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2016-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20160530145919

漫画家なんて大抵は画力ストーリー作成能力にステ全フリしてるわけだから、興味が薄い物を勉強してるリソースが無いかしょうがない。

ましてやオシャレ女子女子服装について小学校の頃から十年以上キャリア積んでるわけで、そこをのギャップを埋めろとか無茶言うなって話で。

つーか二次元スタイリストって商売あったらそれなりに需要ありそうな気がするんだけどどうだろう。

彼女と大げんかして仲直りしたあと、彼女のことを思い出せない夢を見た

あれ彼女いたっけ?だれだっけ…みたいなの

こんなタイミングの良いような悪いような何かのストーリーのような夢をみるのが初めてなんだけど、

夢占いに賢しい増田さん、ぼくはどうしたらいいのでしょうか

2016-05-27

僕だけがいない街マンガコミックスで読んでた

最終回がつまらないという記事を目にして、読む前から残念な気持ちになってたけど

読んでみたらそこまででもなかった、一応オチはついてるし

けど読み終わった感想としては「後悔しないように一生懸命生きよう がテーマの成長物」といった感じ

最終巻の直前までは

時間が戻るというSF展開の心理哲学的意味を問うストーリー

殺人者を追うミステリーを期待させるものだったと思う

そう思うとたしかオチは期待してた展開ではなかったのかもしれない

http://anond.hatelabo.jp/20160527120606

観なくて良かったって思ったのと

やはり俺が感じたストーリーで読ませる風を装ったクソつまんねえアニメ臭いはマジだったんだな。

OPまで観てこんなんにアジカン使うなよと思って切った。

http://anond.hatelabo.jp/20160527114605

金持ちというか、キャラクタの魅力の違いなんだよ。

ガルパン自体は、割と万人受けしやすストーリーキャラ設定で人気はあると思うんだ。。

でも、この女になら100万払っても良いと思わせる魅力がキャラクタに無いんだよね。

電車が揺れて増田思うこと甲も小田スマ照れ湯がゃ凍んで(回文

さな駅に電車から降りてきた親子連れ

子どもバイバイって電車ぶんぶん手を振ってたわ。

車掌さんが微笑み返して手を振ってた。

発車した電車は、

すーっと夜の闇に赤い尾灯が溶けて消えていった。

なんてハートウォーミングなストーリーかしら。

そう、ここは「みかん花咲く丘公園前駅」私の住むところよ。

って、そんな話がしたいんじゃなくて、

なんでさ、電車って同じ線路で同じ車両なのに

乗り心地が良いときと悪いときがあるのかしら?

いつもは、ガタガタ揺れないのに、

今日はひどく揺れるわ。

これって運転手さんのテクのちがい?

電車ハンドルさばきの善し悪しなのかしら?

昨日はすごくガタガタゴトゴト揺れたわ。

運転手さん同士では今日の海は荒れてるぜ、とかって言ってるのかしらね

うふふ。




今日朝ご飯

クラブサンドイッチ

クラブって何よクラブって、

サラダ味のサラダって何よ!って感じよね。

BLTサンドってあるけど、

持田香織サンドイッチ作ったら

もれなくELTサンド!すごい発見

信じ合える喜びね。

デトックスウォーター

割って飲むタイプ押忍を、

いつものグレープフルーツウォーターで割ったやつ。

クエン酸がいいのよ。

クエン酸アップね。




すいすいすいようび!

今日も頑張りましょう!

幻想再帰のアリュージョニスト読んだ。面白かったよ。


意外だったのは、ストーリー展開自体はかなり単純だったこと(現在進行中の第4章は別っぽいけど)。例えば第1章だったら異世界ダンジョンの中で冒険者一行に会ってボスを倒すまでの話で、やってることは本当にそれだけ。長いのは間に大量の設定説明や理屈が入るから。まあそれこそが面白いところなんだけど。

人は選ぶかな、と思った。

2016-05-26

[]僕だけがいない街 感想

最近は、1クール前のアニメの事後評判を調べて良さそうなやつを幾つかピックアップして一気に見る視聴スタイルマイブームだ。

僕だけがいない街は、前期のアニメの中では一番評判が良さそうで纏まった時間がやっととれたので見れた。

久しぶりにいいモノ見せてもらいました。物語一言で言えば「時間ループ過去改変で、殺人鬼からクラスメイトを救え、そして真犯人を暴きだせ」というストーリー。最終的には、ややハッピーエンドだったのだが視聴後の爽快感とか清涼感というものはなくどことなく哀しい気分になった。このアニメを見た感想は大きく分けて2つ。「サスペンス」と「ノスタルジー」だ。

サスペンスの部分はいろいろな人の感想で書かれていので、割愛。加代が救われるかどうかは割と終盤前半でわかってしまうので、その後の展開をどう見るべきなのかが若干分からなかった。。時間ループから過去改変モノというとシュタゲを思い出すよね。シュタゲも手に汗握りながら見ていたけど、あっちは「みんなHAPPYになるように過去を変えろ」という明確なゴールが設定されていて物語のピークもわかりやすかった。ぼく街の場合真犯人を追い詰めることを主眼としているのか、その真犯人心理にせまることを前に出したいのか、後半はどう楽しんでよいのか分からなかった。詳しい人、教えてください。

ノスタルジーについては、あまり他の感想言及が内容な気がするけど意外と小学生時代体験を懐かしがったりしないのだろうか。学校、学級という限られた人間関係子どもという親に依存した弱い立場でありながらそれを乗り越えて願いを成就させたいと奔走する様はとてもノスタルジックな気分になった。不全感をかかえつつも、日々を全力で駆け抜けた子供時代雰囲気が細部から伝わってくるという気がする。この物語は、タイムリープする先が小学生であっても、中学生でも高校生でも成立する話だと思う。だから作者はタイムリープ先を小学生としたことに、なんらかの意味をもたせているんじゃないかと思うんだけどこれもしっくり来ないなあ。

その他に気づいたこととしては、作中では主人公を含めて片親の家庭が多いのは作者の育った環境によるのだろうか。

物語最後主人公と加代がくっつかないのは主人公が加代近づいたのは「加代を救うため」だったわけで、加代が子供を連れてきたとき主人公の涙を「救済が成就された嬉し泣き」と見るのか、「言葉の上では喜んでいるが心は悲しんでいる」と見るのか視聴者が試されていると思った。自分は前者なのだと思いたい。ヒーローとは自分のためではなく、代償も求めず、困った人を救う者なのだから

ズートピアはなぜ肉食を排除したのか

努力すれば夢はかなう、誰でも何にでもなれる、

差別偏見と戦いマイノリティだって自由自分表現していいんだ

こんなにそれらに配慮した内容が盛り込まれている!いった旨のRTを連日沢山見るようになりました

主人公の隣人は同性愛カップルかもしれないとか

ポップスターのツノはオスのものでは?とか

小さくてかわいいウサギ警察官になれないのか?いやそんな事はない!

決めつけてはいけない!差別はよくない!だって努力すれば夢は叶うのだから

といった主旨をどうこう言うつもりはまったくない

実際映像もすごかったしすごくいい映画だと思う

だがなぜそんな中で、なぜ『肉を食べること』は悪としこれを排除したのだろうか

そこがずっとひっかかっていて、素直に良い映画だった!と言えなくなっている

世界観の設定上やストーリーの進行上そうせざるを得ないのは理解できるのだけれど)

だって望んだものになれる!と謳っておいて肉食獣のそれは奪うのか…と思ってしまって

わりと冒頭からモヤモヤしたままでした

肉食獣だってただ趣味で殺すのが目的ではなく生きるために肉が必要でそれを食らうのであって

それ自体は悪ではないはずだ

野生に戻ったら凶暴になったと本編で言われていたが

何かを襲う時はそれを食べる必要がある時か自分の身を守る必要がある時だ

むやみやたらと目の前のものを殺すものイコール肉食獣ではないわけで

差別なんかダメッて言ってるんだ!!ともてはやされている映画

肉食のこと思いっき差別してんじゃん、と思ってしまって

素晴らしい!と言われていれば言われているほど複雑な心境になる

あんまりここに触れられたツイート等を見かけないので

こんなところを気にしてしまう私の感覚がズレているのかもしれないけど

そりゃあいつ食われるかわからない恐怖と戦っていた草食動物から見たら

捕食者である肉食獣は天敵になるわけだけれども

『狩りをする必要が無くなる』のを仮に利点とするとして

かわりに与えられるものが肉でなく虫などで代用されたものでそれで本当にWin-Winなのか

小さくて可愛いうさぎ警察官になれるのに

肉を食べる事はこの先(この理想郷に居を構える限り)永遠に諦めないといけないのか

肉食獣にとってそれは本当に理想郷なのだろうか

(昔は食べていたという肉を食べてみたくなった、という理由

 殺獣罪(?)を犯す住民はいそう)

狩りをするために牙が鋭くなったもの

足がはやくなったもの 顎が強くなったもの

またそれらから身を守るために角が発達したもの

皮膚が硬くなったもの 耳や目といった器官が発達したもの

動物の特徴になる部分はおおよそ『狩るため/狩られるのを防ぐため』、

『生きるため』に進化してきた部分が大部分だと思っています

今後この理想郷においてその必要が無くなるという事は

それらの器官ももしかしたらどんどん退化してしまうのではないだろうか

服を着て脳が発達し、特徴のある器官が退化していったらどうなるんだろう

みんな人間になるのかもしれないですね

アナ雪の初期コンセプトは、家出娘が悪い男に騙される話なんだよ

んで家族を捨てた姉が男に殺されそうになるのを、妹が愛の力で救済して家族の絆を取り戻すって寸法

ところが製作中に設定変更が断行され、姉は男に騙されず、家族の絆も失わないキャラにされてしまった

から、なぜか妹が唐突に男に騙されるだけの意味不明な話になったんだよ

エルサがただ逃げるだけなのも、アナ努力も成長もしないのも、エルサが愛を失わないのが原因

ようはストーリーラインのもの破綻してるから製作フタッフもやりようがなかったんだろね

この粗末なストーリーを深いだの、家族愛だの、同性愛だのと妄想を垂れ流してるのがアナファンの姿

そんなスイーツ層が何万人もいるってのが逆に恐ろしいよ

2016-05-24

2.5次元舞台を見てるとたまにこういうジレンマに直面する

http://anond.hatelabo.jp/20160522010905

私は舞台刀剣乱舞については見ていないのでなんともいえないけど、2.5系の作品を見ていて、自分の好きだった原作のある部分が蔑ろにされているように感じられて、自分はめちゃくちゃ憤ってるのにその舞台を見た周りの人はまったく憤ったりせず楽しめていて、なんで!?って思うことはたまにあるよなあと思った。

このなんで!?には、なんで!?原作の○○な部分大事にされてないのになんで平気なの!?とかなんで!?どこがおもしろかったの!?とかなんで!?なんで私は楽しめなかったの!?とかなんで!?なんでこんな風につくっちゃったの!?とかだいたい本当に個人的気持ちが付きまとうんだけど、でもあるよなあ。そんでもって楽しめなかったことの残念さも相まって、怒ってる人が自分だけなんじゃないかみたいな孤独さを感じたりもする。たのしいはずの趣味の話で。

なんで私は楽しめなかったの!?って思うなら楽しめるように見ればいいじゃんと思うんだけど、実際なるべく自分でもそうしているつもりなんだけど、2.5次元に関してはこれが上手くいかなかったりする。

なんでかというと私の場合は2.5次元作品には漫画なりアニメなりゲームなりで原作存在するからで、原作が好きであればあるほど、こういうなんで!?ジレンマに直面しやすくなる。

自分の中では理由ははっきりしていて、自分原作でいいと思っている要素が必ずしも舞台化に反映されないから。

原作にあたる作品を丸々愛しているつもりでも、その作品のどこを一番愛しているのかはその時々によって違うわけだけど、たとえばキャラクターの顔に一番魅力を感じていたら舞台キャストの顔に解釈違いを感じることが多いし、ストーリーが好きだったら舞台化するために2時間前後にまとめるために端折られる物語になんでそこ削った!?って気持ちになったりするし、キャラ同士の関係性に魅力を感じていたら掘り下げの有無によってそこもっと掘り下げたほうがよくなかった!?と思ったりする。

キャラクターの設定的に金持ちの豪華な衣装キャラ衣装が安っぽいペラペラの布で作られていると予算かけてくれよと思ったり、見せ場にあたる必殺技的なものが炸裂するシーンの演出がしょぼいとそこもっと熱く演出してください…って脱力したりもする。

なんかもっとほかにもなんで!?と思う瞬間はある気がするけどキリがない。

まあそんな感じのなんで!?って思う瞬間が、自分原作で一番良い!と思ってる部分だったりすると一気に醒めてしまったり、この舞台微妙だったなあと自分の中での評価が決まってしまったりすることがある。

からまあだいたい、同じような感じで原作を好きな友人相手だったりすると2.5次元舞台評価も割と重なりやすく、あそこ微妙だったよね…というような会話がしやすい。それでも絶対許せない!となるかまあ微妙なとこもあったけど楽しかったよとなるかはもう個人差みたいなもので、そこで絶対許せない!となるタイプは今の2.5次元舞台を見に行く客層の中では少数派なんだろうという自覚をするのが、自分が一番楽になる方法じゃないかと思う。

なんといっても舞台を見に行くお客さんはみんな少なくないチケット代を払って劇場に行ってるわけで、それなら少しでも楽しかったと思いたいという気持ち舞台を見にいっているはずなので、その分楽しむ方にバイアスがかかっているというのはあるんじゃないか個人的には思っている。

なにが言いたいのか迷子になりかけたけど、だからぶっちゃけありえなかった!って思う人はたぶん限りなく少ないんだけど、2.5次元舞台見に行く中でそういう気持ちになること自体個人的にはわりとよくあるし私はわりとその孤独歯ぎしりしたりもするので全くそういう気持ちの人がほかにいないとは言い切れないし、あんまり孤独感に苛まれて好きなものを嫌いになったりすることがないといいなあと思った。

絶賛が多い中で感想ツイートするのがはばかられるなら、もういっそ新しいTwitterアカウントでも作ってどこが微妙だったっていう具体的な感想でもツイートしてみたら、案外同じ気持ちの人からいいねくらいつくかもしれない。

とりあえず次の観劇はなんにせよ楽しいものになるといいねという気持ち

ちなみに私は去年ぷよぷよ舞台化したやつを見にいって作品の雑さとトークショーで出てきたセガプロデューサーの態度に最高に胸糞悪い気分で劇場をあとにしたし見に行ったこと自体黒歴史だと思っているけど、今後これよりも体感でクソだなって思う舞台にはそうそ出会えないなと思っていたりするしこの1年間あれ以上に腹の立つ舞台には出会っていないのでハートは強くなると思うよ。

『レヴェナントテーマ解説(2)(ディカプリオのテーマ編)

※「『レヴェナントテーマ解説(1)(イニャリトゥ監督テーマ編)(http://anond.hatelabo.jp/20160523231652)」の続きです。

ポイント1 この文書は何?

『レヴェナント』には、前編で書いた親子愛というテーマのほかに、「資本主義環境問題」というテーマがあります。ただ、このテーマはイニャリトゥ監督自身テーマというより、ディカプリオのテーマが混入したものではないかと思い、文書を分けて説明することにしました。

ポイント2 何で「資本主義環境問題」というテーマがあるって分かるの?

まず監督自身インタビューでそう言っています。加えて、映画の中にも2つ根拠があります

1つは、毛皮商人インディアンとの戦いがサブストーリーとしてあったことです。これは露骨資本主義環境問題対立を描いています

もう1つは、主人公グラス(ディカプリオ)がバッファローの大群に驚くシーンがあった後に、バッファロー頭蓋骨の山を定期的に夢に見るようになってしまい、悩むことです。この背景にはアメリカで実際に行われたバッファロー掃討作戦Wikipediaアメリカバイソンの項目を参照)があります。毛皮商人の一味であったグラスが、バッファローの勇猛さを目の当たりにして、自分が手を貸してきたことの重大さに気が付き、後悔するシーンではないでしょうか。

(加えて、劇中に出てきた「朽ち果て教会」が、タルコフスキーの『ノスタルジアから引用とみて、自然について語ろうとしているのだという見解も見られましたが、そこまで言っていいのか自信がありません)。

ポイント3 これがディカプリオのテーマだという根拠は何?

筆者の妄想です。

ただ、イニャリトゥ監督デビュー作『アモーレス・ペロスから前作『バードマン』まで、環境問題テーマとして扱ったことがありません。というか監督は親子の問題ばかりをテーマにしていて、そんなに環境問題には興味がなかったと思われます偏見)。おそらく監督的には「今回は、大自然の中で、親子愛をテーマにして、『デルス・ウザーラ』みたいな映画が撮りたいぞ」ぐらいの気持ちだったのではないでしょうか。

そこにばりばりのエコロジストであるディカプリオが参加したことで、シナリオに影響を与えていったものと思われます

ポイント4 ディカプリオのテーマかどうかはともかく、結果テーマが複線的になったわけだけど、どうなの?

映像的には、バッファローの大群、頭蓋骨の山、朽ち果て教会など、感動的・印象的なシーンが増えてよかったと思います。背景に映る雄大な自然にも意味が出てきて、それもよかったかと思います

ただ、ストーリーはこれによりかなり難解になりました。特にラストシーンにおけるグラスの状況を考えると、①生きる意味(息子・復讐)を相次いで失ったことで精神崩壊しかかっているが、②自然の偉大さに感銘を受け自らの行いを悔いるエコロジストになっている、という複雑なことになっており、テーマが分かりにくくなっています




おわり

2016-05-23

ズートピア主人公

ウサギ女の子ってことは、プレイボーイシンボルマークにかけてんのか



と思ったら、ホントジェンダー論くさいストーリーでウケた。

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

少女漫画って種村有菜の影響で変わったの?

ふと気になったので。

自分りぼんを読みだした頃は、もう時空異邦人KYOKO〜満月をおしえての時代だったので、とっくにりぼん雑誌カラーが変わったとされる後だった。種村有菜のヒットで、少女漫画彼女に影響された、大きな瞳の絵柄が流行り、作風も変身もの子供けが多くなったと聞いたことがあるのだが、そんなにガラッと変わったのだろうか…と疑問に思ったのだ。確かに自分が読んでいた頃のりぼんは聖ドラゴンガールやGALSなど子供向けの話が多かった気はしないでもない。ちゃおもそんな感じだったような。

そうなると種村有菜以前の少女漫画りぼんりぼん以外も、みんな眼は小さくてストーリー大人向けで…そんな感じだったのだろうか?そして種村有菜の出現以後突然みんな眼を大きくしたのだろうか…ちょっと気になる。

でも今書いていて思ったけどCLAMPセーラームーンから少女漫画変革の予兆は感じられるような気がしないでもない

ズートピアガゼルが♀じゃなくて♂だとかで盛り上がってるみたいですがあのキャラ役割性別はどっちでも別に関係ないしなー。本筋にあまりにも絡まなすぎて。

普通、人気歌手がいて警官主人公がその歌手ファンなら、何らかの形で事件に関わるよねえ。

ズートピアストーリーなら、例えばガゼルのお付きの虎ダンサー失踪してお忍びで相談しに来るというのが王道パターン

2016-05-22

少年漫画少女漫画

3年ぶりに本屋漫画コーナーを覗いてみた。3年ほど全く漫画を読まない生活だったが、まさかのMMR新刊が出たと聞いたので買ってみようと少年マガジンコーナーを覗いた。

どうせ未だに進撃の巨人を猛プッシュしてるんだろうと思ったら一段落ついたようで、今は「四月は君の嘘」という漫画映画化も決定したようで、一番のプッシュ作品になっていた。

どうもワンピース漫画家出版社も違うのに大絶賛したというのが有名になった切欠らしいが、それにしてもタイトルからして少女漫画、表紙の絵柄もストーリー少女漫画映画ポスターなんかは明らかに少女漫画映画化したやつにしか見えなくて、典型的若いしか見に行かなさそうな感じだ。これを少年漫画と言われても戸惑う。

しかし、これが少年マガジンで連載されてアニメ化映画化して大ヒットという事実

いつから少年青年漫画雑誌少女漫画っぽい作品を受け入れられるようになったろう。

元来、漫画界では少女漫画っぽい恋愛漫画は読者は受け入れないし、女性作家作品ですら男性読者は受け入れないので少年漫画を描く女性作家は男の名前で男のふりをして描いてきたはずだ。(四月は君の嘘男性作家らしいが)

それが2010年代から普通に女性作家が女の名前そのままで少女漫画そのままの恋愛漫画少年青年漫画雑誌で連載するようになった。

2010年代前半に、ヤングジャンプマドカマチコという女性作家による少女漫画イラストそのままで、「乙女のホゾシタ」という、学校イケメン保健室先生がやってきて、そのイケメン保健室先生女子高生生理避妊などの性の悩みを相談するという内容の漫画が始まった。

男が読む漫画生理なんかテーマにされても共感のしようがないし、青年漫画生理テーマになったものを読んだのは初めてだったので違和感しか無かった。高身長イケメン女子高生チヤホヤされる様子を男が読んで楽しめるとでも思ってるのだろうか。男にナプキンやらタンポンの使い方の話読ませてどうすんだ、少女漫画でやれと。

するとヤングマガジンもそれに続くようにゴトウユキコという女性作家がこれまたお洒落サブカル少女漫画みたいな絵柄で「R‐中学生」という漫画の連載が始めた。

基本はエロいことしか考えてない童貞バカ男子中学生三人のドタバタを描いてはるが、そのうちの一人が使用済みナプキンマニアという設定だし、恋愛描写女子中学生視点で男が読む作品では全くない。ヤンマガの中でも特に浮いていて、こんなの読む男はいるんだろうかって感じだ。

ヤンマガじゃなくて太田出版の「エロティクス・エフ」が似合う漫画だろう。

そして同じくヤンマガでコタニヨーコという女性作家による「ココロの飼い方」が始まった。絵柄ももちろん少女漫画丸出し、SMテーマにした恋愛漫画だが、小学館少女コミックでやれって感じの漫画だ。

最近青年漫画雑誌は一体誰に向けてこういった少女漫画を連載してるんだろう、と不思議に思いながらも仕事が忙しくて漫画から離れてしまった。

そして3年ぶりに本屋少年マガジンコーナーを覗くとまるで少女漫画コーナーのような品揃えになっていた。

四月は君の嘘」以外にも、本棚にある漫画を見てみると、タイトルは忘れたが表紙が少女漫画みたいなのが沢山あって、裏表紙ストーリー説明文に「大人恋愛漫画」とあった。そんなもん少年マガジンで連載すんなや。

まあ、俺がオッサンになって漫画界の新しい流れについていけなくなっているだけかとは思うのだが、果たして今の男性読者は少年青年漫画雑誌でこういった少女漫画感のある作品を本当に違和感なく受け入れてるのだろうか?だって、数年前まで「男性読者は女性作家作品を受け入れない」と言われていた世界である

10年前にNANAが大ヒットしたときは、男でも読んでいるやつはいたが、少なくとも「男なのに少女漫画を読んでいる」という後ろめたさを持ちながら読んでいた男が多かった。読むとしても漫画喫茶で読むか、彼女や姉、妹に借りて読む。恥ずかしいので買えやしない。

そういった「本当は少女漫画も読みたいけど後ろめたい」という層が、少女漫画っぽい作品少年漫画雑誌掲載されることによって「これは少年漫画から」と言い訳ができるので喜ぶのだろうか?

10年前くらいから、少年ジャンプヤングマガジンなどの一般向け男性漫画コーナーでも美少女萌え漫画のような表紙の単行本が目立つようになったが、それで美少女キャラに耐性がついて少女漫画っぽいイラストも受け入れるようになったのか?

それとも少年青年漫画雑誌女性読者が増えて、それら女性読者がアンケートにまで影響するようになって、少年漫画界でも少女漫画っぽい作品が大ブームを起こすのだろうか?

どれかはわからないが、少なくとも俺が漫画から離れていた3年の間に今まで考えられなかったような現象が起きていることは間違いない。

非常に興味深い。

しかし、ついに男も「乙女の揺れ動く恋心」を描いた漫画面白がる時代が到来したか気持ち悪いな。オカマか!

http://anond.hatelabo.jp/20160522164708

いやいや想像してみろよ

100人以上が一斉に日本各地のコンビニATM約1400台で日曜日の朝8時から

限度額10万円ずつ1万4000回以上も何度も繰り返し現金を引き出してる様子は十分面白いだろ

そんで、この後に末端の引き出し役はお決まりの仲間割れシーンで次々に足がつくけど

巨大犯罪組織ボスキャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンのディカプリオみたいな奴)だけは大金持って逃げ切るっていう壮大で痛快なストーリーだよ

脳天スカスカ漫画

昔はストーリーが良くなければダメ。そう思っていた時代が僕にもありました。残業帰りで帰ってきた自分にはシリアスストーリーなど読めません!

そこで、脳天スカスカでも女の子が可愛ければ良いという漫画アニメの一例をメモしておく。他にも沢山あると思うので何か良い物があったら教えてほしいです。


これはちゃんと読みました。一言で言うと「みなみけ」の次女の中身がメスゴリラ以下の知能になっているといえば良いでしょうか。馬鹿とか阿呆とかそういった単語形容するよりは知能発達に問題ありといったほうが適切なキャラ

どんな馬鹿でも可愛ければ良い。それが結論



これはアニメで見た。駄菓子豆知識とか喫茶店とか内容が含まれていたような気もするけど、一言でいえば着衣巨乳フェティシズム全開という印象しかない。OPからEDまでほとんどニヤニヤしっぱなしなので、きっとストレス解消に貢献しているはず。

カワイイ女の子が喋ればどんな豆知識でもよい。それが結論


あー、いつも息子が(同人誌に)お世話になっております。誰だって小学生の頃は血のつながってないエッチなお姉さんがほしいって思うじゃん?構図が微妙とか何とかという意見もあるようですが、この漫画本質エッチな姉を(同人誌で)豊かに味わうことにあるとおもいます

カワイイ姉さえいればなにもいらない。それが結論


タイトルからサイクロプス先輩を想起してみたり、先輩が高垣楓(25)が制服を着ているようにしか見えなかったり、のっけからオリジナリティ不安があるけど、先輩がカワイイので問題ない。手品ネタでそんなに長く続かないだろと思いつつも、そういえばこれは寄席で見たネタだなあと思いながら見てるといい。

カワイイ先輩が手品をすればネタの寒さも関係ない。それが結論

社会学者古市さんが叩かれる理由がまったく分からない

http://www.nicovideo.jp/watch/sm23488282




社会学者古市さんが叩かれる理由がまったく分からない。

彼は社会学者としての立場から法律改憲論者と論壇で登って答弁しているわけだが、オレには佐藤氏と古市さんとの間で話がまったくかみ合っていないように思える。


正直、この佐藤という人を含め、古市さんを叩いてる人にはマーケット感覚がないんじゃないか?と思うんだが、具体的にどうやってそれを示したらいいのか見えてこない。

山本みずき氏との論壇でも同様だと思う。山本みずき氏にはマーケット感覚がない。一方で古市氏にはマーケット感覚がある。

議論レベルがかみ合ってない。山本氏佐藤氏も、社会の泥臭い面や言葉通りにいかない部分が見えてない。古市氏の方が社会を間接的に知る手段豊富で信頼できると思うんだが

同じように思ってる人はいないのかな。。。

一応個人的に考えてみた内容をまとめてみたので、知見のある方々の指摘や修正がほしい。

是非論駁してみてくれ。





両者の経歴から考察

個人的思考なんだが、『佐藤氏』と『古市氏』のバックヤードに目を向けてみた。

ソースwikipediaくらいしか簡単に示せるものはなく、佐藤氏のことはオレはほとんど知らないので、あまり知ったようなことは言えないんだが・・・

佐藤氏』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%81%A5%E5%BF%97#.E7.B5.8C.E6.AD.B4.E3.83.BB.E4.BA.BA.E7.89.A9

古市氏』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B8%82%E6%86%B2%E5%AF%BF





古市氏の背景は〝環境情報科学〟。人脈のほとんどは起業家、および新時代財界人






佐藤氏の両親は政治学者弁護士。つまり歴史と法に重きを置く典型的法学部タイプ日本法治国家資本主義として成功した社会主義タイプなので、佐藤氏は典型的右派保守的タイプ

一方で古市氏は環境情報から社会学へと転向した。つまりバックヤードとなる知識や感性科学者タイプ

ゆえに、古市氏の論じる分野には必ず〝マーケット〟がある。お金と結びついて物事を考える発言がきちんと身についている。またそこに時価がある。

ここで勘違いしてはいけないのは〝経済〟や〝金融〟ではない、ということだ。要するに〝政治色〟が薄い。よく言えば庶民的。別の言い方をすると〝資本主義的〟。

また彼は友人に起業家を持っており、堀江貴文を含め、財界との繫がりも多い。ほりえもんちゃんねるなどにもよく登場する。

これを〝強い者に擦り寄る〟と表現するものもいるが、そのあたりの〝評価〟は置いておいて、マーケット感覚を得られる環境にいることは間違いない。

http://blogos.com/article/154867/

例えばここで古市氏は『すき家企業社会にもたらした社会福祉ひとつ』と述べたことで叩かれているが、なにが間違っているのだろう?と思う。

マイクロソフトをはじめとする新時代新興企業の多くは、既存制度を上手に利用して新しい形の報酬従業員に還付している。

(※その代わり徹底的に税金を逃れている! ←善し悪しは置いておいて、事実そうである

どの国に所属しているかよりも、どの会社所属してその会社が与える福利厚生を受けられるか

ストックオプション行使できるか、金融資産を持てるかどうかが豊かさへと直結する時代になったのに、いったい何故古市氏の述べていることが的外れなのだろうか?

シリコンバレーでは福利厚生提供するサービスを行っている会社がYコンビネータ出身者によって起業されている。

ケータリングサービスタクシーチケット、社宅システムなど、上げればきりがないと思うのだが・・・



http://asread.info/archives/722

日本自衛権があることを古市氏は知らなかったと述べているが、これもある意味で間違っていないと思う。

実際のところ、実質的自衛権行使できなかったことには違いない。

 ・ミサイルを発射されながらもそれを撃墜できるのは日本駐在している二機の米軍潜水艦のみであること。

 ・敵国が領空侵犯をしても命令がなければ撃墜できない。引いては物理的に〝敵飛行機を押す〟という意味不明対処しかできない

これらの現行法脆弱さをどれだけ学者やSEALsは理解してるのだろうか?


http://trafficnews.jp/post/46566/3/



自衛権は認められているが、〝実質的に言って認められていない〟ことと一緒。

であるにも関わらず、古市氏が『日本自衛権って認められてるんだ…』という発言を〝知識がない〟〝教養が無い〟と評価する論調はいかがなものか。





佐藤氏の背景は〝法学政治






一方で佐藤氏にはマーケット感覚が無いといえる理由はここにある。つまり法律政治に関する学問を背景にしているところに問題がある。

この手の人間がやっかいなのは、やたらと知識や雑学は多く言葉言葉を返すのは上手いのだが、思考回路に多くの前提条件や知識条件が抜け落ちていることが多い。

言ってしまえばマリー・アントワネットタイプだ。






法学政治に強い人は〝市場の時価〟という観点が抜け落ちていることが問題






古市氏の発言法学政治に強い識者から叩かれやすいのは何故だろうか。

それは叩く者たちが〝歴史の変遷〟が、実は〝市場の変遷〟であること、をよく分かっていないからだ。

市場経済はより自然科学的だ。お金政治法律によって生まれたわけではない。自然に発生して、それが整備されて整えられた。実は人類進化の果てに手に入れた概念だ。

軍事力経済力のふたつは大国の力を現す両輪と考えられるが、実は歴史を手繰ると三番目の車輪があったことが分かる。その名も〝宗教〟。

そして現在過去も、急速に力を落としている車輪でもある。






歴史軍事力 ⇒ 経済力へと力が変遷している






鎌倉幕府の台頭に現れているように、歴史的に見ると既にこの頃から宗教の力は徐々に衰えを見せており、政治軍事力の二つが世界を動かしていたと言える。

表の世界での政治ほとんどが宗教と密接に関わっており、もっぱらここが市民政治の大きな接点であったと言える。

一方で軍事力実質的世界の掌握と統治を行う役割を担っていた。

少なくとも、日本においては明治維新サムライ不要となるまではそうだったのだ。

しか第一次世界大戦第二次世界大戦代表されるように、軍事政権は失敗を迎えた。

正しい仕方で行使されなかった軍事政権は、共産主義社会主義を生み出したからだ。

一方で米国のような市場経済を中心として発展した国は一定成功を収めた。士・農・工・商のうち、最後に勝ったのは商人というわけだ。





市場の時価〟と経済ルールを決める時代が到来しつつある。







マーケットは〝国の力が弱まりつつある〟ことを明らかにしつつある。既に鎌倉幕府時代から政府が持つ立法の力は軍事力経済力のどちらかを担保にしており、宗教アイドルでありスケープゴートであったに過ぎない。

そして過去〝政(まつりごと)=宗教〟が中心だった国家は、現在政治の中心を〝経済〟へと移している。

軍事政権実質的な掌握を行っていた政治は、現在では財界実質的な掌握を行う社会へと変化した。そしてそれは加速していく。

実際、国が提供する福祉よりも企業従業員提供する福祉の方が優れている場合が多い。しかマーケットに従った結果なので、相応の人材を兼ね備えており、無駄が無い。

パナマ文書にも代表されるように、国家の枠組みを超えた企業にとっては国境など存在しないも同然。

スターウォーズ通商連合のように、もはや国とは独立した別の政治形態と言って差し支えない。

戦後70年の間で形成されてきた常識などいくらでも覆る。今後の歴史は大転換を迎えると考えてまず間違いない。

その意味では、いまだに全時代的な歴史踏襲と繰り返し論議を重ねる、マーケット論の無き法学者政治学者が出る幕は実質的に言って存在しない。

宗教がその存在を弱めたように、政治もまた本質思想であり宗教であるから、その実質である軍事力経済力のいずれかに依存せざるを得ず、結果として時代に取り残される。

軍事力の台頭は世論が許さないだろうし、世界もそれを望んでいない。よって、これから重要になるのは、〝個人がどの市場経済所属しているかである




法学者政治学者歴史学者〟ではなく、必要なのは科学者〟と〝金融専門家〟であり、追うべきなのは経済史〟





世界を牽引してきたのは技術革新と金融だ。宗教を背景にした政治ストーリーを創り出す力があったが、現代ではその力は失われている。

闇雲に政治を追いかけても歴史を追いかけても真実は見えてこない。

必要なのは産業界歴史を追いかけること。経済史の発展と衰退の繰り返しの中に答えがある。

古市氏がどういう器なのかは知らないが、少なくとも歴史と現状を比較して将来を占う上で非常に恵まれ立場にいることは間違いない。

彼は川上の最新情報アクセスできることが可能で、新時代リテラシーも十分持っている。

法学者歴史学者も、企業の間接部門しかない。プロフィット部門ではない存在の者たちがとやかく言う論壇や議論意味はない。

その点は古市氏も同様だが、彼は自分立場弱者であることを自覚している分、市場に対する的確な論壇を展開できる下地がある。

叩かれるのがその証拠だ。叩いてる奴らのほとんどはマリアントワネットばかりなのだから、叩かれている姿を見てむしろ安心すべきだ。

キズナイーバーまらんなあ

あいうのってどこまでが脚本岡田麿里さんのせいで

どこから監督とか演出とかのせいなんだろう。

正直アニメ工程ってよくわかってないんだけど

監督が仮に岡田さんより上流だとすれば監督の罪ではなく

演出岡田さんより下流だとすればこっちの罪は疑える。




なんかさあ

キズナイーバーって話の中身自体面白くなくて凡庸なんだけど

それの見せ方がすっごく素人ぽいんだよね。




例えば今週の話。

システムのおかげでかっちょんは変わってきてるっていうのを

幼馴染の赤い子が「かっちょん変わってきたね」って口で説明してくれるの。

「いいと思うよ」っていう価値評価まで口で言ってくれるの。




その「いい」は赤い子の立場からだけの主観とか独断とかではなく

ほとんど第三者的な、客観的な、視聴者安心して受け入れられる、

つーか脚本家自身が「よくなってきてるんですよ」って言ってる「いい」なんだよね。

その場面の絵も2人が映って幼馴染の子の顔のアップとうれしそうな表情でさ。

「かっちょんはかわってきていて、それはいい方向の変化で、幼馴染の子はそれをうれしく思っています

っていうことをさあ、全くそうとしか取れない、それ以外の情報も全くない絵とセリフ提示してくれるのよ。

小学生女の子が初めて描く漫画みたいなネームだよな。

岡田さんのせいなのか演出のせいなのか知らんけど(でも絶対これ岡田さんが噛んではいるよな?)

ベテランのいい歳の人がやる仕事か?これ。




要するにすっごい単純な情報しかないのね。常に。

まらないお話情報量の少ない最も単純な見せ方で常に提示してくれる。

悪い意味脚本家と直接おしゃべりしてるみたいな視聴体験

脚本家の思い付きをそのまま聞いてる感じでさ。

その思い付きはいろいろと技巧と工夫凝らして商品にしてからはじめて視聴者に食わせるものじゃないのかい




今週のメインはメガネっ子過去だけど

それもだいたい回想でだだーーっと一本調子説明してくださった。

面白くもない病弱親友との面白くもないトラウマ過去

やりとりもリアクションもまた極度に情報量がない。別々の示唆が絡み合うような効果全然ない。




こういう断言的な言い方するとあれだというのはわかってるけど

あいレベル作品面白いと思える視聴者って頭が悪いのではないかと思うんだよね。

シナプスの発達が単純だからこうやって極度に単純化された情報提示じゃないと受け止められないし

このレベルの単純情報が心地いいわけでしょ。




かっちょんが変わってきてるとかそれを幼馴染の子がどう思ってるかとか

そんぐらい別のことやってるときさらっと示唆できることだろ。

だいたいかっちょんの変化なんて「あきらかにそれまでと違う行動をしてる」というばかでもちょんでもわかる提示をされてるから

今更確認必要もないことだよ。

でもいちいちそのためのだけのシーンを割いてバカみたいに単純なカットセリフ作って説明する。




ちょっと見込みのある人間なら中学1年生ぐらいでももう「これは退屈」っていうぞ。

大人でこのアニメを疑問なく見てたらもう処置なしだ。

それぐらいひどい脚本演出だ。

なんでこんな酷い仕事する人たちが地位や名声を得てるのか。

ていうかアニメ業界にはそもそも「これはひどい」系のことを言う批評家かいないんだろうな。

業界が狭すぎてしけすぎてヨイショか無視しかできないとか。


http://anond.hatelabo.jp/20160509033644



返信

miruna いや頭が悪いのは圧倒的にお前だし中身がないのも圧倒的にお前。第三者的いいに見えるのは単にお前があきめくらから。誰にとって好ましい変化なのかって相対化の手続きぐらい普通に踏んであるだろバカなのか。

http://b.hatena.ne.jp/entry/287988696/comment/miruna

はい元気いい反論です。歓迎します。

でもバカはてめーだバーカ。




あのなー

無気力感情無行動だった奴が

能動的に動いたり関係ない子のために怒ったりするようになってるのなんて

一般的価値観で「いいこと」なんだよ。

そんな当たり前の感想特定キャラ使って確認させてる時点で間抜けなの。




どうしてもあんなシーン割いて幼馴染の子感想言わせるならな、

かっちょんの変化をよく思ってないように見せるべきなんだよ、例えばな。

そしたらグッと幼馴染の人格が出てくるだろ。




「かっちょんのことで心を痛めてきたけど

 それでもポッと出の女によってかっちょんが救われるのは全然面白くない

 なんでこんなに心配してきた私じゃないの」とか

そういうそいつ独自の利害による感情を見せるならわざわざシーン割く意味がまだあるだろ。




ただもちろんこれも例えだしこんなアイデア付け焼刃であってたいして面白くはないけどな。

幼馴染の子片思い嫉妬はすでに全然効果的じゃないとこで出しちゃってるから

今更また暗い嫉妬感情見せても面白くはないわな。

最初片思いとか嫉妬とか見せなければよかったのにな。

他にストーリーもないんだからそういうとこ伏せてないと間が持たねーよ。

(もしくは逆に最初もっともっとめちゃくちゃ嫉妬深くて薄暗い性格を出しまくっていれば

 「別の女によってでもかっちょんがいい方向に行ってるのを素直に喜ぶ」という行動が 

 幼馴染の子の変化として新しい情報になったりもしたんだが。

 重いとか言いながらたいして重くもないし、重さの見せ方も口で説明する岡田節だから全然そういう効果も出てないんだ)




な?わかったかバカ

でも内容について具体的に反論してきたことは評価するぞ。




http://b.hatena.ne.jp/entry/287988696/comment/hokaron01

hokaron01 個人的にはキズナイーバー面白くなってきてる気がするんだけどなぁ。迷家はどんどん微妙になってる気がするけど。

リンク2016/05/22 Add Star

こういうののほうがむかつくわ。

異論反論は大歓迎だがその異議を具体的に説明しろよ。

面白くなってきてる気がするんだけどなあ」とかそんなのしらんわ。

ぼんやりした独り言言いたいならツイッターでもやってろボンクラ

はてなブックマークブックマークメモをするとこじゃなくて会話するとこなんだよ。



http://b.hatena.ne.jp/entry/287988696/comment/logic

logic まずSHIROBAKO見ろよ。無知素人意見とか誰も同意しない。

リンク2016/05/22 Add Star

粋がるならせめて自分言葉で粋がれや。

業界アニメの威を借りて吠えるなチンカス。mirunaを見習え。




https://twitter.com/zxcvdayo/status/734426078584901632

口で説明するのはよくないとかはよく言われるけどさ、そもそもそういうことはっきり言うから独善ウザ」なんだろ一貫してるだろ。手放しで褒めるわけじゃないけど由多には絶対言わせないだろうなぐらいの信頼はあるぞ

あーもうこういうガバガバ反論大嫌い

具体性はあるからまだましだけどさ

「そもそもそういうことはっきりうから独善ウザ」」?

なに言ってんのかさっぱりわかんねえ、独善って言葉でググってこいよ

独善てのは何かをはっきり言うことなんかじゃねーし

かっちょんの変化を「いいと思う」のは独善でも何でもねー一般的価値観だよ

だいたいあの独善ウザだの脳筋DQNだのいう最初に付けられたコードネーム全然うまくねーんだよな

いずれも最初から全然実態に即さな

言葉を扱う人があんなに的外れ言葉選びしていいのかね

舞台刀剣乱舞を観たら悲しくなった

はじめに言っておくけど、キャストに罪はない。

ほぼ。だいたい。

だけど映像見返して「自分演技下手だな…」って思ったら、サニワ女子にちやほやされたまま調子乗らないで、良い演劇たくさん見てほしい。

それか演技指導ワークショップ参加して、2.5出るとき原作研究めちゃくちゃしてほしい。それだけ。




刀ステはわりと楽しみにしてた。推し出るし。

ストレートプレイだってうから、ちゃんとキャラクターキャラクターが会話して、そこに『存在』してくれるもんだと思ってた。

でも、舞台終わったあとは悲しみと怒りとやるせなさしかなかった。

周りのサニワは「よかったね〜!!」「○○やばかった♡♡♡」しか話してないの。

ツイッターでもフォロワは「刀ステ最高だった!!」しか言ってないの。

わたしだけ?こんな惨めな気持ちなの。全然共感できなかった。


ホントに?四万人皆そう思ったの???


っていう気持ちをどっかに吐き出したくなったので刀ステめちゃくちゃ良かった!って人は見ないほうがいい。少しネタバレもしてる。






個人的に良かったところは所作指導入ってたところ(特に三日月)、

鈴木三日月北村薬研がちゃんとキャラクターで居ようとしてくれたところ。

カテコでもいらんこと言わんし。キャラクター像を崩さないんだよ。ザ・2.5俳優って感じでした。ありがとね。

あと衣装特に山姥切の頭巾の、程よく重くて柔らかなドレープの綺麗な布。走ったとき一番自然になびいてた。

真剣必殺のボロボロ具合丁寧に作ってたな~。

殺陣がんばってた。多すぎたけど。




なんで歌った?

ミュージカル観に来たかとびびったわ。

演出必要不可欠かな?えらい人に「CD出そうよ!」って言われたのかな?知らないけど。

ダンスじゃだめ?殺陣しながら静止、名前文字バババン!でよくない?充分すぎない?

カテコの歌もよくわかんないし。なんで歌った?


不動はなんで謝らないの?

謝って、「力を貸してくれ!」って皆で共闘シーンって流れが王道じゃないの?

そこ裏かかなくていいから。とくべつな意図でもあるの?

薬研は巻き込まれ長谷部は散々蔑まれ挙句宗三は刺されたんだけど。山姥切は歩み寄ろうとしたけど何もかえってこなかったんだけど。

キャラからフォローもな~んもないんだけど。

不動ってこんな子なの?違うよね。

原作だと刀剣男士から審神者』への信頼や好意が少なからずあって、それで互いの関係性が築かれてるところがある。

固定の『審神者』が出せない分雰囲気しか出せなかったのはしょうがいね。難しいもん。

でも話の中で本丸の皆と不動の信頼感は築けなかった?

ただ、まあここの本丸じゃ築けないのも無理ない。

山姥切はがんばってた。でも彼の頑張りは自分の『近侍』としての自信を抱くための頑張りなんだよ。

不動のことなんてこれっぽっちもみてなかった。

不動は反発しかしてなかったし前の主に未練たらたらだけど、そうかもしれん、だがうちの主もいい主だぞ!ってならない?ならんか。

長谷部長谷部否定しかしないし。そりゃあんだけ否定されたら不動も噛みつくわ。噛みつくしかなさすぎて怒りの演技も怒鳴り散らす一辺倒になる。

だれもかれも不動の話を一度もまともに聞いてあげないんだよ。

関係性なんて築けないでしょうが


審神者の考え「強くあれ」って何?どういうこと?何理解した気になってんの?

織田の子たち、いつ乗り越えて強くなった?どこにレベル上がる要素があったんだ。心身共にボロボロだわ。やるせねーわ。やってらんねーってスト起こす勢いだわ。


キャスティング、どうにもならんかった?これ好みの話かもしれないけど。

宗三は準主役だよね。いっぱい喋るしヒロイン位置だったよね。

喋るし脱ぐのにあのキャスティングちょっとどうなの。ゴリラネタじゃねーから

真剣必殺の時笑ってごめんな。

中の人デビューから好きだよ。それとこれとは別の話。




なんていうかキャラの服来た男の子たちの展示会だった。

キャラ解釈は箔かよってくらい薄っぺらくて、そんなんだからキャラキャラが会話してないし、話の中でキャラクター像が構築されてないから、演技もうまくいかない。

演出唐突だし。じじい死んでんじゃねーか。


どうしてそういう考えになったの?こっちきて。ちゃぶ台はさんで議論しようか。手がでたらすまんな。


原作の本編ないから作るの難しいよね。だったら、ちゃんとキャラクター解釈ちゃんとしてて、発展させてストーリー組める人でノベライズして、それ舞台化してくれたほうが全然良かった。

高名な演出家さんか知らんけど。別にあなた作品観に来たんじゃないんだ。推し応援しに来たんでな。すまんな。


公式側がチェック入れてたのは互いの呼び方と喋り方だけなのわかった。(長谷部尊敬語使ってたらどうしてやろうかと思ってた)





何より一番悔しくて悲しかったのが「キャラクターがないがしろにされてる」っていう点。



織田組以外はどのキャラクターが出ててもよかったよね。

原作があれだけキャラクター関係性もこだわって作っているのに、今回舞台では『このキャラクターでなければ駄目だった』って要素を一切感じなかったんだよ。

人気キャラから織田の子たちとの関係性考えて手っ取り早くぶっこんだだけ?

だったらその子が、その子たちが、話の中で織田の子に与えた影響は?

『乗り越えられた』のは周りのおかげ……ってわけではないんだな。

何もないんだもん。いなくてよかったよね。




漫画とかアニメと違って、ゲームから舞台キャラクターが動くことではじめて吹き込まれいのちなんだけどな。



彼らは舞台上でゲームセリフを言う人形か?






ビジュアル推しでもないし、演技推しでもない。

かといって話が完璧だったわけでもない。

演出べらぼうによかったわけでもない。



何がやりたい舞台だったんだろう。

(動いた金については考えないことにする)





そのまま純粋に観れる人が羨ましい。楽しめなかった。悲しい。

だって「推しサイコーだった♡♡♡舞台よかったー♡♡♡」って言いたかったし言おうと思ってたよ。

まりにも悲しすぎて何も考えられなかった。

逆に何が「最高だった♡♡♡」んだろう。




今後もこういった原作に愛を感じない舞台ばかりが増えていくのかな。






2.5次元舞台って好きなキャラ現実に来るんだよ。



もっとわくわくして、こわくてドキドキしてそわそわして、

観て「お母さん産んでくれてありがとう…この子とおんなじ世界にいる…ありがとう…生きてるって尊い…生きる…………」

ってやつじゃん。



なんで好きな子貶されたようなこんな悲しい思いして作品観なきゃいけないの。

随所ですこぶる高評価なので「やがて君になる」を読んだ。

百合漫画ではカップルがどのような関係性であろうと、どこかに「デレ」が表現されているものだが、この作品では片方が完全に冷えきった冷凍マグロ。2巻の時点でイチャイチャキュンキュンすることはなく、他の百合漫画のような王道ストーリーとは異なり特殊性が際立つ。

片方は自分感情「恋」ではなく「利害一致による関係性」と「相手への気遣い・やさしさ」と捉えているよう。まだその感情理解できていないだけで、展開が進むに連れ一気に落ちる雰囲気は感じる。

ただ、全体的に当事者たちの感情や行動について、説得力に乏しく薄っぺらい印象を受けてしまう。悩みや葛藤がある故の関係性なのにその感情描写が非常に希薄で、物語的には進展しているけどただひたすら淡白に展開される。



うーん、設定が嫌いってわけではないんだけど…刺さる人には刺さるのかな? あまり続きが気にならない。。

レビューの異常な高評価は何なんだ… 俺が…俺の心が…擦れてしまっただけなのか!!

2016-05-21

ワールドトリガーゲームじゃない。142話「柿崎 国治」を読んで

ワールドトリガーゲームじゃない。142話「柿崎 国治」を読んで

「新しい連中が

どれだけ派手に

追い抜いて行っても」

「それで

あいつらの価値

消えてなくなる

わけじゃないんだ」



ワートリは泣ける。

三巻に一巻ぐらいのペースでボロボロ泣けるシーンが出てくる。

出てくるが、今回の泣けるシーンは、特別に泣けた。



冒頭で紹介したのは、B級13位柿崎隊の隊長である柿崎国治の独白だ。

まずこのB級13位とは何か?

ワールドトリガーは、異世界から侵攻してきた敵と戦うボーダーと呼ばれる組織舞台にした漫画である

ボーダーでは隊員を実力順にS級、A級B級、C級に分類している。

漫画的に言うと、B級から名前と顔があるモブでないキャラといったイメージで、

この142話時点で、S級はたった1人、A級は9チーム(1チーム大体4〜5人ぐらい)、B級は21チーム(チーム内の人数はA級と同じ、例外もある)である

どうだろう、B級13位のパっとしななさが伝わるだろうか?


ちょっと、この「格」のパっとしなささを、わかってもらうために、長文を書こうと思う。



今の所、この漫画パート分けすると

・序章

ブラックトリガー争奪戦

・侵攻編

ランク

・侵攻編パート2

ランクパート2



こんな感じだろうか。



序章

まず主人公がチームを結成するまでの序章では、

主人公の1人である遊真の戦いがメインとなる。

遊真はブラックトリガーと呼ばれる他とは違う特別武器を持っており、先ほど書いたボーダー内の「格」の分類では、S級にあたるぐらい強い。

そのS級に相当する遊真が、A級7位三輪隊と戦ったり、A級5位嵐山隊のエース木虎と共同して敵と戦ったりなどして、ブラックトリガーの性能で圧倒するシーンが続く。

遊真は滅茶苦茶強く、A級7位三輪隊はオペレーター含んで5人チームにも関わらず、たった1人で圧倒する。

そのぐらい、彼の持つブラックトリガーが異質であり、かつ彼自身技術経験も並大抵ではない、という「格」が描写される。



ブラックトリガー争奪戦

次のブラックトリガー争奪戦では、4人目の主人公であり、遊真と同じブラックトリガー使いの

S級隊員迅の戦いがメインになる。

この章は所謂内輪揉めで、同じボーダーの迅と

A級1位太刀川隊の隊長にして個人総合1位攻撃手1位の太刀川と、隊員の出水

A級2位冬島隊の隊員にして個人総合4位狙撃手1位の当真、

A級3位風間隊のフルメンバー4人(+オペレーター

に加えて、先ほど書いたA級7位の三輪隊の4チームとの戦いが描かれる。



ここでも、S級隊員の、つまりブラックトリガーの強さは存分に描かれる。

A級5位嵐山隊のメンバーが助けに入るため、一部メンバーは分断されるも、

個人総合1位攻撃手1位の太刀川、個人総合3位攻撃手2位の風間狙撃手2位の奈良坂といったボーダー内でも相当上位の「格」を持つ相手を、

ブラックトリガーを持つだけでなく、サイドエフェクトと呼ばれる超能力戦闘に生かす迅は、なんと6対1という状況でありながらも、勝利する。

サイドエフェクトは遊真も持っているが、戦闘に生かせられる能力ではない上に、

A級7位三輪隊フルメンバーよりも「格」が高いメンバーを圧倒するS級隊員迅の強さは印象に残る。




そして、ようやく敵との本格的な戦いが始まる。

(え? ここに修対風間とか、ユーマ対緑川があるだろって? ごめん、忘れてた!)



侵攻編

この編では遂に名前と顔と人格があるまともな「人型の敵」が登場する。

しかも、彼らは迅や遊真と同じブラックトリガーを持っているのだ。

すわ、どうなる?

と、なるが、これがボーダー強いのだ。

特に印象的なのはA級隊員の活躍だろう。

ラービットと呼ばれる量産兵器でありながら、

B級10諏訪隊の諏訪隊長B級7位東隊の小荒井捕獲し、

B級6位鈴鳴第一の隊員で攻撃手4位の村上を苦戦させる強敵が登場する。

しかし、ブラックトリガー争奪戦では迅に負けた「個人総合1位攻撃手1位の太刀川」は、

このラービットを1人で圧倒し、なんと単独11機も撃破している。



さらに、同じくブラックトリガー争奪戦で負けたA級3位風間隊も、ラービットを4機撃破し、

隊長風間こそ敵のブラックトリガー持ちのエネドラに負けるも、

指揮官でありながらボーダー最強の忍田B級10諏訪隊と協力することで、

ブラックトリガー持ちのエネドラを撃破している。


また、A級1位太刀川隊の出水A級7位三輪隊の米屋A級4位草壁隊の緑川らの即席チームも、

他のB級合同チームと協力しつつ、ブラックトリガーではないものの「人型の敵」を撃破する。



さて、長々と語ってきたが、ようやくタイトルの「柿崎隊」登場である


B級13位柿崎隊の初登場はこの人型の敵である「ランバネイン」との戦闘である

記念すべき初台詞

「マジか

新型だけで

きちい

ってのによ」

である

どうだろう「個人総合1位攻撃手1位の太刀川」が単独11機も撃墜した新型=ラービットに苦戦しているだけでも、

如何にもB級13位のパっとしなささが伝わるだろうか?

当然だが、ラービットと余裕で戦えるのはA級チームぐらいで、単独勝負できる太刀川が異常なだけなのだが、

先ほど書いた通り、その太刀川よりも強い迅などのブラックトリガー持ちも居る戦場なのだ

とてもじゃないが「格」が高いとは言いがたい描写である



そして「ランバネイン」との戦闘がいざ本格的に始まると、

メインはA級1位太刀川隊の出水A級7位三輪隊の米屋A級4位草壁隊の緑川らの即席チーム、

彼らは三人のチームとしての戦いはもちろん、緑川単独で足を持って行く活躍を見せ、

太刀川のように個人総合○○位と付いていなくても、A級隊員の強さを存分に発揮する。



また、同じく戦闘に参加している、

B級11位の荒船隊の隊長である荒船とB級7位の東隊の隊長である東も、B級ながら活躍する。

スナイパーとして活躍しており、荒船は一発敵に当てるし、

東は敵の特性を見抜きB級合同チームに的確で鋭い指示を出す。



A級隊員だけでなく、B級でも「隊長」となればそれなりに一芸は持っているシーンの描写だろう。

では、ここで我らが柿崎隊長台詞を見てみよう。

「ここで

押すのか!?

何が

変わった

ってんだ?

東さん!」



何とも頼りない台詞だろう。

もっとも、念のため強調しておきたいが、

漫画を読んでいる読者の視点では、この時点では東はただのB級7位の隊長だが、

実はこの東は、ボーダー最初狙撃手にして、過去A級1位のチームのリーダーもしている古株で、

幹部と上位チームが集まる作戦会議にも参加する程度には、偉い人なので、

柿崎さんが弱いというわけではない、弱いというわけではないが、

この時点での読者視点だと、柿崎隊長に凄い印象は無いのは間違いないだろう。

そして「ランバイネ」戦は米屋トドメをさすも、チームの勝利といった感じで終わる。

感じで終わるが、ぶっちゃけ柿崎隊は何をしたのか? と聞かれると微妙である

一応敵に銃を打つシーンや、攻撃をよけるシーンはあるものの、

足を奪った緑川トドメをさした米屋、敵を上手く誘導した出水、それらをA級即席チームの戦いから敵の行動を見抜く東、辺りが活躍した話で、柿崎隊は何ともぱっとしない印象だろう。



だがしかし

だがしかしである、この侵攻編においてチームメンバーが一度も誰も欠けなかったのは、柿崎隊だけなのである

え? やられシーンすら無いぐらい地味なチームだからだろって?

それはともかくとして、そういうところが、柿崎隊長の隊員思いな所であり

142話「柿崎 国治」で言及される

柿崎さんの唯一の弱点は全部自分責任を持とうとするところで

危険場所に隊員を単独で送り込むことはあまりなかった」

という評価に繋がる一片を見せているのは、さすが「遅効性SF」と評されるワールドトリガーならではだろう。



さてさて、他にも順位は付かない規格外の最強A級玉狛第一の活躍や、

相変わらず強い遊真や、ブラックトリガーを手放してすら強い迅なども活躍して、侵攻編は終わる。



ランク

そして次に描かれるのが、再びのボーダー内輪話である

こんどはランク戦と呼ばれる模擬戦闘舞台で、主人公チームの玉狛第二の躍進が描かれる。

B級20位吉里隊、B級21位間宮隊の瞬殺から始まる。


続いては、侵攻編でも活躍した

諏訪隊、荒船隊と戦うが、

ここでは、狙撃手でありながら攻撃手としてもマスターランクの荒船の遠近万能っぷりや、

諏訪さんの胆力が描かれたりなど、それなりに実力があることは伺えるシーンはあるものの、

主人公の1人遊真には敵わない感じの描写かな?



三戦目の鈴鳴第一、那須隊戦では、

侵攻編で少し言及した攻撃手4位村上活躍が印象深いだろう。

攻撃手4位と言われてもラービットに苦戦する程度でしょ? と思っていたが、

これがやはり強く、那須隊の熊谷隊員を圧倒し、あの遊真とも互角の戦いを繰り広げる。



そして、四戦目では、組織の都合というか物語の都合というかで、B級に降格になった、A級経験もある、

B級1位二宮隊、B級2位影浦隊の上位二チームに加え、

侵攻編でも言及した、B級7位東隊との、よつどもえが描かれる。

ここでは、4人いる主人公の内の1人でありながら、今まで一度も言及しなかった、修が活躍できず、主人公チームは敗北する。

個人総合2位射手1位の二宮は、射手として今までも活躍してきた出水を超えるランクであるだけあって、かなり強いし、

影浦は、順位こそついていないが、攻撃手4位の村上自分より強いかも、と言わせるだけあって、

2人とも「格」は十分といった感じだった。



そして久々に柿崎隊長に出番がある。

A級7位加古隊の隊長にして、東さんが率いた旧A級1位チームの隊員でもあった、加古さんが登場し、

イニシャルがKで才能のある隊員を引き抜きたくなる」という、

「お前それ、伏線として見え見えすぎて、今からこの伏線がどう回収されるのか、気になりすぎるだろ」って伏線描写の一環として、

柿崎(KAKISAKI)」隊長も、話題に上がるが、残念ながら、合わないタイプらしく、引き抜かれなかった。



侵攻編パート2

さて、単行本になってない上に、こないだジャンプ捨てたので見返せないので、軽く流すと、

侵攻編パート2では、先ほど書いたランク戦で活躍したB級の面々も活躍する。

特に那須隊の2人の活躍は印象深かった。



ランクパート2

さて、長々と話してきたが、どうだろう、B級13位柿崎隊の微妙さが伝わっただろうか?

もちろんココに全てを書いているわけではなく、実際はもっと活躍している面々はいる。

いるが、柿崎隊が活躍していないことは否定できないだろう。

ハッキリ言って、このエピソードが描かれる前までの自分が、ワールドトリガーキャラクタを思い出した順番に言って行く場合、かなり下位なのは間違いない。

そして、作中の「格」としても、なんともしょっぱいのもわかってもらえただろうか?



さらに、今回の五戦目のランク戦は、主人公チームの新技のお披露目回なのである

遊真と修のスパイダーを使ったコンビネーションやチカさんの新トリガーなどの、新技が侵攻編パート2で焦らされた挙げくの、お披露目回なのである

そらもう、柿崎隊が活躍することを想定していた読者はいなかったんじゃないだろうか?

何なら、B級20位吉里隊、B級21位間宮隊のように瞬殺なんじゃなか? とすら思っていた。




けども、冒頭のこれである



「新しい連中が

どれだけ派手に

追い抜いて行っても」

「それで

あいつらの価値

消えてなくなる

わけじゃないんだ」



これは、柿崎隊の隊員である、照屋、巴、宇井を評した独白で、

「新しい連中が

どれだけ派手に

追い抜いて行っても」


のところでは、

主人公の1人遊真、

攻撃手4位の村上

緑川

木虎、

黒江

絵馬の6人が描かれています

緑川、木虎、黒江に関しては、入隊時の試験の成績がズバ抜けていたことが作中で示されていたり、

攻撃手4位の村上は、強化睡眠記憶のサイドエフェクトを持っていて、あっというまに上位陣に追いつく実力を身につけたり、

絵馬も幼いながらも、スナイパーとしては、当真、奈良坂辺りと並ぶような描写がされていたりと、

この6人は確かに、派手に追い抜いていった感じなんでしょうね。

特に木虎は、柿崎隊長本人が昔所属していた嵐山隊をA級5位まで押し上げたエースという肩書きまで持っています

そりゃあ、自分が抜けたあとのチームを、自分よりも周りに評価させた新人が居たら

「派手に」って形容したくなりますよね。




けれども、柿崎隊長は、こう続けます



「それで

あいつらの価値

消えてなくなる

わけじゃないんだ」



ああ、もうね。

もうね、ワールドトリガーを「ゲーム感覚」と批判していた、自分が情けなくなってくる。

個人総合○○位とか、B級○○位とか、そういう順位の「格」や、

間内での模擬戦に尺をたくさん割くことであることや、

ベイルアウトトリオン体で命の危険がないことや、

そういう、設定的な部分だけを見て「ゲーム感覚」だと思っていた、自分が情けない。

登場人物ゲームコマだと思って、それを元に、やれあいつは強いだの、やれあいつは弱いだのと強さの「格」だけを評価していた、自分こそが「ゲーム感覚」じゃないですか。

B級13位だから、個人ランキングがわかってないから、侵攻編で活躍しなかったから、そういう気持ちで、

柿崎隊の面々を軽んじるその気持ちこそが、まさに「ゲーム感覚」だったんですよね。



ゲームなら例えば、パーティーメンバーに上限があったりとか、

倉庫の空き容量とかによって、キャラクタを切り捨てることってよくありますよね。

そりゃもちろん「ビジュアルが好きだから、弱いけど使おう」とか「ストーリー活躍たから、最後まで使ってあげたい」とかって気持ちも、ゲームやってて湧いてきますよ。

でも、それって全部「自分価値観によって、取捨選択している」んですよね。

価値観が「強さ」なのか「ストーリー」なのか「ビジュアル」なのかが違うだけで、

誰かを切り捨てるってことは、それで価値を消してしまうことに繋がるんだよね。



散々「格」が劣っているというより「無い」

何か特筆すべきフックがない、

そんな柿崎隊だからこそ、感動する独白で、心にとてもとても残る良いシーンでした。



いやもう、この漫画マジで面白いっすね。

ワートリ最高!!!!!!

[]咲 159局「準備」

僕の応援する心ちゃんの出番は……



ありませんでした!

ありませんでしたが、心ちゃんの保護者である遥さんの誕生日が昨日だったので、メデタイですね。

なんと作中登場時では25歳、現在のシノハユ時間軸だと26歳かな?




そして、本編では新キャラがたくさん出てきました。

新道寺の比与森さんは、久々の大人だしシノ世代可能性がありそう。

高知県に多い名字らしいですので、シノハユが全国まで進まないと出てくる可能性は低そうですが。



sakiの魅力は登場人物豊富な設定だと思っているので、こうしてキャラクタが増えると妄想の種がたっぷり撒かれた感じです。



あと、すばら先輩へのフォローが入ったのもよかった。

確かに言われてみると、高遠原中学団体で成績で残したわけでもないのに、九州の名門に越境する、すばら先輩は色々謎が深そう。

(そして、そこを目指して頑張ってる加藤さんも)

個人戦で結果を残してスカウトされた、とかありそうですね。

けど、すばら先輩の入学年は、二人一組の能力者の姫子さんが内定もらっているので、スカウト枠が実質一つ減っていて、みたいなことを妄想するの楽しい



すばら先輩の実力にもフォローが入ったことだし、

こりゃもう、新道五位ありえるんじゃないでしょうか!

大阪の二校はスピンオフがあるんだから、そっちで頑張ろう!



まあぶっちゃけ、勝ち負けよりも、ストーリーの量が僕の焦点なので、スピンオフ確定の大阪二校が素直に羨ましい。