はてなキーワード: 赤塚不二夫とは
最初にネコのキャラクターで最初に「~ニャ」のように喋るキャラは何なのだろう、ちょっと気になるね
あるいは犬のキャラで「~ワン」でもいい
革命的なのは「~ロボ」みたいな類の語尾だよな……これは『メダロット』に登場するキャラクターの語尾
「~ウサ」「~ゴロ」のような種族名、個体名を語尾とする、という新たな用例が産まれた
しかし、軽く調べてみたが「~ロボ」以前にもこのような用例は存在する
「~ニャロメ」という語尾
赤塚不二夫は偉大ということか
キャラ語尾
役割語の中の一分類
例)「~ザウルス」「~ナリ」「~だわさ」「~だなも」
「もともと現実に話者が存在する語尾」「もともと現実に話者が存在しない語尾」
前者は「~ザマス」「~ぜよ」「~じゃ」「~だっちゃ」など方言由来だったり老人口調だったり
後者は「~ニャ」「~ッピ」「~ロボ」「~ゲソ」など鳴き声由来だったり種族名由来だったり
分類してみて整理できた、自分の興味は後者側の歴史ということか
「~ニャ」「~ワン」の初出なんかも書かれてると嬉しいんだが
『のらくろ』は変な語尾を付けてしゃべっていないようだ
手塚治虫作のキャラで変な語尾は……「~だわさ」はあるけど、後者のタイプの語尾はなんかあったかなあ
『鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」の回が載っている単行本をkindleで購入し読んでみたが、語尾でのキャラ付け全然やってないんだなあ
役割語(キャラクターとことばの結びつき)に関する簡単な読書案内 - 誰がログ ここら辺の本読みましょうね
これは日記です
---
漫画やアニメなどで、一番最初に猫のキャラクターの語尾に「〜ニャ」をつけた作品は何でしょうか? | Quora
うーん
動物キャラクターの言語学(リンク切れURL)の(13枚目 注14)に
14)山口(2002)によれば、ネコの鳴き声を表す「にゃん」は、江戸時代から用いられており、当時は、「現代 よりも淫靡な意味合いを帯びていた」と述べている。
相当古いな……ただ、語尾として使用されていたかどうか明記されていない、出典元をさらにひかないと
またしても赤塚不二夫
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
赤:[高]田雄一郎@大阪54
緑:齋尾大輔@広島54
・02 岡本太郎 おかもとたろう
・03 6(回目
・04 オーストリア
・05 坂本冬美 さかもとふゆみ
・06 [すべて][4つ][新しい方から]野口英世 夏目漱石 伊藤博文 聖徳太子
・07 [どちら]オス
・15 千鳥(格子 ちどり(ごうし
・16 満)50(歳以上
・17 た
・22 [合計]18
・24 [条文に]歳費
・25 山形(県
・29 アラベスク
・30 [3択]12(位
赤:清水香澄
緑:高橋将士
青:坂井翔
松本零士の「見ても読んでもいない」度が高いのは納得できね?
たびたび映画がリメイクされてるけれどアレ見に行くの 見たことある人が大半でしょ?
テレビ放送のリメイクも1クール深夜帯とかで オタク以外が見るのは無いでしょ?
赤塚不二夫も「見ても読んでもいない」度は高いのではなかろうか?
バカボンとかのキャラは松本零士作品のキャラより知名度、理解度は高そうだけれど、テレビ放送のシリーズ的に20さい未満の「見ても読んでもいない」度は高そう
手塚治虫はどうだろう?
一方、ブラックジャックははだしのゲン、三国志と並んで学校図書に並んでたのと2000年代に長期間ゴールデンタイムでの枠があったのでそこそこ低いのでは?
石ノ森章太郎も平成ライダーを含めないと「見ても読んでもいない」度が高そう
水木しげるの「見ても読んでもいない」度はどうだろう?
弔辞 8月の2日にあなたの訃報(ふほう)に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第一世代と言っていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクター。私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して、九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーで、ライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきりと覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。
終わって私のところにやってきたあなたは「君はおもしろい。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから、それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションに居ろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長いつきあいが始まりました。しばらくは毎日、新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては、深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと、ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。
赤塚先生はほんとうに優しい方です。シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると、相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことがありません。
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せる、あの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも、目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんのひたいをピシャリとたたいては「この野郎、逝きやがった」とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。
いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月。伊豆での正月。そして海外へのあの珍道中。どれもが本当に、こんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが、京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
あなたはいまこの会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら、弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死もひとつのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは、夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかしいまお礼を言わさしていただきます。
合掌。
平成20年8月7日
知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断と偏見で考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみたぞ増田ァ