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はてなキーワード: 考慮とは

2016-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20160525004218

本人は追記で否定してるから無自覚なんだろうけど、たぶん<積極的に>ネガティブ情報を集めてる。

ネットってすごく扱いが難しくて、検索キーワードひとつ取っても簡単バイアスがかかっちゃうんだよ。



例えば話題水素水。怪しいと思いつつ、店頭でみかけた水素水に興味を持った人がいたとする。

とりあえず『水素水』でGoogle検索すると、だいたい水素水を褒めるような記事が1ページ目を占めてる。(今日時点の検索結果な)

次に第2キーワードを付けて『水素水 効果』だと、いか水素水が体に良いか解説してくれるページが現れる。



さて、ここまでいろんな記事を見たあと、賢明なひとは「反対意見も知らなくてはいけない」と別のキーワード検索をかけようとする。

ここでみんな失敗するんだ。安直に『水素水 デメリット』とかで記事を探し始める。


出てくる結果はというと、以下の様な有り様(リンクは貼らない)。デメリットを紹介するふりをして、「そんなものはない」「あるにはあるが大したデメリットはない」「安い水素水デメリットばかりでダメだ(だから高い良い製品を買おう)」と思わせるための記事が並ぶ。本当の意味水素水批判する記事にはとうとう辿りつけなかった。

まあこれは単純な例だけれど、本当の意味対立意見を見つけるのは結構経験必要で、だからこそ安易ネット情報を受け入れるのは恐ろしい。



私は増田もこれに陥っていないか?と疑ってる。

水素水くらい簡単話題でもこの有り様なのだから出産育児なんてデリケート話題バイアス考慮した情報収集なんてなかなか出来るもんじゃない。

多くの情報に触れるのは悪いことではないが、それが為になる情報なのかは注意してほしい。世の中にはゲス共が鬱憤晴らしするためのゲスサイトもあるのだから



自分育児をしてるが、経験中傷されることなんてほとんど無い。

子供が全ての人を幸せにするとは思わないが、増田が既に子供を持つことに興味を持ってるなら、いい選択の一つなんじゃないかと思ってる。



増田の元に増田のためになる知識が集まること、それが増田増田人生幸福に全うするのに繋がるよう祈ってるよ。

なんでWEB媒体は流し読みしてしまうのか

2016-05-25

京大生が専業主婦選択した話が正直胸糞悪い

http://anond.hatelabo.jp/20160524045830


この増田が色々言葉遣いが悪いというか感情的な部分もあるのでブコメ脊髄反射的なのが多いけど

俺もこのエントリは少し問題があると思う。

http://seramayo.hatenablog.com/entry/2016/05/23/121352


問題点は3つある。

ノブレスブリージュの考えがない

音楽学を馬鹿にしてる

■「女であるのが悪いのかとか受精卵が云々」とつながる話がまったくない


現代日本民主主義だし、自由主義的な考え方も浸透してるし俺もそういう点はいいことだと思ってる。

でも国立大学学生学歴を与えるために学問を収めさせてるわけじゃない。


学生教育を施すことで社会がより良くなるために学問を修めさせてるわけだよ。

その為の税金は多数の国民から徴収されてるし。


もちろん、そういう学問を修めたけど結果として失敗して

全然関係ない職業についたとか、学歴に比べると社会的評価の低い職についてしまった。

っていう「失敗」によって専業主婦になったっていうならぜんぜん問題ないと思う。

少なくともおおっぴらに責めるのは違うかなとは思う。

他にもベンチャー企業を立ち上げて儲けようと思ったとけど失敗して借金塗れになったとか、ポスドクの人が悪いのかって言えばそれも悪くないと思う。

投資マクロ視点で見て、その一部がある程度失敗するのは仕方ないし当然ではあるよね。


けど、あえて専業主婦になったっていうならそれは違う。

エントリではあえて専業主婦選択したって言ってるよね?

京大音楽学科に入ったけど就職先がなくて専業主婦になったんならわかるよ。

けど違うよね?

ただ、勉強たかたから入ったって本文で書いてるよね?

それは国立大学では少なくともおおっぴらにするべきことではないと思う。

私立なら違うとは思うけど。


それともう一つこの人は言っちゃならないことを言ってる。

社会貢献とは、わたし勉強法わたし高校時代の様子をお前の子供に教えてやることなのか(教えてやらなかった)。研究を続けたら続けたで、音楽学は即座には社会の役に立たないことを、お前はどう説明するのか。なぜか音楽学を音楽社会学しか言わないお前にとって、たとえばシューマンオラトリオ楽曲分析は、社会貢献だと言えるものなのか、どうなんだよ、つまるところ、自分と同じ苦労をどうにか味わわせたいだけじゃないのか。自分言葉で答えてみやがれ。

これってさ、「即座には社会の役に立たない学問」を必要ないって言ってるのと同じことなんだよね。

大学文系学問とかを設立してるのって即座に役に立つわけじゃないし、目に見えやす社会貢献をしてるわけじゃない。

からたかやすいわけだけど。


でも、今現在一応文系学問によって社会が豊かになるとか文化が豊かになるとかそういう社会的な貢献ができるから国立文系学部があるわけでしょ?

文学研究することで社会に貢献してる。

少なくともおれはそう思ってる。


当然音楽だって社会に貢献してるはずなんだよね。

もちろん即座に反映されるようなもんじゃない。

でもどっかで文化的に貢献してるはずだし、私達の心を豊かにしてくれている、あるいは将来的にしてくれる可能性は高い。


それをこの人は自分音楽学を学んでいるにもかかわらず否定している。

というか考慮すらしていない。

これは大学に通ったことがある人の態度としては最低中の最低、下の下だ。

現在音楽学に携わってる人を馬鹿にするような行為だと思う。


国立大学に通ってる人は(自分選択して)専業主婦になってはいけないとかいう言うわけじゃない。

けど上位に立てる可能性がある人間ノブレス・オブ・リージュを求められるもんだよ。


重ねて言うけど、挑戦して失敗したんなら全く文句はない。

あるいはまともな人生を遅れる可能性が低いと思って、違う選択をしたんならそれもまぁ仕方ないかなと思う。

けど、選択肢がありながらこっちの方が私が幸せから専業主婦を選んだのはあまり開き直れることじゃないと思う。

少なくとも京大の話と絡めて話すべきじゃない。


なんかあの記事を書いた人の思想旧態依然としたジェンダー観とか文系を本当は必要ないって思ってるような嫌な思想が見え隠れしてるんだよね。

記事のいくつかで女性であることがわるいのかみたいなこといっててそれに騙されてそうな人がいるけど正直胸糞悪い記事

少なくともはてなリベラル派は肯定しちゃいかんと思う。

つうか受精卵がどうとか言ってるけど専業主婦選択した話とかと全くつながってないんだよね。

あれは何なの?

騙されて味方になる人が増えると思ったから無理やり入れたの?

あの記事内容薄くて本人のバックボーン全然見えないからもう少し詳しく聞けば事情があるのかもしれない。

けど、本文の内容自体はあまり褒められたもんじゃない。


余談だけど日本人寄付する文化がない理由ってのをまざまざと見せ付けられた気がする。

2016-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20160524144932

「神が全知全能」であることを正として

「神が持ち上げられないが、神が持ち上げられる岩」を矛盾であると定めることがなぜ人類可能なのか?その選択権は全知全能でない者には与えられてない。

極端な話をすれば、全知全能の神が、その問題の岩を生み出した時点でその世界は「神が持ち上げられるけど持ち上げられない岩」の存在を許す世界へと移行する。

理解しにくいだろうが神は全知全能の視点において全知全能の力を振るうがその結果を人間理解するには差がありすぎる。

今、確認できるだけで最も知性の高い存在人間だが

人が理解を超える知と法と定義対応できないことがこの問題では考慮されていない。

 

持ち上げられないけど持ち上げられる岩の定義を許さないのは今現在においてその全知全能の神が決めていることであり、

全知全能の神がその岩を矛盾なく作り上げる結果を全知全能でない人間認識理解観測することは現段階において定義上でもできない。

その矛盾人間が解消できないことこそが全知全能の神とそうでない人との差ではないのか?

 

動力のあるイケメンモテる技を知ってても、何もしないモテないブサメン同士でいくらモテる方法を考えても分からんだろ?

人間理解できるだけの知能を現段階で持ち合わせているという前提が最初の間違い。

赤子が母親おっぱいもらった後に背中を叩かれる理由を知るのは何年も先の話だ。

http://anond.hatelabo.jp/20160524143519

  1. 神が人間の全知全能定義イコールとして受け入れる必要性がない、という前提条件はフラット能力判定、即ち論理的帰結において必要とされない基準であり、論理すり替えである
  2. 全知全能の定義宗教によって変わり得るとWikipedia文言にも存在しているものの、この場合論理的帰結を求めたのであり当然そこにハイデガーの述べる所の、枠組みを超えたところにある矛盾した絶対点、という思考は介入していない。この場合における全能の定義とは少なくとも人間が想定しうる全能において矛盾が発生する事象を実際の神と思わしき「無人格の」存在解決していないところに起因していると言えまいか
  3. 神がこの世の法であるという決まり事は一神教世界観だが、それ自体人間定義である。また仮に神が絶対法を定める存在ならば絶対を破る法を神が制定できる全能も考慮されなければなばならない。
  4. 0と1は同時に選択されない。故に題名パラドクスである元増田が命名したものではない)そもそも問題の発端に観測は含まれていない。神というポイントにおいて神自身絶対に持ちあげられない石を主観的観測により持ちあげられない「とする」のではなく、相対的に持ちあげられない石を神が創りだすことは可能か否か、という解いである。観測したら神の全能のあり方が変化する並行宇宙論的な世界観は展開されない。

http://anond.hatelabo.jp/20160524012315

京大の人もそうだけど、文系なら大して金かかってないし、東大の中でも文学部だと就職が大変なわけですし、理系修士ならともかく、文系修士特に学部卒だとHRとしてもそこまで期待されてないんじゃないかな。

でも、京大の人、ドイツ遊学して遊んで歩いて主婦になるって、なかなか理解できる行動ではないし、自身もおちゃらけてたという自覚はあると思うけどな。それが良いかいかは状況によるけど。

まだ若いようだから、年を経てからこのままだと後悔するかもしれないことは考慮してるのかな。もし、そこまで、読み切れてないなら、、、 

まあ、このまま ずっと ってのはありえないかな。

2016-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20160523122238

マジレスすると、店によって具とご飯の割合が違ったり、まんべんなくドレッシングをかけてくれるところと、食べる人の事を考慮しないで大きな葉っぱをちぎりもしないで敷いてくる店とがあるから

マニュアル化は難しいんじゃないだろうか。

てんや限定、とかならいけそうだけど。

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2016-05-22

飲み会を宴方式にしたら参加率が上がった話

4月に来た新しい上司面白い人で「学生ノリの若手が多いので、どうせだから俺達も学生ノリにしよう」という訳のわからん方針の元、飲み会が宴方式になった。

要はそのまま職場でダラダラと飲み食いして宴をするような方針になった。

今までは普通に居酒屋予約して、上司から年功序列の席次があり、若手が酌をして顔を覚えてもらう・・・的な典型的ジャパニーズ飲み会だったが、職場を閉めて

電話線を抜き、そのまま各々がコンビニスーパーに好きな飲み物やツマミを買いに行き、上司や窓際の高給なおっさん宅配ピザを振るまい、みんなで面白いユー

チューブ見て笑ったり、プロジェクターで映して桃鉄したり、ギター弾き語るおっさんがいたり、時には給湯室でカレー作ってみたりと、部室で放課後ダラダラ過ご

すノリに変えた。

これがまあ大当たり。

今まで飲み会には来なかった連中の参加率が激しく上がったのもそうだし、団結力的なものが確実に上がった感がある。職場ストレスが目に見えて減少した感じ。

コンプライアンス的な事を考慮すると難しい一面もあるでしょうが、心の壁を取り払うのにおすすめです。

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。


Q.コミケでは全員が「参加者」ということですが、買い手と売り手という区別はすべきではないでしょうか。

君がその区別の境目をどこまでと定めているかは把握しかねるが、もし金銭を払う者が上で商品を渡す者が下という関係一般的だと考えているならば、それは必ずしも適用されないということは覚えておいたほうがいい。

相手が求めるものを渡し、代わりに自分の求めるものを貰うというのは取引の基本だ。

物々交換が主流だった時代から代替手段として貨幣流通するようになった時代も、それは変わらない。

おっと、歴史のお勉強をするつもりはサラサラない。

何がいいたいかというと“取引のもの”には、本質的関係上下や優劣などは考慮されないということだ。

まあ、そこに様々な要素を付加したがるのも人間の性だろうけどね。

もちろん、その社会の枠組みであったりケースによって様々で、それらを是非でとやかく語るものでもない。

コミケでは売り手も買い手も全員「参加者」、でもお金はちゃんと払って、それに対してちゃんと商品提供する。

別に矛盾しないな?

取引で最低限やるべきことをやれていて、それで成り立っているなら、なんら問題はないんじゃないかな。

もし、それで問題が起きるなら、そもそも取引として成立していないってことだ。

何に価値を感じ売っていて、何に価値を感じ買っているのか、そんなこと私は知らんよ。

世間では

非正規雇(負け組) <<<<<<<<< 正規雇用(勝ち組)

みたいな言われ方されてるけど、ITでは同じくらいのスキルでも

社会保健等々考慮しても社員よりフリーランスの方が給料高い

社員残業代がつかないけど、フリーランスはつく

・景気がヤバくなったらフリーランス仕事ないのでは、じゃあ社員終身雇用

である

増田IT率高いか常識だろうが、世間では知られてないだろう。

2016-05-21

jQueryからReactに移ろうとしてる自分個人的理由

http://anond.hatelabo.jp/20160521163144

内容から誰が書いてるかわかるかもしれんけど、まぁスルーよろしく。

jQueryもそんなにガッツリ使ってるわけでもないし、Reactはまだリリース前の調査下地作りの段階だけど

正直言ってjQueryに戻るつもりは毛頭ないぐらいReact便利だと思ってる。

でもjQueryを捨て去れるかというとそれも無理だと思ってる。

その辺のことを適当に書いてみる。


用途

社内サポート的なことやってて、サポートテンプレート対応を省力化するために

Webツール作って人が対応するコストを減らすために使ってる。

チーム組んでガッツリ大規模ツール開発ってわけでもない。

jQueryで一つツール作ってリリースしてそこそこ人的コスト削れたのはよかったと思ってる。


jQuery脳内DOMリーとの格闘に疲れ果てた

最大にして一番の理由がこれ。

そんなに大規模なアプリケーション作ってるわけでもないし、関係者も俺一人だけど正直DOMリー脳内でくみ上げるのに疲れた

500行もいかないようなショボいコードでも脳内DOMリーと格闘するのしんどい。

DOMリー触るほうが楽ってみんなどの程度のコードでそんなこと言ってんの?

そんなスーパーハカー揃いなの?信じられないんだけど。


React-Bootstrapかいう神コンポーネント出会った

オリジナルbootstrapはどうしても頭に入ってこなかったし、手を付ける気にもならなかったけど

React-Bootstrapマジで楽だし、スッと理解できる。マジ最高。

Bootstrapってこっちを本筋にすべきじゃね?と割とマジで思ってる。

まだ触って3日も経ってないけど。


ページのほぼすべてがjsに集約できる

これはちゃんとしたWeb界隈の人は利点と思わないのかもしれないけど

一人でいろいろ賄わざるを得ない俺みたいな人間にとってはマジで楽。

ベースHTMLにはベースのdiv一個載せとくだけで後は全部js

レイアウト大元コンポーネントでReact-Bootstrapで組んで、あとは各コンポーネント

個別に作っていけばいい。

HTML見て、CSS見て、JS見て、っていちいち記述方式の違うコードを見る必要がないのは

少なくとも俺にとっては一番楽。


でもjQueryも完全には捨てられない

やっぱまだReactはコンポーネントがそんなに揃ってないんだよね。

からjQueryも使わざるを得ないけど、それも一つのコンポーネントに閉じ込められるから

管理が楽。

極力なくす方向で行くつもりだけど、今はまだ両方使ってる。


JSXは汚くて気持ち悪いけど、コードで書くのはもっといから仕方なく使う

あの気持ち悪いコード考えた人はマジでいい意味でも悪い意味でも頭イカレてると思う。

気持ち悪くて仕方ない。いまだに大嫌い。

でも書くコード減らせて楽なんだよね。だから仕方ない。

どんなに気持ち悪くても、結果が伴う以上使う。


5年後なんて自分の姿すら思い描けないことは考えない

5年後も自分がこの仕事やってるかどうかもわからんからそんなこと気にしたことない。

今ある仕事をなるべく早く簡潔に実行するために最適だと思ってるツールを使ってるだけ。

それがかつてはjQueryだったし、今も一部jQueryだし、大半がReactになろうとしてるだけ。

将来まだこの仕事やってて、もっと有用ツールがあればそっち使う。

別にツールにこだわるつもりは毛頭ないから。

Web界隈の人はもっと真剣考慮すべきかもね。


ちゃんとしたWeb界隈の人のちゃんとした意見も見たい

俺みたいな一人前にすら届いてない奴の意見なんぞ必要ないだろうけど、

自分の今の考えを書いておくと後で見返せるかなと思って適当に書いてみた。

ちゃんとしたWeb界隈の人にとってこの辺の問題ってどんなもんなんだろうね?

みんなも増田ポエム、書こう!

2016-05-19

豚まんブログってもう賞味期限切れなの?

http://anond.hatelabo.jp/20160504151503

そういえば最近豚まんブログを読んでないなと、ふと気付いた。

はてな匿名ダイアリで豚まん検索すると、注目度がオタ充宣言をピークに下る一方だ。

はてなウォッチすれを覗いてみたが、やはり豚まん話題殆ど無かった。

はてぶのホッテントリ豚まんブログを目にすることも減った気がする。

もう賞味期限切れなのかな。




自分はたしか2010年2011年ぐらいにルパン記事豚まん日記を知って、その後豚まん同人誌も買って読んだ。

最初キャラ面白いと思ったり分析の切り口が鋭いと思ったりしたんだけど、

ある時期から豚まん自身が主張する「斜方前進」が悪い方に出ているなという印象を持つようになった。

たまに自分(俺)がそこそこ知っている話題について豚まんが論じているのをみると

まりにも調べ物をサボりすぎというか

その道の専門家たちが何を言っているのかを考慮せずに

自分のアタマだけで考えた図とかが載ってて杜撰さを感じるんだよね。

そして年々、煽り口調が激しくなってきた気もする。炎上狙いというか。


豚まんて結局、IQが高いだけで特に専門性はないニートって感じの人だったんだよね。

スーパーマケットだのブラック企業だのといったところに勤めてたといっても、要は社会人経験1年未満でしょ?

社会派ブロガーを名乗ってるけど、社会人経験1年の通用する範囲はさほど広くないよなぁ。

豚まんは要するに、どんな話題でも短時間でそれっぽい仮説を考えることができるってタイプ

会社とか飲み屋にこういう人がいるとアタマ体操にはなっていいと思う。

しかし今のネットでは、ちょっとググれば専門家見解ふつうに読むことができるから

単なるアタマ体操に過ぎない豚まんブログに「情報」としての価値はないんだよね。

そもそも間違いも多いし。



しかもあるとき気付いたんだけど、豚まん風の「IQが高いけど専門性(知識)がない人」の言うことって

似てることが多かったりワンパターンだったりして、意外性がじつは少ない。


政治文化に関する話題ならとにかく経済学部っぽいことを言っておき

経済についてはとにかくオタクっぽいことを言っておき、

ビジネスキャリア話題ならとにかく弱者見方をして日本大企業を叩いときゃいいや的な。

もっとざっくりまとめてしまうと、なんか新しいものにとりあえず着目して、それと対比できる古いものを持ちだして比較

古い方を叩いて「まだ消耗してるの?」みたいなことを述べて終了というワンパターンな芸を繰り返してるだけなんだよね。

しか豚まん風の人たちって、新しいものを称えるのがアイデンティティになってる割に

発想のパターンはすごくおっさん臭かったりして

その意味でも「あぁ・・・またミソジニーですか?」って感じがする。

 


岡田育との対談?を、俺ははてな匿名ダイアリでみたんだけど、豚まんの底の浅さが如実に現れていてとてもよい例だと思う。

自分一生懸命がなりたててるんだけど、ちょっと文句言われたらすぐに逃げて一人でブツブツとエア言及するだけ。

豚まんのような「IQが高いけど知識がない人」は、身軽に見えて実のところ発想の幅が狭い。

豚まんバカにしている人文系オタク知識人のほうがアイディア豊富で、鋭くて、豚まんはついてこれなかったんだ。



自分のアタマで考えただけで過剰な自信を持つタイプの人が言うことってだいたい予想できちゃうんだよなぁ。

そういう点に気づくと、賞味期限切れするのも仕方ないかなーって思う。

 


あ、そういえば思い出したけど、豚まんって、

Twitterでも、ちょっと批判的なコメントをしたユーザは即座にブロックしてるらしい。

グローバルとかオープンとかそういうのを煽ってる割に、豚まん自身はとても閉鎖的に振舞っているように思える。

べつに閉鎖的でもなんでも勝手にすりゃいいと思うけど、

情弱信者を囲うだけになってしまったら、イケハヤさんみたいなのと差がなくなってくるよなぁ。




ていうかさ、この増田へのブコメみてて、豚まん擁護派が皆無すぎて引いたわ!!!

ちょっとはいいとこもあんだろ!!!

俺は同人誌まで買ったんだぜ・・・

2016-05-18

日本人を動かすのは本当に難しい

みんなと違う=悪とみなされるので「みんなの方が間違っていた場合」が考慮されない。

この状況で何かに風穴を開けるのは大変。全員知能がないわけではないので不可能ではないがうまくいったとしても非常に時間がかかる。

http://anond.hatelabo.jp/20160518124417

地球の自転および公転速度を考慮に入れたらエアセックスなんて不可能と分かるはず

宇宙なめんな

今我々は電通を叩く最初のチャンスを迎えているのではないか

力が強大すぎて、各所とのパイプが強固すぎて、やり方が巧妙すぎて日本を悪い方向(とも限らないが、関係者のみの利益考慮された方向)に長期間渡り牛耳ってきた某D社であるが、ここへ来てとうとう重大なミスを犯した感がある。

これまでD社に苦しめられ利用され不利益を被ってきた大多数の国民千載一遇のチャンスが来た。と俺は捉えてる。

がんばろうぜ、みんな。デモやるなら参加するよ。

2016-05-16

LGBT日本大企業では出世できない(バイ例外)

多様性とか言ってるけど、LGBT日本大企業では出世できない。(バイ例外)

課長ぐらいにはなれるかもしれないが、部長役員は無理。

何故ならば日本大企業では男女に求められていることが違うから

男は結婚して子どもを作って住宅ローンを組んで会社奉公することが求められている。

配偶者子どもも家も会社を辞めないための担保

担保を供出して会社への忠誠を誓った男だけが出世できる。

女は男と結婚して寿退社して、男を支えることがその求められている。

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以上、男女に求められている役割考慮した上で、LGBTに当てはめてみる。

女性から男の配偶者候補として採用されているにも関わらず、結婚しないため会社の求める人材ではない。アウト。

配偶者子どもマイホーム担保「3点セット」を供出できないためアウト。

男はカミングアウトせずに、結婚子どもマイホームまで担保を出せば出世できる可能性有り。

女は無条件に無い。

FtMMtFのどちらにしても、「子どもを作る」ということが出来ないので無理。

2016-05-14

さくらいと枕狐の争いはいい加減にしてはどうか

あれ、原因はあきらかにさくらい側にあるんで、その時点で双方に同情するつもりはない。責任の有無と因果はまったく別の話で、物事に対する善悪評価は、片方の悪質性の大小や責任の有無だけで決まるわけではない。さくらいはそのことを理解していないんじゃないか

状況からしてあれが枕狐に向けたツイートであることは明白で、あんなもんを見てしまっては、「あいつが先に手を出した」と言い張ったとしても、うすら寒いだけ。枕狐サイドとさくらいの対立において重要視しなければいけないことを、みんなあえて見て見ぬふりしてるとしか俺は思えん。

一方が「何かをした」という立場であり、もう一方が何かを「しなかった」という立場であるということを考えろと。枕狐の取っていた行動は何ら公序良俗に反するものではなく、せいぜい自らの人格の愚かしさを晒したに過ぎない。よーするに、disってたコンテンツを担ぐようになったとか、ゲームにかまけて新刊が滞ったとか、そんな話だしね。

枕狐はさくらいに対して何も「していない」

それに対し、さくらいは枕狐側にネチネチと噛みつくという行為を「していた」

枕狐はさくらいを明示的にdisっていたわけでもなく、単に顰蹙を買うツイートを続けていただけ。

それに対して、さくらいの行為は枕狐に対して明示的だった。

この場合、「していた」側を重要視するのは基本だ。政治家公約違反でも何でもない、単なるおばさんのしょーもない言行不一致があったに過ぎない。

事の発端だけを言うなら、俺はさくらいの行動に直接的な原因があると確信している(繰り返すが「結果」に対する評価はまったく別)。

「枕狐側にリプを飛ばしていたわけではない」「名指しで書いていたわけではない」などと言っても、通らんよ。あれほど露骨な内容であれば、もしそこで殺害予告でもしていれば、さくらい氏は捕まっただろう。

それぐらい、枕狐に向けた言葉であることは容易に理解できる。

「どちらが先に手を出したか」と、「どちらが先にリプを飛ばしたのか」という話は全然イコールじゃねぇぞって話だよ。

それでも尚「枕狐サイドが先に手を出した」と言い通すのであれば、そいつらは薄汚い卑劣漢だ。

枕狐(およびその付録)の奴が対立勃発後、どんなゲスな事をやろうが、そもそもの原因はさくらい。枕狐の悪質性で「原因」は消滅するわけではない。事実事実

俺はこんなもん、どちらか片方に肩入れする奴の気が知れないという考え。

俺は警察裁判所じゃなく人間なんでね。原因も判断材料にする。その上で、こんなもんどっちも擁護する気になれん、っつー話よ。どっちがどれだけあくどいか、なんて基準だけで判断するからあんな風に泥沼になるんだ。

一方が暴力をふるってもう一方が殴られた側だとしても、殴られた側が最初挑発的な言動に及んでいれば、こんなもん、原因はあきらかに挑発的な言動を取った方で、原因も考慮に入れるならどちらにも同情にはできんよ。

殴った方に重い責任が発生するっていうだけの話で、それは原因とは何の関係もない話だ。今回のは到底、同情できるような話じゃねぇよ。

繰り返すが原因と責任全然別の問題から、枕狐は責任責任でとるべき。責任問題とそもそもの原因を同一視してる奴らがこの泥沼劇を招いている。

あとな、加担者が見ているかもしれんから書いておくが、脳ミソ、ちょっと進化させな。

「”枕狐を擁護する人間”や ”さくらいを擁護しない人間”は、全部枕狐の自作自演」だとか、枕狐の「信者」だとか、アホかと。

枕狐を批判する、というものが万人に共有されていなければいけない感情かのように考えるの、やめな。

それな、「枕狐は許されない」んじゃなくて、「俺が気に食わない」ってだけの話なんだぜ? 

「枕狐のあれほどの行為を見ても、枕狐を批判しないなんてありえない!」って思ってるだろ?それがバカなんだよ。そんな考えでいるうちは、あんたらもこの件に関して首突っこめるほど人間できちゃいねーよ。断言するわ。

ALS患者出席拒否事件への証言の一部

http://togetter.com/li/974568

与党理事当事者意見を直接聞くことも大事だが、参考人質疑の限られた時間ルール考慮して協会意見をしっかりやり取りしていただける方が望ましいという主旨での発言で、協会委員会で視察に行くという代案も提案していた。「拒否」は明らかな事実誤認

この発言に尽きるように見える。限られた審議時間内で最善を尽くそうとすることが差別呼ばわりって、差別ってなんなんですかね。

2016-05-12

最近でこそ「お年寄りや体の不自由な方、妊婦の方、小さなお子様をお連れの方など、その席を必要とされる方に~」って優先席の案内がされるけど、未だに「若い」人に対してはそれ以外の理由考慮されないっていうか、しない老人がたくさんいるなあと言う印象。

もういっそのこと老人専用席でも作ったらどうよ。

2016-05-11

ヒロシマ訪問理由を代弁させたミスターアメリカ

ミスターアメリカがあの街へいらっしゃるという。

71年前の今日ヒロシマは、美しい伝統的な街並と維新後の情緒豊かな建築物の融合した活気溢れる都市だった。

71年前の今日から三ヶ月後のヒロシマは、その何もかもが失われた、根こそぎに生の消されたゴーストティーだった。

今日ヒロシマは、いろんな想いと痛々しい傷痕を抱えながらも活気溢れる平和象徴する都市によみがえった。

ミスターアメリカはその地に今回訪れるにあたって、

この度の訪問目的は、(原爆)投下を批判するするものでもなければ、謝罪をするものでもない。

そうはっきりとおっしゃった。代弁者を通して、だ。

 

ならば、その目的はなんだろうか。

共に平和を祈ろう、か。

過去のことは水に流そう、か。

 

ミスター日本は自ら出迎えに、いや、当日は、ミスターアメリカセレモニーに参加させてもらうそうだ。

なぜミスター日本は、国民気持ちをくんだり、声を聞こうとしないのか。

なぜ彼は、「いいえ、それは困ります」、と言わないのか。

「その一線は、私たちの心の深い所にあるから、越えてはならないものです」、と正当な態度を示してくれないのか。

 

こっちは悪くない。謝らない。と、きっぱり事前に宣言されて、それでもどうぞどうぞと手招きすることが、

今後の日本の政治地位を決定的に変えることを、ミスター日本は落ちついてちゃんと考慮したのか。

日米間だけでない。アジア近隣諸国に対してもだ。歴史ファクト関係のない所で処理され作られていく。

第二次世界大戦の決定的な悪者自分たちではなかったということを今一度はっきりさせておきたい、というアメリカ大国の切羽詰まった現状をなぜ、見極められないのか。

 

ミスターアメリカには二つ伝えたいことがある。

日本には、寝た子を起こすな、という諺があるということ。

それからヒロシマへはぜひ任期終了の後プライベート観光で、自費で訪れたいことを。

ただ、私はミスターアメリカ電話番号メールアドレスも持っていないし、そこまで親しくない。

ミスター日本が代弁してくれたら心強いのだけど、彼とも私は親しくない。

 

けれど望みは捨てたもんじゃない。

記者会見は行われるのだろうか。

もし行なわれるのだとしたら、我らが誇る有能で国家依存しないジャーナリスト一丸となっていただいて、

ミスターアメリカにこう訪ねて欲しい。

「今回の訪問目的が、『(原爆)投下を批判するするものでもなければ、謝罪をするものでもない』、と

代弁者を通して伝えられた私たちは今たいへん混乱している。あなた自身言葉でそれを発してくださることは可能だろうか」、と。

 

断られたら、日本人は目が覚めるだろうし、

受諾されたら、ミスターアメリカはその血も涙もない発言をした政治家として、後世まで歴史に刻まれる。

 

歴史ファクト関係のない所で処理され、強い者にいいように作られていく。

それでいいのか。

 

2016-05-10

後ろのバンパーが凹んでいる車を見たら車間をいつもの倍空けるべき

追突された場合はどれだけ急ブレーキであっても過失割合は10:0で相手側が悪い(車間空けてない&前方不注意)

なので相手保険で綺麗に修理できる.特にバンパーだけなら交換なので新品にできる.

事故処理が面倒で示談で済ませた,相手が無保険当て逃げされたなどの理由も考えられるが,結局のところ修理しないで放置している時点でお察し.

自分でぶつけてる場合は論外.サイドを擦ったり下を擦ったりとかなら誰でもやるけれどバックしていて後ろをぶつけるって相当注意力足りてない.

まぁぼーっとしててぶつけてしまうことは誰しも起こり得るけれど,そうなったときに直さないってのも考えられない.

少しの凹みならドライヤー当てれば直ったりするし,バンパー外して裏側から押せば直ったりするのに,それすらしないズボラ

唯一考えられる理由はぶつけたばかりで修理がまだ出来ていない,部品到着待ち,土日に自分でやるつもり,ぐらい.

割合としてはかなり少ないと容易に想像できる.

なので,後ろのバンパーが凹んでたら無保険である可能性も考慮して車間をいつもの倍空けておく.非常に危険な車.

2016-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20160508123926

完全に横レスだが

そして、国会同性婚を認める法律を作った場合に、最高裁がそれを違憲とする可能性はない。

可能性を語っていいのであれば、現時点で国会同性婚を認める法律を作る可能性もないのでは?

その意味では全く意味のない仮定

現在憲法民法においては、立法時点において法的保護に値するとされていた婚姻制度対象になるだけ。

まり異性婚だけ(この言い方も変だが同性婚と対比させるため)。

  

ただし将来、同性婚も法的保護対象とすべしという機運が盛り上がればそういう法律もできるでしょう。

しかしそれが果たして異性婚と同じような枠組み、もっというと婚姻制度の枠内に収めるべきものになるかは

全くわからない。

憲法24条は、歴史的地位の低かった婚姻関係にある女性の権利男性同等に高めるという方向に重きが置かれている。

まり婚姻する両者間の話。一方同性婚は当該カップル社会との間の話。この趣旨の違いを考えると、

憲法24条で同性婚禁止されていないからセーフ」みたいな考え方は浅いと思う。

保護法駅をよく考慮しそれにふさわしい立法および改憲必要ではないか

もっと突き詰めると、婚姻とは何なのかという深いところを整理する必要がある。

2016-05-07

mixiを復活させたい!!

高校卒業した2006年大学へ進学した友人の招待でmixiの会員になった俺は、

予備校から帰宅すると、彼らの楽しそうなキャンパスライフが語られた日記を読んでいた。

何か月か前まで、時にはオナニーした日まで報告し合う、常に一緒だった馬鹿な友人たちとの仲も、

こうして立場が変わり、歳を重ねるごとに疎遠になってしまうのだろうか

という漠然とした不安を払拭してくれた、画期的ツールだったように思う。



そして、SNSの主流はFacebookInstagramに変わった。

多くのユーザー写真ネットにアップし続けているが、



「その時、あなたは充実した時間を過ごされていたんですね」



被写体や背景が何であろうと、これしか感想を抱けない。

友人のアカウントにしても芸能人アカウントにしても、

この感想自分非リア充っぷりを噛みしめる他何もない。



mixiは楽しかった。

大学生予備校生という立場の違いから、

アクセスすることで鬱屈した感情を抱くこともあったものの、

会って接する時と違う一面を文章で見せられたり、

招待されて仲の良い友人たちと、こそこそネット上でつながったりすることが

しかったのだと思う。

SNS黎明期だったこともかなり大きい。

FacebookInstagramのようなSNS存在否定するつもりはないが、

今のSNSに足りないものは、



写真主体ではないこと

・こそこそ感



これなんじゃないかと思う。



今見てきた、63人いる俺のマイミクの中で1日以内にアクセスしていたマイミクは2人だった。

ミクシィは、モンスターストライクが柱で株価も昔より良いから、

オワコンmixiなんて放置しとくかってことかもしれないし、63人中61人が非アクティブという、

地方の平日のイオンのような雰囲気はこれはこれで好きだが、

こんなものを取り入れたら、また、画期的mixiが復活するのではないだろうか。



1年以内にアクティブ化していないユーザー強制退会させて一旦リセット

システム移行のため、mixiへの関心がないユーザー排除



複数人招待制導入

招待制を復活させると共に、3,4人といった複数人から招待されないと会員になれないシステムを導入。

これによって、知人ではなく、「仲の良い人とだけつながるSNS」というスタンスを構築。



見たけりゃ自分アクセス

mixiでも他のSNSでも、友人の更新のお知らせをタイムライン確認できてしまう、

この便利さを、最大3人までの「とびきり仲の良い人枠」に制限

基本は、「その人の近況を知りたいならお前が自分で見に行けよ」というスタイルで、あえて不便にする。

こうすることで、自分にとって興味のある人とのつながりを促進。

必ずしも興味のあるという想いが双方で確立しているとは限らないので、

SNS疲れ考慮し、足跡機能廃止



一定期間無アクセスマイミク取り消し

SNS問題になっている、そこまで仲良いわけじゃないんだけど、もしくは、会社上司

仕方なく友人として登録してしまったがために、発言写真に気を使うことも増え、

SNS疲れや裏アカ再構成などといったことを防ぐ。

“お互い”が登録当初は1か月、3か月、6か月…最長1年という具合で無アクセス場合運営側システムマイミク関係自動解消。

結果、仲の良い友人だけと、こそこそとしたつながりを実現。

(異性間や会社人間関係において、“どちらか一方”とするかは要検討)

ホッテントリトップ

2016年5月7日17現在ホッテントリ人気49のうち


集計間違いや今日休日の夕暮れであることを考慮してもだ、合計31エントリノイズが紛れてる状態いくらなんでも冗談抜きで末期じゃねーのこれ?

もうはてなブログ人気ランキングにでも改題しろ