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2017-01-17

「(空襲から)逃げちゃダメだ!」

http://anond.hatelabo.jp/20170116162327

リンク先『婆ちゃんに戦争の話聞いてきた』で語られている「婆ちゃんの工場を襲った」空襲はおそらく、1945年8月1日深夜から2日未明にかけて行われた富山空襲のことだろう。

それ以前、7月にも市街地に対する比較的小規模な空襲は度々行われている(模擬原子爆弾、いわゆるパンプキン爆弾の投下も行われた)が、8月空襲市街地の実に99.5%を焼き尽くす大規模なもので、ブコメでも言われているように「空襲で全部なくなった」。燃え盛る炎が明々と夜空を照らしていたという証言ネットでも複数読める。

で、だ。問題

ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。川に逃げた人はみんな死んだ。

というくだりである。この「川」というのはおそらく、富山市街地を貫流する神通川を指す。皮肉にも、上空から夜目にも目立つ神通川と広大な河川敷のもの攻撃目標となって多くの犠牲者が出たといわれているが(富山空襲 浅田 高明|戦争記憶~寄せられた手記から~|NHK 戦争証言アーカイブス http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/kioku/31/ )、そのいっぽうでこんなことも行われていた。

神通川に掛かる連隊橋(今は富山大橋)を軍が封鎖し、逃げて来る市民に対し「戻って消火せよ!」などと馬鹿げた命令を出した

(あの戦争富山空襲」 : 勝手に言ってます http://yosirin.exblog.jp/21519632/

火たたき・バケツリレーなどによる「防火演習」がしばしば行われ、空襲の際には、避難する道路に、警防団警察憲兵などが立ち、「戻って火を消せ」、「非国民!」などと、避難を押し止めた

イントロダクション | 「富山空襲」のことを知って下さい! http://www.geocities.jp/toyamakushunokaii/introduction.html

逃げたらアカンかったわけである。何故か? これは日中戦争が始まる前に公布された「防空法」という法律に拠っている。直接的には、真珠湾攻撃の直前に行われた防空法第一改正、およびそれに基づく内務大臣通牒で、空襲時の退去の禁止罰則を伴う)と応急消火義務国民に課せられたことに由来する。この規定が、10万人の死者を出した東京大空襲のあともなお有効だったことは、まさに富山空襲でのエピソード物語っている。

富山空襲ではまず市街地の周縁部に焼夷弾を投下し、市民の逃げ道を断ったうえで存分に焼き払うという手法が用いられたが、地上でも軍や官憲によって逃げ道が断たれていたわけである。その結果が婆ちゃんの語った戦争の話、ということになろうか。

最後に、いち地方都市にこれほど大規模な空襲が行われた理由がふるっている。

「これ(=第13回の大挙出撃)は、陸軍航空部隊の第28回記念日にふさわしい祝賀であった。またカーチス・E・ルメイ少将に対するすばらしい餞別となった。同少将米国戦空軍参謀長となるため、第20航空軍司令官を辞任する前に、この攻撃を自ら計画し、かつ指揮したのであった。」 (1945年8月2日付ニューヨークタイムズ

陸軍空軍記念日である8月1日の攻撃は、持てる空力を駆使し、あらゆる努力を払うよう指示する。(米本陸軍戦略空軍司令部から、第20航空軍「現地」司令官への指示文書

富山空襲と母のこと: 壺中山紫庵 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2010/08/post-78e5.html


参考:防空法について

空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制 / 大前治 / 弁護士 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/politics/13238

2017-01-16

婆ちゃんに戦争の話聞いてきた

今年87歳になった婆ちゃんに、

正月田舎帰った時に戦争の話を聞いてきた。

当時「この世界の片隅に」のすずと、

同じような年齢で戦争経験した婆ちゃんに本当のところは、

どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。



婆ちゃんは7人兄弟の三女。

婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて

物心いたころには、後妻としてきたお母さんに育てられたそうだ。



婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業成功していたらしく

家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、

戦争前に事業に失敗。

家は途端に貧しくなったらしい。



たまたま勉強が優秀だった婆ちゃんは、

小学校先生が何度も何度も婆ちゃんの家に来て

婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。

当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、

授業料免除手続きなどをするなど、

本当に熱心に動いてくれたらしい。



結局は婆ちゃんのお父さんも先生の熱意に打たれて

全寮制の女学校に行けることになった。

戦争は、そんな女学校時代に起こった。



戦争が始まる前、日本満州での事業で盛り上がっていたそうだ。

大陸未分化な国を日本配下に置いて発展させることは、

とても素晴らしいことで全く悪いことだと思っていなかったそうだ。

学校では、天皇陛下神様と教えられて、

天皇陛下の元、男子兵隊さんになるのが当然だと思っていた。



近所の家が、共産党員の容疑をかけられて警察に連れて行かれた。

婆ちゃんのお母さんは、近所のオジさんは悪い事をしていたと伝えたらしく、

子供心にショックを受けたそうだ。



戦争が始まっても、ばあちゃんの日常は変わらなかった。

普通に勉強していた。ただ、農作業時間が入ったそうだ。

女学校同級生みんなでさつま芋を育ててたらしい。

そのうち、普通の授業の時間はなくなり、

富山工場女学校の全員で働きに行く事になった。



毎日10時間ミシン兵隊さんの洋服を塗っていたそうだ。

女学校勉強できなくなるのは残念だったが、

天皇陛下のためだし、戦ってる兵隊さんのためだかしょうがないと言っていた。



徐々に女学校日常が、戦争への協力の日常に変わっていくのは感じていたそうだが、

戦争はずっと勝っていると思っていた。

新聞ラジオ毎日のように、日本の大勝利の話ばかり流れていたそうだ。



そのうち、配給が減ってくるといつもお腹が空くようになった。

芋だけじゃなくて、芋がらといってツタとかも食べたらしい。

お腹が空いて寝れない日が普通になった。

友達とは、毎日食べることばかりを話していた。

炊きたての白ご飯に納豆をかけてお腹いっぱい食べたるのが夢だった。



そんな日常の中、空襲が婆ちゃんの工場を襲った。

焼夷弾が次から次へと降ってきて、

花火のように火を吹き上げるんだそうだ。

婆ちゃんは怖くて怖くて、山の上に逃げた。

町中が灼熱地獄のように暑かった

ただ、ただ、山の上に逃げた。



当時、なんで山に逃げたのかは自分でも解らなかったらしいが、

一緒にいた友達が山に逃げるので一緒に着いていったそうだ。

結果、それが婆ちゃんの命を救った。

ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。

そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。

川に逃げた人はみんな死んだ。



空襲が止んで、友達は半分も残らなかった。

婆ちゃんの働いていた工場も完全に破壊された。



その後、近くで何度か空襲があったらしいが

運良く婆ちゃんの所には直撃せず、

次の工場への移動が決まり、準備を進めていた。



そんな矢先、唐突戦争は終了した。

天皇陛下の敗北宣言を聞いた時、

戦争に負けた悲しみよりもなによりも、

もう爆弾が降ってこないことが嬉しかった。



もう、爆弾が降ってこないんだ。



と言った時、婆ちゃんはうっすら目を潤ませていて

本当に本当に辛かったんだなあと、

聞いてる俺も泣きそうになった。



その後戦後の本当の食糧不足や、

食糧不足になって、都会の親戚が着物いっぱい持ってきた話なども聞いたが、

だいぶ長くなったので、ここで話を止めたい。



今の日本海外若い人たちが

戦争を始めることもいとわないと言うのを聞くと

から恐ろしくなるし、

あん経験を俺や俺の娘にはさせたくないと

強く言っていた。

2017-01-15

大好きな彼の話

・彼が仕事で、彼宅で待ってたら昼に電話してくれて「急いで帰るからね!家に増田ちゃんがいるって思ったら嬉しくてたまらない」と言ってくれる

・作ったご飯を美味しい美味しいって言って食べてくれる

・がんばってご飯作ってくれてると思ったからって言って、ケーキを買ってきてくれてる

・家に帰ったら増田ちゃんがご飯作って待っててくれてて、こんな美味しいご飯も食べれて、こんな幸せでいいのかなあって言ってくれる

・言うほど巨乳じゃないのに、これだけあれば十分だよって言って私のおっぱいにたゆんたゆん埋もれてくれる

工場夜景見にいくときに、私の分まで防寒着持ってきてくれる

・家で待ってるとき洗濯して畳んでしまっておいたらありがとうと喜んでくれる

・抱きしめあってる写真LINEの背景画像にしてくれてる(おたがい)

・遠出したときは撮った写真アプリ動画にして送ってくれる

・くだらないことで悩んでも電話して聞いてくれる

結婚というワードでこっちが敏感に反応しても嫌そうな顔もせずにニコニコ笑ってくれる

誰にも惚気られないからここで吐き出しちゃった。

付き合って1年未満の28カップル

このまま一緒にいられたら嬉しいな。

2017-01-13

ルマンドキャラメル味の不思議

近所のスーパーだと年中売ってるんだけど、ブルボンサイトにはキャラメル味はないんだよねー。期間限定ってことなのか?

でも期間限定ホワイト味は冬しか売ってないぞ。それだとキャラメル味もホワイト味同様に消えるのが道理ではないのか。

闇のキャラメルルマンド工場でもあるのかな。

2017-01-12

自己中で何が悪い

テクニックで人集めができる社会

情報が賢い者からそうでないものに流る時代ではなく、現代愚かな者が欲しがる情報を作り出す時代である

雑誌アフィサイト作成に携われば、そのテクニックは誰でも身につけられる。

簡単に儲かる仕事、都合のいい恋人が見つかる物語、作られた夢、難病が治る魔法利己的な人を肯定する思想

これらはすべて、愚かな者が求めているモノなのだ

俺たちはそれを垂れ流してやり、金を得る。

 

でも、人類の将来に必要であろう治安の持続を考えれば、これらは毒にしかならないのも知ってる。

グレーな仕事をしてきた同僚も、家族を持ってからかなり丸くなった。

自分の周りのことだけを考えるだけではダメだという危機感を俺に語るようになった。

犯罪すれすれの仕事をしてきた人間がだ。

だが、俺もその言葉に納得するようになってきた。

社会還元することの大切さをようやく分かってきたんだ。

進歩の無い安定は、海辺砂の城を作り続けるような人生に思えてくる。

守る者ができ、その安全について考えていくと、やはり(みせかけだけでも)利他性が重要だと経験で学んだのも大きいだろう。

 

町の安全を守っていた同級生が、俺の羽振りのよさにバカバカしくなって仕事を辞めてトラブルを起こしたり、

大手に入った優秀だったやつが、冴えなかったコンプレックスを爆発させて今では工場で働いていたりする。

自己実現多様性個性、本当の自分

そんなものは、実は俺たちがけしかけた商品の一つに過ぎない。

最近ではその毒牙にかかった連中を見るたびに後ろ暗い気分になる。

お受験のために着飾るオバサン、奇抜な格好をして闊歩するにいちゃん、ネット自分の信じたいモノだけを検索するオッサン

毒に冒されたままだといつか回り回って自分以外のものも滅しちゃうぞ、と。

 

俺も歳とったなあ。

2017-01-08

日本大卒以上と高卒以下で分断されているって記事

この記事は男の場合限定で話してる感。

女だと大卒ブスは容姿比較要求されない工場スーパーバイトくらいしかできないけど、

高卒美人ならキャバ嬢になれるし。大卒とか高卒とか関係なく顔の良い方が有利

2017-01-04

日本ゼオンという会社あるじゃん

SBR等の合成ゴム作っている会社徳山工場があったりするの。

飲み会とかの最後打ち上げやるときは、絶対に「ジークゼオン!!」というかけ声で盛り上げるんじゃないかなー。

友達や知り合いもいないので、ウラは取れていないけど。たぶん。ゼッタイ

 

 

ギレン役の人が

国策会社JSRに比べ我がゼオンの合成ゴム生産は2分の1である。にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か!我がゼオン軍の製品が優秀だからだ!」

社員よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ社員ゼオン諸君の力を欲しているのだ!ジークゼオン!!」

ジークゼオン!!

ジークゼオン!!

ジークゼオン!!


(参考 http://www.knak.jp/japan/rubber.htm

2016-12-30

レビュー投稿するハードルが下がりすぎた

ネットには低レベルレビューが大量に溢れている

アマゾン食べログといった代表的サイトだけでなくそこいらのニッチサイトに至るまで感情論まとめサイトで知ったニワカ知識だけで書かれた低レベルレビューばかりになった

酷い時代

ネット馬鹿に見つかったのはずっと前だけどそれでも少し前までは馬鹿ネットに書き込む事を恐れいてた

だけどそれは時間問題だった

奴らはネットにおける文章の書き方を少しずつ学んでいった

その場所がよりにもよってまとめサイトだった結果奴らの書く文章ゴミの拡大再生産になった

そしてゴミ今日自己増殖を続けている

なぜならゴミ感染したサイトもまた新しいゴミ工場になるのだから

もう駄目だ

一度ゼロに戻すしか無い

ゼロから始まっている場所を作るしかない

次の技術を作るしかない

2016-12-29

電通上級国民の子が多く入社するから叩かれたんでしょ

近所の大企業工場労災起きてもほぼ報道されないもん。

大怪我はもちろん、死亡事故でもほぼされない。

自殺ときちょっと載るだけ。しかも、遺族が提訴したときにはじめて載る感じ。

電通が注目集めてるのはそういうことなんでしょ。

2016-12-26

[] CLT

CLTとはCross Laminated Timber(クロス・ラミネーティッド・ティンバー)の略称で、ひき板(ラミナ)を並べた後、繊維方向が

直交するように積層接着した木質系材料です。

厚みのある大きな板であり、建築構造材の他、土木用材、家具などにも使用されています

  

CLTは1995年からオーストリアを中心として発展し、現在では、イギリススイスイタリアなどヨーロッパ各国でも様々な

建築物に利用されています。また、カナダアメリカオーストラリアでもCLTを使った高層建築が建てられるなど、CLTの利用は

近年になり各国で急速な伸びを見せています特に木材特有の断熱性と壁式構造特性いかして戸建て住宅の他、中層建築物

共同住宅高齢者福祉施設居住部分、ホテルの客室などに用いられています

  

日本では2013年12月製造規格となるJAS日本農林規格)が制定され、2016年4月にCLT関連の建築基準法告示公布施行

されました。これらにより、CLTの一般利用がスタートしています

  

CLTは構造躯体として建物を支えると共に、断熱性や遮炎性、遮熱性、遮音性などの複合的な効果も期待できます。木の表面をそのまま見せて用いると、木目や木の肌触りを感じる心地のいい空間ができます。また、木材は持続可能な循環型資源であり、森林資源

有効活用した省CO2型の建物を建てられます

  

その他にも、工場内で一部の材料を組み立ててから現場搬入するプレファブ化による施工工期短縮が期待でき、接合具が

シンプルなので熟練工でなくとも施工可能です。災害時の仮設用住宅にパーツとして保管し、必要な時に組み立てて

利用することも考えられますRC造などと比べた場合の軽量性も大きな魅力です。

http://clta.jp/clt/

http://anond.hatelabo.jp/20161225235637

金属とかペットボトルくらいならいいけどプラスチックを不燃ごみ扱いにして分けろというのは面倒くさすぎ

今日日、プラスチックと紙の合成物とかいくらでもあるし純粋燃えるゴミである紙だけをえり分けようとするととにかく時間掛かって仕方ない

汚れたプラスチックを洗えとかもせっかくの使い捨て容器を洗うとか川を余計に汚すだけだし馬鹿しか言いようがない

とにかくCO2を減らしたいなら焼却場の数百倍CO2出してる工場から手を入れるべきだし、

燃え残るということで問題なら焼却場の建て替えのための税を市民から取るのが筋だろ

なんでコキ使われて税金払って年金払って市民税払って高い消費税文句わずに払い続けてるのに

好きなもんコンビニで買って帰って食ったら今度は分別地獄

家でも仕事させるとか本当に勘弁してほしいわ

せっかくゴミ分別のない地域だったのにウチもついに分別しないといけなくなった

正直勘弁してほしい

今の家賃を2倍にしてもいいか分別したくない地域に住みたいが、もうそんなところが無い

マンション全体で契約して分別しなくてもいい業者契約してくれるとかあればそこに入りたい

本当に嫌だわゴミ分別

2016-12-24

[]

岐阜県加茂郡八百津町に言ってきましたわ。

津を除いてはいけませんわ。わたくしはカモではなくサバですわ。



杉原千畝記念館

八百津町出身外交官杉原千畝の記念館です。

ホロコーストの際に多くのユダヤ人を救ったことで有名ですわ。

から医者になることを嘱望されていたのに、

受験白紙答案でボイコットして英語教師の夢を追い、

学費をたたれて外務省の奨学生になった経緯も、特別みえてきます

最終的にはロシア語満州勉強して、ロシア語圏を中心に勤めていたことは

満足されていたのでしょうか。

記念館は「ちうね」読みですが、イスラエルから切手など「せんぽ」読みでした。

日本に逃げてきたユダヤ人避難先にはインドネシアジャカルタもあったのですが、

そこには日本が攻め込むことに・・・・・・

ヒノキ材をふんだんに使った建物はい匂いに満ちていました。

海外の方もいらっしゃっていました。



旧八百津発電所資料館

発電所がそのまま資料館になっており、暖房が利いていないので

とても寒かったです。受付の方が心配です。

発電所を建てる電力をえるために町が旅足川発電所を買収したと

説明にありました。

では、旅足川発電所を建てるための電力はどうしたんですの?

5Sが好きな工場でよくみる工具を吊り下げる影絵のついた板がおいてあり、

歴史のある工夫だと知りました。

養蚕林業でえた資金エネルギー事業に投入する先見性のある実業家地域の宝ですわね。



丸山ダムダムカードいただきました。

丸山ダム建設中で、完成すればダム湖に沈んでしまうようです。

関西電力必死ですわ。

先日の雨で放水中だったそうで、いいタイミングで見ることができました。



めい想の森。

名前だけでサバを引きつける引力が恐ろしい恐ろしいですわ。

ハイキングコース散策してベンチで寝れば運動睡眠瞑想をこなすことができます

道草を350g食べるのはハードルが高いですけど・・・・・・

分かれ道が多くて、めい路の森に感じました。

赤い橋が見える展望台の展望が悪くてがっかりしました。

木の葉の落ちる冬ですのに。

きっと眺めるより目をつぶって、めい想しろとの啓示ですわね。

2016-12-22

中卒ってどんなところで働くの

免許原付しか無理だよね。

原付買うにも金がかかるから最初徒歩圏内

バスが使える工場系の派遣も中卒は雇わないし。

建設作業員なら足場工、小売ならコンビニ店員、警備員の一番下の等級新聞配達員くらいか

ろくなのなさそう

2016-12-17

デスマーチから帰還した

この会社に来てから2年と8ヶ月の間、一つのデスマーチプロジェクトに関わってきた。

これまで体験したことのない長期間プロジェクトだった。



プロジェクト全体がどれくらいなのかわかんないけど多分1万人月は超えてると思う。それでもこのプロジェクトシステム全体ではないのだということを考えると全貌はどういうものなのか。ケーキ工場で、全体が見えない場所特定工程を長く担当していると自分とその周辺の工程けがケーキを作るための全てだと思いこんでしまうというような話があるが自分がそうならないようにいつも注意していた。他のところでは他の苦労をしている人たちがいっぱい居るのだ。




特に去年4月からデスマーチが本格化した。そもそもちゃんと設計できていないとかそんな話もあったし、いろんなところの単体でのテストができていないまま結合試験突入したりしたせいで混乱が拡大した。GWも土日だけ休む、夏は(土日に加えて)1日、年末年始は4日間休み職場に居る時間は9:00〜23:00、というような生活毎日続いた。



あいろいろ大変だったけど納入前の最後テストが今週終わり、一方で納入後のテストは年明けから、ということだ。とにかく終わったんだ。

だが油断してはいけない。今回乗り切った奴はこのプロジェクトの納入イベント四天王の中で最弱。次なる納入イベントが4ヶ月後に待ち構えているのだ。




今年の1月から4月休日出勤多かったし終電デフォルトになって、月の残業時間は100時間を平気で超えてて、その頃はいろいろ健康管理がどうとか会社に言われてたんだけど、7月から体調がおかしくなって朝の出社を遅くせざるを得なくなった(というか憂鬱で出社できなくなってた)。それでも結構無理してたんだけど、数字上の残業時間が減ったので全く何も言われなくなった。どっちかというと100時間超えてたときのほうが元気だったのにおかしいよなあ。

2016-12-16

ウェルクの内容がおかしいやつとかキュレーションサイトパクリ問題とか、

生活ではまったく話題になってなくて、ネットしか話題になってない印象なんだけど、

記事非表示にしたり謝罪したりそこまでする必要あんのかね。

親とか工場勤務の友達とかウェルクってサイト名も知らないし、騒動があることすら知らないぜ。

だいたい普通の人はネット検索の結果を元に健康診断なんてしないしね。

体調が悪かったら検索する前に病院に行くってのが普通に生きてる普通の人の感性

俺の周りの多くの人はお店の閉店時間調べたり休日調べたり行き先調べたりアマゾンで買い物するのがネットの使い方。

2ちゃんまとめはお昼ご飯のあとに楽しむお笑いニュース

ヤフーニュース芸能人の動向をちょっと確認

そんなレベル

2016-12-14

[] msdbkm先生トばしすぎ

aukusoe「ス… スミマセン… その… 次は必ず…」

cider_kondo「次は無いよ今回でよく解った他のSNSじゃともかく俺のお気に入りにキミは必要ない」

aukusoe「…? !? そん… そんな… こ… 今回の事は本当にスミマセン、でも次は…っ 絶対… い… いいブコメを書きますから…っ」

cider_kondo「そうじゃない俺達は最高傑作が欲しいんじゃ無い最新作が欲しいんだよaukusoeくんお気に入りにとっちゃ間に合うブコメよりいいブコメなんて無いんだその上で傑作ならなおいいがどのみちキミを使う気はないよそれじゃ」

aukusoe「…っ 才能が無いからですか…」

cider_kondo「… 何…?」

aukusoe「才能のある人のブコメなら待つんですよね…」

cider_kondo「フー… おいっ」

aukusoe「だってだってそうじゃないですかっ。しょっちゅうオトしててもお気に入りワクを持ってるブクマカだっているのに…っ どうして僕だけ…?」

cider_kondo「いいかよaukusoeくんっ キミ達がバツ悪そうに回線切ったアトで俺達は脂まみれになって駆けずり回るんだっアチコチに頭下げて回るんだっブクマカーがブコメオトしても俺達がはてブ新着をオトすワケにはいかねんだよそんなコトが一度でもあれば俺たちのクビなんて簡単にとぶんだたった一度のヘマで路頭に迷うんだよ俺達はっ学生気分の抜けないお前等と違って… そうゆう責任を背負ってんだ社会人ってのはっそれでもお前等みてェのとサシで仕事してんのはお前等の情熱が伝わってくるからだろうがっその情熱をキミにはもう感じないと言ってるんだっ何が「才能」だっ 俺はインターネット20年メシ食ってるが誓ってもいいぜブコメの才能なんてのには出会ったコトねェよっ 皆 情熱で書いてんだよっ素人同然のヘタッピがどうしようもねェ情熱ブクマカーになってくんだっ よそじゃ知らねェが「cider_kondoのお気に入り」は俺の物だっ 俺が気に入らなきゃ使わねェ くやしけりゃよそで俺を見かえしてみろっ

ヨォ… お疲れっ」

death6coin「お疲れさまです」

aukusoe「……っ ゆ… 夢だったんだけどなぁ… …ブクマカーになるの…」

death6coin「ブクマカーになるのが?僕が出会ったインターネットユーザーは皆口々に言う… 「今はネットなんか書いているがいずれは…」と… 「ネット落ち」「ネット抜け」とゆう言葉もある… かく言う僕もいずれネットよりはるかに巨大な市場を持つ単著へ打って出るつもりです… 「応援してください」「頑張ります」と言いながら誰もどこかでインターネットを恥じているっ それで当然と… そうゆう業界なのだと思っていました… aukusoe先生発言は新鮮で衝撃的ですがとても信じられない… 本当にブクマカーになるのが夢だったんですか? ……」

aukuose「あ… えっとあの僕…いわゆる…「あの頃のオタ」ってヤツで…」




aukuose「death6coin先生… お歳は?」

death6coin「21です」

aukusoe「…っ!?

death6coin「何か…?」

aukusoe「いえっ… …その…今の世の中的には… 無かった事になってるみたいですケド…

僕等が学生の頃はヒドかったんです… いわゆる「オタク迫害」ってヤツで…

当時を知らない人にはなかなか信じてもらえないケド… たとえば学校で「オタクだってレッテルを貼られると… 殺されてしまうんです」

death6coin「…? ハハ…」

aukusoe「も… もちろん追いたてて吊るされるワケじゃないケド でも… 似たような恐怖は毎日感じてました

…当時は全国でイジメを苦に自殺する子が大勢いて新聞TVでそうゆニュースを目にするたびに思いました…

「ああ… この子きっとオタクだったんだな だから皆にイジメ殺されたんだ」って…

もちろん想像ですその子の事は何ひとつ知らないし …事件の背景を調べたりしたワケじゃないですから

ただ… そうゆう考えが自然に頭に浮かぶくらい… 当時の僕等の状況は苛酷だったんです

…どうしてそんな風になってしまったのか原因は判らないケド… 最初にはじめたのはきっと大人達だったと思います子供って大人マネしかしませんから

よってたかってトイレボコボコにされた後便器に突っ込まれた上ばきを履いて教室に戻ると… ホームルームで… ハ… 議題が「イジメについて考えよう」なんですよっ

彼等の瞳には自分人間の形に映ってないんだと気付いた時には恐怖で凍りました「このままだと僕もイジメ殺される」って…

いやあ… 父親の転勤で転校決まった時はうれしかったぁ… 学生時代で一番うれしい思い出かもっ ハハッ

転入した先では「かくれオタ」になりました卑怯なコトかもしれないケド当時の僕にしてみれば生死にかかわるコトだったんです… 教室では他のクラスメイトと同様にアイドルファッションモータースポーツに夢中のフリをして

自宅に帰るとアニメ声優ラジオを聴いたりアニメ誌やマンガをむさぼってましたもっとも当時は家族にすら白い眼で見られてたから家の中も安息場所じゃ無かったケド…

内でも外でも気が安まらなくて疲れきっていた頃です…

インターネットで、はてなブックマークを見て…

当時大好きだった「バーチャルネットアイドルちゆ12歳」そのものキャラクターあられもない姿にもうもの凄く興奮しました

でも…

それよりも

はてなブックマークブコメがあって」



http://b.hatena.ne.jp/entry/tiyu.to/other/April_2009/



aukusoe「…今思えばバカバカしいです。そのブクマカーにだってたいした意味は無かったと思います

でもっ

毎日ビクビクして… 自分を偽って…っ 家族にまで白い眼で見られて僕はっ

ヘトヘトになってた僕は……

涙が出るほど感激したんです「なんて勇気のある人だろう」って… こんな時代にっ… きっと たくさんの人が見ているハズのブクマページの中にっ

「これはえろい」って

ネットのっ美少女が… 「今年一番の病気」っ

「全部読んでしまった。そして勃ってしまった。」だなんて…

こん… こんな世界があるのか…っ

こんな…

こんな職業があるのか…って感動したんですよっ

続いて湧きあがってきたのは…

強烈な疎外感と羨望です

…こんな世界があるなら…

僕も入りたい…っ

僕も叫んで見たいっ

このブクマカーみたいに… 僕だって美少女が大好きだぞって…

アニメ漫画女の子が好きで… 僕はオタクだぞ… って

僕はHだぞ… って

誰かに向かって叫んでみたいな… って

……

…ブ」




aukuoe「ブクマカーになって…っ

お願いしますっ

あと1日… 1日ください… 絶対… 仕上げてきますからっ」

cider_kondo「フザケるなっ… もう使わねェと言っただろうがっそんなに書きたきゃよそへIDコールしなっ」

aukusoe「お気に入りに入らなくてもいいんです… いえっもちろん入る方がいいですケド…っ」

cider_kondo「人話を聞けっ」

aukusoe「「cider_kondoのお気に入り」でブクマカーになるのが夢だったんですっ ウソでもいいシダー・コンドさんが「待ってる」って言ってくれたら…っ僕は絶対に頑張れますっ」

cider_kondo「…のヤロオッ」

aukusoe「ブコメが気に入らなきゃ突っ返してもいい… あと1日待つって言ってくれたら…」

cider_kondo「甘ったれんなっ 一月かけて半分も出来無かったヤロウが… あと1日で何が出来るっ あきらめてよそへ…」

aukusoe「いやだっ お気に入りに入れる入れないはシダー・コンドさんが決めて下さいっ でも…

僕に出来るか出来ないかは… 僕が決めます

お願いします…」

cider_kondo「るせェ 1日だって待てねェと言ってるだろうがっ

半日… いや移動も考えて… 10時間明日の昼11時までに徳島ネット回線会社まで持ってくりゃ考えてやる

だが…

おいっ

……ちっ」

gnt「びっくりした…」

REV「仏心なんてらしくねェなぁシダー・コンドさん… 絶対間に合いませんよあの手の奴は」

cider_kondo「かもな… だからってしょうがねェダロ …好きなんだもんああゆ奴…」

REV「あ〜〜っ… もうちょっとスマートいかないんもんですかねェ毎回毎回」

cider_kondo「バカ言え工場機械が組み立ててんじゃねんだぞお前等もいずれ作るなら覚えとけよ

いい歳した大人がジタバタしながら作るから熱がこもるんだぜ

お気に入りってのはよ…」




msdbkm「……aukusoeさん…」

aukusoe「はいっ」

msdbkm「…っ aukusoeさん…」

aukusoe「おはようございます先生… 騒々しくて申し訳ありませんっ それと…

後ろ向きで失礼しますっ なにしろあと7時間で… セルフスターけが9ブコメ文字ピッタリ推敲20ブコメも残っているものですから

間に合わないかもしれません… いえっ間に合うハズがありませんっ

わははははっ

でもやるんですっ僕は…」

masdbkm「aukusoeさん…」

aukusoe「やらずにはおくものかっ」

msdbkm「aukusoeさんっ」




msdbkm「オタクなのは悪いコトですか?

オタクだと

怒られたり

笑われたり

イジメられたりするのは

…っ

何故ですか?!

何故ですか…

何故ですかっ

どうしてですかぁっ」




aukusoe「皆はバレるのが恐いんです

本当は

何よりも大切な事ですっ

オタクなコトはっ」

意識低い仕事したい

意識高くなんて仕事したくない

スキルアップとかキャリアアップとかほんとやめてほしい

工場ラインとかかなあ

工事現場建設員は大変そうだけど引っ越しバイトよりかはよさそうな気がする

でも体育会系とかタバコが嫌いだから駄目かなあ

2016-12-11

hamburg

#冷凍ミンチ肉でも大丈夫

冷凍した肉だとハンバーグにできないって

記載されていたので、心配だったけど

OK牧場

工場急速冷凍したやつならOKってことかもです

ハンバーグのつなぎは 卵

接着剤としての役割もある。

GGは 少しだけ 1パーセント以下

基本は食塩で接着。

冷蔵庫に動かすことによって解凍したけど、

いい感じで捏ねられた。

練り心地が良かった。

今回は正統派で、卵・玉ねぎパン粉全部入れた。

焼いている最中にあまり肉汁が出てこなかったので、

それはいことなのか?悪いことなのか?

扱いやすさという意味はいことなのです

2016-12-10

「時給1150円、深夜1200円」と言われた都内スイーツ工場

 

年末年始短期アルバイト面接に行った。

 

求人雑誌では

  

時給 1200円

深夜 1500円

 

とあった。

面接では

 

時給 1150円

深夜 1200円

 

と言われた。深割増賃金(深夜手当)のためにまさかの基本時給ダウン。

 

1150円×2時間=2300円

1200円×6時間=7200円

 

1日働いて9500円とメモに残っている。

なめらかプリンで有名な都内スイーツ工場ですが、

このような条件で働いている方、働いたことのある方いますか?

 

 この度の面接ではご説明不手際がございましたが、当方では過去に渡って、雇用者に対して

 不当な給与支払いを行った事はございません。

 そこだけは、是非ご理解頂きたいと思います

 

 当工場責任者であるから謝罪とご説明は以上となります

 改めまして、大変申し訳ございませんでした。

 

 本社にはこの度の内容に関しては既に伝えてあります

 私の対応にご納得いかないようでしたらば 総務部部長の○○がご対応させて頂きますので、

 一度、ご連絡下さい。

 

会社にも問い合わせているのだが回答が的を得ない。

「時給1150円、深夜1200円」で働いている方がいたら、

嘘の求人をやっていたことの証明に近付く。

そういうことで、どなたか何か知っていませんか?

 

2016-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20161207184419

飲食運送倉庫作業土木工場とか200うけてだめだったの?

大学卒業したぼくちゃんはホワイトカラーデスクワークで月収100とかめざしてんの?

大学卒業したその最低300万の価値はあるはずの知性で出た答えが

イメージ的にしたくない仕事以外で理想的で快適なお仕事がほしいでプ!」

だったらほんと詰んでるって言葉意味はまったくそのとおりだとおもうし

詰んだその先はないのでチャンスはないとおもうよ

そもそもその300万ってそのチャンスをつくりだすものだったんじゃないの?

もっかいゆうけど磨き上げた知性で選択した結果が障害年金で金くれって結果なんだから

大卒現場作業員って大卒なりの知性と教養クズみたいな作業も快適作業にできるんじゃないの?

できないんだったら高卒就職しとくべきだったよね?

2016-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20161207011421

でもコンビニ自動化しようとすると意外と難しいと思うんだよね。商品の陳列のあたりが。

工場なんかだと機械の都合で作って人間はそれに合わせればいいけど、小売店舗じゃそうもいかない。

商品を運んだりするだけのパワーを持ったロボットを客と同じ空間で動かすって安全面とか考えると相当な難題だよ。

道を移動するだけの自動運転より技術的に難しいんじゃないかな。

壁や床にラインを埋め込んで裏から棚に商品供給されるみたいなのは大掛かりすぎて

小規模で入れ替わりの激しい業態じゃとてもコスト的にペイしないだろうし。

コンビニ自動化が始まるのか

確かに画一的フォーマットが、そもそも自動化やすそうではあった

標準化して普及させると、イコール自動化のしやすさも上がる

雇用はどうやって守るべきなんだろうか



昨日行ったくら寿司では満席フロアを2人程度のスタッフが走り回っていた

いずれ会計も席案内も机の清掃も自動化されるのだろうか

食品工場食事する感覚を覚えそうだ



未来の子供たちは何を目指すべきなんだろうか

まだまだ人手不足もあってブルーカラーにも希望はあるが

ホワイトカラーも同じく「単純作業地獄行き」みたいな人生観にはなっていくのだろうか

教育の中で自動化されやすさを教えるのだろうか教えられるのだろうか

教師自動化されるのだろうか



消費性向中間が居なくなりそうだ

もう既に居ないのだろうか



雇用が減るスピードと創られるスピードとは結局前者が勝るのだろうか

いずれ創出の余地が消えたとき、一体どんな社会なのだろうか

2016-12-06

工場で働く人手をそのままオフショアに移行しただけ、日本は貧しくなりました

2016-12-04

いとうせいこうトーキングセッション2014夏

2年前の敗戦の日ころにNHKラジオで流していた五木寛之さんといとうせいこうさんの対談の冒頭部分の書き起こし。

誰かフルで持っていませんかね。

作家五木寛之さんをお迎えしております

まぁ、僕はもちろん戦争体験年代ではないのですけど、五木さんは?

はいっても、戦場体験は、もう3つくらい上になるとあるんですけど

少年飛行兵とか

僕らの世代は、ちょっと前で、終戦ときは、中学1年生でしたか

平壌の一中に通ってました。

で、引き上げていらっしゃって

戦争体験にもいろいろありましてね。

大本営とか通信部とか

丸々太って引き揚げてきて、村の人が

出ていってときと別人のようでなんて人もいた。


インパール作戦とか

いろんな悲惨体験した人もいるし、

僕は国に対して、万斛の恨みがあるんですけど

荒廃した国土に何百万って人が帰ってきたら迷惑なんですよ

から当時の内閣閣議決定でね

海外にいる残留日本人たちは、

そのままにしておきたい

シベリア復員兵もひっくるめて

方針があったみたいですね

僕なんかは、引き上げというよりも脱北ですね

38度線を徒歩で越えた口ですから

脱北者として、逃亡してきた

から70年になりますから、引き上げ者といってもピンとこない

あっ、帰国子女ですかと言われたりするんで、

棄民のようなかたち?

完全な棄民ですね。

捨てられてしまたかたち

内地のほうで、迎える日本の側でも

ほんとにあの時期に勝手外地に行って

戦争の真っ最中日本では麦のカスを食べていたとき

平壌では、チョコレートがあったそうじゃないかみたいなかたちでね

上海では、ジャズバンドもあって、ダンスホールもやってましたか

そういう裏返しも、恨みみたいなものがあるから、余計なものが帰ってきてということで、

引揚者って言葉は、当時は差別語でした。

そのことみたいなものだんだんだんだん、伝えられなくなって

粗雑なお話になって、

あるいは美しい物語になってね

アカシア大連なんてね。うらやましいなと思って

かつての植民地いたことを懐かしいと思える先輩たちのね

五木さんはそうではなかった

僕なんかまだいいほうでね

北朝鮮の北のほうの豆満国境ソ連

近くに入植した人たちが、軍に見捨てられて


デマが流れて、ピョンヤンに来ると列車があるらしいということで、

見るも無残な行列

避難民か引揚者かと同情しながら見てたんですけど

その人たちは、ありとあらゆる戦争の愚行というもの惨禍を受けてね

ボロボロになって、やってきてるんですから

引き揚げにしても戦争体験にしても千差万別ですよ

ひとことには絶対いえないですよ

それがもう伝わらなくなってきている


帰国子女だという人がいるということ


五木さんに今このお話を伺うことは、とても大きなことなのではないか

今、話すのは無駄だと思っているんですよ。

虚無感というかむなしさの中で

沖縄戦のいろんなことを語り部として、修学旅行の生徒に語って聞かせるようなガイドの人たちは、もうだめだ。やめようと。

早くやめろとかね。その間みんなスマホを見ている、ぜんぜん聞こうとしない

昭和史のかんどうさんも歴史を人は学ばない

僕は伝わらないと思う

言っても言ってもね、実感というのは伝わらない


僕はもう半ば諦めている

その人が

そうなるまでは、

体験というものは美化して伝わる

物語化して伝わったり

そういうクッションを経て伝わるんだ

と、悪いんですけど、嘆いているんですよ


しかし、まぁ、それが実感なのだろうと


マンツーマンで向かってお話をしていればね

なんとなく、口ごもる

話の中にもその人が語りたくない

っていう感じが伝わってくるでしょ

本当のことは語りたくないわけでしょ

引き揚げ体験にしても戦争体験にしても

本当の自分に対してやましさを持っている人たちは

語りたくないんですよ

から、僕も本当のことは語らない

ずっと今日までね、引き上げをテーマにした小説は書かなかった。

そんなもの書いてね、おーなかなかい作品だねなんて

言われたら、とてもじゃないけど、申し訳ない

確かにそうですね。

以上の内容から読み取れることは、戦争体験千差万別であること。



修学旅行原爆資料館に行ったら、呉の軍港も見て、岩国基地も見て、バランスをとっておくべき。

沖縄にいったら、ひめゆりの塔に行ったら、米軍基地も見ておきたい。

空爆でやられたところとそうでないところ。日本都市部がなぜか軍需工場扱いされていた事実

やられなかったところは、当時の日常の延長なんだよ。

赤紙がきて、動員された人。上を目指して、半島大陸に渡った人もいた。

そういう事実の積み重ねの上、生き残った人が今を作っている。ただ、それだけ。


http://anond.hatelabo.jp/20161204184643

死の収容所へ 1

ヨーロッパユダヤ人絶滅の準備

 ドイツ軍ソ連侵攻は「特別行動隊」(Einsatzgruppen :アインザッツグルペン)によるすさまじい組的殺作戦をともなっていた。侵攻から数週間を経ずしてナチスは他のヨーロッパ地域に住むユダヤ人絶滅作戦の準備に着手した。1941年7月31日、ゲーリング( Herman Göhring 空軍相、元帥)はラインハルトハイドリヒ(Reinhard Heydrich SS上級部隊隊長、SS大佐)に次のような命令を伝えている。

「次を命ずる‐貴官は、ヨーロッパドイツ支配圏におけるユダヤ人問題の『最終的解決』に関する組織、実務、そして財務上の必要なあらゆる準備にかかり、… さらに、ユダヤ人問題の『最終的解決遂行にかかわる準備組織、実務、そして財務上執るべき手段計画の全容を、本官に対し速やかに提出せよ」

 この任務遂行の準備を調整するためハイドリヒは1942年1月20日、ヴァンゼー(ベルリン郊外)に会議召集した。会議にはドイツ帝国閣僚の面々、ヨーロッパ占領地域各国のドイツ総督、そして、ゲシュタポ本部ドイツ移民ユダヤ人局長・アドルフ・アイヒマンを含むSSの上級将校たちが出席した。

ヴァンゼー会議」の決定はやがて、政治および軍事面において、全世界に重大な展開を引き起こすことになる。

 1941年12月11日日本軍による真珠湾攻撃を受けてドイツアメリカ合衆国に対し宣戦を布告した。戦争はすでに人類連合国側と枢軸国側に隔て、全世界を巻き込む総力戦様相を帯び始めていた。この新しい局面は、ドイツ戦争遂行上の衝害から解き放った。ドイツにはもはや政治的配慮や「ユダヤ人の大量殺戮がもう始まっているのではないか」という世界世論に気がねをする必要が全くなくなったのだ。

 ヴァンゼー会議の進行は詳細にわたって記録され、議事録ニュルンベルク国際軍事法廷証拠として提出されている。それによれば、ハイドリヒはまずヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決について自分ゲーリングから全権を委譲されていることを告げて会議を始めた。会議の中でハイドリヒは次のように述べている。

「総統の意向により、ドイツ移民は目下ユダヤ人をことごとく東方追放し、その跡地に対して行われることになった…

ヨーロッパにおけるユダヤ人問題の最終的解決の中では、各国に散在する約1100万人のユダヤ人が考慮されなければならない。次のとおり…」

 ここでハイドリヒはヨーロッパ33の国と地域ユダヤ人口をリストに揚げている。リストにはドイツの占領国や同盟国とは別にイギリスソ連ヨーロッパ地域、また中立国ポルトガルスペインスウェーデンスイスアイルランドトルコといった、ドイツが占領する予定だった国も含まれていた。

 ユダヤ人大量虐殺の実際の準備はハイドリヒによる組織の準備と同時に進められた。1941年夏、ハインリヒ・ヒムラーアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・ヘスを呼んだ。ヘスは戦後証言で「ヒトラーユダヤ人問題の最終的解決の実行を決断したことを、このときヒムラーから知らされた」と明らかにし、さらに次のように述べている−「事実、東部で行われているようなやり方(ソ連地域でのユダヤ人殺害特別行動隊による狩り込みと射殺)では与えられた任務対応できなかった。絶滅という任務のためには、特にアウシュヴィッツ収容所対応させる必要があった」。

 この会談の直後、アイヒマンアウシュヴィッツを視察している。二人は、ソ連で行われている射殺は大量の人間を短時間のうちに皆殺しにするには不向きであり、大量殺戮はガスを使う他はないとの結論に達した。

 ガスを使った殺害ナチドイツにとって初めての経験ではなかった。すでに「安楽死計画」において、ガスが使用されている。この計画1939年9月から1941年8月末まで実施され、7万から9万人にのぼる精神病者と重度の障害者がガス殺された。わずかにユダヤ人も含まれていたが、このとき犠牲になったのはほとんどがドイツ人だった。ナチスはこの「安楽死計画」を、「役立たずの穀つぶし」—ナチは彼らをそう決めつけた—を国家から駆逐し、アーリア人種の優性を高めるための手段だと考えていた。ヒトラーはこの計画にあたり「T-4」という秘密組織を発足させている。「T-4」は総統直属の正式組織として医師を擁する医療関係の諸機関大学研究所病院等)を支配した。不治の病に苦しみ死を待つばかりとなった病人たちの命運が、かれら医師たちの手に委ねられた。

 かくして犠牲者たちはそれぞれの医療機関に用意された気密構造の部屋へ案内され、ガスによって窒息したのだ。死体は特殊な焼却炉で燃やされた。このガスを使った安楽死はすぐに外部に露見し、ただちにこの殺害行為をやめさせるための抗議行動が‐特に犠牲者の遺族と教会から‐起こった。ヒトラーは譲歩し、1941年8月末、これら医療をかたる殺人を当面中止するよう命じた。

 しかしこの安楽死計画の中で蓄えられた経験は、「最終的解決」の準備をしていたSS当局に役立つことになったのである

絶滅作戦

 絶滅作戦としての最初のガス実験1941年9月アウシュヴィッツで行われた。ソ連軍戦争捕虜たちが実験台に選ばれた。彼らは密封された地下室に閉じ込められ、チクロンBによってガス殺された。非常な短時間で捕虜たちは窒息死した。以後続けられた一連の実験で、ナチスはガスという新しい殺害方法を開発するめどを立てるに至った。同じ頃「特別行動隊」も、ハイドリヒ指揮下のSS技術局の援助を受けて同様の方法を開発している。ここでは「ガス室」の代わりに「ガス・トラック」が用いられた。この車の外見は救急車か冷蔵車に偽せてあったが貨物室は気密構造となっており、マフラーから貨物室まで 延ばされた特殊なパイプ排気ガス中の一酸化炭素を密閉された貨物室に直接流し込むようになっていた。犠牲者たちが貨物室に入れられるとドアが閉まり、鍵が下ろされ、そしてエンジンがかけられた。

 「ドライブ」は、全員が死亡するまでに30分も要しなかった。所定の場所に着くとドアが開けられ、死体は運び出されて埋められた。この「ガス・トラック」は、大型のものでは150人を、小型のものはその半数を収容した。ソ連ドイツ占領地域では1941年12月だけで、数千にのぼるユダヤ人が「ガス・トラック」で絶滅させられている。

 1941年12月8日。占領下ポーランドのロッヅ管区ヘルムノ村(ポーランド名ウッヂ市ヘウムノ)近郊で最初絶滅収容所が稼働を始めた。殺害には「ガス・トラック」が用いられた。犠牲者たちは主に列車で運ばれ、収容所の近くで降ろされた。そこは一部を公園に囲まれ崩れかかった古い宮殿中央広場で、人びとは垣根に囲まれ区域に通されると「労働に就く前にこれから車に乗ってシャワーを浴びに行く」と告げられ、次のように言い渡された。「衣服を脱いてこの車に乗るように」

 「ドライブ」が始まった。車が4キロメートルほど走ったころには、排気ガスによって全員が毒殺されていた。「終点」は森の中の柵で囲まれ場所で、そこにはこの仕事のために特別に殺されずにいるユダヤ囚人の一団が待機していた。彼らが死体を車から降ろし、そして埋めた(後には死体は焼却処理されるようになっている)。ヘウムノではこうした「ガス・トラック」が3台稼働し、当局員として150人ほどの警察官とSS隊員を擁して1943年4月に一旦閉鎖されるまで稼働し続けた(その後1944年から3ヵ月あまり再稼働)。ここではロッヅ管区他から連行されたユダヤ人と少数のロマ・シンティヨーロッパ語名ジプシー)の集団、合わせて30万人近くが殺害されている。

 1941年11月ポーランド総督管区内でユダヤ人絶滅作戦の準備が始動した。ヴァンゼー会議ハイドリヒの挙げたポーランド在住ユダヤ人口は228万4千人であるハイドリヒは1942年5月にチェコレジスタンス暗殺されたがそれ以後この暴挙は彼のファーストネームに因み、ドイツ政府より「ラインハルト作戦」のコードネームを与えられた。作戦指揮官には後のルブリン管区SS司令官警察長官、オディロ・グロボチュニクが任命された。グロボチュニクは3つの絶滅収容所計画を実行に移した。1942年3月中旬、まずベルゼック(ポーランド名ベウゼッツ)収容所、次いで同年5月ソビボル(同ソビブル)収容所が、そして7月末には第3の収容所、トレブリンカが大量虐殺を開始した。ドイツ東方植民地に設置されたこれら3つの収容所はいずれもガス室を備えていた。ここでは一酸化炭素ガスが使用され、ガスは屋外に設置されたガソリンまたはディーゼルエンジンからパイプで引き込まれた。それぞれの収容所には2、30名のSS隊員と、90から120名のウクライナ人(もとソ連軍捕虜で、ナチス・ドイツに協力を申し出た者)が 当局員として駐在した。SS隊員のほとんどは「安楽死計画」の要員から抜擢された者たちで占められ、後者ウクライナ部隊はルブリン近郊のトラヴニキにあったSS錬兵場で編成・訓練を受けたので、付近住民からは「トラヴニキ・マン」と呼ばれていた。

 ヘウムノ、ベウゼッツ、ソビボルそしてトレブリンカの各絶滅収容所は、文字に違わぬ殺人工場だった。連行された人々は、そのままガス室へ直行させられたのだ。何百人かのユダヤ囚人処刑を免れていたが、これは当局員と囚人たちの身の回りの世話のためであり、こういったグループはすべて数週間あるいは数ヵ月ほどで殺され、随時交代させられていた。

 ルブリン近郊のマイダネク収容所ユダヤ人、非ユダヤ人双方を収監する完全な構造を備えた強制収容所で、この地区にある他の収容所は全てマイダネクの補助収容所として機能していた。おびただしい数のユダヤ人がここで殺され、あるいは移送中に通過し、あるいは囚人として収監された。この中にはポーランド軍属のユダヤ人戦争捕虜も含まれている。マイダネクを生き残った者は数えるほどしかいい。

 強制収容所および絶滅収容所のうち最大の規模を持つアウシュヴィッツ収容所は、第三帝国ポーランド南部シレジア地方に建設された。1940年、早くもアウシュヴィッツ村(ポーランドオシフィエンチム町)に近い旧ポーランド陸軍兵舎敷地強制収容所が設置されている。これは元々ポーランド軍将校と政治犯収容するためのものだったが、I.G.ファルベン社などドイツ軍工業囚人労働力を提供するため、収容所近辺に多数の労働収容所が補助収容所として置かれるようになった。1941年にはビルケナウ村(ポーランド名ブジェジンカ)に最大の規模を持つ絶滅収容所アウシュヴィッツⅡ(ビルケナウ)収容所建設が開始された。ビルケナウはアウシュヴィッツ基幹収容所アウシュヴィッツⅠ)から西へ約3キロメートルの地点にあり、1942年5月に稼働を始めている。チクロンBを使用するビルケナウの4つのガス室は一度に1万2千人を殺害する能力を備えており、死体ガス室に隣接し連動する焼却炉(ナチはクレマトリウム火葬場と呼んだ)で 焼却された。焼却炉は24時間あたり8000人分の死体処理が可能だったが、1日で殺害される人数はこれを上回っており、残りの死体ガス室近くの森の中で野積みで焼かれた。アウシュヴィッツでのガス殺は1944年末まで続けられた。2つの収容所は約2500名のSS隊員を擁して1945年1月まで稼働し、その間に130万から150万のユダヤ人を含む、180万から200万人が殺害された。

 アウシュヴィッツビルケナウ収容所絶滅収容所と同時に強制収容所としても機能していた。殺されるために収容所に到着した人々は「選別」を受けるよう命じられることがあった。若く屈強な男たちは絶滅の集団からはずされ強制労働に就かされるか、他の収容所へ移送された。他に子ども双生児脊髄障害を持つ遺伝患者などが選別の対象となった。彼らはドイツ人医師たちの医学実験用に選ばれていたのだ。医学博士ヨーゼフ・メンゲレは、医師団の中でもとりわけ悪名高い。

 生き残った囚人たちも「選別」を免れたわけではなかった。1日に何度も行われる点呼で衰弱したり病気にかかった者、または労働に適さない者が見つけ出され、彼らはガス室に送られた。

 厳格をきわめる制度の下に束の間の余命時間が貸与され、囚人たちはそれを生きていた。飢餓さらす、むち打ちなど懲罰苦痛を与える−この種の非道所業はすべて囚人たちの心身を消耗させ死に至らせることが目的であり、SS隊員でもなければ思いつかないようなものばかりだった。 恐怖は、囚人たちの日常だった。囚人バラックから毎日、何十体もの死体が運び出されていた。 アウシュヴィッツビルケナウ−ここで心身を全うし得た者は、ごくわずかにすぎない。

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