はてなキーワード: 浮気とは
オナニーは今までに1万回ぐらいしたと思うが、そのうち9980回が二次元をオカズにしている。
学校の知り合いとか、テレビに出てくる普通の女優とかで妄想をしたことは一度だってない。
自分の性欲を満たすために、頭の中でとはいえプロでもなんでもない他人を性的に消費しようだなんて?
だが、世の中ではそういった「知り合いやアイドルをオカズにしてオナニーをする」だとかがむしろ普通のこととして扱われているらしい。
ビックリだ。
信じられない。
なんでそんなに性欲が旺盛で、倫理観が欠如しているんだ?
ちょっとセックスしたいからってだけの理由で浮気するとか、酒を浴びるほど飲ませてホテルに連れ込むとか、そういったことを現実でやってる連中がしょっちゅうニュースに出てくるのも怖すぎる。
単にちょっと気持ちよくなりただけの理由でなんで自分や他人の人生を犠牲にできる?
理解不能過ぎる。
つうかそもそも世の中で一般的な遊びのセックスがアナルセックスじゃなくて膣内射精だってことがまず理解できねえ。
妊娠のリスクを考えるなら出産したくないときはアナルですべきじゃねえのか?
怖すぎてこの年になっても未だに童貞だ。
だって怖いだろ?
私はもうすぐ50歳になる、もう半分老人だ。
インターネットには初期から出入りしてる、インターネット老人会というやつだ。
妻とは学生時代からの付き合いで、付き合い始めてからだともう30年経つ。
長い付き合いだが、一度もラブホというものに行ったことがない。
若い頃はお金もなかったし、お互いの身体があればどこでも満足できたから、ラブホに行くという選択肢が無かった。
子どもができてからも相変わらず金はないし時間もなく、わざわざ性行為のために出かけるなんてことは考えられなかった。
そして、今に至る。
一方、さすがに性欲は落ちはじめ、新しい刺激を欲している。
そこで、これまで一度も行ったことがないラブホに妻を誘いたいのだが、いい歳していまさらそんなことを言い出すのが気恥ずかしい。
どうやって切り出せば良いものやら。
だれか、いい誘い方を考えてはくれないか?
ニュースやネットニュースのコメントを見ているときちんと理解していない人が多いことに驚く。
女性側が旦那を殴っても浮気をしても今までは女性が親権を取っていた。
仮に旦那を殴っても、子どもを置いて浮気しにいっても「母だから」という理論らしい。
夫婦間のDVは内閣府によると「女性の約4人に1人、男性の約5人に1人は、配偶者から暴力を受けたことがあり」と書いてある。
ちなみに子どもを虐待するのは女性の方が少しだけ男性より多い。
性による違いはあまりないと思うのだが、それでも妻側の意見ばかりクローズアップされている。
妻側が浮気をして親権を取っているケースや連れ去りをして親権を取っているケースもきちんと取り上げて欲しい。
今までの離婚の裁判は女性側が加害者でも親権がほぼ間違いなく取れているので歪んでいるんだよ。
それが少しだけ是正される。
誕生日が苦手だ。
祝われたくない。祝うのも得意ではない。
ただ、誕生日を祝う文化自体は悪いものだとは思わないので、他人がお祝いしているのは楽しく見ている。
キャラの誕生日にたくさん投稿される創作物などはとても素晴らしい。とてもしあわせになる。
だが、自分自身は誕生日を祝われたくない。どれだけそう伝えても、分かってもらえないことが多い。
もともと産まれたのが誕生日をちゃんと祝う家ではなかった。時々祝ってもらっても、それは親によるご近所への「ちゃんと円満な家庭ですよ」のポーズで、各ご家庭に感謝の手紙を書かされたりした。
小学校に入るかどうかくらいのころ、祖母が「あんたの母はケーキも買ってくれないでしょうからね」とニヤニヤ笑いながら渡してきた千円札を、母に素直に渡してしまいヒステリーを起こさせたりした。
学校で「誕生日にはプレゼントを渡すのだ」と学んだので、ウキウキでお手伝いをして小遣いをせびり、貯めたお金で買ったプレゼントを母に渡したところ「現金が欲しかった」と言われたりした。
学校のプレゼント交換会で「無理なく渡せるもの」という先生の言葉に従って鉛筆を一本持っていって、イジメにつながったりした。周りはみな豪華景品だった。
これは世間にとって、誕生日がどれだけ重要なイベントかを把握できていなかった自分が悪いが。
あとは、誕生日を理由に会社でコラ画像を作られて貼り出されたとか、欲しいと思っていたアクセサリーを自分の誕生日に浮気相手に贈られた、など。言い出したらキリがない。
そういった細かな積み重ねの賜物で、誕生日を祝われる行為に、さしたる意味を見出せない大人が完成した。
普通に老けるの嫌だ。
大人なので、とうぜん我慢して世間に合わせた動きはする。おめでとうありがとうくらいは言うし、必要ならパーティだって行く。
ただ、気心の知れた人たちには「できれば理解してくれないかな」と淡い期待をこめて「誕生日は嫌いなので祝わないで欲しい」と伝えてきた。
伝わったためしがない。
遠慮しないでとか言われる。
こっちが祝われたくないって話なんだ!
嫌いなら、これから好きになるような誕生日にしようとか言われる。
昔楽しくなかった時点で今楽しく過ごすのは難易度が高いんだよな。昔の記憶が邪魔をするので。
「思い出の上書き」とか無理なんだと気がついてほしい。思い出は全て唯一無二なので、あなたとの思い出も何の代わりにもならない唯一無二である。
人間は産まれながら誕生日が好きな生き物、というわけではないと思う。
結局、誕生日が特別だって思えるのは今まで生きてきた中で培った能力の一つなんじゃないか。
そのへんも多様性ってことで「あーそうなんだね」程度に軽く認めてもらえないだろうか、と思う。