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2017-05-26

兄弟なんだから仲良くしなよ」という暴力

折り合いの悪い兄がいる。

どうしても近づきたくないが、それを知った人は「兄弟なんだから仲良くしなよ」と言う。

何故そんなに兄を嫌うのかと尋ねてくる。

何故嫌うのかを考えると、まずは子供時代記憶が蘇る。

兄は不安定子供で、私によく暴力をふるった。

体重移動を伴った張り手を泣き叫びながら私に何度も何度も食わせ、魔法瓶がひしゃげるほど頭を殴り続けた理由は、「私が兄を笑ったから」だった。

恐ろしい兄を笑うわけがない。必死に笑っていない顔を作ろうと努力したが、それでも兄の目には私が笑っているように見えるようだった。

食器を順番にたたき割っていったり、台所から包丁を持ち出してきて親に向けて何か叫んでいるのも見たことがある。

今思えば一時的精神疾患だったのかも知れないが、子供の私には「病気から不安定な時期だからしょうがない」などと片付けられるものではなかった。

私は同年代でも体が小さい方で、兄はどちらかというと大きかったから、年齢差もあり自分にとってとてつもなく大きな生き物が物理的な力を理不尽に奮うことは恐怖と憎しみの対象しかなかった。

兄と同じ家にいる間、私は息を止めるようにして過ごしていた。

まり兄と話した記憶はない。

大学を出て、私は就職のため親元を離れた。

仕事はうまくいき順調な生活をしていたが家族との連絡はあまりとっていないことを少し申し訳なく思っているところに、兄から連絡があった。

近くに来たか食事に行こうということだった。

いい加減子供の頃のことを引きずるのはやめる良いきっかけだと考えて承諾した。

しかし行ってみるとそれは食事の場ではなかった。

そこには彼の「仕事仲間」がいて、長々と彼らの「仕事」の説明をされた。

私の倫理観に基づけば反社会的仕事だった。

彼らは仲間を探していた。

大きな落胆と共に吐き気がして、私はその場を立ち去ろうとした。

真っ赤な顔で追いかけてきた兄が私の二の腕を強く掴んで無理矢理振り向かせたとき、ああこの人はまだ私を大人として尊重していないのだと確信した。

もういいからと何度も伝え、家に帰り、携帯電話アドレス帳から兄の連絡先を削除した。

こういう過去他人に話すことはあまりしない。

せっかく今の兄と仲良くしてくれている人たちに仄暗い感情を植え付けるようなことをしたくないのもあるが、何より過去のことは話したところで解決するものではないし、私はこれを解決すべき問題位置づけていない。

復讐したいなどとは毛ほども思っていないし、謝罪して欲しいとも思わない。

ただ私の自由を、兄に近づかない選択肢を赦して欲しい。

「どうせ何か下らない意地を張っているだけなんだろう」と決めつけないで欲しい。

兄弟は無条件で仲良くするものだと信じる人がキラキラした目で私と兄を近づけようとする行為は、私にとってもはや暴力なのだ

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憲法改正についての議論が喧しい。

大きな争点は平和条文たる九条のようだが、正直これが改正されようがされまいが、現代世界情勢において日本戦争に巻き込まれ危険度が変わるとは私には思えない。

そんなことより改正案第二十四条の方がずっと気にかかる。

家族は、互いに助け合わなければならない」

その通りだと思う人が一定数いて、この部分はあまり批判されないのだろう。

しかしこれは私にとって暴力だ。

憲法の条文とするからには、下位の法律もこれに伴って制定されることになる。

例えば現状、生活に困窮した者が生活保護申請した場合、その親族に十分な収入があればそちらを頼るよう促されるが、本人が拒絶した場合はやむを得ないとして受給ができるらしい。

(この点が多くの人の感情を逆なですることは、売れっ子芸人母親生活保護を受けてることが判明した際のネット炎上によって示された。)

これに関係する法律改正され、より家族間の扶助を促すための強制力を強めるかも知れない。

老人介護などはすでに個人負担が大きい状態だが、増大する社会保障費の削減のために、より家族負担を増やす方向に倒れるかも知れない。

私は既婚者だが、配偶者が職を失えば私の給与生活していくことになるだろう。

私が職を失った場合にも配偶者が助けてくれるだろう。

これは私たち自分で選んだことだ。

しかし私は兄を自分で選んだのではない。

兄が怪しげな商売で失敗したとき、私の真っ当な努力結晶である金を彼のために割かなければならないのだろうか。

私たち夫婦が不幸にも同時に職を失い、貯金も使い果たしたとき、私は近づくだにおぞましい兄の金に頼らなければならないのだろうか。

私の体験したことは、虐待と呼ぶほどのものではないかも知れない。

しかし世の中には親や兄弟に本物の虐待を受けた経験のある人もいる。

そういう家族をまた無理矢理繋げようとするのか。

虐待があった場合例外とする法律を作ればいい?

虐待とみなすかどうかを誰がどうやって判断するのか。わざわざ辛い過去を掘り返すのか。

審査の結果、紙一重で虐待と見なされなかった人はどうなるのか。

転落しそうな者を救う負担個人に押しつけずに社会全体でケアする仕組みが社会保障だと思っている。

法律が「家族を大切にしろ」と言い出すことは、その逆をいくものだという気がしてならない。

私が考えすぎなのだろうか。

そうならば、憲法の条文に「家族は助け合わなければならない」とわざわざ明記することの意味を教えて欲しい。

2017-05-25

障害者差別への怒りを創作認定封殺する美しい国日本

https://togetter.com/li/1113811

こないだの発達障害者への論外対応ヤツのまとめに続き、別観点から障害者の辛さ」を語るまとめができていた。

もう少し影響力の高いまとめ主が作ればもっと議論が活発になったんじゃないかって思うが。

で、問題にしたいのがこの「障害者の辛さ」を「創作認定」して過剰に叩いている人がいることだ。

もちろん真偽を疑うことは仕方ないが、言い方がひどすぎるものが多い。

そもそも障害無くてもこの程度の「認識できない」ことぐらいぽけっとしていたら普通あるもの

それに対して起こる人もいるだろう。自分はあった、

健常者様が都合の悪い障害者叫びを嘘とみなして封殺する。

このやり方は、まさに多様性に引かんようになった社会を表してはいいか

障害者に限らず、何らかの意味弱者のみに起こることは、そうではない人には想像もつかないことが多い。

貧乏人の生活を正確に想像できる金持ちなどそう多くはないだろう。

別に想像できないことを悪いとは言わないが、自分にとってありえないか創作という言い方はないだろうと思う。

増田でも、同じ立場人間から見れば十分理解できる弱者などのさけびが

適当理由創作認定されているものが多い。

自分はこの剣では立場を大きく意とするものだし、シチュエーションをそこまで容易に想像できるわけではない。

しかし、今まで自分の見てきた、「自分価値観ではふつう」がどれほど「普通の人」に封殺されていたかを考えると

これもかんたんに封殺していいものとは思えないのである

「対戦ゲーム相手絶対に負けない方法を知ってるか?」

当時同級生だったナイジェル(本名吉村。純日本人だ。)は相手ガイルが放ったソニックブーム波動拳相殺しながらそう言った。

ゲームセンターに対戦台といわれる背中合わせに並ぶ2台で同じゲームを楽しむ仕組みが取り入れられ始めた頃のことだ。

相手ガイル遠距離ソニックブームを連打し、近づけば中足払いで牽制するというスタイルを徹底していた。

リュウ竜巻旋風脚ソニックブーム対策になる前のシリーズでは、せいぜい中足払いに対して大足払いで相打ちを取って、ダメージで優位をとるのが関の山だった。

ナイジェルはガイル鉄壁を崩せず、すでに10試合近く負け続けていた。

相殺された波動拳の隙にガイルの裏拳がめり込む。

最終ラウンド、すでに絶望的な体力差だ。

「そんなの知らねぇよ。リュウでも真空投げができるっていうなら別だろうけど。」

適当なことを言ったわけではない。ナイジェルは強豪が集う新宿神保町ゲームセンターにもよく顔を出していた。

ひょっとしたら当時噂になっていたリュウ真空投げをナイジェルは知っていて、これ以上の負けに耐えきれず暴露しようとしているのではないか

隣にあるすでに誰もやらなくなったようなパズルゲーム腰掛けていた僕は、ギャラリー視線を気にしながらそんな淡い期待を胸に言葉を返した。

「いいか見てろよ。」

一つため息を付いてから、何かを心に決めたような真剣な目でナイジェルは言葉を続ける。

「それはな、、、」

画面上のリュウがバックジャンプして距離を取ると、おもむろに竜巻旋風脚を放った。

ガイルはそれを対処しようと冷静にしゃがんだ姿勢を維持している。

僕の目は次に起こる出来事を見逃さないようにと画面に釘付けになる。

しかし、次の瞬間ナイジェルが叫んだ言葉は、僕の全く予想していないものだった。

ゲームなんてルールの中で戦わないことだ!!」

突如として椅子を蹴り立ち上がるナイジェル。呆気にとられる僕を背に対戦台の反対側めがけて走りだした。

ナイジェルは無類のゲーム好きだが、じつは柔道の有段者で部のエースでもある。

腹がたったのはわかるが暴力沙汰はまずい。学校帰りにゲーセンいたことが発覚すれば僕の問題にもなってしまう。

吉村!」

僕は焦って立ち上がり筐体の影に消えたナイジェルの姿を追った。

しかし、そこにナイジェルの姿はなく、サマーソルトキックできっちりとKOされたリュウ叫び声だけが悲しくゲームセンターに響いた。

なるほど。

ナイジェルは負けなかったのだ。

なぜなら負けが確定するより先に逃げたのだから

この翌日から和風な顔立ちの彼はナイジェル(Nigel)と呼ばれるようになった。

その理由名付け親が誰なのかも彼はまだ知らない。

ウルトラスリートファイターII発売おめでとうございます

発売応援意味を込めて、2016年5月20日投稿した増田を再投稿しました。(一部修正

思い出そう!あの時の熱気と狂気を!みんなで再び熱くなろうぜ!

やきそばカスちゃん

今日見たアンパンマンやきそばパンマンの兄妹が出てきた。

やきそばパンマン正義ヒーローで愛馬の名はソース(ちなみにハンバーガーキッドの愛馬はピクルスコロッケキッドの愛馬はケチャップ)。「ヘラヘラ!チョップ!」と叫びながら二本のヘラ攻撃する。テーマソングが「ジャカジャカジャッカ♪ジャアジャア♪ジャカジャカジャッカ、ジャアジャ♪」とやきそばパンマンが歌うものでクソださい。

今日初めて見たやきそばパンマン妹キャラがどうも「やきそばカス」「やきそばカスちゃん」と呼ばれているようにしか聞こえず、でもそんなわけないと思って調べたら「やきそばかす」で「焼きそば」と「そばかす」を組み合わせたネーミングらしい。ただし顔にそばかすは無い。なんなんだ。

アイマスのイェッタイガー論争は本質を~」は本質を捉えていない

アイマスライブのイェッタイガー論争は本質を捉えていない http://blog.livedoor.jp/ryo7927/archives/71019923.html


概ね同意なんですが、この意見こそ「議論論点ずらし」、本質を捉えていないというか無理やり話をそらしているように感じます


まずそもそも「コール」自体本来「好ましいものではない」です。理由はもちろん、「歌手邪魔をするから」であり、「客が気持ちよくなるため行われる行為から」です。

しかし、コールには「歌手テンションをあげる」という面あります。「客」にも「歌手」にもメリットがある。なので、「ライブ中に声を出すコールという行為は受けいれられている」というのが、基本的な状況です。


基本のコールであるハイ!」や「フゥー!」は合いの手であり、リズムに合わせて入れるものです。ライブだけでなく、パーティーなどで囃し立てる時にも言ったりしますね。

また、元々の曲に入っている台詞合いの手などを入れるのも、リズムに合わせて入れるものです。なので、一応基本的に曲の邪魔しません(例外もありますし、声の大きさで歌声が聞こえないなどもありますが)。


さて、問題は歌い出しから次の歌い出しまで、つまり歌がなく会場が曲だけになる場面で入れるコールです。「イエッタイガー」もこれにあたりますね。

アイマス曲で言うと、「乙女よ対しを抱け」の「急がばまっすぐ進んじゃおう!」や「s(mile)ING」の「はっしー!」や「恋のレッスン初級編」の「LOVEラブリーマチコ!」など(ちょっと違う気がしますが、わかりやすい例として一括りに)。


これが許されているのは、意味があるからです。「歌手名前」「キャラ名前」「歌詞に対するリアクション」などなど。しかし、「イエッタイガー」には意味がありません。

はい」「フゥー」と同じく意味が無い合いの手としてスルーできるほど短くないですし、歌と歌の合間に入れるため目立ちます


前述したものは、「歌手テンションをあげる」面がありますしかし、「イエッタイガー!」という意味不明単語を叫ばれてテンションの上がる歌手はまずいません。さらに、これは「客が気持ちよくなるため」という面が他のコールよりも大きい。

「お水おいしいー?」と同じで、「静かな場面で自分叫び声を響かせたい」「とにかく長めの言葉叫びたい」という感情から行われる行為です。「イエッタイガー」が成立した経緯は知りませんが、「はい」や「フー」を入れられない場面でもとにかくコールが入れたい!っていう理由からまれたのではないでしょうか?それが成立するのは、「とにかく歌手も客も大騒ぎしたい」というタイプ現場だけです。


アイマス現場どうでしょうか?現状だと「はい!」や「フー!」とは違い、「イエッタイガー!」は「今言った奴がいるな」と分かるくらいに目立っています。ということは、受け入れられていないのでしょう。

好ましく思われているなら、「恋のレッスン初級編」の「LOVEラブリーマチコ!」の様にいつの間にか大多数の人が言うようになり、目立たなくなることでしょう(歌手本人が私の名前ではなくキャラ名を言って欲しいと明言されていたそうですが、すでに浸透い過ぎていてそのまま)。


偉そうにつらつらと書いて来ましたが、「絶対禁止だ!!」と言っているわけではありません。

ただ現状、アイマスライブにおける「イエッタイガー」は「好ましく思われていない」というのは事実です。

その事実を踏まえた上で、「周りなんかしらねぇ、とにかく俺は自分気持ちよければいい」という考えの人。私は、好ましくは思えません。

2017-05-24

チカラめしが怖かった

一度だけチカラめしに行った。もう4年とか前だけど。

東横線のどっかの駅前商店街店舗で、午後3時くらいに行ったか東南アジア系の店員さんひとりかふたりくらいで回してたと思う。

客も俺含めた友人4人くらいだった。

ぶっちゃけ言うと味は全然思い出せない。ジャンク的で、なんか疲れた時に血迷って平日夜とかに寄ってしまうかもとかそんな感じだった記憶

それ以上に忘れられないのが券売機の音だった。

とにかくうるさい。

音量もさることながら、音域がひどく耳障りだった。

発券する度に赤ちゃん叫び泣き、あの、腹に一息入れてからヴァァァァーーーー!!!って泣いたときのあの音域。

あれが発券される度にビービーなるもんだから、食べてる間本当にしんどくて二度と行く気になれなくなった。

多分もうそ店舗もないし、券売機も別のものになったと思うんだけど、あの音に感じた恐怖だけが未だに忘れられない。

そういうことないですか。

国民はこんなことに税金を払っているのか

この増田公務員として働いている。

公務員として働いているのでお給料税金から出ている。

まり増田達が日々行っているあらゆる業務国民血税によって成り立っているということだ。

同時に増田もまた国民の一人であることを思うと叫びたくてたまらなくなる。

「我々はこんな事のために税金を払っているつもりはない!」

と。

具体的に何がどうなのかは言えない。

増田は一度会社をやめ、花の蜜に誘われるように公務員へと転職した。

そして現実を知った。

だが今また仕事をやめても恐らく後悔しかないだろう。

から保身に走る。

保身に走るような人間に囲まれているのでそのことにもはや恥は覚えない。

恥を覚えないことが恥ずかしいという感情はかろうじて残っている。

だが、恐らく、その感覚すら10年後には喪われる。

先輩がみなそうだからだ。

こんな奴らに税金が払われているということに怒りを覚える。

だが、そんな奴らに払う税金を雑に絞った結果としてこんな奴らだらけなのも事実だ。

国民はどこかでアプローチを間違えた。

増田の先輩たちはきっと何もかもをどこかで間違えた。

きっと彼らは、なぜこんな形で税金を使っておいて平気でいられるのかと疑問を感じる回路を最初破壊したのだろう。

自分の心を守るために。

増田も2年間かけてそれを行っている。

公務員になって2年。

石の上に3年という言葉もある通り段々と感覚麻痺して訓練された無能へと近づいていくのが自分でも分かる。

まだ増田新人としての感覚を残してるうちにこのエントリを書きたかった。

五月病という形でやってきたこの最後の波が終われば増田は別の何かに変わってしまうと思い慌てて書いた。

もう思い残すことはない。

このまま緩やかに官僚的な腐敗に飲み込まれるとしよう。

抵抗する力は今の増田には残されていない。

2017-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20170522184118

わかるほんとにわかるわかりすぎてつらい。

私は親の件はないけど、かわりに「いわゆる式典・儀式に一切意義を見出せない、宴会の類が嫌い」という苦痛があった。

周囲の希望で結局式はやったけど(私がやりたくなければやらなくていいと言ってくれたのは私の母と主人だけだった。悩んだけど結局私が折れた)、せめて身内だけにさせてもらった。

披露宴はしなかったけど友人知人向けの二次会的なパーティーをやった。

ウェディングドレス別に楽しくも嬉しくもなかったし、写真も撮りたくなかった。袖があっても二の腕がたくましすぎた。

そして儀式全般ダルかった。二次会では自分を中心に据えられた乱痴気騒ぎ、居心地が悪くて死にそうだった。

なんでこんなことやらなきゃいけないんだろう、私がやりたくないことをやっているのを見て喜んでいる人がいるなら神経を疑いたかったし、別に喜んでいない人には付き合わせて心底申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

主役になりたくない。注目されたくない。愛想を振りまきたくない。そういう心の叫びを押し込めて一日中笑っているのは本当に疲労困憊の一言だった。

花嫁から結婚式は嬉しいはず、と思われているのが心底いやだった。親孝行と言うにはダメージがでかすぎた。

趣味でもないSMプレイ強要されて、痛いし辛いのに本当は気持ちいいんだろうとか言われるのってこんな感じの屈辱だろうかと思った。

結婚式をやるのはいいことでめでたいこと」という風潮を一刻も早く木っ端微塵にしたい。

やってもいいけどやらないのもかっこいいし思慮深い、みたいな風土をどうにかして確立させたい。

便乗しての自分語りでした。申し訳ない。

最近の「弱くていいよできないもんね」的なにゃんにゃんなんなの

弱さに甘すぎる。

本当につらい叫びと、適当な甘えん坊バカが混じってる。

適当な甘えん坊バカ、自負すべき。

適当な甘えん坊バカしか自覚は全員ない。具体例やるよ、みろ。

「いや帰ります」「いや、就業時間外じゃないすか」「いや俺はやりましたよ?」

など。頭悪すぎる。ネット感。

守ってもらえてると思ううちにほざいてろ。教えてくれないおめぇらが悪いとのたまってろ。

ちなみにリアルはいません。ネットだけにいるひとたちの言葉をてきとうに想像しただけ。いるよねこういうバカ

2017-05-21

ハゲ教員ハゲ教員によるハゲ教員のための生き方

私はハゲである。そしてほんまもんハゲになりつつあり、ハゲではなかった時代がある。

遺伝子的に見ても、どの角度から見ても禿ない要素はない遺伝子である。親父もハゲているし、祖父ハゲている。母方の伯父も叔父も禿ている。ハゲ遺伝子の塊である

ちなみに書きにくい話だが、我が息子はハゲサラブレッドである。なにはともあれ30までに結婚することを推奨したい。

こう書いているとハゲであることを克服しているように見えるであろう。でもそうではないのだ。ハゲはじめて8年足らず。まだまだ、自分ハゲていることを乗り越えていない。その証拠にここまで書いていて、けっこう心が痛む自分がいる。ハゲである自分を見つめるのは、小学校の頃に不細工である自分に直面し絶望したそれに近い。

ハゲであるという事実』は不思議なことに『ハゲててもいいじゃないか』という合理的な思いとは別次元のところにあるようだ。コレによる傷はなかなか癒えない。そして残酷なことに小学校教諭である私は、このハゲである自分と常に対峙させられ、ハゲである自分を十分に活かしきって生きなくてはいけないさだめにある。

たとえば、教卓で漢字ノートの丸つけをしている。すると目の前の比較的親和度の高い女子が真面目に「先生ハゲを見るのが心苦しいので顔を上げて頂けませんか」という。申し訳なさそうに。だが言葉を知らないストレート表現で。

たとえば階段。あがっていった先で子どもが待ち構えている。何も言わないがハゲの心は「ハゲで笑われるのではないか」と思う。実際笑われたというオヤジ殿の過去経験を聞いたりする。

高身長自分河童ハゲなので、下から見上げられてもハゲが分かりにくい。だが、上から覗かれると無残だ。ギャップも激しい。

そうするとどういう対策を取るか、が重要となる。そう、ここからは「ハゲ教員ハゲ教員によるハゲ教員のための生き方」だ。まさに秘中の秘。大学では教えてくれないハゲ小学校教員の正しい身の処し方だ。

まず方向性として隠すのはよくない。ほんとに隠してはいけない。

子どもたちは思うだろう。

「隠すほどに気にしている、ハゲ程度で。大人のくせに。頼りないハゲだ」と。

これは教員として致命的である。『お前ら禿たことないくせにハゲの苦しみが分かるのか!隠せるものなら隠したいのは人の情!』そう言いたい、叫びたい気持ちをグッとこらえて、あえてさらけ出していこう。ハゲを。しょうがないのであるハゲから。心にグサグサくるけれどあえて戦う。なぜならハゲ性癖でも性格でもなく、単なる身体的な特徴だからだ。結構な数の男がなるものからだ。隠してはならぬ。

教員として、その姿は見せねばならぬ。

次。

その上で叫ぼう。

先生自分ハゲているという事実に傷ついている」と。「なぜだか分からぬがハゲるということは結構心にくるものだ、君らに分からいかもしれない。先生にも分からない。子どもの頃に自分特別ではないと感じたあの時のような、あの絶望感にも似たものを今、先生現在進行形で味わっているのだ」と。人間として当たり前の情が先生にもあるのだ。こうして傷つきながらも先生はそれを隠さない。その姿勢を感じて欲しい!!との心意気で。

子どもたちはドッカンドッカン笑いながらも「ん?もしかして本当に傷ついているのかな?」と思い始める。

ここからハゲ積極的に前に押し出していき、ガンガンハゲネタで攻めていく。理科の光の実験ときは「先生は鏡なくても大丈夫」とか、暑い日差しときは「先生帽子被らないとハゲ日焼けして皮がめくれるんだよね」とか、テスト時間にシーンとした中で「ペチンペチン」と頭を叩いてリズムをとってみたりする。

ポイントはその度に酷く落ち込んで見せることだ。「またハゲネタにしてしまった」と。たまに学級通信で「ハゲネタにしているけれど、言いながら結構傷ついているんだ」とかサラッと書いておく。

そのうち子どもがきっと言う。「先生ははげー」と。たぶんかまって欲しくて寂しくて何とかこっちを見て欲しい、そんな子が言う。たぶんあんまり能力がない、コミュ能力も含めて。

そういう時は「そうだね。とっても傷ついたよ。○○君が先生を傷つけようとした気持ちはちゃんと受け止めたよ。うん痛かった。」と悲しい目をして伝えてあげよう。怒ったりしてはいけない。淡々と。静かに。理由ハゲを隠さな理由と一緒。

たぶん、二度としてこない。もし繰り返したときは周りの子が止めはじめる。

ネットで調べていたら「ハゲ」と「チビ」は同じ漢字が当てられるらしい。「禿げ・禿び」である。そんなネタを見ていたら、ついうっかりハゲ自撮りしてしまった。

明日はこの話「禿げと禿び」の漢字を朝のお話にしようと思う。

2017-05-20

都会の私鉄社会は滅びろ

通勤私鉄を使わなきゃならない理由果たしてこの世にあるのか。

公営よりサービスがいいって、誰の為にサービス競争しなきゃならんのだ。

かの悪名高きパチンコと何が違う。

もう大都市私鉄をやめよう。

JR化しよう。

それの何が問題だ。

法人税関係から履かなきゃならない?

税金大事だ。

でも財源の豊かな大都会公共交通民営である理由って何だよ。

そもそも公共交通って何だ。

効率的利用者を乗り物に詰め込み、移動させるための道具だ。

今では大都会では必須インフラ

で、私鉄でなきゃ絶対表現できない公共交通って何だ。

私鉄根性は本当に都市生活を円滑にしているか

笑顔電車に乗り込む風景の裏で外国人が、会社運賃制度殺意の波動を送っている。

満員電車に乗り込むサラリーマンが、駅員や駅の職員を後ろから刺す妄想をしている。

それでも民間ありきの都市交通は必要か。

都市交通の運賃が一本化され、通勤鉄道公営企業一社統一されたアメリカNYのように本当の意味での公共交通が実現できたらいいのに。

それができない理由って何だよ。

公共交通の新しい常識になれない理由って何だよ。

常識って何なんだよ。

いかお金搾取するかって話か?

企業が公に貢ぐ税金を稼ぐかって話か?

ふざけんな違うだろ。

本当の意味での大都会を名乗れるだけの常識があるかって話だろ。

鉄道は常に市民から殺意を浴び続けるのが常識か。

痛みを伴う社会常識は守るに値するのか。

互いを敬う常識を推奨するなら、搾取の恐怖から利用者解放する事が筋じゃないのか。

都市鉄道=原則公営日本都市常識に加えてくれよ。

から笑顔で利用できる鉄道に乗せてくれよ。

これは我儘なのか。

自動車運転免許を取るのが面倒とかいうのとは話が違う。

運転免許迷惑子供関係ないが、都会の私鉄の面倒は子供をも巻き込む。

外国人観光客が短い距離の割には乗り継ぎで高い運賃を払わせることに不満を感じている。

東京電車に乗るのは皆がサラリーマンじゃない。

都会の通勤電車ラッシュだって会社交通費負担しているから成り立つのだ。

しか観光客は全額の交通費を払う。

「どうすべきか」の答えはもう少し先だ。

現状は囚人のジレンマ

AさんとBさんがそれぞれ私鉄を[使う、使わない]。

使わないBさんの評価相対的に下がって、社会的に不利になる。

ゆえに[使う、使う]という構図が不利益を防ぐ均衡なわけだが、

実際のところは[使わない、使わない]で公益は最大だ。

まり現代大都市における私鉄の利用は効率的ではない。

我慢するぐらいなら使わない方が良いに決まっている。

でも道路交通ストレスが嫌だから[使う、使う]になってしまう。

じゃあ囚人を解き放つにはどうすればいい。

使わなくても不利にならない状況を作るしかない。

から都会の私鉄公有化しよう。

そうでなければ、JRに編入しよう。

東京私鉄線が全部JR東日本になれば、郊外学生運賃の高さに嘆く事もなくなる。

会社の背負う無駄も少しはなくなる。

私鉄は好きだ」と別の人は言う。

そりゃそうだ。

好きならそれでいい。

だが使わなきゃならない理由にはならない。

宝くじはいくらか投資すれば当たるが、誰もが当たらなきゃならない道理はこの世にない。

全員がオートバイに乗れなきゃならないわけでも、アニメを見なきゃいけないわけでもない。

私鉄社会肯定する人間否定する必要はない。

私鉄社会電車に対する一番の苦痛だという人間権利も守れたらwin-winだという話だ。

乗れる乗り物、テレビネットで見る番組ジャンル

それらの願いが叶うなら都会の鉄道だって叶えてほしい。

車やバイクでの通勤通学を許可しろって話じゃない。

本来都市交通の電車で通わせてくれって話である

カネを巡る問題にはそりゃもう色々と大人の要素が絡んでくる。

ここは日本からとか、負担億劫だとか。国民が怖くて公金が出せないとか。

だが、これらの意地や怒りは良いものか。

これらに膝を折る事は、少しでも何かを良くするか。

偏見思い込みを捨て、思い切って行動する方が良かったものじゃないのか。

他人の足を引っ張るより、辛い経験を皆で過去に葬った方がいいんじゃないのか。

から叫びたい。

都市鉄道会社が独占・寡占で、運賃が一本化されている事の何がそんなに問題だ。

都市圏一本化運賃が実現したら大地震が起こるのか。

「初乗り運賃が何回も取られるのは嫌だ」「財務に追われるお役所の身にでもなってもみろ」

「なら車・オートバイ通勤許可しよう」「慣習を逸脱するのは良くない」

堂々巡り議論はもう沢山だ。慣習が変わればすべて片付く話だろ。

最初違和感がある、或いは見苦しく思えても、定着すれば問題にはならない。

今だからNYに学ぼう。

NY万歳運賃一本化万歳

運賃一本化を実現させてくれ。もう私の財布は限界だ。

2017-05-19

校正の極意

昔、とある会社サイト掲載されていたのに知らない間にページが無くなっていた。

この極意を肝に銘じ仕事をしていたのに残念。

4,5,6条が素晴らしい。

【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】

【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】

【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】

【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】

【第5条:自分は「アホ」だという自覚を持つ】

【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負

【第7条:文字パニックにご注意】

【第8条:さまざまなジャンル用語網羅すべし】

第9条:日々是情報収集

【第10条:校正の極意】

"

【第1条:信じるヤツは、アシすくわれる】

校正マンは何も信じてはいけません。一番信じてはいけないものは「自分」のこと。

校正には知識必要です。だから校正マンである自分仕事関係上、それなりに努力もしているので知識を持っていると思っている人が多いようです。そして自分知識に自信を持っている人も多い。そういう人は、校正マンとして不向き!

自分知識に間違いはないと信じて、いちいち調べて確認することを怠った者は、アシをすくわれてスッ転ぶだけ。知っていることも、いちいち確認するのは面倒な作業ですが、自分知識を信じることなく、確認する労力を惜しまない人が、確認作業プロフェッショナルなのです。

【第2条:全て「疑う眼」で見るべし】

校正仕事は、常に「疑う目」で見ることが必要不可欠。まずは、第1条で述べた通り、自分自身を疑うべし。そして確認するための工程使用するアイテムも「疑う眼」で見なければなりません。国語辞典出版社によって、編纂者によって、辞典の大きさによって(小事典・中辞典・大辞典)も内容が違います。どれを使っても大同小異ほとんど同じだと思っている時点で確認プロフェッショナルではありません。同じ言葉でも辞書によって解釈が異なる場合があることを念頭においておかなければなりません。インターネットでの検索も「疑う眼」で確認すること。情報が多く便利なアイテムですが、情報が多すぎることが問題ひとつ。ふたつ目の問題は、間違った情報も多いという点。確かな情報源を手に入れるまでに、情報の海に溺れてしまう時もあります。常に「疑う眼」で見ることを忘れずに付き合っていると、情報の海で土左衛門になる前にインターネット情報の拠りどころとして使えるようになってきます。紙媒体インターネット等、拠りどころは多いにこしたことはない!数値のデータは、最新のデータの方が良いし、旬の時事ネタを調べる場合にも、印刷物書籍など)よりもインターネットの方が断然便利です。インターネット情報を得る場合には、必ず複数データ調査し、公式サイトなどのデータ確認します。校正大切なことは、信頼できる情報確認すること!疑わしい情報確認しても、それって確認作業にになってないし…(汗)。

【第3条:「慣れ」と「思い込み」は、命とり】

職種によっては「慣れ」ることにでより技術に磨きがかかり熟練工としてして匠と称される場合も多々ありますが、校正プロフェッショナルとしては「慣れ」は大敵でもあります校正のコツを身につけ、経験を生かして間違いを予想して校正することもありますが、この場合細心の注意が必要です。「慣れ」は「思い込み」を生み出すきっかけとなるから…「思い込み」は校正マンの目を曇らせ、ミスを見落とすという最悪の結果を招きます。常に初心を忘れず「思い込み」を全て捨て去り“無心”の状態校正に挑むのが、確認作業プロフェッショナルとしての基本です。

「慣れ」と「思い込み」は命とり…これを肝に銘じて、集中力と根気をもって最初から最後まで校正することが何よりも大切です!

【第4条:満点以外の校正はクソと心得るべし】

校正お仕事は、その結果100点満点が当たり前!満点をとっても誰にも褒められることはまずないという、ちょっぴり寂しいお仕事でもあります。全てのミスを見つけ出すことがお仕事なのですから、当然といえば当然です(…が、たまには褒めてもらえるとうれしいのです。ブタもおだてりゃ木に登るぅ~ってな感じで、次回の校正への励みになりますし…)。満点以外の校正は、言葉が悪くお下品ですが(詫)、“クソ”と同じ…そんな校正なら、しない方がマシ(!?)時間無駄使いをしてしまったと落ち込みます。致命的なミス発見できれば、少々の校正ミス(=モレ)があっても実質的な損害を与えることにはなりはしませんが、お客様からの信頼は確実に減少するのは免れることはできません。校正の精度が疑われるような校正結果では、お客様安心していただくことができません。皆さんも経験があると思いますが、試験100点をとるために何度も見直して「完璧!」と提出した答案が、返却された時の点数は98点…なんてことはザラにあります100点満点を目指すなら、200点目標確認作業をしてトントン校正マンは、200点を目指して、120点を目標として常に全力投球します。その結果の100点なので、満点で当たり前というわけです。

校正業務を開始する際に、体調などに左右されることも。なかなか集中できない場合もありますが〆切は待ってはくれません。どのような状況でも集中できる体制を即座に整えることができる…これがプロフェッショナルです。満点以外の校正はクソですが、集中力を欠いた校正作業はクソ以前の問題です…全身全霊をもって集中して校正に挑んでも、校正ミス可能性はなくならないのですから

校正作業完了し、全責任を担うべく校正紙にサインをした後は、ヘトヘトになり暫しの間放心状態になります校正は毎回が真剣勝負、全力投球ですから当然です…“この一球に悔いなし”!

【第5条:自分は「アホ」だという自覚を持つ】

自分のことを「賢い」と思っている人は、大バカ野郎!逆に、自分を「アホ」だと思っている人は、自分のことを「賢い」と思っている人に比べれば「賢い」人です。自分は「アホ」だから、間違うかもしれない!という思いを常に心の隅に常駐させつつ、そんな自分他人様の制作したものに対して間違いを探したり、ミスを指摘したりするなんて恐れ多いコト…と、謙虚姿勢校正に対するのが、確認作業プロフェッショナルです。その謙虚姿勢が、いちいち確認する面倒な作業を怠ることを防ぐための防波堤役割を担ってくれる上、確認する労力の源となるので、自らの間違いやミスの発生率が極端に減少するわけです。自分のことを「賢い」と驕っている校正マンは、いつか取り返しのつかないドツボに填まることになるので、今すぐに校正マン廃業した方が賢明(…!?)です。

なお、自分は「アホ」だという自覚を持っているのにもかかわらず“あほミス(注)”をしてしまったら、それは本当の「アホ」…目も当てられない状態です。そんな状態に陥った「アホ」は、即効で校正マン廃業すべし。

(注)あほミス…「アホちゃう!?」と叫びたくなるような“あほ”みたいなミスのこと。知識能力の不足ではなく、不注意による誤り。SETでは「あほミス」と言いますが、一般用語では「ケアレスミス」のことになりますかね。ちなみに「ケアレスミス」は、careless mistakeの略語です。

【第6条:粗探しに誇りを持って常に真剣勝負

校正お仕事は、実に意地の悪いお仕事です。制作者もプライドを持って全力で業務に勤しんでいます。「完璧だっ!」と渾身の制作物を校正するのですから、その作品の粗探しをする校正マンは、疎ましい存在なのでは…(涙)。しかしながら、ミスや間違いを発見するのが校正マンの使命ですから、そこのところは一歩も譲ることな任務を全うすべし!粗探しという、一見、意地の悪い作業に誇りをもって、全力で挑まねば制作者に対しても失礼にあたります制作社は、作品ケチをつけられたらカチンときたり、ミスを指摘されたら「クソォ~」と悔しがるのが当たり前。そんな感情が湧かない方がおかしい…湧かない場合は、制作作業に対して手抜きしてるからでは?ミスの指摘を受けて悔しがらない制作者は、問題あり…なので、そんな場合には一言苦言申し奉ります。「ミス校正で見つけてもらったらいいや~」などという怠惰な態度は、校正マンに対する冒涜制作者も、常に100%の完成度と誇りをもって全力で校正マンに挑んでいただきたい。分野は違えど、制作校正プロフェッショナル同士の真剣勝負なのですから

【第7条:文字パニックにご注意】

校正(笑)一種に「文字パニック」という症状があります日常の全てにおいて目にする文字がすべて疑わしくなる病気(!?)です。校正業務ではない日常生活においても、辞書等で確認せずにはいられなくなる…それは読めない漢字意味がわからない用語でなく、通常に使用している簡単漢字であっても。その上、一度確認してもまた同じ文字が出てくるたびに辞書を引っぱり出している自分がいる。やめたいのにやめられない、辞書等で確認しないと落ち着かなくてパニくる…これが「文字パニック」。治療方法としては、休養することしかなく、目と体、そして心を休め落ち着いて回復を待つこと。あわてないことが重要で、確認作業プロフェッショナルなら一度はかかる通過儀礼のようなものなので、自覚症状があらわれた際には、校正マンとして一人前になったのかなぁ~と喜ぶべき病気(!?)ということで、お赤飯でも炊いてお祝いしてください(笑)

文字パニックとは別に校正マンがかかりやす病気として「本が読めなくなる病」もあります活字とにらめっこしている時間が多いため、もう活字は見たくないという原因をもつ場合と、本を読んでいても、無意識誤植を探していて内容を楽しむことができなくなる場合の2種類があり、この病にも特効薬はありません。本人の意思時間の経過により、体力と気力が回復すればそのうち治るでしょう。でも、貧乏ゆすりと同じでクセになってしまったら、なかなか治りません。私の場合子供学校からもらってきた学級便りやお知らせのプリントに朱入れしてしてしまう始末。町内の回覧板広報誌やフリーペーパー等々、印刷物を目にするとダメですね。インターネットの画面では今のところ症状は抑えられますが、サイト情報プリントアウトすると、誤植探しをし、数値を重複確認してしまっている自分に気付く今日この頃です(汗)。

【第8条:さまざまなジャンル用語網羅すべし】

何事にも興味を持ち、広く知識習得すべく心を開放しておくこと。自分には関係のない分野の話も、小耳にはさむ程度でもいいので気に留める寛容さが必要です。ひょんなことで、その知識が役立つことがあるからです。校正は、自分知識確認することはなく、調べて確認する作業です。この調べるという作業で、広く知識がある人とそうでない人との差があらわれます校正ではさまざまなジャンル文章校正するため、歴史社会自然科学技術産業芸術など広い分野の知識必要とされます。全ての分野で専門知識をもっているスーパーマンになることは、並大抵の努力では不可能です。用語の大よその意味理解できていたり、見当がついていれば、調べるときに大変助かります校正に費やせる時間無限ではありません。校正マンは、校正だけできればそれでよいというものではなく、定められた納期を守って校正できることもプロフェッショナルとして当然のビジネスマナーです。限られた時間で、どれだけ正しい情報にたどりつけるか…校正マンとしての力量が問われるところです。

第9条:日々是情報収集

前条と内容が重なりますが、ジャンルを問わず知識習得するための心得をもうひとつ友達との何気ない会話、家族との日常職場で流れているラジオテレビ番組CM…等々、日々の生活情報収集に事欠くことがありません。しかしながら、ただただ聞き流してしまうのか、ちょっと意識を持って聞いているかの違いで、情報収集の機会は雲泥の差を生み出してしまます。「さぁ~情報収集だっ!」と意気込んで調べものをすることもありですが、日々の生活でのチャンスを逃す手はありません!いちいちメモして資料を残すなんてことは大変ですので、少し意識を変えるだけで充分です。人間の脳ミソは全く知らないコトを思い出すことは不可能ですが、一度でも耳にしたことは思い出せる可能性が0%ではありません。また、必要に迫られた場合や、自分が興味のある事柄は自ら情報収集することができますが、自分の頭の片隅にもないような事柄についての情報収集することはできませんよね。不特定多数対象情報提供してくるラジオテレビ、街中での雑談や目にする様々な媒体ちょっと意識するだけで、情報収集きっかけは生まれるのです。

校正時での「疑問出し(注)」の巧拙に、期せずして校正マン能力があらわれてしまます。とんでもない見当違いの疑問出しをした場合校正マンは赤っ恥をかくだけでは済まされず、校正の精度そのものに疑いがかかり「この校正マン大丈夫?」という状況を引き起こししまうのです。「これで大丈夫ですか?」と指摘したのに、「オマエこそ大丈夫かい?」という展開に…(涙)そんな事態を招かないためにも、日々是情報収集は、プロフェッショナルとしての日常のあり方です。

(注)疑問出し…原稿の間違いや不備ではないかと考えられるが、調査してもはっきりとは間違いだと判断できない箇所を「これで大丈夫ですか?」と、制作者や先方様に確認するために校正紙に校正マン鉛筆で書き込んでおくこと。

【第10条:校正の極意】

校正に極意はありません。ただ「無心」で校正に対するのみ…

しかするとソレこそが、校正の極意なのかも!?

"

引用http://www.set-inter.com/creator/kotomi-t

2017-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20170518093531

女の叫び声は周囲をざわつかせる効果もつのだ、周囲があたりを見渡している状態では痴漢しにくい

たまに「なにちんこさわっとんねん」ていうのを混ぜてもいいだろう

http://anond.hatelabo.jp/20170518093042

本物の痴漢は、ウソ叫び声とホント叫び声を聞き分けるくらいの知能はあると思う。

2017-05-16

きんもー☆

あのねぇぐちったら問題カレイ消失するんですか?

スズキイチローじゃあるまいし、生きてる価値ある人間なんてめったにいないわけ

死んで悲しむとかてめぇの都合じゃん、どうせ死なず働かずマグロ状態だと文句しか言わねぇくせに。

周りからしたら馬鹿から??とか言われても、そんなバカ問題すら解決できないからオジサン死ぬの。

時間が経ったらサバサバして思い出せるとか言われても、生涯解決しないような問題から死ぬだって意識を想定できてないことがよくわかるわ。

イサキよく崖から飛ぶ方がマシだと確信してる状態で生ぬるい現実認識のやつになにいわれても響かないわ~

だいタイおまえなんかサメざめと泣きながらアカメ晴らしてたくせに3年も経てばアユでーすとか言ってるアーティスト見ながら中トロほおばってこの刺し身のアジさいこーとかツイートしてるようなクソ女なんだろ?

満員電車で便意催して腹部にカバン押しつけられてサワラないで~とか叫びながらブリブリ垂れ流してモロに車内の注目集めてろ

http://anond.hatelabo.jp/20170516020344

http://anond.hatelabo.jp/20170516133121

ヘイト→「なんか嘘八百の言い訳を並べてるけど要するに韓国人が憎いから出ていってほしい、あるいは出ていけって叫びたいだけなんだな」

http://anond.hatelabo.jp/20170516125944

日本から出てけデモしてる人が、

日本在住を選択しているというのは在日韓国人欠点である

・その欠点改善してほしい

・その欠点改善された暁には好意的に接するつもりである

本心から思ってるなら憎悪じゃないだろうね

でもそんな人まずいないでしょ

本気でそう思ってるならデモなんてしないで別の形で在日韓国人アドバイスするよ

から、もしそんな主張するデモンストレイターがいたとしても、ほとんどの人は「なんか嘘八百の言い訳を並べてるけど要するに韓国人が憎いから出ていってほしい、あるいは出ていけって叫びたいだけなんだな」って常識的判断するよ

2017-05-15

ハイヒール滅びろ

ヒールを履かなきゃならない理由果たしてこの世にあるのか。

脚がきれいに見えるって、誰の為に脚をきれいに見せなきゃならんのだ。

かの悪名高き纏足と何が違う。

もうパンプスハイヒール義務化するのをやめよう。

フラットシューズを履こう。

それの何が問題だ。

マナーから履かなきゃならない?

マナー礼儀大事だ。

でもハイヒールマナーである理由って何だよ。

そもそもマナーって何だ。

敬意の表明を形式化し、人付き合いを円滑にする為の道具だ。

これをやっとき問題ないっていう便利道具。

で、パンプスでなきゃ絶対に表明できないマナーって何だ。

ハイヒールは本当に人付き合いを円滑にしているか

笑顔の裏で営業の人が、ハイヒール殺意の波動を送っている。

外回り職員が、早足の上司を後ろから刺す妄想をしている。

それでもヒール必要か。

フラットシューズで働けたらいいのに。

それができない理由って何だよ。

フラットシューズマナーになれない理由って何だよ。

マナーって何なんだよ。

爪先立ちの不安定な靴を履けるかって話か?

ヒールを履いた女の方がそそるかって話か?

ふざけんな違うだろ。

画一されたドレスコードを守るだけの常識があるかって話だろ。

痛みを耐え忍ぶ事を強制するのがマナーか。

痛みを伴う社会常識は守るに値するのか。

互いを敬うマナーを推奨するなら、爪先立ちの靴から労働者解放する事が筋じゃないのか。

フラットシューズマナーに加えてくれよ。

から笑顔相手と向き合える靴を履かせてくれよ。

これは我儘なのか。

風呂に入るのや毛を剃るのが面倒とかいうのとは話が違う。

風呂剃毛修行せずとも出来るが、ハイヒールはいきなり履けやしない。

革靴は電車ホームの間にも中々落ちないが、ヒールの踵は側溝に挟まる。

世の中皆がperfumeじゃない。

あれはヒールで踊る事を選んだ人達だ。

私に選ぶ権限はなかった。

「履きたくなきゃ履かなきゃいい。

 でも履いていないと、履いている人間と比べて不利になる。

 だから仕方ない。

 皆、履かざるを得ない。

 結局、互いを縛るのは互いに過ぎない」

正論に見えて何の解決にもなっていない。

「どうすべきか」の答えはもう少し先だ。

現状は囚人のジレンマ

AさんとBさんがそれぞれヒールを[履く、履かない]。

履かないBさんの評価相対的に下がって、社会的に不利になる。

ゆえに[履く、履く]という構図が不利益を防ぐ均衡なわけだが、

実際のところは[履かない、履かない]で公益は最大だ。

まり現代社会におけるヒールの着用は効率的ではない。

我慢するぐらいなら履かない方が良いに決まっている。

でもリスクが怖いから[履く、履く]になってしまう。

じゃあ囚人を解き放つにはどうすればいい。

履かなくても不利にならない状況を作るしかない。

からフラットシューズドレスコードに加えよう。

フォーマルフラットシューズを開発しよう。

フラットシューズが正装になれば、ヒールと並んだ時に顔をしかめられる事もなくなる。

ヒールを嫌々履く意味もなくなる。

「履きたくて履いてる人もいる」と別の人は言う。

そりゃそうだ。

履きたきゃ履けばいい。

だが履かなきゃならない理由にはならない。

カレー辛口は訓練すれば食べられるが、誰もが食べなきゃならない道理はこの世にない。

全員がスカーフを巻かなきゃならないわけでも、サングラスをかけなきゃいけないわけでもない。

履きたい人間否定する必要はない。

履くのが苦痛だという人間権利も守れたらwin-winだという話だ。

メガネの形、腕時計の素材、

それらが選べるなら靴の種類だって選ばせてほしい。

サンダルスニーカー許可しろって話じゃない。

フラットシューズで働かせてくれって話である

身だしなみを巡る問題にはそりゃもう色々と感情的な要素が絡んでくる。

自分は守ってきたのにとか、嫌でもやるのが社会人とか。

だが、これらの意地や怒りは良いものか。

これらに従う事は、少しでも何かを良くするか。

最初から無い方が良かったものじゃないのか。

他人の足を引っ張るより、辛い経験を皆で過去に葬った方がいいんじゃないのか。

から叫びたい。

ハイヒールを履かない事の何がそんなに問題だ。

ハイヒール義務をなくしたら核爆発が起こるのか。

ヒールをやめたい」「ヒールでないと正装に見えない」

「なら正装の条件を変えよう」「慣習を逸脱するのは良くない」

堂々巡り議論はもう沢山だ。慣習が変わればすべて片付く話だろ。

最初違和感がある、或いは見苦しく思えても、定着すれば問題にはならない。

からフラットシューズを履こう。

フラットシューズ万歳

フラットシューズを履かせてくれ。もう私の足は限界だ。

2017-05-14

俺が好きな物批判するな!それは俺を批判しているのと同じだ!

と、要約できるような発言をしている男性を見るととてもゲンナリしますね。

自分アイデンティティ自分個人で持つべものであって、他の物事依存していては駄目だと思います

特にアニメ漫画が好きな男性に多いんですよね。

作品に対して考察意見の交換を行っている場所ですぐにヒートアップして「違う!この作品は間違っていない!間違っているのはお前だ!」と叫び始めてしまう癖がついてしまっているようで見ていて不安になります

とある作品のもの」と「その作品に対する自分主観」がまずゴチャゴチャになっていて、更には「作品に対する主観」と「自分価値観全て」が同一視され、最後には「自分脳内にあるその作品イメージ」と「自分アイデンティティ」がピッタリと重なってしまい、それとは違う意見が出てくると「自分という人間」が批判されたように感じてしまう傾向にあるみたいなのです。

そういう人、たまにいますよね。

私、そういう人がとても駄目なんですよね。

何を考えたらそういう思考になるのかをここまで論理的に整理してもなお、何だか腑に落ちないような気持ちになってしまうんです。

頭で何となく理解可能だけど、心では完全に理解不能とでも言いましょうか。

しかたらこういった方々はパーソナリティ等において何らかの障害があるのでしょうか。

もしもそうなら私は謝らなければいけないのかも知れません。

障害のある方を気持ち悪いと思ってしまっているのですから

ですが気持ち悪いという感情が生まれしまう事を止めろと言うのも理不尽なのではないかとも感じます

私は彼らとどう接すればいいのでしょうか。

無視するという行為人間に深刻なダメージを与えるという研究成果がある以上は関わらないようにするというのも決して正しい選択とは思えませんし。

人間社会コミュニケーション、とてもむずかしい。

難しいことを考えていたら頭がパンクしそうになってきました。

昼ごはんでも食べてきます

2017-05-13

発達障害だけど社会に出たらむしろ鬱が治った

中学生の頃、発達障害人達が集まる2ちゃんねるスレを見て自分発達障害であることを知った。

そこに書かれていたのは社会に出た後の発達障害の心の叫び阿鼻叫喚の図だった。

そしてそれは恐らく自分も今後否応なしに同じ道を辿るであろう、自分人生ネタバレ

これから自分は彼らと同じ地獄の道を辿り、最後には社会に捨てられ惨めに首を括るのか、そんな未来予想を想像するのは中高生のクソガキの精神的には少しきつすぎた。

こんな社会ゴミ、死んだ方がいいと何千万回も考えた。

心療内科に行くと発達障害副作用的な抑うつ症状だと診断された。

なんやかんやで口からでまかせ言って就活はなんとかなった。趣味プログラミングをやっていたのがよかった。

頭が悪い学歴もないので大手とかはそもそも諦めていたが、なんとか地方の小さなIT企業に入れた。

まあこんな茶番みたいな就職したところで2週間くらいで首になるか首を括るかするものかと思っていた。

しかし予想に反して、なんやかんやで4年くらい続いてしまった。今年度で社会人5年目。思ったよりなんとかなってしまったのだ。

更に社会の中でいろんな人と触れ合う中で、いつの間にか希死念慮とかも心から小さくなっていることに気づいた。

・間に挟まってる社会的意義が全くない(むしろ社会悪に近い)3次請け案件の某2次請け企業

・3年目でずっとWeb系の下流工程にいるはずなのにJOIN句も知らなかった先輩社員

・2人日仕事10人日に変えてしま錬金術師

ドキュメントバージョン管理どころかRedmineすら使いこなせないSIer

女子中学生買って捕まった某社のプロマネ

etc

自分が死んだ方が良い社会ゴミであることは今でも間違いないと確信している。

でもよかった。

この世界自分が思っていたよりもゴミ人間で溢れていた。

2017-05-11

フレやギャルに囲まれBBQをしたいという叶わぬ願望

例のBBQ刺殺事件スレから聞こえる文字なき叫び

2017-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20170510122443

頭がお花畑元増田さん、こんにちは

何度も措置入院するような患者はだいたい何十回も警察沙汰になってるので、とっくのとうに警察には名前も顔も病名も知れ渡ってます

ご存知ありませんでしたか

そりゃさぞかし平和人生を歩まれてきたんでしょうねぇ。

何十回も警察沙汰になって、やっと1回措置入院に至れるかどうかというくらい措置入院ハードルは高いんですよ。

近所や身近な家族に他害のひどい精神障害者がいたら嫌というほど実感させられることを、あなた今日まで知らないでこられた。実に羨ましい。

こういう精神障害者家族と同居もできないし、かといって自立もできないのでだいたい生活保護を受けてます

生活保護担当者保健所担当者病気ことなんてとっくのとうに細かく把握してます

(そもそも措置鑑定にいたる時点で警察保健所都道府県職員が必ず関わる)。

引っ越してもそれは同じ。

問題を起こす人は引っ越し先でも問題を起こすので警察には必ず把握されます

措置入院時に本人の意思関係なく、支援計画が立てられて、警察を含めた自治体関係者自動的居住地、病歴などが通知されることに賛成なんですね。

はい、大賛成です。

その脅迫するかのような書き方からするに、もしかして反対すると思いました?

今まで支援計画自体なかったのがおかしいくらいなんですよ。

措置入院って本当にすぐ措置解除されて出てきちゃうので治療もクソもないですからね。

あくまでも自傷他害の恐れがある場合に限った、緊急的な社会から隔離しかないんです。

上にも書きましたが、措置入院になるような患者は、警察を含めた自治体関係者にはすでに有名人ですのでプライバシーもクソもなくメリットしかありません。

それと私個人といたしましては措置入院に「犯罪抑止効果」なんぞを期待したことなど一度たりとてありません。

夜中に支離滅裂なことを叫びながら包丁を振り回す人がいる(でも実際には刺さない)。

幻聴妄想から、深夜に隣人の家の玄関を蹴り続ける。

大声で笑ったり叫んだりしながらベランダから飛び降りようとする(実際には飛び降りない)。

こういう「今」目の前にある犯罪未満の異常事態対処する方法が、警察通報して、警察官経由で保健所通報してもらうことくらいしかないのが問題なんです。

(ちなみに何故か元増田さんの中では私が精神障害者措置入院歴ありということになっていますが違います。私の家族の話です。よく読んでください)

あと、精神保健福祉法歴史については少しでいいのでお調べになったほうがよろしいかと。

2017-05-09

彼氏結婚しそうだけど気乗りしない

付き合っている男性とそろそろ結婚の話が出てるけど、なんか気乗りしなくなってきた。

私は子供欲しくないんだけど、付き合いはじめからそれは言ってたのね。で、それを彼も了承してたはずだった。なのに徐々に子供欲しいとか言い出した。でもそう言われてじゃあ別れましょうとも言えなかった。だって私は彼のことが本当にこれまで出会ったどの人間よりも大好きだから

頭ではわかる。子供欲しいのは当たり前。大体、そこまで大好きな人希望を叶えてあげたいとは思わないわけ?それは自分勝手すぎない?って自分でも思う。だから付き合いは継続してた。

でも結婚が見えてくると、子供のこと現実味を帯びてきて、それを考えるたびに自分でも信じられないくらい落ち込む。

だって妊娠するのも産むのも、たぶん世話の大部分をやるのも私。でも私は子供欲しくない。妊娠出産は女しかできないから、本当は嫌だけどそれはギリギリ頑張れる気がする。だって私が産まなきゃ彼は子供を持てない。

でも世話は?世話は私じゃなくて彼でもできる。だけど彼はけっこうな激務の仕事についてて、メインで育児をするのはまあ無理だろう。もちろん主体的に取り組んでもらう努力はしてほしいけど、それだって結局は私がほぼほぼやることになるんだと思う。そう思ったらもうギャーッと叫び出したくなる。なぜ欲しくもない子供の世話をしないといけない?仕事して帰ってきて好きでもない子供の世話?何の苦行なのか。もう本当に勘弁してほしい。彼の世話なら喜んでする。なぜなら彼を愛してるから苦じゃないし、むしろやってあげたいから。でも子供の世話は無理。だって欲しくすらないのに。

結婚しない子供も持たないで付き合って行けたらいいのに。

http://anond.hatelabo.jp/20170509142843

うちの近所には、一日中線路のそばで電車にむかって手を振り続けてる男がいる。

別の男は、身なりこそしっかりしたスーツを着て通勤(?)しているのだが、

駅のホームで、毎日、決まった時間日本語ではない何かを大声で叫び続けている。

ひとしきり叫び終わると、満足したように家に帰ってゆく。

この地域は呪われているんじゃないかと思わなくもない…

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