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はてなキーワード: 二大勢力とは

2022-10-15

中立」「客観批判論についてメモ

はてなブックマークTwitterなどで、「中立」「客観」と言った態度について批判的に論じるものをたびたび見かける。特に差別政治など、権力闘争の類で非対称性存在するときによく使われるイメージがある。それらについて私なりに論点を整理してまとめ、コメントしようと思う。これらの論に親和的な人も、逆に批判的な人も読んでほしい。

前段

まず、当たり前の話なのだが、何かを批判するときは通常複数論点から批判できる。

例えば、社会民主主義新自由主義立場からすれば「市場政府権力によってゆがめられ、効率的資源分配が出来ない上に政府権力が不健全に増大する」と批判できるし、共産主義立場からすれば「結局彼らは資本主義自由市場と言った搾取を『多少マシ』にしている程度であって、本質的解決には役に立っていない。どころか、革命に向かう人々を減らすという点で有害ですらある」と批判できる。

これを見て、もし社民主義者の人が「アンチ社民主義者は矛盾している。市場原理主義みたいなことを言いながら、資本主義否定している。彼らは矛盾している」と言うのがおかしいというのは分かるはずだ。あるいは、「新自由主義者は社民主義批判している。これは共産主義者と同じだ。よって新自由主義者は共産主義者なんだ」もおかしいとわかるだろう。

インターネットではそれぞれの発言発言主が結びつかず、なんとなく「自分の考えを非難する人」を全部同じカテゴリに放り込む処理をしてしまいがちだ。(なお、話をややこしくするのは本当に矛盾した意見を言うやつも一定存在することだ)

そんなわけで、いわゆる「中立」「客観批判者は皆「お気持ち」(ここでは、自分の快不快問題シームレス社会的問題につなげて、自分感情社会が従うべきだ的な発想を持っている人)の人たちだ、という雑な世界観を持っている人も多いが、ここで「中立」「客観批判理屈に触れて、「なるほど、こいつらはこういう理由でそういっているんだな。(自分賛同できないにしても)まあ理屈は分かるな」と思ってくれれば幸いである。

論点①「自分(あるいは自分が参考にしている幾人かの人間/幾つかの媒体などなど)こそが『中立』だと思い込んでしまうと、本来価値判断問題にすべきことも『中立』『客観』的な事実だと思い込んでしまい、異なる価値観を受け入れられなくなってしまう」

これは厳密には『中立』『客観』を否定していない。どころか、不徹底な『中立』『客観』を批判し、本物の『中立』『客観』を目指そうとする方向性も見受けられる。

実際問題はてなTwitterでは、『中立』『客観』(それからこれと似ている『是々非々』など)を「右」と「左」(あるいは任意対立する二大勢力)のどちらも全肯定/全否定しないことだと思っている感じがする人が複数見受けられる。まあ確かに、「右」のいう事を全肯定/全否定、とか、「左」のいう事を全肯定/全否定すると最初から決めてかかるのは紛れもなく党派的な姿勢であり、中立的でも客観的でもない。しかし、そもそも「右」がどうとか「左」がどうとか党派性を意識し、この二者のいう事には従わないぞ!みたいに決めてかかっているのは、全く同じではなかろうか。ようは、「中道」という第三の党派に過ぎない。そうではなく、中立客観というもの自分完璧に到達できないのだという事を自覚し、他人中立である客観であるかは究極的にはジャッジできない(もちろん明らかにこいつ主観的に過ぎるやろみたいな人はいるけど、そう思っている私の方がおかし可能性は否定できない)という事を踏まえなければ、「中立」「客観」という言葉は単なる党派性の御旗にしかならない。

これは実のところ、「正義暴走」論とよく似ている話だ。正義暴走非難する人は正義が嫌いなのではなく(まあそういう人もいるが)正義のために正義暴走は抑止した方がいいという話をしている。正義暴走とは、やっている本人たちが勝手正義と思っているだけで、実際には悪である、というロジックだ。同じように、「中立」「客観」の濫用非難する人が「中立」「客観」を否定していないのも当たり前の話だ。彼らが否定しているのは「中立」「客観」を装った「党派性」「主観」だからだ。(面白いのが、「正義暴走」論を持ち出す人の多くは「中立」「客観」の濫用問題を考えず、「中立」「客観」を批判する人は「正義暴走」論を持ち出されると不満を表出することが多い事である。両者はほぼ同じことを言っているのだが)

まあ、つまりこの批判は「お前は自分客観的と思ってるかもしれないけど本当は違う(かも)しれないぞ!」というものである個人に向けるとき喧嘩する気がなければ使わない方がいいとは思うが、一般論としては(特にわたしのような『中立』『客観』が大好きな人間ほど)よく頭に刻んでおいた方がいいと思う。

論点②「悪しき権力側とそれに追い詰められる少数の被害者、そして大多数の傍観者/加害者という構図がある。大多数の傍観者/加害者は少数の被害者実態についてよく知らない上に、被害者傍観者/加害者の無遠慮な発言に対して過敏な状態にある。そんな状態で彼らが彼らの持っている知識を総動員して(きちんと)『中立』『客観』的に論じてしまったら被害者が傷ついてしまうし、被害者が声を上げることが抑止されてしまう。他のことならばよく知らずに論じることは無益ではあってもさほど有害ではないが、差別構造についてマジョリティ側が無知であるにもかかわらず論じることは有害である。もしそれについて論じたいならば必ず加害者非難し、被害者非難につながるような事実を示すことは(ダメとまでは言わないけど)避けなければならない」

こちらは、『中立』『客観』的な態度を、ある一分野のみについてとはいえ明確に否定している(と私は思う)ので、論点①とは様子が違う。

まあ言っている事は正直分からなくもない。この手の人たちが良く比喩として使うように、「足で踏んでいる人と踏まれている人」の間で『中立』『客観』的な議論を成立させろ、というのは無茶である差別されている人と、その差別をたとえ直接はしてはいなくても差別によって得られる利益を(その自覚なしに)享受している人の関係は、「足で踏んでいる人と踏まれている人」のそれよりはるかに複雑で見えづらいものがあるが、似たような関係であるという事は、その是非は別として、可能ではあると思う。なので、倫理的個人差別問題について論じるときはその辺に気を付けて論じてもよい、論じた方が好ましいくらいのことは私も思う。

しかし、この考えを強い規範として言論空間に導入することに対しては私は警戒心を抱く。

「誰が加害者か」「誰が被害者か」「どこからどこまでが『差別問題』か」「どんな事実を適示すればそれが『被害者非難をあおっている』と言えるか」

これらをみんなが納得いくように定めるのは非常に難しい。間違った基準を定めてしまえば、例えば本来被害者である人たちを「加害者」として力づくで非難する事や、本来加害者である人たちの罪悪を「被害者」として覆い隠すこともありうる。「被害者」「加害者」の推定が正しかろうと、「被害者非難をあおっていると言える事実」と認定されたものがもし違えば、その事実公論上での扱いが不当に小さくなりかねない。差別発言自体言論の自由で守る価値はまったくないのだが、論点②の批判が拡大すると差別発言以外も巻き添えになるリスクがとんでもなく大きくなりそうであるそもそも一国の言論空間なんて政治勢力も右から左からワラワラ湧いてくる場所なんだから、うかつに基準を厳しくしたら、その基準が「万人」でも「マイノリティ」でもなく「特定政治権力」の都合の良いようになってしま可能性もある。一方で、剥き出しの、それこそ差別主義者やデマもなんでもござれの「言論の自由」が良いとも思えないし、「中立」を装って攻撃を誘発する人たちを何とかしたいという気持ちはあるので複雑なところである

(ちなみに、個人としてこの観点から批判すること自体はどんどんやったらいい。問題なのはこの考えが強い規範になることである

論点③「『中立』『客観』的な論は不快だ。私の不快になる主張をする権利はない。私が嫌だから黙れ」

①②は曲がりなりにも論として成立しているが、③は論外である。これこそが「お気持ちである

これについて論じることは特にない。まあしいて言うならば、「個人的な感情の表明」自体は何ら悪ではないという事は付け加えておきたい。こういう風に、自分感情だけで他人を思うままに動かす権利自分にあると思っている人をまともに相手する必要がないというだけである

全体的な感想

①②③それぞれ、言う層が全然違ってくるということがイメージできるだろうか。

①は、左右問わずおそらくそれなりに頭のいい人、論理的思考好きな人が言うと思う。(ただし、論理的思考好きな人は左に行きやすいので、左が多い気はする)

②は、明確に左の中でも主張が強めの人が言うだろう。(なお、加害者被害者構造を、中国日本あたりにすれば、右の主張強めの人たちも似たようなことを言っている)ここで重要なのは、彼らの主張は我々と大きく違うが、別に彼らは頭がいいわけでも悪いわけでもない。どちらかと言えば頭のいい人が多いと思う。

③の人は、多分単純に頭が悪い。左にも右にも真ん中にもこういう馬鹿は沢山いる。ただし、バカの中でもわざわざ自分バカですとアピールしたがるインセンティブが強いのは右左の中でも過激な人たちだろう。

お気持ちサヨクバカ」みたいなことを言う人たちは、多分①②の理屈で「中立」「客観」を批判している人に左翼が多いという事と、③の人たちにバカが多い事を混同して、左翼お気持ちバカみたいな図式を作り上げているのではないかと思う。あと、「お気持ちサヨクバカ」と言った同じ口で「リベラル(おそらくこの人はリベラルサヨクをほぼ同義として使っているはず)は啓蒙思想押し付けている」みたいなことを言っている人もいた。確かに②は啓蒙思想押し付けダメな部分全開という感じで、③はバカである。たぶん構造としては②が③の人たちを率いて暴れまわっているという感じではなかろうか。まあそんな感じで、「中立」「客観」大好きな人たちも、③は論外として①②の理屈普通にそれなりに通っているっていうことをちゃん意識しよう。(まあ意識できてる人もいるだろうけど)

2022-07-18

anond:20220718104348

その点ではあまり立民を責めるのも酷な部分がある

左に共産公明イデオロギーというより宗教的信念で凝り固まった二大勢力がいて、しかもこいつら同士の仲が悪いと来たもんだ

ハーレムアニメ主人公でもなければ両方おとなしくさせるなんて無理ってもの

2022-06-26

anond:20220626125333

英仏もわりと二大政党ぽい気がするけど。

国家首長権限がもう少し強い方が二大勢力対立感出やすい?

2022-05-31

表現の自由を巡る言説が二大勢力ゲハ戦争化していることにこそ疑問を持ちなさいよ

2022-03-09

anond:20220309011900

いま、ウクライナにおける市民の損害は図形構造的進捗を見せており[和訳者註: 多角形に拡大しているということか]、我々への抵抗は強まるのみである歩兵による市街への進入はすでに試みられており──20の空挺集団のうち、"限定的"成功を収めたものは一つのであるモスルの侵攻を思い出してほしい。これは法則である──すべての国家で発生する。新しいものではない。籠城戦をする? ヨーロッパにおける直近の十年紀において──セルビアが最も好例であり、都市は籠城下においても年単位機能を維持できる。ヨーロッパからの人道的支援車列は時間問題である[5]。我々の条件的締切日は六月である。条件的というのは六月にはロシア経済存在しないかである──何も残らないであろう。概して、来週には(ロシアにおいて)、二大勢力(主戦と反戦)のいずれかで崩壊が起きるであろう、単純に現在の緊張は持続不可能であるからである。我々は何らの分析も持たず、我々はこの混沌への予報を出せず、誰も何も何らの確証を持って言うことはできない(ロシアにおいて)。

直感に頼って行動するのであれば、そして高ぶった感情とともにするなら、それがポーカーゲームということにはならない。しかし我々はなんらかの選択肢が奏功することを祈って賭金を積み増すしかない。これにおける悲劇計算違いを起こして全てを失うことは容易にあり得るということだ。概して、ロシアに出口はない。勝利可能性のある選択肢はなく、敗北しかない──ここが瀬戸際だ。(英訳者註: 休憩。続きはあとでやる)(英訳者註: 続きの後半はもっと面白く、前向きなおどろきで終わる)

100%、我々は前世紀の過ちを繰り返したのだ、"弱い"日本を足蹴にして素早い勝利を得ようとして、わが陸軍がまったく壊滅状態にあることが判明した時の。そして我々は勝利まで戦い、そしてボリシェヴィキ陸軍で再教育のため徴兵した。そしてこれらかろうじてもののわかるボリシェヴィキどもは反戦標語を拾い上げあのようなことを始めたのだ…… :kyoumokawaii:

前向きな点の中から: 我々は懲罰部隊前線に送ったようなことは徴候もないようあらゆることをなした。もし政治犯社会的不要分子徴兵したならば陸軍士気は負の領域に入る。

敵(ウクライナ)は動機付けられている。怪物のように動機づけられている。戦いを知り、潤沢に有能な指揮官もつ。彼らには武器支援がある。我々は単純に人的破局(human catastrophe)の先例を樹立するであろう。

我々が最も恐れていることとは: 首脳部は古い問題を新しい問題で覆い隠そうとしている。大まかにこの理由により、2014年にはドンバスが起きた──我々は西側に対してクリミアでのロシアの春を攪乱せねばならず、ためにドンバスのいわば危機西側の注意をすべて引き付けてくれねばならず、そして交渉材料になったのだ。しかさらに大きな問題がそこで起きてしまった。そして我々はエルドアンにサウス・ストリーム(ガス)から4本のパイプを引き込むよう圧力をかけることを決断してシリアへ進入した。これはスレイマニ([イラン・]イスラム革命防衛隊)が自分たち問題解決のため我々に意図的誤情報を渡した後のことだ。結果として、我々はクリミア問題解決することができず、そしてドンバス問題も去ることはなかった。サウス・ストリームは2本パイプに後退し、シリアは[和訳者註: ロシア支援に]ぶら下がっている──我々が去ればアサド転覆し我々はまぬけに映り、とどまることは難しくまた要点をなさない。

筆者はなにものが"ウクライナ電撃戦"を考えついたのか知らない。我々があらゆる事実入力を受け取っていたならば、我々は最低限でも初期計画議論余地があり、大部分は再検討を要することを指摘していたであろう。大量の再検討がなされなければならなかった。

いまや我々は首まで[英訳者の表現]に埋まっており、我々は何をすべきかも理解していない。"非ナチ化"や"非武装化"は強固に定式化された変数をもちそれにより目的達成度を評価しえるものではなく解析的分類たりえない。[6] いまや我々は、いずれか精神的に破綻した助言役がヨーロッパに対して衝突を仕掛け、制裁緩和を要求するよう首脳を説得するまで待ったまま動けない状態にある──彼らは制裁を緩和するか、あるいは戦争になる。そしてもし西側が拒絶すれば? その場合において筆者は我々が、1939年ヒトラーのように真の国際紛争に引き込まれ可能性を排除しない[7]。我々の"Z"は鉤十字と等しくなるであろう。

局地的核攻撃の(ウクライナにおける)可能性はあるか? ある。軍事的目的のためではない。かような兵器防衛突破の役に立たない。しかし他のすべて(西側)を恐怖させる目的を伴う。

2022-01-14

日本で最適な民主主義

これが良くね?

2021-12-15

今日読んだ非BL

鎮魂歌レクイエム)』(馳星周

 馳星周先生デビュー作『不夜城』のシリーズ第二弾。ゴリゴリノワール小説だが、某BLレビューサイトによれば、本作を読んでBL沼にハマったという姐様もおられるようだ。

 私は確か二十年前に本作を一度読んだ記憶があるんだけれども、面白かったという感想けが残り、内容はほとんど覚えていなかった。闇落ちした劉健一クズさ最高潮ぶりはぼんやり記憶していたのだけれど。郭秋生のキャラがかなり立ってるのに存在ごと綺麗さっぱり忘れていた、私の記憶力は一体……。

 ろくでなし警察官崩れ滝沢と、凄腕の殺し屋郭秋生のダブル主人公で、物語は秋生視点滝沢視点が交互となって進行する。


あらすじ

 郭秋生は、楊偉民の子飼いの殺し屋だ。暗殺の依頼を請負い、秋生は一年ぶりに歌舞伎町に戻った。いつものように卒なく仕事を片付けた秋生。ところが、楊偉民はいものように秋生に逃亡先を用意してはくれず、歌舞伎町に留まれと命じた。そればかりか、楊偉民は秋生を歌舞伎町支配する二大勢力のうちの一つ、上海の老板・朱宏と引き合わせた。朱宏の情婦ボディーガードとして雇われる事になった秋生。いつもとは違う仕事に戸惑い、不安を覚える秋生だった。

 その少し後、滝沢誠は彼のボスである北京の老板・崔虎に呼び出された。崔虎の直属の部下である四大天王の一人・張道明が殺されたという。おそらくプロの犯行だった。だが、張道明の居場所を知るものはいなかったはず。すなわち、内部に裏切り者がいて、プロを雇い張道明を暗殺させたに違いない。崔虎は滝沢裏切り者を探せと命じた。

 初恋に囚われ続ける美貌の殺し屋と、ろくでなし変態サディスト警官。交わることのないはずだった二人の運命が、交差しようとしていた。



増田感想

 BL描写のある面白小説を読みたいと思ったらむしろBLレーベルから探せって事で、二十年ぶりに手に取ってみた本作。何となく面白かったなという記憶しか残っていなかったのだけれども、いざ読んでみたら本当に面白い。ものすごいページターナーっぷり。次はどうなるんだろうと気になってしまい、つい夜更ししてまで読んでしまった。

 一般レーベルでのBLっぽい作品ということだけど、お互いに相手に恋し合ってイチャイチャするっていう訳ではなかった。まあ、非BL作品なんだから当たり前だけれど。

 しかし、滝沢が秋生に恋に落ちるシーンとか、秋生の声を聞く、秋生に視線を向けられる、秋生と会話をする……その時々の滝沢の反応がめっちゃ乙女チックなピュアラブさかげんで、エモいの通り越して面白かったなw 複雑に絡み合う欲と謀略、大陸にまで及びそうな意外にもスケールデカい話、とか、最終的にはどうでも良くなって来るくらいの一方通行ラブロマンスだったー! なにこれ。ごめんなさい、こんな時どんな顔すればいいのか、わからないの……………。笑えば、いいと思うよ……………。

 滝沢は秋生をどうしようもなく好きなんだけれども、秋生は「正直どうでもいい(早くリタイアして犬飼って暮らしたい」っていうスタンスを崩さない。っていう、無情感が最高すぎる。実に萌えた。滝沢恋する乙女モードの目で見た秋生は本当にカッコよくて、つられて恋しそうになる。

 が、秋生が史上最悪のピロートークをする場面(無論相手滝沢ではない)で、「日本にいてわかったんだ。おれはホモにもてる」と断言したせいで、脳内に固まりつつあった秋生のイメージ画像に亀裂が入った。ちょ、ちょっとまって。滝沢乙女チックな秋生描写世間一般日本人の乙女に好かれる美男子描写は大体一致すると思うけど、ゲイモテるとなるとだいぶ違くなる気がする。一体、どのようにイメージ修正したらよいの!? 女にもゲイにもモテる優男とは、どんな風な奴のことを言うのだろうか……。例えば昔のケイン・コスギみたいな人とか? いやでもそれはマッチョ過ぎないだろうか。てか、ケイン・コスギことなんて、十五年ぶりくらいに思い出したな、私。

 かなり脱線してしまった。ともかく、ストーリー展開の面白さを楽しみつつ滝沢純愛についニヤニヤしちゃう感じで、感動して泣いたりとかはしなかった。

 

2021-09-29

岸田文雄vs小池百合子になったらいいのにね

岸田が総理総裁だね。

二階俊博がおろされて、二階派自民党を出ていって、

小池衆院に担ぎ出してくれるといいね小池都ファ+二階派+国民+維新あたりで。

立憲民主党小沢グループやまともな方のリベラルも立憲を捨てて小池連合に来ればいい。

岸田自公vs小池連合二大勢力研鑽すればいい。立共社れは用無しだ。

 

衆院小池連合が勝てなくても、参院自公過半数割れになれば、

連立協議で、岸田総理が続くのか小池総理にするのか、はたまた別の誰かを据えるのかになる。

その前に衆院解散の可能性もあるか。

 

まともなリベラル政党政権を獲るのが一番いいけど、

立憲はマルクス経済学だし、スターはいないし、

ニュースター候補脱成長財政再建小川淳也だもんね。

捨てるしかいね

2021-05-06

現実インセル勢力フェミ勢力セクマイ勢力の三つ巴なんだけど、セクマイを分断してインセルフェミ二大勢力に仕立てあげようとする連中がいるんだよな。

そういうのには加担しないで、セクマイセクマイ自治を守らなきゃいけない。

2021-02-16

はいってもそこをホント容赦なくやると恐らく人気が出ない

https://anond.hatelabo.jp/20210216190648

例えば、


・60年強という、日本史戦国期に次ぐ長期の一大戦

しか戦国みたいにほとんどの期間が小物同士の争いというわけでなく、二大勢力対決かせいぜい三つ巴で理解やす

・京の都を争奪すること八度。しかもほぼ毎度、奪取奪回の伯仲の攻防で、都の主が入れ替わる事十数度のシーソーゲーム

という大河ジェットコースターな神ストーリーライン


・「二条城信忠が守り切る」方がありえそうな、兵力差100倍の籠城戦勝利

秀吉中国大返しすら児戯に見える長躯急進撃

桶狭間が「ちょっと運がいい」レベルになる奇跡の大逆転合戦

といった、「ちょっと盛りすぎじゃね?」というド派手エピソード多数


こんな、ラノベファンタジーであっても「ドラマチックにしようとしすぎて、ご都合主義リアリティがない」と、怒られそうな、波乱万丈な筋書きとエピ満載の史実

「元弘の変~南北朝」が戦国維新どころか源平に比べても今一つ人気がないのはたぶんそのせい。


なんせ大塔宮楠木正成北畠顕家新田義貞、後醍醐帝と、南朝サイドの主役級が、序盤数年で立て続けに死亡。

以後50年余の筋にからまない、という肩透かし

筋やエピだけ良くても、ちゃんストーリー通しで各陣営に入れ込めるキャラがいる話でないと、人気は出ないのだ。

2021-01-26

パンティーヶ原の戦いでパンティー軍が勝ったパンティラインに住んでる

結論から言うと、東軍が勝ったパンティラインに住んでる人かわいそう。

以下、ざっくり現代までのパンティー史を書いていく。

 

パンティー川家康関ケ原パンティーを被り討ち死に。パンティー川秀忠は切腹。両者のフンドシは一条戻橋に晒される。徳川家結城秀康が引き継ぐも程なくパンティー川家に改名され実質滅亡。

その後パン東ィーには何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

パン東ィーなんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。

パンティーケ原の戦い後、小早川秀秋白パンティーを履くも5年で病死。その後は豊臣秀頼白パンティーを履く。日本上杉、宇喜多毛利島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、パンティーぬがしっこが起こらず、外国との下着交易も進みパンティー業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心にパンティー体化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はフンドシしか履いていなかった印象で、野蛮で恥ずかしい存在しかない。交易パンティーが発展しているので、日本のせまーいフンドシでチンポなんてものを覆わせて税金徴収するなんてバカなことはパンティーケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域下着難民や縫製労働者が蜂起して自パンティー権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにパンティー化していく素地があった。パンティー教も新旧両派が認められ、汎帝教と二大勢力になっている。その後、ヴァンディー教やパンツィル教を信じる人も増えていく。フンドシがいなくなっていくにつれてブリーフトランクスは消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でもトランクスは消えていった。今でも下着の残骸のようなものは残っているが装着する人は誰もいない。

 

19世紀になると大名支配していた地域で縫製労働者下着難民代表者からなるパンティー会と豊臣を首班とするパンティー人からなる下着会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府かいものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約下着会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカヨーロッパ思想パンティー語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューロック思想パンティーと大して関係がないということで学校議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由パンティーを履いて走り回るのがメイン。この教育きっかけにパンティー族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国連合巨大パンティーを形成する構想が何度も浮かぶアジア大陸では日本と同様、汎帝教とパンティー教がメイン。フンドシ教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の裸体主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟からパンティ連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きなパンティ戦争が起きる。フンドシのような抑圧的で野蛮な下着が早い時期になくなり、無駄戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。

 

20世紀に入ると漸次的に汎アジア国家条約連合(PANTY)が形成されていく。PANTYはそれぞれの装着者で温度差はあるものの人体の曲線的な魅力を布地が補強するコンセプトからなる。パンティ列島地域は力を失ったパンティー族が政治的な実権を失い、国民代表からなる下着会と各地域代表者からなる元パンティー院、PANTY議会派遣される議員存在している。ヨーロッパで発生したヌーディズムと戦う第二次世界大戦こちらの世界でも勃発する。しかし、パンティ地域に没個性で野蛮なフンドシが存在しないこちらの世界では他国侵略を行うようなことはない。PANTY含む連合国がイタリアヌーディストノーパンドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、PANTYとブルマ圏、欧米諸国との間でイタリアドイツを再建。アジア大陸では中国全裸党とPANTYの戦いが続くが、1964年に休戦。中華全裸共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。PANTYは中東諸国に対するブルマ圏やアメリカ侵略から防衛にあたり、友好関係現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でもヌーディズムを譲らないソ連と意地でもブリーフを手放さなアメリカ1980年代になると衰退していく。インド中東諸国が加入したことでPANTYは汎アジアインド中東国家条約連合(PANTIES)へと改組される。PANTIESとブルマ連合アメリカソ連の再建の中心となる。

21世紀に入ると世界はPANTIES、ブルマ連合全裸連合ノーパン連合、紐パン連合連邦国家構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東パンティーの野蛮な武士支配権を握らなくてよかったと思ってる。

関ケ原の戦い西軍が勝った世界線に住んでる

結論から言うと、東軍が勝った世界線に住んでる人かわいそう。

以下、ざっくり現代までの歴史を書いていく。

徳川家康関ケ原で討ち死に。徳川秀忠切腹。両者の首は一条戻橋に晒される。徳川家結城秀康が引き継ぐも実質滅亡。

その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。

関ケ原の戦い後、小早川秀秋関白になるも5年で病死。その後は豊臣秀頼関白になる。日本上杉、宇喜多毛利島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はの混乱を引き起こし元凶で、野蛮で恥ずかしい存在しかない。交易経済が発展しているので、日本のせまーい土地で米なんてものを作らせて税金徴収するなんてバカなことは関ケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域農民労働者が蜂起して自治権漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。キリスト教も新旧両派が認められ、仏教二大勢力になっている。その後、ユダヤ教イスラム教を信じる人も増えていく。武士がいなくなっていくにつれて神道儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない。

19世紀になると大名支配していた地域労働者農民代表者からなる議会と豊臣を首班とする貴族からなる議会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府かいものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約議会承認する。19世紀の半ばにはアメリカヨーロッパ思想日本語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューロック思想自分たちのやっていることと大して変わらないということで学校議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由議論して学ぶのがメイン。この教育きっかけに貴族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国連合国家形成する構想が何度も浮かぶアジア大陸では日本と同様、仏教キリスト教がメイン。儒教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の社会主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟から連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きな戦争が起きる。武士のような強権的で野蛮な人間が早い時期にいなくなり、無駄戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。


20世紀に入ると漸次的にアジア太平洋連合国家APS)が形成されていく。APSはそれぞれの構成国で温度差はあるもの民主的憲法国民が制定した国家からなる。日本列島地域は力を失った貴族政治的な実権を失い、国民代表からなる議会と各地域代表者からなる元老院APS議会派遣される議員存在している。ヨーロッパで発生したファシズムと戦う第二次世界大戦こちらの世界でも勃発する。しかし、日本地域に強権的で野蛮な武士存在しないこちらの世界では他国侵略を行うようなことはない。APS含む連合国がイタリアファシストナチスドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、APS共産圏欧米諸国との間でイタリアドイツを再建。アジア大陸では中国共産党APSの戦いが続くが、1964年に休戦。中華人民共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。APS中東諸国に対する共産圏アメリカ侵略から防衛にあたり、友好関係現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でも共産主義を譲らないソ連と意地でも資本主義を手放さなアメリカ1980年代になると衰退していく。インド中東諸国が加入したことAPSアジア太平洋連邦共和国(FRAP)へと改組される。FRAPと欧州連合アメリカソ連の再建の中心となる。


21世紀に入ると世界はFRAP、欧州連合北米連合南米連合アフリカ連合連邦国家構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東日本の野蛮な武士支配権を握らなくてよかったと思ってる。

2017-08-11

駐妻だけど駐妻のキャリアガーと騒ぐ人が嫌い

この記事とか典型的なやつなんだけど。

https://www.businessinsider.jp/post-100717

今、駐妻界隈には新旧二大勢力があると思ってる。具体的には、

勢力オールドスクール駐妻スタイル(専業、習い事お茶会etc)を押し付けタイプ

勢力→駐妻はキャリアの断絶を押し付けられてる!という主張をし始めるタイプ

私は新旧二大勢力とも視野が狭すぎないか?と思ってしまう。

前者はいわゆる思考停止タイプ後者自分の知ってる世間レベル感で生きていくことを譲りたくないがゆえの視野狭窄タイプだなあと。

正直なところ、前者を選択する人と後者選択する人はわかりやすバックグラウンドが違っていて、後者の方が圧倒的に高学歴ハイキャリア組

からこそ、後者をより厳しく見てしまう。彼女らのパートナーほとんどは大手企業勤務。外資ならば昇進とともに海外勤務の可能性が出てくるのはあり得るコースだし、内資は内資で、大手ならば社員本人にその資質(語学力等)があったり、海外勤務の希望者が海外勤務となるのが通例。結婚から、多少なりとも海外勤務になる可能性は感じ取れるはずなのだ

自身キャリアに強い意識があるのなら、結婚から「もしも」については考え得るはずだし、パートナーともしっかり話し合いができたのでは?と思ってしまう。

特に今はネット経由で相当量の情報を取得することができるし、大手企業ならば帯同前に会社から説明会や懇親会がもたれる場合も多いから、余計に。

ある程度のリテラシーがある(と思われる)高学歴ハイキャリア女性にとっては、日本国内での転勤が多い人と結婚する妻の立場と、昔ほどの差はないはずなのだ

もちろん、通例というか、転勤に伴う帯同=女性退職という固定観念を取り去りたいという考えは理解できる。けれども、上の記事にあるような高学歴ハイキャリア駐妻たちの主張は、あまりにも自分の「レベル」を落とさないことに固執しているように見えてしまう。

駐在への帯同によるブランクを経て、社格待遇の面に変化はあっても新しい場所活躍している人もたくさんいるのに。アイデンティティを「以前と変わらない自分」に固定してしまうことの狭量さが、自分を苦しめていることに気づかないのかな?と思ってしまう。

2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170709154334

「漢」という大きな国で「黄巾の乱」という農民反乱が起きる。

朝廷は各地に将軍派遣してようやくその乱を鎮める。

そのあと董卓っていう奴が独裁者になって暴れるんだけど、部下の呂布という奴に殺される。

朝廷はぐちゃぐちゃで統制が効かなくなってしまい、各地の将軍たちが独立して戦国時代みたいになる。

そのころは大陸の北の方が豊かで人口も多く、その覇権を巡って曹操袁紹という二大勢力が戦って、曹操が勝つ。

曹操日本戦国時代で言えば織田信長みたいな冷徹天才タイプ

北半分を手中に収めて圧倒的な勢力を持つようになった曹操

しか大陸の南東のほうで勢力を拡大していた孫権という奴に「赤壁の戦い」で大敗する。

孫権徳川家康みたいな地域密着型の苦労性タイプ

また、孫権に協力していた劉備という奴が、その戦いのあとの隙をついて大陸の南西の方を占領する。

劉備豊臣秀吉…と言いたいけどわりと違くて、やたら仁義忠義にこだわる良い子ちゃんタイプ

実は西遊記三蔵法師に近いんじゃないか

北半分を得た曹操の「魏」、南東を得た孫権の「呉」、南西を得た劉備の「蜀」。

この三国が鼎立するから三国志演義」。

特に劉備主人公格で、義兄弟関羽張飛と共に、紆余曲折を経て国を打ち立てるまでが前半。

でも建国した矢先、関羽は呉と戦って殺されてしまい、張飛も部下に裏切られて殺されてしまう。

義弟たちを殺されて怒り狂った劉備は呉に攻め込むんだけど大敗して死ぬ

そして劉備軍師であった諸葛孔明が、劉備亡きあと、圧倒的な力を誇る魏に対してさまざまな奇策を持って挑む、というのが後半のストーリー

既に曹操も死んでいるから、魏の将軍司馬懿という奴が孔明ライバルになる。

孔明は魔術的な天才軍師として描かれ、司馬懿相手連戦連勝する。

しかし彼我の戦力差はいかんともしがたく、やがて孔明死ぬ

孔明の死後は、後継者姜維を中心に、蜀も粘るんだけど、ついに魏に降伏することになる。

具体的に言うと、鍾会という野心旺盛なエリート姜維を釘付けにしているあいだに、鄧艾というドモりが酷いおっさんが間道を通って蜀の首都を攻め落とす。

でも鄧艾のことが気に入らない鍾会は、鄧艾の勝手な振る舞いを讒言して殺してしまう。

さら姜維に唆されて、鍾会は蜀の地で独立してやろうとするけど、あっさり発覚して鍾会姜維は殺される。

この頃の魏は、司馬懿の息子たちがすっかり権力を握っている。

そいつらが蜀の滅亡の後に魏を乗っ取って、「晋」という国をつくる。

この晋の名将に羊祜という奴がいて、最後に残った呉をいつ滅ぼそうかと手ぐすねを引いていた。

しかし、このときは呉にも陸抗という名将がいた。

二人は国境を挟んで互いのことを認め合い、手紙や酒を送りあうほどだった。

この頃の呉は、晩年に耄碌した孫権が、悲惨後継者争いを引き起こして国力が低下。

陸抗の力によってようやく保っている有様だった。

やがて羊祜も陸抗も亡くなったあと、羊祜の後継者となった杜預という奴によって、ようやく呉は滅ぼされた。

魏も呉も蜀も消え去り、晋が大陸統一したのだった。

おしまい

2016-09-18

UNOオリジナルルールのこと

中高の学校行事で、空いた時間に何を遊ぶかといえば、トランプとウノが二大勢力だろう。

トランプの強みは、なんといっても遊び方の種類が豊富なことだ。

一番メジャーなのは大富豪だろうが、それに飽きたら飽きたで他の遊びもできる。

しかし、ウノにもまた、それらを向こうに回して戦えるほどの存在感があった。

だが、考えてみると、ウノはローカルルールにずいぶん侵食されていた。

一応カードと一緒に説明書はついていたが、いつの間にかみんなそれを無視して遊んでいた。

例えば、オリジナルルールでは、カードは一度に1枚しか出せない。

ところが、ローカルルールにおいては、同じ数字であれば一度に何枚でも出すことができた。

これにより、多色による多面待ちで、一気にあがることが可能となる。

残りが1枚ではないから、ウノを宣言する必要もない。

もはや、ウノという名前のものに全力でケンカを売るような有様だった。

他にもまだある。スキップリバース複数枚同時に出せるというルールがあった。

うろ覚えだが、確かオリジナルルールでは、ドロー2を出された時には何の抵抗もできず、

さらには自分の番もスキップされたはずだ。

一方、ローカルルールにおいては、ドロー2やドロー4を出せば次の人になすりつけることができる。

それから確か、ワイルドドロー4は他に出せるカードがない時のみ出せるとかいルールがあって、

これを破った時のペナルティで「チャレンジ」とかいうのもあったはずだが、これも無視されていた。

そもそも、オリジナルルールでは、最初に一人があがった時点でゲームは終了し、

残りの手札に応じて点数計算を行うことになっている。

やはりこれもなかったことにされていて、最後の一人が残るまで延々と続けていた。

ここまでくると、もはや原形を留めていない。

思うに、空いた時間で手軽に遊ぶ、さらに人の出入りもあり得るという状況では、

いちいちスコアを記入する必要のあるルールは合わなかったのかもしれない。理屈はいろいろつけられる。

だが、それにしたって、ここまで改変されたのはなぜなのだろう。

面白くなかったのだろうか?

2015-06-23

セックスって言葉エロすぎやしないか

「失敗って言葉、まじ救いがないと思いませんか?」

新人の後輩がそんな言葉を投げつけてきた。

彼は我が職場工場において3つ存在する「絶対に閉めてはいけないバルブ」のうち、何をトチ狂ったのか2つを連続して閉めるという史上初の快挙を達成した男だった。

当然、職場大パニックに陥り、上へ下への大騒ぎ、鯛や平目の舞い踊り、といったとにかく大変な状態となったのだった。なんとかその苦難を克服し、職場平穏が戻りつつあった時、彼は冒頭の言葉を言い放った。

職場内では、彼がライバル社のスパイであんな行動に出た、だとか、彼は専務の甥でコネで働くことになったが嫌々だったため解雇されたくてあんなことをした、だとか、バルブを閉めるときにアヤナィィィィィと叫んでいただとか、根も葉もない噂が蔓延していた。

そんな様々な噂が渦巻く中で、別の用件で彼と話をする機会があったのだ。結構おそるおそるで、彼が深刻な顔をしながらあの日のことを「神が直接僕の脳にバルブを閉めろと語りかけてきたんです、悪魔が来る日に備えて!」とか言い出したらどうしようかと思ったが飛び出したのは冒頭のセリフだった。

「失敗って言葉、まじ救いがないと思いませんか?」

彼曰く、今回の自分の行動はミスであり失敗である、それを痛切に感じているとのことだった。それを踏まえてなお、「失敗」という言葉字面はあまり無慈悲であると言いたいようだった。

「失敗」

読んで字の如く、失って敗れることである。ただ敗れるだけでなく、失うことまでセットと読むこともできる。完全に踏んだり蹴ったりだ。

「この字のイメージだと、すごく大変なことをしでかしてシャレにならない感じしませんか?些細なミスを敗北にまでもっていくのはあまりにもあんまりだ」

僕はこの時初めてこいつは何も反省していないという事実に気がつき、驚き、こりゃあながち他社のスパイって話も眉唾じゃない、閉めるときアヤナミィィィって叫んでたんだろ、と理解するに至ったのだった。あれを些細なミスと言って良いのだったら、自身音楽著作権の二重譲渡城崎に100回以上日帰り出張些細なミスで済みそうな勢いだ。

けれども、彼の反省はともかく、言いたいことはかなり理解できる。

「失敗」

この文字の持つネガティブさは相当なものだし、些細なミスもこの深刻そうな文字で表現されることで、さも大事のように感じてしまうのも確かだ。

極度に「失敗」を恐れ、マニュアル通りに行動するしかできない、もしくは行動そのものを起こさない人々が増え、チャレンジ精神が失われつつあることも「失敗」の文字が持つ重大さがいくらかは関係しているのかもしれない。人々はとにかく失敗を恐れすぎている。

同時に、私はかねてから同じように考えている言葉があった。それが「セックスである。この「セックス」という文字、とにかくエロい。かなりエロい言葉から連想する内容だけでなく、この4文字がこの順番で並んでいることがとにかくエロい

ジーッと字面だけを眺めていても色々と感じるものがあって、例えば、直線だけで構成されている文字なんだとか、クとスは比較的似ている文字だとか、色々見えてくる。

次に見えてくるのがバランスエロさだ。字の高さを揃えるのではなく、ッの部分でわざと低くしている。この凸凹感がとにかくエロいし、クスという部分のクの不安定さをスの安定感で補っている部分などエロしか感じない。セの返しの部分なんかド直球のエロさだ。

字面の段階でエロいセックス」、この言葉があまりエロすぎる故に日常生活から敬遠されがちだ。電車バスラッピング車両に「セックス」と書かれることはないし、看板にも大型ビジョンにも「セックス」が登場することはほとんどない。つまり日常からセックスが遠ざけられてしまっているのだ。

清潔で平和であるこの国は、あらゆる生物死体を見る機会がほとんどなく、核家族化が進み祖父が死んだなどの家族の死を経験しない子供たちは「死」というものをあまり理解できない、という話を聞いたことがある。

それと同じで、あまりに遠ざけられたセックス、は性に関する様々なことに影響を与えているのではないだろうか。それらが少子化などの遠因になっている可能性も否定できないのではないだろうか。

そして、その一端を「セックス」という字が持つエロさが何パーセントかは担っていると考えるのだ。

まり、今後はもっと日常的にセックスが町に溢れ、身近なものになるべきなのだ。それには、もっとエロくない単語に置き換える必要がある。そう、例えば性行為のことを「鳩」と呼ぶことにしよう。

エロビデオなどでも、新人女優インタビューを受ける際は、ちょっと色黒の男優質問

今日はみんなにセックスを見てもらうわけですけど。すごいよー、画面の向こうでみんな君のセックスを見てる」

とか言って群馬から出てきたばかりの女優赤面させる。なかなかわかってるやつだ。でも、こんなもん地上波では流せない。いや、エロビデオは流せないけど、このセリフだけでもエロすぎてダメだ。ところがどうだ。こうすると一気に様子が変わる。

今日はみんなに鳩を見てもらうわけですけど。すごいよー、画面の向こうでみんな君の鳩を見てる」

地上波で流せてしまう。たぶんEテレもいける。

終電を逃した26才OLカクテルを傾けながらかねてからジャニ系でかわいい顔と狙っていた新卒の22才イケメンに言う。

今日は私とセックスしよ」

これでは新人に逃げられてしまう。逃れられない恐ろしさ、重さ、彼に十字架を背負う覚悟があるのか!22才の彼にはあまりに荷が重過ぎる。結婚させられるんじゃないか。赤色カクテルを飲む彼女が生血を啜る魔物に見えるかもしれない。ところが、こうするとどうだろうか。

今日は私と鳩しよ」

なんだか楽しそうだ。

そうこうしてると、「鳩」では温い。もちろんセックス言葉を変えて性行為を身近なものにしようとしてるのは理解するし応援もする。でも「鳩」では温い。それでは草食化は止まらん。もっと過激な動物にすべき。そんな意見が飛び出してくるはずだ。

ライオンじゃあ身近じゃない、タイガーもだめ、ハイエナはなんか意味が違う、馬はどうだろうか、犬はどうだろうか、カブトムシという手もありますぞ、色々な意見が出され、議論がととっちらかってしまい、せめて鳥類でいこうと主張するグループが出て結束を強める。紆余曲折を経て、鳩より攻撃的な「鷹」にしようという形でまとまる。

こうして、セックスのことを「鳩」と呼ぶハト派「鷹」と呼ぶタカ派二大勢力に分かれることになり、ますます意味が分からないことになる。長いこと穏健なハト派と過激なタカ派の論争は続くことになるのだけど、

今日は鳩したいな」

「鷹ならいいよ」

「は?」

みたいなことが続くようになり、不便だという声があちこちからあがる。しかし、どちらの派閥無視できないほどに大きくなりすぎていて、ある意味宗教がかってきているので、双方に気を使う形で

タカハト

行為を指し示す言葉がそう制定されるが、なんで鳩が後なんだよ、それに全国の高橋君のあだ名がみんなこれになる気持ちを考えたことあるのかという声が高まり、かなり配慮した形で

「ハタカト」

という文字に落ち着く。性行為は「ハタカト」、「裸と」みたいでいいでしょ、そう発表する時の官房長官ドヤ顔が今から目に浮かぶ。

で、それから数年して、すっかり「ハタカト」が定着した時、こういうと思うんですよね

「ハタカト」って文字はエロすぎる。

結局、「ハタカト」って言葉を公の場で出すことはなくなって、老人は「セックス」って呼ぶから若者は何のことか分からずに混乱するし、大失敗になるんですよね。

でも、「失敗」って言葉はマジ救いがないですから、こういう些細なことは「失敗」ではなくマイルドな「マングース」あたりの名称を用いたらどうか。

 
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