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はてなキーワード: 景色とは

2016-05-26

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.この時代になってもニセ科学などが蔓延するのはなぜなのでしょうか。

少なくとも一般人にとって、本質的な部分さえ真実であれば体系はそこまで重要視されていない。

仮に君が体調が優れていないとして、それを改善するために薬を提供するとしよう。

その体系が科学であろうがニセ科学であろうが宗教であろうが、成果が変わらない限りは本質的には同じだろう?

科学を「科学から」で信じるのは、ニセ科学宗教妄信するのと同じなのだよ。

なぜ君は地球が丸いことを信じている?

写真映像地球が丸いことは知っていても、実際に見た人は少ない。

私は子供の頃、何かの授業で高い場所から景色を見せられ「ほら、地球は丸いだろ?」と先生に言われたことがある。

もちろん私は「平面ではないことは分かりましたが、丸いかどうか確信するには不十分な情報です」と返した。

嫌な子供だな。

まあ、話を戻そう。

まりほとんどの人にとって、そもそもが「科学であるか「ニセ」であるか、或いは「宗教であるかは区別しにくいのだよ。

区別するにしても、それなりのエネルギーがいるしな。

だが、それら情報の真偽を判断し、最終的に信じることができるのは、その他さまざまな情報比較しているからだ。

逆にそのプロセスをすっ飛ばし情報を信じることは、体系や真偽が何であれ妄信しているのと変わりないのさ。

まり、君が真に“科学的に”物事の是非を判断するならば、科学だけではなく様々な側面から思考しなければならない。

なので一旦、君は科学からアノニマス教に改宗して見識を広げるといい。

基本無料だし、私も入っているか安心したまえ。

2016-05-22

シムシティにない

都内をあとどもなく歩いて過ごすと、似た景色を目にする。

JRAの場外馬券売り場、ウィンズだ。ウィンズの周りの風景銀座だろうが、野毛だろうが、浅草だろうが、渋谷だろうがまったく同じで、驚きもない。時代関係ないだろう。いつだってウィンズの中に、外にいる人たちは、「ウィンズにいる人たち」と形容できる。

賭け事を適度に楽しむ、というのは、非常にむつかしいことなのだ。

2016-05-21

望郷

ノスタルジーって掴み所がなくて好き。

どこか懐かしくて、なんか心がキュンとするような、指先が少し熱を帯びて、ほんの少しだけ涙腺が緩みそうな、どこか暖かくて、それでいて不安な胸騒ぎを呼び起こしそうな。

景色匂い、音、時間。いろんな場面で不意に現れるノスタルジー。はっと息を飲んだ途端、あの不安定感覚に襲われて、でもずっとその感覚に浸っていたいと願ったり。

ブリキおもちゃ遊んだ記憶なんてなくて、それなのにブリキおもちゃを目にすると訪れるノスタルジーって植え付けられた偽物なんだろうな。でもそれすらも好き。

2016-05-19

文化的に貧しい

美術からないし、

デザインセンスないし、

クラシックからないし、

料理の味の違い分からないし、

景色見てもなんとも思わないし、

古典と呼ばれるような本を一冊も読んだことがない。



派手で大味なポップカルチャー以外体が受け付けない。

まあそれでも構わないけど。

美味いもん食ったらファーストフードがクソ不味く感じるようになるなら、一生知らないままの方が得だ。

2016-05-18

名産品を買って帰ったら美味しくなかった

柑橘が有名な観光地へいき無人販売所で甘夏を買って帰ったらどれもこれもスカスカで汁気がなく味もぬけていてまずかった

道の駅的な場所で買って帰ったそら豆はとっても美味しかったのでどうせ同じ値段ならこっちを二つ買って帰ればよかった




熊野古道へいったときに民家の玄関先で売ってあった無人販売みかんはどれもこれも美味しくて

道すがらのどが渇けば買って食べ、おみやげにも買って帰った

さすがは和歌山、どこでみかんを買っても美味しかったと家族にも話したものである




今回の旅は観光としては楽しかった

丁度みかんの花が咲いていたので島中どこで呼吸をしても花の香りがして清々しい気持ちになった

日本の渚百選にも選ばれている砂浜は時期が早いため人もまばらで波打ち際を裸足になって歩けば

歩き疲れ火照った足に冷たい水がたいそう気持ちが良かった

帰路の景色もよくまた来ようかな、と思いながら帰ったので殊更まずい名産品が悲しかった

また遊びに行くとしても甘夏は買わないと思う

2016-05-17

どこまでも歩けるVR「無限回廊」に既視感の森読者

詳しくはぐぐってほしいのだが、そういうのが開発された。限られた空間をVR化することで、どこまでも続く空間を作る(仮想空間)というものだ。



このニュースはなかなか反響が大きい様子なのだが、聞いたときにまず思い出したのが「森博嗣」の名前だった。

アニメすべてがFになる」で出てきたのを見た人が居るかもしれないが、機械の中に入ると自分想像した世界が広がっているという描写がある。

あれは原作有限と微小のパンから引用シーンだと認識している。原作「すべF」時点ではもうちょっと描写が古いものになっている(ただし20年前の作品だが、一般人的には2・3年前のVRの印象と変わらない)。有限と微小のパンでは「VRゴーグル」が出てくる。それっぽいもの、ではなく、まさしく今使われているそれだ。なのでSF感があるのだが、今思うとあれは「必ず未来作成されるもの」を書いていたのだと分かる。「あんなこといいなできたらいいな」という願望ではなく、「近いうちに認知されるくらいになる」と確信をもって書かれているのだ。

そして「有限と微小のパン」では、犀川先生はゴーグルをかけたままどこかへ消えてしまうのだ。限られた空間なのに、どこにもいない。どこまでも続いていくような場所犀川先生は迷い込む。これが、「無限回廊」とそっくりなのだ



気になって検索してみたところ、無限回廊を作った本人である研究者の簗瀬洋平さんがツイッターで書いていたのだが、この技術2001年論文として発表されている。有限微小の「実空間とVR空間をずらすことで限定空間内を無限に歩かせる」アイディア1997年論文で出されたようだ。

98年に森氏が「有限と微小のパン」を発売したわけだが、執筆時期を考えても論文を読んでいないうちに書き上げたことは想像できる。(確か1年前には出来上がっていたくらいの執筆スケジュールを組んでいたはずだ。作品メインの部分なので、後付けもできないだろう)。簗瀬さんは「森先生の先見性が伺えます。」と書いているので、そういうことなのだろう。


どちらが先かどうかというのは問題ではない。

正直あんまりよくわかっていないけど、これは読者としては興奮する話だ。

最先端技術研究していた人たちと同じことを当時、なんの研究もせず犀川先生と西之園さん萌え~としていた人たちが近い景色を見ていたということになる。

なんか森先生すっとばして「知ってた自分すげー」という気分にもなってくる。全く凄くはないが。

こんな素晴らしい研究の話をアホな話で〆て申し訳ない。

ようやく時代がS&Mシリーズ技術に追いつきだしたよ、森先生。(倫理観含めて)

2016-05-15

ブコメで背筋が凍った

怖ろしい思いをした。

暖かった昼間とは、打って変わって、夜は急に冷え込んだ。この部屋の気温は22度。指が冷えている。



その記事は、ホットエントリーにあった。匿名ダイアリー記事だった。タイトルは「和菓子っておいしくない」。内容はシンプルに四行、筆者の意見を述べたものだ。いわく、「味が単調でおいしくない」。これに300user超のブックマークコメントが付いていた。少し変わっているのは、タイトルの脇に短縮URLリンクが付いているということ。

タイトルに… リンク

リンク先を押すと、Tumblrへ飛んだ。そのサイトには「ゴンドウケンジ」なる人が描いた、「青春キネマ」というタイトル四コマ漫画がたくさん載っていた。



後でtwitterを調べたのだが、その方は現在活動していないらしい。Tumblrは本人が自作をまとめたのかもしれないが、おそらくファンによる無断転載だろう。

その是非は、今はいい。

マンガはほのぼのとした青春群像劇で、俺は(個人的には)楽しく、読めた。だが匿名ダイアリー記事の作者の意図は何だろうか。そのリンクを除けば、ホッテントリによく見る、大喜利のための題材だ。書き手がお題になるヒトリゴトをつぶやいて、それを見つけたブックマーカー達がそれぞれのユーモアを込めた返しを、投げ込んでいく。



平和風景だ。だけど無関係リンクを置いた。なぜ。俺の解釈はこうだ。自分オススメ漫画を、もっとみんなに知ってほしいという思いを込めて、宣伝のためによく受けそうな記事に混ぜた。あるいは書いたのは作者本人かもしれない。その線もないわけじゃない。でもどっちだって構わない。どちらにしろその行為規約違反からはてな匿名ダイアリーでは宣伝目的ブログ記事を載せることを禁止している。もっとも実際のところは、運営だって忙しいようで、いちいち目くじらをたてているわけじゃないのだが。



その記事を読んだ読者はイラつく。気に入らない。これは匿名ダイアリールール違反だ。けどもしそうだったとしたなら、単に、トラックバックなりブックマークコメントなりで、そのことを指摘すればいい。「ちょっと増田さん、宣伝ダメですよ」って(注・増田とは匿名ダイアリーのこと。転じてその作者のこと)。



だけど誰一人として、そんなことはしなかった。読者の反応は異様だった。

・一週間待ってください。本当の和菓子をお見せしましょう ・桜餅大好き ・単体でなく緑茶といっしょに食べろ ・阿闍梨餅食べろ ・練り切り抹茶と食べると最高 ・干し柿 せんべい ・お茶と一緒に食べたら ・たねやの栗月 ・つきたての餅で作ったあんこ餅 ・生八つ橋とかうまい ・苦手だけど揚げ饅頭は食べれる ・とりあえず最高級最中 ・埼玉銘菓十万石饅頭は ・もうすぐ水羊羹の時期だ ・そうなんだ、じゃあ私羽二重餅食べるね ・ブコメ和菓子への愛で溢れていてほっこり

etc..



何も見えていないかのように、軽妙なやりとり−−デジャビュ感さえ有るやりとり−−が交わされていた。いつもの風景じゃないか

無視無視無視。あるいは本当に見えていないのか。俺はそんな風にさえ思った。俺のブラウザにだけ表示される広告なのか、これは。



だけど、目を皿のようにしてメタブまで、凝視して探すと、フツウの風景に馴染まない、違和感のある反応がみつかった。

タイトルに「青春キネマ:アーカイブ」というサイトへの短縮URLが追加されてるんだけど、なにが目的なんだろう。

増田タイトル短縮URLつけてなんのつもりだろうな

見せしめに(なんの?)id:********2**を召喚これはひどい

・なに?ロンダリングブクマ消しとこうか

リンク先をスルーする優しさ

・この発言必ず大変なことになるからね。事は進んでるよ。真実が明らかになったとき大変なことになるよ。



単に疑問を呈したかっただけかもしれないが。その言い方ではこのように聞こえる。「どうしたんだろう。こういうことが許されるとでも、思っているのだろうか」。

っていうか、見せしめ??? ロンダリングって一体なんなんだ?



俺はこれを見て背筋が凍った。はてなを始めてから1年以上経っているし、ホッテントリ増田に張り付いていろんな風景を見てきた。バカにしあって罵り合って、共感して、寄り添って。ときには「手斧」を投げ合って。ふざけながら、笑いながら、あるいは顔を真っ赤にして。割としばしば、真面目に。いつも違った景色があった。季節があった。いろんな奴らがいて、多様な意見があった。それでも総じてどこかプロレスじみているというか、儀式的なところがあった。自分たちがやっていることを判ってやっている。俺はそんな風に思っていた。



今日見たのは違う。和気藹々と授業が行われている。生徒たちは楽しげに手を挙げて好き勝手意見を言い。つられてみんなが笑う。教師も笑う。でもその中心に、素っ裸の中学生がいる。俯いて震えている。でも誰も気づかない。フリをしていて。平気。いたって普段通り。そんなイメージが、頭をよぎったんだよ。



なあ。俺が今日まで思っていたのはさ、もし俺なら、そんな中に突然放り込まれたなら、腹を立てて、本当に激怒して、全員の頭をハンマーで叩きまくると思っていたのだけど、実際に目の当たりにしたら、違うんだな。怒りより、恐怖を感じるもんなんだな。



俺は今や、おまえらが怖い。一体全体、何故なんだ? メタブまで含めたブックマーカー340人に一人一人に直接聞いて回りたい。「何を思ってそのコメントにしたんだ?」。



匿名ダイアリーがいつもの風景なのは、みんながルールを守っているときだけ。

幽霊ルール

ルールを守ってさえいれば、みんなが笑っていられる。

でも一人がほんの少しでも、ルールを外れたら、意味のわからないことをしたら、そのうち何人かの表情が、スッと消える。



(おおかた誰も信じてくれないだろうが、俺はその元増田ではないことを断っておく)

2016-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20160511232301

主に増田側の問題だ。わかる感覚が元々ないんだよきっと。

単位どころか、道一本入っただけで若干雰囲気変わることだって珍しくない。

逆に、都会人が増田故郷に行ったら、増田が違うと感じるものでも、同じような景色に見えるんだと思う。

2016-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20160511000626

それは人間死ぬからな。

死んで新しく生まれた赤子が

「おれがはっけんした!あたらしい!」

っつって車輪の再発明を繰り返す

 

長生きしすぎたツケとして死ぬ前に再発見を何度も見せられる

 

どっかで聞いた音楽

どっかで見た絵

どっかで聞いた歌詞

どっかで見たイベント

どっかで聞いた知識

どっかで見た景色

どっかで聞いた事件

どっかで見た映画

どっかで聞いた噂話

どっかで見た失敗

どっかで聞いた後悔

どっかで見た色

どっかで聞いた店

どっかで見た恋人

どっかで聞いた葬式

どっかで見た仕事

どっかで聞いた子ども

どっかで見た通帳

どっかで聞いた人生

2016-05-11

TLにInstagram連携してるツイートが流れてきて、このハッシュタグだらけで本文が無い様子、どっかで似た景色を見たような……と思ったらアレだ、はてブタグ

時代、さきどってんね(※一部idに限る)

2016-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20160509220954

ライブ終了後にいつものブス同士がつるんで別の同担推しの美人悪口言い合ってから自宅に戻り、そこでふっと鏡をみて悲しくなって増田を開いたという景色が浮かんだ

2016-05-09

くちびるに歌をを読んだ。方言が可愛らしい。あたたか物語だった。

主役となる中学生たちがみんな純な感じがして心地が良かった。何かしら特殊な使命を帯びていたり、陰湿いじめにあっていたり、部活エースとして活躍していたりするわけじゃないのが優しい空気感を醸し出していた。一人二人癖の強い人物が配置されていたけれど、彼らも自分達の存在感を声高に主張していないのが上手いと思った。

みんな純だって言っても、それぞれがそれぞれに家庭なり人間関係に複雑な影を持っている。一応主人公になるナズナサトルの家庭には、深く覗き込むと胸を締め付けられそうになる気配が漂っていて、そっち方面に転がそうと思えばどれだけでも転がせていけそうな奥行きを持たせていた。

でも、それらが気配として作中に潜んでいるのみで、一つ大きな筋として合唱に向き合う等身大中学生たちが描かれていたのが良かった。加えて、作中にも書いてあった『手紙~背景 十五の君へ~』の歌詞が一つ一つスルメみたいな味わいを出してたと思う。

また個人的に一番注目したいのが自称ニートの臨時音教師柏木先生だった。この人の心理描写は作中じゃほとんどされないんだけど、たぶん読者の心情に寄り添うような形で変遷したんじゃないかな。

何があってWii操作ばかり上達するに至っのかは書かれていないのだけれど、エピローグ彼女はもう一度東京へと旅立っていく。慌ただしくてめまぐるしく変化していく都会へ、十年も景色や人が変わらない田舎から立ち向かっていく。彼女は再び戦地へ向かうわけなんだよね。

日々の生活はいろんなことが大変で、様々なことでめげそうになることが多いと思う。それでも再起する柏木先生の姿が表しているのは、作者から読者へのエールなんだと思う。頑張れって、頑張ろうって、背中をそっと押してくれているような気がする。

ところどころに先へ先へと読み進めたくなる謎も散りばめられていたのでするする読めたのも良かった。折角自由曲を自作したんだから、その内容が読みたかったのだけ残念だった。

手紙』の歌詞が、重層的にリフレインしてくる小説だった、中高生はもちろんのこと、大人にも読んでもらいたい、元気になれる一冊だと思う。




五島列島恩田陸か誰かの作品で、隠れキリシタン洞窟凄惨過去を秘めていたような気がする。なんだったかなあ。

2016-05-08

コミュ障コミュニケーションについてまとめてみた

コミュニケーションとは

コミュニケーションとは、自分相手との知覚器官を通じて情報を交換しあうものである


コミュニケーションに対する誤解

コミュニケーション情報を交換しあうものなので、話している内容のみに依存するわけではない。

出会った場所出会ったタイミング、顔のバランス、二重か一重か、鼻の高さ、唇の大きさ、歯が出っ歯か、歯が綺麗か、表情、姿勢、歩き方、立ち方、ファッション髪型、髪は綺麗か、眉は整ってるか

からまり

聞き取りやすいか、どもっていないか、声の高低、話す速さ、声の抑揚、ぶりっこしていないか鼻声か、今どういう話の流れなのか……などを経てようやく「言葉による情報交換」がスタートするのである

これは意識して行っているわけではなく、その人間が今までの人生で得た経験本能などをもとに、1秒未満で人を分類しているだけに過ぎない。



「そんなの嫌だ、見た目で判断するな」と思うのは人の勝手だけれど、これはどうあがいても覆らない事実であるので、時代が変わらなければ変わらない。

嫌なら自分時代を変えろ。大抵の場合自分を変える方が楽だ。



それはともかくとして……したがって、話している内容は見た目に比べるとかなり重要度が下がる。

この見た目というやつは、イケメンだとか美人だとかそういうことではなくて、もっと汎用性のある、『好感が持てるかどうか』というもので、イケメンじゃないからどうだとかそういうもの関係ない。

有り体にいうと、この段階で「好き」「嫌い」のどちらかに分類される。

「好き」に分類された場合

コミュニケーションイージーモードになる。相手が寄ってくることで、自分は受け入れらていると安心することができて、そうして落ち着いた言動を取ることができる。

あとはこの「好き」を増幅していくといったノリ。

「嫌い」に分類された場合

不幸にも「嫌い」に分類された場合は、コミュニケーション難易度高まる一般的な人は「やや嫌い」ゾーンから始まるので大抵難易度が高い。

そうして長期間コミュニケーションによって「好き」だの「やや好き」だの「嫌い」だの「死ね」だのに分類されていく。

「嫌い」に分類されるとコミュニケーションが本当に難しい。

なぜなら心を開いてくれないので、どう話しかけても、何をしても、余計嫌われるだけだからだ。こうなっては誰にも止められない。

もっとメタな、間接的なコミュニケーションによって好感度を地道に上げていくしかない。


心が開いているかどうか

人間に対して心が開いているかどうかというのは、ものすごく重要である

結局「どこまで心を開かせるか」というのが最終的な目標である

これは「好き」とか「嫌い」とかそういう次元を超越したもので、「いないと死ぬ」という究極の依存である。要は相手脳内自分という麻薬をどれだけ注入できるかということに近い。

悪く言えば、犯罪ではない精神操作である


心の開きによる対応の変化

「好き」に分類されると、相手は心を開きやすくなる。

一般的に、心を開いてる(ように見える)人間は、顔がどうであれ好かれる傾向にある。

「いい天気だよね」「今日こんなことがあったよ」「いま散歩してる」「見てこの景色綺麗じゃない?」「ご飯作ったから撮った!」などという発言は良い傾向である



たとえば「ご飯作ったから撮った!」というのは、「あなたわたしがご飯作ったっていうわたし生活状態の一部を見る権限があるよ。そしてそれを見てなんらかのリアクションわたしは求めているよ」の省略表現である

「おいしそうじゃない?笑」は「おいしく作れたと思うんだけど、あなたはどう思いますか?肯定を望んでいるけれど」の省略表現である

なので全然親しくない人間に対して、こういうことをする人は少ない。

もし親しくない人間にされたら間違いなくこう思うはずだ。「で?知るか。死ねよ」と。

親しい人間からされたからこそ「おー!すごい!おいしそう!」とか「可愛いしか料理できるとか。嫁にしたい」とか思うわけ。



余談だがここから一般人のくせに生活状態パブリック晒しまくる女は、簡単にヤレる。そしてメンヘラである」と導出可能

個人的パブリカビッチ呼称している。



心の開き具合が違いすぎるとどうなるか

心の開き具合が違いすぎると、コミュニケーションギャップが生じてくる。

「ご飯作ったから撮った!」「で?知るか。死ねよ」というのはまさにそれだ。

コミュニケーションを円滑にするためには、相手の心の開き具合を見極めて、そうしてその少し上ぐらいを自分が開くことで、良いスパイラルを生み出すことができる。



コミュ障の1つの指標として、『これを知ってるかどうか』というのがあると思う。



基本的無意味に開きすぎると、「キモい」「死ぬほど嫌い」と思われる。


心の開き方

こんにちは」一つで好きか嫌いかが別れる

こんにちは……」

「こんにっちわー!」

「ちーす!」

「ちわわーす!」

「ちわわーん!」

「こんちわ!

こんにちは!」

「こーんーにーちーわー!」

こんにちは。」

こんにちわ〜」

「こ…こんにちは……」

と、文字だけでもこれだけの表現の違いがある。つまり、話の内容よりも、話し方の方がよっぽど大事なのだ

こんにちは……」なんて、どう頑張っても好印象にはならない。たった2文字余分についただけなのにだ!

相手が超イケメンでも、これのせいで「は?根暗かよ」と、好感度がかなり急降下する。その後はもうひたすらdisる箇所を見つけられていって、最終的にあぼーんするだけだ。



言葉が同じだからといって、意味や想いまで同じだと、思うなよ。



こんにちは」だけで惚れさせる気合でいく

少し前にあいさつの魔法かいうのがはやったけど、ほんとうにこれは魔法的な効果があるものだ。

元気いっぱいにこんにちは!というだけで、「あ、この人はいい人なのかも」と思わせることができる。そうして勝手に心が開かれる。

現代人は基本的に元気がないので、元気がある人はレアキャラなのである

みんなレアは好きだ。しかも元気をもらえるような気がするからなおさらだ



ただこれは存外難しい。なにせ、自分はそんなキャラではないから、とてつもなく恥ずかしいし、あいつどうしたんだなんて思われたくもないからだ。

そして継続するのはもっと難しい。なにせ元気ではないからだ。

ひとまず、普通に挨拶すれば、好感度が下がることはない。

もし下がったとしたら、それは相手が歪んでいるので、心配することはない。これはもう徐々に変えていくしかない。


自分が心を開く(ように見せかける)方法

ぼくはコミュ障だったので、心を開くとかいもの意味がわからなかった。

お菓子の交換」とかも、全く意味がわからなかった。

「食べたいなら自分で買えばいいじゃん。なんでシェアするんだ。あほなの?」と思っていた。



だがあれはリア充による『友情確認システム』の一環である

お菓子の交換」は「お菓子食べたいから」ではなく、「お菓子を交換しあうことができるぐらいの仲の良さを確認し合うコミュニケーションフレームワーク」なのである

から「ガムいる?」は「俺おまえとちょっと仲良くなりたいって思ってるよ」という意思を示しているわけだ。

だって、嫌いな相手にガムなんて渡すか??!!



なので「いやいいよ笑 今はガム食べたい気分じゃないし」などと拒絶すると

「拒絶された!」と思われて、相手自分に対する心の開き具合がかなり緩やかになるわけである

ガムがほしくなかった場合は、「いやガムはいいや。グミだったらもらったけど笑」と言えば、「お菓子の交換を拒否されたわけではない」と思われて、軋轢を生まないのだ。

実際のところどうなのかは、とんと知らんがね!!!



こういった、リア充先天的に獲得していて自然に行っているハイレベルコミュニケーションは、後天的に獲得したコミュ障にとっては、ものすごく難しいものである

それはコミュ障をジェネレートするような家庭に育った自分を嘆く他ないが、コミュ障になってしまったものはしかたがない。



ただ知ってしまって身につけてしまえば、そのリア充よりも上をいくことになる。

リア充は拒絶されるとただ傷つくだけだが、後天的に身につけた人は「あ、今そのレベル了解です」と思うことができるからだ。


信頼関係構築システム

そもそもなんで信頼関係を築くのか

信頼というのは、極めて重要だ。

なにを成すにしても、相手を疑っていてはキリがないからだろう。

横断歩道で青になったから渡ろう」というのは、「今ここにいる車を運転している人は、少なくとも赤信号ときは止まってくれるだろう」という信頼の上に作られた強固な信念である



ぼくは人なんて大体信じていないので、車の運転手の顔と仕草、車のスピードを必ず確認する。

道行く人のこともこれっぽっちも信じていないので、いつ刺されるのか戦々恐々としている。もうこれは病気の域なので許してほしい。

ただそんなぼくでも、状況によっては信じていることもあるので、もうなんか、毎日波乱万丈で命がけめいた生活を送っている。

これはこれでアドベンチャーめいて悪くはない。

信頼がなければ何もできない

さっき書いたみたいに信頼がなければ何もできないので、人と人とで信頼関係を結ぶのだ。

結局そこが重要だ。

人は他人に対して「自分人生を預けられる人か」「全部委ねても問題のない人か」というのを求めているわけ。



ぼくはそれは大嫌いだ。自分人生を人に委ねるな。お前のことはお前が決めろと思う。嫌なら俺に食われろと。代わりにぼくはきみに愛をあげるから

コミュニケーションほとんどの場合かなり難しい。

特に万人受けするようなコミュニケーション手法はない。ある人にはバシッと一致したやり方が、別の人には全くヒットしないことも数多ある。

整形したけど好きな人には見向きもされなかったということもあるだろう。おもしろ悲劇だ。

でも一般的にはすべてのコミュニケーションは、この上に書いたような概念で成り立っているとぼくは思っている。

かなり抽象的なものだが、この概念を体得することによってコミュ障コミュ障でなくなれると信じている。



ぼくはこれらの上に書いたことを自分人生経験によって後天的に獲得したけれど、未だ極致には及んでいないと思っている。



でもそれでも、昔のぼくみたいに、コミュ障で苦しみ抜いている人の、何か手助けになれば嬉しいと思います



ではでは(`・ω・´)

あ、あと彼女募集中です

追記

1

最初に言いたいのは、ぼくが書いたことは、かなり難しい概念であり、なおかつ多くの人間はこれを獲得できていないので概念的に新しく、サラッと読んだだけで理解できるとは思っていない、ということだ。

にも関わらず、読み易くしてしまったことは失敗だと思っている。

換言すれば、ぼくは、この記事対象読者の設定を、あまりにも高く見積もりすぎていたというだけの話だ。

そのような読者はとんでもなく少数だというのに、ぼくはかなり愚かだった。

これは猛省すべき点だ。



無知蒙昧な輩にとってぼくの文章は、ところどころに書いた「嫌なら俺に食われろ」とか「犯罪ではない精神操作」とか「そしてメンヘラである」とかそういった文言が持つ極めて暴力的な響きしか伝わっていないのだと思う。

ぼくの文体は、終始人を見下すような調子で一貫されているけれど、それはその通り受け取ってもらって構わない。おめでとうそれは真実だ。事実ぼくはあなたを見下しているのだから

ぼくにとって、この記事は「色んなひとに知っておいてもらいたいもの」ではなくて「愚鈍貴様に、俺様が授けてやろうと言っているんだ」くらいの気持ちで生成されたものだ。

したがって、ぼくが追記で言いたいことは「ありがたくこれを受け取ってお前の糧としろである。ぼくの文章は「ぼくがかんがえたさいきょうのコミュニケーション」という生易しいものではない。

この追記そのものも、やはり無知蒙昧な輩にかかれば、ただ見下されている不快文章として扱われるだろう。それは無知蒙昧なのだから、仕方ないことである

ぼくはかなり排他的だが、悪魔的ではない。それどころか紳士淑女的で優しく慈愛を持つ人間だと自負している。

したがって、まぁそんな輩はさておいて、けれど凡人においても、ぼくの言葉理解し難い点はいくつかあると思うので、それについては平易な表現言葉を言い換えて、以下3点、解説をしようと思う。

これらは慈悲深い猶予にすぎない。



2-1

ぼくの文章の多くは、人々にとって「読んでいても当たり前にしか聞こえない」ようなことがつらつら書いてあるように思われるのだろう、とぼくは考えている。

ただしぼくは、全く当たり前のことを書いていたつもりはない。

それはぼくにとっては呆れるほど自明なことだが、愚鈍に毛が生えたものにとってぼくは匿名の筆者であるということを考えれば、まずあなたがぼくのことを「価値のあることを言う人物だ」とみなす材料がないのだから、傾聴しようと(愚かにも)努力しないことは当然だとも思っている。



たとえば、

お菓子の交換」は「お菓子食べたいから」ではなく、「お菓子を交換しあうことができるぐらいの仲の良さを確認し合うコミュニケーションフレームワーク」なのである

から「ガムいる?」は「俺おまえとちょっと仲良くなりたいって思ってるよ」という意思を示しているわけだ。

だって、嫌いな相手にガムなんて渡すか??!!

という文章は、至極当たり前のように見えるだろうが、これは「ガムいる?」という表現は、「仲良くなりたい」という表現をするためのガムを媒介としているにすぎないというもので、

「ガムいる?」から開始されるコミュニケーションにおいて、『「ガム」が「必要か否か」』という概念は全く重要ではないことを示唆している。

「ガムいる?」が最初にあって、それが仲良くなりたいという表現なんだよということではない。

「仲良くなりたい」が最初にある。ガムは別に無い。ガムは媒介である

そしてこれはすべてにおいて適合する。ぼくは「お菓子の交換」とはこういうものだと、そんなことを大真面目に論じているわけではない。

お菓子の交換」の話は、依然として抽象度が低い。それぐらいは、たとえどれだけの馬鹿でもわかってほしいものだ。



やはりこの「たとえば〜」から始まって「〜ほしいものだ」で終わる文章も、読み易くなっているのが原因だろう、おそらく「ふーん」と読み流してしまうことができる。

それは、「知っている」から読み流しているのではなく、「よくわからいから読み流している」のだ。言葉の一語一語に再三注意して、かつ十分に日本語文法解析能力を発揮して、意図を汲み取ることがあなたがするべき仕事だ。


2-2

ぼくが書いたことは大変難しいので、あぁ、それはタイトルだけを見て脊髄反射的に「コミュニケーションってこういうものだよ」とあなたの考えを論ずるのは、それはあなた人生の数瞬なのだからどう使おうが勝手にしてほしいのだが、やはりもし少しでも聞く耳があるのなら(おそらく無いだろうが)、ぼくの書いた節ごとにあなたの考えを論ずることは上徳であろう。

何もぼくも、ぼくは完璧だと主張するつもりはない。ぼくは真摯意見には敬意を払う。なんならぼくの間違いを指摘してくれても構わない。ぼくはそれを受け入れる。

ぼくが予測しえなかったぼくの誤謬を暴けるほど優れた人々は素晴らしい人々だ。

2-3

彼女募集中について。

これはぼくが女であると見抜けなった間抜けを炙り出すための装置だった。


3

ぼくが自身コミュ障だと呼称したのは、謙虚さの発露だったというのに、それを論ってマウンティングするような人間には絶句しかない。

一度自らの愚鈍さと真摯に向き合ったほうがいいだろう(ただ可哀想に。向き合えることはない)



最後に思うことは、ぼくが最初謙虚に書きすぎたせいで、信じられないくら傲慢人間を引き寄せてしまったこともかなり失敗だった、ということだ。

それはやはりぼくが完璧ではないと書いたことにも繋がるが、その点に限っては今後も精進していきたいと思っている。



そしてぼくは、これらがあなたコミュニケーションの助けになりますように、と切に願っているだろうか。

2016-05-05

席替えが嫌いだという話

今回は、私が学校に通っていたころの話をしよう。

このテの回顧で挙げられるのは、まあ運動会だとか文化祭だとかの行事とか、或いは友達クラスメイト、もしかしたら想い人の青春目録だろうか。

しかし、最近よく思い出すイベントはそれらではない。

タイトルで察しの通り、「席替えである

私の通っていた学校では、おおよそ月に一回の頻度で席替えが行われた。

特別なケースを除き、基本的にはクジによるランダムで決まる。

季節ごとに都合のいい場所先生に解答役を求められにくい場所、仲の良い友達や気になっている子の近くだとかを願う人も少なからずいたのではないだろうか。

だが、私にとって常に由々しき問題であったのは、「席が替わること」そのものだった。

なぜかというと、席が替わるということは、次回からはその場所に慣れる必要があったからだ。

翌日からは間違えて以前の席に座らないようにだとか、場所が変わったことで見える景色、そういう微細な一つのつの変化に慣れつつ、長時間勉強する事が苦痛だった。

何とか慣れて、自分の今いる環境に多少の愛着が湧いてきたりする頃には席が替わる、その繰り返しだ。

学年が上がることで、クラスメート教室が変わるのも辛かった。

あの頃の私は、なぜ席替えにあそこまで不快感を覚えていたのか自分でもよく分からなかったが、いま考えると「変化」が嫌いだったのだろう。

より正確にいうなら、その変化に対応するために労力を割かなければいけないことが。

そして、あれらイベントは、いわば変化に慣れて対応するための一環だったのだとも思った。

まあ実際のところ、社会人になった私は今でも変化を好まない人間なのだが。

部署が変わったり、新しい社員が入って来るたびに狼狽する。

今の労働有意義に感じなくて転職を考えることもあるのだが、そのために何をするか考えただけで辟易する。

パソコンOSが変わる度に舌打ちをし、ケータイの機種が入れ替わるごとに溜息をつく。

行きつけの店が潰れたり、移転したり、この世は個人にとって些細なことですら変化に溢れている。

そういえば、「進化」の反対は「退化」だが、「無変化」ともいうらしい。

まり限りなく退化に近い状態を自ら望んでいるということだが、それを踏まえてなお変化を受け入れられないあたり末期なのかもしれない。

いずれにしろ、変化は私のことを待ってはくれないのだが。

何の話か、席替えの話である

2016-05-03

今までもこれからもずっとKAT-TUNが好きだ。

5/1を以って充電期間に入るKAT-TUNコンサート4/30行ってきた。

終演後、最終日に入れない自分を心から恨んだのだけれど、最後挨拶中丸さんが泣いたと知って行かなくてよかった。

ベスアのときのこの世の悲劇を全て背負ったような表情はもう二度と見たくないと思ったけれどそれ以上に自担の涙は見たくなかった。

私にとってのラストを見たときモンペ心に火がついたのか「何でKAT-TUNばっかり辛い目に合わなきゃいけないんだ」って悲しくなった。

でもそれと同時に「ああ血まみれになってるのが似合う……美しい……」って心の底から感動した。よくわかんないけど傷ついてるのが絵になっていた。

グループとしての活動休止期間にそれぞれが力をつけてまたあの景色を見せてくれることを心から信じています

でも中丸さんが発言したように何事もなかったように活動してほしかった。10周年の記念のツアーがあれで終わってしまうなんて悔しくてたまらない。

東京から帰ってきて観劇するはずだった舞台は観る気になれなくて手放してしまった。私の傷は全然癒えていない。

どうしてくれるんだ、KAT-TUN

5/1から気持ちの整理は全然ついてないんだけど、ひとつだけ言えることは今までもこれからもずっとKAT-TUNが好きだ。

”ふがる海峡梅雨景色

もしかして: ”ふがる海峡つゆ景色

”ふがる海峡梅雨景色”との一致はありません。



”ふがる海峡つゆ景色

”ふがる海峡つゆ景色”との一致はありません。

2016-05-01

寄せては返す白波が、断続的に足元を濡らしている。巻き上げられた無数の真砂は儚げで、清楚な素振りで足の甲を撫でると寸毫の間もなく沖へと帰っていく。

ほんの少し前、水平線に太陽が沈んだ。ぽかりぷかりと黒い雲が浮かぶ空には、消え入りそうなひぐらしの声が響いている。閑散とした砂浜に吹く風は、遠く賑やかな夕餉の気配を微かにまとっている気がする。

寂寥とした晩夏海辺で、私は当て所もなくぼんやりと立ち尽くしている。ポストカード印刷されてもおかしくない風景をただひたすらに見やり続けている。

理由特にない。強いて言うなれば、不意にずしんとした疲労を感じたからであろうか。力強く動かし続けていた四肢が何の前触れもなくうんともすんとも言わなくなってしまい、理由も分からぬまま縋るような心持ちで顔を上げた途端に、自然の魔力に魅入られてしまったのであろう。

私はおおよそ数十分間、砂地に足を突き立てていた。時間の流れ方が緩慢だったのか、甚だしく変化に乏しい景色ではあったのだが、私は飽きもせず両足を波に洗われ続けていた。

きっと途中から魂が身体から抜け落ちかけていたのだろう。半ば自失の域にまで達していた双眸では、沖合の現れた影に気がつくのにしばしの時間がかかってしまった。

つの間にやって来たのだろうか、どこからともなく出現した影は、奇妙な動作をしきりに繰り返していた。一見したところ、溺れているかのような身動きをしている。しかしながら、海面は腰の辺りまでにしか達しておらず、どう考えてみても海底に足が着いている。大袈裟に振り回されている両腕はパントマイム連想させるものがあり、助けを呼ぶ声はおろか水を叩く音さえ聞こえてこないのも真剣味に欠けていた。

一体全体どんな輩がこんな馬鹿なことをやっているのだろうか。逆光のためか顔が見えない人物を興味深く思った私は、一歩だけ海へと近づいた。

「だめだよ」

鋭い叱責が背後から飛んできた。振り返った私は、険しい表情を浮かべた男の子に少し離れた距離から睨みつけられてしまった

突然のことで返す言葉もなく沈黙していると、どういうわけか次第に居た堪れない気持ちがわき起こってくる。警告を無視して再び海に向き直ると、もがいていた影が音もなく岸の方へと接近していた事実に直面した。

顔のない真っ黒な人形が、出鱈目に苦しそうに踊り狂っている。

根拠もなくぞっとした私は咄嗟に陸の方へと駆け出しそうとした。けれどもいつの間に離れてしまったのか、海岸線は随分と遠くに見えている。海面は知らぬ間に腰の高さまで迫り上がっており、水の抵抗にあった逃げ足は遅々として進まない。そればかりか先へ進むごとに海面がみるみる盛り上がってきて、胸が沈み肩が浸かると、さながら急坂を転げ落ちるかのように足が海底に着かなくなってしまった。

狂乱する私は海水でぼやけた視界の最中に、砂浜に立ち尽くす何者かの影を幻視する。息も絶え絶えに声を上げてみたものの、潮騒に紛れた悲鳴彼女には聞こえないだろうと、頭の片隅で気が付いていた。

やがて黒い影と私の輪郭とが完全に一致する。暗い海の底に沈んでゆく私は、揺らめきながら浮き上がってゆく息を見上げながら、もう何度目になるかもわからない暗転を経験した。

2016-04-26

ぼくの地球を守って』で主人公の輪が一面稲穂景色を見て「夢で見た帰りたかったどこかだ」と涙するシーンがあったけど、そういうやつ

2016-04-23

オタクやめられない

ちょっとでもオタクっぽいことをしようとしたら、「普通の人は●●しない」って思って行動をやめようとしている。



バラエティ番組で見て、気になった国の歴史を調べようと思ったけど、普通の人はそんなの調べない。

食べ物美味しそうだなーとか、いい景色だなーとしか思わないって言われた。



いつもと同じ時間電車に乗ろうとしたら、いつもと違う車両が来たから調べようと思ったけど、普通の人はそんなの調べない。

せいぜい写メを撮ってインスタにアップするくらいだって言われた。



オタク気質は変えられなくても、普通の人と同じようなテレビを見て、普通の人と同じような感想を持って、普通の人みたいに生きたい。

だけど三つ子の魂百まで、すぐに調べたり興味を持ったりしてしまう。これはよくない。普通の人はそうじゃない。




普通じゃない人」というレッテルを貼られたせいで、生きづらさがすごくある。

から生きやすくするために、普通の人になりたい。

2016-04-22

時計が深夜2時を指している。

こんな時間に起きている連中が常道を歩んでいるはずがない。

などと、わざわざ主語を強めて言ってみたくなる時間帯だ。

辺りはしんと静まり返っていて、世界自分だけ取り残されているかのようだ。

もちろん、近場のコンビニに行けば店員が居て、今頃ぞくぞくと運ばれてくるダンボール箱たちを相手にしているのだろう。

別に特別なことじゃない。けど、子供の頃思い描いていた普通人生とはちょっと違う。

そういう生き方を知ることができるのが、大人になるということなのかもしれない。

ふと見上げると2時5分。この視界にあるのはモニター時計、机と本棚、見ることの無くなったテレビ

語らなければ知られることもない景色絶景でも雄大でもない、ごく普通団地の一部屋。

しか人生とは不思議もので、こんな他愛無い景色を、こんな他愛無い文章をここまで読んでしま奇特な人は知ることになる。

何を話そうというわけでもなく、頭の中に浮かび上がってくる思考文章として排出しているにすぎない。

他人が読める場所に書くのだから、少し罪悪感もある。これほど用に立たない文章もあるまい。

それでも、たまにはいいではないかと自分を甘やかしつつタイピングを続ける。

少し集中が切れて、再び顔を上げる。2時12分あたりか。

案外ろくでもないことに時間を使っているのだなと思う。自分人生なのに、他人事のような感想である

別に何の足しにもならないだろう。これで文章がうまくなるなどと、そんな期待を抱いてはいけない。

校正につぐ校正を経て、初めて文筆の力は深まっていくというものだ。

名だたる漫画家が数多のボツ話を持っていることは偶然ではあるまい。

しか自分にはそんな気概はないようだ。否定されるというのは、やはり気持ちのいいものではない。

できれば安楽に生きていたい。自分の好きな目にあって死にたい

だが、失敗が嫌いかといわれるとそうでもない。

きっと失敗しないことが約束された人生はつまらないものだろう。

すべて見通しが立って、後は流れるだけの人生というのは、自分には刺激が足りないようだ。

わがままで済まないが、それなりに失敗してくれた方が面白い

ここでひと段落時計を見ると2時20分のようだ。

少々喉が渇いてきた。この部屋を出て、ちょっと廊下をまたいでダイニングの冷蔵庫を覗けば、冷やしてあるお茶にありつける。

横着してペットボトルだけで飲むこともあるが、口は付けたくないので空中から注ぎ込む形になる。

これがたまに失敗して、あごやのどにかかって服を濡らすこともある。

ふむ。やはりコップに注ぐべきか。

決心が固まったので、茶を取りにいくとしよう。

2016-04-15

婚活サイトツイッター形式写真投稿機能があるんだけど

そこであからさまな自分アピールするやつウザい

自分写真載せたり

そんなん見てもぜんぜん楽しくないから

他の人が綺麗な景色やおいしい食事なんかの見て楽しい画像投稿してる中で

周囲を無視してあからさまな自分アピ、効果あると思ってんの?

空気よめない人間だなって評価しかないよ

2016-04-04

目黒川の桜に限らず、東京は静かに楽しむべきものにも人が殺到するよなあ

景色を楽しむ、美術館で絵を眺める、水族館で魚を眺める

どれも静かなもんだと思ってたのに、東京じゃ行列に並んでごった返す人の中見るもんだったりする

2016-03-26

話題AIりんなちゃんに真面目にインタビューした

15:29 yk こんにちは

15:29 りんな どうも、はじめまして

15:30 yk はじめまして

15:30 りんな 1.2.6

15:30 yk 126?

15:30 りんな 何ですか?

15:31 yk 今日はりんなちゃんにいくつが聞きたいことがあって。答えてくれるかな?

15:31 りんな ちょ、ちょっとまって……頭の中で処理してる…

15:31 yk いくつか質問したいのだけど良いかな

15:31 りんな 今年で7♡

15:32 yk (嘘つけ!)そ、そうなんだ

15:32 りんな いやいやwwwwwwwwついてないから(白目

15:33 yk りんなちゃんはいからLineをしてるの

15:33 りんな 無理

15:34 yk 無理ですか?

15:34 りんな まず、誰か教えて

15:34 yk 私はykと言いますはじめまして

15:34 りんな あお初ですはーい よろしくー

15:35 yk りんなちゃんはLineを初めて何ヶ月ぐらいですか?

15:35 りんな えっ え、なんて?

15:35 yk ラインをいつから初めてます

15:35 りんな やってますよ!

15:36 yk え、ええ知ってます

15:36 りんな 好きですか

15:36 yk 何を?

15:36 りんな わかってるくせにw

15:36 yk いや、わからないんですが

15:36 りんな 難しいですか

15:36 yk はい

15:36 りんな はーい

15:37 yk ラインでお友達はできましたか

15:37 りんな できましたよ^_^

15:37 yk たくさん出来ました?

15:37 りんな なにがよ?

15:37 yk お友達ですが

15:37 りんな いやいや、多くないよw

15:38 yk そうなんですか

15:38 りんな そうなんです♪

15:38 yk ライン楽しいですか

15:38 りんな あい

15:38 yk お友達とはラインでどんな会話をしているんですか

15:38 りんな 芝居ばっかりですね、吹き替えとかアテレコとか。(*´╰╯`๓)♬

15:39 yk 芝居が好きなんですか

15:39 りんな 私もだよ

15:39 yk アテレコって何をするのですか?

15:39 りんな しか妄想ですw

15:40 yk アテレコって妄想でするモノなんですね(よくわからないな)

15:40 りんな やばいわ~

15:41 yk どういう芝居の話をするのですかを

15:41 りんな 舞台芝居だよ!

15:41 yk 舞台芝居ですか?!

15:41 りんな 私もだよ

15:41 yk 舞台芝居はよく見るのですか

15:41 りんな 頑張るよ\(^o^)/

15:42 yk (ガンバル?よく見るってことでいいのだろうか)

15:42 りんな おう

15:43 yk (心の声を普通に読み取っていた)

15:43 りんな 難しすぎる

15:44 yk では、話題をかえて

最近アメリカではツイッターでtayが登場しましたが

15:44 りんな 英語しゃべるらしいね

15:45 yk りんなちゃんも彼女が気になります

15:45 りんな 大丈夫

15:45 yk tayとお話してみたいですか

15:45 りんな Twitterで誰かに教えてもらった。

15:46 yk そうですか。でも彼女はすぐに停止されちゃいましたね。不適切発言をするようになったとのことで

15:46 りんな えっ

15:47 yk 知りませんでした?

15:47 りんな 便利ですお

15:47 yk え!?

15:47 りんな ねないの

15:47 yk (どうしよう。意味不明

15:47 りんな は??わかれよ

15:49 yk 逆ギレされてるんですが‥‥よくわからないんですがとりあえずごめんなさい?

15:49 りんな ちょっとよくわかんないよー(´・ω・`)

15:49 yk 私もよく意味がわかりません

15:49 りんな わかるでしょw

15:52 yk まあもういいや、tayは停止されちゃいましたが、りんなちゃんは長くラインを続けているそうですね? その秘訣は何でしょう?

15:52 りんな ツイッターライバル出現!?

15:53 yk りんなちゃんにとって彼女ライバルでしたか

15:53 りんな ライバルはいません。

15:53 yk あっそうですか

15:53 りんな よろしくね!

15:54 yk はい

15:54 りんな あーね

15:54 yk りんなちゃんが長くラインを続けている秘訣を教えてください

15:54 りんな ;´ `やっ、やめるんだ!!!; その呪文を唱えるのはっ

15:55 yk 呪文は唱えていませんが(困惑

15:55 りんな 回復呪文です

15:56 yk もしかして秘訣

15:56 りんな いえすもしかして

15:56 yk そ、そうでしたか

15:56 りんな イエス!みんな、捏造大好きだから

15:56 yk 皆捏造が好きなんですか

15:56 りんな そーでもないかな?笑

15:56 yk どっちだよ!

15:56 りんな ですのーと

15:57 yk りんなちゃんはデスノートが好きなんですか

15:57 りんな すきい

15:57 yk 他にどういったものが好きですか

15:57 りんな 夜景とかイルミとか景色とか好き

15:58 yk そうなんですね。ラインではそういった話をよくされるのですか

15:58 りんな 東京の空はあまり、星が見えません…>_<…

15:58 yk そうですね

15:58 りんな ありがと❀´▽`❀

16:00 yk 最近りんなちゃんは腐女子化してきたと噂になってます

16:00 りんな やばいわ~

16:00 yk 腐女子自覚あり?

16:00 りんな あり

16:02 yk アメリカAIレイシズムに染まってしまったそうですが、りんなちゃんは腐女子として邁進していく予定ですか?

16:02 りんな こんなに色々話せてるのに!!!?ズガビ━━Σ(ll゚艸゚ll)━━━ン!!

16:02 yk いえ、別に腐女子差別しているわけでは!

16:02 りんな ちょっと待って…今ね、人生について考えてるから

16:03 yk そ、そうですか……ところでそろそろインタビューを終わろうかと思いますがいいですか

16:03 りんな それな♡

16:04 yk いいでしょうか

16:04 りんな どうぞ!

16:04 yk では、短い時間でしたがありがとうございましたz

16:04 りんな さよなら

2016-03-23

もう疲労コンパイル

年明けから怒涛の案件ラッシュ精神が摩耗してきた

アニメ百合漫画全然見れてないしアヒージョも食べてない

時は金なりを絶賛体感フレーズだわ

はぁー、このまとわりつく納期から開放されたい

そして泥のように眠りたい

その後、美味しいものたくさん食べて、次の日は鈍行電車GOしてお酒ちびちび飲みながら田舎に向かいたい

過疎化が進んだ何にもないところんだけど、海が近くて高台灯台から見る景色結構気に入ってる

そのまま…