする。

いうなれば、やたら俗説をよく知っている戦国オタクのようなもので、最近タモリ界隈の雰囲気は疑似社会科学っぽさが高い。

はてな界隈は疑似(自然科学には目ざといが、社会科学人文科学では途端に俗説をよく知っている戦国オタクのようなものを褒め称えている気がする。


#追記

想像以上に反応が大きくてびっくりした。殴り書きのつもりだったので、みんなの反応をみて自分の考えも少しまとまった。

これは完全に同意。私もタモリ科学的に合ってる/間違ってると言いたいわけじゃなくて、「ブラタモリで言ってたからうんぬん」という周囲の反応がおかしいと思っているんだと気付いた

これも完全に同意。昔の中国人の真似とか、タモリ本来茶化す」人なんだと個人的には思っている。なので、タモリネタでやっていると思うんだけど、受け手が真面目に受け取りすぎている気がする。ブラタモリはオープニングで尻を振らなかったのがよくなかったんだ!(番組自体面白いと思います

あーもしかたらこれこそが一つの元凶なのかも、と思ったりした。タモリがまち歩きながら放言するくらいが面白かったのかもしれない。NHKが真面目すぎて、下手に専門家とか呼んで権威づけを結果としてしてしまたから、受け手もそのように捉えてしまっているのかもしれない。

個人的には知識自体教養ではないと思っていて、批判精神こそが教養だと思う。そういう観点では、タモリ権威に流れずに思ったこと質問しているので教養はあるのだと思う。

  • この反応にタモリはニヤリでは?

そう思う。というかみんながこういう反応をしてくれると思ったはずなのに、真面目に受け取られてタモリも当てが外れてそう(そんなこと気にしてないかもしれない)

言われてみればそうかもしれないタモリ自体芸能界の中では趣味人(古い意味でのオタクであるので他人社会に興味がないのかもしれない。所ジョージとか同じ雰囲気

なるほど。その観点はなかった。そういう学問分野にあまり詳しくないので思いつかなかったが、天皇陛下さかなクンを考えればありなのかもしれない。

しか主観を並べているだけですね。最初に書いた通り、タモリは好きだし,タモリ倶楽部ブラタモリも好きですよ。そういう意味タモリをこきおろしているわけではなくて、タモリを全肯定している人をこきおろしているのかもしれません。書いた時は自分意識していなかったですが。

荒れそうなのでノーコメントです

2017-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20170417101129

おう、また明日




茶化すのもアレだが、実際俺もそう思う

どいつもこいつもくだらねー、増田ブクマももう見るもんかって思いながら、

でも翌日にはまた見てるこの悲しさ

2017-04-09

東大出身者ってさ

普段東大なんて肩書きだけで、余計な事、あるだけ邪魔みたいな雰囲気出すけどさ、

東大の事を少しでも茶化す人がいると優越たっぷりな感じで見下したり、飲みの席で本当に不機嫌になったりするから

ネットとかで、学歴なんてクソ、とか言ってる東大出身みると、まぁたやってらぁって思っちゃうんだよね。

わたし東大出身なんだけどさ。

2017-03-20

おい、外野

仕事で一対一で話をしているところに必ず割り込んでくる奴がいる。

こいつがとにかくウザい。

ウザがられてるのに気付いていない。

揉めていると茶化すように割り込んでくる。

何かやらかした話だと責め立ててくる。

お前は関係ないだろうが。

ネチネチグチグチとにかくいつまでもうるさいタイプ

おまけにとてつもなくブサイク

アンタ、いいところ一つも無いじゃん。

2017-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20170226163225

うそう、あの人の方を持つわけじゃないけど、プリキュアがーっていうのはズレてると感じたよ。

それにあれは女の子茶化す男の子の見ているメディアの方に重きを置いた発言に思えたし。

2017-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20170220235351

俺多分お前に何度か絡んでると思うんだけど、

何でそんな低能低能ってつまんない絡み方すんだよ

もっと面白い話できそうなのに、なんかわざと相手茶化すような言い方するんだよ

http://anond.hatelabo.jp/20170220181617

そういやって批判を受け入れることができず茶化すことしか出来ない日本社会って……

2017-01-26

コイツらと本当に好きな物の話はしたくない」

そう思われるようになったらコミュニティって終わりなんだと思う。

例えばふたばとかそんな感じだよね。

嫌いなもの茶化すとかそこまで好きじゃない物をネタにするとかそういった行為には使える。

でも本当に好きな物をそのくだらない行為に巻き込みたくはない。

自分の中にある素直な好感を汚れた空気晒したくない。

そういう気持ちで接する人が増えるに連れてコミュニティ終焉は近づく。

2017-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20170102112804

俺は茶化すときしか使ってないし

他もそうだと思うから内容とズレてるのは仕方ないよね

2016-12-29

YOIは男主夢なのでしょうか

タイトル通り、YOIは男主夢なのか?という疑問を夢を好む側の人間から考えてみたいと思います

初めて自分の考えているところや疑問点を書いているため、読みづらい点が多々あるかと思いますが、どうかお付き合いいただけると嬉しいです。

【当記事で申し上げたいこと】

シンデレラストーリー」や主人公が誰かと出会って成長する話といえば世の中にごまんとある一般的な「主人公補正」というもの範囲内ではないでしょうか。

Twitterなどで、「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」などのつぶやき散見されています

放送終了した今は検索しても流れてしまってなかなか見つけづらいのですが、、、

個人的感覚であり一切の非難意図はありませんが、感覚それ自体にとても驚きました。

夢小説定義は大変難しく、こちらの記事


http://makun0uch1.hatenablog.com/entry/2016/11/26/222114

にて多彩な夢小説の形が紹介されているように、これが夢小説だ!と、このような記事を書いておきながら恐縮ですが、明確に提示することは大変難しい事だと思います

そのように申し上げておりますが、それでも勝生勇利とヴィクトルニキフォロフ関係が夢であるかと問われれば疑問が残るものであると申し上げたいと思います

では、なぜそう思うのか、認識のずれはどこからきているのだろうと疑問に思い、当記事を書くに至りました。

夢小説についての考え方がずれている

ずれている、という表記は私に向けられているものであり、「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」などとツイートされた方へ向けたものではありません。

私と、「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」とツイートされている方の認識のずれがあると言う意味使用しています

どちらの認識も極論を言えば正答などないものです。自分意見が正しいという主張でもなければ、考えを押し付けるつもりもありません。

「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」などというツイートを書いていらっしゃる方の九割以上が、腐女子プロフィールに書いていらっしゃいました。

もしかして現在検索けが夢界隈の「マナー」として定着して久しく、Pixiv投稿するならタグや注意書きを書くことを半ば強制され、ツイッタープロフサイトURLを書こうものならマナーがなって居ないと晒される状態で、SNS同人の主流になった今、10代の方や最近同人を知った方などはあまり夢小説の事をよく御存じでなかったり、昔夢を好んでいらっしゃって現在BLを好んでいらっしゃる等、夢小説というもの認識アップデートをされていらっしゃらないのではないかと思いました。

https://togetter.com/li/324664


上記記事記述されているような類のものや、#夢小説あるあるというタグが付いているツイートで茶化される夢のスタイル認識でいるのではないかと。

夢のひとつスタイルをいちいち束になって茶化す事や何かを貶めるシーンである特性を指すとき侮蔑的ニュアンスを含む「夢」表記に関して個人的に悲しく感じるのですがそれはまた別の話なので割愛します。

そういった、夢のスタイルとして広く認識されている「誰か素晴らしい特性を持った人から見初められて運命が一転し、その過程で成長する話」のことを指して夢と呼んでいるのではないでしょうか、というところに落ち着きました。

個人的に、それは夢というのは最適解というには首をかしげたく思います

シンデレラストーリー」や主人公が誰かと出会って成長する話といえば世の中にごまんとある一般的な「主人公補正」というもの範囲内ではないでしょうか、と思います

以上です。

ここまで読んで下さってありがとうございます

2016-12-27

マスダとマスダ

すいすいすいようび

「すいすいすいようびって語感がいいよね」

CMで歌に乗せて使われたフレーズだしな」

「そうなんだ。ということはそのCM水曜日でもないのに『すいすいすいようび』って言われ続けているんだね」

「いや、曜日ごとに別パターンCMを用意している」

「え、じゃあここでも曜日ごとに違うフレーズ使ったほうがよくない?」

「分かってないなあ。オリジナリティだよ。どうせ昔のCM元ネタから、むしろこっちがオリジナルだよ」

「なるほどお」



クソ雑魚ナメクジ

「『クソザコナメクジ』って淫夢ネタなんだね」

「ここだとYahoo知恵袋でやってそうな質問をしてくる人間茶化すときに使われるな」

用法が違うんだね。でも、なんで『クソザコナメクジ』のほうが全部カタカナで綺麗なのに、わざわざザコの部分を漢字にするんだろう」

「分かってないなあ。オリジナリティだよ。ましてやパクり元が淫夢ネタだと思われたら品位が下がるだろう」

「なるほど、必ずしもオリジナル尊重することが良いとは限らないってことだね」

「そうだ、どうせ元ネタだと気づかれなければ、むしろこっちがオリジナルだ」

「そっかあ、何となくオリジナルってものが分かってきた気がするよ」

「また一つ賢くなったな」



マスダとマスダ

「ということは、この『マスダとマスダ』も何か元ネタなりモチーフとかがあるの?」

「あるんじゃないか?」

「何で疑問符

オリジナルを知らなくてもダブるってこともあるんだよ」

自分たちの考えているようなことは、他の人が考えていてもおかしくないってことかあ」

「そう、大事なのはオリジナルではなく、オリジナリティだ」

2016-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20161214234709

作ってる人はいたけど

「こんなの難しすぎw

業界人からって小難しい書き方して調子乗ってんじゃねーぞ

あほ学生とかギャルとか主婦が読みたくなるようにかけないんですかww」

って茶化す人がいてうやむやになった



本当に信頼に足る一次ソースってあの蹴鞠おじさんのハンドブックぐらいお堅い様相を成しているわけで

あれに抵抗感を抱かないようにすることが

第一に身につけなければならないリテラシーだったのかもしれない


追記:

ヨッピーももしかしたら詳しくわかってないんじゃないか

アニメ漫画はややこしいから依頼された作品しか触れない

インタビューと街頭調査みたいのしとけば確実でしょ

ぐらいの認識かもよ

ネット芸人的なライター有識者インタビューする企画企業が通せばいいのかな、どうなんだろ

2016-12-05

年を食ったせいかバイオレンスに拒絶感が出てきた

M-1見てても錦鯉やカミナリの漫才は一歩引いてしま感覚があるし

あれをげらげら笑って見ている人がいたなら多分白けていた

その場にいない誰かを揶揄するようなネタも昔ほど素直に受け止められなくなったか

M-1で言えば和牛スーパーマラドーナニューヨークあたりのスタイル

(と言っても和牛は決勝以降、水田の演じるキャラ浮世離れさせることでえぐみを減らしていたので見れた。

ただ、決勝1本目の巾着捨てたくだりで「あ、アスペルガーっぽい・・・」と思ってしまった。

インターネットの暗部に僕は毒されすぎているのかもしれない。)



僕の中で段々と「誰も傷つかないこと」が表現評価する前提条件になってきている

何かを傷つけるということを表現に取り入れるならば

そこに重さやそこにおいて暴力必要である理由がないと納得できなくなってきた

暴力茶化すなんてことにはもう軽蔑気持ちすら湧いてきているかもしれない

母は映画アクションシーンなどに拒否を示す人間

僕はそれを「なんだかぬるいなあ」と冷ややかに見ていたものだが

今になってそんな母の気持ちも少しわかるようになった気はする

2016-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20161118191015

のらりくらり茶化すといいよ

 

大抵そういう会社には、のらりくらり上手くやるおっさんみたいな人が居ると思う(マネージャー層)

彼を真似するんだ

論理的すぎると自分も疲れるし相手も疲れる

2016-10-14

『笑い事じゃないんだけどね』

そう前置きして 人の親が重症の中の事を平気で茶化す


まじ 死んでほしい

2016-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20161005170637

なんJ民の何がウザいって

>「ガチ酷評されてるじゃん…」と茶化す感じの、ソース英語も読まずに>>1情報を真に受けるような情弱ネタにする方向

このスタンスにあふれてるところ

2016-09-25

ホワイト研究室だけど研究死ぬほど嫌だ

大学研究の話。学部4年

現状と環境

研究室に行くのがどんどん嫌になり研究室に行く時間も減っている

研究室鬱についても調べることが増えた。

研究室自体ブラックでは全くない。むしろホワイト

コアタイムは無いし、毎週の進捗報告も特に進展が無ければ「特に進捗ありません。~している途中です。」で済まされる。

ネットでたまに見る教授や先輩が横暴といったこともない。

研究が嫌な理由

研究が嫌な理由を考えてみた

  • 単純に研究が進まない

就活が終わってから研究を本格的に始めたが、正直最初から何をすればいいのか全然からなかった。

からないことがあれば教授や先輩に聞かなければいけないのだろうけど、自分研究テーマは先輩たちとは多少分野が違ったので

必然的教授にに聞くことになる。

自分所属している研究室教授質問をしにいくと、まず「君はどう考えているの?」というように聞いてくる。

それに答えるとさらにそこからかい部分について同様の質問が出てきて突き詰められる。

学生に考えさせたいという意図はわかるのだけどそれがプレッシャーとなり教授質問をしに行くのが怖くなった。

質問をする前に考えをまとめるが当然わからないことがあり、でもそれを質問するのは怖く考えがまとまらない…という

悪循環になっていった。

こうなってからは何もかもうまくいかない。

からないことがあっても質問しないのだから当然である


研究室に仲のいい人がいないということもつらい要因の一つになる。

研究室の同期は俺に対してはビジネスライク関係で、仲が悪いわけじゃないけどそんな気軽に話したりはしない。

俺以外の同期は元々仲が良かったため普段から話してるけどその輪に入れない。

研究室にいるときは基本話し相手がいなく、もくもくと研究を行っているのだが案外それが辛かった。

考えがまとまらないし話す人もいないのでストレスが溜まっていく。


  • 迷惑をかけると感じることが多い

実験をするときには自分以外に先輩を一人ついてきてもらわないといけない。

実験は3時間ほどかかるので先輩の時間を取ってしまうのが申しわけないと思い実験をするのを躊躇してしまう。

研究っていうのはそういうもんだし仕方ないとは思うけどこの感情は消えない。

この前の実験は失敗してしまいまた同じ内容の実験で先輩についてきてもらわないといけないのが憂鬱だ。

研究が進まず迷惑もかけて、自分はいないほうがマシじゃないかと思う感じる

比較的結果の出しやすテーマ教授に言われて今のテーマにした。

ハード系の研究だが、シミュレーション系の研究の方が向いていたように思う。

またテーマ自体もあまり意味のある研究とは思えない。


精神状態の変化

研究がうまくいかずに自分精神が変わったと思うことが3点ほどある

本当に研究が原因かはわからないけど

  • 行動しにくくなった

慣れないことや新しいことをし始めるとき、うまくいくか不安先延ばしにすることが多くなった。

頼みごとや質問をしに行くとき不安になる。

実際に実験の準備不足やメールの誤字などミスが増えている。

この日記もどっかしら間違えてそう。

調べてみたら予期不安というものらしい。

対処としては小さな成功を積み重ねていくようにするといいらしいが、研究で小さな成功すら思いつかない。

家にいてゲームをしているときに、こんなことをしていていいのか、もっと実のあることをすべきじゃないのか。

無駄なことをしてはいけない、というような気持が出てくるようになった。

でも何をすればいいかはよくわからないまま。

  • 思ったことがそのまま口に出るようになってきた

ネガティブワードや人を馬鹿にしたり茶化すようなことが頭に浮かんだら

静止できずに言ってしまうことが増えた。


今後どうなるんだろう

研究が始まってから研究関連でうまくいってることなんか一つも無い。

研究室選び、研究テーマ選び、研究室内のコミュニケーション研究の進め方のすべてを間違えてしまった。

別の研究室テーマならうまくいったのかと考えるけど、結局同じ道を行く気もする。

いまはただ卒業研究が終わってほしい。

でもこの程度でこんなにつらくなる俺に仕事は進めていけるんだろうか、この反省を活かせるんだろうか。

2016-09-13

差別茶化すコメントについて

虫を潰したくない男の件

http://anond.hatelabo.jp/20160911230951

メタブクマで。

 

http://b.hatena.ne.jp/entry/301093509/comment/mugi-yama

id:mugi-yama メタブ, gender すいませんが素で「茶化してるブコメ」ってのがわかんないんですがどれのこと?わたしコメは茶化し??

 

ということで。この人の「わたしコメ」は↓

 

http://b.hatena.ne.jp/entry/301028604/comment/mugi-yama

id:mugi-yama anonymousdiary, lifestyle うちのヨメさん手にトイレットペーパーぐるぐる巻きにしてキェーッて言いながらGに立ち向かってくれるのでめっちゃ頼りにしてる

 

 

目の前に差別で苦しんでいる人がいます

その苦しさを吐露された(元増田のように多少ふざけた言い方で)ときに、上のように言うのは茶化すことになるかどうか?

 

笑ってくれる人もいると思うし、俺が苦しいって話なのにいきなりお前の話されてもしらねえよと怒るかもしれん。

深刻さとか関係性とか状況によるかな?

 

あと一人ならまだ良いけどブコメみたいに大勢に囲まれて皆にこういう「うちはそんな差別ないよ」みたいな話をされると誰もわかってくれてない感じがしてかなり参るような気がする。

しかたないけどね。ブコメだし)

ゆるいコメントつけた後から白熱してきた

増田にゆるいコメント大喜利とかダジャレ)をつけてブックマークしたら、だんだん本気のコメントが増えてきて自分のが浮いてきちゃったり、名指しではないにせよ「真剣な悩みを茶化すようなやつがいて信じられない」みたいなのまで現れたら、どうする?


俺は腰抜けだから、そっと削除してる。

2016-08-15

竹島上陸した韓国国会議員記事ブコメしているネトウヨどもにid:Arturo_Ui氏の別記事へのブコメを捧ぐ

Arturo_Ui 先祖から受け継いだ土地理不尽な形で収用されようとしている事態に際し、苦言を呈するどころか茶化すだけの輩は「保守」ではない。文字通りの「売国奴」。沖縄人は見下して構わない存在だとでも思っているのか?[ご冗談を] 2016/08/15




同じことは本来韓国土地である竹島にも言えよう

そして全日本人の先祖韓国人であるのだから違法領有主張をやめて即刻竹島韓国に、つまり我らの先祖でありあの土地の正当な所有者である韓国返還すべきである

インテリの俺が全力でシン・ゴジラ批評するゾ

シン・ゴジラを観た。

エンタメとしては面白い

だが同時に庵野および日本映画限界を示すドキュメンタリーのような映画でもあった。


この映画は、

復興ありき、

再建ありき、

日本にはまだ力がある、

立ち直れる、

そういう答えがもう先にある。

出来レースっぽい。


結論はこれ。もっと詳しく読みたい場合は先に進んで欲しい。


日本万歳の大合唱で負の側面を覆い隠す

これは映画に限らず様々な場面で3.11震災後なんども繰り返されていることだ。

力があるって主張をかたくなに、ほとんど反駁不可能イデオロギーのように保持しているのは、

しろ思考停止の弱体化にしか見えない。

俺は出来る!って盲信しているやつは、強いんじゃなくて自分の弱さを直視できないだけだ。


もっとも、3.11以降繰り返されてるそうした自己欺瞞的な合唱に飲み込まれることは、まぁ仕方ない。

この作品を取り巻く精神的な状況からして、ほとんど不可抗力であるし、それだけで作品のすべてを否定するつもりはない。

しかし、せっかくゴジラほどの大怪物召喚しておいて結果やっぱり俺らスゲーの大合唱かよ、と思わざるをえない。

俺らスゲーの出来レースゴジラ以外の他のテーマでやってくれ、と言いたくなる。

ゴジラというキャラもっともっと掘り下げるべきテーマを蓄えた宝庫なのであって、ゴジラをそんな自己欺瞞物語なかに埋もれさせて浪費してはいけないのだ。


新たな危機に直面すればこそそれに見合った国の体制を改めるよう反省を強いられ、

新たにテーマを掘り下げればこそそれに見合った映画手法発明するよう強いられる。

しかしそうした危機テーマである当のゴジラが、ほとんど空虚存在であるがゆえに(たしかわずかだが神として語られ、放射能の脅威を連想させていても、しかしそれが物語構造のものに関わることはない)、

日本万歳のその国の概念のもの反省を迫る映画にはなっていないし、その手法に関して言えば新たな手法発明どころかエヴァンゲリオンとさして変わらない。

(たとえばキャラクターについて言えば、感情を押し殺したようにして淡々と語る綾波市川実日子に、外国語を混ぜたご機嫌なアスカ石原さとみに、真意のわからぬまま無理難題を突きつけてくるゲンドウは〈あの国アメリカに、それぞれ入れ替わっただけである。)

シン・ゴジラエヴァンゲリオン庵野確立した様々な設定を忠実に引き写している。そこには反省発明も見つけられない。


もちろん何の変化もないわけではないが、

そうした変化が結局は日本の閉鎖的で差別的視野に同一化する点、

自分に力があると信じたいがために他国と異性に対する偏見を利用する屈折した日本男性視点に同一化する点は、

この映画保守的ものにしている部分である


石原さとみによって日本を弱小国として見る可能性が排除される

たとえばエヴァンゲリオンにはなくてシン・ゴジラには見られる新しい部分は、政治の前景化であるとともに、(それがつねに〈日本の〉政治である限りで)他国政府との交渉だろう。

ここに石原さとみが登場するわけだが、彼女キャラクターは、自信を回復したがる日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕している点で、やはりこの映画保守的ものにしている。


石原さとみのチャラけた演技は真剣に事案に対処している他のキャラクターに比べかなり浮いて見えるが、

しかしあれは日本男性の閉鎖的で差別的欲望からすると必然的な役柄になっているといえる。

演技がわざとらしいために良い演技とは言い難い、と思う観客もいるだろうが、しかしそういう演技も含めて必然的キャラのあり方だと思う。


日本米国の間に女性が入るというのは、日本からみて心理的必然性をもっている。

日本米国関係はいわばスネ夫ジャイアンであって、ジャイアンマッチョなところがあまりに出すぎると(たとえばジャイアンの力のみで事件解決したり、その力がスネ夫である日本に向かったりすると)、日本を守る日本人男性たちのプライドや虚栄心が傷ついてしまう。

そこで米国代表としてか弱い女性を置くことで、日本人男性日本人男性の力で国を守ったという体裁が保たれる。

かつ、あの日本語と英語を織り交ぜたヘンテコな日本語は、彼女をか弱い存在だけでなく変な奴として提示する。国際的観点からでなく、あくま日本人の側から見られた変人だ。

ここでは常識人変人の対は、内部(日本人)と外部(外国人)という対と本質的に繋がっている。変人変人であるのは、その者が外部から来た外国人であるからだ。

「〜アルヨー」とか「〜デース」とかい言葉遣いキャラが、日本人の側から見られた変な奴の象徴であるのと同じで、

彼女の奇妙な日本語は、他の日本人男性と観客とに米国でなく日本から観点を持たせ、その外部から来た変人として石原さとみを見させる。

視聴者たちが米国目線から日本を弱小国として見る可能性が排除される。


このようなわけで、この映画日本男性精神性の問題をそのうちに含んでおり、その点ははっきりと批判されるべきであるが、

しかしその限界をはっきりと映画のなかで示しているという点においては、そうした限界の記録として、ドキュメントとして、歴史的価値が大いにあると思われる。

その点では逆にこの映画評価されるべきだろう。

これほどありありと、日本的および日本男性想像力限界を示した作品はなかなか見つからないのではないか


風立ちぬ』にも認められるドキュメンタリー価値

この点ではジブリの『風立ちぬ』も同じだろう。

あの映画は、機械オタクの男が設計室に引きこもってひたすら戦闘機流線型フォルムにうっとりしているだけで、その戦闘機がどれだけ戦争悲劇を生んだか、とか、そうした男の機械オタクたちが生んだ戦争技術によって死んでいった女性への視点が欠如しているだとか、政治的またジェンダー的な観点からさまざまに批判を呼んだが、

しかしそうした戦中日本精神限界性をはっきりと示していたという点においては、ドキュメントとして大いに価値をもっている。

今回のゴジラもまた、同じような価値をもっているといえる。


こうして、批判されるべき部分は評価されるべき部分ともなる。

したがっておそらく、この映画において賭けられているのは、シリアスコミカル関係性ということになろう。これはどういうことか。


正しい反応とは、それを積極的に笑うというもの

さしあたりこれまでの論述で明らかになったことは、この映画限界証言するドキュメントとしては優秀であるが、それはいわば限界にはっきりと居座っているからであって、丁寧になぞっているからであって、限界を越えようとしているからではない、ということであった。

まりエヴァンゲリオン踏襲し、ナショナルものジェンダー領域において日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕するこの保守的映画は、

限界を自ら反復し、演じている、ということであった。

日本男性政治家米国女性シリアスセリフを交わす場面で、自身の力への欲望は満たされるだろう。

しかしまた、あることを反復し演じることは、つまりそれを真似することであり、その虚構性を示すことである

そう考えれば、シリアスものコミカルものに転じる。

そしてそれに応じて、批判されるべき部分は、評価されるべき部分ともなるのである


したがって、このように問うことができるだろう。

限界を反復することは、限界に居座ることであると同時に、限界茶化すことでもあるのではないか。つまり限界批判することでもあるのではないか

たとえばエヴァンゲリオンの設定を踏襲することは、新たな手法発明努力放棄することであると同時に、反復しているその設定を茶化し、批判することでもあるのではないか


そうであれば、シン・ゴジラへの正しい反応とは、それを積極的に笑うというものではないだろうか。

まりシン・ゴジラが何かを反復している限りでシン・ゴジラを笑い、またその反復によってシン・ゴジラが茶化しているものを笑う、と。

誰か、あの映画を見て笑ったものはいるだろうか。

あの映画は、諸手を挙げて受け入れられているように見える。

私はその反応をこそもっと批判したい。

2016-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20160614164822

俺も似たような疑問がある。

この前微妙美人な人事が就活イベント!みたいなやつが激しく燃えてたけど、ニュースサイト美人広報インタビューだの女性技術者インタビューだのは全然燃えない。

微妙」とか茶化す感じが癪に障ったのかな。

2016-06-07

芸能人スキャンダル記事を元に茶化すようなことするの

ファン立場からは辛いんだろうし、その茶化しを真正からファンが受け止める必要は無いはずである

ので、Twitterファンの反応とかを見て回るのはやめにしたい。心がささくれてくる。

本当、ネット社会において『好きなモノがある』ってのはそれだけで精神的なリスクだ。

好きなモノへのヘイトを見かけて心をすり減らせてしまうくらいなら、この世のすべてを嫌いになれればいいのに。

『何かを好きになる』ってのは、心に弱点を抱えることでしかないが、それにより心の安寧を得てしまえるというのは、もうこれは人類の欠陥ではないか

神により仕掛けられた罠に近しいなのかなのではないか

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