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2024-11-01

リンチ殺人事件加害者女、完全に女版チー牛

女は風俗やればいいか犯罪に走らないっていうけど

このレベルだと売れないか犯罪ルートも開いちゃうんだね

場末では売れるかもしれないけど、そういうとこは勤務時間守れないギリ健がなんとか働ける程度の場でありお賃金としては普通に昼職で働いた方がマシなぐらい安い

https://i.imgur.com/GgD8B2H.jpeg

船橋少女殺人事件では主犯の女は無期懲役なので今回もそうなるだろうけどギリ健すぎて割引になる可能性も

八木原さんは挙動不審店員さんとして有名でしたよ。レジ打ちなどのミスが多く、『どうしよ、どうしよ』とよくテンパっていた。常に落ち着かない感じで身体前後にユサユサ揺らしていたり、ブツブツなにか独り言を言っているので、正直気味悪がられていました」

https://bunshun.jp/articles/-/74535?page=2

八木原さんは勉強クラスで1番できないくらいだったし、運動も苦手なタイプでした。地味だけど真面目だったので、部活合唱部一生懸命やっていたと思います。みんなからは『あまちゃん』とか『八木原』とか呼ばれていました。

いじめられるまではなかったけど、クラスでは浮いた存在というか、みんなから好かれてはなかったです。休み時間や移動教室ときも常に1人でいて、友達はいなかったと思います

当時から小柄で色白でしたが、髪は長かったです。大人しいタイプで、校則違反するようなこともなかったので、今回ニュース事件を知ってすごく驚きました」

https://news.yahoo.co.jp/articles/09de0d23895ff9c84da20edea76dd1d2eaa06398?page=2

2024-10-30

俺以上に運のいいヤツいる?

俺の一番の長所は運の良さで、幼少期から35歳の今までずっとツイてきた。

なぜだか分からないが、本当にずーっと人生追い風が吹いており、思い返すと不思議なほどにツイている。

俺ほどに強運が継続している人間日本ほとんどいないと思うし、運の良さで生きてこれたので自慢したい。

長い文章だが、とにかくずーっとツイているので長くなるのは仕方がない。

幼稚園時代

小学校時代

中学時代

高校時代

大学時代

社会人1~5年目

社会人6年目以降





夏目漱石の「坑夫」という小説に、主人公たちの腹が減ったらたまたま近くに飲食店があり「大袈裟に云えば天佑である」とコミカルに述べた部分があって妙に印象に残っているのだが、俺の人生はまさに天佑連続なのだ

俺以上に運のいいヤツはほとんどいないと思う。ありがとう

2024-10-29

実際にいた、創作趣味の痛い奴

創作活動、とりわけ「一次創作(完全オリジナル)」の創作趣味な人で、こんな人を見かけたことはないですか?

 

キャラクター設定はあるが、肝心の「お話(本編)」がない。
マンガ小説等の形になった「お話」は無いが、設定だけは延々と語る。
他者が作ったオリキャラ(よその子)と絡みたがる。

 

今はもう見かけることは無いと思いますが、昔はこういうキャラしか作れない創作屋」がたくさんいました。
「うちの子厨」とも呼ばれ、界隈の一部からは「痛々しい」と影で叩かれることもありました。
かに、「創作」と言うよりかは、「ネット版お人形遊び」と言った方が正しいでしょう。


とは言えこういう人種ネット上だけの存在
……と思われるでしょうが現実でいました。こういう人。

ふと思い出したのでこちらに記しておきたいと思います
心当たりがある方に読んでもらえたら幸いです。

 

 

結論から言うと、まあキモかった。痛々しかった。

 

 

ちなみに女性です。この人を「A子」します。


A子と知り合ったのは、確か入学したばかりの頃、友達の紹介であったかと思います所属する部活動を選んでいる最中の時だったかすみません記憶あいまいです。
当時は私も恥ずかしながらマンガを描くのが趣味で、それで一度意気投合たかと。

 

そのA子の痛さを簡単にまとめると。

 

こちらの創作に口を出す。
自分オリキャラの話を延々と語る。
小説も書いてはいたようだがほんの序章しか書いておらず、それで読ませて感想を求めてくる。
④「合作しよう」としつこく持ち掛けてくる。

 


まず①について。


私が部活で短いマンガを描いたとき、読んでくれたはいものの、感想は無くA子は「この後はこうした方が良い」「この案はどうですか!?」ってすごい勢いで迫られました。
描いたのはただ現代日本部隊のほんわかな雰囲気ギャグ漫画なのですが、彼女提案した設定は「このキャラは実は侵略のためにやってきた異世界人」「異世界を救うためにやがては主人公をその世界に連れていく」等などのトンデモ話ばかり。苦笑いするしかなかったです。

 

②について。

 

A子の設定話は帰りのバスの中でよく聞かされました。しかも同じキャラクターの同じ設定の話を。私は虫が大の苦手なんですけど、そのキャラの虫に関する設定をだらだらと話していたのは覚えています
語り方も手をわきわき動かしながらで、今となっても本当にキモかった。
後は「このキャラは超美少女で暗い過去があって~」「このキャラは神と同等の力を持つ武器を持ってて~」と厨二病全開の設定祭りです。
異世界の話を盛りたがるあたりそういうのが好きだったんでしょうね。

 

③について。

 

A子も小説という形でキャラクターを動かしていたようですが、その話が原稿用紙1枚分程度の長さしかありませんでしたね。しかも序盤。
そんなもの読まされてもって感じなんですけど、いきなりそれ書かれた紙渡されて「読む?」って言われて…断れるわけないですよね。
突然クライマックスですが、何故そうなったのか、これから主人公はどうするのか、さっぱりわかりません。帰り道散々聞かされた設定は、どこにも記されていません。
起承転結も無い作文に「どう?」って聞いてくるものですから、何とか当たり障りのない感想を言ってあげました。

 

最後の④、これが本当にキツかった。一番ヤバかった。


ある日A子から合作しませんか!?」ってこれまた勢いよく言われました。
その時私は「まだ自分作品だって満足に作れてないのに合作は難し過ぎる」といって断ったのですが…
A子は「何で?二人で考えればいいもの作れるのに!」「案を出し合った方が効率もいいですよ!」「何でダメなんですか!?」的なことをまくし立てるように言ってきて、こちらの話には聞く耳持たず。さすがにうんざりしました。
合作はしなくて済みましたが、それ以来私はA子と距離を取ることにしました。

 

 


そしてA子はあの後どうなったか……


彼女携帯サイトを作っていました。今となっては懐かしいコンテンツですね。(彼女交流していた同じ部活内の人が教えてくれました)
サイトを作ってようやく創作活動を本格的にやり始めたのかと思いきや。

 

 

「イマジナリーフレンド」のサイトでした。

 

 

彼女の作ったオリキャラがイマジナリーフレンドとして掛け合いをブログに投じている。
鬱々とした管理人彼女)をイマジナリーフレンドが懸命に慰めている。

イマジナリーフレンドとは、小さい子どもが遊び相手として作る空想上の友達のことです。空想の一人遊びです。
普通であれば小学生までの子どもが楽しむもので、中学生のうちに自然消滅するものです。
初めて見ました、イマジナリーフレンドをネット上で公開するの。
彼女にとって、創作とはなんだったのか。ともかく距離置いて良かったなと心から思いました。
現在このサイトは完全削除されていると思います

 

 

 

最後にこの話、いつの頃の話だと思いましたか
中学生高校生

 

 

 

大学生です。

 

 

 

18歳を超えた大学生お話です。
冒頭で記した現実版「うちの子厨」の末路の1つです。
しかし今にして思えば、昔流行った「うちの子文化は、「イマジナリーフレンド」と紙一重存在だったかもしれません。

今でも「うちの子文化を楽しんでいる人がいるなら、彼女のような痛々しい人はいないことを願うばかりです。

 

 

今頃、彼女はどうしていることやら。イマジナリーフレンドは卒業していればいいですね。

2024-10-28

週刊少年マガジン史上最も重要マンガ20

anond:20241012181121

マガジン20選を決める際、一人一作しばりを外した。ちばてつや梶原一騎(高森朝雄)はどうしても二作選ばなければならなかった。週刊少年マガジンちばてつやに育てられ梶原一騎に鍛えられた。特にちばてつやがいなければ今日マガジンはない。

『ちかい魔球』1961-1963『ハチのす大将』1963『紫電改タカ』1963-1965『ハリスの旋風』1965-1967『あしたのジョー』1968-1973『おれは鉄兵』1973-1980『あした天気になあれ』1981-1991『少年よラケットを抱け』1992-1994

と三十年以上に渡りマガジンを牽引してきた生き神様のような存在だ。新人発掘のちばてつや選考委員として世に送り出した漫画家たちも数多い。Wikipediaを見るとあの人もこの人もちばてつや出身だったのかと驚く。漫画家初の文化勲章受章者になったのも当然すぎるほど当然の偉人

梶原一騎は他誌でも書いているがマガジンでのヒット作が多い。『空手バカ一代』も『愛と誠』もマガジン連載作。

1 ちばてつやハリスの旋風』1965-1967

部活漫画開祖。ガキ大将剣道ボクシングサッカー等様々なスポーツに挑戦する。後世への影響力は『あしたのジョー』以上ではないだろうか。アニメ化の際はガキ大将大山のぶ代メガネくん小原乃梨子という配役だった。後のドラえもんコンビの原点という意味でも重要だ。

 

2 水木しげるゲゲゲの鬼太郎』1965-1969

墓場鬼太郎から改題。マガジン発ではないがマガジン連載で有名になり今もアニメリメイクされる国民キャラクターになった。

 

3 梶原一騎川崎のぼる巨人の星』1966-1971

後世への影響力は間違いなくマガジンNo.1。苦悩する主人公、激しい特訓、写実的な絵でスポ根というジャンル確立した。漫画界に地殻変動を起こした。その分パロディ対象にされることも多い。夏目房之介『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』と斎藤貴男『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』を読むと理解が深まる。

 

4 高森朝雄ちばてつやあしたのジョー』1968-1973

奇跡の名作。二つの異なる才能がぶつかり合い、週刊連載による偶然が積み重なり、梶原一騎世界ともちばてつや世界とも違う唯一無二の作品が完成した。日本漫画史はここで一つの頂点に達する。

 

5 永井豪デビルマン』1972-1973

日本最高の漫画を選ぶなら『あしたのジョー』と『デビルマン』は有力候補になるだろう。この二作が同時に載っていた当時のマガジンの恐ろしさ。永井豪は週刊少年漫画誌5誌全てに連載を持っていた。

 

6 矢口高雄釣りキチ三平』1973-1983

アウトドア漫画の魁。前代未聞の高度な画力釣り啓蒙した。梶原一騎時代の影響で暗くなっていたマガジンから明るさを取り戻す好機にもなった。当時10年間連載というのは非常に稀なことだった。

 

7 柳沢きみお翔んだカップル』1978-1983

少年誌ラブコメの基礎を築いたというだけでも偉大だが、その後深刻なメロドラマへと変貌する。今の瀬尾公治流石景はこの流れの中にある。柳沢きみお過小評価されている。永井豪同様5誌全てに連載を持っていた。

 

8 小林まこと『1・2の三四郎』1978-1983

熱血の時代から熱血を笑う時代へのパラダイムシフト象徴する一作。小林まこと島本和彦は熱血する自分を高らかに笑いながらまた熱血し続ける。三四郎は『ハリスの旋風』のようにスポーツ転々とする。『青春少年マガジン 1978〜1983』を読むと壮絶な舞台裏垣間見える。

 

9 蛭田達也コータローまかりとおる!シリーズ 1982-2002

かつてマガジン最長連載を誇っていた。超巨大学園の抗争から異種格闘技になったかと思えば突然ロックバンドをやり出して最終章ではどシリアスな展開に突入し「新」では柔道漫画に様変わり…と融通無碍作風マガジンカラーのものだ。「L」連載中マガジンSPECIALに移籍2004年に中断。

 

10 しげの秀一バリバリ伝説』1983-1991

峠の走り屋だった高校生世界的レーサーへと成長するまでの物語楠みちはるあいつとララバイ』と共に80年代バイクブームを盛り上げた。『バリバリ伝説』をバイブルと呼ぶバイク乗りは多い。後の『頭文字D』の布石にもなった。

 

11 森川ジョージはじめの一歩』1989-

森川ジョージちばてつやの正統的後継者だ。『ハリスの旋風』を読んで漫画家を志し、ちば先生が描いているからという理由マガジンに持ち込みデビューちばてつや世界平成風にアップデートした『はじめの一歩』は途轍もなく面白い漫画だった。そんな時代があった。

 

12 石垣ゆうきMMR マガジンミステリー調査班』1990-1999

世間への悪影響ではトップクラス。今でこそ「な、なんだってー!」をネタにしていられるが当時1999年人類滅亡に本気で怯えた子供は多い。70年代五島勉記憶が薄らいだ頃に再びノストラダムス予言の恐怖を植え付けた。山本弘トンデモノストラダムス本の世界』『トンデモ予言の後始末』は解毒剤として有効後者でのMMR批判は傑作。

 

13 佐木飛朗斗所十三疾風伝説 特攻の拓』1991-1997

ヤンキー漫画集大成。同時期の『湘南純愛組!』『カメレオン』等と共にマガジン治安の悪さに貢献した。これ以上不良を熱く描くのはもう不可能かもしれない。

 

14 天樹征丸金成陽三郎さとうふみや金田一少年の事件簿シリーズ 1992-2001,2004-2017

1億部を超えるマガジン最大のヒット作。推理漫画というマイナージャンルを一気に隆盛へと押し上げた。雨後の筍のように模倣作が乱立しその中から名探偵コナン』というもう一つの巨星が生まれた。影響力では『巨人の星』に次ぐNo.2だろう。福井健太本格ミステリ漫画ゼミ』は推理漫画歴史概観した労作。これを読むと『金田一少年の事件簿』以前以後で全く景色が違うのがわかる。

15 藤沢とおるGTO』1997-2002

湘南純愛組!』の主人公の一人だったヤンキー教師になって大暴れ。マガジンジャンプを破り日本一の発行部数に君臨する立役者にもなった。TVドラマも大ヒット。反町隆史松嶋菜々子ビッグカップル誕生きっかけになったという意味でも影響力は大きい。

 

16 赤松健ラブひな』1998-2001

萌えマガジンに定着させた。雑誌カラーを変えたという点でかなり重要。これ以後の『スクールランブル』等の恋愛漫画もつながる。一方でヤンキー漫画は減っていった。

 

17 寺嶋裕二ダイヤのAシリーズ 2006-2022

正確なスポーツ描写時代象徴する一作。同時期の『あひるの空』はスポーツ弱小校を描くことによって、『ベイビーステップ』は現実的トレーニング理論を取り入れることによってリアリティを追求した。梶原一騎根性主義は完全に過去のものになった。

  

18 鈴木央七つの大罪2012-2020

70年代しかあり得なかったはずの週刊少年漫画誌全誌連載が10年代に甦った。『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『FAIRY TAIL』『魔法先生ネギま!』等のファンタジー漫画隆盛の象徴としても挙げておきたい。

 

19 大今良時聲の形2013-2014

障害いじめという深刻な問題を描き大反響を呼び様々な議論を巻き起こした。マガジン塀内夏子以来女性漫画家が多い。(最初里中満智子だが流れを作ったのは塀内夏子)『シュート!』の大島司、『Harlem Beat』の西山優里子、『ゴッドハンド輝』の山本航暉、『トッキュー!!』の久保ミツロウ、『ベイビーステップ』の勝木光、『ヤンキー君とメガネちゃん』の吉河美希、『ドメスティックな彼女』の流石景等。

 

20 和久井健東京リベンジャーズ』2017-2022

今、不良は現実でも漫画でも下火になっている。その状況で不良漫画を描くにはどうしたらいいかタイムリープで不良が盛んな時代に行けばいい!という発想の転換で大ヒットになった。時代の移り変わりを象徴する一作。

 

天才バカボン』も『男おいどん』も『野球狂の詩』も『三つ目がとおる』も『ミスター味っ子』も『シュート!』も『BOYS BE…』も『サイコメトラーEIJI』も『エア・ギア』も『FAIRY TAIL』も『五等分の花嫁』も『ブルーロック』も選外になってしまったが、マガジン歴史の流れを重視して選んだ。

妹ばかり優遇されるのってあるあるなのかな

長女は生まれながらにして不幸だと思う。

下の兄弟が生まれた瞬間に不幸になることが決定づけられたようなものだ。

お姉ちゃんなんだから我慢して」と親にも妹にも言われた。妹はいつも傲慢怠惰で短気である

妹を簡単説明すると小学生の時から不登校気味で中学生の今では部活以外で登校はしない。部活演劇部脚本を書いているようだがそもそも活動してるのかすらよくわからない。

両親はとにかくこの妹に甘い。

私が中学時代演劇部に入りたくても運動部以外は認められなかった。入ったバレー部飛び降り未遂をするくらいひどいいじめにあっても部活学校も休ませて貰えなかった。下着姿で家から追い出されたこともあったのに。

妹はとにかく物に当たる。何かを投げたり蹴ったりしてその対象が私のこともあった。私が耐えられなくて言い返したりやり返そうとすると両親は決まって「この子はもう病気から何も言い返さないで、やり返さないで、相手にしないで」と何故か私が怒られる。

私がスマホを持ったのは高校1年生のときなのに妹は小学5年生から持ち始めた。

毎日リビングで顔を合わせる度に「死ね」「消えろ」「出ていけ」と言われる。お望み通りと思い夏休みに1週間ほど大学の友人の家や彼氏の家に泊まり、家に帰ると「なぜ帰ってこなかった」「お前が家にいないせいで家事は私がやることになった」と八つ当たり

私が中学生の時服を買ってもらうのは決まってしまむらかパシオスだったのに妹は常に両親にLIZLISAや夢展望など高価な服を買い与えられている。今でも両親にそんな高い服買ってもらったことは無い。

両親も両親だ。病気かなにかだと思っているならさっさと病院に連れて行って適当入院させてしまえばいい。そうしたら私が救われるのに。

私が受験勉強精神を病んで心療内科うつの診断を受けた時それを甘えと言ったのに妹が中学行きたくないといえば「辛かったね🥹‪よしよし」ですぐに休ませる。

どうして妹ばかり優遇される?すぐに家を出たいけれど大学在学中は実家で暮らさなきゃいけない。

バイトもしてるけど稼ぎは安定しないし稼げて月5万円いかいくらいで大学の教材費や画材費に消えていく。その上妹に「バイトしてるんだから金よこせよ」と言われて微々たる額だが渡さないとまた暴言暴力に襲われると思うと渡さずにはいられない。

私はもうこれ以上苦しみたくない。たすけて。

2024-10-27

趣味としてのスポーツ観戦入門:バスケ

大人になって「趣味が無い」と悩む人も多いのではないだろうか?

そこで、スポーツ観戦が趣味増田趣味としてのスポーツ観戦の良さを語ってみる。

増田バスケ観戦を趣味としてるので、バスケを主な題材にする。

まずはバスケに限らないスポーツ観戦の良さ、楽しみ方を書いて、バスケ特有のことを書くようにする。


良さ1:熱狂



スポーツ観戦の良さは、大きな声を出してはしゃいで盛り上がれるところ。

選手の熱が観客にも伝染するから自分がはしゃいでも何ら恥ずかしくない。

元気になれる。

ノリとしては、音楽ライブと一緒。

そして、バスケ限定して言えば、バスケ界は革新に向けて準備真っただ中。

その革新の項目の一つに「大型アリーナを持つこと」っていうのがあった。

そのため、日本各地に大きなアリーナがいくつかできてる。

BリーグはB1,B2,B3と上位リーグから下部リーグまで合わせて、55チームもある。

地方民でも、車圏内にB1やB2のチームがあると思う。

良さ2:アリーナ空間演出 (アリーナ特有)



アリーナの話の続き。

アリーナは、屋外球場にない魅力がある。

音や光、大型モニターを使った演出が多彩。

これは野球サッカーのような屋外競技フィールド自体が広い競技には難しい点だと思う。

あと、シンプルに観戦環境が良い。

屋外と違って、暑い寒いから守られる。


良さ3:女性客の多さ (バスケ特有)



もしこれを読んでくれてる人が女性なら、バスケはいいぞ。

日本プロバスケリーグ(Bリーグ)は女性ファンの来客数の方が多い(53%)。

https://www.bleague.jp/indata/

そのため、女性が行きやす空気感

子連れ家族も行きやすいと思う。

スポーツ選手にはイケメンが多い。

特にサッカーバスケはそう思う(独断偏見)。

バスケ顔ファンが多いし、そういうのから入門するのもアリ。

イケメン写真撮ることを目的としてるファン層もいるから、バスケ界隈では顔ファンであることを恥じる必要はない。

(アンチ顔ファン勢力もいるが、気にしなくていい)


良さ4:明らかな体格の違いによる圧倒的迫力



バスケバレー相撲を生で見る面白さとして、「うわ、プロ選手デカい!!」と感動するところだと思う。

バスケ場合身長2m、体重100kgを超える選手が、全力で走って、ぶつかり合うと非日常感を味わえる。

コートに近い席を取れば、「ドン!」という接触の音も聞こえてくると思う。

迫力がある。

なので、スポーツ観戦初心者ほど、コートに近い席を思い切って取ってみてほしい。

特に野球なんて、選手の近くなんて座ることができないが、バスケはベンチ裏の席だって座れる。


もし「コートに近い席なんて、値段高すぎるわ!」と思うなら、学生スポーツでもよい。

全国の強豪校、強豪大学試合プロ候補生同士の試合から、190cm以上が当たり前にいる。

しかも、大学スポーツは人気がないから、フロアに近い席でも格安で見れる。

スポーツ観戦が趣味人間からすると大学スポーツは超穴場。

良さ5:配信の安さ



バスケ配信サービスはどれも安い。

日本プロBリーグ配信は月額550円

世界トッププロNBAも"実質"月額1000円(※)。

NBA楽天モバイル契約するのがお得。

普通にNBA契約すると月額4500円だけど、楽天モバイルユーザーなら追加料金ゼロ円。

なので、他のキャリアユーザーでも楽天モバイル契約して、2SIMにして放置しておくと良い。

そうすると、楽天モバイルの最低料金の1078円でNBAも見れる。

サッカー野球配信サービスDAZNは、DMMとのセット等を駆使して最安値にしても、3500円。

バレーボールはJ Sportsで2000円が最安値

バスケは圧倒的に安い。

バスケの良さ:国内リーグレベルの急上昇っぷり



この数年間のバスケ界の盛り上がりがすごい。

この2,3年で日本プロリーグ世界の上位国代表級の外国人が当たり前に来る時代になった。

ドイツ(世界ランク3位)やオーストラリア(世界ランク7位)の代表選手Bリーグにいる。

他の強豪国のスペイン等の代表候補なんかも普通にいる。

そのため、1部リーグのB1で試合に出れる日本人は、

代表レベルに上手い

個人能力は高くなくても、プロ世界適応する能力が高い

・将来性が異常に高い

のどれかの素質はもってる。

昨今の日本代表普通に強いけど、そんな日本代表よりも、千葉ジェッツアルバルク東京のようなビッグクラブの方が強いと思う。

国内リーグの毎試合代表レベル試合


なお、「そんなに強い外国人が多いと、日本人なんて活躍しないのでは?」と思う人もいるかもしれない。

5,6年前は実際、「外国人パスしてるだけ」のリーグだった。

でも、今は外国人と並んで戦える日本選手がすごく増えた。

レベルが上がった結果、B2のような下部リーグにもトリクルダウンが起きてる。

学生時代世代代表として活躍した選手B2に行くこともあり得る世界線になった。

もし地方民で、近くにB1のチームが無くても、B2試合でも十分楽しめると思う。

オタク向け:スタッツ(試合結果の統計)の充実



バスケ基本的に攻守の回数が多い。

そして大事なことが、攻める回数と守る回数が同じこと。

いかに「効率的に」攻めて、守るかがカギになる。

その効率性とは、期待値等の統計に落とし込める。

攻守の試行回数が多いことから、そこそこデータ分析との相性が良い。

なので、色んなデータ分析流行って、喧々諤々と議論されている。

大体のことは、佐々木クリスさんという解説者が書いた「NBAバスケ分析 語りたくなる50の新常識」という本が簡単だし面白い。

下手にyoutube等で色々無料情報を探すより、この一冊で大事なことは抑えられるからタイパは良いと思う。

バスケ経験者の中年ほど、「え、俺たちがやってたバスケ全然違う!?」と思えて面白いと思う。

実際、増田(部活経験者)もそういうところからプロバスケ観戦にハマっていった。

その本が出版されてから、また傾向が変わってる部分もあるから、X(旧Twitter)で佐々木クリスさんやBリーグ監督アナリストたちをフォローしておくとよい。

英語が出来たり、機械翻訳で良いなら、NBA分析をしてるアカウントyoutuberも無数にいる。

こうやってどんどん進化していく過程が奥深くて面白い。


その他:チーム作り(メンバーの組み合わせやサラリー問題)、戦術



他にも

メンバー構成

NBAだとサラリーも公開してるからトレード案の検討

バスケ戦術

ビジネスとしてのスポーツ

youtubeとかで勉強し始めるときりがない。

毎年のように、バスケ進化して、より効率的な攻め方や守り方が開発されてる。

プロ選手にも得意なこと不得意なことがあって、戦術環境次第で伸びることもあれば、ダメになることもある。

戦術が少しずつ分かってくると、スポーツ囲碁将棋のような読み合いの要素が強くなって、観てるだけで追体験してるかのようになってくる。

特に日本プロは、個人技よりも、戦術やチームの決め事が多いと思うから、読み合い向きかもしれない。

この辺はサッカーとも似てるように思う。

社会人からすると、ビジネスの側面も面白い。

個々の球団運営リーグ運営の話も色々オープンになってる時代から、どういう制度設計に苦悩してるかが分かって面白い。

こういう深い部分まで楽しめるようになると立派な沼だ。

色々書いたが、スポーツ観戦面白いので、趣味を探してる人は一度試してみてほしい。

2024-10-24

anond:20241021162437

教員には基本的時間外労働という概念制度自体存在しないんだよ

から勤怠管理もなければタイムカードもない

退勤時間以降に部活やら残務処理やらでいくら仕事してたとしても

そもそも勤務時間としてみなされてないから、労働してることにならない

民間でいうところのサビ残と一緒

2024-10-23

周囲から浮いてる人の対処

特に学生時代グループ内で浮いている人がいた時に周りはどうしたらいいか教えてほしい


自分グループではないけど、大学時代に仲良い人たちのグループにそういう人が混ざってて、その人が喋るたびになんとなく盛り下がっちゃうので周りから見ててちょっとヒヤヒヤしていた

最初声かけられた時にマンガの話で盛り上がってグループにいるようになったけど、グループが固まったらその人だけ2ちゃん(当時)やらないとかで根本的に文化が違かった、みたいな


また別の話だけど、中学時代いじめられてる女の子がいて、けど席も近いし私は普通に接してたの

そしたらいきなり親友!と無理矢理腕を組まされ、逃げると学校の前の交差点で一緒に帰ろうと張っている、みたいなことをされたことがある

同じ部活にまで途中入部してきていつも一緒、仲良しグループに無理やり入ろうとしてくるからみんなゲンナリ

もちろん好きなものも全く違うので、話をしていて楽しいとかはない


それぞれアンマッチだったんだろうとは思うんだけど、学生という狭い世間ではどうするのが正解だったんだろうとたまに考える

2024-10-20

部活何やってたの?」「球技です」「球技って?」「卓球です」「卓球って球技…?」

球技だろうが!!

ふざけんな採用されようがこっちから願い下げじゃ!!

20歳の私が東大現役合格を振り返りやってよかったことを羅列する

文章をよめばわるかと思いますが、私は頭がありまよくないです。

それでも東大に入れた理由を振り返りしまた。

1 ちゃんと寝る

これに勝るものはなかったと思います

加速する可処分時間奪い合い競争の中において、睡眠時間を確保するためには漠然とした「ちゃんと寝なきゃなあ~~~」ではもう無理です。

「私は、何時間寝たい」 →

「私は、いつも何時に起きる」 →

「つまり、私はこの時間に寝なければいけない」

この三段論法によって寝る時間と起きる時間コントロールしていかなければ、理想的睡眠時間の確保は不可能です。

学校の授業が前もって何時に何をやるのかが決まっているのと同じように、自分人生において前もって「夜の何時~朝の何時までは寝る時間」と決めておく必要があります

その時間推し配信があろうが関係なく、寝る時間から寝るという絶対的ルールを定めていく。

もしも入試の日と推しLIVEが被ったとして、貴方入試をスッポかしますか?

本当に人生の全てを捧げる覚悟があるならスッポかすという選択もありますが、そこまでの覚悟がないなら入試を優先するべきですよね?

それぐらいの気持ちで「寝る時間は前もって絶対的に決まっている」という気持ちで日々を生きることにしていました。

同級生の中には様々な理由生活リズムを乱していた人がいましたが、そういった人達とは基礎的な体力や健康状態の面で圧倒的優位に立っていたと思います

2 毎日5分でいいか筋トレする

やはり人間運動をしないと身体バランスが悪くなります

ぶっちゃけ単なる有酸素運動毎日の通学時に少し早歩きしていれば勝手ハァハァ息が上がってくれるので十分だと考えています

ですが単に早歩きしただけでは痛めつけ方が足りない筋肉達が元気を持て余し身体リズムおかしくなっていくようです。

私は帰宅部な上に体育の授業も積極的サボるタイプだったので全く運動せずに高校生活の前半を過ごしましたが、段々身体調子が悪くなっていくのを感じました。

何より、いざ基礎体力が必要になった時に全然力が出ないんですよね。

椅子にいつもよりも長く座るとかそういうことさえ難しい。

そんな状態から脱するために筋トレを始めました。5分だけ。

ネットでHIITを調べてそれを実行するだけです。

ただ、タンパク質を取らずに筋トレだけすると筋肉痛がヤバイのでプロテインを飲むことにしました。

私は親がジムに持って行く分のプロテイン拝借していましたが、家族からプロテインを分けて貰えない人は自分で買う必要があるでしょう。

学生金銭感覚だと高いですけど、社会人健康維持に使う経費としてはかなり安いと思うのでプロテインちゃんと飲みましょう。

飲み忘れたあとの筋肉痛が筋トレ最大の敵だと思います

3 自分を褒める

他人に褒めてもらうことを期待して生きていると意外と上手くいきません。

頑張って成績を上げても親は段々と「よく分からんが、ガチればこれぐらい出来るもんなんだろう」みたいな感じで「そうなんだ。すごいね」で終わらせてくるようになります

なので自分で褒めます

1年・2年と続く受験勉強を日々積み上げていく中で「B判定が出たよ。頑張ったね」なんて薄っぺら模試の結果にだけ一喜一憂するだけではモチベなんて維持不能です。

定期的に「凄いな。ちゃん勉強してるぞ」 「今日委員会活動サボらなかったの偉いなあ」 「筋トレ毎日続いてるとか、帰宅部で一番健康なのお前だよ」とか褒めてやります

「1 ちゃんと寝る」の中で寝る時間を決めていると書きましたが、寝る時間を決めても中々寝付けないときがやはり出てきますので、そういうときがチャンスでした。

ベッドにいるけどいまいち意識が遠のかず、かといって起きて勉強なんてしたら生活リズムが乱れてしまうという状態を、「自分を褒めちぎってやるのに丁度いい時間が出来た」と解釈するわけです。

電気を消した部屋の中でぼーっと天井をみながら「今日も3食残さず食べたなあ」「毎日学校行くって案外大変だけどちゃんとやってるなあ」「毎日風呂で丁寧に身体洗ってるから清潔だなあ」といった今更誰も褒めてくれないし他人から褒められたら困るようなことまでひたすら自分を褒め続けます

他人から言われたら皮肉しかならないけど、それをやるのに全く何の苦労も一切ないわけではないもの」というのは人生に山ほどあるので、そういった「自分で褒めるしかないもの」をひたすら褒めて心をメンテしてやりました。

こういうのってジワジワと自尊感情に効くらしいんですよね。

うつ病になった人なんかはこれと同じことを毎晩積極的にやれって医者から指示されたりするとかなんとか。

私はメンタルがまだまだ健全なので、タイミングがいい時に数週間分まとめてやってしまってますが。

重要だと思ったことを上から3つ挙げたら見事に勉強無関係になりましたね。

でもこれが実態だって気はします。

受験勉強って結局のところは「モチベの維持が難しい長期戦」なわけで、そこで大事なのは如何にして心身のメンテを行うかなんですよね。

勉強の内容自体は究極は教科書過去問だけひたすらやってれば何とかなるとも言われてますし、あとは如何にして集中力時間を確保し続けるか。

要するに「心身の健康維持」 「勉強時間確保」を先に固めてしまうのが大事で、そっから先は個々人が好きなように気晴らしを選べばいいだけだと思うんですよ。

自由時間はひたすらゲームやるでも、部活に専念するでも、そこでの時間の使い方は大事じゃないっていうか。

そもそも勉強方法も脳のタイプが人によって違うから他人のやり方は参考にならないっていう話もありますからね。

というわけで、私としては1に睡眠、2に筋トレ、3に自分を褒めるの3つが東大現役合格できた理由なんだろうなと思ったわけですな。

うん。

頭わそるうな文章だな本当。

俺の彼女絶滅寸前!?弱者男性の恋と青春

あみんな!今回はマジでヤバい青春映画を紹介するよ!タイトルは『俺の彼女絶滅寸前!?弱者男性の恋と青春』。これね、普通恋愛じゃ物足りない人にピッタリ!特殊能力を持った「弱者男性」との恋愛ドラマで、もう胸キュンどころか心拍数爆上がりすること間違いなし!

ストーリー

主人公タケシ普通高校生部活勉強、そしてたまに友達とダラダラ過ごす平凡な日常を送ってるんだけど、ある日謎の転校生カリン出会って、彼の人生が一変!カリン、ただの可愛い転校生じゃないんだよ。なんと「弱者男性」で、しか超能力を持った絶滅寸前の種族なんだ!これってSFラブコメハイブリッドでしょ?

カリンテレパシーや念力を使うし、身体強化で戦っちゃうし、さらタイムトラベルまでできちゃう万能少女!でも、その強大な力ゆえに彼女種族迫害されてきて、今や絶滅危機に瀕している。彼女存在は「マイノリティ」として社会に認められていない…そんな重い背景があって、観ているこっちも感情移入ちゃうんだよ。

キャラクター

タケシ最初普通男子高校生から「え、マジで彼女超能力持ってるの?」って驚くけど、次第にカリン孤独や苦しみに気づいて支えたいって思い始めるんだ。この彼の成長が、まさに青春のものカリンのために奮闘する姿に、応援したくなる!

そしてカリン彼女能力がもうチートすぎる!テレパシーや念力は序の口で、変身して別人になったり、タイムトラベル過去未来を行き来したり…さらにはアンチマターで物質消滅させたり、ブラックホールを作り出して何でも吸い込んじゃうという、まさに最強クラス!でも、そんな力があるからこそ孤独なんだよね。彼女の複雑な感情が、物語の中でどんどん深まっていくのが見もの

演出アクション

演出も最高なんだよね!特にタイムトラベルのシーンは、過去学校生活未来ディストピアを行き来するスピード感半端ないしかも念力でモノを浮かばせるシーンや、ブラックホールを使った大バトルは、映像的に見応えがすごすぎる!この手の映画でこんなアクションシーンまで楽しめるなんて、贅沢だよね〜。

そしてラブシーンも、ただの「青春の甘酸っぱい恋」ってだけじゃなく、テレパシーで心の声が伝わってくるっていう斬新さ!お互いの気持ちが直接伝わるって、ロマンチックすぎるんだよ!

総評

『俺の彼女絶滅寸前!?超能力女子の恋と青春』は、青春映画の枠を超えた超次元ラブストーリー恋愛、バトル、SF要素が詰まってて、観る人を飽きさせないし、感動させる!タケシカリンの恋がどうなるのか、そしてカリン絶滅運命は変えられるのか…最後まで目が離せない!

評価は、もちろん★5つ!観終わった後は「超能力彼女が欲しい!」って思っちゃうこと間違いなし!

2024-10-19

原作漫画好きだったかドラマの方の「私の町の千葉くんは。」もみてるんだけど

高校教師主人公階段で4階まで机を運ぶシーンがあるんだが

高校って4階まであってもエレベーターないのって不思議だよな

自分高校生の頃、友達部活怪我して一時的松葉杖生活してた時、行き帰りに念の為保護者人が支えててさ。日中の移動教室自分もできることは手伝って気もするけど。

普通にありえることなのになんで設置してなかったんだろう

危ないよね

あと漫画アプリコメ欄高校教師はこんなかっこしてないって叩かれてたけどそうなのかな

かにアパレル店員さん?って私も思うくらい(当時の)トレンド抑えた感じの服きてる感じだったけど

まあでも華美過ぎないし

体育教師とかじゃないならまああり得るのかなって範疇な気もしたがな。

自分の頃も女の先生って普通にオフィスカジュアル普通に私服っぽい格好の間で幅がある感じだったし

まあ勝負服って感じのはなかったけど

今でいう制服化した私服ってかんじの服

都会の若い先生とかならあり得るのかなって思ってた

2024-10-18

anond:20241018161110

一年分の言い訳でいいんだからむしろ最高だろ

部活で下っ端やってましたって言えばいいだけ

anond:20241018011318

彼が構想してる粗筋は消したほうがいいよ。

よくある設定だし、お前が書いたからパクられたと激昂する可能性がある。

京アニ大量虐殺した男も、部活合宿して買い出しに行くシーンがパクられた!と放火理由にしている。

会話がにているとかでもなく、ただアニメ合宿して買い出しに行ったって所がかぶっただけで、俺の盗作したってガソリン撒いて放火するまで怒り狂った。

2024-10-17

anond:20241017072802

「我が社の商品はクソなんで買わなくていいですよ」って言うのは簡単だけど、それしか出来ない奴の行き先なんて場末工場にさえあるかどうか。



これはマジで分かる。

改善策を考えるでもなくひたすら「こんなクソ商品売れるわけねーよー!」と文句言ってるだけの奴となんて一緒に仕事したくないもの

たまに就活してんのに「俺みたいなカス仕事したい奴いますかねwwwwwWELCOME TO UNDER GROUND」みたいなノリでやってくる陰キャがいるけど社会はお前のママじゃえねよ以外に言う事がないのを必死オブラートに包んで追い返してるわ。

自分という商品ぐらいなにかしら「ここが素晴らしいですよ!」と良さを押し付けられない奴にはどんな簡単仕事も任せられん。

どうせ本人の考えるさいきょーのしごと以外は「こんな仕事やる気になりませんよね」と適当かましくてるに決まってるもの

社会人とか以前に社会の一員として失格。

どうせ文化祭部活もまともにやらずに、「クソすぎだよね~~こんなのが流行るとか終わってるわ~~~」って文句つけながらアニメゲームにまみれて生きてきたような奴らなんだろうな

2024-10-16

自己PR書けずに詰んでる就活

ない!!ない!!無い!!!!!!

無いものは、無い。

はい大学三年生という立場なのだが、「自分は人並みの能力が無い」という自覚を持っているため、早めに就活を始め(ようとし)た。ほら、今就活って早期化してるって言うじゃないですか。

6月からエージェント登録し、夏のインターンに申込み、選考が発生しない企業には何社かお世話になった。

が、私は鬱であった。

元気よく挨拶!にこやかな笑顔!頭の回転の遅さは傾聴力でカバー!!!!そうやって1day、2dayのインターンを乗り切り、時々好感触getしつつ、直結していた秋インターンへの参加を、直前に辞退した。

選考にも関わる重要ものだ。

私は布団の上で断りの連絡を入れた。

「前日までに履歴書を提出してください。」

これが悩みのタネであった。

1社ではない。何社も辞退した。

せっかく夏前から打ってきた布石を、全て無かった事にした。

私は昔から何をやらせても鈍臭く、高校生まではどうにかギリッギリのギリッギリで社会適応しているフリをしていたが、大学受験で崩壊、n浪を経歴に加え、not有名私立大学文系学部に周回遅れで入学した。

まあ入ったからにはこっちのモンよ。

教職資格課程に部活アルバイト(単発)!どうにか「まとも」な大学生になれるように振る舞った。

病んだ。部活は1年で辞め、教職資格は落とした。

成績も前期後期でgpaにして1.5の下落を見せた。

まあまあ、私は何だかんだ図太いのでギリギリ不登校になることはなく、無事に3年生まで進級してきた。

が!しかしだよ、しかしね、どう見ても「企業が欲しい人材」では無いんですわ。継続力ないし。

卒論担当教授に「君このままだと卒論書けないよ」と言われた。度々ポンコツ具合を見せつけており、もう呆れられているのだ。

もつけない。美徳的な意味での正直ではなく、嘘を誤魔化し続けるだけの認知リソースの余りがない。

自己PRない。

あ〜〜〜〜

2024-10-15

日本社会高校野球に例えよう

70年前

部員200人を超える強豪校

いくらでも代わりはいるので実力のないやつ、気に食わないやつは補欠送り

補欠は草むしりや球拾い、準備、後片付けをして、

レギュラー練習に集中することで実力をつけて甲子園に出場

50年前

引き続き部員200人を超える強豪校として名を馳せる

現役部員OBの世話をするルールが出来る

以降、部員は今までしていたことに加えてOBの世話も始める

30年前

サッカー人気が出て野球部に入る生徒が激減

部員100人まで減る

それでもやることは変わらずレギュラー練習に集中、補欠が雑用OBの世話

補欠は一人当たりの負担が増えて大変になり、辞める人が続出

15年前

バスケ人気、テニス人気が出て野球部に入る生徒がさらに激減

代わりなんていくらでもいた部員20名まで減る

今まで掃いて捨ててきたような無能までかき集めて何とか部員40名にする

レギュラーまで雑用OBの世話をしなければならなくなったため練習時間が削られ実力が落ちる

甲子園に出られない年も多くなってきた

現在

どんなにかき集めても部員10

有力な生徒は全部別の部活に取られ、野球部には運動が得意ではない生徒しか残らなくなった

しかもそのレギュラー雑用からOBの世話までしなければならないので練習時間が取れない

当然、実力が落ちて甲子園に出られなくなる

過去の栄光を知っているOB激怒

しか自分たちの世話を止めて練習しろとは言わない

現役部員が「せめて練習に集中させてくれ」ということすら許されない

元々なかったものを無い状態に戻すだけなのに、自分の世話は自分ですればいいのに、なぜか「OBを殺す気か!」と怒鳴ってくる

このOBは現役時代火炎瓶を投げたり傷害事件を起こしたり、現在でも多数の活動を行っている怖い人たちなので誰も逆らえない

未来

野球部に入っても怒りっぽいOBの世話ばかりで野球が出来ないことが知れ渡り誰も入部しなくなる

廃部

世話をさせていたOBはその前に大往生して逃げ切り成功

世話をしていた世代OBには何も残らない

「お前もOBになる」という言葉を信じて頑張っていたのに

うっちゃれ五所瓦とか、おはようKジローとか

他の部活スター選手が集まって、躓きながらもその才能を他のスポーツで輝かせるみたいなジャンルが好きなんだけど、他にある?

2024-10-13

とある20代女(骨格ウェーブ身長160cm)の体重変遷と周囲の反応まとめ

結論

私の場合

BMI18.5は何も言われないけど、18切ると医者から注意を受ける

・痩せてる女扱いは47kg台から

・48kg-52kgは何も言われない

・53kgあたりはガタイがいい判定

・55kg超えからぽっちゃり扱い

・58-60kgはデブ

⭐︎⭐︎痩せても頭のサイズは変わらないので小顔にはなれない⭐︎⭐︎

でした。

以下はダラダラ長文書いてるだけなのでお暇な方はどうぞ

0 はじめに

●なぜこの記事を書いたか

→世は大ルッキズム時代

BMI◯◯以上はデブ!」など過剰にダイエットを煽る文句やそれに反発する声、様々な意見ネットだけでなく実社会においても飛び交う世の中において、個人の一例を示すことによって「この体重だとなんとなくこう見られる」の参考になればいいなと思った あと単なる記録用

プロフィールについて

10代〜20代において10kg以上の増減を過去3回繰り返してる女 身長160cm、最高60kg、最低45kg なお後述するけどダイエットの参考にはならないです

●同じ体重でも筋肉量や骨格によって差が出るのでは?

はいあくまで「運動大嫌いな筋肉皆無160cmの女」のサンプルとしてご覧ください

1 小4〜中1 身長160cm 体重60kg

成長が早く小4ぐらいには今の身長になってた 帰宅後にポテチファミリーパックorカントリーマアム大袋をむさぼりご飯も平らげるわんぱく小中学生時代 

以下周囲の反応

「◯◯胸でっけーー」

小学生のころ。男子に言われることが多かったけど女子にも言われた 本当に気持ち悪いし親御さんの教育どうなってますか? あと全身満遍なく脂肪がついていたので巨乳ってわけでもなかった

「◯◯さんはデブです!!!

中学生のころ。クラスメイトの一部が巨乳女子ランキングを作っており、◯◯さん(私)の名前が挙がったときとある女子から出た発言 声がデカいので普通に聞こえた 後から知ったことだけどその女の子自分巨乳が自慢だったらしい

「体積が…笑」

中学生のころ。体育座りをしているときにヒソヒソされた 

2 中2〜高2 身長160cm 体重50-55kg

前述のポテチカントリーマアムを辞めたら痩せた それでも思春期故に増減が激しかった 

以下周囲の反応

「(腰を掴まれて)くびれがある!」

→中3のころ。50kgぐらいだったと思う 同じ部活女の子に言われた ちょうど痩せ始めた時期

「Aさん(ガタイのいい女子)と後ろ姿そっくりね〜」

→高1か2のころ。クラスメイトに言われた たぶん53kgぐらい 

3 高3〜大1 身長160cm 体重58kg

受験勉強ストレスで過食 それでも60kgは超えないように気をつけてた 

以下周囲の反応

「Bくん(高身長水泳部男子)と肩幅同じやん!」

→高3のころ。たまたまBくんの隣に並んだ時にクラスメイト男子に言われた Aさんの時はなんとも思わなかったけどBくんは男子なので、同じ肩幅って言われたのはちょっとショックだった 5kgの差ってこわい

「頭デカいか勉強できるんだろ!」

→高3のころ。たまたま良い成績をとった時にクラスメイト男子に言われた Bくんの話と違って単なるやっかみなので気にならなかった(でも書く)

4 大1〜大3 身長160cm 体重48〜52kg

受験勉強が終わったので痩せた

以下周囲の反応

「◯◯ちゃん痩せたよね〜」

→50kg切ったあたりでよく言われるようになった 

なおこの期間は体型について何か言われることがあんまりなくて、周囲の反応もこれしか思い出せなかった。 おそらくこのあたりが「普通女子筋肉皆無)」に見える体重なのだと思う

5 大4〜新入社員 身長160cm 体重58kg

資格試験就活ストレスで太った。「ぜんぜん食べてないのに〜」とか言いつつ週3で深夜にラーメン食べてた 

この頃になるとみんな大人なので、体型について言われることは無かった よって周囲の反応は無し 

6 社会生活 身長160cm 体重45kg(現在

ラーメンをやめる+野菜スープダイエット体重を落とした。 一ヶ月ぐらい昼夜野菜スープのみという生活を送り、5kg落としたけど水様便ばっかり出てくるようになったので中止した その後もあんまり食欲が回復せず今に至る しぬほど疲れやす身体になったのでオススメはしない

以下周囲の反応

「◯◯さん!?

→久しぶりに会った先輩に言われた。体重58kg時代に会ったきりだった 10kg痩せると別人だと思われるらしく、最初声をかけても不思議そうな顔をされた

マック食べられなさそう」
ラーメンきじゃなさそう」
ガリガリやないか
「もう少し太ってね」

デブ時代を知らない人たちから発言。三番目は47kgのころとある男性から、四番目は45kgのころ健康診断を受けた時に医者から言われた SNSをみるともっと痩せてる子がいっぱいいるけど、実際は160cm/47kgあたりからガリ判定なことに注意が必要です 骨格的に細い子は特に

7 最後

太ったときより痩せたときのほうが圧倒的に見栄えがよくなるのは確かです!

長年自撮りを撮り溜めているのだけど、周囲から何も言われなかった時代(52kgぐらい)のころの写真すら今見ると顔まんまるなので…

でも私は運動せず痩せたので体力が全くなく、今ではちょっとお外にでただけでもへとへとになってしまうようになりました。

ダイエット効果食事制限>>>運動なのはその通りなのだけど、運動をおろそかにしてはいけないと痛感しています

それではまた!

2024-10-11

柔道選手の回想を聞いてほしい 4


トイレ付近水飲み場でT君に声をかけると、「負けちゃいました」と呟いた。

「よくやったな。今はどうだ、悔しくないか?」と聞いたら、T君は「いや、ないです。悔しくないです」と答えたっけ。

これでいいのだ。その人が本当に努力をして、最後までやりきったとしよう。そんな時、悔いの念は湧いてこない。全力でやり切ったからだ。逆に、全力でやれてないと悔いが残る。

結果の良し悪しは関係ない。その人にとっての天命である。どう足掻こうと必然だった。だから、どんな結果であれ、挑戦は終わったのだと、それまでの自分道程を認めることができる。

ただ、悔いの念はないけれど、人によっては……。

先生。今までありがとうございました」

T君の目に涙が溜まっていた。

先生。これ、悔し涙ですかね?」

「多分違う。そういうのはな、あの練習をしてればよかったとか、あの場面でああしてりゃよかったとか、そういう空虚なのとは違う。そうだろ?」

はい。なんか。自分でもわかんないです」

「T君はな。自分を認めることができたんだよ。諦めずに、走り続けてよかったって、そういう自分を認めてるんだよ。そんな自分になれたのが嬉しくって、だから今、お前は涙を流してる」

「じゃあ、先生はなんで泣いてるんですか?」

「これ? ああ、これね。これは……」

ミキプルーンの苗木」と言いかけて俺は、「お前が凄かったから感動したんだ」と伝えた。それで、碌にT君の顔を見ずに振り返って、試合場に帰った。恥ずかしかった。

ここでまた、例の漫画(拳闘暗黒伝セスタス)の場面が脳裏に浮かんできた。確か、試合に負けたセスタスを、師匠であるザファルが鼓舞するシーンだった。おそらく序盤の方だ。未読の人の楽しみが減るから、具体的にどういう場面かは書かない。気になる人は探して読んでほしい。

T君が得たものは大きい。勝っただの負けただの、結果にそこまでの価値はない。一生懸命やって、試合で全力を出し切って、結果を受け止めたんだろ? 高校生でそこまでやれたら十分だよ。

T君よ。今は幸せにやってるかどうかわかんないけどさ。俺、君を教えることができてよかったって、マジで思ってるよ。またどこかで会えたらいいな。

ちょっと休憩してから試合場に戻ると、柔道畳のすみっコのところで、T君とN君が談笑してるのが見えた。N君の肘が、T君の腕のあたりを突いていた。どちらも、にこやかに笑っていた記憶がある。

それから、あのN君だが……周りを寄せ付けない強さで県大会優勝を果たした。手元にある当時の「全国高等学校体育連盟柔道部 研究調査報告」によると、N君は全国大会で4勝して第三位に入っている。



大会が終わって、T君は時間に余裕があるようだった。昼に営業してる隠れたお店で飲み食いして、広島城の通りをブラブラ広島駅まで歩いて行った。T君はずっと田舎ちらしい。目をキョロキョロさせていた。

最後に、福山行の新幹線に乗って帰途についた。T君は、親が福山駅前に迎えに来てるようだった。彼を見送ると、大会の旅程をすべて終えた。

ところで、この日のことで、もうひとつ記憶に残ってることがある。あれは福山駅の構内だった。アパートに帰ろうとして時刻表確認すると、微妙時間帯だった。

アパートまでは、あと二駅だった(高校のすぐ近く)。歩こうか、それともローカル線を待とうか、はたまた……今日はいい気分なので、夜になったら少し吞んでいこうかなど、いろいろ考えていた。

印象的な出来事があった。

結局、国道沿いにある居酒屋で呑もうと思って、一旦自宅に帰ることにした。福塩線ホーム電車を待っていた。すると、そこに中学生女子がひとりで居た。制服姿だった。どこの学校かはわからない。俺、元々は広島市民だしな。ただ、部活大会帰りなのはわかった。日曜日スポーツバッグを持ってるのはそういうことだ。

の子スポーツバッグにストラップを付けてた。2つ。手のひらサイズの大きいやつだ。それが気になった。リラックマのやつだった。

ちょっと声をかけてみた。「ねえ、あなた」と言って、その子がこっちを向いたところで、「それ、かわいいね!」って指さしたんだよ。その茶色い熊と、黄色い鳥のストラップを。

の子は一瞬固まってた。何言ってるかわからない、という様子だった。俺は、もう一度「それ……」と言うと、その子ストラップを見た。「かわいいね」ともう一度伝えたら、その子は目をギョッと開けて、俺の肩口の方を見てきた。顔じゃなくて。

それで、何秒間もずっと目を大きく見開いている。声は出さなかった。よほど驚いたのだろうか。

別の方から、「あの、ちょっとあなた!」という男の声が聞こえた。30くらいの男性だった。恰好はそんなに覚えてないが、ジャージ姿で恰幅があった。何かスポーツをやってそうだった。

その人が、俺に声をかけたのだ。『あーそうか、部活の引率の先生なのかな』と思い、そいつの方に歩いていった。

「俺がどうかしました?」

「いえ、うちの生徒に声をかけていたので。気になって」

「それで?」

「どういう関係かなと」

「全く知らねー間柄ですけど」

「そうですか」

「全く知らない間柄だと、声をかけたらいけないんすか?」

「いえ」

「そんな法律あるんか、オイ?」

「いえ、それは……」

「そんな法律があるんか、答えろやオイ! お前チンピラか」

「いえ、ないです……」

「じゃー、あなた対応って失礼とちゃうんですか? 俺、これでも学校先生だよ。私立だけど。あんたと一緒」

「えぇ、そうなんですか。すいません……全くそうは見えませんでした」

「俺、傷ついたよ。責任とってくれる?」

「いや、その。すいません」

すでに距離が近かった。声色と態度でわかる。こいつは萎縮してる。初めは語気があったが、俺が近づくと萎縮した。ビビった声色になってる。

わかるんだよな。男同士だったら。雄としての『格』の違いが。こいつは自分が格下だと認めていた。自分で言うのもなんだが、普通の男だったら俺が街中を歩いてると道を開ける。

当時、福山駅のあたりの居酒屋で、若い連中がさ。冗談女子店員おっぱいとか、お尻を触ったりしてたんだよ。それで、俺が「兄さん。そういうのはいかんよ」と声をかけると、途端に目を伏せて――何もなかったかのように酒を飲み始める。基本は、犬や猫だってそうだろう。強い雄には道を譲る。そういうものだ。

ひるがえって俺は、またその子に声をかけた。

ビビらせてごめんな。それがかわいいなって、それだけ言いたかった」

「……ありがとうございます

「どこまで帰るの?」

川野辺まで」※よく聞こえなかった

「へー。俺はそれより前の駅だと思う」

「そうなんですか?」

「もし今度、あの先生がいない時にどこかで会ったら、話とかしない?」

「いいですよ!」

約束な」

はい約束です!」

の子と一緒の電車車両に乗ったけど、喋りかけたりはしなかった。空気を読んだ。

アパート付近にある駅で降りると、家でちょっと支度をして、夜になると自転車に乗って遠くの国道沿いにある飲み屋街に出た。書いてるうちに思い出してきた。あれはサンキューランドだっけ。

当時は、お酒を飲んで自転車に乗るのはセーフだった。そういえば、毎年18才の大学新入生が歓迎会お酒飲み過ぎて、毎年死んでたっけな。そういう時代だった。

それから、その子と会うことはなかった。確率的にありえないとわかっていたが、ニアミスくらいはしてるかもしれない。



中学生で思い出した。今これを読んでいるあなたが男か女かはわからないが……中学生セックスしたことはあるだろうか? 俺はある。

あれは、まだ中学二年生の時だった。ひとつ年上の、女子柔道部の先輩がいた。柔道にひたむきな人で、めちゃくちゃ強くてさ。小学生の頃の俺はまったく敵わなかった。中学に上がってからガチ柔道部に入ったので、男女で組み合うことはなくなった。

そんな彼女は、全国中学柔道大会ベスト8に入って、広島市内にある公立の名門高校スポーツ推薦で合格してた。

子どもの頃から柔道が好きだった。朝鮮学校じゃなくて、一般中学校を選んだのもそれが理由だ。その中学校は柔道部が強かった。ハーフの俺でも入部を断ったりしなかった。それが理由だ。朝鮮学校柔道部の方が強かったら、そっちを選んでいた。

その先輩のことが、俺は好きだった。だって自分の道に真剣なんだぜ。ほかの中学生と比べて大人だった。52kg級で背丈は小さいけど、当時の俺だって油断したら投げられてた。

その先輩が中学卒業する年、俺の家に来ることがあった。学校帰りだった。

その日、家族はまだ帰ってなかった。俺の部屋の中で座って、コーヒー飲んだり、マンガの話をしたり(幽遊白書……電影少女……BOY……まだ実家本棚にあるだろうか)、くだらない話をしてた。詳しくは覚えてない。

ある瞬間だった。先輩が、俺の制服の奥襟をふざけて握ったのだ。俺も反動で、奥襟を握り返した(反応するのが癖になってた)。それで、グイっと手を引いたら、先輩の顔が近くにあった。それで……思わず抱きしめてしまった。

先輩は縮こまってたけど、やがて俺の肩を押した。抵抗してた。「先輩、好きです」と言ったけど、「彼氏いるから」だってさ。すると、先輩が無理やり立ち上がって、部屋を出て行こうとした。

まっすぐ追いかけて、先輩が部屋を出る前に腕を捕まえた。ヨイショッと体全体を掴んで、そのまますくい投げのように抱きかかえて、ベッドにまで運んで転がした。

そして、上に乗っかって、先輩の顔を見詰めていた。どんな表情だったかは覚えてない。「好きだ!」と大声で叫んだのは間違いない。

先輩は固まってた。俺は覆いかぶさって、そのままキスをした。手首とか指を掴んで、そこからはアッという間だった。先輩も抵抗はしなかった。ただ、ずっと受け入れていた。最後までいった。

最後までやった後、ベッドの中で先輩の体を抱きかかえて、「彼氏と別れろ!!」って求めた。何度も。何度も。三度は言ったと思う。先輩は悩んでたけど、最後には「はい」って返してくれた。それから口づけをして、ずっと体をくっつけ合っていた。あれは、あの瞬間だけは、本当に受け入れてくれたんだと今でも信じてる。

それから、何度か食事をして、デートにも行った。本当に数回だけど。子どものうちって、こんなもんだよな。

残念ながら、先輩が高校に進んでから柔道試合会場でしか会うことがなかった(当時、携帯電話大人嗜好品だった。子どもが持つものではなかった)。試合場で俺が声をかけると、前と同じように笑ってくれた。

高校からは、柔道をやってる男女の距離は離れてしまう。物理的にも、精神的にも。まるで違う存在になったみたいだ。先輩も俺も、柔道の名門高校に進んだこともあって疎遠になった。でも、どっかでまた告白しようと思っていた。



あれは、先輩が高三になる年の、大会名までは覚えていないが……先輩は、規模の大きいローカル大会に出場していた。全国から有名校が集まってくる。俺も出場していた。

その日先輩は、団体戦の時に、投げられた拍子に首から柔道畳に突っ込んでしまった。それでひどいことになった。

そのシーンを見ていた。相手選手は、先輩を背負いで投げる時に、もうちょっとで投げられるって思ったんだろうな。自分の頭を柔道畳にダイビングさせて、その勢いで先輩を垂直に転がそうとした。しかし、最初に畳についたのは先輩の頭だった。それで、頸部を痛めて試合中に意識を失った。

先輩は、頸椎損傷で意識不明の重体になった。あれは今でも覚えてる。救急隊員がタンカを運んできて、柔道から大急ぎで先輩の体を運び出していくのを。

意識は戻ったが、先輩の体は動かなくなった。脊髄がやられたらしい。もうすぐ高三になるタイミングだった。

柔道はできなくなったし、学校にも通えなくなった。先輩は、公立高校スポーツ推薦で入学していた。柔道できないとなったら肩身が狭いだろうし、そもそも卒業できるか怪しかった。

結局、卒業はできなかったんだっけ。病院から出られないんじゃ、しょうがないけど。俺、その頃は高二だったけど、先輩の病室に月に一度は音連れた。

今の状態のこと、いろいろ話したっけ。首から下の感覚がなくて、手足がまったく動かせないわけじゃないけど、お風呂に入っても温度とか感じないんだってさ。

俺が高三になる頃には、病院から出て車椅子生活できるようになっていた。自宅で療養してたけど、脊髄以外にも問題があるようだった。合併症で、呼吸とか循環とか消化とか、そういう機能にも。

大学進学で東京に出たら、先輩には会えなくなったけど、メールはしていた。今でいうガラケーである。当時は最新鋭の機器だった。中高生が見るようなバラエティ番組で、ケータイPHSコマーシャルが流れていた。先輩とのメール内容は思い出したくない。少しは覚えてるけど。

大学の長期休み帰省時、先輩に会いに行っていた。先輩、いつも普段着で、オシャレができないのを気にしてたっけ。俺はもちろん、そんなことは気にならなかった。ずっと先輩に会いに行っていた。

大学三年生の終わり頃だった。先輩が自宅で亡くなってから携帯電話とか、誕生日プレゼントとか、一緒に撮った写真とか、先輩との思い出ごとゴミに出した。今では取っといた方がよかったと思うこともあるが、やはり捨てといてよかったと思い直す。

せっかくの機会なのでメールを思い出してみるが、本当に部分的である脈絡なくて意味不明だし、記憶改ざんが起こってる可能性大である。お許し願いたい。

いつも大体、俺からメール送信していた。先輩とのメールは何十回も見返したか記憶にこびり付いてる。

「今度帰省する時、お土産なにがいい?」

東京ばな奈」

「あれ、前も食べなかった?」

「また食べたい」

リハビリとかしてるの」

「してない」

「どうして?」

無駄だし」

無駄じゃないかも」

「体が動かない。自分でどうにもできない」

車いすで動くのは? また一緒に外に行こうよ」

「恥ずかしい。あれで外出たくない」

今日学内リーグ戦で優勝した」

「やったじゃん」

「次の決勝リーグで負けたけど」

一年生でそれならすごいじゃん」

「次は勝ちたい。俺がレギュラーなったら、試合見に来てくれる?」

「え。親がお金出してくれるかな」

「出してくれるよ、きっと。だめでも説得する」

「  くんは彼女いるでしょ?」

「いないよ。できたことない」

うそ

「嘘じゃない」

「今年の春、私に結婚したいって言ったの覚えてる?」

「うん」

約束守れる?」

「うん。自活できるようになったら迎えにいく」

「じゃまだからやめた方がいいよ」

邪魔じゃない」

「じゃまだよ」

「俺と結婚するの嫌?」

「ううん。  くんと結婚したい」

「よかった。自分もっと信じて」

ありがとう団体戦がんばってね」

「俺の力だけだと、どうにもなんないけど笑」

「  くん。体がイタイ…」

大丈夫?」

「うん。痛い。けどがんばれるかな」

「できるよ」

「呼吸も苦しい」

電話する?」

「できない。息ができない」

「今度の春休みに会いに行く」

「きてほしくないかも」

「なんで?」

「どうしても」

「  の気持ちはわかったけど、また帰省した時に行くから

「歩けるようになりたい」

「なれるよ。絶対

「なれるかな」

「うん」

ありがとうね」

「  。今、何をしたい?」

さわりたい」

「何に?」

「  くんに」

「俺も  にさわりたい」

「ほんとうに?」

「本当だよ」

先輩は自宅で亡くなった。先輩の両親は言わなかったけど、後に自殺だということがわかった。

その時分、大学三年生だった俺は、国内でも国際でも大きい大会があったから、お通夜にも葬儀にも行けなかった。納棺日に間に合わなかった。お骨も拾えなかった。

それから今に至るまで、本当に好きな人っていうのができたことはない。年齢を重ねることで、恋愛する能力が落ちているだけかもしれないが

墓参りはずっと行ってたけど、近年は行ってない。夢の中に先輩が出てきて、「もう来なくていいよ」と言われたのだ。夢の中だったけど、信じることにした。朝起きたら、涙が出ていた。

ありがとう先輩。先輩のこと覚えてる人間、俺が人類最後になれるよう祈っててほしい。

次です(最後

https://anond.hatelabo.jp/20241011192841

柔道選手の回想を聞いてほしい 1


増田の人に聞いてほしいことがある。昔の記憶だ。

子どもの頃から俺はおかしかった。別に、変な子どもとか言われたことはない。むしろ褒められることの方が多かった。学校の成績はイマイチだったが、運動芸術の成績はよかった。

自己紹介必要最小限にしたい。今は四年制大学スポーツを教えてる。幼少期から柔道をやっていた。中学校全国大会で結果を出して、スポーツの名門高に進学して、同じく名門大学に進学して、卒業後はパチンコ機器メーカー入社(スポンサー契約)してプロになった。

柔道プロ制度はない。あくまで「それ」で食ってるという意味

それが、もう20年以上前だ。人生はあっという間である

回想を始めたい。パチンコメーカーの次の転職先を主題に据えて話をする。

新卒入社した、そのパチンコメーカーとの契約期間は3年だった。最終年度になると、次の道を考えないといけない。一応、次期も残れるだけの実績は出したものの、新しい、次のステージに挑戦しようと考えていた。柔道は、野球サッカーに比べると現役でいられる時間が少ない。体をたくさん動かす分、選手生命が短いのだ……。

当時は、全日本の強化選手(A指定)だった。合宿にはフルで参加していて、オリンピックに出場する連中とも交遊があった。あの頃は、井上康生全日本主将を務めていた。彼が不在の時は俺が副として動くこともあった。ウザいかもしれんが、ちょっとくらい自慢させてくれよ。こういう場で文章を書く機会は滅多にないんだから

※ところで、この日記はとても長い。ゆっくりまれることを推奨する。

次のステージについて悩んだ結果、選んだのは……学校先生だった。大学時代に保健体育教諭の免状を取っていた。いざという時に潰しが効くようにと、大学時代のコーチが勧めてくれた。今でも感謝してる。

どこの学校にしようか思案したところ、やはり地元がいいと思った。出身高校柔道部の監督相談したところ、広島県の東の端っこにある高等学校指導者を探しているということだった。

さっそく面談アポを取り付けてくれて、その高校の現監督と面会すると、すごく驚いてた。まさか強化選手高校教師転向するなんて思ってもみなかったんだろう。

トントン拍子に話は進んで、その翌年度から、俺はその高校の保健体育の教諭(兼柔道顧問)として赴任することになった。

指導者としてのミッションは『古豪復活』だった。その高等学校は、昭和40年代まではすべての体育会部活インターハイ活躍していた。

だが、『何か』があって進学校路線へと方針転換し、スポーツ推薦枠を徐々に減らしていったところ……平成に入る頃には、ほぼすべての部活が市内大会ですら勝てない状況になっていた。それでいて、進学校路線にも失敗していた(学内の最優秀者の進学先が広島大~関関同立くらい)。

そんな状況で、柔道部を立て直すのが俺に課せられたミッションだった。正直難しいと思われたが、チャレンジする価値はあると思っていた。



とまあ、そんな経過で柔道顧問としてキャリアスタートを切ったものの、部内はひどい状況だった。柔道部も地区大会まりとは聞いていたが、冗談抜きでレベルが低かった。心・技・体以前の問題である

部員の多くが高校から柔道を始めていたし、運動センスが抜群の子はいなかった。そして、柔道の何を教えても、どれだけ丁寧に教えてもダメだった。心構えは、まあいいよ。徐々にハートを鍛えていけばいい。ただまず、基礎体力の時点で問題があった。

例として、ベンチプレスだと80kgを上げられる子が1人しかいなかった(それは乳首が大きい子で、皆からあだ名苗字2字分+チクビだった。当時は高二)。ほかの子は概ね40~60kgといったところか。マトモな高校選手であれば、体重70kgくらいの子でも……ベンチ100kgは難しくとも、訓練すれば半年以内に達成できる。

800m走にしてもそうだ。なんと、150秒を切れる子が1人もいなかった。ゼロである(参考までに、当時26だった俺の記録がほぼ130秒。高校の頃は118秒がベスト)。

こんな状況で、この部員達約15名(+女子マネ3人)を、最低でも中国大会まで導かねばならないという……正直、難しかった。柔道プロとして言わせてもらうと、不可能に近い。

難しいのはそれだけじゃない。どれだけ心構えを説いても伝わらなかった。なんというか、やる気とかいレベル以前に、人としての器量というか……そういうのが圧倒的に足りてない。

困難な物事でも、ひとまず取り組んでみるとか、目標達成のために努力を積み重ねるとか、そういう志をもって挑んだ経験がないのでは? と感じるような子ばかりだった。

柔道の子だけじゃない。学校全体でそうだった。本校は、「中高一貫教育により、6年間を通して自ら考え、自ら動き、目標へと達するだけの力を陶冶できる人間を育てる――」と入学パンフレットで謳っていた。そんな生徒は皆無だった。惜しい子はいたのだが。

校則は厳しかった気がする。月イチの全校集会の後、生徒らが体育館前でクラス単位で並ばされて、髪型制服など、生徒指導担当教師陣が細かいチェックを行う。俺の出身校も、服装マナーは厳しい方だったが、ここまでではなかった。

こちらの高等学校偏差値は、40~45くらいだった。そこまで高い方ではないが、かくいう俺も、中学高校テストは平均50点未満しか取れなかった。里香なんかは14点だったこともある。国語濃緑濃緑すら怪しかった……。

柔道青春を捧げていた。それ以外はどうでもよかった。勉強の成績は最低だったけど、高校大学も、ほかのスポーツ特待生と一緒に先生方の温情で卒業させてもらった。

でも、確かにバカだったけどさ。当時、柔道関係書籍は年に五冊以上は読んでたし、毎月発行の『近代柔道だって、全ページの隅々まで目を通してた。

何が言いたいかというと、向上心である。たとえ下手くそでも、誰かに馬鹿にされようと、負けまくったとしても、そんなの関係ない。もっと上に行きたい、勝ちたいという気持ち向上心がない若者未来なんてあるか。

俺は油断していた。百年以上もの伝統がある高等学校だったら、多くの生徒はきっとポテンシャルがあるに違いないと高を括っていた。見通しが甘かった。

それでも一生懸命に教え続けた。暖簾に腕押しだったけど。指導を続けたのだ。怒りを我慢する場面は多くあった。指導者として悔しい思いもした。

当然、結果は出せなかった。他校との合同練習も、ローカル大会公式大会の結果も散々だった。おおよそ、彼ら柔道部員はこんな調子だった。

試合の度に勝敗分析シートを作るよう求めたが、半数は作らない

・提出があっても、ほとんどが小学生中学レベル

・合同練習では中学生に普通に負ける

公式大会直前の練習に来るのは部員の6割

テスト間中柔道場に基礎トレに来るのは1人だけ

 ※ベンチプレス80kgのチクビの子最後設備の測定限界の160kgまでいった。

  彼は柔道ではなくウェイトリフティングの道を歩むべきだった。

俺のストレス有頂天だった。我慢できないところまで来ていた。

なぜ、こいつらはやる気がないのだろうか。成績がいいとか、地頭があるとか、機転が利くとか、そういう能力の話ではなくて――"生きる力"とでも言えばいいのか。そういうのがなかった。



ストレスを抱えていた折、ついにやってしまった。あれは秋頃だったか。県大会があったのだ。高三が引退した後、最初にある十一月の新人大会だった。

大会は二日間あって、初日団体戦予選だったと記憶している。当校の成績はひどいものだった。リーグ戦があって、出場校が4校ずつに分かれて戦うのだが、普通に全敗だった。最初に戦った学校は、数年に一度は全国優勝者を出すほどのレベルだった。全員もれなく数十秒以内に瞬殺された。

チクビの子は、四十秒くらいは戦えていた。対戦相手は、彼と同じ高校二年生で、81kg級のスラッとした体形の選手だった。俺の記憶だと、ケンカ四つでガッチリと組み合った後、チクビの子バタバタ大内刈りをしかけた。全く効いてなかった。

その直後だった、内股で吹っ飛ばされていた。相手の右脚が彼の股下に入ったのを捉えた次の瞬間、その肉体が空中二回転半して畳にめり込んだ。

かに戦った2校も、全国レベルに準ずるところだった。そのうち1校は、毎年安定して県内ベスト4に入る伝統校だった。もうひとつは、偏差値70の私立高校で、全国有数の進学校である。なんと、この学校は週に2回しか柔道練習をしないらしい。それでいて、団体戦個人戦も、毎年ほぼ県内ベスト8に入る成績だった。

この2校には、当然コテンパンにやられた!……いいところがほとんどなかった。三部トーナメント行き確定である。一日目の全試合が終わった後、怒りの気持ち我慢しつつ部員全員に静かな檄を飛ばした。惨めな気分だった。

成果があったといえば、上のチクビの子(T君)が1回だけ勝った。体重相手の方が重かった(T君は当時85kg、相手は100kg級)。人生で初めての指導者としての喜びだった。

彼は寝技が得意だった――厳密には、運動神経が絶望的だったので寝技しか残ってなかった。寝技には運動神経は関係ない。ほぼ努力で上手になる道ができる。相手と密着している分、計算がしやすいのだ。立ち技だと、コンマ数秒の遅れで技の威力に変化が生じる。

毎日練習では、何度も何度も得意のパターンを繰り返した。俺が何回抑え込んでも、関節を極めても、締め技をかけても、決して諦めなかった。送り襟締めや袖車締めで落とした(※頸動脈の圧迫で意識がなくなる)回数は50回を超えている。

夏場にあった合同合宿だと、T君が他校の選手寝技で抑え込まれている時、竹刀背中や太腿を何十発もぶん殴ったっけ……「どうしてそこで力を抜くんやっ!?」と何度も指導した。

T君はそれに応えた。土中から這い出たばかりのカブトムシとか、成虫になろうとして藻掻いているハナムグリ芋虫みたいだった。精いっぱい、本気で動き回っていた。とにかく、妥協だけは絶対しないように教えた。

振り返ってみると、彼に柔道を教えていた期間は一年半もないんだな。たったそれだけである。ヤツは諦めなかった。妥協することはあったけど、俺の指導最後までついてきた。

そりゃあ、T君が情けない試合をした後だと、ブン殴ったことが何度もあったよ。鈍くさいし、柔道はボテボテしてるし、平々凡々の才能だった。でも、あいつはスゴイ奴だったよ。柔道を選んでなければ、別の道でインターハイに出ていたかもしれない。



さて。県大会一日目が終わって、部員一同は広島市にある古びたホステル宿泊することになっていた。ただ、女子マネ×3と引率教師である俺は別のホテルになった。

一応は、監督意見だった。この3人は一年生で、最初の泊まりなので配慮必要ということだった。最初宿泊が、あの年季が入ったボロホステルというのは、確かに……と俺も感じた。

女子マネ3人のうち、2人は双子だった。二卵性だから顔はそこまで似てない。お医者さんのご子息と聞いていた。このうち妹の方(マネ子とする)は、相当マジメな子だった。よく気が利くし、頭の回転が早いし、学業成績は最優秀である学内では清楚キャラで通っていた。実際、練習前には必ずお茶くみをしてくれる。

ほかの2人にしても、こんな弱小柔道部のマネージャーを半年も続けてる時点でひた向きだと思う。普通だったら辞めてるよ。半年間でほとんど勝ててないんだから。県大会個人戦だって、誰一人として出場できなかった。

責任を感じていた。柔道部が結果を出せない原因は俺にだってある。それが申し訳なかった。それで、姉妹のうち妹の方だけ、俺の宿泊部屋に呼んで話をすることにした。

この不甲斐ない状況について話を聞いてみると、彼女も思うことがあるようだった。会話をしたのは数十分である

マネ子の意見

・たしか柔道部は勝ててない

・でも私たちが選んだ道だから。途中でやめない

・新入生への部活説明の時に、柔道部が一番楽しそうだった

私たちサポートできるところはぜんぶやりたい

先生が話を聞いてくれてうれしかった

マネ子は、半分涙を流していた。こんな子がマネージャーで本当によかった。

ところで、俺がいた高校柔道部は、全国でも上から数えた方が早かった。いわゆるガチのところである女子マネージャーなど存在しようがない。いや、男子校から本当に存在しようがないのだが。

気が付くと、マネ子の髪を撫でていた。それから何を思ったのだろうか、そのままグイっと彼女の頭を、俺の肩のあたりまで引き寄せた。変な雰囲気になってた。マネ子は無抵抗だった。左手で胸のところまで引き寄せると、暖かい感触があった。

の子の顎を右手の指先で持ち上げるようにして、キスをした。抵抗はなかった。ベッドの上に押し倒して、後は流れだった。体のいろんなところをキスしながら触っていったけど、本当に無抵抗だった。たまに、俺の肩を猫の手でちょんと押すくらいだった。そのままずっと、ペッティングみたいなことを続けた。

このくらいの年齢の子って、あんまり柔らかくはない。女の子はやわらかい、といった世間イメージは正しくはない。柔らかいのは大人の女性である未成年はそこまで柔らかくはない。

などと思いながら、ちょっとずつ服を脱がしていった。その時のマネ子は、体操服のような簡素恰好だったのを覚えている。すぐに脱げた。

胸は大きくない。でもきれいな形だと思った。お互い、完全に裸になる前に明かりを消した。それから、肢体のいろんなところに触れたり、舐めあったり、くすぐったりした。マネ子は、俺に合わせて動くこともあったし、微動だにしない時もあった。全体的に反応は微かだった。

ひどいことをしている認識はあったが、それでもセックスの相性はよかったと思う。彼女は、最初の方は緊張してたけど、少しずつほぐれてきて、会話をしても大丈夫になった。お互いに唇をすぐ近くまでもってきて、囁くように会話をした。

マネ子は気分が乗ってきたみたいで、行為最中にいろんなことを言ったり、いろんな体位をやってくれた。最後の方はイチャイチャとしていた。会話を思い出してみる。

「ねえ。せんせー。ゴム、まだ持ってます?」

「持ってる。財布の中」

「なんで持ってるんですか笑 彼女さんいるんですか?」

「いないよ」

「えー、だってH慣れてるじゃん」

「慣れてないよ。下手くそだろ」

「……ほんとですか?」

「うん、本当」

うそだー」

「本当だよ」

マネ子にまたキスをすると、態勢を変えて、ベッドの中で真上に乗っかった。

顔を近づけて、両手でマネ子の頬に軽く触れて、しばらくずっと舌を絡め続けていた。舌を抜いた時、彼女がまっすぐ延ばした舌先で唾液がうねるみたいに躍動した。それからマネ子にまっすぐに乗っかって行為をした。俺はマネ子を知ったのだ。

行為が終わると、この子は暗闇の中で俺の眼をずっと見つめていた。俺はそのままベッドを出て、もう一度、財布のところまで歩いていった……。



次の日の朝、初めてあの子を見たのはホテルの朝食をとるスペースだった。ビジネスホテルよりは少し立派なバイキング方式だったっけ。

マネ子は、別に何でもないって顔をしてた。当時の俺は若かった。罪悪感はそこまでなかった。マネ子は本当に普通の様子で、俺や、マネ子の姉とも普通に会話をしてた。

の子たちとの朝飯を済ませてから、サッとチェックアウトをして、みんなを(広島市内の実家から借りてきた)自家用車に載せて会場に向かった記憶がある。

大会二日目は、これまでの中で最大の成果だった。リーグ戦で全敗した関係で、三部トーナメント行きになったのだが、なんと……ここで優勝してしまったのだ!! 嘘ではない、事実だ。ノーシードからきっちり4回勝って、優勝トロフィーを手にした。

T君が活躍したのもあるが、ほかの選手も本気で頑張っていた。あれだけ練習したというのに、リーグ戦での完全敗北が響いたのだろう。心に火がついたといっていい。三部トーナメントの出場校について、選手の半分ほどが白帯だったのもある。

柔道場合、一試合時間野球サッカーといった団体スポーツに比べて短い。試合必要なスペースも100㎡以下である。このように、各校の試合回数をできるだけ多くする配慮ができるのである

ここでいったん切る。

次です

https://anond.hatelabo.jp/20241011192838

anond:20241009212957

言っちゃ悪いが、お前が嫌いなのはゲーム努力」じゃないね

お前が嫌いなのは、ただの「負け」だね。自分で言っている。対人ゲームが嫌いだと。

努力せずに勝てるのが好きで、努力したけど負けるのが嫌いなんだよ。失敗したく無いんだろ? 

 

ゲームを下に見てるからだと自己分析してるけど、それは自分への言い訳で、事実とは違うだろうね。

だって、だったらゲーム以外で努力したのか? 受験勉強合格ランク以上を狙ったのか? スポーツ部活全国大会を目指したことは? 仕事で1位の成績を取るために頑張ったり? 音楽で今できない曲をできるまで毎日練習をしてるのか?

賭けていい。やっていない。身近だからゲームの話をしただけで、ゲーム以外に特筆するようなことは人生において何もしていない。

 

いや、別にいいんだよ。

負けるのが嫌だし勝つための努力は嫌だから競争に参加しない、それは普通のことだ。現代っ子だよ。リスク嫌い。コスパとかすぐ言う感じ。

ただ、下等か上等かで言えば、お前が下等で、ゲームであろうが努力してる奴が上等だ。恥ずかしい話だ。だからネットに、堂々とこんなことを書くんじゃない。

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