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はてなキーワード: 鉄棒とは

2019-04-06

35歳まで処女だったがギリシャ人ワンナイトラブセックスをした。

ちんこまんこに入れることは思い描いていたような強烈な体験ではなかったが、今後2度とない体験かもしれないので覚えているうちに書き留めておく。

物語に描かれるセックスはとても魅力的にみえたしそう描かれることが多いように思う。

から興味はあったがセックスには相手必要なのでこれまでする事がなかった。。。でももしかすると性に関して人並みの興味がなかったのかもしれない。

ネット環境があったのにエロ動画を初めて検索したのは30過ぎてからだし、女性オナニーをすることを知ったのは19歳の時だった。

浪人生活中のお昼休み、地下のフードコート高校時代クラスメイトで同じ予備校に通っていた女子自分は性欲がないかオナニーほとんどしないんだと言っていた。

その時に初めて女性オナニーをすることを知った。

なんと返答したかは覚えていないが部屋に帰り下宿先のこたつの上に設置されたノートPCで「オナニー 女 方法」と検索したことは覚えている。

机の角にこすりつけたり、鉄棒に登る等の方法を目にしたがとてつもなく痛そうに感じられて心底驚いた。

そんなことが気持ち良い事になるとは到底思えず信じられなかったが、しかし今にして思うとはっきりと性的気持ち良い感覚を私は知らなかった。

性的イラスト映画を見て乳首が立ったり若さゆえにまんこが濡れまくってパジャマまでびしょびしょになっていたが、それはじんわりとしたものでそれ以上自分の体を触って性的気持ち良さを追求出来るとは夢にも思っていなかったというか発想がなかった。

オナニーちんこを擦って気持ちよくなることだったので、ちんこのない女はできないと思い込んでいたんだと思う。

男性オナニー描写は成人向けでない漫画小説映画に描かれているが女性描写は少なく、完全な成人向けの表現は当時ゾーニングもされず売っていた雑誌の印象が強く、それがあまりにもグロく映ったので手に取りたい知りたいと思う事もなかった。

3大欲求の食欲も睡眠欲も生まれてすぐに自動的に行われて実施しないと死ぬが、性欲はこれが性欲である意識しないとわからない人間もいるし別に死なない。

多分自分はとろい。

これまで自分セックスしたいのかどうかも分からなかった。

男性から好意を示されると全く意中にないと強烈に拒絶しそこそこだと2回のデートまでは合わせるがそれ以降どうしても肉体的な接触に進む事が気持ち悪くなり逃げ出してきた。

なのでそもそも男性セックスがしたくないのかとも思っていたがだからと言ってレズビアンでも無く自認は明らかにヘテロだった。

そして今回初めてセックスしたギリシャ人に会って分かったがセックスしたい人間に会うとちゃん自分発情してセックスしようとしていた。

まりただただ理想が針の穴を通すように小さくこれまでそういう人に出会ってこなかっただけだった。

性欲が沸き起こるというよりはこの男性とならセックスが出来る、みんながしているセックスというものを私も出来るチャンスが来た、という感覚だったので性欲だったのか難しいところだがセックスが出来ると感じれた事は喜びだった。

そのギリシャ人陸上選手大会出場のために来日していた男性だった。

大会中だったので20代後半の筋肉質な非常に良い身体をしていた。それに私は発情した。

セックスする前のただのファン選手だった時に撮影した写真がありその時の自分の表情が見れるのだが、発情のお手本のように頬に赤みが差し瞳孔が開き目がキラキラと潤んでいてすごく可愛い顔だと自画自賛出来るので撮影しておいて本当によかったと見返すたびに思う。

痩せている色白の小柄な星野源華丸大吉が好きだったので肉体に惹かれる事に自分自身でも驚いたが頭で考えたタイプではなく原始の欲求自分に沸き起こった事が嬉しかった。

今回セックスして嬉しかったのは自分にも欲求があるんだとはっきり分かり普通人間になれたと思えたことだった。

世の中にはセックスという美味しい物があり皆食べたがっているしほとんどの人が一度は食べた事があり又男性お金を払えば食べる事も出来るようになっているが、女性にはリスクが大きくまたお金を出して気軽に買えるものでもなく社会的にも恋人とのセックスという物が推奨されているが、それは余りにも手の届かない存在だがしかしセックスしたいしする事が普通人間であり皆セックスの話をするのだ。

私はセックスを食べた事がないので知識だけで得た事をなんと無く言うだけで、セックスの話はあまりしたくないけどした事ないわけではないと言う嘘つき童貞と同じスタンスでいた。

35歳にわざわざセックス話題を振ってくる者はまさかやった事ないとは思ってないので非常に嘘がつきやすい。

20代前半の時は処女かどうかの探りが入っているようでどう答えても気持ち悪かったので出来るだけ嫌悪感をだしていたと思う。

2019-03-18

Dr.ストーンで作ってきたものまとめ(98話まで)

文明が滅んだ後の作中時系列順(小説版含む)

石器

チャート石を削って作成

石器を利用して作成

紐を利用した道具で作成

紐を利用した罠で捕まえた鹿の皮で作成

木で作成

ブドウ作成

ブランデー

土器で酒を蒸留して作成

ナイタール液

エタノールブランデー)と硝酸コウモリ排泄物)で作成

保存食燻製肉)

炎(煙)で作成

モルタル

炭酸カルシウム(貝)と砂で作成

石鹸

炭酸カルシウム(貝)で作成

クロスボウ

作成描写なし

六分儀

作成描写なし

黒色火薬

硫黄箱根産)と硝酸カリ(元コウモリ排泄物)と木炭から作成

滑車

火薬と紐と石鹸(潤滑剤として使用)で作成

車(動力なし)

滑車を流用して作成

炎色反応(黄)

炎+塩でクロム作成

炎色反応(青緑)

炎+銅でクロム作成

炎色反応(紫)

炎+硫黄クロム作成

静電気発生機

硫黄を球状に固めてクロム作成

金メッキ

水銀+砂金で作成

方位磁石

水に磁石を浮かべてクロム作成

鉄(砂鉄)

磁石収集

送風機1号

皮で風船状の送風機を作成

ラーメン

猫じゃらしで作成

送風機2号

竹筒でポンピングタイプの送風機を作成

鉄(製鉄版)

送風機を使って炉で作成

銅線

銅を炉で溶かして作成

(強力な)磁石

ウルシで絶縁した鉄棒に銅線を巻き、雷を当てて作成

腕力発電機

銅と強力磁石作成

電気、光

腕力発電で一瞬だけ作成

ガラスレンズ眼鏡

珪砂で作成

科学実験用のガラス製品

ガラスでカセキが作成

釣り道具(釣り糸、ルアー、浮き、糸巻き機

ヤギの腸を釣り糸にして作成

ソーセージ

ヤギの腸で作成

ギター

ヤギの腸で作成チューニングは千空の知識を元に計算して実施

硫化水素検知機

槍を銀メッキして作成

スマスク

炭酸カリウムと灰で作成

硫酸

硫化水素検知機とガスマスクを利用して採取

塩酸

硫酸+塩で作成

ロロ硫酸

湯の花塩酸作成

水酸化ナトリウム

塩水を電気分解して作成(電気腕力発電)

アニリン

石炭燃えカスコールタール塩酸で洗ってから酢酸エチル(酒+酢)をかけて作成

炭酸

から出る二酸化炭素を水に混ぜて作成

氷酢酸

酢と焼いた貝の化合物硫酸をかけて作成

ケテン

鉄と氷酢酸作成

無水酢酸

氷酢酸とケテンで作成

アセトアニリド(解熱鎮痛剤)

無水酢酸アニリン作成

パラアセトアミベンゼンロロスルホン酸

アセトアニリドにクロロ硫酸を混ぜて作成

パラアセトアミベンゼンスルホン酸

パラアセトアミベンゼンロロスルホン酸とアンモニア作成

重曹

炭酸水酸化ナトリウム作成

サルファ

パラアセトアミベンゼンスルホン酸を塩酸で煮て重曹で洗って作成

コーラ

炭酸+パクチー+ライム+ハチミツ作成

鉄で作成

わたあめわたあめ

酒、みりんから作った糖を利用して作成

ギア

改良版わたあめ

電子回路用の導線

動作ギアで均一化した改良版わたあめ機を利用して金の繊維を作成

繊維をこより導線作成

ノコギリ

鉄を使ってカセキが作成

水車

ギアを使ってクロム作成

水力発電

水車で作成

バッテリー

硫酸と鉛で作成

自動製鉄機

水車を動力に送風機を改良して作成

電球

ガラス+金の導線+水銀作成

タングステン(原石)

バッテリー電球洞窟に入って採取

望遠鏡

レンズ作成

ガラス管内部のみを3400度以上に加熱する装置

タングステンフィラメント

加熱装置内部を水素で満たして作成

ヒッグマンポンプ

カセキの技術力で作成作成描写なし)

暖炉

作成描写なし

ホルマリン

木+銅で作成

マンガン電池

亜鉛+マンガン+炭で作成

フェノール樹脂(プラスチック

石炭+水酸化ナトリウム+ホルマリン作成

真空管

ヒッグマンポンプ作成

電波送信

真空管作成

ロッシェル塩

ワイン+海藻作成

マイク

ロッシェル塩+プラスチックメガホンで作成

電話

マイク+電波送信器で作成

レコード再生

骨+ギア+マイク作成

爆弾

水素+酸素+鹿の膀胱作成

マグネシウム

煮た海水から取ったにがり電気分解して作成

閃光玉

マグネシウム+電球作成

ブラックライト

ニッケル+バリウム+電球作成

ぜんまい

銅板で作成

レコード再生機(音楽再生用)

ぜんまい再生速度を制御して作成

回転カッター

水車で作成

首振りエンジン

回転カッターを利用して型を取った鉄の精密機器暖炉作成

首振りエンジン作成

惑星探査用エアレスタイヤ

竹を編んで作成

草を水酸化ナトリウムで煮て作成

カーボン樹脂

紙とプラスチック作成

使い捨て装甲車

車をカーボン樹脂で装甲して作成

漂白

汗を電気分解してクロム作成

血糊

シソカタバミクロム作成

ラプチャーディスク

皮で作成

火炎弾

硫酸+鉄粉作成

音響兵器

爆弾と銅板で作成

混酸

硫酸+硝酸作成

ニトログリセリン

混酸+石鹸作成

ダイナマイト

ニトログリセリン作成

スタンガン

マンガン電池で作成

ロロ酢酸

酢+塩素+硫黄

ロロ酢酸ナトリウム

ロロ酢酸+水酸化ナトリウム

シアンナトリウム

血+

シアノ酢酸

ロロ酢酸ナトリウム+シアンナトリウム

エチルシアノアセテート

シアノ酢酸+酒

医療接着剤

エチルシアノアセテート+ホルムアルデヒド

冷凍庫

エンジンピストン+金の細糸

温度計

ガラス水銀作成

通貨制度

石油需要基準作成

麻で作成

気球

布で作成

地図

気球観測した情報を元に作成

小麦畑

地図を元に小麦を探して作成

パン

小麦作成

ガラス+水酸化ナトリウム+銀+アンモニア+干しブドウ作成

銀塩カメラ

鏡+塩水

石油

気球+カメラ情報収集して油田を探索して発見

ガソリン

作成描写なし

スターリングエンジン

冷凍庫技術転用して作成

モーターボート

作成描写なし

蛍光塗料

亜鉛鉱で作成

ブラウン管

三角フラスコ+蛍光塗料作成

レーダー

ブラウン管+水晶+アンテナ作成

ソナー

ブラウン管+水晶+マイク作成

金属探知機

ブラウン管+水晶+コイルクロム作成

鉱山

金属探知機を使ってクロム発見

レール、トロッコ

作成描写なし

舗装道路アスファルト

廃液と砂利で作成

2019-03-13

男って股間打ってもそんなに痛くないのでは疑惑

さっき見たテレビ視聴者の疑問を芸人が解明するコーナーで、野球少年からの依頼で野球ボールアイスホッケーのパック、股間にぶつけて痛いのはどちらと言う実験をやっていた。

鉄棒に紐で野球ボールとパックを吊るし持ち上げて振り子のように芸人股間にぶつけどちらが痛いかかめると言う内容だ。

用意してあった股間ガードは野球少年要望却下され、無防備股間をぶつけ悶絶する芸人を見て、野球少年も司会の芸人も大爆笑

パックはほとんど鉄の塊みたいなもんでめちゃくちゃ痛いと言う結果になっていた。

旦那も隣で笑っていたが、何故笑えるのだろう。

私は、例えば熱湯風呂は本当はそんなに熱くないと解っているかリアクション芸に笑える。

グツグツ煮えたぎっている熱湯風呂ならとても笑えない。

まり男にとって鉄の塊を股間にぶつけられるのは、ぬるい熱湯風呂程度の苦痛から笑えるのでは。

そうじゃなければ流石に芸人もこんな仕事受けないだろう。

男って股間打ってもそんなに痛くないのでは疑惑

さっき見たテレビ視聴者の疑問を芸人が解明するコーナーで、野球少年からの依頼で野球ボールアイスホッケーのパック、股間にぶつけて痛いのはどちらと言う実験をやっていた。

鉄棒に紐で野球ボールとパックを吊るし持ち上げて振り子のように芸人股間にぶつけどちらが痛いかかめると言う内容だ。

用意してあった股間ガードは野球少年要望却下され、無防備股間をぶつけ悶絶する芸人を見て、野球少年も司会の芸人も大爆笑

パックはほとんど鉄の塊みたいなもんでめちゃくちゃ痛いと言う結果になっていた。

旦那も隣で笑っていたが、何故笑えるのだろう。

私は、例えば熱湯風呂は本当はそんなに熱くないと解っているかリアクション芸に笑える。

グツグツ煮えたぎっている熱湯風呂ならとても笑えない。

まり男にとって鉄の塊を股間にぶつけられるのは、ぬるい熱湯風呂程度の苦痛から笑えるのでは。

そうじゃなければ流石に芸人もこんな仕事受けないだろう。

2019-02-11

[] #69-7「愚者自覚

≪ 前

あなたたち、何をやっているのか!」

パッと見、ペットボトルを使ったスポーツチャンバラだ。

というより、実質的にその範疇に収まるから、俺たちはこのルールで戦っている。

なのにルビイ先生は、二人の間にすぐさま割って入った。

イジメが駄目だということくらい、みんな分かっているでしょ!」

それに続く言葉に、俺たちクラスの皆が困惑した。

先ほどの盛り上がりが嘘のように、辺りは静寂に包まれる。

「……イジメ?」

ケンカだという理由で止めたのならまだ分かるけど、何でイジメなんだ。

「ルビイ先生? 何か誤解があるようですが、これはペットボトルによるチャンバラであって―――」

「そのペットボトルで、チャンバラという名目で、ツクヒ君は一方的に殴られていたと?」

どうやら、『(先生が)その時に見た場面が、一方的のようだったから』という理由で、イジメ判断したらしい。

実は俺たちの知らない価値観があって、それを基準判断したのかと思ったら、ただの早とちりだった。

「いや、ルビイ先生。確かにやや原始的な争いではありましたし、健全だと断言するものではなかったかもしれませんが、これをイジメ判断するのは大雑把すぎるのでは?」

言い訳なんて聞きたくありません! どんな理由があってもイジメていいことにはならない!」

「おいおい、ちょっと落ち着けよ。ルビイ先生

「落ち着くのは、みんなの方です!」

当事者の主張すら捻じ曲げてきた。

ツクヒの言葉も、ブリー君の言葉もまるで届かない。

この日のルビイ先生は、何だか様子がおかしかった。

普段先生なら、こんな強引に説き伏せたりはしない。

みんなの言い分を聞いてから理解を深め、それでも安易に白黒決めたりしない人だ。

生徒をちゃんと見てくれているという実感をくれる、信頼できる先生のはずなのに。

これじゃあまるで、俺たちが嫌っている大人のものじゃないか

「ちょ、ちょっとルビイ先生。二人の話をちゃんと聞いてやりなよ」

あなたたちも同罪です! こんな状況になるまで見て見ぬフリをするだなんて!」

周りがフォローしようとしたら、見境なくこちらまで巻き込んでくる。

取り付く島もない。

イジメはよくない。人を傷つける、最低の行為なんです!」

そして有無を言わさず、教科書にのっているような道徳を語り始める。

本来の授業などお構いなしに、それは数十分も続いた……。


…………

その日の昼休み

グラウンド鉄棒がある場所で、俺と仲間たちは今回の件を話し合っていた。

『今回の件』というのは、ブリー君のことだとかペットボトルによる戦いだとかじゃない。

ルビイ先生のことについてだ。

あんな取ってつけたような説教をする人じゃないと思っていたが……」

「私、すごく驚いたんだけど、あれはもうヒスよ」

その場にはブリー君とツクヒもいて、同じく話に参加していた。

「ぼくは転校してきたばかりだから、ルビイ先生のことはよく知らない。けれど、冷静じゃなかったのは確かだね。さっきのツクヒよりマトモじゃなかったよ」

「そこでオレを引き合いに出すな」

少し前にあったギクシャクした関係は、もはやどうでもよくなっていた。

それよりも、明らかに様子のおかしかったルビイ先生をみんな心配していたんだ。

「ツクヒと同じく虫の居所が悪い日だったのかな」

「仮にそうだとして、ルビイ先生あんな風になるか? 今まで見たことないぞ」

「うーん……ドッペルはどう思う?」

俺はドッペルに意見を仰いだ。

みんなが話している間も、常に何か言いたげだったからだ。

「み、見たんだ」

すると恐る恐る、一言ずつ噛みしめるように喋り出した。

先生の目……クマが」

目にクマ

それはいつも通りな気もするが。

「いつもより濃かった!」

なるほど、濃さが違ったのか。

鉛筆で例えるなら?」

普段HBくらいだけど……ご、ごご5Bくらいになってた」

なんてこった、大変だ。

使ったことないぞ、そんな濃さの鉛筆

次 ≫

2019-02-08

anond:20190207004137

児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitter実名発信すら行っている。

彼らの主張と、裁判所認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。

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損害賠償請求事件

東京地方裁判所平成21年(ワ)第25349号

平成25年8月29日民事第44部判決

口頭弁論終結日 平成25年4月25日

       判   決

(第1,第2 省略)

第3 争点に対する判断

1 認定事実

 前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)本件小学校入学前後の経緯

ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。

 原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。

(甲4,75,原告Q1本人)

イ(ア)Q9の所属するクラス担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったこから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。

 Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。

 原告らは,同月31日,本件小学校担任教諭保護者との間での連絡帳に,Q9から先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言真意確認を求める旨の記載をした。

(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。

 Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。

(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。

 また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたこから原告Q2が殴った,私も人間から感情的になると述べた。

 原告Q1は,同月3日,本件小学校架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。

(エ)Q12教諭は,同月4日,原告から,本件小学校教育方針等についての意見記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。

 その後,本件小学校のQ14校長教務主任及び生徒指導主任原告ら宅を訪れ,原告Q1から学校で行う教育と家庭で行う教育区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長ガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。

(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)

(2)本件一時保護に関する経緯

ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。

イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。

 静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所作成家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告からは,Q9が時間を守らないという理由毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からおもちゃバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護必要となる「AA」と判定された。

 静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告から殴られていることを認めたこと,本件小学校から家庭訪問をした後も原告から虐待継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護したことを告げた。

 Q9は,同日,静岡市静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。

 静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護委託した。

(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)

(3)本件一時保護開始後の経緯

ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰虐待ではなく,親である原告らの意思無視して本件一時保護継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。

 原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。

 静岡市児童相談所のQ19主任主事心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。

 静岡市児童相談所のQ20所長は,上記原告らの発言心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力継続される可能性が高く,Q9も帰宅拒否していることから児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置承認を求める申立て(本件申立て)をした。

(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)

イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたもの判断していると説明したが,原告らは,「体罰虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。

(甲9,10,乙ろ7の10)

ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から虐待に及ばない体罰については容認されたもの解釈している,体罰主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子ども心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所から原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。

 静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記提案として,Q9と原告らの家族統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ち確認し,写真ビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ち確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望確認し,児童相談所所員による家庭訪問実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。

 Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告無視したものである原告らは体罰をしているのであって虐待暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。 

 Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである静岡市児童相談所原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。

(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)

エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。

 静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。

(乙ろ1)

オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告申し立てた旨伝えるとともに,親権行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑

2019-02-04

anond:20190202100604

錆びた鉄棒とかよくあった。手のひらが痛いとやる気がなくなるので保護

体操選手の手につけてるアレみたいなの

2019-02-02

anond:20190202031220

逆上がりスカートを利用するって鉄棒スカート巻き付けてその巻き付きが解ける勢いを使って逆上がりするとかそんな感じ?

2018-10-03

anond:20181003085209

増田は「舟をWham!」を知らないのかな?

辞書っていうものwikipediaみたいに知らない人が検証も出来ないことを適当に描き散らかしてるわけではなく、ちゃん言葉プロフェッショナルちゃん言葉理解した上でその言葉にまつわる説明データベース化して作られているんだ。

国語辞典には大体30万語前後言葉が収録される。そんなにたくさんの言葉にまつわる文章を書くにはどれだけ時間がかかると思う? 

そう。国語辞典というものは一つ作るのに大体10年以上の歳月がかかると言われているんだ。

いくたびもラスト・クリスマスを乗り越えないと完成には辿りつかないんだね。

しかし、一度国語辞典を作ってしまえばそれは何十年もの間細々と売れ続ける「安定的商品」となるわけ。

他に同じようなことをする人はwikipedia財団の人以外にあまりいないからね!

それと同じことだよ。

字というもの短期的に変化するものではない。今増田が目にしているエロ本にも「ぬぷっ」だったり「どぴゅっ」だったりの文字が乱舞していると思うけれど、これだって実はフォントから作られているものなんだ。

この擬音にしたって、それほど時代的に古いという訳でもない。江戸時代エロ本画家の一人に「鉄棒ぬらぬら」という方がおられるんだけれど、名前からしてとても現代であるよな。

まり、今増田が見ている擬音の殆どは、今から150年後でも通用するポテンシャルを秘めているんだ。

今使っているフォントは150年後も新人エロ漫画家が使っているかもしれないし、150年後先の未来に今作られた古いフォントエロ漫画男の子を慰めるために使用されて「スッキリ」させたりするかもしれないんだよ。

ちゃんと考えられているんだ。角度とかは。

2018-08-04

毒の親

私の親は、今でいう「毒親」だったと思う。

特に母親が。




さいころから母親父親を嫌っていて、昼夜構わず目の前で喧嘩した。父親の声はほとんど聞こえなかったけど、母親の金切り声をよく覚えている。

父親実家祖父母と同居していたのだが、そちらとも母親はそりが合わなかったようで、空気はいつも良くない。

父親祖母悪口愚痴を常に私にぶつけていた。

母親は、自分のペースや考えていることに合わせないと、その他の意見を総批判。吐き捨てるように批判してくる。

小学生の時、鉄棒の前回りが怖くて出来なくて、やれるまで帰るなと公園に置き去りにされた。夜暗くなるまでやらされたけど(一人で)怖くて出来なくて泣いていた。

母親から褒めてもらったことは覚えていない。けなされた(バカにされた)ことは覚えている。

そしてそんな状態の私をかばってはくれない父親。「お母さんは怖いな」くらいしか言わない。喧嘩せども最終的には言いなり。




喧嘩していた夜は、違う部屋に移って扉を閉めていてもうるさくて怖くて、布団をかぶって「早く終わって」と泣きながら耐えていた。

母親と違う意見を言うと、「~(持論)~じゃない。(当たり前でしょ)バカね」見下す視線付き。

歩くペースや乗る電車など、もう少しゆっくりでもいいじゃないと思いゆっくりしていると、母親イライラするのか「グズなんだから」「ノロね(ノロマね)」と言ってくる。母親は悪びれもせずに言うが、言われるたび辛かった。

母親から聞く悪口洗脳され、反抗期もあったせいか父親祖母のことを邪険にした。母親のことも好きじゃなかったけど。

彼女から愛情を感じたことはない。自分の思いどおりにいかいから怒る。そうとしか思えない言動の数々。

そうした環境が嫌で、高校生の時一度バイト上がりに深夜まで友達と遊んでいたことがある(連絡はいれていたが「帰ってこい」の催促を無視していた)。

家に帰ったら母親に盛大に泣かれたが、私が「兄は遊んでてよくて、どうして私はダメなの」と問い詰めたら何も答えずに「出ていけ」とのこと。多分、兄があまり注意を受けずによく遊んでいること、普段から兄びいきの発言が多いのでイラついていた、それについて問いただしても納得のできる言葉をもらえなかったこと、その辺の複合的な心情が爆発したと思う。

心配するから」の一言があれば謝るつもりだったが、何も答えてはもらえなかった。

母親は頭ごなしに意見をし、理由説明しないことが多い。「なぜ?」と問うても「そうだから」と答えになっていないことが多い。

「好きなようにしていい」と私には言うくせに、母親には基本的に逆らわない父親。結局折れる。奴隷

季節は冬、ラジオの早朝英会話教室みたいのを聞いていたことがあって、ラジオは両親の部屋にあったから聞きに行ってたが、寒いから布団に入れと両親それぞれに言われ、困ってどっちの布団にも入らなかった。その時ほど面倒なことはなかった。最初良心からだったのかもしれないが、次第に相手に対抗してどっちの布団に入らせるかムキになっていた。くっだらない。

車の免許を持っていない母親は、車を運転することでの疲労や維持する費用ガソリン代のことをまるで考えない。父親運転するのが好きだったのか、数時間程度なら休憩なしでぶっ続けで運転していた。それをこっちにも要求してきた。疲労感やあなたの足ではないからねとどんなに説明しても理解はしない。

旅行中は喧嘩をしないことが多かったから、旅行は好きだった。

私の出産の時、初孫で浮かれていたのか、次の日にさっそく病院へ。夕方出産でお風呂にも入れていなく、前日までの長い陣痛で数日まともに眠れていなかったが、まぁ孫に会いたいだろうと12時に来るように言ったが10時に来た。来たら1階まで迎えに行くと言ったが(病院は1階が診察室で2階が病室。お見舞いは基本的入院してる人が1階まで迎えに行く)そんな早くに来るとは思わなかったからちょうど風呂に入っていた。迎えに行くつもりだったから病室も教えていなかったがアクティブにずかずかと病室を聞いて上がってきていて(1階の受付はほぼ診察の人用でまぁ話しかけづらい雰囲気だったけどそんなの関係ない人なので)、風呂のあと仮眠したかったが叶わず、夜まで居座られ大して眠れず。病院の決まり子供を抱けない、写真も近くで撮れないと知り露骨がっかりし、ずっと私の病室で私の見ていないTVをひたすら見ていた。帰れ。

誘われたけど、里帰り出産なんかしたくない。絶対に。

普通は里帰り出産するでしょ?でもしなかったから、二週間くらい孫ちゃんとこっちおいでよ。行きと帰りは夫くんに車で送ってもらってさ」

その理屈はなんだ。あなた普通は万人の普通ではない。ましてや私の普通でもない。二週間って別居でもあるまいし通常の家族が「実家に帰るね~二週間くらい☆」な気分でそんなに離れるか。乳児も連れて。私は嫌だ。それに行きと帰りだけ夫を足に使えというのか。結構距離を。

当然断った。




もういい年だから、親のせいにしてはいけない。自分意見がないのも、あっても言えないのも、周りに合わせることを第一と考えるのも、決断力がないのも、怒る怒られるということに極端に恐怖するのも、誰かの怒鳴り声でもパニックを起こし過呼吸になるのも。

でも、私は自分の子供をこうにはしたくない。同じ思いをしてほしくない。やっぱり大事だよ、生まれからの18年あまりは。一生の性格を培う。人一人を歪めかねない。

縛られている自分も嫌だ。だけど、夫と子供は守りたい。私の家族を守りたい。

2018-05-26

BB弾を拾った思い出

ときどき甥っ子の世話を頼まれる。そうすると公園に遊びに行く。

公園ではかけっこしたり鉄棒して見せたりするのだが、ご承知の通りおれはすぐバテる。

そこで最近昆虫どんぐりBB弾を採らせておけば楽できることを発見した。農耕採集民族万歳

集めたBB弾をいただいて(持たされて)見ていると、かつての記憶が蘇ってくる。

BB弾にも色々種類がある。欠けていると値打ちは半減。でも一応持って帰る。

イエローオーソドックスで、あまりまれない。色がついていると価値が高くて、赤は緑よりも珍しかった。透明のやつなんかは一等価値があった。

これがブクマの星と一緒だと気づいた。

なんだ、おれは本質的には5歳児の頃からなんも変わってなかったのだ。

嬉しいような、そうでもないような、ノスタルジック土曜日

2018-04-21

想像実践難易度乖離しているもの

オッサンになってから、物凄い久々にぶらさがったときの耐えきれなさやばいぞ。

昔、ガキの使いヘイポー罰ゲームでぶら下がりやっていたが、

ヘイポーのあまりの不甲斐なさを笑ったことを、俺は恥じたよ。

今度、できる場所をみかけたら、やってみるといい。

2018-04-12

anond:20180412134126

鉄棒を登ってる時にちんちんが刺激されて気持ちよくなったのが最初だな

はっきり覚えてる

2018-04-08

35歳ではじめてセックスした話

35歳まで処女だったがギリシャ人ワンナイトラブセックスをした。

ちんこまんこに入れることは思い描いていたような強烈な体験ではなかったが、今後2度とない体験かもしれないので覚えているうちに書き留めておく。

物語に描かれるセックスはとても魅力的にみえたしそう描かれることが多いように思う。

から興味はあったがセックスには相手必要なのでこれまでする事がなかった。。。でももしかすると性に関して人並みの興味がなかったのかもしれない。

ネット環境があったのにエロ動画を初めて検索したのは30過ぎてからだし、女性オナニーをすることを知ったのは19歳の時だった。

浪人生活中のお昼休み、地下のフードコート高校時代クラスメイトで同じ予備校に通っていた女子自分は性欲がないかオナニーほとんどしないんだと言っていた。

その時に初めて女性オナニーをすることを知った。

なんと返答したかは覚えていないが部屋に帰り下宿先のこたつの上に設置されたノートPCで「オナニー 女 方法」と検索したことは覚えている。

机の角にこすりつけたり、鉄棒に登る等の方法を目にしたがとてつもなく痛そうに感じられて心底驚いた。

そんなことが気持ち良い事になるとは到底思えず信じられなかったが、しかし今にして思うとはっきりと性的気持ち良い感覚を私は知らなかった。

性的イラスト映画を見て乳首が立ったり若さゆえにまんこが濡れまくってパジャマまでびしょびしょになっていたが、それはじんわりとしたものでそれ以上自分の体を触って性的気持ち良さを追求出来るとは夢にも思っていなかったというか発想がなかった。

オナニーちんこを擦って気持ちよくなることだったので、ちんこのない女はできないと思い込んでいたんだと思う。

男性オナニー描写は成人向けでない漫画小説映画に描かれているが女性描写は少なく、完全な成人向けの表現は当時ゾーニングもされず売っていた雑誌の印象が強く、それがあまりにもグロく映ったので手に取りたい知りたいと思う事もなかった。

3大欲求の食欲も睡眠欲も生まれてすぐに自動的に行われて実施しないと死ぬが、性欲はこれが性欲である意識しないとわからない人間もいるし別に死なない。

多分自分はとろい。

これまで自分セックスしたいのかどうかも分からなかった。

男性から好意を示されると全く意中にないと強烈に拒絶しそこそこだと2回のデートまでは合わせるがそれ以降どうしても肉体的な接触に進む事が気持ち悪くなり逃げ出してきた。

なのでそもそも男性セックスがしたくないのかとも思っていたがだからと言ってレズビアンでも無く自認は明らかにヘテロだった。

そして今回初めてセックスしたギリシャ人に会って分かったがセックスしたい人間に会うとちゃん自分発情してセックスしようとしていた。

まりただただ理想が針の穴を通すように小さくこれまでそういう人に出会ってこなかっただけだった。

性欲が沸き起こるというよりはこの男性とならセックスが出来る、みんながしているセックスというものを私も出来るチャンスが来た、という感覚だったので性欲だったのか難しいところだがセックスが出来ると感じれた事は喜びだった。

そのギリシャ人陸上選手大会出場のために来日していた男性だった。

大会中だったので20代後半の筋肉質な非常に良い身体をしていた。それに私は発情した。

セックスする前のただのファン選手だった時に撮影した写真がありその時の自分の表情が見れるのだが、発情のお手本のように頬に赤みが差し瞳孔が開き目がキラキラと潤んでいてすごく可愛い顔だと自画自賛出来るので撮影しておいて本当によかったと見返すたびに思う。

痩せている色白の小柄な星野源華丸大吉が好きだったので肉体に惹かれる事に自分自身でも驚いたが頭で考えたタイプではなく原始の欲求自分に沸き起こった事が嬉しかった。

今回セックスして嬉しかったのは自分にも欲求があるんだとはっきり分かり普通人間になれたと思えたことだった。

世の中にはセックスという美味しい物があり皆食べたがっているしほとんどの人が一度は食べた事があり又男性お金を払えば食べる事も出来るようになっているが、女性にはリスクが大きくまたお金を出して気軽に買えるものでもなく社会的にも恋人とのセックスという物が推奨されているが、それは余りにも手の届かない存在だがしかしセックスしたいしする事が普通人間であり皆セックスの話をするのだ。

私はセックスを食べた事がないので知識だけで得た事をなんと無く言うだけで、セックスの話はあまりしたくないけどした事ないわけではないと言う嘘つき童貞と同じスタンスでいた。

35歳にわざわざセックス話題を振ってくる者はまさかやった事ないとは思ってないので非常に嘘がつきやすい。

20代前半の時は処女かどうかの探りが入っているようでどう答えても気持ち悪かったので出来るだけ嫌悪感をだしていたと思う。

35歳ではじめてセックスした話

35歳まで処女だったがギリシャ人ワンナイトラブセックスをした。

ちんこまんこに入れることは思い描いていたような強烈な体験ではなかったが、今後2度とない体験かもしれないので覚えているうちに書き留めておく。

物語に描かれるセックスはとても魅力的にみえたしそう描かれることが多いように思う。

から興味はあったがセックスには相手必要なのでこれまでする事がなかった。。。でももしかすると性に関して人並みの興味がなかったのかもしれない。

ネット環境があったのにエロ動画を初めて検索したのは30過ぎてからだし、女性オナニーをすることを知ったのは19歳の時だった。

浪人生活中のお昼休み、地下のフードコート高校時代クラスメイトで同じ予備校に通っていた女子自分は性欲がないかオナニーほとんどしないんだと言っていた。

その時に初めて女性オナニーをすることを知った。

なんと返答したかは覚えていないが部屋に帰り下宿先のこたつの上に設置されたノートPCで「オナニー 女 方法」と検索したことは覚えている。

机の角にこすりつけたり、鉄棒に登る等の方法を目にしたがとてつもなく痛そうに感じられて心底驚いた。

そんなことが気持ち良い事になるとは到底思えず信じられなかったが、しかし今にして思うとはっきりと性的気持ち良い感覚を私は知らなかった。

性的イラスト映画を見て乳首が立ったり若さゆえにまんこが濡れまくってパジャマまでびしょびしょになっていたが、それはじんわりとしたものでそれ以上自分の体を触って性的気持ち良さを追求出来るとは夢にも思っていなかったというか発想がなかった。

オナニーちんこを擦って気持ちよくなることだったので、ちんこのない女はできないと思い込んでいたんだと思う。

男性オナニー描写は成人向けでない漫画小説映画に描かれているが女性描写は少なく、完全な成人向けの表現は当時ゾーニングもされず売っていた雑誌の印象が強く、それがあまりにもグロく映ったので手に取りたい知りたいと思う事もなかった。

3大欲求の食欲も睡眠欲も生まれてすぐに自動的に行われて実施しないと死ぬが、性欲はこれが性欲である意識しないとわからない人間もいるし別に死なない。

多分自分はとろい。

これまで自分セックスしたいのかどうかも分からなかった。

男性から好意を示されると全く意中にないと強烈に拒絶しそこそこだと2回のデートまでは合わせるがそれ以降どうしても肉体的な接触に進む事が気持ち悪くなり逃げ出してきた。

なのでそもそも男性セックスがしたくないのかとも思っていたがだからと言ってレズビアンでも無く自認は明らかにヘテロだった。

そして今回初めてセックスしたギリシャ人に会って分かったがセックスしたい人間に会うとちゃん自分発情してセックスしようとしていた。

まりただただ理想が針の穴を通すように小さくこれまでそういう人に出会ってこなかっただけだった。

性欲が沸き起こるというよりはこの男性とならセックスが出来る、みんながしているセックスというものを私も出来るチャンスが来た、という感覚だったので性欲だったのか難しいところだがセックスが出来ると感じれた事は喜びだった。

そのギリシャ人陸上選手大会出場のために来日していた男性だった。

大会中だったので20代後半の筋肉質な非常に良い身体をしていた。それに私は発情した。

セックスする前のただのファン選手だった時に撮影した写真がありその時の自分の表情が見れるのだが、発情のお手本のように頬に赤みが差し瞳孔が開き目がキラキラと潤んでいてすごく可愛い顔だと自画自賛出来るので撮影しておいて本当によかったと見返すたびに思う。

痩せている色白の小柄な星野源華丸大吉が好きだったので肉体に惹かれる事に自分自身でも驚いたが頭で考えたタイプではなく原始の欲求自分に沸き起こった事が嬉しかった。

今回セックスして嬉しかったのは自分にも欲求があるんだとはっきり分かり普通人間になれたと思えたことだった。

世の中にはセックスという美味しい物があり皆食べたがっているしほとんどの人が一度は食べた事があり又男性お金を払えば食べる事も出来るようになっているが、女性にはリスクが大きくまたお金を出して気軽に買えるものでもなく社会的にも恋人とのセックスという物が推奨されているが、それは余りにも手の届かない存在だがしかしセックスしたいしする事が普通人間であり皆セックスの話をするのだ。

私はセックスを食べた事がないので知識だけで得た事をなんと無く言うだけで、セックスの話はあまりしたくないけどした事ないわけではないと言う嘘つき童貞と同じスタンスでいた。

35歳にわざわざセックス話題を振ってくる者はまさかやった事ないとは思ってないので非常に嘘がつきやすい。

20代前半の時は処女かどうかの探りが入っているようでどう答えても気持ち悪かったので出来るだけ嫌悪感をだしていたと思う。

2018-03-19

anond:20180319145341

自分意図的気持ちよくなろうとして触るのと

登り棒や鉄棒にあたるのが同じだと思ってるの?

anond:20180319144724

女性性的快感をはじめてえるのは登り棒から降りてくるときとか、鉄棒またいだりする時とかだという話。

2018-03-12

anond:20180312181610

ちなみに、鉄棒話題は「練習しなくても高校生になれば自動的にできるようになる」という文脈でした。

もっと言えば、「高校生になっても逆上がりができないのは才能が足りないから」という意図です。

anond:20180312160234

んー、まあそうかもしれない。ただ、鉄棒みたいに小学生の頃は逆上がりできなかったけど、高校生になったら自動的にできるようになる、みたいな技能も世の中にはある。

絵に関していえば、筋肉とか器用とか関係なくて、認識がそのまま平面に現れるわけだから、観察する習慣があれば24時間練習できるとも言える。

2018-02-09

金的で悶える男性欲情する

アラサー女性

これまで誰にも同感してもらえなかったけど、金的を食らって悶絶する男性欲情する。

ガールズトークでも理解されないし、旦那にも言ったことはない。けど、小さいこからずっと欲情していた。

ネット検索したら金的攻撃萌えるスレっていうのがあったけど同性愛男性向けだった。

そうじゃなくて女性男性金的萌えることはないのか、確認したい。

思えば小さいこからだった。

男子に「ここ蹴ってみ」と言われ、言われた通りに蹴ってみたら、男子は「おふう、あは、ふうっ」とうめきながら地面でのたうち回るのだ。

普段偉そうな男子のその姿に、軽蔑より疑問より、わたし欲情を覚えた。

アニメを見ていても男子キャラが股間を打って悶絶するシーンには常にムラムラしていた。

どんなに強いキャラでも、金的さえ打ってしまえばみんななりふりかまわず悶絶して呻き声をあげてプライドもかなぐり捨てて痛がっている。

そんなみじめな姿にわたしは笑いと同等以上の欲情を覚えていた。

体育の時間は楽しみだった。

鉄棒に玉を打ったり、ドッジボールで股間でボールキャッチしたり、跳び箱で股間を打ったり、水泳で間違えて男子のあそこを蹴り飛ばししまったり。

男子が悶絶する姿を見るのが楽しみだった。

いつも何かのアクシデントで股間を打つ男子がいるので、それを見るのが楽しみだった。

大縄跳びで股間を打つ男子綱引きで股間を挟まれたまま引っ張られる男子平均台から落ちて金的に直撃する男子、そしてそのたびに聞こえる苦悶悲鳴

「お〇ん〇ん打ったーーー!!」という叫び体育館に響き渡り、私の視線はすばやくその姿に向かった。

内股であそこを押さえて涙目になっている男子。いつもはあんなに偉そうなのに。体も大きくてクラスリーダー存在なのに。

あわれとも言うべきその姿に、私の目はくぎ付けになっていた。

体育の授業のたび、誰かしらの男子は股間を強打していた。その姿にひそかにから欲情していた。

学年が進むにつれてそういったアクシデントが減っていくのが残念で仕方なかった。

ネットが使えるようになってから世界金的動画を探した。

日本より海外の方が金的バリエーションリアクションも多かった。

しか日本男子の歯を食いしばって痛みに耐える反応も捨てがたいものがあった。

高校球児が股間に球を食らって苦しみながらもプレーを継続する姿なんて最高だ。

念を押すが私は金的攻撃は「やってくれ」と頼まれときしかしていない。

命にかかわる内臓であることは理解しているし、これから自主的金的攻撃はしないつもりだ。

しかしここで言いたいのは私は小さいこから金的萌え萌えて仕方がないのであり

まれてこの方同様の嗜好を持つ女性出会たことが無いということだ。

自分より体の大きな男性が、こんな小さな「股間」を打たれるだけでくの字に身をくねらせて、「ああ、おう、うう」と呻き声を漏らして

足元にのたうち回る。

こんなみっともない姿に欲情して仕方がないのだ。

同じような好みを持つ女性がいたらぜひコメントが欲しい。

あとおすすめ金的動画がありましたら教えてください。

2018-02-05

運動音痴になるきっかけについて

私は早生まれである

早生まれとは、1月~3月生まれを言うが、私は早生まれの中でも、遅い方の生まれであった。

幼少期。

特に幼稚園児であれば、近所の子どもと遊ぶ事が多いと思う。

私の近所には、同学年の子どもが2人。

1つ年上の子どもが1人いた。

いずれも同性である

同学年の2人は、4月生まれと6月上旬まれであった。

鬼ごっこをしても、私はすぐに追いつかれていた。

走るのが遅いと、馬鹿にされていたのを覚えている。

鉄棒をしても、出来るようになるまで彼女たちより時間がかかった。

運動神経が無い」

そう言われ続け、私自身、運動音痴なのだと思っていた。

走れば「おっそー」と馬鹿にされ。

鬼ごっこはすぐ鬼になる。

だんだん運動するのが嫌になった。

外で遊ぶ回数も減った。

だって

家の中で、絵を描いたりするのは、運動発達に影響しないから。

馬鹿にされることはなかったんだ。

それが、自分のせいじゃないってことに。

大人になってから、やっと気付いたのだ。

あの頃、私を馬鹿にしていた近所の子

彼女と私は、ほとんど1年の差があった。

4歳にとって、1年の発達差は大きい。

私が生まれた瞬間、彼女はすでに10か月。はいはいを始めていた時期だ。

ちなみにもう1人の6月生まれの子も、お座りはできるようになっている。

おぎゃーと生まれた瞬間、お座り出来ている子どもと、はいはいをしている子ども

その差は、たった3年では埋まらないだろう。

私は、かけっこが遅かったんじゃない。

運動発達が彼女の発達と釣り合ってなかったのだ。

小学生の体力テストだって、学年ごとに目標値が違う。

同じ3年生でも、2年生寄りと4年生寄り。

そういうイメージである

そして。

そこで、私は運動を止めてしまった。

「近所の子いじめられる」

と言って、外で遊ばなくなった。

そうなれば、どんどん差は開いていく。

幸い、小学生で離れた場所友達と呼べる人に出会え、近所の子強制的に遊ばなくて良くなった。

の子達と、バスケをしたり、鉄棒をしたり。活発に遊べたので、体力テストは平均並には維持できていたと記憶している。

もし、このブログを読んでいる方に、小さな早生まれの子どもがいるならば。

同じ学年の子と比べるのは、やめてあげて欲しい。

もっともっと無限可能性があるかもしれない。

もし、幼稚園先生がいたら。

それを考慮してあげて欲しい。

私が通っていた公立幼稚園山本先生は、「⚪⚪ちゃんに聞いたけど。走るの遅いんだってもっと走る練習したらどうかな」と、私に言ってきた人だ。

足の裏のつぶつぶ廊下感触と共に、忘れられない一言である

もっと走る練習……よりも、なぜそんな差が生まれているのか?考慮して欲しかった。

ただし。

運動しなかった反面、私は幼稚園児ながら本を読みまくり百人一首が好きになっていた。

それもあってか、勉強では苦労しなかった。

今では、こちらの道の方が良かったし、運動も平均レベルでは居られるので、

自分人生には、満足している。

運動音痴と言われた話

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